一

 私は今年ことし三十九になる。人世じんせい五十が通相場とおりそうばなら、まだ今日明日きょうあす穴へ入ろうとも思わぬが、しかし未来は長いようでも短いものだ。過去って了えば実に呆気あッけない。まだまだと云ってるうちにいつしか此世のひまが明いて、もうおさらばという時節が来る。其時になって幾ら足掻あがいたって藻掻もがいたって追付おッつかない。覚悟をするなら今のうちだ。
 いや、しかし私も老込んだ。三十九には老込みようがチト早過ぎるという人も有ろうが、気の持方もちかたは年よりもけた方が好い。それだと無難だ。
 如何どうして此様こん老人としよりじみた心持になったものか知らぬが、あながち苦労をして来た所為せいでは有るまい。私ぐらいの苦労は誰でもしている。尤も苦労しても一向苦労にげぬ何時迄いつまでも元気な人もある。或は苦労が上辷うわすべりをして心にみないように、何時迄いつまで稚気おさなぎの失せぬお坊さんだちの人もあるが、大抵は皆私のように苦労にげて、年よりは老込んで、意久地いくじなく所帯染しょたいじみて了い、役所の帰りにしゃけ二切ふたきれ竹の皮に包んでげて来る気になる、それが普通だと、まあ、思って自ら慰めている。
 もううなると前途が見え透く。もう如何様どんな藻掻もがいたとて駄目だと思う。残念と思わぬではないが、思ったとて仕方がない。それよりは其隙そのひまで内職の賃訳ちんやくの一枚も余計にして、もう、これ、冬が近いから、家内中に綿入れの一枚も引張ひっぱらせる算段をなければならぬ。
 もう私は大した慾もない。どうかせがれが中学を卒業する迄首尾よく役所を勤めて居たい、其迄に小金の少しも溜めて、いつ何時なんどき私に如何どんな事が有っても、妻子が路頭に迷わぬ程にして置きたいと思うだけだが、それが果して出来るものやら、出来ぬものやら、甚だ覚束おぼつかないので心細い……
 が、考えると、昔は斯うではなかった。人並に血気はさかんだったから、我より先に生れた者が、十年二十年世の塩を踏むと、百人が九十九人まで、みんなじめじめと所帯染しょたいじみて了うのを見て、意久地いくじの無い奴等だ。そんな平凡な生活をする位なら、いっそ首でもくくって死ンじまえ、などと蔭では嘲けったものだったが、嘲けっているうちに、自分もいつしか所帯染しょたいじみて、人に嘲けられる身の上になって了った。
 こうなって見ると、浮世は夢の如しとはく言ったものだと熟々つくつく思う。成程人の一生は夢で、而も夢中に夢とは思わない、覚めてのち其と気が附く。気が附いた時には、夢はもう我を去って、千里万里せんりばんりを相隔てている。もう如何どうする事も出来ぬ。
 もう十年早く気が附いたらとはたれしも思う所だろうが、皆判でしたように、十年後れて気が附く。人生は斯うしたものだから、今私共をわらう青年達も、やがては矢張やっぱり同じ様に、のちの青年達にわらわれて、残念がって穴に入る事だろうと思うと、私は何となく人間というものが、果敢はかないような、味気ないような、妙な気がして、泣きたくなる……
 あッ、はッ、は! ……いや、しかし、私も老込んだ。こんな愚痴が出る所を見ると、いよいよ老込んだに違いない。

          二

 老込んだ証拠には、近頃は少し暇だと直ぐ過去を憶出おもいだす。いや憶出おもいだしても一向憶出おもいだばえのせぬ過去で、何一つ仕出来しでかした事もない、どころじゃない、皆碌でもない事ばかりだ。が、それでいて、その失敗の過去が、私に取っては何処か床しい処がある、後悔慚愧はらわたおもいが有りながら、それでいて何となく心を惹付ひきつけられる。
 日曜に妻子を親類へ無沙汰見舞に遣った跡で、長火鉢のそば徒然ぽつねんとしていると、半生はんせいの悔しかった事、悲しかった事、乃至ないし嬉しかった事が、玩具おもちゃのカレードスコープを見るように、紛々ごたごたと目まぐるしく心の上面うわつらを過ぎて行く。初は面白半分に目をねむって之にむかっているうちに、いつしかたましい藻脱もぬけて其中へ紛れ込んだように、恍惚うっとりとして暫く夢現ゆめうつつの境を迷っていると、
今日こんちは! 桝屋ますやでございます!」
 と、ツイ障子一重ひとえ其処の台所口で、頓狂な酒屋の御用の声がする。これで、私は夢の覚めたようなかおになる。で、ぼやけた声で、
「まず好かったよ。」
 酒屋の御用を逐返おいかえしてから、おお、斯うしてもいられん、と独言ひとりごとを言って、机を持出して、生計くらしの足しの安翻訳を始める。外国の貯蓄銀行の条例か何ぞに、絞ったら水の出そうな頭を散々悩ませつつ、一枚二枚は余所目よそめを振らず一心に筆を運ぶが、其中そのうち曖昧あやふやな処に出会でっくわしてグッと詰ると、まず一服と旧式の烟管きせるを取上げる。と、又忽然として懐かしい昔が眼前に浮ぶから、不覚つい其にうつつを脱かし、肝腎の翻訳がお留守になって、晩迄に二十枚は仕上げるつもりの所を、十枚も出来ぬ事が折々ある。
 こうどうも昔ばかりを憶出していた日には、内職の邪魔になるばかりで、さもしいようだが、ぜににならぬ。いつそのくされ、思う存分書いて見よか、と思ったのは先達せんだっての事だったが、其後そのご――矢張やっぱり書く時節が到来したのだ――内職の賃訳がふっと途切れた。此暇このひまあすんで暮すは勿体ない。私は兎に角書いて見よう。
 実は、極く内々ないないの話だが、今でこそ私は腰弁当と人の数にもかずまえられぬ果敢はかない身の上だが、昔は是れでも何のなにがしといや、或るサークルでは一寸ちょっと名の知れた文士だった。流石さすがに今でも文壇に昔馴染むかしなじみが無いでもない。恥を忍んで泣付いて行ったら、随分一肩入れて、原稿を何処かの本屋へかたづけて、若干なにがしかに仕て呉れる人が無いとは限らぬ。そうすりゃ、今年の暮は去年のような事もあるまい。何も可愛かわゆ妻子つまこの為だ。私は兎に角書いて見よう。
 さて、題だが……題は何としよう? 此奴こいつには昔から附倦つけあぐんだものだッけ……と思案の末、はたと膝をって、平凡! 平凡に、限る。平凡な者が平凡な筆で平凡な半生を叙するに、平凡という題は動かぬ所だ、と題がきまる。
 次には書方だが、これは工夫するがものはない。近頃は自然主義とか云って、何でも作者の経験した愚にも附かぬ事を、いささかも技巧を加えず、ありの儘に、だらだらと、牛のよだれのように書くのが流行はやるそうだ。い事が流行はやる。私も矢張やっぱり其で行く。
 で、題は「平凡」、書方は牛のよだれ
 さあ、是からが本文ほんもんだが、此処らで回を改めたが好かろうと思う。

          三

 私は地方生れだ。戸籍を並べても仕方がないから、唯某県の某市として置く。其処で生れて其処で育ったのだ。
 子供の時分の事は最う大抵忘れて了ったが、不思議なもので、覚えている事だと、判然はっきり昨日きのうの事のように想われる事もある。中にも是ばかりは一生目の底に染付しみついて忘れられまいと思うのは十の時死別れた祖母のかおだ。
 今でも目をねむると、直ぐ顕然まざまざと目の前に浮ぶ。面長おもながの、老人だから無論しわは寄っていたが、締った口元で、段鼻で、なかなか上品な面相かおつきだったが、眼が大きな眼で、女には強過きつすぎる程けんが有って、古屋の――これが私のうちの姓だ――古屋の隠居の眼といったら、随分評判の眼だったそうだ。成程然ういえば、何か気に入らぬ事が有って祖母が白眼しろめでジロリとにらむと、子供心にも何だか無気味だったようなおぼえがまだ有る。
 大抵の人は気象が眼へ出ると云う。祖母が矢張やっぱり其だった。全く眼色めつきのような気象で、勝気で、鋭くて、く何かに気の附く、口も八丁手も八丁という、一口に言えば男勝おとこまさり……まあ、そういったたちの人だったそうな、――私は子供の事で一向夢中だったが。
 生長後親類などの話で聞くと、それというが幾分か境遇の然らしめた所も有ったらしい――というのは、早く祖父に死なれて若い時から後家をとおして来た。後家という者はいつの世でも兎角人に影口かげぐち言れ勝の、割の悪いものだから、勝気の祖母はこれが悔しくてたまらない。それで、何の、女でこそあれ、と気を張る。気を張て油断をしなかったから、一生人に後指うしろゆびを差されるような過失はなかった代り、余り人に愛しもされずに年を取って了って、父の代となった。
 父は祖母とはまるで違っていた。如何どうして此人の腹に此様こんな人がと怪しまれる程の好人物で、かお薩張さっぱり似ていなかった。大きな、笑うと目元に小皺こじわの寄る、豊頬ふっくりした如何いかにも愛嬌のある円顔で、なりも大柄だったが、何処か円味が有り、心も其通りかどが無かった。快活で、わだかまりがなくて、話が好きで、碁が好きで、ひまさえ有れば近所を打ち歩き、大きなくしゃみを自慢にする程の罪のない人だった。祖父が矢張やっぱり然うであったと云うから、大方其気象を受継いだのであろう。
 父は此様こんな人だし、母は――私の子供の時分の母は、手拭を姉様冠あねさまかぶりにして襷掛たすきがけでくクレクレ働く人だった。其頃の事をたれに聞いても、皆阿母おっかさんは能く辛抱なすったとばかりで、其他そのたに何も言わぬから、私の記憶に残る其時分の母は、何時迄いつまでっても矢張やっぱり手拭を姉様冠あねさまかぶりにして、襷掛たすきがけでくクレクレ働く人で、格別如何どういう人という事もない。
 斯ういう家庭だったから、自然祖母が一家の実権を握っていた。家内中の事一から十迄祖母の方寸にさばかれて、母は下女か何ぞの様に逐使おいつかわれる。父も一向家事には関係しないで、形式的に相談を受ければ、好うがしょう、とばかり言っている。然う言っていないと、祖母の機嫌が悪い、面倒だ。
 母方の伯父で在方ざいかたで村長をしていた人があった。如何どうしたのだか、祖母とは仲悪で、死後迄余り好くは言わなかったが、何かの話のついでに、阿母おっかさんもお祖母ばあさんには随分泣されたものだよ、と私に言った事がある。成る程折々母が物蔭で泣いていると、いつも元気な父が其時ばかりは困った顔をして何か密々ひそひそ言っているのを、子供心にも不審に思った事があったが、それが伯父の謂うお祖母ばあさんに泣かされていたのだったかも知れぬ。
 兎に角祖母は此通り気難かし家であったが、その気難かし家の、死んだ後迄あとまで噂に残る程の祖母が、如何どういうものだか、私に掛ると、から意久地がなかった。

          四

 何で祖母が私に掛ると、意久地が無くなるのだか、其は私には分らなかった。が、兎に角意久地の無くなるのは事実で、評判の気難かし家が、如何どうにでも私の思う様になって了う。
 まず何か欲しい物がある。それも無い物ねだりで、有る結構な干菓子は厭で、無い一文菓子が欲しいなどと言出して、母に強求ねだるが、許されない。祖母に強求ねだる、一寸ちょっと渋る、首玉くびったまかじいて、ようようと二三度鼻声で甘垂あまたれる、と、もう祖母は海鼠なまこの様になって、およし――母の名だ――彼様あんなに言うもんだから、買って来てお遣りよ、という。祖母の声掛りだから、母も不承々々って、雨降あめふりでも私の口のお使に番傘かたげて出懸けようとする。斯うなると、流石さすがの父も最う笑ってばかりは居られなくなって、小言をいう。私が泣く、祖母の機嫌が悪い。
此様こんな小さい者を其様そんないじめて育てて、若しか俊坊としぼうの様な事にでもなったら、如何どうおしだ? 可哀かわいそうじゃないか。」
 というのが口切で、ボツリボツリと始める。俊坊というのは私の兄で、私も虚弱だったが、矢張やっぱり虚弱で、六ツの時られたのだそうだ。それも急性胃加答児いカタルられたのだと云うから、事に寄ると祖母が可愛がりごかしに口を慎ませなかったたたりかも知れぬ。併し虚弱なは大食させ付ると達者になると言われて、然うかなと思う程の父だから、祖母の矛盾には気が附かない。矢張やっぱり有触れた然う我儘をさせ付けてはぐらいの所で切脱きりぬけようとする。祖母も其は然う思わぬでもないから、内々ないない自分が無理だと思うだけに激する、言葉が荒くなる。もう此上おこらせると、又三日も物を言わなかった挙句、ぷいとうちを出てざいの親類へ行ったきり帰らぬという騒も起りかねまじい景色なので、父は黙って了う。母も黙って出て行く。と、もう廿分もつと、私が両手に豆捩まめねじを持って雀躍こおどりして喜ぶ顔を、祖母が眺めてほくほくする事になって了う。
 斯うして私の小さいけれど際限の無い慾が、いつも祖母をとおして遂げられる。それは子供心にも薄々了解のみこめるから、自然家内中で私の一番すきなのは祖母で、お祖母ばあさんお祖母さんと跡を慕う。何となく祖母を味方のように思っているから、祖母が内に居る時は、私は散々我儘を言って、悪たれて、仕度三昧したいざんまいを仕散らすが、留守だと、萎靡いじけるのではないが、余程よっぽど温順おとなしくなる。
 其癖そのくせ私は祖母を小馬鹿にしていた。何となく奥底が見透みすかされるから、祖母が何と言ったって、ちッとも可怕こわくない。
 それを又勝気の祖母が何とも思っていない。かえって馬鹿にされるのが嬉しいように、人が来ると、其話をして、憎い奴でございますと言って、ほくほくしている。
 両親も其は同じ事で、散々私に悩まされながら、矢張やっぱり何とも思っていない。唯影でお祖母ばあさんにも困ると、お祖母ばあさんの愚痴をこぼすばかり。
 私は何方どッちへ廻っても、矢張やッぱりだ。

          五

 親馬鹿と一口に言うけれど、親の馬鹿程有難い物はない。祖母は勿論、両親とても決して馬鹿ではなかったが、その馬鹿でなかった人達が、私の為には馬鹿になって呉れた。勿体ないと言わずには居られない。
 私に何の取得がある? 親が身の油を絞って獲た金を、私の教育に惜気おしげもなく掛けて呉れたのは、私を天晴あッぱれ一人前の男に仕立てたいが為であったろうけれど、私は今びょうたる腰弁当で、浮世の片影かたかげに潜んでいる。私が生きていたとて、世に寸益もなければ、死んだとて、妻子の外に損を受ける者もない。世間から見れば有っても無くてもい余計な人間だ。財産なり、学問なり、技能なり、何か人より余計に持っている人は、其余計に持っている物をさしはさんで、傲然として空嘯そらうそぶいていても、人は皆其足下そっかに平伏する。私のように何も無い者は、生活に疲れて路傍みちばたに倒れて居ても、誰一人たれひとり振向いて見ても呉れない。皆素通すどおりして※(「勹/夕」、第3水準1-14-76)さッさと行って了う。たまたま立止る者が有るかと思えば、つらつら視て、金持なら、うう、貧乏人だと云う、学者なら、うう、無学な奴だと云う、詩人なら、うう、俗物だと云う、そうして※(「勹/夕」、第3水準1-14-76)さッさと行って了う。平生へいぜい尤も親しらしいかおをして親友とか何とか云っている人達でも、斯うなると寄ってたかって、ンにはら散々さんざ私の欠点を算え立てて、それで君は斯うなったんだ、自業自得だ、諦め玉え々々と三度回向えこうして、彼方あちら向いて※(「勹/夕」、第3水準1-14-76)さっさと行って了う。私は斯ういう価値の無い平凡な人間だ。それを二つとない宝のように、人に後指を差されて迄も愛して呉れたのは、生れて以来今日迄こんにちまで何万人となく人に出会ったけれど、其中そのうちで唯祖母と父母あるばかりだ。偉い人は之を動物的の愛だとか言って擯斥けなされるけれど、平凡な私の身に取っては是程有難い事はない。
 若し私の親達に所謂いわゆる教育が有ったら、斯うはなかったろう。必ず、動物的の愛なんぞは何処かの隅にそっしまって置き、例の霊性の愛とかいうものをかつだして来て、薄気味悪い上眼を遣って、天から振垂ぶらさがった曖昧あやふやな理想の玉をながめながら、親の権威を笠にかおをして笠にて、其処ン処は体裁よく私を或型へ推込おしこもうと企らむだろう。私は子供の天性の儘に、そんなふやけた人間が、古本ふるぼんなんぞと首引くびッぴきして、道楽半分にこしらえた、其癖無暗むやみに窮屈な型なんぞへ入る事を拒んで、隙を見て逃出そうとする。どッこいと取捉とッつらまえて厭がる者を無理無体に、シャモを鶏籠とりかごへ推込むように推込む。私は型の中で出ようと藻掻もがく。知らんかおしている。泣いて、わめいて、引掻いて出ようとする。知らんかおしている。欺して出ようとする。其手に乗らない。百計尽きて、仕様がないと観念して、性をめ、情をめ、いきながら木偶でくの様な生気のない人間になって了えば、親達は始めて満足して、漸く善良な傾向が見えて来たと曰う。世間の所謂いわゆる家庭教育というものは皆是ではないか。私は幸いにして親達が無教育無理想であったばかりに、型に推込まれる憂目うきめのがれて、野育ちに育った。野育ちだから、生来具有の百の欠点を臆面もなくさらけ出して、所謂いわゆる教育ある人達を顰蹙ひんしゅくせしめたけれど、其代り子供の時分は、今の様に矯飾きょうしょくはしなかった。みんな無教育な親達のお蔭だ。難有ありがたい事だと思う。しん難有ありがたい事だと思う。
 しかし内拡うちひろがりの外窄そとすぼまりと昔からく俗人が云う。哲人の深遠な道理よりも、詩人の徹底した見識よりも、平凡な私共の耳には此方がり易い。不思議な事には、無理想の俗人の言う事は皆活きて聞える。
 私が矢張やッぱり内拡うちひろがりの外窄そとすぼまりであった。

          六

 内ン中のあわびッ貝、外へ出りゃしじみッ貝、と友達にはやされて、私は悔しがってく泣いたッけが、併し全く其通りであった。
 如何どういうものだか、内でお祖母ばあさんがなめるようにして可愛がって呉れるが、一向嬉しくない。かえっ蒼蠅うるさくなって、出るなとめる袖の下を潜って外へ駈出す。
 しかし一歩門外もんそとへ出れば、最う浮世の荒い風が吹く。子供の時分の其は、何処にも有るいじめッという奴だ。私の近処にも其が居た。
 かんちゃんと云って、私より二ツ三ツ年上で、獅子ッ鼻の、色の真黒けなだったが、斯ういうのに限って乱暴だ。親仁おやじは郵便局の配達か何かで、大酒呑で、阿母おふくろはお引摺ひきずりと来ているから、いつ鍵裂かぎざきだらけの着物を着て、かかとの切れた冷飯草履ひやめしぞうりを突掛け、片手に貧乏徳利を提げ、子供の癖に尾籠びろう流行歌はやりうたを大声にうたいながら、飛んだり、跳ねたり、曲駈きょくがけというのを遣り遣り使に行く。始終使にばかり行っても居なかったろうが、私は勘ちゃんの事を憶出すと、何故だかいつも其使に行く姿を想出おもいだす。
 勘ちゃんはうちでは何も貰えぬから、人が何か持ってさえいれば、屹度きっと欲しがって、卒直にお呉ンなと云う。機嫌好く遣れば好し、厭だと頭振かぶりを振ると、あごを突出して、いよ好いよと云う。薄気味うすきび悪くなって遣ろうとするが、最う受取らない。いよ、呉れないと云ったね、いよと、其許そればかりを反覆くりかえして行って了う。何となく気になるが、子供の事だ、遊びにほうけて忘れていると、何時いつの間にか勘ちゃんが、使の帰りに何処かで蛇の死んだのを拾って来て、そっ背後うしろから忍び寄て、卒然いきなりピシャリと叩き付ける。ワッと泣き声揚げて此方こちらは逃出す、其後姿を勘ちゃんは白眼しろめで見送って、「ざまア見やがれ!」
 私は散々此勘ちゃんにいじめられた。初こそ悔しがって武者振り付いても見たが、勘ちゃんは喧嘩の名人だ。すぐ足搦あしがら掛けて推倒おしたおして置いて、馬乗りに乗ってピシャピシャつ。私にはお祖母ばあさんが附いてるから、内では親にさえ滅多にたれた事のない頭だ。その大切にせられている頭を、勘ちゃんは遠慮せずにピシャピシャつ。
 一ひどい目に遭ってから、私は勘ちゃんが可怕こわくて可怕くてならなくなった。勘ちゃんがそばへ来ると、最う私は恟々おどおどして、呉れと言わないうちから持ってる物を遣り、勘ちゃん、あの、賢ちゃんがね、お前の事を泥棒だッて言ってたよと、余計な事迄告口つげぐちして、勉めて御機嫌を取っていた。斯うしていれば大抵は無難だが、それでも時々何の理由もなく、通りすがりに大切の頭をコツリとって行くこともある。
 そとは面白いが、勘ちゃんが厭だ。と云って、内でお祖母ばあさんとにらめッこも詰らない。そこで、お隣のおみっちゃんにお向うのおよっちゃんを呼んで来る。おみっちゃんは外歯そっぱのお出額でこで河童のようなだったけれど、およっちゃんは色白の鈴を張ったような眼で、好児いいこだった。私は飯事ままごとでおよっちゃんの旦那様になるのが大好だった。お烟草盆たばこぼんのおよっちゃんが真面目腐って、貴方あなた、御飯をお上ンなさいなと云う。アイと私が返事をする。アイじゃ可笑おかしいわ、ウンというンだわ、と教えられて、じゃ、ウンと言って、可笑おかしくなって、不覚つい笑い出す。此方が勘ちゃんに頭をられるより余程よッぽど面白い。それに女のはこましゃくれているから、子供でも人のうちだと遠慮する。私一人ひとり威張っていられる。間違って喧嘩になっても、屹度きッと敵手あいてが泣く。然うすればお祖母ばあさんが謝罪あやまって呉れる。
 女のと遊ぶのは無難で面白いが、併しそう毎日も遊びに来て呉れない。すると、私は退屈するから、平地へいちに波瀾を起して、すねて、じぶくッて、大泣に泣いて、そうしてお祖母ばあさんに御機嫌を取って貰う。

          七

 ……が、待てよ。何ぼ自然主義だと云って、斯う如何どうもダラダラと書いていた日には、三十九年の半生はんせいを語るに、三十九年掛るかも知れない。も少し省略はしょろう。
 で、唐突ながら、祖母は病死した。
 其時の事は今に覚えているが、平常いつもつもりで何心なくそとから帰って見ると、母が妙な顔をして奥から出て来て、いつになく小声で、お前は、まあ、何処へ行ッていたい? お祖母ばあさんがおなくなンなすッたよ、という。おなくなンなすッたよが一寸ちょっと分らなかったが、死んだのだと聞くと、吃驚びっくりすると同時に、急に何だか可怕おっかなくなって来た。無論まだ死ぬという事が如何どんな事だかくは分らなかったが、唯何となく斯う奥の知れぬ真暗な穴のような処へ入る事のように思われて、日頃から可怕おっかながっていたのだが、子供も人間だから矛盾を免れない。お祖母ばあさんが死んだのは可怕おっかないが、その可怕おっかない処を見たいような気もする。
 で、母が来いと云うから、あといて怕々こわごわ奥へ行って見ると、父は未だ居る医者と何か話をしていたが、私のかおを見るより、何処へ行って居た。もう一足早かったらなあ……と、何だかひどく残念がって、此処へ来てお祖母ばあさんにお辞儀しろという。
 改まってお祖母ばあさんにお辞儀しろと言われた事は滅多に無いので、死ぬと変な事をするものだ、と思って、おッかなびっくそばへ行くと、小屏風をさかさにした影に祖母が寝ていて、かおに白い布片きれが掛けてある。父がしずかに其を取除とりのけると、眼を閉じて少し口をいた眠ったような祖母のかおが見える……一目見ると厭な色だと思った。長いことわずらっていたから、やつれた顔は看慣みなれていたが、此様こんな色になっていたのを見た事がない。厭に白けて、光沢つやがなくて、死の影に曇っているから、顔中が何処となく薄暗い。もううちのお祖母ばあさんでは無いような気がする。といって、余処よそのお祖母ばあさんでもないが、何だか其処に薄気味の悪い区劃しきりが出来て、此方こっちは明るくて暖かだが、向うは薄暗くて冷たいようで、何がなしにこわかった。
「お辞儀をしないか。」
 と父に催促されて、私は莞爾々々にこにことなった。何故だか知らんが、莞爾々々にこにことなって、ドサンと膝を突いて、遠方からお辞儀して、急いで次の間へ逃げて来て、矢張やっぱり莞爾々々にこにこしていた。
 其中そのうちに親類の人達が集まって来る、お寺から坊さんが来る、其晩はお通夜つやで、翌日は葬式と、何だか家内かない混雑ごたごたするのに、る物聞く事皆珍らしいので、私は其に紛れて何とも思わなかったが、やがて葬式が済んで寺から帰って来ると、手伝の人も一人帰り二人帰りして、跡は又うちの者ばかりになる。薄暗いランプの蔭でトかおを合せて見ると、お祖母ばあさんが一人足りない。ああ、お祖母ばあさんは先刻さっき穴へ入って了ったが、もう何時迄いつまで待ても帰って来ぬのだと思うと、急に私は悲しくなってシクシク泣出した。
 私の泣くのを見て母も泣いた。父も到頭泣いた。親子三人向合むかいあって、黙って暫く泣いていた。

          八

 祖母に死別れて悲しかったが、其頃はまだ子供だったから、十分に人間死別の悲しみを汲分け得なかった。その悲しみの底を割ったと思われるのは、其後そののち両親りょうしんに死なれた時である。
 去る者日々にうとしとは一わたりの道理で、私のような浮世の落伍者はかえって年と共に死んだ親を慕う心が深く、厚く、こまやかになるようだ。
 去年の事だ。私は久振ひさしぶり展墓てんぼの為帰省した。寺の在る処はもとは淋しい町端まちはずれで、門前の芋畠を吹く風も悲しい程だったが、今は可なりの町並になって居て、昔やすんだ事のある門脇もんわきの掛茶屋は影も形も無くなり、其跡が Barber'sバーバース Shopショップ と白ペンキの奇抜な看板を揚げた理髪店になっている。
 が、寺は其反対に荒れ果てて、門は左程さほどでもなかったが、突当りの本堂も、其側そのそば庫裏くりも、多年の風雨ふううさらされて、処々壁が落ち、下地したじの骨があらわれ、屋根には名も知れぬ草が生えて、ひどさびれていた。私は台所口で寺男が内職に売っているしきみを四五本買って、井戸へ掛って、釣瓶縄つるべなわが腐って切れそうになっているのを心配しながら、漸く水を汲上げた。手桶片手に、しきみげて、本堂をグルリとまわって、うしろの墓地へ来て見ると、新仏しんぼとけが有ったと見えて、地尻じしりに高い杉の木のしたに、白張しらはりの提灯が二張ふたはりハタハタと風にゆらいでいる。流石さすがかすかに覚えが有るから、確かへんだなと見当を附けて置いて、さて昨夜ゆうべの雨でぬかる墓場道を、蹴揚けあげの泥をいとい厭い、度々たびたび下駄を取られそうになりながら、それでも迷わずに先祖代々の墓の前へ出た。
 祠堂金しどうきんも納めてある筈、僅ばかりでも折々の附け届も怠らなかったつもりだのに、是はまた如何な事! 何時いつ掃除した事やら、台石は一杯に青苔あおごけが蒸して石塔も白いかさぶたのような物におおわれ、天辺てッぺん二処三処ふたとこみとこベットリと白い鳥のふんが附ている。勿論木葉このはうずたかく積って、雑草も生えていたが、花立の竹筒は何処へ行った事やら、影さえ見えなかった。
 私は掃除する方角もなく、之に対して暫く悵然ちょうぜんとしていた。
 祖母の死後数年すねん父母ちちははも其跡を追うて此墓のしたうずまってから既に幾星霜を経ている。墓石ぼせきは戒名も読めかねる程苔蒸して、黙然として何も語らぬけれど、今きたってまのあたりに之に対すれば、何となく生きた人とかおを合せたような感がある。懐かしい人達が未だ達者でいた頃の事が、それからそれ止度とめどなく想出されて、祖母が縁先に円くなって日向ぼッこをしている格構かっこう、父が眼も鼻も一つにしておおきくしゃみようとする面相かおつき、母が襷掛たすきがけで張物をしている姿などが、顕然まざまざと目の前に浮ぶ。
 さッと風が吹いて通る。の葉がざわざわと騒ぐ。の葉の騒ぐのとは思いながら、澄んだ耳には、聴き覚えのある皺嗄しゃがれた声や、快活な高声たかごえや、低い繊弱かぼそい声が紛々ごちゃごちゃと絡み合って、何やらしきりにあわただしく話しているように思われる。一しきりしてはたと其が止むと、跡は寂然しんとなる。
 と、私の心も寂然しんとなる。その寂然しんとなった心の底から、ふと恋しいが勃々むらむらと湧いて出て、私は我知らず泪含なみだぐんだ。ああ、成ろう事なら、此儘此墓の下へ入って、もう浮世へは戻りたくないと思った。

