彼の人の眠りは、徐かに覺めて行つた。まつ黒い夜の中に、更に冷え壓するものゝ澱んでゐるなかに、目のあいて來るのを、覺えたのである。
した した した。耳に傳ふやうに來るのは、水の垂れる音か。ただ凍りつくやうな暗闇の中で、おのづと睫と睫とが離れて來る。
膝が、肱が、徐ろに埋れてゐた感覺をとり戻して來るらしく、彼の人の頭に響いて居るもの――。全身にこはゞつた筋が、僅かな響きを立てゝ、掌・足の裏に到るまで、ひきつれを起しかけてゐるのだ。
さうして、なほ深い闇。ぽつちりと目をあいて見す瞳に、まづ壓しかゝる黒い巖の天井を意識した。次いで、氷になつた岩牀。兩脇に垂れさがる荒岩の壁。した/\と、岩傳ふ雫の音。
時がたつた――。眠りの深さが、はじめて頭に浮んで來る。長い眠りであつた。けれども亦、淺い夢ばかりを見續けて居た氣がする。うつら/\思つてゐた考へが、現實に繋つて、あり/\と、目に沁みついてゐるやうである。
耳面刀自の記憶。たゞ其だけの深い凝結した記憶。其が次第に蔓つて、過ぎた日の樣々な姿を、短い聯想の紐に貫いて行く。さうして明るい意思が、彼の人の死枯れたからだに、再立ち直つて來た。
だが、待てよ。おれは覺えて居る。あの時だ。鴨が聲を聞いたのだつけ。さうだ。譯語田の家を引き出されて、磐余の池に行つた。堤の上には、遠捲きに人が一ぱい。あしこの萱原、そこの矮叢から、首がつき出て居た。皆が、大きな喚び聲を、擧げて居たつけな。あの聲は殘らず、おれをいとしがつて居る、半泣きの喚き聲だつたのだ。
其でもおれの心は、澄みきつて居た。まるで、池の水だつた。あれは、秋だつたものな。はつきり聞いたのが、水の上に浮いてゐる鴨鳥の聲だつた。今思ふと――待てよ。其は何だか一目惚れの女の哭き聲だつた氣がする。――をゝ、あれが耳面刀自だ。其瞬間、肉體と一つに、おれの心は、急に締めあげられるやうな刹那を、通つた氣がした。俄かに、樂な廣々とした世間に、出たやうな感じが來た。さうして、ほんの暫らく、ふつとさう考へたきりで……、空も見ぬ、土も見ぬ、花や、木の色も消え去つた――おれ自分すら、おれが何だか、ちつとも訣らぬ世界のものになつてしまつたのだ。
あゝ、其時きり、おれ自身、このおれを、忘れてしまつたのだ。
姉御。こゝだ。でもおまへさまは、尊い御神に仕へてゐる人だ。おれのからだに、觸つてはならない。そこに居るのだ。ぢつとそこに、蹈み止つて居るのだ。――あゝおれは、死んでゐる。死んだ。殺されたのだ……忘れて居た。さうだ。此は、おれの墓だ。
いけない。そこを開けては。塚の通ひ路の、扉をこじるのはおよし。……よせ。よさないか。姉の馬鹿。
なあんだ。誰も、來ては居なかつたのだな。あゝよかつた。おれのからだが、天日に暴されて、見る/\、腐るところだつた。だが、をかしいぞ。かうつと――あれは昔だ。あのこじあける音がするのも、昔だ。姉御の聲で、塚道の扉を叩きながら、言つて居たのも今の事――だつたと思ふのだが。昔だ。
おれのこゝへ來て、間もないことだつた。おれは知つてゐた。十月だつたから、鴨が鳴いて居たのだ。其鴨みたいに、首を捻ぢちぎられて、何も訣らぬものになつたことも。かうつと――姉御が、墓の戸で哭き喚いて、歌をうたひあげられたつけ。「巖石の上に生ふる馬醉木を」と聞えたので、ふと、冬が過ぎて、春も闌け初めた頃だと知つた。おれの骸が、もう半分融け出した時分だつた。そのあと、「たをらめど……見すべき君がありと言はなくに」。さう言はれたので、はつきりもう、死んだ人間になつた、と感じたのだ。……其時、手で、今してる樣にさはつて見たら、驚いたことに、おれのからだは、著こんだ著物の下で、のやうに、ぺしやんこになつて居た――。
よい姉御だつた。併し、其歌の後で、又おれは、何もわからぬものになつてしまつた。
其から、どれほどたつたのかなあ。どうもよつぽど、長い間だつた氣がする。伊勢の巫女樣、尊い姉御が來てくれたのは、居睡りの夢を醒された感じだつた。其に比べると、今度は深い睡りの後見たいな氣がする。あの音がしてる。昔の音が――。
手にとるやうだ。目に見るやうだ。心を鎭めて――。鎭めて。でないと、この考へが、復散らかつて行つてしまふ。おれの昔が、あり/\と訣つて來た。だが待てよ。……其にしても一體、こゝに居るおれは、だれなのだ。だれの子なのだ。だれの夫なのだ。其をおれは、忘れてしまつてゐるのだ。
二
月は、依然として照つて居た。山が高いので、光りにあたるものが少かつた。山を照し、谷を輝かして、剩る光りは、又空に跳ね返つて、殘る隈々までも、鮮やかにうつし出した。
足もとには、澤山の峰があつた。黒ずんで見える峰々が、入りくみ、絡みあつて、深々と畝つてゐる。其が見えたり隱れたりするのは、この夜更けになつて、俄かに出て來た霞の所爲だ。其が又、此冴えざえとした月夜を、ほつとりと、暖かく感じさせて居る。
廣い端山の群つた先は、白い砂の光る河原だ。目の下遠く續いた、輝く大佩帶は、石川である。その南北に渉つてゐる長い光りの筋が、北の端で急に廣がつて見えるのは、凡河内の邑のあたりであらう。其へ、山間を出たばかりの堅鹽川―大和川―が落ちあつて居るのだ。そこから、乾の方へ、光りを照り返す平面が、幾つも列つて見えるのは、日下江・永瀬江・難波江などの水面であらう。
寂かな夜である。やがて鷄鳴近い山の姿は、一樣に露に濡れたやうに、しつとりとして靜まつて居る。谷にちら/\する雪のやうな輝きは、目の下の山田谷に多い、小櫻の遲れ咲きである。
一本の路が、眞直に通つてゐる。二上山の男嶽女嶽の間から、急に降つて來るのである。難波から飛鳥の都への古い間道なので、日によつては、晝は相應な人通りがある。道は白々と廣く、夜目には、芝草の蔓つて居るのすら見える。當麻路である。一降りして又、大降りにかゝらうとする處が、中だるみに、やゝ坦くなつてゐた。梢の尖つた栢の木の森。半世紀を經た位の木ぶりが、一樣に揃つて見える。月の光りも薄い木陰全體が、勾配を背負つて造られた圓塚であつた。月は、瞬きもせずに照し、山々は深くを閉ぢてゐる。
この山の峰つゞきに見えるのは、南に幾重ともなく重つた、葛城の峰々である。伏越櫛羅小巨勢と段々高まつて、果ては空の中につき入りさうに、二上山と、この塚にのしかゝるほど、眞黒に立ちつゞいてゐる。
當麻路をこちらへ降つて來るらしい影が、見え出した。二つ三つ五つ……八つ九つ。九人の姿である。急な降りを一氣に、この河内路へ馳けおりて來る。
九人と言ふよりは、九柱の神であつた。白い著物・白い鬘、手は、足は、すべて旅の裝束である。頭より上に出た杖をついて――。この坦に來て、森の前に立つた。
こんな奧山に、迷うて居るものではない。早く、もとの身に戻れ。こう こう。
お身さまの魂を、今、山たづね尋ねて、尋ねあてたおれたちぞよ。こう こう こう。
をゝ。
こゝは、何處だいの。
知らぬかいよ。大和にとつては大和の國、河内にとつては河内の國の大關。二上の當麻路の關――。
ほんに、あの頃は、まだおれたちも、壯盛りぢやつたに。今ではもう、五十年昔になるげな。
よかろ よかろ。
をゝ……。
唯疊まつた山と、谷とに響いて、一つの聲ばかりがする。
三
萬法藏院の北の山陰に、昔から小な庵室があつた。昔からと言ふのは、村人がすべてさう信じて居たのである。荒廢すれば繕ひ/\して、人は住まぬ廬に、孔雀明王像が据ゑてあつた。當麻の村人の中には、稀に、此が山田寺である、と言ふものもあつた。さう言ふ人の傳へでは、萬法藏院は、山田寺の荒れて後、飛鳥の宮の仰せを受けてとも言ひ、又御自身の御發起からだとも言ふが、一人の尊いみ子が、昔の地を占めにお出でなされて、大伽藍を建てさせられた。其際、山田寺の舊構を殘すため、寺の四至の中、北の隅へ、當時立ち朽りになつて居た堂を移し、規模を小くして造られたもの、と傳へ言ふのであつた。
さう言へば、山田寺は、役君小角が、山林佛教を創める最初の足代になつた處だと言ふ傳へが、吉野や、葛城の山伏行人の間に行はれてゐた。何しろ、萬法藏院の大伽藍が燒けて百年、荒野の道場となつて居た、目と鼻との間に、こんな古い建て物が、殘つて居たと言ふのも、不思議なことである。
夜は、もう更けて居た。谷川の激ちの音が、段々高まつて來る。二上山の二つの峰の間から、流れくだる水なのだ。
廬の中は、暗かつた。爐を焚くことの少い此邊では、地下百姓は、夜は眞暗な中で、寢たり、坐つたりしてゐるのだ。でもこゝには、本尊が祀つてあつた。夜を守つて、佛の前で起き明す爲には、御燈を照した。
孔雀明王の姿が、あるかないかに、ちろめく光りである。
姫は寢ることを忘れたやうに、坐つて居た。
萬法藏院の上座の僧綱たちの考へでは、まづ奈良へ使ひを出さねばならぬ。横佩家の人々の心を、思うたのである。次には、女人結界を犯して、境内深く這入つた罪は、郎女自身に贖はさねばならなかつた。落慶のあつたばかりの淨域だけに、一時は、塔頭々々の人たちの、青くなつたのも、道理である。此は、財物を施入する、と謂つたぐらゐではすまされぬ。長期の物忌みを、寺近くに居て果させねばならぬと思つた。其で、今日晝の程、奈良へ向つて、早使ひを出して、郎女の姿が、寺中に現れたゆくたてを、仔細に告げてやつたのである。
其と共に姫の身は、此庵室に暫らく留め置かれることになつた。たとひ、都からの迎へが來ても、結界を越えた贖ひを果す日數だけは、こゝに居させよう、と言ふのである。
牀は低いけれども、かいてあるにはあつた。其替り、天井は無上に高くて、而も萱のそゝけた屋根は、破風の脇から、むき出しに、空の星が見えた。風が唸つて過ぎたと思ふと、其高い隙から、どつと吹き込んで來た。ばら/″\落ちかゝるのは、煤がこぼれるのだらう。明王の前の灯が、一時かつと、明るくなつた。
その光りで照し出されたのは、あさましく荒んだ座敷だけでなかつた。荒板の牀の上に、薦筵二枚重ねた姫の座席。其に向つて、ずつと離れた壁ぎはに、板敷に直に坐つて居る老婆の姿があつた。
壁と言ふよりは、壁代であつた。天井から弔りさげた竪薦が、幾枚も幾枚も、ちぐはぐに重つて居て、どうやら、風は防ぐやうになつて居る。その壁代に張りついたやうに坐つて居る女、先から嗽一つせぬ靜けさである。
貴族の家の郎女は、一日もの言はずとも、寂しいとも思はぬ習慣がついて居た。其で、この山陰の一つ家に居ても、溜め息一つ洩すのではなかつた。晝の内此處へ送りこまれた時、一人の姥のついて來たことは、知つて居た。だが、あまり長く音も立たなかつたので、人の居ることは忘れて居た。今ふつと明るくなつた御燈の色で、その姥の姿から、顏まで一目で見た。どこやら、覺えのある人の氣がする。さすがに、姫にも人懷しかつた。ようべ家を出てから、女性には、一人も逢つて居ない。今そこに居る姥が、何だか昔の知り人のやうに感じられたのも、無理はないのである。見覺えのあるやうに感じたのは、だが、其親しみ故だけではなかつた。
藤原のお流れ。今ゆく先も、公家攝録の家柄。中臣の筋や、おん神仕へ。差別々々明らかに、御代々々の宮守り。ぢやが、今は今昔は昔でおざります。藤原の遠つ祖、中臣の氏の神、天押雲根と申されるお方の事は、お聞き及びかえ。
今、奈良の宮におざります 日の御子さま。其前は、藤原の宮の 日のみ子さま。又其前は、飛鳥の宮の 日のみ子さま。大和の國中に、宮遷し、宮奠め遊した代々の 日のみ子さま。長く久しい御代々々に仕へた、中臣の家の神業。郎女さま。お聞き及びかえ。遠い代の昔語り。耳明らめてお聽きなされ。中臣・藤原の遠つ祖あめの押雲根命。遠い昔の 日のみ子さまのお喰しの、飯と、み酒を作る御料の水を、大和國中殘る隈なく搜し覓めました。その頃、國原の水は、水澁臭く、土濁りして、日のみ子さまのお喰しの料に叶ひません。天の神 高天の大御祖教へ給へと祈らうにも、國中は國低し。山々もまんだ天遠し。大和の國とり圍む青垣山では、この二上山。空行く雲の通ひ路と、昇り立つて祈りました。その時、高天の大御祖のお示しで、中臣の祖押雲根命、天の水の湧き口を、此二上山に八ところまで見とゞけて、其後久しく 日のみ子さまのおめしの湯水は、代々の中臣自身、此山へ汲みに參ります。お聞き及びかえ。
外には、瀬音が荒れて聞えてゐる。中臣・藤原の遠祖が、天二上に求めた天八井の水を集めて、峰を流れ降り、岩にあたつて漲り激つ川なのであらう。瀬音のする方に向いて、姫は、掌を合せた。
併しやがて、ふり向いて、仄暗くさし寄つて來てゐる姥の姿を見た時、言はうやうない畏しさと、せつかれるやうな忙しさを、一つに感じたのである。其に、志斐ノ姥の、本式に物語りをする時の表情が、此老女の顏にも現れてゐた。今、當麻の語部の姥は、神憑りに入るらしく、わな/\震ひはじめて居るのである。
