――いや、全く左様ですよ。こう時候がよくなりますと、こうして汽車の旅をするのも、大変楽ですな……時に、貴下あなたはどちらまで?……ああ東京ですか。やはり大学も東京の方で……ああ左様ですか。いや結構な事ですな……え、私? ああ私は、ついこの先方さきのH市まで参ります。ええそうです。あの機関庫のあるところですよ。
 ――これでも私は、二年前までは従業員でしてな。あのH駅の機関庫に、永い間勤めていたんです……いやその、一寸訳がありましてな、退職したんですが、でも毎年、今日――つまり三月の十八日には、きまってこうしてH市まで、或る一人の可哀想な女のために、大変因果な用事で出掛けるんですよ……え? 私が何故鉄道を退職やめたのかですって?……いや、不思議なもんですなあ。恰度ちょうど一年前の三月十八日にも、私はH市へ行く車中で、やはり貴下の様な立派な大学生と道連れになりましてな、そして貴下と同じ様に、その事に就いて訊ねて頂きましたよ……これと言うのも、きっとホトケ様のお思召ぼしめしなんでしょう……いや、とにかく嬉んでお話いたしましょう。全く、学生さんは、皆んなサッパリしていられるから……。
 ――私が何故鉄道を退職やめたか、そして何故毎年三月十八日にH市へ出掛けるか、と言いますと、実はこれには、少しばかり風変りな事情があるんですよ。でも、その事情と言うのが、見様みように依っては、大変因縁咄めいておりましてな、貴下方あなたがたの様に新しい学問を修められた方には、少々ムキが悪いかも知れませんが、でもまあ、車中の徒然つれづれに――とでもお思いになって、聞いて頂きましょう。
 ――話、と言うのは数年前にさかのぼりますが、私の勤めていたH駅のあの扇形をした機関庫に……あれは普通にラウンド・ハウスと言われていますが……其処そこに、大勢の掛員達から「葬式とむらい機関車」と呼ばれている、黒々とすすけた、古い、大きな姿体の機関車があります。形式、番号は、D50・444号で、碾臼ひきうすの様に頑固で逞しい四対よんついの聯結主働輪の上に、まるで妊婦みもちおんなのオナカみたいな太ったかまのっけその又上に茶釜の様な煙突や、福助頭の様な蒸汽貯蔵鑵ドオムを頂いた、堂々たる貨物列車用の炭水車付テンダー機関車なんです。
 ところが、妙な事にこの機関車は、H駅の機関庫に所属している沢山の機関車の中でも、ま、偶然と言うんでしょうが、一番轢殺れきさつ事故をよく起す粗忽そこつ屋でして、大正十二年に川崎で製作され、ただちに東海道線の貨物列車用として運転に就いて以来、当時までに、どうです実に二十数件と言う轢殺事故をひき起して、いまではもう押しも押されもせぬ最大の、何んと言いますか……記録保持者レコード・ホルダー? として、H機関庫に前科者の覇権を握っていると言う、なかなかやかましい代物です。
 ところでここにもうひとつ妙な事には、この因果なテンダー機関車にまことに運が悪いと言いますか、宿命とでも言うのですか、十年近くもの永い歳月に亙って、機関車が事故を起す度毎たびごとに、運転乗務員として必ず乗込んでいた二人の気の毒な男があったんです。
 一人は機関手で長田泉三おさだせんぞうと言いましてな、N鉄道局教習所の古い卒業生で、当時年齢三十七歳、鼻の下の贋物のチョビ髭を取ってしまえば何処となく菊五郎おとわや張りの、デップリした歳よりはずっと若く見える大男で、機関庫の人々の間ではもろに「オサセン」で通用とおっていました。で、後の一人は、機関助手の杉本福太郎すぎもとふくたろうと言うまだ三十に手の届かぬ小男でして、色が生白く体が痩せていて、いつも鼻の下にまるで「オサ泉」の髭の様に、すすをコビリ着かせている奴なんです。
 二人共呑気屋で、お人好で、酒など飲んだ後などはただわけもなく女共にいどみ掛ってははしゃぎ廻る程の男なんですが、それでもD50・444号の無気味な経歴に対しては少からず敬遠――とでも言いますか、内心よんどころない恐怖を抱いていたんです。で二人共最初の内はそんな恐怖など互いにオクビにも出さない様にしていたんですが、そうした余り気持のよくない事故が度重なるに従って、追々にやり切れなくなって来たんです。そしてとうとう、当時より三年前の或る秋の夜――恰度その夜は冷い時雨しぐれがソボソボと降っておりましたがな――H駅の近くの陸橋ブリッジの下で、気の狂った四十女の肉体を轢潰ひきつぶしてしまった時から、「オサ泉」の主張で彼等の間に、ひとつの風変りな自慰が取上げられたんです。と言うのは、つまり被害者の霊に対するささやかな供養の意味で、小さな安物やすもんの花環を操縦室キャッブの天井へ、七七日の間ブラ下げて疾走はしると言う訳なんです。二人は早速それを実行に移しました。
 この一寸した催しは、間もなく同じ職場の仲間達の間に俄然いい反響を惹起しました。そして人々は、この髭男の感傷に対して、一様に真面目な好感を抱く様になって来たんです。さあそうなると可笑しなものでしてな、「オサ泉」も助手の杉本も、追々に心から自分達の思い付きが如何にも張合のある有意義な営みの様に思われて来て、その後も相変らず事故の起った度毎に、新しい花環を操縦室キャッブの天井へ四十九日間ブラ下げる事を殊勝にも忘れようとはしなかったんです。そして何日いつの頃からとなく人々は、D50・444号を、「葬式とむらい機関車」と呼ぶ様になっていたんです。
 いや、学生さん。
 ところがここ二年前の冬に到って、このD50・444号が、実に奇妙な事故に、しかも数回に亙って見舞われたんです。
 それは二月に這入はいって間もない頃の、しもの烈しい或る朝の事でした。
 当時一昼夜一往復でY――N間の貨物列車運転に従事していたD50・444号は、定刻の午前五時三十分に、霜よりも白い廃汽エキゾーストを吐き出しながら、上り列車としてH駅の貨物ホームに到着しました。
 で、早速ホームでは車掌、貨物掛等の指揮に従って貨物の積降つみおろしが開始され、駅助役は手提燈ランプで列車の点検に出掛けます――。一方、機関助手の杉本は、ゴールデン・バットに炉口プアネスの火を点けてそいつを横ッちょにくわえると、油差を片手に鼻唄を唄いながら鉄梯子タラップを降りて行ったんです。
