昨年の後半期から、非常に恋愛論がとりあげられ、いろいろの雑誌・新聞の紙面がにぎわった。一方に社会の有様を考えて見ると、二・二六事件の後、尨大な増税案がきめられて、実際に市民生活は秋ごろからその影響をうけはじめている。煙草・砂糖・織物すべてが高価になり、若いサラリーマンの日常は些細なところまで逼迫してきている。軍需インフレーションは一部をうるおしているであろうが、その恩沢にあずからぬ者の方が多いことは明らかである。この数年来、若い男女の経済生活は、中流層の崩壊につれて困難の度を加えてきている。結婚難も増し、従って、若い人々の間の恋愛の感情も複雑な影響をうけている。その困難を打ちひらいて、若い時代にふさわしい希望と生活にうち向う気力を鼓舞しようとする意気組から、これらのおびただしい恋愛論は簇出そうしゅつしたのであったろうか。
 前後して、日本のインテリゲンツィアの間には青年論がとりあげられていた。青年が、現代の日本における社会情勢の中では、数年前マルクス主義が自由に検討された時代のような若い時代の歴史性の自覚、確信、それを可能ならしめる客観的事情もかけているし、さりとて、若い精神と肉体とをある一部の特殊世界の人々の人生観でしばりつけられ、一面茶色の叢のような存在におかれ切ることにも満足できず、その中間の苦痛深い現代青年の問題をとりあげたのであった。
 青年論に連関するものとしてのはっきりした見とおしで恋愛論がおこったともいえない状態であった。むしろ、偶然に社会の耳目をひいた恋愛事件、恋愛による殺傷事件などの刺戟が、昨年から今年にかけてこの恋愛論を生んでいるのではないだろうか。
 そして、現在私たちの周囲にある恋愛論の多くは恋愛論の論というとおかしいが、そういう恋愛論は正しいとか間違っているとか、そういう論の論議にかたよっているように思える。さらに特徴的なのは、恋愛について物をいい、書きしている論客の大部分がほとんど中年の人々であることおよび、それらの恋愛論と読者との関係では、それぞれの論が読まれはしていても現実に若い人々の生活における行動の規準となるものをもっていないことなどが感じられる。
 現代の若い男女のおかれている時代的な境遇というものを洞察して、その脈管にふれて多難な人生行路の上に力づけ、豊富にされた経験と分析とで、若い時代の生活建設に助力しようとする熱意からの恋愛論は、残念ながら少なすぎる。ある主観的な点の強調からの恋愛論やその反駁、さもなければ、筆者自身が大いに自身の趣好にしたがって恋愛的雰囲気のうちに心愉しく漫歩して、あの小路、この細道をもと、煙草をくゆらすように連綿とみずから味っている恋愛論である。
 私は一人の読者として、心に消すことのできない一つの疑問を抱いている。今日、本当に自分たちの生活を現実に即して考え、さまざまの困難に向いあっていて、しかも勇気を振ってそれを突破してゆかなければ結局生きようはない境遇におかれている若い男女が、はたして、これらの恋愛についての議論や講義の中に、自分たちの生涯の問題がとりあげられ語られているという切実なものを感じ得るであろうか。恋愛論という見出しを見て私の心にすぐくるのは深いこの疑問である。

 恋愛とか結婚とかの問題は、きわめて人生的な性質のものである。それぞれの個人の性格、境遇が綜合的にほんの小さく見える偶然にまで作用して来るのだが、やはり時代というものが押し出している強い一つの共通性というものがある。
 同じ恋愛についての新しい認識、方向が求められるにしろ、時代は過去においてそれぞれの性格を示した。明治初年の開化期の男女は、政治において男女同等の自由民権を主張したとおり、急進的に男女の自由な相互の選択を主張した。自由結婚という言葉が、この時代の人々の行動を通して今日までつたわって来ている。
 日本におけるこの時代は非常に短く、それは近代資本主義日本の特性を語るのであるが、憲法発布頃から、恋愛や結婚についての一般の考えかたが、ある点逆もどりした。婦人の進歩性というのは、当時の社会の指導力が進んでゆこうとしていた方向を理解し、それをたすけ、ついて来るだけの能力を女も持たなければ不便であるというところに限界をおかれた。恋愛や結婚についても、それに準じて、親の利害に反対しない範囲で、ひとに選んで貰った対手と、婚約時代には交際もするという程度のところが穏当とされたのであった。