四
我が登り 見れば、
とぶとりの 明日香
ふる里の 神南備山隱り、
家どころ 多に見え、
豐にし 屋庭は見ゆ。
彌彼方に 見ゆる家群
藤原の 朝臣が宿。
たか/″\に 我が待つものを、
よき耳を 聞かさぬものか。
青馬の 耳面刀自。
その子の はらからの子の
處女子の 一人
一人だに、 わが配偶に來よ。
二上の陽面に、
生ひをゝり 繁み咲く
馬醉木の にほへる子を
姥は居ずまひを直して、嚴かな聲音で、誦り出した。
とぶとりの 飛鳥の都に、日のみ子樣のおそば近く侍る尊いおん方。さゝなみの大津の宮に人となり、唐土の學藝に詣り深く、詩も、此國ではじめて作られたは、大友ノ皇子か、其とも此お方か、と申し傳へられる御方。
近江の都は離れ、飛鳥の都の再榮えたその頃、あやまちもあやまち。日のみ子に弓引くたくみ、恐しや、企てをなされると言ふ噂が、立ちました。
其お方がお死にの際に、深く/\思ひこまれた一人のお人がおざりまする。耳面刀自と申す、大織冠のお娘御でおざります。前から深くお思ひになつて居た、と云ふでもありません。唯、此郎女も、大津の宮離れの時に、都へ呼び返されて、寂しい暮しを續けて居られました。等しく大津の宮に愛着をお持ち遊した右の御方が、愈々、磐余の池の草の上で、お命召されると言ふことを聞いて、一目見てなごり惜しみがしたくてこらへられなくなりました。藤原から池上まで、おひろひでお出でになりました。小高い柴の一むらある中から、御樣子を窺うて歸らうとなされました。其時ちらりと、かのお人の、最期に近いお目に止りました。其ひと目が、此世に殘る執心となつたのでおざりまする。
その耳面刀自と申すは、淡海公の妹君、郎女の祖父君南家太政大臣には、叔母君にお當りになつてゞおざりまする。
人間の執心と言ふものは、怖いものとはお思ひなされぬかえ。
其亡き骸は、大和の國を守らせよ、と言ふ御諚で、此山の上、河内から來る當麻路の脇にお埋けになりました。其が何と、此世の惡心も何もかも、忘れ果てゝ清々しい心になりながら、唯そればかりの一念が、殘つて居ると、申します。藤原四流の中で、一番美しい郎女が、今におき、耳面刀自と、其幽界の目には、見えるらしいのでおざりまする。女盛りをまだ婿どりなさらぬげの郎女さまが、其力におびかれて、この當麻までお出でになつたのでなうて、何でおざりませう。
當麻路に墓を造りました當時、石を搬ぶ若い衆にのり移つた靈が、あの長歌を謳うた、と申すのが傳へ。
大貴族の郎女は、人の語を疑ふことは教へられて居なかつた。それに、信じなければならぬもの、とせられて居た語部の物語りである。詞の端々までも、眞實を感じて、聽いて居る。
言ふとほり、昔びとの宿執が、かうして自分を導いて來たことは、まことに違ひないであらう。其にしても、ついしか見ぬお姿――尊い御佛と申すやうな相好が、其お方とは思はれぬ。
春秋の彼岸中日、入り方の光り輝く雲の上に、まざ/\と見たお姿。此日本の國の人とは思はれぬ。だが、自分のまだ知らぬこの國の男子たちには、あゝ言ふ方もあるのか知らぬ。金色の鬣、金色の髮の豐かに垂れかゝる片肌は、白々と袒いで美しい肩。ふくよかなお顏は、鼻隆く、眉秀で、夢見るやうにまみを伏せて、右手は乳の邊に擧げ、脇の下に垂れた左手は、ふくよかな掌を見せて、……あゝ雲の上に朱の唇、匂ひやかにほゝ笑まれると見た……その俤。
日のみ子さまの御側仕へのお人の中には、あの樣な人もおいでになるものだらうか。我が家の父や、兄人たちも、世間の男たちとは、とりわけてお美しい、と女たちは噂するが、其すら似もつかぬ……。
尊い女性は、下賤な人と、口をきかぬのが當時の世の掟である。何よりも、其語は、下ざまには通じぬもの、と考へられてゐた。それでも、此古物語りをする姥には、貴族の語もわかるであらう。郎女は、恥ぢながら問ひかけた。
その飛鳥の宮の 日のみ子さまに仕へた、と言ふお方は、昔の罪びとらしいに、其が又何とした訣で、姫の前に立ち現れては、神々しく見えるであらうぞ。
天若みこ。物語りにも、うき世語りにも申します。お聞き及びかえ。
お心つけられませ。物語りも早、これまで。
萬法藏院は、村からは遠く、山によつて立つて居た。曉早い鷄の聲も、聞えぬ。もう梢を離れるらしい塒鳥が、近い端山の木群で、羽振きの音を立て初めてゐる。
五
巖ばかりであつた。壁も、牀も、梁も、巖であつた。自身のからだすらが、既に、巖になつて居たのだ。
屋根が壁であつた。壁が牀であつた。巖ばかり――。觸つても觸つても、巖ばかりである。手を伸すと、更に堅い巖が、掌に觸れた。脚をひろげると、もつと廣い磐石の面が、感じられた。
纔かにさす薄光りも、黒い巖石が皆吸ひとつたやうに、岩窟の中に見えるものはなかつた。唯けはひ――彼の人の探り歩くらしい空氣の微動があつた。
おれだ。此おれだ。大津の宮に仕へ、飛鳥の宮に呼び戻されたおれ。滋賀津彦。其が、おれだつたのだ。
唯、岩屋の中に矗立した、立ち枯れの木に過ぎなかつた。
――子代も、名代もない、おれにせられてしまつたのだ。さうだ。其に違ひない。この物足らぬ、大きな穴のあいた氣持ちは、其で、するのだ。おれは、此世に居なかつたと同前の人間になつて、現し身の人間どもには、忘れ了されて居るのだ。憐みのないおつかさま。おまへさまは、おれの妻の、おれに殉死にするのを、見殺しになされた。おれの妻の生んだ粟津子は、罪びとの子として、何處かへ連れて行かれた。野山のけだものゝ餌食に、くれたのだらう。可愛さうな妻よ。哀なむすこよ。
だが、おれには、そんな事などは、何でもない。おれの名が傳らない。劫初から末代まで、此世に出ては消える、天の下の青人草と一列に、おれは、此世に、影も形も殘さない草の葉になるのは、いやだ。どうあつても、不承知だ。
惠みのないおつかさま。お前さまにお縋りするにも、其おまへさますら、もうおいでゞない此世かも知れぬ。
くそ――外の世界が知りたい。世の中の樣子が見たい。
だが、おれの耳は聞える。其なのに、目が見えぬ。この耳すら、世間の語を聞き別けなくなつて居る。闇の中にばかり瞑つて居たおれの目よ。も一度くわつといて、現し世のありのまゝをうつしてくれ、……土龍の目なと、おれに貸しをれ。
丑刻に、靜謐の頂上に達した現し世は、其が過ぎると共に、俄かに物音が起る。月の、空を行く音すら聞えさうだつた四方の山々の上に、まづ木の葉が音もなくうごき出した。次いではるかな谿のながれの色が、白々と見え出す。更に遠く、大和國中の、何處からか起る一番鷄のつくるとき。
曉が來たのである。里々の男は、今、女の家の閨戸から、ひそ/\と歸つて行くだらう。月は早く傾いたけれど、光りは深夜の色を保つてゐる。午前二時に朝の來る生活に、村びとも、宮びとも、忙しいとは思はずに、起きあがる。短い曉の目覺めの後、又、物に倚りかゝつて、新しい眠りを繼ぐのである。
山風は頻りに、吹きおろす。枝・木の葉の相軋めく音が、やむ間なく聞える。だが其も暫らくで、山は元のひつそとしたけしきに還る。唯、すべてが薄暗く、すべてが隈を持つたやうに、朧ろになつて來た。
岩窟は、沈々と黝くなつて冷えて行く。
した した。水は、岩肌を絞つて垂れてゐる。
まだ反省のとり戻されぬむくろには、心になるものがあつて、心はなかつた。
耳面刀自の名は、唯の記憶よりも、更に深い印象であつたに違ひはない。自分すら忘れきつた、彼の人の出來あがらぬ心に、骨に沁み、干からびた髓の心までも、唯彫りつけられたやうになつて、殘つてゐるのである。
萬法藏院の晨朝の鐘だ。夜の曙色に、一度騷立つた物々の胸をおちつかせる樣に、鳴りわたる鐘の音だ。一ぱし白みかゝつて來た東は、更にほの暗い明け昏れの寂けさに返つた。
南家の郎女は、一莖の草のそよぎでも聽き取れる曉凪ぎを、自身擾すことをすまいと言ふ風に、身じろきすらもせずに居る。
夜の間よりも暗くなつた盧の中では、明王像の立ち處さへ見定められぬばかりになつて居る。
何處からか吹きこんだ朝山颪に、御燈が消えたのである。當麻語部の姥も、薄闇に蹲つて居るのであらう。姫は再、この老女の事を忘れてゐた。
たゞ一刻ばかり前、這入りの戸を搖つた物音があつた。一度 二度 三度。更に數度。音は次第に激しくなつて行つた。樞がまるで、おしちぎられでもするかと思ふほど、音に力のこもつて來た時、ちようど、鷄が鳴いた。其きりぴつたり、戸にあたる者もなくなつた。
新しい物語が、一切、語部の口にのぼらぬ世が來てゐた。けれども、頑な當麻氏の語部の古姥の爲に 我々は今一度、去年以來の物語りをしておいても、よいであらう。まことに其は、昨の日からはじまるのである。
六
門をはひると、俄かに松風が、吹きあてるやうに響いた。
一町も先に、固まつて見える堂伽藍――そこまでずつと、砂地である。白い地面に、廣い葉の青いまゝでちらばつて居るのは、朴の木だ。
まともに、寺を壓してつき立つてゐるのは、二上山である。其眞下に槃佛のやうな姿に横つてゐるのが、麻呂子山だ。其頂がやつと、講堂の屋の棟に、乘りかゝつてゐるやうにしか見えない。
女人の身は、何も知つて居る訣はなかつた。だが、俊敏な此旅びとの胸に其に似たほのかな綜合の、出來あがつて居たのは疑はれぬ。暫らくの間、その薄緑の山色を仰いで居た。其から、朱塗りの、激しく光る建て物へ、目を移して行つた。
此寺の落慶供養のあつたのは、つい四五日前であつた。まだあの日の喜ばしい騷ぎの響みが、どこかにする樣に、麓の村びと等には、感じられて居る程である。
山颪に吹き暴されて、荒草深い山裾の斜面に、萬法藏院の細々とした御燈の、煽られて居たのに見馴れた人たちは、この幸福な轉變に、目をつて居るだらう。此郷に田莊を殘して、奈良に數代住みついた豪族の主人も、その日は、歸つて來て居たつけ。此は、天竺の狐の爲わざではないか、其とも、この葛城郡に、昔から殘つてゐる幻術師のする迷はしではないか。あまり莊嚴を極めた建て物に、故知らぬ反感まで唆られて、廊を踏み鳴らし、柱を叩いて見たりしたものも、その供人のうちにはあつた。數年前の春の初め、野燒きの火が燃えのぼつて來て、唯一宇あつた萱堂が、忽痕もなくなつた。そんな小さな事件が起つて、注意を促してすら、そこを、曾て美はしい福田と、寺の創められた代を、思ひ出す者もなかつた程、それは/\、微かな遠い昔であつた。
以前、疑ひを持ち初める里の子どもが、其堂の名に、不審を起した。當麻の村にありながら、山田寺と言つたからである。山の背の河内の國安宿部郡の山田谷から移つて二百年、寂しい道場に過ぎなかつた。其でも一時は、倶舍の寺として、榮えたこともあつたのだつた。
飛鳥の御世の、貴い御方が、此寺の本尊を、お夢に見られて、おん子を遣され、堂舍をひろげ、住侶の數をお殖しになつた。おひ/\境内になる土地の地形の進んでゐる最中、その若い貴人が、急に亡くなられた。さうなる筈の、風水の相が、「まろこ」の身を招き寄せたのだらう。よしよし、墓はそのまゝ、其村に築くがよい、との仰せがあつた。其み墓のあるのが、あの麻呂子山だと言ふ。まろ子といふのは、尊い御一族だけに用ゐられる語で、おれの子といふほどの、意味であつた。ところが、其おことばが縁を引いて、此郷の山には、其後亦、貴人をお埋め申すやうな事が、起つたのである。
だが、さう言ふ物語りはあつても、それは唯、此里の語部の姥の口に、さう傳へられてゐる、と言ふに過ぎぬ古物語りであつた。纔かに百年、其短いと言へる時間も、文字に縁遠い生活には、さながら太古を考へると、同じ昔となつてしまつた。
旅の若い女性は、型摺りの大樣な美しい模樣をおいた著る物を襲うて居る。笠は、淺い縁に、深い縹色の布が、うなじを隱すほどに、さがつてゐた。
日は仲春、空は雨あがりの、爽やかな朝である。高原の寺は、人の住む所から、自ら遠く建つて居た。唯凡、百の僧俗が、寺中に起き伏して居る。其すら、引き續く供養饗宴の疲れで、今日はまだ、遲い朝を、姿すら見せずにゐる。
その女人は、日に向つてひたすら輝く伽藍のりを、殘りなく歩いた。寺の南境は、み墓山の裾から、東へ出てゐる長い崎の盡きた所に、大門はあつた。其中腹と、東の鼻とに、西塔・東塔が立つて居る。丘陵の道をうねりながら登つた旅びとは、東の塔の下に出た。
雨の後の水氣の、立つて居る大和の野は、すつかり澄みきつて、若晝のきら/\しい景色になつて居る。右手の目の下に、集中して見える丘陵は傍岡で、ほの/″\と北へ流れて行くのが、葛城川だ。平原の眞中に、旅笠を伏せたやうに見える遠い小山は、耳無の山であつた。其右に高くつつ立つてゐる深緑は、畝傍山。更に遠く日を受けてきらつく水面は、埴安の池ではなからうか。其東に平たくて低い背を見せるのは、聞えた香具山なのだらう。旅の女子の目は、山々の姿を、一つ/\に辿つてゐる。天香具山をあれだと考へた時、あの下が、若い父母の育つた、其から、叔父叔母、又一族の人々の、行き來した、藤原の里なのだ。
