1


 魔都まと上海シャンハイに、夏が来た。
 だが、金博士きんはかせは、汗もかかないで、しきりに大きな手押式ておししき起電機きでんきを廻している。室内の寒暖計は、今ちょうど十三度を指している。ばかにすずしいへやである。それも道理どうり、金博士のこの実験室は、上海の地下二百メートルのところにあり、あの小うるさい宇宙線も、完全に遮断しゃだんされてあるのであった。
 天井裏のブザーが、奇声きせいをたてて鳴った。
「ほい、また来客か。こう邪魔をされては、研究も何も出来やせん」
 博士は、例の無精髭ぶしょうひげを、うさぎ尻尾しっぽのようにうごかして、天井裏をにらみつけた。
「博士、御来客です。醤買石閣下しょうかいせきかっか密使みっしだそうです。はい、只今、X線で、身体をしらべてみましたが、何も兇器きょうきは所持して居りません。どういたしますか」
 姿は見えないが、声だけの秘書が、用事を取次いだ。
「何か土産みやげを持っている様子か」
「なんだか、大きな風呂敷包を、背負って居ります。どうやら羊か何からしく、X線をかけると、長い脊髄骨せきずいこつが見えました」
「羊の肉は、あまり感心しないが、糧食難の折柄おりがらじゃ、贅沢ぜいたくもいえまい」
「では、通しますか」
「とにかく、こっちへ通してよろしい。土産物を見た上で、話を聞くか、追払おっぱらうか、どっちかに決めよう」
 博士は、把手ハンドルから手を放すと、手をあげて、禿頭はげあたまをガリガリといた。
 醤の密使油蹈天ゆうとうてん氏が、その部屋に現れたのは、それから五分ばかりたって後のことであった。
「おう。油蹈天か。お前が来るようじゃ、大した土産もないのであろう」
 博士は、密使の顔を見て、率直に落胆らくたんの色を現した。
「いや、博士。本日は、わが醤主席の密命を帯びてまいりましたもので、きっと博士のお気に入る珍味ちんみをもってまいりました」
「羊の肉は、くさくて、嫌いじゃ。第一、羊の肉が、珍味といえるか」
「羊の肉ではございません。なら、用談より先に、これをごらんに入れましょう」
 密使は、背中に負っていた大きな包を、機械台のうえにおろした。博士は、鼻をくんくんいわせながら、そばへよってきた。
燻製くんせいじゃな。いくら燻製にしても、羊特有の、あの動物園みたいな悪臭は消えるものか」
「まあ、黙って、これをごらん下さい」
 密使油が、包を派手にひろげると、中から鼠色ねずみいろの大きな動物が現れた。顔を見ると、やはり鼠に似ていた。
「ほう、これは大きな鼠じゃな」
「金博士。鼠ではございません。これはカンガルーの燻製でございます」
「カンガルーの燻製?」
 博士は、目を丸くして、両手を意味なく、ぱしんぱしんと叩いた。
「さようです。カンガルーです。これは只今醤主席の隠れ……あ、むにゃむにゃ、ソノ、特別特製でございます」
「特製はわかったが、むにゃむにゃというところがよく聞えなかったし、一体これは、どこの産じゃ」
「はあ、それは御想像にまかせるといたしまして、とにかく醤主席は、かような珍味を博士に伝達して、その代り、博士におねだりをして来いということでありました」
「なんじゃ、わしにねだるというと、また新発明の兵器を譲れというのじゃろう。昔の因縁いんねんを考えると、わしとて、譲らんでもないが、しかしあのように敗けてばかりいるのでは張合はりあいがない。――で、当時とうじ、醤の奴は、どこにいるのか。重慶じゅうけいか、成都せいとか、それとも昆明こんめいか」
 博士の質問は、密使油にとって、はなはだ痛かった。当時、醤主席およびその麾下きか百万余名は、その重慶にも成都にも、はたまた昆明にも居なかったのである。
「は、それはわが政権の機密に属する事項じこうでございますから、私から申上げかねます。しかし、主席はぜひ博士の御好意によって、最近御発明になったあの……」
 といいながら、密使は一応四方八方へ気を配った上で、
「……あのう、それ、人造人間戦車じんぞうにんげんせんしゃの設計図をおゆずり願ってこいと申されました。どうぞ、ぜひに……」
「あれッ。ちょっと待て。わしが極秘にしている人造人間戦車の発明を、どうして、どこで知ったか」
