昨今ひとめで新入生とわかる子供たちを見ると、まあまあ、御苦労様だった、とその子の親をもこめて思う気持になるのは、私ひとりの感情ではないであろう。丁度三月の末、あちこちの入学試験のはじまる時分のことであった。公衆電話をかけに行ったら、先に人が入っている。中年の女の声で、余り甲高にとりみだしておろおろ物を云っているので、何ごとかとつい注意をひかれたら、その電話は子供の先生へ母親が何か紛失物の申しわけをしているのであった。くりかえし哀願するように、どうぞもうこの一週間だけ御容赦下さいませ。
お恥しゅうございますが何しろ私もつい顛倒しておりますものですから……ハ? はい、はい。本年はどうもあの方が特別おやかましいということだもんでございますから、本当にもう……。と上気した眼色が察しられる声の様子である。では、どうぞあしからず、御免下さいませ、とハンケチを握って汗ばんだ面ざしでボックスから出て来たひとを見て、私は何とも云えない気がした。電話さえやっとかけている母親のようにとりつめた物言いをしていたその女のひとの姿を見れば、袴をはき、上被りをつけている。近所にある女学校の女先生なのであった。
先生という職業にかかわらず、子供の入学試験でおろおろしている一人の母親の心をむき出して物を云っていたことに、私は好意と気の毒とを強く感じた。そして、そんなに女親をとり乱させる試験というものをいやに感じた。
舟橋聖一氏が四月号の『文芸』に「愛児煩悩」という短篇をかいておられるが、そこにも女学校入学試験のために苦しむ親の心、子の心が語られていて印象にのこった。口頭試問というものが、いろいろむずかしい問題をふくんでいるということが、この小説から与えられた印象の焦点をなした。G学園とかいてある。自由学園のことかもしれない。試験の日、そこで娘さんが、「賑やかなところへは何処へ行きましたか?」と試験官に質ねられて、素直に「銀座へ行きました」と答える。その問答をうちへかえって両親に話すと、父親は直感的に「銀座と云ったのか、それはすこしまずかったかな」と憂いの表情を浮べるので、子も不安がる。そんな思いをさせてはわるいと、子供を戸外へやることが書かれている。
父親は、すぐその答えから、試験官が銀座なんかへよく行く子はよくない、と思うだろうという恐怖を持ったのであった。
小説の父親の考は、では、賑やかなところと云えば、どこを指したら満点なのだろうかというところまではふれられていない。だがその作品からはなれて試験官は、どこを念頭においてその質問を出したのだろうかという疑問が私の心にはのこされたのであった。賑やかなところは、銀座のほかに浅草もあるだろう。だが試験の先生は、それらのところをも念頭においている市民らしい自然さに立って訊いていただろうか。九段とか何々祭の行列とか、そういう紋切型の答えを期待していた心は果してなかっただろうか。
小説の中の娘さんがG学園に入学出来なかったのは、決してその答えの素直さ一つによるものではないと思う。もし自由学園なら、あすこは生徒の親の資産調べと校風にしつけやすい特色の少い性格の子供をとることとで一部には有名であるから、作家の子供は敬遠したのかもしれない。
けれども、それにはかかわりなく、やはり出された質問の性質は今日の或る普遍性に立って、心ある者を考えさせるものをもっていると思う。どんな内容にしろ、教義問答のようなものが出来れば、人物考査の本質は損われるのだろう。
内申には同点が多すぎる。最後の一点は体力で、と一粒ハリバの広告がこの頃電車に貼られているのを見て、それを新しい日本のほこりと思う人があるだろうか。商売のぬけめなさより、それに捕えられる親心の機微のありようが悲しく思われるのであった。
〔一九四〇年四月〕