一

 十月号の『文芸』に発表されている深田久彌氏の小説「強者連盟」には、様々の人物が輪舞的に登場しているが、なかに、高等学校の生徒で梅雄と云う青年が描かれている。
 この小説で、作者はおそらく作品の小さくて破綻のない気分の磨き上げなどというところを目ざさず、大きくダイナミックに動いて作品として勇気のある不統一ならばそれが生じることを敢ておそれぬ心がまえであったのだろう。描こうとする現実と平行に走っているような筆致と、現実に真直うちあたって行って描写している部分とが二様にまじりあってこの作品の中に際だっている。松下夫妻の故郷で行われる祝典のいきさつ、それに加わる松下夫婦の生活を語っている部分などは、作者が対象と平行して走り、或は歩きつつその光景を読者に話しているやり方であり、この作品の中で芸術的には弱い部分をなしている。
 ところが、梅雄について描く場合、作者は対象に面と向って、或は対象の内部へまでくぐり入って描き出しており、本屋での場面のような鋭い情景として内容のこもった立体性を捕えている。私は、この作で作者が自身のスタイルを試しているようなのが面白かった。流行の説話体というものは、或る独特な作家的稟質にとってだけ、真にそのひとの云おうとすることを云わしめるもので、多くの他の気質の作家にとっては、必要でもない身のくねりや、言葉の誇張された抑揚や聴きてを退屈させない芸当やらを教え込むもので、意味をなさぬ。深田氏は、くねくね式説話には向かぬ天質の人に生れているのではなかろうか。やっぱり正面から当るたちではなかろうか。深田氏はこの作を書き終ることで、その点をどう考え、作家としての自己をどう発見しておられるか。私はそれらのことを、考えるのである。
 ところで、作中の梅雄が学生運動の最も盛んであった時期に経験した内的成長の過程を語る部分に、次のようなところがある。
「梅雄は理論的にはこの主義に何の反対も見出さなかった。ばかりでなく、これより他に……さえ信じていた。それでいて、その中に飛び込むのを留める何物かが心の中にあった。」臆病もあったが、「しかしそれよりもっと大きい原因は、流行に対する一種の反撥心みたいなものであった。彼は真面目な人は尊敬していた。だが日頃こいつがと思っているような軽薄な奴までが、忽ち往来の何もかもを否定し梅雄などを木ッ葉みたいに云い倣すのが我慢ならなかった。」「おけら共が派手な弁舌で時を得顔な時代思潮を説いているのを見ると」「流れに身をまかせて安きについているようにさえ思われた。」
 梅雄はそれでひねくれてしまうのではなく、反動的な生き方をする人々を凡て軽蔑し、その点で姉である松下夫人をも人間として軽蔑しているのである。
 私の次弟は、一九二九年の夏、高校の三年生で自殺をした。そういう経験からも私はこの条に注意を喚起されて読んだのであるが、荒木巍氏の「新しき塩」(中央公論)の中でも、違った形と作者のテムペラメントにおいてではあるが、やはり「流行的な参加の仕方に反撥を持ったによる」と云うことが自信をもって云われている。今日、文学の中でこういう表現が確信をもってされ、それとしての通用性を自覚した感情で云われ得ているということが、複雑な思索を刺戟し、心を揺って更にひろい、過去未来への問題へ私を誘い出すのである。

          二

 数年前のことであった。志賀直哉氏が何かの場合に、自分は思想としてのマルクス主義に反対はしないが、その中で働いている人間をいきなり尊敬することは出来ない、という意味を語ったのを間接にきいた。
 いかにも志賀氏らしい言葉であると、当時私は面白く思った。そういう一見はっきりした潔癖性、この人生における座の構えによって、その構えを可能にしている土台のある限り、志賀氏のリアリズムは「万暦赤絵」の境地に安坐するであろう。そう思ったのであった。
「強者連盟」の梅雄の生活感情を読み、「新しき塩」で魚住の云っていることを読むと私の記憶には志賀直哉氏の言葉まで甦って来る。そして、一つの声を加えるのである。
 石坂洋次郎氏の「麦死なず」を流れる感情も根柢に於ては、ここに血脈をひいている。「麦死なず」に対する批評に向って反駁的、勝者的気分で書かれている同氏の「悪作家より」(改造・十月号)でその気分は極めて率直と云えば率直、高飛車と云えば高飛車に云われているのである。
 石坂氏のように、さア、返事はどうだというような気持も、主観的には壮快なるものがあるかもしれない。だが、今日の文学が、過去の或る期間においては十分云い切る自信を与えられなかった作者自身のうちに在るそういう社会感情の一面を開放しつつあるという現象は、果して今日の作家の、より高い、人間的・文化的自由の獲得を意味しているのであろうか。
「左翼文学が今日沈潜期にあることを思って喧嘩すぎての棒ちぎりといった疚しさを抱かせられたが」云々と、石坂氏は対象を或る種の左翼的作家、或は思想運動者の上にだけ置いて物を云っているように見える。けれども日本の左翼運動の歴史的な退潮の原因は単にそういう一群の生活の裡にのみ在ったのであり、又敗北の結果は単にその一群の生活の上にだけ降りかかって終るものであろうか。
 今日作家が一般的に、こういう面でのみ闊達であり得るということについては、慶賀すべきか、或は憤ってしかるべきことなのであろうか。
 大森義太郎氏の「思想と生活」(文芸)には、「麦死なず」に対する批判的感想として、正しい思想はよしんば各個人の実生活における態度と一致していないでも、思想そのものとして、実生活と一致している低俗な思想より価値が高いということを、主張されている。これは、「麦死なず」に於て、五十嵐が牧野を酷評するモメントを、その意識的思想と実際の生活感情の乖離においていることに対して、のべられているのである。
 石坂氏の「悪作家より」とこの大森氏の感想文とをあわせ読み、私は、日本における左翼運動が、世界独特な高揚と敗北の過程をとっている、その一般的な歴史的素因の複雑さを、裏からはっきりと、透して見せられたように感じた。何故なら、石坂氏が一プロレタリア作家牧野に最大限の階級的完全性を要求しているその感情こそ、裏をかえせば、とりもなおさず、嘗てプロレタリア作家が少なからずそれによって非難をうけて来た人間の観念化を来らしめたその感情なのであるから。そして、大森氏によって指摘されているこの一種の現実歪曲の根源はと見れば、それは微妙にも当の大森氏が立派な思想は生活とはなれていてもそれとして人々を益すると云っている、微塵悪意のない、だがそこから実際には沢山の抽象論、機械的解釈を発生させるひびの間から、立ちのぼって来ているのである。

