はしがき
一。太平洋の波に浮べる、この船にも似たる我日本の國人は、今や徒らに、富士山の明麗なる風光にのみ恍惚たるべき時にはあらざるべし。
光譽ある桂の冠と、富と權力との優勝旗は、すでに陸を離れて、世界の海上に移されたり。
この冠を戴き、この優勝旗を握らむものは誰ぞ。
他なし、海の勇者なり。海の勇者は即ち世界の勇者たるべし。
一。天長節の佳日に際し
  子爵  伊東海軍大將
      肝付海軍少將
  伯爵  吉井海軍少佐
  子爵  小笠原海軍少佐
      上村海軍少佐
各位の清福を賀※[#変体仮名し、はしがき-14]、つたなき本書のために、題字及び序文を賜はりし高意にむかつて、誠實なる感謝の意を表す。
一。上村海軍少佐の懇切なる教示と、嚴密なる校閲とを受けたるは、啻に著者の幸福のみにはあらず、讀者諸君若し此書によりて、幾分にても、海上の智識を得らるゝあらば、そは全く少佐の賜なり。
一。遙かに、獨京伯林なる、巖谷小波先生の健勝を祈る。
著者※[#変体仮名し、はしがき-20]るす
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(海島冐檢奇譚)海底軍艦目次
 第一回 海外かいぐわい日本人につぽんじん
子ープルス港の奇遇――大商館――濱島武文[#「濱島武文」は底本では「濱鳥武文」]――春枝夫人――日出雄少年――松島海軍大佐の待命
 第二回 こく
送別會――老女亞尼――ウルピノ山の聖人――十月の祟の日――黄金と眞珠――月夜の出港
 第三回 あやしふね
銅鑼の響――ビール樽の船長――白色檣燈――古風な英國人――海賊島の奇聞――海蛇丸
 第四回 反古ほご新聞しんぶん
葉卷煙草――櫻木海軍大佐の行衞――大帆走船と三十七名の水兵――奇妙な新體詩――秘密の發明――二點鐘カーンカン
 第五回 ピアノと拳鬪けんとう
船中の音樂會――鵞鳥聲の婦人――春枝夫人の名譽――甲板の競走――相撲――私の閉口――曲馬師の虎
 第六回 星火榴彈せいくわりうだん
難破船の信號――イヤ、流星の飛ぶのでせう――無稽な――三個の舷燈――船幽靈め――其眼が怪しい
 第七回 印度洋インドやう海賊船かいぞくせん
水雷驅逐艦か巡洋艦か――往昔の海賊と今の海賊――潜水器――探海電燈――白馬の如き立浪――海底淺き處――大衝突
 第八回 人間にんげん運命うんめい
弦月丸の最後――ひ、ひ、卑怯者め――日本人の子――二つの浮標――春枝夫人の行衞――あら、黒い物が!
 第九回 大海原おほうなはら小端艇せうたんてい
亞尼の豫言――日出雄少年の夢――印度洋の大潮流――にはか雨――昔の御馳走――巨大な魚群
 第十回 沙魚ふか水葬すゐさう
天の賜――反對潮流――私は黒奴、少年は炭團屋の忰――おや/\變な味になりました――またも斷食
 第十一回 無人島むじんとうひゞき
人の住む島か魔の棲む島か――あら、あの音は――奇麗な泉――ゴリラの襲來――水兵ヒラリと身を躱はした――海軍士官の顏
 第十二回 海軍かいぐんいへ
南方の無人島――快活な武村兵曹――おぼろな想像――前は絶海の波、後は椰子の林――何處ともなく立去つた
 第十三回 星影ほしかげがちら/\
歡迎――春枝夫人は屹度死にません――此新八が先鋒ぢや――浪の江丸の沈沒――此島もなか/\面白いよ――三年の後
 第十四回 海底かいてい造船所ざうせんじよ
大佐の後姿がチラリと見えた――獅子狩は眞平御免だ――猛犬稻妻――秘密の話――屏風岩――物凄い跫音――鐵門の文字
 第十五回 電光艇でんくわうてい
鼕々たる浪の音――投鎗に似た形――三尖衝角――新式魚形水雷――明鏡に映る海上海底の光景――空氣製造器――鐵舟先生の詩
 第十六回 朝日島あさひじま
日出雄少年は椰子の木蔭に立つて居つた――國際法――占領の證據――三尖形の紀念塔――成程妙案々々――其處だよ
 第十七回 冐險鐵車ぼうけんてつしや
自動の器械――斬頭刄形の鉞――ポンと小胸を叩いた――威張れません――君が代の國歌――いざ帝國の萬歳を唱へませう
 第十八回 野球競技ベースボールマツチ
九種の魔球――無邪氣な紛着――胴上げ――西と東に別れた――獅子の友呼び――手頃の鎗を捻つて――私は殘念です――駄目だんべい
 第十九回 猛獸隊まうじうたい
自然の殿堂――爆裂彈――エンヤ/\の掛聲――片足の靴――好事魔多し――砂滑りの谷、一名死の谷――深夜の猛獸――かゞり火
 第二十回 猛犬まうけん使者ししや
山又山を越えて三十里――一封の書面――あの世でか、此世でか――此犬尋常でない――眞黒になつて其後を追ふた――水樽は空になつた
 第二十一回 空中くうちうすく
何者にか愕いた樣子――誰かの半身が現はれて――八日前の晩――三百反の白絹――お祝の拳骨――稻妻と少年と武村兵曹
 第二十二回 うみわざわい
孤島の紀元節――海軍大佐の盛裝――海岸の夜會――少年の劍舞――人間の幸福を嫉む惡魔の手――海底の地滑り――電光艇の夜間信號
 第二十三回 十二のたる
海底戰鬪艇の生命――人煙の稀な橄欖島――鐵の扉は微塵――天上から地獄の底――其樣な無謀な事は出來ません――無念の涙
 第二十四回 輕氣球けいききう飛行ひかう
絶島の鬼とならねばならぬ――非常手段――私が參ります――無言のわかれ――心で泣いたよ――住馴れた朝日島は遠く/\
 第二十五回 白色巡洋艦はくしよくじゆんやうかん
大陸の影――矢の如く空中を飛走した――ポツンと白い物――海鳥の群――「ガーフ」の軍艦旗――や、や、あの旗は! あの船は!
 第二十六回 かほかほかほ
帝國軍艦旗――虎髯大尉、本名轟大尉――端艇諸共引揚げられた――全速力――賣れた顏――誰かに似た顏――懷かしき顏
 第二十七回 艦長室かんちやうしつ
鼻髯を捻つた――夢ではありますまいか――私は何より嬉しい――大分色は黒くなりましたよ、はい――今度は貴女の順番――四年前の話
 第二十八回 紀念軍艦きねんぐんかん
帝國軍艦「日の出」――此虎髯が御話申す――テームス造船所の製造――「明石」に髣髴たる巡洋艦――人間の萬事は天意の儘です
 第二十九回 薩摩琵琶さつまびは
春枝夫人の物語――不屆な悴――風清き甲板――國船の曲――腕押し脛押と參りませう――道塲破りめ――奇怪の少尉
 第三十回 月夜げつや大海戰だいかいせん
印度國コロンボの港――滿艦の電光――戰鬪喇叭――惡魔印の海賊旗大軍刀をブン/\と振廻した――大佐來! 電光艇來!―朝日輝く印度洋

目次終
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    第一回 海外かいぐわい日本人につぽんじん
ネープルス港の奇遇――大商館――濱島武文[#「濱島武文」は底本では「※(「さんずい+(宀/(「眉」の「目」に代えて「貝」))」、第3水準1-87-27)島武文」]――春枝夫人――日出雄少年――松島海軍大佐の待命
 わたくし世界せかい漫遊まんゆう目的もくてきをもつて、横濱よこはまみなと出帆ふなでしたのは、すで六年ろくねん以前いぜんことで、はじめ亞米利加アメリカわたり、それから大西洋たいせいよう[#「大西洋たいせいようの」は底本では「太西洋たいせいようの」]荒浪あらなみ横斷よこぎつて歐羅巴エウロツパあそび、英吉利イギリス佛蘭西フランス獨逸等ドイツとうおと名高なだか國々くに/″\名所めいしよ古跡こせき遍歴へんれきして、其間そのあひだつきけみすること二十有餘箇月いうよかげつ大約おほよそまん千里せんり長途ながたびあとにして、つひ伊太利イタリーり、往昔むかしから美術國びじゆつこく光譽ほまれたかき、そのさま/″\の奇觀きくわんをもほどながめたれば、これよりなつかしき日本ふるさとかへらんと、當夜そのよ十一はん拔錨ばつべう弦月丸げんげつまるとて、東洋とうようゆき※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きせん乘組のりくまんがため、くに名港めいかうネープルスまでたのは、いまから丁度ちやうどねんまへ季節せつさくら五月ごぐわつ中旬なかばある晴朗うらゝか正午せうご時分じぶんであつた。
市街まちはづれの停車塲ステーシヨンから客待きやくまち馬車ばしやで、海岸かいがん附近まぢかある旅亭はたごやき、部室へやさだまりやが晝餉ひるげもすむと最早もはやなにことがない、ふね出港しゆつこうまではだ十時間じかん以上いじやうなが旅行りよかうつた諸君しよくんはおさつしでもあらうが、ひともなき異境ゐきやうで、※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きしや※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きせん出發しゆつぱつくらすほど徒然つまらぬものはない、つてつ、つ、新聞しんぶん雜誌等ざつしなど繰廣くりひろげてたがなにかない、いつ晝寢ひるねせんか、市街まちでも散歩さんぽせんかと、思案しあんとり/″\まどつてながめると、眼下がんかおろす子ープルスわんかゞみのやうな海面かいめんうかんで、ふねふね[#「ふね」は底本では「ふね」]停泊とゞまつてふねその船々ふね/″\甲板かんぱん模樣もやうや、檣上しやうじやうひるがへ旗章はたじるしや、また彼方かなた波止塲はとばから此方こなたへかけて奇妙きめうふう商舘しやうくわん屋根やねなどをながまわしつゝ、たゞわけもなく考想かんがへてうちにふとおもうかんだ一事ことがある。それは濱島武文はまじまたけぶみといふひとことで。
濱島武文はまじまたけぶみとはわたくしがまだ高等學校かうとうがくかうつた時分じぶん左樣さやうかれこれ十二三ねんまへことであるが、おなまなびのともであつた。かれわたくしよりは四つ五つの年長者としかさで、したがつくみちがつてつたので、始終しじうまぢはるでもなかつたが、其頃そのころ校内かうない運動うんどう妙手じやうずなのと無暗むやみ冐險的旅行ぼうけんてきりよかう嗜好すきなのとで、かれわたくしとはゆびられ、したがつなにゆゑとなくむつましくはなれがたくおもはれたが、其後そのゝちかれ學校がくかう卒業そつぎやうして、元來ぐわんらいならば大學だいがくきを、大望たいもうありとしようして、幾何いくばくもなく日本ほんごくり、はじめは支那シナあそび、それから歐洲をうしうわたつて、六七ねん以前いぜんことあるひと佛京巴里フランスパリ大博覽會だいはくらんくわいで、かれ面會めんくわいしたとまでは明瞭あきらかだが、わたくし南船北馬なんせんほくば其後そのゝちつまびらかなる消息せうそくみゝにせず、たゞかぜのたよりに、此頃このごろでは、伊太利イタリーのさる繁華はんくわなるみなと宏大りつぱ商會しやうくわいてゝ、もつぱ貿易事業ぼうえきじげふゆだねてよし、おぼろながらにつたくのみ。
伊太利イタリー繁華はんくわなるみなとといへば、此處こゝ國中こくちう隨一ずゐいち名港めいかう子ープルス埠頭はとばから海岸通かいがんどうりへかけて商館しやうくわんかず幾百千いくひやくせん、もしや濱島はまじまこのみなとで、その商會しやうくわいとやらをいとなんでるのではあるまいかとおもうかんだので、じつくもつかむやうなはなしだが、まんが一もと旅亭やどや主人しゆじんんでいてると、果然くわぜん! 主人しゆじんわたくしとひみなまではせず、ポンと禿頭はげあたまたゝいて、
『オヽ、濱島はまじまさん※(疑問符感嘆符、1-8-77) よくぞんじてをりますよ、雇人やとひにんが一千にんもあつて、支店してんかずも十のゆび――ホー、そのたくですか、それはつて、あゝつて。』とくち手眞似てまねまどからくび突出つきだして
『あれ/\、あそこにへる宏壯りつぱな三がいいへ!』
天外てんぐわい萬里ばんり異邦ゐほうでは、初對面しよたいめんひとでも、おな山河やまかはうまれとけばなつかしきに、まして昔馴染むかしなじみ其人そのひとが、現在げんざいこのにありといてはたてたまらない、わたくしぐと身仕度みじたくとゝのへて旅亭やどやた。
旅亭やどや禿頭はげあたまをしへられたやうに、人馬じんば徃來ゆきゝしげ街道かいだう西にしへ/\とおよそ四五ちやうある十字街よつかどひだりまがつて、三軒目げんめ立派りつぱ煉瓦造れんぐわづくりの一構ひとかまへかどT. Hamashimaはまじまたけぶみ, としるしてあるのは此處こゝ案内あんないふと、見晴みはらしのよい一室ひとまとうされて、ほどもなく靴音くつおとたかつてたのはまさしく濱島はまじま! 十ねんあひかれには立派りつぱ八字髯はちじひげへ、その風采ふうさい餘程よほどちがつてるが相變あひかはらず洒々落々しや/\らく/\おとこ『ヤァ、柳川君やながはくんか、これはめづらしい、めづらしい。』としたにもかぬ待遇もてなしわたくししんから※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)うれしかつたよ。ひげへても友達ともだち同士どうしあひだ無邪氣むじやきなもので、いろ/\のはなしあひだには、むかしとも山野さんや獵暮かりくらして、あやまつ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、6-5]農家ひやくしやうや家鴨あひる射殺ゐころして、から出逢であつたはなしや、春季はる大運動會だいうんどうくわいに、かれわたくしとはおの/\くみ撰手チヤンピオンとなつて、必死ひつし優勝旗チヤンピオンフラグあらそつたことや、其他そのほかさま/″\の懷舊談くわいきうだんて、ときうつるのもらなかつたが、ふと氣付きづくと、當家このや模樣もやうなにとなくいそがしさうで、四邊あたり部室へやでは甲乙たれかれかたこゑかまびすしく、廊下ろうかはしひと足音あしおともたゞならずはやい、濱島はまじまむかしから沈着ちんちやくひとで、何事なにごとにも平然へいぜんかまへてるからそれとはわからぬが、いま珈琲カツヒーはこんで小間使こまづかひかほにもそのいそがしさがへるので、しや、今日けふ不時ふじ混雜中こんざつちうではあるまいかと氣付きづいたから、わたくしきふかほ
なにかおいそがしいのではありませんか。』とひかけた。
『イヤ、イヤ、けつして御心配ごしんぱいなく。』とかれ此時このとき珈琲カツヒー一口ひとくちんだが、悠々ゆう/\鼻髯びぜんひねりながら
なにね、じつ旅立たびだものがあるので。』
オヤ、何人どなた何處どこへと、わたくしはんとするよりさきかれくちひらいた。
とき柳川君やながはくんきみ當分たうぶんこのみなと御滯在おとまりでせうねえ、それから、西班牙イスパニヤはうへでもおまはりですか、それとも、さらすゝめて、亞弗利加アフリカ探險たんけんとでもお出掛でかけですか。』
『アハヽヽヽ。』とわたくしつむりいた。
『つい昔話むかしばなし面白おもしろさに申遲まうしおくれたが、じつ早急さつきふなのですよ、今夜こんや十一はん※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きせん日本くにかへ一方いつぱうなんです。』
『えい、きみも?。』とかれ見張みはつて。
矢張やはり今夜こんや十一はん出帆しゆつぱん弦月丸げんげつまるで?。』
左樣さやう殘念ざんねんながら、西班牙イスパニヤや、亞弗利加アフリカはう今度こんど斷念だんねんしました。』と、わたくしがキツパリとこたへると、かれはポンとひざたゝいて
『やあ、奇妙きめう々々。』
なに奇妙きめうなのだとわたくしいぶかかほながめつゝ、かれことばをつゞけた。
んと奇妙きめうではありませんか、これてん紹介ひきあはせとでもふものでせう、じつわたくし妻子さいしも、今夜こんや弦月丸げんげつまる日本につぽん皈國かへりますので。』
『え、きみ細君さいくん御子息ごしそく※(疑問符感嘆符、1-8-77)』とわたくし意外いぐわいさけ[#「口+斗」、8-11]んだ。十ねんあひあひだに、かれ妻子さいし出來できことなに不思議ふしぎはないが、じついまいままでらなんだ、いはんや其人そのひといま本國ほんごくかへるなどゝはまつた寢耳ねみゝみづだ。
濱島はまじまこゑたかわらつて
『はゝゝゝゝ。きみはまだわたくし妻子さいし御存ごぞんじなかつたのでしたね。これは失敬しつけい々々。』といそがはしく呼鈴よびりんらして、いりきたつた小間使こまづかひ
『あのね、おくさんにめづらしいお客樣きやくさまが……。』とつたまゝわたくしはう向直むきなほ
じつうなんですよ。』と小膝こひざすゝめた。
わたくしこのみなと貿易商會ぼうえきしやうくわい設立たて翌々年よく/\としなつ鳥渡ちよつと日本につぽんかへりました。其頃そのころきみ暹羅サイアム漫遊中まんゆうちゆううけたまはつたが、皈國中きこくちゆうあるひと媒介なかだちで、同郷どうきやう松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさいもとつまめとつてたのです。これはすでに十ねんからまへことで、其後そのゝちうまれた最早もはや八歳はつさいになりますが、さて、わたくし日頃ひごろのぞみは、自分じぶんうして、海外かいぐわい一商人いつしやうにんとしてつてるものゝ、小兒せうにけはどうか日本帝國につぽんていこく干城まもりとなる有爲りつぱ海軍々人かいぐん/″\じんにしてたい、それにつけても、日本人にほんじん日本にほん國土こくど教育けういくしなければしたがつ愛國心あいこくしんうすくなるとはわたくしふかかんずるところで、さいはつまあに本國ほんこく相當さうたう軍人ぐんじんであれば、其人そのひと手許てもとおくつて、教育けういく萬端ばんたん世話せわたのまうと、餘程よほど以前いぜんからかんがへてつたのですが、どうもしか機會きくわいなかつた。しかるに今月こんげつ初旬はじめ本國ほんごくからとゞいた郵便ゆうびんによると、つま令兄あになる松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさは、かね帝國軍艦高雄ていこくぐんかんたかを艦長かんちやうであつたが、近頃ちかごろ病氣びやうきめに待命中たいめいちゆうよし勿論もちろん危篤きとくといふほど病氣びやうきではあるまいが、つまたゞ一人ひとりあにであれば、あたことならみづか見舞みまひもし、ひさしぶりに故山こざんつきをもながめたいとの願望ねがひ丁度ちやうど小兒せうにのこともあるので、しからばこの機會をりにといふので、二人ふたり今夜こんやの十一はん弦月丸げんげつまる出發しゆつぱつといふことになつたのです。無論むろんつま大佐たいさ病氣びやうき次第しだいはやかれおそかれかへつてますが、ながく/\――日本帝國につぽんていこく天晴あつぱ軍人ぐんじんとしてつまでは、芙蓉ふようみねふもとらせぬつもりです。』と、かたをはつて、かれしづかにわたくしかほなが
『で、きみ今夜こんや御出帆ごしゆつぱんならば、ふねなかでも、日本につぽんかへつてのちも、何呉なにく御面倒ごめんどうねがひますよ。』
このはなし何事なにごと分明ぶんめいになつた。それにけても濱島武文はまじまたけぶみむかしながら壯快おもしろ氣象きしやうだ、たゞ一人ひとり帝國ていこく軍人ぐんじん養成ようせいせんがめに恩愛おんあいきづな斷切たちきつて、本國ほんごくおくつてやるとは隨分ずゐぶんおもつたことだ。また松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさ令妹れいまいなるかれ夫人ふじんにはまだ面會めんくわいはせぬが、兄君あにぎみ病床やまひ見舞みまはんがめに、暫時しばしでもその良君おつとわかれげ、いとけなたづさへて、浪風なみかぜあら萬里ばんりたびおもむくとは仲々なか/\殊勝しゆしようなる振舞ふるまひよと、こゝろひそかに感服かんぷくするのである。さらおもひめぐらすと此度このたび事件ことは、なにからなにまで小説せうせつのやうだ。海外かいぐわい萬里ばんりで、ふとしたことから昔馴染むかしなじみ朋友ともだち出逢であつたこと、それからわたくしこのみなとときは、あだかかれ夫人ふじん令息れいそくとが此處こゝ出發しゆつぱつしやうといふときで、申合まうしあはせたでもなく、おなときに、おなふねつて、これからすうげつ航海かうかいともにするやうな運命うんめい立到たちいたつたのは、じつ濱島はまじまふがごとく、これ不思議ふしぎなるてん紹介ひきあはせとでもいふものであらう、おもつて、暫時しばしある想像さうざうふけつてときたちま部室へやしづかにひらいていりきたつた二個ふたりひとがある。までもない、夫人ふじんその愛兒あいじだ。濱島はまじまつて
『これがわたくしつま春枝はるえ。』とわたくし紹介ひきあはせ、さら夫人ふじんむかつて、わたくしかれとがむかしおなじまなびのともであつたことわたくし今回こんくわい旅行りよかう次第しだい、またこれから日本につぽんまで夫人等ふじんら航海かうかいともにするやうになつた不思議ふしぎゆかり言葉ことばみじかかたると、夫人ふじんは『おや。』とつたまゝいとなつかしすゝる。としころ廿六七、まゆうるはしい口元くちもとやさしい丁度ちやうど天女てんによやう美人びじんわたくし一目ひとめて、この夫人ふじんその容姿すがたごとく、こゝろうるはしく、にも高貴けだか婦人ふじんおもつた。
一通ひとゝほりの挨拶あいさつをはつてのち夫人ふじん愛兒あいじさしまねくと、まねかれてをくするいろもなくわたくし膝許ひざもとちかすゝつた少年せうねん年齡としは八さい日出雄ひでをよし清楚さつぱりとした水兵すいへいふう洋服ようふく姿すがたで、かみ房々ふさ/″\とした、いろくつきりしろい、口元くちもと父君ちゝぎみ凛々りゝしきに眼元めもと母君はゝぎみすゞしきを其儘そのまゝに、るから可憐かれん少年せうねんわたくしはしなくも、昨夜ゆふべローマからの※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きしやなかんだ『小公子リツトルロー、トフオントルローイ』といふ小説せうせつちうの、あのあいらしい/\小主人公せうしゆじんこう聯想れんさうした。
日出雄少年ひでをせうねん海外かいぐわい萬里ばんりうまれて、父母ちゝはゝほかには本國人ほんこくじんことまれなることとて、いとけなこゝろにもなつかしとか、※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)うれしとかおもつたのであらう、そのすゞしいで、しげ/\とわたくしかほ見上みあげてつたが
『おや、叔父おぢさんは日本人につぽんじん!。』とつた。
わたくし日本人につぽんじんですよ、日出雄ひでをさんとおなじおくにひとですよ。』とわたくしいだせて
日出雄ひでをさんは日本人につぽんじんきなの、日本につぽんのおくにあいしますか。』とふと少年せうねん元氣げんきよく
『あ、わたくし日本につぽん大好だいすきなんですよ、日本につぽんかへりたくつてなりませんの[#「なりませんの」は底本では「なりせまんの」]、でねえ、毎日まいにち/\まるはたてゝ、まち[#「まちで」は底本では「まちて」]戰爭事いくさごつこをしますの、してねえ、まるはたつよいのですよ、何時いつでもつてばつかりますの。』
『おゝ、左樣さうでせうとも/\。』とわたくしあまりの可愛かあいさに少年せうねん頭上づじやうたかげて、大日本帝國だいにつぽんていこく萬歳ばんざいさけ[#「口+斗」、8-11]ぶと、少年せうねんわたくしつむりうへ萬歳々々ばんざい/″\小躍こをどりをする。濱島はまじま浩然かうぜん大笑たいせうした、春枝夫人はるえふじんほそうして
『あら、日出雄ひでをは、ま、どんなに※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)うれしいんでせう。』とつて、くれないのハンカチーフに笑顏えかほふた。

    第二回 こく
送別會――老女亞尼アンニー――ウルピノ山の聖人――十月の祟の日――黄金と眞珠――月夜の出港
 それから談話はなしにはまた一段いちだんはないて、日永ひながの五ぐわつそらもいつか夕陽ゆうひなゝめすやうにあつたので、わたくし一先ひとま暇乞いとまごひせんとをりて『いづれ今夜こんや弦月丸げんげつまるにて――。』とちかけると、濱島はまじま周章あはて押止おしとゞ
『ま、ま、おちなさい、おちなさい、いまから旅亭やどやかへつたとてなにになります。ひさしぶりの面會めんくわいなるを今日けふほどかたつて今夜こんや御出發ごしゆつぱつ是非ぜひわたくしいへより。』と夫人ふじんとも/″\せつすゝめるので、元來ぐわんらい無遠慮勝ぶゑんりよがちわたくしは、らば御意ぎよゐまゝにと、旅亭やどや手荷物てにもつ當家たうけ馬丁べつとうりに使つかはし、此處こゝから三人みたり打揃うちそろつて出發しゆつぱつすることになつた。
いろ/\のあつ待遇もてなしけたのちよるの八ごろになると、當家たうけ番頭ばんとう手代てだいをはじめ下婢かひ下僕げぼくいたるまで、一同いちどうあつまつて送別そうべつもようしをするさうで、わたくしまねかれてそのせきつらなつた。春枝夫人はるえふじんにすぐれて慈愛じひめるひと日出雄少年ひでをせうねん彼等かれらあひだ此上こよなくめでおもんせられてつたので、たれとて袂別わかれをしまぬものはない、しか主人しゆじん濱島はまじま東洋とうやう豪傑がうけつふうで、ことなどは大厭だいきらひ性質たちであるから一同いちどうそのこゝろんで、表面うはべなみだながものなどは一人ひとりかつた。イヤ、こゝたゞ一人いちにん特別とくべつわたくしとゞまつたものがあつた。それはせき末座まつざつらなつてつた一個ひとり年老としをいたる伊太利イタリー婦人ふじんで、このをんな日出雄少年ひでをせうねん保姆うばにと、ひさしき以前いぜんに、とほ田舍ゐなかから雇入やとひいれたをんなさうで、ひくい、白髮しらがあたまの、正直しやうじきさう老女らうぢよであるが、さきほどより愁然しゆうぜんかうべれて、丁度ちやうど死出しで旅路たびぢひとおくるかのごとく、しきりになみだながしてる。
わたくし何故なぜともなく異樣ゐやうかんじた。
『オヤ、亞尼アンニーがまたつまらぬことかんがへていてりますよ。』と、春枝夫人はるえふじん良人おつとかほながめた。
やがて、この集會つどひをはると、十間近まぢかで、いよ/\弦月丸げんげつまる乘船のりくみ時刻じこくとはなつたので、濱島はまじま一家族いつかぞくと、わたくしとはおな馬車ばしやで、おほくひと見送みおくられながら波止塲はとばきたり、其邊そのへんある茶亭ちやてい休憇きうけいした、此處こゝ彼等かれらあひだには、それ/\袂別わかれことばもあらうとおもつたので、わたくし氣轉きてんよく一人ひとりはなれて波打際なみうちぎはへとあゆした。
此時このときにふと心付こゝろつくと、何者なにものわたくしうしろにこそ/\と尾行びかうして樣子やうす、オヤへんだと振返ふりかへる、途端とたんそのかげまろぶがごとわたくし足許あしもとはしつた。ると、こは先刻せんこく送別そうべつせきで、たゞ一人ひとりいてつた亞尼アンニーべる老女らうぢよであつた。
『おや、おまへは。』とわたくし歩行あゆみめると、老女らうぢよいまきながら
賓人まれびとよ、おねがひでござります。』と兩手りやうてあはせてわたくしあほた。
『おまへ亞尼アンニーとかつたねえ、なんようかね。』とわたくししづかにふた。老女らうぢよむしのやうなこゑで『賓人まれびとよ。』と暫時しばしわたくしかほながめてつたが
『あの、わたくし奧樣おくさま日出雄樣ひでをさまとは今夜こんや弦月丸げんげつまるで、貴方あなた御同道ごどうだう日本につぽん御出發ごしゆつぱつになるさうですが、それを御べになること出來できますまいか。』とおそる/\くちひらいたのである。ハテ、めうことをんなだとわたくしまゆひそめたが、よくると、老女らうぢよは、何事なにごとにかいたこゝろなやまして樣子やうすなので、わたくしさからはない
左樣さうさねえ、もうばすこと出來できまいよ。』とかろつて
しかし、おまへ何故なぜ其樣そんななげくのかね。』と言葉ことばやさしくひかけると、この一言いちごん老女らうぢよすこしくかほもた
じつ賓人まれびとよ、わたくしはこれほどかなしいことはありません。はじめて奧樣おくさま日出雄樣ひでをさまが、日本にほんへおかへりになるとうけたまはつたとき本當ほんたう魂消たまぎえましたよ、しかしそれは致方いたしかたもありませんが、其後そのゝちよくうけたまはると、御出帆ごしゆつぱん時日じじつときもあらうに、今夜こんやの十一はん……。』といひかけてくちびるをふるはし
『あの、あの、今夜こんや十一はん御出帆ごしゆつぱんになつては――。』
なに今夜こんや※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きせん出發しゆつぱつすると如何どうしたのだ。』とわたくしまなこ※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはつた。亞尼アンニーむねかゞみてゝ
わたくし神樣かみさまちかつてまうしますよ、貴方あなたはまだ御存ごぞんじはありますまいが、大變たいへんことがあります。此事このこと旦那樣だんなさまにも奧樣おくさまにも毎度いくたび申上まうしあげて、何卒どうか今夜こんや御出帆ごしゆつぱんけは御見合おみあはくださいと御願おねがまうしたのですが、御兩方おふたりともたゞわらつて「亞尼アンニー其樣そんな心配しんぱいするにはおよばないよ。」とおほせあるばかり、すこしも御聽許おきゝにはならないのです。けれど賓人まれびとよ、わたくしはよくぞんじてります、今夜こんや弦月丸げんげつまるとかで御出發ごしゆつぱつになつては、奧樣おくさまも、日出雄樣ひでをさまも、けつして御無事ごぶじではみませんよ。』
無事ぶじまんとは――。』とわたくしおもはず釣込つりこまれた。
『はい、けつして御無事ごぶじにはみません。』と、亞尼アンニー眞面目まじめになつた、わたくしかほ頼母たのも見上みあげて
わたくし貴方あなたしんじますよ、貴方あなたけつしておわらひになりますまいねえ。』と前置まへおきをしてつた。
ウルピノさん聖人ひじりおつしやつたやうに、むかしから色々いろ/\口碑くちつたへのあるなかで、船旅ふなたびほど時日ときえらばねばならぬものはありません、凶日わるいひ旅立たびだつたひと屹度きつと災難わざはひ出逢であひますよ。これは本當ほんたうです、げんわたくし一人ひとりせがれも、七八ねん以前いぜんことわたくしせつめるのもかで、十ぐわつたゝり家出いへでをしたばかりに、つひおそろしい海蛇うみへびられてしまいました。わたくしにはよくわかつてますよ。奧樣おくさまとて日出雄樣ひでをさまとて今夜こんや御出帆ごしゆつぱんになつたらけつして御無事ごぶじではみません、はい、その理由わけは、今日けふは五ぐわつの十六にちでせう、して、今夜こんやの十一はんといふは、んとおそろしいでは御座ございませんか、刻限こくげんですもの。』
わたくしきながらプツとところであつた。けれど老女らうぢよすこしもかまはず
賓人まれびとよ、わらごとではありませぬ、こくといふのは、一年中いちねんちゆうでも一番いちばん不吉ふきつときなのです、ほか澤山たくさんあるのに、このこの刻限こくげん御出帆ごしゆつぱんになるといふのはんの因果いんぐわでせう、わたくしかんがへるとてもつてもられませぬ。其上そのうへわたくし懇意こんい船乘せんどうさんにいてますと、今度こんど航海かうかいには、弦月丸げんげつまる澤山たくさん黄金わうごん眞珠しんじゆとが積入つみいれてありますさうな、黄金わうごん眞珠しんじゆとがなみあら海上かいじやうあつまると、屹度きつとおそろしいたゝりいたします。あゝ、不吉ふきつうへにも不吉ふきつ賓人まれびとよ、わたくしこゝろ千分せんぶんいちでもおさつしになつたら、どうか奧樣おくさま日出雄樣ひでをさまたすけるとおもつて、今夜こんや御出帆ごしゆつぱんをおください。』とおがまぬばかりにあはせた。いてるとイヤハヤ無※ばか[#「(禾+尤)/上/日」、22-10]はなし! 西洋せいようでもいろ/\と縁起えんぎかたひとはあるが、この老女らうぢよのやうなのはまアめづらしからう。わたくし大笑おほわらひにわらつてやらうとかんがへたが、てよ、たとへ迷信めいしんでも、その主人しゆじんうへおもふことくまでふかく、かくも眞面目まじめものを、無下むげ嘲笑けなすでもあるまいと氣付きづいたので、げて可笑をかしさを無理むりこらえて
亞尼アンニー!。』と一聲いつせいびかけた。
亞尼アンニー! おまへことはよくわかつたよ、その忠實ちうじつなるこゝろをば御主人樣ごしゆじんさま奧樣おくさまもどんなにかおよろこびだらう、けれど――。』と彼女かのぢよかほなが
『けれどおまへことは、みんなむかしはなしで、いまではたゝりくなつたよ。』
『あゝ、貴方あなた矢張やはりわらひなさるのですか。』と亞尼アンニーはいとなさけなきかほまなこぢた。
『いや、けつしてわらふのではないが、其事そのこと心配しんぱいするにはおよばぬよ、奧樣おくさま日出雄少年ひでをせうねんも、わたし生命いのちにかけて保護ほごしてげる。』とつたが、亞尼アンニーほとんど絶望ぜつぼうきはまりなきかほ
『あゝ、もう無益だめだよ/\。』とすゝりきしながら、むつく立上たちあが
神樣かみさま佛樣ほとけさま奧樣おくさま日出雄樣ひでをさま御身おんみをおたすください。』とさけんだまゝ狂氣きやうきごとくにはしつた。
丁度ちやうど此時このとき休憩所きうけいしよでは乘船のりくみ仕度したくとゝのつたとへ、濱島はまじましきりにわたくしこゑきこえた。

    第三回 あやしふね
銅鑼の響――ビール樽の船長――白色の檣燈――古風な英國人――海賊島の奇聞――海蛇丸
 春枝夫人はるえふじんと、日出雄少年ひでをせうねんと、わたくしとが、おほく身送人みおくりにん袂別わかれげて、波止塲はとばから凖備ようい小蒸※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)こじようきせんで、はるかの沖合おきあひ停泊ていはくして弦月丸げんげつまる乘組のりくんだのはその[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、25-2]ぎ三十ぷん濱島武文はまじまたけぶみと、ほか三人みたりひと本船ほんせんまで見送みおくつてた。
この弦月丸げんげつまるといふのは、伊太利イタリー東方※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)船會社とうはうきせんくわいしや持船もちふねで、噸數とんすう六千四百。二ほん煙筒えんとうに四ほんマストすこぶ巨大きよだいふねである、此度このたび支那シナおよ日本につぽん各港かくかうむかつての航海こうかいには、おびたゞしき鐵材てつざいと、黄金わうごん眞珠等しんじゆなどすくなからざる貴重品きちやうひん搭載たうさいしてさうで、その船脚ふなあし餘程よほどふかしづんでえた。
弦月丸げんげつまる舷梯げんていたつすると、私共わたくしども乘船じやうせんことすで乘客じやうきやく名簿めいぼわかつてつたので、船丁ボーイはしつてて、いそがはしく荷物にもつはこぶやら、接待員せつたいゐんうや/\しくぼうだつして、甲板かんぱん混雜こんざつせる夥多あまたひと押分おしわけるやらして、吾等われらみちびかれてふね中部ちゆうぶちかき一とう船室せんしつつた。どの※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きせんでも左樣さうだが、おな等級とうきふ船室キヤビンうちでも、中部ちゆうぶ船室キヤビンもつとおほひとのぞところである。何故なぜかとへば航海中かうかいちゆうふね動搖どうえうかんずること比較的ひかくてきすくないためで、このへや占領せんりやうするためには虎鬚とらひげ獨逸人ドイツじんや、羅馬風ローマンスタイルはなたか佛蘭西人等フランスじんとう隨分ずゐぶん競爭者きようそうしや澤山たくさんあつたが、さいはひにもネープルスちゆうで「富貴ふうきなる日本人につぽんじん。」と盛名せいめい隆々りう/\たる濱島武文はまじまたけぶみ特別とくべつなる盡力じんりよくがあつたので、吾等われらつひこの最上さいじやう船室キヤビン占領せんりやうすることになつた。くわふるに春枝夫人はるえふじん日出雄少年ひでをせうねん部室へやわたくし部室へやとは隣合となりあつてつたので萬事ばんじいて都合つがうからうとおもはるゝ。
わたくし元來ぐわんらい膝栗毛的ひざくりげてき旅行りよかうであるから、なに面倒めんだうはない、手提革包てさげかばん一個ひとつ船室キヤビンなか投込なげこんだまゝ春枝夫人等はるえふじんら船室キヤビンおとづれた。此時このとき夫人ふじん少年せうねんひざせて、その良君をつとほか三人みたり相手あひて談話はなしをしてつたが、わたくし姿すがたるより
『おや、もうお片附かたづきになりましたの。』といつて嬋娟せんけんたる姿すがたいそむかへた。
『なあに、柳川君やながはくんには片附かたづけるやうな荷物にもつもないのさ。』と濱島はまじまこゑたかわらつて『さあ。』とすゝめた倚子ゐすによつて、わたくしこの仲間なかまいり最早もはや袂別わかれ時刻じこくせまつてたので、いろ/\の談話はなしはそれからそれとくるかつたが、兎角とかくするほどに、ガラン、ガラ、ガラン、ガラ、と船中せんちゆうまは銅鑼どらひゞきかまびすしくきこえた。
『あら、あら、あのおとは――。』と日出雄少年ひでをせうねんをまんまるにして母君はゝぎみやさしきかほあふぐと、春枝夫人はるえふじん默然もくねんとして、その良君をつとる。濱島武文はまじまたけぶみしづかに立上たちあがつて
『もう、袂別おわかれ時刻じこくになつたよ。』と三人みたり顧見かへりみた。
すべて、海上かいじやう規則きそくでは、ふね出港しゆつかうの十ぷん乃至ないし十五ふんまへに、船中せんちうまは銅鑼どらひゞききこゆるととも本船ほんせん立去たちさらねばならぬのである。で、濱島はまじま此時このとき最早もはやこのふねらんとてわたくしにぎりて袂別わかれ言葉ことばあつく、夫人ふじんにも二言ふたこと三言みことつたのち、その愛兒あいじをば右手めていだせて、その房々ふさ/″\とした頭髮かみのけでながら
日出雄ひでをや、おまへちゝとは、これから長時しばらくあひだわかれるのだが、おまへ兼々かね/″\ちゝふやうに、すぐれたひととなつて――有爲りつぱ海軍士官かいぐんしくわんとなつて、日本帝國につぽんていこく干城まもりとなるこゝろわすれてはなりませんよ。』とをはつて、少年せうねんだまつて點頭うなづくのをましやりつゝ、三人みたりうながして船室キヤビンた。
先刻せんこく見送みおくられた吾等われらいま彼等かれらこのふねよりおくいださんと、わたくし右手めて少年せうねんみちびき、流石さすが悄然せうぜんたる春枝夫人はるえふじんたすけて甲板かんぱんると、今宵こよひ陰暦いんれき十三深碧しんぺきそらには一ぺんくももなく、つき浩々かう/\わたりて、くはふるにはるかのおき停泊ていはくしてる三四そうぼうこく軍艦ぐんかんからは、始終しじゆう探海電燈サーチライトをもつて海面かいめんてらしてるので、そのあきらかなること白晝まひるあざむくばかりで、なみのまに/\浮沈うきしづんで浮標ブイかたちさへいとあきらかえるほどだ。
濱島はまじまふね舷梯げんていまでいたつたときいま此方こなた振返ふりかへつて、夫人ふじんとその愛兒あいじとのかほ打眺うちながめたが、なにこゝろにかゝることのあるがごとわたくしひとみてんじて
柳川君やながはくんらばこれにておわかまうすが、春枝はるえ日出雄ひでをこと何分なにぶんにも――。』とかれ日頃ひごろ豪壯がうさうなる性質せいしつには似合にあはぬまで氣遣きづかはしに、あだか何者なにもの空中くうちゆう力強ちからつようでのありて、かれこのとらるがごとくいとゞ立去たちさねてへた。これぞくむしらせとでもいふものであらうかと、のちおもあたつたが、此時このときはたゞ離別りべつじやうさこそとおもるばかりで、わたくし打點頭うちうなづき『濱島君はまじまくんよ、心豐こゝろゆたかにいよ/\さかたまへ、きみ夫人ふじん愛兒あいじ御身おんみは、この柳川やながは生命いのちにかけても守護しゆごしまいらすべし。』とこたへるとかれ莞爾につこ打笑うちえみ、こも/″\三人みたり握手あくしゆして、其儘そのまゝ舷梯げんていくだり、先刻せんこくから待受まちうけてつた小蒸※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)こじやうきせんうつすと、小蒸※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)こじやうきせんたちまなみ蹴立けたてゝ、波止塲はとばかたへとかへつてく、その仇浪あだなみ立騷たちさわほとり海鳥かいてう二三ゆめいて、うたゝ旅客たびゞとはらわたつばかり、日出雄少年ひでをせうねん無邪氣むじやきである
『あら、父君おとつさん單獨ひとり何處どこへいらつしやつたの、もうおかへりにはならないのですか。』と母君はゝぎみ纎手りすがると春枝夫人はるえふじん凛々りゝしとはいひ、女心をんなごゝろのそゞろにあはれもよほして、愁然しゆうぜん見送みおく良人をつと行方ゆくかたつき白晝まひるのやうにあきらかだが、小蒸※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)こじようきせんかたち次第々々しだい/\おぼろになつて、のこけむりのみぞなが名殘なごりとゞめた。
夫人おくさん、すこし、甲板デツキうへでも逍遙さんぽしてませうか。』とわたくし二人ふたりいざなつた。かくしづんでときには、にぎはしき光景くわうけいにてもながめなば、幾分いくぶんこゝろなぐさむるよすがともならんとかんがへたので、わたくし兩人ふたり引連ひきつれて、此時このときばんにぎはしくえた船首せんしゆかたうつした。
最早もはや出港しゆつかう時刻じこくせまつてこととて、此邊このへん仲々なか/\混雜こんざつであつた。かろ服裝ふくさうせる船丁等ボーイらちうになつてけめぐり、たくましき骨格こつかくせる夥多あまた船員等せんゐんら自己おの持塲もちば/\にれつつくりて、後部こうぶ舷梯げんていすで引揚ひきあげられたり。いましも船首甲板せんしゆかんぱんける一等運轉手チーフメート指揮しきしたに、はや一だん水夫等すいふら捲揚機ウインチ周圍しゆうゐあつまつて、つぎの一れいとも錨鎖べうさ卷揚まきあげん身構みがまへ船橋せんけううへにはビールだるのやうに肥滿ひまんした船長せんちやうが、あか頬髯ほゝひげひねりつゝ傲然がうぜんと四はう睥睨へいげいしてる。わたくし三々五々さん/\ごゞむれをなして、其處此處そここゝつてる、顏色いろ際立きはだつてしろ白耳義人ベルギーじんや、「コスメチツク」で鼻髯ひげけんのやうにかためた佛蘭西フランス若紳士わかしんしや、あまりにさけんでさけのためにはなあかくなつた獨逸ドイツ陸軍士官りくぐんしくわんや、其他そのほか美人びじん標本へうほんともいふ伊太利イタリー女俳優をんなはいゆうや、いろ無暗むやみくろ印度インドへん大富豪おほがねもち船客等せんきやくらあひだ立交たちまじらつて、この目醒めざましき光景くわうけい見廻みまはしつゝ、春枝夫人はるえふじんとくさ/″\の物語ものがたりをしてつたが、此時このとき不意ふいにだ、じつ不意ふいわたくし背部うしろで、『や、や、や、しまつたゾ。』と一度いちどさけ[#「口+斗」、32-5]水夫すゐふこゑ同時どうじものあり、甲板かんぱんちて微塵みじんくだけた物音ものおとのしたので、わたくしいそ振返ふりかへつてると、其處そこではいましも、二三の水夫すゐふ滑車くわつしやをもつて前檣ぜんしやうたかかゝげんとした一個いつこ白色燈はくしよくとう――それはふね航海中かうかいちゆう安全あんぜん進航しんかう表章ひやうしようとなるべき球形きゆうけい檣燈しやうとうが、なにかの機會はづみいとえんはなれて、檣上しやうじやう二十フヒートばかりのところから流星りうせいごと落下らくかして、あはやと船長せんちやうてる船橋せんけうあたつて、とう微塵みじんくだけ、燈光とうくわうはパツとえる、船長せんちやうおどろいてかわ拍子へうしあし踏滑ふみすべらして、船橋せんけう階段かいだんを二三だん眞逆まつさかさまちた。水夫すゐふどもは『あツ』とばかりかほいろかへた。船長せんちやう周章あはてゝ起上おきあがつたが、怒氣どき滿面まんめん、けれど自己おの醜態しゆうたいおここと出來できず、ビールだるのやうなはらてゝ、物凄ものすごまなこ水夫すゐふどもにらけると、此時このときわたくしかたはらにはひげながい、あたま禿はげた、如何いかにも古風こふうらしい一個ひとり英國人エイこくじんつてつたが、この活劇ありさまるより、ぶるぶる身慄みぶるひして
『あゝ、あゝ、縁起えんぎでもない、南無阿彌陀佛なむあみだぶつ! このふね惡魔あくまみいつなければよいが。』とつぶやいた。
えい。また御幣ごへいかつぎ! 今日けふんといふだらう。
勿論もちろん此樣こんなことにはなにふか仔細しさいのあらうはづはない。つまり偶然ぐうぜん出來事できごとには相違さうゐないのだが、わたくしなんとなく異樣ゐやうかんじたよ。たれでも左樣さうだが、戰爭いくさ首途かどでとか、旅行たび首途かどですこしでもへんことがあれば、多少たせうけずにはられぬのである。ことわが弦月丸げんげつまるいま萬里ばんり波濤はたうこゝろざして、おと名高なだか地中海ちちゆうかい紅海こうかい印度洋等インドやうとう難所なんしよすゝらんとするその首途かどでに、※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きせん安全あんぜん航行かうかう表章しるしとなるべき白色檣燈はくしよくしやうとう微塵みじんくだけて、その燈光ともしびえ、同時どうじに、このふね主長しゆちやうともいふべき船長せんちやう船橋せんけうより墮落ついらくして、こゝろ不快ふくわいいだき、かほ憤怒ふんぬさうあらはしたなど、ある意味いみからいふと、なにこの弦月丸げんげつまるわざはひおこその前兆ぜんてうではあるまいかと、どうも心持こゝちはしなかつたのである。無論むろん此樣こん妄想もうざうは、平生いつもならばもなく打消うちけされるのだが、今日けふ先刻せんこくから亞尼アンニーが、だのこくだのとつた言葉ことばや、濱島はまじま日頃ひごろ氣遣きづかはしなりし樣子やうすまでが、一時いちじこゝろうかんでて、非常ひじやうへん心地こゝちがしたので、むしこの立去たちさらんと、春枝夫人はるえふじん見返みかへると、夫人ふじんいま有樣ありさま古風こふうなる英國人エイこくじん獨言ひとりごとには幾分いくぶん不快ふくわいかんじたと
『あのともはうへでもいらつしやいませんか。』とわたくしうながしつゝ蓮歩れんぽ彼方かなたうつした。
やが船尾せんびかたると、此處こゝ人影ひとかげまれで、すで洗淨せんじようをはつて、幾分いくぶん水氣すゐきびて甲板かんぱんうへには、つきひかり一段いちだん冴渡さへわたつてる。
矢張やはりしづかなところございますねえ。』と春枝夫人はるえふじん此時このときさびしきえみうかべて、日出雄少年ひでをせうねんともにずつと船端せんたんつて、鐵欄てすりもたれてはるかなる埠頭はとばはうながめつゝ
日出雄ひでをや、あのむかふにえるたかやまおぼえておいでかえ。』と住馴すみなれし子ープルス市街まち東南とうなんそびゆるやまゆびざすと、日出雄少年ひでをせうねん
モリスざんでせう、わたくしはよつくおぼえてますよ。』とパツチリとした母君はゝぎみかほ見上みあげた。
『おゝ、それなら、あの電氣燈でんきとう澤山たくさんかゞやいて、おほきな煙筒けむりだしが五ほんも六ぽんならんでところは――。』
サンガローまち――おつかさん、わたくしいへ彼處あそこにあるんですねえ。』と少年せうねん兩手りようて鐵欄てすりうへせて
父君おとつさんはもううちへおかへりになつたでせうか。』
『おゝ、おかへりになりましたとも、そして今頃いまごろは、あの保姆ばあやや、番頭ばんとうスミスさんなんかに、おまへ温順おとなしくおふねつてことはなしていらつしやるでせう。』と言葉ことばやさしく愛兒あいじ房々ふさ/″\せる頭髮かみのけたまのやうなるほゝをすりせて、餘念よねんもなく物語ものがたる、これが夫人ふじんめには、唯一ゆいいつなぐさみであらう。かゝるやさしき振舞ふるまひさまたぐるは、こゝろなきわざおもつたから、わたくしわざ其處そこへはかず、すこはなれてたゞ一人ひとり安樂倚子アームチエヤーうへよこたへて、四方よも風景けしき見渡みわたすと、今宵こよひつきあきらかなれば、さしもにひろネープルスわん眼界がんかいいたらぬくまはなく、おぼろ/\にゆるイスチヤみさきには廻轉燈明臺くわいてんとうめうだいえつ、かくれつ、てんそびゆるモリスざんいたゞきにはまだのこんゆき眞白ましろなるに、つきひかりのきら/\と反射はんしやしてるなどはれず、港内かうない電燈でんとうひかり煌々くわう/\たる波止塲はとば附近ほとりからずつと此方こなたまで、金龍きんりうわしなみうへには、船艦せんかんうかこと幾百艘いくひやくさうふねふね前檣ぜんしやう白燈はくとう右舷うげん緑燈りよくとう左舷さげん紅燈こうとう海上法かいじやうはふまもり、停泊とゞまれるふね大鳥おほとり波上はじやうねむるにて、丁度ちやうどゆめにでもありさう景色けしき! わたくし此樣こん風景ふうけい今迄いまゝで幾回いくくわいともなくながめたが、今宵こよひはわけて趣味しゆみあるやうおぼえたのでまなこはなたず、それからそれとながめてうち、ふととまつた一つの有樣ありさま――それは此處こゝから五百米突メートルばかりの距離きより停泊ていはくしてる一そう※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)じようきせんで、いまぼうこく軍艦ぐんかんからの探海燈たんかいとう其邊そのへんくまなくてらしてるので、その甲板かんぱん裝置さうちなどもるやうにえる、このふね噸數とんすう一千とんくらゐ船體せんたい黒色こくしよくられて、二本にほん煙筒チム子ー二本にほんマスト軍艦ぐんかんでないことわかつてるが、商船しやうせんか、郵便船ゆうびんせんか、あるひ何等なにらかの目的もくてきいうしてふねそれわからない。勿論もちろん外形ぐわいけいあらはれてもなにいぶかしいてんはないが、すこしくわたくし異樣ゐやうおぼえたのは、さう噸數とんすう一千とんくらゐにしてはその構造かうざうあまりに堅固けんごらしいのと、またその甲板かんぱん下部したには數門すもん大砲等たいほうなど搭載つみこまれるのではあるまいか、その船脚ふなあし尋常じんじやうならずふかしづんでえる。いまその二本にほん烟筒えんとうからさかんに黒煙こくえんいてるのはすで出港しゆつかう時刻じこくたつしたのであらう、る/\船首せんしゆいかり卷揚まきあげられて、徐々じよ/\として進航しんかうはじめた。わたくし何氣なにげなく衣袋ポツケツトさぐつて、双眼鏡さうがんきやう取出とりいだし、あはせてほよくその甲板かんぱん工合ぐあひやうとする、丁度ちやうど此時このとき先方むかふふねでも、一個ひとり船員せんゐんらしいをとこが、船橋せんけううへから一心いつしん双眼鏡そうがんきやうふねけてつたが、不思議ふしぎだ、わたくし視線しせん彼方かなた視線しせんとがはしなくも衝突しようとつすると、たちま彼男かなた双眼鏡そうがんきやうをかなぐりてゝ、乾顏そしらぬかほよこいた。その擧動ふるまひのあまりに奇怪きくわいなのでわたくしおもはず小首こくびかたむけたが、此時このとき何故なにゆゑともれず偶然ぐうぜんにもむねうかんでひとつの物語ものがたりがある。それはわすれもせぬ去年きよねんあきことで、わたくし米國ベイこくから歐羅巴エウロツパわた航海中かうかいちうで、ふと一人ひとり英國イギリス老水夫らうすゐふ懇意こんいになつた。その[#ルビの「その」は底本では「たの」]老水夫らうすゐふがいろ/\の興味けうみあるはなしなかで、もつとふかわたくしこゝろきざまれてるのは、一番いちばんおそろしい航路かうろ印度洋インドやうだとうふ物語ものがたり亞弗利加洲アフリカしう東方ひがしのかたマダカッスルたうからも餘程よほどはなれて、ひとゆめにもらない海賊島かいぞくたうといふのがあるさうだ、無論むろん世界地圖せかいちづにはこと出來でき孤島こたうであるが、其處そこには獰猛どうまう鬼神きじんあざむ數百すうひやく海賊かいぞく一團體いちだんたいをなして、迅速じんそく堅固けんごなる七さう海賊船かいぞくせんうかべて、えず其邊そのへん航路かうろ徘徊はいくわいし、ときにはとほ大西洋たいせいやう[#「大西洋たいせいやうの」は底本では「太西洋たいせいやうの」]沿岸えんがんまでもふね乘出のりだして、非常ひじやう貴重きちやう貨物くわぶつ搭載とうさいしたふねると、たちまこれ撃沈げきちんして、にくよくたくましうしてるとのはなしして歐米をうべい海員かいゐん仲間なかまでは、此事このことらぬでもないが、如何いかにせん、この海賊かいぞく團體だんたい狡猾かうくわつなること言語げんごえて、そのきたるやかぜごとく、そのるもかぜごとく。海賊かいぞくども如何いかにして探知たんちするものかはらぬがそのねらさだめるふねは、つねだいとう貴重きちやう貨物くわぶつ搭載とうさいしてふねかぎかわりに、滅多めつたそのかたちあらはさぬためと、いま一つにはこの海賊かいぞくはい何時いつころよりか、をもつて歐洲をうしうぼう強國きやうこく結托けつたくして、年々ねん/\五千萬弗まんどるちか賄賂わいろをさめてために、かへつて隱然いんぜんたる保護ほごけ、をりふしそのふね貿易港ぼうえきかう停泊ていはくする塲合ばあひには立派りつぱ國籍こくせきいうするふねとして、その甲板かんぱんにはその強國きやうこく商船旗しようせんきひるがへして、傍若無人ぼうじやくむじん振舞ふるまつてよしじつしからぬはなしである。
わたくしいま二本にほん煙筒えんとう二本にほんマスト不思議ふしぎなるふねて、神經しんけい作用さようかはらぬがふとおもうかんだこのはなししかの老水夫らうすゐふげん眞實まことならば、此樣こんふねではあるまいか、その海賊船かいぞくせんといふのは、かく氣味きみわることだとおもつてうちに、あやしふねはだん/\と速力そくりよくして、わが弦月丸げんげつまる左方さはうかすめるやうに※去すぎさ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、41-4]とき本船ほんせんより射出しやしゆつする船燈せんとうひかりチラみとめたのはその船尾せんびしるされてあつた「海蛇丸かいだまる」の三、「海蛇丸かいだまる」とはたしかにかのふね名稱めいしやうである。る/\うちなみ蹴立けたてゝ、蒼渺そうびやう彼方かなたうせた。
『あゝ、めうだ/\、今日けふ何故なぜ此樣こんな不思議ふしぎことつゞくのだらう。』とわたくしおもはずさけんだ。
『おや、貴方あなた如何どうかなすつて。』と春枝夫人はるえふじん日出雄少年ひでをせうねんともおどろいて振向ふりむいた。
夫人ふじん!』とわたくしくちつたが、てよ、いま塲合ばあひ此樣こんはなし――むしわたくし一個人いつこじん想像さうざう[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、42-1]ぎないこと輕々かろ/″\しくかたつて、このうるはしきひとの、やさしきこゝろいためるでもあるまい、と心付こゝろづいたので
『いや、なんでもありませんよ、あはゝゝゝ。』とわざこゑたかわらつた。丁度ちやうど此時このとき甲板かんぱんには十一はんほうずる七點鐘てんしようひゞいて、同時どうじにボー、ボー、ボーツとあだか獅子しゝゆるやうな※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きてきひゞき、それは出港しゆつかう相圖あひづで、吾等われら運命うんめいたくする弦月丸げんげつまるは、つひ徐々じよ/″\として進航しんかうをはじめた。

    第四回 反古ほご新聞しんぶん
葉卷烟草シーガレツト――櫻木海軍大佐の行衞――大帆走船と三十七名の水夫――奇妙な新體詩――秘密の大發明――二點鐘カヽン々々
 灣口わんこうづるまで、わたくし春枝夫人はるえふじん日出雄少年ひでをせうねんとを相手あひて甲板上かんぱんじやうたゞずんで、四方よも景色けしきながめてつたが、其内そのうちネープルスかう燈光ともしびかすかになり、夜寒よざむかぜむやうにおぼえたので、つひ甲板かんぱんくだつた。
夫人ふじん少年せうねんとをその船室キヤビンおくつて、明朝めうてうちぎつて自分じぶん船室へやかへつたとき八點鐘はつてんしよう號鐘がうしようはいと澄渡すみわたつて甲板かんぱんきこえた。
『おや、もう十二!』とわたくし獨語どくごした。すでよるふかく、くわふるに當夜このよなみおだやかにして、ふねいさゝか動搖ゆるぎもなければ、船客せんきやく多數おほかたすでやすゆめつたのであらう、たゞ※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)機關じようききくわんひゞきのかまびすしきと、折々をり/\當番たうばん船員せんゐん靴音くつおとたか甲板かんぱん往來わうらいするのがきこゆるのみである。
わたくし衣服ゐふくあらためて寢臺ねだいよこたわつたが、何故なぜすこしもねぶられなかつた。船室キヤビン中央ちゆうわうつるしてある球燈きゆうとうひかり煌々くわう/\かゞやいてるが、どうも其邊そのへんなに魔性ませうでもるやうで、空氣くうきあたまおさへるやうにおもく、じつ寢苦ねぐるしかつた。諸君しよくん御經驗ごけいけんであらうが此樣こんときにはとてもねむられるものではない、いらだてばいらだほどまなこえてむねにはさま/″\の妄想もうざう往來わうらいする。
わたくしおもつてふたゝ起上おきあがつた。喫烟室スモーキングルームくも面倒めんだうなり、すこふね規則きそく違反ゐはんではあるが、此室こゝ葉卷シユーガーでもくゆらさうとおもつて洋服やうふく衣袋ポツケツトさぐりてたが一ぽんい、不圖ふとおもしたのは先刻せんこくネープルスかう出發しゆつぱつのみぎり、濱島はまじまおくつてれたかずある贈物おくりものうち、四かく新聞しんぶんつゝみは、しや煙草たばこはこではあるまいかとかんがへたので、いそひらいてると果然くわぜん最上さいじやう葉卷はまき! 『しめたり。』とてんじて、スパスパやりながら餘念よねんもなく其邊そのへん見廻みまわしてうちるといま葉卷はまきはこつゝんであつた新聞紙しんぶんし
『オヤ、日本につぽん新聞しんぶんだよ。』とわたくしおもはず取上とりあげた。
本國ほんごくでゝから二年間ねんかんたびからたびへと遍歴へんれきしてあるは、折々をり/\日本につぽん公使館こうしくわん領事館りようじくわんで、本國ほんこくめづらしき事件ことみゝにするほかは、日本につぽん新聞しんぶんなどをこときはめてまれであるから、わたくしじつなつかしくかんじた。いそしわのばしてると、これはすでに一ねんはんまへ東京とうけいぼう新聞しんぶんであつた。一ねんはんまへといへばわたくしがまだ亞米利加アメリカ大陸たいりく滯在たいざいしてつた時分じぶんことで、隨分ずいぶんふる新聞しんぶんではあるが、ふるくつてもんでもよい、故郷こきやうなつかしとおもふ一ねんに、はなたずんでゆくうちたちまいた一だん記事きじがあつた。それは本紙ほんしだいめんごと雜報ざつぽうであつた。
櫻木豫備海軍大佐の行衞==讀者どくしや記臆きおくせらるし、先年せんねんしゆ強力きやうりよくなる爆發藥ばくはつやく發明はつめいし、つゞいて浮標水雷ふへうすゐらい花環榴彈等くわくわんりうだんとう二三の軍器ぐんき有功いうこうなる改良かいりようほどこしたるをもつて、海軍部内かいぐんぶない其人そのひとありとられたる豫備海軍大佐櫻木重雄氏よびかいぐんたいささぐらぎしげをしは一昨年さくねん英國エイこくあそ歸朝きてう以來いらいふかくわだつるところあり、おどろ軍事上ぐんじじやう大發明だいはつめいをなして、我國々防上わがくにこくぼうじやう貢獻こうけんするところあらんと、かね工夫くふう慘憺さんたんよしほのかみゝにせしが、此度このたびいよ/\じゆくしけん、あるひおもんぱかところありてにや、本月ほんげつ初旬しよじゆん横濱よこはまぼう商船會社しやうせんくわいしやよりなみ江丸えまるといへる一だい帆走船ほまへせんあがなひ、ひそかに糧食りようしよく石炭せきたん氣發油きはつゆう※卷蝋くわけんらう[#「渦」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、46-5]鋼索こうさく化學用くわがくようしよ劇藥げきやく其他そのほか世人せじん到底たうてい豫想よさうがた幾多いくた材料ざいりよう蒐集中しうしふちうなりしが、何時いつとも吾人われら氣付きづかぬその姿すがたかくしぬ。櫻木大佐さくらぎたいさその姿すがたかくすとともにかの帆走船ほまへせんその停泊港ていはくかうらずなり、あはせて大佐たいさ年來ねんらい部下ぶかとしてかみごとおやごとくに服從ふくじゆうせる三十七めい水兵すゐへいその姿すがたうしなひたりといへば、おもふに大佐たいさ暗夜あんやじようじて、ひそかにその部下ぶか引連ひきつ本邦ほんぽうをば立去たちさりしものならん、此事このこと海軍部内かいぐんぶないおいてもきはめて秘密ひみつとするところにして、何人なんぴとその行衞ゆくえものなし、たゞ心當こゝろあたりともきは、昨夕さくゆう横濱よこはま入港にふかうせし英國エイこくぼう郵船ゆうせんは四五にちぜん夜半やはんきたボル子ヲたう附近ふきんにて日本につぽん國旗こくきかゝげし一だい帆走船ほまへせんみとめしよしにて、そのふね形状等けいじようとうあだか大佐たいさ帆走船ほまへせん似寄によりたるところあれば、その航路かうろりて支那海シナかい[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、47-3]印度洋インドやう方面はうめんすゝみしにあらずやとのうたがひあり、もとより今回こんくわい企圖くわだて秘中ひちう秘事ひじにして、到底たうてい測知そくちきにあらざれども、にもかくにも非凡ひぼん智能ちのう遠大えんだい目的もくてきとをいうすることなれば、何時いつ意外いぐわい方面はうめんより意外いぐわい大功績だいこうせきもたらしてふたゝ吾人ごじん眼前がんぜんあらはれきたるやもからず、刮目くわつもくしてきなり。== 云々うんぬん
何等なにら關係くわんけいはなくとも、かる記事きじんだひと多少たせうこゝろうごかすであらう。ことわたくし櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさとは面識めんしき間柄あひだがらで、數年すねんぜんことわたくしがまだ今回こんくわい漫遊まんゆうのぼらぬ以前いぜん、あるなつ北海道旅行ほくかいだうりよかうくわだてたとき横濱よこはまから凾館はこだておもむ※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きせんなかで、はからずも大佐たいさ對面たいめんしたことがある。其頃そのころ大佐たいさ年輩としごろ三十二三、威風ゐふう凛々りん/\たる快男子くわいだんしで、その眼光がんくわう烱々けい/\たると、その音聲おんせい朗々ろう/\たるとは、如何いかにも有爲いうゐ氣象きしやう果斷くわだん性質せいしつんでるかをおもはしめた。其人そのひといま新聞しんぶん題目だいもくとなつて世人よのひといぶか旅路たびぢこゝろざしたといふ、その行先ゆくさき何地いづこであらう、その目的もくてきなんであらう。軍事上ぐんじじやう大發明だいはつめい――一だい帆走船ほまへせん――三十七めい水兵すゐへい――化學用くわがくよう藥品やくひん是等これらからおもあはせるとおぼろながらも想像さうぞう出來できことはない。いま世界せかい各國かくこくたがひへいみがき、こと海軍力かいぐんりよくには全力ぜんりよくつくして英佛露獨エイフツロドクわれをとらじと權勢けんせいあらそつてる、しかして目今もくこんその權力けんりよく爭議さふぎ中心點ちゆうしんてんおほ東洋とうやう天地てんちで、支那シナごと朝鮮テウセンごときはえずその侵害しんがいかふむりつゝある、此時このときあたつて、東洋とうやう覇國はこくともいふわが大日本帝國だいにつぽんていこくそのところじつおもく一ぱう東洋とうやう平和へいわたもたんがめ、他方たはうすくなくとも我國わがくに威信ゐしんそんせんがめには非常ひじやう决心けつしん實力じつりよくとをえうするのである。しかるも我國わがくに財源ざいげんにはかぎりあり、兵船へいせん増加ぞうかにも限度げんどあり、くにおもふの日夜にちや此事このこと憂慮ゆうりよし、えず此點このてんむかつてさくこうじてる。櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ元來ぐわんらい愛國あいこく慷慨かうがいひとかつ北海ほくかい※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きせん面會めんくわいしたときも、談話だんわこゝおよんだときかれはふと衣袋ポツケツトそこさぐつて、昨夜さくや旅亭りよてい徒然つれ/″\つくつたのだとつて、一ぺん不思議ふしぎ新體詩しんたいししめされた。たけ武人ものゝふ風流ふうりうみちは、また格別かくべつ可笑をかしいではないか。
そのうだ。
つきたかく、かぜねむれる印度洋インドやう。 かゞみごとうみおもに。
 にはかおこみづけぶり。 ※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)げいがくえ、りようをどる※[#感嘆符三つ、49-9]