          九

 先刻さっき旧友の一人が尋ねて来た。此人は今でも文壇に籍を置いてる人で、人のかおさえ見れば、君ねえ、ナチュラリーズムがねえと、グズリグズリを始める人だ。
 神経衰弱を標榜している人だからたまらない。来ると、ニチャニチャと飴を食ってるような弁で、すぐと自分の噂を始める。やあ、僕の理想は多角形で光沢があるの、やあ、僕の神経はきりの様にとンがって来たから、是で一つ神秘の門をつッいて見るつもりだのと、其様そんな事ばかり言う。でなきゃ、文壇の噂で人の全盛に修羅しゅらもやし、何かしらケチを附けたがって、君、何某なにがしのと、近頃評判の作家の名を言って、姦通一件を聞いたかという。また始まったと、うんざりしながら、いやそんな事僕は知らんと、ぶっきらぼうに言うけれど、文士だから人の腹なんぞは分らない。人が知らんというのに反って調子づいて、秘密の話だよ、此場限りだよと、私が十人目の聴手かも知れぬ癖に、悪念わるねんを推して、その何某なにがしが友の何某なにがしの妻と姦通している話を始める。何とかが如何どうとかして、掃溜はきだめの隅で如何どうとかしている処を、犬に吠付かれて蒼くなって逃げたとか、何とか、その醜穢しゅうわいなること到底筆には上せられぬ。それも唯其丈の話で、夫だから如何どうという事もない。君、モーパッサンの捉まえどこだね、というぐらいが落だ。
 これで最う帰るかと思うと、なかなか以て! 君ねえ、僕はねえと、また僕の事になって、其中そのうちに世間の俗物共を眼中にかないで、一つ思う存分な所を書いて見ようと思うという様な事を饒舌しゃべって、文士で一生貧乏暮しをするのだもの、ねえ、君、せめて後世にでも名を残さなきゃアと、たまらない事をいう。プスリプスリといぶるような※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)きえんを吐いて、散々人を厭がらせた揚句に、僕は君に万斛ばんこくの同情を寄せている、今日は一つ忠告を試みようと思う、というから、何を言うかと思うと、「君も然う所帯染みて了わずと、一つ奮発して、何か後世へ残し玉え。」
 こんなのは文壇でも流石さすがに屑の方であろう。しかし不幸にして私の友人は大抵屑ばかりだ。こんな人のこんな風袋ふうたいばかり大きくても、割れば中から鉛の天神様が出て来るガラガラのような、見掛倒しの、内容に乏しい、信切な忠告なんぞは、私はちッとも聞きたくない。私の願は親の口から今一度、薄着して風邪をお引きでない、お腹がいたら御飯にしようかと、詰らん、くだらん、意味の無い事を聞きたいのだが……
 その親達は最う此世に居ない。若し未だ生きていたら、私は……孝行をしたい時には親はなしと、又しても俗物は旨い事を言う。ああ、嬉しいにつけ、悲しいにつけ、憶出すのは親の事……それにポチの事だ。

          十

 ポチは言う迄もなく犬だ。
 来年は四十だという、もうびんに大分白髪しらがも見える、汚ない髭の親仁おやじの私が、親に継いでは犬の事を憶い出すなんぞと、あんまり馬鹿気ていてお話にならぬ――と、被仰おっしゃるお方が有るかも知れんが、私に取っては、ポチは犬だが……犬以上だ。犬以上で、一寸ちょっとまあ、弟……でもない、弟以上だ。何と言ったものか? ……そうだ、命だ、第二の命だ。恥を言わねばが聞こえぬというから、私はを聞かせる為に敢て耻を言うが、ポチは全く私の第二の命であった。其癖初めを言えば、欲しくて貰った犬ではない、止むことを得ず……いや、矢張やっぱりあれが天から授かったと云うのかも知れぬ。
 忘れもせぬ、祖母のなくなった翌々年よくよくとしの、春雨のしとしとと降る薄ら寒い或夜の事であった。宵惑よいまどいの私は例の通り宵の口から寝て了って、いつ両親りょうしんしんに就いた事やら、一向知らなかったが、ふと目を覚すと、有明ありあけが枕元を朦朧ぼんやりと照して、四辺あたり微暗ほのぐら寂然しんとしている中で、耳元近くに妙な音がする。ゴウというかとすれば、スウと、或は高く或は低く、単調ながら拍子を取って、宛然さながら大鋸おおのこぎりで大丸太を挽割ひきわるような音だ。何だろうと思って耳を澄していると、時々其音が自分と自分の単調に※(「厭/食」、第4水準2-92-73)いたように、忽ちガアと慣れた調子を破り、凄じい、障子の紙の共鳴りのする程の音を立てて、勢込んで何処へか行きそうにして、忽ち物に行当ったように、はたと止む。と、しばらく闃寂ひッそとなる――そのそばから、直ぐ又穏かにスウスウという音が遠方に聞え出して、其が次第に近くなり、荒くなり、又耳元で根気よくゴウ、スウ、ゴウ、スウと鳴る。
 私は夜中に滅多に目を覚した事が無いから、初はひど吃驚びっくりしたが、く研究して見ると、なに、父のいびきなので、やっと安心して、其儘再び眠ろうとしたが、さかんなゴウゴウスウスウが耳に附いて中々眠付ねつかれない。仕方がないから、聞える儘に其音に聴入っていると、思做おもいなしで種々いろいろに聞える。或は遠雷とおかみなりのように聞え、或は浪の音のようでもあり、又は火吹達磨ひふきだるまが火を吹いてるようにも思われれば、ゴロタ道を荷馬車が通る音のようにも思われる。と、ふと昼間見た絵本の天狗が酒宴を開いている所を憶出して、阿爺おとっさんが天狗になってお囃子はやしってるのじゃないかと思うと、急に何だか薄気味うすきび悪くなって来て、私は頭からスポッと夜着よぎかむって小さくなった。けれども、天狗のお囃子はやしは夜着の襟から潜り込んで来て、耳元にへばり付いて離れない。私は凝然じっと固くなって其に耳を澄ましていると、何時いつからとなくお囃子はやしの手が複雑こんで来て、合の手に遠くでかすかにキャンキャンというような音が聞える。ゴウという凄じい音の時には、それに消圧けおされて聞えぬが、スウという溜息のような音になると、其が判然はっきりと手に取るように聞える。不思議に思ってますます耳を澄ましていると、合の手のキャンキャンが次第に大きく、高くなって、遂にはいびきの中を脱け出し、其とは離ればなれに、確に門前もんぜんに聞える。
 こうなって見ると、疑もなく小狗こいぬの啼き声だ。時々咽喉のどでもしめられるように、消魂けたたましく※(「口+言」、第4水準2-3-93)きゃんきゃんと啼き立てる其の声尻こわじりが、やがてかぼそく悲し気になって、滅入るように遠い遠い処へ消えて行く――かとすれば、忽ち又近くでえ切れぬように啼き出して、クンクンと鼻を鳴らすような時もあり、ギャオとあくびをするような時もある。

          十一

 私は元来動物好きで、就中なかんずく犬は大好だから、近所の犬は大抵馴染なじみだ。けれども、此様こんな繊細かぼそ可愛いたいげな声で啼くのは一疋も無い筈だから、不思議に思って、そっと夜着の中から首を出すと、
如何どうしたの? 寝られないのかえ?」
 と、母が寝反りを打って此方こちらを向いた。私は此返答は差措さしおいて、
「あれは白じゃないねえ、阿母おッかさん? もッと小さいいぬの声だねえ? 如何どうしたんだろう?」
棄狗すていぬさ。」
棄狗すていぬッてなアに?」
棄狗すていぬッて……誰かがすててッたのさ。」
 私はしばらく考えて、
たれすててッたンだろう?」
「大方何処どッかの……何処どッかの人さ。」
 何処どッかの人がいぬすててッたと、私は二三度反覆くりかえして見たが、分らない。
如何どうしてすててッたんだろう?」
 蒼蠅うるさいよ、などという母ではない。何処迄も相手になって、其意味を説明して呉れて、もうおそいから黙っておと優しく言って、又彼方あちら向いて了った。
 私も亦夜着をかぶった。いぬは門前を去ったのか、啼声がやや遠くなるにれて、父のいびきが又蒼蠅うるさく耳に附く。寝られぬ儘に、私は夜着の中で今聴いた母の説明を反覆くりかえし反覆しあじわって見た。まず何処かの飼犬が椽の下でを生んだとする。ちッぽけなむくむくしたのが重なり合って、首をもちゃげて、ミイミイと乳房を探している所へ、親犬が余処よそから帰って来て、其側そのそばへドサリと横になり、片端かたはしから抱え込んでベロベロなめると、小さいから舌の先で他愛もなくコロコロと転がされる。転がされては大騒ぎして起返り、又ヨチヨチとい寄って、ポッチリと黒い鼻面でおなかを探りまわり、漸く思う柔かな乳首ちくびを探り当て、狼狽あわててチュウと吸付いて、小さな両手でて揉み立て吸出すと、甘いあったかな乳汁ちち滾々どくどくと出て来て、咽喉のどへ流れ込み、胸をさがって、何とも言えずおしい。と、腋の下からまだ乳首に有附かぬ兄弟が鼻面で割込んで来る。られまいとして、産毛うぶげの生えた腕を突張り大騒ぎってみるが、到頭られて了い、又其処らを尋ねて、ほかの乳首に吸付く。其中そのうちにお腹もくちくなり、親の肌で身体もあたたまって、とろけそうない心持になり、不覚つい昏々うとうととなると、くくんだ乳首が抜けそうになる。夢心地にも狼狽あわてて又吸付いて、一しきり吸立てるが、じきに又他愛なく昏々うとうととなって、乳首が遂に口を脱ける。脱けても知らずに口をいて、小さな舌を出したなりで、一向正体がない……其時忽ち暗黒くらやみから、茸々もじゃもじゃと毛の生えた、節くれ立った大きな腕がヌッと出て、正体なく寝入っている所を無手むず引掴ひッつかみ、宙につるす。驚いて目をポッチリ明き、いたいげな声で悲鳴を揚げながら、四そくを張って藻掻もがうちに、頭から何かで包まれたようで、真暗になる。窮屈で息気いきつまりそうだから、出ようとするが、出られない。しばらく藻掻もがいて居るうちに、ふと足掻あがきが自由になる。と、領元えりもとつままれて、高い高い処からドサリと落された。うろうろとして其処らを視廻すけれど、何だか変な淋しい真暗な処で、誰も居ない。茫然としていると、雨に打れて見る間に濡しょぼたれ、おそろしく寒くなる。身慄みぶるい一つして、クンクンと親を呼んで見るが、何処からも出て来ない。途方に暮れて、ヨチヨチと這出し、雨の夜中を唯一人、あたたかな親の乳房を慕って悲し気に啼廻なきまわる声が、先刻さっき一度門前へ来て、又何処へか彷徨さまよって行ったようだったが、其が何時いつか又戻って来て、何処を如何どう潜り込んだのか、今は啼声がまさしく玄関先に聞える。

          十二

阿母おっかさん阿母さん、門の中へ入って来たようだよ。」
 と、私が何だか居堪いたたまらないような気になって又母に言掛けると、母は気の無さそうな声で、
「そうだね。」
「出て見ようか?」
「出て見ないでもいよ。寒いじゃないかね。」
「だってえ……あら、彼様あんなに啼てる……」
 と、折柄おりから絶入るように啼入るいぬの声に、私は我知らず勃然むッくり起上ったが、何だか一人では可怕おッかないような気がして、
「よう、阿母おッかさん、行って見ようよう!」
本当ほんとに仕様がないだねえ。」
 と、口小言を言い言い、母も渋々起きて、雪洞ぼんぼりけて起上たちあがったから、私も其後そのあといて、玄関――と云ってもツイ次の間だが、玄関へ出た。
 母が履脱くつぬぎへ降りて格子戸の掛金かきがねを外し、ガラリと雨戸を繰ると、さっと夜風が吹込んで、雪洞ぼんぼりの火がチラチラとなびく。其時小さなまりのような物がと軒下を飛退とびのいたようだったが、やが雪洞ぼんぼり火先ひさきが立直って、一道の光がサッと戸外おもて暗黒やみを破り、雨水の処々に溜った地面じづらを一筋細長く照出した所を見ると、ツイ其処に生後まだ一ヵ月もたぬ、むくむくとふとった、赤ちゃけた狗児いぬころが、小指程の尻尾しっぽを千切れそうに掉立ふりたって、此方こちら瞻上みあげている。形体なりは私が寝ていて想像したよりも大きかったが、果して全身雨に濡れしょぼたれて、泥だらけになり、だらりと垂れた割合に大きい耳からしずくたらし、ぽっちりと両つの眼を青貝のように列べて光らせている。
「おやおや、まあ、可愛らしい! ……」と、母も不覚つい言って了った。
 いわんや私は犬好だ。じッとして視ては居られない。母の袖の下から首を出して、チョッチョッと呼んで見た。
 と、左程おそれた様子もなく、チョコチョコとそばへ来て流石さすがに少し平べったくなりながら、頭をでてやる私の手を、下からグイグイ推上おしあげるようにして、ベロベロと舐廻なめまわし、手を呉れるつもりなのか、しきりに円い前足を挙げてバタバタやっていたが、果はやんわりと痛まぬ程に小指を咬む。
 私は可愛かわゆくて可愛くてまらない。母のかお瞻上みあげながら、少し鼻声を出し掛けて、
阿母おっかさん、何か遣って。」
「遣るもいけど、居附いて了うと、仕方がないねえ。」
 と、口では拒むような事を言いながら、それでも台所へ行って、欠茶碗かけぢゃわんに冷飯を盛って、何かの汁を掛けて来て呉れた。
 早速履脱くつぬぎへ引入れて之を当がうと、小狗こいぬ一寸ちょっとを嗅いで、直ぐうまそうに先ずピチャピチャと舐出なめだしたが、汁が鼻孔はなへ入ると見えて、時々クシンクシンと小さなくしゃみをする。忽ち汁を舐尽なめつくして、今度は飯に掛った。ほかに争う兄弟も無いのに、しきりに小言を言いながら、ガツガツとべ出したが、飯は未だ食慣くいなれぬかして、兎角上顎に引附ひッつく。首をって見るが、其様そんな事では中々取れない。果は前足で口のはた引掻ひッかくような真似をして、大藻掻おおもがきに藻掻もがく。
 此隙このひまに私は母と談判を始めて、今晩一晩泊めて遣ってと、雪洞ぼんぼりを持った手に振垂ぶらさがる。母は一寸ちょっと渋ったが、もう斯うなっては仕方がない。阿爺おとっさんに叱られるけれど、と言いながら、詰り桟俵法師さんだらぼうしを捜して来て、履脱くつぬぎの隅に敷いて遣った――は好かったが、其晩一晩啼通なきとおされて、私はちっとも知らなんだが、お蔭で母は父に小言を言われたそうな。

          十三

 犬嫌いぬぎらいの父は泊めた其夜そのよ啼明なきあかされると、うんざりして了って、翌日あくるひは是非逐出おいだすと言出したから、私は小狗こいぬを抱いて逃廻って、如何どうしても放さなかった。父は困った顔をしていたが、併し其も一の事で、其中そのうち小狗こいぬ独寝ひとりねに慣れて、夜も啼かなくなる。と、逐出おいだす筈の者に、如何いつしかポチという名まで附いて、姿が見えぬと父までが一緒に捜すようになって了った。
 父が斯うなったのも、無論ポチを愛したからではない。唯私にひかされたのだ。私とてもポチを手放し得なかったのは、あながちポチを愛したからではない。愛する愛さんは扨置さておいて、私は唯可哀かわいそうだったのだ。親の乳房にすがっている所を、無理に無慈悲な人間の手に引離されて、暗い浮世へ突放つきはなされた犬の子の運命が、子供心にも如何にも果敢はかなく情けないように思われて、手放すに忍びなかったのだ。
 此忍びぬ心と、その忍びぬ心を破るに忍びぬ心と、二つの忍びぬ心がからみ合った処に、ポチはうま引掛ひッかかって、からくも棒石塊いしころの危ない浮世に彷徨さまよう憂目をのがれた。で、どうせ、それは、蜘蛛くもの巣だらけでは有ったろうけれど、兎も角も雨露うろしのぐに足る椽の下のこもの上で、うまくはなくとも朝夕二度の汁掛け飯に事欠かず、まず無事にのんびりと育った。
 育つにれて、丸々とふとって可愛らしかったのが、身長せいに幅を取られて、ヒョロ長くなり、かおひどくトギスになって、一寸ちょッと狐のような犬になって了った。前足を突張って、尻をもったてて、弓のようにってのびをしながら、大きな口をアングリいてあくびをする所なぞは、が眼にもあんまりみっとも好くもなかったから、父は始終厭な犬だ厭な犬だと言って私を厭がらせたが、私はそんな犬振りでじょうを二三にするような、そんな軽薄な心はいささかも無い。もとより玩弄物なぐさみものにする気で飼ったのでないから、厭な犬だと言われる程、尚可愛かわゆい。
「ねえ、阿母おっかさん此様こんな犬は何処へ行ったって可愛がられやしないやねえ。だからうちで可愛がって遣るんだねえ。」
 と、いつも苦笑する母を無理に味方にして、調戯からかう父と争った。
 犬好いぬずきは犬が知る。私の此心はポチにも自然と感通していたらしい。其証拠には犬嫌いの父が呼んでも、ほんの一寸ちょっと愛想あいそに尻尾をるばかりで、振向きもせんで行って了う事がある。母が呼ぶと、不断食事の世話になる人だから、又何か貰えるかと思って眼を輝かして飛んで来る、そうして母の手中に其らしい物があれば、兎のように跳ねて喜ぶ。が、しかし、唯其丈の事で、其時のポチは矢張やっぱり犬に違いない。
 その矢張やっぱり犬に違いないポチが、私にむかうと……犬でなくなる。それとも私が人間でなくなるのか? ……何方どっちだか其は分らんが、兎に角互の熱情熱愛に、人畜にんちく差別さべつ撥無はつむして、渾然として一にょとなる。
 一にょとなる。だから、今でも時々私は犬と一緒になって此様こんな事を思う、ああ、儘になるなら人間のつらの見えぬ処へ行って、飯を食って生きてたいと。
 犬も屹度きっと然う思うに違いないと思う。

          十四

 私は生来の朝寝坊だから、毎朝二度三度おこされても、中々起きない。優しくしていては際限がないので、母が最終しまいには夜着をぐ。これで流石さすがの朝寝坊も不承々々に床を離れるが、しかし大不平だいふへいだ。額で母をにらめて、津蟹づがにが泡を吐くように、沸々ぶつぶつ言っている。ポチは朝起だから、もう其時分にはとッくに朝飯あさめしも済んで、一切ひとッきり遊んだ所だが、私の声を聴き付けると、何処に居ても一目散に飛んで来る。
 これで私の機嫌も直る。急に現金に莞爾々々にこにことなって、急いで庭へ降りる所を、ポチがすかさず泥足で飛付く。細い人参程の赤ちゃけた尻尾を懸命にり立って、嬉しそうにかお瞻上みあげる。視下す。目と目とぴったりと合う。まらなくなって私が横抱にく。ポチは抱かれながら、身を藻掻もがいて大暴れに暴れ、私の手をめ、胸をめ、あごめ、ほおめ、舐めても舐めても舐め足らないで、悪くすると、口までめる。父がかおしかめて汚い汚いと曰う。成程、考えて見れば、汚いようではあるけれども……しかし、私は嬉しい、められない。如何どうして是がめられるもんか! 私が何もい物を持っているじゃなし、ポチも其は承知でる事だ。利害の念を離れて居るのだ、唯懐かしいという刹那の心になって居るのだ。毎朝これでは着物がたまらないと、母は其をこぼすけれど、着物なんぞのけがれをいとって、ポチの此志を無にする事が出来た話だか、話でないか、其処を一つ考えて貰いたい。
 理窟はさて置いて、この面舐かおなめの一儀が済むと、ポチもやッと是で気が済んだという形で、また庭先をうろうろし出して、椽の下なぞを覗いて見る。と、其処に草鞋虫わらじむしの一杯依附たかった古草履の片足かたしか何ぞが有る。い物を看附けたと言いそうなかおをして、其をくわえ出して来て、首を一つると、草履は横飛にポンと飛ぶ。すかさず追蒐おっかけて行って、又くわえてポンとほうる。其様そん他愛たわいもない事をして、活溌に元気よく遊ぶ。
 其隙そのひまに私はかおを洗う、飯を食う。それが済むと、今度は学校がっこうへ行く段取になるのだが、此時が一日中で一番私の苦痛の時だ。ポチがあとを追う。うッかり出ようものなら、何処迄も何処迄もいて来て、ったって如何どうしたって帰らない。こッそり出ようとしても、出掛ける時刻をチャンと知って居て、其時分になると、何時いつの間にか玄関先へ廻って待っている。仕方がないから、最終しまいには取捉とッつかまえて否応いやおうなしに格子戸の内へ入れて置いては出るようにしていたが、然うすると前足で格子を引掻いて、悲しい悲しい血を吐きそうな啼声なきごえを立ててあとを慕い、姿が見えなくなっても啼止なきやまない。私もそれは同じ想だ。泣出しそうなかおをして、バタバタと駆出し、声の聞えない処まで来て、漸くホッとして、普通なみ歩調あしどりになる、そうしていつも心のうち反覆くりかえし反覆し此様こんな事を思う、
「僕が居ないと淋しいもんだから、それで彼様あんなあとを追うンだ。可哀そうだなあ……ぼかぁ学校なんぞへきたか無いンだけど……かないと、阿父おとっさんがポチをてッちまうッて言うもんだから、それでシヨウがないからくンだけども……」

          十五

 ジャンジャンと放課の鐘が鳴る。今迄静かだった校舎内がにわかに騒がしくなって、彼方此方あちこちの教室の戸が前後してあわただしくパッパッとく。と、その狭い口から、物の真黒な塊りがドッと廊下へ吐出され、崩れてばらばらの子供になり、我勝われがちに玄関脇の昇降口を目蒐めがけて駈出しながら、口々に何だかわめく。只もう校舎をゆすってワーッという声のうちに、無数の円い顔が黙って大きな口をいて躍っているようで、何をわめいているのか分らない。で、それが一旦昇降口へ吸込まれて、此処で又紛々ごたごたと入乱れ重なり合って、腋の下から才槌頭さいづちあたま偶然ひょっと出たり、外歯そっぱへ肱が打着ぶつかったり、靴のかかと生憎あいにく霜焼しもやけの足を踏んだりして、上を下へと捏返こねかえした揚句に、ワッと門外もんそとへ押出して、東西へ散々ぢりぢりになる。
 仲善なかよし二人肩へ手を掛合って行く前に、弁当箱をポンとほうり上げてはチョイと受けて行く頑童いたずらがある。其隣りは往来の石塊いしころを蹴飛ばし蹴飛ばし行く。誰だか、後刻あとで遊びにくよ、とわめく。いなごを取りにかないか、という声もする。君々と呼ぶ背後うしろで、馬鹿野郎と誰かが誰かをののしる。あ、たッ、何でい、わーい、という声が譟然がやがやと入違って、友達は皆道草を喰っている中を、私一人は駈脱かけぬけるようにして側視わきみもせずに切々せっせと帰って来る。
 うちの横町の角迄来てくすぐッたいような心持になって、そッと其方角を観る。果してポチが門前へ迎えに出ている。私を看附みつけるや、逸散いっさんに飛んで来て、飛付く、める。何だか「兄さん!」と言ったような気がする。若し本包ほんづつみに、弁当箱に、草履袋で両手がふさがっていなかったら、私は此時ポチをつかまえて何をったか分らないが、其が有るばかりで、如何どうする事も出来ない。よんどころなくほたほたしながら頭をでて遣るだけで不承ふしょうして、又歩き出す。と、ポチも忽ち身をくねらせて、横飛にヒョイと飛んで駈出すかと思うと、立止って、私のかおを看て滑稽おどけ眼色めつきをする。追付くと、又逃げて又其眼色めつきをする。こうして巫山戯ふざけながら一緒に帰る。
 玄関から大きな声で、「只今!」といいながら、内へ駈込んで、卒然いきなり本包を其処へほうり出し、あわてて弁当箱を開けて、今日のお菜の残り――と称して、実はべたかったのを我慢して、半分残して来た其物それをポチにる。其れでも足らないで、お八ツにお煎を三枚貰ったのを、せびって五枚にして貰って、二枚はべて、三枚は又ポチに遣る。
 夫から庭で一しきりポチと遊ぶと、母が屹度きっと温習さらいをおという。このお温習さらい程私の嫌いな事はなかったが、之をしないと、じきポチをすてると言われるのが辛いので、渋々内へ入って、かたの如く本を取出し、少しばかりおんにょごおんにょごとる。それでおしまいだ。あんまり早いねと母がいういのを、空耳そらみみつぶして、と外へ出て、ポチ来い、ポチ来いと呼びながら、近くの原へ一緒に遊びに行く。
 これが私の日課で、ポチでなければも日も明けなかった。

          十六

 ポチは日増しにメキメキと大きくなる。大きくはなるけれど、まだ一向に孩児ねんねえで、垣の根方ねがたに大きな穴を掘って見たり、下駄を片足門外もんそとくわえ出したり、其様そんな悪戯いたずらばかりして喜んでいる。
 それに非常に人懐こくて、門前を通掛りの、私のような犬好が、気紛れにチョッチョッと呼んでも、すぐともう尾をって飛んで行く。してうちへ来た人だと、誰彼たれかれ見界みさかいはない、皆に喜んで飛付く。初ての人は驚いて、子供なんぞは泣出すのもある。すると、ポチは吃驚びっくりして其面そのかおを視ている。
 人でさえ是だから同類は尚お恋しがる。犬が外を通りさえすれば屹度きっと飛んで出る。喧嘩するのかと、私がハラハラすれば、喧嘩はしない、唯さかんに尻尾をって鼻を嗅合かぎあう。大抵の犬は相手は子供だというかおをして、其儘※(「勹/夕」、第3水準1-14-76)さっさこうとする。どっこいとポチが追蒐おッかけて巫山戯ふざけかかる。蒼蠅うるさいと言わぬばかりに、先の犬は歯をいて叱る。すると、ポチは驚いて耳を伏せて逃げて来る。
 ポチは此様こんな無邪気な犬であったから、友達はじき出来た。
 友達というのは黒と白との二匹で、いずれもポチよりは三ツ四ツも年上であった。歴としたうちの飼い犬でありながら、品性の甚だ下劣な奴等で、毎日々々朝から晩まで近所の掃溜はきだめ※(「求/食」、第4水準2-92-54)あさり歩き二度の食事のほか間食かんしょくばかりむさぼっている。以前から私のうち掃溜はきだめへも立廻たちまわって来て、馴染なじみの犬共ではあるけれど、ポチを飼うようになってからは、尚お頻繁ひんぱんに立廻って来る。ポチの喫剰たべあましを食いに来るので。
 ポチは大様おおようだから、余処よその犬が自分の食器へ首を突込んだとて、おこらない。黙って快く食わせて置く。が、ひとの食うのを見て自分も食気附しょくきづく時がある。其様そんな時には例の無邪気で、うッかりそばへ行って一緒に首を突込もうとする。無論先の犬は、馳走になっている身分を忘れて、おおいいかって叱付ける。すると、ポチは驚いて飛退とびのいて、不思議そうに小首をかしげて、其ガツガツと食うのを黙って見ている。
 父は馬鹿だと言うけれど、馬鹿気て見える程無邪気なのが私は可愛かわゆい。尤ものちには悪友の悪感化を受けて、友達と一緒に近所の掃溜はきだめへ首を突込み、しゃけの頭をしゃぶったり、通掛とおりがかりの知らん犬と喧嘩したり、屑拾いの風体を怪しんで押取囲おっとりかこんで吠付いたりした事も無いではないが、是れは皆友達を見よう見真似に其の尻馬にって、訳も分らずに唯騒ぐので、ポチにっとも悪意はない。であるから、独りの時には、矢張やっぱり元の無邪気な人懐こい犬で、滑稽とぼけかおをして他愛のない事ばかりして遊んでいる。おもうに、私等親子のいつくしみを受けて、曾て痛い目にった事なく、暢気のんきに安泰に育ったから、それで此様こんなに無邪気であったのだろうが、ああ、想出しても無念でならぬ。何故私はポチをしつけて、人を見たら皆悪魔と思い、一生世間をめ付けては居させなかったろう? ※(「(來+攵)/心」、第4水準2-12-72)なまじ可愛がって育てた為に、ポチは此様こんなに無邪気な犬になり、無邪気な犬であった為に、遂に残忍な刻薄な人間の手に掛って、彼様あんな非業の死を遂げたのだ。

