私は若い時分に、創作に専心したいために或る山奥の空家に引込んで、自炊生活をやったことがある。そうしてその時に、人間というものの極く僅かばかりの不注意とか、手遅れとかいうものが、如何に深刻な悲劇を構成するものであるかということをシミジミ思い知らせられる出来事にぶつかったものである。
 つまり私は、そうした隠遁生活をして、浮世離れた創作に熱中していたために、法律にかからない一つの殺人罪を犯したのであった。そうして私の良心の片隅に、生涯忘れることの出来ない深いきずを残したのであった。
 その私が隠遁生活をしていた場所というのは、山の麓の村落から谿谷の間の岨道そばみちを、一里ばかり上った処に在る或る富豪の別荘で、荒れ果てた西洋風の花壇や、温突オンドル仕掛にした立派な浴室附の寝室が在ったが、私は、その枯れ残った秋草の花の身に泌むような色彩を見下す寝室の窓の前に机を据え、米や塩や、乾物、缶詰なぞいう食料品を多量に運び込み、温突オンドル用の薪を山積して、丸と冬をその中で過す準備を整え、毎日毎日ペンを走らした原稿紙が十枚十五枚と分厚く溜まるのを、けちが金を溜めるような気持で楽しんでいた。
 もちろん村役場に寄留届も出さず、村の区長さんへの挨拶も略していたが、しかしその村から三里ばかり離れた町の郵便局には、自身でわざわざ出頭して、局長に面会し、郵便物の配達を頼むことを忘れなかった。何故かというと私はドンナに辺鄙へんぴな処に居ても、新聞を見ないと、その一日が何となく生き甲斐の無いような気がする習慣が付いていたので、ほかの手紙や何かはともかく、五りん切手を貼った新聞だけは必ず、間違いなく届けてもらえるように頼んでおいた。
 その郵便局の局長さんは、まだ二十代の若い人であったが、話ぶりを聞くとそこいらでも一流の文学青年らしく、あまり有名でもない私の名前をよく知っていて、非常にペコペコして三拝九拝しながら私が持って行った手土産の菓子箱を受取ったものであった。
 そうした若い局長さんの命令を一人の中年の郵便配達手がイトモ忠実に実行してくれた。
 その郵便配達手君は青島チンタオ戦争の生残りという歩兵軍曹であった。機関銃にひっかけられたとかで、右の腕が附根の処から無くなり、左手の食指と、中指と、薬指の三本もまた、砲弾の破片に千切られて、今は金鵄きんし勲章の年金を貰いながら郵便配達をやっているという話で、見るからに骨格の逞ましい、利かん気らしい、人相の悪いオジサンであった。身長もなかなか大きく五尺七八寸もあったろうか。それが巻ゲートルに地下足袋を穿いて、毎朝十一時前後にやって来る。そうして私の寝室の入口を押開けて、上り口に突立つと、不動の姿勢を執りながらギックリと上体を屈めて敬礼し、前にまわしたかばんの中から郵便や、新聞や、雑誌の束を取出してうやうやしく私の手の届く処に差し置き、今一度謹しんで不動の姿勢を執って敬礼し、汚ない日本手拭で汗を拭き拭き立去るのであった。
 しかも、そうした配達手君の敬礼は多分、あの文学青年の局長さんの私に対する敬意のお取次であったらしいことを想うと、私はいつも微笑ほほえましくなるのであった。
 最初のうち、私はそうした配達手君の敬礼に対して、机の前に座ったまま、必ず目礼を返すことにしていたが、そのうちにだんだんとおろそかになって来た。仕事に夢中になっている時なぞ、振向いて見る余裕すら無いことが度々あるようになった。しまいにはいつ頃来て郵便物を置いて立去ったのか、わからないうちに日暮れ方になって、フト傍の封のままの新聞を見て、まだ昼食も夕食も喰っていないことを思い出し、急に空腹を感ずるようなことを一度ならず経験するようになった。その配達手君の出入りを、窓の隙間から這入って来た風ほどにも感じないようになってしまったものであるが、それでも配達手君は毎日毎日忠実、正確に往復八里の山坂をその健脚に任せて私のために、僅か二通か三通の郵便物を運んで来た。二三日分溜めて持って来るようなことは一度もないのであった。

 性来無口の私は、その配達手君と物をいったことがなかった。先方から、つつましやかに、
