以上は近着の Geographical Review. Oct., 1932. 所載の記事から抄録したものである。
中央アジアではまだ自然が人間などの存在を無視して勝手放題にあばれ回っている。そのために気候風土が変転して都市が砂漠になったり、砂漠が楽園に変わったりする。地震なども、いわゆる地震国日本の地震などとは比較にならないような大仕掛けのが時々あって、途方もない大断層などもできるらしい。ロプ・ノールの転位でも事によると地殻傾動が原因の一部となっているかもしれないと思われる。
同じ雑誌にエリク・ノーリンがタリム盆地の第四紀における気候変化を調べた論文がある。これによると、最後の氷河期の氷河が崑崙の北麓に押し出して来て今のコータンの近くに堆石の帯を作っている。この氷河が消失して、従って新疆地方に灌漑する川々の水量が少なくなり、そのために土壌がかわき上がって今のような不毛の地になったらしい。この地方には高さ五百メートルほどのなまなましい断層の痕もあるそうである。こんな地変のために地盤が傾動すれば河流の転位なども当然起こりうるであろう。
もう一度このへんの雪線が少しばかり低下して崑崙の氷河が発達すると、このへんの砂漠がいつか肥沃の地に変わってやがて世界文化の集合地になるかもしれない。
その時に日本はどうなるか。欧米はどうなるか。これはむつかしい問題である。しかしとにかく現在の人間は、世界の気候風土が現在のままで千年でも万年でもいつまでも持続するように思っている。そうして実にわずかばかりの科学の知識をたのんで、もうすっかり大自然を征服したつもりでいる。しかし自然のあばれ回るのは必ずしも中央アジアだけには限らない。あすにもどこに何事が起こるかそれはだれにもわからない。それかといって神経衰弱にかかった杞人でない限り、いつ来るかもわからない「審判の日」を気にしてその時の予算までを今日の計画の中に組み込むわけにも行かない。それで政治家、軍人、実業家、ファシスト、マルキシスト、テロリスト、いずれもこんな不定な未来の事は問題にしていない。それを問題にするのはただ一部の科学者と、それから古風な宗教の信者とだけである。いちばん仲の悪いはずの科学者と信者とがここだけで握手しているのはおもしろい現象である。
同じ雑誌に、米国のある飛行家が近ごろペルーの山中を空中から探険してたくさんの写真をとって来た報告が出ている。その中に、ミスチ火山の西北に当たるコルカ川の谷でまだ世界に紹介されていない古い都市の廃趾を発見したことが記載されている。それが昔からの土人の都ではなくてアメリカ・スペイン人の都であったとは写真で見た町のプランから明瞭だそうである。しかしどうしてこの都市がすっかり荒れ果てた死骸になってしまったかはだれにもわからない。地震か、ペストか、それともソドム、ゴモラのような神罰か、とにかく、そんなに遠くもない昔に栄えた都会が累々たる廃墟となっていて、そうして、そういうものの存在することをだれも知らないかあるいは忘れ果てていたのである。
ロプ・ノールの話や、このペルーの廃墟の話などを読んでいると、やっぱりまだこの世界が広いもののように思われて来るのである。
米国地理学会で出版されたペルーの空中写真帳を見るとあの広い国が至るところただ赤裸の岩山ばかりでできているのに驚く。地図を見ているだけではこんな事実は夢にも想像されない。地理書をいくら読んでも少なくもこれら写真の与える実感は味わわれまい。
一日も早く「世界空中写真帳」といったようなものが完成されるといいと思う。それが完成するとわれわれの世界観は一変し、それはまたわれわれの人生観社会観にもかなりな影響を及ぼすであろう。そうして在来の哲学などでは間に合わない新しい天地が開けるであろうと夢想される。
(昭和七年十二月、唯物論研究)