時局と作家
          浪漫主義者の自己暴露

 九月の諸雑誌は、ほとんど満目これ北支問題である。そして、時節柄いろいろの形で特種の工夫がされているのであるが、いわゆる現地報告として、相当の蘊蓄をもってその人なりの視点から書かれているのは『改造』山本実彦氏の「戦乱北支を行く」である。同じ『改造』に吉川英治氏の「戦禍の北支雑感」がある。これを読むと吉川氏のようにある意味ではロマンティックな高揚で軍事的行動を想像の上で描き出していた人でも、悲惨の現実、複雑な国際関係の実際を目撃すると、締って来るところもあることがうかがえるのである。

 今度の事変がはじまってまだ間もなかった時、尾崎士郎氏が時局と作家の関係について感想を新聞に発表されていたことがあった。尾崎氏らしい感情の道をたどりつつも結論としては、どういう場合でも作家は作家らしく生きるべきであることを強調されていた。
 九月号の『新潮』では「戦争と文学者」という項を設けて、この問題をとり上げている。作家が益々作家として生きんとする欲求はここにもそれぞれの作家の持味をもって表現されているのである。ダヌンツィオが飛行機で飛びまわってヒロイズムを発揮したような時代からこのかた、今日の世界の動きとその間に生きる作家の気持とは、いか程多角的に、観察と沈着と現実に対する透徹した洞察力を求めるところへ進んで来ていることであろう。吉川氏でさえその場へ行って見ていれば祖界間のデリケートな関係を反映して、文章の表現にも誇張的な日頃の持味を制している。林房雄氏あたりが「いのち」というような紙面で、ソ連を相手に見立てて盛な身振りをしていることなど、氏が褒めて欲しいところが案外そうでもない気受けというようなことではなかろうか。

 ロマンチシズムがある社会的時期に示す危険性というものが人々の注目をひくようになったのは一二年来のことであるが、時局が紛糾したとき、作家らしくない作家的面を露出するのがかえって日頃、いわゆる抒情的な作風で買われている作家であることは、意味深い一つの警告であると思う。たとえば岡本かの子氏、林芙美子氏のある種の文章がそうである。一人の作家が、秘密な使につかわれたことそのことは作家としての名誉ではないのである。装飾でもないのである。そういう面で役に立つならば、役に立てた人に対する徳義として沈黙しているべきことでもあろう。
 現在北支で経過している事件の性質は、全く素人の一市民として見ても、世界歴史の上に豊富、多岐な内容をもっていることがわかる。歴史小説の題材としての蒋介石の生涯は東洋史の新たな本質を語るものであり、彼の波瀾重畳に作用を及ぼす力は尾崎秀実氏の「南京政府論」(中央公論)が分析されている種類だけのものではないであろう。今日及び明日の作家には、文学の大道から、今日おびただしい犠牲を通じて行われている心を痛ましめる衝突と一刻も早く望まれる最善の解決とを、歴史性の動向につき入って観察し描破しようとする熱意、力量の蓄積、鍛練が希望されている筈である。

        国際作家会議
          中国作家に課せられた重荷

 第二回の文化擁護国際作家会議が去る七月四日からスペインで開かれたが、この会議がヴァレンシアからマドリッドに移り、更にヴァレンシアとバルセロナへ移動して、最後はパリに移ったことは様々の点から意味ふかい関心をよびおこす。第二回のこの会議は、開催された場所が物語っているとおりスペインの文化擁護を議題としていたのであった。
 スペインにおける旧い支配者たちによって内乱が企てられたのは去年の七月であった。二年目の今日では、独伊両国の干渉戦と化し、本質的に最も深刻な歴史的衝突の姿を示していることは周知である。殆どすべての学者、芸術家がマドリッド政府の側に在り、有名なセロの名手、私たちに馴染ふかいパブロ・カザルスが全財産を寄附したり、画家ピカソがスペイン美術をファシストの砲火から守るためにマドリッドのプラド美術館館長に任命されたりしているということを、僅かに『セルパン』のニュースで知り得る。

