十一月一日から三日の間、新日本文学会の第三回大会がもたれた。こんどの大会は、各専門部会の報告、中央委員会報告、各地方支部、文学サークル協議会の報告で、充実したプログラムであった。第一回、第二回と大会をもってきて、去年から今年までの一ヵ年が、日本の民主主義文学の発展の過程として非常に複雑な、具体的な内容をもって経験されたことが示された。しかし、三日間の大会で討議の時間は最終日にわずか二時間たらずになってしまったことは、問題の発展的な討議を不十分にした。
 こんどの大会の第一日に、小説部会の報告があった。よく整理され、十分間で、一年間の小説部会としての報告が行われた。そして、この報告は、報告そのものが一つの問題としてあらわれた。過去一年間の新日本文学会員の創作活動が、作者と作品の題名、発表誌の名だけをならべて報告されたぎりで、各作品が民主主義文学のきょうの段階にとって、どういう意義をもつものかという評価は一つも行われなかった。そのかわり、小説部会は、第三回大会に向って民主主義文学の基礎である三つの問題をだした。一、「創作をはばむものはなにか」、二、「評価の基準」、三、「民主主義文学の主体はなにか」これら三つの基本的問題が、こういう問いの形でだされなければならなかった以上、小説部会の報告が創造活動についてただ記録し羅列する形しかとれず、発展的、鼓舞的なヒントを与えられなかったわけである。小説部会の報告では、過去一年間理論と創作活動とがてんでんばらばらに行われ、各作家もそれぞれの特質を発揮して活動したにもかかわらず、民主主義文学運動として統一綜合された力として感じられなかったという点もふれられた。
 ところで、三日の間、理論部会や中央委員会の報告をきいたわたしの心に、やはりこの小説部会報告のなかにあったような、一つのみたされないこころもちがのこった。それぞれの報告は、それとして熱心であり、勉強されており、発展的なモメントをふくんでいながら、会衆の精神をめざまし、情感をかきたて、民主主義文学のために努力しているものとしての歓喜や勇気を感じさせる統一的な熱量を欠いていたことである。一つ一つの報告が盆にのせられた果物のようにあらわれた。生きて、交流して、たがいに響き合うなにかが欠けていた。これは議事の進めかたとも関係があっただろう。しかしながら、やっぱり感銘としてはそのものたりなさが深くのこった。徳永直が折にふれてよくいう文学的なぬくもりの不足という言葉も思い浮んだ。
 文学のあたたかさ、熱気、創造にはげましふるいたたせる熱量は、けっして世俗の人情の上にだけ立つものではない。千八百円ベースの日々の辛酸が図表や統計にあらわされて、バケツは二百年に一箇、靴七年に一足と示されたとき、家々のチャブ台のまわりの歎息は公の場所にその整理された形での実感を見いだし、実感が必然の行動にうつるスプリング・ボードの一つともなってくる。創作への情熱は、作家の実感のなかで、テーマへのうちこみと表現の欲望のうずきとして感じられるものではあるけれども、そのうちこみをもたせる自分のテーマへの信頼は、どこから生れるだろう。あるテーマは本質的にある表現をもたせるが、それがそれでよい、という文学上の信念は、どこから湧いてくるだろう。今日の社会と文学の現実はいくらかでも、社会的自覚をもって、前進的に生きようと欲し、前進的な文学を生みたい望をもっているものにとって、個人的な、才能主義で解決するようなものではない。文学的情熱の抛物線が大きくゆたかであるためには、ごくしっかりした、ふみごたえのあるスプリング・ボードがいる。
 日本にプロレタリア文学運動がおこって、文学の価値評価の客観的な基準の問題がとりあげられるまで、日本の文芸批評は、ほとんどすべて批評するものの主観による印象批評であった。一人の若い婦人作家が、少しずつ作品をかきはじめたようなとき「へそのあかでもほじっているがいい」というふうにいわれた場合、批評と創作活動とのおかれる関係は、だいたい想像される。その時分、すべての作家は里見※(「弓+享」、第3水準1-84-22)がそのころいっていたように批評を無視する態度をとった。本心において批評を気にしないわけではないが、それを気にしていたら、一つの小説もかけないような工合だった。一人一人の批評する人が、てんでのうけとりかたばかりに立って、内在的な心理や感受性にしたがって感想をのべ、注文するのであったから。
