――ぷろふいる社御中――
 申訳ありません。このあいだ御下命の原稿、一度、御猶予願っておきながら、まだ書けずにおります。ひどいスランプに陥ってしまったのです。
 いささか広告に類しますが、私はスランプに陥った経験がまだ一度もないのです。
 九州日報社で編輯と外交の中ブラリンをつとめております時分に、新聞専門家の間に名編輯長として聞こえていた、同時に自由詩社の元老として有名な加藤介春かいしゅん氏から、神経が千切ちぎれる程いじめ上げられた御蔭で、仕事に対する好き嫌いを全然云わない修業をさせられました。死ぬほどイヤなお提灯ちょうちん記事、御機嫌取り記事、尻拭い原稿なぞいうものを、電話や靴の音がガンガンガタガタと入り乱れるバラックの二階で、一気に、伸び伸びと書き飛ばし得る神経になり切っていたのです。自分の筆を冒涜し、蹂躙じゅうりんする事に、一種の変態的な興味と誇りとさえ感じていたものでした。
 そのうちにその九州日報を首になりましたので、私は書きたい材料をウンウン云うほどペン軸に内訌ないこうさせたまま山の中に引込んで、そんな材料をポツポツペン軸から絞り出して行くうちに、山の中特有の孤独な、静寂な環境のせいでしょうか。次第次第にペン先が我ままを云うようになりました。
 四つも五つも電話が鳴りはためいている中でも平気ですべっていたペンが、蠅の羽音を聞いても停電するようになりました。ペンが動き止まないうちは、一歩も机を離れなくなって、三度の食事は勿論、便所に立つ事も出来なくなりました。ことに一時間五枚という自慢のスピードがグングン落ちて来て、一日平均二枚、乃至ないし、五枚という程度まで低下して来たのにはホトホト閉口したものでした。
 しかし、それでも有難いことに、とにもかくにもペンの方で動いてくれましたので、私もそのペン軸に取りすがり取り縋り、今日まで月日を押し送って来ましたが、最近……と云っても昨年末から、そのペンが一寸ちょっとも動かなくなったのです。

 何故だかその理由はわからないのです。
 昨年の十二月の初めの事です。私は道楽半分に書いておりました千枚ばかりの長篇を或る処へ送り付けましたあと、アタマが暫く馬鹿みたいになっておりました。ところへ十二月初旬までという約束で送り付けておりました或る連載物が、某誌から念入りな註文附きの書直しを要求して、返送して来ましたので、既に予告も出ている事ですから、一生懸命になって書直しにかかりましたが、どうしても註文通りに行きませぬ。某誌の註文通りにしますと筋がどうしても気持ちよく運びませぬので、やっぱり我流かも知れませぬがモトの構成に立帰って来るのです。そこで大いに慌てまして、ほかに数篇の未成稿が在るのにペンを突込んでみましたが、どれも、これも竹箒たけぼうきでドブドロ掻きまわすようにペン先が重たくなって、引っこみの付かない悪臭がプンプンと鼻を打って来るのです。

 この行詰まりを打開する手段といったら普通の場合、まず酒でも飲むことでしょう。又は女を相手に、あばれまわる事でしょう。そうしてじれ固まった神経をバラバラに、ほぐしてしまいますと、一切の行詰まりが同時に打開されて、どんな原稿でもサラサラと書けるようになるに違いない事を、私はよく存じているのです。
 ところが遺憾なことに、こうした局面打開策は、そうした元気旺盛な、精力の強い人にして初めて出来る事で、何回となく死に損ねた、見かけ倒おしの私には全然不向きな更生法なのです。
 ですから私は昨年の十二月から私一流の局面打開策をこころみ初めました。これは今までにも仕事に疲れた時なんかに、よくやって来た事ですが、中学に行っている長男や、私の家に遊びに来ている農村の青年なぞを引っぱって近郷近在の野山を盲目滅法めくらめっぽうに歩きまわるのでした。ヘトヘトに疲れて、上りかまちからやっと這い上るくらい猛烈な試練と、夢一つ見ない睡眠を取った翌日、今一度、午睡をしてから眼を醒しますと、例によって例の如く、今までとは打って変った軽快さで、スラスラと原稿が書けるものと思い込んで、机に向ったものでしたが豈計あにはからんや、一行も書けないのです。おまけにその書きかけの文章が不愉快で不愉快で、筆を入れる勇気も何もないくらい詰まらないものに見えて来るのです。自分はコンナものを発表する気で書初めたものか知らんと思うと我ながら愛想が尽きてしまうのです。