「それはもう、地獄耳じごくみみでございます。それを下されば、このカンガルーの燻製を置いてまいります。下さらなければ、折角せっかくですが、カンガルーの燻製は、再び私が背負いまして……」
「わかったよ、もうわかった。あの醤め、わしが、珍味に目がないことを知っていて、大きなものをせびりよる。よろしい。では、その設計図をやろう。これが、そうだ。組立のときには、わしに知らせれば、行って指導してやってもいい。しかしそのときは、うんと代償物だいしょうぶつを用意して置けよ」
 そういって、金博士は、大きな青写真にとった設計図を、もなく密使に渡してしまったのであった。


     2


 有頂天うちょうてんになって、“人造人間戦車”の設計図を押しいただいて、三拝九拝しているのは、珍らしや醤買石しょうかいせきであった。
 醤は、サロン一つの赤裸あかはだかであった。くびのところに、からからんと鳴るものがあった。それはこの土地に今大流行の、けだものきばを集め、穴を明けて、純綿じゅんめんひもを通した頸飾くびかざりであった。醤は、このからからんという音を聞くたびに、寒山寺かんざんじのさわやかなる秋の夕暮を想い出すそうである。――なにしろ、ここは、人跡じんせきまれなる濠洲ごうしゅうの砂漠の真只中まっただなかである。詰襟つめえりの服なんか、とても苦しくて、着ていられなかった。
 この砂漠に、醤麾下きかの最後の百万名の手勢てぜいが、炎天下えんてんかに色あげをされつつ、粛々しゅくしゅくとして陣を張っているのであった。
 これは余談よだんわたるが、彼れ醤は、日本軍のため、重慶じゅうけいを追われ、成都せいとにいられなくなり、昆明こんめいではクーデターが起り、遂に数奇すうききわめた一生をそこで終るかと思われたが、最後の手段として、某所ぼうしょに於て、英国政権に泣きつき、その結果、或る交換条件により、醤およびその麾下は、海を渡り、赤道を越え、遥かにこの南半球の濠洲のサンデー砂漠地帯の一区劃くかく移駐いちゅうすることを許された次第しだいであった。
 ここでは、熱砂ねっさは舞い、火喰ひくい鳥は走り、カンガルーは飛び、先住民族たる原地人は、幅の広い鼻の下に白い骨を横に突き刺して附近に出没しゅつぼつし、そのたびに、青竜刀せいりゅうとうがなくなったり、取っておきの老酒ラオチューかめが姿を消したり、つらはちの苦難つづきであったが、しかもなお彼は抗日精神こうにちせいしんに燃え、この広大なる濠洲の土の下に埋没まいぼつしている鉱物資源を掘り出し、重工業をさかんにし、大機械化兵団を再建してもう一度、中国大陸へ引返し、日本軍と戦いをまじえたい決意だった。それからこっちへ十年、遂にこの砂漠の一劃に、十年計画の重工業地帯が完成したのを機に、密使みっし油蹈天ゆうとうてんをはるばる上海シャンハイつかわして、金博士の最新発明になる“人造人間戦車”の設計図を胡魔化ごまかしに行かせたのであった。
 今や工学士油蹈天は、大任たいにんはたして、めでたくこの砂漠へ帰ってきたのであった。醤の喜びは、察するに余りある次第であった。
「おい、油学士。見れば見るほどすばらしい製図ではないか」
 醤は、どうめてよいか分らないから、製図の見事なところを褒めることにした。
「はい。それだけに、私の苦心のったことと申したら、主席によろしくお察し願いたい」
「それはよろしく察して居る。褒美ほうびには、何をとらせようか。カンガルーの燻製はどうだ」
「いや、カンガルーは動物園のようなにおいがしていけません。――いや、それはともかく、想像していた以上に、これは実に立派にひかれた製図でございますが、更にその内容に至っては、正に世界無比の強力兵器だと申してよろしいと存じます」
「それで、わしには鳥渡ちょっと分らんところもあるから、お前、この図について、報告せよ。一体、“人造人間戦車”とは、どんなものか」
 とにかく御大将おんたいしょうともあれば、威厳いげんをそこなわないことには、秘術を心得て居る。
「はは。そもそも金博士の発明になる人造人間戦車とは……」
 油学士は、前後左右、それに頭の上を見渡し、砂漠の真中の一本のユーカリじゅの下には、主席と彼との二人の外、誰もいないことを確かめた上で、
「……人造人間戦車とは、ソノ……」