 プロレタリア文学運動の初期に、平林初之輔によって外在批評の提唱がされ、だんだん客観的・科学的な評価の基準が究明されていった。一九三三年プロレタリア文学運動がまったく抑圧されてしまうころ、まだ日本の進歩的な文学における評価の基準は、しんから確立しきっていなかった。それは、当時の日本に独特な転向という現象が各方面におこっていたことを思えば十分わかる。進歩的な文学の評価の基準の一つとなる社会発展の歴史的な現実認識、文学における階級性の自覚の問題は一九三三年、屈伏に便利な多くの歪曲をもって行われた過去のプロレタリア文学運動批判ということのなかで、きわめてあやふやな、動揺的なものとされた。そして、今日わたしたちにもたらされている不幸は、それからのち文芸評論の仕事を志し、プロレタリア文学理論を学んだ少からぬ人々が、その骨子を歪められた批判的プロレタリア文学運動史を土台にし、暴力に対して膝頭をかがめた階級文学の諸理論のなかをひきまわされながら、現在の活動力を蓄積しなければならなかったという事実である。
 プロレタリア文学運動がはじまってから、作家と理論家との活動は、当然新しい統一と協力の方向をとった。そのころの日本における階級的自覚の段階から必然されて、プロレタリア文学運動では、理論活動が創作活動よりも先進した。自然発生にあらわれはじめた無産者文学一般の中に、プロレタリア文学とルンペン・プロレタリアート文学とのけじめをつけ、プロレタリア文学と農民文学、同伴者文学との現実的な関係をあきらかにしたのも、プロレタリア文学理論であった。文学内部の課題として、世界観の問題、内容と形式の問題、リアリズムの発展についての研究、主題の積極性の問題など、すべての理論活動は、作家の創作活動の具体的な動きに沿いながらも一歩半歩ずつ先に立って、未知の社会的・文学的崖に、切りどおしをつける役割をもった。その間に、理論家と作家との感じる困難がなかったわけではない。多くの摩擦があった。作家はいつの時代にでも、一つの段階からより成長した段階への移行に時間がかかる。作家にとってその成長のひとまたぎは、どんなにささやかなものであるにしても、つねに血肉をもって生きられたひとまたぎでなければならなかった。しかし、理論家にとっては一篇の作品を細心に吟味することで、プロレタリア文学として次の発展段階へ、しかじかにありたい、という要望をひき出すことが可能である。作家が、その要望を自身のものとして実感したとしても、作品の現実でそれを具体化することは、必ずしも、作家にとって一二ヵ月の間にゆるされる可能でない場合が多い。とくに、プロレタリア文学において、この点は深い意味をもっていた。プロレタリア文学における作家の成長は、ブルジョア文学の分野にあるように、ただ書きかたのこつの問題ではないし、独特性の異色の獲得でもないし、ましてただ珍奇な題材の発見の問題ではない。プロレタリア作家は、日本の社会の歴史とともに階級的に成長しなければならなかったのだから。極端な暴圧とたたかい自身の恐怖を克服しながら――。
 プロレタリア文学運動で、はじめて日本の作家の一部がこれまでの小説をかくこつや文学のかん以外の客観的なところに自身の創作理論をもつことができるようになった。作家が評論風な執筆をする能力をもってきた。これは、感性的・主観的にだけ流れてきていた日本の現代文学史の中で注目される一こまである。そして最も興味あることは、この現象が一人の作家の上に、大きい矛盾としてさえあらわれたことである。たとえば、わたしのように、文学における階級性の問題などまったく知らずに書きはじめた作家が、プロレタリア文学運動に参加したとき、理論的な大すじについての理解と創作活動の実践にくいちがいをおかした。理論めいたことについて、理解が素朴であるだけにむしろ極端に強硬だが、創作は正直に自身の新しい生活経験の蓄積の貧寒さをあらわして、ろくな小説一つもかけないという、当人にとって苦しく、文学史的には興味つきない時期をももたらしたりした。
