門徒寺と云つても檀家が一軒あるで無い、西本願寺派の別院並で、京都の岡崎にあるから普通には岡崎御坊で通つて居る。格式は一等本座と云ふので法類仲間で幅の利く方だが、交際や何かに入費の掛る割に寺の収入と云ふのは錏一文無かつた。本堂も庫裡も何時の建築だか、随分古く成つて、長押が歪んだり壁が落ちたり為て居る。其れを取囲んだ一町四方もある広い敷地は、桑畑や大根畑に成つて居て、出入の百姓が折々植附や草取に来るが、寺の入口の、昔は大門があつたと云ふ、礎の残つて居る辺から、真直に本堂へ向ふ半町ばかりの路は、草だらけで誰も掃除の仕手が無い。
檀家の一軒も無い此寺の貧乏は当前だ。併し代々学者で法談の上手な和上が来て住職に成り、年に何度か諸国を巡回して、法談で蓄めた布施を持帰つては、其れで生活を立て、御堂や庫裡の普請をも為る。其れから御坊は昔願泉寺と云ふ真言宗の御寺の廃地であつたのを、此の岡崎は祖師親鸞上人が越後へ流罪と定つた時、少時此地に草庵を構へ、此の岡崎から発足せられた旧蹟だと云ふ縁故から、西本願寺が買取つて一宇を建立したのだ。其時在所の者が真言の道場であつた旧地へ肉食妻帯の門徒坊さんを入れるのは面白く無い、御寺の建つ事は結構だが何うか妻帯を為さらぬ清僧を住持にして戴きたいと掛合つた。本願寺も在所の者の望み通に承諾した。で代々清僧が住職に成つて、丁度禅寺か何かの様に瀟洒した大寺で、加之に檀家の無いのが諷経や葬式の煩ひが無くて気楽であつた。
所が先住の道珍和上は能登国の人とやらで、二十三で住職に成つたが学問よりも法談が太層巧く、此の和上の説教の日には聴衆が群集して六条の総会所の縁が落ちるやら怪我人が出来るやら、其れ程に評判であつた。又太層美僧であつた所から、後家や若い娘で迷ひ込んだ者も大分にあつた。在所の年寄仲間は、御坊さんの裏の竹林の中にある沼の主、なんでも昔願泉寺の開基が真言の力で封じて置かれたと云ふ大蛇が祟らねば善いが。あヽ云ふ若い美くしい和上さんの来られたのは危いもんだ。斯う噂をして居たが、和上に帰依して居る信者の中に、京の室町錦小路の老舗の呉服屋夫婦が大した法義者で、十七に成る容色の好い姉娘を是非道珍和上の奥方に差上げ度いと言出した。物堅い和上も若いので未だ法力の薄かつた故か、入寺の時の覚悟を忘れて其の娘を貰ふ事に定めた。
其頃御坊さんの竹薮へ筍を取りに入つた在所の者が白い蛇を見附けた。其処へ和上の縁談が伝はつたので年寄仲間は皆眉を顰めたが、何う云ふ運命であつたか、愈呉服屋の娘の輿入があると云ふ三日前、京から呉服屋の出入の表具師や畳屋の職人が大勢来て居る中で頓死した。
御坊さんは少時無住であつたが、翌年の八月道珍和上の一週忌[#「一週忌」はママ]の法事が呉服屋の施主で催された後で新しい住職が出来た。是が貢さんの父である。此の住持は丹波の郷士で大庄屋をつとめた家の二男だが、京に上つて学問が為たい計りに両親を散々泣かせた上で十三の時に出家し、六条の本山の学林を卒業してから江戸へ出て国書を学び、又諸国の志士に交つて勤王論を鼓吹した。其頃岡崎から程近い黒谷の寺中の一室を借りて自炊し、此処から六条の本山に通つて役僧の首席を勤めて居たが、亡くなつた道珍和上とも知合であつたし、然う云ふ碩学で本山でも幅の利いた和上を、岡崎御坊へ招ずる事が出来たら結構だと云ふので、呉服屋夫婦が熱心に懇望した所から、朗然と云ふ貢さんの阿父さんが、入寺して来る様に成つた。
