「御隠居様よ、又お清が来ましたぞえ何なりと買ってやりなんしょ」と頬を赤くして火を吹いて居ママ下女の正は台所から声をかけた。「そうかえ」と云いながら茶の間から出ていらっしゃったお祖母様は、玉の大きいがんこな目がねをママににぎったまま中の [#「 」は欠字]に行らっしゃる。私も何かと思ってそっと後からついて行って肩越にのぞくと年は私と同じぐらい、うすよごれた袷を着て去年の盆にかってもらったらしい下駄をはいて片手に包をさげたままではずかしそうに青い顔の頬のあたりをうすくれなママにそめてうなだれて立って居る。お祖母様は「遠慮しないでもいいよ、そこにおかけ今日は何を持って来たかえ」とおっしゃると娘はだまったままで包を開くとライオンのふる箱の中に少しばかりの巻紙と筆と封筒が入って居た。「今日はもうこれ丈うれたのかい」とおっしゃるとだまったままでうなずいて一寸私の顔をぬすみ見てはよれよれになった袂の先をいじって居る。お祖母様は水色の封筒を四つと三本筆を一つ、細巻の状紙を一つ取って「いくらだい」とおっしゃると土間の石ころを見つめながら「二十六銭」ききとれないような小さい声である。「硯の引出しから三十銭出しておつりはいいよ」と云って茶の間にお入りになると娘は中みのえっママた包を小わきにかかえて丁寧なおじぎをして出て行った。「お祖母様今の娘どうしたの」と早速うかがわずにはいられなかった。お祖母様は「今の娘はねー、お前なんぞ夢にも見た事のない苦しい思をして居るんだよ、あの子のお父さんと云うのは村で評判の呑ん平で一日に一升びんを三本からにすると云うごうのものなんだよ、それでおまけに大のずる助で実の子のあのお清に物をうらせて自分は朝から晩まで酒をあびて居てさ、にくらしいにもほうずがあるじゃあないかねい、娘にそんな苦しい思いをさしておいてうれ高が少いと打ったり、けったりするんだと、もとはそれでもそうとうに暮して居たんだがきりょうのぞみでもらった後妻が我ままでさんざん金をまいたあげくにさとに逃げて行ったんだものだからやけ半分でよけいにひどくなったんだよ」とここまでおっしゃって一寸煙草を一服なさる。こんないいやさしいお祖母様が長いきせるで煙草をのんで紫のけむりをわに吹いていらっしゃる所はあんまりにつかわしくないと思って紫のけむりの行方を見つめて娘の様子を思い出して居ると「それであんまり娘も可哀そうだから初めのうちこそ意けんもして見たが四十を越えた男のやけはもうなおるものでないと村のものももう意けんはしないが娘が可哀そうだからいらないものでも持って来れば十銭や十五銭はきっとかってやるのさ」とおっしゃって「ほんとに可哀そうにねー」とつけたしをなさる。「ほんとにまあ、可哀そうだ事、それにずいぶんなお父さんですこと」とお話が終ると一所に私の口からすべり出した。「家はどこですか」「あの一番池の北の堤の下の松林のわきにあるそりゃあみじめな家なんだよ」とおっしゃる。見えないとは知りつつ一番池のけんとうを見る。清の家はかげも形も見えなく只向う山が紫の霞にとざされているの許がはっきり目に見える。熟柿くさい息をハーハーママきながら売上りの銭を目の前にならべて今日の売高がすくないと小さい娘を叱かりつけて居る恐しげな父親の様子が思い出されて、娘が可哀そうだと思う心は尚々まして来る。そのよくよく日も四日許置いてからも又小さい包をもったお清の姿が水口の前にあらわれた。そのつどに小さい手にはいくつかの銭がにぎられた。
 私の知って居る人でやっぱりお清さんと云う名の人が居る。年頃も丁度同じくらいで。
 東京のお清さんは大変しわわせで居る。
 幾人もの女中にかこまれて心配な事と云えばお花見の前の空模様ぐらい、それは、幸にくらして居る。
 名も同じ年頃も同じ娘でありながらどうしてこう二人の身の上はちがうだろうと私は不思議でならない。父親がしっかりしないため、それは云わずと知れて居るけれども、私はどうしても不思議でならない。私も苦労をしらない娘だからかも知れないけれども、同じ娘でもこう違っても思うと何だか口をきいてみたいようになった。今日はめずらしく国分の前でお清に会った。私は口をきこうとして近づくと上目を一寸つかって走りぬけて行ってしまった。私はあの恐しげな父親は私と同じ娘をこんなにいじけさしてしまったと思うと泣きたくなるほどうらめしかった。
三月二十八日
三度目にお清に会って

底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
   1986(昭和61)年3月20日初版発行
※底本解題の著者、大森寿恵子が、1912(明治45=大正元)年もしくは1913(大正2)年の3月28日執筆と推定する習作です。
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2008年2月28日作成
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