          十七

 或日の事。さもしい事を言うようだが、其日の弁当のさいは母の手製の鰹節かつぶしでんぶで、私も好きだが、ポチの大好きな物だったから、我慢して半分以上残したのが、チャンと弁当箱に入っている。早く帰ってこれがたべさせたかったので、待憧まちこがれた放課の鐘が鳴るや、大急ぎで学校の門を出て、友達は例の通り皆道草を喰っている中を、私一人は切々せっせと帰って来ると、にわかに行手がワッと騒がしくなって、先へ行くが皆雪崩なだれて、ドッと道端みちばたの杉垣へ片寄ったから、驚いてヒョイと向うを見ると、ツイ四五間先を荷車が来る。ちらと見たばかりでは何の車とも分らなかった。何でも可なり大きな箱車はこぐるまで、上からこもかぶせてあったようだったが、其を若い土方風の草鞋穿わらじばきの男が、余り重そうにもなく、※(「勹/夕」、第3水準1-14-76)さっさと引いて来る。車に引添ひっそうてまだ一人、四十許りの、四角なかおの、茸々もじゃもじゃひげの生えた、人相の悪い、矢張やっぱり草鞋穿わらじばきの土方風の男が、古ぼけて茶だか鼠だか分らなくなった、塵埃ほこりだらけの鉢巻もない帽子を阿弥陀あみだかぶって、手ぶらで何だか饒舌しゃべりながら来る。
 道端みちばたの子供等は皆好奇の目を円くして此怪し気な車を見迎え見送って、何を言うのか、口々に譟然がやがやわめいている中から、忽ち一段際立きわだって甲高かんだかな、「犬殺しだい犬殺しだい!」という叫声さけびごえが其処此処から起る。と聞くより、私はハッとした。全身の血の通いが急に一に止ったような気がして、襟元から冷りとする、足が窘蹙すくむ……と、忽ち心臓が破裂せんばかりに鼓動し出す。「ポチは? ……」という疑問が曇ったような頭の中で、ちらりと電光いなずまのように閃いて又暗中に没する時、ガタガタと車が前を通る。
 後で聞けば、こもの下から犬の尻尾とか足とかが見えていたというけれど、私が其時きっと目を据えて視たのでは、唯車が躍ってこもが魂の有るようにゆさゆさとゆれるのが見えたばかりで、ほかには何も見えなかった。或は最う目も霞んでいたのかも知れぬ。
「おッそろしい餓鬼だなあ! まだ彼様あんなに出て来やがら……」
 と太いすすけたような野良声のらごえで、――確に年上の奴に違いないが、然う言うのが聞えた。
 ガタンと一つ小石に躍って、車は行過ぎて了う。
 跡は両側の子供が又続々ぞろぞろと動き出し、四辺あたりが大黒帽に飛白かすり衣服きもの紛々ごたごたとなる中で、私一人は佇立たちどまったまま、茫然として轅棒かじぼうの先で子供の波を押分けて行くように見える車の影を見送っていた。
 と、誰だか私のそばへ来て、何か言う。顔は見覚えのあるうちの近所の何とかいう児だが、言ってる事が分らない。私は黙って其面そのかおを視たばかりで、又そっと車の行った方角を振向いて見ると、最う車は先の横町を曲ったと見えて、此方こちらを向いて来る沢山の子供の顔が見えるばかりだ。
「ねえ、君、君ンとこのポチも殺されたかも知れないぜ。」
 という声が此時ふと耳に入って、私はハッと我にかえると、
うそだい! 殺されるもんか! 札が附いてるもの……」
 と狼狽あわてて打消てから、始めて木村の賢ちゃんという児と話をしている事が分った。
「やあ……札が附いてたって、殺されますから。へえ。僕ンとこ阿爺おとっさんが……」
 と賢ちゃんが言掛けると、仲善なかよしの友の言う事だが、私は何だか急に口惜くやしくなって、かっ急込せきこんで、
「何でい! 大丈夫だい※(感嘆符二つ、1-8-75) ……」
 と怒鳴り付けた。賢ちゃんが吃驚びッくりして眼を円くした時、私は卒然いきなりバタバタと駈出し、前へ行く児にトンと衝当つきあたる。何しやがるンだいと、其児に突飛されて、又誰だかに衝当つきあたる。二三度彼方此方あちこちで小突かれて、蹌踉よろよろとして、あやうかったのをやッ踏耐ふんごたえるや、あとをも見ずに逸散いっさんに宙を飛でうちへ帰った。

          十八

 門は明放あけばなし、草履は飛び飛びに脱棄てて、片足が裏返しになったのも知らず、「阿母おっかさん阿母さん!」と卒然いきなり内へわめき込んだが、母の姿は見えないで、台所で返事がする。
 誰だか来て居るようで、話声がしているけれど、其様そんな事に頓着しては居られない。学校道具を座敷の中央まんなかほうり出して置いて台所へ飛んで行くなり、
阿母おッかさん! ……ポチは? ……」
 とあえぎ喘ぎまず聞いてみた。
 母は黙って此方こちらを向いた。常は滅入ったような蒼いかおをしている人だったが、其時此方こちらを向いた顔を見ると、ぼッあかくなって、眼にうるみを持ち、どうも尋常ただ顔色かおいろでない。私は急に何か物に行当ったようにうろうろして、
「殺されたかい? ……」
 とじっと母のかおを視た時には、気息いきつまりそうだった。
 母は一寸ちょっと躊躇ためらったようだったが、思切って投出すように、
「殺されたとさ……」
 逸散いっさんに駈て来て、ドカッと深い穴へ落ちたら、彼様あんな気がするだろうと思う。私は然う聞くと、ハッと内へ気息いきを引いた。と、張詰めて破裂はちきれそうになっていた気がサッと退いて、何だか奥深い穴のような処へ滅入って行くようで、四辺あたりぼっと暗くなると、母の顔が見えなくなった……
「炭屋さんが見て来なすッたンだッさ。」
 という声がふと耳に入ると、クワッとまた其処らが明るくなって眼の前に丸髷が見える。母は又彼方あちら向いて了ったのだ。
「じゃ、木村さんとこの前で殺されたんですね?」と母の声がいう。
「へえ」、という者がある。機械的に其方へかおを向けると、腰障子の蔭に、旧い馴染なじみの炭屋の爺やの、小鼻の脇に大きな黒子ほくろのある、しわだらけのかおが見えて、前歯の二本脱けた間から、チョコチョコ舌を出して饒舌しゃべっている声が聞える。「丁度あの木村さんの前ンとこなんで。手前てまえは初めは何だと思いました。棒を背後うしろかくしてましたから、遠くで見たんじゃ、ほら、分りませんや。一寸ちょいと見ると何だか土方のような奴で、其奴そいつがこう手を背後うしろへ廻しましてな、お宅の犬の寝ているそばへ寄ってくから、はてな、何をするンだろう、と思って見ていますと、彼様あん人懐ひとなつっこい犬だから、其奴そいつかおを見て、何にも知らずに尻尾をってましたよ。可哀かわいそうに! 普通なみの者なら、何ぼ何でも其様そんなにされちゃ、手をおろせた訳合わけあいのもんじゃございません、――ね、今日こんにち人情としましても。それを、貴女あなた……いや、どうも、ああいう手合に逢っちゃかないませんて、卒然いきなりかくしてた棒を取直して、おやッと思う間に、ポンと一つ鼻面をちました。そうするとな、お宅のは勃然むっくり起きましてな、キリキリと二三遍廻って、パタリと倒れると、仰向きになってこう四足よつあしを突張りましてな、尻尾でバタバタ地面ちべたを叩いたのは、あれは大方くるしがったんでしょうが、はたで見ていりゃ何だか喜んで尻尾をったようで、妙な塩梅あんばいしきでしたがな、其処を、貴女あなた、またポカポカと三つ四つ咽喉のどとこちますとな、もう其切それっきりで、ギャッともスウとも声を立て得ないで、貴女あなた……」
 私はもうあとは聴いていなかった。たれはばかる必要もないのに、そっと目立たぬように後方うしろ退さがって、狐鼠々々こそこそと奥へ引込ひっこんだ。ベタリと机の前へ坐った。キリキリと二三遍廻ったという今聞いた話が胸に浮ぶと、そのキリキリと廻ったポチの姿が、顕然まざまざと目に見えるような気がする。熱い涙がほろほろこぼれる、手の甲でこすっても擦っても、止度とめどなくほろほろこぼれる。

          十九

 ポチが殺されて、私は気脱けしたようになって、翌日は学校も休んだ。何も自分が罪を犯したでもないのに、何となく友達に顔を見られるのが辛くッて……
 午過ひるすぎにポチが殺されたという木村といううちの前へ行って見た。其処か此処かと尋ねて見たけれど、もう其らしいあともない。私は道端にたたずんで、茫然としていた。
 炭屋の老爺じいやの話だと、うッかり寝転んでいる所を殺されたのだと云う。大方昨日きのうも私の帰りを待ちかねて、此処らまで迎えに出ていたのであろう。待草臥まちくたびれて、ドタリと横になって、かどのポストの蔭から私の姿がヒョッコリ出て来はせぬかと、其方ばかりを余念なくながめている所へ、犬殺しが来たのだ。人間は皆私達親子のように自分を可愛がって呉れるものと思っているポチの事だから、犬殺しとは気が附かない。何心なく其面そのかお瞻上みあげて尾をる所を、思いも寄らぬ太い棍棒がブンと風をって来て……と思うと、又胸が一杯になる。
 ヒュウと悲しい音を立てて、空風からかぜが吹いて通る。跡からカラカラに乾いた往来の中央まんなかを、砂烟すなけぶりぼっと力のない渦を巻いて、よじれてひょろひょろと行く。
 私は其行方を眺めて茫然としていた。と、何処でかキャンキャンと二声三声犬の啼声がする……きっと耳を引立ひったって見たが、もう其切それきりで聞えない。隣町あたりでかじけたような物売の声がする。
 何だか今の啼声が気になる。ポチは殺されたのだから、もう此処らで啼いてる筈はない。余所の犬だ余所の犬だ、と思いながら、何だか其儘聞流して了うのが残惜しくて、思わずパタパタと駈出したが、余所の犬じゃ詰らないと思返して、又頽然ぐたりとなると、足の運びも自然とおそくなり、そろりそろりと草履を引摺ひきずりながら、目的あてもなく小迷さまよって行く。
 小迷さまよって行きながら、又ポチの事を考えていると、ふッと気が変って、何だか昨日きのうからの事がみんな嘘らしく思われてならぬ。私があんまりポチばかり可愛がって勉強をしなかったから、父が万一ひょっとしたらこらしめのため、ポチを何処かへかくしたのじゃないかと思う。そうすると、今の啼声は矢張やっぱりポチだったかも知れぬと、うろうろとする目の前を、土耳其帽トルコぼうかぶった十徳姿の何処かのお祖父じいさんが通る。何だか深切そうないお祖父じいさんらしいので、此人に聞いたら、偶然ひょっとポチの居処いどころを知っていて、教えて呉れるかも知れぬと思って、凝然じっ其面そのかおを視ると、先も振向いて私のかおを視て、莞爾にッこりして行って了った。
 向うから順礼の親子が来る。笈摺おいずるも古ぼけて、旅窶たびやつれのした風で、白の脚絆きゃはんほこりまぶれて狐色になっている。母の話で聞くと、順礼という者は行方知れずになった親兄弟や何かを尋ねて、国々を経巡へめぐって歩くものだと云う。此人達も其様そんな事で斯うして歩いているのかも知れぬ、と思うと、私も何だか此仲間へ入って一緒にポチを探して歩きたいような気がして、立止って其の後姿を見送っていると、忽ち背後うしろでガラガラと雷の落懸おちかかるような音がしたから、驚いて振向こうとする途端とたんに、トンと突飛されて、私はコロコロと転がった。
「危ねい! 往来の真ン中を彷徨うろうろしてやがって……」とせいせい息をはずませながら立止って怒鳴り付けたのは、目のこわい車夫であった。
 車には黒い高い帽子をかぶって、あったかそうな黄ろい襟の附いた外套をた立派な人が乗っていたが、私がかおしかめて起上おきあがるのを尻眼に掛けて、ひげの中でニヤリと笑って、
鎌蔵かまぞう、構わずにれ。」
「へい……本当ふんとに冷りとさせやがった。気を付けろ、涕垂はなたらしめ! ……」
 と車夫は又トットッと曳出した。
 紳士は犬殺しでない。が、ポチを殺した犬殺しと此人と何だか同じように思われて、クラクラと目がくらむと、私はもう無茶苦茶になった。卒然いきなり道端みちばたの小石を拾って打着ぶっつけてやろうとしたら、車は先の横町へ曲ったと見えて、もう見えなかった。
 パタリと小石を手から落した。と、何だか急に悲しくなって来てたまらなくなって、往来の真中で私は到頭シクシク泣出した。

          二十

 ポチの殺された当座は、私は食が細って痩せた程だった。が、其程の悲しみも子供の育つ勢にはかなわない。間もなく私は又毎日学校へ通って、友達を相手にキャッキャッとふざけて元気よく遊ぶようになった……

       ―――――――――――――――

 今日は如何どうしたのか頭が重くて薩張さっぱり書けん。徒書むだがきでもしよう。
愛は総ての存在を一にす。
愛はあじわうべくして知るべからず。
愛に住すれば人生に意義あり、愛を離るれば、人生は無意義なり。
人生のほかに出で、人生を望み見て、人生を思議する時、人生は遂に不可得ふかとくなり。
人生に目的ありと見、なしと見る、共に理智の作用のみ。理智のまなこ抉出けっしゅつして目的を見ざる処に、至味しみ存す。
理想は幻影のみ。
凡人ぼんにんは存在のうちに住す、其一生は観念なり。詩人哲学者は存在のほかに遊離す、観念は其一生なり。
凡人ぼんにんは聖人の縮図なり。
人生の真味は思想に上らず、思想を超脱せる者はさいわいなり。
二十世紀の文明は思想を超脱せんとする人間の努力たるべし。
 此様こんな事ならまだ幾らでも列べられるだろうが、列べたって詰らない。皆うそだ。うそでない事を一つ書いて置こう。
 私はポチが殺された当座は、人間の顔が皆犬殺しに見えた。是丈これだけは本当の事だ。

          二十一

 小学から中学を終るまで、落第をも込めて前後十何年の間、毎日々々の学校通い、――考えて見れば面白くもない話だが、併し其を左程にも思わなかった。小学校のうちは、内で親に小蒼蠅こうるさく世話を焼かれるよりも、学校へ行って友達と騒ぐ方が面白い位に思っていたし、中学へ移ってからも、人間は斯うしたものと合点がてんして、何とも思わなかった。
 しかし、およそ学科に面白いというものは一つも無かった。の学科も何の学科も、みんな味も卒気もない顰蹙うんざりする物ばかりだったが、就中なかんずく私の最も閉口したのは数学であった。小学時代から然うだったが、中学へ移ってからも、是ばかりは変らなかった。此次は代数の時間とか、幾何きかの時間とかなると、もう其が胸につかえて、溜息が出て、何となく世の中が悲観された。
 算術は四則だけは如何どうやら斯うやら了解のみこめたが、整数分数となると大分怪しくなって、正比例で一寸ちょっと息をく。が、其お隣の反比例から又亡羊うろうろし出して、按分比例で途方に暮れ、開平開立かいりゅう求積となると、何が何だか無茶苦茶になって、詰り算術の長の道中を浮の空で通して了ったが、代数も矢張やっぱり其通り。一次方程式、二次方程式、簡単なのは如何どうにかなっても、少し複雑のになると、エービーとが紛糾こぐらかって、何時迄いつまでってもエッキス膠着こびりついていて離れない。いわんや不整方程式には、頭も乱次しどろになり、無理方程式を無理に強付しいつけられては、げんなりして、便所へ立ってホッと一息く。代数も分らなかったが幾何きかや三角術は尚分らなかった。初のうちは全く相合あいあわせ得る物のおおいさは相等しなどと真顔で教えられて、馬鹿ばかあつかいにするのかと不平だったが、其中そのうちに切売の西瓜すいかのような弓月形きゅうげつけいや、二枚屏風を開いたような二面角が出て来て、大きなおそなえに小さいおそなえ附着くっついてヤッサモッサを始める段になると、もう気が逆上うわずッて了い、丸呑まるのみにさせられたギゴチない定義や定理が、頭の中でしゃちこばって、其心持の悪いこと一通りでない。試験が済むと、早速咽喉のどへ指を突込んで留飲りゅういん黄水きみずと一緒に吐出せるものなら、吐出して了って清々せいせいしたくなる。
 何の因果で此様こん可厭いやおもいをさせられる事か、其は薩張さっぱり分らないが、唯此可厭いやおもいを忍ばなければ、学年試験に及第させて貰えない。学年試験に及第が出来ぬと、最終の目的物の卒業証書が貰えないから、それで誠に止むことを得ず、眼をねむって毒を飲む気で辛抱した。
 尤も是は数学ばかりでない。の学科も皆多少とも此気味がある。味わって楽むなどいうのは一つもない、又楽んでいるひまもない。後から後からと他の学科が急立せきたてるから、狼狽あわてて片端かたはしから及第のおまじないの御符ごふうつもり鵜呑うのみにして、そうして試験が済むと、直ぐ吐出してケロリと忘れて了う。

          二十二

 今になって考えて見ると、無意味だった。何の為に学校へ通ったのかと聞かれれば、試験の為にというより外はない。全く其頃の私の眼中には試験の外に何物もなかった。試験の為に勉強し、試験の成績に一喜一憂し、如何どんな事でも試験に関係の無い事なら、如何どうなとなれと余処に見て、生命の殆ど全部を挙げて試験の上にけていたから、若し其頃の私の生涯から試験というものを取去ったら、跡は他愛たわいのないけむのような物になって了う。
 これは、しかし、私ばかりというではなかった。級友という級友が皆然うで、平生へいぜいの勉強家は勿論、金箔附きんぱくつきの不勉強家も、試験の時だけは、言合せたように、一しき血眼ちまなこになって……鵜の真似をやる、丸呑まるのみに呑込めるだけ無暗むやみに呑込む。尤も此連中は流石さすがに平生を省みて、敢て多くを望まない、責めて及第点だけは欲しいが、貰えようかと心配する、そうして常は事毎に教師に抵抗して青年の意気のさかんなるに誇っていたのが、如何どうしたはずみでか急に殊勝気しゅしょうげを起し、敬礼も成る丈気を附けて丁寧にするようにして、それでも尚お危険を感ずると、運動と称して、教師の私宅へ推懸おしかけて行って、哀れッぽい事を言って来る。
 私は我儘者の常として、見栄坊みえぼうの、負嫌まけぎらいだったから、平生も余り不勉強の方ではなかった。無論学科が面白くてではない、学科は何時迄いつまでっても面白くも何ともないが、たとえば競馬へ引出された馬のようなもので、同じような青年と一つ埒入らちないに鼻を列べて見ると、まけるのが可厭いやでいきり出す、矢鱈やたら無上むしょうにいきり出す。
 平生さえ然うだったから、いわんや試験となると、宛然さながら狂人きちがいになって、手拭をねじって向鉢巻むこうはちまきばかりでは間怠まだるッこい、氷嚢を頭へのっけて、其上から頬冠ほおかむりをして、の目もずに、例の鵜呑うのみをやる。又鵜呑うのみで大抵間に合う。間に合わんのは作文に数学ぐらいのものだが、作文は小学時代から得意の科目で、是は心配はない。心配なのは数学の奴だが、それをも無理に狼狽あわてた鵜呑うのみ式で押徹おしとおそうとする、又不思議と或程度迄は押徹おしとおされる。尤も是はかねあいもので、そのかねあいを外すと、おっこちる。私も未だ試験慣れのせぬうち、ふと其かねあいを外しておッこちた時には、親の手前、学友の手前、流石さすが面目めんぼくなかったから、少し学校にも厭気が差して、其時だけは一寸ちょっと学校教育なんぞを齷促あくせくして受けるのが、何となく馬鹿気た事のように思われた。が、世間を見渡すと、みんな此無意味な馬鹿気た事を平気で懸命にっている。一人として躊躇している者はない。其中で私一人其様そんな事を思うのは何だか薄気味悪うすきびわるかったから、狼狽あわてて、いや、馬鹿気ているようでも、矢張やっぱり必要の事なんだろうと思直おもいなおして、素知そしらん顔して、其からは落第の恥辱をすすがねばかぬと発奮し、切歯せっしして、扼腕やくわんして、はたまなこになって、又鵜の真似を継続してった。
 鵜の真似でも何でも、試験の成績さえ良ければ、先生方も満足せられる、内でも親達が満足するから、私は其でい事と思っていた。然うして多く学んで殆ど何もる所がないうちに、いつしか中学も卒業して、卒業式には知事さんも「諸君は今回卒業の名誉を荷うて……」といった。内でも赤飯せきはんいて、お目出度いお目出度いと親達が右左から私をあおがぬ許りにして呉れた。してみれば、矢張やッぱり名誉でお目出度いのに違いないと思って、私もおおいに得意になっていた。

          二十三

 中学も卒業した。さて今後は如何どうするといういよいよ胸の轟く問題になった。
 まだ中学に居る頃からの宿題で、寐てもめても是ばかりは忘れるひまもなかったのだが、中学を卒業してもまだきまらずに居たのだ。
 きまらぬのは私ではない。私はうにめていた、無論東京へ行くと。
 東京は如何どんな処だか人の噂に聞くばかりくは知らなかったが、私も地方育ちの青年だから、誰も皆思うように、東京へ出て何処どこかの学校へ入りさえすれば、黙っていても自然と運が向いて来て、或は海外留学を命ぜられるようになるかも知れぬ。若し然うなったら……と目をいて夢を見ていたのも昨日きのうや今日の事でないから、何でもでも東京へ出たいのだが、さて困った事には、珍しくもない話だけれど、金の出処でどころがない。
 父は其頃県庁の小吏であった。薄給でかつがつ一家を支えていたので、月給だけでは私を中学へ入れる事すら覚束おぼつかなかったのだが、幸い親譲りの地所が少々と小さな貸家が二軒あったので、其上りで如何どうにか斯うにか糊塗まじくなっていたのだ。だから到底とても私を東京へれないという父の言葉に無理もないが、しかし……私は矢張やっぱり東京へ出たい。
 父は其頃未だ五十であった。達者な人だけに気も若くて、まだまだ十年や十五年は大丈夫生ていると、はたの私達も思っていたし、自分も其は其気でいた。従って世間の親達のように、早く私を月給取にして、嫁をあてがって、孫の世話でもしていたいなぞと、そんな気は微塵もないが、何分にも当節は勤向つとめむきむずかしくなって、もう永くは勤まらぬという。成程父は教育といっても、昔の寺子屋教育ぎりで、新聞も漢語字引と首引くびっぴきで漸く読み覚えたという人だから、今の学校出の若い者と机を列べて事務をらされては、さぞ辛い事も有ろうと、其様そんな事にはうわの空の察しの無かった私にも、話を聞けば能く分って、同情が起らぬでもないが、しかし、それだからお前は県庁へ勤めるなとして自分一人だけの事はて呉れと、言われた時には情なかった。父は然うして置いて、何ぞほかに気骨の折れぬ力相応の事をして県庁の方は辞職する。辞職しても当分はお前の世話にはなるまいと、財産相応の穏当な案を立てて、私の為をも思っていうのは解っているけれど、しかし私は如何どうしても矢張やッぱり東京へ出て何処かの学校へ入りたい。
 で、親子一つ事を反覆くりかえすばかりで何日っても話の纏まらぬうちに、同窓の何某なにがしはもう二三日ぜんに上京したし、何某なにがしは此月末つきずえに上京するという話も聞く。私は気が気でないから、眼の色をちがえて、父にせまり、果は血気に任せて、口惜くやし紛れに、金がないと言われるけれど、地面を売れば如何どうにかなりそうなものだ、それとも私の将来よりも地面の方が大事なら、学資は出して貰わんでも好い、旅費だけ都合して貰いたい、私は其で上京して苦学生になると、突飛とっぴな事を言い出せば、父は其様そんな事には同意が出来ぬという、それは圧制だ、いや聞分ききわけないというものだと、親子顔を赤めて角芽立つのめだそばで、母がおろおろするという騒ぎ。
 其時私の為には頗る都合の好い事があった。私と同期の卒業生で父も懇意にする去る家の息子が、何処のも同じ様に東京行きを望んで、親に拒まれて、自暴やけを起し、或夜ひそか有金ありがね偸出ぬすみだして東京へ出奔すると、続いて二人程其真似をする者が出たので、同じ様な息子を持った諸方の親々おやおやの大恐慌となった。父も此一件から急にを折って、彼方此方あちこちの親類を駈廻かけまわった結果、金の工面くめんが漸く出来て、最初はひどく行悩んだ私の遊学の願も、存外難なくゆるされて、遂に上京する事になった時の嬉しさは今に忘れぬ。

          二十四

 いよいよ出発の当日となった。待ちに待った其日ではあるけれど、今となっては如何どうやら一日位は延ばしてもいような心持になっているうちに、支度はズンズン出来て、さて改まって父母ちちははと別れのさかずきの真似事をした時には、何だか急に胸が一杯になって不覚ついホロリとした。母はもとより泣いた、快活な父すら目出度い目出度いと言いながら、しきりに咳をしてはな[#「涕」はママ]んでいた。
 あつらえのくるまが来る。性急せっかちの父が先ず狼狽あわて出して、座敷中を彷徨うろうろしながら、ソレ、風呂敷包を忘れるな、行李はいか、小さい方だぞ、コココ蝙蝠傘こうもりがさおれが持ってッてやる、ともとより見送って呉れる筈なので、自分も一台のくるまに乗りながら、何は載ったか、何は……ソレ、あの、何よ……と、焦心あせる程尚お想出せないで、何やら分らぬ手真似をして独り無上むしょうに車上で騒ぐ。
 母も門口まで送って出た。いよいよくるまが出ようとする時、母は悲しそうにじっと私のかおを視て、「じゃ、お前ねえ、カカ身体を……」とまでは言い得たが、あとが言えないで、涙になった。
 私は故意わざ附元気つけげんき高声たかごえで、「御機嫌よう!」と一礼すると、くるまが出たから、其儘正面まむきになって了ったが何だか後髪を引かれるようで、くるまが横町を出離れる時、一寸ちょっとうしろを振向いて見たら、母はまだ門前に悄然しょんぼりと立っていた。
 道々も故意わざと平気な顔をして、往来を眺めながら、つとめて心を紛らしているうちに、馴染の町を幾つも過ぎてくるま停車場ステーションへ着いた。
 まだ発車には余程あいだがあるのに、もう場内は一杯の人で、雑然ごたごたと騒がしいので、父が又狼狽あわて出す。親しい友の誰彼たれかれも見送りに来て呉れた。其面そのかおを見ると、私は急に元気づいて、いつになくさかん饒舌しゃべった。何だか皆が私の挙動に注目しているように思われてならなかった。無論友達はうち立際たちぎわに私の泣いたことを知る筈はないから……
 やがて発車の時刻になって、汽車に乗込む。手持無沙汰な落着かぬ数分すふんも過ぎて、汽笛が鳴る。私が窓から首を出して挨拶をする時、汽車は動出うごきだして、父の眼をしょぼつかせた顔がチラリとして直ぐあとになる、見えなくなる。もうプラットフォームを出離れて、白ペンキの低い柵が走る、其向うの後向うしろむきの二階家が走る、平屋が走る。片側町かたかわまちになって、人や車があとへ走るのが可笑おかしいと、其を見ているうちに、眼界が忽ち豁然からっと明くなって、田圃たんぼになった。眼を放って見渡すと、城下の町の一角が屋根は黒く、壁は白く、雑然ごたごたかたまって見える向うに、生れて以来十九年のあいだ、毎日仰ぎたお城の天守が遙に森の中に聳えている。ああ、うち彼下あのしただ……と思う時、始めて故郷を離れることの心細さが身にみて、悄然しょんぼりとしたが、悄然しょんぼりとするそばから、妙に又気が勇む。何だか籠のような狭隘せせこましい処から、茫々と広い明るい空のような処へ放されて飛んで行くようで、何となく心臓の締るような気もするが、又何処かのんびりと、急に脊丈が延びたような気もする。
 こうした妙な心持になって、心当こころあてに我家の方角を見ていると、忽ちはたと物に眼界をとざされた。見ると、汽車は截割たちわったように急な土手下を行くのだ。