其丈なら申分は無かつたのだが、呉服屋夫婦は道珍和上に娶はせようと為た娘を、今度の朗然和上に差上げて是非岡崎御坊に住ませたい、最愛の娘を高僧に捧げると云ふ事が、何より如来様の御恩報謝に成るし、又亡く成つた道珍和上への手向であると信じて居た。娘に此事を語り聞かせた時、娘は、わたしは道珍様が御亡く成りに成つた日から、もう尼の心に成つて居ますと云つて泣き伏したが、もう朗然和上と夫婦との間に縁談が決つて居つた後だから、親の心に従つて終に其年の十一月、娘は十五荷の荷で岡崎御坊へ嫁入つて来た。娘の齢は十八、朗然和上は三十四歳、十六も違つて居た。
此の婚礼に就いて在所の者が、先住の例を引いて不吉な噂を立てるので、豪気な新住は境内の暗い竹籔を切払つて桑畑に為て了つた。
其れから十年許り経つて、奥方の一枝さんが三番目の男の児を生んだ。従来に無い難産で、産の気が附いてから三日目の正午、陰暦六月の暑い日盛りに甚い逆児で生れたのが晃と云ふ怖しい重瞳の児であつた。ぎやつと初声を揚げた時に、玄関の式台へ戸板に載せて舁ぎ込まれたのは、薩州の陣所へ入浸つて半年も帰つて来ぬ朗然和上が、法衣を着た儘三条の大橋で会津方の浪士に一刀眉間を遣られた負傷の姿であつた。
傷は薩州邸の口入で近衛家の御殿医が来て縫つた。在所の者は朗然和上の災難を小気味よい事に言つて、奥方の難産と併せて沼の主や先住やの祟りだと噂した。もともと天下を我家と心得て居る和上は岡崎の土地などを眼中に置いて居ない所から、在所の者に対して横柄な態度も有つたに違ひ無い。其上近年は世の中の物騒なのに伴れて和上の事を色々に言ふ者がある。最も在所の人の心を寒からしめた馬鹿々しい噂は、和上は勤王々々と云つて諸国の浪士に交際つて居る。今に御寺の本堂を浪士の陣屋に貸して、此の岡崎を徳川と浪士との戦場にする積りだらう、と云ふ事である。で何かに附けて在所の者は和上を憎んだが。檀那寺の和尚では無いから、岡崎から遂ひ出す訳にも行か無かつた。
和上と奥方との仲は婚礼の当時から何うもしつくり行つて居無かつた。第一に年齢の違ふ故もあつたが、和上は学者で貧乏を苦にせぬ豪邁な性質、奥方は町家の秘蔵娘で暇が有つたら三味線を出して快活に大津絵でも弾かう、小児を着飾らせて一人々々乳母を附けて芝居を見せようと云ふ豪奢な性質、和上が何かに附けて奥方の町人気質を賎むのを親思ひの奥方は、じつと辛抱して実家へ帰らうともせず、気作な心から軽口などを云つて紛らして居る内に、三人目の男の児を生んだ。
此度の難産の後、奥方は身体がげつそり弱つて、耳も少し遠く成り、気性までが一変して陰気に成つた。和上の傷は二月で癒えたが、其の傷痕を一目見て鎌首を上げた蛇の様だと身を慄はせたのは、青褪めた顔色の奥方ばかりでは無かつた。其頃在所の子守唄に斯う云ふのが流行つた。
『坊主の額に蛇が居る。
蛇から飛び出た赤児の眼。』
