なにか読者諸君が吃驚びっくりするような新しいラジオの話をしろと仰有おっしゃるのですか? そいつは弱ったな、此のごろはトント素晴らしい受信機の発明もないのでネ。そうそう近着の外国雑誌にストロボダインという新受信機が大分おおげさに吹聴ふいちょうしてあったようですね。しかし私は余り感心しないのですよ。結局ビート受信方式の一変形に過ぎないじゃありませんか。
 ヤアどうも、君に議論を吹っかけるつもりじゃ毛頭もうとうなかったのですがネ、つい面白い原稿だねのない言訳いいわけに一寸議論のはしが飛び出して来たという次第なのですよ。――
 ホウ、君はそこのとこにポツンとっている変な置物おきものに目をつけておいでのようですな。そうです、君の仰有るとおり、それは加減蓄電器バリコンこわれたものなのですよ。半分ばかりけてしまって、アルミニュームが流れ出したままかたまっているでしょう。これは何かって言うんですか?
 いや実はネ、それについて一つ、取っておきの因縁いんねんばなしがあるんですがネ、今日は思い切って、そいつを御話してしまうことに致しましょうか。
 だが始めから断って置きますが、此の話はこれから私の言う通り全く同じに発表して貰っては私が困るのですがね。というのも実はこの物語の主人公であり、又同時に尊い実験者であるところの私の亡友ぼうゆうY――が亡くなる少し前に、是非私に判断してれという前提ぜんていのもとに秘密に語った彼自身の驚くべき実験談なのでして、内容が内容だから、他へは決してらさぬことを誓わされたものなのです。不幸なる亡友Y――は、永らくおのれが胸だけにめていた解き得ぬ謎の解決を求めんがために折角せっかく私という話相手を選んだのでしたが、流石さすがの私にも彼が満足するような明答めいとうを与えることが出来ませんでした。それでY――は一層がっかりして謎を謎としていだいたまま、地下に眠ってしまったのです。そして其の時にY――が私に残して行った不気味な遺品が、この壊れたバリコンでして、勿論もちろん彼の話の中に出て来る一つの証拠物しょうこぶつとも言うべきものなのです。
 Y――が其の時告白したところによると、謎を包んだ此の物語をはなして聞かせた人間は私が最初であり、また同時にそれが最後であるというのです。もっともこの物語の後に於て判るように、このことがどんな事実であるかということを明瞭めいりょうに知っているはずの二つの関係があるのですが、これはいずれもそれ自身絶対に他へ洩らすことの許されない同じような二つの機密社会きみつしゃかいであるために、この驚くべき事実が他へ洩れる道がしありとすれば、それは亡友Y――によって(いやもっと詳しく言えばY――と私との二人とによって)行われるよりほかに出来ないことなのでした。Y――が私以外の者に語ることを断念ししかも他界してしまった今日こんにち、それはただ私一人によって保たれている秘密なのです。未解決のまま残されている謎なのです。そこに私としての遺憾いかんがあり、義務さえあるように感ずるのです。そうした気持が、私をして敢えて誓いのくさりをひきちぎってまで貴方あなたに御話することを決心させたのでした。それはあり得べき事か、またはY――の錯覚さっかくであるか、それはこの物語がすんだあとで貴方は当然私に答えて下さらなければならないのです。――
 ではその話を始めましょう。私がY――から聴いたときのように、彼の口調を真似まねておはなしを致しましょう。ですから、次のものがたりで「僕」というのは、とりもなおさずY――自身のことだと思っていただかなければなりません。
     *   *   *