 が、間もなく杉本は顔色を変えて物も言わずに操縦室キャッブへ馳け戻ると、圧力計ゲージと睨めッくらをしていた「オサ泉」の前へ腰を降ろし、妙に落着いて帽子と手袋をり痩せたの甲へ息を吹掛けると、そいつで鼻の下の煤を綺麗に拭き取ったんです――これが、機関車の車輪に轢死者の肉片が引ッ掛っていた場合の、杉本の一種の合図、と言いますか、まあ、癖なんです。一寸断って置きますが、あの巨大な機関車が、夜中に人間の一匹や二匹を轢殺ひきころしたかって、乗務員が知らン顔をしている様な事はいくらもあるんですよ。
 で、「オサ泉」は気を悪くして立上りました。そして黄色い声で駅員達を呼び寄せるのです。――間もなく助役の指図で機関車は臨時に交換され、D50・444号は二人の乗務員と共に機関庫へ入院させられました。
 ここで二、三名の機関庫掛員に手伝われて、機関車の一寸した掃除が始まるんですが、およそ従業員にとってこの掃除程厄介な気持の悪いものは、そうザラにはありませんよ。例えば轢死者が腕を千切られたとか、両脚を切断されたとか、或は胴体と首が真ッ二つに別れたとか、ま、そう言う風に割に整ったまるで刃物で傷付られた時の様な、サッパリした殺され方をした場合には、機関車の車輪には時たまひからびた霜降りの牛肉みたいな奴が二切三切引ッ掛っている位のもので、あとはただ処々に黒いしみがボンヤリ着いて見えるだけなんです。で、そんな場合には少し神経の春めいた男でしたなら、なんの事はないまるで肉屋の賄板まないたを掃除するだけの誠意さえあれば事は足りるんですが、一旦轢死者が、機関車の車台トラックのど真ン中へ絡まり込んで、首ッ玉を車軸の中へ吸い込まれたり、輪心ホイル・センター連結桿コンネクチング・ロッドに手足を引掛けられて全速力で全身の物凄い分解をさせられた場合なんぞは、機関車の下ッ腹はメチャメチャに赤黒いミソを吹き着けられて、夥しい血の匂いを、発散するんです。そして又そんな時には、きまって被害者の衣服はそれが男の洋服であろうと女のキモノであろうと着ぐるみすっかりぎ千切られて、機関車の下ッ腹の何処かへ引ッ掛ってしまうんです。こんな場合の車の掃除が、所謂「ミソになる轢死者」でして、機関庫の人々をクサらせるんです。
 ところで、いま、転車台でクルリと一廻りして扇形機関庫ラウンド・ハウスへ連れ込まれたD50・444号ですが、一寸調べて見ると、何処でいつの間に轢潰ひきつぶして来たのか、こいつがその「ミソ」の部類に属する奴なんです。
 杉本は顔をしかめてタオルに安香水を振り蒔き、そいつをマスクにして頭の後でキリッと結ぶとゴムの水管ホース先端さきを持って、恰度機関車の真下の軌間きかんにパックリ口を開いている深さ三尺余りの細長い灰坑の中へ這入って行きました――。
 ところが、ここで奇妙な事が発見されたんです。と言うのは、こんな場合いつでもする様に、杉本は機関車の下ッ腹へ水を引ッ掛けながら、さて何処やらに若い娘のキモノでも絡まり込んでいないかなと注意して見たんです。が、轢死者の衣類と思われる様なものは、襦袢じゅばんの袖ひとつすらも発見みつからなかったんです。けれどもその代りに、杉本は、妙な毛の生えた小さな肉片を、まるでジグソー・パズルでもする様な意気込んだ調子で鉄火箸かねひばしの先にはさんで持出して来ました。で、早速皆んなで突廻して鑑定している内に、検車係の平田と言う男が、人間の肉片にしては毛が硬くて太過ぎる、と主張し始めたんです。で、騒ぎ始めた一同は、二、三の年寄連中を連れて来て再び調べ始めたんです。そしてその結果、どうです。意外にも黒豚の下腹部の皮膚であろう、と言う事に決定したんです!
 いやところが、この意外にも奇妙な決定を裏書する報告が、それから二時間程後にH駅所属の線路工手に依ってもたらされました。と言うのはですな、H駅を去る西方約六マイル、B駅近くの曲線カーブになっている上り線路上に、相当成熟し切ったものらしい大きな黒豚の無惨なバラバラ屍体が発見されたんです。B駅と言うのは、多分御承知の事とは思いますが、県立農蚕学校の所在地として知られた同じ名の一寸した町にありましてな、その町の近郊の農家では副業としての養豚が非常に盛んなんです。で、多分、何かの拍子で豚舎の柵を飛び出した黒豚が、気ままにカーブ附近の線路を散歩中不慮の災難に出合ったものに違いない――とまあ、そんな風に機関庫の人々は片附けて、やがてこの事件も割合簡単にケリがついたんです。そして人の好いあくまで親切な「オサ泉」は、粗末ながらも新調の花環を操縦室キャッブの天井へブラ下げて、再び仕事に就き始めました。
 すると、それから数日を経た或る朝、やはりH駅へ午前五時三十分着のD50・444号の車輪に、再び新しい黒豚のミソがくっ着いて来たんです。調査の結果、轢死地点は前回と同じB駅に程近いカーブの上り線路上である事が判りました。不思議と言えば不思議ですが、偶然――と言ってしまえばそれまでです。で、「オサ泉」も助手の杉本も、四十九日どころかまだ初七日にしかならない前の黒豚の花環の横ッちょへ、もうひとつの新しい奴を並べなければならなかったんです。
 ところが、学生さん。
 故意か、偶然か、又しても数日後の或る朝、同じD50・444号の車輪に、今度はさだめし柔かそうな白豚のミソがくっ着いて来たんです。助手の杉本は、早速鼻の下の煤を拭き取りました。まさに三度目です。時刻も場所も前二回と全く同じです。機関庫主任の岩瀬さんはとうとうB町の巡査派出所へワタリをつけました。
 派出所の安藤巡査からの報告に依りますと、三匹の豚は、やはりB町附近のそれぞれ別々の所有者から、それぞれの時日に盗まれたものである事が判りました。が、何者の悪戯わるさかサッパリ判りません。ただ「葬式とむらい機関車」D50・444号は、まるで彼岸会ひがんえの坊主みたいに忙しかったんです。
 でも、ここで私は、もう一度……いや、学生さん全く冗談じゃあないんですよ。本当にもういちど、同じ様な轢殺事件がもちあがったんです。――凡ての条件は、前三回と殆ど同じでした。轢殺ひきころされた豚は白豚で、トンネルの洞門みたいな猪鼻が……どうです、主働輪の曲柄クランクにチョコナンと引ッ掛って、機関車が走る度毎に風車かざぐるまの様にクルリクルリと廻ってるじゃあ有りませんか。