 今日、民主主義文学の運動のなかで、理論的活動と創作活動との統一、有機的な協力は、いっそう重要になってきている。なぜなら、世界の資本主義がファシズムにまで進んだ一九四〇年以来、被害をうける人民層は労働者階級ばかりでなくなった。フランスが反ファシズム運動としての人民戦線、文化擁護運動を世界に提唱したときから、すべての人民層は、インテリゲンツィア、中小工業者までをふくめて、自身の生存権のためにたたかわなければならなくなった。プロレタリア文学運動が、民主主義文学の運動として展開される必然は、こういう世界史的な人民的基盤をもっている。そこでは、あらゆる社会階層の、あらゆる生活内容の、あらゆる矛盾をもった精神が、ただひとすじ、人民的生存の要求にせき上げられて、抑えがたい声をあげてゆくわけである。作品は、それが作家の全実感に支えられ肉体的なものであるという意味で、理論的労作にくらべれば、どういう場合でも、自然発生的な要素をもっている。種々さまざまのニュアンスと角度をもって生れる民主的傾向の諸作品を、民主的な人民の歴史の推進勢力である労働者階級の現実と課題にてらしあわせて、それぞれがどういう関係におかれるものであるかを明瞭にし、同時にそのことでそれらの作品をかいた作者たちに、客観的にあらわれた自身の階級性と発展の歴史とのつながりにおけるその在り場所、将来の展望を与えることこそ、民主的理論活動の任務である。
 われわれの理論活動は、このたのもしい義務を活溌に果してゆくためには、まだ十分成熟していず、骨格がしっかりしていない。このことが新日本文学会の第三回大会の小説部会の報告に赤裸々に表白された。そして、この報告につづくいくつもの理論部会の報告は、おのずから、小説部会からの訴えが根拠のないものでないことを感じさせたのであった。
 今日民主的立場に立つ若い評論家は、新しい作家が成長してくるよりも早い速度と人数とで活動に参加しはじめている。それは、第三回大会で、理論部の報告をした人々のほとんどすべてが、去年の大会にはそういう部署についていなかった新人であったことをみてもわかる。
 新しく活動にしたがうようになった評論家は、それぞれにちがいながらある共通な困難をもっている。それは、これらの人々も日本のインテリゲンツィアとして、全人民の一部として、久しい戦争の年々の間、理性的文盲政策のもとに苦しみ、すき間から洩れる光を追うように、自分たちの生存と文学の理性を辛くももちこたえてきたと同時に、マイナスの面もさけきれなかったという事実である。
 戦争の年々の絶大なマイナスのために日本の民主化は今日混乱し、独善にはびこられてもいる。作家も評論家も、この混迷からまったく自由にはなっていない。日本の民主主義革命の現在の本質をはっきりつかまないところからおこるブルジョア民主的な自我確立論、または、実際の批評にあらわれたような部分的形象論のなかに作品全体の評価を埋没させてしまうような現象がある。同時に一方には、一つの作品が描き出しているものの社会的客観性を見ないで、作者がとらえている題材の点からだけ、私小説であるとか、そうでないとか論議する機械的な傾向もある。
 とくに今日の日本の現象として注目されることは、多くの若い評論家群が、自身の理論活動によって、これまで抑えに抑えられていた自分というものを存分に働かしてみたい本能的な欲望にうごかされているように思えることではなかろうか。日本じゅうの人民が、八月十五日ののちに、官能として感じたといえるこの欲求を、同じ窒息状態に過した評論家たちがどうして感じなかったことがあろう。これはあるいは意識に潜在する欲求であるかもしれないが、潜在するその力は現実にきょうの理論活動に作用している。過去のプロレタリア文学理論の発展的展開をめざしての努力であるだろうけれども、その発展のモメントは、一人一人の理論家が、自分として着眼した点を主張するところにおかれている傾きがつよい。理論活動も人生的な実感に立たなければならない。それぞれの理論がそれぞれの階級的蓄積と天稟とにしたがって、民主主義文学運動に貢献してゆくいとぐちは多種多彩であってこそ自然である。