引越しをするごとに、「すずめはどうしたろう。」もう八十いくつで、耳が遠かった。――その耳をじっと澄ますようにして、目をうっとりと空をながめて、火桶ひおけにちょこんと小さくいて、「雀はどうしたろうの。」引越しをするごとに、祖母のそうつぶやいたことを覚えている。「祖母おばあさん、一所いっしょに越して来ますよ。」当てずッぽに気安めを言うと、「おお、そうかの。」と目皺めじわを深く、ほくほくとうなずいた。
 そのなくなった祖母は、いつもほとけの御飯の残りだの、洗いながしのお飯粒まんまつぶを、小窓に載せて、雀を可愛かわいがっていたのである。
 私たちの一向いっこうに気のない事は――はれて雀のものがたり――そらで嵐雪らんせつの句は知っていても、今朝もさえずった、と心にめるほどではなかった。が、すくなからず愛惜あいじゃくの念を生じたのは、おなじ麹町こうじまちだが、土手三番町どてさんばんちょうすまった頃であった。春も深く、やがて梅雨つゆも近かった。……庭に柿の老樹が一株。遣放やりばなしに手入れをしないから、根まわり雑草の生えた飛石とびいしの上を、ちょこちょことよりは、ふよふよと雀が一羽、羽を拡げながら歩行あるいていた。家内がつかつかと跣足はだしで下りた。いけずな女で、たしかに小雀を認めたらしい。チチチチ、チュ、チュッ、すぐにてのひらの中に入った。「引掴ひッつかんじゃ不可いけない、そっとそっと。」これがうぐいすか、かなりやだと、伝統的にも世間体にも、それ鳥籠とりかごをと、うちにはないから買いに出るところだけれど、対手あいてが、のりをめるしろもので、お安く扱われつけているのだから、台所の目笊めざるでその南のえんへ先ず伏せた。――ところで、生捉いけどって籠に入れると、一時ひとときたないうちに、すぐに薩摩芋さつまいもつッついたり、柿を吸ったりする、目白鳥めじろのように早く人馴れをするのではない。雀の容易たやすにつかぬと、祖母にも聞いて知っていたから、このまだ草にふらついて、飛べもしない、ひよわなものを、飢えさしてはならない。――きっと親雀が来ておう。それには、えんでは可恐こわがるだろう。……で、もとの飛石の上へ伏せ直した。
 母鳥ははどりは直ぐに来て飛びついた。もう先刻さっきから庭樹にわきの間を、けたたましく鳴きながら、あっちへ飛び、こっちへ飛び、飛騒とびさわいでいたのであるから。
 障子しょうじを開けたままでのぞいているのに、の可愛さには、邪険な人間に対する恐怖も忘れて、目笊の周囲を二、三尺、はらはらくるくると廻って飛ぶ。ツツとざるの目へはしを入れたり、さっと引いて横に飛んだり、飛びながら上へ舞立まいたったり。そのたびに、笊の中の仔雀のあこがれようと言ったらない。あの声がキイと聞えるばかり鳴きすがって、引切ひっきれそうに胸毛を震わす。利かぬ羽をうずにして抱きつこうとするのは、おっかさんが、はしを笊の目に、その……ツツと入れては、ツイと引く時である。
 見ると、小さなを、虫らしい餌を、親はくちばしくわえているのである。笊の中には、乳離ちばなれをせぬ嬰児あかんぼだ。火のつくように泣立なきたてるのは道理である。ところで笊の目をくぐらして、口から口へくくめるのは――人間の方でもその計略だったのだから――いとも容易やさしい。
 だのに、餌を見せながら鳴き叫ばせつつ身を退いて飛廻とびまわるのは、あまり利口でない人間にも的確に解せられた。「あかちゃんや、あかちゃんや、うまうまをあげましょう、其処そこを出ておいで。」と言うのである。ひとの手に封じられた、仔はどうして、自分で笊が抜けられよう? 親はどうして、自分で笊を開けられよう? そのおもいはどうだろう。
 私たちは、しみじみ、いとしく可愛くなったのである。
 石も、折箱おりばこふた撥飛はねとばして、笊を開けた。「御免よ。」「御免なさいよ。」と、雀の方より、こっちが顔を見合わせて、悄気しょげつつ座敷へ引込ひっこんだ。
 少々きまりが悪くって、しばらく、背戸せどへ顔を出さなかった。
 庭下駄にわげたそろえてあるほどの所帯ではない。玄関の下駄を引抓ひッつまんで、晩方ばんがた背戸へ出て、柿のこずえの一つ星を見ながら、「あの雀はどうしたろう。」ありたけの飛石――と言っても五つばかり――をそぞろに渡ると、湿けた窪地くぼちで、すぐ上がしのぶこけりゅうひげの石垣のがけになる、片隅に山吹やまぶきがあって、こんもりした躑躅つつじが並んでうわっていて、垣どなりのが、ちらちらとくほどに二、三輪咲残さきのこった……その茂った葉の、蔭も深くはない低い枝に、雀が一羽、たよりなげに宿っていた。まさ前刻さっきの仔に違いない。…様子が、土からわずか二尺ばかり。これより上へは立てないので、ここまで連れて来た女親おふくろが、わりのう預けて行ったものらしい……あえて預けて行ったと言いたい。悪戯いたずらびた私たちの心をんだ親雀の気のやさしさよ。……その親たちのねぐら何処いずこ?……この嬰児あかちゃんは寂しそうだ。
