一

 私は死刑に処せらるべく、今東京監獄の一室に拘禁せられて居る。
 嗚呼死刑! 世に在る人々に取っては、是れ程忌わしく恐ろしい言葉はあるまい、いくら新聞では見、物の本では読んで居ても、まさかに自分が此忌わしい言葉と、眼前直接の交渉を生じようと予想した者は一個もあるまい、而も私は真実に此死刑に処せられんとして居るのである。
 平生私を愛してくれた人々、私に親しくしてくれた人々は、斯くあるべしと聞いた時に如何に其真偽を疑い惑ったであろう、そして其真実なるを確め得た時に、如何に情けなく、浅猿しく、悲しく、恥しくも感じたであろう、就中とりわけて私の老いたる母は、如何に絶望の刃に胸を貫かれたであろう。
 左れど今の私自身に取っては、死刑は何でもないのである。
 私が如何にして斯る重罪を犯したのである、其公判すら傍聴を禁止せられた今日に在っては、固より十分に之を言うの自由は有たぬ。百年の後ち、誰か或は私に代って言うかも知れぬ、孰れにしても死刑其者はなんでもない。
 是れ放言でもなく、壮語でもなく、飾りなき真情である、真個に能く私を解し、私を知って居た人ならば、亦た此の真情を察してくれるに違いない、堺利彦は「非常のこととは感じないで、何だか自然の成行のように思われる」と言って来た、小泉三申は「幸徳もあれで可いのだと話して居る」と言って来た、如何に絶望しつらんと思った老いたる母さえ直ぐに「斯る成行に就ては、兼て覚悟がないでもないから驚かない、私のことは心配するな」と言って来た。
 死刑! 私には洵とに自然の成行である。これで可いのである、兼ての覚悟あるべき筈である、私に取っては、世に在る人々の思うが如く、忌わしい物でも、恐ろしい物でも、何でもない。
 私が死刑を期待して監獄に居るのは、瀕死の病人が施療院に居るのと同じである、病苦の甚しくないだけ更に楽かも知れぬ。
 これ私の性の獰猛なるに由る乎、癡愚なるに由る乎、自分には解らぬが、併し今の私に人間の生死、殊に死刑に就ては、粗ぼ左の如き考えを有って居る。

     二

 万物は皆な流れ去るとヘラクリタスも言った、諸行は無常、宇宙は変化の連続である。
 其実体サブスタンスには固より終始もなく生滅もなき筈である、左れど実体の両面たる物質と勢力とが構成し仮現する千差万別・無量無限の個々の形体フォームに至っては、常住なものは決してない、彼等既に始めが有る、必ず終りが無ければならぬ、形成されし者、必ず破壊されねばならぬ、生長する者、必ず衰亡せねばならぬ、厳密に言えば、万物総て生れ出たる刹那より、既に死につつあるのである。
 是れ太陽の運命である、地球及び総ての遊星の運命である、して地球に生息する一切の有機体をや、細は細菌より大は大象に至るまでの運命である、これ天文・地質・生物の諸科学が吾等に教ゆる所である、吾等人間ひとり此鈎束こうそくを免るることが出来よう
 否な、人間の死は科学の理論を俟つまでもなく、実に平凡なる事実、時々刻々の眼前の事実、何人も争う可らざる事実ではない歟、死の来るのは一個の例外を許さない、死に面しては貴賎・貧富も善悪・邪正も知愚・賢不肖も平等一如である、何者の知恵も遁がれ得ぬ、何者の威力も抗することは出来ぬ、若し如何にかして其を遁がれよう、其れに抗しように企つる者あらば、其は畢竟愚癡の至りに過ぎぬ。只だ是れ東海に不死の薬を求め、バベルに昇天の塔を築かんとしたのと同じ笑柄である。
 成程天下多数の人は死を恐怖して居るようである、然し彼等とても死の免がれぬのを知らぬのではない、死を避け得べしとも思って居ない、恐らくは彼等の中に一人でも、永遠の命は愚か、伯大隈の如くに百二十五歳まで生き得べしと期待し、生きたいと希望して居る者すらあるまい、否な百歳・九十歳・八十歳の寿命すらも、先ずは六かしいと諦らめてるのが多かろうと思う、果して然らば彼等は単純に死を恐怖して、何処までも之を避けんと悶える者ではない。彼等は自ら明白に意識せると否とは別として、彼等が恐怖の原因は別に在ると思う。