「早くいえ。気をもたせるな。褒美は、なんでも望みをかなえさせるぞ」
「はい、ありがとうございます。さて、その人造人間戦車とは、実に、人造人間にして、且つ又、戦車であるのであります」
には、さっぱり意味が分らん」
「つまり、ソノ金博士の申しまするには、ここに百人から成る人造人間の一隊がある」
「ふん。人造人間隊がねえ」
「この人造人間隊が、隊伍を組んで、粛々前進してまいります。お分りでしょうな」
「人造人間隊の進軍だね」
「はい。このままで放って置けば何日何時間たっても、遂に人造人間隊でございますが、必要に応じて、司令部より、極秘ごくひの強力電波をさっと放射いたしますと、これがたちまち戦車となります」
「そこが、どうも難解だ。極秘の強力電波を放射すると、なぜ人造人間隊が戦車となるのか。お前の話を黙って聞いていると、まるで狐狸こりたぐいが一変して嬋娟せんけんたる美女にけるのと同じように聞える。まさかお前は、金博士から妖術ようじゅつを教わってきたのではあるまい」
 醤主席の言葉は、油学士の自尊心を十二分に傷つけた。
「どうもそれはけしからんおおせです。かりそめにも、科学と技術とをもっておつかえする油学士であります。そんな妖術などを、誰が……」
「ぷんぷん怒るのは後にして、説明をしたがいいじゃないか。お前は、すぐ腹を立てるから、立身出世りっしんしゅっせが遅いのじゃ」
 主席に、一本きめつけられ、油学士は、はっと吾れにかえったようである。
「はっ、これは恐縮きょうしゅく。で、その秘術は、かようでございます。只今申した極秘の電波を人造人間隊にかけますと、その人造人間隊は、たちまちソノー、主席はフットボールを御覧になったことがございますか」
「余計なごましはゆるさん」
「ごま化しではございません。フットボール競技に於て、さっとプレーヤーが、さっとスクラムを組みますが、つまりあれと同じように、人造人間が、たちまちスクラムを組むのでございます。そしてたちまち人造人間のスクラムによって、一台の戦車が組立てられまして、こいつが、轟々ごうごうと人造人間製のキャタピラをひびかせて前進を始めます。いかがでございますか。これでもお気に召しませんか」


     3


 醤主席は、今や極上々ごくじょうじょう大機嫌だいきげんであった。
 彼は、毎朝早く起きて、砂漠の下の防空壕ぼうくうごういだすと、そこに出迎えている常用戦車じょうようせんしゃの中に乗り込み、文字どおり砂塵さじんを蹴たてて西進し、重工業地帯へ出動するのであった。
 そこでは、これまた、得意の絶頂ぜっちょうにある油蹈天学士ゆうとうてんがくしが待っていた。彼は、この重工業地帯長官ということになっていて、かの金博士の発明になる人造人間戦車の部分品の製造監督に、すこぶる多忙たぼうきわめていた。
「どうじゃな、油学士。どうも生産スピードがにぶいようじゃないか」
 醤主席が到着すると、すぐいい出す言葉はこれであった。工場の中を見ないうちに、このおきまり文句もんくをぶっぱなすところが、主席の得意なおどかしの手だった。
「え、とんでもない。仕事は、たいへんに進捗しんちょくして居ります。ちと、こっちを巡覧じゅんらんしていただきましょう」
 油学士は、さるが飴玉を口に入れたように頬をふくらませ、主席を案内していくところは、毎朝多少ちがっていたが、結局、主席が最後ににこにこ顔で腰をえるところは、外ならぬ人造人間戦車の主要部分品であるところの人造人間が、山と積まれている倉庫の前であった。
(やあ、いつ見ても、ええものじゃのう)
 主席は、心の中で、すこぶる満足の意をひょうするのであった。
 そこには、出来たばかりの人造人間が、ぴーんと硬直こうちょくしたまま、ビールの空壜あきびんを積んだように並べられてあった。実に、世にもめずらしい光景であった。
「おい。油学士。この人造人間は、もううごくようになっているか」
「いや、まだでございます」
「なんじゃ。うごかないものを、どんどんこしらえて、どうするつもりか」
「すべて合理的な能率的なマッス・プロダクションをやって居りますです。人造人間をこしらえるときには、人造人間だけをつくるのがよいのであります。主席、どうか製作に関しては、いつも申上げるとおり、すべて私におまかせ願いたいものです」