 土手の松へは夜鷹よたかが来る。築土つくどの森では木兎ずくが鳴く。……折から宵月よいづきの頃であった。親雀は、可恐おそろしいものの目に触れないように、なるたけ、葉の暗い中に隠したに違いない。もとより藁屑わらくず綿片わたぎれもあるのではないが、薄月うすづきすともなしに、ぼっと、その仔雀の身に添って、かすみのような気がこもって、包んでまるあかるかったのは、親のなさけ朧気おぼろげならず、輪光りんこうあらわした影であろう。「ちょっと。」「何さ。」手招てまねぎをして、「来て見なよ。」家内を呼出よびだして、両方から、そっと、顔を差寄さしよせると、じっとしたのが、かすかに黄色なくちばしを傾けた。このやわらかな胸毛の色は、さしのぞいたもののえりよりも白かった。
 夜ふかしは何、家業のようだから、その夜はやがて明くるまで、野良猫のらねこに注意した。彼奴きゃつ後足あとあしで立てば届く、低い枝に、あずかったからである。
 朝寝はしたし、ものにまぎれた。ひるの庭に、くまなき五月の日の光を浴びて、黄金おうごんの如く、銀の如く、飛石の上から、柿の幹、躑躅つつじ、山吹の上下うえしたを、二羽縦横じゅうおうに飛んで舞っている。ひらひら、ちらちらと羽が輝いて、三寸、五寸、一尺、二尺、草樹くさきの影の伸びるとともに、親雀につれて飛び習う、仔の翼は、次第に、次第に、上へ、上へ、自由に軽くなって、花垣はながきたけを切るのが、四、五たび馴れると見るうちに、がけをなぞえに、上町うわまちの樹の茂りの中へ飛んで見えなくなった。
 真綿を黄に染めたような、あの翼が、こうすみやかに飛ぶのに馴れるか。かつ感じつつ、私たちは飽かずにながめた。
 あとで、台所からかけて、女中部屋の北窓の小窓の小縁こえんに、行ったり、来たり、出入ではいりするのは、五、六羽、八、九羽、どれが、その親と仔の二羽だかは紛れて知れない。
 ――二、三羽、五、六羽、十羽、十二、三羽。ここで雀たちの数を言ったついでに、それぞれの道の、学者方までもない、ちょっとわけ知りの御人ごじんうかがいたい事がある。
 別の儀でない。雀の一家族は、おなじ場所では余り沢山たくさんには殖えないものなのであろうか知ら? 御存じの通り、稲塚いなづか稲田いなだ粟黍あわきびの実る時は、平家へいけの大軍を走らした水鳥みずどりほどの羽音はおとを立てて、畷行なわてゆき、畔行あぜゆくものを驚かす、夥多おびただしい群団むれをなす。鳴子なるこ引板ひたも、半ば――これがためのそなえだと思う。むかしのものがたりにも、年月としつきる間には、おなじ背戸せどに、孫もひこむらがるはずだし、第一椋鳥むくどりねぐらを賭けて戦う時の、雀の軍勢を思いたい。よしそれは別として、長年の間には、もうちっと家族が栄えようと思うのに、十年一日と言うが、実際、――その土手三番町どてさんばんちょうを、やがて、いまの家へ越してから十四、五年になる。――あの時、雀の親子のなさけに、いとしさを知って以来、申出るほどの、さしたる御馳走でもないけれど、お飯粒まんまつぶの少々は毎日欠かさずいて置く。たとえば旅行をする時でも、……「火の用心」と、「雀君を頼むよ」……だけは、留守へ言って置くくらいだが、さて、何年にも、ちょっと来て二羽三羽、五、六羽、総勢すぐって十二、三羽より数が殖えない。長者でもないくせに、たわら扶持ふちをしないからだと、言われればそれまでだけれど、何、私だって、もう十羽殖えたぐらいは、それだけ御馳走を増すつもりでいるのに。
 何も、雀にかこつけて身代しんしょうの伸びない愚痴ぐちを言うのではない。また……別に雀の数の多くなる事ばかりを望むのではないのであるが、春に、秋に、現に目に見えて五、六羽ずつは親の連れて来る子の殖えるのが分っているから、いつも同じほどの数なのは、何処どこへ行って、どうするのだろうと思うからである。
 が、どうも様子が、仔雀が一羽だちの出来るのを待って、その小児こどもだけを宿に残して、親雀はねぐらをかえるらしく思われる。
 あの、仔雀が、チイチイと、ありッたけくちばしを赤く開けて、クリスマスにもらったマントのように小羽を動かし、胸毛をふよふよとゆるがせて、こう仰向あおむいて強請ねだると、あいよ、と言った顔色かおつきで、チチッ、チチッと幾度いくたびもお飯粒まんまつぶを嘴から含めてる。……食べても強請ねだる。ふくめつつ、あとねだりをするのを機掛きっかけに、一粒くわえて、おっかさんはへいの上――(椿つばき枝下えだしたここにおまんまが置いてある)――其処そこから、裏露地を切って、向うの瓦屋根かわらやねへフッと飛ぶ。とあとから仔雀がふわりとすがる。これで、羽を馴らすらしい。また一組は、おなじくを含んで、親雀が、狭い庭を、手水鉢ちょうずばちの高さぐらいに舞上まいあがると、その胸のあたりへ附着くッつくように仔雀が飛上とびあがる。尾を地へ着けないで、舞いつつ、飛びつつ、庭中を翔廻かけまわりなどもする、やっぱり羽を馴らすらしい。この舞踏が一斉いっとき三組みくみ四組よくみもはじまる事がある。の花を掻乱かきみだし、はぎの花を散らして狂う。……かわいいのに目がないから、春も秋も一所いっしょだが、晴の遊戯あそびだ。もうちっと、綺麗きれい窓掛まどかけ絨毯じゅうたんを飾ってもりたいが、庭が狭いから、羽とともに散りこぼれる風情ふぜいの花は沢山ない。かえって羽について来るか、くちばしから落すか、植えないすみれの紫が一本ひともと咲いたり、たでが穂をあからめる。