 岩瀬機関庫、七原ななはら検車所の両主任は、カンカンに怒ってしまいましたよ。――全く、悪戯にしては少し度が過ぎるんですからな。で、早速機関庫助役の片山さんを指揮者とする三名の調査委員を選抜して、B町へ出張調査させる事になったんです。
 さて、これから、その片山助役を大将とする連中の、奇妙な事件に対する所謂探偵譚――になる訳なんですがな、これが又なかなか面白いんです。で、まあとにかく、事件後その探偵連中から聞かされた知識の範囲内で、ひと通りお話いたしましょう。
 この片山機関庫助役と言う人は帝大出身のパリパリでしてな、まだ鉄道としては新人の方なんですが、頭もいいし人格もあるし、それになかなか機智に富んだ敏腕家でして、いまではもう出世して本省の監督局におさまっていられますが、この人が当時の部下であるこの機関庫係員を連れ、既にひと通りの下調べを済ました保線課の係員を案内役として、翌日の午後二時発の下り列車で、早速B町へやって来たんです。
 現場の曲線カーブ線路と言うのは、B駅から一マイル足らずのH駅寄りにあってカーブの内側は上り線に沿って松林、外側は下り線に沿って一面の桑畑なんです。で、一同が数字の書かれたコンクリートの里程標マイル・ポストの立っている処までやって来ますと、案内役の保線課員は片山助役へ、四遍目の事故があったのは昨日の事だからもう後片附けは綺麗に済んでいる旨を断って、現場に関する一通りの説明を始めたんです。それに依りますと事故の現場は四遍共全く同じその地点であって、その度毎に、そこに立っている里程標マイル・ポストと、それから枕木の四頭釘よつあたまくぎ――これはカーブに於ける線路の匐進ふくしんを防ぐために、軌条レールに接して枕木の上へ止木チョックを固定させる頑固な釘なんですが、その頭は、どの止木チョックのそれもそうである様に、普通五分位飛び出ているんです――で、つまりその釘の頭と里程標マイル・ポストの両方に、それぞれ普通の藁縄の切れ端が着けられたままで残っておりました。
「……で、要するに」と保線課員が最後に附加えました。「……つまり犯人は、軌条レールの外側の止木チョックの釘と、反対側にある里程標マイル・ポストとの間へ縄を渡し、その軌条レールの中心に当る部分へ豚を縛りつけて轢殺したものであろう、と私達は思うのですが――」
 すると片山助役がこう言いました。
「じゃあ、どの豚公ぶたこうも皆殺される前までは生きてたんだね。でもそうすると、よくも縄で縛った位の事で逃げなかったものだ――犯人がカーブの地点を利用したのは、成る程、縛ってある豚を機関車に発見されて停車されるのを恐れたからだろうが、それでも、豚公の方では近附く轟音に驚いて、そんな藁縄位切ってしまいそうなものだ――」
 と、それから助役は、もうこの現場にはこれ以上の収穫がないと思ったのか、案内役へ、豚を盗まれた農家を訪ねたい旨を申出ました。
 やがて一行は桑畑の中の野道を通り越して、間もなく静かなB町の派出所へやって来ました。そこでいかめしい八字髭の安藤巡査に案内を頼んで、四遍目の犠牲者を出した農家を訪ねる事が出来たんです。
 その家の主人と言うのは、五十がらみの体の大きなアバタづらの農夫ですが、一行を迎えると、臆病そうに幾度か頭を下げながらきたないムッとする様な杉皮ぶきの豚舎へ案内しました。そしてそこで、盗まれた白豚は自分の家の豚の中でも最も大切にしていたヨークシャー系の大白種だいはくしゅで六十貫もある大牝だとか、あんなにムザムザ機関車に喰われてしまったんでは泣くに泣けんと言う様な事を、鼻声で愚痴り始めたんです。
 そこで片山助役は、安藤巡査へ、
「盗まれたのは、勿論轢かれた朝の夜中の事でしょうね?」
 と訊ねました。
「四件ともそうです」
 安藤巡査が答えました。
「一体どうやって盗み出すのですか?」
 すると安藤巡査は、
「この低い柵の開きを開けると、眠っていても直ぐ起きて来ますからそいつへ干菓子ひがしをくれてやるんです。喜んでいて来ます」
 と、そこで助役が訊ねました。
「四遍共調査なさった結果、そうして盗まれたと言う事が判ったんですね?」
「そうです。四人の被害者の陳述は、大体そう言う風に一致しておりますからな」
 すると助役が言いました。
「一寸ご面倒ですが、前後四件の、それぞれの日附を聞かして下さいませんか?」
「正確な日附ですか?……ええと」安藤巡査はポケットからノートを取出して、「ええ最初は、二月の、十一日……次が、ええ二月十八日……それから、二月二十五日。そして昨日きのうの三月四日――と、それぞれの午前五時頃までの真夜中です」
「……ははあ、じゃあやッぱり……いや、すると七日目毎にられたと言う事になるじゃあないですか※(感嘆符疑問符、1-8-78) とすると、今日は月曜日ですから、日月にちげつ……と、つまり日曜日の朝毎にられたんですね」と助役は暫く考えていましたが、やがて「……いま、この町で、日曜日、いや日曜以外の日でもいいんですが、とにかく一週間に一度ずつ定期的に繰返される一切の変化――それはどんなに一寸したつまらないものでもいいのですが、例えば、会社、学校が毎日曜日に休むとか床屋、銭湯が何曜日に休業するとか、或は又何かのいちが毎週何曜日に立つとか、どんな事でもいいんですから、とにかくこの町で七日目毎に起る事を、全部一度聞かせて見てくれませんか?」
 この質問には流石さすがに安藤巡査もあきれたと見えまして、暫く眉根をしかめながら考えを絞っていましたが、やがて顔を挙げると、
「……会社、と言ってもH銀行の支店ですが、町役場、信用組合事務所、農蚕学校、小学校、まあ日曜日に休むのはそんなものです。製糸工場は、確か一日ついたちと十五日。床屋は七のつく日で月に二回、銭湯は五のつく日でやはり月に二回、それだけが公休で毎週ではありません……ええと、それから繭市まゆいちはまだ出ませんが、卵市たまごいちなら五日置きにあります……まあ、その他には……そうそう、農蚕学校で毎週土曜日の午後に農科の一寸したバザーがある位のものです」
