モスクワじゅうが濡れたビードロ玉だ。きのうひどく寒かった。並木道の雪が再び凍って子供連がスキーをかつぎ出した。ところへ今夜は零下五度の春の雨が盛にふってる。どこもかしこもつるつるである。
 黒くひかってそこへ街の灯かげをうつす大都会、地球の六分の一を占める社会主義連邦の首府モスクワの春の泥水をしばいて電車はひどい勢で走っている。今夜は特別な日なんだ。三月八日は世界無産婦人デーである。各区の勤労者クラブでいろんな催しものがある。だから急がなけりゃならない。
 東南へ向ってはしる電車のどんづまりで日本女は車を降りた。三四人、赤いプラトークをかぶった女も下りたが、忽ち散ってしまって、日本女は自分の前に雨びしょびしょの暗い交叉点、妙な空地、その端っこに線路工夫の小舎らしい一つの黄色い貨車を見た。その屋根でラジオのアンテナが濡れながら光っている。空地の濡れた細い樹の幹も光っている。あっちを見ると真黒い空の下で大きな白文字が、
КОМУНАР《コムナール》
 外套の襟を立てて労働者がやってきた。日本女は自分の立ってるところから大きな声で呼びかけた。
 ――タワーリシチ! クフミンストル※(濁点付き片仮名「ワ」、1-7-82)倶楽部ってどこだか知りませんか?
 ――そこの空地を突切ってずっと行って三つめの横丁を左に入ると橋がある、その先だ。――
 ――畜生チョールト
 警笛を鳴らさずかたっぽのヘッド・ライトをぼんやりつけたトラックがとんできた。
 日本女は、寂しい歩道をときどき横に並んでる家の羽目へ左手をつっぱりながら歩いて行った。本当は新しい防寒靴ガローシをもうとっくに買わなければならない筈なんだ。底でゴムのいぼが減っちまったら、こんな夜歩けるものじゃない。
 橋へ出た。木の陸橋だ。下を鉄道線路が通っている。前を三人若いコムソモルカらしい労働婦人が足を揃え、雨をかまわず熱心にしゃべりながら歩いて行く。こんなことを云ってる。
 ――馬鹿なのよ! あいつ!
 ――馬鹿って云うより、無自覚だ。だって、もうあの職場じゃ九十五パーセント突撃隊ウダールニクじゃないか!
 ソヴェトのプロレタリアートは雨傘なんてなしで「十月オクチャーブリ」をやりとげた。一九三〇年、モスクワの群集中にある一本の女持雨傘は、或る時コーチクの外套シューバぐらい階級性を帯びるのだ。
 歩道の上でかたまってる人影が見え出した。鞣防寒帽子の耳覆いを、赤い頬っぺたの横でフラフラさせた男の子が日本女をつかまえてきいた。
 ――切符もってない?
 又一寸行くと、
 ――余分な切符もってませんか?
 巴里コンミューンの記念祭の夜、ルイコフの名によるクラブへ行ったときも、クラブの入口にいくたりも主に青年がかたまって、来る者ごとに訊いていた。特別な催しがあるときモスクワのクラブでは入場券がいるのだ。
 車寄から劇場そっくりにいくつもの厚い硝子扉が並んでいる。日本女は体じゅうの重みをかけそれを押して入った。バング!
 ほ、暖い!