よ、巨浪なみいかりててん※(「如/手」、第4水準2-13-8)き。 黒雲こくうんひくうみる。
 きらめくはいなづまか、とゞろくはいかづちか。 砲火ほうくわ閃々せん/\砲聲ほうせい殷々いん/\
よ、硝煙せうえんうちをぬけ。 つきひかりがほに。
 波濤はたうりて數百すうひやくの。 艨艟まうしやうはたきてぐ。
のがるゝ※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)げいがく飛龍ひりう!。 飛龍ひりういさ※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)げいがくは。
 青息あほいきならぬ黒烟こくえんを。 きてかげをばかくしけり。

かの※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)げいがくぞ、てんはて。 はたかくいたまで
 およ波濤はたうつところ。 およ珍寳ちんぽうるところ。
やまなすなみふねとなし。 千里せんりかぜとなして。
 跳梁跋扈てうりやうばつこらぬ。 かの歐洲をうしう聯合艦隊れんがふかんたい[#感嘆符三つ、50-8]

飛龍ひりう[#ルビの「ひりう」は底本では「ひりよう」]なにぞ、東洋とうやうの。 鎖鑰さやくにぎ日出につしゆつの。
 ひかりうみかゞやかす。 そのたか日本艦隊につぽんかんたい[#感嘆符三つ、50-10]

それ日本につぽん東洋とうやうの。 飛龍ひりうたる一小邦いつせうはう
 それ歐洲をうしうは、げいよりも。 はた※(「魚+王の中の空白部に口が四つ」、第3水準1-94-55)がくよりもいとたけき。
     宇内うだい睥睨にらむ。 一大いちだいしう

いぶかしや。
 だいやぶれて、せうつ。 何故なにゆゑ※(疑問符感嘆符、1-8-77)

け。 敗將はいしやうふところ。
 艦橋かんけうのぼき。 ほしあほぎてたんずらく。
  われ百萬ひやくまん巨艦きよかんあり。 雲霞うんかごと將士しやうしあり。
   ほうあり。 けんあり。 火藥くわやくあり。
なんおそれむ日本海軍につぽんかいぐん。 あきごとく。
 海屑もくづとなさんいきほひに。 すゝむや、エイフツドクかん

おもひきや。  日本につぽん不思議ふしぎ魔力まりよくあり。
 これ。 俄砲ガツトリングほうか。 あらず。
 シエルブル水雷艇すゐらいていか。 あらず。
いまず。 いまかざる大軍器だいぐんき[#感嘆符三つ、52-6]
 かぜのごとくきたり。 かぜのごとくり。
しやち魚群ぎよぐんごとく。 エレキものつごとく。
 よ、わが艦隊かんたい粉韲うちくだく、 電光石火でんくわうせきくわ大魔力だいまりよく[#感嘆符三つ、52-9]

あゝ、 おそるべし。 おそるべし。
 りうねむれる日本海につぽんかい。 黒雲こくうんべる東洋とうやうの。
  そらつんざひかり。 うみひそめる大軍器だいぐんき[#感嘆符三つ、53-2]

やう文句もんくで、隨分ずゐぶん奇妙きめうな、おそらくは新派しんぱ先生せんせい一派いつぱから税金ぜいきん徴收とりさうなではあつたが、つきあきらかに、かぜきよ※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きせん甲板かんぱんにて、大佐たいさ軍刀ぐんたうつか後部うしろまはし、その朗々らう/\たる音聲おんせいにて、しようきたしようつたときには、わたくしおもはず快哉くわいさいさけ[#「口+斗」、53-6]んだよ。勿論もちろん其時そのときべつこゝろにもめなかつたが、いまになつてはじめてそれとおもあたふしいでもない。
なにもあれこの反古ほご新聞しんぶん記事きじによると、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさこの秘密ひみつなる旅行りよかうくはだてたのはすでに一ねんはん以前いぜんことで、まへにもいふとうわたくしがまだ亞米利加アメリカ[#「亞米利加アメリカの」は底本では「亞利利加アメリカの」]大陸たいりく漫遊まんゆうしてつた時分じぶんことで、其後そのゝちわたくしえずたびからたびへと遍歴へんれきしてつたので、この珍聞ちんぶんつたのもいまはじめてであるが、あゝ、大佐たいさ其後そのゝち如何いかにしたであらう、つひその目的もくてきたつしてふたゝ日本につほんかへつたであらうか。櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさその性質せいしつからいつても、かゝる擧動きよどうでたのはおほいするところがあつたに相違さうゐない。してかれは一くわだてたことその目的もくてきたつするまではまぬひとであるから、大佐たいさふたゝ此世このよあらはれてときにはかなら絶大ぜつだい功績こうせきもたらしてことうたがひもない、されば櫻木大佐さくらぎたいさふたゝ日本につぽんかへつたものとすれば、その勳功くんこう日月じつげつよりもあきらかにかゞやきて、如何いかわたくしたびからたびへと經廻へめぐつてるにしてもその風聞ふうぶんみゝたつせぬことはあるまい、しかるに今日こんにちまで幾度いくたび各國市府かくこくしふ日本公使館につぽんこうしくわん領事館りやうじくわんおとづれたが、一もそれとおぼしき消息せうそくみゝにせぬのは、大佐たいさその行衞ゆくゑくらましたまゝあらはれてなによりの證據しようこ。あゝ、大佐たいさ其後そのご何處いづこ如何どうしてるだらうとかんがへるとまた種々さま/″\想像さうざういてる。
此時このときだい點鐘てんしようカン、カンとる。((船中の號鐘は一點鐘より八點鐘まで四時間交代なり)
『おや、とう/\一になつた。』とわたくし欠伸あくびした。何時いつまでかんがへてつたとて際限さいげんのないことつは此樣こんなかすのは衞生上ゑいせいじやうにもきわめてつゝしことおもつたのでわたくしげん想像さうぞう材料ざいりようとなつて古新聞ふるしんぶんをば押丸おしまろめて部室へや片隅かたすみ押遣おしやり、いて寢臺ねだいよこたはつた。はじめあひだ矢張やはりあたまめうで、先刻せんこくおなやうにいろ/\の妄想まうざうしてもしてもむねうかんでて、こく――亞尼アンニーかほ――微塵みじんくだけた白色檣燈はくしよくしようとう――あやしふね――双眼鏡さうがんきやうなどがかはる/\ゆめまぼろしと腦中のうちゆうちらついてたが、何時いつ晝間ひる疲勞つかれに二號鐘がうしようかぬうち有耶無耶うやむやゆめちた。

    第五回 「ピアノ」と拳鬪けんとう
船中の音樂會――鵞鳥聲の婦人――春枝夫人の名譽――甲板の競走――相撲――私の大閉口――曲馬師の虎
 翌朝よくあさ銅鑼どらおどろ目醒めさめたのは八三十ぷんで、海上かいじやう旭光あさひ舷窓げんさうたうして鮮明あざやか室内しつないてらしてつた。船中せんちゆう三十ぷん銅鑼どら通常つうじやう朝食サツパー報知しらせである。
『や、寢※ねす[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、56-7]ぎたぞ。』といそ飛起とびおき、衣服ゐふくあらため、櫛髮くしけづりをはつて、急足いそぎあし食堂しよくどうると、壯麗さうれいなる食卓しよくたく正面しようめんにはふね規則きそくとしてれいのビールだる船長せんちやう威儀ゐぎたゞして着席ちやくせきし、それより左右さゆう兩側りやうがわに、エイフツドクハク伊等イとう各國かくこく上等じやうとう船客せんきやくいづれも美々びゞしき服裝ふくさうして着席ちやくせきせる其中そのなかまじつて、うるはしき春枝夫人はるえふじん可憐かれん日出雄少年ひでをせうねんとの姿すがたえた。少年せうねんわたくしるよりいとなつかし倚子ゐすからつて『おはよう。』とばかり可愛かあいらしきかうべれた。『好朝おはよう。』とわたくしかろ會釋えしやくしてそのかたはら[#ルビの「かたはら」は底本では「からはら」]すゝり、なにとなく物淋ものさびえた春枝夫人はるえふじんまなこてん
夫人おくさん昨夜ゆふべ御安眠ごあんみんになりましたか。』とふと、夫人ふじんかすかなえみうか
『イエ、このはよくねむりましたが、わたくしふねれませんので。』とこたふ。さもありぬべし、ゆきあざむほうへん幾分いくぶん蒼色あをみびたるは、たしかに睡眠ねむりらぬことしようしてる。船中せんちゆうあさ食事しよくじは「スープ」のほか冷肉れいにく、「ライスカレー」、「カフヒー」それに香料にほひつた美麗うるはしき菓子くわし其他そのほか「パインアツプル」とうきはめて淡泊たんぱく食事しよくじで、それがむと、日出雄少年ひでをせうねんなによりさき甲板かんぱん目指めざしてはしつてくので、夫人ふじんわたくしそのあとつゞいた。
甲板かんぱんると、弦月丸げんげつまる昨夜ゆふべあひだカプリとうおき[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、58-1]ぎ、いまリコシアみさきなゝめ進航しんかうしてる、季節せつは五ぐわつ中旬なかばあつからずさむからぬ時※じこう[#「候」の「ユ」に代えて「工」、58-3]くはふるに此邊このへんたい風光ふうくわう宛然えんぜんたる畫中ぐわちゆうけいで、すでに水平線上すゐへいせんじやうたかのぼつた太陽たいよう燦爛さんらんたるひかりみづおとして金波きんぱ洋々やう/\たるうみおもには白帆はくはんかげてんてんそのあひだ海鴎かいおう長閑のどかむらがんで有樣ありさまなどは自然しぜんこゝろさはやかになるほどで、わたくし昨夕ゆふべ以來いらいのさま/″\の不快ふくわい出來事できごとをばあらつたやうわすれてしまつた。春枝夫人はるえふじんもいと晴々はれ/″\しき顏色がんしよくで、そよ/\とみなみかぜびんのほつれはらはせながら餘念よねんもなく海上かいじやうながめてる。日出雄少年ひでをせうねん特更ことさら子供心こどもごゝろ愉快ゆくわい愉快ゆくわいたまらない、丁度ちやうど牧塲まきばあそ小羊こひつじのやうに其處此處そここゝとなくんであるいて、折々をり/\わたくしそばはしつてては甲板かんぱんうへ裝置さうちされた樣々さま/″\船具せんぐについて疑問ぎもんおこし、また母君はゝぎみうでにすがつてはるかにゆる島々しま/″\ゆびざし『あれは子ープルスいへの三がいからへるエリノしまにそのまんまですこと此方こなたのはあたま禿げた老爺おぢいさんがさかなつてかたちによくますねえ。』などゝいとたのえた。
やうやたかく、かぜすゞしく、ふね進行すゝみのやうである。わたくし甲板かんぱん安樂倚子あんらくゐすをよせて倩々つら/\かんがへた。昨日きのふまでは經廻へめぐ旅路たびいくときたのしきときかたらふひととては一人ひとりもなく、あした明星めうぜうすゞしきひかりのぞみ、ゆふべ晩照ゆふやけ華美はなやかなる景色けしきながむるにもたゞ一人ひとりわれ吾心わがこゝろなぐさむるのみであつたが、昨日きのふはからずも天外てんぐわい萬里ばんりわが同胞どうほうにめぐりひ、あだかてんのなせるがごと奇縁きえんにていま優美やさし春枝夫人はるえふじん可憐かれんなる日出雄少年等ひでをせうねんらおなふねおな故國ふるさとかへるとはなにたる幸福しあはせであらう。今度こんどこの弦月丸げんげつまる航海かうかいには乘客じやうきやくかずは五百にんちか船員せんゐんあはせると七百にん以上いじやう乘組のりくみであるが、其中そのなか日本人につぽんじんといふのは夫人ふじん少年せうねんわたくしとの三めいのみ、この不思議ふしぎなるえんむすばれし三人みたりこれから海原うなばらとほ幾千里いくせんり、ひとしくこのふね運命うんめいたくしてるのであるが、てん冥加めうがといふものがるならばちかきに印度洋インドやうすぐ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、60-3]とき支那海シナかいときにも、今日けふごと浪路なみぢおだやかに、やがあひとも※去くわこ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、60-4]平安へいあんいはひつゝ芙蓉ふようみねあふこと出來できるやうにと只管ひたすらてんいのるのほかはないのである。
ネープルスかうから海路かいろすう多島海たたうかい[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、60-7]ぎ、地中海ちちゆうかいり、ポートセツトにて石炭せきたんおよ飮料水ゐんりようすゐ補充ほじうして、それより水先案内みづさきあんないをとつてスエス地峽ちけう[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、60-9]ぎ、往昔むかしから世界せかいだい一の難所なんしよ航海者かうかいしやきもさむからしめた、紅海こうかいめい死海しかいばれたる荒海あらうみ血汐ちしほごと波濤なみうへはしつて、右舷うげん左舷さげんよりながむる海上かいじやうには、此邊このへん空氣くうき不思議ふしぎなる作用さようにて、とほしまちかえ、ちかふねかへつとほえ、其爲そのため數知かずし[#ルビの「かずし」は底本では「かずす」]れず不測ふそくわざはひかもして、この洋中やうちゆう難破なんぱせる沈沒船ちんぼつせん船體せんたいすで海底かいていちて、名殘なごり檣頭しやうとうのみ波間はかん隱見いんけんせるその物凄ものすご光景くわうけいとふらひつゝ、すゝすゝんでつひ印度洋インドやう海口かいこうともいふアデンわんたつし、はるかにソコトラじま煙波えんぱ縹茫へうぼうたるおきのぞむまで、大約たいやく週間しうかん航路かうろ毎日まいにち毎日まいにち天氣てんき晴朗せいらうで、海波かいは平穩おだやかで、十數年すうねんらいなみまくらわた水夫すゐふども未曾有みそういうかう航海かうかいだとかたつたほどで、したがつ其間そのあひだには格別かくべつしるほどこともない。たゞ二つ三つ記臆きおくとゞまつてるのはかゝ平和へいわあひだにも不運ふうんかみこのふね何處いづこにか潜伏ひそんでつたとえ、ふねメシナ海峽かいけういでんとするとき一人ひとり船客せんきやく海中かいちゆうげて無殘むざん最後さいごげたことと、下等船客かとうせんきやくいち支那人シナじんはまだ伊太利イタリー領海りやうかいはなれぬ、ころよりくるしきやまひおかされてつひカンデイアじまセリゴじまとのあひだ死亡しぼうしたために、海上かいじやう規則きそく船長せんちやう以下いか澤山たくさん船員せんゐん甲板かんぱんあつまつて英國エイこくの一宣教師せんけうし引導いんだうもとその死骸しがいをば海底かいていはうむつてしまつたことと、是等これらきはめて悲慘ひざん出來事できごとであるが、ほか愉快ゆくわいことも二つ三ついでもない。
何處どこでもなが航海かうかいでは船中せんちゆう散鬱うさばらしにと、茶番ちやばん演劇えんげき舞踏ぶたうもようしがある。こと歐洲をうしう東洋とうやうとのあひだ全世界ぜんせかいもつとなが航路かうろであればかゝ凖備じゆんびは一そうよくとゝなつてる。この弦月丸げんげつまるにもしば/\そのもようしがあつて私等わたくしら折々をり/\臨席りんせきしたが、あること電燈でんとうひかりまばゆき舞踏室ぶたうしつでは今夜こんやめづらしく音樂會おんがくくわいもようさるゝよしで、幾百人いくひやくにん歐米人をうべいじんおいわかきも其處そこあつまつて、狂氣きやうきのやうにさはいでる。禿頭はげあたま佛蘭西フランス老紳士らうしんし昔日むかし腕前うでまへせてれんとバイオリンつてくかかぬにうたきよくをハツタとわすれて、あたまで/\罷退まかりさがるなど隨分ずゐぶん滑※的こつけいてき[#「(禾+尤)/上/日」、62-10]こともあるが、大概たいがいうでおぼえの歐米人をうべいじんこととて、いづれも得意とくいきよく調しらべてはたがひ天狗てんぐはなたかめてる。わたくし春枝夫人はるえふじんこのせきつらなつたときには丁度ちやうどある年増としま獨逸ドイツ婦人ふじんがピアノの彈奏中だんそうちゆうであつたが、この婦人ふじんきはめて驕慢けうまんなる性質せいしつえて、彈奏だんそうあひだ始終しゞうピアノだいうへから聽集きゝてかほ流盻ながしめて、をりふし鵞鳥がてうのやうなこゑうたうた調しらべは左迄さまで妙手じやうずともおもはれぬのに、うた當人たうにん非常ひじやう得色とくしよくで、やがて彈奏だんそうをはると小鼻こばなうごめかし、孔雀くじやくのやうにもすそひるがへしてせきかへつた。このつぎ如何いかなるひとるだらうと、わたくし春枝夫人はるえふじんかたりながら一ぽう倚子ゐすりてながめてつたが、暫時しばらく何人たれない、大方おほかたいま鵞鳥聲がてうごゑ婦人ふじんめに荒膽あらぎも[#「抜」の「友」に代えて「ノ/友」、63-8]かれたのであらう。たちまる一英國人エイこくじんはつか/\と私共わたくしどもまへすゝつて。大聲おほごゑ
『サア、今度こんど貴方等あなたがた順番じゆんばんです、日本につぽん代表者だいひやうしやとしてなにかおやりなさい。』とわめく、滿塲まんじやう一度いちど拍手はくしゆした。
南無三なむさん。」とわたくし逡巡しりごみした。おほく白晢はくせき人種じんしゆあひだ人種じんしゆちがつた吾等われら不運ふうんにも彼等かれらとまつたのである。わたくし元來ぐわんらい無風流ぶふうりうきはまるをとこなのでこの不意打ふいうちにはほと/\閉口へいこうせざるをない。春枝夫人はるえふじんしきりに辭退じたいしてつたが彼男かのをとこも一たんしたこととて仲々なか/\あとへは退かぬ。幾百いくひやくひと益々ます/\拍手はくしゆする。此時このときたちまわたくし横側よこがは倚子ゐすしきりに嘲笑あざわらつてこゑ、それはれい鷲鳥聲がてうごゑ婦人ふじんだ。
なにね、いくらつたつて無益だめでせうよ、こととか三味線さみせんとか私共わたくしどもこともない野蠻的やばんてき樂器がくきほかにしたこと日本人につぽんじんなどに、如何どうして西洋せいやう高尚かうしよううたうたはれませう。』などゝわざきこえよがしにならんで腰掛こしかけてとしわかをとこ耳語さゝやいてるのだ。
不埓ふらちをんなめツ」とわたくしくちびるんだ、が、悲哉かなしやわたくし其道そのみちにはまつたくの無藝むげい太夫たゆう。あゝ此樣こんことつたら何故なぜ倫敦ロンドンへん流行歌はやりうた一節ひとふしぐらいはおぼえてかなかつたらうとくやんだが追付おひつかない、あまりの殘念くやしさに春枝夫人はるえふじんかほると、夫人ふじんいま嘲罵あざけりみゝにして多少たせうこゝろげきしたとへ、やなぎまゆかすかにうごいて、そつとわたくしむかひ『なにかやつてませうか。』といふのはうでおぼえのあるのであらう、わたくしだまつて點頭うなづくと夫人ふじんしづか立上たちあがり『皆樣みなさまのおみゝけがほどではありませんが。』とともなはれてピアノだいうへのぼつた。たちま盤上ばんじやうたままろばすがごとひゞき、ピアノにかみ宿やどるかとうたがはるゝ、そのたへなる調しらべにつれてうたいだしたる一曲ひとふしは、これぞ當時たうじ巴里パリー交際かうさい境裡じやうり大流行だいりうかうの『きくくに乙女おとめ』とて、すぢ日本につぽんうるはしき乙女おとめ舞衣まひぎぬ姿すがたが、月夜げつやセイヌかは水上みなか彷徨さまよふてるといふ、きはめて優美ゆうびな、またきはめて巧妙こうめう名曲めいきよく一節ひとふし、一は一よりはなやかに、一だんは一だんよりおもしろく、天女てんによ御空みそらふがごと美音びおんは、こゝろなき壇上だんじやうはなさへさへゆるぐばかりで、滿塲まんじやうはあつとつたまゝみづつたやうしづまりかへつた。
その調しらべがすむと、たちまくづるゝごと拍手はくしゆのひゞき、一だん貴女きぢよ神士しんしははやピアノだいそばはしつて、いましづかに其處そこくだらんとする春枝夫人はるえふじん取卷とりまいて、あらゆる讃美さんびことばをもつて、このめづらしき音樂おんがく妙手めうしゆ握手あくしゆほまれんと※(「口+曹」、第3水準1-15-16)ひしめくのである。かの鵞鳥がてうこゑ婦人ふじんくちあんぐり、眞赤まつかになつて白黒しろくろにしてる、さだめて先刻せんこく失言しつげんをば後悔こうくわいしてるのであらう。こののピアノのひゞきは、いまわたくしみゝのこつて、※去くわこ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、66-7]出來事できごとうちもつと壯快さうくわいことの一つにかぞへられてるのである。
其他そのほか面白おもしろこと隨分ずゐぶんあつた。音樂會おんがくくわい翌々日よく/\じつことで、ふね多島海たたうかいおきにさしかゝつたときおほく船客せんきやく甲板かんぱん集合あつまつて種々いろ/\遊戯あそびふけつてつたが、其内そのうちたれかの發起はつき徒競走フートレースはじまつた。今日こんにち世界せかい最大さいだいふねながさ二百三十ヤード、すなはちやうにして二ちやうゆるものもある、本船ほんせんごときもその一で、競走レース前部甲板ぜんぶかんぱんから後部甲板こうぶかんぱんへと、大約おほよそ三百ヤードばかり距離きよりを四くわい往復わうふくするのであるが優勝者チヤンピオンには乘組のりくみ貴婦人連レデイれんからうるはしき贈物おくりものがあるとのことで、英人エイじん佛人フツじん獨逸人ドイツじん其他そのほか伊太利イタリー瑞西スイツツル露西亞等ロシヤとう元氣げんきさかんなる人々ひと/″\すねたゝいてをどたので、わたくしもツイその仲間なかま釣込つりこまれて、一ぱつ銃聲じうせいとも三にかけつたが、殘念ざんねんなるかな、だいちやく决勝點けつしようてん躍込をどりこんだのは、佛蘭西フランス豫備海軍士官よびかいぐんしくわんとかへるすさまじくはやをとこだいちやく勤務きんむのためわが日本につぽんむかはんとてこのふね乘組のりくんだ伊太利イタリー公使館こうしくわんづき武官ぶくわん海軍士官かいぐんしくわんわたくしからうじてだいちやく、あまり面白おもしろくないので、今度こんどは一つ日本男兒につぽんだんじ腕前うでまへせてれんと、うまく相撲すまうこと發議はつぎすると、たちま彌次連やじれんあつまつてた。彌次連やじれん其中そのなかからだい一にわたくし飛掛とびかゝつてた一にんは、獨逸ドイツ法學士はふがくしとかいふをとこ隨分ずゐぶん腕力わんりよくたくましい人間にんげんであつたが、此方こなた多少たせう柔道じうだう心得こゝろえがあるので、拂腰こしはらひ見事みごときまつてわたくしかち、つゞいてやつ四人よにんまでたふしたが、だい番目ばんめにのつそりとあらはれて露西亞ロシヤ陸軍士官りくぐんしくわんけ六しやくちか阿修羅王あしゆらわうれたるやうなをとこ力任ちからまかせにわたくし兩腕りよううでにぎつて一振ひとふりばさんずいきほひわたくしこれにはすこぶ閉口へいこうしたが、どつこひてよ、と踏止ふみとゞまつて命掛いのちがけに揉合もみあこと半時はんときばかり、やうやくこと片膝かたひざかしてやつたので、この評判へうばんたちま船中せんちゆうひろまつて、感服かんぷくする老人らうじんもある、切齒はがみする若者わかものもあるといふさはぎ、たれいふとなく『日本人につぽんじんてつの一しゆである、如何いかんとなればくろ堅固けんごなるゆゑに。』などゝ不思議ふしぎなる賞讃しようさんをすらはくして、一わたくしはな餘程よほどたかかつたが、こゝに一だい事件じけん出來しゆつたいした、それはほかでもない、丁度ちやうどこのふね米國ベイこく拳鬪けんとう達人たつじんとかいふをとこ乘合のりあはせてつたが、このうわさみゝにして先生せんせい心安こゝろやすからず、『左程さほど腕力わんりよくつよ日本人につぽんじんなら、一ばん拳鬪けんとうたち合ひをせぬか。』と申込まうしこんでた。
わたくし拳鬪けんとう仕合しあひはことはあるが、まだやつたことは一もない、しか申込まうしこまれてはをとこ意地いぢ、どうなるものかと一ばん立合たちあつてたがれぬわざ仕方しかたがない、散々さん/″\つて、氣絶きぜつするほど甲板かんぱんうへ投倒なげたふされて、折角せつかくたかまつたわたくしはな無殘むざん拗折へしをられてしまつた。春枝夫人はるえふじんいた心配しんぱいして『あまりに御身おんみかろんじたまふな。』と明眸めいぼうつゆびての諫言いさめごとわたくしじつ殘念ざんねんであつたが其儘そのまゝおもとゞまつた。一拳鬪けんとうのおれい眞劍勝負しんけんしやうぶでも申込まうしこんでれんかとまで腹立はらたつたのだが。
拳鬪けんとう翌日よくじつまたひと騷動さうどう持上もちあがつた。それは興行こうげうのためにと香港ホンコンおもむかんとて、このふね乘組のりくんでつた伊太利イタリー曲馬師きよくばしとらおりやぶつてしたことで、船中せんちうかなへくがごとく、いか水夫すゐふさけ支那人シナじんまは婦人ふじんもあるといふさはぎで、弦月丸げんげつまる出港しゆつかうのみぎりに檣燈しやうとう微塵みじんくだけたのをて『南無阿彌陀佛なむあみだぶつこのふねにはみいつてるぜ。』とつぶやいた英國エイこく古風こふう紳士しんし甲板かんぱんから自分じぶん船室へやまんとて昇降口しようかうぐちから眞逆まつさかさま滑落すべりおちてこし[#「抜」の「友」に代えて「ノ/友」、70-4]かした、偶然ぐうぜんにもふね惡魔あくま御自分ごじぶんたゝつたものであらうか。とらやうやくこと捕押とりおさへたが其爲そのため怪我人けがにんが七八にん出來できた。
かゝる樣々さま/″\出來事できごとあひだ吾等われら可憐かれんなる日出雄少年ひでをせうねんは、相變あひかはらず元氣げんきよく始終しじゆう甲板かんぱん飛廻とびまはつてうちに、ふとリツプとかふ、英吉利イギリスきはめて剽輕へうきん老爺をやぢさん懇意こんいになつて、毎日々々まいにち/\面白おもしろ可笑をかしあそんでうちあることその老爺をやぢさんこしらへてれた菱形ひしがた紙鳶たこ甲板かんぱんばさんとて、しきりさはいでつたが、丁度ちやうど其時そのとき船橋せんけううへで、無法むはふ水夫等すゐふら叱付しかりつけてつた人相にんさうわる船長せんちやう帽子ぼうしを、その鳶糸たこいと跳飛はねとばしたので、船長せんちやう元來ぐわんらい非常ひじやう小八釜こやかましいをとこ眞赤まつかになつて此方こなた向直むきなほつたが、あまりに無邪氣むじやきなる日出雄少年ひでをせうねん姿すがたては流石さすが怒鳴どなこと出來できず、ぐと/″\くちうちつぶやきながら、そのビールだるのやうな身體からだまろばして、帽子ぼうしあとひかけたはなしなど、いろ/\かはつたこともあるが、あま管々くだ/″\しくはしるすまい。
かくて吾等われら運命うんめいたくする弦月丸げんげつまるは、アデンわんでゝ印度洋インドやう荒浪あらなみへと進入すゝみいつた。

    第六回 星火榴彈せいくわりうだん
難破船の信號――イヤ、流星の飛ぶのでせう――無稽な三個の船燈――海幽靈め――其眼が怪しい
 荒浪あらなみたか印度洋インドやう進航すゝみいつてからも、一日いちにち二日ふつか三日みつか四日よつか、とれ、けて、五日目いつかめまでは何事なにごともなく※去すぎさ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、71-12]つたが、その六日目むいかめよるとはなつた。わたくし夕食後ゆふしよくごいつものやうに食堂しよくだう上部じやうぶ美麗びれいなる談話室だんわしつでゝ、春枝夫人はるえふじん面會めんくわいし、日出雄少年ひでをせうねんには甲比丹カピテンクツク冐瞼旅行譚ぼうけんりよかうだんや、加藤清正かとうきよまさ武勇傳ぶゆうでんや、またわたくしがこれまで漫遊中まんゆうちう失策談しつさくばなしなどをかたつてかせて、相變あひかはらずかしたので、夫人ふじん少年せうねんをばその船室ケビンおくみ、明朝めうてうやくして其處そこつた。
印度洋インドやうちう氣※きかう[#「候」の「ユ」に代えて「工」、72-6]ほど變化へんくわはげしいものはない、いまは五ぐわつ中旬ちうじゆんすゞしいときじつ心地こゝちよきほどすゞしいが、あつとき日本につぽん暑中しよちうよりも一そうあついのである。こと今宵こよひ密雲みつうんあつてんおほひ、四へん空氣くうきへん重々おも/\しく、丁度ちやうど釜中ふちうにあつてされるやうにかんじたので、此儘このまゝ船室ケビンかへつたとて、とて安眠あんみん出來できまいとかんがへたので、喫煙室スモーキングルームかんか、其處そこあつし、むし好奇ものずきではあるが暗夜あんや甲板かんぱんでゝ、暫時しばし新鮮しんせんかぜかれんとわたくしたゞ一人ひとり後部甲板こうぶかんぱんた。此時このとき時計とけいはりすでに十一めぐつてつたので、廣漠くわうばくたる甲板かんぱんうへには、當番たうばん水夫すゐふほかは一人影ひとかげかつた、ふねいま右舷うげん左舷さげん印度洋インドやう狂瀾きやうらん怒濤どたうけて北緯ほくゐへん進航しんかうしてるのである。ネープルスかうづるときにはめるがごとつきひかり鮮明あざやかこの甲板かんぱんてらしてつたが、いま日數ひかず二週ふためぐりあまりを[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、73-5]ぎてしんやみ――勿論もちろん先刻せんこくまでは新月しんげつかすかなひかりてん奈邊いづくにかみとめられたのであらうが、いまはそれさへ天涯でんがい彼方かなたちて、見渡みわたかぎ黒暗々こくあん/\たるうみおも、たゞ密雲みつうん絶間たへまれたるほしひかりの一二てん覺束おぼつかなくもなみ反射はんしやしてるのみである。
じつ物淋ものさびしい景色けしき[#感嘆符三つ、73-10] わたくし何故なにゆゑともなく悲哀あはれかんじてた。すべてひと感情かんじやう動物どうぶつで、しきときには何事なにごとたのしくえ、かなしきときには何事なにごとかなしくおもはるゝもので、わたくしいま不圖ふとこの悽愴せいさうたる光景くわうけいたいして物凄ものすごいとかんじてたら、忽然たちまち樣々さま/″\妄想まうぞう胸裡こゝろわだかまつてた、今日こんにちまでは左程さほどまでにはこゝろめなかつた、こく怪談くわいだん白色檣燈はくしよくしやうとう落下らくか船長せんちやう憤怒ふんぬかほあやしふね双眼鏡さうがんきやう。さては先日せんじつ反古ほご新聞しんぶんしるされてあつた櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさその帆走船ほまへせんとの行衞ゆくゑなどがあだか今夜こんやこの物凄ものすご景色けしき何等なにらかの因縁いんねんいうするかのごとく、ありありとわたくし腦裡のうりうかんでた。
無※ばか[#「(禾+尤)/上/日」、74-7]なッ、無※ばか[#「(禾+尤)/上/日」、74-7]なッ。」とわたくし單獨ひとりさけんでた。いてかゝ妄念まうねん打消うちけさんとてわざ大手おほてつて甲板かんぱんあゆした。前檣ぜんしやう後檣こうしやうとのあひだを四五くわい往復わうふくするうちその惡感あくかん次第しだい/\にうすらいでたので、最早もはや船室ケビンかへつて睡眠すいみんせんと、あゆあしいま昇降口しようかうぐちを一だんくだつたときわたくし不意ふいに一しゆ異樣ゐやうひゞきいた。
ひゞきはるかの海上かいじやうあたつて、きはめてかすかに――じついぶかしきまでかすかではあるが、たしかにほうまた爆裂ばくれつ發火はつくは信號しんがうひゞき[#感嘆符三つ、75-1]
わたくしふいかうべ左方さはうめぐらしたが、たちまち『キヤツ』とさけんでふたゝ甲板かんぱん跳出をどりでた。今迄いまゝですこしも心付こゝろづかなかつたが、たゞる、わが弦月丸げんげつまる左舷船尾さげんせんび方向はうかう二三海里かいりへだゝつた海上かいじやうあたつて、また一かすか砲聲ほうせいひゞきともに、タールおけ油樽等あぶらだるとう燃燒もやすにやあらん、※(「火+稲のつくり」、第4水準2-79-87)えん/\たる猛火まうくわうみてらして、同時どうじ星火せいくわはつする榴彈りうだんはつぱつくうび、つゞいて流星りうせいごと火箭くわせんは一ぱつ右方うはう左方さはうながれた。
わたくしじつ驚愕おどろいたよ。
此邊このへん印度洋インドやう眞中たゞなかで、眼界がんかいたつするかぎ島嶼たうしよなどのあらうはづはない、ましてやくぷん間隙かんげきをもつて發射はつしやする火箭くわぜんおよ星火榴彈せいくわりうだん危急存亡きゝふそんぼうぐる難破船なんぱせん夜間信號やかんしんがう[#感嘆符三つ、75-11]
『やア、大變たいへんだ/\。』とさけびつゝわたくし本船ほんせん右舷うげん左舷さげんながめた。ふねには當番たうばん水夫すゐふあり。海上かいじやうおこる千差萬別さばんべつ事變じへんをば一も見遁みのがすまじきはづその見張番みはりばんいまなにをかすと見廻みまはすと、此時このとき右舷うげん當番たうばん水夫すゐふ木像もくざうごと船首せんしゆかたむかつたまゝ、いまかすか砲聲ほうせいみゝにもらぬ樣子やうす、あらぬかたながめてる。左舷さげん當番たうばん水夫すゐふいまたしか星火せいくわほとばしり、火箭くわせん慘憺さんたんたる難破船なんぱせん信號しんがうみとめてるには相違さうゐないのだが、何故なぜ平然へいぜんとしてどうずるいろもなく、籠手こてかざして其方そなたながめてるのみ。
當番たうばん水夫すゐふ! なに茫然ぼんやりしてるかツ※[#感嘆符三つ、76-8]』とさけんだまゝ、わたくしひるがへして船長室せんちやうしつかたはしつた。勿論もちろんふね嚴然げんぜんたる規律きりつのあることたれつてる、たとへ霹靂へきれき天空てんくうくだけやうとも、數萬すうまん魔神まじんが一海上かいじやう現出あらはれやうとも、船員せんゐんならぬもの船員せんゐん職權しよくけんおかして、これ船長せんちやう報告ほうこくするなどは海上かいじやう法則はふそくからつて、到底たうていゆるからざることである。わたくしそれらぬではない、けれどいま容易ようゐならざる急變きふへん塲合ばあひである、一ぷんびやう遲速ちそく彼方かなた難破船なんぱせんのためには生死せいし堺界わかれめかもれぬ、くはふるに本船ほんせん右舷うげん當番たうばん水夫すゐふあれども眼無めなきがごとく、左舷さげん當番たうばん水夫すゐふおにじやか、つてらぬかほそのこゝろわからぬが、いま瞬間しゆんかん躊躇ちうちよすべき塲合ばあいでないとかんがへたので、わたくし一散いつさんはしつて、船橋せんけう下部したなる船長室せんちやうしつドーアたゝいた。
船長閣下せんちやうかくかたまへ、難破船なんぱせんがある! 難破船なんぱせんがある!』とさけぶと、此時このとき船長せんちやうすで寢臺ベツドうへよこたはつてつたが、『んですか。』とばかり澁々しぶ/\起上おきあがつてドーアひらいた。わたくしはツトすゝ
船長閣下せんちやうかくか越權えつけんながら報告ほうこくします、本船ほんせん左舷さげん後方こうほう、三海里かいりばかりへだゝつた海上かいじやうあたつて一個いつこ難破船なんぱせんがありますぞ。』
難破船なんぱせん※(疑問符感嘆符、1-8-77) あはゝゝゝゝ。』と船長せんちやう大聲おほごえわらつた。驚愕おどろくとおもひきや、かれはいと腹立はらだたしかほしかめて
難船なんせん? それはなんですか、本船ほんせんにはえず[#「えず」は底本では「えす」]海上かいじやう警戒みは當番たうばん水夫すゐふがあるです、あへ貴下きかはずらはすはづいです。』
無論むろんです、けれど本船ほんせん當番たうばん水夫すゐふやつに、こゝろやつです、一人ひとり茫然ぼんやりしてます、一人ひとりつてらぬかほをしてます。船長閣下せんちやうかくかはやく、はやく、難破船なんぱせん運命うんめいは一ぷんびやう遲速ちそくをもあらそひますぞ。』
『いけません!』と船長せんちやうひやゝかにわらつた。
貴下あなた海上かいじやう法則ほうそくりませんか、たとへ如何どんことがあらうとも船員せんゐん以外いぐわいものそれくちばしれる權利けんりいです、またわたくし貴下あなたから其樣そん報告ほうこくける義務ぎむいです。』とかれ右手ゆんでのばして卓上たくじやう葉卷シユーガー取上とりあげた。わたくし迫込せきこ
理屈りくつまうすぢやありません、わたくし越權えつけんわたくし責任せきにんひます。貴下あなたしんじませんか、いまげん難破船なんぱせん救助きゆうじよもとめるのを。』
しんじません、しんぜられません。』と船長せんちやういま取上とりあげた葉卷シユーガー腹立はらたたし卓上たくじやうかへして
當番たうばん水夫すゐふからは何等なにら報告ほうこくうちけつして信じません。いわんや此樣こんな平穩おだやか海上かいじやう難破船なんぱせんなどのあらうはづい、無※ばか[#「(禾+尤)/上/日」、79-6]なツ。』
無※ばか[#「(禾+尤)/上/日」、79-7]なツ。』とわたくし勃然むつとしてしまつた。日頃ひごろから短氣たんきわたくし持病やまひ疳癪玉かんしやくだま一時いちじ破裂はれつしたよ。
い、い、いとはなんです、わたくしいまげん目撃もくげきしてたのです。』
『はゝゝゝゝ。なに目撃もくげきしましたか。はゝゝゝゝ。』とかれ空惚そらとぼけて大聲おほごえわらつた。わたくしじつはらなかから※(「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52)にへかへつたよ。ついでだからつてくが、わたくしはじこのふね乘組のりくんだときから一見いつけんしてこの船長せんちやうはどうも正直しようじき人物じんぶつではいとおもつてつたがはたしてしかり、かれいま多少たせうらういとふて他船たせん危難きなんをば見殺みころしにするつもりだなと心付こゝろついたから、わたくし激昂げきこうのあまり
なにたもありません、本船ほんせん左舷さげん後方こうほう海上かいじやうあたつて星火榴彈せいくわりうだん一次いちじ一發いつぱつ火箭くわせん、それが難破船なんぱせん信號しんがうであるくらゐりませんか。』
其樣そんなことうけたまは必要ひつえうもありません。』と船長せんちやうはなわらひつゝ
『それは大方おほかた貴下あなたあやまりでせうよ。うふゝゝゝ。』
あやま※(疑問符感嘆符、1-8-77) これしからん、わたくしにはちやんと二個ふたつがありますぞ。』
そのあやしい、うみうへではよく眩惑ごまかされます、貴下あなた屹度きつと流星りうせいぶのでもたのでせう。』とビールだるのやうなはら突出つきだして
『いや、よしんばそれ眞個ほんたう難破信號なんぱしんがうであつたにしろ、此樣こんな平穩おだやか海上かいじやう難破なんぱするやうなふねまつた我等われ/\海員かいゐん仲間以外なかまはづれです、なに面倒めんだう救助きうじよおもむ義務ぎむいのです。』とつて空嘯そらぶわらつた
最早もはや問答もんだう無益むえきおもつたから、わたくし突然ゐきなり船長せんちやう船室ケビンそと引出ひきだした
『あれがえませんか、あれが、あの悲慘ひさんなる信號しんがうひかりなにともかんじませんか。』とばかり、はるかにゆびさ左舷船尾さげんせんび海上かいじやうわたくしは『あツ。』とさけんだまゝ暫時しばらくいた[#「いた」は底本では「たい」]くちふさがらなかつたよ。いぶかしや。いまから二分にふん三分さんぷんまへまではたしか閃々せん/\空中くうちうんでつた難破信號なんぱしんがう火光ひかり何時いつにかせて、其處そこには海面かいめんよりすうしやくたか白色球燈はくしよくきうとうかゞやき、ふね右舷うげん左舷さげんぼしきところ緑燈りよくとう紅燈こうとうひかりぼんやりゆるのみである。前檣ぜんしやう白燈はくとう右舷うげん緑燈りよくとう左舷さげん紅燈こうとうまでもない、安全航行あんぜんかうかう信號しんがう[#感嘆符三つ、81-11]
『はゝあ、或程なるほど星火榴彈せいくわりうだん一次いちじ一發いつぱつ火箭くわせん救助きゆうじよもとむる難破船なんぱせん信號しんがうがよくえます、貴下あなたの眼は仲々なか/\結構けつこうです。』と意地惡ゐぢわる船長せんちやうぢろりッとわたくしかほにらんだか、わたくし一言いちごんいのである。しかじつ奇怪きくわいことではないか、いま安全信號燈あんぜんしんがうとうかゞやいてへん海上かいじやうには、確實たしか悲慘ひさんなる難破船なんぱせん信號しんがうえてつたのに。さては船長せんちやうふがごとくわたくしあやまりであつたらうか。いやいや如何どうかんがへてもわたくししろみどりあか燈光とうくわう星火榴彈せいくわりうだん火箭くわぜん間違まちがへるほどわるまなこつてらぬはづ。してると先刻せんこく難破船信號なんぱせんしんがうは、何時いつにか安全航行あんぜんかうかう信號しんがうかはつたに相違さうゐない。さて/\奇妙きめうことだと、わたくし暫時しばらく五里霧中ごりむちう彷徨さまよふた。
船長せんちやう一時いちじ毒々どく/\しくわたくしかほながめて嘲笑あざわらつてつたが此時このとき眞面目まじめになつてそのひかりかたながめつゝ
しかめうだぞ、今月こんげつ航海表かうかいへうによると、今頃いまごろこの航路かうろ本船ほんせんあとふて進航しんかうしてふねはづだが。』と小首こくびかたむけたがたちまちカラ/\とわらつて
『あゝわかつた/\、畜生ちくしやううまくやつてるな、此前このまへあのへん沈沒ちんぼつしたトルコまる船幽靈ふないうれいめが、まだうかれないで難破船なんぱせん眞似まねなんかしてこのふね暗礁あんせうへでも僞引寄おびきよせやうとかゝつてるんだな、どつこい、其手そのてはんぞ。』とつぶやきながらわたくしむか
『だが[#「だが」は底本では「だか」]先刻せんこく確實たしか救助きゆうじよもとむる難破船なんぱせん信號しんがうえましたか。』とまゆつばきした。可笑をかしいやうだが船乘人ふなのりにはかゝる迷信めいしんいだいてもの澤山たくさんある、わたくし相手あいてにせず簡單かんたん
左樣さやうたしか救助きうじよもとむる難破なんぱ信號しんがう!。」とこたへて、かれが『うむ、いよ/\ちがひない、船幽靈ふなゆうれいメー。』と單獨ひとりでぐと/\何事なにごとをかつてるのをながしながら、なほよくその海上かいじやう見渡みわたすと、いまゆる三個さんこ燈光とうくわうは、けつしておろかなる船長せんちやうふがごとき、怨靈おんれうとかうみ怪物ばけものとかいふやう得可うべからざるものひかりではなく、りよくこう兩燈りようとうたしかふね舷燈げんとうで、海面かいめんよりたか白色はくしよくひかり海上法かいじやうほふしたが甲板かんぱんより二十しやく以上いじやうたかかゝげられたる檣燈しやうとうにて、いまや、何等なにらかのふねは、弦月丸げんげつまるあとふて進航しんかうしつゝきたるのであつた。

    第七回 印度洋インドやう海賊かいぞく
水雷驅逐艦か巡洋艦か――昔の海賊と今の海賊――海底潜水器――探海電燈サアチライト――白馬の如き立浪――海底淺き處――大衝突
 わたくし一心いつしん見詰みつめてあひだに、右舷うげん緑燈りよくとう左舷さげん紅燈こうとう甲板かんぱんより二十しやく以上いじやうたか前檣ぜんしやう閃々せん/\たる白色燈はくしよくとうかゝげたる一隻いつさうふねは、印度洋インドやう闇黒やみふてだん/″\と接近せつきんしてた。いま弦月丸げんげつまるは一時間じかんに十二三海里ノツト速力そくりよくをもつて進航しんかうしてるのに、そのあとふてくも迅速じんそく接近せつきんしてるとは、じつ非常ひじやう速力そくりよくでなければならぬ。いまに、かくもおどろ速力そくりよくをもつてふねは、水雷驅逐艦すゐらいくちくかんか、水雷巡洋艦すゐらいじゆんやうかんほかはあるまい、あの燈光とうくわう主體しゆたいはたして軍艦ぐんかん種類しゆるいであらうか。軍艦ぐんかん種類しゆるいならばなに配慮しんぱいするにはおよばないが――しや――しや――とわたくしふとあること想起おもひおこしたときおもはずも戰慄せんりつしたよ。
いまふね船體せんたいみとめぬうちから、かゝ心配しんぱいをするのはまつた馬鹿氣ばかげるかもれぬが、先刻せんこくからの奇怪きくわい振舞ふるまひては、どうもこゝろやすくないのである、第一だいゝちはるか/\の闇黒あんこくなる海上かいじやうおいて、星火榴彈せいくわりうだんげ、火箭くわぜんばして難破船なんぱせん風體ふうてい摸擬よそをつたなど、船長せんちやうたん船幽靈ふないうれい仕業しわざ御坐ござるなどゝ、無※ばか[#「(禾+尤)/上/日」、85-11]ことつてるが其實そのじつ、かの不思議ふしぎなる難破船なんぱせん信號しんがうは、現世このよ存在得ありうべからざる海魔かいまとか船幽靈ふなゆうれいとかよりは百倍ひやくばい千倍せんばい恐怖おそるべきあるもの仕業しわざで、なに企圖くわだつるところがあつて、弦月丸げんげつまる彼處かしこ海上かいじやう誘引おびせやうとしたのではあるまいか、じつ印度洋インドやう航海かうかいほどおそるべき航海かうかいはない、颶風タイフンや、大強風ストロング、ゲーや、咫尺しせきべんぜぬ海霧シーフ、オツグや、其他そのほか破浪はらう逆潮浪ぎやくてうらうすざまじき、亂雲らんうん積雲せきうん物凄ものすごき、何處いづく航海かうかいにもまぬかれがた海員かいゐん苦難くなんではあるが、ことこの印度洋インドやうでは是等これら苦難くなんほかに、今一個いまひとつもつと恐怖おそき『海賊船かいぞくせん襲撃しゆうげき』といふわざわいがある。往昔むかしからこの洋中やうちうで、海賊船かいぞくせん襲撃しゆうげきこうむつて、悲慘ひさんなる最後さいごげたふね幾百千艘いくひやくせんざうあるかもわからぬ。ひと談話はなしではいま往昔むかしほど海賊船かいぞくせん横行わうかうははげしくはいが、其代そのかは往昔むかし海賊船かいぞくせん一撃いちげきもと目指めざ[#ルビの「めざ」は底本では「あざ」]貨物船くわぶつせん撃沈げきちんするやうなことはなく、かならそのふねをもつて此方こなた乘掛のりかきたり、武裝ぶさうせる幾多いくた海賊かいぞくどもに/\劔戟けんげき振翳ふりかざしつゝ、彼方かなた甲板かんぱんから此方こなた乘移のりうつり、たがひ血汐ちしほながして勝敗しようはいあらそふのであるから、海賊かいぞくてば其後そのゝち悲慘ひさんなる光景くわうけいまでもないが、此方こなたつよければそのぞくども鏖殺みなごろしにすること出來できるのである。けれど今日こんにちおいては、海賊かいぞく餘程よほど狡猾かうかつになつて、かゝる手段しゆだんづることまれで、くわふるに海底潜水器かいていせんすいき發明はつめいがあつて以來いらい海賊船かいぞくせんおほその發明はつめい應用おうようして、漫々まん/\たる海洋かいやううへ金銀きんぎん財寳ざいほう滿載まんさいせるふねみとめたときには、ほうまた衝角しようかくをもつて一撃いちげきもとそのふね撃沈げきちんし、のち潜水器せんすいきしづめてその財寳ざいほう引揚ひきあげるさうである。勿論もちろん今日こんにちおいても潜水器せんすいき發明はつめいいま充分じゆうぶん完全くわんぜんにはすゝんでらぬから、この手段しゆだんとて絶對的ぜつたいてき應用おうようすること出來できぬのはまでもない。すなは現今げんこんおいもつと精巧せいこうなる潜水器せんすいきでも、海底かいてい五十米突メートル以下いかしづんではみづ壓力あつりよくめと空氣喞筒くうきポンプ不完全ふくわんぜんなるために、到底たうていそのようさぬのであるから、潜水器せんすいきもちゆる海賊船かいぞくせんは、つね此點このてんむかつてふかこゝろもちゐ、狂瀾きやうらん逆卷さかま太洋たいやうめんおいて、目指めざ貨物船くわぶつせん撃沈げきちんする塲所ばしよかなら海底かいていふかさ五十米突メートルらぬ島嶼たうしよ附近ふきんか、大暗礁だいあんせうまた海礁かいせうよこたはつて塲所ばしよかぎつてさうだ。
 いまわたくし黒暗々こくあん/\たる印度洋インドやう眞中まんなかおいて、わが弦月丸げんげつまるあとふかの奇怪きくわいなるふねてふと此樣こんなことおもした。讀者どくしや諸君しよくんわらたまふな、わたくし配慮しんぱいあまりに神經的しんけいてきかもれぬが、しか以上いじやう物語ものがたりと、いまから數分すうふん以前いぜんにかのふね本船ほんせん右舷うげん後方こうほう海上かいじやうおい不思議ふしぎにも難破信號なんぱしんがうげたこととでかんがあはせるとかゝ配慮しんぱいおこるのも無理むりはあるまい。わたくし印度洋インドやう海底かいてい有樣ありさま精密くわしくはらぬがこのやう全面積ぜんめんせき二千五百※方哩にせんごひやくまんほうマイル[#「一/力」、88-10]ふかところ底知そこしれぬが、處々ところ/\大暗礁だいあんせうまた海礁かいせうよこたはつてつて、水深すいしん五十米突メートルらぬところもあるさうな。してるとわたくしでなくとも、此樣こん想像さうざうおこるであらう、いま本船ほんせんあとふかの奇怪あやしふねあるひ印度洋インドやう大惡魔だいあくまかくれなき海賊船かいぞくせんで、先刻せんこくはるか/\の海上かいじようで、星火榴彈せいくわりうだんげ、火箭くわぜんとばして、救助きうじよもとむる難破船なんぱせん眞似まねをしたのは、あのへん海底かいていなにかの理由りいう水深すいしん左程さまでふかからず、弦月丸げんげつまる撃沈げきちんしてのち潜水器せんすいきしづめるに便利べんりかつたためではあるまいか、本船ほんせん愚昧おろか[#ルビの「おろか」は底本では「おろな」]なる船長せんちやうは『船幽靈ふないうれいめが、難破船なんぱせん眞似まねなんかして、このふね暗礁あんせうへでも誘引おびせやうとかゝつてるのだな。』と延氣のんきことつてつたが、其實そのじつ船幽靈ふないうれいならぬ海賊船かいぞくせんが、あのへん暗礁あんせうわがふね誘引おびせやうと企圖くわだつたのかもれぬ。偶然ぐうぜんにも弦月丸げんげつまるかゝ信號しんがうには頓着とんちやくなく、ずん/″\とその進航しんかうつゞけため、策略はかりごとやぶれた海賊船かいぞくせんは、いま手段しゆだんめぐらしつゝ、しきりにわがふねあと追及ついきふするのではあるまいか、不幸ふこうにしてわたくし想像さうざうあやまらなければそれこそ大變たいへんいま本船ほんせんとかの奇怪きくわいなるふねとのあひだだ一海里かいり以上いじやうたしかへだゝつてるが、あの燈光ともしびのだん/\と明亮あかるくなる工合ぐあひても、その船脚ふなあしすざまじくはやことわかるから、やが本船ほんせん切迫せつぱくするのも十ぷんか十五ふんのちであらう。あゝ、海賊船かいぞくせんか、海賊船かいぞくせんか、しもあのふね世界せかい名高なだか印度洋インドやう海賊船かいぞくせんならば、そのふねにらまれたるわが弦月丸げんげつまる運命うんめい最早もはや是迄これまでである。たとへわがふね全檣ぜんしやう※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)機關じようききくわん破裂はれつするまで石炭せきたんいてげやうとも如何いかうすること出來できやう。勿論もちろん、かのふねわたくし想像さうざうするがごと海賊船かいぞくせんであつたにしろ、左樣さう無謀むぼうには本船ほんせん撃沈げきちんするやうなことはあるまい、印度洋インドやう平均水深へいきんすいしんは一せんひやく三十ひろ其樣そんふかところ輕々かろ/″\しく本船ほんせん撃沈げきちんしたところで、到底たうていかのふね目的もくてきたつすること出來できまいから。けれど、彼方かなた天魔てんま鬼神きじんあざむ海賊船かいぞくせんならば一度ひとたびにらんだふねをば如何いかでか其儘そのまゝ見遁みのがすべき。こと面倒めんだうおもはゞ、昔話むかしばなし海賊船かいぞくせん戰術せんじゆつ其儘そのまゝに、するど船首せんしゆ眞一文字まいちもんじ此方こなた突進とつしんきたつて、に/\劍戟けんげき振翳ふりかざせる異形ゐげう海賊かいぞくども亂雲らんうんごと甲板かんぱん飛込とびこんでるかもれぬ。なくば隱見ゐんけん出沒しゆつぼつ氣長きながわがふねあとうち本船ほんせん何時いつ海水かいすいあさ島嶼たうしよ附近ふきんか、そこ大海礁だいかいせうよこたは波上はじやうにでも差懸さしかかつたときかぜごときたり、くもごとあらはれでゝ、一げきもと其處そこふね撃沈げきちんするつもりかもれぬ。
かんがへるとじつ底氣味そこきみわるいも/\、わたくしこゝろそこからさむくなつてた。
兎角とかくするほどあやしふねはます/\接近せつきんきたつて、しろあかみどり燈光とうくわう闇夜やみきらめく魔神まじん巨眼まなこのごとく、本船ほんせん左舷さげん後方こうほうやく四五百米突メートルところかゞやいてる。
わたくしむねをどらせつゝ甲板かんぱん前後ぜんご左右さいうながめた。れいのビールだる船長せんちやう此時このときわたくし頭上づじやうあた船橋せんけううへつて、しきりにあやしふね方向ほうかう見詰みつめてつたが、先刻せんこくはるか/\の海上かいじやう朦乎ぼんやり三個さんこ燈光ともしびみとめたあひだこそ、途方とほうことつてつたものゝ、最早もはやうなつては其樣そん無※ばか[#「(禾+尤)/上/日」、92-4]ことつてられぬ。
『はてさて、めうだぞ、あれはぱり※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きせんだわい、してると今月こんげつ航海表かうかいへう錯誤まちがいがあつたのかしらん。』とひつゝ、あほいで星影ほしかげあは大空おほぞらながめたが
『いや、いや、如何どうかんがへても今時分いまじぶんあんなふねこの航路かうろ追越おひこされるはづはないのだ。』とる/\うち不安ふあん顏色いろあらはれてた。
此時このときはすでに澤山たくさん船員等せんゐんら此處彼處こゝかしこから船橋せんけうほとりしてあつまつてた。いづれもおどろいたやうな、いぶかるやうなかほで、いまやます/\接近せつきんきたあやしふね燈光とうくわうながめてる。
じつ不思議ふしぎだ――あの船脚ふなあしはやことは――』と右手ゆんで時辰器じしんき船燈せんとうひかりてらして打眺うちながめつゝ、じつかんがへてるのは本船ほんせん一等運轉手チーフメートである。つゞいて
何會社どこ※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)ふねだらう。』
商船しようせんだらうか、郵便船ゆうびんせんだらうか。』
『いや、軍艦ぐんかん相違さうゐない。』
軍艦ぐんかんにしても、あんなにはや船脚ふなあし新式しんしき巡洋艦じゆんやうかんか、水雷驅逐艦すいらいくちくかんほかはあるまい。』と二とう運轉手うんてんしゆ非番ひばん舵手だしゆ水夫すゐふ火夫くわふ船丁ボーイいたるまで、たがひ見合みあはせつゝ口々くち/″\のゝしさはいでる。彼等かれらうちには、先刻せんこく不思議ふしぎ信號しんがうものもあらう、またものもあらう。
あやしふねつひ弦月丸げんげつまる雁行がんかうになつた。船橋せんけう船長せんちやう右顧左顧うこさこしきりに心安こゝろやすからずえた。一等運轉手チーフメートいそがはしく後部甲板こうぶかんぱんはしつたが、たちま一令いちれいけると、一個いつこ信號水夫しんがうすゐふは、右手ゆんでたか白色球燈はくしよくきうとうかゝげて、左舷船尾さげんせんびの「デツキ」につた。れは海上法かいじやうほふしたがつて、ふねまさ他船たせん追越おひこされんとするとき表示へうしする夜間信號やかんしんがうである。しかるに彼方かなたあやしふねあへこの信號しんがうには應答こたへんともせず、たちまその甲板かんぱんからは、一導いちだう探海電燈サーチライトひかり閃々せん/\天空てんくうてらし、つゞいてサツとばかり、そのまばゆきひかり甲板かんぱんげるとともに、※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きてき一二せいなみ蹴立けたてゝます/\進航しんかう速力そくりよくはやめた。
る/\うちあやしふね白色檣燈はくしよくしやうとう弦月丸げんげつまる檣燈しやうとう並行へいかうになつた――や、彼方かなた右舷うげん緑燈りよくとう左舷さげん紅燈こうとう尻眼しりめにかけて、一米突メートル――二米突メートル――三米突メートル――端艇ボートならばすくなくも半艇身はんていしん以上いじやうふね乘越のりこした。
此時このとき
わたくし如何いかにもして、かのあやしふね正體しやうたい見屆みとゞけんものをと、ひるがへして左舷船首さげんせんしゆはしり、まなこさらのやうにしてそのふねかた見詰みつめたが、月無つきなく、星影ほしかげまれなるうみおもては、百米突メートル――二百米突メートルとはへだたらぬのに黒暗々こくあん/\として咫尺しせきべんじない。くはふるに前檣々頭ぜんしやうしやうとう一點いつてん白燈はくとうと、左舷さげん紅燈こうとうえで、右舷うげん毒蛇どくじや巨眼まなこごと緑色りよくしよく舷燈げんとうあらはせるほかは、船橋せんけうにも、甲板かんぱんにも、舷窓げんさうからも、一個いつこ火影ほかげせぬかのふねは、ほとんど闇黒やみ全體ぜんたいつゝまれてつたが、わたくし一念いちねんとゞいて幾分いくぶ神經しんけいするどくなつたためか、それともひとみやうや闇黒あんこくれたためか、わたくしからうじてその燈光ひかり主體ぬしみと途端とたん、またもや射出ゐいだ彼船かのふね探海電燈サーチライト其邊そのへんは。パツあかるくなる、わたくし一見いつけんして卒倒そつたうするばかりにおどろさけんだよ
海蛇丸かいだまる[#感嘆符三つ、95-12] 海蛇丸かいだまる[#感嘆符三つ、95-12]』と。
讀者どくしや諸君しよくん御記臆ごきおくだらう。弦月丸げんげつまるまさ子ープルスかう出發しゆつぱつせんとしたとき何故なにゆゑともなくふかわたくしまなことゞまつた一隻いつさうあやしふねを。噸數とんすう一千とんくらゐ二本にほん烟筒えんとつ二本にほんマストその下甲板げかんぱんには大砲たいほう小銃等せうじうとうめるにやあらん。いぶかしきまで船脚ふなあしふかしづんでえたそのふねが、いま闇黒あんこくなる波浪なみうへ朦朧ぼんやりみとめられたのである。
まぎらかたなき海蛇丸かいだまる[#感嘆符三つ、96-6]』とわたくしふたゝさけんだ。あゝ、海蛇丸かいだまるさきには子ープルスかうにていと奇怪あやしき擧動ふるまひをなし、其時そのとき弦月丸げんげつまるよりは數分すうふんまへみなとはつして、かくも迅速じんそくなる速力そくりよくてるにもかゝはらず、いまかへつふねあとふてるとは、これたんに、偶然ぐうぜん出來事できごととのみはれやうか? ? ?
しかるに此時このときまで、海蛇丸かいだまるべつ害意がいゐありともえず、たゞその甲板かんぱんからはえず[#「えず」は底本では「えす」]探海電燈サーチライト閃光ひかり射出しやしゆつして、あるひ天空てんくうてらし、あるひそのひかり此方こなたけ、また海上かいじやう地理ちり形况等けいけうとうさぐるにやあらん、弦月丸げんげつまるして航路かうろ海波なみてらしつゝ、ずん/″\と前方かなたはしつた。本船ほんせんいまかへつそのあとふのである。
や十ぷん[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、97-4]ぎたとおもころ二船にせんあひだ餘程よほどへだたつた。わたくしおもはず一息ひといきついた、『矢張やはり無益むえき心配しんぱいであつたか』とすこしくむねでおろす、其時そのときわたくしふと心付こゝろついたよ、先刻せんこくまではきはめて動搖ゆるぎ平穩おだやかであつた弦月丸げんげつまる何時いつにか甲板かんぱんかたむくばかりはげしき動搖ゆるぎかんじてるのであつた。ながめると闇黒あんこくなる右舷うげん左舷さげん海上かいじやう尋常たゞならずなみあらく、白馬はくばごと立浪たつなみをどるのもえる。印度洋インドやうとて千尋せんじん水深ふかさばかりではない、立浪たつなみさわいでるのは、たしか其邊そのへん大暗礁だいあんせうよこたはつてるとか、いましも弦月丸げんげつまる進航しんかうしつゝある航路かうろそこ一面いちめん大海礁だいかいせうおほはれてるのであらう。
大暗礁だいあんせう! 大海礁だいかいせう! たとへふね坐礁のりあげほどでなくとも、此邊このへん海底かいていあさことわかつて居る※[#感嘆符三つ、98-2]
はツおもつたが、此時このときたちま弦月丸げんげつまる前甲板ぜんかんぱん尋常たゞならぬ叫聲さけびごゑきこえた。わたくし跳上をどりあがつてまなこはなつと、たゞる、本船々首ほんせんせんしゆ正面しやうめん海上かいじやうに、此時このときまで閃々せん/\たるひかりえずうみ八方はつぱうてらしつゝすで一海里いつかいりばかりはしつた海蛇丸かいだまるは、此時このとき何故なにゆゑ探海電燈サーチライトひかりパツとえて、突然とつぜん船首せんしゆ轉廻めぐらすよとに、さながら疾風しつぷう電雷でんらいごと此方こなた突進とつしんしてた。
『や、や、や、や、や。』とわたくしむね警鐘けいしやう亂打らんだするやうである。さら驚愕おどろいたのは、船橋せんけう船長せんちやう後甲板こうかんぱん一等運轉手いつとううんてんしゆ二等運轉手にとううんてんしゆ三等運轉手さんとううんてんしゆ[#「三等運轉手さんとううんてんしゆ」は底本では「三運等轉手さんとううんてんしゆ」]水夫すゐふ火夫くわふ見張番みはりばん一同いちどう顏色がんしよくうしなつて、船首甲板せんしゆかんぱんかたはしつてた。
眞正面まつせうめんから突進とつしんして海蛇丸かいだまると、弦月丸げんげつまるとの距離きより最早もはや一千米突メートル[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、99-2]ぎない。ひろやうでもせまいのは※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きせん航路かうろで、千島艦ちしまかんラーヴエンナがう事件じけん實例じつれいまでもなく、すこしく舵機かぢ取方とりかたあやま[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、99-3]つても、屡々しば/\驚怖きやうふすべき衝突しようとつかもすのに、底事なにごとぞ、あやしふね海蛇丸かいだまるは、いま弦月丸げんげつまるしておな鍼路しんろをば故意わざ此方こなたむかつ猛進まうしんしてるのである、一ぷん、二ふん、三ぷんのち一大いちだい衝突しようとつまぬかれぬ運命うんめい[#感嘆符三つ、99-6]
船長せんちやう一等運轉手チーフメートうしなつて、船橋せんけうあがり、くだり、後甲板こうかんぱんせ、前甲板ぜんかんぱんおどくるふて、こゑかぎりに絶叫ぜつけうした。水夫すゐふ火夫くわふ船丁等ボーイら周章狼狽しうしようらうばいまでもない、其内そのうち乘客じやうきやく※半くわはん[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、99-9]睡眠ねむりよりめて、何事なにごとぞと甲板かんぱんはしでんとするを、邪魔じやまだ/\と昇降口しようかうぐちへんより追返おひかへさんと※(「口+曹」、第3水準1-15-16)ひしめく二三船員せんゐんこゑきこえる。本船ほんせん連續つゞけさま爆裂信號ばくれつしんがうげ、非常※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)ひじやうきてきらし、危難きなんぐる號鐘がうしやうるゝばかりにひゞわたつたけれど、海蛇丸かいだまるおともなく、ずん/\と接近せつきんしてるばかりである。本船ほんせん舵手だしゆ狂氣きようきごとくなつて、鍼路しんろみぎひだり廻轉くわいてんしたがなん甲斐かひい。此方こなた※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きかく短聲たんせい一發いつぱつ鍼路しんろ右舷うげんれば、彼方かなた海蛇丸かいだまる左舷さげん紅燈こうとうかくれて鍼路しんろみぎり、此方こなた短聲たんせい二發にぱつ鍼路しんろ左舷さげんめぐらせば、彼方かなた左舷さげん紅燈こうとうあらはれて鍼路しんろひだりる。最早もはやうたがこと出來できぬ、海蛇丸かいだまるいま立浪たつなみをどつて海水かいすいあさき、この海上かいじやう弦月丸げんげつまる一撃いちげきもと撃沈げきちんせんと企圖くわだてゝるのだ。
衝突しようとつだ! 衝突しようとつだ! 衝突しようとつだ!』と百數十ひやくすふじふ船員等せんゐんら夢中むちうになつて甲板上かんぱんじやう狂奔きやうほんした。
此時このときすで本船ほんせん海蛇丸かいだまる距離きよりわずかに二ひやく二三十米突メートル以内いない[#感嘆符三つ、100-10]
一等運轉手チーフメート船長せんちやうとは血眼ちまなこになつて一度いちどさけんだ
全速力ぜんそくりよく後退こうたい! 後退こうたい! 後退こうたい!』
同時どうじ※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きかく短聲たんせい三發さんぱつ※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)機關じようききくわんひゞきハッタとあらたまつて、ぎやく廻旋くわいせんする推進螺旋スクルーほとり泡立あはだなみ飛雪ふゞきごとく、本船ほんせんたちまち二十米突メートル――三十米突メートル後退こうたいしたとおもつたが、此時このときすでにおそかつた、いま弦月丸げんげつまる側面前方そくめんぜんぱうやく米突メートル以内いない接迫せつぱくきたつた海蛇丸かいだまるは、忽然こつぜん[#ルビの「こつぜん」は底本では「こぜん」]その船首せんしゆ左方さほう廻轉くわいてんするよとに、そのするど衝角しようかくあたか電光石火でんくわうせきくわごとく、本船ほんせん中腹ちうふく目撃めがけてドシン※[#感嘆符三つ、101-6]
弦月丸げんげつまる萬山ばんざんくづるゝがごとひゞきとも左舷さげん傾斜かたむいた。途端とたんおこ大叫喚だいけうくわん二百にひやく船員せんゐんくるへる甲板かんぱんへ、數百すうひやく乘客じやうきやく一時いちじ黒雲くろくもごと飛出とびだしたのである。
かぜごとく、電光いなづまごときたりし海蛇丸かいだまる[#ルビの「かいだまる」は底本では「かいたまる」]は、また、かぜごとく、電光いなづまごとく、黒暗々こくあん/\たる波間はかんかくれてしまつた。
天空そらには星影ほしかげてん、二てんた三てんかぜしてなみくろく、ふね秒一秒べういちべうと、阿鼻叫喚あびけうくわんひゞきせて、印度洋インドやう海底かいていしづんでくのである。