          三

 プロレタリア作家の今日における敗北の本質は、その中に人間的にいかがわしき人物をもっていることにあるのではない。自身の敗北の十分な意識の上に立って、その社会的・歴史的要因を作品の中でつきつめようとする熱意を欠いていることである。あらゆる進歩的なインテリゲンツィアと勤労者に、その敗因が全くひとごとではない連帯的な現実の中にあるということを、芸術の息吹によって深く感じさせるべき義務を果して得ていないところに、その努力によって敗因を克服する意志をふるい立てぬところにあると思われるのである。
 ヒューマニズムの提唱が総て非人間的な抑圧に抗するものとしての性質をもっているからには、文学に関して云われている社会性のことも、以上のことと全然切りはなしては考えられないのである。
 作家が、作家となる最も端緒的な足どりは周囲の生活と自分のこうと思う生活との間で自覚される摩擦である。階級的にどんな立場をとるに至るにしろ、先ず自己というものの意識、それを確立しようとする欲望から出立することは小林多喜二の日記を見てもわかる興味深い事実である。日本のようなインテリゲンツィアの社会環境と思想史とを持つところでは、或る意味で強固な個性が当時の流行的思想に反撥することが、一種の健全性としてあらわれる場合もある。然し、既に今日の現実の中では、わが個性の確立、発展の欲求を自覚すると同時に、実際問題としてそれを制約している事情との日常的な相剋があり、社会的事情の改善なしに個性の発揚は不可能であるという客観的事実を示している思想は、空な一流派の流行とかその衰退とかの問題であり得ない。
 思想的発展の伝統の中で、日本の作家は真の個人主義時代を通過していない。そのために、封建的な自我の剥脱に抗する心持と、新しい社会的事情に向っての闘争の過程で自己を拡大するため、集団的、階級的な形態で自我が認識されなければならないという事実との間に、面倒な理解の混乱が生じ勝ちであり、後者に反撥して自我を主張することから、逆に、最も保守的なものへころがり込む場合さえあるのである。
 私は、フランスをとおり、ソヴェトをぬけて帰って来た横光利一氏が、今後どんな風に人及び作家として展開してゆくかという点に、或る興味をもっている。横光氏は、作家としての出発当時、先ずその時分支配的であった小説における志賀直哉氏の影響を反撥することから、歩み出したということをきいたことがある。そのようにして歩き出したこの作家は「上海」を意味深い転期として、いわゆる「流行」にまけることを潔しとせず、プロレタリア文学に反撥する強力な緊張で「寝園」「盛装」に到る境地を築き上げて来た。彼の見事さというものは、謂わば危くも転落しそうに見える房飾つきの水盃を、百尺竿頭に保っている、その際どいかね合いで、拍手は、その緊張に対し、そのサスペンスの精力に対してなされた。
 素朴な云い方をもってすれば、私は、石坂洋次郎氏や横光氏その他の野望的な作家が、プロレタリア文学に対立することで、実はプロレタリア文学を敗北せしめたと全く同じ性質の日本的事情に、形こそ違えやっぱり小股をすくわれていたのだという事実に対して、人間らしく、口惜しがってほしいのである。
〔一九三六年十月〕

底本:「宮本百合子全集 第十巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年12月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第七巻」河出書房
   1951(昭和26)年7月発行
初出:「時事新報」
   1936(昭和11)年10月6〜8日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年1月16日作成
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