 僕は少年時代からラジオの研究に精進しょうじんしていたラジオファンとして、あの茫莫ぼうばくたるエーテル波の漂う空間に、くることなき憧憬どうけいを持っているのでした。それは僕が始めて簡単な鉱石受信機を作って銚子ちょうしの無線電信を受けた其の夜から、不思議に心を躍らせるようになった言わば一種の「え出でた恋」だったのです。僕は毎晩のように鉱石の上を針でさぐりながら、銚子局の出す報時信号タイム・シグナルのリズムにれたものです。受話器を頭からはずして机の上に横たえておきましても三四尺も離れた寝床に入っている僕の耳にそのシグナルは充分じゅうぶんはっきりと聞きとれました。エーテル波の漂う空間の声! 僕はそれを聞いていることにどんなに胸を躍らして喜んだことでしょう。いつの間にやらけ過ぎてしまった、戸外とのもは怖ろしい静寂の中に、時々こがらしが雨戸の外を過ぎて行くのに気が付きまして、急に身体中が寒くなり夜着をすっぽり頭から引被ひっかぶって無理に眠りを求めるなどという事も間々ありました。
 年月はうつりかわっていつの間にやら我国にも放送無線電話が始まりました。エーテルの世界には毎晩のようにJOAKの音楽やらラジオドラマが其の強力な電波勢力をほこりがおに夜更けまでも暴れているような時勢じせいになりました。僕はただもう、そういう放送によってエーテルの世界が騒々そうぞうしくきまわされることがいやでたまりませんでした。僕は反感的に放送を聴くことを忌避きひしていました。そして其の頃にはまだホンの噂話だけであった短波長たんぱちょう無線電信の送信そうしん受信じゅしんの実験にとりかかっていました。その電波長は五メートルとか六メートルとか言った程度のすこぶる短い電波を出したり受けたりしようというのです。放送ラジオの波長の百分の一位に当りますから、うまい具合ぐあいに受信機には全然ラジオを聞かないで済みました。
 しかし僕の実験は、放送が終った午前十時[#「午前十時」はママ]から夜明よあけ頃にかけてやるのが通例つうれいでした。其の時間中は短波長通信には殊に好都合の成績が得られるからこんな変な時を選んだのです。
 さて送信をやってみますと、なるほど電波はうまく空中へ飛び出すことが判りましたが、僕の短波長通信に応じて呉れる相手は中々見付みつかりませんでした。米国べいこくや英国あたりでは素人しろうとのラジオ研究家が大分増えて来たとのことを聞いていましたので、その応答を予期して毎晩のように実験を繰りかえしました。先ず五分間ばかりは、僕が呼出信号を空中へ打って出します。それから今度は空中線を受信機の方へ切り換え、それから五分も十分も耳をまして何処からか応答があるだろうと聴いているのですが、いつぞや返事のあったためしがありません。僕はそれでも一向断念しませんでした。今にもどこからか「ハロー、オールド、マン」とモールス符号で呼びかけてくる僕同様の素人ラジオ研究家のあるべきを信じていました。
 それどころか、時にはこんな考えさえ持ちましたことです。僕の出している短波長無線電信は、この地球を既に飛び出してしまっているから中々応答が来ないので、其の内には都合よく火星か金星かにぶつかってそこにんでいる生物から前代未聞のあやしげな応答信号が僕に向って発せられるかも知れないと考えて、思わず声を出して嬉しがったこともありました。
 しかし事実の上では、私の送信に対して一回の応答信号も入って来ませんでした。耳朶みみたぶが痛くなる迄、懸けつけた受話器の底には時々ガリガリという空電くうでんの雑音が入って来るばかりで、信号の形を備えた電波は全く見出すことが出来ませんでした。時にはこの意味のない空電のガリ、ガリ、ガリという音響を、●●●トツトツトツというモールス符号のSという字にちがいないと思いこんだこともありました。