 文化擁護の会議には各国からの代表者八十名(日本代表はいない)ルードウィヒ・レン、マルロオ、ミハイル・コリツォフ、アレクセイ・トルストイ、アンナ・ゼーゲルス、エレンブルグ、ファジェーエフその他。会議は二十八ヵ国の作家組織の代表百名からなる国際事務局を設定し、十八名の統制委員を選出したそうである。なかにセルマ・ラゲルレフ夫人さえ入っている。セルマ・ラゲルレフは彼女の作品を自国皇室に愛読されている作家である。ルードウィヒ・レンの感動すべき活動もこの会議で報告され、ジイドの「ソヴェト旅行記」の批判ものっている。
 スペインが流血の苦難を通じて世界文化・文学の領域の中に新しい自身の価値を創造しつつ、同時にヨーロッパの文化的良心の沸騰する発露、更新力となりつつあることを疑うものは今日いないのである。

『文芸』の「現在中国文学界鳥瞰図」(鹿地亘氏)「抗日作家とその作品」(武田泰淳氏)を読むと、地球の東半球の文学もいかに意義ふかい呻きの中にいるかが察せられる。鹿地氏の文章で、何故今日まで中国文学が特にその理論的な面、批評の面で全く薄弱であるかという理由を学ぶすべての読者は、社会生活の複雑な旧い羈絆きはんが文学を害することの夥しいことに驚かざるを得ないだろうと思う。中国の作家が封建的な重荷とたたかい時を同じくして歪んだる新しいものともたたかわなければならない苦難と堅忍とは、すべておくれて急に育った国の文化が生きぬかなければならぬ急坂な路なのである。
 第三回の文化擁護の国際作家会議はアメリカで開かれるそうである。太平洋をかこむ諸国の文化の正当な開花のために来るべき会議が冷淡であり得るとは考えられないのである。
『文芸』や『星座』が試みはじめたつつましやかな民衆の文化交驩こうかんの機会が、どうかまたすみやかに恢復されることを願っている。

        女の作品
          三篇に現われた異なる思想性

 中本たか子氏は数年来、非常な困難を経て、肉体にも精神にも深い損傷を蒙った。それにもかかわらず、まだ健康も十分恢復していないのに、出獄してからもういくつかの執筆をしている。中本さんらしい骨身を惜しまなさが感じられるのである。「白衣作業」(文芸)もその一つの作品である。これまで、こういう題材が婦人作家にとりあげられたことはなかった。そしてこの作者らしい力をこめた感情の緊張で全篇が貫かれている。
 菊池寛氏が東日の「廻旋扉」でこの作者が昔の浮上ったところをふるい落したことを買っていたが、しかし、あの批評を、作者自身は何とよまれたであろうか。
 元よりも落付いたというような局部的なことは当っているかもしれないが、あの批評を全体として見れば、作家が作家に向っていうものとしては随分変なものであった。何だか役人ぽい。そして、大旦那っぽい。小説をかくものには刑務所もためになるとか、自分が「機嫌を直した」とか。ああいう程度の言葉が、褒めたような印象を誤って一般に与えるところに、謂わば今日の文学の時代的な弱さがかくされているのである。
 中本さんが昨今書かれるものには、大衆の生活と発展というものを見る角度、労働というものを見る角度に、独特の見解が示されて来ているのであるが、「白衣作業」でも、主題はやはりその基調の上に立てられている。ある作品が、題材的には極めて具体的であるが、主題は必ずしも客観的な現実をとらえ深められているのではない場合、作品の歴史的真実性は減殺されざるを得ない。特に、この種の作品は、作品の出現の本質に、その点の統一をきびしく求める因子をふくんだものなのである。

 一方に池田小菊氏の「札入」(改造)がある。他方に尾崎一雄氏の「暢気眼鏡」(文芸春秋)がある。その中央に、この二人の作家に直接間接影響をもっている志賀直哉氏の生き方と芸術的境地とを置いて考えると、池田氏、尾崎氏、それぞれ志賀的完成をあばいてもっと生々しく自分を確立しようという努力の途上で、今日どんな方角へ出て来ているかという点が真面目に考えられるのである。「札入」の作者は「万暦赤絵」がその経済的知的貴族性から持っていない俗塵、世塵を正面から引かぶろうと構えているらしい。しかし、作者は自身の気構えのつよさに現実の苛烈さを錯覚しているところもある。志賀直哉氏の人為及び芸術の魔法の輪を破るには、志賀氏の芸術の一見不抜なリアリティーが、広い風波たかき今日の日本の現実の関係の中で、実際はどういう居り場処を占めているものであるか、何の上にあって、しかくあり得ているかを看破しなければならないのである。志賀氏から縦に一歩、歴史的に一歩出なければならないのであると思う。

