『近代文学』十月特輯号に平野謙氏の「労働者作家の問題」という講演筆記がのせられている。
 その話の中で宮本百合子について多くの言葉が費されている。けれども、わたしへのそのふれかたの中には、わたしが迷惑し、聴衆や読者の判断があやまられるばかりでなく、もっと複雑な誤解や事実とちがう憶測を刺戟する要素がふくまれている。それらの点をはっきりさせたいと思う。
 平野氏の話のきっかけは、『新日本文学』七月にのったわたしの「平和運動と文学者」という講演記録に見出されている。これは去年の十二月二十五日、新日本文学会が主催したファシズム反対の文芸講演会で話したものだったが、編輯上の都合があったと見えて、半年もおくれて掲載されたものである。
 ファシズムとのたたかいも観念の中で課題とされているだけでは現実の力ではない。文学そのものの動きで、抵抗の実感と行為が表現されてゆかなければならず、そのような活溌な生きた力を労働者階級の文学がわがものとしてゆくためには、職場で文学の仕事をしてゆこうとしている人々が当面している二つの問題が全般的に見直される必要がある。一つは、職場の人々に時間の自由がないということ。もう一つの、もっと内面の問題として、組合活動で求められている一定の気分とめいめいの文学創作のモティーヴとなる実感との間にずれがあるということ。そして、この切実な苦しみの原因は、過去の組合活動がはげしい動きをもちながら経済主義の傾向ばかりがつよかったために、たたかいの経験を階級的人間としての成長の実感にまで重厚にみのらすことが出来なかった点と、職場の文学愛好者が文学に対してゆく心もちに、まだ少なからず過去の「文学」概念が影響していて、職場生活の現実と文学を愛す心とを統一的に強めてゆこうとする意志をはっきりさせていない点とに潜んでいる。文学を愛す人の心は、現実をもより深く感じ、考え、理解しようとする本来の特長をもっているのだから、その意味で、新しい民主文学のつくりてたちは、職場生活をこめてどんな場面にあっても、階級的な文学をつくろうとするものとして統一された精神の流れを分裂させないでやってゆけるようにならなければならない。わたしは、その日の話の後半でそういう問題にふれた。平野氏は、その点から話しをおこしている。わたしの云っていることは正論である。しかし、職場の若い文学者たちに向って正論をとく本人は、作品をかくために、「できるだけいろんな機関の役員も止め、会合や座談会にも出ないようにしている、ときいている」「ほかならぬ宮本百合子だから、党も一種の例外として黙認しているのではないかと考えられる。」そういう特権の「立場にある宮本さんが」正論を云いきって、「いささかのうしろめたさも覚えぬらしい態度に、実は私はあきたらぬものであります」と云われている。熱田五郎氏の感想がひかれて、若い人たちは、「自己一身のうちに労働者的な集団生活と小市民的な個人生活との二重性をはっきりみとめ」「党生活と私生活との二重性の」「統一を一作家の資格においてなしとげたいと希っている。」その当然の希望は、政治生活を作家生活にきりかえている特権者であるわたしの「きまりきった」「一人の文学者としてではなく、いわば組合の指導者でも云いそうな正論」「軌道的な文学論」に轢殺されていると、平野氏は語っているのである。わたしが党員である作家として例外の特権をたのしんでいて、作品をかくために役員をやめたり会合に出なかったりしてすましていると判断する、どんな実際の根拠を平野氏はもっているのだろうか。
 わたしが、去年の暮から外に出られないのは、病気だからにほかならない。太平洋戦争がはじまるとともに検挙されて、翌年の七月末、熱射病で死ぬものとして巣鴨の拘置所から帰された。そのとき心臓と腎臓が破壊され視力も失い、言語も自由でなくなった。戦争の年々にそろそろ恢復したが、この三、四年来の繁忙な生活で去年の十二月、講演会のあと、動けなくなった。ある治療のおかげでこの五月ごろになってやっと二階から階下へ降りられるようになった。健康状態がそんなときに、外出して活動できず、お客にも楽に会えないのは、「ほかならぬ宮本百合子」でなくても、あたりまえのことではなかろうか。長い仕事をしつづけているところをみれば、病気も特権で自分をかばっているかのように気がまわる。そこには、こんにちの民主的陣営の一部にくいこんでいる陰惨な過去の日本の人間虐使の残像がある。戦争の永年、軍隊の指導部員としての生活をして来て、軍規の野蛮さ、絶対命令に対するはかない抵抗としての兵士たちの仮病を見破りつづけて来た人々。死ぬものを「一丁あがり」と看守がいうような牢獄生活をつづけて来た人々。そういう不幸な痕跡をもった人々がきょうの情勢を主観的にせきたって判断すれば、病気だといっても、何だその位という気風もおこるだろう。外へも出られないというのが本当ならどうして小説が書けている、と特高の論法になるかもしれない。
 わたしにどんな一つの特権があるのではない。わたしはわたしとして基本的な人間の権利を明らかにしているだけである。むごさという感覚をとりおとした人間消耗の気風には承服しないでいるのである。