『赤児の眼』は重瞳の三男を指したのである。奥方は何と云ふ罪障の深い自分だらうと考へ出した。本堂の阿弥陀様計りでは此の不思議な怖ろしい宿業が除かれぬやうな気がするので、門徒宗でやかましい雑行雑修の禁制を破つて、暇があれば洛中洛外の神社仏寺へ三男を抱いて参詣した。以前は気質の相違であつたが、今は信仰までが斯う違つたので、和上は益々奥方が面白く無い。伏見の戦争が初まる三月程前から再び薩州邸に行つた切り明治五年まで足掛六年の間一度も帰つて来なかつた。伏見戦争の後で直ぐ、朝命を蒙つて征討将軍の宮に随従し北陸道の鎮撫に出掛けたと云ふ手紙や、一時還俗して岩手県の参事を拝命したと云ふ報知は、其の時々に来たが、少しの仕送りも無いので、奥方は嫁入の時に持つて来た衣服や髪飾りを売食して日を送つた。実家の方は其頃両親は亡くなり、番頭を妹に娶はせた養子が、浄瑠璃に凝つた揚句店を売払つて大坂へ遂転したので、断絶同様に成つて居る。在所の者は誰も相手にせぬし、便る方も無いので、少しでも口を減す為に然る尼の勧めに従つて、長男と二男を大原の真言寺へ小僧に遣つた。奥方の心では二人の子を持戒堅固の清僧に仕上げたならば、大昔の願泉寺時代の祟りが除かれやう、沼の主も鎮まるであらうと思つたので、開基と同じ宗旨の真言寺と聞いて、可愛い二人の子を犠牲にする気で泣き乍ら手放した。蛇から飛び出た赤児の眼。』
明治五年の夏、和上は官界を辞してぶらりと帰つて来た。フロツクコオトを着て山高帽を被つた姿は固陋な在所の人を驚かした。再び法衣を着たことは着たが、永の留守中荒れ放題に荒れた我寺の状は気にも掛けず格別修繕しようともせぬ。毎日洋服を着て書類を入れた風呂敷包を小脇に挾んで、洋杖を突いて、京都府下の富豪や寺院をてくてくと歴訪する。其れは隣村の鹿ヶ谷に盲唖院と云ふものを建てる趣意書を配つて応分の寄附金を勧誘する為であつた。
其の翌年に貢さんが生れた。
今日は日曜なので阿母さんが貢さんを起さずに静と寝かして置いた。で、貢さんの目覚めたのは朝の九時頃であつた。十歳に成る貢さんは独で衣服を着替へて台所へ出て来た。
『阿母さんお早う。』
阿母さんはもう座敷の拭掃除も台所の整理事も済ませて、三歳になる娘の子を脊に負ひ乍ら、広い土間へ盥を入れて洗濯物をして居る。
『お早うでも無いぢや無いか。よく寝られて。昨夜は。』
『ふん、寝坊をしちやつた。阿父さんは。』
『涼しい間にと云つてお出掛に成つたの。』
『阿母さん、昨日校長さんが君ん家の阿父さんは京の街で西洋の薬や酒を売る店を出すんだつて、本当かて聞きましたよ。本当に其様店を出すの。』
『阿父さんの事だから何を為さるか知れ無い。昔から二言目には人民の為だもの。』
『今日は何処へ入らしたの。』
『神戸の夷人さん処。委しい事は阿母さんなんかに被仰らないけれど、日本で初めて博覧会と云ふものを為さるんだつて。』
『ふうん。』
『お前御飯は何うする。』
『お昼と一処でいゝ。』
『ぢや然うお為。其から阿母さんは今一枚洗つて、今日は大原まで兄さん達の白衣を届けて来るからね、よく留守番を為てお呉れ。御飯には鮭が戸棚にあるから火をおこして焼いてお食べ。お土産には山鼻のお饅を買つて来ませう。』
『お日様の暮れぬ内に帰つて頂戴よ。』