 佐藤俊子氏の「残されたるもの」(中央公論)はこの作者の感覚が横溢していて、帰朝当時『改造』に書かれた作品より、地があらわれているともいえる。作者が、駒吉という少年の感情の動きの中に暗示し、希望しようとしている勤労者としての健全性の要求もわかるのであるが、十五歳の少年の半ば目ざめ、半ば眠っている官能的な愛、その対象を母に集注している心持、素朴な原始的な反抗心、それらがこの作者の特徴である色彩の濃い、体温のたかい感覚でかかれているので、たとえば「労働にまけるな。それが労働者の運命なんだよ」という川原の言葉を思い出してがんばろうと思う駒吉の気持も、気持としてのところに止まる感じである。この作品で作者がほとんど我知らず溢れさせている色調と感覚とは、年来の読者に馴染ぶかいものであるだけに、これからの成行が注目されるのである。

        努力の作品
          石川達三氏の「日蔭の村」

 府下西多摩郡の小河内村が東京市の貯水池となることに決定してから、今日工事に着手されるまで六ヵ年の間に、小河内村の村民の蒙った経済的・精神的な損害の甚だしさは、こういう場合にあり勝で、謂わば既に手おくれになってから一般人の注意をひくようになった。悲劇が終結したとき、はじめてそれが悲劇であったことが第三者の心の中に活きて立ち上って来るという現実の一つの例である。

 石川達三氏が『新潮』九月号に発表された「日蔭の村」は、小河内村の住民の永年に及んだ窮乏化と受けた偽瞞と最後の離散とを記録した小説である。一般の読者に漠然とながら用意された心持がある今日であるから、作者の努力は十分に納得される条件をもっている。石川氏という作家の資質にあった題材でもある。
 村民の経済事情が悪化し剥脱されてゆく過程、市会議員の利権あさり、官僚的冷血、自然発生的に高まりやがて無気力な怨嗟えんさにかわってゆく村民の心持の推移などを、作者は恐らく実地にあたって調査した上で書いているのであろう。龍三や安江などの性格化、シチュエーションには、「蒼氓」でこの作者の示した好みの再現が感じられる。石川氏の筆致は、動きがつよくあってしかも奇妙に立体性、色や音がない。そういう大衆ものの持つ特徴が混りあいながらここでは作者の真面目な調べの力で最後まで読者をひいてゆくのである。

 現代社会における都会と農村との関係が、複雑な矛盾に充たされていることは、作者もいっているとおり、様々の形でいくつかの「日蔭の村」をこしらえつつある。農村と都会との分離、対立は文化の面だけでさえ傷ましい裂け口を深めつつある。農村の人々が都会人に対する感情には実にひとくちにいいつくせぬものが籠っているのであるが、それならばといって、都会の住民の九十パーセントは、今日果してどういう現実に生きているのであろうか。
 そこには望まずして対立におかれる苦しさの切実なものがある。「日蔭の村」の作者は、この小説の最後を、「都会文明勝利の歌、機械文明のかちどきの合唱」が「小河内の閑寂な昔の姿」を打ちくだいていると結んでいるのであるが、役人の仕打ちを怨み、東京市民を怨みつつ資本主義的な力に踏みにじられる錯綜を記録的に各面からとり上げようとしている作品の結びとして、これは必要なだけの深さと重さとに不足している。長篇が愈々最後の一行と迫ったとき作者は亢奮する。そのペンの勢いで結ばれすぎている。この題材が真にヒューメンな現代の共感で生かされるためには、作者の眼が「日蔭の村」をくまなく観察すると同時に、近代大都市の只中にある様々な「日蔭の町」へ、その社会感情をくばらなければならなかった。この作品で、都会が農村に対する一般的な破壊力としてだけ立ち現れる旧套にとどまったのは遺憾である。少くとも作者の洞察の前では、水道を切られている日蔭の町の居住者達の存在が社会的相関的に見とおされている上で、農村の蹂躙が語られるべき現代であると思う。