もう此上は見えぬ、と知れて居ても、ひとりで、爪先立てゝ伸び上る氣持ちになつて來るのが抑へきれなかつた。
香具山の南の裾に輝く瓦舍は、大官大寺に違ひない。其から更に眞南の、山と山との間に、薄く霞んでゐるのが、飛鳥の村なのであらう。父の父も、母の母も、其又父母も、皆あのあたりで生ひ立たれたのであらう。この國の女子に生れて、一足も女部屋を出ぬのを、美徳とする時代に居る身は、親の里も、祖先の土も、まだ踏みも知らぬ。あの陽炎の立つてゐる平原を、此足で、隅から隅まで歩いて見たい。
かう、その女性は思うてゐる。だが、何よりも大事なことは、此郎女――貴女は、昨日の暮れ方、奈良の家を出て、こゝまで歩いて來てゐるのである。其も、唯のひとりでゞあつた。
家を出る時、ほんの暫し、心を掠めた――父君がお聞きになつたら、と言ふ考へも、もう氣にはかゝらなくなつて居る。乳母があわてゝ探すだらう、と言ふ心が起つて來ても、却つてほのかな、こみあげ笑ひを誘ふ位の事になつてゐる。
山はづつしりとおちつき、野はおだやかに畝つて居る。かうして居て、何の物思ひがあらう。この貴な娘御は、やがて後をふり向いて、山のなぞへについて、次第に首をあげて行つた。
二上山。あゝこの山を仰ぐ、言ひ知らぬ胸騷ぎ。――藤原・飛鳥の里々山々を眺めて覺えた、今の先の心とは、すつかり違つた胸の悸き。旅の郎女は、脇目も觸らず、山に見入つてゐる。さうして、靜かな思ひの充ちて來る滿悦を、深く覺えた。昔びとは、確實な表現を知らぬ。だが謂はゞ、――平野の里に感じた喜びは、過去生に向けてのものであり、今此山を仰ぎ見ての驚きは未來世を思ふ心躍りだ、とも謂へよう。
塔はまだ、嚴重にやらひを組んだまゝ、人の立ち入りを禁めてあつた。
でも、ものに拘泥することを教へられて居ぬ姫は、何時の間にか、塔の初重の欄干に、自分のよりかゝつて居るのに、氣がついた。
さうして、しみ/″\と山に見入つて居る。まるで瞳が、吸ひこまれるやうに。山と自分とに繋る深い交渉を、又くり返し思ひ初めてゐた。
郎女の家は、奈良東城、右京三條第七坊にある。祖父武智麻呂のこゝで亡くなつて後、父が移り住んでからも、大分の年月になる。父は、男壯には、横佩の大將と謂はれる程、一ふりの大刀のさげ方にも、工夫を凝らさずには居られぬだて者であつた。なみの人の竪にさげて佩く大刀を、横へて弔る佩き方を案出した人である。新しい奈良の都の住人は、まださうした官吏としての、華奢な服裝を趣向むまでに到つて居なかつた頃、姫の若い父は、近代の時世裝に思ひを凝して居た。その家に覲ねて來る古い留學生や、新來の歸化僧などに尋ねることも、張文成などの新作の物語りの類を、問題にするやうなのとも、亦違うてゐた。
さうした闊達な、やまとごゝろの、赴くまゝにふるまうて居る間に、才優れた族人が、彼を乘り越して行くのに氣がつかなかつた。姫には叔父彼――豐成には、さしつぎの弟、仲麻呂である。
その父君も、今は筑紫に居る。尠くとも、姫などはさう信じて居た。家族の半以上は、太宰帥のはな/″\しい生活の裝ひとして、連れられて行つてゐた。宮廷から賜る資人・仗も、大貴族の家の門地の高さを示すものとて、美々しく着飾らされて、皆任地へついて行つた。さうして、奈良の家には、その年は亦とりわけ、寂しい若葉の夏が來た。
寂かな屋敷には、響く物音もない時が、多かつた。この家も世間どほりに、女部屋は、日あたりに疎い北の屋にあつた。その西側に、小な蔀戸があつて、其をつきあげると、方三尺位なになるやうに出來てゐる。さうして、其内側には、夏冬なしに簾が垂れてあつて、戸のあげてある時は、外からの隙見を禦いだ。
それから外りは、家の廣い外郭になつて居て、大炊屋もあれば、湯殿火燒き屋なども、下人の住ひに近く、立つてゐる。苑と言はれる菜畠や、ちよつとした果樹園らしいものが、女部屋の窓から見える、唯一の景色であつた。
武智麻呂存生の頃から、此屋敷のことを、世間では、南家と呼び慣はして來てゐる。此頃になつて、仲麻呂の威勢が高まつて來たので、何となく其古い通稱は、人の口から薄れて、其に替る稱へが、行はれ出した樣だつた。三條三坊第二保をすつかり占めた大屋敷を、一垣内――一字と見做して、横佩墻内と言ふ者が著しく、殖えて來たのである。
その太宰府からの音づれが、久しく絶えたと思つてゐたら、都とは目と鼻の難波に、いつか還り住んで、遙かに筑紫の政を聽いてゐた帥の殿であつた。其父君から遣された家の子が、一車に積み餘るほどな家づとを、家に殘つた家族たち殊に、姫君にと言つてはこんで來た。
山國の狹い平野に、一代々々都遷しのあつた長い歴史の後、こゝ五十年、やつと一つ處に落ちついた奈良の都は、其でもまだ、なか/\整ふまでには、行つて居なかつた。
官廳や、大寺が、によつきり/\、立つてゐる外は、貴族の屋敷が、處々むやみに場をとつて、その相間々々に、板屋や瓦屋が、交りまじりに續いてゐる。其外は、廣い水田と、畠と、存外多い荒蕪地の間に、人の寄りつかぬ塚や岩群が、ちらばつて見えるだけであつた。兎や、狐が、大路小路を驅ける樣なのも、毎日のこと。つい此頃も、朱雀大路の植ゑ木の梢を、夜になると、鼠が飛び歩くと言ふので、一騷ぎした位である。
横佩家の郎女が、稱讃淨土佛攝受經を寫しはじめたのも、其頃からであつた。父の心づくしの贈り物の中で、一番、姫君の心を饒やかにしたのは、此新譯の阿彌陀經一卷であつた。
國の版圖の上では、東に偏り過ぎた山國の首都よりも、太宰府は、遙かに開けてゐた。大陸から渡る新しい文物は、皆一度は、この遠の宮廷領を通過するのであつた。唐から渡つた書物などで、太宰府ぎりに、都まで出て來ないものが、なか/\多かつた。
學問や、藝術の味ひを知り初めた志の深い人たちは、だから、大唐までは望まれぬこと、せめて大宰府へだけはと、筑紫下りを念願するほどであつた。
南家の郎女の手に入つた稱讃淨土經も、大和一國の大寺と言ふ大寺に、まだ一部も藏せられて居ぬものであつた。
姫は、蔀戸近くに、時としては机を立てゝ、寫經してゐることもあつた。夜も、侍女たちを寢靜まらしてから、油火の下で、一心不亂に書き寫して居た。
百部は、夙くに寫し果した。その後は、千部手寫の發願をした。冬は春になり、夏山と繁つた春日山も、既に黄葉して、其がもう散りはじめた。蟋蟀は、晝も苑一面に鳴くやうになつた。佐保川の水を堰き入れた庭の池には、遣り水傳ひに、川千鳥の啼く日すら、續くやうになつた。
今朝も、深い霜朝を何處からか、鴛鴦の夫婦鳥が來て浮んで居ります、と童女が告げた。
五百部を越えた頃から、姫の身は、目立つてやつれて來た。ほんの纔かの眠りをとる間も、ものに驚いて覺めるやうになつた。其でも、八百部の聲を聞く時分になると、衰へたなりに、健康は定まつて來たやうに見えた。やゝ蒼みを帶びた皮膚に、心もち細つて見える髮が、愈々黒く映え出した。
八百八十部、九百部。郎女は侍女にすら、ものを言ふことを厭ふやうになつた。さうして、晝すら何か夢見るやうな目つきして、うつとり蔀戸ごしに、西の空を見入つて居るのが、皆の注意をひくほどであつた。
實際、九百部を過ぎてからは筆も一向、はかどらなくなつた。二十部・三十部・五十部。心ある女たちは、文字の見えない自身たちのふがひなさを悲しんだ。郎女の苦しみを、幾分でも分けることが出來ように、と思ふからである。
南家の郎女が、宮から召されることになるだらうと言ふ噂が、京・洛外に廣がつたのも、其頃である。屋敷中の人々は、上近く事へる人たちから、垣内の隅に住む奴隷・婢奴の末にまで、顏を輝かして、此とり沙汰を迎へた。でも姫には、誰一人其を聞かせる者がなかつた。其ほど、此頃の郎女は氣むつかしく、外目に見えてゐたのである。
千部手寫の望みは、さうした大願から立てられたものだらう、と言ふ者すらあつた。そして誰ひとり、其を否む者はなかつた。
南家の姫の美しい膚は、益々透きとほり、潤んだ目は、愈々大きく黒々と見えた。さうして、時々聲に出して誦する經の文が、物の音に譬へやうもなく、さやかに人の耳に響く。聞く人は皆、自身の耳を疑うた。
去年の春分の日の事であつた。入り日の光りをまともに受けて、姫は正座して、西に向つて居た。日は、此屋敷からは、稍坤によつた遠い山の端に沈むのである。西空の棚雲の紫に輝く上で、落日は俄かに轉き出した。その速さ。雲は炎になつた。日は黄金の丸になつて、その音も聞えるか、と思ふほど鋭くつた。雲の底から立ち昇る青い光りの風――、姫は、ぢつと見つめて居た。やがて、あらゆる光りは薄れて、雲は霽れた。夕闇の上に、目を疑ふほど、鮮やかに見えた山の姿。二上山である。その二つの峰の間に、あり/\と莊嚴な人の俤が、瞬間顯れて消えた。後は、眞暗な闇の空である。山の端も、雲も何もない方に、目を凝して、何時までも端坐して居た。郎女の心は、其時から愈々澄んだ。併し、極めて寂しくなり勝つて行くばかりである。
ゆくりない日が、半年の後に再來て、姫の心を無上の歡喜に引き立てた。其は、同じ年の秋、彼岸中日の夕方であつた。姫は、いつかの春の日のやうに、坐してゐた。朝から、姫の白い額の、故もなくひよめいた長い日の、後である。二上山の峰を包む雲の上に、中秋の日の爛熟した光が、くるめき出したのである。雲は火となり、日は八尺の鏡と燃え、青い響きの吹雪を、吹き捲く嵐――。
雲がきれ、光りのしづまつた山の端は、細く金の外輪を靡かして居た。其時、男嶽・女嶽の峰の間に、あり/\と浮き出た 髮 頭 肩 胸――。姫は又、あの俤を見ることが、出來たのである。
南家の郎女の幸福な噂が、春風に乘つて來たのは、次の春である。姫は別樣の心躍りを、一月も前から感じて居た。さうして、日を數り初めて、ちようど、今日と言ふ日。彼岸中日、春分の空が、朝から晴れて、雲雀は天に翔り過ぎて、歸ることの出來ぬほど、青雲が深々とたなびいて居た。郎女は、九百九十九部を寫し終へて、千部目にとりついて居た。
日一日、のどかな温い春であつた。經卷の最後の行、最後の字を書きあげて、ほつと息をついた。あたりは俄かに、薄暗くなつて居る。目をあげて見る蔀窓の外には、しと/\と――音がしたゝつて居るではないか。姫は立つて、手づから簾をあげて見た。雨。
苑の青菜が濡れ、土が黒ずみ、やがては瓦屋にも、音が立つて來た。
姫は、立つても坐ても居られぬ、焦躁に悶えた。併し日は、益々暗くなり、夕暮れに次いで、夜が來た。
茫然として、姫はすわつて居る。人聲も、雨音も、荒れ模樣に加つて來た風の響きも、もう、姫は聞かなかつた。
七
南家の郎女の神隱しに遭つたのは、其夜であつた。家人は、翌朝空が霽れ、山々がなごりなく見えわたる時まで、氣がつかずに居た。
横佩墻内に住む限りの者は、男も、女も、上の空になつて、洛中洛外を馳せ求めた。さうした奔り人の多く見出される場處と言ふ場處は、殘りなく搜された。春日山の奧へ入つたものは、伊賀境までも踏み込んだ。高圓山の墓原も、佐紀の沼地・雜木原も、又は、南は山村、北は奈良山、泉川の見える處まで馳せつて、戻る者も、戻る者も皆空足を踏んで來た。
姫は、何處をどう歩いたか、覺えがない。唯、家を出て、西へ/\と辿つて來た。降り募るあらしが、姫の衣を濡した。姫は、誰にも教はらないで、裾を脛まであげた。風は、姫の髮を吹き亂した。姫は、いつとなく、髻をとり束ねて、襟から着物の中に、含み入れた。夜中になつて、風雨が止み、星空が出た。
姫の行くてには常に、二つの峰の竝んだ山の立ち姿がはつきりと聳えて居た。毛孔の竪つやうな畏しい聲を、度々聞いた。ある時は、鳥の音であつた。其後、頻りなく斷續したのは、山の獸の叫び聲であつた。大和の内も、都に遠い廣瀬・葛城あたりには、人居などは、ほんの忘れ殘りのやうに、山陰などにあるだけで、あとは曠野。それに――、本村を遠く離れた、時はづれの、人棲まぬ田居ばかりである。
片破れ月が、上つて來た。其が却て、あるいてゐる道の邊の凄さを、照し出した。其でも、星明りで辿つて居るよりは、よるべを覺えて、足が先へ先へと出た。月が中天へ來ぬ前に、もう東の空が、ひいわり白んで來た。夜のほの/″\明けに、姫は、目を疑ふばかりの現實に行きあつた。――横佩家の侍女たちは何時も、夜の起きぬけに、一番最初に目撃した物事で、日のよしあしを、占つて居るやうだつた。さう言ふ女どものふるまひに、特別に氣は牽かれなかつた郎女だけれど、よく其人々が、「今朝の朝目がよかつたから」「何と言ふ情ない朝目でせう」などゝ、そは/\と興奮したり、むやみに塞ぎこんだりして居るのを、見聞きしてゐた。