 藤村や晶子が盛にロマンティックな詩で愛の美しさ、愛し合う男女の結合の美しさ、価値をうたった時代、現実の社会生活の中では決してそのような誰にものぞましい結合がざらにあった訳ではなかった。進歩的な若い文学者など(例えば透谷・藤村・独歩・啄木その他)が、新しい生活への翹望とその実現の一端として、自分たちの恋愛を主張し、封建的な男女の色恋の観念を破って、人間的な立場と文化の新生面の展開の立場で、男女の人格的結合からの恋愛と結婚とをいったのであった。
 ヨーロッパで、自然主義の持った役割は非常に大きく、過去のヨーロッパ文化がその宗教的な伝統、騎士道の遺風、植民地政策の結果から生じた女性尊重と精神的愛の誇張から生まれている男女の性生活の偽善を打ち破る力があった。文芸思潮として日本へ入って来たこの自然主義は、当時の日本の社会事情、伝統的習俗の上へ蒔かれて、男女の結合とその生活の内容を観ることでは、ロマンティシズムの詩人たちが、心と姿とを審美的に輝やかしく描いたに反して、肉体的な面、いわゆる獣的な結びつきだけを拡大した。人間の恋愛をとりあげるのに、精神と肉体とをそういう素朴さで二元的なものに観、肉体の欲求を獣的と見たことも今日の私たちの心持から推せば何か奇怪であり、滑稽でもある。愛を表現しようとする心の望みが高まったとき、私たちはどうしてその熱情に応じて花咲き、匂う自身の肉体を否定したり、そこに獣を見たりしよう。人間の感能がこのように微妙に組織されており、機能がしかく精密であるということには、それにふさわしく複雑で、多彩で、弾力にとんだ精神の活動の可能が示されているのである。恋愛のように人間の総和的な力の発動を刺戟する場合、今日の私たちは自分たちの全人間が、その精神と肉体とが互に互のけじめもつけかねる渾然一体で活躍し、互が互の語りてとなって、愛する者に結合することを知っているのである。
 ところで、日本の自然主義者たちは、そのように現実曝露として性的結合の獣的と見られた面をだけ抉出して芸術化したのであったが、このことの中にも、日本の社会において男が女を下に見る封建的なものは微妙に反映した。男女関係で、獣の牡牝にひとしい挙止を見た日本の自然主義の作家たちは、我知らずこれまでの日本の男らしい立場で、そのような牡である自身を人間的な悲愴さで眺め解剖しつつ、そういう牡である男に対手となる女が、はたして男が牡であると同量にあるいはその自発的な欲望において牝であるかどうかという点についての観察は深めなかった。当時の考えかたに従って男を牡と見きわめて、自身の牝を自覚し、強請する女は、日本の自然主義文学の中には描かれていない。男に岩野泡鳴はいたが、女にはそういう作家も出ず、自然主義の後期にそれが文学の上では日常茶飯の、やや瑣末主義的描写に陥った頃、リアリスティックな筆致で日常を描く一二の婦人作家(故水野仙子氏など)を出したにすぎない。このことにも、日本の社会の特徴が、男と女とにどう作用しているかということの面白い、具体的な現われが見られるのである。
 漱石がこの明治四十年から大正初期にかけて、婦人の自我というものと男性の自我とが現実生活の中で行う猛烈な噛み合いを芸術の中に描いたのは注目に価する。牡に対する牝としてではなく、人間女として婦人がこの社会生活に関っている心理的な面を漱石はとらえ、このことでは、両性の関係のみかたが一歩進んだのであったが、漱石は、日本の結婚生活というものが一般に女の自然的性格の発展を害するものとして見ている。彼の思想は、当時の知識人の立場を代表して自我の発見に集注していたので、日本の女がたいてい結婚してわるくなるということの重点も、男の自我と女の自我との相剋に、原因をおかれた。そして、その相剋を積極的な主張的なものとして出す力も社会的習慣をも持たない女が内攻的になり、嘘をつくようになり、本心を披瀝しないものとなって、ただ男を社会経済生活に必要なものとだけ見てゆくようになる、その卑俗性がまた男に反射して摩擦を激しくする、その苦しい過程を描いたのであった。漱石が結婚しないうちの若い婦人に対して抱いていたどちらかというとロマンティックな、趣味的な気分と、結婚している女の良人に対する心理に辛辣な観察を向けている。その対照は細かくそれを眺めて行くと、明治初年に青年期を送ったこの大作家の心持に秘められているさまざまの時代的なものが実に面白く眺められるのである。