かぬ小供こどもすくないとして其中そのうちにも自分じぶん小供こどもときなによりもきであつた。(と岡本某をかもとぼうかたりだした)。
 きこそもの上手じやうずとやらで、自分じぶん學課がくゝわうちでは同級生どうきふせいうち自分じぶんおよぶものがない。數學すうがくとなら、はゞかりながらたれでもいなんて、自分じぶんおほい得意とくいがつてたのである。しかし得意とくいといふことは多少たせう競爭きやうさう意味いみする。自分じぶんきなことはまつた天性てんせいといつてもからう、自分じぶんひとりけばばかりいてたものだ。
 ひとりいてるといへば至極しごく温順おとなしくきこえるが、其癖そのくせ自分じぶんほど腕白者わんぱくもの同級生どうきふせいうちにないばかりか、校長かうちやうあまして數々しば/\退校たいかうもつおどしたのでも全校ぜんかうだい一といふことがわかる。
 全校ぜんかうたい[#ルビの「たい」に「ママ」の注記]腕白わんぱくでも數學すうがくでも。しかるに天性てんせいきなでは全校ぜんかうだい一の名譽めいよ志村しむらといふ少年せうねんうばはれてた。この少年せうねん數學すうがく勿論もちろん其他そのた學力がくりよく全校ぜんかう生徒中せいとちゆうだいりう以下いかであるが、天才てんさいいたつてはまつたならぶものがないので、わづかるゐさうかともはれるもの自分じぶんにん其他そのたこと/″\志村しむら天才てんさいあがたてまつつてるばかりであつた。ところが自分じぶん志村しむら崇拜すうはいしない、いまろといふ意氣込いきごみしきりとげんでた。
 元來ぐわんらい志村しむら自分じぶんよりかとしあにきふも一ねんうへであつたが、自分じぶん學力がくりよく優等いうとうといふので自分じぶんくらす志村しむらくらすとを同時どうじにやるべく校長かうちやうから特別とくべつ處置しよちをせられるので自然しぜん志村しむら自分じぶん競爭者きやうさうしやとなつてた。
 しかるに全校ぜんかう人氣にんき校長かうちやう教員けうゐんはじ何百なんびやく生徒せいと人氣にんきは、温順おとなしい志村しむらかたむいてる、志村しむらいろしろ柔和にうわな、をんなにしてたいやうな少年せうねん自分じぶん美少年びせうねんではあつたが、亂暴らんばう傲慢がうまんな、喧嘩好けんくわずきの少年せうねん、おまけに何時いつくらすの一ばんめてて、試驗しけんときかならず最優等さいゝうとう成績せいせきところから教員けうゐん自分じぶん高慢かうまんしやくさはり、生徒せいと自分じぶん壓制あつせいしやくさはり、自分じぶんにはどうしても人氣にんきうすい。そこで衆人みんな心持こゝろもちは、せめてでなりと志村しむらだい一として、岡本をかもと鼻柱はなばしらくだいてやれといふつもりであつた。自分じぶんはよくこの消息せうそくかいしてた。そして心中しんちゆうひそかに不平ふへいでならぬのは志村しむらかならずしも出來できないときでも校長かうちやうをはじめ衆人みんながこれを激賞げきしやうし、自分じぶんたしかに上出來じやうできであつても、さまでめてのないことである。少年こどもながらも自分じぶん人氣にんきといふものをにくんでた。
 或日あるひ學校がくかう生徒せいと製作物せいさくぶつ展覽會てんらんくわいひらかれた。その出品しゆつぴんおも習字しふじ※畫づぐわ[#「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」、466-8]女子ぢよし仕立物したてものとうで、生徒せいと父兄姉妹ふけいしまいあさからぞろ/\とおしかける。りどりの評判ひやうばん製作物せいさくぶつした生徒せいとでない、なそは/\して展覽室てんらんしつたりはひつたりして自分じぶんこの展覽會てんらんくわい出品しゆつぴんするつもりで畫紙ゑがみまいおほきくうまあたまいた。