郎女は、生れてはじめて、「朝目よく」と謂つた語を、内容深く感じたのである。目の前に赤々と、丹塗りに照り輝いて、朝日を反射して居るのは、寺の大門ではないか。さうして、門から、更に中門が見とほされて、此もおなじ丹塗りに、きらめいて居る。
山裾の勾配に建てられた堂・塔・伽藍は、更に奧深く、朱に、青に、金色に、光りの棚雲を、幾重にもつみ重ねて見えた。朝目のすがしさは、其ばかりではなかつた。其寂寞たる光りの海から、高く抽でゝ見える二上の山。淡海公の孫、大織冠には曾孫。藤氏族長太宰帥、南家の豐成、其第一孃子なる姫である。屋敷から、一歩はおろか、女部屋を膝行り出ることすら、たまさかにもせぬ、郎女のことである。順道ならば、今頃は既に、藤原の氏神河内の枚岡の御神か、春日の御社に、巫女の君として仕へてゐるはずである。家に居ては、男を寄せず、耳に男の聲も聞かず、男の目を避けて、仄暗い女部屋に起き臥しゝてゐる人である。世間の事は、何一つ聞き知りも、見知りもせぬやうに、おふしたてられて來た。
寺の淨域が、奈良の内外にも、幾つとあつて、横佩墻内と讃へられてゐる屋敷よりも、もつと廣大なものだ、と聞いて居た。さうでなくても、經文の上に傳へた淨土の莊嚴をうつすその建て物の樣は、想像せぬではなかつた。だが目のあたり見る尊さは、唯息を呑むばかりであつた。之に似た驚きの經驗は、曾て一度したことがあつた。姫は今其を思ひ起して居る。簡素と、豪奢との違ひこそあれ、驚きの歡喜は、印象深く殘つてゐる。
今の 太上天皇樣が、まだ宮廷の御あるじで居させられた頃、八歳の南家の郎女は、童女として、初の殿上をした。穆々たる宮の内の明りは、ほのかな香氣を含んで、流れて居た。晝すら眞夜に等しい、御帳臺のあたりにも、尊いみ聲は、昭々と珠を搖る如く響いた。物わきまへもない筈の、八歳の童女が感泣した。
「南家には、惜しい子が、女になつて生れたことよ」と仰せられた、と言ふ畏れ多い風聞が、暫らく貴族たちの間に、くり返された。其後十二年、南家の娘は、二十になつてゐた。幼いからの聰さにかはりはなくて、玉・水精の美しさが益々加つて來たとの噂が、年一年と高まつて來る。
姫は、大門の閾を越えながら、童女殿上の昔の畏さを、追想して居たのである。長い甃道を踏んで、中門に屆く間にも、誰一人出あふ者がなかつた。恐れを知らず育てられた大貴族の郎女は、虔しく併しのどかに、御堂・々々を拜んで、岡の東塔に來たのである。
こゝからは、北大和の平野は見えぬ。見えたところで、郎女は、奈良の家を考へ浮べることも、しなかつたであらう。まして、家人たちが、神隱しに遭うた姫を、探しあぐんで居ようなどゝは、思ひもよらなかつたのである。唯うつとりと、塔の下から近々と仰ぐ、二上山の山肌に、現し世の目からは見えぬ姿を惟ひ觀ようとして居るのであらう。
此時分になつて、寺では、人の動きが繁くなり出した。晨朝の勤めの間も、うと/\して居た僧たちは、爽やかな朝の眼をいて、食堂へ降りて行つた。奴婢は、其々もち場持ち場の掃除を勵む爲に、ようべの雨に洗つたやうになつた、境内の沙地に出て來た。
若し又、適當な語を知つて居たにしたところで、今はそんな事に、考へを紊されては、ならぬ時だつたのである。
姫は唯、山を見てゐた。依然として山の底に、ある俤を觀じ入つてゐるのである。寺奴は、二言とは問ひかけなかつた。一晩のさすらひでやつれては居ても、服裝から見てすぐ、どうした身分の人か位の判斷は、つかぬ筈はなかつた。又暫らくして、四五人の跫音が、びた/″\と岡へ上つて來た。年のいつたのや、若い僧たちが、ばら/″\と走つて、塔のやらひの外まで來た。
それに又、どうして、こゝまでお出でだつた。伴の人も連れずに――。
貴族の家庭の語と、凡下の家々の語とは、すつかり變つて居た。だから言ひ方も、感じ方も、其うへ、語其ものさへ、郎女の語が、そつくり寺の所化輩には、通じよう筈がなかつた。
でも、其でよかつたのである。其でなくて、語の内容が、其まゝ受けとられようものなら、南家の姫は、即座に氣のふれた女、と思はれてしまつたであらう。
みたち……。
おうちは……。
おうち……。
おやかたは、と問ふのだよ――。
をゝ。家はとや。右京藤原南家……。
ようべの嵐に、まだ殘りがあつたと見えて、日の明るく照つて居る此小晝に、又風が、ざはつき出した。この岡の崎にも、見おろす谷にも、其から二上山へかけての尾根尾根にも、ちらほら白く見えて、花の木がゆすれて居る。山の此方にも小櫻の花が、咲き出したのである。
此時分になつて、奈良の家では誰となく、こんな事を考へはじめてゐた。此はきつと、里方の女たちのよくする、春の野遊びに出られたのだ。――何時からとも知らぬ習しである。春秋の、日と夜と平分する其頂上に當る日は、一日、日の影を逐うて歩く風が行はれて居た。どこまでもどこまでも、野の果て、山の末、海の渚まで、日を送つて行く女衆が多かつた。さうして、夜に入つてくた/\になつて、家路を戻る。此爲來りを何時となく、女たちの咄すのを聞いて、姫が、女の行として、この野遊びをする氣になられたのだ、と思つたのである。かう言ふ、考へに落ちつくと、ありやうもない考へだと訣つて居ても、皆の心が一時、ほうと輕くなつた。ところが、其日も晝さがりになり、段々夕光の、催して來る時刻が來た。昨日は、駄目になつた日の入りの景色が、今日は中日にも劣るまいと思はれる華やかさで輝いた。横佩家の人々の心は、再重くなつて居た。
八
奈良の都には、まだ時をり、石城と謂はれた石垣を殘して居る家の、見かけられた頃である。度々の太政官符で、其を家の周りに造ることが、禁ぜられて來た。今では、宮廷より外には、石城を完全にとりした豪族の家などは、よく/\の地方でない限りは、見つからなくなつて居る筈なのである。
其に一つは、宮廷の御在所が、御一代々々々に替つて居た千數百年の歴史の後に、飛鳥の都は、宮殿の位置こそ、數町の間をあちこちせられたが、おなじ山河一帶の内にあつた。其で凡、都遷しのなかつた形になつたので、後から/\地割りが出來て、相應な都城の姿は備へて行つた。其數朝の間に、舊族の屋敷は、段々、家構へが整うて來た。
葛城に、元のまゝの家を持つて居て、都と共に一代ぎりの、屋敷を構へて居た蘇我臣なども、飛鳥の都では、次第に家作りを擴げて行つて、石城なども高く、幾重にもとりして、凡永久の館作りをした。其とおなじ樣な氣持ちから、どの氏でも、大なり小なり、さうした石城づくりの屋敷を、構へるやうになつて行つた。
蘇我臣一流れで最榮えた島の大臣家の亡びた時分から、石城の構へは禁められ出した。
この國のはじまり、天から授けられたと言ふ、宮廷に傳はる神の御詞に背く者は、今もなかつた。が、書いた物の力は、其が、どのやうに由緒のあるものでも、其ほどの威力を感じるに到らぬ時代がまだ續いて居た。
其飛鳥の都も、高天原廣野姫尊樣の思召しで、其から一里北の藤井个原に遷され、藤原の都と名を替へて、新しい唐樣の端正しさを盡した宮殿が、建ち竝ぶ樣になつた。近い飛鳥から、新渡來の高麗馬に跨つて、馬上で通ふ風流士もあるにはあつたが、多くはやはり、鷺栖の阪の北、香具山の麓から西へ、新しく地割りせられた京城の坊々に屋敷を構へ、家造りをした。その次の御代になつても、藤原の都は、日に益し、宮殿が建て増されて行つて、こゝを永宮と遊ばす思召しが伺はれた。その安堵の心から、家々の外には、石城をすものが、又ぼつ/″\出て來た。さうして、そのはやり風俗が、見る/\うちに、また氏々の族長の家圍ひを、あらかた石にしてしまつた。その頃になつて、天眞宗豐祖父尊樣がおかくれになり、御母 日本根子天津御代豐國成姫の大尊樣がお立ち遊ばした。その四年目思ひもかけず、奈良の都に宮遷しがあつた。ところがまるで、追つかけるやうに、藤原の宮は固より、目ぬきの家竝みが、不意の出火で、其こそ、あつと言ふ間に、痕形もなく、空の有となつてしまつた。もう此頃になると、太政官符に、更に嚴しい添書がついて出ずとも、氏々の人は皆、目の前のすばやい人事自然の交錯した轉變に、目を瞠るばかりであつたので、久しい石城の問題も、其で、解決がついて行つた。
古い氏種姓を言ひ立てゝ、神代以來の家職の神聖を誇つた者どもは、其家職自身が、新しい藤原奈良の都には、次第に意味を失つて來てゐる事に、氣がついて居なかつた。
最早くそこに心づいた、姫の祖父淡海公などは、古き神祕を誇つて來た家職を、末代まで傳へる爲に、別に家を立てゝ中臣の名を保たうとした。さうして、自分・子供ら・孫たちと言ふ風に、いちはやく、新しい官人の生活に入り立つて行つた。
ことし、四十を二つ三つ越えたばかりの大伴家持は、父旅人の其年頃よりは、もつと優れた男ぶりであつた。併し、世の中はもう、すつかり變つて居た。見るもの障るもの、彼の心を苛つかせる種にならぬものはなかつた。淡海公の、小百年前に實行して居る事に、今はじめて自分の心づいた鈍ましさが、憤らずに居られなかつた。さうして、自分とおなじ風の性向の人の成り行きを、まざ/″\省みて、慄然とした。現に、時に誇る藤原びとでも、まだ昔風の夢に泥んで居た南家の横佩右大臣は、さきをとゝし、太宰ノ員外帥に貶されて、都を離れた。さうして今は、難波で謹愼してゐるではないか。自分の親旅人も、三十年前に踏んだ道である。世間の氏上家の主人は、大方もう、石城など築きして、大門小門を繋ぐと謂つた要害と、裝飾とに、興味を失ひかけて居るのに、何とした自分だ。おれはまだ現に、出來るなら、宮廷のお目こぼしを頂いて、石に圍はれた家の中で、家の子どもを集め、氏人たちを召びつどへて、弓場に精勵させ、捧術・大刀かきに出精させよう、と謂つたことを空想して居る。さうして年々頻繁に、氏神其外の神々を祭つてゐる。其度毎に、家の語部大伴ノ語造の嫗たちを呼んで、之に捉へ處もない昔代の物語りをさせて、氏人に傾聽を強ひて居る。何だか、空な事に力を入れて居たやうに思へてならぬ寂しさだ。
だが、其氏神祭りや、祭りの後宴に、大勢の氏人の集ることは、とりわけやかましく言はれて來た、三四年以來の法度である。
こんな溜め息を洩しながら、大伴氏の舊い習しを守つて、どこまでも、宮廷守護の爲の武道の傳襲に、努める外はない家持だつたのである。
越中守として踏み歩いた越路の泥のかたが、まだ行縢から落ちきらぬ内に、もう復、都を離れなければならぬ時の、迫つて居るやうな氣がして居た。其中、此針の筵の上で、兵部少輔から、大輔に昇進した。そのことすら、益々脅迫感を強める方にばかりはたらいた。
今年五月にもなれば、東大寺の四天王像の開眼が行はれる筈で、奈良の都の貴族たちには、すでに寺から内見を願つて來て居た。さうして、忙しい世の中にも、暫らくはその評判が、すべてのいざこざをおし鎭める程に、人の心を浮き立たした。本朝出來の像としては、まづ、此程物凄い天部の姿を拜んだことは、はじめてだ、と言ふものもあつた。神代の荒神たちも、こんな形相でおありだつたらう、と言ふ噂も聞かれた。
まだ公の供養もすまぬのに、人の口はうるさいほど、頻繁に流説をふり撒いてゐた。あの多聞天と、廣目天との顏つきに、思ひ當るものがないか、と言ふのであつた。此はこゝだけの咄だよ、と言つて話したのが、次第に廣まつて、家持の耳までも聞えて來た。なるほど、憤怒の相もすさまじいにはすさまじいが、あれがどうも、當今大倭一だと言はれる男たちの顏、そのまゝだと言ふのである。貴人は言はぬ、かう言ふ種類の噂は、えて供をして見て來た道々の博士たちと謂つた、心蔑しいものゝ、言ひさうな事である。
多聞天は、大師藤原ノ惠美中卿だ。あの柔和な、五十を越してもまだ、三十代の美しさを失はぬあの方が、近頃おこりつぽくなつて、よく下官や、仕へ人を叱るやうになつた。あの圓滿し人が、どうしてこんな顏つきになるだらう、と思はれる表情をすることがある。其面もちそつくりだ、と尤らしい言ひ分なのである。
さう言へば、あの方が壯盛りに、捧術を嗜んで、今にも事あれかしと謂つた顏で、立派な甲をつけて、のつし/\と長い物を杖いて歩かれたお姿が、あれを見てゐて、ちらつくやうだなど、と相槌をうつ者も出て來た。其では、廣目天の方はと言ふと、
わしにも、どちらとも言へんがの。どうでも、見たことのあるお人に似て居さつしやるには、似てゐさつしやるげな……。
九
兵部大輔大伴ノ家持は、偶然この噂を、極めて早く耳にした。ちようど、春分から二日目の朝、朱雀大路を南へ、馬をやつて居た。二人ばかりの資人が徒歩で、驚くほどに足早について行く。此は、晋唐の新しい文學の影響を受け過ぎるほど、享け入れた文人かたぎの彼には、數年來珍しくもなくなつた癖である。かうして、何處まで行くのだらう。唯、朱雀の竝み木の柳の花がほゝけて、霞のやうに飛んで居る。向うには、低い山と、細長い野が、のどかに陽炎ふばかりである。