「それは、委せもしようが、しかしこんなに一時に作っても、これが万一やりそこないであって、さっぱりうごかなかったら、そのときは一体どうするのか。百万台をまた始めからやりかえるのは困るぞ。それよりも、一台の人造人間戦車に必要な各部分を一組作りあげ、それで試験をしてみて、うまく動いてくれるようになれば、次にまた第二の戦車を一組作るといったように、手がたくやってもらいたいものじゃ」
 醤主席は、かくも見事な重工業地帯を完成しても、その昔、英米えいべいから売りつけられたろくに役にもたたない兵器にりた経験を思い出し、また重慶じゅうけいで、しばしばめた不渡手形的援醤宣言ふわたりてがたてきえんしょうせんげんがしさを想い出し、すべて手硬てがたい一方で押そうとするのであった。
 しかし油学士は、反対であった。
「御心配は、御無用にねがいたい。天下に有名なるかの金博士の発明品に、作ってみて動かなかったり、組合わせてみて働かなかったり、そんなインチキなことがあろうはずはありません。現に、私が博士のところを辞しますときに、博士からこの人造人間戦車の模型を見せていただきましたが、実にうまく動きました。大したものでした」
「お前は、動かしてみたかね」
「はい。もちろん、上海シャンハイでは、やってみました。戦車を動かしますのは、渦巻気流式うずまききりゅうしきエンジンというもので、じつにすばらしいエンジンですな」
「渦巻気流式エンジンというと、どんなものじゃ」
「これは金博士の発明の中でも、第一級の発明だと思いますが、つまり、気流というものは、決して真直まっすぐに進行しませんで、廻転するものですが、その廻転性を利用して、一種の摩擦まさつ電気を作るんですなあ。その電気でもって、こんどは宇宙線をゆがまして……」
「ああ、もういい。渦巻気流を応用するものじゃと、かんたんにいえばよろしい」
 頭が痛くなることは、頭の大きい醤主席にとっては、が手であった。
 渦巻気流式エンジンは、もうすっかり出来上って、倉庫に一万台分がおさめてあるときかされ、主席はやっと機嫌を直したのであった。
 彼等は、夢中で話をしていたので、ついに気がつかなかったけれど、このとき、この二人の後にあるへいの上から、色の黒いオーストラリア原地人の首が五つ、こっちをのぞいていたのに気がつかなかった。もちろん、その首の下には完全な胴や手足がついていたわけで、彼らは、きょときょとと山積さんせきされた人造人間に、怪訝けげんな目を光らせていた。


     4


「おい、たいへん、たいへん」
 五人の原地人斥候せっこうは、酒をのんでいる酋長しゅうちょうのところへ、とびこんできた。
「なんじゃ、騒々そうぞうしい」
「たいへんもたいへん。あのしょうなんとかいう東洋人のやしきの中には、死骸しがいが山のように積んであります。あの東洋人は、弱そうな顔をしていたが、あれはおそろしい喰人種しょくじんしゅにちがいありません。たいへんなものが、移民してきたものです」
「えっ、それは本当か。死骸が山のように積んであるって、どの位のすうか」
 酋長は、さかずきを手から取り落として、胸をおさえた。
「その数は、なかなかおびただしい。ええと、どの位だったかな」
「そうさ、あれは、たいへんな数だ。九つと、九つともう一つ九つと、九つとまだまだ九つと九つと九つと……」
 斥候は、汗を額からたらたらと流しながら、妙な方法で数を数えた。
 それを聞いている酋長の方でも、だんだん汗をかいてきた。
「もう、そのへんでよろしい。お前のいうところによるとこれはたいへんな数である。わしが生れてこのかた、この眼で見た鳥の数よりもまだ多いらしい。よろしい、これは、ぐずぐずしていられない。者共ものども、戦争の用意をせよ」
「えっ、戦争の用意を……」
「そうだ、かの醤軍と闘うんだ。わが村の忠良ちゅうりょうにして健康なるお前たちやわしが死骸にさせられない前に、あの醤軍の奴ばらを、あべこべに死骸にしてしまうのだ。どうも前から、いやな奴だと思っていたよ。彼奴きゃつは、おれたちのところから、カンガルーを何頭、盗んでいったかわからない。その代金も、ここで一しょにはらわせることにしよう。それ、太鼓たいこを打て、狼烟のろしをあげろ」
