みなさん、しばらくでした。
 私は去る四月七日、ブルジョア、地主の官憲が日本プロレタリア文化連盟に加えた狂気のような暴圧によって捕えられ、六月二十五日、八十日間の検束の後、再び自由を奪いかえして出て来ました。幸い、体も大しては悪くならず、また活動できるようになったその第一の挨拶を送ります。そして、わたしら『働く婦人』共通の問題として、今度の経験をみなさんに簡単に報告したいと思います。
 ちょうど『働く婦人』五月号の原稿締切が目前に迫った四月七日の夕方でした。私がよそから何心なく家へ帰って来たら、警視庁特高の山口がはり込んでいて、任意出頭の形式で所轄署へ来いということです。(この山口というのは文化団体関係では有名な白テロ係りで、去る六月十九日の日本プロレタリア文化連盟拡大協議会が築地小劇場であった時、明治大学の学生の頭をステッキで破って目下職権濫用、傷害罪で告訴されています)所轄署駒込署へ行くと、中川というこれも文化団体弾圧専門の特高が待ちかまえていて、日本プロレタリア文化連盟のことで私を調べなければならぬということです。私は日本プロレタリア文化連盟の活動が、われわれ勤労大衆の現実の生活とどんなに強く結びついているものであるかを知っているから、文化連盟に関して調べるといわれても心配は一つもありませんでした。すでに三月二十七日頃から敵は文化連盟への攻撃を開始し、書記長小川信一をはじめ窪川・壺井・村山・中野など大切な同志をひっぱって行っている。敵が大規模にわれわれ日本プロレタリア文化連盟への打撃を計画していることは明らかなのでありました。
 さて、私は留置場へぶち込まれているが、警視庁からは十日に一ぺんぐらい中川がちょっと来てまとまりないことを訊いて行くきりです。そのうち検閲関係の清水というのが来て『働く婦人』の問題を持ち出した。わたしらの雑誌『働く婦人』の調子が号を重ねるにつれきつくなって、四月号などは男の雑誌か女の雑誌かわからないほど高度になっている。これでは黙っておけぬ、というのです。とくに、四月号には前号から引つづき日本帝国主義侵略戦争反対の意見をのべた読者皆さんの熱心な投書をのせている。その中でいけないのがあるとか「時評」にわるいところがあるとか、つまり毎号意地悪く発禁攻めにしても大衆の伸びる力はおそろしい。次第次第に育って来る『働く婦人』をつぶす口実を、編輯長である私の答弁の中からひっぱり出そうとするわけです。
 いくらブルジョア、地主の官憲がいけないといったところで、わたしら働く婦人みんな本当に腹から帝国主義戦争には絶対反対なのだし、雑誌の調子がきつくなって来たといわれても、わたしらの生活の土台となっている資本主義の世の中の行き詰りがまず日増しにきつくなって来ているのだから仕方がない。『働く婦人』の問題は、「尊厳冒涜」という意味のところで一応納まりました。「敏子」さんの投書と、「愛子」さんの投書の中に、共産党という三字があって、これを幸とつかまえられたのです。
 四十日ばかり経つと、いつの間にか、調べの中心点がかわってきた。初め私は日本プロレタリア文化連盟のことで調べられていたはずなのに、今度はお前は日本共産党に金を出している、その点を明らかにしない中は決して出さないぞということになって来たのです。みなさんはもちろんよく承知していられる通り、日本共産党の同情者シンパサイザアであることは悪いことでもないし、恥しいことでもないと思います。しかし、ブルジョア、地主の悪法「治安維持法」というものは、それをキッカケに階級的に目ざめた大衆をかたっぱしから投獄するよう、わざわざ制定されてあるものです。悪辣きわまるその「わな」とも闘い抜いて私は八十日の後自由をとり戻したのですが、みなさん忘れてならないことは現在十数人のわれわれの同志たちが日本プロレタリア文化連盟から奪われて投獄されているという事実です。中には演劇同盟員・「コップ」婦人協議員沢村貞子、同じく演劇同盟員北原幸子という二人の若い同志もいます。日本にプロレタリア文化運動が始まって以来未だかつてなかった今度のがむしゃらな大暴圧が「コップ」に加えられたというのはなぜでありましょうか? 戦争準備のためです。