貢さんは井戸端へ下りて自分で水を汲んで顔を洗つた。其れから畳の破れを新聞で張つた、柱の歪んだ居間を二つ通つて、横手の光琳の梅を書いた古ぼけた大きい襖子を開けると十畳敷許の内陣の、年頃拭込んだ板敷が向側の窓の明障子の光線で水を流した様に光る。幾十年と無く毎朝焚き籠めた五種香の匂がむつと顔を撲つ。阿母さんが折々一時間も此処に閉ぢ籠つて出て来ぬ事がある丈に、家中で此内陣計りは温かい様ななつかしい様な処だ。貢さんは黒塗の経机の前の円座の上に坐つて三度程額づいた。
『南無、南無、南無阿弥陀仏。』
本尊の阿弥陀様の御顔は暗くて拝め無い、唯招喚の形を為給ふ右の御手のみが金色の薄い光を示し給うて居る。貢さんは内陣を出て四畳半の自分の部屋に入つた。机の上に昨日持つて帰つた学校の包が黒い布呂敷の儘で解きもせずに載つて居る。其れを見ると、力石様のお濱さん処へ遊びに行く約束だつた事を思出した。
『遅く成つた、遅く成つた。行かう。』
独言を言つて吃驚した様に立上ると、書院の方の庭にある柿の樹で大きな油蝉が暑苦しく啼き出した。捕まへてお濱さんへの土産にする気で、縁側づたひに書院へ足音を忍ばせて行つたが、戸袋に手を掛けて柿の樹を見上げた途端に蝉は逃げた。
『阿房蝉。』
斯う大きな声で云つて振返ると、書院の十畳の方の室の障子が五寸程明いて居る。兄の晃の居間だ。其の間から長押に掛けた晃の舶来の夏帽が目に附く。覗いて見たが、晃兄さんは居無い。台所の方へ走つて来た貢さんは、其処に阿母さんが見えないので、草履を穿いて裏口から納屋の後へ廻つた。阿母さんは物干竿に洗濯物を通して居る。
『阿母さん、晃兄さんが帰つたの。』
阿母さんは一寸振返つて貢さんを見たが、黙つて上を向いて襁褓の濡れたのを伸して居る。
『晃兄さんの帽が掛かつてましたよ。』
と鄭寧に云つて再び答を促した。阿母さんは未だ黙つて居る。見ると、晃兄さんの白地の薩摩絣の単衣の裾を両手で握んだ儘阿母さんは泣いて居る。貢さんは、阿母さんの機嫌を損じたなと思つたので、徐と背を向けて四五歩引返した。
『貢さん。』と阿母さんの声は湿んで居る。
『はい。』
『お前はね、よく阿母さんの言ふ事をお聞き。なんぼ貧乏な生活をしても心は正直に持つんですよ。』
『はい。』
『晃兄さんの様に成つては仕様が無いわね、阿母さんの衣服や頭の物を何遍も持出して売飛ばしては、唯もう立派な身装をする。こんな阿父さんも御着に成らん様な衣類や、靴や時計を買つてさ。学問でもする事か、フルベツキさんに英吉利西の語を習つても三月足らずで止めて了ふし、何かなし若い娘さん達の中で野呂々々と遊んで居たい、肩上を取つたばかしの十八の子の所作ぢや無い。祟つてる御方があつて為さるのかも知らんけれど、あれでは今に他人様の物に手を掛けて牢屋へ行く様な、よい親の耻晒しに成るかも知れん。今度は阿父さんの財嚢から沢山なお金、盲唖院の先生方の月給に差上げるお銭を持出して二月も帰つて来ないんだもの。阿父さんは見附次第警察へ出すと被仰るけれど、其れでは明るみの耻に成る。阿母さんは大原の律師様にお頼みして兄さん達と同じ様に何処かの御寺へ遣つて、頭を剃らせて結構な御経を習はせ度いと思ふの。ね、貢さん、阿母さんや此の脊中の桃枝が頼りにするのはお前一人だよ。阿父さんはあんな方だから家の事なんか構つて下さら無い。此の下間の家を興すも潰すもお前の量見一つに在る。其れに阿母さんも此の身体の具合では長く生きられ相にも無いからね、しつかり為て頂戴よ、貢さん。』