けれども、どういう門から入ろうと、それがかずらのからんだ小門からであろうと、粗石がただ一つころがされた目じるしの門からであろうと、あらゆる道が、一つの民主主義文学の広場に合し流れ集まらなければならないことは明らかだろう。理論家は自分としての着眼のモメントに立って、その着眼の筋を辿りつつ大股に、民主主義文学の核心に歩みすすんで、その理論と自分とを、階級的に強壮に発育させなければならない。おのれの第一歩的な着眼に固執して、千たび万たび、その角度からだけものをいい、またはその着眼のために理論の全体的な把握を失うような習癖に陥り、それがやがてジャーナリズムにおけるその人の商標となったりしては、理論家としての成長はまったくすたれてしまう。そして、これまで書いている作家が、そのことでかしこくされないとともに、これから書こうとしているかくれた新鮮なエネルギーの上にかかるかさぶたになってしまうだろう。
 小説部会が「創作をはばむものはなにか」という形で出した問題は、こういう機会に詳細につきつめられていいことではなかろうか。現在の歴史のなかで考えられる民主主義文学の主体が、十九世紀のインディヴィジュアリズムのように単なる個々人の自我ではなく労働者階級であることは、大会でもさまざまの人から明瞭にされた。労働者階級とその同盟者としての農民、それに協同して革命を遂行してゆく小市民およびインテリゲンツィア。民主主義文学の主体をそのように理解すれば、文学評価の基準が、歴史の推進発展の方向に沿って、どういうものでなければならないかということもわかりやすいことであろう。作品に対する評価が非常にまちまちで、小説部会の報告として、作品評価がされなかったということは、根本には日本における民主主義革命の現実と、その文学についての現実の理解が、民主的といわれる作家の間にも混乱していることを語ったと思う。
「創作をはばむものはなにか」という問題に対して、わたしたちは新しい真実の解答を見いだし、民主主義文学理論が創作の溢れだす力を阻むというような誤った先入観をうち破らなければいけない。作品を書こうとするものを、また旧い小説のかんやこつに追いこんではならない。そういうまちがいを結果しないために理論家のしなければならないことは、理論家たちがきょうまだ多分に身につけている「私論的要素」をはやく乗りこえることである。一つ一つの作品を分析し、綜合し、生きた作品として評価しつつ、その作品が日本の人民的民主主義のために歩んでいる道を明確に示しつつ、民主主義文学全運動の広場に向って適切に、やさしくきびしく導く能力をもたなければならないと思う。
「創作をはばむものはなにか」という意味深長な伝統を背後にもっている提疑は、この点からこそ作家と理論家と、双方からの努力で氷解されなければならない。作家が創作の力をたかめ、強固にし、あるいは創作する可能性そのものをさえよろこびをもって自身の日々の間に発見してゆくのは、民主主義文学の鮮明な理論が確立され、個々の進歩的意図をもって書かれる作品が、それぞれの角度と本質とで大なり小なり、前進する歴史の生きたいのちに参与しえたことが客観的に評価され、なっとくされたときである。少くとも民主的な立場に立ってかかれた作品に対して、まったく対立する評価があらわれ、それが、民主主義文学の収穫という大きい眼目に立って一致点を見いだせないというようなことがあるとすれば、それは民主主義文学者の敗北である。
 小市民、インテリゲンツィアの生活からの取材によって描かれている作品でも、その作品が全体としては労働者階級の立場に立って社会的現実のリアリティーを描きだしており、日本の社会発展の下で、その主題が発展のモメントに立って扱われている場合それはけっして小市民文学、インテリゲンツィア文学ということはできない。よしんば、職場の読者が、その作品を批評して、目の前に労働者の生活をかいてないというにしても、民主的文学者は、そういう作品でさえも、今日の日本の労働階級の解放と日本の民主主義の達成にとって、どういうつながりをもっているものであるかということを理解させてゆくことが大切である。「それはわたしたちの世界でない」という言葉には、労働者階級としての危険がふくまれている場合さえある。支配者、そして搾取者、さまざまの形でうごめく反動者たちにとって、人民階層の間にそういう疎隔のあることは、どんなによろこばしいことだろう。労働者階級が、かりに自身の仲間、協働者である農民、小市民、インテリゲンツィアなどの革命的価値を清算主義的に見るならば、抑圧の側にとってこんな好都合なことはなくなる。労働階級は孤立し、孤立は無力を意味し、解放は実現されることがおくれるばかりであるのだから。