 ところで、何のなかでも、親は甘いもの、仔はずるく甘ッたれるもので。……あの胸毛の白いのが、見ていると、そのうちに立派に自分でが拾えるようになる。澄ましたつらで、コツンなどと高慢に食べている。いたずらものが、二、三羽、親の目を抜いて飛んで来て、チュッチュッチュッとつつきあい喧嘩けんかさえる。生意気なまいきにもかかわらず、親雀がスーッと来てしかるような顔をすると、喧嘩のくちばしも、生意気な羽も、たちまちぐにゃぐにゃになって、チイチイ、赤坊声あかんぼごえで甘ったれて、うまうまを頂戴と、口を張開はりひらいて胸毛をふわふわとして待構まちかまえる。チチッ、チチッ、一人でお食べなと言ってもかない。頬辺ほっぺたを横に振ってもかない。で、チイチイチイ……おなかが空いたの。……おお、よちよち、と言った工合に、この親馬鹿が、すぐにのろくなって、お飯粒まんまつぶの白いところを――贅沢ぜいたくな奴らで、うちのは挽割麦ひきわりぜるのだがよほど腹がすかないと麦の方へははしをつけぬ。此奴こいつら、大地震の時は弱ったぞ――ついばんで、はしで、仔の口へ、押込おしこ揉込もみこむようにするのが、およたまらないと言った形で、頬摺ほおずりをするように見える。
 しからず、親に苦労を掛ける。……そのくせ、他愛たわいのないもので、陽気がよくて、おなかがくちいと、うとうととなって居睡いねむりをする。……さあさあひときり露台みはらしへ出ようか、で、塀の上から、揃ってものほしへ出たとお思いなさい。日のほかほかと一面に当る中に、声ははしゃぎ、影は踊る。
 すてきに物干ものほしにぎやかだから、そっと寄って、隅の本箱の横、二階裏にかいうら肘掛窓ひじかけまどから、まぶしい目をぱちくりとってのぞくと、柱からも、横木からも、頭の上の小廂こびさしからも、あたたかな影をかし、羽を光らして、一斉いっときにパッと逃げた。――飛ぶのは早い、裏邸うらやしき大枇杷おおびわの樹までさしわたし五十けんばかりをまたたもない。――(この枇杷の樹が、馴染なじみの一家族のねぐらなので、前通りの五本ばかりの桜の樹(有島ありしま家)にも一群ひとむれ巣を食っているのであるが、その組は私の内へは来ないらしい、持場が違うと見える)――時に、女中がいけぞんざいに、取込とりこむ時引外ひきはずしたままの掛棹かけざおが、斜違はすかいに落ちていた。硝子がらす一重ひとえすぐ鼻のさきに、一羽可愛かわいいのが真正面まっしょうめんに、ぼかんとまって残っている。――どうかして、座敷へ飛込とびこんで戸惑いするのをつかまえると、てのひらで暴れるから、このくらい、しみじみと雀の顔を見た事はない。ふっくりとも、ほっかりとも、細い毛へ一つずつ日光を吸込すいこんで、おお、お前さんはあめで出来ているのではないかい、と言いたいほど、とろんとして、目を眠っている。道理こそ、人の目と、そのはし打撞ぶつかりそうなのに驚きもしない、と見るうちに、ふまえてとまった小さな脚がひょいと片脚、幾度も下へ離れてすべりかかると、その時はビクリと居直いなおる。……わずらって動けないか、怪我けがをしていないかな。……

 以前、あしかけ四年ばかり、相州逗子そうしゅうずしすまった時(三太郎さんたろう)と名づけて目白鳥めじろがいた。
 桜山さくらやまに生れたのを、おとりで捕った人にもらったのであった。が、何処どこの巣にいて覚えたろう、ひよ駒鳥こまどり、あの辺にはよくいる頬白ほおじろ、何でもさえずる……ほうほけきょ、ほけきょ、ほけきょ、あきらかにうぐいすの声を鳴いた。目白鳥としては駄鳥だちょうかどうかは知らないが、私には大の、ご秘蔵――長屋の破軒やぶれのきに、水を飲ませて、いもで飼ったのだから、笑ってわざと(ご)の字をつけておく――またよく馴れて、殿様がたかえたかくで、てのひらに置いて、それと見せると、パッと飛んで虫を退治たいじた。また、冬の日のわびしさに、紅椿べにつばきの花を炬燵こたつへ乗せて、籠を開けると、花をかぶって、密を吸いつつくちばし真黄色まっきいろにして、掛蒲団かけぶとんの上を押廻おしまわった。三味線さみせんを弾いて聞かせると、きそって軒で高囀たかさえずりする。寂しい日に客が来て話をし出すと障子の外で負けまじと鳴きしきる。可愛いもので。……可愛いにつけて、断じて籠には置くまい。秋雨あきさめのしょぼしょぼと降るさみしい日、無事なようにと願い申して、岩殿寺いわとのでら観音かんおんの山へ放した時は、わずらっていた家内と二人、悄然しょうぜんとして、ツィーツィーとこずえを低く坂下さかさがりに樹を伝ってしたい寄る声を聞いて、ほろりとして、一人はそでを濡らして帰った。が、――その目白鳥の事で。……(寒い風だよ、ちょぼ一風いちかぜは、しわりごわりと吹いて来る)と田越村たごえむら一番の若衆わかいしゅうが、泣声を立てる、大根の煮える、富士おろし、西北風ならいの烈しい夕暮に、いそがしいのと、寒いのに、向うみずに、がたりと、かどの戸をしめたいきおいで、軒に釣った鳥籠をぐゎたり、バタンと撥返はねかえした。