うまかほはすところで、無論むろん少年せうねんにはあま畫題ぐわだいであるのを、自分じぶんこのきよよつ是非ぜひ志村しむら打勝うちかたうといふ意氣込いきごみだから一生懸命しやうけんめい學校がくかうからたくかへると一しつこもつてく、手本てほんもとにして生意氣なまいきにも實物じつぶつ寫生しやせいこゝろみ、さいは自分じぶんたくから一丁[#ルビ抜けはママ]ばかりはなれた桑園くはゞたけなか借馬屋しやくばやがあるので、幾度いくたびとなく其處そこうまやかよつた。輪廓りんくわくといひ、陰影いんえいひ、運筆うんぴつといひ、自分じぶんたしかにこれまで自分じぶんいたものは勿論もちろん志村しむらいたものゝうちでこれにくらぶべき出來できはないと自信じしんして、これならばかなら志村しむらつ、いかに不公平ふこうへい教員けうゐん生徒せいとでも、今度こんどこそ自分じぶん實力じつりよく壓倒あつたうさるゝだらうと、大勝利だいしようり豫期よきして出品しゆつぴんした。
 出品しゆつぴん製作せいさくみん自宅じたくくのだから、何人なにぴとたれなにくのからない、またたがひ祕密ひみつにしてこと志村しむら自分じぶんたがひ畫題ぐわだいもつと祕密ひみつにしてらさないやうにしてた。であるから自分じぶんうまきながらも志村しむらなにいてるかといふとひつねいだいてたのである。
 さて展覽會てんらんくわい當日たうじつおそらく全校ぜんかう數百すうひやく生徒中せいとちゆうもつとむねとゞろかして、展覽室てんらんしつつたもの自分じぶんであらう。※畫室づぐわしつ[#「圖」の「回」に代えて「面から一、二画目をとったもの」、467-4]すで生徒せいとおよ生徒せいと父兄姉妹ふけいしまい充滿いつぱいになつてる。そして二まい大畫たいぐわ今日けふ所謂いはゆ大作たいさく)がならべてかゝげてあるまへもつと見物人けんぶつにんたかつてる二まい大畫たいぐわはずとも志村しむらさく自分じぶんさく
 一けん自分じぶん荒膽あらぎもかれてしまつた。志村しむら畫題ぐわだいはコロンブスの肖像せうざうならんとは! しかもチヨークでいてある。元來ぐわんらい學校がくかうでは鉛筆畫えんぴつぐわばかりで、チヨークぐわをしへない。自分じぶんもチヨークでくなどおもひもつかんことであるから、善惡よしあしかくこの自分じぶんおどろいてしまつた。そのうへならず、うまあたま髭髯しぜんめんおほ堂々だう/\たるコロンブスの肖像せうざうとは、一けんまるでくらものにならんのである。鉛筆えんぴついろはどんなにたくみにいても到底たうていチヨークのいろにはおよばない。畫題ぐわだいといひ色彩しきさいといひ、自分じぶんのはえうするに少年せうねんいたぐわ志村しむらのは本物ほんものである。技術ぎじゆつ巧拙かうせつところでない、かゝげてもつ衆人しゆうじん展覽てんらんきようすべき製作せいさくとしては、いかに我慢強がまんづよ自分じぶん自分じぶんはういとはへなかつた。さなきだに志村しむら崇拜すうはい連中れんちゆうは、これを歡呼くわんこしてる。『うまいがコロンブスは如何どうだ!』などいふこゑ彼處あつちでも此處こつちでもする。
 自分じぶん學校がくかうもんはした。そしてうちにはかへらず、田甫たんぼた。めやうとおもふてもなみだまらない。口惜くやしいやらなさけないやら、前後夢中ぜんごむちゆうかはきしまではしつて、川原かはらくさうち打倒ぶつたふれてしまつた。
 あしをばた/\やつて大聲おほごゑげていて、それでらず起上おきあがつて其處そこらのいしひろひ、四方八方[#ルビ抜けはママ]けてた。
 かうあばれてるうちにも自分じぶんは、彼奴きやつ何時いつにチヨークぐわならつたらう、何人だれ彼奴きやつをしへたらうとればかりおもつゞけた。
 いたのとあばれたので幾干いくらむねがすくとともに、次第しだいつかれてたので、いつか其處そこてしまひ、自分じぶん蒼々さう/\たる大空おほぞら見上みあげてると、川瀬かはせおと淙々そう/\としてきこえる。若草わかくさいでかぜが、ならぬはるおくつてかほかすめる。心持こゝろもちになつて、自分じぶん暫時しばらくぢつとしてたが、突然とつぜん、さうだ自分じぶんもチヨークでいてやう、さうだといふ一ねんたれたので、其儘そのまゝいそいでうちへり、ちゝゆるして、ぐチヨークをとゝの畫板ぐわばんひつさまたそとした。