「ははあ、その農蚕学校のバザーでは何を売るんですか?」
 そこで安藤巡査はこう答えました。
「農科の方ですから、主として学生達の栽培した野菜や果実、草花などです。……仲々繁昌します」
 すると片山助役は、その答弁にどうやら元気をつけられたらしく今度は話題を変えて、
「犯人がまだ挙げられないとしますと、捜査や、事後の警戒はどうなっていましょうか?」
 すると安藤巡査は昂然として、
「勿論処置は取ってあります。しかしどうも、手不足でしてな」
「いや、何分なにぶんお願いします。でも、却って余り騒がない方がいいと思います。じゃあ、もうこれ位で……」
 助役はそう言って、部下の機関庫係員や案内役を促しました。そして一行は、間もなく静かな夕暮のB町を引挙げたんです。
 ――一体、機関庫助役の片山と言う人は、もう部下達も相当期間交際つきあってたんですが、どうもまだ、時々人を不審がらせる様な変な態度に出るのが、彼等には甚だ遺憾に思われてたんです。何故って、例えばB町を引挙げた助役は、H機関庫に帰って来ると、直ちに翌日からまるで「葬式とむらい機関車」の奇妙な事件なぞはもう忘れてしまった様に、イケ洒蛙洒蛙しゃあしゃあ平常ふだんの仕事を続け出したんです。二日っても、三日経っても依然としてそのままなんです。で、堪えかねた部下の一人が五日目の朝になってその事を詰問? すると、その又返事が実に人を喰っとるんです。「だって君。何もする事がなければ仕方がないじゃあないか」――てんですよ。
 でも、その日の真夜中になって、助役のこの態度はガラリと一変しました。
 それは多分、夜中の三時頃でしたでしょうか、助役は部下の一人――吉岡と言う男ですが――を叩き起して外出の支度をすると、不足でフラフラしている彼を引張る様にして、自動車に乗り込んだのです。
 何処どこをどうはしったのか吉岡には一向に判りませんでしたが、とにかく半時間近くも闇の中を飛ばし続けた片山助役は、と或る野原で自動車を降りると、自動車くるまは其処へ待たして置いて、吉岡へ静かにいて来る様眼配めくばせして傍らの松林へ這入って行ったんです。吉岡は段々眼がめて来ました。そして間もなく灌木の間の闇の中へ助役と二人でどっかと腰を下ろした時には、彼等の前方十けん位の処が松林のはずれになっていて、その直ぐ向うはあのB駅に近いカーブの鉄道線路である事が判ったんです。夜露で、寒くなって来るにつれて、吉岡の頭は少しずつハッキリして来ました。そして追々に助役のしている事が判って来たんです。助役の腕の夜光時計は四時三十分を指しています。成る程考えて見ればいまはまさに三月十一日――日曜日の早朝です。あの奇怪な豚盗人が、五度いつたびここへやって来るものと助役は睨んでいるに違いない――そう思うと吉岡は一層身内が引緊ひきしまる様な寒気を覚えて、外套の襟に顔を埋めながら助役の側へ小さくなってしまいます。
 恰度四時四十二分に夜行の旅客列車が物凄い唸りを立てて、直ぐ眼の前の上り線路を驀進ばくしんして行きました。そしてあたりは再び元の静寂しじまに返ったのです。が、それからものの五分と経たない内に、助役が急にキッとなって吉岡の肩先をしたたかに突いたんです。
 吉岡は思わず固唾かたずを飲みました。
 ――成る程、桑畑の間の野道の方から、極めて遠くはあるが、小さな、低い、それでいて何となく満足そうな豚の鳴声が夢の様に聞えて来ます。
 二分もする内に追々にその声は近附き、間もなく道床の砂利を踏む跫音あしおとが聞えて、線路の上へ真ッ黒い人影が現れました。星明りにすかして見れば、どうやら外套らしいものの裾にズボンをはいた足が見えます。そしてその足の向側を、今度は何処の農家から盗まれて来たのか大きな白豚が、ヴイ、ヴイ、と鳴きながら縄らしいもので引かれて来るんです。男は時々腰を屈めては何か餌らしいものをくれてやりながら、下り線を越えて彼等の真ン前から少しばかり西へ寄った上り線路の上へ立止ると、白豚へ再び餌を与えてそれからクルリと周囲を見廻したんです。――どんな男だか、暗くてサッパリ判りません。
 やがて豚盗人は仕事に掛りました。五日前に此処で案内役の保線課員が彼等に話した推定は全く正しく、その通りに黒い男は豚を縛って、そしてその哀れな犠牲者の前へ沢山餌をバラ蒔いているんです。二人は静かに立上りました。そしてソロリソロリ歩き始めました。
 だが、ナンと言う事でしょう。ものの二十歩も進まない内に、吉岡の靴の下の闇の中で枯枝らしい奴が大きな音を立てたんです。吉岡はハッとなると、もう夢中で線路めがけて馳け出しました。
 瞬間――豚盗人は、一寸松林の方を振向いて、何でもこう鳥の鳴く様な異様な叫びを挙げると、いきなりまるくなって線路伝いに馳け出したんです。吉岡は直ぐに線路に飛び出してその黒い影を追跡しました。けれども二丁と走らない内に、もう彼はその影を見失ってしまったんです。やがて、
「お――い!」
 と、助役の呼んでいる声が聞えました。
 で、吉岡は、何だか責任みたいなものを感じながらも、ま、仕方なしにカーブの処まで戻って来ました。
 すると、「なに、構わないよ」と片山助役が呼び掛けました。「あせる事はないさ。それよりも、まず、この豚公を御覧よ……どうも僕は、ただ縄で縛って置くだけではそう何度もうまい工合に轢かれる筈はない、と最初から睨んでいたんだ」
 見ると、成る程豚は少し変です。四足を妙な恰好に踏ン張って時々頭を前後に動かしながら、苦しそうに喉を鳴らして盛んに何かを吐出しているんです。
「毒を飲まされたのさ」
 そう言って助役は、結んである縄を解き始めました。そして間もなく二人は、可哀想な豚を引摺る様にして、自動車くるまの待たしてある方角へ松林の中を歩き出しました。けれども途中幾度か激しい吐瀉としゃに見舞われた豚は、自動車のある処まで来るととうとう動かなくなってしまいました。痙攣けいれんを起したんです。で、仕方なく側の立木へ縛って置いて、驚いている運転手へ彼等だけB町の派出所へる様に命じました。そして恰度二人が自動車へ乗った時に松林の向うをはしる汽車の音が聞えて来ると、