    第八回 人間にんげん運命うんめい
弦月丸の最後――ひ、ひ、卑怯者め――日本人の子――二つの浮標ブイ――春枝夫人の行衞――あら、黒い物が!
 あゝ人間にんげん運命うんめいほど不思議ふしぎものはない。この珍事ちんじのあつた翌日よくじつわたくしは、日出雄少年ひでをせうねんたゞ二人ふたりで、ながさ卅フヒートにもらぬ小端艇せうたんていゆだねて、みづそらなる大海原おほうなばらなみのまに/\たゞよ[#ルビの「たゞよ」は底本では「たゝよ」]つてるのであつた。までく、弦月丸げんげつまる其時そのとき無限むげんうらみんで、印度洋インドやう海底かいてい沈沒ちんぼつせしめられたのである。
かぜやはらかに、くさみどりなる陸上りくじやうひとは、ふね沈沒ちんぼつなどゝけば、あだか趣味しゆみある出來事できごとやうおもはれて、あるひ演劇えんげきに、あるひ油繪あぶらゑに、樣々さま/″\なることをしてその悲壯ひさうなる光景ありさま胸裡むねゑがかんとしてるが、わたくしごと現在げんざいそのなんのぞんで、弦月丸げんげつまる悲慘ひさんなる最後さいごぐるまで、その甲板かんぱんのこつてつたは、今更いまさらその始終しじゆう懷想くわいさうしても彌立よだほどで、とてもくわしいこと述立のべたてるにしのびぬが、是非ぜひかたらねばならぬその大略あらましだけをこゝしるしてかう。
海蛇丸かいだまるわが弦月丸げんげつまる右舷うげん衝突しやうとつして、かぜごとそのかたち闇中やみぼつつたのちは、船中せんちゆうかなえくがやうさわぎ[#ルビの「さわぎ」は底本では「さわき」]であつた。こゑわめこえあはれ救助たすけもとむるこゑは、すさまじき怒濤どとうおと打交うちまじつて、地獄ぢごく光景ありさまもかくやとおもはるゝばかり。あらゆる防水ぼうすい方便てだてつくされたが、微塵みぢん打碎うちくだかれたる屹水下きつすいかからは海潮かいてうたきごとほとばしりつて、その近傍きんぼうにはこと出來できない。十だい喞筒ポンプは、全力ぜんりよくみづ吐出はきだしてるがなん效能こうのうもない。六千四百とん巨船きよせんもすでになかばかたむき、二本にほん煙筒えんとうから眞黒まつくろ吐出はきだけぶりは、あたか斷末魔だんまつま[#ルビの「だんまつま」は底本では「たんまつま」]苦悶くもんうつたへてるかのやうである。
『もう無益だめだ/\、とても沈沒ちんぼつまぬかれない。』と船員せんゐん一同いちどうはすでに本船ほんせん運命うんめい見捨みすてたのである。
わたくし此時このときまでほとんど喪心そうしん有樣ありさまで、甲板かんぱん一端いつたん屹立つゝたつたまゝこの慘憺さんたんたる光景ありさままなこそゝいでつたが、ハツと心付こゝろついたよ。
春枝夫人はるえふじん日出雄少年ひでをせうねん如何どうしてるだらう。』と
わたくしちうんで船室せんしつかたむかつた。昇降口しようかうぐちのほとり、出逢であひがしらに、下方したからのぼつてたのは、夫人ふじん少年せうねんとであつた。不時ふじ大騷動だいさうどうに、おどろ目醒めさめたる春枝夫人はるえふじんは、かゝる焦眉せうびきふにもその省愼たしなみわすれず、寢衣しんい常服じやうふく着更きかへてつために、いまやうや此處こゝまでたのである。るよりわたくし
夫人おくさん大事變だいじへんが/\。』
なにおこりましたか、暗礁あんせうへでも?』と夫人ふじんこゑしづんでつた。
暗礁あんせうどころか、ま、はやく/\。』とわたくし引立ひきたてるやうにして夫人ふじんともなひ、喫驚びつくりして※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはつて少年せうねんをば、ヒシとうでかゝへて甲板かんぱんはしつた、あまりにひと立騷たちさわいでへんは、かへつ危險きけんおほいので、吾等われら三人みたりまつたはなれて、ずつと船首せんしゆ海圖室かいづしつほとりせた。この塲合ばあひだい一にわたくしむねをうつたのは、この航海かうかいのはじめネープルスかうづるとき濱島はまじまかたやくして、夫人ふじんその愛兒あいじとのうへは、わたくし生命いのちけてもとかた請合うけあつたこといまこの危急ききふ塲合ばあひのぞんで、わたくし身命しんめいもあれ、この二人ふたり[#ルビの「だ」は底本では「た」]けは如何どうしてもすくはねばならぬのだ。
ふね秒一秒べういちべうしづんでく、甲板かんぱん叫喚けうくわんはます/\はげしくなつた。つひに「端艇たんていおろせい。」の號令がうれいひゞいて、だい一の端艇たんてい波上はじやう降下くだつた。此時このときわたくし春枝夫人はるえふじん見返みかへつたのである。
『いざ、夫人おくさん避難ひなん用意ようゐを。』と。すべて海上かいじやう規則きそくとして、かゝ塲合ばあひだい一にくだされたる端艇たんてい一等船客いつとうせんきやくのため、だい二が二等船客にとうせんきやくだい三が三等船客さんとうせんきやくすべての船客せんきやくのがつたあとに、猶殘なほのこ端艇たんていがあれば、其時そのときはじめて船員等せんゐんら避難ひなんようけうせらるゝのである。でわたくしいまだい端艇たんていくだるとともに、吾等われら一等船客いつとうせんきやくたるの權利けんりをもつて、春枝夫人はるえふじん日出雄少年ひでをせうねんとをいざなつたのである。勿論もちろんわたくし不束ふつゝかながらも一個いつこ日本男子につぽんだんしであれば、そのくにたいしても、かゝ[#「かゝる」は底本では「かゝか」]塲合ばあひだい一に逃出にげだこと出來できぬのである。しかし、春枝夫人はるえふじん日出雄少年ひでをせうねんとはわたくし[#「わたくしが」は底本では「わたくしか」]かたとも保證ほしやうしてひとかつ纎弱かよわ女性によせうと、無邪氣むじやきなる少年せうねんであれば、この二人ふたりをば避難ひなんせしめんとしきりこゝろいらだてたのである。
しかるにわたくし苦心くしんまつた無益むえきであつた。第一端艇だいいちたんてい波上はじやう[#ルビの「はじやう」は底本では「はしやう」]うかぶやなや、たちま數百すうひやくひとは、雪崩なだれごと其處そこくづれかゝつた。我先われさきその端艇たんてい乘移のりうつらんと、人波ひとなみうつて※(「口+曹」、第3水準1-15-16)ひしめさまは、黒雲くろくもかぜかれて卷返まきかへすやうである。
夫人おくさん、とてもいけません。』と二三すゝんだわたくし振返ふりかへつた。とても/\、あの狂氣きちがひのやうに立騷たちさわいで多人數たにんずうあひだけて、この柔弱かよわ夫人ふじん少年せうねんとを安全あんぜん端艇たんてい送込おくりここと出來できやう? あゝ人間にんげんはいざと塲合ばあひには、恥辱はぢ名譽めいよもなく、まで生命いのちしいものかと、嘆息たんそくともながめてると、さら奇怪きくわいなるは、その端艇たんていとうじたる一群いちぐんひと、それは一等船客いつとうせんきやくでもなく、二等船客にとうせんきやくでもなく、じつこのふね最後さいごまで踏止ふみとゞまはづ水夫すいふ火夫くわふ舵手かぢとり機關手きくわんしゆ其他そのほか一團いちだん賤劣せんれつなる下等船客かとうせんきやくで、自己おのれ腕力わんりよくまかせて、突除つきの蹴倒けたをして、我先われさきにと艇中ていちう乘移のりうつつたのである。
『あゝ、なんたる醜態しうたいぞ。」とわたくしはあまりのこと撫然ぶぜんとした。春枝夫人はるえふじんわたくし後方うしろに、愛兒あいじをしかといだきたるまゝ默然もくねんとしてことばもない、けれど流石さすが豪壯がうさうなる濱島武文はまじまたけぶみつま帝國軍人松島海軍大佐ていこくぐんじんまつしまかいぐんたいさ妹君いもとぎみほどあつて、ちつと取亂とりみだしたる姿すがたのなきは、すでその運命うんめいをばてんまかせてるのであらう。かゝる殊勝けなげなる振舞ふるまひては、わたくしなほだまつてはられぬ。
『えゝ、無責任むせきにんなる船員せんいん! 卑劣ひれつなる外人くわいじん! 海上かいじやう規則きそくなんためぞ。』と悲憤ひふんうでやくすと、夫人ふじんさびしきかほわたくしむかつた、しづんだこゑ
『いえ、誰人どなたいのちたすかりたいのはおなことでせう。』とつて、ひとみてん
『でも、あのやう澤山たくさんつては端艇たんていしづみませうに。』といふ、我身わがみ危急あやうきをもわすれて、かへつてあだひとうへ氣遣きづかこゝろやさしさ、わたくしこゑはげまして
夫人おくさん其樣そん事處ことどころでありません、貴女あなた少年せうねんとは如何どうしてもたすからねばなりません、わたくしまない/\。』とさけんで見渡みわたすと此時このとき第二だいに端艇たんていりた、第三だいさん端艇たんていりた、けれどその附近ふきん以前いぜんにも混雜こんざつで、わたくし[#「わたくしは」は底本では「わたくしば」]たゞ地團太ぢだんだむばかり。ふとまなこつたのは、いまこのふね責任せきにん双肩さうけんになへる船長せんちやうが、卑劣ひれつにも此時このとき舷燈げんとうひかり朦朧もうろうたるほとりより、てんさけび、ける、幾百いくひやく乘組人のりくみにんをば此處ここ見捨みすてゝ、第三だいさん端艇たんてい乘移のりうつらんとするところ
『ひ、ひ、卑怯者ひけふもの!。』とわたくし躍起やつきになつた、此處こゝには春枝夫人はるえふじんごと殊勝けなげなる女性によせうもあるに、かれ船長せんちやう醜態しうたい何事なにごとぞとおもふと、もうだまつてはられぬ、もとより無益むえきわざではあるが、せめての腹愈はらいやしには、わが鐵拳てつけんをもつてかれかしら引導いんどうわたしてれんと、驅出かけだたもと夫人ふじんしづかとゞめた。
『もう何事なにごとさりますな。わたくしも、日出雄ひでをも、此儘このまゝうみ藻屑もくづえても、けつして未練みれんたすからうとはおもひませぬ。』と白※薇はくさうび[#「薔」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」、110-1]のたとへばあめなやめるがごとく、しみ/″\と愛兒あいじかほながめつゝ
『けれど、てんめぐみがあるならば、なみそこしづんでもあるひたすかることもありませう。」と明眸めいぼうつゆたゝえててんあほいだ。
たちまち、暗澹あんたんたる海上かいじやうに、不意ふい大叫喚だいけうくわんおこつたのは、本船ほんせんのがつた端艇たんていあまりに多人數たにんずう[#ルビの「たにんずう」は底本では「たにんず」]せたため一二そうなみかぶつて沈沒ちんぼつしたのであらう。
『オー、無殘むざんに。』と春枝夫人はるえふじん手巾ハンカチーフおもておほふた。
『あれは自業自得じがふじとくです。』とわたくし冷笑れいせうきんなかつた。
弦月丸げんげつまる運命うんめい最早もはやぷん、二ふん甲板かんぱんにはのこ一艘いつそう端艇たんていい、くなりては今更いまさらなにをかおもはん、せめては殊勝けなげなる最後さいごこそ吾等われらのぞみである。
夫人おくさん!。』とわたくししづか夫人ふじんよびかけた。
何事なにごと天命てんめいです、しか吾等われらこの急難きふなんのぞんでも、わが日本につぽんほまれきづゝけなかつたのがせめてもの滿足まんぞくです。』とかたると、夫人ふじんかすかにうち點頭うなづき、俯伏ひれふして愛兒あいじくれないなるほう最後さいご接吻せつぷんあたへ、言葉ことばやさしく
日出雄ひでをや、おまへいまこの災難さいなんつても、ネープルス袂別わかれとき父君おとつさんつしやつたお言葉ことばわすれはしますまいねえ。』とへば、日出雄少年ひでをせうねん此時このとき凛乎りんこたるかほ
おぼえてます。父樣おとつさんわたくしあたまでゝ、おまへ日本人につぽんじんといふことをばどんなときにもわすれてはなりませんよ、とおつしやつたことでせう。』
夫人ふじんおもはずなみだをはら/\となが
其事そのこと、おまへはゝとは、これ永遠えいゑんわかれとなるかもれませんが、さひはひにおまへ生命いのちたすかつたなら、これからときに、始終しじうその言葉ことばわすれず、誠實まことひととならねばなりませんよ。』と言終いひをはつたとき怒濤どたう船尾せんびほうから打上うちあげてた。
最早もはや最後さいごと、わたくしはなつて四邊あたりながめたが、此時このときふととまつたのは、左舷さげんほう取亂とりみだされてあつた二三浮標ブイ端艇たんていいそいだ人々ひと/″\は、かゝるものにはまなこめなかつたのであらう。わたくしいそ取上とりあげた。素早すばや一個いつこ夫人ふじんわたし、今一個いまいつこ右手めてとらへて『日出雄ひでをさん。』とばかり左手ひだり少年せうねん首筋くびすぢかゝへたときふねたちまち、天地てんちくだくるがごとひゞきとも海底かいていぼつつた。
泡立あはだなみ逆卷さかまうしほ一時いちじ狂瀾きやうらん千尋せんじんそこ卷込まきこまれたが、やゝしばらくしてふたゝ海面かいめん浮上うかびあがつたとき黒暗々こくあん/\たる波上はじやうには六千四百とん弦月丸げんげつまるかげかたちもなく、其處此處そここゝには救助すくひもとむるこゑたえ/″\にきこゆるのみ、わたくしさひはひ浮標ブイうしなはで、日出雄少年ひでをせうねんをば右手めてにシカといだいてつた。けれど夫人ふじん姿すがたえない『春枝夫人はるえふじん、々々。』とこゑかぎりにんでたがこたへがない、たゞ一度いちどはるか/\の波間なみまから、かすかにこたへのあつたやうにもおもはれたが、それもなみおとやら、こゝろまよひやら、夫人ふじん姿すがたつひ見出みいだこと出來できなかつたのである、わたくし幼少えうせうころから、水泳すいえいにはきはめてたつしてつたので、容易ようゐおぼれるやう氣遣きづかひはない、日出雄少年ひでをせうねんいだ一個いつこ浮標ブイちからに、一時ひとゝきばかり海中かいちうひたつてつたが、其内そのうち救助すくひもとむるひとこゑきこえずなり、その弦月丸げんげつまる沈沒ちんぼつしたところより餘程よほどとうざかつた樣子やうす不意ふゐ日出雄少年ひでをせうねんが『あらくろものが。』とさけぶので、おどろいてつむりげると、いましも一個いつこ端艇たんてい前方ぜんぽう十四五ヤードの距離へだゝりうかんでる、これ先刻せんこく多人數たにんずうつたために、轉覆てんぷくしたうち一艘いつさうであらう。ちかづいてると艇中ていちうには一個いつこ人影ひとかげもなく、海水かいすいていなかばを滿みたしてるが、なにもあれてんたすけうちよろこび、少年せうねんをば浮標ブイたくし、わたくし舷側げんそくいておよぎながら、一心いつしん海水かいすい酌出くみだし、あかつきころになつてやうやみづきたので、二人ふたりそのなかり、いま何處いづく目的めあてもなく、印度洋インドやう唯中たゞなかなみのまに/\漂流たゞよつてるのである。

    第九回 大海原おほうなばら小端艇せうたんてい
亞尼アンニーの豫言――日出雄少年の夢――印度洋の大潮流――にはか雨――昔の御馳走――巨大な魚群
 おそろしき一夜いちやつひけた。ひがしそらしらんでて、融々うらゝかなる朝日あさひひかり水平線すいへいせん彼方かなたから、我等われらうへてらしてるのは昨日きのふかはらぬが、かはてたのは二人ふたり境遇みのうへである。昨日きのふまでは、弦月丸げんげつまる美麗びれいなる船室キヤビンくらして、目醒めさむるとだい一に甲板かんぱんはして、曉天あかつきすゞしきかぜかれながら、いと心地こゝちよくながめたうみおもも、いまにはたゞ物凄ものすごゆるのみである。眼界がんかいたつするかぎ煙波えんぱ渺茫べうぼうたる印度洋インドやうちうに、二人ふたり運命うんめいたくするこの小端艇せうたんていには、く、かひく、たゞなみのまに/\たゞよつてるばかりである。
今更いまさら昨夜さくや事件ことかんがへるとまつたゆめやうだ。
『あゝ、何故なぜ此樣こん不運ふうん出逢であつたのであらう。』とわたくし昨夜さくやうみひたつて、全濡びつしよりになつたまゝ黎明あかつきかぜさむさうふるへてる、日出雄少年ひでをせうねんをば[#「日出雄少年ひでをせうねんをば」は底本では「日出雄少年ひでをせうねんをは」]ひざ抱上いだきあげ、いましも、太陽たいやう暫時しばし浮雲うきぐもかくれて、なにとなく薄淋うすさびしくなつたなみおもながめながら、むねかゞみくと、今度こんど航海かうかいはじめから、不運ふうんかみ我等われら跟尾つきまとつてつたやうだ。出港しゆつかうのみぎり白色檣燈はくしよくしやうとうくだけたこと、メシナ海峽かいきようで、一人ひとり船客せんきやくうみおぼれた事等ことなどあだかてんこゝろあつて、今回こんくわい危難きなん豫知よちせしめたやうである。イヤ其樣そん無※ばか[#「(禾+尤)/上/日」、116-2]こともあるまいが、子ープルス埠頭はとばで、亞尼アンニーいてかたつたことは、不思議ふしぎにも的中てきちうした。勿論もちろんこく因縁いんねんなどはしんぜられぬが、老女らうじよ最後さいご一言いちごん、『弦月丸げんげつまるには、めづらしく澤山たくさん黄金わうごん眞珠しんじゆとが搭載とうさいされてます、眞珠しんじゆ黄金わうごんとがおびたゞしく海上かいじやう[#「海上かいじやうで」は底本では「海上かいじやうて」]集合あつまる屹度きつとおそたゝりがあります。』との豫言よげんは、偶然ぐうぜんにも其通そのとうりになつて、是等これら寳物たからものがあつたばかりに、昨夜さくや印度洋インドやう惡魔あくまにもおそ大海賊だいかいぞく襲撃しうげきかうむり、ふねしづみ、夫人ふじん行衞ゆくえうしなひ、吾等われら何時いつすくはるゝといふ目的めあてもなく、なみまるゝ泡沫うたかたのあはれ果敢はかな運命うんめいとはなつた。かんがへると益々ます/\しづんで、いき心地こゝちもしなかつた。
此時このとき太陽たいよう雲間くもまれて赫々かく/\たるひかり射出いゝだした。
日出雄少年ひでをせうねん頑是ぐわんぜなき少年せうねんつねとてかゝる境遇きやうぐうちても、昨夜さくや以來いらい疲勞つかれには堪兼たへかねて、わたくしひざもたれたまゝ、スヤ/\とねむりかけたが、たちま可憐かれんくちびるれてゆめこゑ
『あゝ、おつかさん/\、貴女あなたわたくしてゝ何處どこへいらつしやるの――オ、オ、子ープルスまち富士山ふじさんとのあひだに、ま、ま、奇麗きれいはしが――オヤ、おとつさんがわたくしんでいらつしやるよ。』と少年せうねんは、いまゆめなつかしき父君ちゝぎみ母君はゝぎみ出逢であつてるのである。
あゝ、かれ最愛さいあいちゝ濱島武文はまじまたけぶみは、はるかなる子ープルスで、いま如何いかなるゆめむすんでるだらう、少年せうねんゆめにもかくした母君はゝぎみ春枝夫人はるえふじんは、昨夜さくやうみちて、つひその行方ゆくかたうしなつたが、てん非常ひじやうめぐみがあるならばまんに一つ無事ぶじすくはれぬともかぎらぬが、其儘そのまゝうみ藻屑もくづえて、そのたましひてんかへつたものならば、此後このゝち吾等われら運命うんめいよく無事ぶじたすかることがあらうとも、日出雄少年ひでをせうねんゆめほかは、またとなつかしき母君はゝぎみかほこと出來できぬであらう、かんがへると、わたくし無限むげんかなしくなつて、はふりつるなみだ日出雄少年ひでをせうねんかほにかゝると、少年せうねんおどろいてさました。わたくしなみだくもかほ
『あら、叔父おぢさんは如何どうかして。』
わたくしはハツと心付こゝろづいたので、わざ大聲おほごゑわらつて
『なに、日出雄ひでをさんがねむつてしまつて、あまさびしいもんだから、おほきな欠伸あくびをしたんだよ。』
少年せうねんまぶたをこすりつゝ、悄然しようぜんていなか見廻みまわした。たれでも左樣さうだが非常ひじやう變動へんどうあと暫時しばしゆめちて、ふたゝめざめたときほど心淋こゝろさびしいものはないのである。少年せうねんよわひやうやく八さいこの悲境ひきようちて、回顧くわいこしてあのやさしかりし母君はゝぎみ姿すがたや、ネープルスわかれた父君ちゝぎみことなどをおもうかべたときは、まあどんなにかなしかつたらう、いま一片いつぺんのパンも一塊いつくわいにくもなきこのみじめな艇中ていちう見廻みまわして、ふたゝ[#「ふたゝび」は底本では「ふたゝひ」]わたくしかほながめた姿すがたは、不憫ふびんともなんともはれなかつた。
懷中時計くわいちうどけい海水かいすいひたされて、最早もはやものようにはらぬが、とき午前ごぜんの十と十一とのあひだであらう、此時このとき不圖ふと心付こゝろづくと、今迄いままでは、たゞなみのまに/\たゞよつてるとのみおもつてつた端艇たんていが、不思議ふしぎにものやうな速力そくりよくで、東北とうほくほうから西南せいなんほうへとながれてるのであつた。((磁石は無いが方角は太陽の位置で分る)わたくし一時いちじ喫驚びつくりしたが、よくかんがへると、これはなに不思議ふしぎでない、今迄いまゝでそれと心付こゝろつかなかつたのは、縹渺へうべうたる大洋たいやうめんで、しまとかふねとかくらべてものがなかつたからで、これはよくことだ。してると、端艇たんていは、何時いつにか印度洋インドやう名高なだか大潮流だいてうりう引込ひきこまれたのであらう。わたくしなんとなくのぞみのあるやうかんじてたよ。おもふにこの潮流てうりうラツカデヴ群島ぐんたう方面ほうめんから、印度大陸インドたいりく西岸せいがん[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、120-2]ぎて、マダカツスル諸島しよたう附近ふきんより、亞弗利加アフリカ南岸なんがんむかつてながれてくものに相違さうゐない、すると其間そのあひだには※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きせん見出みいだされるとか、何國いづくかの貿易港みなと漂着へうちやくするとか、兎角とかくして救助きゆうじよられぬこともあるまいとかんがへたのである。しかし、なか萬事ばんじ左樣さう幸運うまくかどうだか。この潮流てうりうしてく、亞弗利加アフリカ沿岸えんがんおよ南太平洋みなみたいへいやうへんには、隨分ずいぶん危險きけんところ澤山たくさんある、かへつ食人國しよくじんこくとか、海賊島かいぞくたうほうへでも押流おしながされてつたら、それこそ大變たいへん! しかし、なんかんがへたからとて奈何どうなるものか。たゞ天命てんめい! 天命てんめい
此時このとき今迄いまゝで晴朗うらゝかであつた大空おほぞら[#ルビの「おほぞら」は底本では「おほそら」]は、る/\うち西にしかたからくもつてて、熱帶地方ねつたいちほう有名いうめい驟雨にわかあめが、車軸しやぢくながすやうにつてた。うみおもて瀧壺たきつぼのやうに泡立あわだつて、ひどいもひどくないも、わたくし少年せうねんとは、あたまかゝへて、ていそこうづくまつてしまつたが、其爲そのために、昨夜さくや海水かいすいひたされて、いまやうやかわきかけてつた衣服きものは、ふたゝびつしよりれてしまつた。あゝてんなんとてまで無情むじやうなると、わたくし暫時しばし眞黒まつくろくもにらんで、只更ひたすらうらんだが、しかのちかんがへると、なか萬事ばんじなにわざわひとなり、なに幸福こうふくとなるか、其時そのときばかりではわからぬのである。
この驟雨にわかあめがあつたばかりに、其後そのゝちふかてん恩惠おんけい感謝かんしやするときた。
やがあめまつたれるとともに、今度こんど赫々かく/\たる太陽たいようは、ごと吾等われらうへてらしてた。印度洋インドやうちう雨後うご光線くわうせんはまた格別かくべつで、わたくしころされるかとおもつた。其時そのときだい一に堪難たえがたかんじてたのはかはきくるしみこゝわざわひへんじてさひはひとなるとつたのは、普通ふつうならば、漂流人へうりうじんが、だい一に困窮こんきうするのは淡水まみづられぬことで、其爲そのために十ちう八九はたをれてしまうのだが、吾等われらそのなんけはまぬかれた。先刻せんこくたきのやうに降注ふりそゝいだ雨水あめみづは、艇底ていてい一面いちめんたまつてる、隨分ずいぶん生温なまぬるい、いやあぢだが[#「あぢだが」は底本では「あぢだか」]其樣事そんなことは云つてられぬ。兩手りようてすくつて、うしのやうにんだ。かはきまるとともつぎにはうゑくるしみ、あゝ此樣こんことつたら、昨夜さくや海中かいちう飛込とびこときに、「ビスケツト[#「ビスケツト」は底本では「ピスケツト」]」の一鑵ひとかんぐらいは衣袋ポツケツトにしてるのだつたにと、今更いまさらくやんでも仕方しかたがない、うなると昨夜さくやあたゝかな「スープ」や、狐色きつねいろの「フライ」や、蒸氣じようきのホカ/\とつてる「チツキンロース」などが、食道しよくだうへんにむかついてる。そればかりか、とほむかしに、燒肉ビフステーキすこ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、122-8]ぎてるからと怒鳴どなつて、肉叉フオークもつけずにいぬはせてしまつた一件いつけんや、「サンドウイツチ」は職工しよくにん辨當べんたう御坐ござるなどゝ贅澤ぜいたくつて、※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きしやまどから投出なげだしたことなどを懷想くわいさうして、つくづくとなさけなくなつてた。しかこのは、無論むろん空腹くうふくまゝれて、ゆめも、始終しじう食物しよくもつことゆめみるといふ次第しだい翌日よくじつになるとくるしさはまた一倍いちばい少年せうねん二人ふたりいろあをざめて、かほ見合みあはしてるばかり、はて艇舷ふなべり材木ざいもくでも打碎うちくだいて、にしてまんかとまで、馬鹿ばかかんがへおこつたほどで、つひれ、船底ふなぞこまくらよこたはつたが、その空腹くうふくため終夜しうやねむこと出來できなかつた。
くるしきけて、太陽たいようはまたもやあらはれてたが、わたくし最早もはや起直おきなをつて朝日あさひひかりはいする勇氣ゆうきい、日出雄少年ひでをせうねん先刻せんこくより半身はんしんもたげて、海上かいじやうながめてつたが、此時このときたちま大聲たいせいさけんだ。
巨大おほきさかなが! 巨大おほきさかなが!』

    第十回 沙魚ふか水葬すゐさう
天の賜――反對潮流――私は黒奴、少年は炭團屋の忰――おや/\變な味になりました――またも斷食
 少年せうねんこゑ飛起とびお海上かいじやうながめたわたくしさけんだ。
沙魚ふか領海りようかい! 沙魚ふか領海りようかい!』
沙魚ふか領海りようかいとは隨分ずゐぶん奇妙きめう名稱めいしやうだが、實際じつさい印度洋インドやうちうマルダイブ群島ぐんとうから數千里すせんり南方なんほうあたつて、かゝ塲所ばしよのあるといふことは、かつある地理書ちりしよんだことがあるが、いま吾等われら目撃もくげきしたのはたしかにそれだ。せうは四五しやくよりだいは二三じようぐらいの數※すうまん[#「一/力」、124-5]沙魚ふかが、ぐんをなしてわが端艇たんてい周圍まわり押寄おしよせてたのである。この魚族ぎよぞくは、きわめて性質せいしつ猛惡まうあくなもので、一時いちじ押寄おしよせてたのは、うたがひもなく、吾等われら餌物えものみとめたのであらう。わたくしそのぐんたちま野心やしん[#「野心やしんが」は底本では「野心やしんか」]おこつた。いまかく空腹くうふくかんじて塲合ばあひに、あのさかなを一とらへたらどんなにうれしからうとかんがへたが、あみ釣道具つりどうぐのたゞこゝろいらだつばかりである。此時このとき不意ふいに、波間なみまからをどつて、艇中ていちう飛込とびこんだ一尾いつぴき小魚こざかな日出雄少年ひでをせうねん小猫こねこごとひるがへして、つておさへた。『に、にがしては。』とわたくし周章あはてゝ、そのうへまろびかゝつた。此時このときうれしさ! ると一しやくぐらいのあぢで、巨大きよだいなる魚群ぎよぐん[#ルビの「ぎよぐん」は底本では「ぎよぐく」]はれたため[#ルビの「ため」は底本では「た」]に、偶然ぐうぜんにも艇中ていちう飛込とびこんだのである。てんたまものわたくしいそ取上とりあげた。じつは、少年せうねんともに、たゞ一口ひとくちに、堪難たえがた空腹くうふく滿みたしたきは山々やま/\だが、てよ、いまこのちいさいうをを、周章あはてゝたいらげたとてなにになる、農夫のうふ如何いかうゑても、一合いちごうむぎ[#ルビの「むぎ」は底本では「むき」]はずにいて一年いちねんはかりごとをする、わたくしこのちいさいうをを百ばいにも二百倍にひやくばいにもする工夫くふういでもない、よしこの小鰺こあぢで、あの巨大おほき沙魚ふかつてやらうとかんがへたので、少年せうねんかたると少年せうねん大賛成だいさんせい勿論もちろん釣道具つりどうぐいが、さひわひにも艇中ていちうには端艇たんてい本船ほんせん引揚ひきあげるとき使用しようする堅固けんごなる鐵鎖てつぐさりと、それに附屬ふぞくして鉤形つりばりがたの「Hookフツク」がのこつてつたので、それをはづして、フツク只今たゞゐま小鰺こあぢつらぬいてやをら立上たちあがつた。天涯てんがい渺茫べうぼうたる絶海ぜつかい魚族ぎよぞくは、漁夫ぎよふかげなどはこともないから、れるとかれぬとかの心配しんぱいらぬ、けれどあまりに巨大きよだいなるは、端艇たんていくつがへすおそれがあるのでいましも右舷うげん間近まぢかおよいでた三四しやく沙魚ふか、『此奴こいつを。』と投込なげこなみしづむかしづまぬに、わたくしは『やツ。しまつた。』と絶叫ぜつけうしたよ。海中かいちう魚族ぎよぞくにも、優勝劣敗ゆうしやうれつぱいすうまぬかれぬとへ、いまちいさ沙魚ふかおよいで[#「およいで」は底本では「およいて」]つたなみそこには、おどろ巨大きよだいの一りて、稻妻いなづまごとたいをどらして、たゞくちわたくしつりばりをんでしまつたのだ。たちまち、うしほ泡立あわだち、なみ逆卷さかまいて、其邊そのへん海嘯つなみせたやう光景くわうけいわたくし一生懸命いつせうけんめい鐵鎖てつさにぎめて、此處こゝ千番せんばん一番いちばんんだ。もとよりかゝ巨魚きよぎよくることとてとても、引上ひきあげる[#「引上ひきあげる」は底本では「引上ひきあける」]どころのさわぎでない、あやま[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、126-10]てば端艇たんてい諸共もろとも海底かいてい引込ひきこまれんず有樣ありさま、けれど此時このときこの鐵鎖くさり如何どうしてはなたれやうぞ、沙魚ふかつか、わたくしけるか、れるとれぬは生死せいしわか日出雄少年ひでをせうねんをまんまるにして、このすさまじき光景くわうけいながめてつたが、可憐かれん姿すがたうしろからわたくしいだ
『オヽ、あぶなこと! あぶなこと!。』とさけぶ。
『なに、なに、大丈夫だいじようぶ! 大丈夫だいじようぶ!。』とわたくし眞赤まつかになつて仁王にわうごと屹立つゝたつた。兎角とかくする今迄いまゝでは、其邊そのへん縱横じゆうわう暴廻あれまわつてつた沙魚ふかは、その氣味惡きみわるかしら南方みなみのかたけて、あだかるやうにかけした。端艇たんていともかれて、疾風しつぷうのやうにはしるのである。わたくしはいよ/\必死ひつしだ。
『さあ、うなつたらにがことでないぞ。』と最早もはやはらむなしいことも、いのち危險あぶないことも、悉皆すつかりわすれてしまつた。兎角とかくしておよそ時間じかんばかりは、くるはし沙魚ふかのためにかれて、いつしかうしほながれをもだつし、沙魚ふか領海りようかいからはすでに十四五海里かいりへだたつたとおもころ流石さすが猛惡まうあくなるうをつひ疲勞つかたをれて、その眞白ましろなる腹部はらさかさま海面かいめんうかんだ。ほつと一息ひといき引上ひきあげてると、おもつたより巨大おほきうをで、ほとんど端艇たんてい二分にぶんいちふさいでしまつた。
『まあ、みにくさかなですこと。』と少年せうねん氣味惡きみわるさうに、その堅固けんごなる魚頭かしらたゝいてた。
『はゝゝゝゝ。ひどつたよ。しかしこれで當分たうぶん餓死うゑじにする氣遣きづかひはない。』とわたくしたゞちに小刀ナイフ取出とりだした。勿論もちろん沙魚ふかといふさかな左程さほど美味びみなものではないが、この塲合ばあひにはいくらつても喰足くひたらぬ心地こゝち
日出雄ひでをさん、あんまりやるとそんじますよ。』と氣遣きづかひがほわたくしさへ、その生臭なまくさにく口中こうちう充滿いつぱい頬張ほうばつてつたのである。
この大漁獲だいりようがあつたので、明日あすからは餓死うゑじに心配しんぱいはないとおもふと、人間にんげん正直せうじきなもので、そのゆめはいとやすく、あさ寢醒ねざめ何時いつになくむねおだやかであつた。
その翌日よくじつは、漂流へうりう以來いらいはじめてすここゝろ落付おちついて、れい雨水あめみづみ、沙魚ふかにく舌皷したつゞみちつゝ、島影しまかげきか、※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きせんけむりへぬかと始終しじうくばる、けれどこの何物なにものまなこさへぎるものとてはなく、その翌日よくじつも、むなしく蒼渺さうびやうたる大海原おほうなばら表面ひやうめんながむるばかりで、たゞわが端艇たんてい沙魚ふかためまへ潮流てうりう引出ひきいだされ、いまかへつ反對流はんたいりうとて、今度こんど西南せいなんから東方とうほうむかひ、マルヂヴエ群島ぐんとうへんから南方なんほうむかつてはしるなる、一層いつそう流勢ながれはや潮流てうりう吸込すひこまれてるとさとつたときおもはず驚愕おどろきこゑはつしたことと、かつものほんんだおびたゞしきくぢらむれはるか海上かいじやうながめたことほかは、なにかはつたこともない。勿論もちろんいま境涯きやうがいとてけつして平和へいわ境涯きやうがいではないが、すでにはら充分じゆうぶんちからがあるので、すぐ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、129-11]よりは餘程よほど元氣げんきもよく、赫々かく/\たる熱光ねつくわうした日出雄少年ひでをせうねんわたくしかほ見詰みつめて『おや/\、叔父おぢさんは何時いつにか、黒奴くろんぼになつてしまつてよ。』と自分じぶんかほ自分じぶんにはえず、昨日きのふ美少年びせうねんも、いまけ、潮風しほかぜかれて、あだか炭團屋たどんや長男ちやうなんのやうになつたことにはかぬ無邪氣むじやきさ、只更ひたすらわたくしかほゆびさわらつたなど、くるしいあひだにも隨分ずいぶん滑※こつけい[#「(禾+尤)/上/日」、130-5]はなしだ。其日そのひれ、翌日よくじつきたつたが矢張やはりみづそらなる大洋たいやうおもてには、一點いつてん島影しまかげもなく、※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きせんけむりえぬのである。
しかるにこゝ一大いちだい事件じけんおこつた。それはほかでもない、吾等われら生命せいめいつなたの沙魚ふかにくがそろ/\腐敗ふはいはじめたことである。最初さいしよから多少たせうこの心配しんぱいいでもなかつたが、かくめづらしき巨大きよだいうをの、左樣さう容易ようい腐敗ふはいすることもあるまいと油斷ゆだんしてつたが、その五日目いつかめあさわたくしはふとそれと氣付きづいた。しかいま塲合ばあひなにはずに辛抱しんばうしてつたが、印度洋インドやう炎熱えんねつが、始終しじう其上そのうへやうてらしてるのだからたまらない、その晝食ちうしよくとき一口ひとくちくちにした無邪氣むじやき少年せうねんは、たちまそのにく海上かいじやうして、
『おや/\、どうしたんでせう、このさかなへんあぢになつてよ。』とさけんだのは、じつ心細こゝろぼそ次第しだいであつた。
夕方ゆふがたになると、最早もはや畢世ひつせい勇氣ゆうきふるつても、とてもくちれるこゝろぬ。さりとてこの大事だいじ生命いのちつなを、むさ/″\海中かいちう投棄なげすてるにはしのびず、なるべくていすみほう押遣おしやつて、またもや四五にちまへのあはれな有樣ありさま繰返くりかへして一夜いちやあかしたが、翌朝よくあさになると、ほと/\えられぬ臭氣しゆうきも、たましひも、とうくなるほどで、最早もはやこのくさつたさかなとは一刻いつこく同居どうきよがたく、無限むげんうらみんで、少年せうねん二人ふたりで、沙魚ふか死骸しがいをば海底かいていふかほうむつてしまつた。
サア、これからは又々また/\斷食だんじきこのむなしくれてつたが、かんがへると此後このゝち吾等われら如何いかになることやら、絶望ぜつぼう躍氣やつきとに終夜しゆうやねむらず、翌朝よくてうになつて、あかつきかぜはそよ/\といて、ひがしそらしらんでたが、最早もはや起上おきあが勇氣ゆうきもない、『えい、無益だめだ/\、糧食かてき、※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)ふねえず、今更いまさらたよるしまい。』とおもはずさけんだが、不圖ふとかたわら日出雄少年ひでをせうねんやすらかにねむつてるのに心付こゝろつき、や、つまらぬことをと、いそ其方そなたると少年せうねんは、いまこゑおどろ目醒めざめ、むつときて、半身はんしん端艇たんていそとしたが、たちまおどろよろこびこゑ
しまが! しまが! 叔父おぢさん、しまが! しまが!。』
しまがツ。』とわたくし蹴鞠けまりのやうに跳起はねおきてると、此時このときてんまつたけて、朝霧あさぎりれたるうみおも端艇たんていこと三海里さんかいりばかりの、南方なんぽうあたつて、椰子やし橄欖かんらん※(二の字点、1-2-22)あほ/\しげつて、いそなみたまへん一個いつこしまよこたはつてつた。

    第十一回 無人島むじんたうひゞき
人の住む島か、魔の棲む島か――あら、あの音は――奇麗な泉――ゴリラの襲來――水兵ヒラリと身を躱した――海軍士官の顏
 このしまは、とほくからのぞむと、あだか犢牛こうしよこたはつてやうかたちで、その面積めんせき餘程よほどひろやうだ。弦月丸げんげつまる沈沒ちんぼつ以來いらい數日間すうにちかんは、あをそらと、あをなみほかなに一つもながめたことのない吾等われらが、不意ふいこのしま見出みいだしたときうれしさ、つばさあらばんでもきたき心地こゝち、けれどかなしや、心付こゝろつくとわが端艇たんていにはもなく、かいい。ちかやうでも海上かいじやうの三容易ようゐでない、無限むげん大海原おほうなばらたゞよつてつたあひだこそ、しまさへ見出みいだせば、たゞちにたすかるやうかんがへてつたが、仲々なか/\左樣さうかぬ。まご/\してればふたゝ何處どこ押流おしながされてしまうかもわからぬ。いま躊躇ちうちよしてはられぬ塲合ばあひわたくし突如いきなり眞裸まつぱだかになつて海中かいちう跳込をどりこんだ[#「跳込をどりこんだ」は底本では「跳込をどりこんた」]隨分ずいぶん覺束おぼつかないことだが、およぎながらに、端艇たんていをだん/″\としまほうしてかんとのかんがへ艇中ていちうからは日出雄少年ひでをせうねんかへでのやうなしきりになみ掻分かきわけてる、此樣こんなことで、ふねうごくかうごかぬか、その遲緩まぬるさ。けれど吾等われら勞力らうりよくつひ無益むえきとならで、やうやくことしまいたのは、かれこれ小半日こはんにちすぎ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、134-5]てからあとことわづ三里さんりなみうへを、六時間ろくじかん以上いじやうとははなはおそ速力そくりよくではあるが、それでもわたくしほど辛苦つらかつた。
すぐ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、134-7]る十有餘日いうよにちあひだ、よく吾等われら運命うんめい守護しゆごしてれた端艇たんていをば、波打際なみうちぎわにとゞめてこのしま上陸じやうりくしてると、いまは五ぐわつ中旬なかばすぎ、みどりしたゝらんばかりなる樹木じもくしま全面ぜんめんおほふて、はるむかふは、やら、やまやら、眼界がんかいとゞかぬ有樣ありさま吾等われら上陸じやうりくしたへん自然しぜんまゝなる芝原しばゝら青々あをあをとして、其處此處そここゝに、れぬ紅白こうはくさま/″\のはな咲亂さきみだれて、みなみかぜがそよ/\とくたびに、りくからうみまでえならぬ香氣にほひおくるなど、たゞさへ神仙しんせん遊樂ゆうらくきやうこと私共わたくしどもは、極端きよくたんなる苦境くきやうから、この極端きよくたんなる樂境らくきやう上陸じやうりくしたこととて、はじめはみづかゆめでないかとうたがはるゝばかり。さあうなると今迄いまゝで張詰はりつめてつた幾分いくぶんゆるんでて、疲勞つかれうえかんじてる。斯程かほどしまだから、なに食物しよくもつこともあるまいと四方よも見渡みわたすと、はたして二三ちやうへだゝつた小高こだかをか中腹なかばに、一帶いつたい椰子やし、バナヽのはやしがあつて、甘美うるはしき果實くわじつえだ垂折しをれんばかりに成熟せいじゆくしてる。二人ふたりちうごと驅付かけつけて、ふたはぬは無益むえきやがはら充分じゆうぶんになると、つぎおこつて問題もんだいは、一躰いつたいこのしま如何いかなるしまだらう、見渡みわたところ隨分ずいぶん巨大きよだいしまやうだが、世界輿地圖せかいよちづ表面ひやうめんあらはれてるものであらうか、矢張やはり印度洋インドやうちう孤島ことうだらうか、それともズツト東方ひがしへんして、ボル子オ群島ぐんとうの一つにでもぞくしてるのではあるまいか。氣※きかう[#「候」の「ユ」に代えて「工」、135-12]工合ぐあひや、草木さうもく種類しゆるいなどでると、亞弗利加アフリカ沿岸えんがんにもちかやう氣持きもちもする。しか此樣こんこと如何いかかんがへたとてわかはづのものでない、それよりはこのしま元來ぐわんらい無人島むじんとうか、いなかゞ一大いちだい問題もんだいだ、無人島むじんとうならばそれ/\べつ覺悟かくごするところもあるし、よしひと住居すまひしてしまにしても、おそ野蠻人やばんじん巣窟さうくつでゞもあればそれこそ一大事いちだいじ早速さつそく遁出にげだ工夫くふうめぐらさねばならぬ、それをるにはかくこのしま一周いつしうしてなければならぬとかんがへたので、少年せうねんたづさへてそろ/\とあゆした。しま一周いつしうといつて、このしまはどのくらひろいものやら、また道中だうちう如何いかなる危險きけんがあるかもわからぬが、此處こゝ漠然ぼんやりとしてつて、しま素性すじやうわからず氣味惡きみわる一夜いちやあかすよりはましだとかんがへたので、これよりあしつゞかんかぎるゝまですゝんでつもりだ。
進行しんかう方向ほうかうさだめねばと、吾等われらはやしあひだ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、136-12]ぎてをか絶頂いたゞきのぼつた。眺望てうぼうすると、きた一方いつぽう吾等われらわたつて大洋たいやうで、水天髣髴すいてんほうふつとしてそのつくところらず、眼下がんかおろす海岸かいがんには、いま乘捨のりすてゝ端艇たんていがゆらり/\となみまれて、何時いつあつまつてたか、海鳥かいてう一簇ひとむれ物珍ものめづらしさうその周圍めぐり飛廻とびまわつてる。ひがし西にしみなみ三方さんぽうこのしま全面ぜんめんで、見渡みわたかぎ青々あを/\としたもりつゞき、處々ところ/″\やまもある、たにえる、また※(「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55)はるか/\の先方むかう銀色ぎんしよく一帶いつたい隱見いんけんしてるのは、其邊そのへん一流いちりうかはのあることわかる。
わたくしこの光景くわうけいじつ失望しつばうした、見渡みわたしたところこのしま模樣もやううたがひもなき無人島むじんとう! かく全島ぜんたうやまと、もりと、たにとでおほはれてつては、今更いまさら何處どこへと方向ほうがくさだめること出來できぬのである、これからあんな深山幽谷しんざんいうこく進入しんにふするのは、かへつ危險きけんまねくやうなものだから、しま探險たんけん一先ひとま中止ちうしして、かくふたゝ海岸かいがんかへらんときびすめぐらす途端とたん日出雄少年ひでをせうねんきふあゆみとゞめて
『あら、あのおとは?。』と※(「目+爭」、第3水準1-88-85)みはつた。
おと?。』とわたくしおもはず立止たちどまつてみゝすますと、かぜ一種いつしゆひゞきまつた無人島むじんたうおもひきや、何處いづくともなく、トン、トン、カン、カン、とあだかたにそこそこで、てつてつとが戞合かちあつてるやうなひゞき
鐵槌てつついおと!。』とわたくし小首こくびかたむけた。此樣こん孤島はなれしま鍛冶屋かぢやなどのあらうはづはない、一時いちじこゝろまよひかとおもつたが、けつしてこゝろまよひではなく、寂莫じやくばくたるそらにひゞひて、トン、カン、トン、カンと物凄ものすご最早もはやうたがはれぬ。けれどわたくし心付こゝろつくと、ひゞきみなもとけつしてちかところではなく、四邊あたりがシーンとしてるのであざやかにきこえるものゝ、すくなくも三四マイル距離へだゝりるだらう、なにもあれかゝ物音ものおときこゆる以上いじやうは、其處そこ何者なにものかゞるに相違さうゐない、ひとか、魔性ましやうか、其樣そんことかんがへて[#ルビの「を」は底本では「をら」]られぬ、かく探險たんけん覺悟かくごしたので、そろ/\とをかくだつた。をかくだつてみゝすますと、ひゞきんでも、しま西南せいなんあたつて一個ひとつ巨大おほきみさきがある、そのみさきえての彼方かなたらしい。
いよ/\探險たんけんとは决心けつしんしたものゝ、じつうす氣味惡きみわることで、一體いつたい物音ものおとぬしわからず、またみちにはどんな災難さいなんしやうずるかもわからぬので、わたくし萬一まんいち塲合ばあひおもんぱかつて、れい端艇たんていをば波打際なみうちぎわにシカと繋止つなぎとめ、何時いつ危險きけん遭遇さうぐうしてげてても、一見いつけんしてその所在しよざいわかるやうに、其處そこにはわたくししろシヤツをいて目標めじるして、いきほひめて少年せうねんとも發足ほつそくした。
海岸かいがん沿ふてこと七八ちやう岩層がんそう小高こだかをかがある、そのをかゆると、今迄いまゝでえたうみ景色けしきまつたえずなつて、なみおと次第しだい/\にとうく/\。
此時このとき少年せうねん餘程よほど疲勞つかれてえるので、わたくし肩車かたぐるませてすゝんだ。だれでも左樣さうだが、あまりにシーンとしたところでは、自分じぶん足音あしおとさへ物凄ものすごほどで、とても談話はなしなどの出來できるものでない。かゝしまこととて、みちなどのあらうはづはなく、熊笹くまざゝあひだ掻分かきわけたり、幾百千年いくひやくせんねんらいつもつもつて、あだか小山こやまのやうになつて落葉おちばうへんだり、また南半球みなみはんきゆう特有とくいう黄乳樹わうにうじゆとて、こずえにのみ一團いちだんがあつて、みき丁度ちやうど天幕てんまくはしらのやうに、數百間すうひやくけん四方しほう規則正きそくたゞしくならんで奇妙きめうはやしした※(「穴かんむり/兪」、第4水準2-83-17)くゞつたりして、みち一里半いちりはんあゆんだとおもころ一個いつこいづみそばた。きよらかなみづ滾々こん/\いづながれて、其邊そのへん草木くさきいろさへ一段いちだんうるはしい、此處こゝ一休憩ひとやすみこしをおろしたのは、かれこれ午後ごゝの五ちかく、不思議ふしぎなるひゞきやうやちかくなつた。
日出雄少年ひでをせうねんは、そのいづみながれ美麗びれいなる小魚こざかな見出みいだしたとて、うをふに餘念よねんなきあひだわたくしある大樹たいじゆかげよこたはつたが、いつか睡魔すいまおそはれて、ゆめとなくうつゝとなく、いろ/\のおもひつゝまれてとき不意ふい少年せうねんわたくしひざ飛皈とびかへつた。『大變たいへんよ/\、叔父おぢさん、猛獸まうじうが/\。』とわたくしかたけてさます。
猛獸まうじうがツ。』とわたくしゆめから飛起とびをきた。
少年せうねんゆびさかたながめると如何いかにも大變たいへん! 先刻せんこく吾等われら通※つうくわ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、141-6]して黄乳樹わうにうじゆはやしあひだより、一頭いつとう猛獸まうじういきほいするどあらはれてたのである。
猛狒ゴリラ!。』とわたくし一時いちじ彌立よだつたよ。
獅子しゝ猛烈まうれつだの、おほかみ兇惡きようあくだのといつて、この猛狒ゴリラほどおそろしい動物どうぶつはまたとあるまい、動物園どうぶつゑんてつおりなか姿すがたでも、一見いつけんして戰慄せんりつするほど兇相あくさう、それがこの深林しんりんなか襲來しふらいしたのだからたまらない。わたくしはハツトおもつて一時いちじ遁出にげださうとしたが、今更いまさらげたとてなん甲斐かひがあらう、もう絶體絶命ぜつたいぜつめい覺悟かくごしたとき猛狒ゴリラはすでに目前もくぜん切迫せつぱくした。身長みのたけしやくちかく、灰色はいいろはりごと逆立さかだち、するどつめあらはして、スツと屹立つゝたつた有樣ありさまは、幾百十年いくひやくじふねん星霜せいさうこの深林しんりん棲暮すみくらしたものやらわからぬ。猛惡まうあくなるさる本性ほんしやうとして、容易ようゐさない、あだかあざけごとく、いかるがごとく、その黄色きいろあらはして、一聲いつせいたかうなつたときは、覺悟かくごまへとはいひながら、わたくしあたまから冷水ひやみづびたやう戰慄せんりつした、けれど今更いまさらどうなるものか。わたくし日出雄少年ひでをせうねん背部うしろ庇護かばつて、キツと猛狒ゴリラ瞳孔ひとみにらんだ。すべて如何いかなる惡獸あくじゆうでも、人間にんげん眼光がんくわうするどそのめんそゝがれてあひだは、けつして危害きがいくわへるものでない、そのひかり次第々々しだい/\おとろへて、やが茫乎ぼんやりとしたすきうかゞつて、たゞ一息ひといき飛掛とびかゝるのがつねだから、わたくしいま喰殺くひころされるのは覺悟かくごまへだが、どうせぬならたゞなぬぞ、睨合にらみあつてあひだに、先方せんぱうすきでもあつたなら、機先きせん此方こなたから飛掛とびかゝつて、多少たせういたさはせてれんとかんがへたので、まなこはなたず睥睨へいげいしてる、猛狒ゴリラ益々ます/\たけ此方こなたうかゞつてる、この九死一生きうしいつしやうわか不意ふいに、じつ不意ふいに、何處どこともなく一發いつぱつ銃聲じうせい。つゞいてまた一發いつぱつ[#ルビの「いつぱつ」は底本では「いつはつ」]猛狒ゴリラおもひがけなき二發にはつ彈丸だんぐわんられて、蹴鞠けまりのやうに跳上をどりあがつた。
吾等われら喫驚びつくりして其方そなた振向ふりむくと、此時このとき吾等われらてるところより、大約およそ二百ヤードばかりはなれたもりなかから、突然とつぜんあらはれて二個ふたりひとがある。
『や、や、日本人につぽんじん! 日本人につぽんじん!。」と少年せうねんわたくし驚愕おどろき喜悦よろこび絶叫ぜつけうしたよ。
じつゆめではあるまいか。あらはれきたつた二個ふたりひとまぎらかたなき日本人につぽんじんで、一人ひとり[#ルビの「ひとり」は底本では「ひいり」]いろ黒々くろ/″\とした筋骨きんこつたくましい水兵すいへい姿すがたこし大刀だいたうよこたへたるが、キツと此方こなたながめた、一人いちにんは、威風ゐふう凛々りん/\たる帝國海軍士官ていこくかいぐんしくわん服裝ふくさう二連銃にれんじう銃身じうしんにぎつて水兵すいへい顧見かへりみると、水兵すいへいいきほひするどく五六此方こなたはしちかづく、此時このとき二發にはつ彈丸だんぐわんくらつた猛狒ゴリラ吾等われら打捨うちすてゝ、奔馬ほんばごとむかひ、一聲いつせいさけぶよとに、電光でんくわうごと水兵すいへい頭上づじやう目掛めがけて飛掛とびかゝつた。水兵すいへいヒラリとかはすよとに、こし大刀だいたう※手ぬくて[#「抜」の「友」に代えて「ノ/友」、144-5]せず、猛狒ゴリラ肩先かたさき斬込きりこんだ。猛狒ゴリラいかつて刀身たうしん双手もろてにぎると、水兵すいへいいらだつてその胸先むなさき蹴上けあげる、この大奮鬪だいふんとう最中さいちう沈着ちんちやくなる海軍士官かいぐんしくわんしづかにすゝつて、二連銃にれんじう筒先つゝさき猛狒ゴリラ心臟しんぞうねらふよとえしが、たちまきこゆる一發いつぱつ銃聲じうせい。七しやく有餘いうよ猛狒ゴリラ苦鳴くめいをあげ、鮮血せんけついて地上ちじやうたをれた。わたくし少年せうねんとはゆめ夢見ゆめみ心地こゝち韋駄天いだてんごとそのかたはらはしつたとき水兵すいへい猛獸まうじうまたがつてとゞめの一刀いつたう海軍士官かいぐんしくわん悠然いうぜんとして此方こなたむかつた。わたくしあまりのうれしさにげんもなく、其人そのひとかほながめたが、たちま電氣でんきたれたかのごとおどろさけんだよ。
『やあ、貴方あなた櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ※(感嘆符疑問符、1-8-78)。』
大佐たいさ愕然がくぜんとしてわたくしかほ見詰みつめたが
『や、貴下あなたは――。』とつたまゝ暫時しばし言葉ことばもなかつたのである。
櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ! 々々々。此人このひと讀者どくしや諸君しよくん御記臆ごきおくそんしてるかいなか。わたくし子ープルスかう出港しゆつかうのみぎり、はからずも注意ちうゐいた反古はご新聞しんぶん不思議ふしぎなる記事きじちゆう主人公しゆじんこうで、すで一年半いちねんはん以前いぜんある秘密ひみついだいて、部下ぶか卅七めい水兵等すいへいら一夜いちや奇怪きくわいなる帆走船ほまへせんじやうじて、本國ほんごく日本につぽん立去たちさつたひと其人そのひといまかる孤島はなれじまうへにて會合くわいごうするとは、意外いぐわいも、意外いぐわいも、わたくし暫時しばし五里霧中ごりむちう彷徨はうくわうしたのである。