          二十五

 申後れたが、私は法学研究のため上京するのだ。
 其頃の青年に、政治ではない、政論に趣味を持たん者はほとんど無かった。私も中学に居る頃から其が面白くて、政党では自由党が大の贔負ひいきであったから、自由党の名士が遊説ゆうぜいに来れば、必ず其演説を聴きに行ったものだ。無論板垣さんは自分の叔父さんか何ぞのように思っていた。
 実際の政界の事情はちッとも分っていなかった。自由党は如何どういう政党だか、改進党と如何どう違うのだか、其様そんな事は分っているような風をして、実はちッとも分っていなかったが、唯初心うぶな眼で局外から観ると、何だか自由党の人というと、其人の妻子は屹度きっとうえに泣いてるように思われて、妻子がうえに泣く――人情忍び難い所だ。その忍び難い所を忍んで、妻や子を棄てて置いて、そうして自分は芸者狂いをするのじゃない、四方に奔走して、自由民権の大義をとなえて、探偵に跟随つけられて、ややもすれば腰縄で暗い冷たい監獄へ送られても、屈しない。偉いなあ! と、こう思っていたから、それで好きだった。
 好きは好きだったが、しかし友人の誰彼たれかれのように、今直ぐ其真似は仕度したくない。も少し先の事にしたい。兎角理想というものは遠方から眺めて憧憬あこがれていると、結構な物だが、直ぐ実行しようとすると、種々いろいろ都合の悪い事がある。が、それでは何だか自分にも薄志弱行はくしじゃっこうのように思われて、何だか心持が悪かったが、或時何かの学術雑誌を読むと、今の青年は自己の当然修むべき学業を棄てて、ややもすれば身を政治界に投ぜんとする風ありと雖も、是れ以ての外の心得違なり、青年はすべからく客気を抑えて先ずおおいに修養すべし、おおいに修養してしかしてのちおおいに為す所あるべし、という議論が載っていた。私は嬉しかった。早速此持重説じちょうせつを我物にして了って、之を以て実行にはやる友人等を非難し、そうしてひそかに自ら弁護する料にしていた。
 斯ういう事情で此様こんな心持になっていたから、中学卒業後尚お進んで何か専門の学問を修めようという場合には、勢い政治学に傾かざるを得なかった。父が上京して何をりたいのだと言った時にも、言下ごんかに政治学と答えた。飛んだ事だといって父がそれでは如何どうしても承知してくれなかったから、じゃ、法学と政治学とは従兄弟いとこ同士だと思って、法律をやりたいと言って見た。法律学は其頃流行の学問だったし、県の大書記官も法学士だったし、それに親戚に、私立だけれど法律学校出身で、現に私達の眼には立派な生活をしている人が二人あった。一人は何処だったか記憶おぼえがないが、何でも何処かの地方で代言だいげんをして、芸者を女房にして贅沢な生活をしていて、今一人は内務省の属官ぞっかんでこそあれ、い処を勤めている証拠には、曾て帰省した時の服装を見ると、地方では奏任官には大丈夫踏める素晴しい服装なりで、なにしても金の時計をぶらげていたと云う。それで父も法律なら好かろうと納得したので、私は遂に法学研究のため斯うして汽車で上京するのだ。

          二十六

 東京へ着いたのは其日の午後の三時頃だったが、便たよって行くのは例の金時計をぶらげていたという、私のうちとは遠縁の、変な苗字だが、小狐おぎつね三平という人のうちだ。招魂社の裏手の知れにくうちで、車屋に散々こぼされて、やッと尋ね当てて見ると、門構は門構だが、潜門くぐりもんで、国で想像していたような立派な冠木門かぶきもんではなかった。が、標札を見れば此家ここに違いないから、くぐりを開けて中に入ると、直ぐもう其処が格子戸作りの上り口で、三度四度案内を乞うてやっと出て来たのを見れば、顔や手足の腫起むくんだような若い女で、初は膝を突きそうだったが、私の風体を見て中止にして、立ちながら、何ですという。はてな、うちを間違えたか知らと、一寸ちょっと狼狽したが、標札に確に小狐おぎつね三平とあったに違いないから、姓名を名告なのって今着いた事を言うと、若い女は怪訝けげんな顔をして、一寸ちょっとお待ちなさいと言って引込ひっこんだぎり、中々出て来ない。車屋は早く仕て呉れという。私は気が気でない。が、前以て書面で、世話を頼む、引受けたと、話が着いてから出て来たのだし、今日上京する事も三日も前に知らせてあるのだから、今に伯母さんが――私のうちでは此家ここの夫人を伯母さんと言いつけていた――伯母さんが出て来ていように仕て呉れると、其を頼みにしていると、しばらくして伯母さんではなくて、今の女が又出て来て、お上ンなさいという。荷物が有りますと、口をとんがらかすと、荷物が有るならお出しなさい、というから、車屋に手伝って貰って、荷物を玄関へ運び込むと、其女が片端から受取って、ズンズン何処かへ持ってッて了った。
 車屋にめた賃銭を払おうとしたら、骨を折ったからましを呉れという。余所の車は風を切って飛ぶように走る中を、のそのそと歩いて来たので、ちッとも骨なんぞ折っちゃいない。田舎者いなかもんだと思って馬鹿にするなと思ったから、厭だといった。すると、車屋は何だか訳の分らぬ事を隙間もなくベラベラと饒舌しゃべり立って、段々大きな声になるから、私は其大きな声に驚いて、到頭言いなり次第の賃銭を払って、東京という処は厭な処だと思った。
 車屋との悶着を黙って衝立つッたって視ていた女が、其が済むのを待兼まちかねたように、此方こっちへ来いというから、其跟そのあといて玄関の次の薄暗いへ入ると、正面の唐紙を女が此時ばかりは一寸ちょっと膝を突いてスッと開けて、黙って私のかおを視る。私は如何どうしていのだか、分らなかったから、
「中へ入ってもいんですか?」
 と狼狽まごまごして案内の女に応援を乞うた時、唐紙の向うで、勿体ぶった女の声で、
「さあ、此方こちらへ。」
 私は急に気が改まって、小腰をこごめて、遠慮勝に中へ入った。と、不意に箪笥や何やや沢山な奇麗な道具が燦然ぱっと眼へ入って、一寸ちょっと目眩まぼしいような気がする中でも、長火鉢の向うに、三十だか四十だか、其様そんな悠長な研究をしてるひまはなかったが、何でも私の母よりもグッと若い女の人が、厚い座布団の上にチンと澄している姿を認めたから、狼狽して卒然いきなり其処へドサリと膝を突くと、真紅まっかになって、倒さになって、
「初めまして……」

          二十七

 伯母さん――といっては何だか調和うつりが悪い、奥様は一寸ちょっと会釈して、
「今お着きでしたか?」
「は」、と固くなる。
「何ですか、お国では阿父おとうさんも阿母おかあさんもお変りは有りませんか?」
「は。」
 と矢張やっぱり固くなりながら、訥弁とつべんでポツリポツリと両親の言伝ことづてを述べると、奥様は聴いているのか、いないのか、上調子うわちょうしではあはあと受けながら、厭に赤ちゃけた出がらしの番茶を一杯いで呉れたぎりで、一向構って呉れない。気が附いて見ると、座布団も呉れてない。
 何時迄いつまでっても主人あるじが顔を見せぬので、
「伯父さんはお留守ですか?」
 と不覚つい言って了った顔を、奥様はジロリと尻眼に掛けて、
「主人はまだ役所から退けません。」
 主人と厭に力を入れて言われて、じゃ、伯父さんじゃ不好いけなかったのか知ら、と思うと、又私は真紅まっかになった。
 ところへバタバタと椽側に足音がして、障子が端手はしたなくガラリといたから、ヒョイとかおあげると、白い若い女の顔――とだけで、其以上の細かい処は分らなかったが、何しろ先刻さっき取次に出たのとは違う白い若い女の顔と衝着ぶつかった。是が噂に聞いた小狐おぎつね独娘ひとりむすめの雪江さんだなと思うと、私は我知らず又固くなって、狼狽あわてて俯向うつむいて了った。
阿母かあさん阿母さん」、と雪江さんは私が眼へ入らぬように挨拶もせず、華やかな若いつやのあるい声で、「矢張やっぱり私の言ったとおりだわ。明日あしたらくだわ。」
「まあ、そうかい」、と吃驚びっくりした拍子に、今迄の奥様がヒョイと奥へ引込ひっこんで、矢張やっぱり尋常ただ阿母かあさんになって了った。
「厭だああたし……だから此前の日曜にしようと言たのに、阿母かあさんが……」といいながら座敷へ入って来て、始めて私が眼へ入ったのだろう。ジロジロと私の風体ふうていを視廻して、膝を突いて、母の顔を見ながら、「誰方どなた?」
此方このかたが何さ、阿父様おとうさまからお話があった古屋さんの何さ。」
「そう。」
 といって雪江さんは此方こちらを向いたから、此処らでお辞儀をするのだろうと思って、私は又倒さになって一礼すると、残念ながら又真紅まっかになった。
 雪江さんも一寸ちょっとお辞儀したが、直ぐと彼方あちらを向いて了って、
あたし厭よ。阿母かあさんが彼様あんな事言ってかなかったもんだから……」
「だって仕方がなかったンだわね。あたしだって彼様あんな窮屈なとこくよか、芝居へ行った方が幾らいか知れないけど、石橋さんの奥様おくさんに無理に誘われてことわり切れなかったンだもの。いわね、其代り阿父様おとうさまに願って、お前が此間じゅうから欲しい欲しいてッてるあれね?」と娘のかおを視て、薄笑いしながら、「あれを買って頂いて上げるから……仕方がないから。」
本当ほんと?」と雪江さんも急に莞爾々々にこにことなった。私は見ないでも雪江さんの挙動ようすは一々分る。「本当ほんと? そんならいけど……ちょいとちょいと、其代り……」と小声になって、「ルビー入りよ。」
不好いけません不好ません! ルビー入りなんぞッて、其様そんな贅沢な事が阿父様おとうさまに願えますか?」
「だってえ……尋常ただのじゃあ……」と甘たれた嬌態しなをする。
「そんならお止しなさいな。尋常ただので厭なら、何も強いて買って上げようとは言わないから。」
「あら! ……」と忽ち機嫌を損ねて、「だから阿母かあさんは嫌いよ。じきああだもの。尋常ただのじゃ厭だって誰も言てやしなくってよ。」
「そんなら、其様そんな不足らしい事お言いでない。」
「へえへえ、恐れ入りました」、と莞爾にっこりして、「じゃ、尋常ただのでもいから、屹度きっとよ。ねえ、阿母かあさん、だましちゃ厭よ。」
「誰がそんな……」
「まあ、好かった!」と又莞爾にっこりして一寸ちょっと私のかおを見た。

          二十八

 私は先刻さッきから存在を認めていられないようだから、其隙そのひまこッそり雪江さんのかおを視ていたのだ。雪江さんは私よりも一つ二つ、それともみッぐらい年下かも知れないが、お出額でこで、円い鼻で、二重あごで、色白で愛嬌が有ると謂えば謂うようなものの、声程に器量はくなかった。が、若い女は何処となく好くて、私がうッかりかおを視ている所を、不意に其面そのかお此方こちらを向いたのだから、私は驚いた。驚いて又俯向うつむいて、膝前一尺通りの処をきっと視据えた。
 雪江さんは又あらためて私の様子をジロジロ視ているようだったが、
「部屋は何処にするの?」
 と阿母かあさんの方を向く。
「え?」と阿母かあさんは雪江さんのかおを視て、「あの、何のかい? 玄関脇の四畳が好かろうと思って。」
「あんなとこ※(感嘆疑問符、1-8-78) ……」
 と雪江さんが一寸ちょっと驚くのを、阿母かあさんが眼に物言わせて、了解のみこませて、
彼処あすこが一番明るくッていから。」
「そう」、と一切の意味をかおから引込ひッこめて、雪江さんは澄して了った。
「おお、そうだっけ」、と阿母かあさんの奥様は想出したように私の方を向いて、「荷物がまだ其儘でしたっけね。今案内させますから、彼方あッちへ行って荷物の始末でもなさい。雪江、お前一寸ちょっと案内してお上げ。」
 雪江さんがったから、私もって其跟そのあといて今度は椽側へ出た。雪江さんは私よりせいが低い。ふッくりした束髪で、リボンの色は――あれは樺色というのか知ら。若い女の後姿というものは悪くないものだ。
 椽側を後戻りして又玄関へ出ると、成程玄関脇に何だか一間ある。
「此処よ。」
 と雪江さんがついと其処へ入ったから、私も続いて中へ入った。奥様は明るいといったけれど、何だか薄暗い長四畳で、入るとブクッとして変な足応あしごたえだったから、先ず下を見ると、畳は茶褐色だ。西に明取あかりとりの小窓がある。雪江さんが其を明けて呉れたので、少し明るくなったから、尚お視廻みまわすと、壁は元来何色だったか分らんが、今の所では濁黒どすぐろい変な色で、一ヵ所くずれを取繕とりつくろったあとが目立って黄ろいたまを描いて、人魂ひとだまのように尾を曳いている。無論一体にきずだらけで処々ところどころ鉛筆の落書のあととどめて、腰張の新聞紙のめくれた蔭から隠した大疵おおきずそっかおを出している。天井を仰向あおむいて視ると、彼方此方あちこちの雨漏りのぼかしたようなしみが化物めいた模様になって浮出していて、何だか気味きびの悪いような部屋だ。
何時いつの間にか掃除したんだよ。それでも奇麗になったわ」、と雪江さんは部屋の中を視廻みまわしていたが、ふと片隅に積んであった私の荷物に目を留て、「貴方あなたの荷物って是れ?」と、臆面もなく人のかおを視る。
 私は狼狽あわてて壁を視詰みつめて、
「然うです。」
「机がないわねえ。あたしとこに明いてるのが有るから、貸てあげましょうか?」
「なに、いです明日あした買って来るから」、と矢張やっぱり壁を視詰みつめた儘で。
あたし要らないンだから、使っても好くってよ。」
「なに、いです、買って来るから。」
本当ほんとに好くってよ、然う遠慮しないでも。今持って来てよ」、と蝶の舞うように翻然ひらりと身をかえして、部屋を出て、姿は直ぐ見えなくなったが、其処らで若い華やかな声で、「其代り小さくッてよ」、というのが聞えて、軽い足音がパタパタと椽側を行く。
 私は荷物の始末を忘れて、雪江さんの出て行ったあとをうっかり見ていた。事に寄ると、口をいていたかも知れぬ。

          二十九

 荷物をほどいていると、雪江さんが果して机を持って来て呉れた。成程小さい――が、折角のこころざしを無にするも何だから、借りて置く事にして、礼をいって窓下まどしたに据えると、雪江さんが、それよか入口の方が明るくッて好かろうという。入口では出入ではいりの邪魔になると思ったけれど、折角の助言じょごんを聴かぬのも何だから、言う通りに据直すえなおすと、雪江さんが、矢張やっぱり窓の下の方がいという。で、矢張やっぱり窓の下の方へ据えた。
 早速私が書物を出して机のそばに積むのを見て、雪江さんが、
「本箱も無かったわねえ。あたしとこ二つふたツ有るけど、みンなふさがってて、貸して上げられないわ。」
「なに、買って来るから、いです。」
「そんならね、晩に勧工場かんこうばで買ってらッしゃいな。」
「え?」と私は聞直した、――勧工場かんこうばというものは其時分まだ国には無かったから。
小川町おがわまち勧工場かんこうばで。」
勧工場かんこうばッて?」
「あら、勧工場かんこうばを知らないの? まあ! ……」
 と雪江さんは吃驚びッくりしたかおをして、突然破裂したように笑い出した。娘というものは壺口つぼくちをして、気取って、オホホと笑うものとばかり思ってる人は訂正なさい。雪江さんは娘だけれど、口を一杯にいて、アハハアハハと笑うのだ。初め一寸ちょっと仰向あおむいて笑って、それから俯向うつむいて、身をんで、胸を叩いて苦しがって笑うのだ。私は真紅まっかになって黙っていた。
 先刻さっき取次に出た女は其後そのご漸く下女と感付いたが、此時障子の蔭からヒョコリお亀のような笑顔えがおを出して、
「何を其様そんなに笑ってらッしゃるの?」
「だって……アハハハハ! ……古屋さんが……アハハハ! ……」
「あら、一寸ちょっと此方このかた如何どうかなすったの?」
 無礼者奴ぶれいものめがズカズカ部屋へ入って来た、そうして雪江さんの笑いが止らないで、ちっとも要領を得ない癖に、訳も分らずに、一緒になってゲラゲラ笑う。
 其時ガラガラという車の音が門前に止って、ガラッと門がくと同時に、大きな声で、威勢よく、
「お帰りッ!」
 形勢はとみに一変した。下女は急に真面目になって、雪江さんを棄てて置いて、急いで出て行く。
 雪江さんもまだ可笑おかしがりながらなみだき拭き、それでもおおいに落着いてあとから出て行く。
 主人の帰りとは私にもさとれたから、急いでち上って……こっそり窓から覗いて見た。
 帰った人は丁度くぐりを潜る所で、まず黒の山高帽がヌッと入って、続いて縞のズボンに靴の先がチラリと見えたかと思うと、渋紙色した髭面ひげつら勃然むッくり仰向あおむいたから、急いで首を引込ひッこめたけれど、間に合わなかった。見附かッちゃッた。
 お帰り遊ばせお帰り遊ばせ、と口々に喋々ちょうちょうしく言う声が玄関でした。奥様――も何だか変だ、雪江さんの阿母かあさんの声で何か言うと、ふう、そうか、ふうふう、という声は主人に違いない。私の話に違いない。
 悪い事をした、窓からなんぞ覗くんじゃなかったと、閉口している所へ下女が呼びに来て、いよいよ閉口したが、仕方がない。どうせ志を立てて郷関を出た男児だ、人間到る処できまりの悪い想いする、と腹を据えて奥へ行って見ると、もう帰った人は和服に着易きかえて、曾て雪江さんの阿母かあさんが占領していた厚蒲団に坐っている。私は誰でも逢いつけぬ人に逢うと、屹度きっと真紅まっかになる癖がある。で、此時も真紅まっかになって、一度国で逢った人だから、久濶しばらくといって例の通り倒さになると、先方は心持首を動かして、若し声に腰が有るなら、その腰と思うあたりに力を入れて、「はい」という。父も母も宜しく申しましたというと、又「はい」という。何卒どうぞ何分願いますというと、一段声を張揚はりあげて、「はアい」という。

          三十

 晩餐になって、其晩だけは私も奥で馳走になった。花模様の丸ボヤの洋灯ランプもとで、隅ではあったが、皆と一つ食卓にむかい、若い雪江さんの罪の無い話を聴きながら、阿父とうさん阿母かあさんの莞爾々々にこにこしたかおを見て、にぎやかに食事して、私も何だか嬉しかったが……
 やがて食事が済むと、阿父とうさんが又主人になって、私にむかって徐々そろそろ小むずかしい話を始めた。何でも物価高直こうじき折柄おりから、私のいれる食料では到底とてまかない切れぬけれど、外ならぬ阿父おとっさんのたっての頼みであるに因って、不足の処は自分の方で如何どうにかする決心で、謂わば義侠心で引受けたのであれば、ほかの学資の十分な書生のように、悠長な考えでいてはならぬ、何でも苦学すると思って辛抱して、品行を慎むは勿論、勉強も人一倍するようにという話で、聴いていても面白くも変哲もない話だから、雪江さんは話半はなしなかばに小さなあくびを一つして、って何処へか行って了った。私は少し本意ほいなかったが、やがて奥まった処で琴のがする。雪江さんに違いない。雪江さんはまだ習い初めだと見えて、琴の音色は何だかボコン、ボコン、ベコン、ボコンというように聞えて妙だったけれど、私は鳴物は大好だ。何時いつ聴いても悪くないと思った。
 で、遠音とおねに雪江さんの琴を聴きながら、主人の勘定高い話を聴いていると、琴の音が食料にからんだり、小遣に離れたりして、六円がボコン、三円でベコンというように聞えて、何だか変で、話もく分らなかったが、分らぬうちに話は進んで、
「で、うちも下女一人ほか使うて居らん。手不足じゃ。手不足のとこで君の世話をするのじゃから、客扱いにはされん。そりゃ手紙で阿父おとッさんにもう言うて上げてあるから、君も心得てるじゃろうな?」
「は。」
「からして勉強の合間には、少し家事も手伝うて貰わんと困る。なに、手伝うというても、大した事じゃない。まあ、取次ぐらいのものじゃ。まだ何ぞほかに頼む事も有ろうが、なに、皆大した事じゃない。って貰えような?」
「は、何でも僕に出来ます事なら……」
「そ、そ、その僕が面白うない。君僕というのは同輩或は同輩以下にむこうて言う言葉で、尊長者にむこうて言うべき言葉でない、そんな事も注意して、僕といわずにわたくしというて貰わんとな……」
「は……不知つい気が附きませんで……」
「それから、も一つ言うて置きたいのは我々の呼方じゃ。もう君の年配では伯父さん伯母さんでは可笑おかしい。これは東京の習慣通り、矢張わしの事は先生と言うたら好かろう。先生、此方このかたが御面会を願われます、先生、お使に行って参りましょう――一向可笑おかしゅうない。先生というて貰おう。」
「は、承知しました。」
「で、わしを先生という日になると、勢い家内の事は奥さんと言わんと権衡けんこうが取れん。先生に対する奥さんじゃ。な、わしが先生、家内が奥さん、――宜しいか?」
「は、承知しました。」
 これで一通り訓戒が済んで、あとは自慢話になった。先生も法律は晩学で、最初は如何にも辛かったが、その辛いのを辛抱したお蔭で、今日こんにちでは内務の一等属、何とかの係長たることを得たのだという話を長々と聴かされて、私はしびれが切れて、こたえ切れなくなって、泣出しそうだった。
 やッと放免されて、暗黒くらやみを手探りで長四畳へ帰って来ると、下女が薄暗い豆ランプを持って来て、お前さん床をったら忘れずに消すのですよと、朋輩にでも言うように、粗率ぞんざいに言置いて行って了った。
 国を出る時、此家ここの伯父さんの先生は、昔困っていた時、うちで散々世話をして遣った人だから、悪いようにはして呉れまいと、父は言った。私も矢張やッぱり其気で便たよって来たのだが、便たよって来てみれば事毎に案外で、ああ、何だか妙な気持ちがする。
 私はうちが恋しくなった……

          三十一

 私は翌日早速錦町にしきちょうの某私立法律学校へ入学の手続を済ませて、其処の生徒になって、珍らしいうちは熱心に勉強もしたが、其中そのうちに段々怠り勝になった。それには種々いろいろ原因もあるが、第一の原因はうちの用が多いからで。
 伯父さんの先生――私は口惜くやしいから斯ういう――伯父さんの先生は、用といっても大した事じゃないと言った。成程一命にかかわるような大した事ではないが、併し其大した事でない用が間断しっきりなく有る。まず朝は下女と殆ど同時におこされて、雨戸を明けさせられる。伯母さんの奥さんと分担で座敷の掃除をさせられる。其が済むと、今度は私一人の専任で庭から、玄関先から、門前から、勝手口までかせられる。少しでも塵芥ごみが残っていると、掃直はきなおしを命ぜられるから、丁寧に奇麗にかなきゃならん。是が中々の大役の上に、時々其処らの草むしり迄やらされて萎靡がっかりする事もある。
 朝飯あさめしを済せて伯父さんの先生の出勤を見送って了うと、学校は午後だから、其迄は身体に一寸ちょっとすきが出来る。其暇そのひまに自分の勉強をするのだが、其さえ時々急ぎの謄写物とうしゃものなど吩咐いいつかって全潰まるつぶれになる。
 夕方学校から帰ると、伯父さんの先生はもううに役所から退けていて、私の帰りを待兼たように、後から後からと用を吩咐いいつける。それ、郵便を出して来いの、やれ、お客に御飯を出すのだから、急いで仕出し屋へ走れのと、純台所用の外は、何にでも私を使う。時には何の用だか知れもせぬ用に、手紙を持たせられて、折柄おりからの雨降にも用捨なく、遠方迄使いに遣られて、つくづく辛いと思った事もある。さもなくば内で取次だが、此奴こいつ余所目よそめには楽なようで、って見ると中々楽でない。漸く刑法講義の一枚も読んだかと思うと、もう頼もうと来る。聞えんふりも出来ぬから、渋々って取次に出て、倒さになる。私のお辞儀は家内の物議を惹起ひきおこして度々やかましく言われているけれど、面倒臭いから、構わず倒さになる。でも、相手が立派な商人か何かだと、取次栄とりつぎばえがしてい。伯父さんの先生、其様そんな時には、ふうふうと二つ返事で、早速お通し申せと来る。上機嫌だ。其代り其様そんな客の帰る所を見ると、持って来た物は屹度きっと持って帰らない。立派なひげの生えた人もまだい。そんなのに限って尊大振って、私が倒さになっても、首一つ動かさぬ代り、取次いでも小言を言われる気遣いはない。反て伯父さんの先生狼狽あわてて迎えに飛んで出る事もある。一番むずかしいのは風体の余り立派でない人で、就中なかんずく帽子をかぶらぬ人は、之を取次ぐにおおいに警戒を要する。自筆の名刺か何かを出されて、之を持って奥へ行くと、伯父さんの先生名刺を一見するや、かおしかめて、居ると言ったかという。居るものを居ないと言われますか、と腹の中では議論を吹懸ふッかけながら、口へ出しては大人しく、はい、然う申しましたというと、チョッと舌打して、此様こんな者を取次ぐ奴が有るか、君は人の見別みわけが出来んで困ると、小言を言って、居ないと言って返して了えという。私はふくつらをして容易にたない。すると、最終しまいには渋々会いはするが、後で金をもってかれたといって、三日も沸々ぶつぶつ言ってる。
 沸々ぶつぶつ言ったってかまわないが、斯ういう処をはたから看たら、たれが眼にも私は立派な小狐家おぎつねけの書生だ。伯父さんの先生の畜生ちくしょう、自分からが其気で居ると見えて、或時ひとむかってうちの書生がといっていた。既に相手方が右の始末だから、無理もない話だが、出入でいりの者が皆矢張やっぱり私を然う思って、書生扱にする。不平で不平でたまらないが、一々弁解もして居られんから、私は誠によんどころなく不承々々に小狐家の書生にされて了って、そうして月々食料を払っていた。
 が、今となって考えて見ると、不平に思ったのは私が未だ若かったからだ。監督を頼まれたから、引受けて、ついでに書生にして使う、――これが即ち親切というもので、此の外に別に親切というものは、人間に無いのだ。有るかも知れんが、私は一寸ちょっと見当らない。