 このときまで自分じぶんはチヨークをつたことがい。どういふふうくものやら全然まるで不案内ふあんないであつたがチヨークでいたたことは度々たび/\あり、たゞこれまで自分じぶんかないのは到底たうてい自分じぶんどものちからおよばぬものとあきらめてたからなので、志村しむらがあのくらけるなら自分じぶん幾干いくら出來できるだらうとおもつたのである。
 ふたゝさき川邊かはゞたた。そして自分じぶんおもひついた畫題ぐわだい水車みづぐるま、この水車みづぐるま其以前そのいぜん鉛筆えんぴついたことがあるので、チヨークの手始てはじめにいまこれを寫生しやせいしてやらうと、つゝみ辿たどつて上流じやうりうはうへと、あしけた。
 水車みづぐるま川向かはむかふにあつてそのふるめかしいところ木立こだちしげみになかおほはれて案排あんばい蔦葛つたかづらまとふて具合ぐあひ少年心こどもごころにも面白おもしろ畫題ぐわだい心得こゝろえたのである。これを對岸たいがんからうつすので、自分じぶんつゝみりて川原かはら草原くさはらると、いままで川柳かはやぎかげえなかつたが、一人ひとり少年せうねんくさうちすわつてしきりに水車みづぐるま寫生しやせいしてるのをつけた。自分じぶん少年せうねんとは四五十けんへだたつてたが自分じぶんは一けんして志村しむらであることをつた。かれは一しんになつてるので自分じぶんちかづいたのにもつかぬらしかつた。
 おや/\、彼奴きやつる、どうして彼奴きやつ自分じぶんさきさきへとはるだらう、ま/\しいやつだとおほいしやくさはつたが、さりとて引返ひきかへすのはいやだし、如何どうしてれやうと、其儘そのまゝ突立つゝたつて志村しむらはうた。
 かれ熱心ねつしんいてくさうへこしからうへて、そのてたひざ畫板ぐわばん寄掛よりかけてある、そして川柳かはやぎかげうしろからかれ全身ぜんしんおほひ、たゞそのしろかほあたりから肩先かたさきへかけてやなぎれたうすひかりおだやかにちてる。これは面白おもしろい、彼奴きやつうつしてやらうと、自分じぶん其儘そのまゝ其處そここしおろして、志村しむら其人そのひと寫生しやせいりかゝつた。それでも感心かんしんなことには、畫板ぐわばんむかうと最早もはや志村しむらもいま/\しいやつなどおもこゝろえてはうまつたこゝろられてしまつた。
 かれかしらげては水車みづぐるままた畫板ゑばんむかふ、そしてり/\愉快ゆくわいらしい微笑びせうほゝうかべてかれ微笑びせうするごとに、自分じぶん我知われしらず微笑びせうせざるをなかつた。
 さうするうちに、志村しむら突然とつぜんがつて、其拍子そのひやうし自分じぶんはういた、そしてなんにもがた柔和にうわかほをして、につこりわらつた。自分じぶんおもはずわらつた。
きみなにいてるのだ、』とくから、
きみ寫生しやせいしてたのだ。』
ぼく最早もはや水車みづぐるまいてしまつたよ。』
『さうか、ぼく出來できないのだ。』
『さうか、』とつて志村しむら其儘そのまゝふたゝこしろし、もとの姿勢しせいになつて、
たまへ、ぼく其間そのまにこれをなほすから。』
 自分じぶんはじめたが、いてるうち、かれま/\しいとおもつたこゝろまつたえてしまひ、かへつかれ可愛かあいくなつてた。そのうちにをはつたので、
出來できた、出來できた!』とさけぶと、志村しむら自分じぶんそばきたり、
『をやきみはチヨークでいたね。』
はじめてだから全然まるでにならん、きみはチヨークぐわだれならつた。』
『そら先達せんだつて東京とうきやうからかへつて奧野おくのさんにならつたしかならひたてだからなんにもけない。』
『コロンブスは出來できたね、ぼくおどろいちやツた。』
 それから二人ふたり連立つれだつて學校がくかうつた。此以後このいご自分じぶん志村しむらまつたなかくなり、自分じぶんこゝろから志村しむら天才てんさいふくし、志村しむらもまた元來ぐわんらい温順おとなしい少年せうねんであるから、自分じぶん又無またな朋友ほういうとしてしたしんでれた。二人[#ルビ抜けはママ]畫板ゑばんたづさ野山のやま寫生しやせいしてあるいたことも幾度いくどれない。