    第十二回 海軍かいぐんいへ
南方の無人島――快活な武村兵曹――おぼろな想像――前は絶海の波、後は椰子の林――何處ともなく立去つた
 櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ暫時しばらくしてくちひらいた。
じつ意外ゐぐわいです、きみ此樣こん絶島ぜつとうへ――。』といひつゝ、染々しみ/″\吾等われら兩人りようにん姿すがた打瞻うちなが
此處こゝ印度洋インドやうもズツト南方なんぽうへんした無人島むじんとうで、一番いちばんちかマダカツスル群島ぐんたうへも一千哩いつせんマイル以上いじやう亞細亞大陸アジアたいりくや、歐羅巴洲エウロツパしうまでは、幾千幾百哩いくせんいくひやくマイルあるかわからぬほどで、到底とても尋常じんじやうではひとるべきしまではありませんが。』といといぶかしなるかほ
『イヤ、まつた意外ゐぐわいです。』とわたくし進寄すゝみよつた。かゝ塲合ばあひだから、勿論もちろんくわしいことかたらぬが、ふね沈沒ちんぼつからこのしま漂着へうちやくまでの大略あらましげると、大佐たいさはじめて合點がつてんいろ
其樣そんことだらうとはおもひました、じつひどにおあひになりましたな。』と、いましも射殺ゐたをしたる猛狒ゴリラ死骸しがいまなこそゝいで
じつ先刻せんこくきふおもつて、この兵曹へいそうとも遊獵いうれうたのが、天幸てんこうにも君等きみらをおたすまうことになつたのです。』とひながら、大空おほぞらあほて。
『いろ/\くわしいことうけたまはりたいが、最早もはやるゝにもちかく、此邊このへん猛獸まうじう巣窟さうくつともいふところですから、一先ひとま住家すみかへ。』とじうつゝもたげた。わたくしはなしつひでに、日出雄少年ひでをせうねんことをば一寸ちよつとかたつたので、大佐たいさりんたるまなこ少年せうねんおもててん
『おゝ、可愛かあいらしいですな。』と親切しんせつそのかしらでつゝ、吾等われらかたわらいさましきおもてしててる水兵すいへいかへり
『これ、武村兵曹たけむらへいそうこの少年せうねん撫恤いたわつてあげい。』
言下げんか武村たけむらばれたる兵曹へいそうは、つと進寄すゝみよ威勢ゐせいよく少年せうねん抱上いだきあげて
『ほー、可愛かあいらしい少年せうねんだ、サアわたくしあたまつた/\。』と肩車かたぐるませて、ズン/\とさきはし[#ルビの「だ」は底本では「た」]した。
櫻木海軍大佐等さくらぎかいぐんたいさらすまへるいへまでは、此處こゝから一哩いちマイルほどあるさうだ。此時このときふとこゝろおもつたのは、先刻せんこくからてつひゞきはつするところ其處そこではあるまいか、道中みち/\大佐たいさはさま/″\のことわたくしひかけた。けれど、わたくし大佐たいさいま境遇きやうぐういては、一言いちげんとひはつしなかつた。差當さしあたつてたづねる必要ひつようく、また容易ようゐならざる大佐たいさ秘密ひみつをば、輕率けいそつひかけるのは、かへつれいしつするとおもつたからで。しか先夜せんや反古はご新聞しんぶん記事きじから推及すいきふして、大佐たいさいまげん浮世うきよそとなるこの孤島はなれじまこと、またいまきこゆるてつひゞきなどからかんがはせるとおぼろながらもそれとおもあたふしいでもない。櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさいま[#ルビの「いま」は底本では「いは」]このたうちゆうひそめて[#「ひそめて」は底本では「ををひそめて」]かねくわだつるといふ、軍事上ぐんじじやう大發明だいはつめい着手ちやくしゆしてるのではあるまいか。讀者どくしや諸君しよくんおそらく此邊このへん想像さうぞうくだらう。
猛狒ゴリラ大奮鬪だいふんとう塲所ばしよからおよそ七八ちやうあゆんだとおもころふたゝうみえるところた。それから、丘陵をか二つえ、一筋ひとすぢ清流ながれわたり、薄暗うすくら大深林だいしんりんあひだ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、149-7]ぎ、つひ眼界がんかいひらくるところ大佐たいさいへながめた。
大佐たいさいへは、海面かいめんより數百尺すひやくしやくたか斷崖だんがいうへたてられ、まへはてしなき印度洋インドやうめんし、うしろ美麗びれいなる椰子やしはやしおほはれてる。勿論もちろん此樣こん絶島ぜつたうことだから、けつして立派りつぱ建築たてものではない、けれどなり巨大おほき板家いたやで、もんには海軍かいぐんいへ筆太ふでぶとしるされ、ながき、不恰好ぶかくかうへや何個いくつならんでへるのは、部下ぶか卅七めい水兵等すいへいら同居どうきよためだらう。二階にかい體裁ていさいよき三個みつつへやその一室ひとままどに、しろ窓掛まどかけかぜゆるいでところは、たしか大佐たいさ居間ゐまおもはるゝ。
吾等われらそのいへちかづいたとき日出雄少年ひでをせうねんかたにした武村兵曹たけむらへいそう一散いつさんはしつてつて、快活くわいくわつこえさけんだ。
『サア、みな水兵ものどもた/\、大佐閣下たいさかくかのおかへりだよ、それに、めづらしい賓人おきやくさんと、可愛かあいらしい少年せうねんとが御坐ござつた、はや御挨拶ごあいさつまうせ/\。』
こえおうじて、いへのこつてつた一團いちだん水兵すいへい一同みな部室へやからんでた。いづれも鬼神きじんひしがんばかりなるたくましきをとこが、いへ前面ぜんめん一列いちれつならんで、うやうやしく敬禮けいれいほどこした。武村兵曹たけむらへいそう彼等かれら仲間なかまでも羽振はぶりよきをとこなに一言ひとこと二言ふたこといふと、いさましき水兵すいへい一團いちだんは、ひとしくぼうたかとばして、萬歳ばんざいさけんだ、彼等かれらその敬愛けいあいする櫻木大佐さくらぎたいさ知己ちきたる吾等われらが、無事ぶじこのしま上陸じやうりくしたることしゆくしてれるのであらう。大佐たいさ此樣このさま微笑びせううかべた。
じつ感謝かんしやえません。』とわたくし不測そゞろ※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)うれしなみだながるゝをきんなかつた。無邪氣むじやきなる日出雄少年ひでをせうねんまんまるにして、武村兵曹たけむらへいそう肩上かたをどると。快活くわいくわつなる水兵すいへい一群いちぐんその周圍まわり取卷とりまいて、『やあ、可愛かあひらしい少年せうねんだ、乃公おれにもせ/\。』と立騷たちさわ[#ルビの「たちさわ」は底本では「ちちさわ」]ぐ、櫻木大佐さくらぎたいさ右手めてげて
『これ、水兵すいへい少年せうねんひど疲勞つかれる、あまりさわいではいかぬ』と打笑うちえみつゝ
『それよりいそ新客しんきやく部室へや仕度したくをせよ、部室へや二階にかい第二號室だいにがうしつ――讀書室どくしよしつ片付かたづけて――。』と。
めいをはつた大佐たいさは、武村兵曹たけむらへいそうかたから日出雄少年ひでをせうねんいだせ、わたくしむかつて
一先ひとまわたくし部室へやへ。』とさきつた。
みちびかるゝまゝに入込いりこんだのは、階上にかい南端なんたん一室ひとまで、十じやうぐらいの部室へや中央ちうわうゆかには圓形えんけいのテーブルがへられ、卓上たくじやうには、地球儀ちきゆうぎ磁石じしやくるゐ配置はいちされ、四邊あたり壁間かべには隙間すきま列國れつこく地圖ちづけられてあるなど、流石さすが海軍士官かいぐんしくわん居室ゐま見受みうけられた。
大佐たいさ好遇かうぐうにて、此處こゝで、吾等われら水兵等すいへいらはこんで珈琲カフヒーのどうるほうし、漂流へうりう以來いらいおほい渇望かつぼうしてつた葉卷煙葉はまきたばこ充分じゆうぶんひ、また料理方れうりかた水兵すいへい手製てせいよしで、きはめてかたち不細工ぶさいくではあるが、非常ひじやう甘味うま菓子くわし舌皷したつゞみちつゝ、や十五ふんすぎ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、152-10]たとおもころ時計とけい午後ごご六時ろくじほうじて、日永ひながの五ぐわつそらも、夕陽ゆふひ西山せいざんうすつくやうになつた。
此時このとき大佐たいさしづかに立上たちあがり、わたくしむか
吾等われらこれより一定いつてい職務しよくむがあるので、暫時しばらく失敬しつけい君等きみらのちしづか休息きうそくたまへ、わたくしは八すぎ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、153-3]ふたゝかへつてて、晩餐ばんさんをばともいたしませう。』とのこして何處いづくともなく立去たちさつた。
あとれい快活くわいくわつなる武村兵曹たけむらへいそうがやつてて、武骨ぶこつなる姿すがた親切しんせつに、吾等われら海水かいすいみ、天日てんぴこがされて、ぼろ/\になつた衣服ゐふく取更とりかへやら、洗湯せんたう世話せわやら、日出雄少年ひでをせうねんためには、こと小形こがたの「フランネル」の水兵服すいへいふくを、裁縫係さいほうがゝり水兵すいへいめいずるやら、いろ/\取計とりはからつてれる、其間そのまに、大佐たいさより命令めいれいのあつた吾等われら居室ゐま準備じゆんび出來できたので、其處そこみちびかれ、久々ひさ/″\にて寢臺ねだいうへよこたはつた。はじめのあひだ日出雄少年ひでをせうねんわたくしたがひかほ見合みあはせてはこの不思議ふしぎなる幸運かううんをよろこび、大佐等たいさら懇切こんせつなる待遇もてなし感謝かんしやしつゝ、いろ/\と物語ものがたつてつたが、何時いつか十數日すうにち以來いらいはげしき疲勞つかれめに、らず/\ふかゆめちた。

    第十三回 星影ほしかげがちら/\
歡迎ウエルカム――春枝夫人は屹度死にません――此新八が先鋒ぢや――浪の江丸の沈沒――此島もなか/\面白いよ――三年の後
 それから幾時間いくじかんねむつたからぬが、不意ふゐわたくし枕邊まくらもと
『サア、賓客おきやくさん、もうくらくなりましたぜ、大佐閣下たいさかくかもひどくお待兼まちかねで、それに、夕食ゆふしよく御馳走ごちさう悉皆すつかり出來できて、料理方れうりかた浪三なみざうめが、とり丸燒まるやき黒焦くろこげになるつて、眼玉めだま白黒しろくろにしてますぜ。』と大聲おほごゑ搖醒ゆりさますものがあるので、おどろいてさますと、此時このときまつたれて、部室へや玻璃窓がらすまどたうして、ながむるうみおもには、うるはしき星影ほしかげがチラ々々とうつつてつた。
わたくし呼醒よびさましたのは快活くわいくわつなる武村兵曹たけむらへいそうであつた。その右手めてすがつて、可憐かれんなる日出雄少年ひでをせうねんはニコ/\しながら
叔父おぢさん、わたくしはもうかほあらつてましてよ。』と、睡醒ねざめしぶわたくしかほあほいだ。オヤ/\、少年せうねんにまで寢太郎ねたらうられたかと、わたくしいそ清水しみづかほきよめ、兵曹へいそう案内あんないしたがつて用意ようゐ一室ひとまると、食卓しよくたく一端いつたんには、櫻木大佐さくらぎたいさは二三の重立おもだつた水兵すいへい相手あひてに、談話はなしふけつてつたが、吾等われら姿すがたるより、えみ此方こなた
武村たけむらが、とう/\御安眠ごあんみん妨害ぼうがいしましたね。』と、水兵すいへいめいじて二個にこ倚子ゐす近寄ちかよせた。
食卓テーブル對端むかふには、武村兵曹たけむらへいそうほか三名さんめい水兵すいへい行儀ぎようぎよくならび、此方こなたには、日出雄少年ひでをせうねんなかはさんで、大佐たいさわたくしとがみぎひだりかたならべて、やが晩餐ばんさんはじまつた。洋燈らんぷひかり煌々くわう/\かゞやいて、何時いつにか、武骨ぶこつなる水兵等すいへいらが、やさしいこゝろ飾立かざりたてた挿花さしばなや、壁間かべに『歡迎ウエルカム』と巧妙たくみつくられた橄欖かんらんみどりなどを、うつくしくてらしてる。かゝる孤島はなれじまことだから、御馳走ごちさういがと大佐たいさ言譯いひわけだが、それでも、料理方れうりかた水兵すいへい大奮發だいふんぱつよしで、海鼈すつぽん卵子たまご蒸燒むしやきや、牡蠣かき※(「睹のつくり/火」、第3水準1-87-52)しほにや、俗名ぞくめう「イワガモ」とかいふこのしま澤山たくさんかもて、一層いつそうあぢかろとり丸燒まるやきなどはなか/\の御馳走ごちさうで、いまわたくしには、世界せかい第一だいいちのホテルで、世界せかい第一だいいち珍味ちんみきようせられたよりも百倍ひやくばい※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)うれしくかんじた。晩餐後ばんさんご喫茶きつちやがはじまると、櫻木大佐さくらぎたいさをはじめ同席どうせき水兵等すいへいらは、ひとしくくちそろへて『御身おんみこのしま漂着へうちやく次第しだいくわしく物語ものがたたまへ。』といふので、わたくし珈琲カフヒー一口ひとくちんで、おもむろにかたした。
づ、わたくし世界せかい漫遊まんゆう目的もくてきで、横濱よこはまみなと出港ふなでしたことから、はじめ米國ベイこくわたり、それより歐羅巴エウロツパ諸國しよこく遍歴へんれきした次第しだい伊太利イタリーくに子ープルスかうで、はからずもむかし學友がくいういま海外かいぐわい貿易商會ぼうえきしやうくわい主人しゆじんとして、巨萬きよまんとみかさねて濱島武文はまじまたけぶみ邂逅めぐりあひ、其處そこで、かれつまなる春枝夫人はるえふじんその愛兒あいじ日出雄少年ひでをせうねんとに對面たいめんなし、不思議ふしぎなるえにしにつながれて、三人みたり日本につぽんかへらんと、弦月丸げんげつまる同船どうせんしたこと出帆しゆつぱんまへ亞尼アンニーといへる御幣擔ごへいかつぎの伊太利イタリー老女らうぢよが、ふね出帆しゆつぱんこくあたるとて、せつその出發しゆつぱつめたことあやしふね双眼鏡さうがんきやう一件いつけん印度洋上インドやうじやう大遭難だいさうなん始末しまつ其時そのとき春枝夫人はるえふじん殊勝けなげなる振舞ふるまひ、さては吾等われら三人みたり同時どうじに、弦月丸げんげつまる甲板かんぱんから海中かいちう飛込とびこんだのにかゝはらず、春枝夫人はるえふじんのみは行方ゆくかたれずなつたこと、それより漂流中へうりうちういろ/\の艱難かんなんて、やうやこのしま漂着へうちやくしたまで有樣ありさま脱漏おちもなくかたると、ひとあるひおどろき、あるひたんじ、武村兵曹たけむらへいそう木像もくぞうのやうになつて、巨大おほきくして、いきをもかずいてる、其他そのた水兵すいへいおな有樣ありさま
かたをはつたとき櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさしづかにかほげた。
じつに、きみ經歴けいれき小説せうせつのやうです。』とつたまゝ暫時しばしわたくしかほながめてつたが、物語ものがたりうちでも、春枝夫人はるえふじん殊勝けなげなる振舞ふるまひには、すく[#ルビの「すく」は底本では「すな」]なからずこゝろうごかした樣子やうすこと櫻木大佐さくらぎたいさは、春枝夫人はるえふじん令兄れいけいなる松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさとは、兄弟きやうだいおよばぬ親密しんみつなる間柄あひだがらで、大佐たいさがまだ日本につぽんつたころ始終しじう徃來わうらいして、其頃そのころ乙女おとめであつた春枝孃はるえじやうとは、幾度いくたびかほあはしたこともあるさうで、いまそのうるはしく殊勝けなげなる夫人ふじんが、印度洋インドやう波間なみまえずなつたといては、他事ひとごとおもはれぬと、そゞろにあわれもようしたる大佐たいさは、暫時しばらくしてくちひらいた。
『けれど、わたくしつね確信かくしんしてます、てんには一種いつしゆ不思議ふしぎなるちからがあつて、こゝろうつくしきひとは、屡々しば/″\九死きゆうし塲合ばあひひんしても、意外いぐわい救助すくひことのあるものです。』とひながらいましもなつかしき母君はゝぎみうわさでたるに、にしことどもおもおこして、愁然しゆうぜんたる日出雄少年ひでをせうねん頭髮かしらでつゝ
わたくしはどうも春枝夫人はるえふじんは、其後そのゝち無事ぶじすくはれたやうおもはれる。此樣こんことふとめうだが、ひと[#「ひとは」は底本では「ひとはは」]一種いつしゆ感應かんおうがあつて、わたくしごときはむかしからどんな遠方えんぽうはなれてひとでも、『あのひと無事ぶじだな』とおもつてひとに、しんためしはないのです。それで、わたくしいま春枝夫人はるえふじん波間なみましづんだといても、どうも不幸ふこうなる最後さいごげられたとはおもはれない、あるひ意外いぐわい救助すくひて、子ープルスなる良君をつともとかへつて、今頃いまごろかへつて、君等きみらうへ憂慮うれひるかもれませんよ。』と言葉ことばつて、さびさうくび項垂うなだれて日出雄少年ひでをせうねんうなじ
『それにけても、にくきは海賊船かいぞくせん振舞ふるまひ、かゝる惡逆無道あくぎやくむだうふねは、早晩はやかれおそかれ木葉微塵こつぱみぢんにしてれん。』と、明眸めいぼう凛乎りんこたるひかりはなつと、日出雄少年ひでをせうねんは、プイと躍立とびたつて。
眞個ほんとうに/\、海軍かいぐん叔父おぢさんが海賊船かいぞくせん退治たいぢするなら、わたくしてき大將たいしやう勝負しようぶけつしようとおもふんです。』
其處そこだツ、日本男兒につぽんだんじたましひは――。』と木像もくぞうのやうにだまつてつた武村兵曹たけむらへいそう不意ふいさけんだ。
其時そのときは、この武村新八郎たけむらしんぱちらう先鋒せんぽうぢや/\。』と威勢いせいよくテーブルのうへたゝまわすと、さらをどつて、小刀ナイフゆかちた。それから、れいこく一件いつけんいては、水兵すいへい一同いちどうわたくしおなやうに、無※ばか[#「(禾+尤)/上/日」、160-9]はなしだとわらつてしまつたが、ひとり櫻木大佐さくらぎたいさのみはわらはなかつた。無論むろん縁起的えんぎてきには、其樣そんことしんぜられぬが、かの亞尼アンニーとかいへる老女らうぢよは、なにかの理由わけで、海賊船かいぞくせん弦月丸げんげつまるねらつてことをば、あらかじつてつたのかもれぬ。それがある事情じじやうめに明言めいげんすること出來できず、さりとて主家しゆか大難だいなんらぬかほ打※うちすぎ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、161-2]るにもしのびで、かくは縁起話えんぎばなし托言かこつけて、その出發しゆつぱつとゞめたのかもれぬ。とかたつた。成程なるほどいてれば、わたくしおもあたふしいでもない。また、海賊船かいぞくせん海蛇丸かいだまる一條いちじやうについては、席上せきじやういろ/\なはなしがあつた。大佐たいさかたところによると、海賊島かいぞくたう云々うんぬん風聞ふうぶん實際じつさいことで、その海賊かいぞく仲間なかまある強國きようこくとのあひだに、一種いつしゆ密約みつやくそんしてことも、海事かいじくわしき船員せんゐん社會しやくわいには、ほとん公然こうぜん秘密ひみつとなつてよし。かゝる惡魔あくまはどうしても塵殺みなごろししなければならぬと、水兵等すいへいら一同いちどう意氣組いきぐみ
さてまた、弦月丸げんげつまる沈沒ちんぼつ間際まぎわに、船長せんちやうをはじめ船員せんゐん一同いちどう醜態しゆうたいは、ひとおどろいからざるなく、短氣たんき武村兵曹たけむらへいそうひからして
『やあ/\、あきれた人間にんげんどもだ、其樣そん臆病をくびやう船長せんちやうなんかは、げたとてどうせろくことはあるまい、なみでもくらつて斃死へたばつてしまつたらうが、※一まんいち[#「一/力」、162-2]きてゞもやうものなら、この武村新八たけむらしんぱち承知しやうちしねえ、世間せけん見懲みせしめに、ひとよこぱらでも蹴破けやぶつてれようかな。』と怒鳴どなる。大佐たいさわらひ、水兵等すいへいらうでたゝき、日出雄少年ひでをせうねんわたくしとは爽快さわやかかほ見合みあはした。
かゝ物語ものがたり不知不測しらずしらずふかし、やがわたくし遭難さうなん實談じつだんをはると、櫻木大佐さくらぎたいさは、此時このときおもてあらためてわたくしむかつた。
今迄いまゝでのおはなしで、きみこのしま漂着へうちやく次第しだいわかつたが、さて此後このゝち如何いかになさる御决心ごけつしんです。』
决心けつしん如何いかんといふのは、吾等われら兩人りようにんかゝる絶島ぜつたう漂着へうちやくしたいま無理むりにも本國ほんごくかへりたいか、またある便宜べんぎるまで、大佐等たいさらこのしま滯在たいざいする覺悟かくごがあるかとのとひだとわたくしかんがへたので、無論むろん一日いちにちすみやかに日本につぽんかへりたいのは山々やま/\だが、前後ぜんご事情じじやうさつすると、いま此人このひとむかつて、其樣そん我儘わがまゝはれぬのである。でわたくし簡單かんたん
『たゞ天命てんめいと、大佐閣下たいさかくかとに、吾等われら運命うんめいゆだぬるのみです。』とこたへると、大佐たいさ暫時しばし小首こくびかたむけたが
しからば、君等きみらある時期ときまで、このしま滯在たいざいせねばなりません。』と斷乎だんこ言放いひはなつた。
わたくしだまつて點頭うなづいた。
大佐たいさげんをつゞけ
じついたかたいのです。勿論もちろんきみ御决心ごけつしんで、運命うんめいまつたてんまかせて、ふたゝ小端艇せうたんていで、印度洋インドやうなみえて、本國ほんごくへおかへりにならうとつしやれば、仕方しかたがありませんが、わたくしけつして、其樣そん無法むほふことのぞみません、其他そのた手段しゆだんでは、到底とうてい今日けふ明日あすに、このしま出發しゆつぱつする方法てだてもありませんから、むをず、ある時期ときまでは、吾等われら一行いつかうともに、この絶島ぜつたう御滯在ごたいざいほかはありません。』
『それは覺悟かくごまへです。』とわたくしこたへて
『たゞ無用むようなる吾等われらが、いたづらに貴下等きからわずらはすのをうれふるのみです。』とかたると、大佐たいさいそそのげんさへぎ
『いや/\、わたくしかへつて、天外てんぐわい※里ばんり[#「一/力」、164-6]此樣こんしまから、何時いつまでも、君等きみら故郷こきようそらのぞませることなさけなくかんずるのです。』と嘆息たんそくしつゝ
『あゝ、此樣こんときに、せめてなみ江丸えまる無難ぶなんであつたらば。』と武村兵曹たけむらへいそうかほた。
なみ江丸えまるとは、れい反古はご新聞しんぶんしるされてつたで、はじめ、大佐たいさ一行いつかうこのしませて一大いちだい帆前船ほまへせん、あゝ、あのふねも、いまなにかの理由りいうで、この海岸かいがんにあらずなつたかと、わたくしまど硝子越がらすごしに海面かいめんながめると、星影ほしかげあわ波上はじやうには、一二そうさびうかんで小端艇せうたんていほかには、この大海原おほうなばらわたるともゆべき一艘いつそうふねもなかつた。
武村兵曹たけむらへいそううでんで
『さあ、うなるとしいことをした。なみ江丸えまるさへ無事ぶじであつたら、わたくしうまかぢをとつて、ぐに日本につぽんまでおくつてあげるのだが、此前このまへ大嵐おほあらしばんに、とうとういそ打上うちあげられて、めちや/\になつて仕舞しまつたから、今更いまさらなんといふても仕方しかたい。』とひつゝ少年せうねんむか
『だが、このしま仲々なか/\面白おもしろいよ、さかな澤山たんとれるし、獅子狩ししがり出來できるし、いまかへりたくくなるよ。』
大佐たいさ苦笑くせうしながら
たれが、此樣こんはなじま永住えいぢゆうのぞむものか。』とばかり、わたくしむか
しかし、何事なにごと天命てんめいです。けれどきみよ、けつして絶望ぜつぼうたまふな。吾等われら何時いつか、非常ひじやう幸福かうふくて、ふたゝ芙蓉ふようみねのぞこと出來できませう――イヤ確信くわくしんします、いまより三年さんねんのち屹度きつと其時そのときです。』と言放いひはなつて、英風えいふう颯々さつ/\逆浪げきらういわくだくる海邊かいへんの、ある方角ほうがくながめた。

    第十四回 海底かいてい造船所ざうせんじよ
大佐の後姿がチラリと見えた――獅子狩は眞平御免だ――猛犬稻妻秘密の話――屏風岩――物凄い跫音――鐵門の文字
 その翌朝よくてう日出雄少年ひでをせうねんわたくしとが目醒めざめたのは八すぎ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、166-10]櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさは、武村兵曹たけむらへいそうをはじめ一隊いつたい水兵すいへい引卒ひきつれて、何處いづこへか出去いでさつたあとであつた。朝餉あさげはこんで料理方れうりかた水兵すいへいは、大佐たいさ外出ぐわいしゆつとき言傳ことづてだとて、ごとかたつた。
大佐たいさは、今朝けささだまれる職務しよくむまゐるが、昨夜さくや取紛とりまぎれてかたらず、今朝こんてう御睡眠中ごすいみんちうなれば、この水兵すいへいもつ申上もうしあげるが、この住家すみかの十ちやう以内いないなれば、何處いづくかるゝも御自由ごじいうなれど、その以外いぐわいは、猛獸まうじう毒蛇等どくじやとう危害きがいきわめておほければ、けつして足踏あしぶみしたまふな、大佐たいさ夕刻ゆふこくかへつて、ふたゝ御目おめにかゝるし。』との注意ちうゐわたくし少年せうねんも、今猶いまなほ十數日すうにち以來いらい疲勞つかれかんじてるので、其樣そんな高歩たかあるきする氣遣きづかひはないが、ましてこの注意ちうゐがあつたので、一層いつそうこゝろくばり、食後しよくごは、日記につきいたり、少年せうねん二人ふたりで、海岸かいがんいわうへからはてしなき大海原おほうなばらながめたり、いへうしろ椰子林やしばやしで、無暗むやみうるはしき果實くわじつたゝおとしたり、またはいへのこつてつた水兵すいへい案内あんないされて、荒磯あらいそのほとりで、海鼈うみがめつたりして、一日いちにちくらしてしまつた。
夕日ゆふひしづころ櫻木大佐さくらぎたいさ武村兵曹たけむらへいそうも、いたつかれてかへつてたが、終日しうじつ延氣のんきあそんだ吾等われら兩人りやうにんかほの、昨日きのふよりは餘程よほどすぐれてへるとて、大笑おほわらひであつた。この夜更よふけまで色々いろ/\快談くわいだん
翌朝よくあさわたくしはまだ大佐たいさ外出ぐわいしゆつまへだらうとおもつて、寢床ねどこはなれたのは六時ろくじごろであつたが、矢張やはり大佐等たいさらは、今少いますこまへいへたといふのち、また[#「抜」の「友」に代えて「ノ/友」、168-6]かつたりと、少年せうねん二人ふたりで、二階にかいまどつてながめると、此時このとき朝霧あさぎりるゝ海岸かいがん景色けしきこのいへこと數町すうちやう彼方かなたに、一帶いつたいわんがある、逆浪げきらうしろいわげきしてるが、その灣中わんちういわいわとが丁度ちやうど屏風びやうぶのやうに立廻たてまわして、自然しぜん坩※るつぼ[#「堝」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、168-9]かたちをなしてところ其處そこ大佐たいさ後姿うしろすがたがチラリとえた。
『あら、海軍かいぐん叔父おぢさんは、あのいわうしろかくれておしまいになつてよ。』と、日出雄少年ひでをせうねんいぶかしわたくしながめた。わたくし默然もくねんとして、なほ其處そこ見詰みつめてると、暫時しばらくしてその不思議ふしぎなる岩陰いわかげから、昨日きのふ一昨日おとゝひいた、てつひゞきおこつてた。
午前ごぜんすぎ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、169-3]になると、武村兵曹たけむらへいそう一人ひとりヒヨツコリとかへつて
『サア、これから獅子狩しゝがりだ/\。』といさみすゝめるのを、わたくしやうやくこと押止おしとめたが、しからばこのしま御案内ごあんないをといふので、それから、やまだの、かはだの、たにそこだの、深林しんりんなかだの、岩石がんせきつるぎのやうに削立つゝたつて荒磯あらいそへんだのを、兵曹へいそう元氣げんきまかせて引廻ひきまはされたので、ひどつかれてしまつた。この遊歩いうほあひだ武村兵曹たけむらへいそうめいずるまゝに、始終しじゆう吾等われらまへになり、うしろになつて、あらかじ猛獸まうじう毒蛇どくじや危害きがいふせいでれた、一頭いつとう猛犬まうけんがあつた。稻妻いなづまといつて、櫻木大佐さくらぎたいさ秘藏ひぞういぬよしかたち犢牛こうしほど巨大おほきく、眞黒まつくろな、のキリヽと卷上まきあがつた、非常ひじやうたくましきいぬで、それがひど日出雄少年ひでをせうねんつて、始終しじゆう稻妻いなづまや/\。』と、一處いつしよになつて走廻はしりまわつてうちに、いつかなかがよくなつて、夕刻ゆふこくいへかへつたときも、稻妻いなづまこの可憐かれんなる少年せうねんたわむれつゝ、おもはず二階にかいまで驅上かけあがつて、武村兵曹たけむらへいそうほうき追出おひだされたほどで、日出雄少年ひでをせうねんこのいぬめに、晩餐ばんさん美味おいしい「ビフステーキ」を、其儘そのまゝまどからげてやつてしまつた。
さて、その翌日よくじつになると、日出雄少年ひでをせうねんは、稻妻いなづまといふよき朋友ともだち出來できたので、最早もはやわたくしそばにのみはらず、朝早あさはやくから戸外こぐわいでゝ、なみあをく、すなしろ海岸かいがんへんに、いぬ脊中せなかまたがつたり、くび抱着いだきついたりして、餘念よねんもなくたわむれてるので、わたくし一人ひとり室内しつない閉籠とぢこもつて、今朝けさ大佐たいさから依頼いらいされた、ある航海學かうかいがくほん飜譯ほんやくにかゝつて一日いちにちくらしてしまつた。この飜譯ほんやくは、仕事しごと餘暇よか水兵等すいへいら教授けふじゆためにと、大佐たいさ餘程よほど以前いぜんから着手ちやくしゆしてつたので、のこ五分ごぶんいちほどになつてつたのを、徒然つれ/″\なるまゝ、わたくし無理むり引受ひきうけたので、その飜譯ほんやくまつたをはつたころ大佐たいされいやうに、夕暮ゆふぐれ海岸かいがん一隊いつたい水兵すいへいともかへつてた。
昨夜さくやも、一昨夜いつさくやも、夕食ゆふしよくてゝのち部室へやまど開放あけはなして、うみからおくすゞしきかぜかれながら、さま/″\の雜談ざつだんふけるのがれいであつた。今宵こよひもおなじやうに、しろ窓掛まどかけゆるぐほとりに倚子ゐすならべたとき櫻木大佐さくらぎたいさ眞面目まじめわたくしむかつて。
今夜こんやあらたまつて、すこしおはなもうことがある。』とわたくしかほ凝視みつめた。
あらたまつてのはなしとは何事なにごとだらうと、わたくしにわかにかたちあらためると、大佐たいさ吸殘すひのこりの葉卷はまきをば、まど彼方かなたげやりて、しづかにくちひらいた。
柳川君やながはくんわたくしすぐ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、171-12]黄乳樹わうにうじゆはやしへんで、はからずも君等きみら急難きふなんをおたすもうしたときから、左樣さうおもつてつたのです。まれにもひとべきはづのない此樣こんはなじまへ、偶然ぐうぜんとはいへ、昔馴染むかしなじみきみへたのは、まつたてんみちびきのやうなもので、これから數年間すうねんかんおないへに、おなつきながめてくらすやうな運命うんめいになつたのも、なにかの因縁いんねんでせう。わたくし一個ひとつ秘密ひみつがある、この秘密ひみつわたくしと、わたくし腹心ふくしんの三十七めい水兵すいへいと、帝國海軍ていこくかいぐん部内ぶない某々ぼう/\有司いうしほかには、たれつてものいのです、また、けつして、もらすまじき秘密ひみつですが、いまくなつておな境遇きやうぐうに、なが月日つきひくらあひだには、何時いつ君等きみらまへに、其事そのこと表顯あらはれずにはをはるまい。』ひかけて、大佐たいさしづかにまなこをあげ
きみわたくしんのためこのしまたか、いまなにしつゝあるやにいて、多少たせう御考察おかんがへはあるでせう。』
さてこそ、と、わたくし片唾かたづんだ。
おぼろながら、ある想像さうぞうえがいてります。』とこたへると、大佐たいさ打點頭うちうなづ
この秘密ひみつは、じつわたくし生命せいめいです。いま數年すうねんむかしきみ御記臆ごきをくですか、※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)きせん甲板かんぱんで、わたくし奇妙きめうなるぎんじ、また、歐洲をうしう列國れつこく海軍力かいぐんりよく増加ぞうかと、我國わがくに現况げんけうとを比較ひかくして、とみより、機械學きかいがく進歩上しんぽじやうより、我國わがくに今日こんにちごとく、たゞ數艘すうそう軍艦ぐんかんおほくなつたくらいや、區々くゝたる軍器ぐんき製造せいぞうにも、おほ彼等かれらあと摸傚まねしてやうでは、到底とても東洋とうやう平和へいわ維持ゐぢし、すゝんで外交上ぐわいこうじやう一大いちだい權力けんりよくにぎこと覺束おぼつかない、一躍いちやくして、をううへに、べいうへに、くらいするやうになるには、こゝ一大いちだい决心けつしんえうする。すなは震天動地しんてんどうち軍事上ぐんじじやう大發明だいはつめいをなして、その發明はつめい軍機上ぐんきじやう大秘密だいひみつとして、我國わがくににのみひとりにあり、他邦たほうには到底とうているべからず、歐米をうべい諸國しよこくこれあるかぎりは、最早もはや日本につぽんむかつて不禮ぶれいくわふるからずとまで、戰慄せんりつ恐懼きやうくするほど大軍器だいぐんき發明はつめいえうするともうしたことを、かのときは、きみたん快哉くわいさいさけんだのみ、わたくしいつ希望きぼうとして、ふかむねそこひそめてつたが、其後そのご幾年月いくねんげつあひだ苦心くしん苦心くしんかさねた結果けつくわ一昨年いつさくねんの十一ぐわつ三十にちわたくし一艘いつそう大帆走船だいほまへせんに、おびたゞしき材料ざいれうと、卅七めい腹心ふくしん部下ぶかとを搭載のせて、はる/″\日本につぽんり、いまこの無人島むじんとうひそめてるのは、まつたく、かねくわだつる、軍事上ぐんじじやう一大いちだい發明はつめい着手ちやくしゆしてるのです――。左樣さよう不肖ふつゝかながら、この櫻木さくらぎ畢世ひつせいちからつくして、わが帝國海軍ていこくかいぐんめに、前代未聞ぜんだいみもんある有力いうりよくなる軍器ぐんき製造せいぞう着手ちやくしゆしてるのです。』
果然くわぜん! 果然くわぜん! とわたくしむねをどらせた。大佐たいさことばをつゞけ
此邊このへんことは、本國ほんごくでもひと風評うわさのぼり、きみにも幾分いくぶん御想像ごさうぞういたらうが、はたして如何いかなる發明はつめいであるかは、其物そのものまつた竣成しゆんせいするまでは、たれつてものはない、わたくし外國ぐわいこく軍事探偵ぐんじたんていや、其他そのた利己心りこしんおほ人々ひと/″\覬覦きゆから、完全くわんぜんその秘密ひみつたもたんがめに、みづか此樣こん孤島はなれじましのばせて、その製造せいぞうをもきわめて内密ないみつにして次第しだいだが――。』とひかけて、言葉ことば一段いちだんちから
『けれど柳川君やながはくんよ、きみ不思議ふしぎにも、てんみちびきのやうに、我等われら仲間なかまつてました。いま前後ぜんご事情じじやうよりかんがへ、またきみ人物じんぶつしんずるので、し、きみ確固くわくこたる約束やくそくがあるならば、今日こんにちおいて、この大秘密だいひみつを、きみ明言めいげんしてことの、むし得策とくさくなるをしんずるのです。』
『え、わたくしに、その大秘密だいひみつを――。』と、わたくし倚子ゐすから立上たちあがつた。大佐たいさ沈重ちんちやうなるこゑ
左樣さやうわたくしきみ確信くわくしんします、きみ我等われら同志どうしとして、永久えいきゆう秘密ひみつまもこと約束やくそくたまはゞ、誠心せいしんより三度みたびてんちかはれよ。』
わたくし猶豫ゆうよもなく、かたちかひてると、大佐たいさはツトおこしてわたくしにぎ
ちかひ形式けいしきです。けれど愛國あいこくじやうふかきみは、あやま[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、176-4]つてもこの秘密ひみつをば、無用むようひともらたまふな。』
だんじて/\、たとへこのくちびるかるゝとも。』とわたくし斷乎だんことしてこたへた。大佐たいさ微笑びせうびてわたくしかほながめた。さてその秘密ひみつ如何いかなるものにや、このはたゞちかひをはつて、詳密つまびらかなることは、明日めうにちその秘密ひみつひそめられたる塲所ばしよおいて、實物じつぶつついて、明白めいはくしめさるゝとのことこの其儘そのまゝ寢床ねどこよこたはつたが、いろ/\の想像さうぞうられて、深更しんこうまでゆめこと出來できなかつた。
人間にんげん勝手かつてなもので、わたくし前夜ぜんや夜半やはんまでねむられなかつたにかゝはらず、翌朝よくあさくらうちからめた。五三十ぷんごろ櫻木大佐さくらぎたいさ武村兵曹たけむらへいそうともなつて、わたくし部室へやたゝいた。これよりその秘密ひみつなる塲所ばしよ出掛でかけるのである。
三人みたりいへで、朝霧あさぎりふか海岸かいがんきたへとすゝんだ。武村兵曹たけむらへいそう猛犬まうけん稻妻いなづましたがへて、つね十歩じつぽばかりさきすゝむので、わたくし大佐たいさとはあひならんであゆんだが、一言いちごんい。あゝ、その秘密ひみつなる發明はつめいとはなんであらう。有力いうりよくなる軍器ぐんきへば、非常ひじやうなる爆發力ばくはつりよくいうする彈丸だんぐわん種類しゆるいかしら、それとも、一種いつしゆ魔力まりよくいうする大砲たいほう發明はつめいであらうか。イヤ/\、大佐たいさ口吻くちぶりでは、もつと有力いうりよくなる發明はつめいであらうと、樣々さま/″\想像さうぞうえがいてうちに、つひ到着たうちやくしたのは、昨曉さくぎよう大佐たいさ後影うしろかげをチラリとみとめた灣中わんちう屏風岩べうぶいわへん此處こゝで、第一だいいち不思議ふしぎかんじたのは、この屏風形べうぶがたいわは、遠方えんぽうからると、たゞ一枚いちまい孤立こりつしてるやうだが、いまそのうへのぼつてると、三方さんぽう四方しほうおなかたちいわがいくつもかさなつて、丁度ちやうど羅馬ローマ古代こだい大殿堂テンプル屋根やねのやうなかたちをなし、そのしたうたがひもなき大洞窟おほほらあなで、逆浪ぎやくらう怒濤どたう隙間すきまもなく四邊しへん打寄うちよするにかゝはらず、洞窟ほらあななかきわめて靜謐せいひつ樣子やうすで、吾等われらあゆたびに、その跫音あしおとはボーン、ボーン、と物凄ものすごひゞわたつた。
屏風岩べうぶいわうへを二十ヤードばかりすゝむと、正面しやうめんかべのやうに屹立つゝたつたる大巖石だいがんせき中央ちゆうわうに、一個いつこ鐵門てつもんがあつて、その鐵門てつもんまへには、武裝ぶさうせる當番たうばん水兵すいへい嚴肅げんしゆくつてつたが、大佐等たいさら姿すがたるより、うやうやしく敬禮けいれいさゝげた。ちかづいてると、鐵門てつもん上部じやうぶには、いわきざまれて「秘密ひみつ造船所ざうせんじよ」の五意味ゐみありあらはれてつた。

    第十五回 電光艇でんくわうてい
鼕々たる浪の音――投鎗に似た形――三尖衝角――新式魚形水雷――明鏡に映る海上海底の光景――空氣製造器――鐵舟先生の詩
 武村兵曹たけむらへいそうこしなる大鍵おほかぎさぐつて、鐵門てつもんとびらひらいた。
此處こゝ秘密ひみつ塲所ばしよ入口いりくちです。』と櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさわたくし顧見かへりみた。此時このときはまだ工事こうじはじまらぬとへ、れいてつひゞききこえず、なかはシーンとして、すごほど物靜ものしづかだ。わたくし二人ふたり案内あんないしたがつて、鐵門てつもん※(「穴かんむり/兪」、第4水準2-83-17)くゞつたが、はじめ十ばかりのあひだかゞめてあゆほどで、ひろくなつたとおもふと、まへには、いわきざんでまうけられたけわしい階段かいだんがある、その階段かいだんつくすと、眞暗まつくらになつて、あだか墜道とんねるのやうに物淋ものさびしいみちを、武村兵曹たけむらへいそう即座そくざてんじた球燈きゆうとうひかりてらして、みぎれ、ひだりてんじて、およそ百四五十ヤードもすゝむと、岩石がんぜきまへうしろはなれて、けうをなし、そのあひだうしほごと洞外どうぐわいからながり、ながつてる。峽上けいじやうには一筋ひとすぢはしがあつて、それをわたるとてつとびらだ。武村兵曹たけむらへいそうまへおなやうそのとびら押開おしひらくと、同時どうじにサツと射込さしこひかりうたがひもない、とびら彼方かなたあかるいところだ、兵曹へいそうはプツと球燈きゆうとう吹消ふきけす、途端とたんに、櫻木大佐さくらぎたいさわたくしむか
此處こゝです。』と一言いちごんのこして、鐵門てつもん※(「穴かんむり/兪」、第4水準2-83-17)くゞつた、わたくしもつゞいてそのなかると、たちまる、此處こゝは、四方しほう數百すうひやくけん大洞窟おほほらあなで、前後左右ぜんごさゆうけづつたやう巖石がんぜきかこまれ、上部じやうぶには天窓てんまどのやうな、巨大おほきいわ裂目さけめがあつて、其處そこから太陽たいやうひかり不足ふそくなく洞中どうちうてらしてをるのである。みゝかたむけると、何處いづくともなく鼕々とう/\なみおときこゆるのは、この削壁かべそとは、怒濤どとう逆卷さかま荒海あらうみで、此處こゝたしか海底かいてい數十すうじふしやくそこであらう。此塲このば光景くわうけいのあまりに天然てんねん奇體きたいなので、わたくし暫時しばし此處こゝ人間にんげんきやうか、それとも、世界せかいぐわいある塲所ばしよではあるまいかとうたがつたほどで、さらこゝろ落付おちつけてると、すべての構造こうざうまつた小造船所せうざうせんじよのやうで、宏大くわうだいなる洞窟どうくつなか數部すうぶわかたれ、船渠せんきよ起重機きじゆうき製圖塲等せいづじやうとう整備せいびはいふまでもなく、錬鐵塲れんてつじやうには鎔解爐ようかいろあり、大鐵槌だいてつゝゐあり、鑄物塲ちゆうぶつじやうには造型機ざうけいき碎砂機さいしやきそなへ、旋盤塲せんばんじやうには縱削機じゆうせうき横削機わうせうき平鉋盤へいほうばん鑽孔機さんこうき配置はいちよろしく、製罐塲せいくわんじやうには水壓打鋲機すいあつだべうきあり、工作塲こうさくじやうには屈撓器くつぎようき剪斷機せんだんきあり。圓鋸機ゑんきよき帶形鋸機たいけいきよきのほとりには、角材かくざい鐵材てつざいやまごとく、其他そのほか空氣壓搾喞筒くうきあつさくぽんぷ電氣力發機等でんきりよくはつきとう緻密ちみつなる機械きかいより、銀鑞ぎんらう白鑞はくらう、タールづな、マニラづな縫糸ぬひいと撚糸よりいと金剛砂布こんがうしやふ黒鉛こくゑん氣發油きはつゆう白絞油はくかうゆう、ラジーン塗具ぬりぐ錆色さびいろ塗具ぬりぐ銅板どうばん鐵板てつぱん鋼板こうばん亞鉛塊あゑんくわい、ガツタバーカーばん、エボナイトばん硝子板せうしばん硝子管せうしくわん舷窓用げんそうよう厚硝子あつがらす螺旋鋲らせんべう※(「金+皎のつくり」、第3水準1-93-13)こうこうべう眞鍮鑄鋲しんちゆうじゆべう石絨衞帶せきじゆうえいたい彈心衞帶等だんしんえいたいとういたるまで、よくもかゝ絶島ぜつたうにかくまで整然せいぜんたる凖備じゆんび出來できことよとあやしまるゝばかりで、これしよ機械きかいしよ材料ざいりようは、すべて二ねん以前いぜんに、櫻木大佐さくらぎたいさ大帆船だいはんせんなみ江丸えまる搭載たうさいして、このしま運搬うんぱんきたつたもので、いまはそれ/″\適當てきたう位置いち配置はいちされて、すでに幾度いくたび作用さようをなした形跡けいせき歴然れきぜんえる。
此時このときたちまわたくしとまつたのはこの不思議ふしぎなる洞中造船所どうちゆうざうせんじよ中央ちうわうくらゐして、凹凸おうとついわかたち自然しぜん船臺せんだいをなしたるところ其處そこいま工事中こうじちゆうの、一種いつしゆ異樣ゐやう船體せんたいみとめられたのである。
『これが、わたくし秘密ひみつ製造せいざうしつゝある、海底戰鬪艇かいていせんとうていです。』と、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさおもむろに右手ゆんでげて、その船體せんたいゆびざした。さてこそ、とわたくしむねをどらしつゝその船躰せんたい熟視じゆくししたが、あゝ、くも不思議ふしぎなる、くも強堅きようけんなる、船艦せんかんがまたとあらうか、わたくしその外形ぐわいけい一見いつけんしたばかりで、じつその船形せんけい巧妙こうめう不思議ふしぎなるにおどろいたが、さら大佐たいさみちびかれて、いますでに二ねん有餘いうよ歳月さいげつつひやして、船體せんたいなか出來上できあがつた海底戰鬪艇かいていせんとうてい内部ないぶり、つぶさ上甲板じやうかんぱん下甲板げかんぱん、「ウオター、ウエー」、「ウ井ング、パツセージ」、二重底にじゆうそこ肋骨材等ろくこつざいとう諸般しよはん構造こうざうながめ、また千變萬化せんぺんばんくわなる百種ひやくしゆ機關きくわん説明せつめいいたときは、ほとんどこれ人間にんげんわざかとうたがはるゝばかりで、吾知われしらず驚嘆きやうたん叫聲さけびはつすることきんなかつた。あゝ、かくも神變しんぺん不可思議ふかしぎなる海底戰鬪艇かいていせんとうていは、いまこの秘密ひみつなる洞中どうちゆう造船所ざうせんじよおいて、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ指揮しきしたに、いで製造せいざうされつゝあるのであるが、この猛烈まうれつなる戰艇せんていが、他日たじつ首尾しゆびよく竣工しゆんこうして、わが大日本帝國だいにつぽんていこく海軍かいぐんれつくわはつたときには、はたして如何いかなる大影響だいえいきよう世界せかい海軍かいぐんおよぼすであらうか。わたくし斷言だんげんする、わしごとたけく、獅子しゝごといさましき列國れつこく艦隊かんたい百千舳艫ひやくせんじくろならべてきたるとも、日章旗につしようきむかところおそらくば風靡ふうびせざるところはあるまいと。
敬愛けいあいする讀者どくしや諸君しよくんよ、わたくしいまこのおどろおそ海底戰鬪艇かいていせんとうてい構造こうざうについて、くわしき説明せつめいこゝろみたいのだが、それは櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ大秘密だいひみつぞくするから出來できぬ。たゞ、その秘密ひみつおかさゞる範圍内はんゐないおい略言りやくげんすると、この海底戰鬪艇かいていせんとうてい全艇ぜんていながさ百三十ヒートインチ幅員ふくいん中部横斷面ちゆうぶわうだんめんおいて二十二ヒートインチていかたちは、あだか南印度みなみインド蠻人ばんじんが、一撃いちげきもと巨象きよざうたほし、猛虎まうこほふるといふ投鎗なげやりかたち髣髴ほうふつとして、その兩端りようたん一種いつしゆ[#ルビの「いつしゆ」は底本では「しつしゆ」]奇妙きめう鋭角えいかくをなしてる、この鋭角えいかくが、てい速力そくりよくくわんして、きわめて緊要きんえうなる特色とくしよくさうである。てい上部艇首じやうぶていしゆかたくらゐして、一個いつこ橢圓形だゑんけい觀外塔くわんぐわいたふもうけられて、塔上たふじやうには、一本いつぽん信號檣しんがうマストほかには何物なにものく、その一端いつたんには自動開閉じどうかいへい鐵扉てつぴもうけられて、ていまさ海底かいていしづまんとするや、そのとびら自然しぜんぢ、ていふたゝ海面かいめんうかばんとするや、そのとびら忽然こつぜんとしておのづかひらくやうになつてる。てい全體ぜんたいこと/\金屬きんぞくもつ構成こうせいせられ、觀外塔くわんぐわいたふ上甲板じやうかんぱん兩舷側りようげんそくはいふまでもなく、舵機室だきしつ發射室はつしやしつ艇員居室等ていゐんきよしつとう、すべて一種いつしゆ堅強けんきようなる裝甲さうかうをもつて保護ほごされてる、この裝甲さうかう現今げんこんもつぱおこなはれてハーベーしき堅硬法けんかうほふほどこしたる鋼板こうはんもしくは白銅鋼板等はくどうこうばんとうよりは、數層倍すうそうばい彈力性だんりよくせい抵抗力ていこうりよくいうするある新式裝甲板しんしきさうかうばんにて、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ幾星霜いくせいさうあひだ苦心くしん苦心くしんかさねた結果けつくわ六種ろくしゆある金屬きんぞく合成がうせいは、現世紀げんせいきける如何いかなる種類しゆるい彈丸だんぐわんまた水雷等すいらいとうをもつて突撃とつげききたるとも、充分じゆうぶんこれ抵抗ていこうあまりありとしんじて、その新式合成裝甲板しんしきがうせいさうかうばんを、この海底戰鬪艇かいていせんとうてい各要部かくえうぶ應用おうようしたのである。
このてい外形ぐわいけい以上いじやうごとくであるが、さて海底戰鬪艇かいていせんとうてい敵艦てきかん轟沈がうちんするには、如何いかなる方法てだてるかといふに、それは二種にしゆことなつたる軍器ぐんき作用さようるのである。いま工事中こうじちゆうであるから、明瞭あきらかこと出來できぬが、その一種いつしゆてい前端ぜんたん裝置さうちされたるきはめて強硬きようこうなる、またきはめて不思議ふしぎなる「衝角しやうかく一名いちめい敵艦衝破器てきかんしやうはき」とばれたる軍器ぐんきで、この衝角しやうかくつね甲鐵艦かうてつかんまた巡洋艦等じゆんやうかんとう裝置さうちされたものとはいたことなりて、そのかたち三尖形さんせんけいきはめて鋭利えいりなる角度かくどいうし、てい前方ぜんぽう十七ヒート以上いじやう突出とつしゆつして、その鋭利えいりなる三尖衝角さんせんしやうかく艇内發動機ていないはつどうき作用さようにて、一秒時間いちびやうじかんに三百廻轉くわいてん速力そくりよくをもつて、絞車こうしやごと廻旋くわいせんするのであるから、この衝角しやうかくるゝところ、十四インチはん以上いじやう裝甲アーモアいうする鐵艦てつかんほかは、ほとんど粉韲ふんさいせられざるものはるまいとおもはるゝ、しかこの三尖衝角さんせんしやうかくは、この海底戰鬪艇かいていせんとうてい左程さほどいちじるしい武器ぶきではない、さらおどろきは、てい[#ルビの「てい」は底本では「てん」]兩舷りようげん裝置さうちされたる「新式併列旋廻水雷發射機しんしきへいれつせんくわいすいらいはつしやき」で、この水雷發射機すいらいはつしやき構造かうざうの、如何いか巧妙こうめう不可思議ふかしぎなるやは、細密さいみつなる機械製圖等きかいせいづとうをもつて説明せつめいしなければとてもわからぬが、この發射管はつしやくわん裝置さうちされたる秘密室ひみつしつには、一面いちめん明鏡めいきやうがあつて、電流でんりう作用さようと、二百三十反射鏡はんしやきやう作用さようとによつて、ながら海上海底かいじやうかいてい光景くわうけい觀測くわんそくすることべく、自動照凖器じどうせうじゆんきをもつて潮流てうりう速力そくりよくり、波動はどう方向ほうかうさだめ、海戰かいせんすではじまらは、てい逆浪げきらう怒濤どたうそこ電光でんくわうごとはしる、そのあひだつて、明鏡めいきやううつ海上海底かいじやうかいてい光景くわうけいながめつゝ、白晝はくちうならばたん水雷方位盤ダイレクターうごかすのみ、夜戰やせんならば發火電鑰はつくわでんやく一牽いつけんして、白色はくしよく緑色りよくしよく強熱電光きようねつでんくわう射出しやしつし、照星照尺せうせいせうしやくさだめて、旋廻輪せんくわいりん一轉いつてんすると、たちま電鈴でんれいり、發射框はつしやかううごいて、一分間ぷんかんに七十八魚形水雷ぎよけいすいらいは、あめごとく、あられごと發射はつしやせらるゝのである。この魚形水雷ぎよけいすいらいは、その全長ぜんちやうわずかに二ヒートインチ最大さいだい直徑ちよくけいインチ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、178-12]ぎず、これ今日こんにち海戰かいせんもつぱおこなはるゝ保氏魚形水雷ホルランドしぎよけいすいらいすると、そのおほいさは七ぶんの一にもらぬが、氣室きしつ浮室ふしつ尾片等びへんとう設備せつび整然せいぜんとして、ことその頭部とうぶ裝填さうてんせられたる爆發藥ばくはつやくは、普通ふつう魚形水雷ぎよけいすいらい頭部とうぶ綿火藥めんくわやく百七十五きん相當さうたうして、千四百ヤード有效距離いうかうきよりを四十一ノツト速力そくりよくをもつて駛行しかうすること出來できるのであるから、砲聲ほうせい轟々がう/\硝煙せうえん朦朧もうらうたる海洋かいやうたゝかひに、海底戰鬪艇かいていせんとうていりやうごとく、しやちごとく、怒濤どたうつて駛走しさうしつゝ、明鏡めいきやううつ海上かいじやう光景くわうけい展眸てんばうして、發射旋廻輪はつしやせんくわいりん一轉いつてんまた一轉いつてん敵艦右舷てきかんうげんきたれば右舷うげん水雷すいらいこれ轟沈がうちんし、敵艦左舷てきかんさげんゆれば左舷さげん水雷すいらいこれ粉韲ふんさいするの有樣ありさまは、ほとんどにもとまらぬ活景くわつけいであらう。
新式水雷發射管しんしきすいらいはつしやくわん構造かうざうと、その猛烈まうれつなる作用さようとは略右ほゞみぎごとくであるが、さら海底戰鬪艇かいていせんとうてい全部ぜんぶ見渡みわたすと、てい中央ちゆうわう軍機室ぐんきしつより前後ぜんご敷個すうこ區劃くくわくされて、海圖室かいづしつもある、操舵室さうだしつもある、探海電燈室たんかいでんとうしつもある。こと浮沈室ふちんしつ機關室きくわんしつとはこのていもつと主要しゆえうなる部分ぶゞんではあるが、此事このこといては殘念ざんねんながらわたくしちかひたいして一言いちごん明言めいげんすること出來できぬ。たゞ一寸ちよつともらしてくが、このてい百種ひやくしゆ機關きくわん作用さようつかさど動力どうりよくつね蒸氣力じようきりよくでもなく電氣力でんきりよくでもなく、現世紀げんせいきにはいまられざる一種いつしゆ化學的作用くわがくてきさようで、櫻木大佐さくらぎたいさ幾年月いくねんげつあひだ苦心くしん苦心くしんかさねたる結果けつくわある秘密ひみつなる十二しゆ化學藥液くわがくやくえき機密きみつなる分量ぶんりよう化合くわごうは、普通ふつう電氣力でんきりよくして、ほとんど三十ばい以上いじやう猛烈まうれつなる作用さようおここと發見はつけんし、それこのていすべて機關きくわん適用てきようしたので、てい進行しんかうも、三尖衝角さんせんしやうかく廻旋くわいせんも、新式水雷發射機しんしきすいらいはつしやき運轉うんてんも、すべてこの秘密ひみつなる活動力くわつどうりよくによつて支配しはいされてるのである。
以上いじやうで、敬愛けいあいする讀者どくしや諸君しよくん髣髴ほうふつとして、このてい構造かうざうそのおどろくべき戰鬪力せんとうりよくについて、ある想像さうざう腦裡こゝろえがかれたであらう。最早もはや煩縟くた/″\しくいふにおよばぬ、この不思議ふしぎなる海底戰鬪艇かいていせんとうていは、今日こんにち世界せかい萬國ばんこく海軍社會かいぐんしやくわいおいて、たがひその改良かいりよう進歩しんぽとをきそひつゝある海底潜行艇かいていせんかうてい一種いつしゆである。しかり、海底潜行艇かいていせんかうてい一種いつしゆには相違さうゐないが、しかわたくしたんこの軍艇ぐんていをば潜行艇せんかうていぶのみをもつては滿足まんぞくしない、なにとなれば現今げんこん歐米諸國をうべいしよこく發明家等はつめいからは、毎年まいねんのやうに新奇しんきなる潜行艇せんかうてい發明はつめいしたと誇大こだい吹聽ふいちやうするものゝ、その多數おほくは、「みづバラスト」とか、横舵わうだ縱舵じゆうだ改良かいりようとか、其他そのほか排氣啣筒はいきぽんぷや、浮沈機等ふちんきとう尠少いさゝかばかりの改良かいりようくわへたのみで、その動力どうりよくつね石油發動力せきゆうはつどうりよくにあらずば、電氣力でんきりよくさだまり、艇形ていけい葉卷烟草形はまきたばこがたて、推進螺旋スクリユーつばさ不思議ふしぎよぢれたる有樣ありさまなど、いつシー、エヂスン氏等しら舊套きゆうとう摸傚もほうするばかりで、成程なるほど海中かいちう潜行せんかうするがゆゑ潜水艇せんすいてい虚僞うそではないにしても、從來じゆうらい實例じつれいでは、是等これら潜行艇せんかうてい海水かいすい壓力あつりよくめと空氣くうき缺乏けつぼうため海底かいていフヒート以下いか沈降ちんかうするものはまれで、一時間じかん以上いじやう潜行せんかう持續ぢぞくするものは皆無かいむといふ有樣ありさま。されば今世紀こんせいきおいもつと進歩しんぽ發達はつたつ[#ルビの「はつたつ」は底本では「はつだつ」]してるとせうせらるゝ佛國フツこくシエルブル造船所ざうせんじよ一等潜行艇いつとうせんかうていでも、この二個にこ缺點けつてんのあるため充分じゆうぶん働作はたらき出來できず、首尾しゆびよく敵艦てきかん接近せつきんしながら、屡々しば/\速射砲等そくしやほうとうをもつて反對はんたい撃沈げきちんされるほどで、とても、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ破天荒はてんくわうなる、この海底戰鬪艇かいていせんとうていとは比較ひかくすること出來できぬのである。いまこの新奇しんきなる海底戰鬪艇かいていせんとうていは、艇底ていていまうけられたる自動浮沈機じどうふちんき作用さようで、海底かいてい三十フヒート乃至ないし五十フヒートまでふかさにしづことべく、空氣くうきは、普通ふつう氣蓄器きちくきまた空氣壓搾喞筒等くうきあつさくぽんぷとうことなく、てい後端こうたん裝置さうちされたるある緻密ちみつなる機械きかい作用さようにて、大中小だいちうせう幾百條いくひやくでうともれず、兩舷りようげんより海中かいちゆう突出つきだされたる、亞鉛管あゑんくわんおよび銅管どうくわんつうじて、海水中かいすいちゆうより水素すいそ酸素さんそ分析ぶんせきして大氣たいき[#ルビの「たいき」は底本では「だいき」]筒中たうちゆうみちびき、吸鍔棹ピストンたる器械きかい上下じやうかするにしたがつて、新鮮しんせんなる空氣くうき蒸氣じようきごと一方いつぽう巨管きよくわんから艇内ていない吹出ふきだされ、艇内ていない惡分子あくぶんしは、排氣喞筒はいきぽんぷによつて始終しじゆう艇外ていぐわい排出はいしゆつせられるから、ていいさゝか空氣くうき缺乏けつぼうかんずることなく、十時間じかんでも二十時間じかんでも、必要ひつようおうじて海底かいてい潜行せんかう繼續けいぞくすること出來できるのである。速力そくりよく一時間いちじかん平速力へいそくりよく五十六海里ノツト最速力さいそくりよく百〇七海里ノツト。かくもおどろくべき速力そくりよくいうするのはまつたてい形體けいたいと、蒸氣力じようきりよくよりも電氣力でんきりよくよりも數十倍すうじふばい強烈きようれつなる動力どうりよくによることうたがひれぬが、こと艇尾ていび兩瑞りようたん裝置さうちされたる六枚ろくまいつばさいうする推進螺旋スクリユー不思議ふしぎなる廻轉作用くわいてんさようあづかつてちからあること記臆きおくしてもらはねばならぬ。
讀者どくしや諸君しよくんわたくしこの秘密ひみつなる海底戰鬪艇かいていせんとうてい構造かうざうについては、最早もはや説明せつめいふでめるが、いまおろか、のちにもまれにも見出みいだがたこの軍艇ぐんてい他日たじつその船渠ドツクはなれて世界せかい海上かいじやううかんだときには、はたして如何いかなる驚愕きようがく恐怖けうふとを※國ばんこく[#「一/力」、193-1]海軍社會かいぐんしやくわいあたへるであらうか。怪物くわいぶつといふものがあるならば、この軍艇ぐんていこそたしか地球ちきゆう表面ひやうめんおいて、もつとおそるべき大怪物だいくわいぶつとして、なが歐米諸國をうべいしよこく海軍社會かいぐんしやくわい記臆きおくとゞまるであらう。わたくし斷言だんげんする、この海底戰鬪艇かいていせんとうてい一度ひとたび逆浪げきらう怒濤どたうつて縱横無盡じゆうわうむじん隱見出沒いんけんしゆつぼつ魔力まりよくたくましうするときには、たとへひやく艦隊かんたいせん大戰鬪艦だいせんとうかん彈丸だんぐわんあめらしてむかつたとて、とてもこのてい活動くわつどうさまたげること出來できぬのである。すこ海軍かいぐんことつうじたひとたれでもつてる、すでに海水中かいすいちう十四フヒート以下いかしづんだるあるものむかつては、世界最強力せかいさいきようりよくガツトリング機砲きほうでも、カ子ーほうでも、些少させう打撃だげきをもくわふること出來できぬのである。いわんやこの海底戰鬪艇かいていせんとうていは、波威はてい沈降ちんかうすること三十フヒート乃至ないし五十フヒートその潜行せんかう持續ぢぞく時間じかん無制限むせいげんであるから、一度ひとたびこの軍艇ぐんてい睥睨にらまれたる軍艦ぐんかんは、あだか昔物語むかしがたり亞剌比亞アラビヤ沙漠さばく大魔神だいましんみゐられたる綿羊めんようのごとく、のがれんとしてのがるゝあたはず、たゝかはんか、速射砲そくしやほうガツトリングほう到底とうていちからおよばぬ海底かいていこの大怪物だいくわいぶつ奈何いかせん。此方こなた海底戰鬪艇かいていせんとうていは、われ敵抗てきこうする艦隊かんたいありとらば、戰鬪凖備せんとうじゆんびとゝのふるしやおそしや、敵艦てきかん非裝甲軍艦ひさうかうぐんかんならば、併列水雷發射機へいれつすいらいはつしやき使用しようするまでもなく、かのおどろくべき三尖衝角さんせんしやうかく絞車こうしやごと廻旋くわいせんして、一撃いちげき突進とつしん敵艦てきかん粉韲ふんさいすること得可うべく、敵艦てきかんし十四インチ以上いじやう裝甲軍艦さうかうぐんかんならば、てい逆浪げきらう怒濤どたうそこ電光でんくわうごと駛航しかうしつゝ、かゞみうつ敵情てきじやうさつして、發射廻旋輪はつしやくわいせんりん一轉いつてんまた一轉いつてん右舷うげん左舷さげんより發射はつしやする新式魚形水雷しんしきぎよけいすいらいは一分時間ぷんじかんに七十八ぱついま三十せき[#ルビの「せき」は底本では「きせ」]一等戰鬪艦いつとうせんとうかんをもつて組織そしきされたる一大いちだい艦隊かんたいいへども、でゝとりかぬうちに、滅盡めつじんすること出來できるであらう。
あゝ、海底戰鬪艇かいていせんとうてい! 海底戰鬪艇かいていせんとうてい! このおどろくべく、おそるべきいち軍艇ぐんていいま大日本帝國だいにつぽんていこく海軍かいぐんれつくわはらんがめに、この絶島ぜつたう不思議ふしぎなる海底かいてい造船所ざうせんじよないおいて、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ指揮しきしたに、ひそかに製造せいざう[#ルビの「せいざう」は底本では「せいさう」]されつゝあるのである。讀者どくしや諸君しよくん! わたくしこの海底戰鬪艇かいていせんとうてい[#ルビの「かいていせんとうてい」は底本では「かていせんとうてい」]他日たじつ首尾しゆびよく竣工しゆんこうして、翩飜へんぽん[#「翩飜へんぽん」は底本では「翻飜へんぽん」]たる帝國軍艦旗ていこくぐんかんき[#ルビの「ていこくぐんかんき」は底本では「ていこぐんかんき」]艇尾ていびひるがへしつゝ、蒼波さうは漫々まん/\たる世界せかい海上かいじやううかんだときはたして如何いかなる戰爭せんさうむかつて第一だいいち使用しようされ、また如何いな目醒めざましき奮鬪ふんとうをなすやはおほ必要ひつえうもあるまいとかんがへる。
さても、わたくし櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ武村兵曹たけむらへいそう案内あんないしたがつて、海底戰鬪艇かいていせんとうてい縱覽じゆうらんをはつてのちふたゝ艇外ていぐわいでたのは、かれこれ二時間にじかんほどあとであつた。それより洞中どうちゆう造船所ぞうせんじよないのこくまなく見物けんぶつしたが、ふとると、洞窟どうくつ一隅いちぐうに、いわ自然しぜんえぐられて、だいなる穴倉あなぐらとなしたるところ其處そこに、嚴重げんぢうなるてつとびらまうけられて、とびら表面ひやうめんには黄色きいろのペンキで「海底戰鬪艇かいていせんとうてい生命せいめい」なる數字すうじしるされてあつた。
これなんですか。』とわたくしふと大佐たいさ言葉ことばしづかに
この倉庫さうこにはぜんまうした、海底戰鬪艇かいていせんとうてい動力どうりよく原因げんいんとなるべき重要ぢうえう化學藥液くわがくやくえきが、十二のたる滿みたされてをさめられてあるのです。じつこの藥液やくえきたるこそ、海底戰鬪艇かいていせんとうてい生命せいめいともいふべきものです。』とこたへた。このほかほ、もしきゝもしたきこと澤山たくさんあつたが、時刻じこくすでに八ちかく、ていへんにはすで夥多あまた水兵すいへいあつまつてて、最早もはや工作こうさくはじまる模樣もやうつは、海岸かいがんいへには、日出雄少年ひでをせうねんたゞ一人ひとりさだめてさびしく、待兼まちかねことだらうと、おもつたので、わたくし大佐たいさわかれげて、此處こゝ立去たちさことけつした。たゞこの秘密造船所ひみつぞうせんじよづるまへに、一言ひとこときたきは、海底戰鬪艇かいていせんとうてい竣成しゆんせい期日きじつと、このてい如何いか命名めいめいされるかとのてんである。大佐たいさわたくしとひたいして、悠々ゆう/\鼻髯びせんひねりつゝ
不時ふじ天變てんぺんが無ければ、いまより二年にねん月目げつめすなはこれから三度目さんどめ記元節きげんせつむかふるころには、試運轉式しうんてんしき擧行きよかうし、引續ひきつゞいて本島ほんとう出發しゆつぱつして、なつかしき芙蓉ふえうみねのぞこと出來できませう。』とこたへ、ていいてはつた。
じつ[#ルビの「じつ」は底本では「じ」]は、電光艇でんくわうてい命名めいめいするつもりです。』
電光艇でんくわうてい! 電光艇でんくわうてい[#ルビの「でんくわうてい」は底本では「でんこくうてい」]! 如何いか其實そのじつ相應ふさはしきよと、わたくし感嘆かんたんすると、大佐たいさことばをつゞけ
この艇名ていめいは、敬慕けいぼする山岡鐵舟先生やまをかてつしうせんせいよりつたのです。』
鐵舟先生てつしうせんせい?。』とわたくし小首こくびかたむけたが、たちま心付こゝろづいた。
電光影裏斬春風でんくわうえいりしゆんぷうをきるこのですか。』
『それです』と大佐たいさ莞爾につこ打笑うちえみつゝ
他日たじつ海底戰鬪艇かいていせんとうていが、帝國軍艦旗ていこくぐんかんきひるがへして、千艇※艦せんていばんかん[#「一/力」、197-12]あひだつのときねがは[#ルビの「ねがは」は底本では「ねがほ」]くばそのごとく、神速しんそくに、猛烈まうれつならんことのぞむのです。』
この談話だんわをはると、わたくし大佐たいさわかれげ、武村兵曹たけむらへいそうおくられて、まへ不思議ふしぎなるみち[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、198-4]ぎて、秘密造船所ひみつぞうせんじよそとた。

