みどりめた、
砂と塵挨ごみだらけの、
水気みづけのない、
いぢけた、ひくい椰子の木立、
木伊乃みいらにした、うごかない天狗猿、
んだ、みすぼらしい、ちつぽけな鰐、
くすんだ、黄土わうど CHOCOLATシヨコラア の色をした
廉物やすものの、摸造の爪哇ジヤワ更紗、
まだ一度も生血いきちを嘗めず、
たましひの入らぬ、
ひよろ長い毒矢どくや数々かず/″\……
え? これが大正博覧会の南洋館?
最初の二つのしつを観て歩いて、
おれは思はずおれの子供等に言つた、
「こんなぢやない! こんなぢやない! 南洋は!」
そして、おれは新嘉坡を想ひ出した。
こんなぢやない! こんなぢやない!
あの赤道直下の生活はこんなぢやない!
PAULパウル CLAUDELクラウデル が目をまはしたも道理だうり
そこは光と熱とにほひと色の世界だ、
華やかな、目まぐるしい現象のみの世界だ、
醇粋な真実のみの緊張した世界だ、
万別ばんべつの力が醗酵し、蒸騰し、
渦を巻いて荒れ廻る世界だ、
宇宙の最初の元気が、
けがれず、まじらず、淀まずに燃えて居る世界だ。
太陽は白金はくきんを焼いて居る、
海は碧玉エメロウドの湯をたゝへて居る、
土はプヱルミヨンを盛り上げて居る。
空気は火の台風タンペエトだ、
雨は銀の驟雨ラオアジユだ。
どの物にもにぶい弱い色がない、
真赤まつかだ、黄金きんだ、雪白せつはくだ、猩々緋しやう/″\ひだ、
藍だ、群青ぐんじやうだ、深緑ふかみどりだ、紫だ。
どの物にも煩瑣はんさな分類がない、
植物も動物だ、人間だ、
人間も植物だ、動物だ。
或樹あるきひげを垂れ、百手ひやくしゆのばし、
十、二十のあしはしらの様に立てて居る。
或樹あるき扇形あふぎがたの騎士のかぶとかぶり、
或樹あるきは細長いどうに真赤な海老えびかふを着けて居る。
或蛙あるかへるが牛の声で吼える。
或蛇あるへびが鈴を振る。
一尺の守宮やもりが人間に呼び掛け、
二丈の鰐が人間をにする。
人間は丸木舟のからに乗つてわしかひだ。
猿は猩々の表情と姿で抱き合ふ人間だ。
春夏秋冬の区別もない、
植物は芽と葉と枯葉かれはと、
蕾と花ととを同時に持つて居る。
片端かたはしからじくして、枯れて、
片端から新しく生んで行く。
人間もさうだ!
手ぬるい夢や憧憬あこがれや、
しちめんどうな瞑想めいさうや、
小賢こざかしい商量や、虚偽や、
馬鹿らしい後悔や追憶おもひでを必要とせずに生きて行く。
彼等は流転を流転の儘に受け入れる。
唯だ珍重するのは愛情だ、
労働だ、勝利の欲だ、
そして其等を讃美する芸術だ。
寝たくて寝る、
歌ひたくて歌ふ、
働きたくて働く、
踊りたくて踊る。
恋しい女は奪つても愛する、
憎い敵は殺して仕舞ふ、
勝つた者はたゞしく誇る、
負けた者は復讎を企てる。
しやうろうびやうは順当な流転だ、
花の開落だ、
そんな事を気にする習慣なんか持て居ない。
自然と生物とが同じ脈をち、
同じたましひと同じ意欲を持ち、
同じ生の力を張り詰めて動くばかりだ!
若し醇粋な人性じんせいを保留して居る彼等に、
羞耻しうちの道徳を説いて聞かせたなら、
彼等は目角めかどを立てておこるだらう、
そして云ふだらう、「大自然の心を知らない、
堕落した人間の余計なひがみだ」と。
彼等は赤裸々で居る、
太陽が赤裸々で居る如くに!
そして、彼等が華やかな爪哇ジヤワ更紗の一片いつぺんで、
または新鮮な一枝ひとえだの木の葉で、
人間の樹の中央まんなかにつけたせいこのみおほふのは、
礼儀でもなんでもない、
椰子が其果そのみかく殻皮こくひなかをさめて、
風雨と鳥獣の害を防ぐやうに、
彼等もまた貴いしゆみやを、
敵と動物の害からまもるのだ。
こんなのぢやない! あの生々いき/\した南洋は!
おれはう思つて次のしつへ行つた。
そこには病人らしい南洋の男女が、
青黒い、しなびたはだで、
気乗のしない虚偽うその表情と、
――おまへ達は虚偽うそを知らない筈だのに!―
張りのない、浮調子うはつてうしな声とで、
狭い舞台に、
――ああ、おまへ達は珊瑚礁の島が恋しからう!――
踊つたり歌つたりして居る。
可哀相に! 彼等は
小屋こやに一ぱいになつた見物から、
「なんだ! 面白くもない!
野蛮だね!」とおほびらに日本語にほんごで云はれて居る。
柬蒲塞カンボチヤの踊を賞めた RODINロダン が、
この見物のなかに居るのぢやない、
いや、そんな大家グラン、メエトルが居たつて
この南洋踊を観たら逃げ出すだらう。
ああ!どんないい物でも、
どんな真剣しんけんな物でも、
日本の空気に触れると、
大抵みなしなびてしまふんだ!
精神を無くするんだ!
おれは近頃ちかごろ欧羅巴ヨウロツパの往復に、
新嘉玻を二度観て、
南洋の生活を羨まずに居られなかつた。
そして巴里や羅馬を観て来た後にも、
やつぱり南洋を羨しいと思つた。
なぜだ?
人性じんせいしにして、
真実しんじつあいと戦闘とに力一ぱい生きる、
自由な世界としては、
巴里も羅馬も南洋の島もかはりがないからだ!
おれはあたふたと南洋館を出てしまつた。
おれは福引に急ぐ、秩序のない、
有象無象うざうむざうの込み合ふなかを、子供を伴れて、
右に縫ひ、左に縫ひして歩いた。
それでも可なり大勢おほぜい衝突ぶつゝかつた、
こんな場合に PARDONパルドン を言ひ合はないのが大日本だいにほんだ!
そして、やつとのことでうへを向くと、
おれの目にはいつたのは、
煤煙ばんえんで枯されたこずゑと、
――欧州では独逸の一部でしか見当らないしきの――
いやなセセツシヨンの建築と、
松井須磨子と云ふ女優の看板だ。
「父さん、早く帰りませうよ。」
「よし!」
(一九一四、八、二四)

底本:「反響」反響社
   1914(大正3)年10月号
※「旧字、旧仮名で書かれた作品を、現代表記にあらためる際の作業指針」に基づいて、底本の旧字を新字にをあらためました。
※底本の署名には、「よさの、ひろし」とあります。
入力:武田秀男
校正:門田裕志
2003年1月24日作成
2003年6月1日修正
青空文庫作成ファイル:
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