アッと思うと、中の目白鳥は、羽ばたきもせず、横木を転げて、落葉のはさまったように落ちて縮んでいる。「しまった、……三太郎が目をまわした。」「まあ、大変ね。」とたすきがけのまま庖丁ほうちょうを、投げ出して、目白鳥をてのひらに取って据えたおんなは目に一杯涙をめて、「どうしましょう。」そ、その時だ。こころみ手水鉢ちょうずばちの水を柄杓ひしゃくで切ってしずくにして、露にして、目白鳥のくちばしを開けて含まして、えりをあけて、はだにつけて暖めて、しばらくすると、ひくひくと動き出した。ああたすかりました。御利益ごりやくと、岩殿いわとのかたへ籠を開いて、中へ入れると、あわれや、横木へつかまり得ない。おっこちるのが可恐こわいのか、隅の、隅の、狭いところちいさくなった。あくる日一日は、と、ご悩気のうけと言った形で、摺餌すりえくちばしのあとを、ほんの筋ほどつけたばかり。ただし完全に蘇生よみがえった。
 この経験がある。
 水でも飲ましてりたいと、障子を開けると、その音に、怪我けがどころか、わんぱくに、しかも二つばかり廻って飛んだ。仔雀は、うとりうとりと居睡いねむりをしていたのであった。……憎くない。
 もっともなかなかの悪戯いたずらもので、逗子ずしの三太郎……その目白鳥めじろ――がお茶の子だから雀の口真似くちまねをした所為せいでもあるまいが、日向ひなたえんに出して人のいない時は、籠のまわりが雀どもの足跡だらけ。秋晴あきばれ或日あるひ、裏庭の茅葺かやぶき小屋の風呂のひさしへ、向うへ桜山さくらやまを見せて掛けて置くと、ひる少し前の、いい天気で、しずかな折から、雀が一羽、……ちょうど目白鳥の上の廂合ひあわい樋竹といだけの中へすぽりと入って、ちょっと黒い頭だけ出して、上から籠を覗込のぞきこむ。はしに小さな芋虫いもむしを一つくわえ、あっち向いて、こっち向いて、ひょいひょいと見せびらかすと、籠の中のは、恋人から来た玉章たまずさほどに欲しがって駈上かけあが飛上とびあがって取ろうとすると、ひょいとかおを横にして、また、ちょいちょいと見せびらかす。いや、いけずなお転婆てんばで。……ところがはずみにかかって振った拍子ひょうしに、その芋虫をポタリと籠の目へ、落したから可笑おかしい。目白鳥は澄まして、ペロリと退治たいじた。吃驚仰天びっくりぎょうてんした顔をしたが、ぽんとといの口を突出つきだされたように飛んだもの。
 瓢箪ひょうたんに宿る山雀やまがら、と言ううたがある。雀は樋の中がすきらしい。五、六羽、また、七、八羽、横にずらりと並んで、顔を出しているのが常である。
 ある殿との領分巡回りょうぶんめぐりの途中、菊の咲いた百姓家に床几しょうぎを据えると、背戸畑せどばたけの梅の枝に、おおきな瓢箪がつるしてある。梅見うめみと言う時節でない。
「これよ、……あの、瓢箪は何に致すのじゃな。」
 その農家の親仁おやじが、
「へいへい、山雀の宿にござります。」
「ああ、風情ふぜいなものじゃの。」
 能の狂言の小舞こまいうたいに、
いたいけしたるものあり。張子はりこの顔や、練稚児ねりちご。しゅくしゃ結びに、ささ結び、やましな結びに風車かざぐるま。瓢箪に宿る山雀、胡桃くるみにふける友鳥ともどり……
「いまはじめて相分あいわかった。――些少ちとじゃがりょうを取らせよう。」
 小春こはるうららかな話がある。
 御前ごぜんのお目にとまった、うたいのままの山雀は、瓢箪を宿とする。こちとらの雀は、棟割長屋むねわりながやで、樋竹といだけ相借家あいじゃくやだ。
 腹が空くと、電信の針がねに一座ずらりと出て、ぽちぽちぽちと中空なかぞら高く順に並ぶ。中でも音頭取おんどとりが、電柱の頂辺てっぺんに一羽とまって、チイと鳴く。これを合図に、一斉いっときにチイと鳴出す。――へい枇杷びわの樹の間に当って。で御飯をくれろと、催促をするのである。
 私がすなわち取次いで、
催促やってるよ、催促やってるよ。」
「せわしないのね。……うるさいよ。」
 などと言いながら、茶碗によそって、おんなたちは露地へ廻る。これがこのうえおくれると、勇悍ゆうかんなのが一羽押寄おしよせる。馬に乗ったいきおいで、小庭を縁側えんがわ飛上とびあがって、ちょん、ちょん、ちょんちょんと、雀あるきにひらきを抜けて台所へ入って、おへッついの前を廻るかと思うと、上の引窓ひきまどへパッと飛ぶ。
と自分でもお働き、虫を取るんだよ。」
 何も、肯分ききわけるのでもあるまいが、ことばの下に、はぎの小枝を、花の中へすらすら、葉の上はさらさら……あの撓々たよたよとした細い枝へ、塀の上、椿つばきの樹からトンと下りると、下りたなりにすっとすべって、ちょっとうらを余して垂下たれさがる。すぐに、くるりと腹を見せて、葉裏はうらくぐってひょいとじると、また一羽が、おなじように塀の上からトンと下りる。下りると、すっと枝にしなって、ぶら下るかと思うと、飜然ひらりと伝う。また一羽が待兼まちかねてトンと下りる。一株のはぎを、五、六羽で、ゆさゆさゆすって、さかりの時は花もこぼさず、はしくわえたり、尾で跳ねたり、横顔でのぞいたり、かくして、裏おもて、虫をあさりつつ、滑稽おどけてはずんで、ストンと落ちるかとすると、羽をひらひらと宙へ踊って、小枝のさきへひょいと乗る。