    第十六回 朝日島あさひじま
日出雄少年は椰子の木蔭に立つて居つた――國際法――占領の證據――三尖形の記念塔――成程妙案/\――其處だよ
 秘密造船所ひみつざうせんじよいでわたくしは、鐵門てつもんのほとりで武村兵曹たけむらへいそうわかれ、猛犬まうけん稻妻いなづましたがへて一散走いつさんばしり、やが海岸かいがんいへかへつてると、日出雄少年ひでをせうねんたゞ一人ひとりで、さびさう門口かどぐち椰子やし木蔭こかげつてつたが、わたくし姿すがたるよりはし
『あゝ、叔父おぢさん、わたくしはどうせうかとおもつたのです、起床おきると、叔父おぢさんはないし、稻妻いなづま何處どこかへつてしまつたんですもの。』と不平顏ふへいがほ
『おゝ、可愛相かあいさうに/\。』とわたくしむね抱寄いだきよせた。成程なるほどわたくし今朝けさ未明みめい櫻木大佐等さくらぎたいさらともいへつたのは、少年せうねんやすらかなるゆめむすんでつたあひだで、其後そのゝち目醒めざめたかれは、いつもとちがひわたくし姿すがたえず、また最愛さいあい稻妻いなづまらぬので、さだめておどろさびしくかんじたことであらうとわたくし不測そゞろ不憫ふびんになり
『あのね、日出雄ひでをさん、叔父おぢさんは故意わざ日出雄ひでをさんにさびしいせたのではいのだよ。今朝けさつたところくらみちだのあぶないはしだのが澤山たくさんあつて、大佐たいさ叔父おぢさんやこの叔父おぢさんのやうに、成長おほきひとでなければけないところ日出雄ひでをさんのやうちいさいひと[#ルビの「ひと」は底本では「ひど」]くと、屹度きつときたくなるほどこわところなんだから、だまつてつたのだよ。』とふと、日出雄少年ひでをせうねんこすつて
わたくしは、どんなこわところでもかなくつてよ。』
かない※(感嘆符疑問符、1-8-78) それはつよい! けれどいまあぶないからいけません、追付おつつ成長おほきくなつたら、大佐たいさ[#ルビの「たいさ」は底本では「たいた」]叔父おぢさんもよろこんでれてつてくださるでせう。サ、サ、それよりは稻妻いなづまかへつてたから、いつもやう海濱うみべへでもつて、面白おもしろあそんでおで。』といふと日出雄少年ひでをせうねんたちま機嫌きげんうるはしく、いまわたくしはなした眞暗まつくらみちや、あぶなはしことについてきたさうかほげたが、此時このとき丁度ちやうど猛犬稻妻まうけんいなづまみゝつて、そのそばたので、たちまいぬほうられて
稻妻いなづま! おまへ何處どこつたの、さあ、これから競走かけつくらだよ。』と、わたくしひざからをどつて、いぬ首輪くびわをかけて、一散いつさんいそなみかたはしした。
わたくしいへかへり、それより終日しゆうじつ室内しつない閉籠とぢこもつて、かねてよりくわだてゝつたこの旅行奇譚りよかうきだんの、今迄いまゝで部分ぶゞん編輯へんしう着手ちやくしゆして本書ほんしよ第三回だいさんくわいの「あやしふね」のへんまでしたゝめかけると、れ、日出雄少年ひでをせうねん稻妻いなづまと、一日いちにち四方八方しほうはつぽうはしあるいたためひどつかれてかへつてて、わたくしひざ[#ルビの「ひざ」は底本では「ひだ」]もたれたまゝ二人ふたりそら景色けしきながめてころ櫻木大佐さくらぎたいさ武村兵曹たけむらへいそうほか一隊いつたい水兵すいへい今日けふしごとをはつて、秘密造船所ひみつぞうせんじよからかへつてた。
いつもことだが、この晩餐ばんさんことわたくしためには愉快ゆくわいであつたよ。何故なぜとなれば昨日きのふまでは、如何いか重要ぢうえうことにしろ、櫻木大佐さくらぎたいさある秘密ひみつをばそのむねたゝんでわたくしかたらぬとおもふと、多少たせう不快ふくわいかんいでもなかつたが、いま秘密造船所ひみつぞうせんじよことも、海底戰鬪艇かいていせんとうていことこと/″\わかり、つは敬愛けいあいする大佐たいさは、かゝ大秘密だいひみつをもあきらかもらほどわたくし信任しんにんしてるかとおもふと、うれしさはむね滿あふれて、その知遇ちぐうかんずること益々ます/\ふかきととも[#ルビの「とも」は底本では「とき」]に、わたくしこゝろくるしめるのは、たゞ如何いかにしてこの厚意かうゐむくいんかとの一念いちねん。たとへ偶然ぐうぜんとはいへ、このはなじま漂着へうちやくして、大佐たいさいへみ、大佐たいさをはじめ武村兵曹たけむらへいそう其他そのほか水兵等すいへいら一方ひとかたならず世話せわになつては、彼等かれら毎日まいにち/\その職務しよくむのために心身しんしんくだいてるのを、いたずらにこまぬいてるにしのびぬ。如何いかなる仕事しごとでも、わたくしちからかな相當さうたう義務ぎむつくしたいとかんがへたので、わたくしひざすゝめた。
大佐たいさよ、わたくしすでこのしま仲間なかまとなつたいまは、貴下等あなたがた毎日まいにち/\の勞苦らうくをば、いたずらに傍觀ぼうくわんしてるにしのびません、んでもよい。鐵材てつざい運搬役うんぱんやくでも、※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)機關じようききくわん石炭せきたんきでもんでもよいから、海底戰鬪艇かいていせんとうてい竣成しゆんせいするまで、わたくししかるべきやく遠慮えんりよなく使つかつてください。』と熱心ねつしんかたつたが、大佐たいさかろ點頭うなづくのみで
『ナニ、ナニ、けつして其樣そん心配しんぱい御無用ごむようです、きみ日出雄少年ひでをせうねんとはこのしま賓客ひんきやくであれば、たゞつてて、自由じゆうことをして、電光艇でんくわうてい竣成しゆんせいするまで、氣永きながつてればれでよいのです。』と微笑びせうびて
海底戰鬪艇かいていせんとうてい製造せいぞうには、きわめて細密さいみつなる設計せつけい出來できて、一人ひとり不足ふそくをもゆるさぬかはりに、一人ひとり増加ぞうかする必要ひつえうがないのです、ちやんと三十三めい水兵すいへいある年月ねんげつあひだはたらいて、豫定通よていどうりに竣功しゆんこうする手續てつゞきになつてをりますから、きみ少年せうねんもたゞあそんでればよいのです。』といふ。大佐たいさこゝろでは、吾等われら兩人ふたり意外いぐわい椿事ちんじめに、此樣こん孤島はなれじま漂着へうちやくして、これからある年月ねんげつあひだぶにはねなきかごとりむなしく故國ここくそらをばながめてくらすやうな運命うんめいになつたのをば、むし不憫ふびんおもつてるのであらう。けれどわたくしだまつてはられぬ。
『イヤ、左樣さうではいです、秘密造船所ひみつざうせんじよ仕事しごとわたくし必要ひつえういなら、料理方れうりかたでもやります/\。』と决然けつぜん言放いひはなつと、此時このときまで食卓しよくたく一方いつぽうに、だまつてわたくしかほながめてつた武村兵曹たけむらへいそうは、突然とつぜんかほ突出つきだして。
『うむ、恰好事よいことがある/\。』とれい頓狂聲とんきようごゑ
貴方あなた料理方れうりかただなんて、其樣そん馬鹿ばからしいこと出來できますか。』とひかけて櫻木大佐さくらぎたいさまなこてん
大佐閣下たいさかくかかう機會きくわいです、れい一件いつけんこのしま紀念塔きねんたうてること依頼いらいしては如何どうでせう。』
大佐たいさはポンとたなごゝろ[#ルビの「たなごゝろ」は底本では「たなじゝろ」]たゝいた。
其事そのこと! 丁度ちやうどかんがへてつたところだ。』とわたくしむか
し、きみいてある仕事しごとのぞたまふならば。』とおもむろにかた大佐たいさげんによると。元來ぐわんらいこの孤島はなれじままへにもやうに、だ、世界輿地圖せかいよちづ表面ひやうめんにはあらはれてらないほどで、櫻木大佐さくらぎたいさ一行いつかうが、はじめて發見はつけんしたまでまつたくの無人島むじんとうで、何國いづこ領地りようちともさだまつてらぬところだから、國際法上こくさいほふじやうからつても「地球上ちきゆうじやうに、あらた發見はつけんされたるしまは、その發見者はつけんしやぞくする國家こつか支配しはいく」との原則げんそくで、當然たうぜん大日本帝國だいにつぽんていこくしん領地りようちとなるべきところである。そこで、大佐たいさいまより二年にねん以前いぜんその一行いつかうともこの海岸かいがん[#ルビの「かいがん」は底本では「がいがん」]上陸じやうりくしたときに、第一だいいちこのしまを「朝日島あさひじま」とめいじ、永久えいきゆう大日本帝國だいにつぽんていこく領土りようどたること宣言せんげんし、それより以來いらい朝日あさひかゞや御旗みはたは、えず海岸かいがん一方いつぽう岬頭みさきひるがへつるが、さて熟々つら/\かんがへるに、大佐等たいさらこのしま上陸じやうりくしたそも/\の目的もくてきは、秘密ひみつなる海底戰鬪艇かいていせんとうてい製造せいぞうするがためで、てい竣成しゆんせいともに、早晩さうばん此處こゝ立去たちさらねばならぬのである[#「立去たちさらねばならぬのである」は底本では「去立たちさらねばならぬのである」]無論むろん立去たちさつたあとでも、永久えいきゆう日本帝國につぽんていこく領土りようどであるべきことうたがひれぬが、こゝすこぶ憂慮ゆうりよえぬのは、いまや、まなこはなつて天下てんか形勢けいせいながむるに、歐米諸國をうべいしよこく寸尺すんしやく土地とちいへど自己じこ領分りようぶんとなさんときそひあらそひ、こゝに、一個いつこ無人島むじんとうでもあつて、いさゝかにても國家こつか支配權しはいけん完全くわんぜんおよんでらぬとるときは最早もはや國際法こくさいほふ原則げんそくなにもあつたものでい、つてもらぬかほ[#ルビの「かほ」は底本では「なほ」]に、先占せんせんひとてたるはたをば押倒おしたをして、自國じこく國旗こくきひるがへし、つまところ大紛爭だいもんちやく引起ひきをこして、其間そのあひだ多少たせう利益りえきめんとくわだてゝる、じつその狡猾かうくわつなること言語げんごぜつするほどだから、いま櫻木大佐さくらぎたいさ公明正大こうめいせいだいこのしま發見はつけんし、なづけて朝日島あさひとう[#ルビの「あさひとう」は底本では「ちさひとう」]び、これよりはわが大日本帝國だいにつぽんていこく領地りようちであること表示ひやうしするために、幾本いくほん日章旗につしようき海岸かいがんひるがへしていても、一朝いつてう此處こゝ立去たちさつたあとことは、すくなからず氣遣きづかはれるのである。無論むろん絶海ぜつかい孤島ことうであれば、三年さんねん五年ごねんあひだ他國たこく侵犯しんはんを、かうむるやうなことはあるまいが、安心あんしんのならぬはげん弦月丸げんげつまる沈沒ちんぼつ結果けつくわ偶然ぐうぜんにもこのしま漂着へうちやくした吾等われら兩人ふたり實例じつれいてらしても、櫻木大佐さくらぎたいさ一行いつかうが、功成こうな此處こゝ立去たちさつたあとに、何時いつ他國人たこくじん入替いれかわつて、このしま上陸じようりくせまいものでもない、貪慾どんよくことらぬ歐米人をうべいじんが、※一まんいち[#「一/力」、207-4]にも其後そのゝち此處こゝ上陸じやうりくしたならそれこそ大變たいへん何百本なんびやくぽん日章旗につしようきつてつたにしろ、其樣そんことには※(「てへん+勾」、第3水準1-84-72)かまはぬ、たちま日章旗につしようき片々きれ/″\引裂ひきさかれて、かはつて獅子しゝ鷲章わしゞるしはたが、我物顏わがものがほこのしま占領せんりようすることであらう。もとより紛議ふんぎ葛藤かつとうおそるゝところでない、正理せいりわれにあるのだが、しか※里ばんり[#「一/力」、207-8]波濤はたうへだてたる絶島ぜつとうおいて、すで唯一ゆいいつ確證くわくしようたる日章旗につしようき徹去てつきよされたるのちは、われに十二ぶん道理どうりがあつても、一個いつこ證據しようこなく、天下てんか承認しようにんこと餘程よほど困難こんなんであらうとおもふ。
いま左迄さまで有要いうえうともえぬこの孤島はなれじまも、いまより三十ねんもしくば五十ねんのちわが日本につぽん世界せかい大權力だいけんりよくふるはんとするとき西方にしのかた歐羅巴エウロツパたいする軍略上ぐんりやくじやう如何いか得易えやすからざる要鎭えうちんとなるかは、おつわかときもあらう。かくも、けつして他國たこくにはわたすまじきこの朝日島あさひじま占領せんりようをば、いまより完全くわんぜん繼續けいぞくして、櫻木大佐等さくらぎたいさら立去たちさつたあといへども、うごかしがた確證くわくしようとゞめ、※一まんいち[#「一/力」、208-5]他國たこく容嘴ようしする塲合ばあひには、一言いちげんしたに、大日本帝國だいにつぽんていこく領地りようちであること明示めいし計畫けいくわくてゝかねばならぬ。
かたりかけた櫻木大佐さくらぎたいさ一息ひといきつき
『そこで一個ひとつ妙案めうあんかんがしたのです。』とひながら、かうべめぐらし
じつは、この妙案めうあん發明者はつめいしやは、武村兵曹たけむらへいそうつてもよい。』と打笑うちわらひつゝ
武村兵曹たけむらへいそうくわしくおまへからかたつてあげい。』
こゑおうじて、快活くわいくわつなる兵曹へいそうすゝた。
わたくししやべこと下手へただから、わからなかつたら、何度なんどでも聽返きゝかへしてください。』とれい口調くちよう
その妙案めうあんといふのはうなんです。貴下あなた御存ごぞんじのとうり、この朝日島あさひじまは、このいへ附近ふきんのぞいては、いたところみな危險きけん塲所ばしよで、深山しんざんへ十以上いじやうすゝんでくと、天狗てんぐるか魔性ませうるかわからない、イヤ、正歟まさか其樣そんものまいが、毒蛇どくじやや、猛狒ゴリラや、獅子しゝや、とらるい數知かずしれずんでつて、わたくしやう無鐵砲むてつぽう人間にんげんでも、とてもおそろしくつてけぬほどだから、誰人たれだつて足踏あしふみ出來できませない。そこでね、わたくしかんがへるには、いま一個ひとつ堅固けんご紀念塔きねんたふこしらへて、その深山しんざんつてつててゝるのだ、紀念塔きねんたう表面ひやうめんには、ちやんと朝日島あさひじまきざんで、此處こゝ日本帝國につぽんていこく領地りようち御坐ござる、何年なんねん何月なんげつ何日なんにち櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさこれ發見はつけんすとしるしてくのだ。すると、吾等われらこのしま立去たちさつたあとで、外國人ぐわいこくじんどもがやつてても大丈夫だいじやうぶです。なに海岸かいがんへんまるはた押倒おしたをして、獅子しゝだの、鷲印わしじるしはたなんかてたところ無益だめだ/\。この紀念塔きねんたふてられた深山しんざんまでは、危險きけんだからたれけない、かなければ其樣そん證據物しようこぶつのあることらないでる。※一まんいち[#「一/力」、210-5]けばたちま猛獸まうじう毒蛇どくじや喰殺くひころされてしもうから、んだ人間にんげんいも同然どうぜん。そこで、外國人ぐわいこくじん吾等われら立去たちさつたあとで、このしま上陸じやうりくして、此處こゝ自分じぶんが、第一だいいち發見はつけんしたしまだなんかと、くだひたつて無益だめもうすのだ。此方こつちにはちやんと證據物件しようこぶつけんござる、そんなに八釜やかましくふなら、サアなせいとつて、山奧やまおくれてつて、その紀念塔きねんたふせてやるのだ、どうだいこのめぬか「明治めいじ何年なんねん何月なんげつ何日なんにち大日本帝國だいにつぽんていこく海軍大佐櫻木重雄かいぐんたいささくらぎしげを本島ほんとう發見はつけんす、いま大日本帝國だいにつぽんていこく占領地せんりようちなり、おくれてこのしま上陸じやうりくするものは、すみやかにはたいて立去たちされ」なんかとしるしてあるでせう、奴輩やつこさん喫驚びつくりして卒倒ひつくりかへるだらう。其處そこ横面よこずつぽうでも張飛はりとばして追拂おつぱらつてやるのだ。』
『あはゝゝゝゝ。』とわたくしこゑたかわらつた。成程なるほど妙案めうあん/\。武骨ぶこつ武村兵曹たけむらへいそうかんがさうことだ。けれど、第一だいいちに、其樣そんな危險きけん深山しんざん如何どうして紀念塔きねんたうてるか、外國人ぐわいこくじんかれぬほど危險きけんところへは、吾等われらだつてかれぬはづではいかと、すかさず一本いつぽん切込きりこむと、武村兵曹たけむらへいそうちつともおどろかない。
其處そこ奇々妙々きゝめう/\發明はつめいだよ。』

    第十七回 冐險鐵車ぼうけんてつしや
自動の器械――斬頭刄ギラチン形の鉞――ポンと小胸を叩いた――威張れません――君が代の國歌――いざ、帝國の萬歳を唱へませう
其處そこが、奇々妙々きゝめう/\發明はつめいだよ。』と武村兵曹たけむらへいそうましたかほ
わたくしだつて、其樣そんな無鐵砲むてつぽうことはない、この工夫くふうは、大佐閣下たいさかくか仲々なか/\巧妙うまい感心かんしんなすつたんです。』と意氣いき昂然こうぜんとして
冐險鐵車ぼうけんてつしや――左樣さやう自動仕掛じどうじがけの鐵檻てつおりくるま製造せいぞうして、れにつて、山奧やまおく出掛でかけやうといふんです。』
『む、鐵檻てつおりくるま?。』とわたくしひたいたゝいた。
武村兵曹たけむらへいそう此時このとき大佐たいさ許可ゆるして、つぎへやから一面いちめん製圖せいづたづさへてて、卓上たくじやう押廣おしひろ
『これです、自動冐險鐵車じどうぼうけんてつしや設計せつけいといふのは――この鐵檻てつおりくるま恰形かくこう木牛もくぎうて、ながさ二十二しやく幅員はゞ十三じやくたかさは木牛形もくぎうけい頭部とうぶおいて十二しやく後端こうたんおいて十しやくはん四面しめんそのごとく、堅牢けんらうなるてつおりをもつて圍繞かこまれ、下床ゆか彈力性だんりよくせいいうするクロー鋼板かうばんで、上部じやうぶ半面はんめん鐵板てつぱんおほはれ、半面はんめん鐵檻てつおりをもつてつくられ、鐵車てつしや都合つごう十二の車輪くるまそなへ、其内そのうち齒輪車しりんしやで、この車輪しやりん運轉うんてんする動力どうりよくは、物理學上ぶつりがくじやう種々しゆ/″\なる原則げんそく應用おうようせる、きはめて巧緻こうちなる自轉じてん仕組しくみにて、車内しやない前部ぜんぶ機械室きかいしつには「ノルデン、インヂン」に髣髴ほうふつたる、非常ひじやう堅牢けんらう緻密ちみつなる機械きかいまうけありて、だいちうせう、三十七しゆ齒輪車しりんしやたがひ噛合かみあひ、吸鍔桿ピストン曲肱クンク方位盤ダイレクターたる諸種しよしゆ器械きかい複雜ふくざつきはめ、あだか聯成式れんせいしき蒸氣機關じようききくわんるやうである。いま一個いつこひとあり、車臺しやだいして、右手ゆんで柄子とりでにぎつて旋廻輪せんくわいりんまわしつゝ、徐々じよ/\足下そくか踏臺ふみだいむとたちまかたはらそなへられたる號鈴器がうれいきはリン/\として、下方かほう軸盤じゆくばんしづかに回轉くわいてんはじむるとともに、その動力どうりよく第一だいいち大齒輪だいしりんおよび、第二だいに齒輪車しりんしやうつり、同時どうじ吸鍔桿ピストン上下じやうかし、曲肱クンク活動くわつどうにもとまらず、かくてその動力どうりよくだい三十七番目ばんめ齒輪車しりんしやおよころには、その廻轉くわいてん速度そくどと、實力じつりよくとは、非常ひじやう強烈きようれつになつて、ほとんど四百四十馬力ばりき※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)機關じようききくわん匹敵ひつてきよしこの猛烈まうれつなる動力どうりよくが、接合桿せつがふかんをもつて車外しやぐわい十二車輪しやりんうごかし、つひこの堅固けんごなる鐵檻てつおりくるま進行しんかうはじめるのである。勿論もちろんかゝる構造かうざうで、きわめて重量じゆうりようのある鐵車てつしやことだから、速力そくりよくてんおいてはあま迅速じんそくにはかぬ、平野へいやならば、一時間いちじかん平均へいきんマイル以上いじやう進行しんかうすること出來できるであらうが、勾配かうばいはげしい坂道さかみちでは、からうじて一時間じかんマイルくらゐ速力そくりよくをはこともあらう。しかし、この冐險鐵車ぼうけんてつしや特色とくしよく水中すいちうほか如何いかなる險阻けんそみちでも進行しんかうぬといふことはなく、險山けんざんのぼるには通常つうじやう車輪しやりん[#ルビの「しやりん」は底本では「しやり」]ほか六個ろくこ強堅きようけんなる齒輪車しりんしやと、車室しやしつ前方ぜんぽう裝置さうちされたる螺旋形らせんけい揚上機やうじやうきおよ後方こうほうまうけられたる遞進機ていしんきとを使用しようして、のぼ山道やまみち大木たいぼく巨巖等きよがんとうちからに、螺旋形らせんけい尖端せんたん螺釘らていごと前方ぜんぽう大木たいぼくねぢみ、車内しやない揚上機やうじやうき運轉うんてんともに、その螺旋らせん自然しぜん收縮しゆうしゆくして、次第しだい/\に鐵車てつしや曳上ひきあげ、遞進機ていしんき螺旋形揚上機らせんけいやうじやうきとは反對はんたいに、後方こうほう巖石がんせき支臺さゝへとして、彈力性だんりよくせい槓桿こうかん伸張しんちやうによつて、無二無三むにむさん鐵車てつしや押上おしあげるのである。鐵車てつしや深林しんりんくには、一層いつそう巧妙こうめうなる器械きかいがある、それは鐵車てつしや前方ぜんぽう木牛頭もくぎうとう上下じやうかより突出とつしゆつして、二十一の輪柄りんぺいいうする四個しこ巨大きよだいなる旋廻圓鋸機せんくわいゑんきよきと、むかし佛蘭西フランス革命時代かくめいじだいに、一萬三千人いちまんさんぜんにんくびねたりとばるゝ、にもおそるべき斬頭刄ギラチンかたち髣髴ほうふつたる、八個はつこ鋭利えいりなる自轉伐木鉞じてんばつもくふとの仕掛しかけにて、行道ゆくてふさがる巨木きよぼくみきよりたほし、小木せうぼくえだ諸共もろともたほして猛進まうしん[#ルビの「まうしん」は底本では「ほうしん」]するのであるから、如何いかなる險山けんざん深林しんりんくわいしても、まつた進行しんかう停止ていしせらるゝやうなうれひはないのである。
鐵檻てつおりくるま出入口でいりぐちは、不思議ふしぎにも車室しやしつ頂上てうじやうまうけられて、鐵梯てつていつたつて屋根やねから出入でいりするやうになつてる。それは四面しめん鐵檻てつおり堅牢けんらうなるうへにも堅牢けんらうならんことのぞんで、如何いか力強ちからつよてきおそひきたつても、けつして車中しやちう安全あんぜんがいせられぬため特別とくべつ注意ちうゐであるさうな。乘組のりくみ人員じんゐんは、五人ごにん定員てんゐんで、車内しやないには機械室きかいしつほかに、二個にこ區劃くくわくまうけられ、一方いつぽう雨露うろしのぐがめにあつ玻璃板はりばんもつ奇麗きれいおほはれ、床上しやうじやうには絨壇じゆうたんくもよし、毛布ケツトーぐらいでますもよし、其處そこ乘組人のりくみにん御勝手ごかつて次第しだい區劃くくわく彈藥だんやく飮料いんれう鑵詰くわんづめ乾肉ほしにく其他そのほか旅行中りよかうちう必要品ひつえうひんたくわへてところで、固定旅櫃こていトランクかたちをなしてる。
出來上できあがつたら立派りつぱなもんでせう。』と武村兵曹たけむらへいそうはなうごめかしつゝわたくしながめた。
見事みごと! 見事みごと! イヤじつおどろ大發明だいはつめいだよ。』とわたくしひざすゝむをおぼえなかつた。兵曹へいそうなほ威勢ゐせいよく
『ね、この自動鐵檻車じどうてつおりのくるま出來できなさい、如何どん危險きけん塲所ばしよだつて平氣へいきなもんです、猛狒ゴリラ獅子しゝ行列ぎようれつてゝおそつてところで、此方こつち鐵檻車てつおりぐるまなかから猛獸まうじうども惡相あくさう目掛めがけて、鐵砲玉てつぽうだま御馳走ごちさうでもしてやるばかりだ。其處そここの鐵車てつしやつて、朝日島あさひじまきざんだ紀念塔きねんたうたづさへて、此處こゝから三十ぐらいの深山しんざん踏入ふみいつて、猛獸まうじう毒蛇どくじや眞中まんなかへ、その紀念塔きねんたうてゝるのだ、んと巧妙うま工夫くふうではありませぬか。』とポンと小胸こむねたゝいて
此樣こん工夫くふうをやるのだもの、この武村新八たけむらしんぱちだつてあんまり馬鹿ばかにはなりますまい。』と眞丸まんまるにして一同いちどう見廻みまわしたが、たちまこゑひくくして
『だが[#「だが」は底本では「だか」]、あんまり威張ゐばれないて、此樣こんくるま製造こしらへては如何どうでせうと、此處こゝまで工夫くふうしたのはこのわたくしだが、肝心かんじん機械きかい發明はつめい悉皆みんな大佐閣下たいさかつかだよ。』と苦笑くせうしたので、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさをはじめ、一座いちざ面々めん/\あまりの可笑をかしさに、一時いちじにドツと笑崩わらひくづるゝあひだに、武村兵曹たけむらへいそう平氣へいきかほわたくしむか
其處そこで、貴方あなたすゝめるのです貴方あなた石炭焚せきたんたきだの、料理方れうりかただのつて、其樣そん馬鹿ばか眞似まね出來できるものでいから、それよりは、この鐵檻車てつおりぐるま製造せいぞうにお着手かゝりなすつては如何いかゞです、大佐閣下たいさかつか餘程よほどまへからこのくはだてはあつたので、すでに製圖せいづまで出來できるのだが、海底戰鬪艇かいていせんとうていほういそがしいので、ちからけること出來できず、いづてい竣成しゆんせい製造せいぞう着手かゝらうとおつしやつてるのだが、海底戰鬪艇かいていせんとうてい出來上できあがつたうへは、一日いちにちはや日本につぽんかへつたほうがいゝ、それで、なんと、貴方あなたはやつて御决心ごけつしんはありませんか、貴方あなた主任者しゆにんしやとなつて、一生懸命いつしやうけんめいにやるつもりなら、私共わたくしどもも二三人宛にんづゝ休息時間きうそくじかんはいしても、かわる/″\つてはたらきますぞ、すると海底戰鬪艇かいていせんたうてい竣工しゆんこうするころには、鐵檻てつおりくるま出來上できあがつて、私共わたくしどもれに乘込のりこんで、深山しんざんおくつて、立派りつぱ紀念塔きねんたうてゝるのだ。』
愉快ゆくわい々々。』とわたくし兩手りようてげた。櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ微笑びせうびてわたくしむか
きみすゝんで、この任務にんむ擔當たんたうしますか。』
『やります。』とわたくし斷言だんげんした。
自動冐險鐵車じどうぼうけんてつしや! あゝこの前代未聞ぜんだいみもんなる鐵車てつしや製造せいざうは、隨分ぜいぶん容易ようゐことではあるまい。しかし、わたくし一個いつこ男子だんしである。これから二ねん九ヶげつあひだ大佐等たいさらはかのおどろ海底戰鬪艇かいていせんとうてい工作こうさく着手ちやくしゆしてあひだわたくし心身しんしんめて從事じうじしたら、んの出來できことがあらう。やるやる見事みごとにやつてせる。
櫻木大佐さくらぎたいさいた打悦うちよろこび、
きみその决心けつしんがあるなら屹度きつと出來できます、鐵車てつしや製造所せいぞうしよは、秘密造船所ひみつざうせんじよない何處どこかにまうけ、充分じゆうぶん材料ざいれうわたくしほうから供給けうきうし、またきみ助手たすけてとしては、毎日まいにち午前ごぜん午後ごゞ交代かうたいに、四名宛めいづゝ水兵すいへいつかはすこといたしませう。わたくしおよばずながら※事ばんじ[#「一/力」、220-8]いて助言じよげんいたしますよ。』といふ。
うなつたら、生命掛いのちがけでやります。』とわたくしうでたゝいた。
面白おもしろい/\。』と武村兵曹たけむらへいそう頬鬚ほうひげでた。
日出雄少年ひでをせうねん先刻せんこくから、櫻木大佐さくらぎたいさかたはらに、行儀ぎようぎよく吾等われら談話はなしいてつたが、いとけなこゝろにもはなし筋道すぢみちはよくわかつたとへ、此時このとき可愛かあいらしき此方こなた
『あの、叔父おぢさんが、てつくるまをおつくりになるんなら、わたくし同一いつしよはたらかうとおもふんです。』
『こいつは愈々いよ/\面白おもしろくなつてた。』と武村兵曹たけむらへいそう突如いきなり少年せうねん抱上いだきあげた。
櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ打笑うちえ[#ルビの「うちえ」は底本では「うみえ」]みながらも、こゑさわやかに
日出雄少年ひでをせうねん鐵工てつこうとなるより、立派りつぱ海軍士官かいぐんしくわんとなる仕度したくをせねばならんよ。』と武村兵曹たけむらへいそうひざなる少年せうねん房々ふさ/″\した頭髮かみでやりつゝ、わたくしむか
かねうけたまはる、かれちゝなる濱島武文氏はまじまたけぶみしと、春枝夫人はるえふじんとのこゝろざしかはつて、不肖ふせうながら日出雄少年ひでをせうねん教育きよういくにんをば、これからこの櫻木重雄さくらぎしげを引受ひきうけませう。』といふ。
わたくしこの一言いちごんで、たちま子ープルス親友しんゆうや、春枝夫人はるえふじんこと回想くわいさうした。日出雄少年ひでをせうねんをば眞個しんこ海軍々人かいぐんぐんじんゆだねんとせしかれちゝこゝろざしが、いま意外いぐわい塲所ばしよで、意外いぐわいひとよつたつせらるゝこのうれしき運命うんめいに、おもはず感謝かんしやなみだ兩眼りようがんあふれた。暫時ざんじ室内しつないはシンとなると、此時このとき何處いづくともれず「きみ[#「きみ」は底本では「きみ」]」の唱歌せうかしづかなる海濱かいひんかぜにつれてかすかにきこえる。オヤとおもつて、窓外まどのそとながめると、今宵こよひ陰暦いんれきの十三月明つきあきらかなる青水せいすい白沙はくしや海岸かいがんには、大佐たいさ部下ぶか水兵等すいへいらは、晝間ひるま疲勞つかれこのつきなぐさめんとてや、此處こゝ一羣ひとむれ彼處かしこ一群ひとむれ詩吟しぎんするのもある。劍舞けんぶするのもある。なか一團いちだん七八にん水兵等すいへいらは、なみ突出つきだされたるいそうへむつましくをなして、はるかに故國こゝくてんのぞみつゝ、ふしおもしろくきみ千代八千代ちよやちよさかえ謳歌おうかしてるのであつた。
『あゝ、壯快さうくわい壯快さうくわい!。』とわたくし絶叫ぜつけうしたよ。櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさしづかに立上たちあが
『いざ、吾等われら彼處かしこいて、とも大日本帝國だいにつぽんていこく※歳ばんざい[#「一/力」、223-3]となへませうか。』
        *    *    *    *
      *    *    *    *
その翌日よくじつから、わたくしあさ東雲しのゝめ薄暗うすくら時分じぶんから、ゆふべ星影ほしかげうみつるころまで、眞黒まつくろになつて自動鐵檻車じどうてつおりのくるま製造せいぞう從事じゆうじした。洞中どうちう秘密造船所ひみつざうせんじよなかでは、海底戰鬪艇かいていせんとうていほうでも、わたくしほうでも、鎔鐵爐ようてつろ冶金爐等やきんろとうから※(「火+稲のつくり」、第4水準2-79-87)えん/\熱火ねつくわひかり魔神まじん紅舌したのごとく、たがひうちおろす大鐵槌だいてつついひゞきは、寂寞じやくばくたる洞窟どうくつ鳴動めいどうして、朝日島あさひじまうみ神樣かみさまも、さだめてきもつぶしたことであらう。

    第十八回 野球競技ベースボールマツチ
九種の魔球カーブ――無邪氣な紛着――胴上げ――西と東に別れた――獅子の友呼び――手頃の鎗を捻つて――私は殘念です――駄目だんべい
 それから、一ねん、二ねん、三ねんと、月日つきひくるま我等われら仕事しごと進行すゝみおな速力そくりよく※去すぎさ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、224-5]つて、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさかね豫定よていしたとうりに、にもおどろ海底戰鬪艇かいていせんとうていも、いま九分九厘くぶくりんまで竣成しゆんせいし、いよ/\この二月にぐわつの十一にちすなは大佐等たいさらためにはこの朝日島あさひじま上陸じようりくしてから五度目ごたびめの――わたくし日出雄少年ひでをせうねんとのためには三度目さんどめの、紀元節きげんせつ祝日いはひのひむかふるとともに、目出度めでた試運轉式しうんてんしき擧行きよかうまでの、よろこばしきはこびにいたつたころわたくし擔任たんにん自動鐵車じどうてつしやまつた出來上できあがつた。
いまになつて回想かんがへると、三ねん月日つきひもさて/\はやいものだ。本國ほんごくから數千里すうせんりへだたつたこの印度洋インドやうちう孤島こたうにあつて、隨分ずゐぶん故郷こきようそらなつかしくなつたこと度々たび/\あつた――むかし友人ともだちことや――品川灣しながはわん朝景色あさげしきや――上野淺草うへのあさくさへん繁華にぎやかまちことや――新橋しんばし停車塲ステーシヨンことや――回向院ゑこうゐん相撲すまふことや――神樂坂かぐらざか縁日えんにちことや――よろづ朝報てうほう佛蘭西フランス小説せうせつことや――錦輝舘きんきくわん政談せいだん演説えんぜつことや――芝居しばゐこと浪花節なにはぶしことや、それから自分じぶん學校時代がくかうじだいによく進撃しんげきしたやぶそばや梅月ばいげつことや、其他そのほか樣々さま/″\こと懷想くわいさうして、つばさあらばんでもきたいまで日本につぽんこひしくなつたこと度々たび/\あつたが、しか比較的ひかくてき※去くわこ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、225-7]の三ねんわたくしためにはしのやすかつたよ、イヤ、其間そのあひだには隨分ずゐぶん諸君しよくんには想像さうざう出來できないほど面白おもしろこと澤山たくさんあつた。獅子狩しゝがりんでも十幾遍いくへんもようされたがいつ武村兵曹たけむらへいそう大功名だいこうめうであつた。またあるとき海岸かいがんいへうしろもりへ、大鷲おほわしいとなんでるのを見付みつけて、その卵子たまごりにつてひど遭遇でつくわしたこともある。毎日まいにち/\あしたほしいたゞいて大佐等たいさらともいへで、終日しうじつ海底かいてい造船所ざうせんじよなか汗水あせみづながして、夕暮ゆふぐれしづかな海岸かいがんかへつてると、日出雄少年ひでをせうねん猛犬まうけん稻妻いなづまとは屹度きつと途中とちうまでむかへる、それからあつときにはいへうしろながれて清流せいりう身體からだきよめ、すゞしいときには留守居るすゐ水兵すいへい日出雄少年ひでをせうねん凖備ようゐしてれるこの孤島しまには不相應ふさうおう奇麗きれい浴湯よくたうはいつて、やがたのしい夕食ゆふしよくをはると、此邊このへん熱帶國ねつたいこくつねとて、年中ねんちうながいので、食後しよくご時間じかんばかりは大佐たいさをはじめ一同いちどう海邊かいへんでゝ戸外運動こぐわいうんどうふけるのである。庭球ローンテニスもある、「クリツケツト」もある、射的塲しやてきばもある、相撲すまふ土俵どひやうもある、いづれも櫻木大佐さくらぎたいさ日本につぽんづるまへから、かゝる孤島こたう生活中せいくわつちう一同いちどう無聊むれうなぐさめんがめに凖備じゆんびしてこととて「テニス、コード」も射的塲しやてきば仲々なか/\整頓せいとんしたものである、しかし、このしま一番いちばん流行はやるのは端艇競漕ボートレース野球競技ベースボールとであつた。端艇競漕ボートレース本職ほんしよくことだから流行はやるのも無理むりいが、大事かんじん端艇ボートかつおこつた大颶風だいぐふうめに大半たいはん紛失ふんしつ[#ルビの「ふんしつ」は底本では「ふんじつ」]してしまつたので、いまのこつてるのは「ギク」一さう、「カツター」二さうで、オール餘程よほど不揃ふぞろひ[#ルビの「ふぞろひ」は底本では「ぶぞろひ」]なので、とても面白おもしろ競漕きやうそうなどは出來できない、時々とき/″\やつてたが、「ハンデー」やら其他そのほか樣々さま/″\遣繰やりくりやらで、いつも無邪氣むじやき紛着もんちやくおこつて、墨田川すみだがは競漕きやうそうやう立派りつぱにはかぬのである。野球ボール其樣そん災難さいなんいから、毎日まいにち/\さかんなものだ[#「さかんなものだ」は底本では「さかんなものた」]丁度ちやうど海岸かいがんいへから一ちやうほどはなれて、不思議ふしぎほど平坦たいらか芝原しばはらの「ゲラウンド」があるので、其處そこで「アウト」「ストライキ」のこゑ夕暮ゆふぐれそらひゞいて、審判者アンパイヤー上衣うはぎ一人ひとりくろいのも目立めだつてえる。櫻木大佐さくらぎたいさ今年ことし三十三さい海軍大佐かいぐんたいさであるが、日本人につぽんじんにはめづらしいまでかゝる遊戯スポルト嗜好すきこのんで、また仲々なか/\達者たつしやである、むかし投手ピツチ大撰手チヤンピオンとして、雄名ゆうめいその仲間なかまにはかくれもなかつたさうな、いまその面影おもかげのこつて、この朝日島あさひたうちう武村兵曹たけむらへいそうわたくしとをのぞいたらそのつぎ撰手チヤンピオンつてもよからう、わたくし世界せかい漫遊まんゆう以來いらいひさしく「ボール」をにせぬから餘程よほど技倆ぎりようちたらうが、それでも遊撃手シヨルトストツプ位置ゐちたせたら本國ほんごく横濱よこはまアマチユーア倶樂部くらぶ先生せんせいがたにはけぬつもり御坐ござる。武村兵曹たけむらへいそう技倆ぎりようはまた格別かくべつで、何處どこ練習れんしうしたものか、てつやううでから九種こゝのつ魔球カーブひね[#「ひねす」は底本では「ひねず」]工合ぐあひすさまじいもので、兵曹へいそう投手ピツチにすると敵手あひてになるくみはなく、また打棒バツトれて/\たまらぬので、此頃このごろでは大概たいがい左翼レフトほうまはしてるが、先生せんせい其處そこからウンとちからめて熱球ダイレクトげると、そのたまがブーンとうなごゑはなつてんで有樣ありさま、イヤそのたまあたまへでもあたつたら、此世このよ見收みをさめだとおもふと、氣味きみわるくて仲々なか/\せないほどである。大佐等たいさら一行いつかうこのしまたのはわたくしより餘程よほどまへで、その留守中るすちう米國軍艦べいこくぐんかん「オリンピヤ」がう横濱よこはまへやつてて、おと名高なだかき、チヤーチ熱球ねつきゆう魔球まきゆうが、我國わがくに野球界やきゆうかい覇王はわうともいふだい高等學校かうとうがくかう撰手せんしゆ打破うちやぶつたことは、わたくしこのしま漂着へうちやくする半年はんとしほどまへ英國えいこく倫敦ろんどんちらみゝにした、れはもういまから三四ねんまへことだが、じつ殘念ざんねん次第しだいである。其後そのゝち一高軍いつかうぐんもの見事みごと復讎ふくしゆうげたであらうが、いまだならばわたくしひそかに希望きぼうしてるのである、他日たじつ我等われらこの孤島こたうつて日本につぽんかへつたのち武村兵曹たけむらへいそう軍艦ぐんかんじやうじ、また大佐たいさ電光艇でんくわうていとも世界せかい各港かくかうめぐり、一度ひとたび北亞米利加きたアメリカ沿岸えんがんいたつたならば、晩香坡ヴワンクーバー南街公園サウサルンストレートパークおいて、もしくば黄金門ゴルデンゲートひかりかゞや桑港サンフランシスコ廣野ひろばおいて――何處いづくにてもよし、其處そこ米艦べいかん「オリンピヤ」がう投錨とうべうせるをば、此方こなた武村兵曹たけむらへいそう投手ピツチとして、彼方かなたおと名高なだかチヤーチ一軍いちぐん華々はな/″\しき勝敗しようはいけつせんことを。てき米國軍艦べいこくぐんかんわれ帝國軍艦ていこくぐんかん水雷すいらい砲火ほうくわならぬ陸上りくじやう運動うんどうをもつてたがひいどたゝかふも一興いつきようであらうとおもふ。
日出雄少年ひでをせうねん如何いかに! 少年せうねん我等われらあそび仲間なかまである。何時いつでもだい一にその運動塲うんどうじやうけてくのはかれだ、その身體しんたい敏捷びんしやううごこととどんないたにもいたかほをせぬことと、それから記臆力きおくりよくつよく、規則ルール[#ルビの「ルール」は底本では「レール」]などはおぼえてしまうので、武村兵曹たけむらへいそうこの將來しやうらい非常ひじやう有望いうぼう撰手せんしゆであるとかたつたがたゞ野球やきゆうばかりではなくかれ※去くわこ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、230-6]ねんあひだ櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ嚴肅げんしゆくなる、慈悲じひふかしたしく薫陶くんとうされたこととて、今年ことし十二さい少年せうねんにはめづらしきまで大人似おとなびて、氣象きしよう凛々りゝしい、擧動きよどう沈着ちんちやくな、まるで、小櫻木大佐せうさくらぎたいさこゝるやうな、雄壯をゝしき少年せうねんとはなつた。少年せうねん端艇たんてい野球等やきゆうとうほかひまがあるといしげる、のぼる、猛犬稻妻まうけんいなづまひきつれて野山のやまけめぐる、其爲そのため體格たいかく非常ひじやう見事みごと發達はつたつして、以前いぜんには人形にんぎようのやうに奇麗きれいであつたかほの、いますこしくいろ淺黒あさぐろくなつて、それに口元くちもとキリ、としまり、のパツチリとした樣子やうすは、なにともへずいさましい姿すがた此後このゝち機會きくわいて、かれ父君ちゝぎみなる濱島武文はまじまたけぶみ再會さいくわいしたときちゝ如何いかおどろくだらう。またかの天女てんによごと春枝夫人はるえふじんが、萬一まんいちにも無事ぶじであつて、このいさましい姿すがたたならば、どんなにおどろよろこことであらう。
いま本島ほんとう主人公しゆじんこうなる櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ健康けんこうまでもなく、此頃このごろではほとん終日しうじつ終夜しうやを、秘密造船所ひみつぞうせんじよなかおくつてる。武村兵曹たけむらへいそう相變あひかはらず淡白たんぱく[#ルビの「たんぱく」は底本では「たぱく」]で、慓輕へうきんで、其他そのほか三十有餘名いうよめい水兵等すいへいら一同いちどう元氣げんきよく、だいなる希望きぼう待望まちのぞみつゝ、勤勉きんべんはたらいてる。
かゝるよろこばしき境遇きやうぐうあひだに、首尾しゆびよく竣成しゆんせいした自動鐵檻車じどうてつおりぐるまは、つひ洞中どうちう工作塲こうさくばた。れい屏風岩べうぶいはうへからたゞちに運轉うんてんこゝろみてると最良さいりよう結果けつくわで、號鈴がうれいリン/\とりひゞき、不思議ふしぎなる機關きくわん活溌くわつぱつなる運轉うんてんしたがつて十二外車輪ぐわいしやりんが、いはみ、どろつて疾走しつさうする有樣ありさまは、われながら見事みごとおもはるゝばかり、暫時しばし喝采かつさいこゑまなかつた。たちま何人だれ發聲おんどにや、一團いちだん水兵等すいへいらはバラ/\とわたくし周圍めぐり走寄はしりよつて『鐵車てつしや萬歳ばんざい々々々々。』とわたくし胴上どうあげをはじめた。萬歳ばんざい難有ありがたいが、おにともまんず荒男あらくれをとこが、前後左右ぜんごさゆうからヤンヤヤンヤと揉上もみあげるので、そのくるしさ、わたくし呼吸いきまるかとおもつた。
うなると、一刻いつこくじつとしてられぬのは武村兵曹たけむらへいそうである。腕拱うでこまぬいて、一心いつしん鐵檻車てつおりぐるま運轉うんてんながめてつたが、たちま大聲たいせい
『やあ、うまい/\、でも[#「でも」は底本では「ても」]よくうごくわい、もう遲々ぐず/\してはられない。』ときふはしつてつて、此時このときすで出來上できあがつてつた紀念塔きねんたふ引擔ひつかついでた。たうたかさ三じやくすん三尖方形さんせんほうけい大理石だいりせきで、そのなめらかなる表面ひやうめんには「大日本帝國新領地朝日島だいにつぽんていこくしんりようちあさひとう」なる十一ふかきざまれて、たふ裏面うらには、發見はつけん時日じじつと、發見者はつけんしや櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさとが、あきらか記銘しるされてるのだ。たうかついで武村兵曹たけむらへいそういきらしながら大佐たいさむか
大佐閣下たいさかつか鐵車てつしや見事みごと出來できましたれば、ぜんいそげでいまからぐと紀念塔きねんたふてに出發しゆつぱつしては如何どうでせう、すると晴々はれ/″\しますから。』
大佐たいさ滿面まんめんえみたゝへつゝ
無論むろん躊躇ちうちよする必要ひつえうはない、海底戰鬪艇かいていせんとうていも、今日けふから十日目かめ紀元節きげんせつ當日たうじつには、試運轉式しうんてんしきおこなひ、其後そのゝち一週間いつしゆうかん以内いないには、すべての凖備じゆんびをはつて、本島ほんとう出發しゆつぱつする豫定よていだから、紀念塔きねんたう建立けんりつその以前いぜんをはらねば――。』とひかけてわたくしむか
其處そこで、明日あす午前ごぜん六時ろくじもつて、鐵檻車てつおりぐるま出發しゆつぱつ時刻じこくさだめませう、これから三十深山しんざんたつするに、鐵車てつしや平均速力へいきんそくりよくが一時間じかんに二はんとして、往途ゆき二日ふつか建塔けんたうめに一にち歸途きと二日ふつか都合つごふ五日目いつかめには、鐵車てつしやふたゝ此處こゝかへつて、とも萬歳ばんざいとなへること出來できませう。』
『あゝ。明朝あすのあさまでつのですか。』と武村兵曹たけむらへいそうくちむくつかせたが、たちまちポンとたなごゝろたゝいて
『おゝ、それも左樣さうだ、わたくし考通かんがへどうりにもかないな、これから糧食かて積入つみいれたり、飮料水のみゝづ用意ようゐをしたりしてると、矢張やはり出發しゆつぱつ明朝あすのあさになるわい。』と獨言ひとりごつ、このをとこいつもながら慓輕へうきんことよ。
鐵車てつしやが、いよ/\永久紀念塔えいきゆうきねんたふ深山しんざんいたゞきてんがめに、此處こゝ出發しゆつぱつするのは明朝めうてう午前ごぜん六時ろくじさだまつたが、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさは、海底戰鬪艇かいていせんとうてい運轉式うんてんしき間近まぢかせまつてるので、一日いちにち此塲このば立去たちさことかなはねば、そこでわたくしと、日出雄少年ひでをせうねんと、武村兵曹たけむらへいそうと、二名にめい水兵すいへいとが、鐵車てつしや乘組のりくことになつた。猛犬稻妻まうけんいなづま日出雄少年ひでをせうねん懇望こんもうで、この冐險旅行ぼうけんりよかうしたがことになつた。
それより、鐵車てつしや紀念塔きねんたふ積入つみいれ、小銃せうじう彈藥だんやく飮料水いんりようすい糧食等りようしよくなど用意ようゐくらして、さてその翌日よくじつとなると、吾等われら撰任せんにんされたる五名ごめい未明みめい起床おきいでゝ鐵車てつしや乘組のりくんだ。やが鐵車てつしやいきほひよく進行しんかうはじめると、櫻木大佐さくらぎたいさをはじめ三十餘名よめい水兵すいへいども歡呼くわんこげて、十數町すうちやうあひだ吾等われら首途かどで見送みおくつてれたが、つひに、ある丘陵をかふもとわかれげ、吾等われらひがしへ、彼等かれら西にしへ、そのをか中腹ちうふくにて、櫻木大佐等さくらぎたいさら手巾ハンカチーフり、帽子ぼうしうごかして姿すがたも、やが椰子やし橄欖かんらんがくれにえずなると、それから鐵車てつしや全速力ぜんそくりよくに、はずやまはず突進つきすゝむ、神變しんぺん不思議ふしぎなる自動鐵車じどうてつしや構造こうぞうは、今更いまさら管々くだ/″\しく述立のべたてる必要ひつえうもあるまい、森林しんりんときは、旋廻圓鋸機せんくわいえんきよきと、自動鉞じどうまさかりとの作用さようで、みち切開きりひらき、やまのぼるには、六個ろくこ齒輪車しりんしや揚上機やうじやうき遞進機ていしんきはたらきで、み、いしくだいて進行しんかうするのだ。大約おほよそみち四五里しごりすゝんだとおもところからやま益々ます/\ふかくなり、みちはだん/\と險阻けんそ[#ルビの「けんそ」は底本では「けそ」]になつたが、元氣げんきなる武村兵曹たけむらへいそうは、んでも日沒ひぐれまでには二十以上いじやうすゝまねばならぬといさつ。
やまると、たゞちに猛獸まうじう毒蛇どくじや襲撃しふげき出逢であふだらうとはかねての覺悟かくごであつたが、此時このときまで其樣そん模樣もやうすこしもえなかつた。四隣しりん氣味きみわるほど物靜ものしづかで、たゞ車輪しやりんきしおとと、をりふし寂寞じやくばくとした森林しんりんなかから、啄木鳥たくぽくてうがコト/\と、みきたゝおととが際立きわだつてきこゆるのみであつたが、鐵車てつしやすゝすゝんで、いまある深林しんりんへん差掛さしかゝつたとき日出雄少年ひでをせうねん[#ルビの「ひでをせうねん」は底本では「びでをせうねん」]きふわたくしそでいた。
獅子しゝが/\。』
獅子しゝが? 何處どこに?。』と一同いちどうきつとなつて、そのゆびさかたながめると、はたしてひやくヤードばかりはなれたる日當ひあたりのよきくさうへに、一頭いつとう巨大きよだいなる雄獅子をじゝよこたはつてつたが、鐵車てつしやひゞきたちまちムツクと起上おきあがり、一聲いつせいたかえた。
獅子しゝ友呼ともよび!。』と一名いちめい水兵すいへい※(「口+耳」、第3水準1-14-94)さゝやいた。成程なるほど遠雷えんらいごと叫聲さけびごゑ野山のやま響渡ひゞきわたると、たちま其處そこもりからも、彼處かしこ岩陰いはかげからも三頭さんとう五頭ごとう猛獸まうじうぐんをなしてあらはれてた。獅子しゝとら猛狒等ゴリラなどいづれもこの不思議ふしぎなる鐵檻てつおりくるま一時いちじ喫驚びつくりしたのであらう、容易ようゐいださない。
日出雄少年ひでをせうねん壯快さうくわいなるこゑげて
叔父をぢさん/\、獅子しゝなんかのほうでは、屹度きつと私共わたくしども怪物ばけものだとおもつてるんでせうよ。』とさけんだがまつた左樣さうかもれぬ 暫時しばし其處此處そここゝかくれに、たかくし、きばらして此方こなたにらんでつたが、それもわづかのあひだで、獅子しゝ百獸ひやくじうわうばるゝほどあつて、きわめて猛勇まうゆうなる動物どうぶつで、此時このとき一聲いつせいたかさけんで、三頭さんとう四頭しとうたてがみらして鐵車てつしや飛掛とびかゝつてた。鐵車てつしや其樣そんことではビクともしない、反對はんたいじう彈飛はじきとばすと、百獸ひやくじう王樣わうさま團子だんごのやうにくさうへ七顛八倒しちてんばつたう吾等われら一同いちどうはドツとわらつた。とら比較的ひかくてきおろか動物どうぶつで、憤然ふんぜんをどらして、鐵車てつしや前方ぜんぽうから飛付とびついたからたまらない、おそ旋廻圓鋸機せんくわいえんきよきのために、四肢しゝや、腹部ふくぶ引裂ひきさかれて、苦鳴くめいをあげて打斃うちたをれた。もつと狡猾こうくわつなるは猛狒ゴリラである。古木こぼくやうみにくうでのばして、鐵車てつしやおり引握ひきつかみ、力任ちからまかせにくるま引倒ひきたほさんとするのである。猛犬稻妻まうけんいなづま猛然まうぜんとしてそのいた。
此奴こやつ生意氣なまいき!。』と水兵すいへいさけんだ。
『それ發射はつしや!。』とわたくしさけ瞬間しゆんかん日出雄少年ひでをせうねんすかさず三發さんぱつまで小銃せうじう發射はつしやしたが、猛狒ゴリラ平氣へいきだ。武村兵曹たけむらへいそうおほいいかつて
この畜類ちくるゐ、まだ往生わうじやうしないか。』と、手頃てごろやりひねつてその心臟しんぞうつらぬくと、流石さすが猛獸まうじうたまらない、いかづちごとうなつて、背部うしろへドツとたをれた。
愉快ゆくわい々々、世界一せかいいち王樣わうさまだつて、此樣こん面白おもしろられるものでない。』と水兵すいへいども雀躍じやくやくした。日出雄少年ひでをせうねん猛狒ゴリラ死骸しがい流盻ながしめやりて
『それでも、わたくし殘念ざんねんです、猛狒ゴリラわたくし鐵砲てつぽうではにませんもの。』と不平顏ふへいがほ
なに左樣さうでない、このじう泥土どろと、松脂まつやにとで、毛皮けがわてつのやうにかためてるのだから、小銃せうじう彈丸たまぐらいでは容易ようゐつらぬこと出來できないのさ。』とわたくしなぐさめた。
この大騷動だいさうどうのちは、猛獸まうじう我等われら手並てなみおそれてか、容易ようゐちかづかない、それでも此處こゝ立去たちさるではなく、四五間しごけんへだてゝ遠卷とほまき鐵檻てつおりくるま取圍とりまきつゝ、猛然まうぜんえてる。慓輕へうきんなる武村兵曹たけむらへいそう大口おほぐちいてカラ/\とわら
『ヤイ、ヤイ、畜類ちくるい其樣そんな吾等おいらにく美味うまさうえるのか。』とつか/\鐵檻てつおりちかくにすゝ
『それこの拳骨げんこつでもくらへ。』と大膽だいたんにも鐵拳てつけん車外しやぐわい突出つきだし、猛獸まうじういかつて飛付とびついて途端とたんヒヨイとその引込ひきこまして
『だ、だ、駄目だめだんべい。』

