きょう(二月二十八日)の時事新報をみたら、先頃渡米した十人の婦人団がニューヨークについて、女子キリスト青年会(Y・W・C・A)を訪問した写真がのっている。高層建築が左右からそびえたって空も見えないレキシントン街を背景に、もんぺをぬいだ赤松常子参議員が、白足袋に草履の足もとも元気そうに、コート姿をはこんでいる。洋装の九人の婦人たちもそれぞれ元気そうにかたまって歩いていて、多忙にくみ立てられたニューヨークでの見学プランがしのばれた。
 ニューヨークといえば、われわれのクラブの委員長であった松岡洋子さんはこのごろ水飢饉のニューヨークでどんな毎日を送っているだろう。昼夜白熱して夜空にまで広告のテレヴィジョンを映している不眠の都市。ウォール街を中心に渦巻く宣伝の都市ニューヨークの旅で迎える三月八日平和のための国際婦人デーは労働組合からの婦人代表もふくむこれら十名の日本婦人たちに何を考えさせるだろうか。
 A・Pのカメラが渡米婦人団の写真の中心に赤松常子さんの日本服姿をとらえたところをみると、赤松さんの渡米効果は、この面で成功といえるのだろう。湯川夫人の日本振袖の姿も、ノーベル賞授賞の式場に異国情緒を添えた。

 それぞれの国の民族が婦人や子供、としより連まで固有の服装に身をかざって、その土地伝統の祭りを祝うような日の光景は、はた目にもおもしろく愉しいものだ。けれども、その美しさにしろたのしさにしろ、その民族或いはその人々が実際には半ば奴隷の立場に甘んじていて、自分の民族の独立や世界の平和のために良心的な何の発言も行動もなし得ないほど無気力であったなら、その固有の服装が優美であり、みものになるという事実が、卑屈の粉飾以外の何ものでもないことになる。

 どの一家にも失業の不安がある。誰の胸のなかにも、さし当って税をどうして払おうかという心配がある。まわりでは、帝国主義の戦争ヒステリーにかかったものたちの上ずった大声がこの次の戦争には日本の人民を利用することができる、傭兵制を考えられる、とわめきたてている。日本という一つの島国がアジアに向って太平洋のはじにつらなっているという自然の現象は、日本が人類平和に対して害毒の島とされなければならない宿命を語ることではないのである。
 日本の人民そのもののうちに平和を守ろうとしている誠意を信じることができるからこそ、パリの世界の平和を守る会は、去年の大会で決定した国際平和賞の候補すいせんを、日本の「平和を守る会」支部にもとめて来ている。

 国外に行っている日本婦人たちの、日本服姿が優美なものとして見られるならば、それもわるいことではないであろう。ただ一つ願うことは国外の日本婦人たちが、それを日本の婦人特有の姿としてそれゆえに臆さず日本服で歩いているならば、どうぞそれにふさわしく、日本の全人民、婦人、子供の真実の声を語ってほしいことである。日本の婦人。日本の子供。戦争によって何ひとつ利得するところのないことを学んだ正直な人民は、戦争を欲していない。軍事基地とされることは、ことわっている。これだけの言葉は、こんにち、日本と世界のために暗記してでも、くりかえされる意義をもっている。わたしたちは、平和を、欲している。たった三ことのこの日本語こそ、どの国の言葉に訳しても三つの言葉にまとまって世界の良心につながっているのである。
〔一九五〇年三月〕

底本:「宮本百合子全集 第十五巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年5月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
   1952(昭和27)年1月発行
初出:「婦人民主新聞」
   1950(昭和25)年3月3日号
入力:柴田卓治
校正:米田進
2003年6月4日作成
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