 病気は病気であるという事実にたって処理しながら、わたしが仕事を中絶しないのは、階級的な「作家の資格において」民主革命の課題は文学の仕事そのものによってどうこたえられてゆくものか、革命を人間の事業としてどのように肉づけ得るかという一つの実例を発見したいと思っているからである。書きたいものと、書かなければならないものと(「書かなければならないもの」の実体については、こまかにふれられるべきだけれども、ここには省略する)の統一のモメントは、政治生活と文学生活の二重性――党的生活と小市民生活の二重性を、そのまま二枚かさねとして肯定するだけのところには見出されない。こんにち、政治の優位性ということを苦しいまでに素朴に解釈している部分がある。そのずれで苦しんでいるのは熱田五郎氏ばかりではない。その政治の貧困さを補充してゆくためには、民主的な政治そのものの具体的な成熟が期待されると同時に、文学は文学の側から自身の独自性のうちにより人間らしい政治性を豊富に発育させ、政治の多面性を証拠だてても行かなければならない。それは作家の資格においてこそわたしたちが理解していなければならない当面の仕事だと思っている。したがってわたしだけが特権をもっている者らしく云う平野氏の前提は根拠がない。よりどころのない前提の上に、手のこんだ話が展開されても、それは生活の真実でもないし、文学の現実であるとも云えない。
 共産党は、対外的なジェスチュアとしてだけ文化綱領をかかげ、文化政策を云々しているのだろうか。わたしはそうではないと考えている。こんにち、真実をもって努力しているすべての人々の文化的業蹟、仕事ぶり(それは党員である文化関係の人々だけに限られていない)そのものを援助し、新たな展開、精神の成長の可能をこの社会の現実の中にうちひらいてゆくのが、党としての責任だろうと解釈している。そのような文化上の責任に対して、直接党にむすばれている学者・芸術家はまず自分たちの生きかたと仕事のやりかたそのもので、よりひろい一般的な可能が開かれ、その具体的で妥当な前進の方法が普遍化されるために骨を折らなければならないのだと思う。
 平野氏は、この数年来、民主主義文学を語るとき、小林多喜二を語るとき、党について語るとき、一種の圧迫的なコンプレックスから身をほごしかねている。情報局につとめていたことは、まのあたり平野氏に、天皇制と軍国主義の至上命令の兇猛さを示しつづけただろう。そこにつとめながら、そこの仕事を批判していた消極的な自虐性は、平野氏の心理に痼疾的なぐりぐりをこしらえたかのようだ。民主的政治にも、民主的文学にも、おしなべて懐疑的であり、それを存在意義としている氏が、一人の作家に対して、何か癇にさわっている主観の角度から批判を加えようとするときには、日ごろ氏が躰をふるわすほど反撥している部分の、あらっぽい官僚主義的な考えかたや、まちがった政治主義の解釈そのままを借りて来て攻撃の武器としなければならないとは、何たる自己矛盾だろう。
 その上、『新日本文学』の「平和運動と文学者」のなかに、キドウセイを軌道性と誤記した筆記のあやまちが、そのまま校正からもれていたことは、平野氏の話を一層おかしなものにした。わたしのあの話の十一頁十二頁とよめば、キドウ性は機動性であることが察しられないことはないと思う。少くとも、これは変だ、と思われたにちがいない。変だと思うとき、ひとは、それが変だからこそ、誹謗に都合がよいとして、それをつかうだろうか。――まして代議士のやりあいではなく、文学について語る場合、平野氏が、軌道性なんとは変だ、おかしいと云いながら、評論家としての心の働きを、強引なその変さの活用に駆使して、わたしという生きているものの体の上に、あれだけ縦横な軌道レールを敷いたことは、わたしをびっくりさせた。民主主義文学の話のときは、口述や速記の中の一つの誤記が、ときと場合でどういう怪物としてつかわれるかを学んだ。
 彼の聴衆や読者というものは、『新日本文学』などを決してよむことのない人たちとして、平野氏は、ああいう話しかたをしたのだろうか。わたしが「討論に即しての感想」「平和運動と文学者」「その柵は必要か」などを一貫して、新しい文学のために何を求め、どういう傾きとたたかい、どの方向に統一を求めているかということは、実際によめば、その言葉をひいて平野氏がわたしを非難していることのあたっていない現実を示すことができる。
 作家は、むき出しに生きて、その仕事は客観的なものとして人々のなかに送られている。どのような批判もあり得る。しかし、評論家が一人の作家について、何か本質にふれた点で語ろうとするときには、少くとも、話がそこからはじまるようなその作家の書いたものについては、その全体を一つの文学的現実として読みとるのが当然な態度である。一つの書いたもののなかから、偶然の誤記を機会に、書いてあることとはまるで方向のちがった結論をひき出して、自身のコンプレックスを展開することは、公正でないし、文学というものの客観的な真実を尊重する本質もふみにじっている。
『近代文学』十月号の話で、平野氏は雲にのった孫悟空のように、自身をあらわしている。いまそこにある一つのことでわたしを非難したかと思うと(作家らしすぎるということで)、翻って、わたしが非難されたそれとは正反対のものであるとして(わるい意味で云われている組合の指導者)逆から非難する。このわざは、言葉のあやをかいくぐって連続的に行われているが、たとえばその足許の雲となっている一つの誤記が、誤記とわかってしまったとき、孫悟空の雲は消散して、さて一場のてんまつはどうなるだろう。
 文学のことは、それについて話したいことを話すひとのものだけではなくなって来ている。
〔一九五〇年一月〕

底本:「宮本百合子全集 第十三巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年11月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十一巻」河出書房
   1952(昭和27)年5月発行
初出:「近代文学」第五巻一号
   1950(昭和25)年1月
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年4月23日作成
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