 外套ぬぎ場があっちとこっちの端にある大きい広間ザールは人で一杯だ。さっぱりしたオカッパの頸へ赤い襟飾をかけたピオニェール少女。手に何かプリントをもってその少女と話してる年長のピオニェール少年。芝居行の靴下をはき、オカッパの上へセルロイド櫛をさした若い細君が、時々気にしては新しい藤色フランス縮緬の襟飾に手をやりながら、紺のトルストフカの亭主によりそって四辺を見まわしつつ散歩している。
“905”日本女の受けとった外套防寒靴預番号の真鍮札。
 外にあんな雨と暗い道があるとは思われぬ。
 絶えず人が登り降りしている大階段を日本女は二階へあがって行った。
 とっつきが国防科学協会オソアビアヒムの研究室だ。壁にかかってる毒ガス演習の実写、飛行機図解、銃器図解の前へ数人若い男女がかたまって案内の豆電燈をつけたり消したりしているのが見える。「帝国主義トファッシズムニ対抗セヨ※(感嘆符二つ、1-8-75)」赤いプラカート。
 戸のしまった種々な研究室が並んでる。が、日本女はモスクワ一大きい鉄道従業員組合のクラブで、今廊下の見学してはいられないんだ。監督を見つけ出さなければならない。今夜の催しのために、彼女のところにあるのは切符ではない一枚の紙っきれで、その紙っきれは絶対にこのクラブの監督を必要とするのである。
 ひどく広い。そこを歩いてゆくとだんだん通路が爪先あがりになっていくみたいだ。一定の方向をむいてあんまり静粛にどっさり並んでいる人間の間をひとりだけ歩いているとそんな気になるのだ。
 白い壁について煌々あたりを輝やかしているいくつもの電燈のカーボン線を震わすような女の声が、マイクロフォンをとおして金属的に反響している。
 ――このようにして、タワーリシチ! 五ヵ年計画はソヴェト鋳鉄生産額を世界第三位に、石炭採掘量において世界第四位に進めるばかりではありません。全ソヴェトの生産に従事する勤労者の平均賃金は五ヵ年計画の終りにおいて七一パーセント増すだろう。国家計画部ゴスプランは……
 樺色の上着の肩で音波を切りながらドンドン歩いて行って監督は赤布で飾られた舞台のすぐ下第一列へ日本女を待たせ、わきの扉の方から椅子をもって来てくれた。
 こんなに遅れて来たのは日本女ひとりである。舞台の赤布をかけた長テーブルの中央に、ニッケル・ベルを前にして、もう相当年配の静かな横顔の女議長がうつむいて何か書きつけている。左右、うしろ側の椅子に並んでるのも八割は党員らしい女だ。テーブルの端っこで速記してるコムソモールカがある。レーニンの石膏像。赤いプラカートは二階バルコンの手すりからも張りまわされている。正面には燃えるようなプラカート「第十回世界無産婦人デー万歳! レーニズムの旗の下に五ヵ年計画を四年で!」棕梠の大鉢が舞台の両端に置かれてある。
 ――電化による生産手段の発達は現在一日平均七・七一の労働時間を六・八六に短縮するでありましょう。プロレタリアート新文化建設の一進展として、文部省は五ヵ年計画の終りには完全な国庫負担による四年制の全国民教育を実施しようとしているのであります。
 飛び交う数字と一種名状すべからざる緊張した熱意で飽和している空気の中をそっと、一人の婦人党員が舞台から日本女のところへきた。彼女は日本女の耳に口をつけて云った。
 ――ようこそ! どこからです?
 ――日本から。
 囁きかえした。
 ――代表ですか?
 ――いいえ。
 ――舞台の上へいらっしゃいな。もし演説して下さると非常にいいんだが――
 六七百人入っているのだ。
 日本女は辞退した。婦人党員はわきにしゃがんで日本女の膝の上へ持ってたハギトリ帖と鉛筆をのせた。
 ――では、どうぞ名と職業を書いて下さい。
 彼女は、日本女が耳で演説をききながら下手な字で「日本ヤポーニヤ作家ピサーチェリニッツア、ユリ・チュウジォ」と書くのを熱心に見ていたが、手帖をもって立ち上りぎわ、低い声に力をこめて、
 ――ありがとう!