          三十二

 体好く書生にされて私は忌々いまいましくてならなかったが、しかし其でも小狐家おぎつねけを出て了う気にはならなかった。初のうちは国元へも折々の便たよりに不平を漏して遣ったが、其ものちにはふつと止めて了った。さればといってうちでの取扱いが変ったのではない。相変らず書生扱にされて、ぴどくコキ使われ、果は下女の担任であった靴磨きをも私の役に振替えられて了った。無論其時は私は憤激した。余程よッぽど下宿しようかと思った、が、思ったばかりで、下宿もせんで、せられる儘に靴磨きもして、そうして国元へは其を隠して居た。少し妙なようだが、なに、妙でも何でもない。私は実は雪江さんに惚れていたので。
 惚れては居たが、夫だから雪江さんを如何どうしようという気はなかった。其時分は私もまだ初心うぶだったから、正直に女に惚れるのは男児の恥辱と心得ていた。女をもてあそぶのは何故だか左程の罪悪とも思って居なかったが、いやしくも男児たる者が女なんぞに惚れて性根しょうねを失うなどと、そんな腐った、そんなやくざな根性で何が出来ると息巻いていた。が、口で息巻く程には心で思っていなかったから、自分もいつか其程に擯斥ひんせきする恋にとらわれて了ったのだが、流石さすがとらわれたのを恥て、明かに然うと自認し得なかった気味がある。から、もし其頃誰かが面と向って私に然うと注意したら、私は屹度きっと、失敬な、惚なんぞするものか、と真紅まッかになっておこったに違いない。が、実は惚れたとも思わぬうちに、いつか自分にも内々で、こッそり、次序しだらなく惚れて了っていたのだ。
 惚れた証拠には、雪江さんが留守だと、何となく帰りが待たれる。うちに居る時には心が藻脱もぬけて雪江さんの身に添うてでも居るように、奥と玄関脇と離れていても、雪江さんが、今の座敷で何をしているかは大抵分る。
 雪江さんは宵ッ張だから、朝は大層ねむたがる。阿母かあさんに度々起されて、しどけない寝衣姿ねまきすがたで、はぎの露わになるのも気にせず、眠そうなかおをしてふらふらと部屋を出て来て、指の先で無理に眼を押開け、※(「目+匡」、第3水準1-88-81)まぶちの裏を赤く反して見せて、「斯うして居ないと、附着くッついて了ってよ」、といって皆を笑わせる。
 雪江さんは一ツ橋のさる学校へ通っていたから、朝飯あさはんを済ませると、急いで支度をして出て行く。髪はいつも束髪だったが、履物はきものせいが低いからッて、高い木履ぽっくりを好いて穿いていた。紫の包を抱えて、長い柄の蝙蝠傘こうもりがさを持って出て行く後姿が私は好くってらなかったから、いつも其時刻には何喰わぬ顔をして部屋の窓から外を見ていると、雪江さんは大抵は見られているとは気が附かずに、一寸ちょっとお尻をでてから、髪をこわすまいと、低くこごんでそっと門をくぐって出て行くが、時とすると潜る前にヒョイとうしろを振向いて私と顔を看合せる事がある。そうすると、雪江さんは奇麗な歯並をチラリと見せて、何の意味もなく莞爾にっこりする。私はとうから出そうな莞爾にっこりを顔の何処へか押込めて、強いて真面目を作っているのだから、雪江さんの笑顔に誘われると、こらえ切れなくなって不覚つい矢張やっぱり莞爾にっこりする。こうして莞爾にっこりに対するに莞爾にっこりを以てするのを一日の楽みにして、其をせぬ日は何となく物足りなく思っていた。いや、罪の無い話さ。

          三十三

 午後はいつも私が学校へ行った留守に、雪江さんが帰って来るので、掛違って逢わないが、雪江さんは帰ると、直ぐ琴のお稽古に近所のお師匠さんの処へ行く。私は一度何かで学校が早く終った時、態々わざわざ廻道まわりみちをして其前を通って見た事がある。三味線さみせんのお師匠さんと違って、琴のお師匠さんのうちは格子戸作りでも、履脱くつぬぎに石もあって、何処か上品だ。入口に琴曲指南山勢やませ門人何とかの何枝と優しい書風で書いた札が掛けてあった。そッと格子戸のうちを覗いて見ると、赤い鼻緒や海老茶の鼻緒のすがった奇麗な駒下駄が三四足行儀よく並んだ中に、一足紫紺しこんの鼻緒の可愛らしいのが片隅に遠慮して小さく脱棄ぬぎすててある。之を見違えてなるものか、雪江さんのだ。大方おおかた駒下駄のぬしも奥の座敷に取繕とりつくろってチンと澄しているに違ないと思うと、そのチンと澄している処が一目なりと見たくなったが、生憎あいにく障子が閉切たてきってあるので、外からは見えない。唯琴のがするばかりだ。稽古琴だから騒々しいばかりでおもむきは無いけれど、それでも琴は何処か床しい。雪江さんは近頃大分上手になったけれど、雪江さんではないようだ。大方まだ済ないンだろう、なぞと思いながら、うッかり覗いていたが、ふッと気が附くと、先刻さっきからそばで何処かの八ツばかりの男の児が、青洟あおばなすすり啜り、不思議そうに私のかお瞻上みあげている。子供でもきまりが悪くなって、※(「勹/夕」、第3水準1-14-76)そこそこに其処の門口を離れて帰って来た事も有ったっけが……
 夕方は何だか混雑ごたごたして落着かぬうちにも、一寸ちょっとい事が一つある。ランプ掃除は下女の役だが、夕方之に火をけて座敷々々へ配るのは私の役だ。其時だけは私は公然雪江さんの部屋へ入る権利がある。雪江さんの部屋は奥の四畳半で、便所のそばだけれど、一寸ちょっと小奇麗ない部屋だ。本箱だの、机だの、ガラス戸の箱へいれた大きな人形だの、袋入りの琴だの、写真挟みだの、何だのだの体裁よくならべてあって、留守のうち整然きちんと片附いているけれど、帰って来ると、書物を出放だしばなしにしたり、毛糸の球を転がしたりして引散ひっちらかす。何かに紛れてランプ配りがおそくなった時などは、もう夕闇が隅々へ行渡って薄暗くなった此の部屋の中に、机に茫然ぼんやり頬杖をいてる雪江さんの眼鼻の定かならぬ顔が、唯円々まるまる微白ほのじろく見える。何となく詩的だ。
おそくなりました。」
 とぶっきらぼうの私も雪江さんだけには言いつけぬお世辞も不覚つい出て、机の上の毛糸のランプじきそっとランプを載せると
「いいえ、まだ要らないわ。」
 雪江さんは屹度きっと斯ういう。これが伯父さんの先生でも有ろうものなら、口をとんがらかして、「もッと手廻てまわしして早うせにゃ不好いかん!」と来る所だ。大した相違だ。だから、うちで人間らしいのは雪江さんばかりだと言うのだ。
 其儘出て来るのが、何だか飽気あっけなくて、
「今日貴嬢あなたの琴のお師匠さんの前を通りました。一寸ちょっとうちですね。」
「あら、そう」、と雪江さんがいう。心持首をかしげて、「何時頃?」
「そうさなあ……四時ごろでしたか。」
「じゃ、あたしの行ってた時だわねえ。」
「ええ」、と私は何だかきまりが悪くなって俯向うつむいて了う。
 此話が発展したら、如何どんな面白い話になるのだか分らんのだけれど、其様そんな時に限って生憎あいにくと、茶の間あたりで伯母さんの奥さんの意地悪が私を呼ぶ、
「古屋さん! 早くランプを……何を愚図々々してるンだろうねえ。」
 残惜しいけれど、仕方がない。其切りで私は雪江さんの部屋を出て了う。

          三十四

 一番楽しみなのは日曜だ。それも天気だと、朝から客が立込んで私は目がまわる程忙しいし、雪江さんもお友達が遊びに来たり、お友達の処へ遊びに行ったりして、私の事なんぞ忘れているから、天気は糞だ。雨降りに限る。就中なかんずく伯父さんの先生は何か余儀ない用事があって朝から留守、雪江さんは一日うち、という雨降の日が一番い。
 其様そんな日には雪江さんは屹度きっと思切て朝寝坊をして、私なんぞは徐々そろそろ昼飯が恋しくなる時分に、漸う起きて来る。顔を洗って、御飯を喰べて、其から長いこと掛って髪を結う。結い了う頃は最う午砲ドンだけれど、お昼はおなかくちくて食べられない。「あたししてよ」、という。
 部屋で机の前で今日の新聞を一寸ちょっと読む。大抵続物だけだ。それから編棒と毛糸の球を持出して、暫くは黙って切々せッせッと編物をしている。私が用が有って部屋の前でも通ると、「古屋さん、これ何になると思って?」と編掛けをかざして見せる。私が見たんじゃ、何だか円い変なお猪口ちょくのような物で、何になるのだか見当が附かないから、分らないというと、でも、まあ、当てて見ろという。熟考の上、「巾着でしょう?」というと、「いいえ」、と頭振かぶりを振る。巾着でないとすると、手袋には小さし、靴下でもなさそうだし、「ああ、分った! 匂袋においぶくろだ」、と図星を言ったつもりでいうと、雪江さんは吃驚びっくりして、「まあ、可厭いやだ! 匂袋においぶくろだなんぞッて……其様そんな物は編物にゃなくッてよ。」匂袋においぶくろでもないとすると、もう私には分らない。降参して了うと、雪江さんは莞爾にっこりともしないで、「これ、人形の手袋。」
 雪江さんは一つ事を何時迄いつまでもしているのは大嫌いだから、私がまだ自分の部屋の長四畳へ帰るか帰らぬうちに、もう編物を止めて琴をさらっている。近頃では最うポコンのベコンでも無くなった。斯うして聴いていると、如何どうしても琴に違いないと、感心して聴惚ききほれていると、十分とたぬうちに、ジャカジャカジャンと引掻廻ひっかきまわすような音がして、其切それぎりパタリと、琴のは止む……ともう茶の間で若いにぎやかな雪江さんの声が聞える。
 忽ちドタドタドタと椽側を駈けて来る音がする。下女の松に違いない。あとからパタパタと追蒐おっかけて来るのは、雪江さんにきまってる。玄関で追付おっついて、何を如何どうするのだか、キャッキャッと騒ぐ。松がかなわなくなって、私の部屋の前を駈脱かけぬけて台所へ逃込む。雪江さんがあとから追蒐おっかけて行って、また台所で一騒動やるうちに、ガラガラガチャンと何かがこわれる。阿母かあさんが茶の間から大きな声で叱ると、台所は急に火の消えたように闃寂ひっそりとなる。
 私は、国に居る時分は、お向うのおよっちゃん――子供の時分に飯事ままごとをして遊んだ、あのおよっちゃんが好きだった。およっちゃんは小さい時には活溌な児だったが、大きくなるにれて、大層落着いて品のい娘になって、私は其様子が何となく好きだったが、雪江さんはおよっちゃんとは正反対だ。が、雪江さんも悪くない、なぞと思いながら、茫然ぼんやり机に頬杖を突ている脊中を、誰だかワッといってドンとく。吃驚びっくりして振返ふりかえると、雪江さんがキャッキャッといいながら、逃げて行くしどけない後姿が見える。私は思わず莞爾にっことなる。
 莞爾にっことなった儘で、尚お雪江さんの事を思続けて、果は思う事が人に知れぬから、いようなものの、怪しからん事を内々思っていると、茶の間の椽側あたりで、オーという例のつやのあるい声が聞える。初は地声の少し大きい位の処から、段々に甲高かんだか競上せりあげて行って、糸のように細くなって、何かを突脱けて、遠い遠い何処かへ消えて行きそうになって、又段々競下せりさがって来て、果はパッと拡げたような太い声になって、余念がない。雪江さんが肉声の練習をしているのだ。

          三十五

 私は其時分吉田松陰崇拝であった。将来の自由党の名士を以って自任しているのなら、グラッドストンかコブデン、ブライトあたりに傾倒すべきだが、何如どうしたはずみだったか、松陰先生に心酔して了って、書風までつとめて其人に似せ、ひそかに何回猛士とかせんして喜んでいた迄は罪がないが、困った事には、斯うなると世間に余り偉い人が無くなる。たれを見ても、先ず松陰先生を差向けて見ると、一人として手応てごたえのある人物はない。皆一溜ひとたまりもなく敗亡はいもうする。それを松陰先生のうしろに隠れて見ていると、相手は松陰先生に負るので、私に負るのではないが、何となく私が勝ったような気がして、大臣が何だ、みんな門下生じゃないか。自由党の名士だって左程偉くもない。いわんや学校の先生なんぞは只の学者だ、みんな降らない、なぞと鼻息を荒くして、独りで威張っていた。私なぞの理想はいつも人に迷惑を懸ける許りで、一向自分のたしになった事がないが、はたから見たらさぞ苦々しい事であったろう。兎も角もこうして松陰先生大の崇拝で、留魂録りゅうこんろく暗誦あんしょうしていた程だったが、しかし此松陰崇拝が、不思議な事には、ちっとも雪江さんを想う邪魔にならなかったから、其時分私の眼中は天下唯松陰先生と雪江さんと有るのみだった。
 で、いつも学校の帰りには此二人の事を考え考え帰るのだが、或日――たしか土曜日だったかと思う、土曜日は学校も早仕舞なので、三時頃にそうして二人の事を考えながら帰って見ると、主人夫婦はいつも茶の間だのに、其日は茶の間に居ない。書斎かと思って書斎へ行こうとすると、椽側の尽頭はずれの雪江さんの部屋で、雪江さんの声で、
「誰?」
 という。私は思わず立止って、
わたくしです。」
「古屋さん?」
 という声と共に、部屋の障子がさッいて、雪江さんがかおだけ出して、
「今日はみんな留守よ。」
「え?」と私は耳が信ぜられなかった。
阿父とうさんも阿母かあさんもね、先刻さっき出懸けてよ。」
「そうですか」、と何気なく言ったが、内々ないないは何だか急に嬉しくなって来て、
「松は?」
「松はおゆうへ行って未だ帰って来ないの。」
「じゃ、貴嬢あなたお一人?」
「ええ……一寸ちょっとらッしゃいよ、此処へ。い物があるから。」
 と手招てまねぎをする。斯うなると、松陰先生崇拝の私もガタガタと震い出した。

          三十六

 前にも断って置いた通り、私は曾て真劒に雪江さんを如何どうかしようと思った事はない。それは決して無い。度々怪しからん事を想って、人知れず其を楽しんで居たのは事実だけれど、勧業債券を買った人が当籤とうせんせぬ先から胸算用をする格で、ほんの妄想ぼうそうだ。が、誰も居ぬ留守に、一寸ちょっとらッしゃいよ、と手招ぎされて、驚破すわこそと思う拍子に、自然と体の震い出したのは、即ち武者震いだ。千載一遇の好機会、はずしてなるものか、というような気になって、必死になって武者震いを喰止めて、何喰わぬ顔をして、呼ばれる儘に雪江さんの部屋の前へ行くと、こごんでいた雪江さんが、其時勃然むっくりかおを挙げた。見ると、何だか口一杯頬張っていて、私のかおを見て何だか言う。言う事はく解らなかったが、そばに焼芋が山程盆に載っていたから、夫で察して、礼を言って、一寸ちょっと躊躇したが、思切ってうちへ入って了った。
 雪江さんはおさつが大好物だった。私は好物ではないが、何故だか年中空腹を感じているから、食後だって十切位ときれぐらいはしてやる男だが、此時ばかりは芋どころでなかった。しきりに勧められるけれど、難有ありがとう難有うとばかり言ってて、手を出さなかった。何だかもうかっとなって、夢中で、何だか霧にでも包まれたような心持で、是から先は如何どうなる事やら、方角が分らなくなったから、彷徨うろうろしていると、
貴方あなたは遠慮深いのねえ。男ッて然う遠慮するもンじゃなくッてよ。」
 と何にも知らぬ雪江さんが焼芋の盆を突付ける。私は今其処そこどころじゃないのだが、手を出さぬ訳にも行かなくなって手を出すと、生憎あいにく手先がぶるぶると震えやがる。
如何どうして其様そんなに震えるの?」
 と雪江さんが不審そうにかおを視る。私はいよいよ狼狽して、又真紅まっかになって、何だか訳の分らぬ事を口のうちで言って、周章あわてて頬張ると、
「あら、皮ごと喰べて……皮は取った方がいわ。」
「なに、構わんです」、と仕方が無いから、皮ぐるみムシャムシャりながら、「何は……何処へらしッたンです?」
「吉田さんへ」、と雪江さんは皮をく手をめて、「あたしちっとも知らなかったけど、今晩が春子さんのお輿入こしいれなんですって。そら、媒人なこうどでしょううちは? だから、阿父とうさんも阿母かあさんも早めに行ってないと不好いけないって、先刻さっき出て行ったのよ。」
 これで漸く合点が行ったが、それよりもここ一寸ちょっと吹聴ふいちょうして置かなきゃならん事がある。私は是より先春色梅暦しゅんしょくうめごよみという書物を読んだ。一体小説が好きで、国に居る時分から軍記物や仇討物は耽読たんどくしていたが、まだ人情本という面白い物の有ることを知らなかった。これの知り初めが即ち此春色梅暦しゅんしょくうめごよみで、神田に下宿している友達の処から、松陰伝と一緒に借りて来て始て読んだが、非常に面白かった。此梅暦にると、斯ういう場合に男の言うべき文句がある。何でも貴嬢あなた浦山敷うらやましく思わないかとか、何とか、ヒョイと軽く戯談じょうだんを言って水を向けるのだ。思切って私も一つ言って見ようか知ら……と思ったが、何だか、どうも……ソノきまりが悪い。
「大変立派なお支度よ。何でもね、箪笥が四棹よさおくンですって。それからね、まだ長持だの、挟箱はさみばこだの……」
 ああ、もう駄目だ。長持や挟箱はさみばこの話になっちゃ大事去った、と後悔しても最う追付おッつかない。雪江さんは、何処が面白いのだか、その長持や挟箱の話に夢中になって了って、其から其と話し続けて、盛返したくも盛返す隙がない。仕方が無いから、今に又機会おりも有ろうと、雪江さんの話は浮の空に聞いて、只管ひたすら機会おりを待っていると、忽ちガラッと障子がいて、
「あら、おたのしみ! ……」
 吃驚びっくりして振反ふりかえると、下女の松めが何時いつ戻ったのか、ともないつら罅裂えみわれそうに莞爾にこつかせて立ってやがる。私は余程よっぽど飛蒐とびかかって横面をグワンと殴曲はりまげてやろうかと思った。腹が立って腹が立って……

          三十七

 千載一遇の好機会も松に邪魔を入れられて滅茶々々になって了ったが、松が交って二つ三つ話をしているうちに、間もなく夕方になった。夕方は用が有るから、三人ばらばらになって、私はランプ配りやら、戸締りやら、一切ひとしきり立働いて、例の通り部屋で晩飯を済すと、また身体にひまが出来た。雪江さんは一番先に御飯を食べて、部屋へこもった儘音沙汰おとさたがない。唯松ばかり後仕舞あとじまいで忙しそうで、台所で器物を洗う水の音がボシャボシャと私の部屋へ迄聞える。
 私は部屋で独りランプを眺めて徒然つくねんとしているようで、心は中々忙しかった。婚礼に呼ばれて行ったとすると、主人夫婦の帰るのには未だが有る。帰らぬうちに今一度雪江さんと差向いになりたい。差向いになって何をするのだか、それは私にも未だきまらないが、兎に角差向いになりたい、是非なりたい、何か雪江さんの部屋へ行く口実はないか、口実は……と藻掻もがくけれど、生憎あいにく口実が看附みつからない。うずうずして独りで焦心じれていると、ふと椽側にバタリバタリと足音がする。其足音が玄関へ来る。確かに雪江さんだ。部屋の前を通越とおりこして台所へ行くか、それとも万一ひょっと障子がくかと、成行なりゆきを待つの一ぷんに心の臓を縮めていると、驚破すわ、障子がガタガタと……きかけて、グッとつかえたのを其儘にして、雪江さんが隙間から覗込みながら、
「勉強?」
 と一寸ちょっと首を傾げた。これが何を聞く時でも雪江さんのる癖で、看慣みなれては居るけれど、私はいつも可愛らしいと思う。不断着だけれど、荒い縞の着物に飛白かすりの羽織を着て、華美はでな帯を締めて、障子につかまってはすに立った姿も何となく目にまる。
 ああ求むる者に与えられたのだ。神よ……といいたいような気になって、無論莞爾々々にこにことなって、
「いいえ……まあ、お入ンなさい。」
「じゃ、あたし話してくわ。奥は一人で淋しいから。」
 珍客々々! 之を優待せん法はない。よ、よ、と雪江さんが掛声をして障子を明けようとするけれど、かないのを、私は飛んで行って力任せにウンと引開けた。何だか領元えりもとからぞくぞくする程嬉しい。
 生憎あいにくと火鉢は私の部屋には無かったけれど、今迄敷いていた赤ゲットを、四ツに畳んだのを中央まんなかへ持出して、其でも裏反うらがえしにして勧めると、遠慮するのか、それとも小汚こぎたないと思ったのか、敷いて呉れないから、私は黙って部屋を飛出した。雪江さんはあとで定めて吃驚びっくりしていたろうが、私は雪江さんの部屋へ座布団を取りに行ったので、是だけは我ながら一生の出来だったと思う。
 席が出来ると、雪江さんが、
貴方あなた、御飯が食べられて? あたし何ぼ何でも喰べられなかったわ、あんま先刻さッき詰込んだもんだから。」
 と微笑にッこりする。何時いつ見ても奇麗な歯並はなみだ。
 私も矢張やっぱ莞爾にっこりして、
「私も食べられませんでした……」
 大嘘おおうそ! 実は平生いつもの通り五杯喰べたので。
 雪江さんは国産れでも東京育ちだから、
「……にもお芋があって?」
「有りますとも。」
「じゃ、帰っても不自由はないわねえ。」
 と又微笑にっこりする。
 私も高笑いをした。雪江さんの言草が可笑おかしかったばかりじゃない。実は胸に余る嬉しさやら、何やらやら取交とりまぜて高笑いしたのだ。
 それから国の話になって、国の女学生は如何どんな風をしているの、英語は何位どのくらいの程度だの、洋楽は流行はやるかのと、雪江さんは其様そんな事ばかり気にして聞く。私は大事の用を控えているのだ。其処それどころじゃないけれど、仕方がないから相手になっていると、チョッ、また松の畜生ちくしょうが邪魔に来やがった。

          三十八

 松が来て私はうんざりして了ったが、雪江さんはかえって差向さしむかいの時よりはずみ出して、果は松の方へ膝を向けて了って、松ばかりを相手に話をする。私は居るか居ないか分らんようになって了った。初は少からず不平に思ったが、しかし雪江さんを観ているのには、反て此方が都合がい。で、母屋おもやを貸切って、ひさしで満足して、雪江さんの白いふッくりしたかおを飽かず眺めて、二人の話を聴いていると、松も饒舌しゃべるが、雪江さんも中々負ていない。話は詰らん事ばかりで、今度開店した小間物屋は安売だけれどしなが悪いの、お湯屋ゆうやのお神さんのお腹がまた大きくなって来月が臨月だの、八百屋の猫が児を五疋生んで二疋喰べて了ったそうだのと、要するに愚にも附かん話ばかりだが、しかし雪江さんの様子がい。物を言う時には絶えず首をうごかす、其度にリボンが飄々ひらひらと一緒にうごく。時々は手真似もする。今朝った束髪がもう大分乱れて、後毛おくれげが頬をでるのを蒼蠅うるさそうに掻上かきあげる手附もい。其様そんな時にはあれは友禅メリンスというものだか、縮緬ちりめんだか、私には分らないが、何でも赤い模様や黄ろいかた雑然ごちゃごちゃと附いた華美はで襦袢じゅばんの袖口から、少し紅味あかみを帯びた、白い、すべっこそうな、柔かそうな腕が、時とすると二の腕まであらわれて、も少し持上もちゃげたら腋の下が見えそうだと、気を揉んでいるうちに、又もとの位置に戻って了う。雪江さんは処女むすめだけれど、乳の処がふッくりと持上っている。大方乳首なんぞは薄赤くなってるばかりで、有るか無いか分るまい……なぞと思いながら、雪江さんのかおばかり見ていると、いつしか私は現実を離れて、恍惚うっとりとなって、雪江さんが何だか私の……さいでもない、情人ラヴでもない……何だか斯う其様そんなような者に思われて、兎に角私の物のように思われて、今は斯うして松という他人をぜて話をしているけれど、今に時刻が来れば、二人一緒に斯う奥まった座敷へ行く。と、もう其処に床がってある。夜具も郡内ぐんないなにかだ。私が着物を脱ぐと、雪江さんがうしろからフワリと寝衣ねまきを着せて呉れる。今晩は寒いわねえとか雪江さんがいう。む、む、寒いなあとか私も言って、急いで帯をグルグルと巻いて床へ潜り込む。雪江さんが私の脱棄ぬぎすてを畳んでいる。其様そんな事は好加減いいかげんにして早く来て寝なと私がいう。あいといって雪江さんが私のかおを見て微笑にッこりする……
「ねえ、古屋さん、然うだわねえ?」
 と雪江さんが此方こっちを向いたので、私は吃驚びっくりして眼の覚めたような心持になった。何でも何か私の同意を求めているのに違いないから、何だか仔細は分らないけれど、
「そうですとも……」
 とばつを合わせる。
「そら、御覧な。」
 と雪江さんは又松の方を向いて、又話に夢中になる。
 私はホッと溜息をする。今の続きを其儘にして了うのは惜しい。もう一度幻想でも何でも構わんから、もう一度、今の続きを考えて見たいと思うけれど、もう気が散って其心持になれない。仕方がないから、黙って話を聴いているうちに、又いつしか恍惚うッとりと腑が脱けたようになって、雪江さんのかおが右を向けば、私のかおも右を向く。雪江さんのかおが左を向けば、私のかおも左を向く。上を向けば、上を向く、下を向けば下を向く……

          三十九

 パタリと話がんだ。雪江さんも黙って了う、松も黙って了う。何処でか遠方で犬の啼声が聞える。所謂いわゆる天使が通ったのだ。雪江さんはあくびをしながら、ついでのびもして、
「もう何時だろう?」
「まだ早いです、まだ……」
 と私が狼狽あわてて無理に早い事にして了う心を松は察しないで、
「もう九時過ぎたでしょうよ。」
阿父とうさんも阿母かあさんも遅いのねえ。何をてるンだろう?」
 と又あくびをして、「ああああ、古屋さんの勉強の邪魔しちゃッた。あたしもう奥へくわ。」
 私がちッとも邪魔な事はないといって止めたけれど、最う斯うなってはとまらない、雪江さんは出て行って了う。松も出てく。私一人になって了った。詰らない……
 ふと雪江さんの座蒲団が眼にる……之れを見ると、何だか捜していた物が看附みつかったような気がして、卒然いきなり引浚ひっさらって、急いで起上たちあがって雪江さんの跡を追った。
 茶の間の先の暗い処で雪江さんに追付おッついた。
「なあに? ……」
 と雪江さんの吃驚びッくりしたような声がして、大方おおかた振向いたのだろう、かおの輪廓だけが微白ほのじろ暗中あんちゅうに見えた。
貴嬢あなたの座布団を持って来たのです。」
「あ、そうだッけ。忘れちゃッた。ここ頂戴ちょうだい」、と手を出したようだった。
 私は狼狽あわてて座布団をうしろかくして、
いです、私が持ってくから。」
「あら、何故?」
「何故でも……いです……」
「そう……」
 と何だか変に思った様子だったが、雪江さんは又暗中を動き出す。暗黒くらやみくは分らないけれど、其姿が見えるようだ。私も跡から探足さぐりあしで行く。何だか気があせる。今だ、今だ、と頭の何処かでわめく声がする。如何どうなきゃならんような気がして、むずむずするけれど、何だか可怕こわくて如何どうも出来ない。咽喉のどかわいて引付ひッつきそうで、思わずグビリと堅唾かたずを呑んだ……と、段々明るくなって、雪江さんの姿が瞭然はっきり明るみに浮出す。もう雪江さんの部屋の前へ来て、雪江さんの姿はついと障子のうちへ入って了った。
 其を見ると、私は萎靡がっかりした。惜しいような気のする一方で、何故だか、まず好かったと安心した気味もあった。で、続いて中へ入って、持って来た座布団を机の前に敷いて、其処を退くと、雪江さんは礼を言いながら、入替いりかわって机の前に坐って、
あすんでらっしゃいな。」
 と私のかお瞻上みあげた。ええとか、何とかいって※(「足へん+厨」、第3水準1-92-39)もじもじしている私の姿を、雪江さんはジロジロ視ていたが、
「まあ、貴方あなた此地こっちへ来てから、余程よっぽど大きくなったのねえ。今じゃあたしとは屹度きっと一尺から違ってよ。」
「まさか……」
「あら……屹度きっと違うわ。一寸ちょッと然うしてらッしゃいよ……」
 といいながら、ついったから、何をるのかと思ったら、ツカツカと私の前へ来てひたと向合った。前髪があごに触れそうだ。ぷんにおいが鼻を衝く。
「ね、ほら、一尺は違うでしょう?」と愛度気あどけない白いかおが何気なく下から瞻上みあげる。
 私はわなわなと震い出した。目が見えなくなった。胸の鼓動は脳へまで響く。息がはずんで、足がすくんで、もうじッとして居られない。抱付くか、逃出すか、二つ一つだ。で、私はのちの方針をって、物をも言わず卒然いきなり雪江さんの部屋を逃出して了った……

          四十

 何故彼時あのとき私は雪江さんの部屋を逃出したのだというと、非常におそろしかったからだ。何がおそろしかったのか分らないが、唯何がなしに非常におそろしかったのだ。
 生死のあいだに一線を劃して、人は之を越えるのをおそれる。必ずしも死をむからではない。死は止むを得ぬと観念しても、唯此一線がおそろしくて越えられんのだ。私の逃出したのが矢張やッぱりそれだ。女を知らぬ前と知ったのちとの分界線を俗に皮切りという。私は性慾に駆られて此線の手前迄来て、これさえ越えれば望む所の性慾の満足を得られると思いながら、此線がおそろしくて越えられなかったのだ。越えたくなくて越えなかったのではなくて、越えたくても越えられなかったのだ。其後そのご幾年いくねんって再び之を越えんとした時にも矢張やッぱりおそろしかったが、其時は酒の力をりて、半狂気はんきちがいになって、漸く此おそろしい線を踏越した。踏越してから酔が醒めると何とも言えぬ厭な心持になったから、又酒の力をりて強いてわずかに其不愉快を忘れていた。此様こんな厭な想いをして迄も性慾を満足させたかったのだ。是は相手が正当でなかったから、即ち売女ばいじょであったからかというに、そうでない。相手は正当の新婦と相知る場合にも、人は大抵皆然うだと云う。殊に婦人が然うだという。何故だろう?
 之と縁のある事で今一つ分らぬ事がある。人は皆かくれてエデンのこのみくらって、人前では是を語ることさえはずる。私の様に斯うして之を筆にして憚らぬのは余程力むから出来るのだ。何故だろう? 人に言われんような事なら、んがいじゃないか? 敢てするなら、たれの前も憚らず言うがいじゃないか? 敢てしながらはずるとは矛盾でないか? 矛盾だけれど、矛盾と思う者も無いではないか? 如何どういう訳だ?
 之を霊肉の衝突というか? しからば、霊肉一致したら、如何どうなる? 男女相知るのをおそろしいとも恥かしいとも思わなくなるのか? 畜生ちくしょうと同じ心持になるのか?
 トルストイは北方の哲人だと云う。此哲人は如何どんな事を言っている。クロイツェル、ソナタの跋に、理想の完全に実行し得べきは真の理想でない。完全に実行し得られねばこそ理想だ。不犯ふぼん基督教キリストきょうの理想である。故に完全に実行の出来ぬは止むを得ぬ、唯基督教徒キリストきょうとは之を理想として終生追求すべきである、と言って、世間の夫婦には成るべく兄妹けいまいの如く暮らせと勧めている。
 何の事だ? ちッとも分らん。完全を求めて得られんなら、悶死すべきでないか? 不犯ふぼんが理想で、女房を貰って、子を生ませていたら、普通の堕落に輪を掛た堕落だ。加之しかも一旦貰った女房は去るなと言うでないか? 女房を持つのが堕落なら、何故一念発起して赤の他人になッちまえといわぬ。一生離れるなとは如何どういう理由わけだ? 分らんじゃないか?
 今食う米が無くて、ひもじい腹をかかえて考え込む私達だ。そんな伊勢屋いせやの隠居が心学に凝り固まったような、そんな暢気のんきな事を言って生きちゃいられん!