 それはこの短い波長の無線電信の放送受信を始めてから四十日ほども経ったころには、流石物好ものずきからやり出した僕といえども、少々この「永遠えいえんなしつぶて」にはきて来ました。厭気いやけのさしたのを自覚すると、実験をつづけることが急転直下的きゅうてんちょっかてきにたまらなくいやになりました。忘れもしない九月の七日の夜のことです。時計は既に次の日の方に廻って午前一時近くを指していました。僕は送信をやめて、受話器を頭に懸けたまま、シグナルを探すというよりも、この送受信を中止した明日から後は何をすることによって日々を楽しもうかと、あれやこれやの計画を思いつづけていました。その時のことです。恰度ちょうどその時のことです。――
 不図ふと気のついた僕は、受話器の底にかすながらヒューッという唸音ビートらしきものが入っているのを聞きとることが出来ました。其の唸音ビートは大きくなったり小さくなったりして全く聴こえなくなり、至って不安定なものでした。電波の遭難船そうなんせんとでも申しましょうか。それはエーテルの大海おおうみに、木の葉のように飜弄ほんろうせられるシグナルでありました。
 僕は急に頭脳がえ返ったのをおぼえました。僕はさまローカル・オスシレーションの方を調節して見ました。カップリングを静かに変えて見ました。グリッド、リークを高めてみました。その結果はどうでしょう。僕が今まで出していたよりもなお一メートル程短い波長のところで受話器には小さい乍らも、立派に呼出符号と救助信号とを打っていることが聞きとれるではありませんか。
 僕は夢ではないかと驚きました。何はもあれ僕はスウィッチを直ぐ様、送信機の方へ切換えると「応諾おうだく」の符号を送りました。波長は四・五メートルを指していました。
 やがて相手からは、生々いきいきとした返事がありました。其のシグナルはまことに微弱びじゃくである上に、波長が時々に長くなったり短くなったりして僕の聴神経ちょうしんけいを悩ませました。しかし相手の報じて来る内容が少しずつ判明はんめいして来ると共に、僕は全身の血潮が爪先から段々と頭の方へ昇りつめて来るのを感じました。耳は火のようにほてり、鼓動こどうは高鳴り、電鍵でんけんを握る指端したんにはいつの間にかシットリと油汗あぶらあせにじみ出ていました。相手は何者か! 相手は何処の無線局であるか? 其処では只今何事が起っているのか? それは其時に交換した次のような奇怪きわまるモールス符号の会話が、一切を少しずつ明白にして行って呉れましょう。

相手「貴局ト通信ガ出来ルコトヲハナハダシク喜ブモノナリ。予ハ今甚ダシキ危険ニ臨ミ居レリ。当方ノ信号ハ微弱ビジャクナリヤ?」
僕「貴局ノ信号ハR2(微弱ナレドカロウジテ読ミ得ル程度ノ意)ナリ。但シ不安定ニシテR1(微弱ニ聞コエ判読不能ノ意)又ハR3(微弱ナレド受信可能ノ意)ノ範囲ニ変動スルヲ認ム。危険救助取ハカラウベシ。貴局名如何」
相手「当方局名ナシ。日本人。仮設局ナリ。貴局名如何。貴局所在如何」
僕「当方局名JIZZ。所在東京市。実験局。W大学生Y――貴局所在、及ビ危険詳細知ラセ」
相手「天祐。喜ビ甚ダシ。日本万歳。愛スル友ヨ。予ハ貴局ニ驚クベキ報道ヲセムトス。記事甚ダ長ク、送信力甚ダ短シ。貴局ハ予ノ報道ヲ信ズルヤ」
僕「信ジタク思ウ。予モマタ後ニ質問スベシ。兎モ角モ早ク語レ」
相手「必ズ信ゼヨ。予ハ決死的ナリ。
予ハ神戸K造船所電気課員、セントー・ハヤオ。只今ノ所在ハN県東北部T山ヲK山脈ヘ向ウ中間ノ地点ニ在リ。