 そこで又、着のみ着のまま家を飛出して、地図も何も持たないまま、盲目滅法に野山を歩るきまわる。言葉なまりの違った山向うの村で、道傍みちばたの知らない小児と遊んだり、祭神のわからない神社の絵馬を眺めまわしたり、溜池に石を投込んだりして、それこそ心の底からルンペン気分になって行くうちに、案内もわからぬ野山の涯で日を暮らして、驚いて帰って来る。すると又、不思議な事が起りました。
 文章は一行も書けないのに俳句と川柳と短歌の出来ること出来ること。むろんろくなものは出来ませぬ。短歌は大本教の王仁三郎おにさぶろう程度、俳句も川柳も月並以下のざるすくえる程度のシロモノばかりですが、それでもその出て来るスピードには我ながら驚きました。俳句、川柳が一時間に二十か三十、短歌でも十四五ぐらいはペラペラと出て来ますので、ノートが忽ち一パイになってしまいます。あとで読み返してみても感心するものが一つもないので、とうとう癇癪を起して、そのノートを道傍の糞溜くそだめの中に投込んでしまいましたが、今から考えてもすこしも惜しいとは思いませぬ。今でも十七八字か三十一二字並んでいるだけなら一時間に二十や三十は平気ですからね。西鶴の二万句も、こんな時に思い立ったんじゃないかと思うのは、すこし僭上でしょうか。
 いずれにしても昨年の暮以来、私の頭が否、ペンが変調子を呈していることは、もはや疑う余地がありませぬ。書きたい材料がコンナにあって、書きたくて書きたくてウズウズしているのに、一行も書けないとなれば、その責任は当然、私のペンに在るに違いありませぬ。
 私にはこうしたスランプのって来るソモソモが薩張さっぱりわからないのです。書きたい事は山積していながら書けない。ペンを奪われて絶海の孤島に罪流されたような自烈度じれったさ。つまらなさ。淋しさ。私は、これを私の老朽のせいとも、行詰まりのせいとも思いたくありませぬ。何よりも私のペンの我ままが、絶頂に達したものと考えるのが、今の私の気持ちに一番ピッタリしているのです。
 それ位書ければスランプじゃないじゃないか……なぞと冷やかさないで下さい。実は私自身にも不思議で仕様がないのです。どうしても創作が書けないままに、そのお詫びをしようと思って書きはじめたら、ついスラスラと筆が辷ってコンナに長くなってしまったのです。読み返してみると決して面白い文章ではありませぬが、しかし、私自身の今の心持だけは、どうやらこうやら書けていると思います。
 いったいこれは何とした事でしょうか。スランプに陥っているペンが、スランプに関する事だけはスラスラと書けるというのは何という皮肉な現象でしょう。心理学者はこうした不思議な現象を何と説明してくれるでしょう。
 私のペンは真実な出来事でなければ書けなくなったのではないでしょうか。心にもない作り事を書きまわすのがほんとうにイヤになったのではないでしょうか。
 万一そうとすれば、それこそ一大事です。創作は大抵作りごとにきまっているのですから、私は将来永久に作り事すなわち創作なるものは書けなくなる訳です。創作の世界では首をくくらなければならぬ事になります。
 ああ。どうしたらいいでしょう。どうしたらこの苦境を通り抜ける事が出来るでしょう。
 私は今一度、創作の世界に蘇る事が、永久に不可能なのでしょうか。私は絵か、和歌か、俳句を作るよりほかに生きる道がなくなるのではないでしょうか。

底本:「夢野久作全集11」ちくま文庫、筑摩書房
   1992(平成4)年12月3日第1刷発行
入力:柴田卓治
校正:渥美浩子
2001年6月6日公開
2006年2月28日修正
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