静な町から来た私には駿河台と小川町の通はあんまりにぎやかすぎた。駿河台で電車を下りるとすぐ一つの心配が持ち立った。それは自分のつれて居るじいやが田舎出だからと云う事であった。電車をおりるとすぐ彼は私とあべこべの方へ行ってらした。そうして私に袖を引っぱられて変な顔をして又私の後についた。電車の線路をよこぎる時に彼はあんまりあわてたので職人にぶつかって眼をあいてあるけとどなられて大きい目を一層大きくした。そして「東京の暮を田舎の者に見せてやりたいなあ」と大きな声で一人ごちて道のまんなかに突ったってちょうちんや幕のはなやかにかざってあるのを見まわして居る。人力が来た。リンをチリンチリンとならして走って来た。彼はつんぼだからきこえないのだろう、まだぼんやりと見まわして居る。私は大急で走けつけて彼の手を引っぱって人道の方に引き入れた。私はもうがっかりしてしまった。こんなじいやをつれて来てどうしてよかろうと。
 私は尚心配がまして来た。今のようでは一人はなしてあるかせればきっと死んででもしまうだろうと。
 それは耳は遠いし足はよく動かないしするし、見とれるとどこでもおかまいなしに立ちすくんでしまうから。
 私は彼の鬼のように大きくそうしてかたい手をにがさないようにしっかりつかまえて又あるき出した。彼は今度はじゆうにあるけないからだまって私のあとをついて来る。私は歳暮大売出しと大きな門をつくった内の三省堂に本をかいによった。私はしかたがなくて彼の手をはなした。まさか本屋にまで手を引いて入れないから。本を見ている間に彼はもう唐物店の飾まどの前にすいつけられて居た。私は袖を引っぱって又手をつかまえた。こんどは同じ通りの中西屋に入って本をきいた。手をはなしたもんだから又彼はまわりどうろうのように一つところをぐるぐるまわりして居る。私はもう気が気ではない、まだたずねたい所はたくさんあったが心配でしょうがないからきりあげて巣鴨行の電車に乗った。
 電車は合にく込んで居た。私と彼とは車しょう台の上につみ込まれた。電車がツーツー走って居る間に彼はいくどもころがりそうになったかわからない。その度に私は心配した。道をあるく時にも車にぶつかりはしないかと心配した。心配のしつづけで家に帰って日向のいい椽側に長くなった時始めてほっとして生かえった心地がした。自分の部屋に入って炬燵にあたった彼もほっとしたようにスパリとたばこを一服してホットしたように溜息をした。

底本:「宮本百合子全集 第三十巻」新日本出版社
   1986(昭和61)年3月20日初版発行
※底本解題の著者、大森寿恵子が、1912(明治45=大正元)年もしくは1913(大正2)年の執筆と推定する習作です
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2008年2月28日作成
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