予ハ今ヨリ七日前、スナワチ八月三十一日、休暇ヲ利用シ、前人未踏ノ山岳地方ヲ横断セントシテ強力ゴウリキ一人ヲ連レN県A町ヲ後ニ登山ヲ開始セリ。
貴局ハ当方ノ送信ヲ了解セラルルヤ」
僕「予ハ了解セリ。予ハ貴局ヨリノ受信シタル通信文ヲ逆ニ送信スベキヤ」
相手「ソノ必要ナシ。愛スル友ヨ。
予等ハ九月四日只今ノ地点ニ通リカカリタリ。今回ノ予ノ目的ハ山岳地方跋渉バッショウニ在ルト共ニ、尚一ツノ目的アリ。予モ亦ラジオヲ以テ長年ノ趣味トスルモノニシテ、予ガ組立テタル愛機『スーパーヘテロダイン』ヲタズサエテ今回此途コノトニノボレリ。スナワチ、高山コウザン山巓サンテンニ於テ、米国ノ放送ヲ如何ナル程度ニ受信シ得ラルルカヲココロミンガタメナリキ。
貴局ハ当方ノ送信ヲ了解セラルルヤ」
僕「予ハ了解セリ。後ヲ語レ」
相手「予等ハ此地点ニ通リカカルヤ、一大驚異イチダイキョウイヲ発見セリ。突然予等ノ行手ユクテニ銃ヲシテ立チ防ガリタル一団アリ。彼等ハ異様イヨウ風体フウテイヲナシ身ノタケ程ノ雑草ザッソウチュウヒソミ居リシモノナリ。全身ニ毒草ドクソウノヨウナモノヲツケタルモ、……」(判読不能)
僕「空電妨害ニナヤマサル。貴局ノ送信ヲシバラク中止セヨ。――
空中状態ヨロシ。全身ニ毒草ノヨウナモノヲツケタルモ以下語レ」
相手「毒草ノヨウナモノヲツケタルモ。貴局ハ当方ノ送信ヲ了解セラルルヤ」
僕「予ハ了解セリ。後ヲ語レ」
相手「……ソノ下ニハ浅黄色アサギイロノ軍服ラシキモノヲチャクセリ。而シテ驚クベキコトハ、彼等ノ中ニハ西洋人多ク混ジ居ルヲ認メタリ。其時ハ何処ノ国籍ニ属スルヤ全ク不明ナリシガ只今マデ数日間観察セルトコロニヨレバ○国人ナルモノノ如シ。他ハ日本人ナルカト思イタレドモ、後ニ至リテ彼等ハ日本人ニハアラザルモノノ如キコト判明セリ。貴局ハ引続キ当方ノ送信ヲ了解セラルルヤ」
僕「シカリ。其ノ一団ハ何ヲナセルヤ」
相手「予ノ今日マデノ観察ニヨレバ、明カニ軍事的施設ヲ作リツツアルモノノ如シ。
予ハ彼等ノ小屋ノ一室ニ予ノ案内人ト別ノ室ニ幽閉セラレタリ。予等ノ所持品ハ没収サレタリ。予ノ室ハ倉庫ノ一部ナリ。セメントダル多シ。
予ノ室ノ入口ノドアニ小サキ窓アリテ金網カナアミヲ張ル。武装セル監視人巡回シ来リ其ノ窓ヨリ予ヲウカガウ。
予ハ其ノ小窓ヨリ窓外ヲ見タルトコロ傾斜ケイシャセル山腹サンプクリトラレアルヲ見タリ。其ノ前ニ小屋アリテ人々出入ス。雑品倉庫ザッピンソウコナルコトヲ知リ得タリ。
一昨日マデハ、リベットヲ打ツ「ニュウマチック」ノ音、「コンクリート」混合機ノ音響ヲ時々耳ニシタルモ、其後聞カズ。
飛行機ノプロペラノ如キ音、時々聴コユ。此ノ一団ノ総員ソウインハ、雑品倉庫ヨリ毎日ノ如ク運搬スル食料品ヨリ見テ四五十名カト思ワル。
貴局ハ左ノ事実ヲ其筋ソノスジニ急報シ、至急調査開始ヲ依頼サレタシ。前後ノ事情ヨリ推察スイサツスルニ怪施設ハ大部分完備ニ向イタルモノノ如シ。
予ノ生命ハ只今ノトコロ安全ナリ。但シ此ノ通信発覚ノアカツキハ直チニ殺サルベシ。予ノ一身上ノコトハ其筋ノ好意ニヨリテ、自宅ヘ一報ヲ乞ウ。予ハ決死ノ覚悟ヲ以テ通信ヲ行ワム。
当方通信用電源小サクシテ長時間ノ通信ニ耐エズ。詳細報ジタキモムヲ得ズ。
貴局ヨリノ質問アリヤ。簡単ニ願ウ」
僕「直ニ其筋ヘ通報スベシ。安心アレ。質問アリ。貴局ノ送受信機ハ何処ヨリ手ニ入レタルヤ」