 即ち死ちょうことに伴なう諸種の事情である、其二三を挙ぐれば、(第一)天寿を全うして死ぬのでなく、即ち自然に老衰して死ぬのでなくして、病疾其他の原因から夭折し、当然享くべく味うべき生を、享け得ず味わい得ざるを恐るるのである、(第二)来世の迷信から其妻子・眷属に別れて独り死出の山、三途の川を漂泊さまよい行く心細さを恐るるのもある、(第三)現世の歓楽・功名・権勢、さては財産を打棄てねばならぬ残り惜しさの妄執に由るのもある、(第四)其計画し若くば着手せし事業を完成せず、中道にして廃するのを遺憾とするのもある、(第五)子孫の計未だ成らず、美田未だ買い得ないで、其行末を憂慮する愛着に出るのもあろう、(第六)或は単に臨終の苦痛を想像して戦慄するのもあるかも知れぬ。
 一々に数え来れば其種類は限りもないが、要するに死其者の恐怖すべきではなくて、多くは其個個が有せる迷信・貪欲・愚癡・妄執・愛着の念を払い得難き性質・境遇等に原因するのである、故に見よ、彼等の境遇や性質が若し一たび改変せられて、此等の事情から解脱するか、或は此等の事情を圧倒するに足るべき他の有力なる事情が出来する時には、死は何でもなくなるのである。だに死を恐怖しないのみでなく、或は恋の為めに、或は名の為めに、或は仁義の為めに、或は自由の為めに、扨は現世の苦痛から遁れんが為めに、死に向って猛進する者すら有るではない歟。
 死は古えから悼ましき者、悲しき者とせられて居る、左れど是は唯だ其親愛し、尊敬し、若くは信頼したる人を失える生存者に取って、悼ましく悲しきのみである、三魂、六魂一空に帰し、感覚も記憶も直ちに消滅し去るべき死者其人に取っては、何の悼みも悲みもあるべき筈はないのである、死者は何の感ずる所なく、知る所なく、喜びもなく、悲しみもなく、安眠・休歇に入って了うのに、之を悼惜し慟哭する妻子・眷族其他の生存者の悲哀が幾万年か繰返されたる結果として、何人も漠然死は悲しむべし恐るべしとして怪しまぬに至ったのである、古人は生別は死別より惨なりと言った、死者には死別の恐れも悲みもない、惨なるは寧ろ生別に在ると私も思う。
 成程人間、否な総ての生物には、自己保存の本能がある、栄養である、生活である、之に依れば人は何処までも死を避け死に抗するのが自然であるかのように見える、左れど一面には亦た種保存スペーシスの本能がある、恋愛である、生殖である、之が為めには直ちに自己を破壊し去って悔みない省みないのも、亦た自然の傾向である、前者は利己主義となり、後者は博愛心となる。
 此二者は古来氷炭相容れざる者の如くに考えられて居た、又た事実に於て屡ば矛盾もし衝突もした、然し此矛盾・衝突は唯だ四囲の境遇の為めに余儀なくせられ、若くば養成せられたので、其本来の性質ではない、否な彼等は完全に一致・合同し得べき者、させねばならぬものである、動物の群集にもあれ、人間の社会にもあれ、此二者の常に矛盾・衝突すべき事情の下に在る者は衰亡し、一致・合同し得たる者は繁栄し行くのである。
 而して此一致・合同は、常に自己保存が種保存の基礎たり準備たることに依て行われる、豊富なる生殖は常に健全なる生活から出るのである、斯くて新陳代謝する、種保存の本能大に活動せるの時は、自己保存の本能は既に殆ど其職分を遂げて居る筈である、果実を結ばんが為めには花は喜んで散るのである、其児の生育の為めには母は楽しんで其心血を絞るのである、生少かくして自己の為めに死に抗するも自然である、長じて種の為めに生を軽んずるに至るのも自然である、是れ矛盾ではなくして正当の順序である、人間の本能は必しも正当・自然の死を恐怖する者ではない、彼等は皆な此運命を甘受すべき準備を為して居る。
 故に人間の死ぬのは最早問題ではない、問題は実に何時如何にして死ぬかに在る、寧ろ其死に至るまでに如何なる生を享け且つ送りしかに在らねばならぬ。

     三