 文化・文学の面でもこの歴史の発展のこの原則は共通である。永年支配階級の文化政策にしたがえられてきた労働者、一般勤労階級がどんなに旧い低俗ないわゆる文化性に毒されているかということは、こんどの大会で文学サークル協議会から、詩、小説、文学サークル雑誌の質についての報告、批判があったことを見てもよく諒解された。そして、この報告につれて心をうたれたことが一つあった。それは、小説部会が、民主主義文学としての基準からの作品評価を含んだ報告ができなかったのに反して、文学サークル協議会の詩、小説の部門の報告には、簡単ながらちゃんとそれぞれの作品の評価がこめられていたことであった。しかも、それは慎重に発展的に行われ、報告されて、長い拍手をもってこたえられた。
 まだ今日の段階では、そしてこれから当分の間、小市民インテリゲンツィアの民主主義文学への貢献が予想されなければならない。民主主義文学者が労働階級の文化・文学を要望するあまり、現実の発展してゆくこまかい足もとをとばして、過去と現在の積極的文化・文学の業績の吸収と消化なしに新しい文学が生れうるかのような鼓舞激励を与えることは、かえって、地道な新しい文学の創造力の歩みだしを戸まどいさせる。いきぐみばかりつよくて、さて、書くてがかりがつかめるのかわからなくなる。文学ジャンルとしてルポルタージュ文学の奨励だけでも十分ではないであろう。小市民出身の民主的文学者が実際に自分で生きていっている日々の民主的活動の内容や動きから、出身問題だけをきりはなして、自分を小市民でしかありえない、ときめている例がある。これは、労働者出身であれば、その理由だけでプロレタリア作家であったり、民主的作家でありうると考えるのと同じまちがいだといえる。生きている階級性は、生れだけの問題ではない。その作家・評論家のよりたっている社会の歴史とその中における階級問題の見かた、生きかた、実感のありどころにかかっている。きのうも、きょうも、あしたも、ある種の労働者よりもっとよく明瞭に労働階級の意義、人民的民主主義を理解してそのために献身する小市民出身者、インテリゲンツィア出身者がある。この場合これらの小市民であった人々、インテリゲンツィアであった人々は、いまや労働階級の立場に立つ民主主義文学者なのである。労働階級は、自身のたゆみないたたかいを、搾取する階級に対して行っていると同時に、おなじ不屈さをもって、労働者階級のうちに巣くいむしばむ搾取階級仕入れのすべての考えかた、好み、偏見とたたかっているのである。この事実が具体的にのみこめたとき、文学の大衆化の問題について中央委員会から報告されたように、民主的作家は、社会のあらゆる階層を描破しなければならないという課題が、現実性をもってくるのである。
〔一九四八年三月〕
附記 『風知草』『播州平野』『二つの庭』などについて、非常にどっさりさまざまの批評がある。作者して[#「者し」に「ママ」の注記]、それらから学ぶことも多いが、見解のちがうところもある。それらについてはいくらかまとめて書く適当な折もあろうかと思っている。[#「附記」は底本の「解題」に掲載]

底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年11月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
   1952(昭和27)年5月発行
初出:「新日本文学」
   1948(昭和23)年3月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月23日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。