相手「予ガ携帯ケイタイシ来リタルスーパーヘテロダインハ没収ボッシュウセラレタリ。予ガ隣室ニ監禁セラレタル予ノ案内人ノ室ノ更ニ隣室ニシテ、同様物置ナル所ヘ一時ゲ入レラレタルヲ知リタリ。予ハ案内人ヲシテ夜暗天井裏伝イニ隣室ニシノミ、其ノスーパーヲヌスマシメタリ。同夜苦心ノ末、コイル、コンデンサー、乾電池等ヲセット中ヨリ取外トリハズシ、短波長送信機ヲ組立テント試ミタリ。材料ノ不足ニヨリテ意ノ如キ波長ノモノヲ作ルコトヲ得ザルコトヲ発見シタルトキハ絶望ノ[#「絶望ノ」は底本では「絶望の」]ナミダニ暮レタリ。サレド人事ヲツクシテ天命テンメイタンコトヲ思イ、許シ得ル範囲ノ応急送信機及ビ受信機ヲ建造セルナリ。
当方ノ信号ハ衰減スイゲンセザルヤ」
僕「ヤヤ衰減シタルヨウニ思ウ。予ハ一切ヲ直チニ其筋ニ急報スベシ。次回ノ通信ハ約二時間後、スナワチ午前四時ニ行ウベシ。貴局ノ都合如何」
相手「応諾。当方ハ此後ノ通信ヲ倹約ケンヤクセザルベカラズ。電源ノ消耗ショウモウト、更ニ急報スベキ事件ノ発生ヲ予期スレバナリ」
僕「デハ御機嫌ヨウ。貴君ノ忍耐ト奮闘フントウトヲ祈ル」
 僕は最後の符号を打ち終ると急いで立ち上った。壁にかけてある制服を下ろすと、手早てばやこれに着換えました。それから一散いっさんに家を飛び出して更けた真夜中の街路に走り出でました。火のように上気した僕の頬を夏の夜乍ら冷々ひやひやと夜気がうちあたるのを感じました。
 僕は我国をねらっている敵国人が、我国の人跡じんせきまれなる山中に立てこもっていると聞いてさえ驚かされたのに、彼等はどこから運搬したものか大仕掛の土木工事どぼくこうじを行い、而も工事は既に終ったという説をセントー・ハヤオなる人物から報ぜられて全く昂奮こうふんしてしまいました。軍事施設について智識ちしきのない僕でも、次に何事が計画されているか、実行されるかという事を朧気おぼろげながら推察することが出来ました。これこそわが大日本帝国だいにほんていこくの一大事である。そしてこの一大事を一般国民に知らせることの出来るのは今のところ自分を除いては一人もないという事を考えると僕は重大なる任務のために、身体がガタガタ震え出すのを、どうしても我慢が出来ませんでした。
 さてうして戸外そとに飛び出してはみたものの、第一番に何処に通報すべきであるか。一番手近な方法は、近所の交番へうったえ出ることでしたが、警官が簡単に納得して呉れるとも思われないし、それから先、警察署、警視庁、憲兵隊と階級的に軍事当局迄、通報されて行くであろう煩雑はんざつさを考えると、交番へ訴え出ることを躊躇ちゅうちょせずには居られませんでした。
 僕は決心して近所のタクシーを叩き起しました。それから自動車を長舟町の憲兵隊本部へ飛ばせました。自動車は物凄いうなりをたてて巨大なる建物の並ぶ真夜中の官庁街をけて行きました。
 軈て僕の乗った自動車は三十マイルの最大速力をゆるめると共に一つの角を曲りました。警笛を四隣のビルディングに反響させ乍ら、自動車は憲兵隊本部の衛門の前、数間すうけんのところに止りました。車から降りる時、歩哨ほしょうの大きい声がおそいかかって来ました。見ると半身はんしんを衛門の上に輝く煌々こうこうたる門灯に照し出された歩哨が、剣付銃をこっちへ向けて身構えをしていました。
「何者かアーッ」
 と又歩哨が叱鳴どなりました。僕は、
「至急当直将校に会わせて下さい。内容はお目にかからなければ言えませぬ。早く願います。僕の名刺めいし此所ここにあります」
 と私は学生の肩書のついた名刺を出しましたことです。歩哨は僕の年若さと、学生服とに好意をよせたものか、二三の押問答の末、折から衛門から我々の声を聞きつけて飛び出して来た僚兵りょうへいに僕を当直将校室へ案内することを命じて呉れました。