「お早よう御座います」
 とか何とか言葉をかけられても、頭の中に創作の内容を一パイに渦巻かせていた私はただ「ああ」とか「うう」とかいったような言葉にならない返事をして、ちょっと頭を下げる位が関の山であった。「御苦労さん」なぞいう挨拶がましいことを云ったことは一度もなかったのだから、金鵄勲章の配達手君にとってはさぞかし傲慢な、生意気な青二才に見えたであろう。
 そのうちに私の創作の方はグングン進行して、遠からず脱稿しそうになって来たので、いささか安心したのであろう。或る寒い朝のことフッと気が付いてペンを投げ棄て、窓の外を覗いてみると、外は一面の樹氷じゅひょうで、その中にチラホラと梅が咲いているのに驚いた。最早もう、新の正月が過ぎて、大寒に入っているのであろう。
 私は毎日、仕事に疲れて来ると、思い出したように外に出て、温突オンドルの下に薪をドシドシ投込み、寝室の中を息苦しい程熱くして、夜の寒気に備えるようにしていたものであるが、その間も頭の中では創作のことばかり考えていたので、コンナに雪が深くなっていようとは夢にも気が付かずにいた。まったくこの谿谷は、冬中雪に封鎖とざされているものらしかった。
 しかし、それでも愚かな私は、その零下何度の雪の中をキチンキチンと毎日、職務を守って来るあの郵便配達手君の努力に対しては、全然、爪の垢ほども考え及ばなかった。これは万事便利ずくめに育っている都会人の特徴であったろう。思えば都会人というものは生れながらにして民百姓の労苦を知らない残忍な性格を持っていると云っていい。
 のみならず私はこの郵便配達手君を一種の白痴ではないかとすら考えていた。生れながらに両親をうしない、この我利我利道徳一点張りの世の中にさらされて、眼も口も開かぬくらいセチ辛い目にイジメ附けられたお蔭で、人間一切の美徳や仁義孝義を、人間本来の我利我利心理を包むオブラートかカプセルぐらいにしか考えていなかった私は、こうした郵便配達手君の郵便物に対する一本の単純な誠意、もしくは生命いのちがけの冒険で雪を押分けて運んで来る正義観念を理解し得よう筈がなかった。多分それは自分の生活を擁護するための熱意で、局長の御機嫌を取り、村人の信用を博するために骨を折っている一種の哀れむべき自家広告術ぐらいのものであろう。さもなければ愚鈍な、単純な人間によく見受ける一種の職業偏執狂で、この配達手君の場合では一種の配達偏執狂マニアともいうべきものではないか! ぐらいにしか考えていなかった。
 しかし、こうした私の利己的な、唯物弁証的な考え方は、間もなくっ突かった一つの大きな奇蹟のために、あとかたもなく打ち壊されて、それこそ立っても居ても居られぬくらい狼狽させられなければならなくなった。

 旧正月の四五日前の或る大雪の朝であったと思う。
 例によって例の配達手君が置いて行った一塊の小包を開いて見ると、厳重に包装した木箱の中から、鋸屑のこくずに埋めた小さな二つの硝子ガラス瓶が出て来た。その一つには石炭酸と貼紙がしてあり、今一個の瓶は点眼用となっていて、何の貼紙もしてない。そのほかに安っぽい筒に入れた黒色のセルロイド眼鏡が一個出て来た。
 私は思い出した。それはツイ二週間ほど前のことであった。いつもより、すこし遅目に這入はいって来た郵便配達手君を、何気なく振返って目礼を交した時に、その瞼がヒドクただれて、左右の白眼が真赤に充血しているのを発見したので、私はハッとして思わず口を利いたのであった。
「オヤ。アンタは眼が悪いかね」
 配達手君は今一度、念入りに敬礼した。
「ハイ。トラホームで御座います」
 私はイヨイヨ心の中で狼狽した。
「ナニ。トラホーム。ずっと前からかね」
「ハイ。古いもので御座います」
医師いしゃに見せたかね」
「ハイ。見せても治癒なおりませんので! ヘエ」
「それあイカンね。早く何とかせぬと眼が潰れるぜ」
「ヘエ。このような大雪になりますと、眼がまばゆうて眩ゆうてシクシク痛みます。涙がポロポロ出て物が見えんようになります」
「ふうむ。困るな」