「あれがD50・444号の貨物列車だよ」
 と、助役が言いました。
 それから役等は[#「役等は」はママ]B町へ出掛けて安藤巡査に豚の処置を依頼すると、そのまま自動車くるまで、もうすっかり明け放れたすがすがしい朝の郊外を、H駅まではしる事になったんです。
 車中で、吉岡は助役に訊ねました。
「あの豚は殺して解剖するんですか?」
 すると助役は、
「ううん。もう豚公には用はないよ。僕は、彼奴あいつ食余くいあました餌と毒を、手に入れたからね」とそう言って外套オーバーのポケットから、三、四枚の花の様な煎餅せんべいを出して見せました。それはまだらに赤や青の着色があって、その表面には小豆あずきを二つに割った位の小さな木の実みたいなものが一面に貼り着けてあるんです。
先刻さっきの冒険の」と助役が言いました。「一番おもだった僕の目的と言うのは、始めからこいつにあったのさ。もっともこんな煎餅を手に入れようとは思わなかったがね。つまり僕は、――盗んだ豚を殺してからではとても一人では持てないから、生かしたままで線路まで連れて来て、さてそこで上手に汽車に轢かせる様にするためには、単に縄を枕木の端の止木チョックの釘と反対側に立っている里程標マイル・ポストとの間へ渡して、その真ン中へ豚を縛った位では到底三遍も四遍も成功する事は出来まい。だから当然、盗んだ男は、線路の上へ縛りつけてから、豚を殺すか、動けなくする必要がある。と僕は思ったんだ。ところが鈍器で殴り殺すとか、又は刃物で突殺すとか、或は劇毒で殺すとか、とにかくそうした手段で即死させるんだったなら、なにもあんなに縛り着けて置く必要はない。殺して、そのまま線路の上へ投げ出して置けばいい筈だ。それにもかかわらず犯人はそうしていない。で、僕はいまこう考える――この干菓子の中にある毒は急激な反応を持ったものではなくて、犯人は途々みちみち毒の入った餌で豚を釣りながら線路の上まで連れて来ると、それから軌条レールの間へ動かない様に縛って尚幾何いくらかの毒餌どくえを与える。次第に毒の作用が始まる。D50・444号がやって来る――とまあ大体そんな風にね。……だがそれにしても、この干菓子は一体何だろう? 僕はこんな玩具おもちゃみたいな煎餅は始めて見る。君、知ってるかい?」
 と、そこで吉岡は早速首を横に振りました。そして間もなくH駅へ帰り着いた二人は、機関庫の事務室を根拠地にして、あの冒険で獲得した妙な手掛りに対する研究を始めたんです。
 最初の日は、助役は一日中落着いて室内で例の干菓子を相手にあれやこれやと考え廻していた様でしたが、二日目にはとうとう外出して調べ始めました。そして夕方に帰って来て仕出しの料理で晩飯を終えると、早速吉岡ともう一人の調査員を捕えて、こんな事を言ったんです。
「君達、明朝でいいから一寸B町まで行ってくれ給え。ほかでもないんだが……ま、とにかく一応説明しよう」そう言って例の干菓子を二人の前に並べながら、「僕は今までかかって調べた結果、やっとこの煎餅の正体が判ったよ。この奇妙な子供の玩具の小さな風車みたいな、如何にも不味まずそうな煎餅は、普通に食用に供するものではなく、干菓子の中でも一番下等な焼物の一種で、所謂かざり菓子と言う奴だ。そしてこの地方では、しかも一般にこの菓子を『はり菓子』と呼んで……ほら、見た事があるだろう?……葬儀用専門の飾菓子になってるんだ。ところで、この煎餅の表面の、後から糊で貼り着けたらしい小さな小豆を砕いた様な木の実だが、色々調べた結果、学名は日本産大茴香だいういきょう、普通に莽草しきみ又はハナシバなぞと呼ばれる木蘭もくらん科の常緑小喬木の果実であってな。シキミン酸と呼ぶ有毒成分を持っているんだ。シキミン酸と言うのは、ピクロトキシン属の痙攣毒とか言う奴で、一寸専門的になるが、その生理化学的な反応は、延髄の痙攣中枢って奴を刺戟する事に依って、恰度癲癇てんかんの様な痙攣を起し、その痙攣中に一時意識を失うのだ。時としてはそのまま死ぬ事もあるが、ま、猛毒ではないそうだ。日本内地でも中部以南の山野にいくらも自生しているものだよ。ところで、もうひとつこの莽草の樹の用途なんだがね……こいつが実に面白いんだ……と言うのは、昔から仏前用として墓地に植えたり、又地方に依っては、その枝葉を、棺桶の中へ死人と一緒に詰めたりする外、一般には、その葉を乾したり樹皮を砕いたりして、仏前や墓前でく、あの抹香まっこうを製造する原料にされているんだ。判るかい。つまりこの煎餅と言い、莽草の実と言い、二つながら手掛てがかりとしては非常に特殊な代物である事に注意し給え。ところで、話はあの豚公に戻るんだが、もしも僕があの場合の犯人であったなら、なにもこんな風変りな品物を使わなくたって、例えば、人参でもいい、ごくありふれた餌で豚公を連れ出し、さて線路上へ来て、縄で縛るなんて面倒な事はせず、玄翁げんのうか何かで一度に叩ッ殺し、そのまま線路上へ投げ出して置く――が、しかし、この場合の犯人は、既に僕等も見て来た様に、実に不自然な、むしろ芝居みた道具立をしている。ね。ここんとこだよ。こんな風変りな特殊な品物を、しかも毎々利用するのは、それらの品物が、犯人が何よりも簡単に入手出来る様な手近なところに、つまり犯人が、それらの品物を商売している事を意味するんだ。で、僕のお願いと言うのはB町及びB町附近に、あの葬儀用の『貼菓子』と、抹香の製造販売をしている葬具屋が、有るか無いか君達二人に調べて貰いたいんだ」
 とまあそんな訳で、翌朝二人はB町へ出掛けたんです。
 ところが、小さな田舎町の事ですから、巡査派出所、町役場等で問い合せた結果、間もなく片山助役の註文に符合する様な葬具屋の無い事が判りました。
 で、二人の部下は力を落してH駅へ引返すと、助役にその旨を報告しました。すると助役は、意外にも嬉しそうな調子で、こう言うんです。