資人の一人が、とつとゝ追ひついて來たと思ふと、主人の鞍に顏をおしつける樣にして、新しい耳を聞かした。今行きすがうた知り人の口から、聞いたばかりの噂である。
はい……。いゝえ。何分、その男がとり急いで居りまして。
この間拔け。話はもつと上手に聽くものだ。
當麻の邑まで、をとゝひ夜の中に行つて居たこと、寺からは、昨日午後、横佩墻内へ知らせが屆いたこと其外には、何も聞きこむ間のなかつたことまで。家持の聯想は、環のやうに繋つて、暫らくは馬の上から見る、街路も、人通りも、唯、物として通り過ぎるだけであつた。
南家で持つて居た藤原の氏上職が、兄の家から、弟仲麻呂―押勝―の方へ移らうとしてゐる。來年か、再來年の枚岡祭りに、參向する氏人の長者は、自然かの大師のほか、人がなくなつて居る。惠美家からは、嫡子久須麻呂の爲、自分の家の第一孃子をくれとせがまれて居る。先日も、久須麻呂の名の歌が屆き、自分の方でも、娘に代つて返し歌を作つて遣した。今朝も今朝、又折り返して、男からの懸想文が、來てゐた。
その壻候補の父なる人は、五十になつても、若かつた頃の容色に頼む心が失せずにゐて、兄の家娘にも執心は持つて居るが、如何に何でも、あの郎女だけには、とり次げないで居る。此は、横佩家へも出入りし、大伴家へも初中終來る古刀自の、人のわるい内證話であつた。其を聞いて後、家持自身も、何だか好奇心に似たものが、どうかすると頭を擡げて來て困つた。仲麻呂は今年、五十を出てゐる。其から見れば、ひとまはりも若いおれなどは、思ひ出にまう一度、此匂やかな貌花を、垣内の坪苑に移せぬ限りはない。こんな當時の男が、皆持つた心をどりに、はなやいだ、明るい氣がした。
だが併し、あの郎女は、藤原四家の系統で一番、神さびたたちを持つて生れた、と謂はれる娘御である。今、枚岡の御神に仕へて居る齋き姫の罷める時が來ると、あの孃子が替つて立つ筈だ。其で、貴い所からのお召しにも應じかねて居るのだ。……結局、誰も彼も、あきらめねばならぬ時が來るのだ。神の物は、神の物――。横佩家の娘御は、神の手に落ちつくのだらう。
ほのかな感傷が、家持の心を淨めて過ぎた。おれは、どうもあきらめが、よ過ぎる。十を出たばかりの幼さで、母は死に、父は疾んで居る太宰府へ降つて、夙くから、海の彼方の作り物語りや、唐詩のをかしさを知り初めたのが、病みつきになつたのだ。死んだ父も、さうした物は、或は、おれよりも嗜きだつたかも知れぬほどだが、もつと物に執着が深かつた。現に、大伴の家の行く末の事なども、父はあれまで、心を惱まして居た。おれも考へれば、たまらなくなつて來る。其で、氏人を集めて喩したり、歌を作つて訓諭して見たりする。だがさうした後の氣持ちの爽やかさは、どうしたことだ。洗ひ去つた樣に、心がすつとしてしまふのだつた。まるで、初めから家の事など考へて居なかつた、とおなじすが/″\しい心になつてしまふ。
あきらめと言ふ事を、知らなかつた人ばかりではないか。……昔物語りに語られる神でも、人でも、傑れた、と傳へられる限りの方々は――。それに、おれはどうしてかうだらう。
家持の心は併し、こんなに悔恨に似た心持ちに沈んで居るに繋らず、段々氣にかゝるものが、薄らぎ出して來てゐる。
土を積んで、石に代へた垣、此頃言ひ出した築土垣といふのは、此だな、と思つて、ぢつと目をつけて居た。見る/\、さうした新しい好尚のおもしろさが、家持の心を奪うてしまつた。
築土垣の處々に、きりあけた口があつて、其に、門が出來て居た。さうして、其處から、頻りに人が繋つては出て來て、石を曳く。木を搬つ。土を搬び入れる。重苦しい石城。懷しい昔構へ。今も、家持のなくなしたくなく考へてゐる屋敷りの石垣が、思うてもたまらぬ重壓となつて、彼の胸に、もたれかゝつて來るのを感じた。
都は何時までも、家は建て詰まぬが、其でもどちらかと謂へば、減るよりも殖えて行つてゐる。此邊は以前、今頃になると、蛙めの、あやまりたい程鳴く田の原が、續いてたもんだ。
仰るとほりで御座ります。春は蛙、夏はくちなは、秋は蝗まろ。此邊はとても、歩けたところでは御座りませんでした。
あきらめがさせるのどけさなのだ、とすぐ氣がついた。でも、彼の心のふさぎのむしは迹を潜めて、唯、まるで今歩いてゐるのが、大日本平城京の土ではなく、大唐長安の大道の樣な錯覺の起つて來るのが押へきれなかつた。此馬がもつと、毛竝みのよい純白の馬で、跨つて居る自身も亦、若々しい二十代の貴公子の氣がして來る。神々から引きついで來た、重苦しい家の歴史だの、夥しい數の氏人などから、すつかり截り離されて、自由な空にかけつて居る自分でゞもあるやうな、豐かな心持ちが、暫らくは拂つても/\、消えて行かなかつた。
おれは若くもなし。第一、海東の大日本人である。おれには、憂欝な家職が、ひし/\と、肩のつまるほどかゝつて居るのだ。こんなことを考へて見ると、寂しくてはかない氣もするが、すぐに其は、自身と關係のないことのやうに、心は饒はしく和らいで來て、爲方がなかつた。
とんでもないことを仰せられます。
年の増した方の資人が、切實な胸を告白するやうに言つた。
築土垣 築土垣。もう、彼の心は動かなくなつた。唯、よいとする氣持ちと、よくないと思はうとする意思との間に、氣分だけが、あちらへ寄りこちらへよりしてゐるだけであつた。
何時の間にか、平群の丘や、色々な塔を持つた京西の寺々の見渡される、三條邊の町尻に來て居ることに、氣がついた。
家持は、門と門との間に、細かい柵をし圍らし、目隱しに枳殼の叢生を作つた家の外構への一個處に、まだ石城が可なり廣く、人丈にあまる程に築いてあるそばに、近寄つて行つた。
おれは、こんな處へ來ようと言ふ考へはなかつたのに――。だが、やつぱり、おれにはまだ/″\、若い色好みの心が、失せないで居るぞ。何だか、自分で自分をなだめる樣な、反省らしいものが出て來た。
さやうで。で御座りますが、郎女のお行くへも知れ、乳母もそちらへ行つたとか、今も人が申しましたから、落ちついたので御座りませう。
もうよい/\。では戻らう。
十
をとめの閨戸をおとなふ風は、何も、珍しげのない國中の爲來りであつた。だが其にも、曾てはさうした風の、一切行はれて居なかつたことを、主張する村々があつた。何時のほどにか、さうした村が、他村の、別々に守つて來た風習と、その古い爲來りとをふり替へることになつたのだ、と言ふ。かき上る段になれば、何の雜作もない石城だけれど、あれを大昔からとりして居た村と、さうでない村とがあつた。こんな風に、しかつめらしい説明をする宿老たちが、どうかすると居た。多分やはり、語部などの昔語りから、來た話なのであらう。踏み越えても這入れ相に見える石垣だが、大昔交された誓ひで、目に見えぬ鬼神から、人間に到るまで、あれが形だけでもある限り、入りこまぬ事になつてゐる。こんな約束が、人と鬼との間にあつて後、村々の人は石城の中に、ゆつたりと棲むことが出來る樣になつた。さうでない村々では、何者でも、垣を躍り越えて這入つて來る。其は、別の何かの爲方で、防ぐ外はなかつた。祭りの夜でなくても、村なかの男は何の憚りなく、垣を踏み越えて處女の蔀戸をほと/\と叩く。石城を圍うた村には、そんなことは、一切なかつた。だから、美し女の家に、奴隷になつて住みこんだ古の貴びともあつた。娘の父にこき使はれて、三年五年、いつか處女に會はれよう、と忍び過した、身にしむ戀物語りもあるくらゐだ。石城を掘り崩すのは、何處からでも鬼神に入りこんで來い、と呼びかけるのと同じことだ。京の年よりにもあつたし、田舍の村々では、之を言ひ立てに、ちつとでも、石城を殘して置かうと爭うた人々が、多かつたのである。
さう言ふ家々では、實例として恐しい證據を擧げた。卅年も昔、――天平八年嚴命が降つて、何事も命令のはか/″\しく行はれぬのは、朝臣が先つて行はぬからである。汝等進んで、石城を毀つて、新京の時世裝に叶うた家作りに改めよ、と仰せ下された。藤氏四流の如き、今に舊態を易へざるは、最其位に在るを顧みざるものぞ、とお咎めが降つた。此時一度、凡、石城はとり毀たれたのである。ところが、其と時を同じくして、疱瘡がはやり出した。越えて翌年、益々盛んになつて、四月北家を手初めに、京家南家と、主人から、まづ此時疫に亡くなつて、八月にはとう/\、式家の宇合卿まで仆れた。家に、防ぐ筈の石城が失せたからだ、と天下中の人が騷いだ。其でまた、とり壞した家も、ぼつ/″\舊に戻したりしたことであつた。
こんなすさまじい事も、あつて過ぎた夢だ。けれどもまだ、まざ/″\と人の心に燒きついて離れぬ、現の恐しさであつた。
其は其として、昔から家の娘を守つた邑々も、段々えたいの知れぬ村の風に感染けて、忍び夫の手に任せ傍題にしようとしてゐる。さうした求婚の風を傳へなかつた氏々の間では、此は、忍び難い流行であつた。其でも男たちは、のどかな風俗を喜んで、何とも思はぬやうになつた。が、家庭の中では、母・妻・乳母たちが、いまだにいきり立つて、さうした風儀になつて行く世間を、呪ひやめなかつた。
手近いところで言うても、大伴宿禰にせよ。藤原朝臣にせよ。さう謂ふ妻どひの式はなくて、數十代宮廷をめぐつて、仕へて來た邑々のあるじの家筋であつた。
でも何時か、さうした氏々の間にも、妻迎への式には、
南家の郎女にも、さう言ふ妻覓ぎ人が――いや人群が、とりまいて居た。唯、あの型ばかり取り殘された石城の爲に、何だか屋敷へ入ることが、物忌み―たぶう―を犯すやうな危殆な心持ちで、誰も彼も、柵まで又、門まで來ては、かいまみしてひき還すより上の勇氣が、出ぬのであつた。
通はせ文をおこすだけが、せめてものてだてゞ、其さへ無事に、姫の手に屆いて、見られてゐると言ふ、自信を持つ人は、一人としてなかつた。事實、大抵、女部屋の老女たちが、引つたくつて渡させなかつた。さうした文のとりつぎをする若人―若女房―を呼びつけて、荒けなく叱つて居る事も、度々見かけられた。
だが、郎女は、つひに一度そんな事のあつた樣子も、知らされずに來た。
其老女たちすら、郎女の天禀には、舌を捲きはじめて居た。
まことに其爲には、ゆくりない事が、幾重にも重つて起つた。姫の帳臺の後から、遠くに居る父の心盡しだつたと見えて、二卷の女手の寫經らしい物が出て來た。姫にとつては、肉縁はないが、曾祖母にも當る橘夫人の法華經、又其御胎にいらせられる―筋から申せば、大叔母御にもお當り遊ばす、今の 皇太后樣の樂毅論。此二つの卷物が、美しい裝ひで、棚を架いた上に載せてあつた。
横佩大納言と謂はれた頃から、父は此二部を、自分の魂のやうに大事にして居た。ちよつと出る旅にも、大きやかな箱に納めて、一人分の資人の荷として、持たせて行つたものである。其魂の書物を、姫の守りに留めておきながら、誰にも言はずにゐたのである。さすがに我強い刀自たちも、此見覺えのある、美しい箱が出て來た時には、暫らく撲たれたやうに、顏を見合せて居た。さうして後、後で恥しからうことも忘れて、皆聲をあげて泣いたものであつた。
郎女は、父の心入れを聞いた。姥たちの見る目には、併し豫期したやうな興奮は、認められなかつた。唯一途に素直に、心の底の美しさが匂ひ出たやうに、靜かな、美しい眼で、人々の感激する樣子を、驚いたやうに見まはして居た。
其からは、此二つの女手の「本」を、一心に習ひとほした。偶然は友を誘くものであつた。一月も立たぬ中の事である。早く、此都に移つて居た飛鳥寺―元興寺―から卷數が屆けられた。其には、難波にある帥の殿の立願によつて、佛前に讀誦した經文の名目が、書き列ねてあつた。其に添へて、一卷の縁起文が、此御館へ屆けられたのである。
父藤原豐成朝臣、亡父贈太政大臣七年の忌みに當る日に志を發して、書き綴つた「佛本傳來記」を、其後二年立つて、元興寺へ納めた。飛鳥以來、藤原氏とも關係の深かつた寺なり、本尊なのである。あらゆる念願と、報謝の心を籠めたもの、と言ふことは察せられる。其一卷が、どう言ふ訣か、二十年もたつてゆくりなく、横佩家へ戻つて來たのである。
郎女の手に、此卷が渡つた時、姫は端近く膝行り出て、元興寺の方を禮拜した。其後で、
其からと言ふものは、來る日もくる日も、此元興寺の縁起文を手寫した。内典・外典其上に又、大日本びとなる父の書いた文。指から腕腕から胸、胸から又心へ、沁み/\と深く、魂を育てる智慧の這入つて行くのを、覺えたのである。
大日本日高見の國。國々に傳はるありとある歌諺、又其舊辭。第一には、中臣の氏の神語り。藤原の家の古物語り。多くの語り詞を、絶えては考へ繼ぐ如く、語り進んでは途切れ勝ちに、呪々しく、くね/\しく、獨り語りする語部や、乳母や、嚼母たちの唱へる詞が、今更めいて、寂しく胸に蘇つて來る。