と云った。
 あなたが今夜来られたのは満足です。
 捲き上げるような拍手とインターナショナル第一節の奏楽が起った。演説が終ったのだ。演説者の小柄な婦人党員は水さしから一杯水をのみ、鎌と槌を様式化した演壇から議長のいるテーブルへかえって行った。
 くつろぎが広間じゅうにひろがった。
 日本女はリノリューム敷の通路を隔て左側の坐席にいる四十ばかりの太い拇指をした男にきいた。
 ――彼女の演説、長うござんしたか?
 ――我々ソヴェトの人間は短く話すのが得手でないんでね。
 そう云って笑った。それから真面目につけ加えた。
 ――五ヵ年計画そのものが小さい仕事じゃないからね!
 それは本当だ。うしろでこんな囁き声がする。
 ――どうしたの! お前さんたら。
 ――帽子見に行ったもんだから……
 三月八日、СССРの工場で婦人労働者は毎年一時間早く職場を引き上げる。
 ベルを鳴らしながら議長が立ち上った。細い年齢のあらわれてる透る声で報告した。
 ――何々区コムソモール委員会代表タワーリシチ・イリンスカヤ。
 さかんな拍手に迎えられて演壇へ出てきたのは二十二三の緑色ジャケツと純白なカラーのコムソモールカだ。が、然しこれは又なんと高速度演説! ちらりちらり上眼で聴衆を見ながら一分間息もつかぬ女声の速射砲。農婦と工場労働婦人の結合のため、我々コムソモールは全力をつくすであろう! ひょいと片肱あげて一段高い演壇から降り、舞台の奥へ戻ってしまった。湧きおこるインターナショナル。
 こまかく折畳んだ紙片が肩越しに順ぐり送られてきた。最前列の女が席を立ってそれを舞台の上、演壇の下に出されてる投書受箱へ入れてきた。
 ――タワーリシチ! 今夜盛大な第十回世界無産婦人デーの夕を持つことは実に愉快であります。何々区ソヴェトの心からの歓びを諸君に伝える為私は代表としてここに送られたのであります。(さかんな拍手)
 マイクロフォンへ真正面に顔を向け一言一言はっきりしゃべってるのは、小肥りの老けたヴォロシーロフみたいな黒いトルストフカの男だ。
 ――この愉快な夜、名誉ある勤労婦人に向って不愉快なことを話すのは不本意であります。しかし、タワーリシチ! ソヴェト五ヵ年計画を完成するために、我々はまだ自己批判すべき多くのものを持っている。今ここに集っている婦人の中にはおそらく数百人の活溌な突撃隊員ウダールニッツアがあるだろう。数十人の活動的な代表員デレガートキがあるであろう。それらの階級的良心ある勤労婦人がプロレタリア革命の意味を真に理解し、偉大な助力をプロレタリア国家に捧げていることは疑いない。我々は工場において、各々の職場において実践のうちに経験しているところであります。(拍手)
 ところで、都会はそういう有様だが農村ではどうでありましょうか? 五ヵ年計画において最も重大な役割をもつ集団農場コルホーズの組織について農村婦人がどんな役目を果しているかを見ると、遺憾ながら、百パーセント満足とは云えない。私がこの間田舎へ行ったら、昔なじみの女が出てきて、丁寧に昔風のお辞儀をして云うことには(話の巧いソヴェト員は百姓女のこわいろをつかった。)「タワーリシチ・グレボフ。集団農場コルホーズへ入ると、赤坊もやっぱり牛みたいに共有されるって本当かね?」
 ドッと云う満場の笑い。「なおいいじゃねえか!」と云う声がした。又それで笑う。
 ――ソラ! 諸君はそうやって笑う。だがそれは一部に今なお信ずべからざる事実としてある事実なんだ。又ある村では一致して集団農場に入ることを拒絶した。何故か? 集団農場に入ると女はみんな髪を切らなけりゃならず、夜は大きな大きな一枚の布団があって皆がその下へ入って寝なけりゃならないんだと坊主が話した。それで不幸な農村婦人はすっかりびっくりしちゃった。