漱石は、日本の社会にある結婚生活が、女を損い、そのことによって男の幸福もそこなわれていること、結婚生活の外面的な平和や円滑さに対する懐疑をつよくいいながら、それならば、と新しい生活の方向、結婚や恋愛の道をその作品の中で示し得なかったこともまた大いに注目すべき点であると思う。若い娘に対して、この作家はやっぱり従来の日本の家庭の雰囲気が生んだ内気なもの、淑やかなもの、人生に対して受動的な純潔、無邪気に満ちている美を美として認めている。漱石が、自分の恋愛に対して自主的であり、捨身である女を描くことができたのは、きわめて幻想的なヨーロッパの伝説を主とした「幻の盾」や「薤露行」やの中の女性だけであったことも興味ふかい。漱石は、彼が生きた時代と自身の閲歴によって、日本の知識人の日常生活の桎梏となっている封建的なものに、最も切り込んだ懐疑を示した作家であった。けれども、一面では、自分の闘おうとしているものに妥協せざるを得ない歴史の遺産が彼の心の中にあって生きていた。
 当時、まだ若かった平塚らいてう氏と森田草平氏とが、ダヌンツィオの影響で、恋愛は死を超えるものか、死が恋愛を負かすものであるか、という、今日から見ると稚げとも思える一つの観念的な試みのために伊香保の雪の山中に行ったりした事件に対し、漱石は、どちらかというと、先輩、指導者としての責任感という面からの感情で見ていることも、興味がある。
 平塚らいてう氏たちによってされた青鞜社の運動は、沢山の幼稚さやディレッタンティズムをもっていたにしろ、この社会へ女というものの存在を主張しようとする欲望の爆発として、歴史的なものであった。原始の女性は太陽であった。婦人の自由は社会生活の全面に確保されなければならないという主張であったけれども、当時の社会、経済生活は婦人にその主張の土台となる経済力を与えていなかった。いわば親がかりで気焔をあげているところがあった。母権時代は、現実の上には遠く遙かに過ぎ去っているのであったから、そういう主張をした婦人たち自身の恋愛や結婚にしろ、わずかに当事者たちの選択の自由、自主性、を示し得たに止った。そしてその女性たちの選択の自主性が、はたしてどれだけ人間的に社会的に高められ、進んだものであったかということについては、若い世代は、彼女たちの時代的経験に敬意を払うとともに、大なる疑問をのこしているのである。
 白樺派を主とする人道主義の人々は、出生した環境、階級の関係から、旧来の男尊女卑に反撥して、男と女との結合につよく人間性を求めた。殿様の切りすて御免風な女に対する関係を否定したのであった。恋愛において、結婚生活において、形式から縛られた貞潔ではなしに、自発的な自身の愛情に対する責任としての貞潔を、自身にも婦人にも求めた。人間として完成する伴侶としての男と女との結合ということがこの時代には眼目とされたのであった。
 確かに白樺派に属する若い人々は、まじめに、軽蔑など感ぜず女に対し、たとえば小間使いの女との間に生じた関係をも全心的に経験したであろう。女を一人の女として、階級のゆえんで蹂躙したりは決してしなかったであろうが、概して、これらの若い人道主義者たちの人間性とそれに対する善意とは抽象的なものであった。これらの人々は、どんなに自分は善意をもっており、誠実な心であっても、客観的にそれが現実の社会関係の内に行動されたときどういう作用を起すかということについては比較的知っていない。その点での社会性はいたくおくれている。これは直接恋愛についてではないが、たとえば武者小路実篤氏が今日の時代の農村の実状からとびはなれて、二宮尊徳をその誠意や精励、慧智の故にだけ、その美徳を抽象して賛歎しているような悲しき滑稽が出現するのである。
 欧州の大戦と婦人の職業戦線の拡大、労資の問題の擡頭、民衆の階級としての自覚、その解放のための運動は、日本でも恋愛と結婚との実際に大きい影響と変化とを与えた。ソヴェト連邦は新しい社会の機構によって、婦人の性を妻、母として保護しつつ、社会的にますます人間性の高められた複合単位として経済的、政治的、文化的に男女一対の内容を育てつつある事実は、世界の進歩的な男女に、男と女との恋愛や結婚の幸福の土台となっている社会事情についての理解やその歴史的発展に対する認識に一定の方向を与えた。マルクス主義の理解は、恋愛、結婚問題についての態度を従来の女性解放論的なもの、あるいは男女平等論風なものとはその本質において異ったものとした。抽象的に恋愛における人格の価値や自由をとりあげていた過去の態度に対して、新しい常識は、われわれの恋愛の根底において支配している経済力と個人との関係、そこから生じる恋愛の階級的質の相違、恋愛の自然な開花の可能と社会事情の進展との相互関係などについて、積極的に会得するようになったのであった。