「へーい」
 とんだことから始まって、たちまち戦雲はふかくサンデー砂漠の空にたれこめた。
 村の騒ぎは、醤軍の方へも知れないでいなかった。
 醤主席は、重工業地帯からちょっと放れたところにある望楼ぼうろうへのぼって、村の様子を見渡した。
 太鼓は、いやに無気味な音をたてて鳴り響いている。九本の狼烟は、まるで竜巻のコンクールのように、大空を下から突きあげている。その合図をうけとった原地人が、砂漠の東から西から南から北から、ありのように集り寄ってくるのが見られる。なんという夥しい数であろうか。千や二千ではない。すくなくとも万をもって数える夥しい原地人の数であった。
 醤は、これを見て、ちょっと顔色をかえたが、すぐ思い直したように、せた肩をそびやかせて、いて笑顔をつくった。
「ははは、たとい、あの何万の原地人が攻めて来ても、われには人造人間戦車隊があるんだ。鋼鉄製こうてつせいの人造人間に命令電波をさっと送れば、たちまち鋼鉄の戦車となって、貴様たちを、いちごクリームのようにつぶし去るであろう。わが機械化兵団の偉力いりょくを、今に思いしらせてやるぞ」
 と、そこまでは、威勢いせいのいい声を出して、見得みえを切ったが、その後で、急になさけない声になって、
「……しかし、大丈夫かなあ。油学士の奴、おちついていやがって、部分品を作って数を揃えたはいいが、未だに試験をしていないのだ。電波のスイッチを入れたとたんに、うまくスクラムとやらを組んで戦車になってくれればいいが、万一人造人間の愚鈍ぐどんな進軍だけが続くようでは、原地人軍は、その間に人造人間の頭の上をとび越えて、わが陣営へ攻めこんでくるであろう。ふーむ、こんなにわしに心痛しんつうをさせるあの油学士の奴は、憎んでもあまりある奴じゃ」
 すると、うしろで、えへんと咳払せきばらいがした。主席は、はっとして、うしろをふりかえってみると、何時いつの間に現れたのか、そこには当の油学士が、いやにり身になって突立っていたではないか。
「ああ醤主席、あなたが心痛されるのは、それは一つには私を御信用にならないため、二つには金博士を御信用にならないためでありますぞ。金博士の設計になるものが、未だかつて、動かなかったという不体裁ふていさいな話を聞いたことがない。主席、あなたのその態度が改められない以上、あなたは、金博士を侮辱ぶじょくし、そして科学を侮辱し、技術を侮辱し、そして……」
「やめろ。お前は、まるで副主席にでもなったような傲慢ごうまんな口のきき方をする。見苦しいぞ。わしはお前には黙っていたが、こんどの人造人間戦車が、満足すべき実績じっせきを示した暁には、お前を取立てて、副主席にしてやろうかと考えているんだ。しかし実績を見ないうちは、お前は一要人ようじんにすぎん。――どうだ。本当に大丈夫か。仕度したくは間に合うか」
 油学士は、かねてねらっていた副主席の話を、思いがけなく醤の口からきかされたので、彼は処女しょじょの如く、ぽっと頬を染め、
「大丈夫でございますとも、丁度ちょうど只今、一切の準備がととのいました。って、夕陽を浴びて、輝かしき人造人間戦車隊の進撃を御命令ねがおうと思って、実は只今ここへ参りましたようなわけで……」
 と、油学士は、急につつしみの色を現して、醤主席をはいしたのであった。


     5


 戦機せんきじゅくした。
 全身に、妙な白い入墨いれずみをした原地人兵が、手に手に、たてをひきよせ、やりを高くあげ、十重二十重とえはたえ包囲陣ほういじんをつくって、海岸に押しよせる狂瀾怒濤きょうらんどとうのように、醤の陣営目懸めがけて攻めよせた。
 これに対して、醤の陣営は、げきとして、しずまりかえっていた。
 ただ、かの醤の陣営の目印のような高き望楼ぼうろうには、翩飜へんぽん大旆おおはたひるがえっていた。
 そのはたの下に、見晴らしのいい桟敷さじきがあって、醤主席は、幕僚ばくりょうを後にしたがえ、口をへの字に結んでいた。
 この望楼の前には、百万を数える人造人間が、林のように立って居り、その望楼の後には、これは赤い血の通った醤軍百万の兵士たちが、まるでワールド・シリーズの野球観覧をするときの見物人のような有様ありさまで、詰めかけていた。