    第十九回 猛獸隊まうじうたい
自然の殿堂――爆裂彈――エンヤ/\の掛聲――片足の靴――好事魔多し――砂滑りの谷、一名死の谷――深夜の猛獸――かゞり火
 暫時しばらくして、吾等われらはまた奇妙きめうなものをた。それはこの深山しんざんんで白頭猿はくとうえんばるゝ、きわめて狡猾こうくわつさる一種いつしゆで、一群いちぐんおよそ三十ぴきばかりが、數頭すうとう巨大きよだいぞうまたがつて、丁度ちやうどアラビヤ大沙漠だいさばく旅行りよかうする隊商たいしやうのやうに、彼方かなた山背やまかげからぞろ/\とあらはれてたが、鐵車てつしやるやいな非常ひじやう驚愕おどろいて、奇聲きせいはなつて、むかふの深林しんりんなかへとせた。かくて當日このひは、二十ちかすゝんでれたので、よる鐵車てつしやをばいち大樹だいじゆ下蔭したかげとゞめて、終夜しうや篝火かゞりびき、二人ふたりづゝ交代こうたいねむつもりであつたが、いかさけ猛獸まうじうこゑさまたげられて、やすらかなゆめむすんだもの一人ひとりかつた。翌朝よくあさ薄暗うすくらうちから此處こゝ出發しゆつぱつした。はじめあひだ矢張やはり昨日きのふおなじく、數百頭すうひやくとう猛獸まうじうたいをなして、鐵車てつしや前後ぜんごしたがつて追撃ついげきしてたが、其中そのうちには疲勞つかれのために逃去にげさつたのもあらう、また吾等われらえず發射はつしやする彈丸だんぐわんのために、きづゝたをれたのもすくなくない樣子やうすで、このすでに十二三ばかりすゝみて、海岸かいがんなる櫻木大佐さくらぎたいさ住家すみかからは、たしかに三十以上いじやうへだゝつたとおもはるゝある高山かうざん絶頂ぜつてうたつしたときには、そのかず餘程よほどげんじて、まだ執念深しゆうねんぶか鐵車てつしや四邊あたり徘徊はいくわいしてるのは、二十とうばかり雄獅子をじゝと、三頭さんとう巨大きよだいなる猛狒ゴリラとのみであつた。
この高山かうざんは、風景ふうけいきわめてうるはしく、吾等われらたつしたるいたゞきは、三方さんぽう巖石がんせき削立せうりつして、自然しぜん殿堂でんどうかたちをなし、かゝる紀念塔きねんたふつるには恰好かつこう地形ちけいだから、つひ此處こゝ鐵車てつしやとゞめた。とき午後ごゞ四十五ふんいまから紀念塔きねんたふ建立けんりつするのである。
用意ようゐ!。』と武村兵曹たけむらへいそうさけぶと、二名にめい水兵すいへい車中しやちう大旅櫃だいトランクなかから、一個いつこ黒色こくしよくはこ引出ひきだしてた。このはこなかには、すう爆裂彈ばくれつだんはいつてるのである。
爆裂彈ばくれつだん! なんために? と讀者どくしや諸君しよくんいぶかるであらうが、これにはおほい考慮かんがへのあることである、いまその目的地もくてきちたつし、いざ建塔けんたふといふ塲合ばあひに、獅子しゝ猛狒ゴリラが、一頭いつとうでも、二頭にとうでも、其邊そのへん徘徊はいくわいしてつては、到底とても車外しやぐわいでゝその仕事しごとにかゝること出來できない、そこで、この爆裂彈ばくれつだんばして、該獸等かれらたを追拂おひはらひ、其間そのあひだ首尾しゆびよくやつて退けやうといふくわだてだ。そこで用意ようゐとゝなふと、吾等われらに/\一個いつこづゝ爆裂彈ばくれつだんたづさへて立上たちあがつた。かね用意ようゐとりにくを、十きんばかり鐵檻てつおりあひだから投出なげだすと、しよくゑたる猛獸まうじうは、眞黒まつくろになつてそのうへあつまる。
それといふ合圖あひづしたに、一、二、三、同時どうじ五個ごゝ爆裂彈ばくれつだんかぜつて落下らつかした。たちま山岳さんがく[#ルビの「さんがく」は底本では「さくがく」]鳴動めいどうし、黒烟こくゑん朦朧もうろう立昇たちのぼる、その黒烟こくゑん絶間たえまながめると、猛狒ゴリラ三頭さんとうとも微塵みじんになつてくだんだ、獅子しゝ大半たいはん打斃うちたをれた、途端とたん水兵すいへい
『あれ/\、あの醜態ざまよう。』とゆびざ彼方かなた見渡みわたすと、生殘いきのこつたる獅子しゝ一團いちだんは、くもかすみ深林しんりんなか逃失にげうせた。
『それ、このに。』と武村兵曹たけむらへいそう紀念塔きねんたふかついではしたので、一同いちどうつゞいて車外しやぐわいをどで、日出雄少年ひでをせうねん見張みはりやくわたくしつちる、水兵すいへいいしまろばす、武村兵曹たけむらへいそう無暗むやみさけぶ、エンヤ/\の懸聲かけごゑともに、つかたふ建立けんりつ成就じようじゆした。じつこのあひだときつひやことぷんか、十五ふん人間にんげん一生懸命いつせうけんめいになると、隨分ずいぶん力量ちからるものだよ。
紀念塔きねんたふ建立けんりつをはつて、吾等われらは五六退しりぞいてながめると、うるはしき大理石だいりせきたふ表面ひやうめんには、鮮明あざやかに『大日本帝國新領地朝日島だいにつぽんていこくしんりようちあさひたう』。あゝれで安心あんしん々々、一同いちどうぼうだつして大日本帝國だいにつぽんていこく萬歳ばんざい三呼さんこした。
此時このとき車中しやちうのこしていた猛犬稻妻まうけんいなづまきふ吼立ほえたてるので、かしらめぐらすと、いましも爐裂彈ばくれつだん逃出にげだしたる獅子しゝ一群いちぐんが、今度こんど非常ひじやういきほひで、彼方かなたもりから驀直まつしぐら襲撃しふげきしてたのである。『それツ。』と一聲いつせい吾等われら周章狼狽あわてふためい鐵檻てつおりくるまなか逃込にげこんだが、危機一髮きゝいつぱつ最後さいご逃込にげこんだ武村兵曹たけむらへいそうはまだその半身はんしん車外しやぐわいにあるのに、ほとんど同時どうじ飛付とびついて雄獅子をじゝのために、ズボンは滅茶苦茶めちやくちや引裂ひきさかれ、片足かたあしくつ無殘むざん噛取かみとられて、いのちから/″\車中しやちうまろんだ。つゞいて飛込とびこまんとする獅子しゝ目掛めがけて、わたくし一發いつぱつドガン、水兵すいへい手鎗てやり突飛つきとばす、日出雄少年ひでをせうねん素早すばやをどらして、入口いりくちとびらをピシヤン。
『おつ魂消たまぎえた/\、あぶなく生命いのちぼうところだつた。』と流石さすが武村兵曹たけむらへいそうきもをつぶして、くつ片足かたあしでゝたが、あし幸福さひはひにも御無事ごぶじであつた。
すでたふ建立けんりつをはつたので、最早もはや歸途きとむか一方いつぽうである。往復わうふく五日いつか豫定よていが、その二日目ふつかめには首尾しゆびよく歸終きろくやうになつたのは、非常ひじやう幸運こううんである。この幸運こううんじやうじて、吾等われら温順すなほ昨日きのふみちかへつたならば、明日めうにち今頃いまごろにはふたゝ海岸かいがん櫻木大佐さくらぎたいさいへたつし、この旅行りよかうつゝがなくをはるのであるが、人間にんげん兎角とかくいろ/\な冐險ぼうけんがやつてたいものだ。
好事魔こうじまおほしとはよくひとところで、わたくしその理屈りくつらぬではないが、人間にんげん一生いつせう此樣こん旅行りよかうは、二度にど三度さんどもあることでない、其上そのうへ大佐たいさ約束やくそく五日目いつかめまでは、三日みつかひまがある、そこで、この深山しんざんすこしばかり迂回うくわいしてかへつたとて、左程さほどおそくもなるまい、またきわめて趣味しゆみあることだらうとかんがへたので、わたくし發議はつぎした。
『どうだ、最早もはや皈途きとむかふのだが、これからすこみちへんじてすゝんでは、ふるみちかへるより、あたらしい方面ほうめんからかへつたら、またいろ/\珍奇めづらしことおほからう。』とはなしかけると、好奇ものずき武村兵曹たけむらへいそうは一も二もなく賛成さんせいだ。
わたくしいま左樣さうかんがへてつたところだ、大佐閣下たいさかくかだつて私共わたくしどもが、其樣そんなはやかへらうとはおもつてなさるまいし、それにね、約束やくそく五日目いつかめばんには、海岸かいがんいへでは、水兵すいへいども澤山たくさん御馳走ごちさうこしらへてつてはづだから、その以前いぜんにヒヨツコリとかへつてはけうい、し/\。』といさつ。二名にめい水兵すいへい日出雄少年ひでをせうねん大賛成だいさんせいなので、たゞちに相談さうだんまとまつたが、さて何處いづれ方面ほうめんへと見渡みわたすと、此處こゝこと數里すうり西方せいほう一個いつこ高山かうざんがある、火山脉くわざんみやくひとつとえ、やま半腹はんぷく以上いじやう赤色せきしよく燒石やけいし物凄ものすごやう削立せうりつしてるが、ふもとかぎりもなき大深林だいしんりんで、深林しんりん中央ちうわう横斷わうだんして、大河たいか滔々とう/\ながれて樣子やうす其邊そのへん進行しんかうしたら隨分ずいぶんしき出來事できごともあらうとおもつたので、たゞちに水兵すいへいめいじて、鐵車てつしやその方向ほうかうすゝめた、猛獸まうじう矢張やはり其處此處そここゝ隱見いんけんしてるのである。
とき午後ごゞ六時ろくじ間近まぢかで、夕陽ゆふひ西山せいざんうすついてる。隨分ずいぶん無謀むぼうことだ、今頃いまごろからかゝ深林しんりんむかつて探險たんけんするのは、けれどけうじやうじたる吾等われら眼中がんちうには、むかところてきなしといふいきほひで、二三すゝんで、その深林しんりんやうや間近まぢかになつた時分じぶんまつたれた。すると、かまのやうな新月しんげつ物凄ものすご下界げかいてらしてたが、勿論もちろんみち案内しるべとなるほどあかるくはない、くわふるに此邊このへんみちいよ/\けわしく、とがつた岩角いはかどわだかま無限むげん行方ゆくてよこたはつてるので、鐵車てつしや進歩すゝみ兎角とかくおもはしくない、運轉係うんてんがゝり水兵すいへいも、此時このとき餘程よほど疲勞つかれてえたので、わたくしかんがへた、人間にんげん精力ちからにはかぎりがある、いまからかゝる深林しんりん突進とつしんするのは、すこ無謀むぼうには[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、249-2]ぎはせぬかと氣付きづいたので、むし此邊このへん一泊いつぱくせんと、此事このこと武村兵曹たけむらへいそうかたると、武村兵曹たけむらへいそう仲々なか/\かない
いまから其樣そんなよわつては駄目だめだ、んでも今夜こんやはあの深林しんりん眞中まんなかあか覺悟かくごだ。』と元氣げんきよく言放いひはなつて立上たちあがり、つかれたる水兵すいへいかわつて鐵車てつしや運轉うんてんはじめた。鐵車てつしやふたゝ猛烈まうれつなるいきほひをもつてみ、岩石がんせきくだいて突進とつしんする。あゝ好漢かうかんこのをとこじつ壯快さうくわい男兒だんじだが、をしむらくばすこしく無鐵砲むてつぽう[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、249-8]ぎるので、萬一まんいち※失あやまち[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、249-8]ければよいがとおも途端とたんたちま
『しまつたツ。』と一聲いつせいわたくしも、日出雄少年ひでをせうねんも、水兵すいへい稻妻いなづまも、一度いちどにドツとまへほう打倒うちたをれて、運轉臺うんてんだいから眞逆まつさかさまおとされた武村兵曹たけむらへいそうが『南無三なむさん大變たいへん!。』とさけんで飛起とびおきたときは、無殘むざんや、鐵車てつしやは、擂盆すりばち[#「擂盆すりばち」は底本では「※(「木+雷」、第4水準2-15-62)すりばち」]のやうなかたちをした巨大おほきあななか陷落かんらくしてつた。
やうやくこと起上おきあがつた水兵すいへいは、新月しんげつかすかなるひかりそのあなながめたがたちま絶叫ぜつけうした。
すなすべりのたに! すなすべりのたに!。』
讀者どくしや諸君しよくんあるひ御存ごぞんじだらう、亞弗利加アフリカ内地ないちや、また印度洋インドやうちうあるしまには、かゝる塲所ばしよのあることはよく冐險旅行記等ぼうけんりよかうきなどいてあるが、このすなすべりのたにほどおそところおほくあるまい、すなすべりのたに一名いちめいたにばるゝほどで、一度いちどこのあななか陷落かんらくしたるものは、到底とうていがれこと出來できないのである。このあな外見ぐわいけん左迄さまで巨大きよだいなものではない。ひろさは直徑さしわたし三十ヤードぐらいふかさはわずか一じやうにもらぬほどだから、鐵檻車てつおりのくるま屋根やねのぼつたら、あるひあなそと飛出とびだこと出來できるやうだが、まへにもつたやう擂盆すりばちかたちをなしたあな四邊しへんじつ細微さいびなるすなで、このすなたゞ細微さいびなるばかりではなく、一種いつしゆ不可思議ふかしぎ粘着力ねんちやくりよくいうしてるので、此處こゝ陷落かんらくしたものあがらうとしてはすべち、すべちてはすなまとはれ、其内そのうち手足てあし自由じゆううしなつて、つひ非業ひごふ最後さいごげるのである。だから吾等われら海岸かいがんいへ出發しゆつぱつするときも、櫻木大佐さくらぎたいさ繰返くりかへして『すなすべりのたに注意ちうゐせよ。』とはれたが、吾等われらつひあやま[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、251-6]つて、このおそたに陷込おちこんだのである。
『あゝ、大變たいへんことをやつてしまつた。』と武村兵曹たけむらへいそう自分じぶん失策しくじり切齒はがみした。
鐵車てつしやは、險山けんざん深林しんりん何處いづくでも活動くわつどう自在じざいだが、このすなすべりのたにだけでは如何どうすること出來できぬのである、萬一まんいちして、非常ひじやうちからで、幾度いくたび車輪しやりん廻轉くわいてんしてたがまつた無效むだだ。すな喰止くひとまること出來でき齒輪車はぐるまは、一尺いつしやくすゝんではズル/″\、二三じやく掻上かきあがつてはズル/″\。其内そのうち車輪しやりん次第しだい々々にすなもれて、最早もはや一寸いつすんうごかなくなつた。
絶體絶命ぜつたいぜつめい!。』と一同いちどう嘆息たんそくした。これ普通ふつう塲所ばしよなら、かゝる死地しちちても、鐵車てつしやをば此處こゝ打棄うちすてゝ、そのだけまぬが工夫くふういでもないが、千山せんざん萬峰ばんぽう奧深おくふかく、數十里すうじふり四方しほうまつた猛獸まうじう毒蛇どくじや巣窟さうくつで、すで此時このとき數十すうじふ獅子しゝ猛狒ゴリラるいこのあな周圍しうゐきばならし、つめみがいてるのだから、一寸ちよつとでも鐵檻車てつおりくるまそとたら最後さいごたゞちに無殘むざんげてしまうのだ。イヤなくても、ひと弱點じやくてんじやうずることはや猛狒ゴリラは、たちま彼方かなたがけから此方こなた鐵車てつしや屋根やね飛移とびうつつて、鐵檻てつおりあひだから猿臂えんびのばして、吾等われらつかさんず氣色けしき吾等われら一生懸命いつせうけんめい小銃せうじう發射はつしやしたり、手鎗てやりまわしたりして、からうじてその危害きがいふせいでるが、それも何時いつまでつゞことか、けるにしたがつて、猛獸まうじういきほひ益々ます/\激烈げきれつになつてた、かゝるときにはさかんにくにかぎると、それから用意ようゐ篝火かゞりびをどん/″\もやして、えず小銃せうじう發射はつしやし、また時々とき/″\爆裂彈ばくれつだんのこれるを投飛なげとばしなどして、やうや一夜いちやあかしたが、けたとて仕方しかたがない、朝日あさひはうら/\とのぼつて、ひがしほう赤裸あかはだかやまいたゞきから吾等われらかほてらしたが、一同いちどうきた顏色がんしよくかつた。日出雄少年ひでをせうねん二名にめい水兵すいへいもくして一言いちげんなく、稻妻いなづま終夜よもすがらとうしにえたので餘程よほどつかれたとえ、わたくしかたわらよこたはつてる。ひとりだまつてられぬのは武村兵曹たけむらへいそうである、かれ自分じぶん失策しくじりから此樣こんことになつたのでたまらない
『あゝ、馬鹿ばかことをした/\。わたくし失策しくじりで、貴方あなた日出雄少年ひでをせうねんころしたとなつては大佐閣下たいさかくか言譯いひわけがない、このびにはるか、らぬか、ひと命懸いのちがけで猛獸まうじうども追拂おつぱらつてるのだ。』と决死けつしいろで、車外しやぐわい飛出とびださうとする。
無謀ばかことをするな。』とわたくし嚴然げんぜんとして
武村兵曹たけむらへいそう、おまへ鬼神きじんゆうがあればとて、あの澤山たくさん猛獸まうじうたゝかつてなにになる。』と矢庭やにわかれ肩先かたさきつかんでうしろ引戻ひきもどした。此時このとき猛犬稻妻まうけんいなづまは、一聲いつせいするどうなつて立上たちあがつた。
此處こゝ一策いつさくがあるよ。』とわたくし一同いちどうむかつたのである。
一策いちさくとは。』と一同いちどうかほげた。
ほかでもない、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさこの急難きふなん報知ほうちして救助たすけもとめるのだ。』
大佐たいさ救助たすけ※(疑問符感嘆符、1-8-77)。』と一同いちどう不審顏ふしんがほ
成程なるほど此處こゝから大佐等たいさらすまへる海岸かいがんいへまでは三十以上いじやうとりでもなければかよはれぬこの難山なんざんを、如何いかにして目下もつか急難きふなん報知ほうちするかといぶかるのであらう。
わたくし决然けつぜんとしてつた。
猛犬稻妻まうけんいなづま使者ししやとして。』

    第二十回 猛犬まうけん使者ししや
山又山を越えて三十里――一封の書面――あの世でか、此世でか、――此犬尋常でない――眞黒になつて其後を追ふた――水樽は空になつた
 西暦せいれき一千八百六十六ねん墺普戰爭オーフツせんさうに、てき重圍じゆうゐおちいつたる墺太利軍オースタリーぐんいち偵察隊ていさつたいは、てきまなこくらまさんがため、密書みつしよをば軍用犬ぐんようけん首輪くびわして、その本陣ほんじん送皈おくりかへしたといふ逸話いつわがある。近世きんせいでは、いぬ使命しめいといふこと左迄さまで珍奇ちんきことではないが、それとこれとは餘程よほど塲合ばあひちがつてるので、二名にめい水兵すいへいあやぶみ、武村兵曹たけむらへいそううでこまぬいたまゝじつ稻妻いなづまおもてながめた。日出雄少年ひでをせうねん憂色うれひふくんで
『それでは、稻妻いなづま私共わたくしどもわかれて、單獨ひとりで、このさびしい、おそろしいやまえて、大佐たいさ叔父おぢさんのいへへお使者つかひくのですか。わたくしんだか心配しんぱいなんです、稻妻いなづまがいくらつよくつたつて、あの澤山たくさん猛獸まうじうなかを、無事ぶじ海岸かいがん[#ルビの「かいがん」は底本では「がいがん」]いへかへこと出來できませうか。』とすゝまぬかほくび頂垂うなだれた。如何いかにもその憂慮うれひ道理もつともである。わたくしじつは、この使命しめいの十ちう八九まではげらるゝことかたきをつてる、また、三年さんねん以來いらいしたしんで、ほとんど畜類ちくるいとはおもはれぬまであいらしくおもこの稻妻いなづまに、いさゝかでも辛苦しんくせたくないのだが、いまじつ非常ひじやう塲合ばあひである、非常ひじやう塲合ばあひには非常ひじやう决心けつしんえうするので、躊躇ちうちよしてれば、吾等われら一同いちどうはみす/\ひとこの山中さんちうの、草葉くさばつゆえてしまはねばならぬのであるから成敗せいばいもとより豫期よきがたいが、出來得できうけの手段しゆだんつくさねばならぬとかんがへたので、つひけつして、吾等われらこの急難きふなんをば[#「急難きふなんをば」は底本では「急難きふなんをは」]、三十彼方かなたなる櫻木大佐さくらぎたいさもとほうぜんがため、なみだふるつて猛犬稻妻まうけんいなづまをば、このおそろしき山中さんちう使者ししやせしむることとなつた。わたくしたゞちに鉛筆えんぴつをとつて一書いつしよしたゝめた。書面しよめん文句もんくうである。
櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさよ、わざはひといふものなくば、この書面しよめんたつせんころには、吾等われらふたゝ貴下きか面前めんぜんはづなりしを、いまかゝる文使者ふづかひおくことの、よろこばしき運命うんめいにあらぬをばさつたまし。貴下きか委任いにんけたる紀念塔きねんたふ建立けんりつは、首尾しゆびよく成就じやうじゆしたれども、その歸途きと吾等われらみづかまねきたるわざはひによりて、貴下きかすまへる海岸かいがんより、東方とうほう大約おほよそ三十山中さんちうにて、おそすなすべりのたに陷落かんらくせり、すなすべりのたにじつたにばるゝごとく、吾等われら最早もはや一寸いつすんうごことあたはず、くわふるに、猛獸まうじう襲撃しふげき益々ます/\はなはだしく、この鐵檻車てつおりのくるまをもあやうくせんとす。いまつばかりなり。すなはなん貴下きかもとほうず、稻妻いなづまさひはひせずして、貴下きかこのしよていするをば、大佐たいさよ、はかりごとめぐらして吾等われら急難きふなんすくたまへ。
と、したゝめてふでめると、日出雄少年ひでをせうねんしづめるこゑ
『あゝ、大佐たいさ叔父おぢさんは、私共わたくしども今日歸けふかへるか、明日あすかへるかとつていらつしやるところへ、此樣こん手紙てがみつたら、どんなにか喫驚びつくりなさることでせう。』と、いふと武村兵曹たけむらへいそう小首こくびひねつて
『そこで、わたくし心配しんぱいするのは、義侠をとこぎ大佐閣下たいさかつかは、吾等われら大難だいなんたすけやうとして、御自身ごじしん危險きけんをおまねきになるやうことはあるまいか。』
其樣そんことがあつてはまぬね。』とわたくしたゞちにふみつゞけた。
れど、大佐たいさよ、吾等われらいま塲合ばあひおいて、九死きゆうし一生いつしやうをも得難えがたことをばくに覺悟かくごせり。いま海底戰鬪艇かいていせんとうてい成敗せいばい一身いつしんになへる貴下きか身命しんめいは、吾等われら身命しんめいして、幾十倍いくじふばい日本帝國につぽんていこくため愛惜あいせきすべきものなり。ゆゑ貴下きかが、吾等われらすくはんとて、いて危險きけんおかすがごときは、吾等われらふかうれふるところなり。けだし、日本につぽん臣民しんみん如何いかなる塲合ばあひおいても、そのおもふよりも、くにおもことだいなれば、すくふに良策りようさくなくば、ふ、大義たいぎため吾等われら見捨みすたまへ、吾等われら運命うんめいやすんじて、ほねこの山中さんちううづめん。
と、數行すうぎやうくわへて
し、吾等われら不幸ふかうにして、この深山しんざんつゆえもせば、他日たじつ貴下きかが、海底戰鬪艇かいていせんとうてい壯麗さうれいなる甲板かんぱんより、あほ[#ルビの「あほ」は底本では「おほ」]いで芙蓉ふえうみねのぞとき吾等われら五名ごめいものかわりて、たゞ一聲いつせい大日本帝國だいにつぽんていこく萬歳ばんざいとなへよ、吾等われら幽冥いうめいよりそのこゑせん。
したゝをはりし書面しよめんをば幾重いくえにもたゝみ、稻妻いなづま首輪くびわかたむすけた。いぬあほいでわたくしかほながめたので、わたくしその眞黒まつくろなるをばでながら、人間にんげん物語ものがたるがごと
『これ、稻妻いなづまおまへすぐれたるいぬだから、すべての事情じじやうがよくわかつてるだらう、よく忍耐しんぼうして、大佐たいさいへたつしてれ。』と、いふと、稻妻いなづまあだかわたくしげんごとく、凛然りんぜんとしてつた。日出雄少年ひでをせうねん暗涙あんるゐうかべて
わたくし本當ほんたうにおまへわかれるのが、かなしいよ、けれど運命うんめいだから仕方しかたいのだよ、それでねえ、おまへさひはひに、大佐たいさ叔父おぢさんのいへ安着あんちやくして、萬一まんいちにも私共わたくしども生命いのちたすかつたことなら、ふたゝび、あの景色けしきのよい海岸かいがんすなうへで、面白おもしろあそこと出來できませう。運惡うんわるく、おまへ途中とちうんでしまつたなら、わたくし追付おつゝ彼世あのよで、おまへかほるやうになりませうよ。』と、ふのは、すでにそれと覺悟かくごさだめてるのであらう、流石さすがたけ武村兵曹たけむらへいそうこゑくもらせ
『あゝ、みなわたくしわるいのだ、わたくし失策しくじつたばかりに、一同みんな此樣こん憂目うきめせることか。』とふか嘆息たんそくしたが、たちまこゝろ取直とりなほした樣子やうす
『いや/\、をんなたやうなことふまい。』とわざ元氣げんきよく、いぬ首輪くびわをポンとたゝいて
『これ、稻妻いなづま、しつかりやれよ。』ときつそのおもて見詰みつめた。
此時このとき二名にめい水兵すいへいは、わたくしめいしたがつて、いぬいだいて、鐵階てつかいのぼつた、鐵檻てつおりくるまうへからはまへにもいふやうに、すなすべりのたにそと飛出とびでこと出來できるのである。車外しやぐわい猛獸まうじうは、る/\うち氣色けしきかわつてた。すきうかゞつたる水兵すいへいは、サツと出口でぐちとびらひらくと、途端とたん稻妻いなづまは、猛然まうぜんをどらして、彼方かなたきし跳上をどりあがる。待設まちまうけたる獅子しゝ數頭すうとうは、電光石火でんくわうせきくわごとそのうへ飛掛とびかゝつた。五べう、十べう大叫喚だいけうくわん、あはや、稻妻いなづま喰伏くひふせられたとおもつたが、このいぬ尋常じんじやうでない、たちまちむつくときて、をり[#ルビの「をり」は底本では「ぞり」]からをどかゝ一頭いつとう雄獅をじゝ咽元のどもと噛付くひついて、一振ひとふるよとへたが、如何いかなるすきをや見出みいだしけん、彼方かなたむかつて韋駄天走ゐだてんばしり、獅子しゝ一群いちぐん眞黒まつくろになつてそのあと追掛おひかけた。る/\うちそのかたち一團いちだんとなつて、深林しんりんなかえずなつた。稻妻いなづまはたしてよくこの大使命だいしめいはたこと出來できるであらうか。かんがへてると隨分ずゐぶん覺束おぼつかないことだが、それでも一縷いちるのぞみつながやうにもかんじて、吾等われら如何いかにもして生命いのちのあらんかぎり、櫻木大佐さくらぎたいさ援助たすけつもりだ。
非常ひじやう困難こんなんあひだに、三日みつか※去すぎさ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、262-9]つたが、大佐たいさからはなん音沙汰おとさたかつた、また、左樣さう容易たやすくあるべきはづもなく、四日よつか[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、262-10]ぎ、五日いつか[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、262-10]ぎ、六日むいか[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、262-11]ぎ、その七日目なぬかめまでこのおそろしき山中さんちゆうに、くらしたが、救助たすけひとえなかつた。鐵車てつしや嚴重げんぢゆうなることと、彈藥だんやくおびたゞしく用意ようゐしてこととで、今日こんにちまで猛獸まうじうがいまぬかれてるが、其内そのうち困難こんなんかんじてたのは、糧食りようしよく飮料水いんれうすいとの缺乏けつぼうとである、すでに昨日きのふから、糧食箱りようしよくばこなかには一片いつぺん蒸餅ビスケツトくなつた。水樽みづだるからになつて鐵車内てつしやない一隅いちぐうよこたはつた。一同いちどう最早もはや絶望ぜつばうきよくたつしたのである。このはず、まずにくらして、くるしき一夜いちやは、一睡いつすいゆめをもむすばず[#「むすばず」は底本では「むすばす」]翌朝よくあさむかへたが、まだんの音沙汰おとさたい、ながめるとそらにはくもひくび、やままたやま彼方此處あちこちには、猛獸まうじう※聲さけびごゑ[#「口+斗」、263-7]いよ/\すさまじく、吾等われら運命うんめい最早もはや是迄これまで覺悟かくごをしたのである。

    第二十一回 空中くうちうすく
何者にか愕いた樣子――誰かの半身が現はれて――八日前の晩――三百反の白絹――お祝の拳骨――稻妻と少年と武村兵曹
 ゆびくつしてると、當日たうじつ吾等われら海岸かいがんいへつてから、丁度ちやうど九日目こゝぬかめで、かね海底戰鬪艇かいていせんとうてい試運轉式しうんてんしきさだめられたる紀元節きげんせつ前日ぜんじつである。此樣こんわざはひおこらなかつたなら、今頃いまごろすで大佐たいさいへかへつてつて、あの景色けしきうるはしい海岸かいがんへんで、如何いか愉快ゆくわいむかへてるだらうとかんがへると、何故なぜ紀念塔きねんたふ建立けんりつをはつたとき素直すなほもとみちかへらなかつたらうと、今更いまさら後悔こうくわいえぬのである。
『あゝ、今迄いまゝでなん音沙汰おとさたいのは、稻妻いなづま途中とちうんでしまつたのでせう。』と、日出雄少年ひでをせうねん悄然せうぜんとして、武村兵曹たけむらへいそうかほながめた。
『イヤ、イヤ、稻妻いなづま尋常一樣じんじやういちやういぬ[#「いぬ」は底本では「いぬ」]でないから、屹度きつと無事ぶじ海岸かいがんへはたつしたらうが、しかし、吾等われら災難さいなん非常ひじやうことだから、大佐閣下たいさかくかでも容易ようゐにはすくさくがなくつて、考慮かんがへなさるのだらう。まあ/\、失望しつぼうしないで、生命限いのちかぎことだ。』と、武村兵曹たけむらへいそうわざ元氣げんきよく言放いひはなつて、日出雄少年ひでをせうねん首筋くびすぢいだいた。二名にめい水兵すいへいさびかほ見合みあはせた。
じつに、なかには人間にんげんちからおよことと、およばぬこととがある。人間にんげんちからおよことなら、あの智惠ちゑたくましき櫻木大佐さくらぎたいさ不能できぬといふことはあるまいが、今日けふまで、なん音沙汰おとさた打※うちす[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、265-4]ぎてるのをると、たとへ、猛犬稻妻まうけんいなづま無事ぶじ使命しめいはたしたにしろ、吾等われ/\この危難きなんからすくいだことは、大佐たいさ智惠ちゑでもとておよばぬのであらうと、わたくしふかこゝろけつしたが、いま塲合ばあひだからなにはない。
此時このとき不意ふゐに、車外しやぐわい猛獸まうじうむれ何者なにものにかおどろいた樣子やうすで、一時いちじそらむかつてうなした。途端とたん何處いづくともなく、かすかに一發いつぱつ銃聲じうせい
一同いちどう飛立とびたつて、四方しほう見廻みまわしたが、なにえない。さてこゝろまよひであつたらうかと、たがひかほ見合みあはとき、またも一發いつぱつドガン! ふと、大空おほぞら[#ルビの「おほぞら」は底本では「おほそら」]あほいだ武村兵曹たけむらへいそうは、破鐘われがねのやうにさけんだ。
輕氣球けいききゆう! 輕氣球けいききゆう!。』
ると、太陽たいやうがキラ/\とかゞやいてひがしほうの、赤裸あかはだかやまいたゞきなゝめかすめて、一個いつこ大輕氣球だいけいききゆうかぜのまに/\此方こなたむかつてんでた。
『やア、大佐たいさ叔父おぢさんが、風船ふうせんたすけにたんだよ/\。』と日出雄少年ひでをせうねん雀躍じやくやくした。
はやく、はやく、先方むかうでは吾等われら搜索さうさくしてるのだ、はやく、此方こなた所在ありからせろツ。』と、わたくしさけこゑしたに、武村兵曹たけむらへいそう二名にめい水兵すいへいとは、此時このとき數個すうこのこつてつた爆裂彈ばくれつだん一時いちじした。やまも、たにも、一時いちじ顛倒てんたうするやうひゞきともに、黒煙こくえんパツと立昇たちのぼる。猛獸羣まうじうぐん不意ふゐおどろいて、周章狼狽あわてふためいせる。輕氣球けいききゆううへでは、たちま吾等われら所在ありか見出みいだしたとへ、搖藍ゆれかごなかから誰人たれかの半身はんしんあらはれて、しろ手巾ハンカチーフが、みぎと、ひだりにフーラ/\とうごいた。
やが氣球ききゆうはだん/\と接近せつきんして、丁度ちやうど鐵車てつしやすぐうへ五十フヒートばかりになると、空中くうちうから大聲たいせい
一同いちどう無事ぶじか。』とさけんだのは、なつかしや、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさこゑ同時どうじに、いま一人ひとり乘組のりくんでつた馴染なじみかほ水兵すいへいが、機敏きびん碇綱いかりづなげると、それがうま鐵檻車てつおりくるま一端いつたんとまつたので、『それツ。』といふこゑ諸共もろとも吾等われら鐵車てつしやとびらけ、ましらごとつなつたつてのぼした。丁度ちやうど此時このとき一度いちど逃去にげさつたる猛獸まうじうは、ふたゝ其處此處そここゝ森林もりからあらはれてたが、つる/\と空中くうちうに、のぼつて吾等われら姿すがたて、一種いつしゆ異樣ゐやう咆哮ほうかうした。つひに、吾等われら五人ごにん安全あんぜんに、輕氣球けいきゝゆうたつした。大佐たいさかほるより日出雄少年ひでをせうねん
叔父おぢさん、稻妻いなづまは、稻妻いなづまは――。』
大佐たいさわらつて
無事ぶじだよ、無事ぶじだよ。』
わたくし二名にめい水兵すいへいとは、あまりの※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)うれしさに一言いちごんかつた。武村兵曹たけむらへいそうなによりさき自分じぶん大失策おほしくじり白状はくじやうして、しきりにあたまいた。此時このとき如何いか※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)うれしく、また、如何いかなる談話だんわのあつたかはたゞ諸君しよくん想像さうぞうまかせるが、こゝ一言ひとことしるしてかねばならぬのは、この大輕氣球だいけいききゆう[#ルビの「だいけいききゆう」は底本では「だいけいきゆう」]ことである。
櫻木大佐さくらぎたいさはなところによると、このから丁度ちやうど八日やうかまへばんすなは吾等われらいぬ使者ししやおくつた其日そのひよるである。)猛犬稻妻まうけんいなづますうしよきづひ、みてかへつてたので、はじめて吾等われら大難だいなんわかり、それより海岸かいがんいへくがごとさわぎで、種々しゆ/″\評議ひやうぎ結果けつくわこの危急ききふすくふには、輕氣球けいきゝゆうばすよりほかさくいといふことさだまつたが、氣球ききゆう[#ルビの「ききゆう」は底本では「きゆう」]つくこと容易ようゐわざではない、さひはひにも、材料ざいれうかつて、なみ江丸えまる本島ほんたうはこんでしよひんうちにあつたのでたゞちに着手ちやくしゆしたが、其爲そのためすくなからぬ勞力ほねをりと、諸種しよしゆ重要ぢゆうえうなる藥品等やくひんとうつひやしたは勿論もちろん海底戰鬪艇かいていせんとうてい内部ないぶ各室かくしつ裝飾用さうしよくようにと、る/″\本國ほんごくからたづさへてた三百餘反よたん白絹しろぎぬをば、悉皆すつかり使用しようしてしまつたさうだ。此事このことかたつて櫻木大佐さくらぎたいさわらひながら
諸君しよくん好奇心こうきしんからわざはひまねいたばつとして、海底戰鬪艇かいていせんとうてい竣成しゆんせいしたあかつきにも、裝飾かざり船室せんしつ辛房しんぼうせねばなりませんよ。』
一同いちどうはたゞあたまくのみ
『はい、はい、どんなことでも/\。』と、こたへたが、それけても氣遣きづかはしきは海底戰鬪艇かいていせんとうてい工事こうじの、吾等われらかゝ騷動さわぎ引起ひきおこしたために、いたさまたげられたのではあるまいかと、わたくし口籠くちごもりながらひかけると、大佐たいさ悠々いう/\として
『いや、豫定通よていどうり、明日めうにち試運轉式しうんてんしきで、それより一週間いつしゆうかん以内いないには、本島ほんたう出發しゆつぱつすること出來できませう。』とひつゝ、日出雄少年ひでをせうねんむかつて
少年せうねんよ、まちつたる富士山ふじさんるのもとほことではないよ。』
一同いちどう意外ゐぐわい喜悦よろこびかほ見合みあはした。武村兵曹たけむらへいそうわれわすれて大聲おほごゑ
『ほー、えれいいきほひだ、一方いつぽうでは輕氣球けいきゝゆうこしらへながら、海底戰鬪艇かいていせんとうてい豫定通よていどうりに竣成しゆんせいしたとなると、吾等われら馬鹿ばかつたあひだに、大佐閣下たいさかくかも、その水兵すいへいどもも、ないではたらいたわけだな。』
大佐たいさ微笑びせうとも
武村兵曹たけむらへいそう、おまへ失策しくさくめに、八日間やうかかん一睡いつすいもしないではたらいた水兵すいへいもあつたよ。』
兵曹へいそうあたまれた、わたくしみゝいたかつた。はなしあひだに、輕氣球けいきゝゆうは、かのおそろしきやまもりたにと、をしき――れどいまえうなき鐵檻車てつおりぐるまとをあとにして、かぜのまに/\空中くうちう飛行ひかうして、其日そのひ午後ごゞ四十ぷんごろ吾等われらふたゝび、なつかしき海岸かいがん景色けしきゆめのやうにおろしたとき海岸かいがんのこれる水兵等すいへいら吾等われらみとめたとぼしく、屏風岩べうぶいわうへから、大佐たいさいへから、に/\ぼうり、手巾ハンカチーフ振廻ふりまわしつゝ、氣球きゝゆうくだるとえし海濱うみべして、ありのやうにあつまつてる。その眞先まつさき砂塵すなけむり蹴立けたてゝ、かけつてるのはまさしく猛犬稻妻まうけんいなづま
つひに、吾等われらは、大佐たいさいへから四五ちやうへだゝつた海岸かいがん降下かうかした。いきほひよき水兵等すいへいら歡呼くわんこむかへられて、輕氣球けいききゆう[#ルビの「けいききゆう」は底本では「けいきゆう」]ると、日出雄少年ひでをせうねんは、第一だいいち稻妻いなづま首輪くびわ抱着だきついた。二名にめい水兵すいへい仲間なかま一群ひとむれ追廻おひまはされて、※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)きゝさけびながら逃廻にげまわつた。それは「命拾いのちひろひのおいわひ」に、拳骨げんこつひとづゝ振舞ふるまはれるので『これたまらぬ』と次第しだいだ。勿論もちろん戯謔じやうだんだが隨分ずいぶん迷惑めいわくことだ。大佐たいさわらひながらしづかにあゆすと、一同いちどう吾等われら前後左右ぜんごさゆう取卷とりまいて、家路いへぢむかふ。途中とちう武村兵曹たけむらへいそう大得意だいとくいで、ヤンヤ/\の喝釆かつさい眞中まんなかつて、口沫こうまつとばして、今回こんくわい冐險譚ぼうけんだんをはじめた。このをとこ正直せうじきだから、猛狒ゴリラ退治たいぢ手柄話てがらばなし勿論もちろん自分じぶん大失策おほしくじりをも、人一倍ひといちばい大聲おほごゑでやツて退けた。
かくて、吾等われら大暴風雨だいぼうふううのちに、晴朗うらゝか天氣てんきるやうに、非常ひじやうよろこびをもつ大佐たいさいへいた。それから、吾等われら命拾いのちひろひのおいわひやら、明日あす凖備じゆんびやらで大騷おほさわぎ。

    第二十二回 うみわざはひ
孤島の紀元節――海軍大佐の盛裝――海岸の夜會――少年の劍舞――人間の幸福を嫉む惡魔の手――海底の地滑り――電光艇の夜間信號
 二ぐわつ十一にちまちまつつたる紀元節きげんせつ當日たうじつとはなつた。前夜ぜんやは、夜半やはんまで大騷おほさわぎをやつたが、なか/\今日けふ朝寢あさねどころではない。拂曉ふつげう目醒めさめて、海岸かいがん飛出とびだしてると、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ日出雄少年ひでをせうねん武村兵曹等たけむらへいそうらすで浪打際なみうちぎわ逍遙せうえふしながら、いづれも喜色滿面きしよくまんめんだ。大海原おほうなばらひがしきわみから、うら/\とのぼつてあさひひかりも、今日けふ格別かくべつうるはしいやうだ。あのづるへんわが故國ここくでは今頃いまごろさだめて、都大路みやこおほぢ繁華はんくわなるところより、深山みやまをくそま伏屋ふせやいたるまで、家々いへ/\戸々こゝまる國旗こくきひるがへして、御國みくにさかえいわつてことであらう。吾等われらとう印度洋インドやうこの孤島はなれじまへだゝつてつても、※(「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-1-10)※(「麾」の「毛」に代えて「公の右上の欠けたもの」、第4水準2-94-57)どうしてこのいわはずにられやう、去年きよねんも、一昨年おとゞしも、當日たうじつ終日しうじつげふやすんで、こゝろばかりの祝意しゆくゐひやうしたが、今年ことし今日けふといふ今日けふは、たゞ本國ほんごく大祭日たいさいじつばかりではない、吾等われらためには、終世しうせい紀念きねんともなるき、海底戰鬪艇かいていせんとうてい首尾しゆびよく竣成しゆんせいして、はじめてうみうか當日たうじつであれば、その目出度めでたさも格別かくべつである。昨夜さくや以來いらいわが朝日島あさひじま海岸かいがんは、およかぎ裝飾さうしよくされた。大佐たいさいへ隙間すきまもなくまる國旗こくき取卷とりまかれて、その正面せうめんには、見事みごと緑門アーチ出來できた。荒浪あらなみ※(「革+堂」、第3水準1-93-80)どう/\打寄うちよするみさき一端いつたんには、たか旗竿はたざほてられて、一夜作いちやづくりの世界せかい※國ばんこく[#「一/力」、274-4]はたは、その竿頭かんとうから三方さんぽうかれたつなむすばれて、翩々へんぺんかぜなびく、その頂上てつぺんにはほまれある日章旗につしようきは、あだか列國れつこく眼下がんかおろすがごとく、いきほひよくひるがへつてる。海濱かいひん其處此處そここゝには、毛布ケツトや、帆布ほぬのや、其他そのほか樣々さま/″\武器等ぶきとう應用おうようして出來できた、富士山ふじさん摸形もけいだの、二見ふたみうら夕景色ゆふげしきだの、加藤清正かとうきよまさ虎退治とらたいぢ人形にんぎようだのが、奇麗きれいすなうへにズラリとならんだ。また彼方かなたでは、一團いちだん水兵すいへいがワイ/\とさわいでるので、何事なにごとぞとながめると、其處そこ小高こだかをかふもとで、椰子やし橄欖かんらん青々あほ/\しげり、四邊あたり風景けしき一際ひときわうるはしいので、今夜こんや此處こゝ陣屋ぢんやかまへて、大祝賀會だいしゆくがくわいもようすとのことその仕度したく帆木綿ほもめんや、ほばしらふるいのや、倚子いすや、テーブルをかつして、大騷おほさわぎの最中さいちう
やが海底戰鬪艇かいていせんとうていが、いよ/\秘密造船所ひみつざうせんじよづるはづ午前ごぜん九時くじになると、一發いつぱつ砲聲ほうせいとゞろいた。それと同時どうじに、一旦いつたんいへかへつた櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさは、きんモールのひかり燦爛さんらんたる海軍大佐かいぐんたいさ盛裝せいさうで、一隊いつたい水兵すいへい指揮しきして、屏風岩べうぶいわしたなる秘密造船所ひみつざうせんじよなかへと進入すゝみいつた。わたくしと、日出雄少年ひでをせうねんと、ほか一群いちぐん水兵すいへいとは、りくとゞまつて、その試運轉しうんてん光景くわうけいながめつゝ、花火はなびげ、はたり、大喝采だいかつさいをやるつもりだ。
三十ぷん第二だいに砲聲ほうせいともに、おどろ海底戰鬪艇かいていせんとうていつひ海中かいちう進水しんすいした。艇長ていちやう百三十フヒート全面ぜんめん雪白せつはく電光艇でんくわうていが、しづかに[#「しづかに」は底本では「しづがに」]波上はじやううかんだときいさましさ、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ軍刀ぐんたうをかざして觀外塔上くわんぐわいたふじやうち、一聲いつせい[#ルビの「いつせい」は底本では「いつせん」]さけ號令がうれいしたに、てい流星りうせいごと疾走しつさうした、第二だいに號令がうれいともに、甲板かんぱん自然しぜんぢ、水煙すいゑんそらぶよとえし、てい忽然こつぜん波底はていしづみ、しづんではうかび、うかんではしづみ、みぎに、ひだりに、まへに、うしろに、神出鬼沒しんしゆつきぼつ活動くわつどうは、げにや天魔てんまわざかとうたがはるゝ、をりからはるかのおきあたつて、小山こやまごと數頭すうとう鯨群くじらのむれは、うしほいておよいでた。ものかずにもらぬ海獸かいじうなれど、あれを敵國てきこく艦隊かんたいたとふれば如何いかにと、電光艇でんくわうてい矢庭やにわ三尖衝角さんせんしようかく運轉うんてんして、疾風しつぷう電雷でんらいごと突進とつしんすれば、あはれ、うみわうなる巨鯨きよげい五頭ごとう七頭しちとう微塵みぢんとなつて、なみ血汐ちしほめた。さら新式魚形水雷しんしきぎよけいすいらい實力じつりよく如何いかにと、てい海底かいていりようごと[#ルビの「ごと」は底本では「ごく」]疾走しつさうしつゝ洋上やうじやう巨巖きよがん[#「巨巖きよがん」は底本では「巨嚴きよがん」]目掛めがけて射出ゐいだ一發いつぱつ二發にはつ巨巖きよがんくだんで、破片はへんなみをどつた。たちま電光艇でんくわうてい甲板かんぱんには歡呼くわんここゑおこつた。それと同時どうじに、吾等われら陸上りくじやう一同いちどう萬歳ばんざいさけぶ、花火はなびげる、はたる、日出雄少年ひでをせうねん夢中むちうになつて、猛犬稻妻まうけんいなづまともに、飛鳥ひちやうごと海岸かいがんすな蹴立けたてゝ奔走ほんさうした。じつこのしまつて以來いらい大盛况だいせいけう[#感嘆符三つ、277-1]
兎角とかくするほどに、海底戰鬪艇かいていせんとうてい[#「海底戰鬪艇かいていせんとうていは」は底本では「海底戰國艇かいていせんとうていは」]試運轉しうんてんをはり、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさふたゝ一隊いつたい指揮しきして上陸じやうりくした。電光艇でんくわうていあだか勇士ゆうしいこうがごとく、海岸かいがん間近まぢか停泊ていはくしてる。
さてそれよりは、紀元節きげんせつ祝賀しゆくがと、このおほいなる成功せいこういわひとでくがごとさわぎ、よるになると、かねまうけられたる海岸かいがん陣屋ぢんや大祝賀會だいしゆくがくわいはじまつた。其塲そのば盛况せいけうふでにも言葉ことばにもつくされない。茶番ちやばんをやる水兵すいへいもある、軍樂ぐんがくそうする仲間なかまもある、武村兵曹たけむらへいそう得意とくいに、薩摩琵琶さつまびわ河中島かはなかじま』の一段いちだんかたつた。このをとこに、此樣こんかくげいがあらうとは今日けふまで氣付きづかなかつた。こと櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ朗々らう/\たる詩吟しぎんにつれて、何時いつおぼえたか、日出雄少年ひでをせうねんいさましき劍舞けんぶ當夜たうやはなで、わたくし無藝むげいのために、只更ひたすらあたまいたのとともに、大拍手だいはくしゆ大喝釆だいかつさいであつた。
かくて、このくわいまつたをはつたのはよるの十一すぎ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、278-1]であつた。櫻木大佐さくらぎたいさは、すでに海底戰鬪艇かいていせんとうてい海上かいじやううかんだので、その甲板かんぱんまもらんがめに、武村兵曹たけむらへいそうをはじめ一隊いつたい水兵すいへい引卒いんそつして艇中ていちうおもむいた。のこ一群いちぐん水兵すいへいと、わたくしと、日出雄少年ひでをせうねんとは、てい乘組のりく必要ひつえういので、ふたゝ海岸かいがんいへかへつたのである。
だれでも左樣さうだが、非常ひじやう※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)うれしいときにはとても睡眠すいみんなどの出來できるものでない。で、いへかへつたる吾等われら仲間なかまは、それからまた一室ひとまあつまつて、種々しゆ/″\雜談ざうだんふけつた。※(「窗/心」、第3水準1-89-54)まど硝子越がらすごしに海上かいじやうながめると、電光艇でんくわうていほしひかりびて悠然いうぜん波上はじやううかんでる、あゝこのていもかく竣成しゆんせいした以上いじやうは、いまから一週間いつしゆうかんか、十以内いないには、萬端ばんたん凖備じゆんびをはつて、このしま出發しゆつぱつすること出來できるであらう。このしま出發しゆつぱつしたらもうしめたものだ、一時間いちじかん百海里ひやくかいり前後ぜんご大速力だいそくりよくは、印度洋インドやう横切よこぎり、支那海シナかい[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、278-12]ぎ、なつかしき日本海につぽんかい波上はじやうより、あほいで芙蓉ふえうみねはいすることとほことではあるまい。無邪氣むじやきなる水兵等すいへいら想像さうぞうするがごとく、其時そのとき光景くわうけいはまあどんなであらう。電光艇でんくわうてい評判ひやうばん櫻木大佐さくらぎたいさ榮譽ほまれ各自めい/\むねにある種々しゆ/″\たのしみ、それ管々くだ/\しくふにおよばぬ。一度いちどんだとおもはれた日出雄少年ひでをせうねんと、わたくしとが、無事ぶじこのほまれある電光艇でんくわうていともあらはれてたといたなら、ネープルス濱島武文はまじまたけぶみ――しまた春枝夫人はるえふじん此世このよにあるものならば、如何いかおどろよろこことであらう。かんがへると、じつ愉快ゆくわいで/\たまらぬ、いま吾等われらまなこには、たゞ希望きぼうひかりかゞやくのみで、たれ人間にんげん幸福さひはひねた惡魔あくまが、かゝとき――かゝる間際まぎは兎角とかく大厄難だいやくなん誘起ひきおこすものであるなどゝ心付こゝろづものがあらう。
しかるに、人間にんげん萬事ばんじは、じつ意外いぐわいまた意外いぐわいこの喜悦よろこび最中さいちう非常ひじやう事變じへんおこつた。
こくは、草木くさきねむる、一時いちじ二時にじとのあひだ談話だんわ暫時しばし途絶とだえたとき、ふと、みゝすますと、何處いづこともなく轟々ごう/\と、あだか遠雷えんらいとゞろくがごとひゞき同時どうじ戸外こぐわいでは、猛犬稻妻まうけんいなづまがけたゝましく吠立ほえたてるので、吾等われらおどろいて立上たちあがる、途端とたんもあらせず! ひゞきたちま海上かいじやうあたつて、天軸てんじく一時いちじくだぶがごとく、一陣いちぢん潮風ていふうなみ飛沫とばしりともに、サツと室内しつない吹付ふきつけた。
大海嘯おほつなみ! 大海嘯おほつなみ!。』と一同いちどう絶叫ぜつけうしたよ。
周章狼狽あわてふためき戸外こぐわい飛出とびだしてると、今迄いまゝで北斗七星ほくとしちせい爛々らん/\かゞやいてつたそらは、一面いちめんすみながせるごとく、かぎりなき海洋かいやう表面ひやうめん怒濤どたう澎湃ぼうはい水煙すいえんてんみなぎつてる。
この海嘯つなみのちわかつたが、印度洋インドやうちうマルダイ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)たう附近ふきん海底かいてい地滑ちすべりに原因げんいんして、亞弗利加アフリカ沿岸えんがんから、亞剌比亞アラビヤ地方ちほうへかけて、非常ひじやう損害そんがいあたへたさうだが、その餘波よはこの孤島はなれじままで押寄おしよせてたのである。
かく非常ひじやう騷動さうどう
幸福さひはひにも吾等われらいへは、斷崖だんがい絶頂ぜつてうてられてつたので、このおそ惡魔あくま犧牲ぎせいとなることけはまぬかれた。けれど、それと同時どうじに、第一だいいち吾等われらむねつたのは、櫻木大佐等さくらぎたいさら乘込のりこめる海底戰鬪艇かいていせんとうてい安否あんぴである。てんくらい、くらい、うみおもて激浪げきらう逆卷さかまき、水煙すいゑんをどつて、咫尺しせきべんぜぬ有樣ありさまわたくしでなく、たゞちに球燈きゆうとうてんじてすと、日出雄少年ひでをせうねん水兵等すいへいらひとしくに/\松明たいまつをかざして、斷崖だんがい尖端せんたんち、こゑかぎりにさけびつゝ火光くわくわう縱横じゆうわう振廻ふりまわした。吾等われら叫聲さけびごゑたちま怒濤どたうひゞき打消うちけされてしまつたが、たゞる、黒暗々こくあん/\たるはるか/\のおきあたつて、一點いつてん燈光とうくわうピカリ/\。
まさしく、海底戰鬪艇かいていせんとうていよりの夜間信號やかんしんがう
その信號しんがういは
 電光艇でんくわうてい無事ぶじなり! 電光艇でんくわうてい無事ぶじなり!

