渋谷家の始祖

宮本百合子




        一

 正隆が、愈々(いよいよ)六月に農科大学を卒業して、帰京するという報知を受取った、佐々未亡人の悦びは、殆ど何人の想像をも、許さないほどのものであった。
 当時六十歳だった彼女は、正隆からの手紙を読みおわると、まるで愛人の来訪でも知らされた少女のように、ポーッと頬を赧らめて、我知らず黒天鵞絨(ビロード)の座布団から立上った。
 立ち上りはしたものの、次の運動を何も予想していなかった未亡人は、皺の深い口元に、羞らうような微笑を漂(うか)べて、そっとまた元の座になおると、後の壁の方へ振向いて、
「しげや、しげや、しげやはいるかい」
と、お気に入りの小間使いを呼びながら、手を鳴らした。彼女は早速、この輝やかしい報知を、親戚中に触れ廻して、雨のような祝辞を浴びたくなって来たのである。
 完く、佐々未亡人の正隆に対する愛は、その熱烈さに正比例して、特異なものであった。彼女の、鍾愛を越えて、偏愛に陥ったとさえ思われる愛は、何かの折に親類の者どもが寄るとさわると、一度は欠かさず皆の話題に上るほど、激しいものであったのである。
 勿論、それには正隆が末子であるということが、相当の口実にはなっておったろう。けれども、彼には、単に末っ子だというよりも、より以上の追憶が負わされていた。それは、彼の誕生そのものが既に、未亡人にとっては望外に近いものであったということと、彼の生命と、良人の生命とが、引換えに手渡しされたような形になった、ということとである。
 二十年ほども昔に、独りの長男を育て上げて以来、母親となる希望は、殆ど絶えたように見えた彼女が、孤独な、頼りない未来を予想して、自ら心を寒くしていた時に、思いも掛けず胎(はら)宿った正隆は、その祝福された誕生後、僅か半年で、まだ五十にもならなかった父親を失ってしまったのである。
 その時、四十ばかりだった佐々未亡人は、この突然な良人の死に逢って、殆ど食餌も喉に通らないほど、悲歎に暮れると同時に、正隆は、愛すべき良人の最後の記念として、自分に与えられた者だ、という感銘を、烙印のように魂に刻みつけた。彼女は、尊ぶべき良人が、彼の死後自分を襲う寂寥を思いやって、この望むことさえ不可能に見えた嬰児を、自分に遺して行ってくれたのだという感謝と追慕とに泣き咽びながら、空虚になった胸の上に、一人の痩せて虚弱な男の子を抱き捧げたのである。
 この感傷が、未亡人の心には、不可抗な愛着を募らせずには置かなかった。愛に対して、自発的であった彼女は、明かに二種の、相異った愛を混同して、正隆の上に注ぎ掛けた。彼女は、良人に対するような愛慕と眷恋(けんれん)と甘えとを、子供に対すべき母親の、大らかな愛護の中に混ぜ合わせて、彼を育てたのである。
 こういう境遇に生れた子の例に洩れず、正隆は生れた時から虚弱であった。
 何かというと直ぐ痙攣(ひきつけ)る、神経質な、泣き虫な彼は、揺籃の時から、自分をとり繞(かこ)んだ、むせるような熱愛の中で、まるで温室の植物のような発育を続けた。種のうちから、硝子張りの室(むろ)に入れられたひよわい草の芽が、何時かその不自然な熱度と、湿気とに馴れて、時を経るままに、一種の変種となって行くように、母未亡人の焼けるような抱擁を雄々しく撥(は)ね反すだけの力を、生理的にも心理的にも欠いて生れでた正隆は、人も知らず、勿論自分も知らない裡(うち)に、一種の変種となって、生活の中へ送り出されるようになったのである。
 ただ、可愛いという一字に、全心を打込んだ母未亡人を批判者とした正隆は、寧ろ当然ともいうべき無反省を、極度に甘やかされた「我」に持っていた。彼に、水を掛けてやるものもなければ、雑草と燕麦との区別をすら、教えてやる者がいなかった。
 ただ、保護である。真向からの抱擁が、豊饒な肥料を注ぎ込むばかりである。従って、正隆は、一つも選択されない、あらゆる性癖の芽をぞっくりと生え茂らせたまま、野放しの未耕地として、自身の心を抱いていたのである。けれども、総ての点に、安穏な、平調な生活を続けて来た正隆は、見えない種々の、運命的な欠陥を、そっと、相当な才能と美貌との下に沈ませて青年になった。
 母未亡人の注意によって、生れて一年経つと別家して、渋谷家の姓を継いだ正隆は、人々の一生に、或る場合には大きな損失さえも与える徴兵からも、完全に解放されて、明るい将来の中に、誰でもが持つ、社会的野心を漂わせながら、当時は、素晴らしいものに思われていた、学士という肩書を、担おうとしたのである。
 少年時代から、自分の容貌と、才能とに自信を持っている上に、亡くなった父親や、伯父ほど年の違う長兄の占めている地位等を、我知らず目算の裡に置いている正隆は、彼の前途に、一面からいえば、自惚(うぬぼれ)以上の光明を持っていた。普通の青年が期待するより以上の名誉なり、栄達なりが、つい手近な処に、彼を迎えて、腕を拡げているような心持がしていたのである。が、然し、その名誉なり、栄達なりという、輝やいた彼方と、今、四角い制帽を戴いた自分との間は、ぼんやりと霧の中に消え去っている。道程は、どんな風なものだか、それさえも思考の材料とはなって来ない。正隆にとって、当時多くの青年が叫んだような、意志の強固な勤勉などということは、恐るべき蕪雑さを以て現われた。
 蒼白い、濃い髪の毛の所有者である正隆は、繊(ほそ)い腕を形よく組合わせたまま、貴族的な冷笑と物懶(ものう)さとを合わせて、真正面から、世間へぶつかって行こうとする朋友達を、眺めやったのである。
 それ故、正隆は、間近に横わる卒業後の生活方針等に就いては、何も纏(まとま)った計画は持っていなかった。ただ、自分だけの才能があれば、誰かそれを発見して、また無い者に尊敬してくれるだろう、尊敬するに違いないという、希望とも臆測とも付かないものが、漠然と、然し、濃厚に、彼の細い胸を満していたのである。亡父の遺産で、当面の生活のために努力しないで済む正隆は、自分の才を使って貰うために、どこへ頭などを下げるものか、と思っていた。立派な学識を持ちながら、泣きついて懇願する恥辱を、忍ぼうとする必要は、求めても見出せなかった。生活というものが、不思議に固定して、動くべき軌道の上を、何の驚異もなく動いて行くのを傍観し馴れている正隆は、自分の才能が発揮されたからといって、それで、今日まで流れて来た、大河のような自分の生活が、どうなるものでもあるまい、という心持もしていた。
 転って行くトラックの上で、いくら、踊って見ても舞って見ても、結局は小車の行く処へ、連れて行かれるばかりではないか。
 正隆は、この気分に、絶望を混ぜてはいなかった。然し、委せた、萎(しな)びた無為である。従って、彼の持つ希望の中には、焔がない。燃え上る何物をも含んでいない。
 正隆は、「青年」を失っていたのである。
 母未亡人の偏愛が醸した、性的の自堕落は、殆ど彼の少年時代から、魂を無責任な追従や阿諛(あゆ)で硬化して来た。
 彼の感じる生活というものは、相当な歓楽と、相当な名誉との可能を持った、何かはっきりしない、或る程度までは退屈な時の連続であった。
 身も魂も投げ込んで、白熱した生命の威力に洗われなかった正隆は、自負を持ちながら、今の生活に何等かの改造を齎(もたら)すべきものとして、自分の才能を考えることは出来なかった。生れながら与えられた、際立った語学の才と、文才は、それ等の有ることは事実でも、「今日」とは何の連絡がない。言葉を換えていえば、正隆は、自分の持つ才能を自覚するから、その発揮を本能的に希望するので、その才能の方向が暗示する名誉が、自ずと産む生活上の影響などは、問題の中には入っていなかった。
 正隆の場合では、かような心持の持つ、二様の力の、ただ消極のみが、感化を与えていた。仕事の純粋さに対する希望ではない。生活そのものの弛緩が、彼の魂の四隅を、確(しっ)かりと釘づけにしていたのである。

        二

 何事かと思わせるような歓迎に抱き取られて、帰京してからも、正隆は、何を思い煩うこともないらしく見えた。
 母未亡人に金を貰って外泊をしたり、時には涼風に、長めな髪を嬲(なぶ)らせながら、招魂社の池の辺で、亀の子の甲羅を眺めたりしながら、正隆は悠然と、生活の戸口に彷徨していたのである。
 けれども、母未亡人は、正隆ほど安閑とはしていなかった。
 瞳よりも可愛い、唇よりもいとおしい正隆を、その美貌に於て誇る未亡人は、また、彼の栄達に就て、焦慮せずにはいられない。生活のために息子を働かせるのではない、という自信を持つ彼女は、殆ど正隆と同量の自尊心を以て、彼の地位を期待した。そして、三月ほど経つと、長兄の紹介で、正隆は、或る官立農学校の教授となることになった。
 その農学校というのは、東京から数百哩(マイル)南のK県に在って、校長と長兄とが、かねて親しい友人であった関係から、彼は全く好意で、比較的高級な教授の空席を占めることになったのである。
 東京を離れるということは、少くとも、彼をとり繞む快楽の減少という点で、正隆を躊躇させた。けれども、ひどく乗気になった母未亡人は、これを二度と得難い首途(かどで)として、正隆を説得した。
 まだ漸く二十四の彼に比較して、明(あきらか)に優遇である地位は、正隆にとって、勿論不愉快な招聘(しょうへい)ではない。周囲の無条件な賛同を見ると、それでも厭だというべき理由を持たない正隆は、ようよう僅かな小径を現し始めた、彼の道を眺めて微笑した。何者に対してとも分らない、軽い侮蔑と、驕(おご)ったうなずきとを以て、正隆は、新に提出された位置を承諾したのである。
 彼のこの首途を、彼女の思い得る最大級の形容で、神聖な、祝すべきものとした佐々未亡人は、まるで初陣の若武者を送るような感激で、送別の宴を開いた。
 親類の者は皆、九段の御祖母様の御大相(ごたいそう)が始った、と云いながら、集って、笑って、彼を祝して、帰って行った。が、その宴を、決してそんな軽々しいものと思ってはいなかった未亡人は、人が散って静かになると一緒に、微酔を帯びた正隆を、古い、仏壇の金具ばかりが、魂の眼のように光る仏間に連れ込んだ。そして、周囲の襖をぴったりと閉(た)て切ると、未亡人は、正隆が何年にも知らなかった、厳格な、威圧的な調子で、
「正隆」
と、息子の名を呼んだのである。
 正隆は、思わず顔を上げて、母未亡人を見た。彼の、その予測し難いものに出逢った困惑で、何時になくたじろいだような表情を、きっかりと押えるように、未亡人は、
「正隆、お前も、これから漸く人になる、今日は大切な日です。だから私も、心ばかりの御餞別(おはなむけ)をして上げたいと思うのだが、お前は聞く気がおありかえ」
「お母さん――」
「はい。――私が是非云って置きたいと思うのはね、ほかでもないが、お前が世間知らずだから、他人(ひと)との懸引をやり損っては大変だということなのですよ」
 こんな前提を置いてから、未亡人は、小一時間も、彼女の信ずる処世術ともいうべきもの、それは唯一の方法で、最も完全なものだと思われる処世術に就て、正隆を諭した。
 愛されて育ったものが、総てそうであるように、他人の悪意を看破するに遅い彼は、若年でありながらよい位置に就き得た後援者の力、その力が齎す、嫉妬、反感、羨望等という人間の弱点を、巧く切り抜けなければならないということ、また、他人が利己的に他人を陥れようとして使う奸策の種々な種類と、対抗策。それ等を、未亡人は、正隆が思わず眼を瞠(みは)ったほど、辛辣な、冷酷な、執念深い音調で、些細な点までも説明して聞かせたのである。
 この華奢な、切下げの老人の胸に、どうしてこれほどの激しさが包まれているかと思うほど、亢奮した未亡人の言葉によれば、世の中は、要するに敵同士の寄合だというようにさえ思われる。彼が幼年の頃から、よく繰返されたように、生れてから、死ぬまで、信頼すべきものは、親が在るばかりだ。どんな外観の親切も決して、内心の真実は示しているものではない。用心をし、用心をおしよ、正隆、用心をおしよ。
 母未亡人の記憶に、今もなお鮮やかに遺されている亡父が、永年枢要な地方官として経て来た生活の中には、どんな迫害が伏せられていたか、どんな、難関が、つき纏ったか。それ等は、悉く、限りある個人の力などでは予防することも何も出来ないほど、多量であり、複雑であったという、母未亡人の説明を事実とすれば、どれほど大胆な人間をも、なお脅かすに充分なだけ、悪の微妙な筋書(プロット)を持っていた。
 気の勝った未亡人は、自制を失った興奮に燃え立ちながら、激しい、容赦のない口調で、正隆の心を、ビシビシと鞭うった。彼女は、持ち前の癖を出して、正隆がどれほど不安な眼差しをしようが、憐みを乞うような溜息を吐こうが頓着なく、彼女の暗い、凄い解剖をしつづけて行ったのである。
「だから、お前、昔から、人を見たら泥棒と思えとさえ云っているじゃあないか。世の中へ出て御覧、ほんとに油断は大敵ですよ。お亡くなりになったお父様なんかも、まるで蜘蛛の巣見たような奸策許りには、どんなに御難儀なすったか分ったものじゃない。ね、正隆、私はお前さんの行末を案じるばかりに、こんな心配までしているのですよ。お分りだろう、だから、ね、何でも気を許さずに、怕(こわ)い人になっていなければいけませんよ。人間というものは妙なもんで、一度人に馬鹿にされたとなると、もう決して、二度と頭の上りっこがないのだからね、正隆――」
 そう云いながら、今まで確りしていた未亡人の声は、俄に顫(ふるえ)を帯びた。
「ほんとにね。どうぞ仕合わせになれますように。私だって、もうそういつまでも、お前の世話はして上げられないのだからね、しっかりしておくれ、私がいなくならないうちに、せめて足場だけでも拵えておくれ、たのみますよ」
 急に、仏壇の方へ振向いた未亡人は、最後の一句を、半ば途切らせたまま、止途もなく涙をこぼし始めた。
 涙がこぼれ出すと一緒に、未亡人の感じは悉く一変した。今までは、何か陰険な、凄い、心持の悪い老婦人のように見えていた未亡人は、急に、親しい、見なれた涙脆い母親となって、正隆の前に現われたのである。
 ホロホロと光って、膝に落ちる涙を眺めながら、正隆は血の気の失せた顔を引歪めた。醜いというのだか、恐ろしいというのだか、それではあまりひどすぎるという感じが、泥を口一杯突込まれたような胸苦しさで、正隆の心に迫っていた。
 ほんとに、事実に、そんなのが、所謂世間なのであろうか、それほど悪意と、嫉妬と、猜疑に満ちて、食い合いをする世の中なのか?
 さすがの正隆も、うんそうだ、とは思い兼ねた。疑いを挾まずにはいられないほど、母未亡人が、棒切れにかけて、挙げて見せた幕の彼方は、暗澹としていた、どこにも光明が差してはいない。一面の、真暗闇である。その暗闇の中を、芝居の「だんまり」のように、徐々と窺(うかが)い寄る奸策を、また、こっそりと構えた術策で身を替す世の中は、若しそれを事実とすれば、あまりに堪らなすぎるものではないか。
 然し、母未亡人の言葉によれば、地位の高さと、名声の範囲に応じて、それ等は、拡大されるばかりだというのである。
 正隆は、思わず、
「お母さん」
と云った。が、そのままぐっと窒(つま)ってしまった。彼は、何か一言で、その暗闇に何等かの余裕をつけたかった。出来ることなら、一思いに、そんなことばかりがあるものか、と勇ましく否定してしまいたかったのである。が、彼はそうするだけの力がなかった。何より大切な、魂そのものの本然の力が乏しかった。
 彼は、母未亡人の胸に巣喰っている、人間だけを騙(たぶら)かす小悪魔の尻尾(しっぽ)を見ることが出来なかったのである。
 実際正隆は、或る程度までの放蕩児であり、小さな意味の皮肉家でもあったが、日常生活を構成する平和な余裕が、そこまで彼を、否定的な、氷島のような観察者にはしていなかった。
 勿論、彼は騙されたこともある。また、自分に騙される程度のものを、嘘で片付けたこともあった。生活そのものを、火花を散らす激烈なものとして考えていない正隆は、総てを、程々な生温(なまぬ)るさで味っているのである。善と、人が呼ぶものに対して、燃える感激を持たない彼は同時に、悪と呼ぶ者に対して、寛大な、或は無関心な主人であった。
 多くの人々が、そうして、一日一日を送っているように、善と悪との、互い違いの出現を一重隔てた彼方に眺めて、薄すりとした暖みを、あらゆる相互関係に感じているのである。よいことも、また、悪いことも、それ等は、総ての幸、不幸、運、不運を包合して、錯綜しつつ起るものではあっても、絶対の自分の安定には、要するに、微力な影翳(かげ)となるに過ぎないと思い込んでいた正隆は、愈々、その信念を、試みられようとする時になって、殆ど、根本的な打撃を与えられた訳なのである。
 性格の持つべき力の欠乏から、正隆は、生命を賭しても敢行した、真実さの爆発に対しては、弱い、皮肉な冷笑を以て齎しながら、所謂人情の、交感的な微温(ぬくもり)を否定することは出来なかった。
 その人肌の微温を四囲に感じていればこそ、始めて、正隆には息がつけた。彼の冷笑は、決して、故意に自分を陥入れようとする奸策に向ってまで、平然と放たれるほど、力強いものではなかったのである。
 彼が考えた、羨望というものは、単に彼の幸福と、その他あらゆる彼の仕合わせを裏書きするものとしてのみ現われたのである。
 奸策――。正隆は、急に世の中が寒くなったような眼を挙げて未亡人を眺めた。奸策。彼の、贅沢な、物懶い横目では、もうどうにも、負わされない一種の力、何か不気味に因縁的な、陰気な意地悪いものが、心の奥からしんしんと湧き上って、自分の周囲を立ちこめるのを感ぜずにはいられなかったのである。正隆は、今まで、ほのかに、柔らかく、甘えつつ馬鹿にしていた世の中というものに、運命のような畏怖すべき何物かを感じた。
 その掴めない、形の定らない、それでいて、何をするか解らない予感は、正隆を、ぞっとさせる。母未亡人の説明通りだとも、信じ兼ねながら、そうかといって、それを拒絶するだけの、証を自らに持たない正隆は、不安な、落付かない懸念(アンキザエティー)の横木に、吊り上げられた。が、然し、彼は、もう後へ引くことは、不可能な心持がした。
 翌日、正隆は幾個かの荷物と一緒に、校長の副島氏に贈るべき、大花瓶の箱を抱いて、南に下ったのである。