 当時、おびただしい困難と歴史性からの制約と闘いながら、社会進歩のために献身した若いマルクス主義者たちの実践は、方向としては健全で遠大な目標を目ざしつつ、日常の錯雑した現実関係のうちで、実にさまざまの価値ある経験の蓄積をのこしている。どんな思想も抽象的に在ることはないのであるから、当時の最も進歩的なものも、日本の社会生活が過去からもち来している古い重荷のために微妙な曲線を描かざるを得なかった。とくに男女の性生活の新しい社会的認識の面では。
 新しい世界観によって導かれたこれらの若き一団の前進隊は、過去からの家族制度に強制された形式的な夫婦関係、小市民風な、恋愛は絶対であるというロマンティックな考えに抗して、唯物論者の立場から、広汎、多岐な人間生活の一部門である性問題として恋愛の科学的、社会的処理を志した。健康で、自主的で社会的責任によって相互に行動する両性関係とその論理の確立を求めたのであったが、一部の人々は、両性の問題だけを切り離して当時の社会の歴史的、階級的制約の外で急進的に解決し得るものではないという事実を過小評価する結果に陥った。
 日本における過去の左翼運動の若さは、いろいろの深刻な教訓を我々の発展のために与えているのであるが、性問題の実践にあたっても、若い前進部隊のこうむった被害の最大なものは、いりくんだ作用で彼らの脚にからみついて来ていた封建的なものとの格闘によるものであった。たとえば、女を生活の便宜な道具のように見た古い両性関係の伝統に対して、正当な抗議をしながらも、一部の活動家の間には、性的な交渉をもふくめて女を一時便宜上のハウスキイパアとして使うことの合理化が行われた。女は、ある場合それに対して本能的に反撥を感じながら、組織内の規律という言葉で表現されたそういう男の強制を、自主的に判断する能力を十分持たず、男に服従するのではなく、その運動に献身するのだという憐れに健気けなげな決心で、この歴史的な波濤に身を委せた。性関係における自主的選択が女に許されていなかった過去の羈絆きはんは、そういう相互のいきさつの間に形を変えて生きのこり、現れたのであった。
 大衆の組織が、短時間の活動経験を持ったばかりで、私たちの日常の耳目の表面から退潮を余儀なくされて後、その干潟にはさまざまの残滓や悪気流やが発生した。いかにも若い、しかしながらその価値は滅すべくもない経験の慎重な発展的吟味のかわりに、敗北と誤謬とを単純に同一視し、ある人々は自分自身が辛苦した経験であるにかかわらず、男女の問題、家庭についての認識など、全く陣地を放棄して、旧い館へ、今度は紛うかたなき奴となり下って身をよせた。
 しかし、若い世代は一般的に年齢が若いだけの必然によって、そういう歴史の上での逆行は本然的に不可能であると感じており、しかも一方にはますます逼迫する経済事情、自由な空気の欠乏などが顕著であり、生活態度全般にわたって帰趨に迷うとともに、恋愛、結婚の問題についても、決して、簡単明瞭な一本の道には立っていないのが今日の現実であろうと思う。優秀な、着実な今日の若い人々は、決して、反動家のように野蛮な楽天家でもなく、卑屈な脱落者のように卑屈でもあり得ないのである。

 私たちは、自分たちが生活している環境も無視して恋愛も結婚も語ることができない以上、農村の若い男女の実際と、都会の若い勤労者の間でのこととでは、いろいろ違ってくると思う。
 現代の社会の機構が、都会と農村との生活的距離を大にしており、文化の面で、地方は常に都会からおくれなければならない関係におかれている。哲学者三木清氏は、この原因を地方的文化の確立がないから、都会の文化がおくれて、しかも低い形で真似られているにがにがしさと見ていられるが、近代の農村と都会とをつないでいる経済関係を知っているものは、文化の根底をもおのずから、経済的なものと観ざるを得ない。地方の小都会や農村の若い人々の恋愛や結婚の実際は、その人たちが進歩的であればあるほど、多くの困難にであわなければなるまいと思う。とくに、総領の息子、あるいは家督をとる一人の娘というような場合、これらの誕生の不幸な偶然にめぐり合った人々は、今もって家のために、親を養い、その満足のために、結婚がとりきめられ、そこでは家の格式だの村々での習慣だの親類の絆だのというものが、二重三重に若い男女の心の上に折り重ってかかってくる。