 当直将校丸本少佐は、何でもないという顔付をして僕の待たせられている応接室に入って来ました。僕は其の落付いた態度に、自分の持っている昂奮と不安とが、ややうちしずめられて行くのを感じました。しかしそれからのちの、重大事件の説明は、すらすらとはこびませんでした。それは、小一時間に渡った問答――というよりも訊問――が続いたのちのことです。何等かの決意をした丸本少佐は別室に去りました。営内がこの夜更に少しずつざわめき出して来ました。電話のベルが廊下のあなたに三度四度と鳴らされて行きました。「坩堝るつぼたぎりだした」不図こんな言葉が何とはなしに脳裡のうりうかびました。
 室の外の長廊下の遠くから、入り乱れて佩剣はいけんの音が此方へ近付いて来ました。
 丸本少佐の外に士官が二人、兵士が二人うち連れだって室内に姿を現わしました。少佐は其の人達を僕に紹介して呉れましたが、一人は参謀さんぼうの川沼大尉、他の一人の阿佐谷あさがや中尉と二人の兵士は通信係の人達でした。少佐はこれより直ちに僕の家を訪問して、謎の短波無線局のセントー・ハヤオ氏の通信を聴きたいということを語りました。僕はまだこれ位語ってみても信用されない自分を一応は腹立たしく思いました。又こんなにさしせまった君国の一大事に対して、余りに呑気のんきらしい少佐及びその一行をとがめたい気持におそわれました。が今は言い争うよりも、あれほど明らかな通信をこの人達に聴かせることによって、この一大事を直接彼等の手にまかせた方が、万事に都合のよいことを考えなおすことが出来ました。僕はまた元のような緊張と昂奮を感じ乍ら、訪問をだくすると共に、自ら第一番に此の室をはしり出ました。

 僕が案内して家についた頃は、例の謎の通信者セントー・ハヤオと再び通信再開を約した午前四時に間もない時刻でした。僕は早速送受信機の機能を点検して、何等変りのないのを確めました。
 午前四時になると私は直ちに、呼出信号を発しました。これを数回打ってはやめ、受信機の方に空中線を切換えては其の応答を俟ちました。四時を十分ばかり過ぎた頃、相手の答が入って来ました。信号の強さは前よりも一層音量を増しているのが感ぜられました。空中状態が一層よくなったものとみえます。僕は手短てみじかに経過を報告して、憲兵隊の方々かたがた同道どうどうして来たことをセントー・ハヤオに物語りました。相手は大変嬉しいという意味の符号を打ち返して来ました。何か変ったことでもあるかと僕は彼にたずねました。彼は早速報告したいと思うから憲兵隊の人に出て貰って呉れというのでした。僕は丸本少佐にこのむねを申しますと少佐は直ちに阿佐谷通信中尉に通信方つうしんかたを命じました。
 阿佐谷中尉は、直ちに私に代って通信席にきました。丸本少佐に司令を受け乍ら受信が続々と行われました。何事なにごとをセントー・ハヤオから聴いているのか、又何事をセントー・ハヤオに打電しているのか、それは僕には少しも判りませんでした。何故なぜならば、僕が同伴して来た三人の将校達は、多分たぶん仏蘭西語フランスごと思われる外国語で話をしつづけました。こう不幸ふこうか、仏蘭西語は僕には何のことやら薩張さっぱり意味が判りません。唯三人の将校の顔面筋肉が段々と引きしまって来て、其の顔色は同じように蒼白化そうはくかし、其の下唇は微かに打ちふるえて来るのを看取かんしゅすることが出来ました。
 四五十分に続く通信が終ると、阿佐谷中尉は僕を招きました。セントー・ハヤオが僕に話したいことがあると言うのです。僕は、永いこと無理やりにへだてられた恋人同志が会うときのように胸をわくわくさせて受話器を取り上げました。