        三

 母未亡人の、単に比喩ではなく、呪うべき警告に、ぞっと心を縮めながらも、まだ若い正隆は、さすがにこれから自分を迎えようとする圏境には、多少の光輝を認めずにはいられなかった。
 つい先頃まで、彼の記録する一点の差にも、大勢の学生達を悦ばせ、また落胆させた教授という位置に、今、換って自分が立つのだ、という想像は、思わず正隆の肩を竦めさせる。
 彼は授業の方針とか、理想とかいうことで、頭を悩ます種類の人間ではなかった。
 生来、虚弱な健康に宜しいというので、野天に晒されることの多い農科に籍を置いた正隆には、地味な研究に没頭するよりも、多勢の青年を前に並べて、得意の独逸語を、美しい発音で喋ることの方が、遙に大きな快感であったのである。まして、危く一二点の差で、及、落の決定するような学生が、私(ひそか)に教師を訪問して、寛大な採点を哀願するような場合を、自分の身近に置いて見ると、正隆は、或る亢奮を感じて、優者を自負する快い微笑が、幻のように、彼の蒼白い頬に上るのである。
 そんな時、彼は、正、不正で、行動の是非を判別する気分にはなっていなかった。
 ただ、当人には飽くまで、厳格な審判者として面しながら、いざという実際の場合に、相当の斟酌をしてやる、師らしい態度に自分を仮想して、我知らず幸福になる。正隆の好きな、仄温い人息れが、ほんのりと心を包むのである。
 けれども、愈々K県に到着して、彼の宿なる謡曲の師匠の家に落付いて見ると、正隆は、自ら湧き上って来る、後悔に似た感じを圧えることが出来なかった。
 それほど周囲は、予想外であった。予想以上の「他国」が、そろそろ四辺(あたり)を見廻しながら、近寄って来た彼を、ぐっと、無雑作に掴み込んでしまったのである。
 休暇の出入りにさえ、母未亡人の大業な歓迎に抱き取られ、送り出されていた正隆は、人々の冷淡な事務的感情に、先ず心を怖かされた。
 長い旅行の間、時を忘れた呑気さに委せて、私に予期していた歓びの言葉などは、誰の唇からも洩らされはしない。ただ、一人の、若い、物馴れない新任の教師を迎えた周囲の、仕来り通りの挨拶と、あとは、物珍らしい、穿鑿(せんさく)好きな注目とが、往来を通る、車夫の瞳からさえ射出されているばかりである。
 正隆の直覚に依れば、その注目も、決して、畏敬から湧き出しているものではないらしかった。
 骨格の逞しい、昔の大和民族の標本にもなりそうな若者達が、大声で喚きながら行来する往来を、弱々しい、強調していえば、この地方の小娘より果敢(はか)なく見える彼が、強いても容積をかさばらせるように傲然と歩く姿を、人々は、どんな気持で見ているか、それは正隆が、思いたくなくても思わずにはいられないほど明かなことである。
 殆ど無数の群に対してそんな感じを、第一の印象として得た正隆は、愈々、実物として、農学校の校舎を見、学生を、直接交渉の対象として眺めた時に、まるで、憤りに近いほどの、不平を感ぜずにはいられなかった。
 多少の想像を色づけて描いていた校舎は、煉瓦造りどころか、古び切った木造で、それもようよう土台が崩れないというばかりの荒屋である。その雨風に曝されて、骸骨のようになった部屋部屋には、大きな、あから顔の山賊のような学生達が、肩を聳し、眼を怒らせて控えているのである。
 それのみならず、彼等が喋る言葉は、何よりも正隆をおどかした。
 一目見ただけでも、弱い彼を威圧せずには置かない彼等の体力の異状な差は、更に不可解な彼等の方言を添えて、正隆を息も吐かせず、縮み上らせたのである。
 勿論正隆は、K県が、特殊な方言を持っていることは知っていた。
 けれども、東京に生れて育った正隆は、方言に就ては、惨めなほど無智であった。またその無智であることを、都会人が持つらしい淡い誇りで認めていた彼は、今、実際の場面にぶつかって、少からず面喰うのである。
 一方からいえば、自分の経験から、学生だけは少くとも、標準語を使うだろうと高を束(くく)って、安じていた楽観が、現在彼等が喋る、妙に抑揚の強い、丸い、男性的であると同時に、何か原始的な気分を持った言葉によって、見事に裏切られたことになるのである。
 正隆は、完く、うんざりした、途方に暮れた、が、而し、そういって済む場合ではない。
 生れて始めての経験に逢おうとして、自分自身に対してさえ、安易な信任に落付いていられない正隆は、第一、外観の圧迫に、或る不安を感じさせられ、また、言葉の困難に遭遇して、殆ど張切れそうにまで、神経を緊張させた。同じ日本人でありながら、言葉が思うように通じない、それも、自分の云うことだけは、滞りなく先方に通じながら、相手の云うことを、明瞭に掴めないということは、単純な言葉の不自由より、更に、幾層倍か、不愉快なものであった。
 つまり、正隆は、自分の云うことは、いくらでも批評される位置にありながら、その批評を、隅から隅まで理解して、また批評を投げ返すことの出来ないのが、何よりも焦(いら)だたしいのである。
 年齢の差異とは反比例した自分の学識に対して、激しい自負は持ちながら、新来の教師として、当然免れ得ない批評を、よかれ、あしかれ、自分には訳の分らない言語で加えられることが、正隆にとっては、ひどい、不安(アンイージー)なのである。
 思い上った、人を人とも思わぬらしい笑いを口辺に漂(うか)べながら、内心は、物に拘泥せずにはいられない、臆病な、退嬰的な彼は、絶えず、他人の言動に、関心の目標を置いている。従って、こんな或る均衡を失った位置に置かれると、彼の不安や焦躁やは、殆ど想像以上にまで、彼を苦しめ、悩ますのである。
 こんな、言語の不通などということは、或る人にとっては、問題にもならないことであろう。また、相当の苦痛とはなっても、到底、正隆の感じた深さにまで進むものではなかったろう。新来の教師を仰いで、未だ正体を見極めない者に対する慎重さを持っている学生に向って、若し彼が、快闊な、ざっくばらんな口調で、
「私には、未だ君達の言葉が、よく呑込めないのだから、なるたけ、分り易く喋ってくれ給え」と云えさえしたら、その時から、総ては、もっと単純に、且つ明快になる筈なのであった。けれども、彼に、それは出来なかった。
 対照物の価値が、低ければ低いほど、彼の、不可能の量は増して来る。若しこれが、何か至難な学理上の問題ででもあれば、正隆も、解らないものは解らないと、簡単な心持で向われたであろう。けれども、学識と天分とを、豊に持った、青年教授として、好意に満ちた副島氏の紹介につれて、壇に上せられた自分が、どうしてこんな、田舎言葉が分らないと、白状出来よう、こう云って、正隆の頼りない、孤独な自尊心が呻くのである。
 勿論、これが位置顛倒して、自分が一人の学生で、傷だらけな机から逆に此方を眺めるのなら、こんな苦痛は、百分の一にも満たないだろうことを、正隆は知っていた。
 けれども、教室に出て、生徒の質問を受ける毎に、感違いすることを杞(おそ)れ、自分の弱点を曝露することを恐れ、曖昧な言葉尻を、臆病に濁しながら、それでも、尚自分の自尊心に突つかれた権威を失うまいとする正隆の苦労は、全く、彼にほか解らない重荷であった。
 そればかりか、正隆にとっては、毎日顔を合わせなければならない同僚が、また堪らないものなのである。

        四

 正隆が同僚に対して持った感じは、矢張り一種の不安と、いわるべきものであったろう。彼は、仲間の年長者達が、数年若輩である自分に向ける、試問的な眼をきらっていた。表面は、好意と助力とに満ちているらしく振舞いながら、内心では私に、自分と彼とを計量器に掛けるような態度。正隆は、たとい、どれほど同情するらしく、
「いやお困りでしょう。当分は誰でも閉口しますよ、まあもう暫くです」
などと、言葉の不自由を想いやってくれても、裏ではきっと、自分の鈍(どん)を笑っているに違いないのだ、と思わずにはいられない。何も、それを証明する実証は上らないでも、正隆は、総てをそんな風に思わずにはいられない気分になって来たのである。
 多くの人の中には、実際そんな者もあったかも知れない。けれども、決してそれが全部ではないということは、断言出来る。
 けれども、正隆は、それ等の種類を鑑別するだけ、自分を開いていなかった。自分の魂に、日の目が差さないように封鎖した彼は、また他人の心へ、光線を送り、見出すことは出来ない。絶えず揉まれる、落付かない、不真実な周囲を感じる正隆は、凝(じっ)と、寂しい、腹立たしい心を噛みながら、同僚に背を向けた。
 彼は、温みのない、堅い、辛辣な、裏切者が潰れた片目ばかりを光らせる生活を感じたのである。
 冷酷だ!
 何かにつけて、正隆はこう呟く。
 何が、冷酷なのか? 生活、人生が、冷酷なのだ。何故、冷酷なのか? それは、はっきりと説明の出来ない心持である。けれども、それが、冷酷であるのだけは、明かな、或る一種の心持。それは、容赦なく片端から、自分の持つ希望も、幸福も、努力も、何も彼も擲(たた)き落して泥まびれにしてしまうような惨酷さ、胸が搾られるような寂寥、皮肉、利己主義、そんな感情が、皆ごちゃ混ぜになって、醗酵した心持である。
 その薄ら寒い、暗い、じめじめした気分が近寄って来ると、正隆は逃げ出す力さえ失ってしまうのが常だった。
 彼は淋しくなる。感傷的になる。そして、子供のように、愛撫されて泣き出したくなって来るのである。
 けれども、どこに彼を泣かせてやる人がいるのか、正隆は絶望する。
 老人の謡曲の師匠。老耄に近い年長者連。皆関係がない各自の生活の中に、巣喰っている。教授という位置が彼を縛って、たとい、お座なりにしろ、美くしい顔に憐れむような表情を浮べて、彼の不平に耳を傾けてくれるだろう女性にさえ、近寄れない正隆は、全く、自分の心の遣場所を持っていなかったのである。
 青年が、生活の第一歩を踏み出そうとして、一滴は、必ずこぼすだろう涙。
 その記録すべき深い、静かな、祈願と、憧憬と、漠然と直覚する失望に似た感じが、正隆の場合では、ただ、感傷的に傾き過ぎていた。正隆は自分で、自分の魂、生活を御して行けなかった。周囲の他力に、彼は支配される。自分の心を掘抜くことも出来ず、人の心は、まして燃え抜かせるだけの力を持たない正隆は、胸に満ちる海潮のような感情を、湧くにつれて、後から後からと澱ませて行ったのである。
 澱ませられながら、容積を増す感情は、どうにか流動しようと身をもがく、その最も自然の結果として、正隆は、自分の身辺に存在する唯一の弱者である学生に、その感情の、甘饐(あます)えた、胸のむかつく沈澱を、浴せかけたのである。
 それにしても、正隆は決して学生を、真正面から叱責したり、急しい課題の続出で、困らせたりする種類の意地悪さを持ってはいなかった。
 彼は、自暴自棄になったのである。
 今までは、相当に緊張して立った教壇の上に、正隆はもう、木偶(でく)のように押据った。そして、義務的に独逸語を、美くしい声で読み上げたまま、後はもうかまわない。席順に、一人宛、一節の教科書を輪読させて、間違おうが、支(つか)えようが、彼は注意をしようともしなかった。凝と机に頬杖を突いて眼を伏せた正隆は、頭の先から、細い爪先までを満たした、何ともいえない焦躁と、淋しさと、棄鉢(すてばち)とに身も心も溺らせて、殆ど忘我に近い憂鬱に沈み込んでいるのである。
 けれども、こんな正隆の態度は、決して学生達を、長く鎮めてはいなかった。
 三箇月も経たないうちに、正隆は、学生中の嫌われ者になり終せた。
 たださえ彼の曖昧な、尊大振った、弱々しさに何かの物足りなさを抱いていた少年、或は青年達は、彼の不真実な挙動を見ると、もう黙ってはいない。彼の無能を罵る声や、彼の不熱心を訴える声が、教員室まで侵入して行き始めたのである。
 そうなると、同僚の多くは、問題の主人公たる正隆に対して、何か不自然な、敬遠とも、嫌厭ともつかない表情で、相対するようにならずにはいない。
 学生と同僚との、不安定な観察を身に感じる正隆は、心の中で、総ての人間共を侮蔑し、罵倒しながら、表面は平然と、蒼白い頬に冷笑的な薄笑いの皺を刻みながら、わざと、仮装した動じなさで、皆の、その眼前に姿を持ち出すのである。
 全く、これは決して、正隆一人の不幸ではなかった。彼の周囲に生活して、程度の差こそあれ、多少とも彼と関係を持つ総ての者が、彼の気分の免れ得ない影響を受けた。
 陰気な、外の人間の裡にある快活さや、率直さを一目で射殺すような正隆の眼を見ると、一人として、元の明快な気持を保っていることが出来なくなる。
 妙にこじれて、焦々しい気分が、電波のように、魂から魂へと伝って、等しく同様の苦汁を嘗めさせられずにはいないのである。
 こんなにして正隆の存在が、今まで相当の円滑さで流動していた生活の、大きな暗礁になったのを心付いた人々が、暗黙の中に、彼の自決を諷刺したのは、寧ろ当然とさえいわるべきものなのである。
 かなり敏感な正隆は、勿論この雰囲気の持つ意向(インテンション)を知らない筈はない。彼は、言葉よりも明に、それ等の効果ある暗示を読んでいたのである。けれども、読んでいたに拘らず、正隆は、自他の責道具である教壇から、身を退けようとはしなかった。決心をしないばかりか、彼には、その計画さえもなかった。計画させないものは、単に正隆の持前である優柔不断というよりは、寧ろ、ぐっと居直って、胡座(あぐら)を掻いたような一種の意固地が、彼を、恐ろしい搾木に縛りつけてしまったのである。
 そして、その意固地を掻き立てたものは、内攻に内攻を重ねた、彼の不安や焦躁の凝り固りである。
 時が経るに連れて、人と人との相対的な、複雑な、微妙な、流転する心の折衝に疲れ切った正隆は、極度の困憊から、終に、あらゆる不幸は、皆、何人かの憎くも企図して置いた、一種の悪計によって齎されたものであると、確信するようになってしまったのである。床柱も、畳も、程よく寂びた離座敷にポツネンと坐りながら、正隆は、よく、その見えない敵に向って呪咀を投げた。
 第一、正隆にとっては、このことの起りからが、疑問になって来た。これほど、言葉の不自由な、封建的な地方へ、何故、何の予備智識も持たない自分が、投げ込まれたのだろう。困るのは、解りきったことではないか。
 その困るのを見て、皆が内心では侮蔑しながら、軽視し、邪魔物扱いにしながら、表面だけは、どこまでも、親切そうな、好意を持った仲間らしく扮(よそお)っている。それのみか、普通、こんな状態になれば、当然、提出されるべき免職沙汰も持ち上らないのは、どういう訳なのだろう。
 若し、ほんとに自分の価値を認めて、留任を願うならば、何より自分には直接な関係を持つ学生に対して、何等か、緩和的な調停が与えらるべきではないか、それだのに、依然として、学生は自分の悪口を云い、解らない言葉を連発して苦しめるままに放任して置きながら、それから逃れる方法として免職させようともしないということは、正隆を考えさせる。
 つまり彼等は、逃路を塞いで置いて、火をかけたようなものではないか。何か、魂胆があるに違いない。必ず、何か、あるのだ。誰かが自分を苦しめて、悶え苦しみ、身をもがくのを見て、そっと舌を出しているに違いないのだ、とさえ、正隆は思い始めたのである。誰だろう?
 誰が、幕の彼方で、この憎むべき悪策の糸を操っているのか。
 正隆は、蒼い額に、切り込んだような縦皺を寄せながら、瞼を嶮しく引そばめて、森閑とした周囲を睨まえるのである。
 暗い、鋭い正隆の直視の前には、いつも、桑の小箪笥と書棚とが、行儀よく、手を入れられて並んでいた。
 まるで、結婚でもしようとする愛嬢に持たせるような亢奮で運ばれた、これ等の女性的な、贅沢な調度を見ると、さすがの正隆も、あれほどの亢奮と愛とで自分を送った母未亡人が、その黒幕の彼方の人物だとは思い得なかった。彼の揺籃の時から、細胞にまで浸み込んだ既定的な愛の信頼は、そこまで延びる彼の疑いを許さないのである。母未亡人でないと確定すれば、最も手近な処から、この探求を進めようとする正隆は、勢い、第二の嫌疑者として、長兄の正則を、牽(ひ)いて来なければならない。
 正則は、どうだろう、
 ここへ来ると、正隆は、蒼白い額を灰色にして腕を組んだ。自分に、今日の位置を紹介した当人として、若し疑えば、疑える場所に、長兄の姿は立っているのである。
 ここへ来させるという、第一の動機は、兄である彼が、作ってくれたものではないか、それ故、若し彼が、自分を陥入れようと計画したとすれば、もう、その最初の第一段から、呪うべき悪意が、親切らしい「兄」という人間の手に隠れて、前途に投じられたとも、云い得るのである。
 また、実際、親子ほど年の違う兄弟は、年齢の差以上に、母未亡人の偏愛によって、互の親密さを薄められていたのは、事実である。
 長兄が、もう一人前の青年になった頃、誕生した正隆は、連絡を取ることが、不可能な境遇の差と、経験の差から、殆ど、伯父に対する程度の、関係ほか持ってはいなかった。それ故、正隆は、この一点のみを強調して疑惑を進めて行くと、もう一寸の、際どい処で、最後の結論が引出されそうな処まで、深入りをして行くのである。血族関係で結び合わされた二人の人間が、相反目し合った場合の、惨憺たる、悪どい争闘の歴史を拡げて見ると、正隆は、息が窒(つま)りそうな物凄い恐怖を抱かずにはいられなかった。それと同時に、それがあまり恐しいことであるがため、それがあまり浅間しいことであるが故に、却って、自分の運命に現われて来そうな心持さえする。
 どうだろう、ほんとに、兄、兄貴なのだろうか。
 正隆は、我にもなく溜息を吐くのである。
 けれども、正隆の目前に、まざまざと浮んで来る長兄の、彼とは正反対に分厚な、正直そうに丸い、微笑に満ちた表情を想うと、彼は、決定しかねる。
 亡父に生写しだといわれる中年の、成功と、愛とで寛大に広がった額の所有者である長兄の、見えない宙に、どっしりと据った像を取り囲んで、やや暫く徘徊する正隆の、怨霊のような疑いは、もう一息という処で、いつも、動し得ない何物かにぶつかって引退る。その敗北を、喜びと安堵と、半ばの口惜しさに見返りながら、蛇の頭は、またするすると、第三の人影に窺い寄ろうとするのである。
 このようにして、日に幾度となく這い廻る、正隆の模索は、結局、幾百度繰返しても、要するに模索という程度を越すことはなかった。それに拘らず、疑わずにはいられない彼は、探究の失敗で、懐疑の根を洗われてしまえない彼は、さんざん彷徨(さまよ)い歩いた末に、いつも定って、何か非常に不確(インデフィニット)な、漠然とした一種の人格が、自分を絶えず付け狙って、悪意の籠った羂(わな)を張っているに違いない、という処に落付くのである。
 その不思議な力を持った者は、決して、単純に運命とは呼ばれなかった。自分の幸福なるべき運命の大道に、邪魔を出す、他の何人かである。明に人格である。
 同僚や、生徒の彼方に身を潜ばせて、巧に不幸の糸を引く何者か、運命的な人格なのである。
 正隆は、その、彼の前に朦朧(もうろう)と現われた、悪意の妖魔に向って、居直ったのである。
 正隆は、自分が不幸なのも、他人が不幸なのも知り抜いている。然し、その見えない何人かの悪策に負けて引下るものかという反抗が起った。自分を取囲む総ての者は、何等かの意味に於て、その影の人の暗示を受けている。誰も、その者自身ではない。が、誰かがその者の一部となっている。
 正隆は、我と他人(ひと)に向って、
「どうでもしろ」
 という、捨科白(すてぜりふ)を投げたのである。
 自暴自棄な捨科白を投げながら、正隆の想像の裡には、ふと、係蹄(わな)に懸った狼と、半狂乱で取組み合っている猟師の姿が、浮み上った。
 積った雪の深みに懸けた係蹄に、何も知らない狼が、餌を漁りに来て足を噛まれたのだ。樹蔭で様子を窺っていた猟師は、旨いぞ! と云って手を打っただろう。
 けれども、いざ手取りにしようと掛って見ると、命がけで飛び懸って来た牙に捕えられて、思わず同じ係蹄に転り込んだ猟師が、泣きながら、叫喚(さけ)びながら、獣と人間との血を混ぜ合わせて、掴み合う、食い合う、争闘する――その、自業自得を見ろ! という、腥惨(せいさん)な快感が冷笑となって、正隆の瘠せた小鼻に皺を刻むのである。
 狼は自分である。猟師は、彼の見えざる何者かと、その手下共である。
 この時正隆は、決して、係蹄を掛けたものが、結局は同じ係蹄に掛って殺されるのだぞ、という、復讐の勝利を感じているのではない。自分も、他人も、一緒くたに丸め、突転して力の限り踏みにじり、噛み潰す、火のような亢奮で、脂汗を掻きながら、歯軋りをするのである。