 水上みなかみさんがこれを聞いて、莞爾にっこりして勧めた。
鞦韆ぶらんここしらえておんなさい。」
 やしきの庭が広いから、直ぐにここへ気がついた。私たちは思いも寄らなかった。糸で杉箸すぎばしゆわえて、その萩の枝に釣った。……このおもむき乗気のりき饒舌しゃべると、雀の興行をするようだから見合わせる。が、鞦韆ぶらんこに乗って、瓢箪ぶっくりこ、なぞは何でもない。時とすると、塀の上に、いまむつまじく二羽ついばんでいたと思う。その一羽が、忽然こつねんとして姿を隠す。飛びもしないのに、おやおやと人間の目にも隠れるのを、……こう捜すと、いまいた塀の笠木かさぎの、すぐ裏へ、頭を揉込もみこむようにして縦に附着くッついているのである。脚がかりもないのにたくみなもので。――そうすると、見失った友の一羽が、怪訝けげんな様子で、チチと鳴き鳴き、其処そこらをのぞくが、その笠木のちょっとした出張でっぱりののどに、頭が附着くッついているのだから、どっちを覗いても、上からでは目に附かない。チチッ、チチッと少時しばらく捜して、パッと枇杷びわの樹へ飛んで帰ると、そのあとで、そっと頭を半分出してきょろきょろと見ながら、うれしそうに、羽をゆすって後からさっと飛んで行く。……おもうに、人の子のするかくれんぼである。
 さて、こうたわいもない事を言っているうちに――前刻さっき言った――仔どもが育って、ひとりだち、ひとり遊びが出来るようになると、胸毛の白いのばかりを残して、親雀は何処どこへ飛ぶのかいなくなる。数は増しもせず、減りもせず、同じく十五、六羽どまりで、そのうちには、芽が葉になり、葉が花に、花が実になり、雀ののどが黒くなる。年々二、三度おんなじなのである。
 ……妙な事は、いま言った、はぎまた椿つばき、朝顔の花、露草つゆくさなどは、枝にもつるにも馴れ馴染なじんでいるらしい……と言うよりは、親雀から教えられているらしい。――が、見馴れぬものが少しでもあると、可恐こわがって近づかぬ。一日でも二日でも遠くの方へ退いている。もっとも、時にはこっちから、わざとおいでの儀を御免蒙ごめんこうむる事がある。物干ものほし蒲団ふとんを干す時である。
 お嬢さん、お坊ちゃんたち、一家揃って、いい心持こころもちになって、ふっくりと、蒲団に団欒だんらんを試みるのだからたまらない。ぼとぼとと、あとが、ふんだらけ。これには弱る。そこで工夫をして、他所よそから頂戴してたくわえているひょうの皮を釣って置く。と枇杷びわの宿にいすくまって、裏屋根へ来るのさえ、おっかなびっくり、(坊主びっくりてんの皮)だから面白い。
 が、一夏ひとなつ縁日えんにちで、月見草つきみそうを買って来て、はぎそばへ植えた事がある。夕月に、あの花が露をにおわせてぱッと咲くと、いつもこの黄昏たそがれには、一時ひとときとまに騒ぐのに、ひそまり返って一羽だって飛んで来ない。はじめはあやしんだが、二日め三日めには心着こころづいた。意気地いくじなし、臆病。烏瓜からすうり、夕顔などは分けても知己ちかづきだろうのに、はじめて咲いた月見草の黄色な花が可恐こわいらしい……可哀相かわいそうだから植替うえかえようかと、言ううちに、四日めの夕暮頃から、っと出て来た。何、一度味をしめるととびついて露も吸いかねぬ。
 まだある。土手三番町どてさんばんちょうの事を言った時、の花垣をなどと、少々調子に乗ったようだけれど、まったくその庭に咲いていた。土地では珍しいから、引越す時一枝ひとえだ折って来てさし芽にしたのが、次第にたけたかく生立おいたちはしたが、葉ばかり茂って、つぼみを持たない。ちょうど十年目に、一昨年の卯月うづきの末にはじめて咲いた。それも塀を高く越した日当ひあたりのいい一枝だけ真白に咲くと、その朝から雀がバッタリ。意気地なし。またちょうどその卯の花の枝の下に御飯おまんまが乗っている。前年の月見草で心得て、この時は澄ましていた。やがて一羽ずつそっと来た。たちまち卯の花に遊ぶこと萩にたわむるるが如しである。花の白いのにさえおびえるのであるから、雪の降った朝の臆病思うべしで、枇杷塚びわづかと言いたい、むこうの真白の木の丘にうずもれて、声さえ立てないで可哀あわれである。
 椿の葉を払っても、飛石の上を掻分かきわけても、物干に雪の溶けかかったところを見せても影を見せない。炎天、日盛ひざかり電車道でんしゃみちには、げるような砂を浴びて、蟷螂とうろうおのと言った強いのが普通だのに、これはどうしたものであろう。……はじめ、ここへ引越したてに、一、二年いた雀は、雪なんぞは驚かなかった。山をうさぎが飛ぶように、雪をみのにして、吹雪を散らしてけたものを――
 ここで思う。その、その孫、二代三代に到って、次第おくり、追続おいつぎに、おなじ血筋ながら、いつか、黄色な花、白い花、雪などに対する、親雀の申しふくめが消えるのであろうと思う。
 泰西たいせいの諸国にて、その公園にむらがる雀は、パンに馴れて、人のてのひらにも帽子にも遊ぶと聞く。
