革命の当時から、ソヴェト同盟について悪い逆宣伝ばっかり企らんでいたブルジョア帝国主義者どもも、今では一つの、驚くべき事実を認めないわけにはいかなくなって来た。それは、ソヴェト同盟にだけは、とにかく失業者がなくなってしまったということだ。まわりの資本主義国ではどうだ。永遠の好景気をゆめみていたアメリカが、既に六百万人からの失業者を出している。行きづまった資本主義帝国では産業の合理化と労働強化で、プロレタリアートをしめ木にかけてる。生活水準、労働条件は悪化するばかりだ。
 世界にあふれる凡そ四千万人以上の餓えた失業プロレタリアートと、いつその失業群につきおとされるかわからない就業労働者とは互に手をつなぎ、このジリジリ迫って来る止めどのない餓死から身を守ろうと戦ってるのだ。
 世界じゅうのどんな意識の低いプロレタリアートでも、彼がプロレタリアートならやきつくように知っている。ソヴェト同盟では、失業者がないんだということを。
 そればかりじゃない。ソヴェト同盟の労働者四割三分五厘というものは七時間労働で働き、しかも賃金は一九二八年から平均一割二分一厘の率で、諸君! 下ってるのではない。断然あがっているのだ。
 では一体ソヴェト同盟では、いつから、どうして、そんな失業のない状態がはじまったんだろう?
 一九二八年、ソヴェト同盟には、十六歳から五十九歳までの男女労働者、百十三万三千人が職場をもっていなかった。つまり失業者が、それだけあったんだ。が、ブルジョア国の失業者とソヴェトの失業者とは、その時からタチが全然違ったものだった。誰でも知っている通り、十月革命は、ソヴェト・ロシアで、生産関係を先ず第一に変えた。そこでは生産の為の生産が、計画的に行われるようになった。国家計画部、最高経済会議は先ず一年の生産予定計画をたてる。それから国内の労働者総数を調べ、どの生産は今年どれだけ拡張するから、何人、どういう技術をもった労働者が新しく必要かということを決定する。百十三万何千人は、ソヴェト国内の産業が十分発達してないため、あまった人数だった。同じプロレタリアートでありながら、心ならずも仲間の賃銀たたきさげに利用されるブルジョア国の悲しき産業予備軍ではなかったんだ。
 ところで、一九二八年――二九年から、ソヴェト同盟では、えらい勢で生産拡張五ヵ年計画が実施されはじめた。
 都会に工場はドシドシ出来る。
 農村で集団農場がどんなに殖えたかは、去年の穀物総収穫が、一昨年の七千百七十万トンに比べて八千六百六十万トンに増加したことで明らかだ。
 発電所の新設工場は、ドネープル河をはじめ所々方々で行われている。
 鉱山、油田に於ける労働から、犬をつれて羊を追っている牧童の仕事に至るまで、この二年間にひろがった生産の分野は数えつくされぬ。そこへ、ソヴェト国家は、労働者の能率を増し、同時に健康な休養を与えるため、五日週間を採用した。五日週間によって、今までは二交代でやっていた工場も三交代で、運転するようになった。あれやこれやで、一九三〇年、五ヵ年計画がやっと第二年目を終ったばかりだのに、ソヴェト同盟では失業がないどころか、まだ十万近い熟練労働者がいるという有様になったのだ。
 今はそれでいいとし、然し五ヵ年計画が終って、いろんな仕事が一段落ついたら、丁度東京の新興事業が終ったと同時に失業者がましたように、ソヴェト同盟にも亦、うんとあぶれものが出来るんじゃないか?
 その心配は、ソヴェト同盟では不用だ。ソヴェト同盟は、誰のもんでもない。プロレタリアート自身のものだ。五ヵ年計画は、どんな資本家の儲けのためにされてるのでもない。プロレタリア自身の社会生活向上のためにされてる仕事だ。五ヵ年計画が完成して、いい機械と勝れた技術が手に入れば、ソヴェトで労働者は合理化されてしまいはしない。反対だ。彼等は今七時間働いてるところを六時間だけ働くだろう。そして、プロレタリア文化の光を、この世界に明るく輝やかすのだ。
〔一九三一年二月〕

底本:「宮本百合子全集 第九巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年9月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本「宮本百合子全集 第六巻」河出書房
   1952(昭和27)年12月発行
初出:「戦旗」
   1931(昭和6)年2月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2002年10月28日作成
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