        五

 皆が、正隆を嫌っていた。それは事実である。けれども、また皆が、彼を一種の憐愍で見ていたことも、事実であった。彼は、神経衰弱になって、あんなに脱線するのだということを、最も確実な説明として、正隆を観たのである。従って、人々の嫌厭の陰には、何かそれを裏づける、寛大ともいうべきものがあった。
 まして、校長の副島氏は形式を越えた心痛で、この若い教師を眺めたのである。
 けれども、人の好い、何方(どちら)かといえば単純な副島氏は、正隆の、辛辣な、神経的な顔に面と向って相対すと、いつも、云いたいことを云い出せないような、不安と圧迫とに押えつけられた。
 どんなに元気よく、大きな声で快活にものを云いかけようと決心はしていても、彼の顔を見るや否や、このよき副島氏の計画は崩れてしまう。忽ちのうちに、正隆と同じような陰気さと暗さとに染められる彼は、まるで、正隆と同様な感情の所有者のような口調で、
「どうですか?」
と、意味をなさない断片的な言葉を吐き出してしまうのである。
 副島氏の、この挨拶を受ける毎に、正隆は同じように意味をなさない、微笑を返礼にした。時には、
「有難う」
と云う。
 そう云いながら、彼は心の中に、「またおきまりの、どうですか、か!」と呟きながら、苦笑をするのである。
 皮肉な気分で、表面は、一片の義理に見えるこの言葉を噛み捨てながらも、正隆の淋しい、荒涼たる心は、事実に於ては、どれほどの温みを感じていたか分らなかった。ただ、彼は、それを示すのが厭なのである。何だこんなもの、という表情をしていたいのだ。けれども、西日に照らされると、まるで茶色の風船玉に、小指でちょいちょい眼鼻を付けたような副島氏の表情は、何の毒も持っていないようにさえ思われる時がある。
 心に喰い込んだ疑惑に包まれながら、疑いと信頼と半々な心持で、いつも正隆は、この老年に近い校長を眺めるのである。
 ところが或る日の放課後、行くでも帰るでもない正隆が、呆然(ぼんやり)と、図書室の柱により掛っているところへ、思いがけず、副島氏が来掛った。そして、周囲に人のいないのを見ると、いきなりつかつかと近寄って来て、親しく彼の肩を叩きながら、先ず、
「どうですね」
とお定りの口を切った。が、今日は、それだけで終りはしなかった。副島氏は、全く思いがけず、正隆を夜の食事に誘ったのである。
 副島氏の言葉によれば、夫人も、彼には逢いたがっているのだそうだ。瞬間、返事に窮すような気分を感じながら、それでも正隆は、明に嬉しかった。
 美貌で評判の高い副島夫人が、自分を顧みてくれたということが、正隆の、久しく封じられていた遊戯(いたずら)心を擽る。彼は、その時ばかりは、皮肉さの微塵もない微笑で、承諾した。
 長い、退屈な、単調な田舎の生活に飽き尽した正隆の心は、表情の豊かな夫人の美と、抑揚に張りのある、丸い、転る東京弁に慰められて、想像以上に活気づいた。
 罪のない饒舌で坐を賑わす夫人と、何時の間にか、一寸した冗談を云い合うほど、彼はいい心持に有頂天になった。厭な、蒼い、捻れた正隆は影を潜めて、快活な、贅沢な、遊び好きな若者が入れ換った。容貌に於て、比較にならない副島氏が、思わず夫人の顔を眺めたほど、それほど正隆は幸福であったのである。
 若し、そのままで、副島氏の家を辞することさえ出来たら、総ては、幸福に明るく、華やかに終ったであろう。然し、そうは行かなかった。食後暫く経って、夫人が自慢の濃茶の手前をして見せてくれたことが、その作法を全く知らなかった正隆に、地獄のような混乱を起させてしまったのである。
 愛嬌のある夫人が、心持首を傾けるようにして、
「いかが、お茶を差上げましょうか」
と云った時、正隆は、半分は上の空で、半分は、普通の茶だと思い込んで、
「有難う、戴きます」
と返事をした。
 然し、いよいよ改まって、狭い、くすんだ、炉の切ってある坐敷に席を改めて、帛紗捌きが始まると、正隆は俄に周章し始めた。
 書生である彼に、そんな優雅な趣味は教養されていなかった。のみならず、必要だと思ったことさえもなかったのだ。
 今まで、或る時にはコケティッシュだとさえ思わせるほど、明るい燈火の下で華やいでいた夫人が急にきりっと相貌を引き締めて薄暗い炉辺に坐った様子は、正隆に寧ろ冷酷な感じさえも与える。
 彼の周章には見向きもしないように伏目になって、白い額際を鮮やかにさし俯(うつむ)いた夫人から痛々しく眼を反らして、正隆は副島氏を偸見(ぬすみみ)た。唯一の頼みに思って心ではすがりつきながら眺めた副島氏は、これはまた正隆を驚かせるほど泰然と坐になおって、小山のような膝の上には謡でも謡う時のように伏せた双手が行儀よく据えられている。のみならず、総てを飲込んだ落付きで、この憐れな、まごついた正客に眼をくれようともしないではないか。
 正隆は、両面攻撃に逢ったような、頼りなさと、憤りを感じて唇を噛んだ。
 さっきまでの、明るい、楽しい、笑声の渦巻いた世界は、瞬く裡に、けし飛んで、冷い、意地の悪い、疑いが、化物のように根を張った粘土の世界が、恐しい絶望の裂目から、もりもりとせり上って来たのである。
 自分のような書生が、こんな七面倒くさい作法などを心得ていないのは常識で考えて見たって、直ぐ解ることではないか。
 それを、ただの茶でも飲ませるようにして、何心なく誘い込んで置いて――。二人ともが、ちゃんと腹の中で牒し合わせていたに違いないのだ――。
 正隆は副島氏の夫妻がここでは有名な、茶の凝屋(こりや)であることは知らなかった。謡の好きな人が、泣きそうになる相手を前に据えて、心から喜び楽しんで「鉢の木」を一番という心持を知らない彼は勿論、副島夫妻の罪のない喜びを理解し得ようもなかった。彼等にとって、正隆がいてもいないでも、その純粋な楽しみは同じである。小さい子供達が、友達を呼んで飯事(ままごと)をしましょうよ、というような心持で、彼等は正隆をお客様にしたのである。
 然し、正隆には、どこか間違った最初の一圧えで、すっかり様子が変っていた。彼にとって、この席は、決してそんななまやさしい飯事ではない。憎むべき、彼の影の人の悪計に満ちた饗宴である。
 あんなにも楽しそうに、あんなにも親切そうに、麗わしい表情を活躍させて、もてなした夫人さえも今はもうただ最後にここで痛い目に逢わせようために使われた傀儡(かいらい)とほか思われない。握った拳を袴の折目に埋めながら、正隆は焔を吐くような視線で、ハッタと夫人の横目を睨まえたのである。殊更、美くしい婦人の前で赤恥を掻かせて、職務上から免職はさせられない自分を、追い払おうとする気なのだろう。
 思わずも、またうまうまと羂に掛った自分に、噛み捨てるような冷笑を与えながら、正隆は女がするようにキリキリと眉を吊上げた。が、然し、坐を立つことは出来なかった。毛虫が塊ったようにしかめられた眉が、研(みが)いたような夫人の瞼がもたげられるのを感じて、殆ど本能的に緩和された瞬間、正隆の前には、もう茶碗を捧げた夫人が現れた。
 細い、反(そり)を打った白い指先を奇麗に揃えて、静々と運ばれた茶碗の中には、苔のように柔かく、ほこほこと軽そうな泡が、丸く盛り上って濃緑に満たされている。それを見ると、美くしいと思うより先に、正隆は理由の解らない憤りを誘い出された。
 手にも取らず、凝と茶碗の中を見詰めている正隆に、夫人は、
「不加減でございましょうが、どうぞ」
と云いながら微笑んだ。
 何が可笑(おか)しいのだ! 正隆は頭を上げようともしなかった。様子が変だと気が付いた夫人は、急に今までの容儀を崩して打解けた調子に返りながら、
「渋谷さん、そんなものは、どうお飲みになったって拘(かま)いませんですよ」
と云いまでした。が、正隆は、依然として動かない。稍々(やや)度を失った夫人が、何か云おうとして言葉を探している拍子に、ひょいと頭をもたげた正隆は、薄明りの陰を受けてこの上もなく陰惨に唇を曲げながら、
「奥さん、何のためにこれを下さるのですか?」
と云った。
 思わず眼を瞠って良人と視線を交した夫人は、それでも社交に馴れた笑を忘れずに、
「まあお若い方は、理屈っぽいこと、何でもない、ほんのお口直しか、お口穢しでございますわ」
「そうですか――然し、奥さん、奥さんは、私がこんな作法を知らないことは、始めから御承知なんでしょう。御承知でありながら、何故、私の知らない、知らないから飲めもしないものを、下さるのですか?」
 ここまで来ると、さすがの副島夫人も顔の色を変えた。正隆を見た眼を反らして、凝と彼方を見ていた夫人は、暫くすると、殆ど、命令するように、はっきりとした口調で、
「どうも、お気の毒を致しました」
「それでは、失礼でございますが、御免を蒙って、貴方」
 夫人は、眉を上げて、駭(おどろ)きと不快で、度を失っている良人を見た。
「お廻し下さいませ」
 この夫人の態度が、正隆の言葉に解くことの出来ない封印をしてしまった。
 その座敷に戻りはしても、もう瞳も定まらない正隆は、碌な挨拶もしないで、飛び出してしまった。この不意の出来事で、最初、副島氏が漠然と胸に持っていた、保養の勧告は、緒口も出ないで、立ち消えとなったのである。
 温い仕合わせな屋根の下から飛出して、暗い、ガランとした夜を歩きながら、正隆は泣いても足りない気分になっていた。
 今まで、何か形の纏らない気体のように、ただ体中に瀰漫(びまん)していた、当のない敵意は、この思いがけない出来事に依って、俄に確かりと凝り固まったような心持もする。その、大きな、むかむかと膨れ上って、喉元まで窒め上げる敵意は、殆ど、生理的な苦痛を伴って、正隆の薄い骨と皮との間を、疼(うず)き廻るのである。
 あのようなとっさの間にさえ、突掛って行く相手を、副島氏ではない、夫人に選ぶほどの、敏感を持っている正隆は、あの場合、多くの女性がそうである通り、直き涙を眼一杯に溜た夫人が、しおらしくうなだれでもしてくれたなら、結果は、遙かに容易なものであったことを知っていた。
 そうすれば、彼はきっと、もっとしつこく、悪どい厭味は並べるだろうが、余後の気分は、遙に自由であり、且つ、淡い慰藉さえ感じ得たかも知れないのである。
 然し、息子ほどの正隆にすねられて、他愛なく涙ぐむほど、副島夫人の経て来た、年は、単純なものではない。卑屈でもない。従って、一目(いちもく)も二目(にもく)も下に扱われたという、取消し難い自覚が、一層、正隆の敵意を助長させる。彼等が、何等かの企計を持ったに違いないことを、夫人の平然さで裏書きされたように、思わずにはいられないのである。

        六

 まるで、ぷすぷすと燃え上らずに煙を吐くような焦躁に、胸一杯を窒らせながら、正隆は翌朝学校に出掛けた。
 出掛けて見ると、正隆は、自分の顔を見る総ての者共は、今朝は、殊更、変な意味ありげな眼付をすることに気が附いた。
 それ等の眼は、一つ洩さず、彼の姿を見付けた拍子に、
「おや! いるな」
という表情を浮べて、さも面白そうにパッと拡がる。それから或る者は、詰らなそうな鼻声で、
「フム、まだ元の通りかい」
と呟きながら、一寸、目配ばせをする。が、或る者は、何か、ひどく馬鹿にしたような、不平な表情を浮べて、肩を怒らせながら、拳を突出すような、素振りをする、心持がある。正隆の眼から見ると、皆が皆、昨夜のことを知っていて、知っている癖にまた皆が皆、知らん顔を装って、ペッと地面に唾を吐いているように思われるのである。
 彼は、誰の顔を見ても、擲(ぶ)ちたいような衝動を感じた。誰の眼を見ても、小突きたかった。自分の心持を、自分でも恐しくなって、暫くすると、正隆は何という当もなく、裏の薬草園の方へ歩き出した。
 もう末枯(すが)れて、花もない園には、柔かい、お婆さんのような芝生が、淡黄く拡がって、横ぎる者を慰める。正隆は、その温順な芝生を心に描きながら、歩き出したのである。
 ところが、狭い小使部屋の傍を抜けて、数十歩歩みを運んでいるうちに、正隆は、自分の目差していた方向に、思い掛けぬ独逸語の音読を聞いて、耳を欹(そばだ)てた。
 重い、彼の国の巖のような発音が、足先をひやりとさせる清い、透明な空気の中に、高く響く。きっと学生が、こっそり予習でもしているのだろうと思いながら近寄って行った正隆は、案外、それは、垣内という、教師の一人の声だと知って、一層の好奇心を煽られた。そして、我知らずそこに立ち止まった。
 年齢も彼とあまり違わない、正直な垣内を、正隆は、他の誰より、浅いうちにも深く交際していたのである。程度に於て、比較的親しいとはいいながら、まだ、一度もその垣内の読む独逸語を聞いたことのなかった彼は、丁度自信ある歌手が、後進の独唱を審判するような、愛と侮蔑の半ばした心持で耳を傾けた。
 けれども、数句を聞いているうちに、正隆の唇は、自然と綻(ほころ)びて来た。垣内が読んでいるのは、教科書なのだ。
 それも、現に今朝、彼が、噛み煙草でも、吐きすてるような苦々しさで教えて来た、予科の教科書ではないか。
 子供らしい!
 なにしに、あんな子供だましみたいな文句を、声高々と読んでいるのだろう、自慢なのか? 肩幅の広い、土地の者の垣内の姿を思い浮べると、その滑稽な対照が、思わず彼を笑わせる。正隆は、そろそろと忍び足で近寄った。
 不意を襲って、正直な垣内を、真赤に恐縮させたい悪戯心が、フイと彼の心に萌したのである。
 然し、正隆の忍び足は、五歩と続かなかった。まるで、彼が動き出したのを合図のようにして、読むのを止めた垣内の声を受けて、今度は、更に意外なもう一つの声が質問をし始めた。
 声は、紛う方もない園田ではないか、園田! 今朝、正隆が教えた組の中でも、おとなしい学生として、非難のしようもなく思われていた、その園田が、今、ここにいる――。
 正隆は、一寸判断がつきかねた。この学生と垣内とを、どう結び付くべきなのか、けれども、少年の口から洩れる質問を、全身の注意で聞いて見ると、正隆は、火の玉のようになった。
 少年は、今朝、授業時間に、正隆に向って質ねたと同じ箇処を、また繰返して、垣内に質問していたのである。
 それを知ると、もう正隆の頭は血迷った。自分が、どんな返答を与えたか、ということなどは、思おうともしないで拳を握った。
 何という奴だ!
 自分が、彼の教師でありながら、その自分を出し抜いて、こっそり陰へ廻って、こんな、青二才の垣内なんかに、さも、あんな教師は役に立たぬといったらしく阿諛(おべっか)を使う、誰に教った? 犬め!
 よろけるように、いきなり樹蔭から姿を現わした正隆は、もう一度、「間牒(いぬ)め!」と叫びながら、獣のような素早さで、園田の頭を目がけて突掛った。
 ポックリと、黒くて丸い少年の頭が、澄んだ中空に、何気なく浮上っているのさえ、正隆には、わざと空惚けて、やい! と云っているように見える。ジロリと憎々しく、その小さい頭に眼をくれた彼は、必死になって止めに入った垣内の力で、引分けられるまで少年の頭にしがみついた。野獣のような貪婪さで目を眩まされた正隆は、強い垣内の臂力に抱き竦められて、膏汗(あぶらあせ)を流しながら、身を震わせた。
 極度な亢奮で、僅かほかない精力を、最後の一溜まで失った彼は、顫えが納まると一緒に、激しい、神経質の嘔気を催して来た。
 病気になった野良犬のように、舌を吐いて、苦しい空嘔(からえずき)をする正隆は、変に引吊った眼でそっぽを見据えながら、ただ生理的の苦痛以外の何物をも感じ得ないほど、疲憊してしまった。両手を、大きな、温い垣内の掌の中に握られながら、横坐りに足を投げ出した正隆は、妙な悪寒が、体中を嘗め廻すような不気味さを感じた。

 それから、何秒経ったのか、何分経ったのか、或はまた幾日経過したのか。
 俄に、はっきりと眼を見開いた正隆が、四辺(あたり)を眺め廻した時には、いつの間にか家に帰って、見馴れた調度に、とり繞れながら、床に就いていた。
 世界が夜になっている。微細な、潤った夜の胞子の間を縫って、卵色の燈火が瞬いている。
 何時の晩なのだろう。
 正隆は丁度昼寝をし過した子供のような、間誤付を感じた。
 何時の晩なのだろう、今日の晩なのか、それとも、もう明日の晩になったのだろうか、……水が飲みたい、喉が乾いた。
 最後の一句を、漸く声に出して云うと、夜着の裾の方で、誰かがむずむずと動く気勢(けはい)がした、その瞬間、正隆は永年の習慣から、ふとそれが、切下げ髪の母未亡人であるような気がした。
「水……」
 黙ってコップを差出した人の顔を見ると、それはここにいるとは思わなかった垣内である。正隆は怪訝(けげん)な顔をして眼瞬きをした。
「おい……」
「どうしたね、気分は少しは好くなったか?」
「きぶんは、すこしは、よくなったか……?」
 正隆は、どこか寝ぼけたようで、はっきりしない頭を、強いて掻き起すようにしながら、垣内の言葉をそのまま、書取(デクテイション)した。
「気分が悪い? それじゃあ俺は病気なのだろうか、何時から? どこが悪い? 使用がないな、よほど悪いのかな、垣内……家の婆さんはどうしたんだ。陰気だ、これじゃあいけない……どうかしよう、然し……それにしても……」
 グヮン、グヮンと激しい耳鳴りがし始めて、正隆はまた、ぼんやりとして、何か不仕合わせで頼りない気がする薄暗闇の中へ、ずるずると滑り込んで行った。

 満(まる)二日経って、正隆はようよう平常の頭脳を恢復した。恢復したとはいいながら、その頭脳の存在は、正隆にとって悩ましいものである。床に就て、夜も昼もただぼんやりと、取止めのない影のような気分の錯綜のみを感じているうちは、彼の不幸な魂にとって、またと得られない休安であった。絶えず朝と晩とを徹して彼を虐げるあらゆる不安も、焦躁も、冷笑も、その時だけは、一面の混沌の裡に溶け込んでいたのである。けれども、頭が目覚めて、魔術的な細胞が呼吸をし始めると、正隆の心には、幾日かの休養で、更に精力を増進したようにさえ見える、尖耳(とがりみみ)の小悪魔が、恐るべき勢で活動し始めた。それは、全く、悪魔の啓示といっても誇張ではないほど、正隆の頭は敏活に、蒼白い光の尾を引きながら、暗黒の裡を、飛翔した。
 もう学校へも出ず、散歩さえ止めた彼は、まるで、大発見の手掛りを得でもした、科学者のような根気で、暗示(ヒント)から暗示へと、手繰り寄り手繰り寄り、もうクライマックスへ来たらしく見える、「悪計」の発掘に取りかかったのである。ほんとに、飢え渇いて、ガツガツと汗を掻きながら進行した正隆は、終に或る、系統的な、企図ともいうべきものの、正体を掴み得た。
 その分解に従うと、最初、彼がこのK県に寄来された迄には、何の計画も、悪意も籠ってはいなかったのだ。
 それが、此方へ来て、稍々暫く経ってから、或る人の手が徐ろに動き出した。それは、副島氏である。
 一口にいってしまえば、副島氏は自分を邪魔にしていたのだ。早く追い払いたかったのだ。けれども、相当に学識もあり、美貌でもあり、また生れのよい、彼とは特殊な関係で繋がった自分を、そう理由にならない口実で、追放することは出来ない。そこで、陰から先ず学生を唆(そそのか)して自分を虐待させながら、一方、彼自身は、飽くまでも親切さを装って、食事に招待したのだ。
 招待して置いて、散々楽しませ、悦ばせた揚句、あんな赤恥を晒させることは、而も、美くしい夫人まで使って恥を掻かせることは、勿論、直接法に怒らせるよりは、効果が多いのは知れきっているではないか。
南瓜頭(ペンプキンヘッド)!」
 そうして置いて、垣内を、あの垣内を何時の間にか手なずけて置いて、丁度見計らった頃を狙って、園田との芝居をさせたに違いないと、正隆は決定したのである。
 平常は、あんなに温順で、教室などでは、地蜂のような少年に混って、まるでいるかいないか分らないように恐縮している園田までが、一緒になって自分に懸って来るかと思うと、正隆は、血の煮えるような憤りを感じる。こんな計画を立て、追い出て行く自分を人々は待っているのだ。
 正隆は、みみず腫れに膨れ上った手の甲を撫でながら、あらゆる人々に向って、苦艾(にがよもぎ)のような嘲笑を投げようとした。が、突然高い頭の小さい少年の像(イメージ)が心に浮び上ると一緒に、正隆は、病気のような心細さを感じ始めた。
 何か急に、ポカンと胸のしんが抜けて、がらん洞になった心の洞穴を、寒い、冷い霧雨を含んだ風が、スースー、スースーと風音を立てながら、吹き抜けて行くような淋しさなのである。
 その筒抜ける風に煽られながら、正隆は、自分の心も体も、めちゃめちゃになって行くような気分になり始めた。周囲の者達が可哀そうなのではない。勿論。神かけて、あんな奴! けれども、心が悲しいのだ。何かひどく惨めな、可哀そうな気分が突上げて来て、眼に涙さえ浮ませる。寂しい、気の毒な――誰なのだろう?
 自分の涙に度を失った鼠のように、正隆はきょろきょろと四辺を見廻した。目の届く限りには、人影さえも動いていなかった。
 相変らず、小じんまりと、婦人室のように飾られた部屋の中に、塵(ごみ)のような自分一人が、ほんとの一人ぽっちで、ポツネンと据っているのに気が付くと、正隆は、可哀そうなのは、自分がこうやって、涙までこぼして劬(いた)わってやっているのは、結局彼自身なのだ、というところへ行着いたのである。
「そうだ、俺なのだ。俺自身が、我ながら可哀そうになって来たのだ」
 俺が可哀そうだと思い出すと、正隆は、止途のない感傷に陥った。
 自分が、来たその時まで持っていた希望は、どこへ行ったのか。
 あれほど明るく、輝やいて見えた、前途が、こんな暗闇に塗り消されようと、誰が思って、こんな遠い田舎まで来るだろう。若い、向上心に満ち、総ての点に完備した自分が、これほどの悪計に、悩まされなければならないということ。矢張り、母未亡人が、かねがね話した通り、自分の境遇と、天分を羨望するあまりに、こんな計画を立てたのに違いないのだ。
 それ以外の原因は、何があるだろう。ただそれのみなのだ。それに、違いないのである。
 然し、だんだんこうやって進んで来た正隆は、ここまで来ると、或る得意に似た感情が、そろそろと悲しみを消し始めたのに心付いた。
 皆は、ああやって自分を酷(いじ)めたと思っているのだろう。然し、決してそうではない。もう一歩進めて考えて見ると、却って、彼等が、自分の力に苦しまされているのではあるまいか。
 彼等にとって、自分は重荷なのだ、目先にいられると、絶えず圧迫を感じずにはいられない。それで追い出そうとする。追い出したいと思いながら、断然と、それを口に出しても云えない者が、どうして、優者らしい態度だといえるだろう。つまり、自分は勝っているのだ。最後に於て勝利を得るのは、この、酷めたと思われている、自分以外の何人でもない筈なのである。
 そう思い出して見ると、正隆は、もう何も、こんな田舎の、古びた農学校なぞに未練を持つべき理由を、何処の隅にも発見しなかった。野蛮人達の、果しもつかない小競合(こぜりあい)の中に入って、争うのも惨めな位置などを眼がけるには、もう一寸自分は大きく生れ付いている筈だ。
 もっと素晴らしい未来が、自分には保留(レザーブ)されているではないか。
 正隆は立ち上って、丘児帯の後に、双手を挾みながら、部屋中を王者のように緩々と歩み廻った。そして、半年近い過去を、夢のように、それも馬鹿馬鹿しい夢を、自ら顧みて忍び笑いをするように、くすくすと肩を竦ませて、舌を出した。