 聴衆は手を叩く……笑う。笑う。
 ――諸君! しかし、農村におけるこんな反革命分子の跋扈ばっこおよび無智は放置すべきだろうか? タワーリシチ! 農村は右傾派がそれを理解したように都会によって搾取さるべき植民地ではない。都会の工業生産と断然結合すべき、社会主義的生産に欠くべからざる工業原料生産の核心なのだ。
 拍手! 熱心な拍手。もう聴衆は一人も笑っていない。
 日本女は心に一種のおどろきを感じつつあたりの顔々を眺めまわした。どうだ、この気の揃いようは! 演壇に吸いよせられ非常にいきいき反応しつつもう始って三時間近くなるだろう演説をきいてるのは、いわゆる自覚ある労働者、三月八日の女主人、労働婦人及赤ネクタイをつけた彼等の前衛的後継者たちばかりではない。
 細い亜麻色のお下髪を小さい背中にたらして、水色縞の粗末なフランネル服を着ている少女はずっと日本女の右隣に坐っている。しずかに行儀よく坐って話をきき、あまり数字ばっかりマイクロフォンから鳴り響いた五ヵ年計画の話の時は右手をフランネル服のポケットにさし入れ何か粒々したものを掌へ、それから口へそっと入れた。
 咳がしたくなる。少女は彼女のまだ性別定かならぬ喉笛のむず痒さで演説の邪魔をしてはならないと知ってる。細い手の指をかためて口を押えて用心深くやっている。
 この明かに未組織な少女(ピオニェールではない)の伴れは祖母さんだ。生れてから婦人帽というものは頭にのっけずにきた、そして、自分の家の台所でか他人の家の床の上でか手と足とで働きつづけてきたという風な祖母さんだ。両眼を細め、片腕を肱ごと前列の椅子の背へもたせかけ舞台を見つめて話をきいている皺深い横顔の輝きを見てくれ。СССРがおよそ百三十万のクラブ員の上に投げているこれは光の一片である。
 革命第十三年にあるСССРで、組合員千二十八万人をもつ職業組合は、本質に於て社会主義的生産労働力統制、およびプロレタリア文化建設のために働いている。СССРじゅう数千の勤労者クラブは職業組合文化部の仕事だ。もと、クラブは会員組織だった。クラブを持っている工場又はその生産別職業組合に属するものだけ入れた。ところが、それでは一つ不便が起った。ソヴェトはプロレタリアートの国ではあるが、彼等のモスクワは社会主義都市計画によって建てられてはいない。昔々モスクワ大公が金糸の刺繍でガワガワな袍の裾を引きずりながら、髯の長い人民ナロードを指揮してこしらえた中世紀的様式の城壁あるゴーロドだ。現代СССРの勤労者が生産に従事し新しい生活様式をつくりつつある工場、クラブと、住んで、そこで石油コンロを燃しているであろう家とが時によるとモスクワの両端に飛びはなれてる場合がある。家へ帰ってシチ(キャベジ入スープ)を食って、さてまた市のあっちの端まで、たとえば労働者新聞で今朝読み工場では一時間の昼休みに職場委員がそのために集った「生産経済計画プロフィンプラン」の演説をききに行く気になるだろうか。
「よき労働はよき休養を必要とする」休養の合理化として、クラブはその所在区の市民をも吸収することになったのである。
 だから今夜、クラブ音楽部員は活溌な行進曲を奏し、
 ラズドゥワ
 ラズドゥワ
 何々区ピオニェール分隊がどっしり重い金モールの分隊旗を先頭にクフミンストル※(濁点付き片仮名「ワ」、1-7-82)・クラブの広間を行進して来た。
 右、左!
 右、左、止れ!
 分列。中央から十二三歳のピオニェール少女がつかつかと演壇にのぼった。茶色の演壇上の赤い襟飾り、しまって悧口そうな顔、房々したオカッパ。
 ――何々区ピオニェール分隊から、世界無産婦人デーへの熱心な挨拶を!