 いやしくも狂愚にあらざる以上、何人も永遠・無窮に生きたいとは言わぬ、而も死ぬなら天寿を全くして死にたいというのが、万人の望みであろう、一応は無理ならぬことである。
 左れど天命の寿命を全くして、疾病もなく、負傷もせず、老衰の極、油尽きて火の滅する如く、自然に死に帰すということは、其実甚だ困難のことである、何となれば之が為めには、総ての疾病を防ぎ総ての禍災を避くべき完全の注意と方法と設備とを要するからである、今後幾百年かの星霜を経て、文明は益々進歩し、物質的には公衆衛生の知識愈々発達し、一切公共の設備の安固なるは元より、各個人の衣食住も極めて高等・完全の域に達すると同時に、精神的にも常に平和・安楽にして、種々なる憂悲・苦労の為めに心身を損うが如きことなき世の中となれば、人は大抵其天寿を全くするを得るであろう、私は斯様な世の中が一日も速く来らんことを望むのである、が、少くとも今日の社会、東洋第一の花の都には、地上にも空中にも恐るべき病菌が充満して居る、汽車・電車は、毎日のように衝突したり人を轢いたりして居る、米と株券と商品の相場は、刻々に乱高下して居る、警察・裁判所・監獄は多忙を極めて居る、今日の社会に於ては、若し疾病なく障害なく真に自然の死を遂げ得る人ありとせば、其は希代の偶然・僥倖と言わねばならぬ。
 実際如何に絶大の権力を有し、巨万の富を擁して、其衣食住は殆ど完全の域に達して居る人々でも、又た彼の律僧や禅家などの如く、其の養生の為めには常人の堪ゆる能わざる克己・禁欲・苦行・努力の生活を為す人々でも、病いなくして死ぬのは極めて尠いのである、況んや多数の権力なき人、富なき人、弱き人、愚かなる人をやである、彼等は大抵栄養の不足や、過度の労働や、汚穢なる住居や、有毒なる空気や、激甚なる寒暑や、扨は精神過多等の不自然なる原因から誘致した病気の為めに、其天寿の半にだも達せずして紛々として死に失せるのである、独り病気のみでない、彼等は餓死もする、凍死もする、溺死する、焚死する、震死する、轢死する、工場の器機に捲込れて死ぬる、鉱坑の瓦斯ガスで窒息して死ぬる、私慾の為めに謀殺される、窮迫の為めに自殺する、今の人間の命の火は、油の尽きて滅するのでなくて、皆な烈風に吹消さるるのである、私は今手許に統計を有たないけれど、病死以外の不慮の横死のみでも年々幾万に上るか知れないのである。
 鰯が鯨の餌食となり、雀が鷹の餌食となり、羊が狼の餌食となる動物の世界から進化して、いまだ幾万年しか経ない人間社会に在って、常に弱肉強食の修羅場を演じ、多数の弱者が直接・間接に生存競争の犠牲となるのは、目下の所は已むを得ぬ現象で、天寿を全くして死ぬちょう願いは、無理ならぬようで、其実甚だ無理である、殊に私のような弱く愚かな者、貧しく賤しき者に在っては、到底望む可からざることである。
 否な、私は初めより其を望まないのである、私は長寿必しも幸福ではなく、幸福は唯だ自己の満足を以て生死するに在りと信じて居た、若し、又人生に社会的価値ヴァリューとも名づくべきもの之れ有りとせば、其は長寿に在るのではなくて、其人格と事業とが四囲及び後代に及ぼす感化・影響の如何に在りと信じて居た、今もく信じて居る。
 天寿既に全くすることが出来ぬ、独り自分のみでなく、天下の多数も亦た然り、而して単に天寿を全くすることが、必しも幸福でなく、必しも価値ある者でないとせば、吾等は病死其他の不自然の死を甘受するの外はなく、また甘受するのが良いではない歟、唯だ吾等は如何なる時、如何なる死でもあれ、自己が満足を感じ、幸福を感じて死にたいものと思う、而して其生に於ても、死に於ても、自己の分相応の善良な感化・影響を社会に与えて置きたいものだと思う、是れ大小の差こそあれ、其人々の心がけ次第で、決して為し難いことではないのである。