 彼がそれから簡単に僕に送って来た信号の文句は僕を一層驚かせました。彼は祖国の危険を報ずることが出来て大変嬉しいこと、尚これから先も敵国人の行動を報告すべき一層重大なる責任を負っていることを一寸語りました。それから彼は、やや送信の手を躊躇させたようでしたがやがて思い切ったように明瞭に打ち出しました。
「僕は最早死を覚悟している。僕は此処三四日の内に殺されるそうだ。実はさきほど敵国人の一人がひそかに僕に告白したので判った次第である。
 君は敵国人が秘かに僕に告白したことを不思議に思うだろう。その敵国人というのは実は妙齢みょうれいの婦人であって、多分御察しのとおり此の恐ろしい団体に加わっている人の妻君である。彼女は夫について到頭とうとうこんなところに来てしまった。彼女は僕達に三度の食事を搬ぶ役目を持っている。僕は彼女を一目見たときに何処かで見たような女だと思った。
 話してみると判った。彼女は僕が会社で自分の配下につかっていた助手の妹で、彼が肋膜ろくまくわずらって寝たとき、欠勤けっきんの断りに僕を訪ねて来たことがあった。
 悧巧りこうな君は、それから先、僕等二人がどんな気持に落ちて行ったかを察することが出来るだろう。実は彼女と魂をよりわせるようになってから今日が二日目である。彼女は既に人妻である。僕等の恋は不倫ふりんであるかも知れない。それははずかしい。が恋の力はそんな観念を飛び越えさせてしまった。彼女は僕に脱走をすすめる。しかし、僕は敵国人の行動を報告すべき重大任務を有するし、又とても脱走が成功するとは思わない。今は少しでも彼女と魂をあいせて、未来の結縁けちえんを祈るばかりだ。
 君よ。僕の情念じょうねんを察して呉れたまえ。しかし僕は自分の任務をおろそかにはしない。この苦しき恋をはぐくんだもとの国を愛するが故に……」
 これを受けた僕の頭脳の中は、何がなんだか妙な気持にとらわれました。僕等の受信が終ったのを見届けると将校達は二人の兵士を残して僕の室を辞去しました。その二人の兵士は直ぐ様、僕の下宿の門に歩哨に立ちました。
 翌日早朝僕は憲兵隊へ呼ばれて終日くどくどした訊問を受けねばなりませんでした。その夜は隊へ宿泊しゅくはくを余儀なくされ、其の翌日僕はやっと帰宅を許されました。セントー・ハヤオの事が気がかりで飛ぶように下宿の門をくぐりました。僕の室に入ってみますと、下宿の内儀おかみが普段大事にしている座蒲団が五枚も片隅にうず高く積み重ねられているのを発見した時、僕は万事を直感してしまった。内儀にただすとはたせるかな、僕が前日憲兵隊に引留ひきとめられている間、数名の将校が僕の室を占領し、昨夜は一同眠りもやらず徹夜し、今朝がたになってやっと引上げて行ったとの事でした。僕は不愉快でたまりませぬ。しかしセントー・ハヤオのことが一層気にかかるので大急ぎで短波長の送受信機の前に座って受話器を耳に当てたり、送信機の電鍵を叩いたりしましたが、機械はたしかによく作働しているのにもかかわらず、何時まで経ってもセントー・ハヤオの打ち出す無線電信の応答は聞こえませんでした。かくしてに入りました。依然として何の信号も入って来ませぬ。そしてむなしく其の夜は明けはなれて行きました。
 僕は其の日に例の将校連が来るかと不眠に充血した眼を怒らして待ちうけましたが、誰一人としてやって来ません。勿論歩哨の兵士すら居ませぬ。僕は到頭腹を立てて仕舞しまって、こっちから憲兵隊へ押しかけました。ところが驚いたことには、何と言っても僕を例の将校達に会わせないのです。そればかりかついには僕をありもしない妄想にられている人あつかいにして警官を呼ぼうなどと言うではありませぬか。僕は泪をポロポロ流し乍ら、その下宿へ引きかえさねばなりませんでした。