 澄んで打つような少女の声だ。続いて全分隊一斉に声を揃えて、
 ――世界無産婦人デー、万歳※(感嘆符二つ、1-8-75)
 後の方バルコンの下の坐席では我知らず立ち上って大ニコニコで舞台へ向って拍手を送っている一団がある。
 ピオニェール分隊が再び行進曲によって去り、区婦人代表員がクラブへ記念品としてレーニンの肖像画を贈呈し終ると、議長が自席で立ち上った。
 ――タワーリシチ、これで今夜私のところに記名表の来ているだけの演説は終りました。誰かもっと話したい人はありませんか?
 数百の聴衆、シーンとしている。二秒ほど経って若い男の声が叫んだ。
 ――ないニェート
 つり出されて今度は矢継早にそこここで急いで、
 ――ないニェート
 ――ないニェート
 日本女の隣の拇指の太い男は、愉快そうな笑顔だ。同感してるのである。СССР労働青年の気分に。
 ――では、これから休憩二十五分。すぐ芝居にうつるが賛成ですか。
 すごい拍手だ。拍手の音が細そりした老年の婦人議長を舞台の方へふきとばした。

 日本女のまわりは完全に陽気な祭のさわぎだ。
 ――ナターシャ! ナターシャ! 早くこっちへおいでったら。
 ――ミーチャ、どこ?
 ――見なかった? あっちへ場所見つけたってさ。
 立つ。手招きする。遠くと遠くで何か合図しあってる。
 ――どいてくれ! ホラ! ホラ!
 クラブの監督がこみ合う尻や背中をかきわけてコムソモールに片棒かつがせ長いベンチをかつぎこんできた。
 ――どこへ?
 ――ここ、此処!
 第一列の前へさらに補助席だ。たちまち、舞台横の開いた扉の辺に幾重にもかたまっていた若い男女がそれに向って雪崩なだれ、素早く腰をおちつけた者が三四人ある。
 四十を越した薄色の髪の監督はあわてて手をふりながら遮った。
 ――タワーリシチ! ここへ坐っちゃいけない。ここへは委員が来るんだ。そのために入れたんだ。
 ――どんな委員さ!
 ――本当にここは空けとかなけりゃならないんだ。
 ――おい。
 背広上衣の下へルバーシカを着た一人が仲間をうながした。
 ――立てよ。
 若い男二人は立ってしまったが、日本女のすぐ前へ腰をかけた女はそのままベンチのよりかかりに背中をおっつけて動かず、扉の方へ盛に手招きしている。そっちに、ズボンのポケットへ手を入れた伴れの男がよりかかって立っている。
 ――どうして? おいでよ、よ!
 捲毛のおちている首筋を、よ、よ! と強く動かしつつ呼んでる。男は黙ってイヤイヤしていたが、女があまり云うとベンチのところへきて、低い声で然しきっぱり云った。
 ――止めろよ、工合がわるいや。
 ――どうして?
 下から男を見上げ、女がまわりによく聞えるような鼻声で云った。
 ――もし委員がきたらそのときどけばいいじゃないの、折角芝居見るのに!
 男は、「ブジョンヌイ行進曲」を口笛に吹き、どっかバルコンの方を見ていたが、やがて、
 ――お前ここに坐っといで、じゃ。――今日は女の日だから女ならいいだろ!
 元の扉のところへ戻ってしまった。女は一寸膨れ、手提袋を出して鏡に自分の顔をうつした。その鏡にはヒビがいっている。
 日本女のすぐ後に、小さいピオニェール少女が二人で一つの椅子をかついでやってきた。そして赤い襟飾を並べ、そこへかけ合った。日本女はピオニェールカに訊いた。
 ――今夜誰が芝居やるの?
 ――知らないわ。
 もう一人の小さい方が、
 ――トラム。
と答えた。
 ――どうして知ってるのお前?