 不幸短命にして病死しても、正岡子規君や清沢満之君の如く、餓死しても伯夷や杜少陵の如く、凍死しても深艸少将の如く、溺死しても佐久間艇長の如く、焚死しても快川国師の如く、震死しても藤田東湖の如くならば、不自然の死も却って感嘆すべきではない歟、或は道の為めに、或は職の為めに、或は意気の為めに、或は恋愛の為めに、或は忠孝の為めに、彼等は生死を超脱した、彼等は各々生死且つ省みるに足らざる大なる或者を有して居た、斯くて彼等の或者は満足に且つ幸福に感じて死だ、而して彼等の或者は其生死共に尠からぬ社会的価値を有し得たのである。
 如意輪堂の扉に梓弓の歌かき残せし楠正行は、年僅に二十二歳で戦死した、忍びの緒を断ち※(「灰/皿」、第3水準1-88-74)かぶとに名香を薫ぜし木村重成も亦た僅かに二十四歳で、戦死した、彼等各自の境遇から、天寿を保ち若くば病気で死ぬることすらも、耻辱なりとして戦死を急いだ、而して倶に幸福満足を感じて死んだ、而して亦た孰れも真に所謂「名誉の戦死」であった。
 若し赤穂義士を許して死を賜うことなかったならば、彼等四十七人は尽く光栄ある余生を送りて、終りをくし得たであろう歟、其中或は死よりも劣れる不幸の人、若くば醜辱の人を出すことなかったであろう歟、生死孰れが彼等の為めに幸福なりし歟、是れ問題である、兎に角、彼等は一死を分として満足・幸福に感じて屠腹した、其満足・幸福の点に於ては、七十余歳の吉田忠左衛門も十六歳の大石主税も同じであった、其死の社会的価値も亦た寿夭の如何に関する所はないのである。
 人生死処を得ること難し、正行でも重成でも主税でも、短命にして且つ生理的には不自然の死であったが、而も能く其死処を得た者と私は思う、其死や彼等の為めに悲しむよりも寧ろ賀すべき者だと思う。

     四

 左は言え、私は決して長寿を嫌って、無用・無益とするのではない、命あっての物種である、其生涯が満足な幸福な生涯ならば、無論長い程可いのである、且つ大なる人格の光を千載に放ち、偉大なる事業の沢を万人に被らすに至るには、長年月を要することが多いのは言う迄もない。
 伊能忠敬は五十歳から当時三十余歳の高橋(ママ)衛門の門に入って測量の学を修め、七十歳を超えて、日本全国の測量地図を完成した、趙州和尚は、六十歳から參禅修業を始め、二十年を経て漸く大悟徹底し、爾後四十年間、衆生を化度した、釈尊も八十歳までの長い間在世されたればこそ、仏日あまねく広大に輝き渡るのであろう、孔子も五十にして天命を知り、六十にして耳順したがい、七十にして心の欲する所に従ってのりえずと言った、老るに従って益々識高く徳進んだのである。
 斯く非凡の健康と精力とを有して、其寿命を人格の琢磨と事業の完成とに利用し得る人々に在っては、長寿は最も尊貴にして且つ幸福なるは無論である。
 而も前に言えるが如く、斯かる天稟・素質を享け、斯かる境界・運命に遇い得る者は、今の社会には洵とに千百人中の一人で、他は皆不自然の夭死を甘受するの外はない、縦令たとえ偶然にして其寿命のみを保ち得ても、健康と精力とが之に伴わないで、永く窮困・憂苦の境に陥り、自ら楽しまず、世をも益するなく、碌々昏々として日を送る程ならば、却て夭死に如かぬではない歟。
 けだし人が老いて益々壯んなのは寧ろ例外で、或る齢を過ぎれば心身倶に衰えて行くのみである、人々の遺伝の素質や四囲の境遇の異なるに従って、其年齢は一定しないが、兎に角一度健康・精力が旺盛の絶頂に達するの時代がある、換言すれば所謂「働き盛り」の時代がある、故に道徳・智識の如きに至っては、随分高齢に至る迄、進んで已まぬを見るのも多いが、元気・精力を要するの事業に至っては、此の「働き盛り」を過ぎては殆どダメで、如何なる強弩も其末魯縞を穿ち得ず、壮時の麒麟も老いては大抵驢馬となって了うのである。
 力士の如き其最も著しき例である、文学・芸術の如きに至っても、不朽の傑作たる者は其作家が老熟の後よりも却って未だ大に名を成さざる時代の作に多いのである、革命運動の如き、最も熱烈なる信念と意気と大胆と精力とを要するの事業は、殊に少壮の士に待たねばならぬ、古来の革命は常に青年の手に依って成されたのである、維新の革命に参加して最も力ありし人々は、当時皆な二十代より三十代であった、仏国革命の立者たるロベスピエールもダントンもエベールも、斬首台に上った時は孰れも三十五六であったと記憶する。