 何故なぜに、わが背戸せどの雀は、見馴れない花の色をさえ恐るるのであろう。に花なればこそ、ちっとでも変った人間の顔には、かれらはおおいなる用心をしなければならない。不意のつぶての戸に当る事幾度いくたびぞ。思いも寄らぬ蜜柑みかんの皮、梨のしんの、雨落あまおち鉢前はちまえに飛ぶのは数々しばしばである。
 牛乳屋ちちやが露地へ入れば驚き、酒屋の小僧が「今日こんちは」を叫べば逃げ、大工が来たと見ればすくみ、屋根屋が来ればひそみ、畳屋たたみやが来ても寄りつかない。
 いつかは、何かの新聞で、東海道の何某なにがしは雀うちの老手である。並木づたいに御油ごゆから赤坂あかさかまでく間に、雀のもの約一千を下らないと言うのを見て戦慄せんりつした。
 空気銃を取って、日曜の朝、ここの露地口に立つ、狩猟服の若い紳士たちは、失礼ながら、犬ころしに見える。
 去年の暮にも、隣家りんかの少年が空気銃を求め得て高く捧げて歩行あるいた。隣家の少年では防ぎがたい。おつかいものは、ただ煎餅せんべいの袋だけれども、雀のために、うちの小母おばさんが折入おりいって頼んだ。
 親たちが笑って、
「お宅の雀をねらえば、銃を没収すると言う約条やくじょうずみです。」
 かつて、北越、倶利伽羅くりからを汽車で通った時、峠の駅の屋根に、車のとどろくにも驚かず、雀の日光に浴しつつ、屋根を自在に、といの宿に出入ではいりするのを見て、谷にさきのこった撫子なでしこにも、火牛かぎゅう修羅しゅらちまたを忘れた。――古戦場を忘れたのがいのではない。忘れさせたのが雀なのである。
 モウパッサンが普仏ふふつ戦争を題材にした一篇の読みだしは、「巴里パリイは包囲されて飢えつつもだえている。屋根の上に雀も少くなり、下水のごみも少くなった。」と言うのではなかったか。
 雪の時は――見馴れぬ花の、それとは違って、天地を包む雪であるから、もしこれに恐れたとなると、雀のためには、大地震以上の天変である。東京のは早く消えるからいものの、五日十日積るのにはどうするだろう。半歳はんさい雪にもるる国もある。
 或時あるときも、また雪のために一日かたちを見せないから、……真個ほんとうの事だが案じていると、次の朝の事である。ツィ――と寂しそうに鳴いて、目白鳥めじろただ一羽、雪をかついで、くれないに咲いた一輪、寒椿かんつばきの花に来て、ちらちらと羽も尾も白くしながら枝をくぐった。
 炬燵こたつから見ていると、しばらくすると、雀が一羽、パッと来て、おなじ枝に、花の上下うえしたを、一所いっしょに廻った。続いて三羽五羽、一斉いっときに皆来た。御飯おまんまはすぐくちばしの下にある。パッパ、チイチイもろきおいに歓喜の声を上げて、踊りながら、飛びながら、ついばむと、今度は目白鳥が中へまじった。雀同志は、突合つつきあって、先を争って狂っても、その目白鳥にはおとなしく優しかった。そして目白鳥は、欲しそうに、不思議そうに、雀のいいながめていた。
 私は何故なぜか涙ぐんだ。
 優しい目白鳥は、花の蜜に恵まれよう。――親のない雀は、うつくしく愛らしい小鳥に、教えられ、導かれて、雪の不安を忘れたのである。
 それにつけても、親雀は何処どこく。――

 ――去年七月の末であった。……余り暑いので、に返って、こうどうも、おお暑いでめげては不可いけない。小児こどもの時は、日盛ひざかり蜻蛉とんぼを釣ったと、炎天につかる気で、そのまま日盛ひざかりを散歩した。
 その気のついでに、……何となく、そこいら屋敷町の垣根を探して(ごんごんごま)が見たかったのである。この名からして小児こどもい。――私は大好きだ。スズメノエンドウ、スズメウリ、スズメノヒエ、姫百合ひめゆり姫萩ひめはぎ姫紫苑ひめしおん姫菊ひめぎく※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)ろうたけたとなえに対して、スズメの名のつく一列の雑草の中に、このごんごんごまを、私はひそかに「スズメの蝋燭ろうそく」と称して、内々贔屓ひいきでいる。
 分けて、盂蘭盆うらぼんのその月は、墓詣はかもうでの田舎道、寺つづきの草垣に、線香を片手に、このスズメの蝋燭、ごんごんごまを摘んだ思出の可懐なつかしさがある。
 しかもそのくせ、卑怯ひきょうにも片陰かたかげを拾い拾い小さなやしろ境内けいだいだの、心当こころあたりの、やしきの垣根をのぞいたが、前年の生垣も煉瓦にかわったのが多い。――清水谷しみずだにの奥まで掃除が届く。――梅雨つゆの頃は、闇黒くらがりに月の影がさしたほど、あっちこっちに目に着いた紫陽花あじさいも、この二、三年こっちもう少い。――荷車のあとには芽ぐんでも、自動車のわだちの下には生えまいから、いまは車前草おんばこさえ直ぐには見ようたってに合わない。
 で、何処どこでも、あの、珊瑚さんご木乃伊みいらにしたような、ごんごんごまは見当らなかった。――ないものねだりで、なおほしい、歩行あるくうちに汗を流した。