『はい、解つて居ます。阿母さん。』貢さんの頬にははらはらと熱い涙が流れた。阿母さんは萌黄の前掛で涙を拭き乍ら庫裡の中へ入つた。貢さんは何時も聞く阿母さんの話だけれど、今日は冷たい沼の水の底の底で聞かされた様な気がして、小供心に頼り無い沈んだ悲哀が充満に成つた。で、蚯蚓が土を出て炎天の砂の上をのさばる様に、かんかんと日の照る中を歩いてづぶ濡れに冷え切つた身体なり心なりを燬け附かせ度く成つたので、書院の庭の、此頃の旱に亀甲形に亀裂の入つた焼土を踏んで、空池の、日が目を潰す計りに反射する、白い大きな白河石の橋の上に腰を下した。
『阿母さんが死になさるのぢや無いか知ら。』
ふつと斯な事が胸に浮んだ。今日に限つて特別に阿母さんの身体が鉄色の銚子縮の単衣の下に、ほつそりと、白い骨計りに見えた様な気がする。『なあに。』と直ぐに打消したが、ぞつと寒く成つて身体が慄へた。次いで色々の感想が湧いて来る。
『家では阿母さんが一番気の毒だ。………併し阿父さんも、あんな羊羹色のフロツクしか無いんだもの、知事さんの前なんかで体裁が悪るからう。…………阿父さんは、晃兄さんには仕方が無いけれど、阿母さんに何故あゝ慳貪に物を被仰るんだらう。…………晃兄さんも習字があの様に善く出来て、漠文の御本も善く読める癖に、何故真面目に成つて夷人さんの語が習へないのかなあ。…………家の物を泥坊するのは良く無いが、阿父さんが吝々してお銭をお遣りなさらんから、兄さんも意地に成るんだ。…………兄さんも阿母さんから、初中内密で小遣を戴き乍ら…………阿母さんが被仰る通り女の様に衣服なんか買ふのは馬鹿々々しい。』
果しなく斯んな事を思ひ続けて居ると、何処かで自分を喚ぶ声がした。庫裡の方へ向いて、『阿母さんなの。』
と大きな声で尋ねたが、返事が無い。立上らうとすると汗をびつしより掻いて居た。裏口へ行かうとする時、又何か声が聞えた。桑畑の中からだ。途端にお濱さんを思ひ出した。約束の時間に自分が行か無いので、待ち兼ねてお濱さんが迎へに来たのだと考へた。
貢さんは兎の跳ぶ様に駆け出して桑畑に入つて行つた。畑の中にお濱さんは居ない。沼の畔に出た。旱の為に水の減つた摺鉢形の四方の崖の土は石灰色をして、静かに湛へた水の色はどんよりと重く緑青の様に毒々しい。お濱さんは居なかつたがおなじ様に鼠色の無地の単衣を着た盲唖院の唖者の男の子が二人、沼の岸の熊笹が茂つた中に蹲がんで、手真似で何か話し乍ら頷き合つて居た。其れが貢さんには、蛇の穴を発見けたので掘らうぢや無いかと相談して居る様に思はれた。
『悪るい事なんか為ては行かんよ。』
と、五六間手前から叱り付けた。唖者の子等は人の気勢に駭いて、手に手に紅い死人花を持つた儘畑を横切つて、半町も無い鹿ヶ谷の盲唖院へ駆けて帰つた
貢さんは見送つて厭な気がした。