    第二十三回 十二のたる
海底戰鬪艇の生命――人煙の稀な橄欖島――鐵の扉は微塵――天上から地獄の底――其樣な無謀な事は出來ません――無念の涙
 大海嘯おほつなみ光景くわうけいは、じつ慘憺さんたんたるものであつた。
翌朝よくてうになつてると、海潮かいてうほとん平常へいじやうふくしたが、見渡みわたかぎり、海岸かいがんは、濁浪だくらう怒濤どたうためあらされて、昨日きのふうるはしく飾立かざりたてゝあつた砂上しやじやう清正きよまさ人形にんぎようも、二見ふたみうら模形もけいも、椰子林やしばやし陣屋ぢんやも、何處いづく押流おしながされたかかげかたちもなく、秘密造船所ひみつざうせんじよ一時いちじまつた海水かいすいひたされたとえて、水面すいめんから餘程よほどたか屏風岩べうぶいわ尖頭せんとうにも、みにく海草かいさうのこされて、その海草かいさうからしたゝつる水玉みづたまに、朝日あさひひかり異樣ゐやう反射はんしやしてるなど、じつ荒凉くわうりようたる有樣ありさまであつた。
此時このとき電光艇でんくわうていはるかのおきから海岸かいがんちかづきたり、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさは、無事ぶじ一隊いつたい水兵すいへいとも上陸じやうりくしてたので、陸上りくじやう一同いちどうたゞちに其處そこ驅付かけつけた。吾等われらためには、海底戰鬪艇かいていせんとうてい無事ぶじであつたことより※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)うれしい。
わたくし滿面まんめんえみたゝえて大佐たいさにぎり、かゝる災難さいなんあひだにもたがひ無事ぶじなりしことをよろこび、さて
昨夜さくや海上かいじやう光景くわうけいはどんなでしたか。』とひながら、しげ/\と大佐たいさかほながめたが、じつおどろいた。日頃ひごろ沈着ちんちやくで、何事なにごとにも動顛どうてんしたことのない大佐たいさおもてには、此時このとき何故なにゆゑか、心痛しんつうきはまりなきいろえたのである。大佐たいさばかりでない、快活くわいくわつなる武村兵曹たけむらへいそうも、其他そのた水兵等すいへいらも、電光艇でんくわうていより上陸じやうりくした一同いちどうは、こと/″\色蒼いろあほざめ、かうべれて、何事なにごとをかふかかんがへて樣子やうす
わたくしむねうたれて、いそひかけた。
なにかはつたことでもおこりましたか、しや、昨夜さくや海嘯つなみのために、海底戰鬪艇かいていせんとうてい破損はそんでもせうじたのではありませんか。』
いや。』と大佐たいさしづかにかほげた。
電光艇でんくわうてい船體せんたいには、なに異状ゐじやうはありませんが――。』といひながら、じつわたくしかほながめて
しかし、昨夜さくや海嘯つなみは、吾等われら一同いちどう希望きぼう天上てんじやうより、絶望ぜつぼう谷底たにそこ蹴落けおとしたとおもはれます。』
『な、な、何故なぜですか。』と、りく仲間なかま一時いちじ顏色がんしよくへたのである。大佐たいさは、たゞちにこのとひにはこたへんとはせで、かうべめぐらして、彼方かなたなる屏風岩べうぶいわほうながめたが、沈欝ちんうつなる調子ちようし
きみ今朝こんてうになつて、秘密造船所ひみつざうせんじよ[#「秘密造船所ひみつざうせんじよ」は底本では「秘密船造所ひみつざうせんじよ」]内部ないぶ檢査けんさしましたか。』
『いや、だです。』とわたくしこたへた。し、大海嘯おほつなみいまから二三にち以前いぜんことで、海底戰鬪艇かいていせんとうてい船渠ドツクうちなら、第一だいいち警戒けいかいすべき塲所ばしよ其處そこだが、いまは、左迄さまいそいで、檢査けんさする必要ひつえういとかんがへたのである。しかるに、大佐たいさ言葉ことばと、その顏色かほいろとでさつすると、その心痛しんつうみなもとんでも其處そこおこつたらしい、わたくしいそげんをつゞけた。
實見じつけんはしませんが、御覽ごらんとうり、海面かいめんから餘程よほどたかいあの屏風岩べうぶいわ尖頭せんとうにも、海草かいさう打上うちあげられたほどですから、秘密造船所ひみつざうせんじよ内部ないぶ無論むろん海潮かいてう浸入しんにうのために、大損害だいそんがいかうむつたことでせう、それがなにうれこと原因げんゐんとなるのですか。』
無論むろんです。』と大佐たいさむねいて
きみわすれましたか、秘密造船所ひみつざうせんじよなかには、海底戰鬪艇かいていせんとうてい生命せいめいのこされてつたことを。』
海底戰鬪艇かいていせんとうてい[#「海底戰鬪艇かいていせんとうてい」は底本では「海底戰艇鬪かいていせんとうてい」]生命せいめいとは。』と、わたくしいぶかつた。
『十二のたるです。きみ御存ごぞんじのごとく、海底戰鬪艇かいていせんとうていすべての機關きくわんは、秘密ひみつなる十二しゆ化學藥液くわがくやくえき作用さよう活動くわつどうするのでせう、その活動くわつどう根源もととなる藥液やくえきは、ことごとく十二のたる密封みつぷうされて、造船所ざうせんじよない一部いちぶ貯藏ちよぞうされてあつたのだが、あゝ、昨夜さくや大海嘯おほつなみではその一個いつこ無事ぶじではるまい、イヤ、けつして無事ぶじはづはありません。』
『え、え、え。』と、はじめて此事このこと氣付きづいた吾等われらどうは、ほとん卒倒そつたうするばかりにおどろいた。大佐たいさふか嘆息ためいきもらして
おそらくわたくし想像さうぞうあやまるまい、じつてんわざはひ人間にんげんちからおよところではないが、今更いまさらかゝ災難さいなんふとは、じつ無情なさけな次第しだいです。いま、十二のたることごと流失りうしつしたものならば、海底戰鬪艇かいていせんとうてい神變しんぺん不思議ふしぎちからも、最早もはや活用くわつようするにみちいのです。丁度ちやうど普通ふつう※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)じようきせん石炭せきたん缺乏けつぼうしたとおなことで、波上はじやう停止ていししたまゝ、朽果くちはつるのほかはありません。勿論もちろん電光艇でんくわうていには試運轉式しうんてんしきとき積入つみいれた發動藥液はつどうやくえきが、いま多少たせうのこつてるが、ていのこつてけでは、一千海里かいり以上いじやう進航しんこうするにらぬほどで、本島ほんとうから一千海里かいりといへば此處こゝから一番いちばんちかいあの人煙じんゑんまれなるマルダイ※(濁点付き片仮名ワ、1-7-82)群島ぐんたうひと橄欖島かんらんたう附近ふきんまでは到達たうたつすること出來できませうが、橄欖島かんらんたうたつしたところなんにもならない、かへつ其處そこで、全然ぜんぜん進退しんたい自由じゆううしなつたらそれこそ大變たいへんみづかすゝんで奇禍きくわまねくやうなものです。橄欖島かんらんたう荒凉くわうりやうたるしま、とてもそのしゆ發動藥液はつどうやくえきこと出來できず、其他そのた諸島しよたうまた大陸たいりく通信つうしんして、供給きようきふあほぐといふことも、けつして出來できことではいのです。くわふるに橄欖島かんらんたう附近ふきんには、始終しじう有名いうめいなる海賊船かいぞくせん横行わうかうし、また屡々しば/\歐洲をうしう諸國しよこく軍艦ぐんかん巡航じゆんかうしてますから、其邊そのへん海底戰鬪艇かいていせんとうてい機關きくわん活動くわつどううしなつて、むなしく波上はじやうたゞよつてるのは無謀むぼう此上このうへもないことです。彼等かれら日本帝國につぽんていこくために、いまかゝ戰艇せんてい竣成しゆんせいしたとつたら、けつしてもくしてはりません、必定ひつぜう全力ぜんりよくつくして、掠奪りやくだつ着手ちやくしゆしませうが、其時そのときうごいては天下てんか無敵むてきこの電光艇でんくわうていも、その活動力くわつどうりよくうしなつてあひだは、如何いかんともすること出來できません、吾等われらいさぎよく其處そこ身命しんめいなげうこと露惜つゆをしまぬが、其爲そのために、海底戰鬪艇かいていせんとうていつひ彼等かれら掠奪りやくだつされて御覽ごらんなさい、吾等われら幾年月いくねんげつ苦心慘憺くしんさんたんみづあわいや親愛しんあいなる日本帝國につぽんていこく[#ルビの「につぽんていこく」は底本では「ほつぽんていこく」]ために、計畫けいくわくしたことが、かへつてき利刀りたうあたへることになります。其樣そのやうこと如何どうして出來できませう。れば百計ひやくけいつき塲合ばあひには、たとへ海底戰鬪艇かいていせんとうていとも永久えいきゆうこの孤島はなれじま朽果くちはつるとも、無謀むぼう本島ほんたう出發しゆつぱつすること出來できません。きみ左樣さうでせう。で、いまわたくし想像さうぞうするがごと秘密造船所ひみつざうせんじよまつた海水かいすいめに破壞はくわいされて、十二のたるその一個いつこでも流失りうしつしたものならば、吾等われら最早もはや本島ほんたうから一尺いつしやくそとこと出來できないのです、左樣さやう吾等われら無上むじやうたのしみとせるなつかしの日本につぽんかへ希望きぼうも、まつた奪去うばひさられたといふものです。』
嗟呼あゝ。』とさけんだまゝわたくし日出雄少年ひでをせうねん其他そのた水兵等すいへいら茫然自失ぼうぜんじしつした。
昨夜さくや大海嘯おほつなみすさまじき光景くわうけいでは、その十二のたる最早もはや一個いつこのこつてらぬことわかつてるが、それでも、まんいちもとおもつて、吾等われらこゝろそら洞中どうちう秘密造船所ひみつざうせんじよ内部ないぶ驅付かけつけてたが、不幸ふこうにして大佐たいさことばあやまらなかつた。塲内じやうない光景くわうけいじつ慘憺さんたんたるもので、濁浪だくらう怒濤どたう一方いつぽう岩壁いわかべ突破つきやぶつて、奔流ほんりうごと其處そこから浸入しんにふしたものとへ、そのそばの、かね發動藥液はつどうやくえき貯藏ちよぞうせられてつた小倉庫せうさうこてつとびら微塵みぢんくだかれて、十二のたる何處いづく押流おしながされたものか、かげかたちかつた。
大佐たいさ撫然ぶぜんとしててんあほぐのみ、一同いちどう顏色がんしよく益々ます/\あをくなつた。
あゝ、天上てんじやうから地獄ぢごくそこ蹴落けおとされたとて、人間にんげんまで失望しつぼうするものではあるまい。
一同いちどう詮方せんかたなく海岸かいがんいへかへつたが、まつたえたあとのやうに、さびしく心細こゝろぼそ光景くわうけい櫻木大佐さくらぎたいさ默然もくねんとしてふかかんがへしづんだ。武村兵曹たけむらへいそう眼中がんちう無念むねんなみだうかべて、いま多少たせう仇浪あだなみ立騷たちさわいで海面かいめんにらんでる。日出雄少年ひでをせうねんはいと/\かなさう
『あゝ、また日本につぽんかへこと出來できなくなつたんですか。』とむなしくひがしそらのぞむ、そのこゝろなかはまあどんなであらう。三十有餘名いうよめいの、日頃ひごろおにともまん水兵等すいへいらも、いままつた無言むごんに、此處こゝ一團いちだん彼處かしこ一團いちだんたがひかほ見合みあはすばかりで、其中そのうちに二三めいは、萬一まんいちにも十二のたるうち一つでも、二つでも、海濱かいひんながこともやと、甲斐かひ/″\しく巡視じゆんしかけたが、無論むろんあてになることではい。

    第二十四回 輕氣球けいききゆう飛行ひかう
絶島の鬼とならねばならぬ――非常手段――私が參ります――無言のわかれ――心で泣いたよ――住馴れた朝日島は遠く/\
 わたくしはつく/″\とかんがへたが、今度こんどといふ今度こんどこそは、とてものがれぬてんわざはひであらう。櫻木大佐さくらぎたいさげんごとく、無謀むぼう本島ほんたうはなるゝこと出來できぬものとすれば、ほかなんさくい。電光艇でんくわうてい活動くわつどう原因げんゐんとなるべき十二しゆ藥液やくえきは、何時いつまでかゝつても、此樣こん孤島はなれじまでは製造せいざう出來できるものでなく、また、から供給きようきふあほことかなはねば、吾等われら爾後このゝちねん生存ながらへるか、二十ねん生存ながらへるかれぬが、朝夕あさゆふ世界無比せかいむひ海底戰鬪艇かいていせんとうてい目前もくぜんながめつゝも、つひには、この絶島ぜつたうおにとならねばならぬのである。
かんがへると、無限むげん悲哀かなしくなつて、たゞ茫然ぼうぜん故國こゝくそらのぞんで、そゞろに暗涙あんるいうかべてとき今迄いまゝで默然もくねんふか考慮かんがへしづんでつた櫻木大佐さくらぎたいさは、突然とつぜんかほげた。かれつひ非常手段ひじやうしゆだんあんいだしたのである。
大佐たいさは、决然けつぜんたる顏色がんしよくもつくちひらいた。
いまこの厄難やくなんさいして、吾等われらみちたゞ二つある、その一つは、何事なにごと天運てんうんあきらめて、電光艇でんくわうていともこの孤島はなれじま朽果くちはてること――しかしそれは何人なんぴとのぞところではありますまい――一策いつさくほかでもい、じつ非常ひじやう手段しゆだんではあるが、※日くわじつ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、293-1]自動鐵車じどうてつしやすなすべりのたに陷落かんらくしたとき君等きみらすくはんがため製作せいさくした大輕氣球だいけいきゝゆうが、いまのこつてる。その輕氣球けいきゝゆう飛揚ひやうして、だれか一二めい印度インドコロンボ其他そのた大陸地方たいりくちほう都邑とゆうたつし、其處そこで、電光艇でんくわうていえうする十二しゆ藥液やくえき買整かひとゝのへ、其處そこから一千海里かいりはなれて大陸たいりく本島ほんたうとの丁度ちやうど中間ちうかんよこたはれる橄欖島かんらんたうまでひそかふね艤裝ぎさうして、十二の藥液やくえき運送うんさうしてたならば、此方こなたでも海底戰鬪艇かいていせんとうていには、多少たせう發動藥液はつどうやくえきのこつてるから、その運送船うんさうせん丁度ちやうど橄欖島かんらんたう到着たうちやくするころ電光艇でんくわうてい本島ほんたう出發しゆつぱつして、二船にせんそのしま會合くわいがふし、凖備じゆんび藥液やくえきをば電光艇でんくわうてい轉載てんさいして、それより日本につぽんかへらんとの計畫けいくわくです。勿論もちろんこと成敗せいばい豫期よきがたいが、萬一まんいち氣球ききゆう空中くうちう破裂はれつするとか、其他そのた異變ゐへんために、使命しめいはたこと出來できなければ夫迄それまでこと此方こなた電光艇でんくわうていは、約束やくそく本島ほんたうはつし、橄欖島かんらんたうおもむいて、數日すうじつつても、ふね塲合ばあひには、それをもつ輕氣球けいきゝゆう運命うんめいぼくし、みづから天運てんうんつきあきらめて、其時そのとき最後さいご手段しゆだんすなは海賊船かいぞくせんとか其他そのた強暴きようぼうなる外國ぐわいこく軍艦等ぐんかんとうに、海底戰鬪艇かいていせんとうてい秘密ひみつさとられぬがために、みづか爆發藥ばくはつやくもつ艇體ていたい破壞はくわいして、いさぎよく千尋ちひろ海底かいていしづまんとの覺悟かくごじつ非常ひじやう手段しゆだんではあるが、いま塲合ばあひおいて、目的もくてきもなく、希望きぼうもなくやうや竣成しゆんせいせし海底戰鬪艇かいていせんたうてい目前もくぜんながめつゝ、むなしくこの孤島はなれじま朽果くちはてんよりは、むし吾等われらみちこれであらう。』と、かたをはつて、大佐たいさは、决心けつしんいろうごかしがた吾等われら一同いちどうた。無論むろん大佐たいさげん異議ゐぎはさむものゝあらうはづく、つひ此事このこと確定くわくていしたが、さて、輕氣球けいきゝゆうつて、この大使命だいしめいはたさんものはたれぞといふだんになつて、勇壯ゆうさうなる水兵等すいへいらは、吾先われさきにと[#「吾先われさきにと」は底本では「吾先われさきとに」]そのにんあたらんときそつたが、大佐たいさおもところあるごと容易ようゐゆるさない。じつに、この大使命だいしめい重大ぢゆうだいことである。氣球きゝゆうがいよ/\大陸たいりく都邑とゆう降下かうかしてのち秘密藥品ひみつやくひん買收ばいしうから、ひそかにふね艤裝ぎさうして、橄欖島かんらんたうおもむまであひだ駈引かけひき尋常じんじやうことい、わたくしはやくも櫻木大佐さくらぎたいさこゝろたので、みづかすゝた。
この大使命だいしめいには不肖ふせうながらわたくしあたりませう。』といふと大佐たいさおほいよろこ
じつその言葉ことばつてつたのです。この任務にんむは、たん勇氣ゆうきと、膽力たんりよくとのみでは出來できません。氣球きゝゆう降下かうかするところ無論むろん異邦ゐほう外國語ぐわいこくご其他そのた便宜上べんぎじやうきみ依頼ゐらいするよりほかかつたのです。』と左右さゆう顧見かへりみ
『そこで、いま一人ひとり助手じよしゆとしてだれか。』
わたくしまいります。』とれい武村兵曹たけむらへいそう勇躍ゆうやくしてすゝた。大佐たいさまなこさだめてじつ兵曹へいそうかほなが
なんぢ此度このたび使命しめい成敗せいばいは、海底戰鬪艇かいていせんとうていが、日本帝國につぽんていこく守護まもりとして、現出げんしゆつすること出來できるか、いなかのわかであるぞ。きはめて機敏きびんに、きはめて愼重しんちようなれ。』
兵曹へいそうことばはなく、なみだ[#ルビの「なみだ」は底本では「なんだ」]れて大佐たいさかほ見返みかへした。
大使命だいしめいやくわたくし武村兵曹たけむらへいそうとにさだまると、本島ほんたうのこ櫻木大佐等さくらぎたいさら吾等われら兩人りようにんとのあひだには、きはめて細密さいみつなる打合うちあはせをえうするのである。その打合うちあはせはうであつた。今日けふは二ぐわつの十二にちかぜ方向ほうかうきわめて順當じゆんたうであるから、本日ほんじつ輕氣球けいきゝゆうこのしま出發しゆつぱつすれば、印度洋インドやう大空おほそら横斷わうだんして、きたる十六にちか十七にちには、大陸たいりく一番いちばんちか印度國インドこくコロンボ附近ふきん降下かうかすること出來できるであらう。其處そこ秘密藥品ひみつやくひん買入かひいれや、船舶せんぱく雇入やとひいれに五日間いつかかんついやすとして吾等われら橄欖島かんらんたうおもむこと出來できるのは、本月ほんげつの廿四から廿七八にちまであひだ豫定よていせらるゝから、櫻木大佐等さくらぎたいさらは二十四夜半やはん電光艇でんくわうていじやうじて、本島ほんたうはなれ、その翌日よくじつ拂曉ふつぎようには、橄欖島かんらんたう島蔭しまかげ到着たうちやくする約束やくそく。そこで、何方どちらでも、はや橄欖島かんらんたう到着たうちやくしたほうは、むか一週間いつしゆうかんあひだそのしま附近ふきん待合まちあはせ、一週間いつしゆうかんすぎ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、297-5]のち一方いつぽうえぬときには、最早もはや運命うんめいつき覺悟かくごさだめるはづであつた。
この打合うちあはせがをはると、大佐たいさ命令めいれいで、輕氣球けいきゝゆう海岸かいがん砂上しやじやう引出ひきいだされ、水素瓦斯すいそがす充分じふぶん滿たされ、數日分すうじつぶん食料しよくれうと、飮料水いんれうすいと、藥品やくひん買入かひいれや、船舶せんぱく雇入やとひいれのめにつひやき、巨額きよがく金銀貨きんぎんくわ積込つみこみもをはると、わたくし武村兵曹たけむらへいそうとは身輕みがる旅裝たびじたくとゝのへて搖籃ゆれかごなかへと乘込のりこんだ。あゝ、これ一生いつしやうわかれとなるかもわからぬ。櫻木大佐さくらぎたいさも、日出雄少年ひでをせうねんも、だまつて吾等われら兩人りやうにんかほながめ、ちからめて吾等われらにぎつた。一隊いつたい三十有餘名いうよめい三年さんねん以來いらい馴染なじみ水兵等すいへいらは、わかれをしまんとて、輕氣球けいきゝゆう周圍ぐるり取卷とりまいたが、たれ一言いちごんはつするものい、なかには感慨かんがいきはまつて、なみだながしたものもあつた。わたくし武村兵曹たけむらへいそうじつこゝろいたよ。此時このとき吾等われら一同いちどう沈默ちんもくは、千萬言せんまんげんよりもふか意味ゐみいうしてるのであつた。
兎角とかくするほどむすびのつなかれて、吾等われら兩人りやうにんせたる輕氣球けいきゝゆうは、つひいきほひよく昇騰しようたうをはじめた。櫻木大佐等さくらぎたいさら一齊いつせいにハンカチーフをつた。武村兵曹たけむらへいそうわたくしとは、ぼうだつして下方したながめたが、かぜみなみからきたへと、輕氣球けいきゝゆうは、三千すうしやく大空たいくうを、次第しだい/\に大陸たいりくほうへと、やがて、れし朝日島あさひじまも、蒼渺さうべうたる水平線上すいへいせんじやうまめのやうになつてつた。

    第二十五回 白色巡洋艦はくしよくじゆんやうかん
大陸の影――矢の如く空中を飛走した――ポツンと白い物――海鳥の群――「ガーフ」の軍艦旗――や、や、あの旗は! あの艦は!
 朝日島あさひじまつてから、三日みつか何事なにごともなく※去すぎさ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、299-4]つた。吾等われら兩人りやうにんせたる輕氣球けいきゝゆうは、印度洋インドやう天空てんくう横切よこぎつて、きたへ/\と二千哩にせんマイル以上いじやうも、櫻木大佐等さくらぎたいさらいへからはなれたとおもはるゝころはるか/\のてん一角いつかくに、くもか、けぶりのやうに、大陸たいりくかげみとめられた。わたくし武村兵曹たけむらへいそうとは[#ルビの「め」は底本では「み」]見合みあはせて、はじめてホツと一息ひといきついた。あの大陸たいりくは、うたがひ印度インド大陸たいりくであらう。すると、いまから三四時間じかんのちには、目的もくてきコロンボ附近ふきん降下かうかして、櫻木大佐さくらぎたいさより委任いにんされたる、此度このたび大役たいやくをも首尾しゆびよくはたこと出來できるであらうと、たがひ喜悦きえつまゆひらときしも、又々また/\一大いちだい異變ゐへんおこつた。それはほかでもい、今迄いまゝであだかてん恩惠おんけいごとく、きはめて順當じゆんたうに、みなみからきたへと、輕氣球けいきゝゆうをだん/″\陸地りくちほうおくつてつたかぜが、此時このとき俄然がぜんとして、ひがしから西にしへとかはつたことである。はじめ朝日島あさひじまづるとき櫻木大佐さくらぎたいさ天文てんもん觀測くわんそくして、多分たぶんこの三四あひだは、風位ふうゐ激變げきへんからうとはれたが、てん仕業しわざほど豫知よちがたいものはない。この東風ひがしかぜいてために、輕氣球けいきゝゆうは、たちま進行しんかう方向ほうかうへんじて、今度こんどは、りく方面ほうめん[#ルビの「ほうめん」は底本では「ほんめん」]からなゝめに、海洋かいやうほうへときやられた。わたくし武村兵曹たけむらへいそうとは今迄いまゝで喜悦よろこび何處どこへやら、驚愕おどろき憂慮うれひとのために、まつた顏色がんしよくうしなつた。今一息いまひといきといふ間際まぎわになつて、この異變ゐへん何事なにごとであらう。あゝ、てん飽迄あくまで我等われらたゝるのかと、こゝろ焦立いらだて、藻掻もがいたが、如何いかんとも詮方せんかたい。る/\うちに、大陸たいりくかげ名殘なごりなく、眼界がんかいそとせてしまうと、其内そのうちかぜはだん/\はげしくなつてて、はては印度洋インドやうで、著名なだい颶風タイフンかはつてしまつた。下界げかいるとまなこくらむばかりで、かぎりなき大洋たいやうめんには、波瀾はらん激浪げきらう立騷たちさわぎ、數萬すまん白龍はくりよう一時いちじをどるがやうで、ヒユー、ヒユーときぬくがごとかぜこゑともに、千切ちぎつたやう白雲はくうん眼前がんぜんかすめてぶ、じつ悽愴せいさうきはまりなき光景くわうけい勿論もちろん旋風つむじかぜつねとて一定いつてい方向ほうかうはなく、西にしに、ひがしに、みなみに、きたに、輕氣球けいきゝゆうあだか鵞毛がもうのごとく、天空てんくうあがり、さがり、マルダイヴ群島ぐんたううへなゝめび、ラツカダイヴ諸島しよたうそら流星りうせいごとかけつて、それから何處いづくへ、如何いかくものやら、四晝夜しちうやあひだまつた夢中むちう空中くうちう飛走ひさうしたが、その五日目いつかめ午前ごぜんになつて、かぜやうやくをさまり、氣球きゝゆう動搖どうえうしづまつたので、吾等われらははじめて再生さいせいおもひをなし。おそ[#ルビの「おそ」は底本では「おる」]る/\搖籃ゆれかごから半身はんしんあらはして下界げかいると、いま何處いづこそら吹流ふきながされたものやら、西にしひがし方角ほうがくさへわからぬほどだが、矢張やはり渺々べう/\たる大海原おほうなばら天空てんくう飛揚ひやうしてるのであつた。此處こゝ地球上ちきゆうじやういづれのへんあたつてるだらうと、二人ふたりくびひねつてたがすこしもわからない。武村兵曹たけむらへいそうかんがへでは。最早もはや亞弗利加大陸アフリカたいりく横斷わうだんして、ずつと西にしほうばされて、いま下邊かへんゆる大海おほうみは、大西洋たいせいやう[#「大西洋たいせいやうに」は底本では「太西洋たいせいやうに」]相違さうゐはあるまい。とつたが、わたくしはどうも左樣さうとはしんじられなかつた。數日すうじつ以來いらいかぜは、隨分ずいぶんすさまじいものであつたが、颶風タイフンつねとして、輕氣球けいきゝゆう幾度いくたびおなそらまわされてつたやうだから、左迄さまで遠方ゑんぽう氣遣きづかひはない、わたくしかんがへでは、下方したゆるのは矢張やはり印度洋インドやうなみで、ことによつたらマダカツスルじま西方せいほうか、アデンわんおきか、かく歐羅巴エウロツパへん沿岸えんがんには、左程さほどとほところではあるまいとおもはれた。
しかし、いま其樣そんこと悠長いうちやうかんがへてるべき塲合ばあひでない。此時このとき心痛しんつうじつ非常ひじやうであつた。櫻木大佐さくらぎたいさとの約束やくそくすで切迫せつぱくしてる。ゆびくつしてると、吾等われら豫定通よていどうりに印度國インドこくコロンボ附近ふきん降下かうかして、秘密藥品ひみつやくひん買整かひとゝのへ、ふね艤裝ぎさうして橄欖島かんらんたう到着たうちやくはづの二十五にちまでには、最早もはや六日むいかあますのみで。約束やくそくには、櫻木大佐さくらぎたいさ日出雄少年等ひでをせうねんらともに、海底戰鬪艇かいていせんとうていじやうじて朝日島あさひじまはなれ、ひそかに橄欖島かんらんたういたりて、吾等われら兩人りようにん應援おうゑんを、今日けふか、明日あすかと、くらことであらうが。いま吾等われら境遇きやうぐうでは、はたしてその大任たいにんはたこと出來できるであらうか。見渡みわたかぎ雲煙うんゑん渺茫べうぼうたる大空おほぞら[#ルビの「おほぞら」は底本では「おはぞら」]漂蕩へうたうして、西にしも、ひがしさだめなきいま何時いつ大陸たいりくたつして、何時いつ橄欖島かんらんたうおもむべしといふ目的あてもなければ、其内そのうち豫定よていの廿五にち[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、303-9]ぎ、其後そのご一週間いつしゆうかんむなしく※去すぎさ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、303-10]つたならば、櫻木大佐さくらぎたいさつひには覺悟かくごさだめて、稀世きせい海底戰鬪艇かいていせんとうていともに、うみ藻屑もくづえてしまうことであらう。嗚呼あゝ大事切迫だいじせつぱく/\と、わたくし武村兵曹たけむらへいそうかほ見合みあはしたるまゝ身體しんたい置塲おきばらぬほどこゝろなやましてる、ときしもたちまる、はるか/\の水平線上すいへいせんじやう薄雲うすぐもごとけむりあらはれ、つゞゐてとりふねかぬほど一點いつてんポツンとしろかげ、それが段々だん/″\ちかづいてるとそは一艘いつそう白色巡洋艦はくしよくじゆんやうかんであつた。後檣縱帆架ガーフひるがへはたは、まだ朦乎ぼんやりとして、何國いづこ軍艦ぐんかんともわからぬが、いまや、團々だん/\たる黒煙こくゑんきつゝ、なみ蹴立けたてゝ輕氣球けいきゝゆう飛揚ひやうせる方角ほうがく進航しんかうしてるのであつた。此時このときわたくしきふ一策いつさくあんじた。いま吾等われらは、重大ぢゆうだい使命しめいびながら、何時いつ大陸たいりくくといふ目的あてく、此儘このまゝ空中くうちう漂蕩へうたうしてつて、其間そのあひだむなしく豫定よてい期日きじつ經※けいくわ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、304-9]してしまつたことならば、後悔こうくわいほぞむともおよぶまい。さひはひ、彼處あれゆる白色巡洋艦はくしよくじゆんやうかん、あれは何國いづこ軍艦ぐんかんで、何處どこから何處どこしての航海中かうかいちうかはわからぬが、一應いちおうかのふねたすけをもとめては如何どうだらう。勿論もちろん吾等われら空中旅行くうちうりよかう目的もくてきと、櫻木大佐さくらぎたいさ海底戰鬪艇かいていせんとうてい秘密ひみつとは、輕々かろ/″\しく外國船ぐわいこくせんなどにさとられてはならぬが、それは臨機應變りんきおうへんなにとか言脱いひのがれの工夫くふういでもい。かくも、目下もつかきふけを、かの軍艦ぐんかんたすけられて、何處いづこでもよい、最近さいきん大陸地方たいりくちほうおくとゞけてもらつたならば、其後そのゝち必死ひつし奔走ほんさうして、如何どうにかして、豫定よてい期日きじつまでに約束やくそく凖備じゆんびとゝのへて、櫻木大佐等さくらぎたいさらてる橄欖島かんらんたう到着たうちやくすること出來できぬでもあるまい。
かんがへたので、いそ武村兵曹たけむらへいそう談合だんがふすると、兵曹へいそう無論むろん不同意ふどうゐはなく、たゞちにしろ手巾ハンカチーフ振廻ふりまわして、救難きゆうなん信號しんがうをすると、彼方かなた白色巡洋艦はくしよくじゆんやうかんでも、吾等われら輕氣球けいきゝゆうみとめたとえ、その前甲板ぜんかんぱんしろあかとのはたが、上下うへしたにヒラ/\とうごくやうにえた。この途端とたん! 武村兵曹たけむらへいそうは、たちま何者なにものをか見出みいだしたとへ、れるやうなこゑさけんだ。
大變たいへん! 大變たいへん! 大變たいへんだア』
わたくし愕然がくぜんとして振向ふりむくと、今迄いまゝで白色巡洋艦はくしよくじゆんやうかん一方いつぽうられて、すこしも心付こゝろづかなかつたが、たゞる、西方せいほうそら一面いちめんに「ダンブローてう」とて、印度洋インドやう特産とくさん海鳥かいてう――そのかたちわしくちばしするどく、爪長つめながく、おほき[#ルビの「おほき」は底本では「おほい」]さは七しやく乃至ないしじやう二三じやくぐらいの巨鳥きよてうが、天日てんじつくらくなるまでおびたゞしくぐんをなして、輕氣球けいきゝゆう[#「輕氣球けいきゝゆうを」は底本では「輕氣珠けいきゝゆうを」]目懸めがけて、おそつてたのである。吾等われら兩人りやうにん非常ひじやう喫驚きつきようした。このしゆ海鳥かいてうは、元來ぐわんらい左迄さまで性質せいしつ猛惡まうあくなものでいから、此方こなたさへ落付おちついてれば、あるひ無難ぶなんまぬがれること出來できたかもれぬが、不意ふいこととて、しんから顛倒てんだうしてつたので、其樣そんことかんがいとまもない、いそはらつもりで、一發いつぱつ小銃せうじう發射はつしやしたのが※失あやまり[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、306-10]であつた。彈丸だんぐわんもの見事みごとその一羽いちはたをしたが、同時どうじ鳥群てうぐんは、吾等われら敵對てきたいいろがあるとつたからたまらない。三羽さんば四羽しは憤怒ふんぬ皷翼はゞたきともごと氣球きゝゆう飛掛とびかかる、あつといふに、氣球きゝゆうたちまそのするどくちばし突破つきやぶられた。其時そのとき先刻せんこく白色巡洋艦はくしよくじゆんやうかんすで輕氣球けいきゝゆうこと海里かいりばかり海上かいじやうすゝんでたのでふね全體ぜんたいごとえる、いましも、ふとその「ガーフ」の軍艦旗ぐんかんきみとめた武村兵曹たけむらへいそう
『や、や、あのはたは、あのふねは。』とばかり、焦眉せうびきふわすれてをどつ、わたくしいそそのほうまなこてんぜんとしたが、ときすでおそかつた。
「ガンブローてう」に突破つきやぶられたる輕氣球けいきゝゆうは、水素瓦斯すいそぐわするゝおとともに、キリヽ/\と天空てんくうくだつて、『あはや』といふに、大洋たいやう眞唯中まつたゞなか落込おちこんだのである。

    第二十六回 かほかほかほ
帝國軍艦旗――虎髯大尉、本名轟大尉――端艇諸共引揚げられた――全速力――賣れた顏――誰かに似た顏――懷かしき顏
 輕氣球けいきゝゆうともに、海洋かいやう唯中たゞなか落込おちこんだ吾等われら兩人りやうにんは、一時いちじすうしやくふか海底かいていしづんだが、さひはひにも、落下らくか速力そくりよく割合わりあひ緩慢くわんまんであつたためと、またなみ氣球きゝゆう抵杭ていかうしたために、絶息ぜつそくするほどでもなく、ふたゝ海面かいめんうかでゝ、いのちかぎりにおよいでると、しばらくして、彼方かなた波上はじやうから、ひと呼聲よびごゑと、オールとがちかづいてて、吾等われら兩人りやうにんつひなさけある一艘いつそう端艇たんていすくげられたのである。いま端艇たんていいだして、吾等われら九死一生きゆうしいつしやうなんすくつてれたのは、うたがひもない、先刻せんこく白色巡洋艦はくしよくじゆんやうかんである。
端艇たんてい引上ひきあげられた武村兵曹たけむらへいそうは、此時このときたちまさけんだ。
『おー。矢張やつぱり左樣さうだつた! あの巡洋艦じゆんやうかんのガーフのはたは、帝國ていこく軍艦旗ぐんかんきであつた※[#感嘆符三つ、309-2]。』と、かれは、いましも、輕氣球けいきゝゆうから墮落ついらく瞬間しゆんかんに、ちらりみとめたおな模樣もやう海軍旗かいぐんきを、この端艇たんてい艇頭トツプ見出みいだしたのである。
わたくし艇中ていちう一同いちどうて、じつおどろ飛立とびたつたよ。
『や! 帝國軍人ていこくぐんじん! 日本海軍々人につぽんかいぐんぐんじん!。』とさけびつゝ、かうべめぐらすと、この端艇たんていること程遠ほどとほからぬ洋上やうじやうには、先刻せんこく白色巡洋艦はくしよくじゆんやうかん小山こやまごとなみ漂蕩へうたうしつゝ、その後檣縱帆架ガーフ船尾せんびとには、あさひかゞや大日本帝國だいにつぽんていこく軍艦旗ぐんかんき翩飜へんぽん南風なんぷうひるがへつてつた。
端艇たんてい右舷うげん左舷さげんオールにぎめたる水兵等すいへいらも、吾等われら兩人りようにんかほて、一齊いつせいおどろき不審いぶかりまなこ見張みはつた。艇尾ていびにはいろ淺黒あさぐろ[#「いろ淺黒あさぐろく」は底本では「いろ淺黒あさぐろく」]虎髯こぜん海風かいふうかせたる雄風ゆうふう堂々どう/″\たる海軍大尉かいぐんたいゐあり、舵柄だへいにぎれるのばして、『やゝ、貴下等きから日本人につぽんじんではないか。』とばかり、わたくし武村兵曹たけむらへいそうおもて見詰みつめたが、西にしひがしはてしなき大洋たいやうめんでは、荒浪あらなみさわぎ、ていをどつて、とても仔細こまかいはなしなどは出來できない、かく巨濤おほなみは、げんくだけてていくつがへらんとす、大尉たいゐラタをば右方うほうまはし、『すゝめ!。』の一聲いつせい端艇たんていたちま艇頭ていとうみぎてんじて、十二の「オール」のなみおとともに、本艦ほんかんしてのやうにすゝんだ。
わたくし武村兵曹たけむらへいそうとはゆめ夢見ゆめみ心地こゝち自分じぶん濡鼠ぬれねずみやうになつてことも、すくなからず潮水しほみづんではらくるしくなつてことわすれて、むねおどろきよろこびに、をどりつゝ、じつながむる前方かなた海上かいじやう、「ガーフ」になつかしき帝國ていこく軍艦旗ぐんかんきひるがへせるかの白色はくしよく巡洋艦じゆんやうかんは、此邊このへん海底かいていふかくして、いかりたうずることもかなはねば、あだか小山こやま動搖ゆるぐがごとく、みぎひだり漂蕩へうたうしてる。この軍艦ふね排水はいすい噸數とんすう二千七百ばかり、二本にほん烟筒ゑんとうきはめて壯麗さうれいなる裝甲巡洋艦さうかうじゆんやうかんである。いましも波浪なみまれて、此方こなたまはりしその艦尾かんびには、赫々かく/\たる日輪にちりんてらされて「日の出」の三あざやかにまれた。軍艦ぐんかん! 軍艦ぐんかん! とわたくし何故なぜともなく二くちうち繰返くりかへうちに、端艇たんていはだん/\と本艦ほんかんちかくなる。軍艦ぐんかん」の甲板かんぱんでは、後部艦橋こうぶかんけうのほとりより軍艦旗ぐんかんきひるがへ船尾せんびいたるまで、おほくの乘組のりくみは、れつたゞして、わが端艇たんてい歸艦きかんむかへてる。
やが本艦ほんかん間際まぎはになつたが、うみ盤水ばんすいうごかすがごとく、二千七百とん巨艦きよかんゆらり/\とたかく、ひくく、端艇たんていあきのごとく波浪なみをどつて、とて左舷々梯さげんげんてい寄着よりつこと出來できない。水煙すいゑんぶ、逆浪さかなみ打込うちこむ、見上みあぐる舷門げんもんほとり、「ブルワーク」のほとり、士官しくわん水兵すいへいしきりにさけんで、艇尾ていび大尉たいゐラタくだけんばかりににぎめて、奈落ならくち、天空てんくうひ、てい幾度いくたびかん水線甲帶すいせんかうたいくだけんとしたが、やうやくのこと起重機きぢゆうきをもつて、我等われら餘人よにんれるまゝ端艇たんていが「」の甲板かんぱん引揚ひきあげられたときには、はじめてホツ一息ひといきついたよ。本艦ほんかん一令いちれいした推進螺旋スクルーなみつて進航しんかうはじめた。規律きりつたゞしき軍艦ぐんかん甲板かんぱん、かゝる活劇さわぎあひだでもけつしてその態度たいどみだやうことはない。
輕氣球けいきゝゆう天空てんくうよりちた。本艦ほんかんより端艇たんていおろした。すくげたる二個ふたりひと日本人につぽんじんである。一人ひとり冐險家ぼうけんからしい年少ねんせう紳士ゼントルマン一人ひとり海軍かいぐん兵曹へいそうである。いぶかしや、何故なにゆゑぞ。』と、このうはさはやくも軍艦ぐんかん」の全體ぜんたいつたはつたが、れもその本分ほんぶんわすれて「どれ、どんなをとこだ」などゝ、我等われらそばんでやう不規律ふきりつことすこしもく。機關兵きくわんへい機關室きくわんしつまもり、信號兵しんがうへい戰鬪樓せんとうらうち、一とう、二とう、三とう水兵等すいへいら士官しくわん指揮しきしたに、いま引揚ひきあげた端艇たんていをさめつゝ。たゞ公務こうむ餘暇よかある一團いちだん士官しくわん水兵等すいへいら吾等われらある船室せんしつみちびき、れたる衣服きものがせ、あたらしき衣服ゐふくあたへ、なかにも機轉きてんよき一士官しくわん興奮こうふんためにと、いそぎ「ブランデー」の一ぱいをさへめぐんでれた。じつその軍律ぐんりつ嚴然げんぜんたるは今更いまさらながら感嘆かんたんほかいのである。
此時このときさき端艇たんてい指揮しきして、吾等われら兩人りやうにんすくげてれた、いさましき虎髯大尉こぜんたいゐは、武村兵曹たけむらへいそうわたくしやうや平常へいじやうふくした顏色かほいろて、ツトすゝめた、微笑びせううかべながら
兩君りようくん! 君等きみら幸運かううんしゆくします。』とつたまゝ、かうべめぐらして左右さいう顧見かへりみときたちまち、かん後部艦橋こうぶかんけうくだつて、歩調ほちようゆたかに吾等われらかたあゆんで一個いつこ海軍大佐かいぐんたいさがあつた。風采ふうさい端然たんぜん威風ゐふう凛々りん/\までもない、本艦ほんかん艦長かんちやうである。
艦長かんちやうすで虎髯大尉こぜんたいゐよりの報告ほうこくによつて、輕氣球けいきゝゆうとも落下らくかした吾等われら二人ふたり日本人につぽんじんであることも、一人ひとり冐險家ぼうけんからしい紳士しんしふうで、一人ひとりおな海軍かいぐん兵曹へいそうであることしつつたとえ、いま吾等われらまへつて、武村兵曹たけむらへいそうわたくしとのかほながめたが、左迄さまでおどろいろがない、目禮もくれいをもつてかたはら倚子ゐすこしけ、鼻髯びぜんひねつてしづかに此方こなた向直むきなをつた。
兵曹へいそうわたくしとは、うや/\しく敬禮けいれいほどこしつゝ、ふと其人そのひとかほながめたが、あゝ、この艦長かんちやう眼元めもと――その口元くちもと――わたくしかつ記臆きおくせし、誰人たれかのなつかしいかほに、よくも/\ことおもつたが、咄嗟とつさきふにはおもうかばなかつた。なにもあれ、いま、かくこゝろ落付おちついてると、今度こんど吾等われらこの大危難だいきなんをば、おな日本人につぽんじんの――しかも忠勇ちうゆう義烈ぎれつなる帝國海軍々人ていこくかいぐんぐんじんによつてすくはれたのは、じつ吾等われら兩人りようにん幸福こうふくのみではない、てんいまやかの朝日島あさひたうくるしめる櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ誠忠せいちうをばつひ見捨みすてなかつたかと、兩人ふたり不測そゞろ感涙かんるいながるゝやうおぼえて、わたくし垂頭うつむき、武村兵曹たけむらへいそうかほ横向よこむけると、此時このとき吾等われらかたはらに、なに艦長かんちやうめいかんとて、姿勢しせいたゞしててる三四めい水兵すいへいは、先刻せんこくより熱心ねつしん武村兵曹たけむらへいそうかほ見詰みつめてつたが、そのうち一名いちめい一歩いつぽすゝでゝ、うや/\しく虎髯大尉こぜんたいゐ艦長かんちやうとにむかひ、意味いみあり
閣下かくかわたくしこの兵曹へいそう一言いちごんはなしたうござります。』とふ。
『よろしい。』と艦長かんちやう許可ゆるして、水兵すいへいはやをら武村兵曹たけむらへいそうまなこてん
久濶ひさしや、兵曹へいそう足下おまへ本國ほんごく名高なだか櫻木海軍大佐閣下さくらぎかいぐんたいさかくか部下ぶか武村兵曹たけむらへいそうではないか。』とひかけた。武村兵曹たけむらへいそうへば快活くわいくわつことと、それから砲術ほうじゆつたくみことと、また腕力わんりよく馬鹿ばかつよこととで、日本海軍につぽんかいぐん水兵仲間すいへいなかまにはすくなからずかほれてつたをとこなので、いまはからずも、天涯てんがい萬里ばんりこの帝國軍艦ていこくぐんかん艦上かんじやうにて、昔馴染むかしなじみ水兵等すいへいら對面たいめんしたものとえる。
兵曹へいそうおどろいて見張みは
『おゝ、乃公おれ如何いかにも櫻木大佐閣下さくらぎたいさかくか部下ぶかなる武村新八郎たけむらしんぱちらうだ。』とひながら、ひたひたゝいて
まない、すつかりわすれた、足下おまへだれだつたかな。』
もと高雄艦長たかをかんちやういま軍艦ぐんかん」の艦長かんちやう松島海軍大佐閣下かいぐんたいさかくか部下ぶか信號兵しんがうへいだよ。』と、水兵すいへいひざすゝませ
いま松島海軍大佐閣下まつしまかいぐんたいさかくかは、英國エイこくテームス河口かこう造船所ざうせんじよから、新造軍艦しんざうぐんかん」の廻航中くわいかうちうで、本艦ほんかん昨曉さくげうアデン海口かいこうで、いましも此印度洋進航しんかうしてると、丁度ちやうど輕氣球けいきゝゆう天上てんじやうからちてたので、いそたすけてたら足下等そくからだ、じつ不思議ふしぎゑんではないか。』とかたをはつて一歩いつぽ退しりぞいた。
この一言いちごん! こゝろなきひといたらなんでもなからうが、わたくし武村兵曹たけむらへいそうとはおもはずかほ見合みあはして莞爾につことしたよ。
第一だいいち喜悦よろこびは、先刻せんこく輕氣球けいきゝゆううへうたがつたやうに、いまいままで、我等われらうかべるこの太洋たいやうは、大西洋たいせいやう[#「大西洋たいせいやうか」は底本では「太西洋たいせいやうか」]、はたアラビアンかいかもわからなかつたのが、只今たゞいま水兵すいへいことばで、矢張やはりわたくしおもつたどうり、このうみは、我等われら兩人りようにん目指めざコロンボにも、また櫻木海軍大佐等さくらぎかいぐんたいさら再會さいくわいすべきはづ橄欖島かんらんたうにも左迄さまではとほくない印度洋インドやうちうであつたことと。今一いまひと[#ルビの「いまひと」は底本では「いまいと」]つ、わたくし松島海軍大佐かいぐんたいさなる姓名せいめいみゝにして、たちま小膝こひざをポンとたゝいたよ。讀者どくしや諸君しよくん! 松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさとはたれであらう?
わたくしこの大佐たいさとはかつ面會めんくわいしたこといが、かね櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさとは無二むに親友しんいうで、また、わたくしためには終世しゆうせいわするゝこと出來できない、かの春枝夫人はるえふじん令兄れいけい――日出雄少年ひでをせうねんためには叔父君おぢぎみあたつてひといまから足掛あしかけ四ねん以前いぜんに、わたくし親友しんゆう濱島武文はまじまたけぶみつまなる春枝夫人はるえふじんが、本國ほんごく令兄れいけい松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさ病床やまひはんがめに、その良君をつとわかれ、愛兒あいじ日出雄少年ひでをせうねんともなふて、伊太利イタリーくに子ープルスかうはつし、わたくしおな※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)ふねで、はる/″\日本につぽん歸國きこく途中とちう暗黒あんこくなる印度洋インドやう眞中たゞなかおそ海賊船かいぞくせん襲撃しふげきひ、不運ふうんなる弦月丸げんげつまる沈沒ちんぼつともに、夫人ふじん生死せいしわたくしにはわからぬ次第しだいだが、一時いちじやまひめに待命中たいめいちういたその大佐たいさが、いまかへつ健康すこやかに、このあたらしき軍艦ぐんかん」の廻航中くわいかうちうとか――さては、とわたくしたちまおもあたつたのでわる。先刻せんこく一目ひとめ誰人たれかにるとおもつたのはそのはづよ、たれあらう、この艦長かんちやうこそ、春枝夫人はるえふじん令兄れいけい日出雄少年ひでをせうねん叔父君おぢぎみなる松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさであつたのかと。そゞろにゆかしく、なつかしく、まなこげて、目前もくぜん端然たんぜんたる松島大佐まつしまたいさおもてながめると、松島大佐まつしまたいさ意味ゐみありに、わたくし武村兵曹たけむらへいそうかほとをくらべたが、れい虎髯大尉こぜんたいゐ一寸ちよいとかほ見合みあはせて、言葉ことばしづかにひかけた。わたくしむか
貴君きくんいま本艦ほんかん水兵すいへい貴君きくん同伴者どうはんしやなる武村兵曹たけむらへいそうとの談話だんわによると、貴君等きくんらは、もつと親密しんみつなる海軍大佐櫻木重雄君かいぐんたいささくらぎしげをくん縁故えんこひとやうおもはれるが、はたして左樣さうですか。』といひかけ、うなづくわたくしかほ打守うちまもりて、きつおもてあらため
じつ先刻せんこく貴君等きくんら不思議ふしぎにも大輕氣球だいけいきゝゆうともこの印度洋インドやう波上はじやう落下らくかしたといたときから、わたくしこゝろある想像さうざうえがいてるのです。想像さうざうとはほかでもない、貴君等きくんらはたして親愛しんあいなる櫻木君さくらぎくん縁故えんこひとならば、今度こんどこの不思議ふしぎなる出來事できごとも、あるひ櫻木大佐さくらぎたいさ運命うんめいある關係くわんけいいうしてるのではあるまいかと。わたくし櫻木君さくらぎくん大望たいまうをばよくつてります。また、かれが、ひとらないこの印度洋インドやうちういつ孤島こたうに、三十有餘名いうよめい水兵すいへいともに、ひそめて次第しだいをもよくぞんじてります。五年ごねんまへかれ横須賀よこすか軍港ぐんかうおいなが袂別わかれわたくしぐるときかれ决然けつぜんたる顏色がんしよくもつつたです「いまより五ねんのちには、かなら一大いちだい功績こうせきてゝ、きみ再會さいくわいすること出來できるだらう」と。それから五ねん星霜せいさう※去すぎさ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、320-8]つたが、かれ消息せうそくすこしもきこえません、其間そのあひだわたくし一日いちにちでもかれ健康けんこうと、かれ大事業だいじげふ成功せいこうとをいのらぬときはないのです。あゝ、櫻木君さくらぎくんつひその大目的だいもくてきたつしましたらうか。かれ潜心苦慮せんしんくりよせる大軍器だいぐんきつひ首尾しゆびよく竣成しゆんせいしましたらうか。』とひながら、こゑしづまし
『けれど、わたくしいまときならぬ輕氣球けいきゝゆうこの印度洋上インドやうじやうみとめ、ことその乘組人のりくみにん一人ひとり櫻木大佐さくらぎたいさ片腕かたうではれた武村兵曹たけむらへいそうであつたのでかんがへると、いま孤島こたう櫻木君さくらぎくん身邊しんぺんには、なに非常ひじやう異變ゐへんおこつて、其爲そのため貴君等きくんら兩人りやうにん大佐たいさ袂別わかれげ、一だい使命しめいびてこの空中くうちう飛行ひかうしてたのではありませんか。』とじつ吾等われら兩人りようにん見詰みつめた。
其事そのこと! じつ御明察ごめいさつとうりです。』とわたくしはツトすゝめた。武村兵曹たけむらへいそうむねをうつて
艦長閣下かんちやうかくかじつ容易ようゐならぬ事變じへん大佐閣下たいさかくかうへおこりました。』と、それより、兵曹へいそうわたくしとは迭代かたみがはりに、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ海底戰鬪艇かいていせんとうていことその大成功だいせいこう實情ありさまおよび二ぐわつ十一にち夜半やはん大佐たいさこうまさ朝日島あさひじま出發しゆつぱつせんとする瞬時わづかまへ震天動地しんてんどうち大海嘯おほつなみために、秘密造船所ひみつざうせんじよ倉庫さうこくだけて、十二のたる流失りうしつしたことから、つひ今回こんくわい大使命だいしめい立到たちいたつたまで大略あらまし
大佐閣下たいさかくかよ、されば吾等われら兩名りようめいいまよりいそ印度國インドこくコロンボみなといたり、十二しゆ秘密藥液ひみつやくえき凖備とゝのへて、本月ほんげつ二十五にち拂曉ふつげうまでには、電光艇でんくわうてい待合まちあはすべきはづ橄欖島かんらんたうまでおもむかねばなりません。』とかたをはると、水兵等すいへいら驚嘆きやうたんかほ見合みあはせ、勇烈ゆうれつなる虎髯大尉こぜんたいゐは、よろこおどろきの叫聲さけびをもつて倚子ゐすよりちて、松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさおもてると、松島大佐まつしまたいさにぎれる軍刀ぐんたうつか[#「革+巴」、322-7]くだくるをもおぼえぬまで、滿足まんぞく熱心ねつしんとのいろをもつて、きつおもて
くわいなるかな櫻木君さくらぎくん海底戰鬪艇かいていせんとうていつひ竣工しゆんこうしましたか。』と、暫時しばしげんもなく、東天とうてん一方いつぽうながめたが、たちま腕拱うでこまぬき
『して、櫻木君さくらぎくん一行いつかう意外ゐぐわい天變てんぺんのために、きたる二十五にち拂曉ふつげう橄欖島かんらんたう附近ふきんにて貴下等きから應援おうえんつのですか、よろしい、うけたまはる以上いじやう最早もはや憂慮いうりよするにはおよびません。日本帝國につぽんていこくのため、帝國海軍ていこくかいぐんのため、また櫻木大佐さくらぎたいさ光譽くわうよのために、我等われら全力ぜんりよくつくして電光艇でんくわうてい應援おうえんおもむきませう。』とつてかたはらなる卓上たくじやう一面いちめん海圖かいづ押擴おしひろげ、つぶさに緯度ゐどはかりつゝ
此處こゝからもつと便宜べんぎなる、またもつとちか貿易港ぼうえきかう矢張やはり印度國インドこくコロンボみなとで、海上かいじやう大約おほよそ千二百マイル、それより橄欖島かんらんたうまでは千五百マイルじやく、されば、本艦ほんかん明後晩めうごばんコロンボいかりとうじ、電光艇でんくわうてい必要ひつえうなる十二の秘密藥液ひみつやくえき凖備じゆんびして、たゞちに暗號電報あんがうでんぽうをもつて本國ほんごく政府せいふ許可きよかけ、全速力ぜんそくりよくをもつて橄欖島かんらんたうむかこと出來できます、さらば!。』とばかりかたばら虎髯大尉こぜんたいゐむかひ、
轟大尉とゞろきたいゐ! 本艦ほんかん全速力ぜんそくりよく方向ほうかう矢張やはりコロンボかうみぎ號令がうれいつたへてください※[#感嘆符三つ、323-12]。』
虎髯大尉こぜんたいゐ本名ほんめい轟大尉とゞろきたいゐであつた。『だく。』とこたえたまゝ、ひるがへして前甲板ぜんかんぱんかたはしつた。
松島大佐まつしまたいさふたゝ海圖かいづめんむかつた。
此時このとき中部甲板ちうぶかんぱんには、午前ごぜん十一ほうずる六點鐘ろくてんしやう、カヽン! カヽン! カヽン! カヽン! カヽン! カヽン!
武村兵曹たけむらへいそうわたくしとは、じつ双肩さうけん重荷おもにおろしたやう心地こゝちがしたのである。じつに、※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)うれしい、※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)うれしい、※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)うれしい。
この※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)うれしいとき――すでに大使命だいしめいをばかたをはつたるいま一個人わたくしことではあるが、わたくし松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさむかつて、ひもし、かたりもしたきこと澤山たくさんある。大佐たいさ令妹れいまい春枝夫人はるえふじん安否あんぴ――その良君をつと濱島武文はまじまたけぶみ消息せうそく――それよりさきわたくしからかたらねばならぬのは(大佐たいさ屹度きつとんだとおもつてるだらう)※去くわこ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、324-12]ねんあひだわたくしとも朝日島あさひじまつきながめて、いま健康すこやかかれをいなる日出雄少年ひでをせうねん消息せうそくである。
わたくし幾度いくたびくちひらきかけたが、此時このとき大佐たいさ顏色がんしよくは、わたくし突然にはか此事このことねたほど海圖かいづむかつて熱心ねつしんに、やが櫻木大佐さくらぎたいさと、その海底戰鬪艇かいていせんとうていのにあひふべきはづの、橄欖島かんらんたう附近ふきん地勢ちせい海深等かいしんとう調しらぶるに餘念よねんもなかつた。
暫時ざんじ船室せんしつないしんとなる。
室外しつぐわいにはげんくだくるなみおと檣頭しやうとうはしかぜこゑ艦橋ブリツヂひゞ士官しくわん號令がうれい
わたくし何氣なにげなく倚子ゐすよりはなれて、檣樓しやうらうに、露砲塔ろほうたふに、戰鬪樓せんとうらうに、士官しくわん水兵すいへい活動はたらき目醒めざましき甲板かんぱんながめたが、たちま電氣でんきたれしごと躍上をどりあがつたよ。いましも、後部甲板こうぶかんぱん昇降口しやうかうぐちよりあらはれて、一群いちぐん肩章けんしやうなみたせたる年少ねんせう士官等しくわんらかたりながら、しづかに此方こなたかゝる二個ふたりひと――軍艦々上ぐんかん/\じやうにはめづらしき平服へいふく姿すがた一個ひとり威風堂々ゐふうどう/\たる肥滿ひまん紳士しんし一個ひとり天女てんによごと絶世ぜつせ佳人かじん! たれらん、この二人ふたりは、四ねん以前いぜんネープルスわかれた濱島武文はまじまたけぶみと、いま此世このよひととのみおもつてつたかれつま――松島大佐まつしまたいさ令妹れいまい――日出雄少年ひでをせうねん母君はゝぎみなる春枝夫人はるえふじんであつた。
いそ押拭おしぬぐつてたが、矢張やはり其人そのひと[#感嘆符三つ、326-6]
わたくし狂喜きやうきのあまり、唐突いきなり武村兵曹たけむらへいそうくびけて
兵曹へいそう! あれをよ/\、濱島君はまじまくんに、春枝夫人はるえふじん!。』とさけぶと、不意ふゐおどろいたる武村兵曹たけむらへいそう
『ど、ど、ど、何處どこに! どのひとが?。』と伸上のびあがる。
側面そくめん卓上たくじやうにあつて、この有樣ありさまみとめたる松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさ不審ふしんまゆ
『いぶかしや、貴君きくん何人なにびとなれば[#「何人なにびとなれば」は底本では「何人なにびとなれは」]濱島武文はまじまたけぶみ春枝はるえとを御在ごぞんじですか。』
わたくしはツトした
わたくしこそ、四年よねんまへに、春枝夫人はるえふじん弦月丸げんげつまる沈沒ちんぼつわかれた柳川やながはです。』
松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさ端然たんぜんたる顏色がんしよくかすかうごいて
『では、貴君きくんは、しやおい日出雄少年ひでをせうねん安否あんぴを――。』とひかけて、いそ艦尾かんびなる濱島武文はまじまたけぶみ春枝夫人はるえふじんとにひとみうつすと、彼方かなた二人ふたりたちまわたくし姿すがた見付みつけた。春枝夫人はるえふじんうるはしきかほは『あら。』とばつかり、その良君おつと顧見かへりみる。わたくし彼方かなたへ! 彼方かなた此方こなたへ! まろぶがごとく※[#感嘆符三つ、327-11]