        七

 こんなにして、突然豚にでもくれるように、心の中で自分の位置を垣内の、四角な顔に擲きつけた正隆は、その晩手荷物も持たないで、K県を立ってしまった。
 中二日置いた靄(もや)の濃い冬の朝、膏と油煙で黒光る顔を洗いもせずに、九段の家の敷居を跨いだ彼は、もうそれきり、二度とK県へ、振向こうともしなかった。
 僅か半年とはいいながら、充分に物凄まじかった正隆の教員生活は、最後の、半ば気違いになった大飛躍で、遠い、遠い彼方まで、放擲されてしまったのである。
 副島氏等からの音信によって、正隆は、もう立派な病人だと思い込んだ未亡人は、ひたすら、彼の恢復を希うばかりで、今更、彼を元の位置迄送り返そうなどとは、夢にも思ってはいなかった。
 そればかりでなく、未亡人は、丁度注意深い獣使いが、傷に触って、狂う獣を一層荒れさせまいと用心するように、どんな場合にでも、決してK県の話だけは、鬼門にして触れなかった。
 また一方からいえば、あれほどの希望と、誇りとを負わせて送り出した彼女は、この常軌を逸した彼の帰京を、病気にでも理由つけて置かなければ、到底堪らないほどの、失望や、間の悪さを感じるのだったろう。
 従って、かなりまで強調された「病人」の特権によって、正隆は、質問を受けないのみならず、自分自身も、何の反省や自責で、苦しめられずに済んだ。
 彼は、久し振りで悠々と、馴染み深い環境の中に身を寝そべらせて、居睡ったのである。
 けれども、おいおい日が経つに連れて、心の落付きが戻ると共に、K県での記憶は、何かにつけて、正隆の眼の前に現れた。
 赤坊の時から見なれた母未亡人が、相変らず、黒紋羽二重の被布に、浅黄の襟をかけて、小ぜわしく廊下を歩み廻るのを眺めながら、朝夕、細かな、女性的な情緒に抱擁されている今の正隆にとって、K県の思い出は、我ながら、奇怪なものになってきたのである。
 思い返して見ると、自分がほんとに神経衰弱だったから、あれほど真暗闇の苦痛を味ったのか、それとも、事実に於て、周囲がそれほど惨虐であったのかという境は、いつも際どいところで、ぼんやりとしている。どちらが、どうだったとも決定しかねる心持になって来るのである。
 けれども、あれほどの苦痛の原因を、ただ、俺が神経衰弱だったからなのだ、といって片付けることは、正隆の自尊心が承知しなかった。
 若しそれを承認すれば、結局、悪い、捻れたのは、自分一人で、他の人々は、皆よい、完全な、親切な人々だったのだと、いうことになるではないか。
「そんなのは、俺はいやだ」
 正隆は、我儘らしく首を振った。
 が、それならば、周囲にいた、あらゆる人々は、校長から給仕に到るまで、皆悪人ばかりだったのか、学生は皆、買収されていたのか、といえば、さすがに、うんそうだとも、とは云いかねる何ものかが、心の底に頭をもたげて来るのである。
 小さい鉢植えの紅梅を綻ばせながら、霜除けをした芭蕉の影を斜に、白い障子に写した朗かな日を背に受けて、我ともなくうつらうつらと思索の緒を辿る正隆は、ここまで来ると何時も、闇で見た幽霊を、追懐するような、漠然たる気分になるのである。
 幽霊を、きっと見たには違いない気がするのだ。若し、相貌の詳細(ディテール)を説明しろと云われれば、今直ぐにでも出来るのだ。けれども、いざ、それなら、ほんとにあそこの壁に立っていたのかと詰め寄せられると、決定的な返事には窮するような心持なのである。
 そうなると、正隆の眼前に拡がった濃霧(ミスト)は一層深くなって、終には、K県に於ける農学校そのものの存在さえ、怪しくなって来るのである。秩序立てて考えて見れば見るほど、自分の立場が不思議な、自分で判断の下せないものになって来るのを感づいた正隆は、或る程度まで行くと、もうぴったりと鑿穿の足を止めてしまった。
 我にも、人にも、明答の出来ない記憶の残滓を、苦笑と共に、そっと生活の淀みに埋めて、正隆は、翌年の春早く、「お信様」と呼ばれる婦人と結婚したのである。
 信子の母親は、佐々未亡人とは幼友達の間柄であった。
 およしさんおよしさんといって遊んだ美しい人が、大蔵省の地位の高い官吏と結婚して生れた末娘の信子は、三四人ある女同胞の中で、最も秀れた美貌を持っていた。それのみならず、その当時としては最高の教育を授けられて、鋭く利く目端しを、おとなしく古風な礼儀作法に包んだ彼女の趣が、先ず佐々未亡人の趣味を満足させたのである。
 正隆の脳病には、何より生活の変更が第一だと心づいて、可愛い子供の病気に使う適薬を探すような熱中さで、相当の婦人を物色した未亡人は、選択を正隆に委せる心持は持っていなかった。
 嫁という者を、奇妙な、良人と姑との共有者のような感じを漠然と心の奥に抱いている彼女は、女の子を育てたことのない好奇心に手伝われて、自分の趣味を第一に、標準とした。それに、可愛い正隆は、自分の眼鏡にかなった者を、拒絶する筈はないという自信で、かなりまで独断で事を進めた未亡人は、いざという最後の一点まで来て、事実を正隆に洩したのである。
 女性に対する神秘さを失って、結婚などということを、彼の年齢に比較すると、想像以上の現実さで考えていた正隆は、美しくもない婦人を貰って、義務を負わされる生活は、堪らないと思っていた。
 それで、母未亡人が、最初にそろそろと口を切り出した時にも、彼は例の通り鼻であしらって、どうでも好いという表情をしながら、煙草をふかしていた。
 けれども、自信のあるらしい母未亡人は、何か楽しい詭計を持つ者のように微笑みながら、
「正隆や、お前ほんとにどうでも好いとお云いなのかえ。好い縁を取逃して、後で口惜しがったって、私の知ったことじゃありませんよ」
と云いながら、わざと紙に包んだ写真を膝の上でひけらかした。それに釣られて、思わず、
「一寸お見せなさい」
と云って手を延した正隆は、紙を開いて中を見ると、一目で、これは! という顔をせずにはいられなかった。
 それほど、中の婦人は美しかった。その美しさも、数年間、彼が胸に抱いていた、その型通りの美である。上品でありながら、飽くまでも、瀟洒でなければならないという、彼の条件を知って生れて来た者ででもあるかのように、その立姿は冴え渡って、すっきりとしている。しかもそれが、高槻信と自署されているのを見て、正隆は思わず、何物かに胸を衝かれたような心持がした。
 ただ、美くしい、ただ、素晴しい婦人として、彼方に眺めていた彼の観賞眼は、この三つの文字で俄に、その視線の距離を縮めてしまった。焦点が、グッと動いて心の真正面に移って来たのである。
 子供の時分、よく母未亡人に連れられて遊びに行った、あの築山のある、泉水に緋鯉が泳いでいた家に、こんな娘が住んでいるのかと思うと、正隆は一種不可解な、謎を感じずにはいられなかったのである。
 もう、二十にもなっているのなら、自分とは、たった五つ六つの違いである。
 まだ漸く七つか八つだった自分が、
「おばちゃん、今日は」
と云いながら、紫天鵞絨(ビロード)の大黒帽子の頭を可愛く下げたその時分に、多分は、ろくに歩けもしない赤坊の信子が、母親の膝にでも抱かれて自分を見ていたのかと思うと、正隆の胸には、ついぞ湧いたことのない、一種の懐しさが後から後からと湧き上って来た。その懐しさも、曾て彼が一度ならず経験した種類のものとはどこか異ったところがある。
 もっとあどけない。もっと、色が、ほんのりとした桃色である。がそれにも拘らず、その桃色は、未来と過去とを貫いて、同じ桃色をほんのりと漂わせている、いたのだ、これからもいるだろうというような心持のするものである。
 それが、愛と呼ぶべきものなのか、或は、所謂縁というべきものなのか、正隆に区別はつけられなかった。
 その時分の教育で、愛の本質などということに就てかれこれいうより、先ず美貌を望む正隆は、よし彼女が、千里彼方の見知らぬ国の者であろうと、その結婚を拒みはしなかったであろう。彼が、満されない希望に終りそうな不安を持たぬでもなかった、その美が与えられるということに加えて、親と親との関係は、他人とはいいながら、幾何かの接近を両者の間に持っている。正隆は、どこにも非の打ちどころがないと思った。非の打ちどころがないばかりか、もう二度とは恵まれない幸福であるという気さえする。結婚などというものは――と、小鼻に皺を寄せていた正隆は、平常の冷淡さを、臆面もなく顛倒させてしまった。
 彼は、良人として自分が、どんな人間か、またどんなに信子からは観察されるだろうということなどは、問題にもしていなかった。
 彼女の傾向も、性質も、一通り未亡人の説明で納得した正隆は、ただ妻として自分のものになるべき信子、或は信子という名を持って生れた、一種の美の所有を、待ち焦れ、求めたというべきなのである。

        八

 その、正隆にとっては、寧ろ望外ともいうべき信子を、いよいよ滞りなく妻として迎えて、同じ構えの中に新居を持ち、また、長兄の尽力で今度は、農商務省へ出勤するようになって見ると、正隆は、どれほど謙遜に計って見ても、自分が幸福への、最も確実な鈎を投げた者とほか思われなかった。
 物質は、新しい家庭に華やかな色を添える以上に豊富である。生活の変化と共に甦った功名心は、そろそろと彼の胸の中で芽を吹き始めていた。その上、兎角面倒の起り易い嫁姑の間は円満で、彼の眼から見ると、互に競い合っているようにさえ見える二様の愛が、持ち得る総ての奉仕を捧げて、彼の前に呈せられているのである。
 一年前の、K県での暗い月日は、今思い出すだけの価値もないようにさえ思われる。正隆は、現在自分を抱擁する薫しい幸運の徴(きざし)の裡に、あらゆる過去の陰翳を否定していた。否定していたのみならず、あの瞬間と、今の、この、光り輝く薔薇色の瞬間との間には、何の連絡もなく思われたのである。
 幸福を思って微笑する時み、悲運を思って、思わず眉をひそめる時にも、正隆は決して自分をその中点として描いてはいなかった。
 幸福は、類なく繊麗な妻の信子の黒い瞳と、愛撫し、愛撫し、愛撫し尽してもまだ足りないように見える母未亡人の、豊かな頬の皺の中に保証されているような心持がする。それなら、この種の幸福の萌芽を、また、あの時分のように蹂躙(じゅうりん)する者があるだろうか?
 紫縮緬の衿から俄にパッと光るような項(うなじ)を浮立たせた信子夫人が、鋏の小鈴をチリチリ鳴らしながら、縫物をする傍に横わって、正隆は、思うともなく、そんなことも思って見る。
 けれども、それは決して、思って見るという程度以上には進まなかった。また、進むべき種類の想像でもなかった。正隆は、心に確りと描かれている豪奢な幸福の色調を、一層鮮に引立てるために、一寸使った影として、楽しく歓びに満ちた筆触(タッチ)で一抹の灰色を引くのである。
 こんなにして、正隆は、楽しかった。それは事実である。彼は自分が幸福であること、若し人間の味い得る幸福の種類が十あるものだとすれば少くとも、その中の七つまでは、既に味い得たことを、確信しているのである。
 けれども、勿論、それで完全だということは出来ない。正隆の理想から見れば、美の形式に於て殆ど完成に近い女性を信子夫人だということは出来ても、それならば、彼が、無意識の中に描いていた愛というものは、これで完全かというと、正隆は、明に或る躊躇を感ぜずにはいられなかったのである。
 よい家庭に育って、女性としての教育を当時としては出来るだけ与えられた信子夫人は、元より欠点というべきほどの欠点は何一つ持っていなかった。
 総ての女性が、従順である通りに彼女は従順であった。謙遜であった。そして辛棒強くもあった。深い謹(つつしみ)と、尊敬とを持って、良人である彼の前に傅(かしず)いてくれる。時によると、無作法な彼が、思わず恐縮するほど、嗜の深い細心を持って生活を縫い取っているのである。
 けれども正隆は時に、散歩などをしながら、ふと何かの機勢(はずみ)で、けれども――と思い出さずにはいられないような気分になることがある。それはどこまでも気分である。理窟からいえば、あれほど賢くふるまって、家を治める彼女に、それ以上の注文を出すのは、不親切だと思いながらも、なお、或る時に思わずにはいられない気分が、けれども――と遠慮深く呟きながら、或る不平を訴えるのである。
 その不平は、何故、あれほど利口な信子でありながら、何故またあれほど熱がないだろう、という愁訴なのである。
 今、ここで正隆は、かりに熱という言葉を使ってはいるが、それは実際、その本質に於て、熱と称すべきものなのかどうかは、分らなかった。が、何か、それに似た一種の力が、素晴らしい信子の裡には、欠乏しているように思われるのである。
 その或る物の欠乏は、外に表れると、彼女の冷静な、研ぎ澄した銀線にも比すべき美貌に、神秘的な陰翳と底力とを与えるものであるが、それが、魂と魂とが裸心で向い合おうとすると、思わず、彼を冷やりとたじろがせる種類のものなのである。
 静脈が、今にも紫に透き通りそうな、薄くすべすべと滑かな額から、反を打った細い足の爪先に至るまで、信子夫人の肉体を構成する一本の太い線もなかった。
 総てが毛描きである。弱く、繊(ほそ)く描かれてはいながら、その鮮やかな墨の曲線は、飽くまで白紙の上に際立っているように、彼女の輪郭は水際立っている。単に肉体の容姿のみならず、心の姿も同様の繊細な力強さを持っているのである。
 美くしい。全く、美くしい。が、然し、冷たい厳かな美である。太陽の熾(さかん)な火熱の中に、燃えながら咲き満ちる華の美しさではなくて、沈黙の月光が、蒼白く顫える中に燦めく氷華(グレーズ)のような美くしさなのである。
 伝統的な一種の趣味から、形に於て、信子を求めた正隆は、その容の包む魂に接近して或る Unexpected を感じずにはいられなかった。まるで、予期しなかった魂を、彼は、よいとも、悪いともいうことは出来ない。彼女を真実に愛し、或は愛そうとしている正隆は、信子によって、最後の天を示されたような心持さえ感じるのである。
 結婚してから、幾度正隆は、彼女の謎めいた Warning の前に、解答を得ようとしただろう。
 それは、ほんとに彼女の表情である。それ以上に説明しようもない。が然し、一度その、侮蔑ともいえない侮蔑と、自負と、愛と憎と憐愍とを一緒にして、薄水色の中に溶したような、淡い笑を浴びせられると、正隆は、何だか分らない自分の無力を感じずにはいられなかった。従って、あらゆるそれ等の、けれども――という前提の後に従って来るものは、若し彼が、その無力さえ完全に恢復すれば、消失すべきもののように思われるのであった。
 それなら、どうして、見えざるその無力を補充するのかといえば、正隆は、ただ高い地位を我ものにすることだとほか目標が付かなかった。女性の与(あずか)らない男性の世界である仕事で、彼女の持たぬ何物かを得ようとするのである。けれども、これ等の心の過程は、信子の美に、殆ど絶対価値を置いている正隆にとって、決して復讐的なものでないどころか、些の、冷淡さも含んではいなかった。ただ、希望である。形の纏らない野心(アンビション)である。功名心である。一つの暗い洞穴を抜けながらも、天性の自負を失いきれない正隆にとって、それ等は限りなき赫奕(かくえき)たるものに想われる。嘗て彼が、大学の制帽を戴いていた時分に夢想した成功というものと、今の成功とは、その内容の複雑さ、甘美さに於て、著しく違って来ている。
 自分の成功は、世間への華々しい出現は、同時に彼の重宝である美の信子を、一層燦然と輝やかせることであり、彼女の輝きは、同時に翻って、彼の至上の背光(グローリー)となるのである。
 そこまで考を辿って来ると、正隆は、最初の、けれども――という湿っぽい、稍々(やや)伏目になった愁訴を何時の間にか忘れてしまっていた。結局、何といっても、自分は幸福なのだ。仕合わせなのだ。時が経てば、自然にどうかなることを、かれこれ思うのは決して利口な遣り方ではないのだ。信子は素敵だ。親切だ。行届く。それでいいのではあるまいか。
 結婚して間もない若い女性に、それ以上の注文をするのは、自分の方が無理なのだろう、まだ馴れないのだ。まだ馴れないのだ! そしてまた、同じ高みの朗らかさに戻る正隆は、翌年の夏、父親となって、一層その安心を確めたように見えた。
 母となってどこか鋭さが円められた信子は、祖母の名の房の字を貰って、正房と名づけられた幼児と、いたるところに麗しい母子の肖像を描いて正隆を包んだのである。