 無愛想な私は、それっきり何も云わないまま、原稿紙と参考書の堆積に向き直って、セッセと仕事にかかったので、郵便配達手君も、そのまま敬礼して辞し去ったらしい。
 私が郵便配達手君と言葉を交したのは、これが、最初の、最後であった。むろん名前なんかも問い試みるようなことをしなかった。
 しかし私はその翌る日の大雪に、通りかかった吉という五十歳近い猟人に一通の手紙をたくした。その内容は故郷の妻に宛てたもので大要次のような意味のものであった。
「今の俺の仕事場に一人の郵便配達手が来る。その郵便配達手君はトラホームにかかっていて、けんのんで仕様がない。そのトラホームをイジクリまわした手で、又イジクリまわした郵便物から、俺の眼にトラホームが伝染しそうで怖くて仕様がない。小説書きが眼を奪われたら、運の尽きと思うから、手を消毒する石炭酸と、点眼薬と、黒い雪眼鏡を万田先生から貰って、念入りに包んで送ってくれ。黒い眼鏡はむろん郵便配達手君に遣るのだ。あの郵便配達手君が来なくなったら、俺と社会とは全くの絶縁で、地の底に居る虫が呼吸している土の穴を塞がれたようなものだ。俺は精神的に呼吸することが出来なくなるのだからね。その郵便配達手君は、背が高くて人相が悪いが、トテモ正直な、好ましい性格の男らしい。郵便屋だって眼が潰れたら飯の喰い上げになるのだから気の毒でしようがない。云々…………」
 そういった手紙の返事として妻から送って来たのが、この点眼薬と、消毒薬と黒眼鏡であったのだ。
 ところが、それから旧正月へかけて、今までにない大吹雪が続いて、さしもの配達狂の郵便配達手が二三日パッタリと来なくなった。私もまた、仕事に熱中して、新聞や手紙を読む閑暇ひまが無かったので忘れるともなく忘れていたが、そのうちに、その二三日目の真夜中になると、私の寝ている窓をたたいて、私を呼び起すものがあった。私がビックリして飛び起きながら窓を開くと、ドッと吹込む吹雪と共に、松明たいまつの光りが二つ三つチラチラと渦巻いて見えた。その松明の持主の顔はわからないが、皆藁帽子わらぼうしを冠り、モンペと藁靴を穿いて、ちょうど昔の源平時代の落人狩りを忍ばせる身ごしらえであった。
「先生。先生。吉で御座います」
「おお。吉兵衛どんか。何しに来なすったか。この真夜中に……」
「ほかでも御座いませぬ。昨日か一昨日、ここへ郵便屋の忠平が来はしませんでしたろうか」
「……忠平……ああ、あの郵便屋さんは忠平というのか」
「さようで御座います先生様。参りませんでしたろうか」
「いいや。この二三日来なかったようだがね」
 松明連中が吹雪の中で顔を見合わせた。
「ヘエ。やっぱり……それじゃ……」
「……かも知れんのう……」
 私たちの話声は山々をとどろき渡る吹雪の風に吹き散らされて、ともすれば松明の光りと共に消え消えになって行くのであった。
「まあこちらへ這入って来なさい。そこの戸は押せば開くから……」
 皆ドカドカと土間へ這入って来た。
「おお。ぬくい暖い」
「成る程なあ。これが温突オンドルチューもんですか先生……」
 皆ガヤガヤと話し出した。私は本箱の片隅から老酒ラオチューを取出して皆に、すこしずつ飲ましてやった。
「あっアア。腹に沁みる沁みる。え酒でがすなあ先生。これは……」
「ウン。マッチで火を点けるとポーッと燃えるでな。あんまり飲むと利き過ぎるてや。残りはアンタ等に遣るから、家へ持って帰って、ユックリ飲むがええ」
「それあドウモはあ。勿体もったいのうがす」
 皆の話すところによると今日初めて名前を聞いた配達手の忠平は、一昨日の大吹雪の朝、郵便局を出た切り帰って来ないのだという。
 その朝は郵便物が非常に少くて、東京の出版屋から私の処へ送って来た二百円の価格表記郵便物と、新聞が二通あった切りだったので、若い局長さんは山道が雪崩なだれで危いから今日は配達を見合わせてはドウかと云って止めにかかったものであったが、一徹者の忠平はかなかった。黙って二通の郵便物を持って、四里の雪の山道を、私の処へ配達すべく町の居酒屋でコップ酒をあおって出て行ったが、それっきり帰って来ない。そこでもしかしたら、最近に妻君と喧嘩別れをして、あとに子供も何も無い酒飲みの忠平が、ヤケクソになって二百円を持逃げしたのではないかという疑いが掛かった。そこで警察からの命令で猟師の吉兵衛が先達に立って、村の区長さんと助役さんと、忠平の遠縁にあたる青年会長が揃って、私の処へ様子を聞きに来たのだという。実は巡査さんも来ると云っていたが、こんな吹雪の烈しい道は、素人には危いので、皆して留めて来たという話であった。