 農村での生活がたち行く家庭で若い人々の負う荷はそのような形だが、貧農の娘や息子の青春は、どんな目にふみにじられていることであろう。政府は東北局というものを新しくつくらなければならない程度に、日本の農村は貧困化している。売られて都会に来る娘の数は年を追うて増加して来ている。矯風会の廃娼運動は、娘が娼妓に売られて来る根源の社会悪を殲滅し得ない。
 小さい自作農の息子が分家をするだけの経済力がないために結婚難に陥っていること、またそういうところの若い娘たちが、また別の同じような農家へいわば一個の労働力として嫁にもらわれ、生涯つらい野良仕事をしなければならないことを厭って、なるたけ附近の町かたに嫁ぎたがる心持。ある座談会で杉山平助氏は、中農の娘が巡査、小学校の教員、村役場の役員その他現金で月給をとる人のところへ嫁にゆきたがるのは、農村に現金が欠乏しているからと、語っておられる。それも確に一つの原因ではあろうが、今日、婦人雑誌の一つもよむ若い農村の娘は、耕作の激しい労働に対する嫌悪と文化の欠乏を痛感している。私の知っているある娘はこういった。「私は東京で嫁に行きたいと思っていたんですけれど。――田舎は煙ったくて、煙ったくて。」その娘の煙ったいというのは本当に煙のことで、田舎では毎朝毎夕炉で粗朶そだをいぶし、煮たきをする、その煙が辛い。ガスのある東京で世帯をもちたいというのである。
 巡査にしろ、小学校教員にしろ、その妻は畑仕事が主な仕事ではなくて生計が営める。婦人雑誌をよむひまも、そこに出ている毛糸編物をやるひまもあり、最低ながら文化的なものを日常の生活の中にとり入れることができるであろうという若い女の希望も、この事実の裏にあると思う。
 ブルジョア文化というものは、何と奇体に不具であるだろう。たとえば近頃の婦人雑誌を開いて見れば、女がいつまでも若く美しくている方法から、すっきりとした着付法、恋愛百態、輝やかしい御幸福な新家庭の写真など、素朴な若い女の目をみはらせる写真と記事とのとなりに、最近とりわけて農村生活の幸福を再認識させようとして絵画化され、空想化された構図で、田舎の生活スナップや労働の姿などが撮られて並んでいる。農村の現実の中で明け暮れしている者の胸に、それらの農村写真の非真実性は自然映ってくるであろう。こんな綺麗ごとではないと思わずにいられまい。その感情で、都会の姿もここに見られるばかりではあるまいと鋭く思いいたる若い女は、数にしたらごく少数の怜悧な人々だけであろうと思う。田舎での女の暮しの楽しみ少なさばかりが際立って顧みられ、都ぶりに好奇心や空想を刺戟され、カフェーの女給の生活でさえ、何かひろい天地に向って開いている窓ででもあるかのように魅力をもって見られるのであると思う。
 処女会の訓練法は、はたして若い女の進歩性をのばしているであろうか。進歩的な農村の青年らが希望する女としての内容を与えているであろうか。このことには再び多くの疑問がある。封建的な家というものの重さ、近代的高利貸の重さ、昔ながらの少なからぬ風習の重さ。これらに立ち向って農村の進歩的な青年男女は、彼らの若い人生の路を推し進まなければならないのである。それは行手の長い、実につよい根気の求められる路である。どうせ、といってなげ捨ててしまえば、たちまちまわりの重さに息をとめられてしまう。何とかしてその重さをはねのけようとする欲求、その生々しい力、そのようなものを互にもっていることがわかりあって、その力をも合わせ集めるつもりで若い一組が結びつくことができたら、現在の農村の生活の中ではすでに大きいプラスの意味をもつことであると思う。男も女も家庭をもったらもう駄目ですね、とよくいわれる言葉ほど昔風で、悲しく屈伏的なものはないと思う。私たちは人間性を埋められる場所として家庭をあらしめることは許さない。この社会で、家庭というものが、そういう青春や恋愛の埋めどころでないものとなるために、人間らしい、共同的な小社会としての家庭を来らしめるために、私たちは自分の家庭生活そのものをもって闘って行かなければならないのだと思う。