        九

 信子夫人の美と、一種の威厳ともいうべきものは、結婚後、単にあてどがないということが原因だった正隆の自堕落を矯制していた。それのみならず、父親となって、純白無二な生命をいたわりながら抱き擁(かか)えて見ると、決して悪というべき何物をも持たない正隆の心は、ほんとによく[#「よく」に傍点]なった。このよさ[#「よさ」に傍点]は、時によると彼の弱々しい微笑の間に、大望(アンビション)さえも忘れさせかねないものである。また、時によると、得体の知れない悲しさにさえ沈ませるようなものでもある。
 妻と子と、家と。
 正隆は、生活の快い、日向(ひなた)を感ぜずにはいられなかった。有難い日向である。平和な日向である。そして事のない、日向である。
 もう少しで、そのほかほかと陽炎(かげろう)の立つような生活の安穏に居眠ろうとした正隆は、正房が二歳になった時、思い掛けぬ刺戟を与えられた。
 それはほかでもない、当時、青年という青年の血を湧き立てずには置かなかった、海外留学、それも、農商務省からの留学生として、海外派遣を命ぜられるかも知れないという福音なのである。
 これは全く正隆にとっては、眠気醒しの、灌水浴(シャワーバス)ともいうべきものであった。ぼんやりと、霞の掛ったような頭の上から、サーサー、サーサーと小粒な水玉を撥(は)ねかけられて、急に甦った血行が、快い亢奮に躍りながら、細胞の一つ一つを満して行くように、正隆は活気づいた。ほんとに、附元気ではない希望と活気とに燃え立った彼は、これも珍らしく、特殊な感激に打たれているらしい妻の顔を晴々と眺めながら、選抜試験の課題ともいうべき、独、仏、英語の或る翻訳に着手し始めたのである。
 勿論、正隆は、自分の競技すべき一箇の敵手として、殆ど同年配の同僚が一人在ることは忘れなかった。夜遅くまで、彼が机に噛りついて、あらゆる精力を傾けながら、一生懸命筆を運んでいる時に、彼方の、どこか見えない家の書斎でも、同様の努力が行われていることは、片時も、正隆の頭を去ることがなかった。然し、その競争の意識は、彼にとって決して不愉快な重圧ではない。丁度、雨に降り込められた者が、俄にカッと輝き出した太陽に照らされたように、正隆にとっては、一種の明るい活々とした刺戟である。
 時に、鈍重(ダル)になりそうな心持や、長い仕事には付きものの、不思議な焦躁等を、或る程度まで制御して、適当に仕事を新鮮なものにして行く、調節器であるといっても差支えないほど、正隆は、自分の学力と文才とに自信を持っていたのである。
 従って、正隆は、自分が留学生として選ばれるということを、殆ど既定の事実のように信じて疑わなかった。
 三箇年の海外留学と、かち得べき学位、それ等は、まるで、今までは、絢爛(けんらん)たる光彩を放ちながらも彼方にあった、名誉、栄達、幸福という叢雲の中から、特に彼のために下された、縒金の繩楷子(ばしご)のように見えた。
 これからこそ、ほんとによくなるのだ!
 その、よくなる、という内容の詳細は、ただ一面の渾沌ではあるにしろ、正隆は、総ての、よりよきものを空想せずにはいられなかった。単に自分だけによい[#「よい」に傍点]のではない、美くしい、素晴らしい信子のためにもよいのだ、また、小さい、お乳くさい正房のためにもよいのだ、皆によいのだ。皆が、福祉を受けるのだ。その鍵を、今、自分は丹精して鋳つつあるのだという、楽しい意識――。
 結婚し、子を持った正隆は、数年前より、遙に単純な心持で、あらゆる仕合わせに面することが出来た。仕合わせと呼ばれる総ての腕に喜んで抱き取られたい、取らせたいという心持が、見えない内に漲っている彼は、ほんとによき父、よき良人らしい熱中さで、彼の裡に共生する幾つかの魂の悦びのために、励し、励まされて、仕事に勤しんだのである。
 当時、三十歳だった正隆は、ようよう光明に向って踏み出した生活の三足目で、自分を粉砕する襲撃を予期してはいなかった。予期出来なかったほど、正隆は、或る点からいえば正直になっていたのである。
 自信ある競技者のみが感じ得る楽しい、光輝ある緊張の連続で、いよいよ結果の発表されるべき日が来た。
 その日の帰途を想って、自ら微笑を禁じ得ないような心持になりながら、出勤した正隆は、自分の机に坐るか坐らないかに、課長室へ呼ばれた。彼は、勿論何の不安をも感じなかった。至極落付いていた。が、その落付いた、もう解りきっているという平気さの下に、嘘のいえない心臓を率直に鼓動させながら、正隆は厚い木の扉を開いて、半白の課長の面前に現れたのである。
「まあ、そこへでもおかけ下さい」
 機嫌のいい声で、朝の挨拶をして正隆に、傍の椅子を勧めると、課長は、暫く何か決心のつきかねた風で、頬杖を突いた片手を延して机の上を叩いていたが、いきなりその顔を挙げると、
「いや、どうもあの翻訳はお世話でした」
と云いながら、一寸頭を下げた。
 これは、唐突である。正隆は一寸返事を見出せないで次の言葉を待った。が、この予期しない発言の仕方で、正隆は、我知らず、おや変だな、と思わずにはいられなくなった。どこか、彼の思っていたものとは調子が違う。何をこれから云い出すのだろう。
 漠然とした不吉の予覚が、心臓をそろそろと堅くしそうになった正隆の面前で、平常の態度に返った課長は「ところで……」と云いながら身を正した。
 ところで……? 正隆は、思わず喉をゴクリと云わせた。
「ところで……あの結果ですが――。種々委員とも評議の結果、結局どうも、貴方にはお気の毒だが、真田君の方が定りそうな工合です。勿論、貴方が不出来だったという訳ではない、いや、寧ろ、お骨折で、却って立派に出来てはいる位なのだが――どうも、君も知っている通り、こういうことには種々の都合があるのでね。まあ、今の塩梅では真田君に行って貰うようになるらしいから、それを一寸、前もってお知らせした方が好いと思ったのです」
 そう云い終って、また頬杖を突いた課長を凝視しながら、正隆は、思わず自分の耳を疑った。真田が行く……? 真田と――。変だな、そんなことは不可能だ、第一あんな学問もない男が――何かの間違いだろう……。
「真田君――あの、真田猛君ですか、あの人が行くのですか?」
という反問が、殆ど無自覚の裡に、正隆の口を突いて出た。
「ええそうです、あの真田君です」
 然し、彼の老眼の前で、俄にサッと血の気を失った正隆の顔を見ると、何でもないという風だった課長は、急に言葉をついだ。
「それあ、君もここまでやって残念でしょう。それは私も察しる。が、なにしろ、場合が場合だから、今度は、真田君に譲ってやり給え。まだ君なんか若いんだから、先が緩(ゆっく)りしている。あわてないでも好いでしょう。それに君は、家庭もよし、歴(れっき)とした――」
 課長は、ここで何故か一寸厭な顔をした。
兄(あに)さんも持っているのだから――」
「家庭が好い? 兄貴がある? 何を云うのか、それとこれとは、全然異った問題ではないか、そんなことで、左右されることではないのだ。途方もない、何を感違いしているのだ。驢馬!」
 正隆は、唇を噛みながら、いまいましげに、額を逆に撫で上げて、ジロリと平気に見える老人の顔を睨み据えた。
 然し――。
 正隆は、第一、何故自分が除(は)ねられて、あんな真田が選ばれたのか、その理由を知らないでは納得出来ない心持がした。
 自分は、あんなに真剣にやったのじゃあないか、自分は、あんなに、あんなに――。
 正隆は、急にゲッソリと腹の力が抜けて、妙に震える力の震動が胸元に突掛って来るのを感じた。
 あんなに――希望していたのではないか! もう年を取って、半ば老耄した課長なんか、勿論誰が行こうが関ったことではないだろう、然し、自分には違う。そんなに雑作なく、片づけられることでは、ないのだ――。
「それでは――」
 強いても、激情を圧えた静かな口調で、こう切出すのは、正隆にとって、最大限の努力であった。三年前の彼なら、いきなり、そんなひどいことがあるものか! と怒鳴らずにはいられなかっただろう、正隆は、いつか身に着いた、経験の、不可思議な力で、グッと燃える火の玉を飲み込んだのである。
「それでは――真田君が選ばれた理由だけを、洩して戴くわけには行きますまいか、自分の――自分の参考になるとも思いますから」
 然し、官僚の曖昧に馴れきった課長は、種々遁辞を構えて、説明しないのみならず、数度正隆が圧迫(せま)って、説明を求めると、最後に、彼は氷のような冷淡な表情で、
「そんなに追究しない方が、君のためだろう、自分で考えて見給え。落付いて考えて見れば自分で解ることなのだ、私はもう御免を蒙る――」
と云いきったきり、もう再び正隆の方へ振向きもしなかった。最後の言葉を、課長は、確信のある者の壮重と、威圧とで断言したのである。
 この一句が、正隆の心じゅうを、グンと小突き上げた。
 君のためだろう、とは何事だ!
 正隆は、思わず激しい音を立てて、座から立ち上った。が目の下に、半ば禿げた課長の頭を見ると、彼は、俄に淋しい、生理的に痛苦を感じるような気分に掴れた。
 憎みとも、恥辱とも、口惜しさとも、名状し難い感情が、盲目(めくら)のように突掛って来る。グリグリが出来たような、彼の目の前には、今頃はもう有頂天の大喜びで、得意そうに仲間中を触れ廻って、自分の成功を祝われているだろう真田の姿が、幻のように浮び上って来た。
 その想像は、彼に眩暈(めまい)を起させる。けれども、思わずにはいられない。
 少し膝が曲った細いズボンを、小刻みにチョコチョコと歩きながら、真中から分けた髪を押え押え、へらへらと笑う真田。
 たださえ軽薄な真田が、面白半分の煽てに乗って、天地唯独りの俊才を気取りながら、どうだと鼻を蠢(うご)めかせる様子を考えると、想っただけで、正隆はほんとに、嘔きたいような気分になって来た。
 あんなに確実そうに見え、見えたばかりか、同僚の多くも、自分に当然の結果として、選抜を予期していたのに、あの真田が、自分に代るということは、一体何事だろう。
 平常から、おべんちゃらな男として、数にも上せなかった彼に、自分の座を横領されたことは、正隆にとって、決して単純な失望には止まらない。
 今までは、創世後八日目の宇宙のように、晴々と、爽やかに日光の降り灌(そそ)いでいた地球は、俄に、正隆のこの眼の前で頓死してしまったのである。

        十

 それは実際、総てのために悲しむべき、一つの誤謬であった。
 正隆が、外国語に、秀でた天分を持っているということをのみ強調して、考えの中に置いていた人々は、彼が翻訳した文章を見て、不審を起した。
 彼が、外国語にこそ精通しておれ、邦文、しかも当時行われていた面倒な漢文的な文章を、これほど立派に駆使することは意外だというのである。
 人間が、意外な感に強く打たれたとき、決して平常の冷静を保っているものではない。少くとも、その瞬間だけでも、何等かの不安定な動揺を感じずにはいられない。その動揺の、落付こうとする方向を、いかなる形式に於ても暗示するヒントが、やがて、その「意外」の種類を決定するものなのではないだろうか。
 この場合では、正隆に対する徳義上の疑問が、落付きを与える一つの重しとなったのである。即ち、外国語には通じている正隆が、不完全な日本文の弱点を補うために、彼の長兄である正則の助力を仰いで置きながら、それをそのまま知らん顔で提出したのではあるまいか、というのである。
 勿論、それはありそうなことで、ないとはいえなかった。正則は、素人でこそあれ、漢詩をよく作ることで、一部には著名であった。その兄を持つ正隆が、若し彼を強請(せび)って書かせたとすれば、この位の文章位、何の苦もなく出来(でか)されてしまう筈なのである。
 従って、ありそうなこととして、この疑問が、皆の胸に湧いたことは、理由のないことではなかっただろう、然し、漠然としているにも拘らず、人間の心に不思議な昏迷を与えるこの感じは、危険なものである。人は、なかなかその妙な暗示から解放されることが出来ない。正隆が、二人掛りで遣って置いて、そっと口を拭っているのではあるまいかという、最初は極く淡い、互に云うのさえ憚られるようなものであった一種のアンティシペーションは、討議、評議と時を経て行くうちに、何時ともなく皆の心の中で、濃度を増して、終には動かすべからざる疑問となってしまったのである。
 疑い出して見ると、事は紛糾するばかりである。どこにも、決定を与えるべき証拠がない。ああだろう、こうだろうと云っているうちに、人は不安にならずにはいられない。そういう結論の与えられない疑の中を這い廻っている自分自身が、一時(いっとき)も堪らないほど、厭に、不安になって来る。そして、結局は、どうでも好い、早く何等かに片をつけてしまったら好いではないかという心持に、なって来るのである。
 こういう場合、与えられる決定が、それを受ける者を考の中心に置いていないことは、明かである。自分の不安を追うための決定である。自分に与える回答である。従って、最も平明な、最も単純なものを「よし」とすることは免れ得ないことなのである。
 正隆の仕事を挾んで向い合った時にも、皆が知らずに、皆がこんな心持になっていた。そして、掴みどころのない、いざこざの末、
「そんな疑いがあるのなら、一層、面倒のない方に極めた方が、一番簡明でいいじゃあないか」
という発言の下に、出来栄としては数等劣った、劣っているが故に、真田の実力であるに違いない仕事を、採決することになってしまったのである。
 洋行とか留学とかいうことが、直接自分達の生活とは、何の関係も持っていない者達は、悪意のない無関心で、評議の材料を取扱ったのだろう。
 並べられた、二百枚近い紙の背後に、どれほど熱した魂が、彼等の指を見守っているか、せめてただの一度でも考えて見ようともしない人々は、ただ、文字を並べた紙を綴じた物、その「物」によって、留学という、一種の概念の傾きを決定しようとしたのである。
 けれども、正隆にとって、二百枚の紙は、決してそれほど軽く見られるものではなかった。その紙背に、あらゆる彼の希望が懸っていた。父の持つ本能的な愛、良人の持つ無自覚な妻への誇、よき生活への憧憬、その他、順調に流れた数年の後、今彼の胸に暖く芽を育て始めた、総ての「よき願い」がどっしりと重く裏づけられていたのである。
 然し、始め、彼の仕事が拒絶された理由を知らなかった時の正隆の失望は、寧ろ感傷的な甘みをどこやらに漂わせたものであった。
 正隆は、ほんとに落胆したのだ。ほんとに失望したのだ。彼は勿論真田を羨望した。あんな、猪口才(ちょこざい)野郎がと云って、口惜し紛れの悪態も吐いた。今度こそ見ろ! と自分の不運(アンラッキー)を呪いもした。けれども、真田と自分との位置を転換させた何かの理由に対しては、一種の敬遠を抱かずにはいられなかった。
 あんなに見えていながら、いざという土俵際で、巧く自分に背負い投げを食わせた、真田奴! その呪咀の中には、心の底で一種の謙譲が保たれていた。彼がいくら、喚いても、怒鳴っても厳然と立って抜くべからざる壁、その壁は癪には触るが正当なものだ、というような、意識が、正隆の心の奥の奥に流れていたのである。
 自負の強い彼は、家族に対しても、じっとおとなしくはしていられない。罵りながら、口では、「何が何だか分るもんか」と云いながら、正隆は、まだ先を見ていた。今度の意外な当外れは、単に機会的な不運(アンラッキー)で、一生を通して、目に見えない彼方から自分を大きく支配する運命の狂いだとは思っていなかった。運命(デスティネー)と、運(ラック)とは違う。彼は、動く、消える、そして、或る程度までは自分で掌握することの出来る運の戸惑いとして、この失望を堪えようとしたのである。
 然し、彼としては、殆ど予期出来ない朗らかな心底は、或る日受取った一通の手紙で、見事に破られてしまった。
 また破られるのが無理だとは思われないほど、正隆のその当時の魂に対しては、惨酷な蹂躙であった。覆われて来た現実は、俄にパックリと蓋を上げて彼の眼前に見るに堪えないほどの醜陋を暴露した。或る友人によって、好意的に書かれた手紙は、真田が選ばれた理由と、同時に彼に加えられた誤解とを、詳細に説明して寄来(よこ)したのである。
 自分が、あれほど真剣になり、あれほど熱中し、あれほどよい心で努力し、努力し、努力し抜いて出来上らせた仕事を、その仕事を、兄貴のお蔭だなどといって没却させてしまうとは、何ということだ! ほんとに、何ということだ!
「畜生!」
 丁度、晩餐の卓子(テーブル)に向っていた正隆は、いきなり歯ぎしりをすると一緒に、片手に持っていた杯を、擲(たた)きつけた。そして、傍に、無言のまま坐っている夫人に、
「これを見ろ!」
と手紙を差つけながら、ボロボロと涙をこぼした。何ということだ!
 彼が、今まで或る正当なことを予想して、自分の失望を鎮(カーム)しようとしていたことなどは、もう総て、間違いだったということが示されたのだ。自分が、正しいものと思っていたところには、下劣がある、卑劣がある。そして、不公平が最後の審判を下していたのだ。
 素晴らしい自分の仕事を疑う。疑った疑問をそれなら、何故、自分に正そうとはしないのだ。誤った疑いで人の生命を涜(けが)して置きながら、その誤謬のままで価値を定め、自分の一生を台無しにしてくれる――
「フム!」
 卓子の上のものを、ガラガラと肱で片寄せながら、正隆は真蒼な顔を頬杖に支えた。
「フム! また始めやがった……」
 何を始めたのか? 奸策である。彼の一生をめちゃにする悪計である。記憶の奥に埋れて、殆ど忘れかけていたK県でのことが、悪運の眼のように、彼の眼前で輝き出したのである。正隆は、自分の、最初の首途(かどで)を悲惨なものにさせた、何か恐るべき凶徴が、今もなお、執念深く自分の身を離れずに付いて歩いて来ていたのを思わずにはいられなくなった。
 永劫である。永久である。命の、限りである。命の限り、自分の生きている間中は、この、恐ろしい呪咀が付いて廻って自分の行手を遮るのだろう。
 副島氏、生徒、垣内を使った怨念は、今は多くの先輩と、真田とを掴んでいるのだ。いつも、相手は多い、いつも、多い。それだのに、自分は独りではないか。到底敵う筈はない。頭を出すとは擲(なぐ)り、頭を出すとは擲りつけて――。今日でも自分が縊れ死ねば、凱歌を奏して、死骸の廻りを踊るだろう。
 皆が、死ねばいいと思っているのだ。皆が、首でも吊ればいい、まだ死なないか、まだこれでもかと、虐(いじ)めるのだ、何故? 分っているじゃないか、皆は俺が怖いからだ。俺の力が恐ろしいからだ。俺に出られちゃあ、自分達の立つ瀬がなくなるから、邪魔者の俺を、見えない底へ葬ってしまおうとするのだ。
 いつも狙っている、いつも隙を窺っている。それを、俺が知らないとでも思うのか、馬鹿奴。然し、お気の毒だが、俺はまだ死なないよ。邪魔にするなら、して見るが好いさ。けれども、俺も、負けてはいないからな、貴様が邪魔にする気なら、フム! 正隆は、血走った双眼をカット見据えた。覚えていろ、俺も命の限り、邪魔になってやるから!
 夢中になった正隆は、正房を抱いた乳母が御隠居様、と呼びながら主屋(おもや)へ逃げて行ったほど、狂暴な勢で、訳の分らないことを怒鳴りながら、瓶から酒を煽りつけた。そして、しまいには、失神したような信子夫人を、確りと胸に抱き擁(かか)えながら、膏(あぶら)と汗でニチャニチャに汚れた頬を、冷い、滑な彼女の頬に擦りつけながら、
「信子、信子……」
と子供のように泣き崩れてしまった。