「多分そうだろうと思っていたよ。いや、それでいいんだ。君達の留守中に、僕は機関庫へ行って、あの『葬式とむらい機関車』の『オサせん』が、いつも花環を買う店は何処だと訊いて見たら、直ぐ機関庫の裏手附近の、H市の裏町にある十方舎じっぽうしゃと呼ぶ葬具屋である事が判ったんだ。そしてしかもその店では、『貼菓子』は勿論、抹香の製造販売もしているらしい事が判ったんだ。これから直ぐに出掛けよう。そして直接当って調べた結果、十方舎と、B町の何か――との間に、一週に一度ずつ何等かの関係の有る事さえ判れば、もう事件は、最も合理的に一躍解決へ進む事になるんだ」
 と、そこで早速彼等は出掛けました。
 そして機関庫の裏を廻って、間もなく薄穢い二階建の葬具屋――十方舎へやって来ました。
 助役は先に立って這入ると、早速馴れた調子で小さな花環を一つ註文しました。
 成る程、その店の主人らしい、頸の太い、禿頭の先端さきンがった、あから顔の五十男が、恐ろしく憂鬱な表情かおをしながら、盛んに木の葉を乾かした奴を薬研やげんでゴリゴリこなしていましたが、助役の註文を受けると、早速緑色のテープを巻いた小さな円い花環の藁台わらだいへ、白っぽい造花を差し始めたんです。そこで片山助役はギロリと室内を見廻しました。
 ――その仕事場の後には、成る程「貼菓子」らしい品物を並べた大きな硝子ガラス戸棚があって、その戸棚の向うには、奥座敷へ続くらしい障子が少しばかり明け放してあるんですが、その隙間から、多分この店の娘らしい若い女が、随分妙な姿勢をっていると見えて、ヘンな高さの処から、こう顔だけ出して――もっともその女は、彼等がこの店へ這入って来た時から、もうそんな風に顔だけ覗かしていたんですが、こんなにも妙に心をかれる顔を、助役は始めて見ました。髪は地味な束髪ですが、ポッテリした丸顔で、皮膚は蝋燭の様に白く透通すきとおり、鼻は低いが口元は小さく、その丸い両の眼玉は素絹そぎぬを敷いた様に少しボーッとしてはいますが、これが又何と言いますか、恐ろしく甘い魅力に富んでいるんです。そして助役の一行を見ると、如何にもそれと判る無理なつくり笑いをしながら、とんきょうな声で、「いらっしゃいませ」と挨拶したんです。
 ――この事は後程のちほどになって、何度も何度も聞かされた事なんですが。とにかく片山助役は、その娘を始めてチラッと見た時に、もう一生忘れる事の出来ない様な何ンともとも言いようのないいやあな印象を、眼のクリ玉のドン底へハッキリと焼きつけられたんです。そしてこの奇妙な娘と言い、恐ろしく面ッ構えの変った親爺おやじと言い……ははあン、成る程このうちには、何か深い秘密めいた事情があるんだな……とまあ、直感って奴ですな、それを感じたんです。――いや、どうも私は女の話になると、つい長くなっていけません。
 さて、暫く黙ったままでそれとなく店中を眺め廻していた片山助役は、やがてその眼に喜びの色を湛えて、直ぐ彼等の横にあった水槽みずおけの中の美しい色々の草花を指差しながら、盛んに花環を拵えている親爺へ、言いました。
小父おじさん。綺麗な花ですね。こんな綺麗な奴が、この寒空に出来るんですか?」
 すると親爺は一寸顔を挙げて、
「出来ますとも。B町の農蚕学校の温室でね――。土曜日の晩方ばんがたに行けば、貴方あなた達にだって売ってくれますよ。……さあ、出来上りました。六十銭頂きます。ヘイ」
 と、そこで助役はすまし込んで花環を受取ると、代金を払って、そのままぷいと表へ出てしまいました。吉岡も早速助役の後に続いたんですが、門口かどぐちを出しなにチラッと奥を見ると、あの感じの陰気なその癖妙に可愛らしい娘は、まだ相変らず顔だけ出して、表の方を覗いていました。
 外へ出ると、助役達はもう十間程先を歩いています。で、吉岡は急いで追いつくと、その肩へ手を掛けながら、気色ばんで言いました。
「助役さん。あの親爺、とうとう毎土曜日の午後にB町へ行く事を白状したんですから、何故ついでに捕えちまわんです」
 すると、
「吾々は検事じゃないんだからな」と助役が言いました。「――無暗むやみあせるなよ。それに第一捕えるにしても、吾々は、どれだけ確固とした証拠を持っていると言うんだ。――成る程あの親爺は、確かに先夜君に追われた犯人に、九分九厘違いない。がしかし、いま捕えるよりも、もう二、三日待って今度の土曜日の真夜中に、例の場所で有無を言わさず現行犯を捕えた方がハッキリしてるじゃないか。あの親爺はまだまだ豚を盗むよ。何か深いわけがあるんだ。さあ、土曜日までもう一度静かな気持になって、その『最後の謎』を考えられるだけ考えてみよう」
 で彼等は、素直に機関庫へ引挙げる事にしました。
 そして片山助役は、翌日から彼の言明通り、あの陰気な十方舎の親娘おやこの身辺に関して、近隣の住人やその他に依る熱心な聞き込み調査を始めたんです。
 一日、二日とする内に――彼等は全く二人きりの寂しい親娘おやこであって、生計くらしは豊かでなく近所の交際つきあいもよくない事。娘はトヨと言う名の我儘な駄々ッ児で、妙な事にはここ二、三年来少しも家より外へ出ず、年から年中日がないちああしてあの奥の間へ通ずる障子の隙間から、まるで何者かを期待するかの様に表の往還を眺め暮している事。そうした事から、どうやら彼女は、何か気味の悪い片輪者ではあるまいかとの事。そしてその父親と言うのが、これが又無類の子煩悩で何かにつけてもトヨやトヨやと可愛がり、歳柄としがらもなく娘が愚図り始めた時などは、さあもうはたで見る眼も気の毒な位にオドオドして、なだめたりすかしたりはては自分までポロポロと涙を流して「おおよしよし」とばかり娘の言いなり放題にしているとの事。尚又その娘のむしろヒステリカルな我儘は、最近三月みつき、半年と段々日をるにつれて激しくなって来たが、妙な事にはこのひと月程以前からどうした事かハタと止んで、その代りヘンに甘酢ッぱい子供の様にはしゃいだ声で、時々古臭い「カチューシャ」や「沈鐘」の流行唄はやりうたを唄ったり、大声で嬉しそうに父親に話し掛けたりしていたとの事。ところが、それが又どうした事かこの四、五日前から、再び以前の様にヒステリカルな雰囲気に戻ったとの事――等々が、追々に明るみへ出されて来たんです。