十一
郎女は、徐かに兩袖を、胸のあたりに重ねて見た。家に居た時よりは、褻れ、皺立つてゐるが、小鳥の羽には、なつて居なかつた。手をあげて唇に觸れて見ると、喙でもなかつた。やつぱり、ほつとりとした、感觸を、指の腹に覺えた。
ほゝき鳥―鶯―になつて居た方がよかつた。昔語りの孃子は、男を避けて、山の楚原へ入り込んだ。さうして、飛ぶ鳥になつた。この身は、何とも知れぬ人の俤にあくがれ出て、鳥にもならずに、こゝにかうして居る。せめて蝶飛蟲にでもなれば、ひら/\と空に舞ひのぼつて、あの山の頂へ、俤びとをつきとめに行かうもの――。
郎女の心に動き初めた叡い光りは、消えなかつた。今まで手習ひした書卷の何處かに、どうやら、法喜と言ふ字のあつた氣がする。法喜――飛ぶ鳥すらも、美しいみ佛の詞に、感けて鳴くのではなからうか。さう思へば、この鶯も、
物語りする刀自たちの話でなく、若人らの言ふことは、時たま、世の中の瑞々しい消息を傳へて來た。奈良の家の女部屋は、裏方五つ間を通した、廣いものであつた。郎女の帳臺の立ち處を一番奧にして、四つの間に、刀自・若人、凡三十人も居た。若人等は、この頃、氏々の御館ですることだと言つて、苑の池の蓮の莖を切つて來ては、藕絲を引く工夫に、一心になつて居た。横佩家の池の面を埋めるほど、珠を捲いたり、解けたりした蓮の葉は、まばらになつて、水の反射が蔀を越して、女部屋まで來るばかりになつた。莖を折つては、纎維を引き出し、其片糸を幾筋も合せては、絲に縒る。
郎女は、女たちの凝つてゐる手藝を、ぢつと見て居る日もあつた。ほうほうと切れてしまふ藕絲を、八合・十二合・二十合に縒つて、根氣よく、細い綱の樣にする。其を績み麻の麻ごけに繋ぎためて行く。奈良の御館でも、蠶は飼つて居た。實際、刀自たちは、夏は殊にせはしく、そのせゐで、不譏嫌になつて居る日が多かつた。
刀自たちは、初めは、そんな韓の技人のするやうな事は、と目もくれなかつた。だが時が立つと、段々興味を惹かれる樣子が見えて來た。
若人たちは莖を折つては、巧みに糸を引き切らぬやうに、長く/\と抽き出す。又其、粘り氣の少いさくいものを、まるで絹糸を縒り合せるやうに、手際よく絲にする間も、ちつとでも口やめる事なく、うき世語りなどをして居た。此は勿論、貴族の家庭では、出來ぬ掟になつて居た。なつては居ても、物珍でする盛りの若人たちには、口を塞いで緘默行を守ることは、死ぬよりもつらい行であつた。刀自らの油斷を見ては、ぼつ/″\話をしてゐる。其きれ/″\が、聞かうとも思はぬ郎女の耳にも、ぼつ/″\這入つて來勝ちなのであつた。
ほゝ、どうして、え――。
天竺のみ佛は、をなごは、助からぬものぢや、と説かれ/\して來たがえ、其果てに女でも救ふ道が開かれた。其を説いたのが、法華經ぢやと言ふげな。
――こんなこと、をなごの身で言ふと、さかしがりよと思はうけれど、でも、世間では、さう言ふもの――。
ぢやで、法華經々々々と經の名を唱へるだけで、この世からして、あの世界の苦しみが助かるといの。
ほんまにその、天竺のをなごが、あの鳥に化り變つて、み經の名を呼ばゝるのかえ。
ふつと、こんな氣がした。
郎女は、暫らく幾本とも知れぬその光りの筋の、閃き過ぎた色を、の裏に、見つめて居た。をとゝひの日の入り方、山の端に見た輝きが、思はずには居られなかつたからである。
また一時、盧堂をつて、音するものもなかつた。日は段々闌けて、小晝の温みが、ほの暗い郎女の居處にも、ほつとりと感じられて來た。
寺の奴が、三四人先に立つて、僧綱が五六人其に、大勢の所化たちのとり捲いた一群れが、廬へ來た。
づうと這ひ寄つて來た身狹乳母は、郎女の前に居たけを聳かして、掩ひになつた。外光の直射を防ぐ爲と、一つは男たちの前、殊には、庶民の目に、貴人の姿を暴すまい、とするのであらう。
伴に立つて來た家人の一人が、大きな木の叉枝をへし折つて來た。さうして、旅用意の卷帛を、幾垂れか、其場で之に結び下げた。其を牀につきさして、即座の竪帷―几帳―は調つた。乳母は、其前に座を占めたまゝ、何時までも動かなかつた。
十二
怒りの瀧のやうになつた額田部ノ子古は、奈良に還つて、公に訴へると言ひ出した。大和國にも斷つて、寺の奴ばらを追ひ放つて貰ふとまで、いきまいた。大師を頭に、横佩家に深い筋合ひのある貴族たちの名をあげて、其方々からも、何分の御吟味を願はずには置かぬ、と凄い顏をして、住侶たちを脅かした。
郎女は、貴族の姫で入らせられようが、寺の淨域を穢し、結界まで破られたからは、直にお還りになるやうには計はれぬ。寺の四至の境に在る所で、長期の物忌みして、その贖ひはして貰はねばならぬ、と寺方も、言ひ分はひつこめなかつた。
理分にも非分にも、これまで、南家の權勢でつき通して來た家長老等にも、寺方の扱ひと言ふものゝ、世間どほりにはいかぬ事が訣つて居た。
乳母に相談かけても、一代さう言ふ世事に與つた事のない此人は、そんな問題には、詮ない唯の、女性に過ぎなかつた。
先刻からまだ立ち去らずに居た當麻語部の嫗が、口を出した。
寺方の言ひ分に讓るなど言ふ問題は、小い事であつた。此爽やかな育ての君の判斷力と、惑ひなき詞に感じてしまつた。たゞ、涙。かうまで賢しい魂を窺ひ得て、頬に傳ふものを拭ふことも出來なかつた。子古にも、郎女の詞を傳達した。さうして、自分のまだ曾て覺えたことのない感激を、力深くつけ添へて聞かした。
萬法藏院に、唯一つ飼つて居た馬の借用を申し入れると、此は快く聽き入れてくれた。今日の日暮れまでには、立ち還りに、難波へ行つて來る、と齒のすいた口に叫びながら、郎女の竪帷に向けて、庭から匍伏した。子古の發つた後は、又のどかな春の日に戻つた。悠々と照り暮す山々を見せませう、と乳母が言ひ出した。木立ち山陰から盜み見する者のないやうに、家人らを、一町・二町先まで見張りに出して、郎女を、外に誘ひ出した。
暴風雨の夜、添下・廣瀬・葛城の野山を、かちあるきした娘御ではなかつた。乳母と今一人、若人の肩に手を置きながら、歩み出た。
日の光りは、霞みもせず、陽炎も立たず、唯をどんで見えた。昨日眺めた野も、斜になつた日を受けて、物の影が細長く靡いて居た。青垣の樣にとりまく山々も、愈々遠く裾を曳いて見えた。
早い菫―げんげ―が、もうちらほら咲いてゐる。遠く見ると、その赤々とした紫が一續きに見えて、夕燒け雲がおりて居るやうに思はれる。足もとに一本、おなじ花の咲いてゐるのを見つけた郎女は、膝を叢について、ぢつと眺め入つた。
すみれ、と申すとのことで御座ります。
近々と、谷を隔てゝ、端山の林や、崖の幾重も重つた上に、二上の男嶽の頂が、赤い日に染つて立つてゐる。
今日は、又あまりに靜かな夕である。山ものどかに、夕雲の中に這入つて行かうとしてゐる。
十三
「朝目よく」うるはしい兆を見た昨日は、郎女にとつて、知らぬ經驗を、後から後から展いて行つたことであつた。たゞ人の考へから言へば、苦しい現實のひき續きではあつたのだが、姫にとつては、心驚く事ばかりであつた。一つ/\變つた事に逢ふ度に、「何も知らぬ身であつた」、と姫の心の底の聲が揚つた。さうして、その事毎に、挨拶をしてはやり過したい氣が、一ぱいであつた。今日も其續きを、くはしく見た。
なごり惜しく過ぎ行く現し世のさま/″\。郎女は、今目を閉ぢて、心に一つ/\收めこまうとして居る。ほのかに通り行き、將著しくはためき過ぎたもの――。宵闇の深くならぬ先に、廬のまはりは、すつかり手入れがせられて居た。燈臺も大きなのを、寺から借りて來て、煌々と、油火が燃えて居る。明王像も、女人のお出での場處には、すさまじいと言ふ者があつて、どこかへ搬んで行かれた。其よりも、郎女の爲には、帳臺の設備はれてゐる安らかさ。今宵は、夜も、暖かであつた。帷帳を周らした中は、ほの暗かつた。其でも、山の鬼神、野の魍魎を避ける爲の燈の渦が、ぼうと梁に張り渡した頂板に搖めいて居るのが、たのもしい氣を深めた。帳臺のまはりには、乳母や、若人が寢たらしい。其ももう、一時も前の事で、皆すや/\と寢息の音を立てゝ居る。姫の心は、今は輕かつた。
たとへば、俤に見たお人には逢はずとも、その俤を見た山の麓に來て、かう安らかに身を横へて居る。
燈臺の明りは、郎女の額の上に、高く朧ろに見える光の輪を作つて居た。月のやうに圓くて、幾つも上へ/\と、月輪の重つてゐる如くも見えた。其が、隙間風の爲であらう。時々薄れて行くと、一つの月になつた。ぽうつと明り立つと、幾重にも隈の疊まつた、大きな圓かな光明になる。
幸福に充ちて、忘れて居た姫の耳に、今宵も谷の響きが聞え出した。更けた夜空には、今頃やつと、遲い月が出たことであらう。
物の音。――つた つたと來て、ふうと佇ち止るけはひ。耳をすますと、元の寂かな夜に――激ち降る谷のとよみ。
この狹い廬の中を、何時まで歩く、跫音だらう。
刀自もがも。女弟もがも。
その子の はらからの子の
處女子の 一人
一人だに わが配偶に來よ
帷帳がふはと、風を含んだ樣に皺だむ。
ついと、凍る樣な冷氣――。
郎女は目を瞑つた。だが――瞬間睫の間から映つた細い白い指、まるで骨のやうな――帷帳を掴んだ片手の白く光る指。
さつと――汗。全身に流れる冷さを覺えた。畏い感情を持つたことのないあて人の姫は、直に動顛した心を、とり直すことが出來た。
白い骨、譬へば白玉の竝んだ骨の指、其が何時までも目に殘つて居た。帷帳は元のまゝに垂れて居る。だが、白玉の指ばかりは細々と、其に絡んでゐるやうな氣がする。
悲しさとも、懷しみとも知れぬ心に、深く、郎女は沈んで行つた。山の端に立つた俤びとは、白々とした掌をあげて、姫をさし招いたと覺えた。だが今、近々と見る其手は、海の渚の白玉のやうに、からびて寂しく、目にうつる。
長い渚を歩いて行く。郎女の髮は、左から右から吹く風に、あちらへ靡き、こちらへ亂れする。浪はたゞ、足もとに寄せてゐる。渚と思うたのは、海の中道である。浪は兩方から打つて來る。どこまでも/\、海の道は續く。郎女の足は、砂を踏んでゐる。その砂すらも、段々水に掩はれて來る。砂を踏む。踏むと思うて居る中に、ふと其が、白々とした照る玉だ、と氣がつく。姫は身を屈めて、白玉を拾ふ。拾うても/\、玉は皆、掌に置くと、粉の如く碎けて、吹きつける風に散る。其でも、玉を拾ひ續ける。玉は水隱れて、見えぬ樣になつて行く。姫は悲しさに、もろ手を以て掬はうとする。掬んでも/\、水のやうに手股から流れ去る白玉――。玉が再、砂の上につぶ/\竝んで見える。忙しく拾はうとする姫の俯いた背を越して、流れる浪が泡立つてとほる。
姫は――やつと、白玉を取りあげた。輝く、大きな玉。さう思うた刹那、郎女の身は、大浪にうち仆される。浪に漂ふ身……衣もなく、裳もない。抱き持つた等身の白玉と一つに、水の上に照り輝く現し身。
ずん/\とさがつて行く。水底に水漬く白玉なる郎女の身は、やがて又、一幹の白い珊瑚の樹である。脚を根、手を枝とした水底の木。頭に生ひ靡くのは、玉藻であつた。玉藻が、深海のうねりのまゝに、搖れて居る。やがて、水底にさし入る月の光り――。ほつと息をついた。
まるで、潜きする海女が二十尋・三十尋の水底から浮び上つて嘯く樣に、深い息の音で、自身明らかに目が覺めた。
あゝ夢だつた。當麻まで來た夜道の記憶は、まざ/″\と殘つて居るが、こんな苦しさは覺えなかつた。だがやつぱり、をとゝひの道の續きを辿つて居るらしい氣がする。
水の面からさし入る月の光り。さう思うた時は、ずん/″\海面に浮き出て來た。さうして悉く、跡形もない夢だつた。唯、姫の仰ぎ寢る頂板に、あゝ、水にさし入つた月。そこに以前のまゝに、幾つも暈の疊まつた月輪の形が、搖めいて居る。
姫は、起き直つた。天井の光りの輪が、元のまゝに、たゞ仄かに事もなく搖れて居た。
十四
かうして對ひあつて居る主人の顏なり、姿なりが、其まゝあの廬遮那ほとけの俤だ、と言つて、誰が否まう。
家に居る時だけは、やはり神代以來の氏上づきあひが、えゝ。
大きに、其は、身も賛成ぢや。ぢやが、お身がその年になつても、まだ二十代の若い心や、瑞々しい顏を持つて居るのは、宋玉のおかげぢやぞ。まだなか/\隱れては歩き居る、と人の噂ぢやが、嘘ぢやなからう。身が保證する。おれなどは、張文成ばかり古くから讀み過ぎて、早く精氣の盡きてしまうた心持ちがする。――ぢやが全く、文成はえゝなう。あの仁に會うて來た者の話では、豬肥えのした、唯の漢土びとぢやつたげなが、心はまるで、やまとのものと、一つと思ふが、お身なら、諾うてくれるだらうの。
文成に限る事ではおざらぬが、あちらの物は、讀んで居て、知らぬ事ばかり教へられるやうで、時々ふつと思ひ返すと、こんな思はざつた考へを、いつの間にか、持つてゐる――そんな空恐しい氣さへすることが、ありますて。お身さまにも、そんな經驗は、おありでがな。