        十一

「邪魔にする? フム、面白い、やれ! やれるものなら、やって見ろ!」
 酒精(アルコール)の力に煽られて、夢中になっていた間は、正隆にとって仕合わせな時であった。
 一時に勃発した激情の浪に乗って、我も他人(ひと)もなく荒れ狂っていた間は、まだよかった。然し、次第に酔は醒め、目が覚め、或る程度まで鎮まった正隆の心の前に現れた現実は、ひどいものであった。ほんとに、ひどい。生きるには、辛いほどの世界である。
 一度でも、朗らかな希望の明るみに身を置いた正隆にとって、忘れようとしていた過去の追憶を一新して、今日に甦らせたばかりでなく、互に力を加え合って、彼の絶望を一層大きなものにする今の疑惑は、彼自身の力では逃れ得ない煉獄のようにさえ見えて来たのである。
 K県での忘れ難い印象を、或は一種の病的(ハルシネーション)な幻想だったかも知れないと、彼自らに思わせていたものは、正隆の生活に与えられた、新たな幸福の力であった。
 強調された現在の色調に、知らず知らず過去を薄めていた彼は、今、その頼む現在の破滅によって、俄に、過去を筒抜けに見るようになって来た。遠のいて、ぼんやりとしていた思い出が、一時にカッと鮮明な力強いものになって彼の面前に迫って来る。そして、あの時と、今との連続となっている僅か二三年間の光明は、却ってそれが明るいために、余計、左右の闇を濃くすることにほか役立たないのである。
 感情に激した正隆は、大きな打撃を受けた瞬間から、あらゆる冷静さ、実際的方針というべきものを失ってしまった。
 役所は、ひどい、不正である。自分のすべき仕事と、繋ぐべき希望は、もうない、なくなってしまった。と思うと直ぐ、辞職願を書いて突き出した正隆は、自分に与えられた苦痛を、ただありのまま、そのままに受取って全身で苦しんだ。その苦しみは大きい。深い。そして、魂の根にまで毒を注射するものであったろう。けれども、正隆は、それほどの苦痛に、解剖のただ一刀をも加えなかった。
 自分は苦しい。何故苦しいのか、彼等が不正だからなのではないか、彼等の不公平が自分を虐げるから、自分は辛いのではないか、この点から更に一歩を進めて、それならば、彼等の不公平と、不正とはどんな原因と、内容を持っているだろうというところまで、彼の思索を進める力を、彼は生れながらにして持っていなかったのである。
 それ故、この場合、正隆にとって、母よりも、妻よりも、よき一人の友が生活の活力素になる筈であった。一人のよい友人が、彼の総ての経験と、周囲の不幸な誤謬とを、些細に解剖し、解体して、あらゆる不幸な偶然を取りのけた運命の大系を暗示しさえすれば、正隆はどうにか、生活の明るみの上に息を吐けたかも知れなかったのである。然し、どこにもそんな友人は見つからなかった。平常から、群を離れて強者のようにふるまう正隆は、自分の馬鹿を披瀝する者を持たなかった。人間がどこかに持つ共通の馬鹿を、いたわり合う人を持たなかった。従って、多くの同僚は、その翌日出された辞職届のことを知って、彼の物質的安定と、そのために許される我儘とを羨望したに止まっていた。或る者は、正隆の所謂お坊ちゃんを、世にも比類のない仕合わせとして、彼を祝福さえしたのである。
 この物質的に、彼があまり安穏であったということは、一面に正隆の身を自由に解放していると共に、他の一面では、彼をただ瞬間の激情に己を委せる弱者にしていた。
 若し、正隆が、役所から離れるということが、何等かの点で生活の不安を齎すものであったら、これほど、彼は無反省で、或る環境から自分を引離すことは出来ないだろう。出来なければ、従って、何等かの思考が費される。そこで彼は、自分の苦痛、その苦痛を齎した原因、等に就て、何か掴むことが出来たかも知れない。けれども、役所で受ける俸給などというものは、生活の大道に何の差も起さない境遇にある正隆は、単に役所を雑作なく罷(や)めたということと共に、同様の無省察で、自分の疑惑を肯定したことに、一層の不幸を持っているのである。
 彼の追憶は、それが追憶であるという事実に於て、多分の想像が加えられるのを免れない。現実の苦痛は、その結果のみを握って、原因を手の届かない彼方に置いているという点に於て、また、多くの推測と仮想とを含まずにはいられない。総てのことがただ抽象化されて、その抽象を左右する傾向が、ただ、正隆の気質にのみ動かされることは、結果として、正隆の求め得る結論以外のものは出て来よう筈がない。
 自分の正直な、真実な仕事が、劣等な疑と不公平な判断によって、現に、拒絶されたという事実は、翻って、妄想かも知れないと思いかけていた過去の、K県での経験までを、疑い得ない事実として、正隆を首肯させた。そうなると、彼の最初の踏み出しから、今日まで、正隆は、ただ不正の、悪策の的となっていたようなものなのではあるまいか。
 悪計を運用する台として、或る処へ運び出されたようなものである。その運び出す餌として、自分は、僅かな、然し力強い幸福を覗せられた。幸福を厭う人間が、この世に独りでもいるだろうか? 皆は幸福を求める。その皆の求めるものを自分が求めて、釣り出されたことは、自分としては自然である。が、相手にとって、自然であることを、係蹄に使うのは、或る警戒を与える策略よりも、数等卑劣である。正隆は、彼にとって、全くの不幸であった、人々の無責任によって、止途もなく疑の底に滑り込んだのである。
 彼は、先ずK県に於て、その発端を現した不吉を呪うべき運命が、着々とその確実な計画を遂行して、今日、第二段落の成功を納めたのだとほか思われなかった。
 等しく、それを自分が自分の心に経験したという点で、K県のことと、今度のこととは、正隆にとって、幻想と事実との差を持たなくなって来た。まして、静かに、魂を鎮めて、人間の一生を貫く、運命の方向と、その運命の大道に折々現れて来る不幸な錯誤、機会というものの不思議な影響などを考えることは出来なかった。正隆の見越す運命の終極は、恐るべきものであった。
 自分の性格のうちにある力の欠乏を知らず、また他人のうちにある同種の不完全さも思わない正隆は、全く日の目もない未来を予想して、そこに導こうとする運命、明かに、自分を嫉視する者共の手で繰られる運命を呪咀することほか知らなかったのである。
 斯様な正隆を取囲んで、最初、彼の真価を誤った人々は、勿論、没交渉であった。自分等の不真実を謝して、気の毒な彼を慰めようなどと思う細胞は、大きな頭の一隅にも持ってはいない。
 たとい、それほどの悪意はなかったにしろ、彼等によって、突転がされた正隆を受取って、母未亡人は、失望にがっかりとしながら、手のつけようも知らなかった。
 再度の失敗で、ひどく目算を破られたような口惜しさを感じながら、強いても、唯一の避難所である脳病に正隆を圧し込めた母未亡人は、正隆にとっては、何の慰めにもならない、身の辺りの手落ちない注意で、温めようとした。
 その様子を、静かに眺めながら、美くしい信子夫人は、良人の受けた疑いに、或る恥辱を感じると同時に、価値の見えざる下落を感じずにはいられなかったのである。
 信子夫人にとって、良人は尊敬すべきものであった。その良人が、何か厭わしい嫌疑を受けたということは、彼女の誇りを、むっとさせることである。栄達の見込みが確実らしく見えていた良人の、俄の失墜、顛落しつつ、男らしくもなくもがき叫びながら、ただ徒に、焦る彼を見ると、信子夫人は、最初に懸けられた疑を、確かりと否定することさえ、曖昧なものに思われて来たのである。
 良人を全部、信じ、肯定しきれない信子夫人は、心の中では、幸福な姉達の生活を比較しながら、あでやかな眉を顰めて、憐れな良人を眺めたのである。
 総ては、どこにも捌(は)け口のない濁流の渾沌さで彼の周囲に渦巻いた。
 正隆は自分の苦悶を、肯定してくれる者もなければ、また力強く否定して、鞭撻しようとしてくれる者もないのを発見した。妻も、母も、遠く、或は近いといっても、或る一定の距離を隔てて面する以上決して、より接近し、しっかりと魂の奥まで掴んでくれようとはしない。不思議に、遣場のない不安、呪咀。当のない力の焦躁。行き処がない、行き処がない……
 正隆は、憤りにまかせて、フム! やって見ろ! と叫ぶだろう。けれども、それは決してその瞬間の、心そのものの空虚を満すものではなかった。相変らず、淑やかな、温順な、動じない妻。正隆や、正隆や、と云う母。然し、二人は、何の力も加えてはくれないのだ。彼女等の、相変らずの柔かさ、ほの温かさが正隆を、一層苦しませる。彼は、自分と共に若し信子も怒鳴って、狂(あ)れて、呪咀すべき運命、人間、に拳を振ってくれたらば! と、思う。それでなかったら、何か、火のような言葉で、自分をハッとさせてくれさえしたら! と希う。希う。ほんとに希う。が、出来ない。
 信子夫人は、良人として与えられた異性に、ただ従順に、貞淑に、美くしい身嗜みで心を和らげる妻として育てられて来た。彼女の予想した夫は、多大な名誉と希望とをもって、華やかに彼女を引立てる筈のものであった。総てはちがって来た。信子夫人は勿論そう思わずにはいられなかった。正隆も勿論、そう思う。正隆は、運命の顔を見そこなった自分、見そこなうような運命の詭計(トリック)に一生足を攫(さら)われなければならない自分を見出して、総ては違っていたのだ、と思わずにはいられないのである。
 自分は母に愛された。よい天分を与えられて生れた。それにも拘らず、いざ、その力を使ってほんとの幸福を掴もうとする段になって、何故自分は、これほど、他人の嫉妬に苦しめられなければならないのだろう。
 暗い運命が、一生自分を覆うと知って、何故自分に何かの力を授けてくれたのだ、
 何故、人並に幸福らしい、生活の一片を投げてくれたのだ?
 自分を、富ませ、美くしい信子と、愛すべき正房とを与えて置きながら、どうして、そんなに、足を掬(すく)って倒すのだ?
 信子は、信子によって新しくされた生活の総ては、それなら、それなら、今の苦痛を一層深く、堪え難いものとして味わせるために、与えられた餌食だったのだろうか? そうなのか、ほんとに。そうなのか、若しそうだとすれば――。
 正隆は、額に膏汗をかいて吼った。若しそうだとすれば、信子さえ、この麗しい信子さえ、見えざる無数の敵の間牒だと、いわなければならないのだろうか?

        十二

 恐ろしい、それはあまりに恐ろしすぎることだ。正隆は、計らずも自分の生命の偶像である信子夫人に向けられた疑問を抱いて、三晩一睡もしなかった。
 若し彼女が、自分の愛に応答しない、信頼を裏切る悪魔の使いだったら、どうだろう。総ては、もうそれっきりである。もう、それっきり! その先にあるものは、云えない。云えない無が、虚無が、闇が拡って、彼を嚇やかすのである。
 彼は、何かただ一事で、馬鹿な貴様だな! と笑って、その疑問を殺してしまいたかった。けれども、彼は、そうは出来なかった。
 結婚の当時から、何かの折に触れては感じた、あの「けれども」という愁訴。幸福な間、その幸福の持つ、華やかな色彩で、何時の間にか隠されていた、その一種の、明かな物足りなさは、絵の具が落剥(らくはく)すると共に、何か意味ありげな穢点となって、正隆の心の前に滲みついたのである。
 ここに至って、正隆の内面的な問題は、一廻転したように見えた。今まで、ただ漠然と衆に向って注がれ、放たれていた疑惑は、今あらゆる力を集注して、信子をその対象として掴んだのである。もう、正隆にとって、自分が、役所をどうして罷めたかということや、これから先、どうやって行こうなどということなどは問題ではなくなった。ただ、信子である。信子が、真実に自分を愛し、自分を信じ、その愛と信とのために、自分に送られた者であるか否かということが、唯一の疑問である。彼の生涯の希望は、ただこの一点で決せられるように思われて来たのである。
 若し、信子が、ほんとに自分を扶け、自分と禍福を偕(とも)にする決心でいるのなら、生活に、まだ何かの光明がある。四方、八方から虐げられても、彼は、夫人の美と、美の持つ力とによって、何か生きて行く途を得られることを信じていた。若し彼女が、悪霊の傀儡(かいらい)でないならば、敵は、まだどこかに隙を与えているということを思う可能があると、思ったのである。それから緊張し始めた正隆の注意は、殆ど間牒のように信子夫人を踉(つ)け廻した。彼の傍にいる時も、いない時も、外との交際も、あらゆる隅々を圧えて、彼は、信子の正体を見窮めようとし始めたのである。
 けれども、それは彼女を愛す正隆には堪え得ない仕事であった。
 正隆は、信子を失うことを平静に想像することは出来ない。涙なしに考えることは出来なかった。彼女の美と、捧げられた奉仕を、彼は、いざとなって何の悲歎もなく振り捨て得るとは、どうしても思われない。たとい、彼女が、敵の見えざる掌から渡された者でも、若し彼女が自身でそれを自覚もせず、また利用されさえしないならば、自分は、決して彼女を見返すことは出来ない、と思わずにはいられない。どこに彼女ほど、清澄な美を持って生れた女性がいるだろう。
 どこに、彼女ほど高い気品を持った女性がいるだろう。
 彼女の従順と、謙譲と。醜い女でも持ち得る、そのために人に尊敬さえ払わせる美徳を、比類のない輝くような美に並有している女性、その信子、その婦人が、尚も自分を裏切るだろうという想像は、正隆にとって、恐るべき苛責である。
 自分の歯で自分の魂を食う苦しみなのである。
 彼は、一日一日と日を経る毎に、その疑惑に堪え得なくなって来た。無言の中に、信子を監視する冷淡に、じっと息を殺してはいられなくなって来たのである。正隆は、ただ一言、はっきりと天地に懸けて誓って欲しかった。どうぞ、焔のような激しさで、愛す! といって欲しかった。そうさえすれば、自分は、せめて信子だけを信じ、守り、縋りついて、生活を続けて行かれるのだ、という切迫した願望が、血行と共に、彼の身内を循環し始めたのである。
 この、愛す! という誓言は、今の場合、正隆にとっては、単純な愛情の証言ではなかった。信子夫人の、天地に懸けた愛で、彼自身、彼の全部を、肯定して欲しかったのだ。彼が、不幸な運命を負うて生れた者であることも、彼が、よい天分を持っていることも、それを発揚することは、不可能なことも、総てを、ありのまま、よし! といって貰いたかったのである。
 正隆は、どうぞ、
「解っています、皆解っています、私の愛する者よ、さあ確りしましょう、私は、そのままのあなたを愛しているのですよ」
といいながら、腕を引立てて、起して欲しかったのである。
 憤りの狂暴な力は、彼を振い立たせるだろう。けれども、正隆は、その孤独な、緊張の中に、たった一人で立っていることは、堪えられなかった。
 怒濤のような力が、自然にじわじわと鎮ると、その後を襲う寂寥、恐ろしい迄の静謐(せいひつ)に堪えかねて、正隆は感傷的にならずにはいられない。この反動的な感傷は、今、正隆の疑惑、その所産である苦悶が大きければ大きいだけ、深ければ深いほど、共に強度を増して来るものなのである。
 食慾を失って、極度に神経的になった正隆は、殆ど大病人のように窶(やつ)れ果てた。一日中床に就いたきり、起きて動こうとするだけの、弾力を失った正隆は、大きな羽根枕に埋めた頭だけを僅に動かして、傍の信子夫人を顧る。そして、彼は、沈痛な言調で、日に幾度となく、同じ質問を繰り返した。凝(じっ)と坐った彫像のような夫人の小さい手を自分の掌に置きながら、正隆は、先ず、
「信子、お前は、ほんとに俺を愛していてくれるのか」
と、口を切り出すのである。
 最初、正隆の質問が唇を離れた時、信子夫人は、微かながら、ハッとした表情を緊張させて、蒼白い、寧ろ土気色ともいうべき良人の顔を、痛々しく眺めた。そして、落付いた声に力を籠めて、
「あなた、御心配はお止め遊ばせ」
といった。
「有難う、信子。俺は心配はしないよ。然し――信子、ほんとにお前は俺が嫌になりゃしないか、こんな不仕合わせな男と、一緒にいるのは、厭じゃあないか?」
「あなたは――、どうしてそんなことをおっしゃいますの、大丈夫でございますわそんなこと」
「大丈夫かえ、ほんとに、それじゃあね、信子、俺はもう一つ、たった一つ、大切なことをお前に訊きたいんだが、ありのまま、何でも返事しておくれ、ね信子」
「何でございますの?――けれども、あなたは、ほんとにいけませんわ、あまりお頭をお使いになると、また気分が悪くおなりになるのだから、後でよろしいことなら、後ほどに遊ばせよ、ね」
「後じゃあいけないから、今訊くのだ――ね、信子、お前は――変だと思っちゃあ、いけないよ。ただ、俺の気になって仕様がないから、参考のために、聞くのだからね、――お前は、誰かに頼まれて、俺のところへ来たのじゃあないのか?」
 正隆は、そう云いながら、ひどく当惑し、混乱した表情を浮べて、眼をしばたたいた。その表情を、じっと眼の下に見ながら、信子夫人の唇には、例の不思議な、彼に「けれども」と思わせずには置かないような微笑を湛え始めた。
「誰かに頼まれて? おかしなことをおっしゃいますのね、それは、あなたのお母様や、私の母やなんかが、来てくれ、行け、とおっしゃったから来たのじゃございませんの、ほんとにおかしな方」
「いやね、信子、俺の云うのは、お母さん達のことじゃあない、誰か、そうさな、誰か、親類でも何でもない人に、たのまれは、しなかったかというのだよ」
「あなたは――」
 信子夫人は、滑らかな頬にさっと血の色を上せた。
「妙なことばかりおっしゃるのね、私は存じませんわそんなこと」
「怒らないでくれよ、信子、願うから――」
 そろそろと逃げて行きそうになる夫人の指先を、確りと握りながら、身を引寄せるようにして、正隆は哀願した。
「憤らないでくれ、然し、ほんとに、お前は知らないの、誰からも頼まれないの? 信子、お願いだから、いっておくれ」
「存じません。――あなたは何を疑っていらっしゃるの、はっきりとおっしゃればよろしいのに」
「疑いやしない、――が、疑っているんだね、疑っちゃ悪いかえ、信子、俺はお前が可愛いのだよ。大切なのだよ、信子、だから俺は――お前に行かれるのが堪らない」
「どこへも行きは致しませんことよ、さあ、そんなことはやめにしてお休み遊ばせ」
 夜着をかけようとする夫人の両手を掴んで、正隆は起き上った。
「いい、構わない、大丈夫だ。それでね、信子、俺が何を知りたがっているんだか分るだろう? 俺は、お前が大切なのだ、お前がいなければ生きてもいられない、だから、お前は疑わないでも、お前の後にいる者を疑わずにはいられなくなるじゃあないか」
「何を、だからお疑いになるの?」
「解らないのか、誰かに頼まれやしないかと、さっきから云っているじゃあないか」
「誰のことをおっしゃるのそれは? うちの母?」
「それが分らないのだ。誰だか俺には分らない。だから訊くのじゃないか、信子、どうぞ、正直に云っておくれ、お前は、俺を愛してくれるか、一生一緒にいてくれるかえ、ほんとに、隠さず云っておくれ信子、俺が苦しんでいるのは、お前に解っているだろう」
「それは分っておりますわ、だけれど、あなたは――一体何をそんなに苦しがっていらっしゃるのよ」
「そら! もう解っていない。やはり分っちゃいない。だから、お前は俺の思うような返事をしてくれないのだ。信子、ほんとにお前は――」
 手を取られたまま、凝と伏目になった信子夫人の眉の間からは、「男らしくもない!」という憤りが、火花になって散りそうに見えた。正隆の得体の知れない疑いや焦躁に掻き乱された彼女の感情は、彼の顫える熱情を、裏返したような冷静、冷淡に冴え渡って、他人に向うより鋭い批判を、乱された良人の面上に注ぎかける。嫌厭が湧かずにはいられない。その嫌厭は、彼が、自分の良人であるという意識によって、一層強められ、醜さを増して来るのである。
「愛するというのなら」
 夫人の眉はひとりでにピリピリと動いた。
「何故男らしく、安んじて愛して行かないのだ。愛して疑う、愛するから疑う? 何を疑うのだ。根もない、自分でも何だか分らないような疑いで、ひとを攻める……」
 攻める。――信子は胸のむかつくような衝動を感じずにはいられなかった。或る感情の齟齬(そご)した場合、お互の理解が方向を誤った時、結婚した妻と良人とほか知り得ない距離の懸隔の感が、浅間しいギャップとなって、彼女の目前に口を開いた。男性というものに、英雄的な幻想を持つ信子夫人にとって、女性である自分の前に※(もだ)え、哀訴し、泥のような疑惑の中に転げ廻る正隆は、あまりに惨めに見える。あまりに弱い。あまりに頼りない。その頼りない、廃残者めいた男を一生の良人として、自分の生涯を支配されるのかと思うと、女性の大望(アンビション)を多分に持つ信子夫人には堪え得ない焦躁であった。
 その内面の争闘を、本能的な直覚で、或る程度まで魂に感じる正隆は、一層、持つ不安と疑とを煽られずにはいられなかった。信子夫人が黙れば黙るほど、落着けば落着くほど、正隆は多弁に、燃え顫えて、掴み得ない何物かを掴もうとして、後ずさる夫人の心を追うのである。
 けれども、この魂と魂との争闘は、決して長くは続かなかった。暫く時が経つと、始めの間は、相当な真実さで、良人の質問に応答していた信子夫人は、すっかり、その緊張を失って、丁度、精神病者に対するような不真面目が、彼女の態度に現れ始めたのである。もう、信子夫人は、一言でいえば、正隆に取り合わなかった。もとは、頬を赤めて憤りもした。時によれば議論がましい口を利いた夫人は、もうぴったりとそれ等を封じ込んでしまった。そして、気の違った者が、
「馬鹿やい、馬鹿! お前は馬鹿だぞ!」
と叫びながら荒れ狂うのに対して、周囲の者は、半ば憫笑を漂(うか)べながら、
「ああ馬鹿だよ、馬鹿だから、音なしくしておいで」
となだめるような調子が、正隆に対する総ての素振りの中に含まれ始めた。彼自身は、気づかないうちに、正隆は、彼の唯一人の頼りである信子夫人に先ず狂人扱いをされ始めたのである。
 明に、正隆の言動は常軌を逸していただろう。けれども、彼はまだ気違いになってはいなかった。彼は求めているのだ。ひたすらに、信子夫人の真実な愛の証言を、求めているのだ。彼は、それさえ確りと与えられれば、何の焦躁も狂乱もなく、生活に戻ることが出来るだろうことを知っていたのである。が、然し、それは決して与えられなかった。望み、求める第一のものが与えられないのみならず、それ等は刻一刻と彼の周囲から遠のいて行くようにさえ見えた。
「愛すと云ってくれ。信子。どうぞ。ただ一言、愛す、とだけ云っておくれ、それで俺は救われる」
 亢奮した正隆は、泣きながらかき口説いて、白い信子夫人の手を引絞るだろう。
「どうぞ信子、ほんとのことを云ってくれ、俺を愛す! と云っておくれ、信じておくれ、それで、俺は助かるんじゃあないか、信子!」
 瞬間、夫人の瞳は、彼の言葉に刺戟されて、微かな輝きを持つ。然し、次の瞬間、諦めを含んだ憫笑と、もっと性的な圧苦しい嫌厭が齎す冷笑とを、鮮やかに赤い唇に浮べる夫人は、やがて、彼の感激とは、まるで宇宙の異うような冷淡さで、
「もう分りました。さあ、気を鎮めてお休み遊ばせ」
という返答ほか与えないのである。
 正隆が、たとい一万度、同様の哀願を繰返しても、夫人の表情は変らなかっただろう。ただ、一度は一度と、半ば義務的な夫人の返事が、その僅かな潤いすら失って来るだけなのである。
 こうなると、もう正隆は、ほんとに気違いになりそうになって来た。
 信子が、彼の生活から離れはしまいかという疑問は、今、もう空漠たる抽象的な疑問としては置けなくなった。彼女が、所謂躾(しつけ)のよさから、或る程度まで、それを沈黙のうちに殺しているとはいえ、正隆は、彼女の瞳が、何の愛着も自分に対して持っていないことを認めずにはいられなかったのである。
 それは、信子は親切である。落度なく彼の身の囲りの世話はしてくれる。けれども、それは、最も大切な、或る物を欠いている。彼女の親切は、注意は、結局、それを要される一つの位置(ポジション)に置かれた者が、己の義務を完全に遂行することに満足を感じて、しているのだとほか思われなかった。死んでも、癒してみせるぞ! という熱情の、断片さえも彼女の胸にはないように見えた。愛もなく、執着もなく……。信子は、ただ、或る機会、その機会は、彼女を自分から解放する一つの機会――を待っているのだと、正隆は思わずにはいられなくなったのである。
 信子夫人が、一旦彼の抱擁の中から逃れたら、それはもう永劫の遁走であることを、正隆は知っていた。彼女の身を庇護するために拡げられる腕は、この地上に決して、自分のだけではないだろう。一面からいえば、彼の許から去った信子を、今、この刹那に於て期待しているものがあるかも知れないではないか。
 正隆は、時間的に或る破滅の切迫を直覚した。若し、彼がそのまま、見えない、掴めない、魂と魂とで引組んでいたならば、その間に、彼女の、自分の運命を決する瞬間が流れ寄って来そうに思われて来たのである。
 口は、いくらでも嘘を吐(つ)ける。どこにあるのかそれも分らない魂、心、はその口によって出口を見出すほかない。そうすれば、唇を越えた瞬刻、魂の本然はいかほどまでに偽られているか、信子の心自身でない自分には、決して解る筈がないのではあるまいか。それでは駄目だ。それでは仕方がない。
 正隆は、心でもない、言葉でもない何物かによって、信子の証言を得なければいられなくなって来た。
 心はどうだか、俺に知る力がない、けれども、信子! どうぞ事実に於て、変らない俺の妻であることだけは、証(あか)してくれろ、信子! 正隆は泣きながらそう叫んで、信子夫人の美しい肉体に掴み掛ったのである。
 それが、正隆の力の及ぼし得る最後であった。と同時に、信子夫人の忍び得る、最後のものであった。
 狂気したような粗暴さで、獣のように掴掛る良人の顔を、それが「良人」であるが故に、生れてこれほどの憤りがあるとは知らなかったほどの憤りに燃え猛りながら、信子夫人は、爪を研いで掴み掛った。
 血の出るような、憎みである。怨みである。恥辱である。
「ひどい! 何をなさる! 男らしくもないことをしてひとを苛(いじ)めて置きながら、それでもまだ、まだ、自分のものにして置こうとする、誰が! 誰が! 放して下さい、放して!」
 右の眼の上に、昏倒するような疼痛を感じると一緒に、正隆は、思わず信子夫人の乱れた髪を引掴んだまま、
「御免、信子、御免」
と云いながら、床の上に横倒しに倒れ落ちた。