          四十一

 其後そのご間もなく雪江さんのお婿さんがきまった。お婿さんがきまると、私は何だか雪江さんにあざむかれたような心持がして、口惜くやしくてたまらなかったから、国では大不承知であったけれど、口実を設けて体よく小狐おぎつねうちを出て下宿して了った。
 馬鹿な事には下宿してから、雪江さんが万一ひょッとふさいでいぬかと思って、態々わざわざ様子を見に行った事が二三度ある。が、雪江さんはいつも一向ふさいで居なかった。反ッてお婿さんがきまって怡々いそいそしているようだった。それで私もいよいよ忌々いまいましくなって、もう余り小狐へも足踏あしぶみせぬうちに、伯父さんが去る地方の郡長に転じて、家族を引纏めて赴任して了ったので、私もついに雪江さんの事を忘れて了った。これでお終局しまいだ。
 余り平凡だ下らない。こんなのは単純な性慾の発動というもので、恋ではない、恋はもちッと高尚な精神的の物だと、高尚な精神的の人は言うかも知れん。然うかも知れん。唯私のような平凡な者の恋はいつも斯うだ。先ず無意識或は有意識ゆういしきに性慾が動いて満足を求めるから、理性や趣味性が動いて其相手を定めて、始めて其処に恋が成立する。初から性慾の動かぬ場合に恋はない。異性でも親兄弟に恋をせぬのは其為だ。青年の時分には、性慾が猛烈に動くから、往々理性や趣味性の手を待たんで、自分と盲動して撞着ぶつかった者をすぐ相手にする。私の雪江さんに於けるが、即ち殆ど其だ。私共の恋の本体はいつも性慾だ。性慾は高尚な物ではない、が、下劣な物とも思えん。中性だ、インヂフェレントの物だ。私共の恋の下劣に見えるのは、下劣な人格が反映するので、本体の性慾が下劣であるのではない。
 で、私の性慾は雪江さんに恋せぬ前から動いていた。から、ちッとも不思議でも何でもないが、雪江さんという相手を失ったのちも、私の恋は依然として胸に残っていた。唯相手のない恋で、相手を失って彷徨うろうろしている恋で、其本体は矢張やッぱり満足を求めて得ぬ性慾だ。露骨に言って了えば、誠に愛想あいその尽きた話だが、此猛烈な性慾の満足を求むるのは、其時分の私の生存の目的の――全部とはいわぬが、過半であった。
 これは私ばかりでない、私の友人は大抵皆然うであったから、皆此頃からポツポツ所謂いわゆる「遊び」を始めた。私も若し学資に余裕が有ったら、矢張やッぱり「遊」んだかも知れん。唯学資に余裕がなかったのと、神経質で思切った乱暴が出来なかったのとで、遊びたくも遊び得なかった。
 友人達はさかんに「遊」ぶ、乱暴に無分別に「遊」ぶ。其を観ていると、うらやましい。が、弱い性質の癖に極めて負惜しみだったから、私は一向うらやましそうな顔もしなかった。年長の友人が誘っても私が応ぜぬので、調戯からかいに、私は一人で堕落して居るのだろうというような事を言った。恥かしい次第だが、推測通りであったので、私はかっとなった。血相けっそうを変えて、激論を始めて、果は殴合なぐりあいまでして、遂に其友人とは絶交して了った。
 斯うして友人と喧嘩迄して見れば、意地としても最う「遊」ばれない。で、不本意ながら謹直家きんちょくかになって、そうして何ともえたいの知れぬ、いわれのない煩悶にとらわれていた。

          四十二

 ああ、今日は又頭がふらふらする。此様こんな日にゃ碌な物は書けまいが、一日抜くも残念だ。向鉢巻むこうはちまきでやッつけろ!
 で、私は性慾の満足を求めても得られなかったので、煩悶していた。何となく世の中が悲観されてならん。友人等は「遊」ぶ時にはおおいに「遊」んで、勉強する時にはおおいに勉強して、何の苦もなく、面白そうに、元気よく日を送っている。それを観ていると、私はしゃくに触ってたまらない。私の煩悶して苦むのは何となく友人等の所為せいのように思われる。で、責めてもの腹慰はらいせに、薄志の弱行のと口を極めて友人等の公然の堕落をののしって、そうして私は独り超然として、内々ないないで堕落していた。若し友人等の堕落が陽性なら、私の堕落は陰性だった。友人等の堕落が露骨で、率直で、男らしいなら、私の堕落は……ああ、何と言おう? 人間の言葉で言いようがない。私は畜生ちくしょうだった……
 が、こっそり一人で堕落するのは余り没趣味で、どうもそれでは趣味性が満足せぬ。どうも矢張やっぱり異性の相手が欲しい。が、其相手は一寸ちょっと得られぬので、止むを得ず当分文学で其不足を補っていた。文学ならば人聴ひとぎきい。これなら左程ぜにらぬ。私は文学を女の代りにして、文学を以って堕落を潤色じゅんしょくしていたのだ。
 私の謂う文学は無論美文学の事だ、殊に小説だ。小説は一体如何どういうものだか、知らん、唯私の眼に映ずる小説は人間の堕落を潤色じゅんしょくするものだ。通人の話に、道楽の初は唯いろぎょする、膏肓こうこうると、段々贅沢になって、唯いろぎょするのでは面白くなくなる、惚れたとかれたとか、情合じょうあいで異性とからんで、唯の漁色ぎょしょくおもむきを添えたくなると云う。其処だ、其処が即ち文学の需要の起る所以ゆえんだ。少くも私は然うであった。で、此目的で、最初は小狐おぎつねに居た頃喰付いた人情本を引続き耽読たんどくしてみたが、数をかさねると、段々贅沢になって、もう人情本も鼻に附く。同じ性慾の発展の描写でも、も少し趣味のある描写を味わってみたい。そこで、種々いろいろと小説本を渉猟しょうりょうして、ついに当代の大家の作に及んで見ると、流石さすがは明治の小説家だ、性慾の発展の描写がたくみに人生観などで潤色じゅんしょくされてあって、趣味がある、面白い。斯ういう順序で私の想像で堕落するやまいますます膏肓こうこうって、ついには西洋へ迄手を出して、ヂッケンスだ、サッカレーだ、ゾラだ、ユゴーだ、ツルゲーネフだ、トルストイだ、という人達の手をりて、人並にしていれば、中性のインヂフェレントの性慾を無理に不自然な病的の物にして、クラフトエービングやフォレールの著書中に散見するような色情狂に想像で成済なりすまして、そうして独り高尚がっていた。
 いや、独り高尚がっていたのでない。それには同気相求めて友が幾人いくたりも出来た。同県人で予備門からのち文科へった男が有ったが、私は殊に其感化を受けた。ああ、皆自分が悪かったので、人を怨んでは済まないが、私は今でも此男に逢うと、何とも言えぬ厭な心持になる。儘になるなら刺違さしちがえて死で了いたく思う事もある。

          四十三

 私が感化を受けた友というのは私より一つ二つ年上であった。文学が専門だから、文学書は私より余計読でいたという丈で、何でもない事だが、それを私は大層偉いように思っていた。まだファウストを読まぬ時、ファウストの話をきかされる。なに、友は愚にもつかん事を言っているのだが、其愚にも附かん事を、人生だ、智慾だ、煩悶だ、肉だ、堕落だ、解脱げだつだ、というような意味の有り気な言葉で勿体を附て話されると、何だか難有ありがたくなって来て、之を語る友は偉いと思った。こんな馬鹿気た話はない。友は唯私より少し早くファウストという古本ふるほんよんだ丈の事だ。読んで分った所で、ファウストが何程どれほどの物だ? 技巧の妙を除いたら、果してどれ程の価値がある? いわんや友はあやふやな語学の力で分らん処を飛ばし飛ばし読んだのだ。読んで幼稚な頭で面白いと感じた丈だ、それも聞怯ききおじして、従頭てんから面白いにめて掛って、半分は雷同で面白いと感じた丈だ。読んで十分に味わい得た所で、どうせ人間の作った物だ、左程の物でもあるまいに、それを此様こんな読方をして、難有ありがたがって、たまたま之を読まぬ者を何程どれほど劣等の人間かのように見下みくだし、得意になって語る友も友なら、其を聴いて敬服する私も私だ。心ある人から観たら、ぞ苦々しく思われたろう。
 此友から私は文学の難有ありがたい訳を種々いろいろと説き聴かされた。今ではもう大抵忘れて了ったけれど、何でも文学は真理に新しい形をして其生命を直接に具体的に再現するものだ、とか聴かされて、感服した。自然の真相は普通人に分らぬ、詩人が其主観をとおして描いて示すに及んで、始めて普通人にも朧気おぼろげに分って人間の宝となる、とか聴かされて、又感服した。恋には人間の真髄が動く、とか聴かされて、又感服した。其他そのたまだ種々いろいろ聴かされて一々感服したが、此様こんな事は皆愚言たわごとだ、世迷言よまいごとだ。空想に生命を託して人生を傍観するばかりで、古本と首引くびぴきして瞑想するばかりで、人生に生命を託して人生と共に浮沈上下ふちんじょうかせんでも、人生の活機に触れんでも、活眼を以て活勢を機微のあいだに察し得んでも、如何どうかして人生が分るものとしても、友のいうような其様そんな文学は、何処かで誰かが空想した文学で、文学の実際でない。文学の実際は人間の堕落を潤色じゅんしょくして、懦弱だじゃくな人間を更に懦弱だじゃくにするばかりだ。私の観方みかたは偏しているというか? 唯へいを見て利を見ぬというか? しかし利よりもへいの勝ったのが即ち文学の実際ではないか? 私の観方みかたより文学の実際が既にへいに偏しているではないか?
 ああ、しかし、文学を責めるより、友を責めるより、自ら責めた方が当っていよう。私のような※(「竹かんむり/肖」、第3水準1-89-66)やくざな者は、例えば聖賢の遺書を読んでも、矢張やっぱり害を受けるかも知れん。私は自然だ人生だと口には言っていたけれど、唯書物で其様そんな言葉を覚えただけで、意味がく分っているのではなかった。意味も分らぬ言葉をもてあそんで、いや、言葉にもてあそばれて、可惜あたら浮世を夢にして渡った。詩人と名が附きゃ、皆普通の人よりまさってるように思っていた。小説、殊に輸入小説には人生の真相が活字のおもてに浮いているように思っていた。西洋の詩人は皆東洋の詩人に勝るように思っていた。作の新旧を論じて其価値を定めていた。自分は此様こんな下らん真似をしていながら、の額に汗して着実の浮世を渡る人達がたまたま文壇の事情に通ぜぬと、直ぐ俗物とののしり、俗衆とののしって、独りみずから高しとしていた。独り自ら高しとする一方で、想像で姦淫して、一人で堕落していた。
 ああ、恥かしくて顔がほてる。何たる苦々しい事であった。私は当時の事を想いいだたびに、人通りの多い十字街よつつじに土下座して、通る人毎に、踏んで、蹴て、唾を吐懸けて貰いたいような心持になる……

          四十四

 文学の毒にあてられた者は必ずついに自分も指を文学に染めねば止まぬ。私達が即ち然うであった。先ず友が何か下らぬ物を書いて私に誇示ひけらかした。すると私も直ぐさもしい負ぬ気を出して短篇を書いた。どうせ碌な物ではない。筋はもう忘れて了ったが、何でも自分を主人公にして、雪江さんが相手の女主人公じょしゅじんこうで、紛紜ごたごたした挙句に幾度いくたびとなく姦淫するのを、あやふやな理想や人生観でまぎらかして、高尚めかしてすじりもじった物であったように記憶する。自惚うぬぼれは天性だから、書上げると、先ず自分と自分に満足して、これなら当代の老大家の作に比してもして遜色そんしょくは有るまい、友にせたら必ず驚くと思って、せたら、友は驚かなかった。い処もあるが、もう一息だと言う様なことをいう。私は非常に不平だった。が、局量の狭い者に限って、人の美を成すを喜ばぬ。人をほめれば自分の器量が下るとでも思うのか、人のた事には必ず非難けちを附けたがる、非難けちを附けてその非難けちを附けたのに必ず感服させたがる。友には其癖があったから、私は友の評を一概に其癖の言わせる事にして了って、実に卑劣な奴だと思った。
 何とかして友に鼻をあかさせてりたい。それには此短篇を何処かの雑誌へ載せるに限ると思った。雑誌へ載せれば、私の名も世に出る、万一ひょっとしたら金もられる、一挙両得だというような、愚劣な者の常として、何事も自分に都合のい様にばかり考えるから、其様そんな虫のい事を思って、友には内々ないない種々いろいろと奔走して見たが、如何どうしても文学の雑誌に手蔓てづるがない。其中そのうちに或人が其は既に文壇で名を成したたれかに知己ちかづきになって、其人の手を経て持込むがいと教えて呉れたので、成程と思って、早速手蔓てづるを求めて某大家の門を叩いた。
 某大家は其頃評判の小説家であったから、立派な邸宅を構えていようとも思わなかったが、定めて瀟洒しょうしゃうちに住って閑雅な生活をしているだろうと思って、根岸ねぎしの其宅を尋ねて見ると、案外見すぼらしいうちで、文壇で有名な大家のこれが住居すまいとは如何どうしても思われなかった。うち見窄みすぼらしかったが、主人も襟垢えりあかの附た、近く寄ったら悪臭わるぐさにおいぷんとしそうな、銘仙めいせんか何かの衣服きもので、銀縁眼鏡ぎんぶちめがねで、汚いひげ処斑ところまだらに生えた、土気色をした、一寸ちょっと見れば病人のような、陰気な、くすんだ人で、ねちねちとした弁で、かお看合みあわせると急いで俯向うつむいて了う癖がある。通されたのは二階の六畳の書斎であったが、庭を瞰下みおろすと、庭には樹から樹へひもを渡して襁褓おしめが幕のように列べてしてあって、下座敷したざしき赤児あかごのピイピイ泣く声が手に取るように聞える。
 私はひどく軽蔑の念を起した。殊に庭の襁褓おしめが主人の人格を七分方下げるように思ったが、求むる所があって来たのだから、質樸な風をして、たれも言うような世辞をぜて、此人の近作を読んで非常に敬服して教えを乞いに来たようにいうと、先生畳をじっ視詰みつめて、あれは咄嗟とっさの作で、書懸かきかけると親類に不幸が有ったものだから、とかいうような申訳めいた事を言って、言外に、落着いて書いたら、という余意を含める。私は腹の中で下らん奴だと思ったが、感服した顔をしてびたような事を言うと、先生万更まんざら厭な心持もせぬと見えて、やや調子付いて来て、夫から種々いろいろ文学上の事に就いて話して呉れた。流石さすがは大家と謂われる人程あって、驚くべき博覧で、而も一家の見識を十分に具えていて、ムッツリした人と思いの外、話が面白い。後進の私達はの点に於ても敬服しなければならん筈であるが、それでも私は尚お軽蔑の念を去る事が出来なかった。で、終局しまいに只ほんのて貰えばいように言って、雑誌へ周旋を頼む事はおくびにも出さないで、持って行った短篇を置いて、下宿へ帰って来てから、又下らん奴だと思った。

          四十五

 某大家は兎に角大家だ。私は青二才だ。何故私は此人を軽蔑したのか? 襟垢えりあかの附いた着物を着ていたとて、庭に襁褓むつきしてあったとて、平生へいぜい名利めいりほかに超然たるを高しとする私の眼中に、貧富の差は無い筈である。が、私は実際先生の貧乏臭いのを看て、軽蔑の念を起したのだ。矛盾だ。矛盾ではあるが、矛盾が私の一生だ。
 医者の不養生という。平生思想を性命として、思想に役せられている人に限って、思想が薄弱で正可まさかの時の用に立たない。私の思想が矢張やっぱり其だった。
 けれど、思想々々と大層らしく言うけれど、私の思想が一体何んだ? 大抵は平生親しむ書巻のうちから拾って来た、謂わば古手の思想だ。此蒼褪あおざめた生気のない古手の思想が、意識の表面でって髣髴ほうふつとして別天地を拓いている処を見ると、理想だ、人生観だというような種々の観念が美しい空想の色彩を帯びて其中そのうちに浮游していて、腹がいた、銭が欲しいという現実界に比べれば、※(「しんにゅう+向」、第3水準1-92-55)はるかに美しいように見える。浮気な不真面目な私は直ぐい処を看附けたという気になって、此別天地へ入り込んで、其処から現実界を眺めて罵しっていたのだ。我存在の中心を古手の思想に託して、それみずから高しとしていたのだ。が、私の別天地はたとえば塗盆ぬりぼん吹懸ふきかけた息気いきのような物だ。現実界に触れて実感をると、他愛もなくげて了う、げて木地きじあらわれる。古手の思想は木地を飾っても、木地を蝕する力に乏しい。木地に食入って吾を磨くのは実感だのに、私は第一現実を軽蔑していたから、その実感をる場合が少く、たまたま得た実感も其取扱を誤っていたから、木地の吾を磨くたしにならなかった。従って何程なにほど古手の思想を積んで見ても、木地の吾は矢張やっぱりもとのふやけた、秩序だらしのない、陋劣ろうれつな吾であった。
 こうして別天地と木地の吾とは別々であったから、別天地に遊んでいる時と、吾に戻った時とは、勢い矛盾する。言行は始終一致しない。某大家に対しても、未だ会わぬうちは多少の敬意をっていたけれど、一たび其人の土気色した顔が見え、襟垢えりあかが見え、襁褓むつきが見えて想像中の人が現実の人となると、木地の吾が、貧乏だから下らんと、別天地では流行せぬ論法で論断して之を軽蔑して了ったのだ。
 唯当時私はまだ若かったから、陋劣ろうれつな吾にしても、私の吾には尚お多少の活気が有って、多少の活機を捉え得た。文壇の大家になると、古手の思想が凝固こりかたまって、其人の吾は之に圧倒せられ、わずか残喘ざんぜんを保っているようなのが幾らもある。斯ういう人が、現実に触れると、気の毒な程他愛の無い人になる。某大家が即ち其であった。だから、人生を論じ、自然を説いて、微をひらき、幽をひらく頭はあっても、目前で青二才の私が軽蔑しているのが、先生にはついに見えなかったのだ。

          四十六

 二三日して行って見ると、先生も友と同じ様に、い処も有るが、もう一息だというような事を言う。うそだ。い処も何も有るのじゃない。不出来だと直言が出来なくて斯う言ったのだ。先生も目が見えん人だが、私も矢張やっぱり自分の事だと目が見えんから、其をに受けて、書直して持って行くと、先生が気の毒そうに趣向をも少し変えて見ろと云う。言う通りに趣向をも少し変えて持って行くと、もう先生も仕方がない、不承々々に、是でいと云う。なに、是でい事はちっとも無いのだが、先生は気が弱くて、もう然う然うは突戻し兼たのだ。先生に曰わせると、之を後進に対する同情だという。何の同情の事が有るものか! 少しでも同情が有るなら、頭から叱付けて、文学などに断念させるがいのだ。是が同情なら、同情は「※(「者/火」、第3水準1-87-52)え切らん」の別名だ。どうせ思想にとらわれて活機の分らぬ人のる事だから、おかざりの思想を一枚めくれば、下からいつも此様こん愛想あいその尽きた物が出て来るに不思議はないが、此方こっち此方こっちだ、其様そんな事は少しも見えない。本当に是でい事だと思って、其言葉の尾にすがって、何処かの雑誌へ周旋をと頼んだ。こんなのを盲目めくらまぐあたりと謂うのだろう。機を制せられて、先生も仕方がなさそうに是も受込む。私達の応対は活きた人にはそばで聴いていられたものであるまい。
 一月程して私の処女作は或雑誌へ出た。初恋がしもげて物にならなかった事を書いたのだからとて、題は初霜だ。雪江さんの記念に雪江せっこうと署名した。先生が筆を加えて私の文は行方不明になった処も大分あったが、兎も角も自分の作が活字になったのが嬉しくて嬉しくてたまらない。雑誌社から送って来るのを待ちかねて、近所の雑誌店へ駆付けて、買って来て、何遍か繰返して読んでも読んでも読飽よみあかなかった。真面目な人なら、此処らで自分の愚劣を悟る所だろうが、私は反て自惚うぬぼれて、此分で行けば行々ゆくゆくは日本の文壇を震駭しんがいさせる事も出来ようかと思った。
 いささかながら稿料も貰えたから、二三の友を招いて、近所の牛肉店で祝宴を開いて、其晩遂に「遊び」に行った。其時案外不愉快であったのは曾て記した通り。皆嬉しさの余りに前後を忘却したので。
 これが私の小説を書く病付やみつきで又「遊び」の皮切であったが、それも是も縁の無い事ではない。私の身では思想の皮一枚めくれば、下は文心即淫心だ。だから、ちっとも不思議はないが、同時に両方に夢中になってるうちに、学校を除籍された。なに、月謝のとどこおりが原因だったから、復籍するに造作ぞうさはなかったが、私は考えた、「いっその事小説家になって了おう。法律を学んで望み通り政治家になれたって、仕方がない。政治家になって可惜あたら一生を物質的文明に献げて了うより、小説家になって精神的文明に貢献した方が高尚だ。其方がい……」どうも仕方がない。活眼を開いて人生の活相を観得なかった私が、例の古手の旧式の思想に捕われて、斯う思ったのは仕方がないが、それにしても、同じ思想に捕われるにしても、も少し捕えられ方が有りそうなものだった。物心ぶっしんにょ其様そん印度いんどくさい思想に捕われろではないが、所謂いわゆる物質的文明は今世紀の人を支配する精神の発動だと、何故おもわれなかったろう? 物質界と表裏して詩人や哲学者がかえりみぬ精神界が別にあると、何故おもわれなかったろう? 人間の意識の表面にうかんだ別天地の精神界と違って、此精神界は着実で、有力で、吾々の生存に大関係があって、政治家は即ち此精神界を相手に仕事をするものだと、何故思われなかったろう? 此道理をも考えて、其上で去就を決したのなら、真面目な決心とも謂えようが……ああ、しかし、みち思想に捕われては仕方がない。私は思想で、自ら欺いて、其様そん浅墓あさはかな事を思っていたが、思想に上らぬ実際の私は全く別の事を思っていた。如何どんな事を思っていたかは、私の言う事では分らない、是から追々る事で分る。

          四十七

 私は其時始て文士になろうと決心した、トサのちには人にも話していたけれど、事実でない。私は生来いまだ曾て決心をした事の無い男だ。いつも形勢が既にさだまって動かすべからずなって、其形勢に制せられて始て決心するのだから、学校を除籍せられたばかりでは、未だ決心が出来なかった。唯下宿に臥転ねころんでグズリグズリとして文士に為りそうになっていたのだ。
 始めて決心したのは、如何どうしてか不始末が国へ知れて父から驚いた手紙の来た時であった。行懸りで愚図々々はしていられなくなったから、始めて斯うと決心して事実を言って同意を求めてやると、父からはおこった手紙が来る、母からは泣いた手紙が来る。親達が失望して情ながるかおは手紙の上に浮いて見えるけれど、こうなると妙に剛情ごうじょうになって、因襲の陋見ろうけんとらわれている年寄の白髪頭しらがあたまを冷笑していた。親戚のなにがしが用事が有って上京したついでに、私を連れて帰ろうとしたが、私は頑として動かなかった。そこで学資の仕送りは絶えた。
 こうなるは最初から知れていながら、私は弱った。仕方がないから、例の某大家にすがって書生に置いて貰おうとすると、先生は相変らずグズリグズリと煮切らなかったが、奥さんが飽迄あくまで不承知で、先生を差措さしおいて、御自分の口から断然きっぱり断られた。私は案外だった。頼めば二つ返事で引受けて呉れるとばかり思っていたから、親戚の者が連れて行こうとした時にも、言わでもの広言迄吐いて拒んだのだが、こう断られて見ると、何だか先生夫婦にあざむかれたような気がして、腹が立ってらなかった。世間の人は皆私の為に生きているような気でいたからだ。
 もう斯うなっては、仕方がない、書けても書けんでも、筆で命をつなぐよりほか仕方がない。食うと食わぬの境になると、私でも必死になる。必死になって書いて書いて書捲かきまくって、その度に、悪感情はいだいていたけれど、仕方がないから、某大家の所へ持って行って、筆を加えて貰った上に、売って迄貰っていた。其が為には都合上門人とも称していた。然うして一二年苦しんでいるうちに、どうやら曲りなりにも一本立が出来るようになると、急に此前奥さんに断られた時の無念を想出おもいだして、夫からは根岸のお宅へも無沙汰ぶさたになった。もう先生に余り用はない。先生は或は感情を害したかも知れないが、先生が感情を害したからって、世間が一緒になって感情を害しはすまいし……と思ったのではない、決して左様そんな軽薄な事は思わなかったが、私の行為をあとから見ると、詰り然う思ったと同然になっている。
 先生には用が無くなったが、文壇には用が有るから、私は広く交際した。大抵の雑誌には一人や二人の知己が出来た。こうして交際を広くして置くと、私の作が出た時に、其知己が余りむごくは評して呉れぬ。無論感服などする者は一人もない。私などに感服しては見識に関わる。何かしら瑕疵きずを見付けて、其で自分の見識を示した上で、しかし、まあ、可なりの作だと云う。ほめる時には屹度きっと然う云う。私は局量が狭いから、批評家等がたれも許しもせぬのに、作家よりも一段上座じょうざに坐り込んで、其処から曖昧あやふやな鑑識で軽率に人の苦心の作を評して、此方の鑑定に間違いはない、其通り思うて居れ、と言わぬばかりの高慢の面付つらつきしゃくさわってたまらなかったが、其を彼此かれこれ言うと、局量が狭いと言われる。成程其は事実だけれど、そう言われるのが厭だから、始終黙っておこっていた。其癖批評家の言う所で流行のおもむく所を察して、勉めて其に後れぬようにと心掛けていた……いや、心掛けていたのではない、其様そんな不見識な事は私の尤も擯斥ひんせきする所だったが、あとから私の行為を見ると矢張やっぱり然う心掛けたと同然になっている。