 私は眼がスッカリ醒めてしまったばかりでなく、ジッとして皆の話が聞いていられなくなった。
 忠平が大酒飲みであったろうが、細君と喧嘩別れをしていようが、そんなことは私にとって問題でなかった。それよりもこの四箇月の間、毎日毎日器械のように私の処へ郵便物を持って来てくれたあの金鵄勲章の忠平が、私へ送って来た二百円の金を拐帯かいたいして逃げ失せるような男とは、どうしても思えなかった。キットあのトラホームのために、まぶしい雪道を踏迷うか、谷川へ落ちるかして、どこかで凍え死んでいるに違いないであろうと思うと、立っても居ても居られなくなった。
 その時の私は創作に夢中になってアタマが極度に疲れていたせいであったろう。悲しいといえば普通の人の何万倍も悲しく、嬉しいといえば又、一般人の何万倍も嬉しいような頭脳あたまになっていた。だから忠平のあの薄赤く爛れたトラホームの眼を思い出し、折角せっかくのあの黒眼鏡が間に合わなかったことを考えまわすと、もう胸が一パイになって、涙がポロポロと頬にあふれ出して仕様がないのであった。
 私は直ぐに立上って身支度を整え、兼て用意のゴム長靴を穿いて出かけようとしたが、そうした私の勢込んだ態度を見た四人の村人は一斉に眼を丸くして押止めた。
「飛んでもねえことですよ先生。この雪の夜道を慣れねえ先生が、どうして歩けますか。第一カンジキを持たっしゃるめえ」
「忠平は元気な男ですから、そこいらの山道で死ぬような男じゃ御座いませぬわい。キット二百円の金を見て気が変って……」
「馬鹿ッ……」
 私はたちまち息苦しい程、激昂してしまった。
「貴様たちは忠平の性格を知らないんだ。ドンナ人間でも金さえ見れば性根が変るものと思うと大間違いだぞッ」
「そんなに腹を立てさっしゃるものでねえ。私等の云うことを聞いて、ちゃんと家に待って御座らっしゃれ。あっし等が手を分けて探して来ますから……」
「イヤ。そんなことをしちゃ忠平に済まん。是非とも僕が自分で行く」
「駄目だ駄目だ。済むとか済まんとかいう話でねえ。先生はまだ吹雪の恐ろしさを知らっしゃらねえから駄目だ。無理に行かっしゃると今度は先生が谷へ落ちさっしゃるで……」
 こんな問答をして無理やりに私を押付けながら、四人の村人が逃げるように私の寝室を出て行った。だから私は仕方なしに一先ず黙って村の人々を帰しておいて、あとから一人でゴム長靴を穿き、天鵞絨ビロードの襟巻で頬をスッポリと包み、今は悲しい思い出の新しい黒眼鏡をかけながら外に出た。
 その時はモウ夜がシラジラと明けかかっていたので、私はチョット引返して持っていた懐中電燈を机の横に置いて出て来た。

 青白い海底のような雪道を踏出した時、私は忠平の死を確信していた。
 ……忠平は二百円の価格表記郵便を見て、これは是非とも早く私の処へ届けなければならないものと考えて、ただ、それだけのために無理矢理に吹雪の道を踏出したものに相違ない。そうして途中で真白い雪道ばかり凝視して来たためにトラホームが痛み出し、眼をくらまされてしまったのを、なおも持って生まれた頑固一徹から押し進んで来たために、職に殉じたものに違いない…………。
 そう思うと私は、タッタ一人で行く雪の道の危険を忘れて一歩一歩と村の人々の足跡を追い初めた。底の方の凍り固まった、うわつらのフワフワしたメリケン粉のようにゆらめく雪を、村の人々が踏み固めて行った痕跡が、早くも凍りかかっている上から踏み破り踏み破り蹴散らし蹴散らし急いで行くので、狭い絶壁の上の岨道を行くのに、さほどの困難は感じなかった。それよりも一面に蔽われた深い谷底の雪の下を轟々ごうごうと流れる急流の音が、冷めたい、憂鬱な夜行列車のような響を立てているのが、時々聞えて来るのには、何故ということなしに肝を冷やした。渦巻けむる吹雪に捲かれて、どこにも手がかりの無い岨道を踏み外したが最後、二度と日の目を見られないと思うと、何故とはなしに身体からだすくんで、成るたけ谷に遠い側の足跡を拾い拾い急いで行った。
