ジョン・ハーシーの「ヒロシマ」と「アダノの鐘」は、日本の読者にもひろくよまれた。そして、ハーシーの作品ににじんでいる人間性に感銘されたという読後感が一致した。「ヒロシマ」は全く記録としてかかれていて「ヒロシマ」をドキュメンタリーに扱うために、ハーシーは日本へ来て、しずかに勤勉にゆきとどいた科学的態度で材料を集めた。第二次世界大戦が人類の生活にひきおこした破壊と惨酷の姿が、「ヒロシマ」にまざまざと一つの典型を示している。原子爆弾が、はじめて殺人の武器として登場したことと並んで「ヒロシマ」は、人類がその文学のうちに初めてもった記録文学の一種である。
「ヒロシマ」がすべての読者に与えた人間的な印象、そこに親切な観察者の眼と心が働いているという感銘は、ひとくちにジョン・ハーシーのヒューマニティと云われて来ている。しかし、このヒューマニティという言葉を、ありきたりの心の温さとか柔軟な感受性とかいう人道主義的な枠の中で理解するだけでは足りないと思う。ハーシーが、一九一四年天津で生れ、中国で幼年、少年時代をすごしてからイエールとケイムブリッジ大学で学んだジャーナリストであるということは、ハーシーの人生の見かた、世界のできごとに対する態度に影響している。天津でミッションの仕事をしていたひとの息子として生れ、天津にいるアメリカ人の少年として青年時代の初期を中国に育ったジョン・ハーシーの心は、喧騒な中国の民衆生活のあらゆる場面にあふれ出ている苦力的な境遇、底しれなく自然と人間社会の暴威に生存をおびやかされながら、しかも、同じように無限のエネルギーをもって抵抗を持続してゆく人々の現実が、どんなに強烈な人間生活の色彩・音響・さまざまの状況の図絵として刻みこまれているかしれないだろう。彼は、その人の夢の中に中国の情景があらわれる少数のアメリカ人の一人なのである。そして、ジョン・ハーシーや、パール・バックやアグネス・スメドレー、エドガー・スノウ、ヒュー・ディーンその他見る夢のなかに中国があらわれることのある人々の精神は、東洋にとって貴重なだけではない。アメリカの常識の良識と誇りあるべき民主主義にとって、今日ほど貴重である時期はない。なぜなら現代のアジアは何かの権勢によって単に処理されるべきところとして存在しているのではないのだから。
 ジョン・ハーシーが、天津に育っている外国人の少年として子供時代から周囲の生活を観察し、それを、あるままに理解しようとして来た心の習慣は「ヒロシマ」の成功の可能をもたらしている。「ヒロシマ」にたたえられているヒューマニティは人間の不幸、悲惨がどういう程度のものであり得るかということを深く理解している一人の男が、その目にあった人々によって語られる物語をきき、そこにあった状況としてこの真実性とそのような状況にぶちこまれて生きるために闘った人間の真実――ヒューマニティを尊重して正直にそれを整理し記録しているところから生れている。その過程でハーシーは、日本人の習慣的な感情、天皇というものに対して植えつけられている錯覚的な信頼の表現などさえも、切りすてていない。(頁一〇四―一〇五)
 新しい文学を語るとき、作者のヒューマニティーがどのような角度で題材そのものの人間性に結合してゆくかという点――結晶点が、注意ぶかく社会的にとりあげられていいと思う。
 第二次大戦中、アメリカの前線報道員として命をおとしたアニー・パイルのほんとに民衆の友としての働きかたは、これも現代のヒューマニティーの花であった。アニー・パイルも、こんにちの階級社会の紛乱とそのわれ目におちこむ多数の人々の不幸、不幸になってはじめてその人にとってその不幸の性質が理解されるような不幸について、深い理解と同情をもつすぐれた人々の一人であった。そして、一握りの人間が、決して自分の靴の底皮をぬらすことなくともかく生きていなければならない人々の大群を不幸に追いこんでいる現代の戦争というものの本質について深く知っていた。
 ハーシーの「アダノの鐘」にもこの感情が主調をなしている。ジョン・ハーシーという人にあらわれているアメリカのプラグマティズムのプラスの面が、この作品に人間らしい生命をふきこんだ。天津に生れ育ったアメリカ人のハーシーが「アダノの鐘」の主人公としてイタリー系のジョボロ少佐をアダノの市に見出していることには意味がある。ハーシーにとって、アメリカが国際的国家であることをよろこび得る理由は「ジョボロ少佐のような人々をもつ」可能があるからである。こんにちの世界で語られている崇高で理想にみちた「プランも希望も、条約も――すべてこういうものは何物をも保証し得ないのである。それを保証し得るものは人間である。いかなる圧迫にも撓まぬ人間の行動であり、わがジョボロ少佐のような人々のみである」と云っている。さて、ジョン・ハーシーは、マーヴィン将軍の専横によってアダノから追放されたのちのジョボロ少佐の生きかたを明日の作品によってどのように追究してゆくだろうか。「撓まぬ人間の行動」として世界の真実を語ろうとするジャーナリストの仕事を、どう展開してゆくであろうか。日本の読者の心にもジョボロ少佐のその後を案じる現実的なヒューマニティーは目ざめつつあるのである。
「アダノの鐘」の訳者杉本喬氏が、ジョボロ少佐をめぐる軍人たちの言葉{に旧日本軍隊の言葉}をつかっておられることは適切でない。そうしないと、軍隊の実感がすくないように思われたのだろう。むずかしいところであるが、旧日本軍隊の言葉づかいが再生されないと実感に遠いように感じる、訳者相互の感じそのものは問題があると思う。「アダノの鐘」はかなり率直に軍の官僚主義に批評をもって描いている。
〔一九四九年十月〕

底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年11月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
   1952(昭和27)年5月発行
初出:「青年新聞」
   1949(昭和24)年10月4日号
   (同時掲載)
※底本が、親本(「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房)の脱字を補った記号として用いている「《》」は、「{}」に置き換えた。
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月23日作成
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