 場所は言うまい。が、向うに森が見えて、樹の茂った坂がある。……私が覚えてからも、むかし道中の茶屋旅籠はたごのような、中庭を行抜ゆきぬけに、土間へ腰を掛けさせる天麩羅茶漬てんぷらちゃづけの店があった。――その坂をりかかる片側に、坂なりに落込おちこんだ空溝からみぞの広いのがあって、道には破朽やぶれくちたさくってある。その空溝を隔てた、むぐらをそのまま斜違はすかいにおり藪垣やぶがきを、むこう裏からって、茂って、またたとえば、瑪瑙めのうで刻んだ、ささがにのようなスズメの蝋燭が見つかった。
 つかまえて支えて、乗出のりだしても、溝に隔てられて手が届かなかった。
 ステッキ掻寄かきよせようとするが、すべる。――がさがさとっていると、目の下の枝折戸しおりどから――こんなところに出入口があったかと思う――葎戸むぐらどの扉を明けて、円々まるまると肥った、でっぷりもの仰向あおむいて出た。きびらの洗いざらし、漆紋うるしもんげたのをたが、肥っておおきいから、手足も腹もぬっと露出むきでて、ちゃんちゃんをはおったように見える、たくましい肥大漢でっぷりものがらに似合わず、おだやかな、柔和な声して、
「何か、おとしものでもなされたか、拾ってあげましょうかな。」
 と言った。四十くらいの年配である。
 私は一応挨拶あいさつをして、わけを言わなければならなかった。
「ははあ、ごんごんごま、……お薬用やくようか、何か禁厭まじないにでもなりますので?」
 とにかく、路傍みちばただし、ほこりがしている。裏の崖境がけざかいには、清浄きれいなのが沢山あるから、御休息かたがた。で、ものの言いぶりと人のいい顔色かおつきが、気をかせなければ、遠慮もさせなかった。
ちょう午睡時ひるねどき徒然とぜんでおります。」
 導かるるまま、折戸おりどを入ると、そんなに広いと言うではないが、谷間の一軒家と言った形で、三方が高台の森、林に包まれた、ゆっくりした荒れた庭で、むこうに座敷の、えんが涼しく、油蝉あぶらぜみの中に閑寂しずかに見えた。私はちょっと其処そこへ掛けて、会釈で済ますつもりだったが、古畳で暑くるしい、せめてのおもてなしと、竹のずんどぎり花活はないけを持って、庭へ出直すと台所の前あたり、井戸があって、撥釣瓶はねつるべの、釣瓶つるべが、虚空へ飛んで猿のようにねていた。かたわら青芒あおすすき一叢ひとむら生茂おいしげり、桔梗ききょう早咲はやざきの花が二、三輪、ただ初々ういういしく咲いたのを、つぼみと一枝、三筋ばかり青芒を取添とりそえて、竹筒たけづつに挿して、のっしりとした腰つきで、井戸から撥釣瓶はねつるべでざぶりと汲上くみあげ、片手の水差みずさしに汲んで、桔梗にそそいで、胸はだかりにげたところは、腹まで毛だらけだったが、とこへ据えて、円い手で、枝ぶりをちょっとめた形は、悠揚ゆうようとして、そして軽い手際てぎわで、きちんときまった。掛物かけものも何も見えぬ。が、ただその桔梗の一輪が紫の星の照らすようにすわったのである。この待遇のために、私は、えんを座敷へ進まなければならなかった。
麁茶そちゃを一つ献じましょう。何事も御覧の通りの侘住居わびずまいで。……あの、茶道具を、これへな。」
 と言うと、次のの――がけの草のすぐ覗く――竹簀子たけすのこ濡縁ぬれえんに、むこうむきに端居はしいして……いま私の入った時、一度ていねいに、お時誼じぎをしたまま、うしろ姿で、ちらりと赤い小さなもの、年紀としごろで勿論もちろんお手玉ではない、糠袋ぬかぶくろか何ぞせっせとっていた。……島田髷しまだ艶々つやつやしい、きゃしゃな、色白いろじろな女が立って手伝って、――肥大漢でっぷりものと二人して、やがて焜炉こんろを縁側へ。……たきつけを入れて、炭をいで、土瓶どびんを掛けて、茶盆を並べて、それから、扇子おおぎではたはたと焜炉の火口ひぐちあおぎはじめた。
「あれに沢山たくさんございます、あの、茂りましたところに。」
「滝でも落ちそうな崖です――こんな町中に、あろうとは思われません。御閑静で実に結構です。霧がいたように見えますのは。」
烏瓜からすうりでございます。下闇したやみで暗がりでありますから、日中から、一杯咲きます。――あすこは、いくらでも、ごんごんごまがございますでな。貴方あなたは何とかおっしゃいましたな、スズメの蝋燭ろうそく。」
 これよりして、私は、茶の煮えると言うもの、およそこのへんしるした雀の可愛さをここで話したのである。時々微笑ほほえんでは振向ふりむいて聞く。娘か、若い妻か、あるいはおもいものか。世に美しい女のさまに、一つはうかうかさそわれて、気の発奮はずんだ事は言うまでもない。
 さて幾度か、茶をかえた。
「これを御縁に。」
「勿論かさねまして、頃日このごろに。――では、失礼。」
「ああ、しばらく。……これは、貴方あなた、おめしものが。」
 ……心着こころづくと、おめしものも気恥きはずかしい、浴衣ゆかただが、うしろのぬいめが、しかも、したたかほころびていたのである。
「ここもとは茅屋あばらやでも、田舎道ではありませんじゃ。尻端折しりばしょり……飛んでもない。……ああ、あんた、ちょっとつくろっておあげ申せ。」
「はい。」
 すぐに美人が、手の針は、まつげにこぼれて、目に見えぬが、糸は優しく、皓歯しらはにスッと含まれた。
「あなた……」
「ああ、これ、あかい糸で縫えるものかな。」
「あれ――おほほほ。」