    第二十七回 艦長室かんちやうしつ
鼻髯を捻つた――夢では[#「夢では」は底本では「夢でば」]ありますまいか――私は何より※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)しい――大分色は黒くなりましたよ、はい――今度は貴女の順番――四年前の話
 たかく、かぜすゞしき軍艦ぐんかん」の艦上かんじやう縱帆架ガーフには帝國軍艦旗ていこくぐんかんきひ、「ブルワーク」のほとりには克砲クルツプほう俄砲ガツトリングほう、四十七ミリ速射砲そくしやほう砲門ほうもんをならべ、とほ一碧いつぺき水天すいてんのぞみ、ちか破浪はらうおときつゝ、たえひさしきかほかほとは艦長室かんちやうしつうるはしき長倚子ながゐすつてむかつた。
濱島武文はまじまたけぶみ言葉ことばもなくわたくしにぎつた。
春枝夫人はるえふじん
『あゝ、柳川やながはさん、わたくしは、貴方あなた此世このよ御目おめからうとは――。』とつたまゝ、そのうるはしきかほわたくし身邊しんぺん見廻みまはした。
武村兵曹たけむらへいそうわたくし横側よこて五里霧中ごりむちうかほ
艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいさ春枝夫人はるえふじんげんをばうばふがごとくわたくしむか
『して、日出雄少年ひでをせうねん[#ルビの「ひでをせうねん」は底本では「びでをせうねん」]は――安全あんぜんですか――それとも――。』
わたくし欣然きんぜんとしてさけんだ。
『おゝ、松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさよ、濱島武文君はまじまたけぶみくんよ、春枝夫人はるえふじんよ、貴方等あなたがた喜悦よろこびにまで、少年せうねん無事ぶじです、無事ぶじです※[#感嘆符三つ、329-6]。』
松島大佐まつしまたいさ濱島武文はまじまたけぶみとははしたやう喜色えみうかべて鼻髯びぜんひねつた。春枝夫人はるえふじん流石さすが女性によしようつね
『あゝ、ゆめではありますまいか、これゆめでなかつたら、どんなにうれしいんでせう。』と、とゞかねたる喜悦よろこびなみだソツ紅絹くれない手巾ハンカチーフ押拭おしぬぐふ。
ゆめぢやありませんとも/\。』と武骨ぶこつなる武村兵曹たけむらへいそうは、此時このときヒヨツコリとかほ突出つきだした。
貴夫人きふじん! んでゆめだなんぞとつしやる。あの可憐かれんなる日出雄少年ひでをせうねんは、いま敬愛けいあいする櫻木海軍大佐閣下さくらぎかいぐんたいさかくかとも朝日島あさひじま元氣げんきよく、今頃いまごろ屹度きつとれい可愛かあいらしい樣子やうすで、水兵すいへいどもや、愛犬あいけん稻妻いなづまなんかと、海岸かいがんいわうへから、はるかに日本につぽんそらながめて、はや孤島こたう出發しゆつぱつして、一日いちにちすみやかに貴方等あなたがた再會さいくわいしたいと待望まちのぞんでことでせう。』とさけぶ。
貴方あなたは――。』と二人ふたりまなこなつかしさう武村兵曹たけむらへいそううへてんじた。
此人このひと武村兵曹たけむらへいそうとて、吾等われら三年さんねんあひだ孤島こたう生活中せいくわつちう日出雄少年ひでをせうねんとはきはめてなかのよかつた一人ひとりです。』とわたくしかれ二人ふたり紹介ひきあはせて、それより武村兵曹たけむらへいそうわたくしとはかはる/″\、朝日島あさひじま漂流へうりう次第しだい稀世きせい海底戰鬪艇かいていせんとうていこと孤島こたう生活中せいくわつちう有樣ありさま、それから四年よねん以前いぜんには、穉氣あどけなく母君はゝぎみわかれたりし日出雄少年ひでをせうねんいまおほきくなりて、三年さんねんあひだ智勇ちゆう絶倫ぜつりん櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ愛育あいいくしたに、なにからなにまで、父君ちゝぎみかつのぞめるごと海軍々人かいぐんぐんじんふう[#ルビの「ふう」は底本では「ぶう」]男兒をのことなりて、毎日まいにち/\かしこく、いさましく、おくつて有樣ありさまをばごとくにかたり、大佐たいさよ、濱島君はまじまくんよ、春枝夫人はるえふじんよ、されば吾等われらいま天運てんうんひらけて、とほからず非常ひじやうよろこびにくわいするときつばかりです。とかたをはると、三人みたりあるひおどろあるひはよろこび。大佐たいさ相變あひかはらず鼻髯びぜんひねりつゝ。豪壯がうさうなる濱島武文はまじまたけぶみむねたゝいて
わたくしなによりもうれしい。弦月丸げんげつまる沈沒ちんぼつは、日出雄ひでをためには、むし幸福かうふくであつたかもれません。いまかれ當世たうせいかくれもき、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさから、くも懇篤こんとくなる薫陶くんとうけて生長せいちやうしたことは、世界せかい第一だいいち學校がくかう卒業そつげふしたよりも、わたくしためには※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)うれしいです。』
春枝夫人はるえふじんつゝねたる喜悦よろこびこゑ
皆樣みなさまは、其樣そんなにあの可愛かあいがつてくださつたのですか。わたくしなん御禮おれい言葉ことばもございません[#「ございません」は底本では「こざいません」]。』とゆきのやうなるほう微※えくぼ[#「渦」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、332-3]なみたゝえて
『そして、あのはもう其樣そんなおほきくなりまして。』
おほきくなりましただんか。近々きん/\橄欖島かんらんたうでおひになつたら、そりや喫驚びつくりなさる』とまた兵曹へいそうした。
『あら。』
『そればかりか、少年せうねん活溌くわつぱつことツたらはなしになりませんよ。獅子狩しゝがりもやります、相撲すまふります。よわ水兵すいへいなんかはかされます。』とかれ至極しごく眞面目まじめ
しかし、其代そのかはり、大分だいぶんいろくろくなりましたよ。はい。』
『おほゝゝゝ。』と春枝夫人はるえふじん半顏はんがんおほふて
其樣そんなくろくなりましたの、まア。』
『イヤ、中黒ちうぐろです。』と滑※こつけい[#「(禾+尤)/上/日」、333-3]なる兵曹へいそう一言いちごんに、大佐たいさも、濱島はまじまも、わたくし大聲おほごゑわらくづるゝとき春枝夫人はるえふじんやさしいは、はるか/\のみなみほうみづそらとをなつかしさうながめてつた。
其時そのときわたくしひざすゝめて
今迄いまゝで吾等われら經歴けいれきをのみかたつたが、サア今度こんどは、貴方等あなたがたのおこたへ順番じゆんばんですよ。』と春枝夫人はるえふじんむか
夫人おくさん! 先刻せんこく貴女あなた左樣さうつしやいましたねえ。わたくし眞個ほんたうに、此世このよでまた貴女あなたにおにかゝらうとはおもまうけませんでした、じつ不思議ふしぎですよ、一體いつたいあのとき如何どうして御助命おたすかりになりました。』とくちつて
回想くわいさうすればいまから四ねんまへわたくし日出雄少年ひでをせうねんいだいて、弦月丸げんげつまる沈沒ちんぼつともに、海中かいちう飛込とびこんだとき二度にど三度さんど貴女あなたのおをおもうしたが、きこゆるものは、かぜおとと、なみひゞきばかり、イヤ、たゞ一度いちどかすかに/\、おこたへのあつたやうにもおもはれたが、それもこゝろまよひしんじて、其後そのゝち朝日島あさひじま漂着へうちやくして、あるとき櫻木大佐さくらぎたいさ此事このことかたつたとき大佐たいさ貴女あなた運命うんめいぼくして、夫人ふじん屹度きつと無事ぶじであらうとはれたにかゝはらず、日出雄少年ひでをせうねんも、わたくしも、最早もはや貴女あなたとは、現世このよでおかゝこと出來できまいとばかり斷念だんねんしてりましたに。』
春枝夫人はるえふじんは、四年よねん以前いぜんおそろしき光景くわうけい回想くわいさうして
『あゝ、あのときは、眞個ほんたう物凄ものすご御坐ございましたねえ。轟然がうぜんたるひゞきともに、弦月丸げんげつまる沈沒ちんぼつして、わたくし一時いちじ逆卷さかま波間なみますうしやくふかしづみましたが、ふたゝ海面かいめんうかあがつたとき丁度ちやうど貴方あなたのおこゑで、わたくしをおびになるのがきこえました。わたくしは、一たび、二たび、おこたまうしましたが、四邊あたりしんやみで、何處どこともわからず、其儘そのまゝながいおわかれになりました。さひはひ、沈沒ちんぼつ間際まぎわに、貴方あなたげてくださつた浮標うきにすがつて、なみのまに/\たゞよつてうちその翌朝よくあさになつてると、漫々まん/\たる大海原おほうなばらはる彼方かなたに、昨夜さくや海賊船かいぞくせんらしい一艘いつそうふねが、しきりに潜水器せんすいきしづめてるのがえましたが、其時そのとき丁度ちやうどとうりかゝつた英國エイこく郵便船いうびんせんすくはれて、めぐりめぐつて、ふたゝネープルスいへかへつたのは、それから一月ひとつきほどすぎ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、335-8]てのことでした。』
夫人ふじん一息ひといきつきて
わたくし子ープルスいへかへつて、なみだながらに良人をつと濱島はまじま再會さいくわいしたときには、弦月丸げんげつまる沈沒ちんぼつうわさ大層たいそうでした。何事なにごと天命てんめいあきらめても、本當ほんたうかなしう御坐ござんしたよ。いろ/\のうわさくにつけ、最早もはや貴方あなたも、日出雄ひでをも、まつたひととのみおもさだめ、また、一方いつぽうには、本國ほんごくあにやまひおもわずらつてりましたが、さひはひ、あにやまひはだん/″\と快方くわいほうよし其後そのご便船びんせん通知つうちまいりましたので、そのほうやうやむねでおろし、日本につぽんかへこと其儘そのまゝおもとゞまつたのです。それから四年※よねんす[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、336-4]ぎてのいまはからずも貴方あなた再會さいくわいして、いろ/\のおはなしうかゞつてると、まるでゆめのやうで、霖雨ながあめのち天日てんじつはいするよりもうれしく、たゞ/\てん感謝かんしやするのほかはありません。はい、あに病氣びやうきは、わたくし子ープルスかへつてから、三月みつきほどすぎ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、336-8]て、名殘なごりなく全快ぜんくわいして、いま人一倍ひといちばい健全すこやかに、英國エイこくから新造軍艦しんざうぐんかん廻航中くわいかうちうこの」につてこと貴方あなた御覽ごらんとうりです。』とかたをはつて令兄れいけいなる大佐たいさ良君をつと武文たけぶみとのかほ婉然にこやかた。

    第二十八回 紀念軍艦きねんぐんかん
帝國軍艦「日の出」――此虎髯が御話申す――テームス造船所の製造――「明石」に髣髴たる巡洋艦――人間萬事天意のまゝ
 松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさあひかはらず鼻髯びぜんひねりつゝ、面白相おもしろさう我等われら談話だんわいてる。
濱島武文はまじまたけぶみ春枝夫人はるえふじんいでくちひらいた。
春枝はるえ大分だいぶん愚痴ぐちます。をんなはあれだからいかんです。はゝゝゝゝ。けれどわたくしも、弦月丸げんげつまる沈沒ちんぼつみゝにしたときにはじつおどろきました。春枝はるえけは其後そのご無事ぶじかへつてたものゝ、きみ行衞ゆくゑれず、わたくしかねてより、有爲りつぱ帝國海軍々人ていこくかいぐんぐんじん養成やうせいして、くにさゝげんとこゝろたのしんでつた日出雄ひでをは、きみともに、印度洋インドやう藻屑もくづえてしまつたと斷念だんねんしたときには、じつくよりつらかつたです。』といひけて、かれたちまこゑたかわら
『ほー。わたくしまで愚痴ぐちた。イヤ、愚痴ぐちでない。實際じつさい失望落膽しつぼうらくたんしたです。其頃そのころ歐羅巴エウロツパしよ新聞しんぶんふでそろへて、弦月丸げんげつまる遭難さうなん詳報しやうほうし、かの臆病をくびやうなる船長等せんちやうら振舞ふるまひをばいた攻撃こうげきするとともに『日本人につぽんじんたましひ。』なんかと標題みだしいて、君等きみら其時そのとき擧動ふるまひ賞讃しようさんするのをるにつけても、じつ斷膓だんちやうねんえなかつたです――なに、あの卑劣ひれつなる船長等せんちやうら如何どうしたとはるゝか。左樣さやうさ、一旦いつたん無事ぶじ本國ほんごくかへつてたが、法律ほふりつと、社會しやくわい制裁せいさいとはゆるさない、嚴罰げんばつかうむつて、ひどつて、何處いづくへか失奔しつぽんしてしまいましたよ。』
愉快ゆくわいだ! 愉快ゆくわいだ!。』と武村兵曹たけむらへいそう不意ふゐさけんだ。
わたくし失笑しつせうしながらとひをつゞけて
濱島君はまじまくん、して、其後そのゝちきみも、夫人おくさんも、引續ひきつゞいてネープルスかうにのみお在留いででしたか。いままたこの軍艦ぐんかん[#ルビの「ぐんかん」は底本では「ぐんがん」]便乘びんじようして日本につぽんへお歸國かへりになるのは如何どういう次第しだいです。』とむねいて
『ちと想像さうぞうすぎ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、339-3]るかもれないが、わたくし先刻せんこくからかんがへてつたのです。いまこの新造巡洋艦しんざうじゆんやうかんきみ愛兒あいじ日出雄少年ひでをせうねんなにかの因縁ゐんねんあるごとく「」と命名めいめいされてるのはなにふか仔細しさいのあるではありませんか。』
其事そのことこの虎髯ひげがおはなしもうすのが順當じゆんたうでせう。』と不意ふゐ室内しつない飛込とびこんでたのは、れい磊落らいらくなる虎髯大尉こぜんたいゐ本名ほんめい轟大尉とゞろきたいゐであつた。艦長松島大佐かんちやうまつしまたいさむかつて、何事なにごとをか二言ふたこと三言みこと公務こうむ報告ほうこくをはつてのちわたくしほう向直むきなをつた。快活くわいくわつ調子ちようし
貴君きくん! この新造巡洋艦しんざうじゆんやうかんに「」と命名めいめいされたのはまつたきみ想像さうざうごと日出雄少年ひでをせうねん紀念きねんためつてもよいのです。左樣さうばかりではおわかりになるまい、濱島氏はまじましきみ御存ごぞんじのとうり、日出雄少年ひでをせうねんをば有爲りつぱ海軍々人かいぐん/″\じん養成やうせいして、日本帝國につぽんていこく干城まもりにと、かねての志望こゝろざしであつたのが、弦月丸げんげつまる沈沒ちんぼつともに、まつた水泡すいほうしたとおもはれたので、いまは、その愛兒あいじをばくにさゝぐること出來できかはりに、せめては一艘いつそう軍艦ぐんかん獻納けんなうして、くにつく日頃ひごろこゝろざしげんものと、その財産ざいさん一半いつぱんき、三年さんねん日月じつげつて、英國エイこくテームス造船所ざうせんじよ竣成しゆんせいしたのが、この軍艦ぐんかん」です。この軍艦ぐんかん最新式さいしんしきの三とう巡洋艦じゆんやうかんで、排水量はいすいりよう二千八百とん速力そくりよく二十三ノツト帝國軍艦ていこくぐんかん明石あかし」に髣髴ほうふつたるふねだが、もつと速力そくりよくはやい、防禦甲板ぼうぎよかんぱん平坦部へいたんぶ二十ミリ傾斜部けいしやぶ五十三ミリ砲門ほうもんは八インチ速射砲そくしやほうもん、十二サンチ速射砲そくしやほうもん、四十七ミリ速射砲そくしやほう十二もん機關砲きくわんほうもんあるです。日本政府につぽんせいふこゝろよ濱島氏はまじましこゝろざしれ、海軍部内かいぐんぶないでは、特別とくべつ詮議せんぎがあつて、たゞちに松島大佐閣下まつしまたいさかくか回航委員長くわいかうゐゐんちやうにんあたこととなり、いま大佐たいさ本艦々長ほんかん/\ちやう資格しかくをもつて日本につぽん廻航中くわいかうちう濱島氏夫妻はまじましふさいは、この軍艦ぐんかん獻納者けんなうしやであれば、本艦ほんかん引渡ひきわたしの儀式ぎしきためと、ひとつには、最早もはや異境ゐきやうそら飽果あきはてたればこれよりは、やまうるはしく、みづきよ日本につぽんかへらんと、子ープルスかうから本艦ほんかん便乘びんじやうした次第しだいです。』とかたりかけて、轟大尉とゞろきたいゐ虎髯こぜんぎやくねじりつゝ
軍艦ぐんかん! このたしかに、日出雄少年ひでをせうねんある關係くわんけいつてるとしんじます。しかし、濱島氏はまじましけつして虚名きよめいむさぼひとでない、このかれもとめたではいのです、すべて本國はんごく政府せいふ任意にんゐさだめたことで、軍艦命名式ぐんかんめいめいしき嚴肅げんしゆくなる順序じゆんじよくだされたのが「」の三です。けれどわたくしは、この日出雄少年ひでをせうねんとの符合ふがふをば、けつして偶然ぐうぜんこととはおもひません。』
無論むろん偶然ぐうぜん符合ふがふではありますまい。』とわたくし感嘆かんたんさけびきんなかつた。武村兵曹たけむらへいそう前額ぜんがくでゝ
『やあ、だん/″\と目出度めでたことあつまつてますな。新造軍艦しんざうぐんかん獻納けんなうされる、海底戰鬪艇かいていせんとうていあらはれてる、日本海軍につぽんかいぐん益々ます/\さかえ――。』と快活くわいくわつなるおもてげてニコとわらふ。松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさ微笑びせうびて
まこと兵曹へいそうげんごと日本海軍につぽんかいぐんため慶賀けいがすべきことである。いまとほからず橄欖島かんらんたうのほとりで櫻木大佐さくらぎたいさ對面たいめんし、それより本艦ほんかん」と櫻木大佐さくらぎたいさ電光艇でんくわうていとが舳艫じくろあひならんで颯々さつ/\たる海風かいふう帝國軍艦旗ていこくぐんかんきひるがへしつゝやがて、帝國ていこく軍港ぐんかうへと到着たうちやくしたときには如何いか壯烈さうれつ愉快ゆくわいなることだらう。』
轟大尉とゞろきたいゐ双手さうしゆげて快哉くわいさいさけんだ。濱島武文はまじまたけぶみうでをさすつて
じつ人間にんげん萬事ばんじ天意てんゐまゝである。めぐりめぐつて何事なにごと幸福かうふくとなるかもわからぬ。わたくしいまやまた軍艦ぐんかんのみならず一度いちどうしなつたとおもつた日出雄ひでををもくにさゝぐること出來できるやうになつたこと感謝かんしやします。』とかぎりなき滿足まんぞくいろもつ夫人ふじん顧見かへりみた。
あゝ、人間にんげん萬事ばんじじつ天意てんゐまゝだと、わたくしふかこゝろかんずるとともに、たちま回想くわいさうした一事いちじがある。それはほかでもない、わすれもせぬ四年よねん以前いぜんこと春枝夫人はるえふじんと、日出雄少年ひでをせうねんと、わたくしとの三人みたりが、子ープルスかう波止塲はとばらんとしたとき濱島家はまじまけ召使めしつかひで、常時そのころ日出雄少年ひでをせうねん保姆うばであつた亞尼アンニーとて、伊太利イタリーうまれの年老としおいたるをんなが、その出帆しゆつぱんをとゞめんとて、しきりに、だの、こくだの、黄金わうごん眞珠しんじゆたゝりだのと、色々いろ/\奇怪きくわいなることば繰返くりかへしたことがある、無論むろん其時そのとき無※ばか[#「(禾+尤)/上/日」、343-10]ことわらひ、また實際じつさい無※ばか[#「(禾+尤)/上/日」、343-10]ことには相違さうゐないのだが、それが偶然ぐうぜんにも符合ふがふして、いまになつてかんがへると、あだか※去くわこ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、343-11]樣々さま/″\なる厄難やくなん前兆ぜんてうであつたかのごとく、かつ朝日島あさひじま生活中せいくわつちう櫻木大佐さくらぎたいさ此事このことかたつたとき思慮しりよふか大佐たいさすら小首こくびかたむけたほどで、わたくしむねには、始終しじういてはなれぬ疑問ぎもんであつたので、いま機會きくわい
なに此事このこといてお心當こゝろあたりはありませぬか。』と春枝夫人はるえふじんひかけた。

    第二十九回 薩摩琵琶さつまびは
春枝夫人の物語――不屆な悴――風清き甲板――國船の曲――腕押し脛押と參りませう――道塲破りめ――奇怪の少尉
 春枝夫人はるえふじんすゞしきまゆ
『あゝ其事そのこと! 貴方あなたはよくおぼえていらつしやいましたねえ。亞尼アンニー眞個ほんとうめうことをと、その時分じぶんすこしもこゝろめませんでしたが、のちにそれとおもあたりましたよ。まつたなしごとではありませんかつたの、それはうなんです。』と、そよと海風かいふうに、びんのほつれはらはせながら
こくとかもうしましたねえ。その出帆しゆつぱんした弦月丸げんげつまるは、不思議ふしぎにも、豫言よげんとうりに印度洋インドやうおき沈沒ちんぼつして、わたくし英國エイこく郵便船ゆうびんせんすくはれて、ふたゝ子ープルスいへかへつたときには、亞尼アンニー姿すがたすでえませんでした。いろ/\探索たんさくしてましたが、だれ行衞ゆくゑつてひとはありません。本當ほんたう奇妙きめうことだとおもつてると、あることウルピノ山中さんちうとて、子ープルスまちからは餘程よほどはなれた寒村かんそんの、浮世うきよそと尼寺あまでらから、一通いつつう書状てがみとゞきました、うたがひもなき亞尼アンニー手跡しゆせきで、はじめて仔細しさいわかりましたよ。』
『ど、ど、どんな書面しよめんで――。』とわたくし武村兵曹たけむらへいそうとは乘出のりだした。
夫人ふじん明眸めいぼうつゆびて
可愛相かあいさうにねえ貴方あなたその書面しよめんによると亞尼アンニーは、弦月丸げんげつまる沈沒ちんぼついて、私共わたくしどもまぬとあまになつたのですよ。その事柄ことがら一塲いちじやう悲劇トラジデーです。亞尼アンニー一人ひとり息子むすこがあつて、放蕩ほうたう無頼ぶらいをとこで、十幾年いくねんまへ家出いへでをして、行衞不明ゆくゑふめいになつたといふことかねいてりましたが、亞尼アンニーは、それをばつね口僻くちぐせのやうに、つてりました「わたくしせがれわたくしことかずに、十月じふぐわつたゝり家出いへでをしたばかりに、海蛇うみへびられてしまひました。」と。海蛇うみへびられたとは、しんめうことだとおもつてりましたが、それがよく隱語いんご使つか伊太利人イタリーじんくせで、その書面しよめんではじめてわかりましたよ。その息子むすこ海蛇うみへびられたといふのは、生命いのちことではなく、じつは、印度洋インドやう惡魔あくまかくれもなき海賊船かいぞくせん仲間なかまり、をすゝつて、海蛇まるとかいへる海賊船かいぞくせん水夫すいふとなつたのださうです。其爲そのため亞尼アンニー一人ひとりさびしくいへのこされて、つひわたくしいへ奉公ほうこうやうになつたのですが、御存ごぞんじのとうり、正直しやうじきをんなですから、私共わたくしどもをかけて使つかつてうち丁度ちやうど私共わたくしども子ープルスかう出發しゆつぱつするといふまへまへばんです。亞尼アンニー鳥渡ちよつと使つかひにましたとき波止塲はとばのほとりではからずも、たえひさしきその出會であつたのです。いくら惡人あくにんでも、親子おやこじやうはまた格別かくべつへ、正直しやうじきなる亞尼アンニーは「一寸ちよつとで。」とそのをば、其邊そのへんちいさい料理屋れうりやれてつて、自分じぶんさびしい財嚢さいふかたむけて、息子むすこ嗜好すき色々いろ/\もの御馳走ごちさうして「さて、せがれや、おまへ此頃このごろはどうしておいでだえ。矢張やはりわるしわざあらためませんのかえ。」となみだながらにいさめかけると、息子むすこ平氣へいきなものです「またはじまつたよ。おつかさん、おまへ相變あひかはらず馬鹿正直ばかしやうじきだねえ、其樣そんなけち/\したこと此世このよわたれるかえ。」と大酒おほざけんで、ふたまきれに「乃公おれなんかはちかうち大仕事おほしごとがあるのだ、その仕事しごとためいまこのみなとて、明後晩めうごばんにはまた此處こゝ出發しゆつぱつするのだが、その一件いつけんさへ首尾しゆびよくけば、ひやく二百にひやく目腐めくさがねはおまへにもあげるよ。内秘ないしよ/\。」なんかと、おもはずらず口走くちばしつたのでせう。これいた亞尼アンニーはつおどろいたのです。其頃そのころ弦月丸げんげつまるが、今迄いままでほど澤山たくさんの、黄金わうごん眞珠しんじゆとを搭載たふさいして、ネープルスかう出發しゆつぱつして、東洋とうやうむかふといふのは評判ひやうばんでしたが、たれおそ海蛇丸かいだまるが、ひそかにその舷側そば停泊ていはくして、樣子やうすうかゞつてるとは氣付きづいたひとはありませんかつたが、いまげん海賊かいぞく仲間なかまその息子むすここのみなとことと、いまはなし樣子やうすで、おぼろながらもれとさとつた亞尼アンニー驚愕おどろきはまアどんなでしたらう。私共わたくしども乘組のりくはづ弦月丸げんげつまると、おなおなこくに、ネープルスかう出發しゆつぱつする海蛇丸かいだまる目的もくてきまでもありません。その息子むすこ大仕事おほしごとつたのはまさしく弦月丸げんげつまる襲撃しふげきして、その貨財くわざい掠奪りやくだつする目的もくてきだなと心付こゝろづいたとき彼女かのぢよせつその非行ひかういさめたさうですが、もとよりおもとゞまらうはづはなく、その暴惡ぼうあくなる息子むすこは、推察すいさつされたうへはと、きふ語勢ことばつき荒々あら/\しく「おつかさん、左樣さうさとられたからは百年目ひやくねんめこの一件いつけん他人たにんもらすものならば、乃公おれかさだいぶはれたこと左樣さうなればやぶれかぶれ、おまへ御主人ごしゆじんいへだつて用捨ようしやはない、でもかけて、一人ひとりかしてはかないぞ。」とおにのやうになつて、威迫おどしたんでせう。亞尼アンニーこゝろこゝろでなく、いそ私共わたくしどもいへかへつてたものゝ、如何どうすること出來できません、明瞭あからさまへば、そのくびぶばかりではなく、私共わたくしども一家いつかにも、何處どこからかおそろしい復讐あだうちるものとしんじて、千々ちゞこゝろくだいた揚句あげくつひにあんなめうことたくして、私共わたくしども弦月丸げんげつまる乘組のりくことめやうとくわだてたのです。けれど、だれだつてしんぜられませんはねえ。ふね出發しゆつぱつこくだなんて。あゝ亞尼アンニーがまためうことをと、すこしもこゝろめずに出帆しゆつぱんしたのが、あんな災難さいなん原因げんゐんとなつたのです。それで、亞尼アンニーは、いよ/\弦月丸げんげつまる沈沒ちんぼつしたといたときにあられず、私共わたくしどもまぬといふ一念いちねんと、その息子むすこ悔悟くわいごとをいのるがために、浮世うきよそと尼寺あまでらかくしたのです。で、亞尼アンニーは、いまは、眞如しんによ月影つきかげきよき、ウルピノ山中さんちうくさいほりに、つみもけがれもなく、此世このよおくつてことでせうが、あのにくむべき息子むすこ海賊かいぞくは、矢張やはり印度洋インドやうなみまくらに、不義ふぎ非道ひだうしわざたくましうしてことでせう。』と、かたをはつて、春枝夫人はるえふじん明眸めいぼう一轉いつてん※(「二点しんにょう+向」、第3水準1-92-55)はるかのそらあほいだ。
わたくしおもはずひざたゝいた。短慮たんりよ一徹いつてつ武村兵曹たけむらへいそううでならして、漫々まん/\たる海洋かいやうにらまわしつゝ
此處こゝところ印度洋インドやうその不屆ふとゞき小忰こせがれめは何處どこる。』と艦上かんじやう速射砲そくしやほうそゝいで
いま無上むじやう愉快ゆくわいときだぞ、いま一層いつそうのぞみには、あらたきたへたこの速射砲そくしやほうで、彼奴等きやつらつくき海賊かいぞくども鏖殺みなごろしにしてれんに。』
『ヒヤ/\、壯快さうくわい! 壯快さうくわい!。』と轟大尉とゞろきたいゐならした。艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいさ濱島武文はまじまたけぶみ其他そのた同席どうせきの二三士官等しくわんらは、凛々りゝたるおもて微笑びせううかべて、たがひかほ見合みあはとき軍艦ぐんかん」の右舷うげん左舷さげんには、うしほはなたまみだれて、かん速力そくりよくぶがやうであつた。
それより、わたくし武村兵曹たけむらへいそうとは、艦中かんちう一同いちどうからふでにもことばにもつくされぬ優待いうたいけて、印度洋インドやう波濤はたうつて、コロンボみなとへとすゝんでく。うらゝかに、かぜきよ甲板かんぱんで、大佐たいさや、濱島はまじまや、春枝夫人はるえふじんや、轟大尉とゞろきたいゐや、其他そのた乘組のりくみ士官しくわん水兵等すいへいら相手あひてに、わたくし小説せうせつにもたる經歴談けいれきだんは、印度洋インドやうなみのごとく連綿れんめんとしてくるときもなかつた。ずつと以前いぜんさかのぼつて、弦月丸げんげつまる沈沒ちんぼつ當時たうじ實况じつけう小端艇せうたんてい漂流中へうりうちうのさま/″\の辛苦しんく驟雨にわかあめこと沙魚ふかりの奇談きだんくさつた魚肉さかな日出雄少年ひでをせうねんはなつまんだはなし。それから朝日島あさひじま漂着へうちやくして、椰子やし果實美味うまかつたこと猛狒ゴリラ襲撃しふげき一件いつけん櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさとの奇遇きぐうてつひゞき屏風岩べうぶいわ奇異きゐ猛犬稻妻まうけんいなづまにもまれなるいぬなること大佐たいさ少年せうねん其他そのほか三十有餘名いうよめい水兵等すいへいら趣味しゆみある日常にちじやう生活せいくわつのさま/″\、あしたにはほしいたゞいてき、ゆふべにはつきんでかへる、その職務しよくむ餘暇よかには、むつまじき茶話會ちやわくわい面白おもしろ端艇競漕たんていきようそう野球競技等やきゆうきようぎとう物語ものがたりは、如何いか彼等かれらおどろかしめわらはしめたのしましめたらう。こと朝日島あさひじま紀念塔きねんたふ設立せつりつ顛末てんまつ――あの異樣ゐやうなる自動冐險車じどうぼうけんしやが、縱横無盡じうわうむじん[#「縱横無盡じうわうむじんに」は底本では「樅横無盡じうわうむじんに」]深山しんざん大澤たいたくあひだ猛進まうしんしたる其時そのとき活劇くわつげき猛獸まうじう毒蛇どくじやとの大奮鬪だいふんとう武村兵曹たけむらへいそう片足かたあしあぶなかつたこと好奇心かうきしんからすなすべりのたに顛落てんらくして、九死一生きうしいつしやうになつたこと日出雄少年ひでをせうねん猛犬稻妻まうけんいなづまとのわかれの一段いちだん禿頭山はげやま彼方かなたから、大輕氣球だいけいききゆうがふうら/\とくだつてこと。さては、紀元節きげんせつ當日たうじつさかんなる光景くわうけい、つゞいて、電光艇でんくわうてい試運轉式しうんてんしき大異變だいゐへんから、今回こんくわい使命しめい立到たちいたつたまで奇譚きだんは、始終しじう彼等かれらヤンヤはせて、吾等われら孤島こたう生活中せいくわつちうは、いつも滑※こつけい[#「(禾+尤)/上/日」、353-5]失策しつさくとの本家本元ほんけほんもとで――いまわたくしそばに、威勢ゐせいよくはなし相槌あひづちつて武村兵曹たけむらへいそうは、幾度いくたび軍艦ぐんかん水兵等すいへいらに、背中せなかたゝかれ、たゝかれて、艦中かんちう第一だいいち愛敬者あいけふものとはなつた。
武村兵曹たけむらへいそういまわたくしおなじやうに、この軍艦ぐんかん賓客ひんきやくではあるが、かれ軍艦ふねいへとする水兵すいへい――水兵すいへいうちにも氣象きしやうすぐれ、こと砲術ほうじゆつ航海術かうかいじゆつには際立きはだつて巧妙たくみをとこなので、かく軍艦ぐんかん乘組のりくんでは一刻いつこく默念じつとはしてられぬ、かつは艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいさはじ軍艦ぐんかん」の全員ぜんゐんが、自分じぶんもつと敬愛けいあいする櫻木大佐さくらぎたいさのために誠心まごゝろから盡力じんりよくしてれるのが、こゝろから※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)うれしく、難有ありがたく、せめて報恩ほうおん萬分まんぶんいちには、この軍艦ぐんかん水兵等すいへいらおなやうはたらきたいと、しきりにこゝろ焦立いらだてたが、海軍かいぐん軍律ぐんりつげんとしてうごかすからず、本艦ほんかん在役ざいえき軍人ぐんじんならねば檣樓しやうらうのぼことかなはず、機關室きくわんしつはたらことあたはず、詮方無せんかたなきまゝ、つてつ、つ、艦首かんしゆから縹渺へうべうたる太洋たいやう波濤なみながめたり、「ブルワーク」のほとりから縱帆架ガーフひるがへ帝國軍艦旗ていこくぐんかんきあほいでたり、機關砲きくわんほうのぞいてたり、ては無聊ぶれうねてしきりにうでをさすつてたが、其内そのうち夕刻ゆふこくにもなると、この時刻じこく航海中かうかいちう軍艦乘組員ぐんかんのりくみゐんもつとたのしきとき公務こうむ餘暇よかある夥多あまた士官しくわん水兵すいへいは、そらたかく、なみあを後部甲板こうぶかんぱんあつまつて、もつと自由じゆうに、もつと快活くわいくわつに、ぎんずるもある、けんはすもある。武村兵曹たけむらへいそうその仲間なかまつて、しきりに愉快ゆくわいだ/\とさはいでつたが、何時いつ何處どこから聞知きゝつけたものか、れい轟大尉とゞろきたいゐ虎髯とらひげぬつすゝ
『これ、武村兵曹たけむらへいそう足下おまへはなか/\薩摩琵琶さつまびはうまさうな、一曲いつきよくやらんか、やる! よした。』とかたはら水兵すいへいめいじて、自分じぶんかね御持參ごぢさん琵琶びは取寄とりよせた。年少ねんせう士官しくわん老功らうこう水兵等すいへいらは『これは面白おもしろい。』と十五サンチ速射砲そくしやほうのほとり、後部艦橋こうぶかんけうもとみゝます、兵曹へいそう此處こゝぞと琵琶びはおつり、翩飜へんぽんひるがへ艦尾かんび帝國軍艦旗ていこくぐんかんきしたひざんで、シヤシヤン、シヤラ/\と琵琶びはきよくこゑ張上はりあげて
くもそびゆる高山たかやまも。のぼらばなどかへざらむ。そらをひたせる海原うなばらも。わたらばつひわたるべし。わが蜻蛉洲あきつしまあかねさす。ひがしうみはなじまたとへばうみ只中たゞなかに。うかべるふねにさもたり――。」と、たか調しらべ荒鷲あらわしの、かぜたゝいてぶごとく、ひく調しらべ溪水たにみづの、いはかれてごとく、檣頭しやうとうはし印度洋インドやうかぜげんくだくるなみおとして、本艦々上ほんかんかんじやう暫時しばしなりまなかつた。
琵琶びは調しらべがをはると、虎髯大尉こぜんたいゐたちま大拍手だいはくしゆをした。
『うまい/\、本物ほんものぢや、よし、よし、あんまり安賣やすうりをすな。』とばかりをどらして
兵曹へいそう、どうぢや一番いちばん腕押うでおしは――。』とてつやううで突出つきだした。虎髯大尉こぜんたいゐ腕押うでおしたら有名いうめいなものである。けれど武村兵曹たけむらへいそうちつともらない、自分じぶんだい力自慢ちからじまん
『よろしい、まいりませう。』と琵琶びはてゝ、一番いちばんたゝかつたが、たちまちウンとねぢたをされた。
よはいなア。』と大尉たいゐおほいわらふ。
『ど、ど、如何どうしたんだらう、こ、この武村たけむらをおかしなすつたな、『どれもう一番いちばん――。』とたゝかつたが、またまけた。
『こんなはづではないのだが。』とうでさすつてたが、とてかなさうもない。きよろ/\しながら四方しほう見廻みまはすと、「」の士官しくわん水兵等すいへいらくす/\わらつてる、濱島武文はまじまたけぶみから/\わらつてる、春枝夫人はるえふじん手巾ハンカチーフかげからそつとわらつてる。
殘念ざんねんだな、よし。』と武村兵曹たけむらへいそうたちま毛脛けずね突出つきだした。
大尉閣下たいゐかくか御禮おれい一番いちばん脛押すねおしまいりませう。』
脛押すねおしか。』と轟大尉とゞろきたいゐかほしかめたが、けぬ大尉たいゐ何程なにほどことやあらんとおなじく毛脛けずねあらはして、一押ひとおししたが、『あた、たゝゝゝ。』とうしろ飛退とびの[#ルビの「とびの」は底本では「どびの」]いて
『これはいたい、武村たけむらすねには出刄庖丁でばほうちやう這入はいつてるぞ。』
『そ、そんなにつよいのですか。』と彌次馬やじうま士官しくわん水兵すいへいわれも/\とやつてたが、成程なるほど武村たけむらすね馬鹿ばかかたい、みな一撃いちげきもと押倒おしたをされて、いたい/\と引退ひきさがる。武村兵曹たけむらへいそういささか得意とくゐいろうかべてはなうごめかしたが、軍艦ぐんかん」の甲板かんぱんには仲々なか/\豪傑がうけつる。
武村たけむらしからんな、わが軍艦ぐんかん」の道塲破だうじやうやぶりをやつたな、よし、乃公おれ相手あひてにならう。』と突然とつぜん大檣だいしやうかげからあらはれてたのは、いろ黒々くろ/″\とした、筋骨きんこつたくましい年少ねんせう少尉せうゐ此人このひと海軍兵學校かいぐんへいがくかう生活中せいくわつちう大食黨たいしよくたう巨魁おやだまで、肺量はいりやう五千二百、握力あくりよく七十八、竿飛さをとびは一じやうじやくまでんで、徒競走フートレース六百ヤードを八十六びやうはしつたといふをとこ、三ねん在學中ざいがくちうつね分隊ぶんたいだいばん漕手さうしゆとして、漕力さうりよく天下無比てんかむひはれた腕前うでまへ
『そらい!。』とばかり、ヒタ武村兵曹たけむらへいそう所謂いはゆる出刄庖丁でばほうちやうはいつてすねおのてつすねあはせて、双方さうほう眞赤まつかになつてエンヤ/\と押合おしあつたが勝負しようぶかない、甲板かんぱん一同いちどう面白おもしろがつてヤンヤ/\とさわ
『もうせ/\、あしれるぞ/\。』と虎髯大尉こぜんたいゐ二人ふたり周圍めぐりをぐる/\まはつて、結局とう/\引分ひきわけになつた。
艦橋かんけうよりは艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいされいによつてれいごと鼻髯びぜんひねりつゝ、微笑びせううかべてながめてつた。

    第三十回 月夜げつや大海戰だいかいせん
印度國コロンボの港――滿艦の電光――戰鬪喇叭――惡魔印の海賊旗――大軍刀をブン/\と振廻した――大佐來! 電光艇來! 朝日輝く印度洋
 かくて、軍艦ぐんかん」は、その翌々晩よく/\ばん豫定通よていどうりに、印度大陸インドたいりく西岸せいがんコロンボみなと寄港きかうして、艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいさと、わたくしと、武村兵曹たけむらへいそうとは、椰子やし芭蕉ばせうはやしひく海岸かいがんおほひ、波止塲はとばのほとりから段々だん/″\たかく、電燈でんとうひかり白晝まひるあざむかんばかりなる市街しがい上陸じやうりくして、ひそかに櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさより委任ゐにんけたる、電光艇でんくわうていよう秘密藥品ひみつやくひん買整かひとゝのへ、十二のたる密封みつぷうして、いま特更ことさらふね艤裝ぎさうする必要ひつえうもなく、たゞちに軍艦ぐんかん」に搭載たふさいして、同時どうじ暗號電報あんがうでんぽうをもつて、松島海軍大佐まつしまかいぐんたいさ本國ほんごく政府せいふよりの許可きよかけ、きたる二十五にち拂曉ふつげう海底戰鬪艇かいていせんとうていあひはづ橄欖島かんらんたう方向ほうかうして進航しんかうした。
コロンボかうから橄欖島かんらんたうまで大約おほよそ一千五百海里かいり[#ルビの「あ」は底本では「あけ」]けては、うららかなる甲板かんぱんに、帝國軍艦旗ていこくぐんかんき翩飜へんぽんたるをあほては、ならず智勇ちゆう兼備けんびりよう海軍大佐かいぐんたいさあたらしき軍艦ぐんかん」と、あたらしき電光艇でんくわうていとの甲板かんぱんにて、なみへだてゝあひくわいし、それより二隻にせき[#ルビの「にせき」は底本では「たせき」]あひならんで、海原うなばらとう幾千里いくせんりやがて、芙蓉ふえうみね朝日あさひかげのぞまでの、壯快さうくわいなる想像さうぞうむねえがき、れては、海風かいふうおだやかなる艦橋かんけうのほとり、濱島武文はまじまたけぶみ春枝夫人等はるえふじんらあひかたつて、日出雄少年ひでをせうねんあいらしき姿すがた待兼まちかねつゝ。四晝夜しちうや航海かうかいつゝがなく[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、361-1]ぎて、右舷うげん左舷さげんせてはかへなみおとともに、刻一刻こくいつこくちかづききた喜劇きげきむかつて、橄欖島かんらんたうぼしき島影しまかげを、雲煙うんゑん渺茫べうぼうたるへんみとめたのは、は二ぐわつの二十五にちこく萬籟ばんらいせきたる午前ごぜんの二と三とのあひだ下弦げゞんつき皓々かう/\わたりて、金蛇きんだはしらすなみうへには、たゞ本艦ほんかん※(「さんずい+氣」、第4水準2-79-6)機關じようききくわんひゞきのみぞすさまじかつた。
軍艦ぐんかん」の艦中かんちうには一人ひとりむるものかつた。艦橋かんけうには艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいさをはじめとし、一團いちだん將校しやうかうつき燦爛さんらんたる肩章けんしやうなみたせて、隻手せきしにぎ双眼鏡さうがんきやうえず海上かいじやうながめてる。甲板かんぱん其處此處そここゝには水兵すいへい一群いちぐん二群にぐん、ひそ/\とかたるもあり、たのわらふもあり。武村兵曹たけむらへいそう兩眼りやうがんをまんまるにして
『サア、いよ/\橄欖島かんらんたうちかづいてたぞ。大佐閣下たいさかくか海底戰鬪艇かいていせんとうていはすでにあの島影しまかげるであらうか、それとも朝日島あさひじま出發しゆつぱつせぬのかしら、えい、待遠まちどうや/\。』と、ひ、あしところらぬ有樣ありさま濱島武文はまじまたけぶみ艦尾かんび巨砲きよほうもたれて悠々いう/\美髯びぜんひねりつゝ。春枝夫人はるえふじん笑顏えがほ天女てんにようるはしきよりもうるはしく、あほ御空みそらにはくもあゆみをとゞめ、なみとり吾等われら讃美さんびするかとうたがはるゝ。この快絶くわいぜつときたちま舷門げんもんのほとりに尋常たゞならぬ警戒けいかいこゑきこえた。艦中かんちう一同いちどうはヒタとなりしづめたのである。たゞ本艦ほんかんこと三海里さんかいり橄欖島かんらんたうおぼしきしま北方ほつぽうあたつて、毒龍どくりようわだかまるがごと二個にこ島嶼たうしよがある。その島陰しまかげから忽然こつぜんとして一點いつてんひかり[#「ひかりが」は底本では「ひかりか」]ピカリツ。つゞいて一點いつてんまた一點いつてん都合つがふ七隻しちせき奇怪きくわいなるふね前檣ぜんしやうたか球燈きゆうとうかゝげて、長蛇ちやうだれつをなしてあらはれてた。つきくまない、その眞先まつさき黒烟こくゑんいてすゝんでるのは、二本にほん烟筒ゑんとう二本にほんマスト! 見忘みわすれもせぬ四ねんまへのそれ※[#感嘆符三つ、362-11]
海蛇丸かいだまるきたる! 海蛇丸かいだまるきたる!。』とわたくし絶叫ぜつけうしたとき虎髯大尉こぜんたいゐひるがへして戰鬪樓せんとうらうかたはしつた。
たゞる、海蛇丸かいだまる船首せんしゆよりは、閃々せん/\ながるゝ流星りうせいごと爆發信號ばくはつしんがうあがつた、この信號しんがう他船たせん注意ちうゐ喚起くわんきする夜間信號やかんしんがう[#ルビの「か」は底本では「が」]大膽不敵だいたんふてきなる海賊船かいぞくせんは、いま何故なにゆゑその信號しんがうげて、帝國軍艦ていこくぐんかん視線しせんかんとしてるのである。
艦上かんじやう視線しせんはたして一同いちどうそのほうむかつた。
一度ひとたび戰鬪樓せんとうらうほうはしつた虎髯大尉こぜんたいゐ此時このときふたゝわたくしそばかへつてたが大聲おほごゑ
奇怪きくわいふね! 奇怪きくわいふね! あのふねわが軍艦ぐんかんむかつて、なに信號しんがうこゝろみんとしてる。』とさけんだ。じつ前後ぜんご形勢けいせいと、かの七せきふね有樣ありさまとでると、いま海蛇丸かいだまるあきらか何事なにごとをかわが軍艦ぐんかんむかつて信號しんがうこゝろみるつもりだらう。けれどわたくしいぶかつた。今日こんにち世界せかい海上かいじやうおいては、晝間ちゆうかん萬國信號ばんこくしんがうはあるが、夜間信號やかんしんがうは、各國かくこく海軍かいぐんおいて、各自めい/\秘密ひみつなる信號しんがういうするほか難破信號なんぱしんがうとか、いま海蛇丸かいだまるげた爆發信號ばくはつしんがうのやうな、きはめて重大ぢゆうだいなるまた單純たんじゆんなるものをのぞいては、萬國ばんこく共通けうつうのものはいのである。れば奇怪きくわいふねわれ信號しんがうこゝろみんとならば、はたして如何いかなる手段しゆだんをかるとながめてると、たちまる、海蛇丸かいだまるの、檣上しやうじやう檣下しやうげ船首せんしゆ船尾せんび右舷うげん左舷さげん閃々せん/\たる電燈でんとうかゞやでゝ、滿船まんせんてらそのひかり白晝はくちうあざむかんばかり、そのひかりした一個いつこ異樣ゐやうなる人影ひとかげあらはれて、たちま檣桁しやうかうたか信號旗しんがうきあがつた。
心憎こゝろにくや、奇怪きくわいふねは、晝間信號ちうかんしんがう電燈でんとうひかり應用おうようせんとするのである。
かく、四かく、さま/″\の模樣もやう信號旗しんがうきかぜうごいて
その軍艦ぐんかんとゞまれ! その軍艦ぐんかんとゞまれ※[#感嘆符三つ、364-12]。」としめす。
わが艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいさは、一令いちれいはつして滿艦まんかん電光でんくわうかゞやかした。
とう信號兵しんがうへい指揮しきした信號檣下しんがうしやうかつた。
奇怪きくわいふね! なんぢ何者なにものぞ。」と信號旗しんがうきあがる。
ヒラ/\とうご彼方かなた信號しんがう
われこそはおと名高なだか印度洋インドやう大海賊船だいかいぞくせんなり、なんぢ新造軍艦しんざうぐんかんうばはんとて此處こゝつこと久矣ひさしすみやか白旗はくきてゝその軍艦ぐんかん引渡ひきわたさばよし躊躇ちうちよするにおいては、われに七せき堅艦けんかんあり、一撃いちげきもとなんぢふね粉韲ふんさいすべきぞ。」とる/\うち長蛇ちやうだ船列せんれつ横形わうけいれつへんじて、七せき海賊船かいぞくせん甲板かんぱんには月光げつくわう反射はんしやして、劍戟けんげききらめくさへゆ、本艦ほんかん士官しくわん水兵すいへい一時いちじ憤激ふんげきまゆげた、なかにも年少ねんせう士官等しくわんら軍刀ぐんたう[#ルビの「ぐんたう」は底本では「ぐくたう」]つか[#「革+巴」、365-11]にぎめて、艦長かんちやう號令がうれいつ、舷門げんもんほとり砲門ほうもんほとり慓悍へうかん無双ぶさう水兵等すいへいらうでさすつてる。濱島はまじま冷然れいぜんわらひ、春枝夫人はるえふじん默然もくねんとした。
いさましき武村兵曹たけむらへいそう怒髮どはつ天空てんくう
『えい、ふざけたり/\、海賊かいぞくどもものせてれんづ。』と矢庭やには左舷さげんインチ速射砲そくしやほうほうせたが、たちま心付こゝろづいた、海軍々律かいぐんぐんりつげんとして泰山たいざんごとし、たとへ非凡ひぼん手腕しゆわんありとも艦員かんゐんならぬものがほううごかし、じうはなこと出來できないのである。兵曹へいそう無念むねん切齒はがみをなし、
『えい、殘念ざんねんだ/\、此樣こんとき本艦ほんかん水兵すいへいうらやましい。』とさけんだまゝ、空拳くうけんつて本艦々頭ほんかんかんとう仁王立にわうだち轟大尉とゞろきたいゐ虎髯こぜん逆立さかだまなじりけて、右手ゆんでにぎる十二サンチほう撃發機げきはつき艦長かんちやう一令いちれいつばかり。
艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいさ此時このときちつともさはがず[#「さはがず」は底本では「さはがす」]平然へいぜんとして指揮しきする信號しんがうことば信號兵しんがうへいめいほうじて信號旗しんがうきたかかゝげた。
おろかなり、海賊かいぞく! わが縱帆架ガーフひるがへ大日本帝國軍艦旗だいにつぽんていこくぐんかんきずや。」と。たちま海蛇丸かいだまる滿船まんせん電燈でんとうはパツとえた。同時どうじに七せき海賊船かいぞくせん黒煙こくゑん團々だん/\怒濤どとうつて此方こなた猛進まうしんきたる。轟然ごうぜん一發いつぱつ彈丸だんぐわん悲鳴ひめいをあげて、前檣ぜんしやうかすつた。大佐たいさ一顧いつこ軍刀ぐんたうさやはらつて、きつ屹立つゝた司令塔上しれいたうじやう、一れいたちまたかく、本艦々上ほんかんかんじやう戰鬪喇叭せんとうらつぱる、士官しくわん肩章けんしやうきらめく、水兵すいへいその配置はいちく、此時このときすではやし、すでおそし、海賊船かいぞくせんから打出うちだ彈丸だんぐわんあめか、あられか。本艦ほんかんこれおうじて手始てはじめには八インチ速射砲そくしやほうつゞいて打出うちだ機關砲きくわんほうつきさんたり、月下げつか海上かいじやう砲火ほうくわとばしり、硝煙せうゑん朦朧もうらう立昇たちのぼ光景くわうけいは、むかしがたりのタラントわん夜戰やせんもかくやとおもはるゝばかり。士官しくわん水兵すいへいいさましきはたらきぶりはまでもない。よし戰鬪員せんとうゐんにあらずとも如何いかでかこまぬいてらるべきぞと、濱島はまじまも、わたくしも、おも上衣うわぎけて、彈丸だんぐわん硝藥せうやくはこぶにいそがはしく。武村兵曹たけむらへいそう大軍刀おほだちブン/\とまわ海賊船かいぞくせん近寄ちかよらばわれからその甲板かんぱん飛移とびうつらんばかりのいきほひ。春枝夫人はるえふじん嬋娟せんけんたる姿すがたたとへば電雷でんらい風雨ふううそら櫻花わうくわ一瓣いちべんのひら/\とふがごとく、一兵いつぺいとききづゝたをれたるを介抱かいほうせんとて、やさしくいだげたる彼女かのぢよゆきかひなには、帝國軍人ていこくぐんじん鮮血せんけつ滾々こん/\とばしりかゝるのもえた。
海戰かいせん午前ごぜん三十ぷんはじまつて、東雲しのゝめころまでをはらなかつた。此方こなた忠勇ちうゆう義烈ぎれつ日本軍艦につぽんぐんかんなり、てき世界せかいかくれなき印度洋インドやう大海賊だいかいぞく海賊船かいぞくせん此時このとき砲戰ほうせんもどかしとやおもひけん、なかにも目立めだ三隻さんせき四隻しせき一度いちど船首せんしゆそろへて、疾風しつぷう迅雷じんらい突喚とつくわんきたる、劍戟けんげきひかりきらめその甲板かんぱんには、衝突しやうとつとも本艦ほんかん乘移のりうつらんず海賊かいぞくども身構みがまへ。えい、ものものしや、神聖しんせいなる甲板かんぱんは、如何いかでか汝等なんぢらごとけがれたる海賊かいぞく血汐ちしほむべきぞ。とかんます/\ふるふ。硝煙せうゑんくらうみおほひ、萬雷ばんらい一時いちじつるにことならず。艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいさ號令がうれいはいよ/\澄渡すみわたつて司令塔しれいたふたかく、舵樓だらうには神變しんぺん[#ルビの「しんぺん」は底本では「しんぺ」]不可思議ふかしぎ手腕しゆわんあり。二千八百とん巡洋艦じゆんやうかん操縱さうじゆう自在じざい敵船てきせんみぎよりおそへば右舷うげん速射砲そくしやほうこれひ、賊船ぞくせんひだりよりきたれば左舷さげん機關砲きくわんほうこれつ。へどもてどもてき強者さるものふたゝする七隻しちせき堅艦けんかん怒濤どたう逆卷さかまき、かぜれて、血汐ちしほみたる海賊かいぞく旗風はたかぜいよ/\するどく、たけく、このたゝかひ何時いつしともおぼえざりしときたちまる! 東雲しのゝめの、はるか/\の海上かいじやうより、水煙すいゑんげ、怒濤どとうつて、驀直まつしぐら一艘いつそう長艇ちやうていあり、やゝちかづいてると、その艇尾ていびには、曉風げふふうひるがへ帝國軍艦旗ていこくぐんかんき! るより、わたくし右舷うげんから左舷さげんをどつて
大佐たいさきた! 大佐たいさきたる! 櫻木大佐さくらぎたいさ電光艇でんくわうていきたる※[#感嘆符三つ、369-12]。』とさけひゞき砲聲ほうせい絶間たえま全艦ぜんかんわたると、軍艦ぐんかん」の士官しくわん水兵すいへい一時いちじ動搖どよめき。此時このとき艦頭かんとうてる武村兵曹たけむらへいそうは、右鬢うびん微傷びしやうけて、ながるゝ血汐ちしほ兩眼りようがんるを、こぶしはらつて、キツと見渡みわたうみおも電光でんくわうごとちかづききたつた海底戰鬪艇かいていせんとうていは、本艦ほんかんことやく一千米突いつせんメートル――忽然こつぜん波間はかんしづんだとおもしやおそしや、たゞ本艦ほんかん前方ぜんぽう海上かいじやうたちまおこ大叫喚だいけうくわんながむれば一せき海賊船かいぞくせん轟然ごうぜんたるひゞき諸共もろともに、船底せんてい微塵みぢんくだけ、潮煙てうゑんんで千尋ちひろ波底はていしづつた、つゞいておこ大紛擾だいふんじやう一艘いつそう船尾せんび逆立さかだ船頭せんとうしづんで、惡魔印あくまじるし海賊旗かいぞくきは、二度にど三度さんどなみたゝくよとかげかたちも。
『それ、櫻木大佐さくらぎたいさきたる! 電光艇でんくわうてい應援おうえんぞ! おくれて彼方かなた水兵すいへいわらはれな、すゝめ/\。』の號令がうれいしたに、軍艦ぐんかん」の士官しくわん水兵すいへい勇氣ゆうき百倍ひやくばいいきをもつかせず發射はつしやする彈丸だんぐわんは、氷山へうざん[#ルビの「へうざん」は底本では「へざん」]くだけてたま飛散とびちごとく、すでにうしなつて、四途路筋斗しどろもどろ海賊船かいぞくせんに、命中あたるも/\、本艦々尾ほんかんかんびの八インチ速射砲そくしやほうは、たちま一隻いつせき撃沈げきちんし、同時どうじ打出うちだす十二サンチほう榴彈りうだんは、れぞ虎髯大尉こぜんたいゐ大勳功だいくんこう! いましも死物狂しにものぐるひに、本艦ほんかん目掛めがけて、突貫とつくわんきた一船いつせん彈藥庫だんやくこ命中めいちうして、船中せんちう船外せんぐわい猛火まうくわ※(「火+稲のつくり」、第4水準2-79-87)えん/\かぢ微塵みじんくだけて、ふね獨樂こまごとまわる、海底かいていよりは海底戰鬪艇かいていせんとうてい、さしつたりと電光石火でんくわうせきくわいきほひ、げにもや電光でんくわう影裡えいり春風しゆんぷうるごとく、かたちえねど三尖衝角さんせんしやうかく回旋めぐところ敵船てきせん微塵みじんくだけ、新式魚形水雷しんしきぎよけいすいらいはしるところ白龍はくりようてんをどる、のこ賊船ぞくせんや三せき、すでに一せき右舷うげんより左舷さげんに、の一せき左舷さげんより右舷うげんに、甲板かんぱんかたむき、なみ打上うちあげて、おどろくる海賊かいぞくどもは、大砲たいほう小銃せうじう諸共もろとも[#ルビの「もろとも」は底本では「もろとき」]に、雪崩なだれごとうみつ。いまのこ賊船ぞくせんたゞせき! れぞ二本にほん煙筒ゑんとう二本にほんマスト海蛇丸かいだまる! 海蛇丸かいだまる最早もはやかなはじとやおもひけん、はたき、黒煙こくゑん團々だん/\橄欖島かんらんたう方向ほうかうげて[#「げて」は底本では「げて」]くを、海底戰鬪艇かいていせんとうていいまなみしづまでもなく、奔龍ほんりうごとくに波上はじやうふ、本艦ほんかんなり[#「なりを」は底本では「なりを」]しづむる十べう二十べうその鋭利えいりなる三尖衝角さんせんしやうかくそらきらめ電光いなづまごと賊船ぞくせん右舷うげん霹靂萬雷へきれきばんらいひゞきあり、極惡無道ごくあくむだう海蛇丸かいだまるつひ水煙すいゑんげて海底かいていぼつつた。
此時このときまつたけて碧瑠璃へきるりのやうなひがしそらからは、爛々らん/\たる旭日あさひのぼつてた。わが艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいさは、ながるゝあせ押拭おしぬぐひつゝ、滿顏まんがん微笑びせうたゝえて一顧いつこすると、たちまおこる「きみ」の軍樂ぐんがくたえいさましきそのひゞきは、印度洋インドやうなみをどらんばかり、わが軍艦ぐんかん」の士官しくわん水兵すいへいは、舷門げんもんより、檣樓しやうらうより、戰鬪樓せんとうらうより、双手げ、はたり、歡呼くわんこをあげて、いさみ、よろこび、をとりつ、濱島武文はまじまたけぶみ春枝夫人はるえふじんあまりの※(「りっしんべん+喜」、第4水準2-12-73)うれしさにこゑもなく、虎髯大尉こぜんたいゐ武村兵曹たけむらへいそう一人ひとり右鬢うびんに、一人ひとり左鬢さびんに、かすかなきづしろ鉢卷はちまきわたくし雀躍こをどりしながら、ともながむる黎明れいめい印度洋インドやう波上はじやうわたすゞしいかぜは、一陣いちじんまた一陣いちじんふききたつて、いましも、海蛇丸かいだまる粉韲ふんさいしたる電光艇でんくわうていは、此時このときしづかに艇頭ていとうめぐらして此方こなたちかづいてたが、あゝ、その光譽ほまれある觀外塔上くわんぐわいたふじやうよ※[#感嘆符三つ、373-3] いろくろい、筋骨きんこつたくましい、三十餘名よめい慓悍へうかん無双ぶさうなる水兵すいへいうしろしたがへて、雄風ゆうふう凛々りん/\たる櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさは、籠手こてかざしてわが軍艦ぐんかん」の甲板かんぱんながめてる。そのかたはらには、日出雄少年ひでをせうねんは、れい水兵すいへい姿すがたで、左手ひだり猛犬まうけん稻妻いなづま」の首輪くびわとらへ、右手ゆんで翩飜へんぽん海風かいふうひるがへる帝國軍艦旗ていこくぐんかんきいだいて、そのあいらしい、いさましいかほは、莞爾につこ此方こなたあほいでつたよ。
       ――――〜〜〜〜〜〜〜〜――――
 讀者どくしや諸君しよくん
 白雲はくうんひくび、狂瀾きやうらんてんをど印度洋上インドやうじやう世界せかい大惡魔だいあくまかくれなき七せき大海賊船だいかいぞくせんをば、木葉微塵こつぱみぢん粉韲うちくだいたるわが帝國軍艦ていこくぐんかん」と、神出鬼沒しんしゆつきぼつ電光艇でんくわうていとは、いまげんをならべて、本國ほんごくして歸航きかう途中とちうである。昨夜さくや新嘉坡シンガポールはつ、一ぺん長文ちやうぶん電報でんぽうは、日本につぽん海軍省かいぐんせう到達たうたつしたはづであるが、二さう金曜日きんえうびをもつて、印度大陸インドたいりく尖端せんたんコモリンみさきめぐ錫崙島セイロンたうをき[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、374-5]ぎ、殘月ざんげつあはベンガル灣頭わんとう行會ゆきあエイフツドク露艦ロかん敬禮けいれいむかつて謝意しやゐひやうしつゝ、大小だいせうニコバルたうサランたうとを右舷うげん左舷さげんとにながめて、西にしひがしとのわかなるマラツカ海峽かいけうをもいつしかゆめ[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、374-8]ぎ、いま支那海シナかい波濤はたうつて進航しんかうしてるから、よし此後このゝちなみたかくとも、かぜあらくとも、二せん諸君しよくん面前めんぜんあらはれるのは最早もはとほことではあるまいとおもふ。
其時そのとき無論むろん新聞しんぶん號外がうぐわいによつて、市井しせい評判へうばんによつて、如何いかなる山間さんかん僻地へきち諸君しよくんいへどさらあたらしき、さらよろこことみゝにせらるゝであらうが、わたくしことのぞむ! 西にし玄海灘げんかいなだほとりより、馬關海峽ばくわんかいけう[#「過」の「咼」に代えて「咼の左右対称」、375-2]き、瀬戸内海せとないかいり、それより紀伊海峽きいかいけうでゝ潮崎うしほざきめぐり、遠江灘とほとほみなだ駿河灣するがわん相模灘さがみなだ沿岸えんがん沿ふて、およ波濤はたうつところ、およ船舶せんぱくよこたはるところ海岸かいがんちかいへいうせらるゝ諸君しよくんは、かなら朝夕てうせき餘暇よかには、二階にかいまどより、家外かぐわい小丘せうきうより、また海濱かいひん埠頭はとばより、籠手こてかざしてはるかなる海上かいじやう觀望くわんぼうせられんことを。し、水天すいてん一碧いつぺき地平線上ちへいせんじやう團々だん/\たる黒烟こくゑんえ、つゞゐて白色はくしよく新式巡洋艦しんしきじゆんやうかんあらはれ、それとともに、りようごと[#ルビの「ごと」は底本では「ごか」]く、しやちごと怪艇くわいてい水煙すいゑんつて此方こなたむかふをば、ふ、はたあるひとはたり、喇叭らつぱあるひと喇叭らつぱ吹奏ならし、何物なにひと双手もろてげて、こゑかぎりに帝國萬歳ていこくばんざい! 帝國海軍萬歳ていこくかいぐんばんざい連呼れんこせられよ、だん/″\とちかづく二そう甲板かんぱん巡洋艦じゆんやうかん縱帆架ガーフに、怪艇くわいてい艇尾ていびに、帝國軍艦旗ていこくぐんかんき翩飜へんぽんひるがへるをば、さら其時そのときは、軍艦ぐんかん」の萬歳ばんざいと、電光艇でんくわうてい萬歳ばんざいとを三呼さんこせられよ。電光艇でんくわうてい觀外塔くわんぐわいたふには、櫻木海軍大佐さくらぎかいぐんたいさ武村兵曹たけむらへいそう日出雄少年ひでをせうねんほか三十餘名よめい慓悍無双へうかんぶさうなる水兵すいへいあり。軍艦ぐんかん」の甲板かんぱんには、艦長松島海軍大佐かんちやうまつしまかいぐんたいさ虎髯大尉こぜんたいゐ轟鐵夫君とゞろきてつをくん濱島武文はまじまたけぶみ春枝夫人はるえふじんおよ二百餘人にひやくよにん乘組のりくみあり。いづれもに/\双眼鏡さうがんきやうたづさへ、白巾ハンカチーフり、喜色えみたゝえて、諸君しよくん好意かうゐしやすることであらう。ときは、わたくしは、屹度きつと軍艦ぐんかん」の艦尾かんびかた、八インチ速射砲そくしやほうよこたはるへんもしくば水面すいめんたか舷門げんもんのほとりにつて――うや/\しく――右手めてたか兜形ヘルメツトがた帽子ぼうしげて、いま一度いちど諸君しよくんとも大日本帝國萬歳だいにつぽんていこくばんざい! 帝國海軍萬歳ていこくかいぐんばんざい! を三呼さんこしませう。(軍艦「日の出」の甲板にて)

(海島冐劍奇譚)海底軍艦終

底本:「海島冐檢奇譚 海底軍艦」名著復刻日本児童文学館、ほるぷ出版
   1975(昭和50)年10月発行
底本の親本:「海島冐劍奇譚 海底軍艦」文武堂
   1900(明治33)年11月15日
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
※「変体仮名し」は、「志」をくずした形です。
※文中の「〜〜〜〜」は底本では繋がった波線です。
※「艦の16かく目の「一」が「丶」」は「デザイン差」と見て「艦」で入力しました。
※「覽の10かく目の「一」が「丶」」は「デザイン差」と見て「覽」で入力しまいた。
※「「褒」の「保」に代えて「丑」」は「デザイン差」と見て「衰」で入力します。
※ルビ抜けは底本通りにしました。
※底本には数多くの印刷不鮮明な箇所や誤植が疑われる箇所、仮名遣いの混在がありますが、底本通りとしました。
※なお「ゝ」「ヽ」「ゞ」「ヾ」は印刷不鮮明のため底本どおりではなく、「ゝゞ」はひらがな繰り返し記号、「ヽヾ」はカタカナ繰り返し記号として入力しました。
入力:H.KoBaYaShi
校正:川山隆
2008年6月2日作成
2009年8月31日作成
青空文庫作成ファイル:
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