 而して此働き盛りの時に於て、或は人道の為めに、或は事業の為めに、或は恋愛の為めに、或は意気の為めに、兎に角自己の生命よりも重しと信ずる或物の為めに、力の限り働らきて倒れて後ち已まんことは、先ず死所を得たもので、其の社会・人心に影響・印象する所も決して浅からぬのである。是れ何人に取っても満足すべき時に死せざれば、死に勝さる耻ありと、現に私は、其死所を得ざりし為めに、気の毒な生恥じを晒して居る多くの人々を見るのである。
 一昨年の夏、露国より帰航の途中で物故した長谷川二葉亭を、朝野挙って哀悼した所であった、杉村楚人冠は私に戯れて、「君も先年米国への往きか帰りかに船の中ででも死んだら偉いもんだったがなア」と言った。彼れの言は戯言である、左れど実際私としては其当時が死すべき時であったかも知れぬ、死処を得ざりしが為めに、今の私は「偉いもんだ」にならないで「馬鹿な奴だ」「悪い奴だ」になって生き恥じを晒して居る、若し此上生きれば更に生恥じが大きくなるばかりかも知れぬ。
 故に短命なる死、不自然なる死ちょうことは、必しも嫌悪し忘弔すべきでない、若し死に嫌忌し哀弔すべき者ありとせば、其は多くの不慮の死、覚悟なき死、安心なき死、諸種の妄執・愛着を断ち得ざるよりする心中の憂悶や、病気や負傷よりする肉体の痛苦を伴う死である、今や私は幸いに此等の条件以外の死を遂ぐべき運命を享け得たのである。
 天寿を全くするのは今の社会に何人も至難である、而して若し満足に、幸福に、且つ出来得べくんば其人の分相応――私は分外のことを期待せぬ――の社会的価値を有して死ぬとせば、病死も、餓死も、凍死も、溺死も、焚死も、震死も、轢死も、縊死も、負傷の死も、窒息の死も、自殺も、他殺も、なんの哀弔し嫌忌すべき理由はないのである。
 然らば即ち刑死は如何、其生理的に不自然なるに於て、此等諸種の死と何の異なる所があろう歟、此等諸種の死よりも更に嫌悪し忘弔すべき理由があるであろう歟。

     五

 死刑は最も忌わしく恐るべき者とせられて居る、然し私には単に死の方法としては、病死其他の不自然と甚だ択ぶ所はない、而して其十分な覚悟を為し得ることと、肉体の苦痛を伴わぬこととは他の死に優るとも劣る所はないかと思う。
 左らば世人が其を忌わしく恐るべしとするのは何故ぞや、言う迄もなく死刑に処せられるのは必ず極悪の人、重罪の人たることを示す者だと信ずるが故であろう、死刑に処せらるる程の極悪・重罪の人たることは、家門の汚れ、末代の恥辱、親戚・朋友の頬汚しとして忌み嫌われるのであろう、即ち其恥ずべく忌むべく恐るべきは、刑に死すちょうことにあらずして、死者其人の極悪の質、重罪の行いに在るのではない歟。
 仏国の革命の梟雄マラーを一刀に刺殺して、「予は万人を救わんが為に一人を殺せり」と法廷に揚言せる二十六歳の処女シャロット・ゴルデーは、処刑に臨みて書を其父に寄せ、明日(ママ)に此意を叫んで居る、曰く「死刑台は恥辱にあらず、、恥辱なるは罪悪のみ」と。
 死刑が極悪・重罪の人を目的としたのは固よりである、従って古来多くの恥ずべく忌むべく恐るべき極悪・重罪の人が死刑に処せられたのは事実である、左れど此れと同時に多くの尊むべく敬すべく愛すべき善良・賢明の人が死刑に処せられたのも事実である、而して甚だ尊敬すべき善人ならざるも、亦た甚だ嫌悪すべき悪人にもあらざる多くの小人・凡夫が、誤って時の法律に触れたるが為めに――単に一羽の鶴を殺し、一頭の犬を殺したということの為めにすら――死刑に処せられたのも亦た事実である、要するに刑に死する者が必しも常に極悪の人、重罪の人のみでなかったことは事実である。