 ――いやどうも、片山助役のこの徹底した調査振りには、少からず私も驚きましたよ。と言うのは、私も当時よくその家へ買物に出掛けた事があるんですが、全くその度毎にその娘は、障子の隙間から、顔だけ出して何とも言いようのないエロチックな笑いを浮べながら、あの薄い素絹を敷いた様なつぶらな両の瞳を見開いて、柔かな、でもむさぼる様な視線を私のこの顔中へ――それはもう本当に「ああいやらしいな」と思われる位に、しつこく注ぎ掛けるのです。そして又その親爺と言うのが、全く助役の調査通りでして、例えば仕事をしながらも、溢れる様な慈愛に満ちた眼差まなざしでセカセカと娘の方を振返っては、「そんなに障子を明けると風邪を引くよ」とか、「さあ、お客様に汽車のお話でも聞くがいいよ」などと、それはそれはまるで触ると毀れるものの様にオドオドした可愛がり様を、一再ならず私は見せつけられたものです。……
 ま、それはさておき、とにかくそんな調子でドシドシ洗い上げた片山助役は、やがて殆ど満足な結論にでも達したのか次の土曜日の夜には、正確に言うと日曜日――三月十八日の午前四時三十分には、もう涼しい顔をして、あの曲線線路カーブの松林で、その娘の親爺を捕えるべく、例の二人の部下とそれからH署の巡査と四人で、黙々と闇の中へ、うずくまっていたんです。
 ところが、ここで片山助役の失敗が持上ったんです。と言うのは、四時四十二分に例の旅客列車が通過して、五分過ぎましたが、意外にも豚盗人はやって来ないんです。
 十分、二十分、一行は息をひそめて待ちましたが、この前で懲りたのか大将一向にやって来ません。そしてとうとう肝心かなめのD50・444号の貨物列車が通り過ぎてしまったんです。
「……ふむ。先生、この張込みに感付いたな。よし。もうこの上は、直接十方舎へ乗り込もう」
 とうとう助役は、そう言って不機嫌そうに立上りました。
 やがて一行は、B駅から直ぐ次の旅客列車に乗ってH駅へ来ました。そしてもう夜の明け切った構内を横切って、十方舎へ行くべく機関庫の方へ歩いて行ったんです。と、どうした事でしょう、「葬式とむらい機関車」の「オサ泉」と助手の杉本が、テクテクやって来るんです。見れば、杉本の例の鼻の下の煤が、いつの間にか綺麗に拭き取られているんじゃないですか!
 杉本は、一行を認めると大袈裟な顔付で、
「とうとう又っちゃいましたよ」
「なに又殺った※(感嘆符疑問符、1-8-78)
 と、助役が思わず叫びました。
 すると杉本は、
「ええ、確かに手応てごたえがありましたよ。この駅のホンの一丁程向うの陸橋ブリッジの下です。しかもねえ、機関車おかま車輪わっぱにゃあ、今度ア女の髪の毛が引ッ掛ってましたよ。豚じゃねえんです――」
 で早速彼等は、十方舎の親爺の逮捕をとりあえず警官に任せて、大急ぎで逆戻りをしました。そして間もなく、H駅の西へ少し出外ではずれた轢死の現場へやって来たんです。
 恰度朝の事で、冷え冷えとした陸橋ブリッジの上にも、露に濡れた線路の上にも、もう附近の弥次馬達が、夥しい黒山を作っていました。――その黒山を押崩す様にして分け入った一行の感覚へ、真ッ先にピンと来た奴は、ナマナマしい血肉の匂いです。続いて彼等は足元に転っている凄惨な女の生首なまくびを見ました。――頭顱あたまが上半分欠けて、中の脳味噌と両方の眼玉が何処かへ飛んでしまい、眼窩めのあなから頭蓋腔あたまのなかを通して、黒血のコビリ着いた線路の砂利が見えます。――でもその眼玉のガラン洞になった半欠はんかけの女の顔を見ている内に、追々に彼等は、それが、あの、葬具屋の娘――である事に気付いて来たんです。
 それから彼等は、助役に引ッ張られて、ふるえながらもうひとつ奥へ進んで行きました。そしてそこで、線路の上へ転っているものを見た時に、一行は思わず嘔吐を催しました。
 ――それは、股の着根つけねから切断された両脚らしいものですが、殆ど全体に亙って太さが直径八、九寸近くもある、まるで丸太ン棒です。おまけにその皮膚の色は、血の気が失せて鉛色なんです。助役は青い顔をして屈み込むと、でも、平気でその肌へ指をグッと押付けました。するとその部分の皮膚は、ただ無数のいとも不快な皺を寄せただけで、少しもへこまないんです。――助役は六ヶ敷い顔で立上ると、重い調子で言いました。
「……こりゃあ。切断のために出来た浮腫はれじゃあないよ。君達は、あのフィラリヤって言う寄生虫のために淋巴リンパ管が閉塞ふさがれて、淋巴の欝積うっせきを来した場合だとか、或は又、一寸した傷口から連鎖状球菌の浸入に依って、浮腫性ふしゅしょうの病後に続発的に現れる象皮病――って奴を知ってるかい?……こいつがそれだよ。僕の大学時代の友人に、これを病んだ奴が一人あったよ。患部は主に脚で、炎症のために皮膚が次第に肥厚はれあがって、移動性を失って来るんだ。象皮病で死んだと言う事は余り聞かないが、旧態もと通りに治癒なおるって事は、ま、大体絶望らしいな」と助役はここで一寸いずまいを正して、「……どうやらこれでこの事件も幕になったらしいね……あの豚の轢殺事件が、こんな悲劇に終ろうとは思わなかったよ……いや、僕の手抜かりだった。この娘は恐らく自殺なんだろう。と言うのは……いやとにかく、歩きながら話すとして、とりあえず十方舎へ出掛けよう……あの親爺め、可愛い娘のこんな死態しにざまを見たならきっと気狂いにでもなっちまうよ……」
 そう言って助役は、歩きながらこの奇妙な事件の最後の謎――つまり十方舎の親爺が豚を盗んだ動機を彼のその優れた直観力で、どんな風に観破みやぶったかと言う事を、手短かに話し始めたんです。
 いや、学生さん。
 ところがその助役の直観力って奴は、幸か不幸か当ってたんですよ。そしてその事の正しさは、間もなく検屍官の手に依って娘の懐中から発見された、意外にも「葬式とむらい機関車」の「オサ泉」宛の遺書に依って、いよいよ明かにされたんです。
 で、その娘の手紙なんですがね……実は、いま、こうして私が持ってるんですよ……いや、助役の話なんぞ繰返すよりも、一層いっその事この手紙をお眼に掛けましょう。それに第一私としても、いまここで、助役のそのしたり顔な説明なんぞを、再び私の口からお話するのは、とてもつらいんです。と言うのは、その話ってのが、そもそも私の過去に致命的な打撃を与えた、苦しい思い出だからなんです……さあ、このきたならしい手紙なんですが……どうぞ、ご覧下さい……