 ある人が、こういうことを話した。日本では恋愛論とさえいえばよく売れる。婦人雑誌を売るには恋愛論なしでは駄目だ。ところが、イギリスでは、恋愛論では売れず結婚論ならば売れるそうだ、と。
 私は、深い印象をこの言葉からうけた。イギリスは、フランスなどと違って、結婚は男と女との相互的な選択、友情、恋愛の過程を経て結婚に到る習慣をもってきている。彼らのところで結婚というものは愛し合っている一組の男女が、さらに深く結ばれ、豊かに溶け合い、いわば恋愛をその生涯で完成させる道として考えられている。浅く軽い恋愛、または情痴的な破局的な恋愛、あるいは恋愛期だけで消滅して永年の結婚生活にたえぬ要素の上に立つ恋愛は、研究するまでもなく数も多いであろう。恋愛を夫婦愛の中核として見て、その発展と成熟との間におこる種々の問題こそ研究さるべきであるという常識は、日本の、現在でもなお結婚と恋愛とを切りはなして考える慣習と対蹠をなしている。
 昔の日本人は、封建の柵にはばまれて、心に思う人と、親のきめた配偶者とはほとんど常に一致しなかった。現在は、菊池寛氏のように恋愛を広義の遊蕩、彼のいわゆる男の生物的多妻主義の実行場面と見、結婚を市民的常識にうけいれられた生殖の場面、育児の巣と二元的に考える中年の重役的認識と、恋愛は楽しくロマンティックで奔放で、結婚は人生の事務であると打算的に片づけている資本主義末期の若い男女の一群とがある。
 批判的で建設的にこの二度とない人生を生きようとしている男女が、その心持を恋愛論にひかされるのは、今日の恋愛と結婚のありように対する真摯な疑問と、その解決の要求からであると思う。
 一口に男といっても、今四十前後の男と青年とは気質にも慣習にも非常に多くの相異をもっている。青年のうちにまたなかなか複雑なタイプの類別が生じている。男の貞操とか女の貞操とか対比的によく問題となってきている。これまで、男といえば菊池氏流に、貞操というようなものはないもの、多妻的本性によって行動するものと単純に自覚されてきているが、現代の青年ははたしてすべてが、そういう単純な生物的な一機能に全人間性を帰納させた生きかたを自分の生きかたとしているであろうか。私は、現代の青年のある部分は、性的なものを多様な人間の生活要素の一つとして、綜合的に自覚しているもののあることを現実に知っている。抽象的に未来の妻となる女に対する貞操とか、何か宗教的なあるいは生理的な潔癖性からでなしに、人間としての自分が肉体で結びつくまでには、やはり人間的に愛し得る婦人を必要とするたちの青年が決してなくはない。
 ある唯物論者といわれている人が、某大学の学生の座談会によばれ、その学者は、青年たちに、性的な欲求は現代の社会で、その自然な解決が閉されているのだから売笑婦によってドシドシ処理して行ったらよい、病気にさえならなければよい、という意味のことを語ったそうである。ある人たちはその見解に納得したであろう。ところが、ある納得せぬ人々の一団があった。そしてその納得できなかった青年たちはある人のところへ来て訴えた。自分たちは道学者流に考えているのでもないし、性的経験に対して臆病であるとも思わないが、性的衝動を感じて、その解決をねがっても売笑婦のところへはどうしても行けない。いいとかわるいとかではなく、行く気になれない。あるいは不便で不幸かもしれないが行けない、といっているのである。
 一方に、同じ年頃の青年でも、そういう面での欲求は至って何でもなく売笑婦のところで放散させ、若い女とはそういう要求からでもなく、結婚しようというわけでもなく遊ぶという青年の型が生じている。そういう型を知識人のある人は何の疑問もなく、現代の賢い青年と呼んでいるのである。
 同じような型で、賢い若い女といわれる人々がある。恋愛は恋愛、結婚は結婚。そして、結婚には、対手の経済的な力を第一の条件とする娘。そういう若い女は、現代社会の富の分布の関係から、当然、自分よりずっと年長の男を良人とし、やがて良人は良人として、妻は妻としてそれぞれの形の裏切りを重ねてゆくわけである。