        一つの宿題
          舟橋聖一氏の「新胎」

「新胎」という舟橋聖一氏の小説(文学界)を読みはじめて、ああ、これはいつぞや『行動』か何かで読んだのに似ていると思った。編輯後記を見たら、旧作「濃淡」に骨子を得云々とあり、作者もそのことを附記されている。
 旧作が生憎手元にないので比較して作者の新たな意企や技術の上での試みを学ぶことが出来ないのは残念である。「新胎」について技術的な面で感じることは、現実の錯雑の再現とその全体の確実性の強調として、作品の上で、科学的用語や保険会社の死亡調査報告書、くびくくりの説明図などに場所を与えすぎることは、寧ろ却って読者の実感を白けさせる危険があるのではないかということである。探偵小説はしばしばこういうリアリティーの精密そうな仮普請をする。それが科学的に詳細であり、現実らしい確実さがあればある程、読者はその底にちらつくうそへの興味を刺戟される。舟橋氏が、この「新胎」というある意味での現代図絵に、そういう面白さも加味しようと意識されたのであれば、やはりその面白さの試みは、作品の真のテーマと游離した結果になっている。この小説で作者の語ろうとするテーマは、朝田医院主及びそれをとりまく一群の現代的腐敗、堕落を逆流として身にうける志摩の技術的知識人の人間的良心、能動性の発展の過程に在ることは明らかである。単なる事件、人事関係、デカダンスの錯綜追跡の探偵もの風な興味が主題ではないのである。真面目な意図をもつ小説にどうにかして目新しさ、面白さの綾をつけようと、作者の努力をついに逸脱させるまで暗黙に刺戟しているものを、文学の大局から何と見るべきであろう。読者にとっても作者にとっても、新しくないのに未だ本当の解答は出ていない一つの大きい宿題である。

 舟橋氏の技術的知識人としてのヒューマニズム、能動性の展開の方向がこの作品で読者の関心の焦点となる所以は、二三年前、雑誌『行動』によって当時の文学的動向に能動性、行動主義を提唱したのが、ほかならぬこの作品の作者であったからである。そして、その主張の作品行動として「濃淡」が発表されたのであったが、やがてその創作と提唱が中絶して、今日に至ったのである。
 二年を経て現れた今日の「新胎」は、ある意味でハッピー・エンドの小説である。「冷酷聰明な科学者の態度」から「技術的知識人の生活と医学的ヒューマニズムのために」「野蛮と虚偽から理性を守り、また守るために抵抗する精神」に目醒め、朝田医院をとび出した志摩が、やがて「どうもいままでのやり方は青年の論理だった。爛熟した洞察が必要だ」と思いはじめる。「今までよりずっと大人になるのだ、そして勇気をもち、明白な判断を少しもこだわらずに、キチンとしてゆく、無駄な神経をつかわず」そして、「実力をつける」ために、その主人はつかまっているがかつて飛び出した朝田の医院へ、新規蒔直しに何もかもやってくれという夫人の求めに応じて戻ることにする。その夜妻が姙娠しているときかされて、新鮮なショックを感じる。「そのとき彼の耳は既に、医者の耳でなく父親の耳であり、人間の耳であったのだ。彼は長い間の難解な問題が思わずここに釈然とした思いがした」ところが、この作品のヒューマニズムの帰結なのである。

「あらくれ」に同じ作者によって書かれている自分の家系の物語、愛子物語をあわせ読むと、舟橋氏のヒューマニズムが一般人間性の観念にあやまられ、血肉の情に絡まって今日、どのような洞に頭を向けているかが実に明瞭に分るのである。
 このハッピー・エンドのヒューマニズムは、心ある読者に鋭い疑問と憤りふかい悲しさを感じさせる。知識人としての憤り悲しみを感じさせる。この短い文章で書きつくすことが不可能であるほど、重大な、深刻な現代日本におけるヒューマニズム下降線を、「新胎」は『文学界』の誌上に席を得て示しているのである。
〔一九三七年八月〕

底本:「宮本百合子全集 第十一巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年1月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「報知新聞」
   1937(昭和12)年8月25〜29日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年2月17日作成
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