 お懐しいオサセン様。
 わたしは、十方舎の一人娘トヨでご座います。この手紙を貴男あなたがおヨミになる頃には、もう妾は少しも恥かしい事を知らない国へ行っております。だから妾は、どんな事でも申上げられると思います。どうぞ私の話を、お聞き下さい。
 妾は、子供の頃からふしあわせでご座いました。妾の家にはあまりお金がありませんでしたので、妾の父や母は、妾をヨソの子供さん達の様にしあわせにはしてくれませんでした。だから妾は恰度いまから四年前の十九の年に、ふとした事から右足に小さなキズをした時にも充分に医者にかかる事も出来ませんでした。するとそのキズからバイキンが入って、妾はタンドクと言う病気にかかりました。でもおどろいて医者にかかりましたのでその病気はまもなく治りましたが、又半年程すると、今度はサイハツタンドクと言う、先の病気とよく似た病気にかかりました。今度はなかなか治りませんでした。そして妾は、ゾウヒビョウと言う恐ろしい病気に続けてかかってしまい、妾の両脚はとてもとても人様に見せられない様な、それはそれはみにくいものになってしまいました。医者は死ぬ様な事はないが、元の通りには治らないと言いました。そして毎年春や秋が近づくと、妾の両脚は、一層ひどくはれるのでご座います。
 お懐しいオサセン様。
 なんと言う妾はふしあわせな女でしょう。妾は父や母をノロいたくなりました。でもその頃から、父や母の妾に対するたいどは、ガラリと変りました。
 父はもう夢中で、妾を何より大事にしてくれる様になりました。母は、毎日毎日妾に対してすまないすまないと、気狂いの様に言っておりました。ああそして、本当に母は気狂いになってしまいました。
 それは恰度三年前の、冷い雨の降る秋の夜の事でした。気の狂った母は裸足のままで家を飛び出して、とうとう陸橋の下で汽車にひかれて死んでしまったのです。
 でもお懐しいオサセン様。
 その時の汽車の運テン手が、貴男あなただったのでご座います。そして、なんと言う貴男は親切なおかたでしょう。妾の母のタマシイのために、貴男は花環をたむけて下さいました。そしてそれから後も、時々人をひく度に、妾の家へ花環を買いに来られました。なんと言う美しいお心でしょう。
 でもああお懐しいオサセン様。
 妾は始めて貴男をお店で見たその時から、貴男がとてもとても大好きになってしまって、ホンの少しの間でも貴男をわすれる事が出来なくなってしまったのでございます。間もなく父は、妾の気持に気づきました。そしてもうその頃では、夢中で妾を大事にしていてくれましたので、時たま貴男が花環を買いに来て下さると、父は出来るだけ手間をとって貴男の花環をこしらえる様にさえしてくれました。
 でも恋しいオサセン様。
 妾はみにくい体を持っておりますので、貴男のおそばへそれ以上に近づく事の出来ないのをだんだん不平に思う様になり、そして日ましに気が短かくなって我ままになり、一年に二、三度位しか花環を買いに来て下さらない貴男のおすがたを見るために、いくたび父を門口に立たせた事でしょう。でも毎日毎日奥の間の障子のかげから顔だけ出して、貴男の来られるのをいつまでも待ち続けている妾を見兼ねたのか、とうとう父は恰度いまからひと月程前、B町へ毎シュウ草花を買いに行く度に、なんでも大変キキメのある神様へオガンをかけて来る様に約束してくれました。するとどうでしょう。その大変キキメのある神様は哀れな妾のねがいをお聞き下さって、日ヨウ日毎に貴男にお眼にかかれる様にして下さいました。ああその頃の妾は、なんと言うしあわせ者でしたでしょう。毎日毎日唄を唄ったり、父とユカイに話をしたり……。
 でも、それはホンのつかのまの事で、この前の日ヨウ日には、もう貴男はおいでになりませんでした。そして何事があったのか父はもうバチが当るからオガンをかけるのはイヤだと言いだして、だから今夜も花だけ買って早く帰って来てしまいました。そしておさえ切れなくなった妾は、とうとう父とみにくい口あらそいを始めたのでご座います。
 そしてああ恋しいオサセン様。
 とうとう妾は、恰度手に持っていた棺板に穴をあけるヨツメ・キリで、あやまって父を殺してしまったのでご座います。
 妾は、もう生きているノゾミをなくしてしまいました。妾は、この手紙を抱いて、貴男のお手にかかって母のいる国へ行きます。妾の家のお店に、妾がこの手紙をかいてから、急いでこしらえた花環がご座います。どうぞその花環を、哀れな妾のために汽車へ吊してやって下さい。
  三月十七日夜
十方舎のトヨより
 ……やれやれ、お読みになりましたかな……いや、手紙そこにも書いてあります様に、助役の一行が十方舎へ乗込んだ時には、もうその娘の親爺は、脇腹から心臓めがけて大きなきりを突立てられたまま、造りかかりの棺桶の中へノメリ込む様にして冷くなっていましたよ……
 いや、学生さん――
 ……これで、何故私が鉄道稼ぎを退職やめる様な気持になったか、そして又何故毎年三月十八日、つまり十方舎の娘の命日に、こうしてH市の共同墓地へ墓参りに出掛けるか、お判りになった事と思います……え? ああそうそう……もうとッくにお判りの事と思いますが、実はこの私が、「葬式とむらい機関車」の「オサ泉」事、長田泉三なんです……いやどうも、永々と喋らして頂きましたな……どうやら、ボツボツH駅に近づいたようです……では、これで失礼いたします。
(「ぷろふいる」昭和九年九月号)

底本:「とむらい機関車」国書刊行会
   1992(平成4)年5月25日初版第1刷発行
底本の親本:「死の快走船」ぷろふいる社
   1936(昭和11)年初版発行
初出:「ぷろふいる」ぷろふいる社
   1934(昭和9)年9月号
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:大野晋
校正:川山隆
2008年11月12日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。