        十三

 泥のような数日――。信子夫人は、もう決して、正隆の傍に姿を見せなかった。
 正隆は、疼(うず)く眼を冷して、凝と床にいるほかなかった。泥のような数日――。
 彼の、あれほど光彩に満ち充ちた結婚生活は、かようにして終りを告げてしまったのである。
 母未亡人の手に依って齎らされた者は、また母未亡人の手で、雑作なく、取り除けられる。正隆が、もう激く乱暴になって、到底将来の希望もないから、そんな廃人の配偶として置くには忍びない、という未亡人の説明で、信子はまたもとの高槻家に戻ったのである。
 未亡人は勿論、信子も、彼女を受取った彼女の両親達も、処置の適当な事で、満足していた。正隆が狂気、或は少くとも、頭のどこかに狂いが来ていることを認めている周囲は、誰一人として彼女の取捌きに苦情を云うものはなかった。さすが、佐々の未亡人だけある、義理が堅い、という賞揚が、彼女の周囲に渦巻いた。彼女自身もまた、勿論、その義理堅いことを自信して疑わなかったのである。
 けれども、彼女が、それほど速刻に、信子夫人の離婚を承認した、むしろ、勧告したということには、何か、もう少し複雑な原因があった。それは、彼女自身も、自覚しなかったことかも知れない。が、然し、永年、彼女の唯一の寵愛物(ペット)として、正隆に、彼女のあらゆる感情を注ぎかけていた未亡人は、彼の結婚によって、或る埒外に置かれた自分を見出さずにはいられなかった。彼女は、勿論、正隆の幸福を希っているだろう。それ故、彼女は、自身に感じられる悪いと思う感情は、一種の自尊心から覆いはしていても、正隆を、生活の対象として失った彼女は、或る物足りなさを感じることは、否定出来ないのである。
 佐々未亡人は、彼女の賢さによって、足掛四年、その影の感情を、統治(コントロール)して来た。けれども、今、正隆は変になり、信子夫人は、彼に対する愛を失っているのを見ると、彼等の離婚を考えることは、決して彼女にとって、単純な、残念さ、ではなかった。歓びではない。それは勿論である。が、一種の漠然とした、恢復の快感、希望ともいうべきものが、認め得ないほど微かながら、彼女の胸の底の底に、人知れず動いたのである。
 若し、信子夫人を失うことが、彼、正隆にとって、取返しのつかない生活の滅亡、愛の破滅だと知ったら、彼のために盲目になり得る未亡人は、逃げようとする女性も、なお引据えて止めたかも知れない。けれども、彼女は、自分の愛に、少くも多大の威力を認めていたことだけは明瞭である。あちらで失われた愛は、この、自分の愛で満されるものであり、その満される愛が、やがて、正隆の生活を取戻すかも知れないことを、思ったのは確である。そこで、未亡人は、信子夫人に対しては、親切に満ち、理解に満ちた姑として、彼女の美と、技倆とを、寛大な自由に解放し得たのである。

 それからの懶(ものう)い、単調な十六年間。
 恐るべき十六年を、正隆は、何の躊躇もなく母親に見捨てられた正房と共に、母未亡人の陰に隠れて、日の目の差さない人世の裏に、黴のように生え続けた。
 彼自身のうちに巣喰う運命的な或る力と、その力に誘われて、容赦なく彼を圧倒する、所謂世間の、無責任な、利己的な他力に、完全に征服された正隆は、ただ、彼の肉体が地上にあることによって、僅かに彼の存在を、周囲の者に思い知らせるような時を、一日一日と殺して、長い長い年を経たのである。
 正隆は、もう希望と呼ぶべき何物をも持ってはいなかった。また、一面からいうと、恐ろしい運命の係蹄である、希望によって、静かな生活から誘い出されることを、彼は極度に用心したのだ。
 一度は、一度より巧妙な計画を廻らして、終には、敬愛し得た唯一の女性である信子まで、彼の胸から引きさらって行った運命は、いつも、定まって、餌を、幸福という色に彩って、投げてよこしたではないか? 正隆は、もうそれを否定する力は持たなかった。従って、自分の生命にまで危険を持っているだろう誘惑は、結局、あらゆる希望だということにならずにはいない。彼は、自分のうちに湧く総ての人らしい祈願――一人の頼りない息子である正房の幸福を祈る心、生活の改造と、そのために求められる愛の、よき復旧――等を、それ等が強ければ強いほど、正隆は自ら恐れて縮み上った。この不思議な、血行が人間の力で支配出来ないと同様に、或る程度までは不可抗的な希望という魔力、明るい、胸の躍る、その希望に釣られまいとするために、その係蹄に足を取られないためには、正隆は、その希望を殺さなければならないのを発見した。が、希望は不死に見えた。希望そのものを縊ることは出来ない。そこで、正隆は、自ずと希望の対象となる総ての外界の価値を、彼の思い得る最低にまで引下げた。そして、結局、自分は、彼を希望する、が、然し、見ろ、世の中はあんなだ、俺の行くだけ、それだけ価値のある場所はない、という、一種の理論を構成して、強いても、不能力者となったのである。
 三十から四十歳にかけての時代を、こんな状態に送ることは、正隆にとって、恐ろしい苦行であった。彼は、家庭を失った寂寥にも堪えかねたし、また無為な、力の遣り場のない日常にも圧せられた。彼は、それ等の不調和に、真実に苦しんでいたのである。けれども、長兄や、或は親戚の者等が、彼のために或る地位などを、周旋すると、正隆は寂しい冷笑を漂べながら、
「僕は、あんな泥棒共の仲間に入るのはいやだ」と拒絶した。が、時によると、つい、活気に満ちた生活の光輝に誘われて、彼も我知らず話に乗ることがある。そんな時、何時ともなく誘われかけていた自身に気付く正隆は、慄(ぞ)っとして心を震わせながら、この話がどこまで進行していても、破約にしてしまう。二度も三度も、正隆はこんなことを繰返した。俺を使う人間はいやしないのだ、と表面は、辛うじて傲語しながら、彼は酒を煽った。そして、下等な女の処で夜を明す。その時、蒼白い正隆の魂は、どれほど顫え、啜泣きしているか、誰も知る者はなかった。知らずに、彼を非難した。彼が、彼等の中に存在している以上、知らず知らずいかなる点で、彼を苦しめているかも思わないで、攻めらるべきための存在のように彼を非難したのである。
 人々にとっては、正隆が、夫人が逃げ出すほど乱暴をして心配させて置きながら、気を入換えて仕事に努力しようとしないばかりか、正房を放ったまま、酒を飲み、女に耽ることを、非常な自堕落、無感動として、攻撃したのである。
「けれども、それなら、誰が、俺の一生を通じて責任を持ってくれるのだ? 自分が希望を持って努力すれば、丁度好い加減の処で、がらがらと崩して絶望させてくれるだろう。絶望させて置きながら、絶望しておれば、貴様等はまた、それで咎める。結局、それならどうしろというのだ。世の中は世の中は、善いことをしても、そのまま歓びはしないのだ。それかといって、悪いことをすれば、なお、わいわいと騒ぐだろう、手足の出ない処へ押込めておいて、出ないのは悪い悪いと云ったって、それは無理だ。俺は思う。人間なんて浅間しいものだ。自分が馬鹿に出来る者だけ見せて置けばいつも安心して、偉そうなことを云って納まるのだ。俺は何も出来ない、出来ないのではない。させないのだ」
 正隆は、彼の生活の記念ともいうべき正房を、瞳子(ひとみ)のように心の中では愛していた。が、彼の教育に、その存在に、何の注意も払うまいと、努力した。何故? 彼は、自分の手、心を触れることによって、少年の未知の運命を狂わせることを恐れた。自分の呪咀に毒されて、焼き爛(ただ)れた黒紫色の運命を、正房の、青空のような将来に、感染させたくなかったのである。それ故、正隆は、母未亡人が涙を流して歎くほど、正房を放擲してしまったのである。
 佐々未亡人の保護の許にあるという点に於て、等しく二人の「子」である正隆と正房とは、また等しく、彼女の愛を分割されていた。正隆は、可哀そうな、運の悪い変り者として、正房は、不幸な母の無い片親の、しかも頼りない片親の子として、未亡人の狂熱的な愛の許に孚(はぐく)まれた。正隆を片親の子として、偏愛のうちに抱擁した未亡人は、第二代目の正房をも、同様の亢奮で抱き竦めた。総てが、正隆に行われたと同じことがまた正房の上にも繰返されているようにさえ思われる。然し、正隆は知らぬ、無関係な態度で、彼の隠遁所に身を跼めていた。正隆と正房とは、全く畸形な、信愛の絶無にさえ見える父子関係を持ちながら、未亡人がこの世を去るまで、同じ翼の左と右とに、互の影を眺め合って暮して来たのである。

        十四

 佐々未亡人が死去したとき、正隆は四十七歳になっていた。子の正房は、十八の青年であった。今まで、未亡人の輪郭のうちに混って、存在をぼやかしていた二人の不幸な父子は、俄にその力弱い姿を、天日に晒さなければならなくなって来たのである。
 この場合、当然に起るのは、彼、正隆の自活という問題である。未亡人の遺産は、永久に彼等を無為に送らせるほどはない。従って、正房と彼自身の生活の足しとするために、正隆が、何かの職業に就くことは、この場合、彼が父として負うべき当然の義務であったのである。けれども、正隆は、掉頭(かぶり)を横に振った。誰が何と云っても、動こうとはしなかった。周囲の勧誘と、自らの動揺が強ければ強いほど、運命の、あの悪辣な係蹄を思う正隆は、命に懸けんばかりにして、あらゆる申出を拒絶した。そして、人々の侮蔑の混り合った憐愍のうちに、甥に当る人佐々義一の家庭に移り住んだ。丁度その頃、佐々の当主が、海外視察に派遣されようとする時であったので、主人より年長者である正隆は、言を換えれば、無人な留守の番犬として迎えられることになったのである。正房を、親戚の一人に委ねて、正隆は、明るい、幸福な家庭に、ポツリと薄黒く汚点(しみ)のような姿を現したのである。
 壮年の主人を戴いた若い佐々の家庭は、総ての隅々にまでも、見えざる歓喜、聴えざる歓声が漲っているような、光明に包まれていた。事業に於て、着々と進むべき道程を進んでいる主人と、まだ三十を僅か越した豊艶な夫人と、一人ずつの男と女との子供達、それに召使いを混ぜて、朝から晩まで、笑い声の絶えないような環境に、燻(くすぶ)った、澱んだ正隆の魂が投(ほう)り込まれたのである。
 誕生の時から老年に近い今まで、嘗め殺しもしかねない未亡人の愛に浴して、勿論正隆は、優しさとか、親切とかいう感情には、充分飽満していた筈である。けれども、新らしい佐々家に移ってから、一日一日と日が経るに連れて、彼の心に湧き上って来たものは、一種の感嘆と、同時の羨望である。
 屋敷の周囲に槇をずうっと植え込んで、裏の菜園で苺の実熟(みの)るこの家には、五葉の松に手奇麗な霜除をした九段の家とは、何かまるで種類の違った力がある。光る仏壇と、どこか年寄くさい陰気の漂っていた家に比較すると、二人の子供が、キーキー笑い叫びながら芝草の上を転り、燕のようにブランコを振る光景は、何という相異だろう。
 犬っころのように、無我な幸福で躍り廻り、跳ね廻る子供に取巻かれながら、散歩する夫人の姿を見ると、正隆は一種表現し難い愛惜を感じずにはいられなかった。過去の追憶もあるだろう、強いても殺戮し続けて来た希望への哀悼もあるだろう。正隆は、一新された環境のうちにあって、共に一新された或る不安定を、彼の生活の根本に於て感じずにはいられなくなって来た。それは、信子夫人を失って以来、十六年間彼が感情に於て否定して来た生活の模型が、ここでは正隆の暗い努力に対してあまり無惨なほど、確実に営まれている、ということなのである。
 正隆がどれほど、美しい信子夫人を愛していたか、それはもう問題外である。その愛した夫人を、彼が如何様にして失ってしまったか、これは、正隆にとって、思い出すのさえ苦痛な疵痕(きずあと)であった。彼が眠薬を飲まされて、うつらうつらと夜昼のけじめもなく睡っていた間に、万事を取定めて、現れたと同様の突然さで彼の許から永劫に去ってしまった信子夫人を、正隆は、どうしても、忘れること、諦めること、生活の圏外に放擲することは出来ない。それは、十六年前の、当時がそうであったと同様に、今もなおそうである。
 ただ、嘗ては楽園の使者のように見えた彼女を、今は、呪咀された運命の手先だったのだ、と仮想することに依って、正隆は辛うじて、息を吐くのである。
 若し、信子夫人が彼を今もなお愛し、慕い、求めている心の麗わしい、魂の輝やいた女性だとしたら、一体、自分は、どうしたら好いのだ? これが、あの当時から正隆の絶えざる恐れである。若し、彼女がそうであるとしても、正隆は、一旦自分の胸から引離されたものを追って、更に完全な奪略を仕返すほどの力を持たないことを自覚してもいたし、また一面からいうと、それは彼の自負心を赧らませることでもある。信子夫人は忘れられない。忘れられない、が元に戻す力はない。彼女の遺して行ったあらゆる記憶のうちに我ともなく耽溺して、終には魂が燻り上るほどの嫉妬を感じる正隆は、その苦しい遁路として、彼女を、「見損った」と、強いても思うように努力したのである。
 自分に齎された総ての不幸がそうである通り、信子は、衆人の悪意から生れた、顋門(ひよむき)のない私生児である。彼女は自分の破滅のために遣わされたのだ。自分を苦しめるために、寄来されたのだ。それだから、あれほど、自分の希望通りの容貌さえ具備して、自分を蠱惑(こわく)してしまったのではないか。妖女! そんな信子は、狼にでも喰われてしまえ、罰当り奴!
 けれども、正隆の心は、この一句の呪咀で終ってはしまわなかった。
 たとい僅かでも経験した家庭生活の追憶が、彼を、影のように付いて廻って苦しめるのである。母とし、夫人としての女性は、決して、単に、情慾の対象といわれるべきものではない、正隆は、それをよく知っている。
 女性のうちにある何だか分らないような力、その力が不思議に男性に及ぼして、或る時には感傷的にしながら、男性にない力を添えて、生活を運転して行く魅力。或る時に於て、女性の方が遙に霊的になることを正隆は否定出来なかった。
 勿論、正隆は、女性が彼女の内奥に有する力の詳細まで解剖し分解するだけの努力は払わなかった。然し、直感的に彼の胸と心に迫る或るよき[#「よき」に傍点]感を正隆は尊敬していた。永遠の女性とも呼ぶべき、女性の理想的想像は、説明するにはあまり複雑な内容を有しながらも、若し、それが彼の目前に現れれば、一瞥で、「そのもの」であることを認識(リコグナイズ)し得るような直覚を彼は持っていたのである。
 それ故、正隆は、理想的に女性を想う場合、総ての「彼女等」は敬愛されるべき筈[#「べき筈」に傍点]のものとして承認せざるを得ないのである。それは、理想として、彼は認める、然し、考えて見ろ、信子は、あの信子は、矢張り一箇の女性なのではないか?
 ここに正隆の、女性に対して馬耳(うまみみ)のサティールとなる原因があるのである。
 たとい、正隆が、信子一人を、悪運の使者だと仮定しても、地上の女性は、決して信子一人を拒絶したことによって滅せられるものではない。
 彼は多くの美くしい人々、優しい人々、心の秀れた女人達を見なければならないだろう。見なければならないのみか、或る程度までは、彼女等の力に支配されずにはいられない。従って、若し正隆が、素直に彼女等の、真の美を、体と魂とに認めるならば、殆ど必然の結果として、彼女を、自分の伴侶として持ちたいという希願、伴侶として生活の素晴らしい改造を行いたいという、希望が起って来ずにはいないのである。
 けれども、正隆は、それを恐怖(おそ)れた。女性に対する尊敬、女性のよき霊魂の承認が、彼を誘って行く方向を見て身震いをした。若し、女性を一歩自分の生活の内面に踏込ませれば、今度こそ、あの恐ろしい呪咀は、どんな詭計を用いて、自分の生命をさえ奪うかも知れない。輝やかしい、清浄な女性の存在と、彼女によって洗われる生活の光輝とを予想しながら、自らの暗さに跼んでいることは、正隆には堪え得ないことである。
 そこで彼は、地上のあらゆる女性の霊魂を虐殺してしまった。魂ぬきの、肥えふとった白い肉体の所有者とした。歎く心も、恨む魂もないものとして、正隆はただ、自分の圧え得ない情慾の、消耗器として女性の全部を見下したのである。
 正隆は、強いても、人間の本能の暗澹たる力の一方のみを肯定しようとした。人間を獣以下にこき下げようとしたのだ。けれども、それは、彼が人間である間は、苦痛なしに出来ることではないだろう。
 どれほど高貴な生活をする女性でも、どれほど、霊的な生活をする女性でも、彼女等が女性である限り、同一の衝動の前に、髪を振り乱す者だと思おうとはしながら、正隆は、さすがに、家庭の幸福を乱そうとするほどの無恥にはなり切れなかった。育ち始めた芽のような少女達を見ると、彼は自ずと、自らの心を刺されずにはいられなかった。それ故、信子夫人を失って以来、彼の性的生活は、自ずと著しく低級な処に、その対象を見出すようになって来たのである。
 そこで正隆は、何の道義的責任を負わされることもなければ、不安を感じさせられることもなかった。彼が、無恥になって見たいと思う程度に、女性達も、不幸な無恥に馴れている。愛を黙殺した情慾の専横のうちに、正隆は淋しい追放者の自由を味っていたのである。
 然し、佐々家に移って以来、正隆は強いても己を縛っていた、一種の諦めともいうべき盲目を、そろそろと、然し確実に破られそうになって来た。
 彼が現実的に思い得る、恐らくそれが最高の程度に、家庭的幸福を保有している佐々夫婦が、要するに放浪者である正隆の魂を、淋しがらせずに置く筈はない。主人の義一は、彼と殆ど同年配であった。尚子夫人もまた、今もなお彼の心眼にまざまざと浮ぶ信子夫人と、同じほどの年頃である。あらゆるものが、現在は手も、心も届かない彼方に、奪い去られたものではあっても、若し呪咀された運命が、僅かの手心を加えてさえくれたならば、必ず、今日自分の身辺を囲繞(いにょう)する筈の光輝であるのを思うと、正隆は堪え切れない思いが、自ずと胸に迫るのを覚える。
 希望は不死鳥なのか、不思議な未来への願望。それを飽くまでも拒絶し、否定し、無に帰そうと努力しながら、なお、希望はそれ等の重い巖の下でさえ育とうとする。
 正隆は、恰も、日に輝く大理石の円柱(まるばしら)のような尚子夫人に対して、云いようのない圧迫を感じた。
 その微妙な動揺は、永い年月の澱(よどみ)を徐ろに掻き立てて沈滞した心に、異様な苦甘い刺戟を与えるものなのである。