 地道な若い下級サラリーマンや、職業婦人の間に、今日はこんな世の中だからよい恋愛や結婚は望んでも駄目だという一種の絶望に似た気分があるのも事実だと思う。青年たちは、自分たちの薄給を身にこたえて知り、かつ自分の上役たちにさらわれてゆく若い女の姿を見せつけられすぎている。職業婦人たちは、それぞれの形で、いわゆる男の裏面をも知らざるを得ない立場におかれている。私たちの新しい常識は、職場での結合をのぞましいものと告げているのだが、日本の社会の現実で、愛情の対象を同じ職場で見出すことはほとんど絶対に不可能に近い。大経営の銀行、百貨店、会社はどこでも、そこに働いている男女の間の恋愛や結婚を禁じている。もし、そういう場合には、どちらかが、多くの場合女が職業をすてなければならない。けれども、今日多くの若い職業婦人が大衆の貧困化から強いられて来ているように、家計の支持者であるとしたら、困難は実に大きい。若いサラリーマンの給料は妻を扶養するのもむずかしく思われるほどだのに、ましてその家族の負担などは考えることもできまい。男にも経済的に助けなければならない家族がある場合がむしろ多いであろう。下級勤人ほど、この家庭の経済的羈絆はその肩に重からざるを得ないのである。
 それに、一つの職場中でも、伝統的な男尊女卑はのこって作用している。職業婦人の感情には、集団としてそのしきたりに反撥する感情の潜んでいることは自然であり、男の同僚たちも、男尊の一般的傾向にしばられ女に親切な男として仲間からある笑いをもって見られることを厭う。馘首の心配に到る前に、これらの重複した原因から、男と女とは、一つテーブルのあちらとこちらとでも、まともに対手を眺めようとしなく成っている。人間の心理は微妙であるから、自然な状態におかれればおのずから親密さや選択の生じる若い男女が、はじめからある禁圧を意識して日々対していることから、牽引が変形して一種不自然な反撥となって感情の中には映って来ることさえあるのである。
 さいわい、互に働いている男女が愛し合うとして共稼ぎということが問題となって来る。医学博士の安田徳太郎氏は六七十円の共稼ぎで、女が呼吸器を傷う率が高いことをいっていられた。今日の社会では女が働いてかえってきて、やっぱり一人前に炊事、洗濯をやらなければならない。経済的にもそうしなければやってゆけない。それでも困るし、と共稼ぎの生活を女が躊躇すると同時に、せめて家庭をもったら女房は女房らしくしておかなければ、と共稼ぎをきらうために結婚しない男もある。
 だが、このように錯雑した恋愛や結婚の困難性に対して、はたして打開の路はないのであろうか。
 私は、今日一般にいわれている困難性そのものがもう一歩つき入って観察され、批判的にとりあげられなければならないと思う。なぜなら、今日の若い勤労生活をしている人々の間でさえ、まだ恋愛や結婚はどこか現実から浮きはなれたところをもって感情の中に受けとられていると思う。世の中のせち辛さはしみじみわかっている反面で、恋愛や結婚についてはブルジョア的な幻想、そういう色彩で塗られて伝えられている安逸さ、華やかさを常にともなって考えられていないと、いい切られるであろうか。男の人々も自分の愛する女、妻、家庭と考えると、そういう名詞につれて従来考えられ描かれて来ている道具立てを一通り揃えて考え、職業をもっている婦人だって妻は妻と、その場合自分の妻としてのある一人の女を見ず、妻という世俗の概念で輪廓づけられているある境遇の女の姿態を描く傾が、決して弱くはないと思う。
 女のひとの側から、男を見る場合そういうことがないといえない。あのひともいいけれど、結婚する対手となるとまたちがう、という標準は何から生じるのであろう。そこまで深く調和が感じられないという意味のときもあろう。だが、良人としてはもっと何か、というとき、やっぱり妻を養う経済力とか地位の将来における発展の見とおしとか、そういう条件がつけ足されて選択の心が働くことが多いと思う。
 若い女が素朴に恋に身を投げ入れず、そういう点を観察することが小市民の世わたりの上で賢いとされた時代もあった。いわゆる人物本位ということと将来の立身出世が同じ内容で、選択の標準となり得た時代も遠い過去にはあった。けれども今日の大多数の青年の苦しみは、明治時代の人物本位という目やすが自身の社会生活の生涯に当てはまらなくなっていることから湧いている。精励な会社員はあくまで社員で、人物がどうであろうと、重役には重役の息子がなるのが今日の経済機構である。