 それからと言うものは、このことが頭にこびりついて、君も知るとおりの神経衰弱のようになって仕舞いました。しかし僕の一念は何としてもセントー・ハヤオの不思議な通信によって暴露ばくろした事実をつき留めずには居られませんでした。僕はそれから約一年を辛抱しんぼうしました。そして夏になるのを待ち兼ねて、セントー・ハヤオが報じたN県東北部T山をK山脈へ向う中間の地点へ登攀とうはんしました。其処そこ近辺きんぺんを幾日も懸ってすっかり調べ上げました。背の高い雑草にはおおかくされていましたが、のセントーが物語ったような地形ではあり、又そぎ取ったような断崖だんがいもありました。
 いやそればかりではありませぬ。ところどころに直径が三間もあろうと思われる穴がポカポカとあちらこちらにあいているではありませぬか。勿論穴の中には同じような青草が生え茂っていますが、此のような穴は天然に出来たとはどうしても考えられませぬ。それはあたかも空中からこの地点へ向って数多の爆弾を投下とうかしたならば、かような大穴があくことであろうと思ったことでした。
 本当は僕には、此の山の奥に訪ね登って来る迄に何もかも判っていたのです。僕の考えでは、僕の留守の室に将校達が詰めかけていた時こそは、まさに敵国人が秘密防禦要塞ひみつぼうぎょようさいを作っていた此の山奥の地点を、わが陸軍の飛行隊が空中から襲撃しゅうげきを行ったときに当るのであって、憎むべき侵略者しんりゃくしゃの一団はことごとく飛行機から打ち落す爆弾によって殺害せられたのです。而も我がセントー・ハヤオを救い出す道なく、大事のための小事しょうじで、遂に尊き犠牲ぎせいとなり、憎むべき敵国人の死骸しがいの間に、同じようなむごたらしい最後をげたのでしょう。ほんとに尊い死。――彼は完全に祖国を救ったのでした。しかも彼の死たるや僕に洩したとおりとすれば彼の側には愛人のなきがらも共に相並んでよこたわったことであろうと思われます。彼は恐らく可憐かれんな愛人と抱きあったまま満悦まんえつうち瞑目めいもくしたことでしょう。
 その時、僕が掘りあてたのは、この半ば爆弾に溶かされた加減蓄電器バリコンであって、セントー・ハヤオが死の直前まで、電鍵をたたきつづけた其の短波長送受信機に附いていたものであるに違いありません。云々。
     *   *   *   *
 亡友Y――は斯う語って、この壊れた加減蓄電器バリコンを私に手渡したのです。ひどい肺結核に襲われている彼の細い腕は、その時このバリコンをすらもち上げる力が無かったようでした。それもその筈です。この物語を聞いた日から三日のちにY――の容態ようたいは急変して遂に白玉楼中はくぎょくろうちゅうの人となってしまったのでした。
 さて私の永話ながばなしはこれで終りますが、貴君はこのはなしが彼の言うとおり実際あったことかどうかについて御判断がつきますか。御つきになるなればそれを誰からか、はっきり判断して貰いたがっていた亡友Y――の追善ついぜんのために、是非貴君の御意見というのを聞かせて下さいませんか。

底本:「海野十三全集 第1巻 遺言状放送」三一書房
   1990(平成2)年10月15日第1版第1刷発行
初出:「無線と実験」
   1928(昭和3)年5月号
※初出時の署名は、「栗戸利休」です。
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2005年6月25日作成
青空文庫作成ファイル:
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