 これは知らないと云った方のピオニェールカだ。
 ――張り紙よんだよ……
 トラム(劇場労働青年)はモスクワとレニングラードにある純粋に労働者出身の劇団である。団員はみんな若いコムソモールで、共同経済と厳重な規約の下に階級的な集団生活をやっている。そこへ加入するには必ずある一定の期間実際生産労働に従事した者でなければならないのである。レーニングラード・トラムは自身の劇場をもっている。モスクワでトラムは各クラブをまわり、彼等のリアリスティックな芸術表現で、ソヴェト勤労者が彼等の新文化建設の途上多くもっている今日の問題を批判している。
 ――何ていう脚本やるの?
 日本女の問に二人のピオニェール少女はきっぱり返事した。
 ――私達も知らないんです。
『労働者と芸術』。モスクワでそういう新聞が発行されている。職場の勤労者たちはどんな芸術を要求しているか、勤労者の国СССРにどんな新芸術をつくって行くべきか、実際的ないろんな問題をとりあつかう。いつか、表が出ていた。
        割引切符平均価格。
(ソヴェトの勤労者はめいめいの属す職業組合を通じて各劇場の割引切符を貰う)。
エム・オー・エス・ペー・エス劇場
 (モスクワ地方職業組合ソヴェトの劇場)九十二・五カペイキ
革命劇場                  六十八カペイキ
諷刺座                 九十六・六カペイキ
コルシュ劇場            一ルーブル十一カペイキ
オペラ              一ルーブル二十四カペイキ
 メーデーの翌日、モスクワじゅうの劇場は全職業組合の無料観劇日だ。しかし「大体云ってソヴェトはまだ理想的なプロレタリアートの劇場を持っていると誇ることはできぬ」。労働者と芸術の記者は書いている。「劇場の建物が古く、少人数しか収容せず、従って経営費の負担=切符が一人あて高くなる。勘定して見よう、では五人家内の勤労者の家庭が一晩の観劇にいくらいるか。職業組合ソヴェト劇場へゆくとしよう。
九十二・五カペイキ  切符代
二十カペイキ     電車賃往復
十カペイキ      プログラム
 芝居は七時半から始って十一時すぎ終る。モスクワ人は正餐アベードを午後の五時すぎ、つとめ先から帰ってたべる。寝るまで、せめて茶とソーセージののっかったパン位は食べたい。故に、
五十カペイキ     飲食費
 計 一ルーブル七十二・五カペイキ
 五人だと八ルーブリ六十二・五カペイキ。エム・オー・エス・ペー・エス劇場がどんなによい上演目録をもってたとしてもそうちょいちょいは行けないではないか。ソヴェトには少くとも一時に五千人から一万人入れる劇場が必要だ。我々はアメリカの抜目ない興行主のやり口をソヴェト式に転用しなければならないのだ。」
 最近、五ヵ年計画の文化事業の一つとして劇場組織の大変革が声明された。СССРの全劇場を人民文化委員会の芸術部、職業組合プロフソユーズ集団農場コルホーズ中央部ツェントルの完全な共同管理の下におくこと。劇場中心を、生産労働区域に移動さすこと。
 これは、ソヴェトにおけるプロレタリア芸術の発展に向っての目覚ましい一飛躍である。

 コムソモールカのタマーラが思案にあまったようにして椅子にかけ、コムソモーレツのミーチャに訊いている。
 ――ねえミーチャ、コムソモールカは子供を生んじゃいけないんだろうか?
 ミーチャは菜ッ葉ズボンに年中縞の運動シャツを着てる若い工場労働者だ。突撃隊員ウダールニクだ。
 ――なアんだい! まるでルナチャルスキーがきいた通りの質問だね。コムソモールカは間違いなく子供を産んでいいんだよ! しっかりした次の交代者スメーナをこしらえるに、コムソモールは子供を産まなくちゃならないんだ。
 ――私はそう思ってる。けれどフェージャの考えは違うのよ。
 ――ふーむ。どう?