 もなく自分じぶん志村しむら中學校ちゆうがくかうることゝなり、故郷こきやう村落そんらくはなれて、けん中央ちゆうわうなる某町ぼうまち寄留きりうすることゝなつた。中學ちゆうがくつても二人[#ルビ抜けはママ]くことをなによりのたのしみにして、以前いぜんおなじく相伴あひともなふて寫生しやせい出掛でかけてた。
 この某町ぼうまちから我村落わがそんらくまで七車道しやだうをゆけば十三大迂廻おほまはりになるので我々われ/\中學校ちゆうがくかう寄宿舍きしゆくしやから村落そんらくかへときけつしてくるまらず、なつふゆ定期休業ていききうげふごとかならず、このみち草鞋わらぢがけであるいたものである。
 七みちはたゞやまばかり、さかあり、たにあり、溪流けいりうあり、ふちあり、たきあり、村落そんらくあり、兒童じどうあり、はやしあり、もりあり、寄宿舍きしゆくしやもん朝早あさはやくれうちくまでのあひだ自分じぶん此等これらかたちいろひかりおもむきを如何どういふふういたら、自分じぶんこゝろゆめのやうにざしてなぞくことが出來できるかと、それのみにこゝろられてあるいた。志村しむらおなこゝろあとになりさきになり、二人ふたりあるいてると、時々とき/″\路傍ろばうこしろして鉛筆えんぴつ寫生しやせいこゝろみ、かれたずばわれたず、われふでをやめずんばかれめないとふうで、おもはずときち、おどろいて二人ふたりとも、つぎの一駈足かけあしんだこともあつた。
 爾來じらい數年すねん志村しむらゆゑありて中學校ちゆうがくかう退しりぞいて村落そんらくかへり、自分じぶんくにつて東京とうきやう遊學いうがくすることゝなり、いつしか二人ふたりあひだには音信おんしんもなくなつて、たちまち又四五年[#ルビ抜けはママ]つてしまつた。東京とうきやうてから、自分じぶんおもひつゝもみづかかなくなり、たゞ都會とくわい大家たいか名作めいさくて、わづか自分じぶん畫心ゑごころ滿足まんぞくさしてたのである。
 ところ自分じぶんの二十のときであつた、ひさしぶりで故郷こきやう村落そんらくかへつた。たく物置ものおきかつ自分じぶんもちあるいた畫板ゑばんつたの[#(を脱カ)の注記]つけ、同時どうじ志村しむらのことをおもひだしたので、早速さつそくひといてると、おどろくまいことか、かれは十七のとし病死びやうししたとのことである。
 自分じぶんひさしぶりで畫板ゑばん鉛筆えんぴつひつさげていへた。故郷こきやう風景ふうけいもととほりである、しか自分じぶん最早もはや以前いぜん少年せうねんではない、自分じぶんはたゞ幾歳いくつかのとししたばかりでなく、かう不幸ふかうか、人生じんせい問題もんだいになやまされ、生死せいし問題もんだい深入ふかいりし、ひとしく自然しぜんたいしても以前いぜんこゝろにはまつたおもむきへてたのである。がた暗愁あんしう暫時しばらく自分じぶんやすめない。
 ときなつ最中もなか自分じぶんはたゞ畫板ゑばんひつさげたといふばかり、なにいてにもならん、ひとりぶら/\と野末のずゑた。かつ志村しむらとも寫生しやせい野末のずゑに。
 やみにもよろこびあり、ひかりにもかなしみあり麥藁帽むぎわらばうひさしかたむけて、彼方かなたをか此方こなたはやしのぞめば、まじ/\とかゞやいてまばゆきばかりの景色けしき自分じぶんおもはずいた。

底本:「定本 国木田独歩全集 第二巻」学習研究社
   1964(昭和39)年7月1日初版発行
   1978(昭和53)年3月1日増訂版発行
   1995(平成7)年7月3日増補版発行
底本の親本:「運命」佐久良書房
   1906(明治39)年3月発行
初出:「青年界」第一卷第二號
   1902(明治35)年8月1日発行
入力:鈴木厚司
校正:小林繁雄
2001年12月21日公開
2004年7月3日修正
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。