一九三〇年の初夏、レニングラードから「トラム」劇団がモスクワへ興行に来た。その「トラム」劇団と云うのは皆何年か実際職場で働いた経験のあるコムソモール達に依って組織されている劇団だ。初め各々が演劇好きで倶楽部の演劇研究部のメンバーとなり、勉強して祭の日に倶楽部の芝居へ出演したりしていた。ところが段々専門化して来て色んな工場から何人かそういう連中が集まり、コンムーナ(共産制の生活様式)で話すようになった。MOSPS(モスクワ地方職業組合ソヴェト)劇場の教育部に指導されてメキメキ発達した。レニングラード・トラムはもう劇場をもっている。モスクワの方は劇場を持っていないが郊外にあるコンムーナの家で厳格な稽古、政治的な勉強をやりながら活溌に移動演芸団として多くの倶楽部を廻って皆を喜ばしている。その時「トラム」は革命劇場でやったが偉い人気だ。吾々なんか二度も切符を買いに行ったが、売り切れでやっと三度目に這入はいれたという有様だ。その時の上演目録はコムソモールのコンムーナを取り扱った陽気なオペレットと五ヵ年計画に於ける農場の集団化を主題としたドラマだった。オペレットの事だから筋は割合他愛の無い物だし、歌がどっさり這入り陽気にやっているらしくは見えるが全体に漲るユーモアまたは恋愛的な場面の表現の仕方などには、これまでのソヴェトの劇場の何処もが把握する事が出来なかった新鮮な新ソヴェト気質が輝き渡っていた。俳優がまるで新らしい様式と生活内容で育っているから殆ど、彼等自身意識していなそうな若々しさがある。トラムのそこが値打だ。観客はそのオペレットの時なんかは実に大喜びで、幕合には革命劇場中賑かな歌の声で響き渡った。オペレットの音楽が極く大衆的な、単純で可愛いい要素で作曲されているので、若い連中は見ている間に歌を覚え、早速その合唱という訳だ。農村の集団化を扱ったドラマでは中農の息子と貧農の息子との階級的対立が、大きい社会的背景の前に非常によく写されていた。こう云う主題はこなすのが仲々難かしい。五ヵ年計画と共に幾つかその種の脚本が書かれた。例えばカターエフが「前衛」を書いて、それをワフタンゴフ劇場が上演した。だが「前衛」は階級的闘争を個人的な感情の対立をきっかけとして描写したところから、多くの欠点を持った。トラムの演じた集団化のアジプロ劇は政治的な問題を極く見易い農村の日常的事件の中に盛り込んで潤いのある情熱的な演出だった。難かしいことを云えば技術的に未だ未熟だし、田舎臭いところもありはするがトラムにはそう云う欠点を片端から克服して行くだけの唯物弁証法的な努力と正しいプロレタリア的素質がある。つまり現代の建設期のソヴェト青年男女が持っている階級的な強みが彼等の中にはっきり生きている訳だ。何と云っても今ソヴェト同盟で一番活溌に文化活動をやっているのは勤労大衆の中の若い人々、コムソモールを中心としている。誰でも知っているようにソヴェト同盟の工場農場は資本主義国にある工場農村のように唯働かされるところから生活力を搾り取られる場所ではない。機械のあるところには、きっとその機械について働く者の文化的生活というものを考慮した設備がある。どんな工場でも集団農場でも各々倶楽部を持っている。倶楽部には文学研究部、音楽研究部、ラジオ研究部、美術研究部、政治研究部などがある。場所に依ってはとても素晴らしい体育設備をもった所もある。そういう倶楽部の設備を十分利用し、ドシドシ新らしいプロレタリア文化を高めて行くのはどうしても若い連中だ。自主的なこういう文化活動がどんな価値高いものであるかということは革命後十四年目の今日、ソヴェト文壇の新進作家達が殆ど皆、勤労大衆の中から出た労農通信員、それでなければコムソモール出の人々であるのを見ても判る。こういう人達の作品は題材に於いて非常にきっちり大衆の社会主義的建設と結び付いているばかりじゃない。作家自身が従来の所謂プロレタリア作家とは較べものにはならない純粋プロレタリア的な要素をもって生れ育って来ているのだ。絵画の方でも一つの例として独習者画家団と云うのがあるが、主として職場の若い男女だ。毎年一度か、二度、展覧会を開く。絵の方は演劇、文学に較べるとずっと発達が遅れている。文学に於ける有望な新しい作家が勤労大衆の中から出て来るようには若い画家が出て来ないが、それでも展覧会などを見ると内容的にコレチャロフなどが逆立ちしたって捕えられないものをつかまえている。将来興味ある発達の芽がある。知られている通りソヴェト同盟の学校――色んな専門芸術学校、労働科、農村青年のための学校――は生産のために働く工場と農場と常に緊密に結び付いている。ソヴェトの学生の七〇パーセントはプロレタリアートの子供、或いは自身も工場農村に働いている連中だから、云わば学校と工場農村にある青年達の気質も生活様式の基礎的な部分でも一つのもので大した差別は無い、学校内の倶楽部ではさっき云った工場倶楽部内の文化活動が一そう活溌に高度に行われているという訳だ。

底本:「宮本百合子全集 第九巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年9月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本「宮本百合子全集 第六巻」河出書房
   1952(昭和27)年12月発行
初出:不詳
入力:柴田卓治
校正:米田進
2002年10月28日作成
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