元気の無さ相な顔色をして草履を引きずり乍ら帰つて来た貢さんは、裏口を入つて、虫の蝕つた、踏むとみしみしと云ふ板の間で、雑巾を絞[#ルビの「しぼ」は底本では「じぼ」]つて土埃の着いた足を拭いた。
『阿母さん、阿母さん。』
二三度喚んで見たが、阿母さんは桃枝を負つて大原へ出掛けて居無かつた。貢さんは火鉢の火種を昆炉に移し消炭を熾して番茶の土瓶を沸し、鮭を焼いて冷飯を食つた。膳を戸棚に締つて自分の居間に来ると、又お濱さんに逢ひ度く成つた。一走り行つて来ようかと考へたが、頭が重く痛む様なので、次の阿母さんの部屋の八畳の室へ来て障子を明放して、箪笥の前で横に成つた。暑い日だ、そよと吹く風も無い。軒に縄を渡して阿母さんが干した瓜の雷干を見て居ると暈眩がする。じつと目を閉ぢようと為たが、目を閉ぢると、此の広い荒れ果てた寺に唯つた独り自分の居ると云ふ事が、野の中で捨児にでも成つた様に、犇々と身に迫つて寂しい。其れを紛らす為に目を開いて何か唱歌でも歌はうと試みたが、喉が硬張つて声が出無かつた。と、突然低い静かな声で、
『貢、貢。』
『あ、晃兄さん。お帰り。』
起上つて玄関の方へ走つて出ようとすると、
『此処だよ。貢。』
『晃兄さん、何処なの。』
貢さんは玄関と中の間の敷居の上に立つて考へた。
『此処だよ。』
低い静かな声は本堂から聞える。其処は雨が甚く洩るので、四方の戸を阿父さんが釘附にして自分の生れ無い前から開けぬ事に成つて居る。御参詣の人も無い寺なので、内の者は内陣で本尊様を拝む。本堂の五十畳敷だと云ふ広間は全く不用な塲処だ。内の者は皆此の広間の有る事を忘れて居る。殊に貢さんは生れて一度も覗いて見ないのだから、遠い遠い不思議な世界から声を掛けられた気が為る
『晃兄さん、何うして其んな処へ入つたの。何処から入るんです。』
少時返事が無い。
『晃兄さん。』
と、貢さんは大きな声を為て喚んだ。低い静かな声は、
『内陣へ廻りな。左から三枚目の戸だ。』
貢さんは座敷を通つて一段高い内陣へどんどんと足音をさせて上つた。
『左から三枚目。』
と、又声が為る。昔から釘附に為てあると計り思つて居た内陣と本堂との区劃の戸を開けると云ふ事は、少からず小供の好奇の心を躍らせたが、愈々左から三枚目の戸に手を掛ける瞬間、何だか見無いでも可いものを見る様な気が為て、怖く成つたが、思切つて引くと、荒い音も為ずにすつと軽く開いた。
『あツ。』
貢さんが覗いたのは薄暗い陰鬱な世界で、冷りとつめたい手で撫でる様に頬に当る空気が酸えて黴臭い。一間程前に竹と萱草の葉とが疎らに生えて、其奥は能く見え無かつた。
『何処に居るの。晃兄さん。』
『仏さんの前の蝋燭に火を点けてお出で。』
貢さんは兄の命令通り仏前の蝋燭を取つて、台所へ行つて附木で火を点けて来た。
『晃兄さん、中は汚なか無くつて。』
『其処の直ぐ下に阿母さんの穿きなさる草履があるだらう。』
蝋燭をかざして根太板の落ちた土間を見下すと、竹の皮の草履が一足あるので、其れを穿いて、竹の葉を避けて前に進むと、蜘蛛の巣が顔に引掛る。根太も畳も大方朽ち落ちて、其上に鼠の毛をり散した様な埃と、麹の様な黴とが積つて居る。落ち残つた根太の横木を一つ跨いだ時、無気味な菌の様なものを踏んだ。