          四十八

 しばらく文壇を彷徨うろうろしているうちに、当り作が漸く一つ出来た。批評家等は筆を揃えて皆近年の佳作だと云う。私は書いた時には左程にも思わなかったが、然う言われて見ると、成程佳作だ。或は佳作以上で、傑作かも知れん。私は不断紛々たる世間の批評以外に超然としている面色かおつきをしていて、実は非難けなされると、非常に腹が立って、少しでもめられると、非常に嬉しかったのだ。
 当り作が出てからは、黙っていても、雑誌社から頼みに来る、書肆しょしから頼みに来る。私は引張凧ひっぱりだこだ……トサ感じたので、なに、二三軒からの申込が一一寸ちょっとかさなったのに過ぎなかった。
 嬉しかったので、調子に乗って又書くと、又評判がい。斯うなると、世間の注目は私一身にあつまっているような気がして、何だか嬉しくて嬉しくてたまらないが、一方に於ては此評判をおとしては大変という心配も起って来た。で、平生は眼中に置かぬらしく言っていた批判家ひひょうかほめられたいが一杯で、いよいよ文学に熱中して、明けても暮れても文学の事ばかり言い暮らし、眼中唯文学あるのみで、文学のほかには何物もなかった。人生あっての文学ではなくて、文学あっての人生のような心持で、文学界以外の人生には殆ど何の注意も払わなかった。如何なる国家の大事が有っても、左程胸に響かなかった代り、文壇で鼠がゴトリというと、大地震の如く其を感じて騒ぎ立てた。之を又真摯しんしの態度だとかいって感服する同臭味どうしゅうみの人が広い世間には無いでもなかったので、私は老人がお宗旨に凝るように、いよいよ文学に凝固こりかたまって、政治が何だ、其日送りの遣繰仕事やりくりしごとじゃないか? 文学は人間の永久の仕事だ。吾々は其高尚な永久の仕事に従う天の選民だと、其日を離れて永久が別に有りでもするような事を言って、傲然として一世を睥睨へいげいしていた。
 文学上では私は写実主義をっていた。それも研究の結果写実主義をとして写実主義をとったのではなくて、私の性格では勢い写実主義に傾かざるを得なかったのだ。
 写実主義については一寸ちょっと今の自然主義に近い見解を持って、此様こんな事を言っていた。
 写実主義は現実を如実に描写するものではない。如実に描写すれば写真になって了う。現実の(しんとは言わなかった)真味を如実に描写するものである。詳しく言えば、作家のサブジェクチウィチー即ち主観に摂取し得た現実の真味を如実に再現するものである。
 人生に目的ありや、帰趨ありや? 其様そんな事は人間に分るものでない。智の力で人生の意義をつかまんとする者は狂せずんば、自殺するに終る。唯人生のあじわいなら、人間に味える。味っても味っても味い尽せぬ。又味わえば味わう程味が出る。旨い。苦中にも至味しみはある。其至味しみを味わい得ぬ時、人は自殺する。人生の味いは無限だけれど、之を味わう人の能力には限りがある。
 唯人は皆同じ様に人生のあじわいを味わうとは言えぬ。く料理を味わう者を料理通という。く人生を味わう者を芸術家という。料理通は料理人でない如く、く人生を味わう芸術家はく人生を経理せんでも差支えはない。
 道徳は人生を経理するに必要だろうけれど、人生の真味を味わうたすけにはならぬ。芸術と道徳とはついに没交渉である。
 是が私の見解であった。浅薄はさて置いて、此様こんな事を言って、始終言葉に転ぜられていたから、私は却て普通人よりも人生を観得なかったのである。

          四十九

 私の文学上の意見も大業だが、文学については其様そんな他愛のない事を思って、浮れるつもりもなく浮れていた。で、私の意見のようにすると、あじわわるるものは人生で、味わうものは作家の主観であるから、作家の主観の精粗に由て人生を味わう程度に深浅の別が生ずる。ここに於て作家は如何どうしても其主観を修養しなければならん事になる。
 私は行々ゆくゆくは大文豪になりたいが一生のねがいだから、おおいに人生に触れて主観の修養をしなければならん。が、漠然人生に触れるの主観を修養するのと言ってるうちは、意味がく分っているようでも、いよいよ実行する段になると、一寸ちょっとまごつく。何から何如どう手を着けていか分らない。政治や実業は人生の一現象でも有ろうけれど、其様そんな物に大したあじわいはない筈である。といって教育でもないし、文壇は始終触れているし、まあ、社会現象が一番面白そうだ。面白いというのは其処に人生の味がこまやかに味わわれるいいである。社会現象のうちでも就中なかんずく男女の関係が最も面白そうだが、其面白味を十分に味わおうとするには、自分で実験しなければならん。それには一寸ちょっと相手に困る。人の恋をするのを傍観するのは、あだかも人が天麩羅てんぷらを喰ってるのを観て其味を想像するようなものではあるけれど、実験の出来ぬうちは傍観して満足するよりほか仕方がない。が、新聞の記事では輪廓だけで内容が分らない。内容を知るには、恋する男女の間に割込んで、親しく其恋を観察するに限るが、恋する男女が其処らにおッこちても居ない。すると、当分まず恋の可能ポッシビリチイを持っている若い男女を観察して満足して居なければならん。が、若い男を観察したって詰らない。若い男の心持なら、自分でも大抵分る。恋の可能ポッシビリチイを持っている若い女の観察が当面の急務だ。と、こう考え詰めて見ると、私の人生研究は詰り若い女の研究に帰着する。
 で、帰着点は分ったが、矢張やッぱり実行が困難だ。若い女を研究するといって、往来に衝立つッたっていて通る女に一々触れもされん。勢い私の手の届く所から研究に着手する外はない。が、私の手の届く所だと、まず下宿屋のお神さんや下女になる。下宿屋のお神さんは大抵年を喰ってる。若いお神さんはうッかり触れると危険だ。あます所は下女だが、下女ではどうも喰い足りない。忙がしそうにしている所をつかまえて、一つ二つ物を言うと、もう何番さんかでお手が鳴る。ヘーイと尻上りに大きな声で返事をして、跡をも閉めずにドタドタと座敷を駈出して行くのでは、余り没趣味だ。下女が没趣味だとすると、私の身分ではもう売女ばいじょに触れて研究する外はないが、これも大店おおみせは金が掛り過るから、小店で満足しなければならん。が、小店だと、相手が越後の国蒲原郡何村かんばらごおりなにむらの産の鼻ひしゃげか何かで、私等わしらが国さでと、未だ国訛くになまりが取れないのになる。往々にして下女にも劣る。尤も是は少しに用事も有ったから、其用事を兼ねて私は絶えず触れていたが、どうしても、どう考えて見ても、是では喰い足らん。どうも素人しろうとの面白い女に撞着ぶつかって見たい。今なら直ぐ女学生という所だが、其時分は其様そんな者に容易に接近されなかったから、私は非常に煩悶していた。
 馬鹿なッ! 其様そんな事を言って、私は女房が欲しくなったのだ。

          五十

 人生の研究というような高尚な事でも、私なぞの手に掛ると、詰り若い女に撞着ぶつかりたいなぞという愚劣な事になって了う。普通の人なら青年のうちは愚を意識して随分愚な真似もしようけれど、私は其を意識しなかった。矢張やっぱり私共でなければ出来ぬ高尚な事のように思って、しきりに若い女に撞着ぶつかりたがっているうちに、望む所の若い女が遂に向うから来て撞着ぶつかった。
 それは小石川の伝通院でんづういん脇の下宿に居る時であった。此下宿は体裁は余り好くなかったが、それでも所謂いわゆる高等下宿で、学生は大学生が一人だったか、二人だったか、居たかと思う。あとは皆小官吏や下級の会社員ばかりで、皆朝から弁当を持って出懸けて、午後は四時過でなければ帰って来ぬ連中れんじゅうだから昼のうちは家内が寂然しんとする程静かだった。
 私は此家このうちで一番上等にしてある二階の八畳の部屋を占領していた。なに、一番上等といっても、元来下宿屋に建てたうちだから、建前は粗末なもので、ややもすると障子が乾反ひぞって開閉あけたてに困難するような安普請やすぶしんではあったが、かたの如く床の間もあって、年中鉄舟先生てっしゅうせんせいやら誰やらの半折物はんせつものが掛けてあって、花活はないけに花の絶えたことがない……というと結構らしいが、其代り真夏にも寒菊がいけてあったりする。造花なのだ。これはの部屋も大同小異だったが、たッた一つの部屋にはなくて、此部屋ばかりにある、謂わば此部屋の特色を成す物があった。それは姿見で、唐草模様の浮出した紫檀贋したんまがいの縁の、むかうと四角なかおも長方形になる、勧工場かんこうば仕込の安物ではあったけれど、兎も角も是が上等室の標象シムボールとしてうやうやしく床の間に据えてあった。下にもまだ八畳が一間ひとまあったが、其処には姿見がなかった。同じような部屋でありながら、間代が其処より此処の方が三割方高かったのは、半分は此姿見の為だったかとも思われる。
 部屋は此通り余り好くはなかったが、取得とりえは南向で、冬暖かで夏涼しかった。其に一番尽頭はずれの部屋で階子段はしごだんにも遠かったから、の客が通り掛りに横目で部屋の中をにらんで行く憂いはなかった。
 も一つい事は――部屋の事ではないが、此家このうちは下宿料の取立が寛大だった。亭主は居るか居ないか分らんような人で、お神さん一人で繰廻くりまわしているようだったが、快活で、腹の大きい人で、少し居馴染いなじんだ者には、一月二月下宿料がとどこおっても、宜しゅうございます、御都合のい時で、といってビリビリしない。収入の不定な私には是が何よりだったから、私は二年越此家このうちに下宿して居た。
 或日朝から出て昼過に帰ると、帳場に看慣みなれぬ女が居る。後向うしろむきだったから、顔は分らなかったが、根下ねさがりの銀杏返いちょうがえしで、黒縮緬くろちりめんだか何だかの小さな紋の附いた羽織を着て、ベタリと坐ってる後姿が何となく好かったが、私がお神さんと物を言ってる間、其女は振向いても見ないで、黙って彼方あちら向いて烟草たばこっていた。
 部屋へ来る跡から下女が火を持って来たから、つかまえて聞くと、今朝殆ど私と入違いりちがいに尋ねて来たのだそうで、何でもお神さんの身寄だとかで、車で手荷物なぞも持って来たから、地方の人らしいと云う。唯其切それぎりで、下女の事だから要領を得ない。
如何どんな女だい?」
「あら、今御覧なすったじゃ有りませんか?」
後向うしろむきで分らなかった。」
別品べっぴんですよ」、といって下女は莞爾々々にこにこしている。
「丸顔かい?」
「いいえ、細面ほそおもてでね……」
「色は如何どんなだい? 白いかい?」
 下女は黙って私のかおを見ていたが、
「大層お気が揉めますのね。何なら、もう一遍下へ行って見ていらしッたら……」
 誰にでも翻弄ほんろうされると、途方に暮れる私だから、よんどころなく苦笑にやりとして黙って了うと、下女は高笑たかわらいして出て行って了った。

          五十一

 やが夕飯時ゆうめしどきになった。部屋々々へ膳を運ぶ忙がしそうな足音が廊下に轟いて、何番さんがお急ぎですよ、なぞと二階から金切声でかしましくわめく中を、バタバタと急足いそぎあしに二人ばかり来る女の足音が私の部屋の前で止ると、
此方こッちが一番さんで、それから二番さん三番さんと順になるンですから何卒どうぞ……」
 というのは聞慣れた小女ちびの声で、然う言棄てて例の通り端手はしたなくバタバタと引返ひッかえして行く。
 と、跡に残った一人が障子の外にうずくまった気配けはいで、スルスルと障子がいたから、見ると、彼女あのおんなだ、彼女あのおんなに違いない。私は急いで余所を向いて了ったから、くは、分らなかったが、何でも下女の話の通り細面ほそおもてで、蒼白い、淋しい面相かおだちの、い女だ……と思った。年頃は二十五六……それとも七か……いや、八か……女の歳は私には薩張さっぱり分らない。もう羽織はなしで、つむぎだか銘仙だか、夫とももッい物だか、其も薩張さっぱり分らなかったが、なにしても半襟の掛った柔か物で、前垂まえだれを締めて居たようだった。障子を明けると、上目でチラと私のかおを見て、一寸ちょっと手を突いて辞儀をしてから、障子の影の膳を取上て、臆した体もなくスルスルと内へ入って来て、「どうもお待せ申しまして」、といいながら、狼狽まごまごしている私の前へ据えた手先を見ると、華奢きゃしゃな蒼白い手で、薬指にきらと光っていたのは本物のゴールド、リングと見た。正可まさか鍍金めッきじゃ有るまい、飯櫃めしびつも運び込んでから、
「お湯はございますか知ら。」
 と火鉢の薬鑵やかん一寸ちょっと取って見て、
「まだ御座いますようですね。じゃ、おあとにしましょう。御緩ごゆっくりと……」
 と会釈して、スッとった所を見ると、スラリとした後姿うしろつきだ。ああ、ふうだ、と思っているうちに、もう部屋を出て了って、一寸ちょっと小腰をかがめて、跡を閉めて、バタバタと廊下を行く。
 別段かわった事もない。小娘でないから、少しは物慣れた処もあったろうが、其は当然あたりまえだ。ふう一寸ちょっと垢脱あかぬけのした処が有ったかも知れぬが、それとても浮気男の眼をぐらいの価値で大した女ではなかったのに、私は非常に感服して了った。尤も私の不断接している女は、厭にお澄しだったり、厭に馴々なれなれしかったりして、一見して如何にも安ッぽい女ばかりだったから、然ういうのを看慣みなれた眼には少しはちがって見えたには違いない。
 何物だろうと考えて見たが、分らない。或は黒人くろうと上りかとも思ってみたが、下町育ちは山の手の人とは違う。此処のお神さんも下町育ちだと云う。そういえば、何処か様子に似た処もある。或は下町育ちかも知れぬとも思った。
 素性は分らないが、兎に角面白そうな女だから、此様こんなのを味わったら、女の真味が分るかも知れん。今に膳を下げに来たら、今度こそは勇気を振起して物を言って見よう、私のように黙って居ては、何時迄いつまでっても接近は出来ん、なぞと思っていると、隣室で女の笑い声がする。下女の声ではない。今のに違いない。隣の俗物め、もうつかまえて戯言じょうだんでも言ってると見える。

          五十二

 其晩膳を下げに来るかと心待に待っていたら、其には下女が来て、女は顔を見せなかった。翌朝よくあさは女が膳を運んで来たが、いざとなると何となく気怯きおくれがして、今はいそがしそうだから、昼の手隙てすきの時にしよう、という気になる。で、言うべき文句迄こしらえて、掻くようにして昼を待っていると、昼が来て、成程手隙てすきだから、ほかの者は遊んでいて小女ちびが膳を運んで来る。
 三四日った。いつも女のけるのは朝晩の忙がしい時だけで、昼は顔も出さない。考えて見ると、奉公人でないから其筈だが、私は失望した。顔は度々合せるから漸く分ったが、く見ると、雀斑そばかすが有って、生際はえぎわに少し難が有る。髪も更少もすこし濃かったらと思われたが、併し何となく締りのあるキリッとした面相かおだちで、私は矢張やっぱりいと思った。名はお糸といってお神さんの姪だとか云う。皆下女からの復聞またぎきだ。
 何とかして一日も早く接近したいが、如何どうも顔を合せると、物が言えなくなる。昼間廊下で行逢った時など、女は小腰をかがめて会釈するような、せんような、曖昧な態度で摺脱すりぬけて行く。其様そんな時に接近したがってる事は色にも出さずに、ヒョイと、軽く、ちッと話に入らッしゃい、とか何とか言ったら、最終しまいには来るようになるかも知れんとは思うけれど、然う思うばかりで、私の口は重たくて、ヒョイと、軽く、其様そんな事が言えない。
 度々かおを合せても物を言わんから、段々何だか妙に隔てが出来て来て、改めて物を言うのが最う変になって来る。此分だと、余程よッぽど何か変った事が、例えば、火事とか大地震とかがあって、人心の常軌を逸する場合でないと、隔ての関を破って接近されなくなりそうだ。ああ、初て部屋へ来た時、何故私は物を言わなかったろうと、千悔万悔せんかいばんかい、それこそほぞむけれど、追付おッつかない。然るに、私は接近が出来ないで此様こんなに煩悶しているのに、隣の俗物は苦もなく日増しに女に親しむ様子で、物を言交いいかわす五分間がいつか十分二十分になる。何だか知らんが、睦まじそうに密々話ひそひそばなしをしているような事もある。一度なんぞ女に脊中を叩かれて俗物が莞爾々々にこにこしている所を見懸けた。私は気が気でない……
 藻掻いていると、確か女が来てから一週間目だったかと思う、朝からのビショビショりが昼過ても未だ止まない事があった。鬱陶敷うっとうしくて、気が滅入って、幾ら書いても思う様に書けないから、私はホッとして、頭を抱えて、仰向あおむきに倒れて茫然としていたが、
「早く如何どうかせんと不好いかん!」
 と判然はっきり独言ひとりごとをいって起反おきかえった。独言ひとりごとは小説に関係した事ではないので、女の事なので。
 すると、余り遠くでない、去迚さりとて近くでもない何処かで、ポツンポツンと意気ながする。隣のうちく琴をさらっているが、三味線さみせんいてた事はない。それに隣にしては近過ぎる。うちにはく者は無い筈だが……と耳を澄していると、やがて歌い出す声は如何どうしてもうちだ。例のに違いない。
 私は起上おきあがってブラリと廊下へ出た。

          五十三

 廊下へ出て耳を澄して見たが、三味線さみせんは聞えても、矢張やっぱり歌が能く聞えない。が、いよいよ例のに違いないから、私は意を決して裏梯子うらばしごを降りて、大廻りをして、こっそり台所近くへ来て見ると、たれも居ない。皆其隣のうちの者の住居すまいにしてある座敷にかたまっているらしい。塩梅あんばいだと、私は椽側に佇立たたずんで、庭を眺めているふりで、歌に耳をかたぶけていた。
 い声だ。たッぷりと余裕のある声ではないが、透徹すきとおるように清い、何処かに冷たい処のあるような、というと水のようだが、水のように淡くはない、シンミリとした何とも言えぬ旨味うまみのある声だ。力を入れると、りんと響く。くと、スウと細く、果ははすの糸のようになって、此世を離れて暗い無限へ消えて行きそうになる時のはかなさ便りなさは、聴いている身も一緒に消えて行きそうで、早く何とかして貰いたいような、もうもうたまらぬ心持になると、消えかけた声が又急に盛返して来て、遂にパッと明るみへ出たような気丈夫な声になる。い声だ。節廻しもたくみだが、声を転がす処に何とも言えぬ妙味がある。ズッと張揚げた声を急に落して、一転二転三転と急転して、何かを潜って来たように、パッと又浮上うきあがるその面白さは……なぞと生意気をいうけれど、一体新内しんないをやってるのだか、清元きよもとをやってるのだか、私は夢中だった。
 俗曲ぞっきょくは分らない。が、分らなくても、私は大好きだ。新内でも、清元でも、上手の歌うのを聴いていると、何だか斯う国民の精粋とでもいうような物が、髣髴ほうふつとして意気な声や微妙な節廻しの上にあらわれて、吾心の底に潜む何かに触れて、何かが想い出されて、何とも言えぬ懐かしい心持になる。私は之を日本国民の二千年来此生を味うて得た所のものが、間接の思想の形式に由らず、ただちに人の肉声に乗って、無形の儘で人心にきたせまるのだとか言って、分明な事を不分明にして其処に深い意味を認めていたから、今お糸さんの歌うのを聴いても、何だか其様そんなように思われて、人生のすいな味や意気な味がお糸さんの声に乗って、私の耳から心に染込しみこんで、生命の髄に触れて、全存在をゆるがされるような気がする。
 お糸さんの顔は椽側からは見えないけれど屹度きっと少しボッと上気して、薄目をいて、恍惚として我か人かの境を迷いつつ、歌っているに違いない。所謂いわゆる神来しんらいの興がうちに動いて、歌にうつつかしているのは歌う声に魂のっているので分る。恐らくもうそばでお神さんや下女の聴いてることも忘れているだろう。お糸さんは最う人間のお糸さんでない。人間のお糸さんは何処へか行って了って、体に俗曲の精霊が宿っている、そうしてお糸さんの美音をとおして直接に人間と交渉している。お糸さんは今俗曲の巫女いちこである、薩満シャマンである。平生のお糸さんは知らず、此瞬間のお糸さんはお糸さん以上である、いや、人間以上で神に近い人である。
 斯う思うと、時としては斯うして人間を離れて芸術の神境に出入しゅつにゅうし得るお糸さんは尋常ただの人間でないように思われる。お糸さんの人と為りは知らないが、歌に於て三味線に於てお糸さんは確に一個の芸術家である、事に寄ると、芸術家と自覚せぬ芸術家である。要するに、俗物でない。
 私も不肖ながら芸術家のはしくれと信ずる。お糸さんの人となりは知らないでも、芸術家の心は唯芸術家のみく之を知る。此下宿に客多しと雖も、くお糸さんを知る者は私の外にあるまい。私の心を解し得る者も、お糸さんの外には無い筈である……と思うと、まだ碌に物を言た事もないお糸さんだけれど、何だかお糸さんが生れぬさきからの友のように思われて、私は……ああ、私は……

          五十四

 私の下宿ではいつも朝飯あさめしが済んで下宿人が皆出払った跡で、ゆッくり掃除や雑巾掛ぞうきんがけをする事になっていた。お糸さんは奉公人でないから雑巾掛ぞうきんがけには関係しなかったが、掃除だけは手伝っていたので、いつも其時分になると、お掃除致しましょうと言っては私の部屋へ来る。私は内々ないない其を心待にしていて、来ると急いで部屋を出て椽側を彷徨うろつく。彷徨うろつきながら、見ぬ振をして横目でチョイチョイ見ていると、お糸さんが赤いたすきに白地の手拭を姉様冠あねさまかぶりという甲斐々々しい出立いでたちで、私の机や本箱へパタパタと払塵はたきを掛けている。其を此方こッちから見て居ると、お糸さんが何だか斯う私の何かのような気がして、嬉しくなって、斯うした処も悪くないなと思う。
 ところが、お糸さんが三味線さみせんいた翌朝あくるあさの事であった。万事が常よりも不手廻ふてまわりで、掃除にもいつも来るお糸さんが来ないで、小女ちびが代りに来たから、私は不平に思って、如何どうしたのだとなじるようにいうと、今日はお竹どんが病気で寝ているので、受持なんぞの事を言っていられないのだと云う。其なら仕方が無いようなものだけれど、小女ちびのは掃除するのじゃなくて、ほこりをほだてて行くのだから、私が叱り付けてやったら、小女ちびは何だか沸々ぶつぶつ言って出て行った。
 暫くして用をしにこうと思って、ヒョイと私が部屋を出ると、何時いつ来たのか、お糸さんがツイ其処で、着物の裾をクルッとまくった下から、華美はでな長襦袢だか腰巻だかを出し掛けて、さかさになって切々せっせっ雑巾掛ぞうきんがけをしていた。私の足音に振向いて、お邪魔様といって、身を開いて通して呉れて、お糸さんは何とも思っていぬ様だったが、私は何だか気の毒らしくて、急いで二階を降りて了った。
 用をしてから出て来て見ると、手水鉢ちょうずばちに水が無い。小女ちびは居ないかと視廻みまわす向うへお糸さんが、もう雑巾掛ぞうきんがけも済んだのか、バケツを提げてやって来たが、ト見ると、直ぐ気が附いて、
「おや、そうだッけ……只今直ぐ持って参りますよ。」
 と駈出して行って、台所から手桶を提げて来て、
「お待遠様。」
 とザッと水をける時、何処の部屋から仕掛けたベルだか、帳場で気短に消魂けたたましくチリリリリリンと鳴る。
 お神さんが台所からかおを出して、
「誰も居ないのかい? 十番さんで先刻さっきからお呼なさるじゃないか。」
「へい、只今……」
 とお糸さんが矢張やっぱり下女並の返事をして、
「お三どん新参で大狼狽おおまごつき……」
 と私のかおを見て微笑にッこりしながら、一寸ちょいと滑稽おどけた手附をしたが、其儘所体しょていくずして駈出して、表梯子おもてはしごをトントントンとあがって行く。
 私が手を洗って二階へあがって見たら、お糸さんはう裾をおろしたり、たすきを外したりして、整然ちゃんとした常の姿なりになって、突当りの部屋の前で膝を突いて、何か用を聴いていた。
 私は部屋へ帰って来て感服して了った。お糸さんは歌が旨い、三味線も旨い、女ながらも立派な一個の芸術家だ。その芸術家が今日は如何どうだろう? お竹が病気なら仕方がないようなものの、まるで下女同様に追使われている。下女同様に追使われて、慣れぬ雑巾掛ぞうきんがけまでさせられた上に、無理な小言を言われても、格別厭なかおもせずに、何とか言ったッけ? 然う然う、お三どん新参で大狼狽おおまごつきといって微笑にっこり……偉い! 余程よっぽど気の練れた者でなければ、如彼ああかぬ。これがお竹ででも有ろうものなら、直ぐ見たくでもないつらふくらして、沸々ぶつぶつ口小言を言う所だ。それを常談事じょうだんごとにして了って、お三どん新参で大狼狽おおまごつきといって微笑にっこり……偉い!