大ありおほ有り。毎日々々、其よ。しまひに、どうなるのぢや。こんなに智慧づいては、と思はれてならぬことが――。ぢやが、女子だけには、まづ當分、女部屋のほの暗い中で、こんな智慧づかぬ、のどかな心で居させたいものぢや。第一其が、われ/\男の爲ぢやて。
大きに。
此は――。額ざまに切りつけるぞ――。免せ/\と言ふところぢやが、――あれはの、生れだちから違ふものな。藤原の氏姫ぢやからの。枚岡の齋き姫にあがる宿世を持つて生れた者ゆゑ、人間の男は、彈く、彈く、彈きとばす。近よるまいぞよ。はゝはゝゝ。
第一、場處が、あの當麻で見つかつたと言ひますからの――。
併し其は、藤原に全く縁のない處でもない。天ノ二上は、中臣壽詞にもあるし……。齋き姫もいや、人の妻と呼ばれるのもいや――で、尼になる氣を起したのでないか、と考へると、もう不安で不安でなう。のどかな氣持ちばかりでも居られぬて――。
ぢやが、お身さま。一人出家すれば、と云ふ詞が、この頃はやりになつて居りますが……。
九族が天に生じて、何になるといふのぢや。寶は何百人かゝつても、作り出せるものではないぞよ。どだい兄公殿が、少し佛凝りが過ぎるでなう――。自然内うらまで、そんな氣風がしみこむやうになつたかも知れぬぞ――。時に、お身のみ館の郎女も、そんな育てはしてあるまいな。其では、家の久須麻呂が泣きを見るからの。
庭を立派にして住んだ、うま人たちの末々の樣が、兵部大輔の胸に來た。瞬間、憂欝な氣持ちがかぶさつて來て、前にゐる大師の顏を見るのが、氣の毒な樣に思はれる。
長い廊を、數人の童が續いて來る。
氣にするな。氣にするな。氣にしたとて、どう出來るものか。此は――もう、人間の手へは、戻らぬかも知れんぞ。
十五
絶望のまゝ、幾晩も仰ぎ寢たきりで、目は晝よりも寤めて居た。其間に起る夜の間の現象には、一切心が留らなかつた。現にあれほど、郎女の心を有頂天に引き上げた頂板の面の光り輪にすら、明盲ひのやうに、注意は惹かれなくなつてゐる。こゝに來て、疾くに、七日は過ぎ、十日・半月になつた。山も、野も、春のけしきが整うて居た。野茨の花のやうだつた小櫻が散り過ぎて、其に次ぐ山櫻が、谷から峰かけて、斷續しながら咲いてゐるのも見える。麥原は、驚くばかり伸び、里人の野爲事に出た姿が、終日、そのあたりに動いてゐる。
都から來た人たちの中、何時までこの山陰に、春を起き臥すことか、と佗びる者が殖えて行つた。廬堂の近くに掘り立てた板屋に、かう長びくと思はなかつたし、まだどれだけ續くかも知れぬ此生活に、家ある者は、妻子に會ふことばかりを考へた。親に養はれる者は、家の父母の外にも、隱れた戀人を思ふ心が、切々として來るのである。女たちは、かうした場合にも、平氣に近い感情で居られる長い暮しの習しに馴れて、何か、と爲事を考へてはして居る。女方の小屋は、男のとは別に、もつと廬に接して建てられて居た。
身狹乳母の思ひやりから、男たちの多くは、唯さへ小人數な奈良の御館の番に行け、と言つて還され、長老一人の外は、唯雜用をする童と、奴隷位しか殘らなかつた。
乳母や、若人たちも、薄々は帳臺の中で夜を久しく起きてゐる、郎女の樣子を感じ出して居た。でも、なぜさう夜深く溜め息ついたり、うなされたりするか、知る筈のない昔かたぎの女たちである。
やはり、郎女の魂があくがれ出て、心が空しくなつて居るもの、と單純に考へて居る。ある女は、魂ごひの爲に、山尋ねの咒術をして見たらどうだらう、と言つた。
乳母は一口に言ひ消した。姫樣、當麻に御安著なされた其夜、奈良の御館へ計はずに、私にした當麻眞人の家人たちの山尋ねが、わるい結果を呼んだのだ。當麻語部とか謂つた蠱物使ひのやうな婆が、出しやばつての差配が、こんな事を惹き起したのだ。
その節、山の峠の塚で起つた不思議は、噂になつて、この貴人一家の者にも、知れ渡つて居た。あらぬ者の魂を呼び出して、郎女樣におつけ申しあげたに違ひない。もう/\、輕はずみな咒術は、思ひとまることにしよう。かうして、魂の游離れ出た處の近くにさへ居れば、やがては、元のお身になり戻り遊されることだらう。こんな風に考へて、乳母は唯、氣長に氣ながに、と女たちを諭し/\した。
こんな事をして居る中に、早一月も過ぎて櫻の後、暫らく寂しかつた山に、躑躅が燃え立つた。足も行かれぬ崖の上や、巖の腹などに、一群々々咲いて居るのが、奧山の春は今だ、となのつて居るやうである。
ある日は、山へ/\と、里の娘ばかりが上つて行くのを見た。凡數十人の若い女が、何處で宿つたのか、其次の日、てんでに赤い山の花を髮にかざして、降りて來た。廬の庭から見あげた若女房の一人が、山の躑躅林が練つて降るやうだ、と聲をあげた。
ぞよ/\と廬の前を通る時、皆頭をさげて行つた。其中の二三人が、つくねんとして暮す若人たちの慰みに呼び入れられて、板屋の端へ來た。當麻の田居も、今は苗代時である。やがては田植ゑをする。其時は、見に出やしやれ。こんな身でも、其時はずんと、をなごぶりが上るぞな、と笑ふ者もあつた。
もつと變つた話を聞かせぬかえと誘はれて、身分に高下はあつても、同じ若い同士のことゝて、色々な田舍咄をして行つた。其を後に乳母たちが聽いて、氣にしたことがあつた。山ごもりして居ると、小屋の上の崖をどう/″\と踏みおりて來る者がある。ようべ、眞夜中のことである。一樣にうなされて、苦しい息をついてゐると、音はそのまゝ、眞下へ眞下へ、降つて行つた。がら/″\と、岩の崩える響。――ちようど其が、此廬堂の眞上の高處に當つて居た。こんな處に道はない筈ぢやが、と今朝起きぬけに見ると、案の定、赤岩の大崩崖。ようべの音は、音ばかりで、ちつとも痕は殘つて居なかつた。
其で思ひ合せられるのは、此頃ちよく/\、子から丑の間に、里から見えるこのあたりの峰の上に、光り物がしたり、時ならぬ一時颪の凄い唸りが、聞えたりする。今までつひに聞かぬこと。里人は唯かう、恐れ謹しんで居る、とも言つた。
こんな話を殘して行つた里の娘たちも、苗代田の畔に、めい/\のかざしの躑躅花をして歸つた。其は晝のこと、田舍は田舍らしい閨の中に、今は寢ついたであらう。夜はひた更けに、更けて行く。
晝の恐れのなごりに、寢苦しがつて居た女たちも、おびえ疲れに寢入つてしまつた。頭上の崖で、寢鳥の鳴き聲がした。郎女は、まどろんだとも思はぬ目を、ふつと開いた。續いて今ひと響き、びしとしたのは、鳥などの、翼ぐるめひき裂かれたらしい音である。だが其だけで、山は音どころか、生き物も絶えたやうに、虚しい空間の闇に、時間が立つて行つた。郎女の額の上の天井の光りの暈が、ほの/″\と白んで來る。明りの隈はあちこちに偏倚つて、光りを竪にくぎつて行く。と見る間に、ぱつと明るくなる。そこに大きな花。蒼白い菫。その花びらが、幾つにも分けて見せる隈、佛の花の青蓮華と言ふものであらうか。郎女の目には、何とも知れぬ淨らかな花が、車輪のやうに、宙にぱつと開いてゐる。仄暗い蕋の處に、むら/\と雲のやうに、動くものがある。黄金の蕋をふりわける。其は黄金の髮である。髮の中から匂ひ出た莊嚴な顏。閉ぢた目が、憂ひを持つて、見おろして居る。あゝ肩・胸・顯はな肌。――冷え/″\とした白い肌。をゝ おいとほしい。
郎女は、自身の聲に、目が覺めた。夢から續いて、口は尚夢のやうに、語を逐うて居た。
十六
山の躑躅の色は、樣々ある。一つ色のものだけが、一時に咲き出して、一時に萎む。さうして、凡一月は、後から後から替つた色のが匂ひ出て、禿げた岩も、一冬のうら枯れをとり返さぬ柴木山も、若夏の青雲の下に、はでなかざしをつける。其間に、藤の短い花房が、白く又紫に垂れて、老い木の幹の高さを、せつなく、寂しく見せる。下草に交つて、馬醉木が雪のやうに咲いても、花めいた心を、誰に起させることもなしに、過ぎるのがあはれである。
もう此頃になると、山は厭はしいほど緑に埋れ、谷は深々と、繁りに隱されてしまふ。郭公は早く鳴き嗄らし、時鳥が替つて、日も夜も鳴く。
草の花が、どつと怒濤の寄せるやうに咲き出して、山全體が花原見たやうになつて行く。里の麥は刈り急がれ、田の原は一樣に青みわたつて、もうこんなに伸びたか、と驚くほどになる。家の庭苑にも、立ち替り咲き替つて、栽ゑ木、草花が、何處まで盛り續けるかと思はれる。だが其も一盛りで、坪はひそまり返つたやうな時が來る。池には葦が伸び、蒲が秀き、藺が抽んでゝ來る。遲々として、併し忘れた頃に、俄かに伸し上るやうに育つのは、蓮の葉であつた。
前年から今年にかけて、海の彼方の新羅の亡状が、目立つて棄て置かれぬものに見えて來た。太宰府からは、軍船を新造して新羅征伐の設けをせよ、と言ふ命のお降しを、度々都へ請うておこして居た。此忙しい時に、偶然流人太宰府員外帥として、難波に居た横佩家の豐成は、思ひがけぬ日々を送らねばならなかつた。
都の姫の事は、子古の口から聽いて知つたし、又、京・難波の間を往來する頻繁な公私の使ひに、文をことづてる事は易かつたけれども、どう處置してよいか、途方に昏れた。ちよつと見は何でもない事の樣で、實は重大な、家の大事である。其だけに、常の優柔不斷な心癖は、益々つのるばかりであつた。
寺々の知音に寄せて、當麻寺へ、よい樣に命じてくれる樣に、と書いてもやつた。又處置方について伺うた横佩墻内の家の長老・刀自たちへは、ひたすら汝等の主の女郎を護つて居れ、と言ふやうな、抽象風なことを、答へて來たりした。
次の消息には、何かと具體した仰せつけがあるだらう、と待つて居る間に、日が立ち、月が過ぎて行くばかりである。其間にも、姫の失はれたと見える魂が、お身に戻るか、其だけの望みで、人々は、山村に止つて居た。物思ひに、屈託ばかりもして居ぬ若人たちは、もう池のほとりにおり立つて、伸びた蓮の莖を切り集め出した。其を見て居た寺の婢女が、其はまだ若い、まう半月もおかねばと言つて、寺領の一部に、蓮根を取る爲に作つてあつた蓮田へ、案内しよう、と言ひ出した。
あて人の家自身が、それ/\、農村の大家であつた。其が次第に、官人らしい姿に更つて來ても、家庭の生活には、何時までたつても、何處か農家らしい樣子が、殘つて居た。家構へにも、屋敷の廣場にも、家の中の雜用具にも。第一、女たちの生活は、起居ふるまひなり、服裝なりは、優雅に優雅にと變つては行つたが、やはり昔の農家の家内の匂ひがつき纒うて離れなかつた。刈り上げの秋になると、夫と離れて暮す年頃に達した夫人などは、よく其家の遠い田莊へ行つて、數日を過して來るやうな習しも、絶えることなく、くり返されて居た。
だから、刀自たちは固より若人らも、つくねんと女部屋の薄暗がりに、明し暮して居るのではなかつた。てんでに、自分の出た村方の手藝を覺えて居て、其を、仕へる君の爲に爲出さう、と出精してはたらいた。
裳の襞を作るのに珍い術を持つた女などが、何でもないことで、とりわけ重寶がられた。袖の先につける鰭袖を美しく爲立てゝ、其に、珍しい縫ひとりをする女なども居た。こんなのは、どの家庭にもある話でなく、かう言ふ若人をおきあてた家は、一つのよい見てくれを世間に持つ事になるのだ。一般に、染めや、裁ち縫ひが、家々の顏見合はぬ女どうしの競技のやうに、もてはやされた。摺り染めや、擣ち染めの技術も、女たちの間には、目立たぬ進歩が年々にあつたが、浸で染めの爲の染料が、韓の技工人の影響から、途方もなく變化した。紫と謂つても、茜と謂つても、皆、昔の樣な、染め漿の處置はせなくなつた。さうして、染め上りも、艶々しく、はでなものになつて來た。表向きは、かうした色の禁令が、次第に行きわたつて來たけれど、家の女部屋までは、官の目も屆くはずはなかつた。
家庭の主婦が、居まはりの人を促したてゝ、自身も精勤してするやうな爲事は、あて人の家では、刀自等の受け持ちであつた。若人たちも、田畠に出ぬと言ふばかりで、家の中での爲事は、まだ見參をせずにゐた田舍暮しの時分と、大差はなかつた。とりわけ違ふのは、其家々の神々に仕へると言ふ、誇りはあるが、小むつかしい事がつけ加へられて居る位のことである。外出には、下人たちの見ぬ樣に、笠を深々とかづき、其下には、更に薄帛を垂らして出かけた。
一時たゝぬ中に、婢女ばかりでなく、自身たちも、田におりたつたと見えて、泥だらけになつて、若人たち十數人は、戻つて來た。皆手に手に、張り切つて發育した、蓮の莖を抱へて、廬の前に竝んだのには、常々くすりとも笑はぬ乳母たちさへ、腹の皮をよつて切ながつた。
めつさうなこと、仰せられます。
其日からもう、若人たちの絲縒りは初まつた。夜は、閨の闇の中で寢る女たちには、稀に男の聲を聞くこともある、奈良の垣内住ひが、戀しかつた。朝になると又、何もかも忘れたやうになつて績み貯める。