 しかしちっとも寒くはなかった。温突オンドルの温もりが、まだ身体から抜け切れないうちに、慣れない雪道を歩いて身体が温まり初めたからであった。
 時々立佇たちどまって仰ぎ見ると、雪空は綺麗に晴れ渡って、眼も遥かな頭の上の峯々には朝日が桃色に映じていた。その峯々から蒸発する湯気が、薄い真綿まわたのような雲になって青い青い空へ消え込んで行くのが、神々こうごうしい位、美しかった。しかしこれに反して私が辿たどって行く岨道は、冷たいペパミント色の薄暗うすやみに蔽われて、木の下の道なぞは月夜のように暗かった。時々ドドーオオン、ドドーオンという遠雷のような音が聞こえて来るのは、どこかの峯の雪崩なだれの音であったろうか。
 しかし私にはソンナ物音を聞き分けてみるなぞいう心の余裕が、いつの間にか無くなっていた。
 私は間もなく雪の岨道を歩く困難が、想像のほかであることを思い知り初めた。その新しくすべり落ちて来た軽い、深い粉末の堆積の中に落ち込み落ち込み、掻き分け掻き分け進んで行くうちに瞼がヒリヒリと痛くなり、鼻の穴がシクシクとうずき出し、息も絶え絶えになってと休みすると、忽ち零下何度の酷寒を感じ初めるので、又もうようにして歩き出す苦しみは、経験のある人でなければわからない。
 私はとうとう向うへ行く勇気も、後へ引返す元気も全く無くなって、雪の中へ半身を斜めに埋めたまま、あたりの真白な、荘厳を極めた樹氷を見まわした。そうして心の底から死の戦慄を感じながら、半泣きになって叫んでみた。
「おおおおお――いいい」
「…………オオオ…………」
 それは谷々の反響であったか、人間の返答であったかわからない、遠い微かな声であった。私は又叫んだ。
「おおおおお――いいいイ」
「オオオ――イイイ」
 たしかに人間の声であった。……ヤレ助かった……と思うトタンに私の頭の中で、思い付いたままペンを投出して書きかけにして来た原稿の文字が幾行も幾行も並んで辷って行った。
 私は、それからドンナに叫び立てながら、ドンナに苦しみ※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)もがいて雪の道を掻き分けて行ったか記憶しない。やがて向うから最前の猟師の吉兵衛を先に立てた四人の一行が、引返して来るのに出会った時、黒い眼鏡も何もどこかへ落してしまった私は、グッタリとなって雪の中へ突伏した。
「ウワア、これあマア先生、カンジキも穿かねえで、どうしてここまで御座った」
「あぶねえことだった。こんなことをさっしゃる位なら、私たちが一所いっしょにお供して来るところだったに……」
「まったくだ。忠平の死骸が見付かって、あそこにグズグズしていねえけれあ先生は、このまま行倒おれにならっしゃるところだったによ」
「忠平の死骸が、先生を助けたようなものでねえか、ハハハ」
「まあまあこちらへ御座らっせえ。肩にかけて上げまするで……」
「これを飲まっせえ。帰りに貰って来た支那焼酎の残りでがす」
 火のような老酒ラオチューと口は、私を蘇らせ、元気づけるに充分であった。そうして、それから五町ばかり先の岩の根方に横たわっている忠平の死骸の処まで、吉兵衛老人の肩につかまって、よろぼいよろぼい歩いて行った。綿のように疲れた身体を強いアルコール分がグングン馳けめぐるために、谿谷全体がぐるんぐるんと回転するように思われる両眼を見据えて、忠平の死顔を夢のように覗き込んだ。そのうちに瞼がシクシクと痛み出して、視界がボーッとなって行くのを又コスリ直して見直した。