『此処だよ。』
中央の欅の柱の下から、髪の毛の濃いゝ、くつきりと色の白い、面長な兄の、大きな瞳に金の輪が二つ入つた眼が光つた。晃兄さんは裸体で縮緬の腰巻一つの儘後手に縛られて坐つて居る。貢さんは一目見て駭いたが、従来庭の柿の樹や納屋の中に兄の縛られて切諌を受けるのを度々見て居るので、こんな処へ伴れて入つて縛つて置いたのは阿父さんの所作だと思つた。阿母さんが裸体の上から掛けて遣つたらしい赤い毛布はずれ落ちて居た。
『貢、お前、兄さんの言ふ事を諾いて呉れ無いか。』
『晃兄さん、御飯でせう。御飯なら持つて来よう。阿母さんが留守だから御菜は何も無いことよ。』
『今握飯を食つたばかりだ。御飯ぢや無い。』
『ぢや、お茶。』
『お茶も飲まして貰つた。』
『衣服を持つて来て上げようか。』
『衣服は自分で着るがね。』
『何なの。晃兄さん。』
『お前本当に諾いて呉れるか。』
兄が此様に念を押し辞を鄭寧にして物を頼んだ事は無いので、貢さんは気の毒に思つた。
『ふん、何んでも諾きます。』
『難有いな。ではね、包丁を取つて来てね、此の縄を切つて御呉れ。』
『宜いとも。』
元気よく受合つて台所から庖丁を取つて来た。左の手に蝋燭を持つて兄の背後に廻つたが、三筋の麻縄で後手に縛つて柱に括り附けた手首は血が滲んで居る。と、阿父さんが晃兄さんを切諌なさる時の恐い顔が目に浮んだので、此の縄を切つては成らぬと気が附いた。
『之を切つて、僕、阿父さんに問はれたら何と云ふの。』
『お前にも阿母さんにも迷惑は掛け無い。わしの友人が来て知らぬ間に連れ出したとお言ひ。』
『晃兄さんは又逃げて行く積りなの。』
『此処はわしの家ぢや無い、仇の家ぢや。兄さんの家は斯[#ルビの「こ」は底本では「こん」]んな暗い処ぢや無くて明るい処に有るんだ。』
『明るい処つて、何処。大坂か、東京。』
『そんな遠方ぢや無い。何でもいゝ、早く縄を切つて自由に為てお呉れ。痛くて堪ら無いから。』
阿母さんも居ない留守に兄を逃して遣つては、何んなに阿父さんから叱られるかも知れぬ。貢さんは躊躇つて鼻洟を啜つた。
『切れ無いかい。貢さん。意久地が無いね。約束したぢや無いか。』
『だけれど、みんな留守だから。』
『お前、解らないなあ。』
兄は歎息をついた。
『あゝ、阿父さんの所為でも無い、阿母さんの所為でも無い、わしの所為でも無い。みんな彼奴のわざだ。貢、意久地があるなら彼奴を先に切るがいゝ。』
兄が頤で示した前の方の根太板の上に、正月の鏡餅の様に白い或物が載つて居る。『何。』
と、蝋燭の火を下げて身を屈めた途端に、根太板の上の或物は一匹の白い蛇に成つて、するすると朽ち重つた畳を越えて消え去つた。刹那、貢さんは、
『沼の主さんだ。』
斯う感じて身をぶるぶると慄はした。
『貢さん、貢さん。』
と、お濱さんが書院の庭あたりで喚んで居る。貢さんは耳鳴がして、其の懐かしい女の御友達の声が聞え無かつた。兄はにつと笑つて、
『驚いたか。』
貢さんは黙つて蛇の過ぎ去つた暗い奥の方を眺めて居る。
『暗い家には彼奴の様な厭なものが居る。此の家の者は皆彼奴の餌食なんだ。』