 私は誠意をもって生きようとするすべての若い男女たちに心から一つのことを伝えたい。それは、好きになれる相手にであえたならば、いろいろのつけたりなしで、そのひとを好きとおし、結婚するなら二人が実際にやってゆける形での結婚をし、勇敢に家庭というものの実質を、生きるに価するように多様なものに変えてゆくだけの勇気と努力とを惜しむなということである。そういう意味で、今日の若い男女のひとびとは、自分たちの人間性の主張をもっと強く、現実的に、自分たちのおかれている境遇の内部から発揮させなければならない。そうして行かなければ一つの恋もものにならないような世の中である。
 私は君を愛している、というだけでは今日の社会で恋愛や結婚の幸福はなりたたず、金も時間もいるというブルジョア風な恋愛の見解に対して、ある青年はこういう抗議をしている。現代には新しい男が発生している。その男たちは生活の資本として労働力をもつばかりであると同時に、愛する相手の女に与えるものとしては、私は君を愛する、という言葉しか持たない場合、この言葉が何事をも意味しないといえるであろうか、と。
 若き世代は、生活の達人でなければならない。世わたり上手が洞察のできない歴史性の上で、生活の練達者とならなければならない。恋愛や結婚が人間の人格完成のためにある、といえばそれは一面の誇大であるが、真の愛の情熱は驚くばかりに具体的なものである。必要を鋭くかぎわける。理論的には進歩的に見える男が家庭では封建的な良人であるというようなことも、良人と妻という住み古した伝来の形態の上に腰をおとして怠惰であるからこそのことで、もし愛がいきいきと目をくばって現実の自分の相手を見ているのであったら、たとえば、若い人々の家庭の持ちようというものにも、単にアメリカ化したエティケットの追随で男も皿を運ぶのがよき躾という以上の共同がもたらされると思う。共同に経験される歓び、そして現代では共同に忍耐され、さらにそれを積極的なものに転化してゆくつよい共同の意志と努力とが必要である。
 私たちが生きているこの現実の中で、愛し合う可能の下におかれ、めぐりあった相手しか、現実に私たちの愛せるものは存在し得ないのである。その相手と共にこの人生に築きあげてゆく愛の形、最もよく発揮される社会的な発展進歩への価値こそ現実のものである。ふわりふわりと地上から二三尺のところを漂い流れているものがあって、それを何かのはずみで指先にかけつかまえたものが、いうところの幸福な恋愛と結婚との獲得者になるのではない。
 近頃唱えられているヒューマニズムの論は、性生活においても、その自由な発露と豊饒さを主張しているのであるが、現実の事情をはなれて、自由や豊饒さを語っても、結局はロマンティシズムに堕ちる。十九世紀の近代社会の勃興期におけるロマンティシズムのような、現実へ働きかける情熱としてではなく、今日の分裂的な恋愛、とくに日本においては、逞しい生活意欲という仮装面の下に、危うく過去のあり来りの男の凡俗な漁色の姿をおおいかくしている結果になる。
 ヒューマニズムとは、勇気と沈着さとで我々がおかれている現実の環境とその推移の本質を見とおし、恋愛においても、偸安に便利な条件を左顧右眄さこうべんして探すのではなく、愛しうるひとを愛し抜こうとしてゆく人間の意志とその実践と、その過程に生まれてゆく新しい社会的価値の発見であると思う。現代の苦しい社会的矛盾の間に生きて、ゆがむまいと欲する人間の努力を全面的に支持し、発展させる熱意こそ、今日のヒューマニズムの精髄であらねばならないと思うのである。
〔一九三七年四月〕

底本:「宮本百合子全集 第十四巻」新日本出版社
   1979(昭和54)年7月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第5刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第九巻」河出書房
   1952(昭和27)年8月発行
初出:「昼夜随筆」白揚社
   1937(昭和12)年3月1日
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年5月26日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。