私は一九二七年から三〇年までソ連におりました。いまから考えれば大変古いことで、ちょうど第一次五ヵ年計画が始まったばかりのところです。ですから、皆様の方が新しい今日のソヴェトについては十分御存じのことでしょう。何を見ました、かにを見ました、というお話は申し上げません。私が深く動かされたこと、そして自分の一生に強く影響をうけたことは、どういうことであったか、ということを簡単にお話申し上げたいと思います。
 私たち人間というものは、いつも歴史の中に生きております。社会の中に生きております。宙に浮いた存在ではありません。社会はどんな条件でわれわれに影響して来るものでしょうか。わたしたちは、自分たちの運命をよりよくして行きたいとどこでも何時でも努力しております。自分の運命の主人となる可能性というものは、社会の現実のどんな処にあるか、自分の生きている社会の中で、どういう風に自分たちで作って行けるものか、そういう点について、ソヴェトの社会の歴史は、生きた姿で非常に深い教訓を与えていると思います。過去において与えるばかりでなく、今日においても深い教訓を与えるものと思います。そして明日のためにも……。
 最近、戦争が済んでから、ソヴェト領へ捕虜で行っている日本の人がどっさりあります。その方たちのある部分の方は帰って来ました。しかしある方たちはまだ帰って来ません。手紙は来るようになりました。赤十字の印のついた往復葉書で手紙が来るのです。このごろ私たちはまるで知らない人から、そういう葉書を貰いました。日本語で書いてあるわけですが、それを読むとこういうことが書いてある――どういう本を読んでいるということから、自分は思いがけないことからソヴェトの生活をするようになった、そしてここで、これからどの位暮すか知らぬが、自分の大変深く感じることは、日本人の利己心についてである、日本人は利己心が強い民族である、それは何と悲しむべきことで、同時に嫌なことであろうか、ということが往復葉書に書かれて来ました。こういうこころもちに何と答えたら正しい返事になるのでしょう。ソヴェトというと、共産主義者の国だとか、或は赤い国だとか、今日でもなおある種の人たちは、ソヴェト同盟の社会主義民主社会のもとの人民生活について現実的な理解をもとうとしないで、いろいろな妄想を歪んだ誇張でつたえております。このハガキの主はそういうような話をきいたこともあったでしょう。それが捕虜となって、ソヴェトの生活をしてみて、つい先頃まで、戦争の間は、世界で最も善良な、最も名誉ある立派な民族だと教えられていたその日本人が、ソヴェト人の生活ぶりとくらべてみて、日本人はどうして利己心が強いのだろう、と見も知らない私に嘆いて手紙をよこす、その気持はどういうことから変化をして来たのでしょう。それはやはり、その人が実際にその中で暮して見たソヴェトの社会生活そのものから、日本人の利己心について考えはじめたのであろうと思います。私はその葉書の返事に――直接書いたわけではありませんが――人間というものは、日本人が民族性として利己主義であるのではなくて、自分を護って生きるために、まず自己ということを万事につけて先に考えなければならないような社会の仕くみだから、どうしても利己主義になるので、日本民族そのものが、劣等な、利己心の強いものであるというわけではないということ、それは社会の事情によって変化をするということを返事をしたわけです。
 私がソヴェトにいた期間、私は全然政治的な関係はもっておりませんでしたし、外交官でも、新聞記者でもありませんでした。ただ一人の小説を書く女として暮しておりましたから、パンもバターも特別な便利で買えるような条件はありませんでしたし、いろいろな食物にも本当に困りました。特権がありませんでした。普通のソヴェト市民よりもっと能力がない、労働組合にも属していないものですから。だから沢山の不便をして過ごしましたけれども、それでもなおソヴェトの生活が私の一生に大きな影響を与えたのは、いまその人がソヴェトへ捕虜になって行って暮してみて、何故日本人というものは利己心がこんなに強いのであろう、という疑問をもちはじめたのと同じモメントが、反対の側から与えられたからだと思うのです。

 憲法や民法が改正されたについて、この頃はよく家族の問題が出ます。婦人にとっての家族問題――私、女でございますから大変直接なのですが――結婚の問題、親子の関係は、いろいろ複雑な問題を起します。例えば夏目漱石の小説ですが、その主人公は、インテリゲンチアですが、本当の親でない親をもった青年が、いろいろな苦しみの中にもだえているし、「行人」のように自分を愛するのか愛さないのかわからない、ちっとも積極的な感情表現をしない妻をもったインテリゲンチアの男の苦痛、そういうものを沢山扱っております。ところが、ソヴェトへ参りまして、いろいろ見ているうちに大変驚いたのは、家族というものが日本で考えられているような、とじこめられた屋根の下にうごめいている家族で全然ないということです。もっともっとひろく社会の中に押出されている、一人一人が社会に役だつ勤労者であるということから、社会そのものによって保証された条件をもって集っている集団としての家族です。そのことで非常に驚いたのです。