        十五

 尚子夫人に対する正隆の心持を、概括的に批評すれば、単純に、半ばの嫉妬と冒険心とを、彼の暗い、重い情慾に加えたものだともいえるだろう。
 けれども、正隆の心持は、ただそれだけのものではなかった。もっともっと、種々雑多なものが混合していた。その中で、最も大きなものは、尚子夫人、または彼女の良人によって、沈黙のうちに摘示された、自己の価値下落という、寂しい自覚なのである。
 少年時代から、美貌の所有者として、相当の自信を持ち続けた正隆は、今、四十七歳になった自分が、所謂女共にとって、どれほど魅惑的な容貌を持っているかということは、何よりも明に分っていた。
 恂情的な、懶い、憂愁に包まれたような蒼白い額は、濃い眉と、深く、大きく輝く眼によって、どんなに男性的な我儘と、激情を示しているか。
 正隆は、自分の容貌に感動させられない女性のあるべきことは思っていなかった。感動されて、自分の価値に金箔をつけるだろうことを疑おうとはしなかった。また、実際、彼のために歌い、舞いした女達は、少くとも或る特殊な好もしさを、彼の美貌に捧げたことは事実なのである。
 それ故、まだ若い、そして美くしい尚子夫人を彼方に置いて考えると、正隆の脳裡には、何となく華かなエキサイティングな気分が漲って来るような心持がしていたのである。
 それはただ、気分だけではあった。が、いよいよ尚子夫人に近接して見て、彼女が、ただ彼の人格的価値にのみ目標を置いてい、従って、暫くの間に大方彼に払うべき尊敬の程度を知ったということが、正隆に、或る不満と、自暴自棄に似た気分を起させるのである。
 勿論、正隆は、夫人としての尚子が、絶対に不可犯的な態度であるべきことは、知っていた。けれども、一面からいうと、確実な彼等の愛を裏書するために、何でもないものとして現れた自分が、彼の自負心を、暗くするのである。この心持は微妙なものである。
 正隆は、決して、尚子夫人に、彼の位置が要する以上の注意を払って貰おうとは、強請するどころか、期待してもいなかった。彼は、なすべきことと、すべからざることとの境を、彼等家庭の清浄さに於てまで、割れた蹄を利用して跳び越えるほど、魂を失ってはいなかった。然し、若し、義一が、尚子夫人の愛に、些でも何等かの間隙を感じているのなら、あらゆる機会が、最も用心すべき機会(チャンス)が、二人の間に露わされている場合に、正隆を近づけることはなし得ないことではないであろう。

 その信愛の深さが、正隆に嘗ての結婚生活を想起させる。これほどの違い、同じ女性である尚子と信子、そしてまた、同じ男性である、自分と義一、同じ天の下に、同じ日を仰ぎながら、幸福はかくまで大きな差を持っている――。
 ここで、正隆は、悪魔的な冷笑を浮べた。あれほど、互に信じ合っている彼等の間に、一寸割って入って、今まであれほど、確実に彼等のものらしく見えていた幸福の殿堂を、サムソンのような腕の力で、打ち砕いて見たら、どんなだろう。
 尚子夫人を、我ものにして、擁しながら、絶望して髪をむしる義一を見下したらどうだろう。どうだろう――そう思ううちに、正隆は、激しい悔恨に魂を掴まれて、サーカスティックな嘲笑を消してしまう。
 この時、道義的な不安と並んで、正隆には、またも自分を鷲掴みにしようと、頭の真上で輪を描いている、不思議な宿命を、思い出さずにはいられなくなって来るのである。
 愛なのか、情慾なのか、単なる好奇心なのか。正隆が、尚子夫人に感ずる牽引は、彼にとって力強い、蠱惑に満ちたものであった。薄暗い、じとじとと蒸暑く湿っぽい泥の上に、ぞっくりと蕈(きのこ)がぬめくる丸坊子の頭を並べて生えているような、正隆の内心、その物凄い洞穴の彼方の裂目から、ほのかに見える薔薇色の光線が、尚子夫人の方向である。永年の単調を破りたい何物かの蠢(うごめ)き、その蠢めく何物かが、正隆を自ずと彼女の方へ振向かせるのである。
 無心で、朗かな端正な尚子夫人の方へ、彼の心に生える一面の蕈が、ぞっくりと首を向けて眺めている。目のない、蕈の頭の凝視、正隆はその無気味などよめきを心の隅々にまでも感じた。彼は、怕(こわ)くならずにはいられなかった。自分のうちに動く見えざる、聴えざる或る力は、若し彼が一刻でも監視を怠ったら、どんなところで、悪運と密会するか分らない。下等な酒場で、下等な女達を笑わせている時いつも彼の心に浮ぶような陰謀は、万に、一の僥倖で、尚子夫人を、自分の許に走らせるかも知れない。けれども、若し、その悪魔的な忍笑いの享楽が、皮一重彼方に表現されたとしたら、もう自分は破滅だ。運命は、今度こそ尚子夫人を使って、命までをも奪うだろうということが、正隆の、最も強烈な恐怖の原因になって来るのである。
 たとい、一面からいえば妄想ともいうべき空想通り、尚子夫人が、自分の前に跪(ひざまず)くとしても、運命は、何時自分に絶交状を送って来ただろう。
 呪咀は何時解かれたか?
 世界中の人間は、若し今度自分が、恐るべき係蹄に掛ったが最後、力を合わせ圧し殺してしまうだろうことを、正隆は思わずにはいられない。
 若しかすれば、そんな死を死なせるために、尚子夫人も遣わされたのかも知れないではないか、ここに正隆の、最後の止めが刺されるのである。
 それ故、彼の悪夢のような妄想が、たとい僅かでも外面に現われなかった原因は、寧ろ、道義的な自制というより、彼が自己の生命に対して抱いた激しい恐怖が、彼を抱き止めたといい得るのである。
 呪咀された運命という言葉を、正隆は、今まで幾度繰返して来ただろう、これからまた、幾度繰返して行くだろう。
 正隆は、自分の一生を貫いて失墜させた力を、人間の群が、彼に与えた他力だと思う場合もある。そういう時、彼は嫉妬で、自分は苦しめられるのだと思う。明かに「人」が彼の敵手なのである。然し、彼の思考が進めば進むほど、それは具体的な人間の形体を脱して来るのが常である。そして抽象的な、運命という言葉を帯びるようになるのである。何故ならば、生れようともせず、産んでくれとも願わなかった自分を、地上に送り出した力は、何か、という処まで、彼は逆上るのである。打たれ、挫かれ、そして失望させられるものでありながら、何故、希望を持たずにはいられないのか、ということである。
 そのままで行けば、また同じ悲惨を反覆するに過ぎないのに、何故人間は忘却するのか、何故過去を忘れて、未来の係蹄に掛ろうとするのか、ということである。
 正隆は、これ等を思うと、或る超人間的な偉力を感じずにはいられない。重い、暗い、そしてこの上なく敏捷な間牒が身の廻りをついて離れない。
 若しその間牒に、内心を覗かれたら? damn ! 正隆は、せわしく周囲を見廻しながら、肩を揺って、大きな心の閂を下すのである。
 実行として現れた或る意向が、外界との折衝を持った場合ならば正隆は、その行為に対して、責任を負わなければならなかっただろう。然し、それが、たといいかなる種類のものであっても、ただ心でのみ思われている場合、彼は、総ての多くの人々がそうである通り、無責任であった。
 従って、尚子夫人に対する彼の妄想は、それが妄想に終止する、という黙許を得て、却って勢を増すようにさえ見えた。或る時には、殆ど堪え難くさえ思われる誘惑に、正隆は恐怖と陶酔とに顫えながら、歯を喰いしばって、対抗しようとしなければならないのである。けれども、空想が益々熱を加え、色彩を濃くして来るにつれて、正隆は不安を感じずにはいられなくなって来た。何時か、無我な瞬間に緊張は破れて、打ち負かされることを恐れはじめたのである。彼は怕いのだ。総ての予想される結果の前に戦いた。が、然し、尚子夫人の持つ魅力、それも女性が共有するアフェクテーションではない、天性が持つ無心な魅力を、どうすることも出来ない。そこで正隆は、美くしく健やかに見える彼女の心の奥から、何か醜陋なものを発き出して、その腐敗物で、輝く像を塗り潰そうと思い始めた。
 自ら構えた幻滅に、強いても落付き、或る程度までの侮蔑を感じさえしようとするのである。
 然し、この計画が実行されるのは、容易なことではなかった。尚子夫人は、自然か故意か分らないながら、決して、彼と対座して長時間過すということはなかった。召使や子供達やにとり繞れた食事の時くらいほか、正隆が彼女に用事以外の口を利く場合はない。けれども、さすがの彼も、この機会を利用するほど無恥にはなりきれなかった。考えた末、正隆は、終にまだ十になるかならない子供達を仲介者として、彼女に、あれほど清楚に見える彼女に、醜い媒鳥を放つことにしたのである。
 或る日、正隆は、自分の部屋へ遊びに来た総領の男の子を掴えて、何か非常に素晴らしい、面白いことのような暗示を含めて、下等な、大抵の家庭等には知られていないような意味の言葉を、彼の桜貝のような耳朶の中へ囁き込んだ。
 小さい子供は、勿論好奇心を動かされずにはいない。何のことなの、何ということなのよ、と説明を求めて止まない。が、彼は、怪しげな微笑を唇に浮べて、ただ、
「おかあさまに聞いて御覧」
と云ったなり、芝生で小さい娘を笑わせている母夫人の懐へ放してやるのである。
 無垢な少年が、どうして、彼の、彼のほか分らない計画を透視することが出来るだろう、大急ぎで、興奮して馳せつける子供は、最良の説明者である母夫人の首にすがりつきながら、
「お母様、あのね、何ということなの、お母様」
と神秘な説明を強請するのである。
 廊下を隔て、離れ座敷のようになっている自分の部屋の柱に倚(よ)り掛って、卑しい笑を漂べながら、夫人の声高な笑いを想像していた正隆は、不意に、子供の、澄んだ、無邪気な声が、四辺(あたり)憚らず、朗かに、彼から教えられた言葉を繰返すのを聞くと一緒に、自分の教えたのも忘れて、耳を覆わずにはいられなかった。
 下劣な単語は、無垢な幼児の唇から洩れると、正隆が今まで知らなかった、内容の醜さを露出するのである。
 正隆は、所謂道徳的良心とか、道義とかいうものに、嘲笑的な反抗を持っていた。彼が、尚子夫人に対して、それ等の計画を立てるとき、彼は、一種辛辣な皮肉を含んだ超然さで、それ等の計画を立て、立てられる二個の人間を眺めたのである。けれども、子供等が、丸い喉を張って、あの穢い言葉を繰返すのを聞くと――。正隆は、思わず体中に冷汗をかいて、無人な部屋中を眺め廻した。彼は、恥辱を感ずる。善いとか、悪いとかいう埒を超えて、なすべからざることをした心苦しさが、直接に彼の薄笑いで弛(ゆる)んだ魂を引っぱたくのである。正隆は、夫人にすまないとは思わなかった。が、子供等が持っている何物かに対して、痛々しかった。ほんとに、それは痛々しいことである。幸福な親子が、優しい中音と、飛ぶような声高を織りまぜて、睦まじく笑い合う声を聞きながら、膝を抱えて柱に倚り掛った正隆は、心(しん)から淋しい、どこにも慰安のない、天地から指をさされるような心持に、沈み込むのである。
 それほど、心が痛むなら、何故、最初の一度で正隆は、その呪うべき悪戯(いたずら)を止めなかったのか? 彼は、確かに子供達の、日のような明るさの前に愧(は)じているのだ。相済まないと思っているのだ。それにも拘らず、一度ならず同じ、恥辱に満ちた悪戯を繰返したのは、一言にいえば、彼の目的の移動であった。
 最初、尚子夫人を目標として、彼女のうちから胸の悪くなるような毒気を吹き出させようとして失敗した正隆は、いつか、子供等と自己との関係に於て、新に生じた心を攪乱するような感動に、我を忘れて没頭するようになって来たのである。
 その心持は決して、快いものではない。安穏な楽しさではない。苦甘い、重い、尖った、不思議な気分が、子供等の透徹した声によって湧き上る苦痛に混って、彼を酔わせるのである。
 そうすることは、子供達の、純白な頭に対して死にも価するだろうことを、正隆は勿論知っているのである。彼は自分で、自分の破廉恥に苦しみながら、その苦悩の底に澱む、愛に似た、痛痒い心持を、色褪めた舌で、嘗め尽そうとしたのである。

        十六

 子供達の魂に加えられる冒涜に堪えきれなくなった尚子夫人の、激しい、焔のような面責に、ビシビシと鞭うたれながら、なお正隆が、彼の悪戯を忘れかねているうちに、佐々の家には一つの事情が持ち上った。それは、丁度その夏、休暇で遊びに来た義一の末弟に当る青年が、来ると間もなく急に熱を出して、そのまま床に就いてしまったということなのである。
 思いがけない病人で、家中がぞよめき渡った。まして、尚子夫人は、二人の幼児を保護しながら、病人の世話をすることは、容易なことではない。が、それのみならず、たとい、義弟ではあるといっても、良人の留守中、彼女一人で、徹宵、この青年に附添うことは、不適当だと思った尚子夫人は、これといってなすこともない正隆に、代理を頼んだ。
 常識から考えて見ても、家庭の一員である以上、彼が尚子夫人を助けるのは、意外なことである筈がない。夫人の説明を聞いて、正隆は思わず、よろしい、と返事をした。一面からいえば、正隆の口から、その返答を自然に引き出したほど、それほど、夫人の理由(リーゾナブル)は至当だったともいえる。正隆は、その瞬間、常人に還って、彼女の申出を承諾したのである。
 けれども、自分の部屋に帰って、いつものように膝を抱きながら、考えるともなく、尚子夫人の言葉を思い出して考えていた正隆は、暫くすると、彼特有の薄笑いを口辺に浮べた。
 何心なく素直に、尚子夫人の申出を承知した正隆の心は、また、そろそろと軌道を転換して、蕈の生え並んだ彼の王国へ、軌り込み始めたのである。
 夕暮の騒音に混って、微かに唸る蚊を追いながら、燈もつけずに考えていた正隆は、やや暫くすると、
「フム」
と云いながら、体を揺った。
「尚子夫人は利口だ。なかなか抜目なく利口だ」
 これが、正隆の第一に考えたことである。
 彼女に対して、自分がどういう心持でいるか、それはまるで、住む宇宙が違うような尚子夫人に明瞭な説明は掴めないであろう。けれども、少くとも、彼女は、自分が、どんな傾向を持った人間であるかということだけは、透視しているのだ。
 自分の持つ色、あまり美くしくない混濁色、その色に纏まって立つ自分に若し、何か、批評の材料を与えれば、その批評は、直ちに、批評という域を踰(こ)えたものになり得べきことを、尚子夫人は見抜いて、それを未然に防ごうとするのだ、と正隆は考えを廻らしたのである。そう思うと、正隆は、尚子夫人の目前で、よろしい、といった時通りの気分ではいられなくなって来た。何かもっと拗(すね)た、濃厚な上気(のぼ)せたような好奇心とも、敵愾心とも区別のつきかねる気分が、彼のよろしいという返事を、片端しから、噛み潰し始めたのである。
 正隆は、それだけの用心を編み出した尚子夫人の心を想うと、思わず唇を引歪めた。不思議な心持である。平常は、何の注意も払われない、無干渉な存在ともいわるべき自分が、今は尚子夫人の最も顕かな目標となっているのだ。何の目標か、それは鮮明でない。用心の目標なのか、或はまた、助力を求めようとする目標なのか、正隆は、少くとも、彼女と、自分とが、僅かでも、同じ標準(レベル)に向い合った二つの焦点となったことに、いい知れぬ、喜びと、同時の有力を感ぜずにはいられないのである。
 尚子夫人の周囲に、今少くとも彼女を批評し得る位置にいるのは、自分だけである。小さい子供等と、無知な召使共と、それ等は、主婦としての彼女の権威で、自由に左右し得る者達ではあるまいか。そうすると、病人となった青年の義弟と、彼女と、自分とだけが、これから続こうとする何かの幕に、出現すべき三人の訳なのである。
 今、尚子夫人が、僅でも彼に注意を向けている場合、彼が忠実な、真実な助手となって、彼女を助け、感謝を受ける、という想像は、勿論正隆にとって、決して不愉快なものではない。彼は、美くしい人から、正しく注がれる感謝は、その感謝の中に含まれた愛は、どんなに芳しいものであるか、知っているのである。けれども、正隆は、その朝ぼらけのような気分のために、身を労することは出来なかった。それでは彼にとって、あまり淡すぎる総てである。ただ、労力を厭うとかいう問題を抜きにして、その心持を甘受出来ない、正隆の傾向は、尚子夫人と、青年との間に横わる、未発の機会が生む詭計(トリック)の、傍観者となろうと、決心したのである。
 決心などと呼ぶべき明かな決定さえ経ずに膝を抱えた正隆の魂は、自ずとその鈍色の薄暗がりにまで滑り込んで来たのである。
 勿論、正隆は、見識のある尚子夫人と、純朴な義弟との間に、何の感情的な拘泥もなかったことは知っている。今まで、或は、この先に凝と竦んで眼を光らせている、或る瞬間、までは、何でもないだろうことを知っているのだ。けれども、正隆は、若し、何の危険もないものとして、心の安定が絶対にまで保証されているのならば、何故尚子夫人は、自分に代理をさせようとするのか、という質問が、持ち出されて来るのである。
 夜中、親が子を看護するのに、誰が用心をするだろう。
 徹夜、姉が弟を守るのに、何の関心が払わるべきであろう。
 それだのに、義姉である尚子夫人が、自分に代理をさせようとするのだ。
 ここに至ると、正隆は、単純に総てを片づけることは出来なくなる。
 人間の魂のうちにある感傷(センチメンタル)と、浪漫的(ロマンテック)とが、或る瞬間の機会(チャンス)と、火花を散らして結合した場合、或は起るかも知れない危険を、賢い尚子夫人は、知っていないとは、思われないのである。
 夫人は、その運命的な瞬間を、避けているのではないか。
 そう思うと、正隆は、この瞬間の生ずべき、せめて空間でもを与えたいという、慾望に駆られるのである。
 けれども、この慾望は、決して快いものではなかった。
 傍観する自分の眼前で、その恐ろしい、息を潜めるような瞬間が実現せられたら、目撃者である自分は、どうしたらよいのか。その、ただ刹那の蹉跌が、家庭にどれほどの不幸を齎すか、そしてまた、その総ての悲惨の第一の原因たる機会を、故意に構えてその綱を引いた自分は、どれほどの責任を負わなければならないのか。
 それ等のことを思うと、正隆は、裏切者の負わされる重荷を魂に、どっしりと感じずにはいられない。そんなことはないように、そんなことが起らないように――。
 然し、それなら、彼女に代って、青年の傍に引添うかといえば、正隆は、矢張り否と首を振らずにはいられないのである。
 貞淑に見える、素晴らしい尚子夫人の上に起る、悲しみへの転機を事実として差附けられることは、正隆にとってあまり恐ろしい。けれども、堕天女としての尚子夫人を空想に描く時、正隆の感情は、奇怪な顫動を感ぜずにはいられないのである。
 女性の真実を、多く、幾度となく破滅させた瞬間の忘我、その切迫と、予期とに、あの、丸らかな夫人が、胸をときめかすのを見たいのである。
 どうだ!
 正隆は、訳の分らない亢奮で顫えた。
 畸形な歓楽である。
 圧殺された愛、未練、復讐の快さ、寂寥、損傷の――ああこの心持!
 正隆は、歯をがつがつと戦(ふる)わせながら、足音を忍ばせて、家を抜け出したのである。



底本:「宮本百合子全集 第二巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年6月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第二巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
入力:柴田卓治
校正:松永正敏
ファイル作成:野口英司
2002年1月7日公開
2003年7月13日修正
青空文庫作成ファイル:
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底本:「宮本百合子全集 第二巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年6月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
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●表記について

本文中の※は、底本では次のような漢字(JIS外字)が使われている。

女性である自分の前に※(もだ)え、
第3水準1-92-36