そういう怖い仲間とはまるで感じのちがう×というのが居た。うちは何商売だったか分らないが、その家の店先に小鳥の籠がいくつか並べてあった。梟が撞木に止まってまじまじ尤もらしい顔をしていたこともあった。しかし小鳥屋専門の店ではなかったような気がする。
その×は色の白い女のように優しい子であったが、それが自分に対して特別に優し味と柔らか味のある一風変った友達として接近していた。外の事は覚えていないがただ一事はっきり覚えているのは、この子が自分にときどき梟をやろうとか時鳥をやろうとかまた鷹をやろうとかいう申し出しをしたことである。但しそれには交換条件があって、おまえのもっている墨とかナイフとかを呉れたら、というのであった。自分はどういう訳かその鷹がひどく欲しかったので、彼の申込みに応じて品は忘れたが彼の要求するものを引渡した。そうしていよいよ鷹が貰えると思って夜が寝られないほど嬉しがったものである。鷹を貰ってからのことを色々空中に画いてはエクスタシーに耽ったものと見えて、今でもなんだか本当に一度鷹を飼ったことがあるような気持がすることがある、もちろん事実は鷹などかつて飼った経験はないのである。
明日はいよいよ鷹が貰えると思ってさんざんに待ちかねて、やっとその日になってみると鷹は今ちょうどトヤに入っているからもう二、三日待ってくれというのである。ひどくがっかりして、しかし結局あきらめて辛抱して待って、さてもういいかと思って催促すると、今度は何とかがどうとかして何とかで工合が悪いからもう二、三日待てという、その何とかが実に尤千万な何とかで疑う余地などは鷹の睫毛ほどもないのだから全く納得させられる外はなかった。それから……。そういう風にして結局とうとう鷹の夢を存分に享楽させてもらっただけで、生きている実在の鷹はとうとう自分のものにならないでおしまいになった。はじめに交換条件で渡した品を返してもらったかもらわなかったか、それは思い出せない。
これなどは幼年時代に受けた教育の中でもかなりためになる種類のものであったと思う。多分十歳くらいのことであったか、あるいは七、八歳だったかもしれない。
×の消息はその後全く分らない。
尤も、この頃でもやはりときどきは「鷹を貰い損なう」ことがあるような気がするのである。
(昭和九年八月『行動』)