 ――フェージャは今朝私に云った。赤坊だの、おしめだの、家庭だのって時代おくれの俗人趣味だ。俺はいやだ、って……
 ミーチャは手に持ってた針金の束でポンポン自分の脛をたたいた。(彼は彼等が棲んでるこの借室へラジオを引こうとしてるところである。)
 ――じゃ何かい、フェージャは……馬鹿らしい! お前達んところにはこうやってちゃんと独立した室があって、職業があって、しかも工場にあんないいヤースリ(托児所)があるのに――。安心しといで。俺が云ってやるから……フェージャは間違ってる! だがね、
 単純な困惑を現わしてミーチャは頭を掻いた。
 ――畜生、俺がフェージャぐらい言葉の数知ってたらな!
 フェージャは、書類入鞄をそこへ放ぽり出してカーチャを追っかけている。
 ――ねカーチャ、一寸僕の云うこときいてくれよ! 僕は全く君なしで生きるなんて、そんなこと考えられないんだ。
 ――お前、私の前にはタマーラに、タマーラの前にはリョーリャに同じことを云ったじゃないの。
 バンドつきカーキ色のコムソモールカの制服をつけて、カーチャは冷静だ。彼女はコムソモール・ヤチェイカの委員である。
 ――全く場合が違う。ね、カーチャ、考えてくれ、僕たちの周囲に君をおいてどんな知的な女がいる? くだらない俗人女メシチャンカか頓智一つ持ち合わせない職場の棒杭かじゃないか! そういう無智な圏境で――カーチャ!
 カーチャは腕時計をのぞき、それから放ぽり出されている書類入鞄をひろって、フェージャにわたしながら云った。
 ――さ! この報告は今夜七時までに書記局へ行ってないじゃならないものよ。……
 そして一寸皮肉に笑って、
 ――「事務は事務ですよ!」

 ――とてもいい※(感嘆符二つ、1-8-75)
 日本女の後で一つ椅子にかたまってかけている二人のピオニェール少女が顔をほてらして熱心にうなった。フェージャ自身がついさっき、「事務は事務ですよ」と云ったんだ。急に母親が死んで村へかえらなければならない若いコムソモーレツが金の融通を工場委員会へ頼んできたのに、時間が五分過ぎてることを理由にはねつけて、官僚主義を発揮したばかりのところなのだ。
 日本女は時計を見た。もう十二時すぎてる。だが演る者も観るものも疲れを知らずユサリともしない。この官僚主義者、新生活の擾乱者の標本が、世界無産婦人デーの夜、トラムによってどう撲滅されるか、息をつめて観ている。

 外でモスクワは濡れた春のビードロ玉だ。夜が更けるにつれ益々すべっこくなった。モスクワ大学横の暗い坂をタクシーが一台登ろうとしては辷って逆行していた――が、読者よ、そんなにおそくまで平気で子供をほったらかし無数のソヴェトの母親がクフミンストル※(濁点付き片仮名「ワ」、1-7-82)・クラブのの広間で、芝居に熱中してると早合点してくれるな。СССРの勤労者クラブは、きっと建物のどっかに「母と子の室」を備えている。そして母が彼女等の芸術的な或は政治的な啓蒙を吸いこんでいる間、それらの母の赤坊は「母と子の室」の小さい白い寝台の上で静かに眠り、かれらの酸素を吸っているのである。
〔一九三一年一月〕

底本:「宮本百合子全集 第九巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年9月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本「宮本百合子全集 第六巻」河出書房
   1952(昭和27)年12月発行
初出:「改造」
   1931(昭和6)年1月号
※「――」で始まる会話部分は、底本では、折り返し以降も1字下げになっています。
入力:柴田卓治
校正:米田進
2002年10月28日作成
青空文庫作成ファイル:
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