 私がのっそりと突立つッたったすそへ、女の脊筋せすじまつわったようになって、右に左に、肩をくねると、居勝手いがってが悪く、白い指がちらちら乱れる。
「恐縮です、何ともどうも。」
「こう三人と言うもの附着くッついたのでは、第一わしがこの肥体ずうたいじゃ。お暑さがたまらんわい。衣服きものをお脱ぎなさって。……ささ、それが早い。――御遠慮があってはならぬ――が、お身に合いそうな着替きがえはなしじゃ。……これは、一つ、亭主が素裸すはだか相成あいなりましょう。それならばお心安い。」
 きびらをいで、すっぱりと脱ぎはなした。畚褌もっこふどし肥大裸体でっぷりはだかで、
「それ、貴方あなた。……お脱ぎなすって。」
 と毛むくじゃらの大胡座おおあぐらを掻く。
 呆気あっけに取られてたちすくむと、
「おお、これ、あんた、あんたもものを脱ぎなさい。みな裸体はだかじゃ。そうすればお客人の遠慮がのうなる。……ははははは、それが何より。さ、脱ぎなさい脱ぎなさい。」
 串戯じょうだんにしてもと、私は吃驚びっくりして、ことばも出ぬのに、女はすぐに幅狭はばぜまな帯を解いた。膝へ手繰たぐると、そでを両方へ引落ひきおとして、雪を分けるように、するりと脱ぐ。……はだおおうたよりふっくりと肉を置いて、脊筋せすじをすんなりと、撫肩なでがたして、白い脇をちちのぞいた。それでも、脱ぎかけた浴衣ゆかたをなお膝に半ばはさんだのを、おっ、とうと、あれ、と言うに、亭主がずるずると引いて取った。
「はははは。」
 と笑いながら。
 既にして、朱鷺色ときいろ布一重ぬのひとえである。
 私も脱いだ。汗は垂々たらたらと落ちた。が、はばかりながらふんどしは白い。一輪の桔梗ききょうの紫の影にえて、女はうるおえる玉のようであった。
 その手が糸をいて、針をあやつったのである。
 縫えると、帯をしめると、私は胸を折るようにして、前のめりに木戸口へ駈出かけだした。挨拶は済ましたが、咄嗟とっさのその早さに、でっぷりものと女は、きもの引掛ひっかける間もなかったろう……あの裸体はだかのまま、井戸の前を、青すすきに、白くれて、人の姿のあやしいちょうに似て、すっと出た。
 その光景は、地獄か、極楽か、覚束おぼつかない。
「あなた……雀さんに、よろしく。」
 と女が莞爾にっこりして言った。
 坂を駈上かけあがって、ほっと呼吸いきいた。が、しばらく茫然としてたたずんだ。――電車の音はあとさきに聞えながら、方角が分らなかった。直下の炎天に目さえくらむばかりだったのである。
 時に――目の下の森につつまれた谷の中から、いっセイして、高らかにしょうの笛が雲の峯に響いた。
 ……話の中に、稽古けいこの弟子も帰ったと言った。――あの主人は、簫を吹くのであるか。……そういえば、余りと言えば見馴れない風俗ふうだから、見た目をさえ疑うけれども、肥大漢でっぷりものは、はじめから、裸体はだかになってまで、烏帽子えぼしのようなものをチョンと頭にのせていた。

「奇人だ。」
「いや、……崖下がけしたのあの谷には、魔窟があると言う。……その種々いろいろの意味で。……何しろ十年ばかり前には、暴風雨あらしに崖くずれがあって、大分、人が死んだところだから。」――
 とある友だちは私に言った。
 炎暑、極熱のための疲労つかれには、みめよき女房のおもて赤馬あかうまの顔に見えたと言う、むかし武士さむらいの話がある。……しもが枝に咲くように、汗――が幻を描いたのかも知れない。が、何故なぜか、私は、……実を言えば、雀の宿にともなわれたような思いがするのである。
 かさねてと思う、日をかさねて一月ひとつきにたらず、九月一日いちにちのあの大地震であった。
「雀たちは……雀たちは……」
 火を避けて野宿しつつ、炎の中に飛ぶ炎の、小鳥の形を、真夜半まよなかかけて案じたが、家に帰ると、転げ落ちたまま底に水を残して、南天なんてんの根に、ひびもらずに残った手水鉢ちょうずばちのふちに、一羽、ちょんと伝っていて、顔を見て、チイと鳴いた。
 後に、そっと、谷の家をのぞきに行った。近づくと胸はとどろいた。が、ただ焼原やけはらであった。
 私は夢かとも思う。いや、雀の宿の気がする。……あの大漢おおおとこのまる顔に、口許くちもとのちょぼんとしたのを思え。の毛で胡粉ごふんいたような女のはだの、どこか、あぎとの下あたりに、黒いあざはなかったか、うつむいた島田髷しまだの影のように――
 おかしな事は、その時んで来たごんごんごまは、いつどうしたか定かには覚えないのに、秋雨あきさめの草に生えて、塀を伝っていたのである。
「どうだい、雀。」
 知らぬ顔して、何にも言わないで、南天燭なんてんの葉に日の当る、小庭に、雀はちょん、ちょんと遊んでいる。

底本:「鏡花短篇集」川村二郎編、岩波文庫、岩波書店
   1987(昭和62)年9月16日第1刷発行
底本の親本:「鏡花全集 第二七卷」岩波書店
   1942(昭和17)年10月
入力:砂場清隆
校正:松永正敏
2000年8月30日公開
2005年12月2日修正
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