 雲霞うんかのような原地人軍は、ついに前方五千メートルの向うの丘のうえに姿を現した。
「おい、油学士。もう人造人間をくりだしてもいいじゃろう」
「はい。只今、命令を出します」
 命令は出た。
 人造人間部隊は、たちまち一せいに手足をうごかして、前進を開始した。冷い灰白色かいはくしょくの身体が、夕陽をうけて、きらきらと、まぶしく輝く。
 この人造人間は、精巧なる内燃機関で動くのであって、別に不思議はない。
 人造人間部隊が粛々しゅくしゅくと行軍を開始して向ってきたので、原地人軍は、さすがにちょっと動揺どうようを見せた。が、先登せんとうに立つ勇猛果敢ゆうもうかかんな酋長は、槍を一段と高くふりまわして、部下を励ました。
 人造人間部隊は、粛々と隊伍を組んで進む。どこか算盤玉そろばんだまが並んだ如くであった。
「おい、油学士。もう始めてよかろう。わしは早く見たいぞ。見て、まず安心をしたいのじゃ」
「はい。では、スイッチを入れましょう。まず第一のスイッチでは人造人間がばらばらと寄り、見事なスクラムを組んで戦車と化します」
「早くやれ!」
「では、――」
 スイッチが入った。人造人間部隊は、その瞬間にさっとどよめいた。
 がちゃがちゃがちゃん――と、まるで長い貨車の後から、機関車がぶつかったときのような音がした。と、なんという奇観きかん、人造人間は、ちに、身体を曲げて車輪になるのがあるかと思うと、四五人横に寝て、鋼鈑こうばんとなるものもある。それがたちまちのうちに折りかさなって、びっくりするような立派な戦車に組上くみあがってしまった。
 ああ、一万台の人造人間戦車隊の出現しゅつげん
「うーむ」
 醤主席も、これにはよほどおどろいたと見える。
「では、この辺で、いよいよ第二のスイッチを入れ、かの人造人間戦車に、全速力進撃を命じ、蹂躙じゅうりんさせます。よろしゅうございますか」
 醤主席は、まだ咽喉のどから声が出てこないので、黙ってうなずいた。
「では、只今、第二のスイッチを入れます。はーい」
 け声と共に、第二のスイッチは入った。
 すると、一万台の人造人間戦車は、とたんに、ぶるんと一揺れ揺れた。と、たちまちものすごい勢いで、がらがらがらと疾走しっそうを始めた。ただし原地人軍の方へ向って前進しないで、何をかんちがいしたか、あべこべに、醤軍の方へ向けて、全速力で後退を始めたではないか。
 っ!
 それは、ほんの一瞬間の出来事――いや、悪夢であったように思われる。一万台の人造人間戦車は、電撃の如く、呀っという間に、醤主席をはじめ全軍一兵のこらずを平等にその鋼鉄の車体の下に蹂躙し去り、それからなおも快速をつづけて、やがて、そこから三百キロ向うの海の中へ、さっとしぶきをあげてはまりこんでしまった。
 あまりに意外な勝戦しょうせんに、原地人軍の酋長は、それ以来、自分が神様の生れかわりであると信ずるようになったそうである。
 一体、なにがこう間違ったのであるか。
 これについて、後日ごじつ、わが金博士はこのことを伝え聞き、そしてしずかにいったことである。
「あいつは、大馬鹿者じゃよ。渦巻気流というものは、北半球と南半球とでは、あべこべに巻くのだ。あの設計図にあるのは、北半球用のエンジンだ。南半球で使うときには、線輪コイルをあべこべに巻かなければ、前進すべきものが後退するのじゃ。油蹈天ゆうとうてんのやつに、組立のときは知らせよと、よくいって置いたのに、彼奴きゃつめ、自分だけの手柄にしようと思って、知らせて来なかったから、あんな間違いをひきおこしたのじゃ。惜しいものじゃ。たった一言、これは南半球で実験をするのですと教えてくれればよかったものを。……まあ、それが、積悪せきあくの醤や油の天命じゃろうよ」

底本:「海野十三全集 第10巻」三一書房
   1991(平成3)年5月31日第1版第1刷発行
初出:「新青年」
   1941(昭和16)年6月
入力:tatsuki
校正:まや
2005年5月15日作成
青空文庫作成ファイル:
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