さうした絲の、六かせ七かせを持つて出て、郎女に見せたのは、其數日後であつた。
刀自は、驚いて姫の詞を堰き止めた。
全く些しの惡意もまじへずに、言ひたいまゝの氣持ちから、
刀自は、若人を呼び集めて、
さればの――。
ゆくりない聲が、郎女の口から洩れた。
板屋の前には、俄かに、蓮の莖が乾し竝べられた。さうして其が乾くと、谷の澱みに持ち下りて浸す。浸しては晒し、晒しては水に漬でた幾日の後、筵の上で槌の音高く、こも/″\、交々と叩き柔らげた。
その勤しみを、郎女も時には、端近くゐざり出て見て居た。咎めようとしても、思ひつめたやうな目して見入つて居る姫を見ると、刀自は口を開くことが出來なくなつた。
日晒しの莖を、八針に裂き、其を又、幾針にも裂く。郎女の物言はぬまなざしが、ぢつと若人たちの手もとをまもつて居る。
果ては、刀自も言ひ出した。
十七
彼岸中日 秋分の夕。朝曇り後晴れて、海のやうに深碧に凪いだ空に、晝過ぎて、白い雲が頻りにちぎれ/\に飛んだ。其が門渡る船と見えてゐる内に、暴風である。空は愈々青澄み、昏くなる頃には、藍の樣に色濃くなつて行つた。見あげる山の端は、横雲の空のやうに、茜色に輝いて居る。
大山颪。木の葉も、枝も、顏に吹きつけられる程の物は、皆活きて青かつた。板屋は吹きあげられさうに、煽りきしんだ。若人たちは、悉く郎女の廬に上つて、刀自を中に、心を一つにして、ひしと顏を寄せた。たゞ互の顏の見えるばかりの緊張した氣持ちの間に、刻々に移つて行く風。西から眞正面に吹きおろしたのが、暫らくして北の方から落して來た。やがて、風は山を離れて、平野の方から、山に向つてひた吹きに吹きつけた。峰の松原も、空樣に枝を掻き上げられた樣になつて、悲鳴を續けた。谷から峰の上に生え上つて居る萱原は、一樣に上へ/\と糶り昇るやうに、葉裏を返して扱き上げられた。
家の中は、もう暗くなつた。だがまだ見える庭先の明りは、黄にかつきりと、物の一つ/\を、鮮やかに見せて居た。
身狹ノ乳母は、今の今まで、姫の側に寄つて、後から姫を抱へて居たのである。皆の人のけはひで、覺め難い夢から覺めたやうに、目をみひらくと、あゝ、何時の間にか、姫は嫗の兩腕兩膝の間には、居させられぬ。一時に、慟哭するやうな感激が來た。だが長い訓練が、老女の心をとり戻した。凛として、反り返る樣な力が、湧き上つた。
あっし あっし あっし。
姫は、山田の道場のから仰ぐ空の狹さを悲しんでゐる間に、何時かこゝまで來て居たのである。淨域を穢した物忌みにこもつてゐる身、と言ふことを忘れさせぬものが、其でも心の隅にあつたのであらう。門の閾から、伸び上るやうにして、山の際の空を見入つて居た。
暫らくおだやんで居た嵐が、又山につたらしい。だが、寺は物音もない黄昏だ。
男嶽と女嶽との間になだれをなした大きな曲線が、又次第に兩方へ聳つて行つてゐる、此二つの峰の間の廣い空際。薄れかゝつた茜の雲が、急に輝き出して、白銀の炎をあげて來る。山の間に充滿して居た夕闇は、光りに照されて、紫だつて動きはじめた。
さうして暫らくは、外に動くものゝない明るさ。山の空は、唯白々として、照り出されて居た。
肌 肩 脇 胸 豐かな姿が、山の尾上の松原の上に現れた。併し、俤に見つゞけた其顏ばかりは、ほの暗かつた。
明るいのは、山際ばかりではなかつた。地上は、砂の數もよまれるほどである。
しづかに しづかに雲はおりて來る。萬法藏院の香殿・講堂・塔婆樓閣・山門僧房・庫裡、悉く金に、朱に、青に、晝より著く見え、自ら光りを發して居た。庭の砂の上にすれ/\に、雲は搖曳して、そこにあり/\と半身を顯した尊者の姿が、手にとる樣に見えた。匂ひやかな笑みを含んだ顏が、はじめて、まともに郎女に向けられた。伏し目に半ば閉ぢられた目は、此時、姫を認めたやうに、清しく見ひらいた。輕くつぐんだ脣は、この女性に向うて、物を告げてゞも居るやうに、ほぐれて見えた。
郎女は尊さに、目の低れて來る思ひがした。だが、此時を過してはと思ふ一心で、御姿から、目をそらさなかつた。
あて人を讃へるものと、思ひこんだあの詞が、又心から迸り出た。
姫が、目送する間もない程であつた。忽、二上山の山の端に溶け入るやうに消えて、まつくらな空ばかりの、たなびく夜になつて居た。
十八
當麻の邑は、此頃、一本の草、一塊の石すら、光りを持つほど、賑ひ充ちて居る。
當麻眞人家の氏神當麻彦の社へ、祭り時に外れた昨今、急に、氏ノ上の拜禮があつた。故上總守老ノ眞人以來、暫らく絶えて居たことである。
其上、まう二三日に迫つた八月の朔日には、奈良の宮から、勅使が來向はれる筈になつて居た。當麻氏から出られた大夫人のお生み申された宮の御代に、あらたまることになつたからである。
廬堂の中は、前よりは更に狹くなつて居た。郎女が、奈良の御館からとり寄せた高機を、設てたからである。機織りに長けた女も、一人や二人は、若人の中に居た。此女らの動かして見せる筬や梭の扱ひ方を、姫はすぐに會得した。機に上つて日ねもす、時には終夜、織つて見るけれど、蓮の絲は、すぐに圓になつたり、斷れたりした。其でも、倦まずにさへ織つて居れば、何時か織りあがるもの、と信じてゐる樣に、脇目からは見えた。
乳母は、人に見せた事のない憂はしげな顏を、此頃よくしてゐる。
今の間にどし/″\績んで置かいでは―。
さうして、女たちの刈りとつた蓮積み車が、廬に戻つて來ると、何よりも先に、田居への降り道に見た、當麻の邑の騷ぎの噂である。
惠美の御館の叔父君の世界、見るやうな世になつた。
兄御を、帥の殿に落しておいて、御自身はのり越して、内相の、大師の、とおなりのぼりの御心持ちは、どうあらうなう――。
晝の中多く出た虻は、潜んでしまつたが、蚊は仲秋になると、益々あばれ出して來る。日中の興奮で、皆は正體もなく寢た。身狹までが、姫の起き明す燈の明りを避けて、隅の物陰に、深い鼾を立てはじめた。
郎女は、斷れては織り、織つては斷れ、手がだるくなつてもまだ梭を放さうともせぬ。
だが、此頃の姫の心は、滿ち足らうて居た。あれほど、夜々見て居た俤人の姿も見ずに、安らかな氣持ちが續いてゐるのである。
「此機を織りあげて、はやうあの素肌のお身を、掩うてあげたい。」
其ばかり考へて居る。世の中になし遂げられぬものゝあると言ふことを、あて人は知らぬのであつた。
はた はた ちよう……。
郎女は、溜め息をついた。乳母に問うても、知るまい。女たちを起して聞いた所で、滑らかに動かすことはえすまい。
あて人の姫は、何處から來た人とも疑はなかつた。唯、さうした好意ある人を、豫想して居た時なので、
女は、尼であつた。髮を切つて尼そぎにした女は、其も二三度は見かけたことはあつたが、剃髮した尼には會うたことのない姫であつた。
たか行くや 隼別の御被服料――さうお答へなされたとなう。
この中申し上げた滋賀津彦は、やはり隼別でもおざりました。天若日子でもおざりました。天の日に矢を射かける――。
併し、極みなく美しいお人でおざりましたがよ。截りはたり ちようちよう。それ―、早く織らねば、やがて、岩牀の凍る冷い冬がまゐりますがよ――。
十九
望の夜の月が冴えて居た。若人たちは、今日、郎女の織りあげた一反の上帛を、夜の更けるのも忘れて、見讃して居た。
のやうで、韓織のやうで、――やつぱり、此より外にはない、清らかな上帛ぢや。
長月の空は、三日の月のほのめき出したのさへ、寒く眺められる。この夜寒に、俤人の肩の白さを思ふだけでも、堪へられなかつた。
裁ち縫ふわざは、あて人の子のする事ではなかつた。唯、他人の手に觸れさせたくない。かう思ふ心から、解いては縫ひ、縫うてはほどきした。現し世の幾人にも當る大きなお身に合ふ衣を、縫ふすべを知らなかつた。せつかく織り上げた上帛を、裁つたり截つたり、段々布は狹くなつて行く。
女たちも、唯姫の手わざを見て居るほかはなかつた。何を縫ふものとも考へ當らぬ囁きに、日を暮すばかりである。
其上、日に増し、外は冷えて來る。人々は一日も早く、奈良の御館に歸ることを願ふばかりになつた。郎女は、暖かい晝、薄暗い廬の中で、うつとりとしてゐた。その時、語部の尼が歩み寄つて來るのを、又まざ/″\と見たのである。
あつたら、惜しやの。
「これでは、あまり寒々としてゐる。殯の庭の棺にかけるひしきもの―喪氈―、とやら言ふものと、見た目にかはりはあるまい。」
二十
もう、世の人の心は賢しくなり過ぎて居た。獨り語りの物語りなどに、信をうちこんで聽く者のある筈はなかつた。聞く人のない森の中などで、よく、つぶ/\と物言ふ者がある、と思うて近づくと、其が、語部の家の者だつたなど言ふ話が、どの村でも笑ひ咄のやうに言はれるやうな世の中になつて居た。當麻語部の嫗なども、都の上の、もの疑ひせぬ清い心に、知る限りの事を語りかけようとした。だが、忽違つた氏の語部なるが故に、追ひ退けられたのであつた。
さう言ふ聽きてを見あてた刹那に、持つた執心の深さ。その後、自身の家の中でも、又廬堂に近い木立ちの陰でも、或は其處を見おろす山の上からでも、郎女に向つてする、ひとり語りは續けられて居た。
今年八月、當麻の氏人に縁深いお方が、めでたく世にお上りなされたあの時こそ、再己が世が來た、とほくそ笑みをした――が、氏の神祭りにも、語部を請じて、神語りを語らさうともせられなかつた。ひきついであつた、勅使の參向の節にも、呼び出されて、當麻氏の古物語りを奏上せい、と仰せられるか、と思うて居た豫期も、空頼みになつた。
此はもう、自身や、自身の祖たちが、長く覺え傳へ、語りついで來た間、かうした事に行き逢はうとは考へもつかなかつた時代が來たのだ、と思うた瞬間、何もかも、見知らぬ世界に追放はれてゐる氣がして、唯驚くばかりであつた。娯しみを失ひきつた語部の古婆は、もう飯を喰べても、味は失うてしまつた。水を飮んでも、口をついて、獨り語りが囈語のやうに出るばかりになつた。
秋深くなるにつれて、衰への、目立つて來た姥は、知る限りの物語りを、喋りつゞけて死なう、と言ふ腹をきめた。さうして、郎女の耳に近い處を、ところをと覓めて、さまよひ歩くやうになつた。
郎女は、奈良の家に送られたことのある、大唐の彩色の數々を思ひ出した。其を思ひついたのは、夜であつた。今から、横佩墻内へ馳けつけて、彩色を持つて還れ、と命ぜられたのは、女の中に、唯一人殘つて居た長老である。つひしか、こんな言ひつけをしたことのない郎女の、性急な命令に驚いて、女たちは復、何か事の起るのではないか、とおど/″\して居た。だが、身狹乳母の計ひで、長老は澁々、夜道を、奈良へ向つて急いだ。あくる日、繪具の屆けられた時、姫の聲ははなやいで、興奮りかに響いた。
女たちの噂して居た、袈裟で謂へば、五十條の大衣とも言ふべき、藕絲の上帛の上に、郎女の目はぢつとすわつて居た。やがて筆は、愉しげにとり上げられた。線描きなしに、うちつけに繪具を塗り進めた。美しい彩畫は、七色八色の虹のやうに、郎女の目の前に、輝き増して行く。
姫は、緑青を盛つて、層々うち重る樓閣伽藍の屋根を表した。數多い柱や、廊の立ち續く姿が、目赫くばかり、朱で彩みあげられた。むら/\と靉くものは、紺青の雲である。紫雲は一筋長くたなびいて、中央根本堂とも見える屋の上から、畫きおろされた。雲の上には金泥の光り輝く靄が、漂ひはじめた。姫の命を搾るまでの念力が、筆のまゝに動いて居る。やがて金色の雲氣は、次第に凝り成して、照り充ちた色身――現し世の人とも見えぬ尊い姿が顯れた。
郎女は唯、先の日見た、萬法藏院の夕の幻を、筆に追うて居るばかりである。堂・塔伽藍すべては、當麻のみ寺のありの姿であつた。だが、彩畫の上に湧き上つた宮殿樓閣は、兜率天宮のたゝずまひさながらであつた。しかも、其四十九重の寶宮の内院に現れた尊者の相好は、あの夕、近々と目に見た俤びとの姿を、心に覓めて描き顯したばかりであつた。
刀自・若人たちは、一刻々々、時の移るのも知らず、身ゆるぎもせずに、姫の前に開かれて來る光りの霞に、唯見呆けて居るばかりであつた。
郎女が、筆をおいて、にこやかな笑ひを、圓く跪坐る此人々の背におとしながら、のどかに併し、音もなく、山田の廬堂を立去つた刹那、心づく者は一人もなかつたのである。まして、戸口に消える際に、ふりかへつた姫の輝くやうな頬のうへに、細く傳ふものゝあつたのを知る者の、ある訣はなかつた。
姫の俤びとに貸す爲の衣に描いた繪樣は、そのまゝ曼陀羅の相を具へて居たにしても、姫はその中に、唯一人の色身の幻を描いたに過ぎなかつた。併し、殘された刀自・若人たちの、うち瞻る畫面には、見る/\數千地涌の菩薩の姿が、浮き出て來た。其は、幾人の人々が、同時に見た、白日夢のたぐひかも知れぬ。