 石川五右衛門も国定忠治も死刑となった、平井権八も鼠小僧も死刑となった、白木屋お駒も八百屋お七も死刑となった、大久保時三郎も野口男三郎も死刑となった、と同時に一面にはソクラテスもブルノーも死刑となった、ペロプスカヤもオシンスキーも死刑となった、王子比干や商鞅も韓非も高青邱も呉子胥も文天祥も死刑となった、木内宗五も吉田松蔭も雲井龍雄も江藤新平も赤井景韶も富松正安も死刑となった、刑死の人には実に盗賊あり殺人あり放火あり乱臣賊子あると同時に、賢哲あり忠臣あり学者あり詩人あり愛国者・改革者もあるのである、是れ唯だ目下の私が心に浮み出る儘に其二三を挙げたのである、若し私の手許に東西の歴史と人名辞書とを有らしめたならば、私は古来の刑台が恥辱・罪悪に伴える巨多の事実と共に、更に刑台が光栄・名誉に伴える無数の例証をも挙げ得るであろう。
 西班牙に宗教裁判の設けられたる当時を見よ、無辜の良民にして単に教会の信条に服せずとの嫌疑の為めに焚殺されたる幾十万を算するではない歟。仏国革命の恐怖時代を見よ、政治上の党派を異にすというの故を以て斬罪となれる者、日に幾千人に上れるではない歟、日本幕末の歴史を見よ、安政大獄を始めとして、大小各藩に於て、当路と政見を異にせるが為めに、斬に処し若くば死を賜える者かぞうるに勝えぬではない歟、露国革命運動に関する記録を見よ、過去四十年間に此運動に参加せる為め、若くば其嫌疑の為めに刑死せる者数万人に及べるではない歟、若し夫れ支那に至っては、冤枉えんおうの死刑は、殆ど其五千年の歴史の特色の一とも言って可いのである。
 て此に至れば、死刑は固より時の法度に照して之を課せる者多きを占むるは論なきも、何人か能く世界万国有史以来の厳密なる統計を持して、死刑は常に恥辱・罪悪に伴えりと断言し得るであろう歟、否な、死刑の意味せる恥辱・罪悪は、その有せる光栄若くば冤枉よりも多しちょうことすらも、断言し得るであろう歟、是れ実に一個未決の問題であると私は思う。
 故に今の私に恥ずべく忌むべく恐るべき者ありとせば、其は死刑に処せらるちょうことではなくて、私の悪人たり罪人たるに在らねばならぬ、是れ私自身に論ずべき限りでなく、又た論ずるの自由を有たぬ。唯だ死刑ちょうこと、其事は私に取って何でもない。
 謂うに人に死刑に値いする程の犯罪ありや、死刑は果して刑罰として当を得たる者なりや、古来の死刑は果して刑罰の目的を達するに於て、能く其効果を奏せりやとは、学者の久しく疑う所で、是れ亦た未決の一大問題として存して居る、而も私は茲に死刑の存廃を論ずるのではない、今の私一個としては、其存廃を論ずる程に死刑を重大視して居ない、病死其他の不自然なる死の来たのと、甚だ異なる所はない。
 無常迅速生死事大と仏家は頻りに嚇して居る、生は時としては大なる幸福ともなり、又た時としては大なる苦痛ともなるので、如何にも事大に違いない、然し死が何の事大であろう、人間血肉の新陳代謝全く休んで、形体・組織の分解し去るのみではない歟。死の事大ちょうことは、太古より知恵ある人が建てた一種の案山子である、地獄・極楽の簑笠つけて、愛着・妄執の弓矢放さぬ姿は甚だ物々しげである、漫然遠く之を望めば誠とに意味ありげであるが、近づいて仔細に之を看れば何でもないのである。
 私は必しも強いて死を急ぐ者ではない、生きられるだけは生きて、内には生を楽しみ、生を味わい、外には世益を図るのが当然だと思う、左りとて又た苟くも生を貪らんとする心もない、病死と横死と刑死とを問わず、死すべきの時一たび来らば、十分の安心と満足とを以て之に就きたいと思う。
 今や即ち其時である、是れ私の運命である、以下少しく私の運命観を語りたいと思う。

底本:「日本の名随筆8 死」作品社
   1983(昭和58)年3月25日第1刷発行
   1991(平成3)年9月1日第17刷発行
底本の親本:「幸徳秋水全集 第六巻」明治文献
   1968(昭和43)年11月発行
入力:渡邉つよし
校正:今井忠夫
2000年10月27日公開
2004年7月21日修正
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