 帝国主義日本はすでに満蒙を侵略し、ソヴェト同盟攻撃をもって口火を切るべき第二次世界戦争を実に着々と準備している。来るべき第二次世界戦争と十八年前の第一次世界戦争との違うところは、今度世界戦争が始ればそれは世界の帝国主義と世界のプロレタリアート・農民との間の戦争であって、決してただ国と国との戦などではないという点です。そういう深刻な戦争の先棒をかつぐ決心をしている日本の帝国主義にとって、日本プロレタリア文化連盟は邪魔でしょう。
 ラジオ、映画、芝居、新聞雑誌などを総動員して戦争熱を煽っているなかで、われらの日本プロレタリア文化連盟こそ、数百万の勤労大衆が日常の闘争を通じて自覚した真の階級的叫びをあらゆる出版物・サークル活動の上に反響させ、しかもその雄々しい男女勤労大衆の叫びによってさらにまた自覚しない数百万の勤労者をも階級的立場の上に呼びさましてゆくのです。彼らが『働く婦人』のいけないところというのが、世界と日本の情勢を正しく伝える「時評」および反帝国主義戦争の投書に外聞を忘れた露骨さで集注されている例でも、ファッショ化した支配階級が何を恐怖しているか明らかではありませんか。
 八十日の間、私と同志たちとの連絡は全く断たれ、留置場の外の様子はちっともしれない。作家同盟の後藤郁子、木村よし子さんたちが果物をもって面会に来てくれた時も、高等係は留置場へ降りて行ったふりをして私が「お志はありがたいがこういう場所でおめにかかりたくないから」といったと嘘をでっち上げ、到頭会わせなかった。翌日の夕方まで当の私は何も知らなかったのです。そういう中である日思いがけず高等室の机の上に『働く婦人』五月号を見つけた時の私の心持ちを察して下さい。苦境の中で編輯された跡がありありと感じられました。
 つづいて六月十九日の「コップ」拡大協議会解散後の素晴らしいデモの様子を新聞で知り思わず快心の笑がこぼれました。皆さん、覚えているでしょう。三月六日にわたしたちの「働く婦人の夕べ」が同じ築地小劇場でどんな不法な解散をくったか、残念ながらあの時はデモができなかった。暴圧はわれわれの力を鍛え、今度の拡大協議会解散後のデモの画期的成功はどうでしょう! 暴圧の嵐はプロレタリアート・農民・インテリゲンチアの解放に向って燃える焔を消し得ないばかりか、ますます強固な鉄の団結を教える尊い証拠です。
 私をついに釈放した官憲は、出てから後、私と大衆とを切りはなし、私の積極性を奪おうとして、いろいろのデマを放った。父親があやまり状を書いたから許されたとか、私がもう仕事をやめて引込むといったとか。いまなお彼らの陰険な手は私のまわりから去っていません。けれども、みなさん! わたしたちの決意こそ、わたしたちが知っている。日本プロレタリア文化連盟をわたしらの手で守りましょう。未来を建設するプロレタリア文化の燈台の火をわたしらの手でこそ守りましょう。
 暴圧に対するわれわれ大衆の抗議をまとめ、犠牲者の釈放運動に参加しなければなりません。僅かでも時間があったら犠牲者とその家族を元気づける鼓舞の手紙を書きましょう!
 最後にひとつ改めて読者皆さんの注意に訴えることがあります。それは四月まで『働く婦人』編輯事務員として全力をつくし活動した同志今野大力が現在白テロに倒れ、危篤の有様で慶応病院に入院していることです。五月号『働く婦人』編輯後記に短かく報道されていますが、中耳炎になった彼が警察から入院させられた済生会病院は、ブルジョア慈善病院らしくろくな手当てもしないばかりか、病がすすみもう生命が危いところまで行ったと知ると、責任を胡魔化すため「君は三日か四日おきに来ればいい」と憎むべきことをいった。同志今野がそのまま死ねば三日か四日のうちにそれほど病が悪化したとでもいいのがれる魂胆であったのでしょう。
 同志今野は三回目の大手術をうけ、まだ生きるか死ぬかの境にいる。どんなことをしてもわたしたちの力でこの忠実な同志の命を奪いかえさねばなりません。三銭でも五銭でもよい、薬代を送って下さい。彼を励ますハガキなりとも書いて送って下さい。
〔一九三二年八月〕

底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
   1952(昭和27)年8月発行
初出:「働く婦人」
   1932(昭和7)年8月号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
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