          五十五

 感服の余り、私は何とかして此自覚せぬ芸術家に敬意を表したいと思ったが、併し奉公人同様に金など包んでは出されない、何でも品物を呈するに限ると、何故だか独りでめて掛って、惨澹たる苦心の末、雪江せっこう一代の智慧を絞り尽して、其翌日の昼過ぎ本郷の一友人を尋ねて、うそ八百をならべ立て、其細君をそそのかして半襟を二掛見立てて買って来て貰った。値段の処も私にしては一寸ちょっとはずんだつもりだった。
 早く之をお糸さんに呈して其喜ぶ顔を見たいと、此処らは未来の大文豪も俗物と余りちがわぬ心持になって、何だかしきりに嬉しがって、莞爾にこにこして下宿へ帰ったのは丁度夕飯ゆうはん時分じぶんだったが、火を持って来たのは小女ちび、膳を運んで来たのはお竹どんで、お糸さんは笑声が余所の部屋でするけれど、顔も見せない、私は何となく本意ほいなかった。
 待侘びて独りでれていると、やがて目差すお糸さんが膳を下げに来たから、此処ぞと思って、きまりが悪かったが、思切って例の品を呈した。おおいに喜ぶかと思いの外、お糸さんはして色を動かさず、軽く礼を言って、一寸ちょっと包みを戴いて、膳と一緒に持って行って了った。唯其切それぎりで、何だか余り飽気あっけなかった。
 何時間ったか、しばらくすると、部屋の障子がスッといた。振向いて見ると、思いがけずお糸さんが入口にうずくまって、両手を突いて、先刻さっきの礼を又言ってお辞儀をする。私は何となく嬉しかった。お床を延べましょうかというから、って呉れというと、例の通り戸棚から夜具を出す時、昨夜ゆうべも今朝も手に掛けて知っている筈の枕皮まくらがわの汚に始めて気が附いて、明日あした洗いましょうという。なに、洗濯屋に出すからいと言っても、此様こんな物を洗うのは雑作ぞうさもないといって聴かなかった。私は又嬉しくなって、此様こんな事ならもっと早く敬意を表すれば好かったと思った。
 お糸さんは床をって了うと、火鉢のそば膝行いざり寄って火を直しながら、
本当ほんとさぞ御不自由でございましょうねえ、みんな気の附かない者ばかりの寄合よりあいなんですから。どうぞ何なりと御遠慮なく仰有おっしゃって下さいまし。然う申しちゃ何ですけど、ほかのお客様は随分ツケツケお小言をおっしゃいますけど、一番さん(私の事だ)は御遠慮深くッて何にもおっしゃらないから、ああいうお客様は余計気を附けて上げなきゃ不好いけない本当ほんとにお客様がみんな一番さんのようだと、下宿屋も如何様どんなに助かるか知れないッてね、始終しょっちゅう下でもお噂を申してるンでございますよ……」
 無論半襟二掛の効能ききめとは迂濶うかつの私にも知れた。平生の私の主義から言えば、お糸さんは卑劣だと謂わなければならんのに、何故だか私は左程にも思わないで、唯お糸さんのびて呉れるのが嬉しかった。
 小女ちびがバタバタと駈けて来て、卒然いきなり障子をガラッと開けて、
「あの八番さんで、御用が済んだら、お糸さんに入らッしゃいッて。」
「何だい?」
 小女ちびが生意気になけ無しの鼻を指して、
「これ……」
「そう。」
 お糸さんは挨拶も※(「勹/夕」、第3水準1-14-76)そこそこに私の部屋を出て行ったが、ツイ其処らで立止った様子で、
「今お帰り? 大変御緩ごゆっくりでしたね。」
 帰って来たのは隣の俗物らしく、其声で何だか言うと、又お糸さんの声で、
「あら、本当ほんと? 本当ほんとに買って来て下すったの? まあ、嬉しいこと! だから、貴方あなたじつが有るッていうンだよ……」
 してみると、お糸さんにむかって敬意を表するのは私ばかりでないと見える。

          五十六

 私がお糸さんに接近する目的は人生研究の為で、表面上性慾問題とは関係はなかった。が、お糸さんも活物いきもの、私も死んだ思想に捉われていたけれど、矢張やっぱり活物いきものだ。活物いきもの同志が活きた世界で顔を合せれば、直ぐ其処に人生の諸要素が相轢あいれきしてハズミという物を生ずる。即ちいきおいだ。此いきおいを制する人でなければ、人間一疋の通用が出来ぬけれど、私の様な※(「竹かんむり/肖」、第3水準1-89-66)やくざものになると、直ぐ其いきおいに制せられて了って、吾は吾の吾ではなくなって、いきおいの自由になる吾、いきおいの吾になって了う。困ったものだが、仕方がない。私は人生研究の為お糸さんに接近しようと思ったのだけれど、接近しようとすると、忽ち妙なハメになって、二番さんだの八番さんだのという番号附けになってる俗物共の競争圏内に不覚つい捲込まきこまれて了った。又捲込まきこまれざるを得ないのは、半襟二掛ばかりの効能ききめじゃ三日と持たない。すぐ消えて又元の木阿弥になる。二掛の半襟は惜しくはないが、もう斯うなると、いきおいに乗せられた吾が承知せぬ。憤然やっきとなって二日二晩も考えた末、又一策を案じ出して、今度は昼のお糸さんの手隙てすきの時に、何とか好加減いいかげんな口実を設けて酒を命じた。酒を命ずればお糸さんが持って来る、お糸さんが持って来れば、ちっとのならお酌もして呉れる、お糸さんのお酌で、酒を飲んで酔えば、私にだってちっとは思う事も言えて打解うちとけられる。思う事を言って打解うちとけて如何どうする気だったか、それは不分明だったけれども、兎に角打解うちとけたかったので、酒を命じたら、果してお糸さんが来て呉れて、思う通りになった。
「じゃ、何ですね」、と未だ一本も明けぬうちから、私は真紅まっかになって、「貴女あなたは一杯喰わされたのだ。」
大喰おおくわされ!」とお糸さんは烟管きせるを火鉢のかどでポンと叩いて、「正可まさか女房子にょうぼこの有る人た思いませんでしたもの。好加減いいかげんなチャラッポコをに受けて、仙台くんだり迄引張り出されて、独身ひとりでない事が知れた時にゃ、如何様どんな口惜くやしかったでしょう。いっそ其時帰ッちまや好かったんですけど、帰って来たって、うちが有るンじゃ有りませんしさ、人の厄介やっかいになって苦労する位なら、日陰者でもまだ其方がましかと思ったもんですからね、馬鹿さねえ、貴方あなた、言いなり次第になって半歳はんとしも然うして居たんですよ。そうすると、あたしの事がいつかお神さんに知れて、死ぬのいきるのという騒ぎが起ってみると、元々養子の事だから……」
「養子なんですか?」
「ええ、養子なんですとも。養子だから、ほら、あたしを棄てなきゃ、す何万という身台を棒に振らなきゃならんでしょう? ですから、出るの引くのと揉め返した挙句が、詰るとこあたしはお金で如何どうにでもなると見括みくびったんでしょう、人を入て別話わかればなしを持出したから、あたしゃもう踏んだりたりの目に逢わされて、口惜くやしくッて口惜しくッて、何だかもうカッと逆上のぼせッちまって、本当ほんとに一井戸川いどかわへでも飛込んじまおうかと思いましたよ。」
御尤ごもっともです。」
「ですけどあたしが死んじまや、幸手屋さってや血統ちすじは絶えるでしょう? それでは御先祖様にも、又ね、死んだ親達にも済まないと思って、無分別は出しませんでしたけど、あんまり口惜くやしかったから、お金も出そうと言ったのを、そんなお金なんぞに目をくれるお糸さんじゃない何か言って、タンカを切ってね、一もんも貰わずに、頭の物なんか売飛ばして、其を持って帰って来たは好かったけど、其代り今じゃスッテンテンで、髪結銭かみゆいせんも伯母さん済みませんがという始末ですのさ。余程よっぽど馬鹿ですわねえ。」
「いや。面白い気象だ。」
「ですから、あたしは、貴方あなたの前ですけど、もうもう男は懲々こりごり。そりゃあね、たまには旦那のような優しい親切なお方も有りますけど、どうせあたしのようなもんの相手になる者ですもの、みんな其様そんな薄情な碌でなしばかしですわ。」
「いや、御尤ごもっともです。」
「まあ、自分の勝手なお饒舌しゃべりばかりしていて、おかん全然すっかりちゃった。一寸ちょっと直して参りましょう。」
御尤ごもっともです……」

          五十七

 お糸さんがおかんを直しにったひまに、ここ一寸ちょっと国元の事情を吹聴ふいちょうして置く。甞て私が学校を除籍せられた時、父が学資の仕送りを絶ったのは、こうもしたら或は帰って来るかと思ったからだ。ところが、私が如何どうにか斯うにか取続とりつづいて帰らなかったので、両親は独息子ひとりむすこたまなしにしたように歎いて、父の白髪しらがも其時分僅のあいだ滅切めっきえたと云う。伯父が見兼ねて、態々わざわざ上京して、もう小説家になるなとは言わぬ、唯是非一度帰省して両親の心を安めろとねんごろさとして呉れた。そう言われて見ると、それでもとも言兼ねて、私は其時伯父に連れられて久振で帰省したが、父のかおを見るより、心配を掛けた詫をするどころか、卒然いきなり先ず文学のたっと所以ゆえんを説いて聴かせて、私は堕落したのじゃない、文学に於て向上の一路を看出みいだしたのだ、堕落なんぞと思われては心外だと喰って懸ると、気の練れた父は敢てさからわずに、昔者むかしものおれには然ういうむずかしい事は分らぬから、おれはもう何にも言わぬ、お前の思う通りにしろだが、東京へ出てから二年許りのあいだつかった金は、地所を抵当に入れて借りた金だ。おれは無学で働きがないから、おれの手では到底とても返せない。何とかしてお前の手で償却の道をたてて呉れ。之を償却せん時には、先祖の遺産を人手に渡さねばならぬ。それではどうもお位牌に対しても済まぬから、おれ始終しょっちゅう其が苦になっての……と眼をしばだたかれた時には、私も妙な心持がした。で、何にもあてはなかったけれど、其式それしきの負債はき償却して見せるように広言を吐き、月々なし崩しの金額をもめて再び出京したが、出京して見ると、物価騰貴に付き下宿料は上る、小遣も余計にる、負債償却の約束は不知つい空約束になって了った。そのやや実行のしょに就いたのは当り作が出来てからで、それからは原稿料の手にる度に多少の送金はしていたけれど、夫とても残らず負債の方へ入れて了うので、少しも家計の足しにはならなかった。父はうに県庁の方もめられて、其後そのご一寸ちょっと学校の事務員のような事もしていたが、それも直き又められて全く収入の道が絶えたので、父も母も近頃は心細さの余り、遂に内職に観世撚かんぜよりり出したと云う。私は其頃新進作家で多少売出した頃だったから、急に気が大きくなり、それに天性の見栄坊みえぼうも手伝って、矢張やっぱり某大家のように、仮令たとい襟垢えりあかの附いた物にもせよ、兎に角羽織も着物もつい飛白かすりの銘仙物で、縮緬ちりめん兵児帯へこおびをグルグル巻にし、左程さほど悪くもない眼に金縁眼鏡きんぶちめがねを掛け、原稿料を手に入れた時だけ、急に下宿の飯を不味まずがって、晩飯には近所の西洋料理店レストーラントへ行き、髭の先に麦酒ビヤーの泡を着けて、万丈の※(「陷のつくり+炎」、第3水準1-87-64)きえんを吐いていたのだから、両親が内職に観世撚かんぜよりるという手紙をた時には、又一寸ちょっと妙な心持がした。若し此事が六号活字子ごうかつじしの耳に入って、雪江せっこうの親達は観世撚かんぜよりってるそうだ、一寸ちょっとちんだね、なぞと素破抜すっぱぬかれては余り名誉でないと、名誉心も手伝って、急に始末気しまつぎを出し、それからは原稿料が手にると、直ぐ多少余分の送金もして、ほかの物をっても、観世撚かんぜよりだけはって呉れるなと言ってった。
 で、此時もつい二三日ぜんいささかばかり原稿料が入った。先月は都合が悪くて送金しなかったから、せめて此内十円だけは送ろうと、紙入の奥に別に紙に包んで入れて置いたのが、お糸さんの事や何ややに取紛とりまぎれてまだ其儘になっている。それをお糸さんの身上話を聴くと、ふと想い出して、国への送金は此次に延期し、いっそ之をお糸さんに呈して又敬意を表そうかと思った。が、何だか其ではいささか相済まぬような気もして何となく躊躇ちゅうちょせられる一方で、矢張やっぱり何だかしきりに……こう……敬意を表したくてたまらない。で、お糸さんがやがておかんを直して持って来て、さ、旦那、お熱い所を、と徳利とくりの口を向けた時だった、私は到頭たまらなくなって、しかし何故だか節倹して、十円の半額金五円也を呈して、不覚つい又敬意を表して了った。

          五十八

 お糸さんに敬意を表して見ると、もう半端はんぱになったから、国への送金は見合せていると、母から催促の手紙が来た。其中そのうちに何だか父の加減が悪くて医者に掛っているとかで、物入が多くて困るとかいうような事も書いてあったが、例の愚痴ぐちだと思って、其内に都合して送ると返事を出して置いた。其時はしんに其積りであながち気休めではなかったのだが、彼此かれこれ取紛とりまぎれて不覚つい其儘になっている一方では、五円の金は半襟二掛より効能ききめがあって、それ以来お糸さんが非常に優待して呉れるが嬉しい。追々馴染なじみも重なって常談じょうだんの一つも言うようになる。もう少しで如何どうにかなりそうに思えるけれど、何時迄いつまでっても如何どうにもならんので、少しれ出して、又欲しそうな物を買ってったり、連出つれだしてうまい物を食べさせたり、種々いろいろしてみたが、矢張やっぱり同じ事で手が出せない。お糸さんという人は滅多に手を出せば、屹度きっとひどい恥を掻かすけれど、一度手に入れたら、命懸けになる女だと、何故だか私は独りでめていたから、危険けんのんで手が出せなかったが、はたから観れば、もう余程妙に見えたと見えて、の客はワイワイいって騒ぐ。下女迄が私の部屋を覗込んでお糸さんが見えないと、奥様おくさんは、なぞといって調戯からかうようになる。こうなると、お神さんも目に余って、或時何だか厭な事をお糸さんに言ったとかで、お糸さんがおこっていた事もある。私は何だか面白いような焦心じれったいような妙な心持がする。それで夢中になって金ばかりつかっていたから、一度申訳にいささかばかり送金したぎりで、不覚つい国へは無沙汰になっているうちに、父の病気が矢張やっぱり好くないとて母からは又送金を求めて来る。遂に伯父からも注意が来た。其時だけは私も少し気が附いて、急いで、書掛けた小説を書上げて若干なにがしかの原稿料を受取ったから、明日あすは早速送金しようと思っていた晩に、お糸さんがしきりに新富座しんとみざの当り狂言のうわさをして観たそうな事を言う。と、私も何だか観せてやりたくなって、芝居だって観ように由っては幾何いくら掛るもんかと、不覚つい口を滑らせると、お糸さんがいつになく大層喜んだ。お糸さんは何を貰っても、澄して礼を言って、其場では左程嬉しそうなかおもせぬ女だったが、此時ばかりは余程嬉しかったと見えて、大層喜んだ。
 もう後悔しても取反とりかえしが附かなくなって、むことを得ず好加減いいかげんな口実を設けて別々に内を出て、新富座を見物した其夜そのよの事。お糸さんを一足先へかえし、私一人あとから漫然ぶらりと下宿へ帰ったのは、彼此かれこれ十二時近くであったろう。もう雨戸を引寄せて、入口のおおランプも消してあった。跡仕舞あとじまいをしているお竹がねむたそうな声でお帰ンなさいと言ったが、お糸さんの姿は見えなかった。
 部屋へ来てみると、ランプを細くしてう床もってある。私はますでお糸さんと膝を列べている時から、妙に気がいらって、今夜こそは日頃の望をと、芝居も碌に身にみなかった。時々ふと気が変って、此様こんな女に関係しては結果が面白くあるまいと危ぶむ。其側そのそばから直ぐ又今夜こそは是が非でもという気になる。で、今我部屋へ来て床のってあるのを見ると、もう気もそぞろになって、の事なぞは考えられん。今にも屹度きっと来るに違いない、来たら……と其事ばかりを考えながら、急いで寝衣ねまき着易きかえて床へ入ろうとして、ふと机の上を見ると、手紙が載せてある。手に取って見ると、国からの手紙だ。心は狂っていても、流石さすがに父の事は気になるから、手早く封を切って読むと、まず驚いた。

          五十九

 此手紙で見ると、大した事ではないと思っていた父の病気は其後そのご甚だ宜しくない。まだ医者が見放したのでは無いけれど、自分は最う到底とても直らぬと覚悟して、しきりに私に会いたがっているそうだ。此手紙御覧次第直様すぐさま御帰国待入まちいり申候もうしそろと母の手で狼狽うろたえた文体ぶんていだ。
 私は孝行だの何だのという事を、道学先生の世迷言よまいごとのように思って、鼻であしらっていた男だが、不思議な事には、此時此手紙を読んで吃驚びっくりすると同時に、今夜こそはといきり立っていた気が忽ちえて、父母ちちははしきりに懐かしく、何だか泣きたいような気持になって、儘になるならすぐにもちたかったが、こうなると当惑するのは、今日の観劇の費用が思ったよりもかさんで、元より幾何いくばくもなかった懐中が甚だ軽くなっている事だ。父が病気に掛ってから、度々送金を迫られても、不覚ついおこたっていたのだから、うちの都合もぞ悪かろう。今度こそは多少の金を持って帰らんでは、如何いかに親子の間でも、母に対しても面目めんぼくない。といって、お糸さんに迷ってから、散々無理を仕尽した今日此頃、もう一文もん融通ゆうずうの余地もなく、又余裕もない。明日あすの朝二番か三番で是非たなきゃならんがと、当惑のまなこを閉じて床の中でじっと考えていると、スウと音をぬすんで障子を明ける者が有るから、眼をいて見ると、先刻さっき待憧まちこがれて今は忘れているお糸さんだ。そっと覗込んで、小声で、「もうお休みなすったの?」といいながら、中へ入って又そっと跡をめたのは、十二時過で遠慮するのだったかも知れぬが、私は一寸ちょっと妙に思った。
「どうも有難うございました」、とのめるように私の床のそばに坐りながら、「好かったわねえ」、と私と顔を看合わせて微笑にッこりした。
 今日は風呂日だから、帰ってから湯へ入ったと見えて、目立たぬ程にうッすりと化粧けわっている。寝衣ねまきか何か、あわせ白地しろじ浴衣ゆかたかさねたのを着て、しごきをグルグル巻にし、上に不断の羽織をはおっている秩序しどけない姿もなまめかしくて、此人には調和うつりい。
「一本頂戴よ」、といいながら、枕元の机の上の巻烟草まきたばこを取ろうとして、たもとくわえて及腰およびごしに手を伸ばす時、仰向あおむきにている私の眼の前に、雪をあざむく二の腕が近々と見えて、懐かしい女のぷんとする。
「何だかまだ芝居に居るような気がして相済まないけど」、とお糸さんが煙草たばこを吸付けてフウとけむりを吹きながら、「伯母さんの小言が台詞せりふに聞えたり何かして、如何どんなに可笑おかしいでしょう」、と微笑にッこりした所は、美しいというよりは、仇ッぽくて、男殺しというのは斯ういう人を謂うのかと思われた。
 一つ二つ芝居の話をしていると、下のボンボン時計が肝癪かんしゃくを起したようにジリジリボンという。一時だ、一時を打っても、お糸さんは一向平気で咽喉のどかわくとかいって、私の湯呑で白湯さゆを飲んだり何かして落着いている所は、何だか私が如何どうかするのを待ってるようにも思われる。と、母の手紙で一えた気が又振起ふるいおこって、今朝からの今夜こそは即ち今が其時だと思うと、漫心そぞろごころになって、「泊ってかないか?」と私が常談じょうだんらしくいうと、「そうですねえ。うちが遠方だから泊ってきましょうか」と、お糸さんも矢張やっぱり常談じょうだんらしく言ったけれど、もう読めた。卒然いきなり手をって引寄せると、お糸さんは引寄ひきよせられる儘に、私の着ている夜着の上にもたれ懸って、「如何どうするのさ?」と、私のかおを見て笑っている……其時思い掛けず「親が大病だのに……」という事が、鳥影とりかげのように私の頭をかすめると、急に何とも言えぬ厭な心持になって、私は胸の痛むように顔をひそめたけれど、影になって居たから分らなかったのだろう、お糸さんはられた手をそっと離して、「貴方あなたは今夜は余程よっぽど如何どうかしてらッしゃるよ」と笑っていたが、私が何時迄経いつまでたっても眼をねむっているので、「本当ほんとにお眠いのにお邪魔ですわねえ。どれ、もう行って寐ましょう。お休みなさいまし」と、会釈して起上たちあがった様子で、「灯火あかりを消してきますよ」という声と共に、ふッと火を吹く息の音がした。と、何物か私のかおの上にかぶさったようで、暖かな息が微かに頬に触れ、「憎らしいよ!」と笑を含んだ小声が耳元でするより早く、夜着の上に投出していた二の腕をしたたつねられた時、私はクラクラとして前後を忘れ、人間の道義畢竟ひっきょう何物ぞと、嗚呼ああ父は大病で死にかかって居たのに……

          六十

 翌朝あくるあさはやつもりだったが、てなくなった。尾籠びろうな事にはおのずか尾籠びろうな法則が有るから、既に一種の関係が成立った以上は、女に多少の手当をしてかなきゃならん――と、さ、私は思わざるを得なかった。見栄坊みえぼうだから、金が無くても金の有る風をして、紙入を叩いてって了うと、もう汽車賃も残らない。なに、父はまだ危篤というのじゃなし、一時間や二時間つのが後れたって仔細は無かろうと、自分で勝手な理窟を附けて、女には内々で朝から金策に歩いたが、出来なかった。昼前に一寸ちょっと下宿へ帰ると、留守に国から電報が着いていた。胸を轟かして、狼狽あわてて封を切って見ると、「父危篤すぐ戻れ」だ。之を読むと私はわなわなと震え出した。卒然いきなり下宿を飛出して、血眼ちまなこになって奔走して、かろうじていささかの金を手に入れたから、下宿へも帰らず、其足で直ぐ東京をって、汽車の幾時間を藻掻もがき通して、国へ着いたのは其晩八時頃であった。
 停車場ステーションで車を※(「にんべん+就」、第3水準1-14-40)やとってうちへ急ぐ途中も、何だか気がいらって、何事も落着いて考えられなかったが、片々きれぎれの思想が頭の中で狂いまわる中でも、唯息のあるうちに一目父に逢いたい逢いたいと其ばかりを祈っていた。時々ふッとう駄目だろうと思うと、きりでも刺されたように、急に胸がキリキリと痛む。何とも言えず苦しい。馴染なじみの町々を通っても、何処を如何どう車が走るのか分らない。唯車上で身を揉んで、無暗むやみに車夫を急立せきたてた。車夫が何だか腹を立てて言ったが、何を言っているのか、分らない。唯無暗むやみ急立せきたてるばかりだ。
 漸くのおもいうちへ着くと、狼狽あわてて車を飛降りて、車賃も払ったか、払わなかったか、卒然いきなり門内へ駆込んで格子戸を引明けると、パッと灯火あかりが射して、其光のうちに人影がチラチラと見え、家内うちは何だか取込んでいて話声が譟然がやがやと聞える中で、誰だか作さん――私の名だ――作さんが着いた、作さんが、とわめく。何処からか母が駈出して来たから、私が卒然いきなり、「阿父おとっさんは? ……」と如何どうやら人の声のような皺嗄声しゃがれごえで聞くと、母は妙なかおをしたが、「到頭不好いけなかったよ……」というより早く泣き出した。私はハッと思うと、気が遠くなって、茫然として母が袖を顔にあてて泣くのを視ていたが、ふと何だか胸が一杯になって泣こうとしたら、「まあ、彼方あッちへお出でなさい」、と誰だか袖を引張るから、見ると従弟いとこだ。何処へ何しにくのだか、分っているような、分っていないような、変な塩梅あんばいだったが、私は何だか分ってるつもりで、従弟いとこあといて行くと、人が大勢車座になっている明かるい座敷へ来た。と、急に私は何か母に聞きたい事が有るのを忘れていたような気持がして、母は如何どうしたろうとうしろを振向く途端に、「おお作か」、という声がにわか寂然しんとなった座敷のうちに聞えたから、又此方こッちを振向くと、其処に伯父が居るようだ。夫から私は其処へ坐って、何でもやたらに其処に居る人達に辞儀をしたようだったが、其中そのうち如何どういう訳だったか、伯父のそばへ行く事になって、そばへ行くと、伯父が「阿父おとっさんも到頭此様こんなになられた」、といいながら、そばている人のかおに掛けた白い物を取除とりのけたから、見ると、て居る人は父で、何だか目をねむっている。私は其面そのかおじっと視ていた。すると、何時いつの間にか母がそばへ来ていて、泣声で、「息を引取る迄ね、お前に逢いたがりなすってね……」というのが聞えた。私はふッと目が覚めた、目が覚めたような心持がした。ああ、父は死んでいる……つい其処に死んでいる……骨と皮ばかりの痩果てた其死顔がつい目の前に見える。之を見ると、私は卒然として、「ああすまなかった……」と思った。此刹那に理窟はない、非凡も、平凡も、何もない。文士という肩書の無い白地しろじ尋常ただの人間に戻り、ああ、すまなかった、という一念になり、我を忘れ、世間を忘れて、私は……私は遂に泣いた……

          六十一

 後で段々聞いて見ると、父は殆ど碌な療養もせずに死んだのだ。事情を知らん人は寿命だから仕方がないと言って慰めて呉れたけれど、私には如何どうしても然う思えなかった。全く私の不心得で、まだ三年や四年は生延びられる所をむざむざ殺して了ったように思われてならなかったから、深く年来としごろの不孝を悔いて、せめて跡に残った母だけには最う苦労を掛けたくないと思い、父の葬式を済せてから、母を奉じて上京して、東京で一を成した。もう斯う心機が一転しては、彼様あんな女に関係している気も無くなったから、女とは金で手を切って了った。其時女の素性も始めて知ったが、当人の言う所は皆虚構でたらめだった。しかし其様そんな事をここで言う必要もない。めて置く。
 で、生来始てやや真面目になって再び筆硯に親しもうとしたが、もう小説も何だか馬鹿らしくてちっとも書けない。泰西たいせいの名家の作を読んで見ても、矢張やっぱり馬鹿らしい。此様こんな心持で碌な物が出来る筈もないから、評判も段々落ちる、生活も困難になって来る。もう私もシュンはずれだ。此処らが思切り時だろうと思って、或年意を決して文壇を去って、人の周旋で今の役所へ勤めるようになったが、其後そのご母の希望をれて、さいを迎え、子を生ませると、間もなく母も父の跡を追って彼世あのよった。
 これが私の今日迄こんにちまでの経歴だ。
 つくづく考えて見ると、夢のような一生だった。私は元来実感の人で、始終実感で心をいじめていないと空疎になる男だ。実感で試験をせんと自分の性質すらく分らぬ男だ。それだのに早くから文学にはまって始終空想のうちつかっていたから、人間がふやけて、秩序だらしがなくなって、真面目になれなかったのだ。今やや真面目になれ得たと思うのは、全く父の死んだ時に経験した痛切な実感のおかげで、即ち亡父のたまものだと思う。あの実感を経験しなかったら、私は何処迄だらけて行ったか、分らない。
 文学は一体如何どういう物だか、私には分らない。人の噂で聞くと、どうやら空想を性命とするもののように思われる。文学上の作品に現われる自然や人生は、仮令たとえば作家が直接に人生に触れ自然に触れて実感し得た所にもせよ、空想で之を再現させるからは、本物でない。写し得て真にせまっても、本物でない。本物の影で、空想の分子を含む。之に接してる所の感じには何処にか遊びがある、即ち文学上の作品にはどうしても遊戯分子ゆうげぶんしを含む。現実の人生や自然に接したような切実な感じの得られんのは当然あたりまえだ。私が始終斯ういう感じにばかりつかっていて、実感で心を引締めなかったから、人間がだらけて、ふやけて、やくざがいとどやくざになったのは、或は必然の結果ではなかったか? 然らば高尚な純正な文学でも、こればかりに溺れては人の子も※(「爿+戈」、第4水準2-12-83)そこなわれる。いわんやだらしのない人間が、だらしのない物を書いているのが古今ここんの文壇のヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽヽ
(終)
二葉亭が申します。此稿本は夜店を冷かして手に入れたものでござりますが、跡は千切れてござりません。一寸お話中に電話が切れた恰好でござりますが、致方がござりません。

底本:「平凡・私は懐疑派だ 小説・翻訳・評論集成」講談社文芸文庫、講談社
   1997(平成9)年12月10日第1刷発行
底本の親本:「二葉亭四迷全集 第一巻」筑摩書房
   1984(昭和59)年11月
※底本には「本書は、『二葉亭四迷全集』第一、二、三、四、七巻(昭和五十九年十一月〜平成三年十一月 筑摩書房刊)を底本として使用し、新漢字・新かなづかいにして、若干ふりがなを加えた。本文中に今日から見て不適切と思われる言葉づかいがあるが、作品の時代背景、文学的価値等を考え、著者が故人でもあるため、そのままとした。」との記載がある。
※本作品中には、身体的・精神的資質、職業、地域、階層、民族などに関する不適切な表現が見られます。しかし、作品の時代背景と価値、加えて、作者の抱えた限界を読者自身が認識することの意義を考慮し、底本のままとしました。(青空文庫)
入力:砂場清隆
校正:松永正敏
2003年1月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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