よくは解らぬけれど、兄の言つて居る事が一一道理な様に胸に応へる。斯んな家に皆が一日も居ては成らぬ様な気が為た。
『晃兄さん、早くお逃げなさい。縄を切りますから。』
『難有う。お前もね、わしの年齢に成つたら、兄さんが明るい面白い処へ伴れてつて遣らう。』
『本当に面白いの。』
『面白いとも。』
『単独では行かれ無いの。』
『行かれる。兄さんは単独で行くんだ。』
『屹度伴れてつて下さい。』
『わしの年齢に成つたら。其れ迄は辛抱して吉田の学校を卒業するんだよ。』
『女でも行かれるの。』
『行かれるとも。其処は女の方が多いんだ。』
『阿母さんも伴れてつて上げなさい。』
『諄いね。早く縄を切つてお呉れ。』
貢さんは勇々として躊躇ふ所なく麻縄を切り放つた。お濱さんは玄関の方へ廻つて来た。
『貢さん、貢さん。』
『お濱さんが先刻からお前を探して居る。早く行つてお出で。』
兄は柱に倚つて立上り、縄の食ひ込んだ、血の滲んだ手首を擦り乍ら言つた。貢さんは、
『今行きます、お濱さん。』と甲高な声で言つて、『晃兄さん、お濱さんも僕と一緒に伴れてつて上げて頂戴。』
『馬鹿。よその人に其んな事を言ふんぢや無いよ。』
兄の睨むのも見返らずに、貢さんは蝋燭と庖丁とを持つて内陣へ跳ぶ様に上つて行つた。
お濱さんは裏口から廻つて、貢さんの居間の縁に腰を掛けて居た。眉の上で前髪を一文字に揃へて切下げた、雀鬢の桃割に結つて、糸房の附いた大きい簪を挿して居る。腫れぼつたい一重瞼の、丸顔の愛くるしい娘だ。紫の租い縞の縒上布の袖の長い単衣を着て、緋の紋縮緬の絎帯を吉弥に結んだのを、内陣から下りて来た貢さんは美くしいと思つた。洗晒しの伊予絣の単衣を着て、白い木綿の兵子帯を締めた貢さんは肩を並べて腰を掛けた。お濱さんは三つ年上で十三に成るが、小学校は病気の為に遅れて同じ級だ。お濱さんの父は、もと越前の藩士で今は京都府の勧業課長を勤めて居る。
『お濱さん、僕、朝から行かうと思つてたけれど。』
『あたし待つててよ。しどいわ。』
『悪かつた。僕、留守番を云ひ附かつたの。』
『あたし、そんな事は知らないでせう。待つて待つて、泣いて、阿母さんに叱られたのよ。』
『泣くなんて、可笑しいなあ。』
『でも、貢さんが嘘をつくんですもの。』
『嘘をつくものか。僕は行きたかつたけれど。』
『あたし、先刻から喚んでたのに、あなた何処に入らしつたの。』
『さう、先刻から喚んでたつて。僕、聞えなかつた。』
『お昼寝でせう。』
『昼寝なんか為ない。』
『お雲隠。』
『晃兄さんと話してたんだ。』
『晃兄さんが入らつしやるの。』
『ふん。』
お濱さんは、一寸手で桃割を撫でて、頬を赤くしながら、
『貢さんは矢張嘘を御吐き為さるのね。晃兄さんが入らつしやるのに、留守番だなんて。』
と云つた。貢さんは困つたらしく黙つて俯向いた。此時前の桑畑の中に、白い絣を着て走つて行く人影がちらと見えた。
『あら、あたし、ちよいと用があつてよ。』
とお濱さんは云つて、不意に駆け出した。貢さんも急いで草履を穿いて、お濱さんの跡を追つて行つた。二人が桑畑を抜けて街道へ出た時には、二町も先の路を、晃兄さんが洋杖を手に夏帽を被つて、悠々と京の方へ出て行くのであつた。
――(完)――