 忠平の死骸はモウ雪の中から引ずり出されていた。古びた赤縞綿ネルの布片ぬのきれの頬冠りから、眼と口をシッカリと閉じたしかめ顔から、剥げチョロケた紺小倉の制服から、半分脱げかかった藁靴の爪先まで一面に、微細な粉雪が霜のように凍て付いて、銀色の塑像のような、非人間的な感じを現わしていたが、その左手の二本しかない指で、鞄の口をシッカリとつまんで胸の上に抱いていた。その鞄の口を開けてみると中には東京の新聞が二つと二百円入りの価格表記の袋が、チットも濡れずに這入っていた。その死顔には何等の苦悶のあとも無く、あの人相の悪い、頑固一徹な感じは、真白い雪の中に吸い取られてしまったのであろう。あとかたもなく消え失せて、代りにあの国宝の仏像の唇に見るような、この世ならぬ微笑が、なごやかに浮かみ漂うているのであった。
 奇蹟を見た人間でも、これ程に驚き恐れはしなかったであろう。
 それは零下何度の寒さのせいではなかった。私は全身の関節が、ガタガタと震えおののくのを感じながら、眼をマン丸く見開いて、その神々しい死顔を凝視した。そうして今朝、忠平の失踪を聞いて、その横死を確信した一刹那から、こうして雪の中を夢中になって歩いて来て、忠平の死顔を発見するに到るまでの私の気持を繰返し繰返し考え直してみた。

 それは私が今日まで一度も経験したことのない、私の心理上に起った一つの大きな奇蹟であった。生命の本質を物質の化学作用に過ぎないものと信じ、露西亜ロシア流の唯物弁証法にカブレて人間の誠意とか、忠孝の観念とか、崇拝心とかいうものを極度に冷眼視し、軽蔑した私が、どうして忠平の義務心を確信し、こうした横死を憂慮して無我夢中になり、生命いのちがけでここまで辿って来たか。それは忠平の死と共に、私の生涯にとって又とない大きな大きな奇蹟以外の何ものでもなかった。
 すべては唯物哲学を以て弁証することが出来る。しかし生命、もしくは生命の波動である精神ばかりは人間の発明した科学では説明出来ない。私は今まで人間の精神は、物質によってのみ支配されるものと信じて来た。ところが、私は今朝から、精神そのものに支配されている精神そのものの偉大崇高さばかりを、眼の前に凝視しつづけて来ていたのだ。
 そう気が附くと同時に、私は立っていることが出来なくなった。全身をワナワナガタガタと戦かし、歯の根をカチカチと鳴らしながら、ぐたぐたと雪の中に両膝を突いて坐り込んだ。しっかりと合掌しながら、改めて忠平の死体を見直した。
 猟師の吉兵衛老人を初め三人の男も、手に手にかぶり物を取除けて、頭を垂れて合掌した。
 私の背後はるかな峯の頂から、斜めに辷り降りて来たオレンジ色の太陽の光が、忠平の死骸と私たちに流れかかった。
 忠平の顔一面に貼り付いていた銀色の氷の粉末が、見る見る溶けて水の小粒となり、露を結んで肌を濡らしつつ流れ落ちた。ちょうど、青ざめた顔が一面に汗をかいているように見えた。
 私たちは、こうした忠平の死面デスマスクに現われる、極めて自然的な現象を、いい知れぬ崇高な奇蹟に直面させられたような気持で、一心に合掌しつつ見下していた。
 そのうちに今までヒッソリと閉じて氷結していた忠平の眼が、太陽に照されたせいであろう。ウッスリと開き初めて、永遠の静けさを具象あらわす白眼と黒眼が、なごやかに現われ初め、固い一文字を描いていた唇が心持ほころびて、白い歯並がキラキラと輝き現われた。忠平の顔面に残っていた苦悶の表情が、あとかたもなく緩み消えて、死人のみが知る極楽世界の静かな静かな満足をひそやかに微笑んでいるかのような、気高い、ありがたい表情になった。
 私は自分の顔を両手で蔽うた。感激の涙をあとからあとから指の間に滴らした。
 村の人々も、忠平の枕元の雪の中に坐り込んだ。
南無なむ南無南無南無南無南無南無」

底本:「夢野久作全集4」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年9月24日第1刷発行
初出:「逓信協会雑誌」
   1935(昭和10)年10月号
入力:柴田卓治
校正:土屋隆
2005年9月17日作成
青空文庫作成ファイル:
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