私がロシア語を習っていた或る奥さんが、私のうちへいらっしゃいというので参りましたら、大きな息子さんがある、その大きな息子さんと旦那さんとがお茶を飲んで話をしていると、息子さんはお父さんをお父さんとは呼ばない、そのお父さんを、たとえばミハイロ・ミハイロヴィッチという父称で呼んで、そして話しているのです。不思議に思っていたら、お父さんはそれに気がついて、不思議に思っておられるらしいが、これは私の息子ではない、私の妻の息子です、そういうのです。面白いでしょう、実にはっきりしています。私たちは二度目の結婚ですから、私の結婚するときにはもうこの子供は生れていたのだというのです。前の人は革命前の軍人であって、何か将官だった人だそうです。つまりその人と離婚したとき、女の子供と男の子供がいたので、子供たちをどっちで育てるか協議したわけですが、男の子は僕はお母さんと暮したいといい、女の子は私はお父さんと暮したいといったので、別れた夫の方へ娘が行って、お母さんの方へ息子がついて来たのだと説明してくれました。そういうことは、今まで日本の社会にもございますし、これからもあるでしょうけれども、その場合日本では形式にはめて、お父さんと呼ばせ、お母さんと呼ばせるのです。一緒に別れて行った女の子にとっても、お父さんが二度目の結婚をしていれば二度目のお母さんがあるはずです、けれども、その娘は男の子と同じようにお母さんとは呼ばないで、アンナ・ミハイロヴナならアンナ・ミハイロヴナと呼んでいるのでしょう。つまり、その人たちは親子の関係についてずっと楽で、自然に考えているのです。母親というよびかた、実の親子らしさに無理に追いこまれないんです。お互に若い娘と年とった女の人という関係で一軒の家に住んでいるのです。その父と息子を見ておりますと、冗談をいいあう、大きな犬の仔と小さい犬の仔みたいにふざけている、可愛いいんです。非常に気持が楽なのです。
 この光景から、私は漱石の小説を思い出したし、また、沢山の世界の継母、継子のお伽話を思い出したのです。私どもが子供のうちからきいているいろいろなお話の中の継母、継子の話というものは、世界共通のいつもいつも真先に涙を絞らせたテーマです。本当のお母さんがいないために、本当のお母さんが死んだあとに来た人が、自分の娘可愛さに、もとのお母さんが生んだ子供をいじめるという話、皆さんにも御記憶があるでしょう。今日だってそういうテーマのものがあるかも知れません。世界中のお伽話のつくりては、継母と継子、つまり母親を失った子供とあとから来た母親のそういう悲劇を種にしているわけです。私どもの自然な感情は家族の中で無理な形にきめられて、亡くなった母を恋しく思う子供の心に一緒になってやらないで、他人だった人を急に次の日から母親として愛さなければならないという無理な義務を押しつけて、素直な人なつこささえ歪めてしまうのです。ちょうど、それは嫌な結婚の対手についても、婦人の独立がまもられていないから、友達に逢えば年中ぐちをこぼしながら、ちゃんと人格をみとめ合った離婚も出来ないのと同じです。本当よ、それは。私どもの感情というものは型にはめられて、非常に家族の形をやかましくいって、世間態が悪いということを申します。家庭の感情が社会的になっていないのに、生みもしない子供を自分の子供のとおりに可愛がれというところに無理が生じます。家庭の形式をやかましく言いながら、その家庭の中で感情は自然さを失わされるのです。
 わたしたちは、自分の家族を本当に安全に守って行くためにはどういうことを現在やっているでしょう。或るかたは、何とかして子供にちゃんとして将来役にたつ教育をさせて行きたいと貯金をされたと思います。金持なら金がありあまっておりましょうから無理じゃないのですが、われわれが貯金をすれば何処かに無理が来ます。食物で無理をしているとか、本を買うことを止めてしまうとか、義理を欠いているとか、人に親切をしなくなってしまっているとか。何処かで人間らしいあったかい人づきあいを欠いて、やっとこさと金を溜めて、どうやら家を建てるより子供の教育だ、立派な子孫を残すために、小さい碌でもない財産を置くより子供の体にかけようと熱心に貯金していたら、それがどうでしょう、このごろは金の値打は百分の一になってしまったのです。人間らしい義理まで欠いて、つまり自分の人間らしさとひきかえにしてまで溜めたような金が大して役に立たない。食物もなくなって、百五十円のお米を毎日毎日三合ずつ子供に炊いて食べさせられやしないでしょう。どんなに善意をもっていたって、私ども一人一人の力では、もう到底家族を安全に守って行かれません。ところが、ソヴェトの家族の場合は、父親が工場へ行ったり勤め人だったら、労働組合に属している、それから息子も勤めているから労働組合に属している、娘も勤めて組合に属している、三人とも組合に属している。その上教育中の息子と娘とは有給の専門教育をうけられます。これらのひとびとは国民健康保険、養老年金、傷害保険、その他一年、二ヵ月の休暇や、いろいろな条件をもっています。お母さんが病気をしたり姙娠した場合は、働いている人の妻であり、勤労者の妻である、組合員の妻であるということで、組合から地区の病院、産院、或は健康相談所でもって癒して貰える、姙娠すればちゃんと四ヵ月手当がついて休暇も貰える、娘が結婚すればそれだけの条件もつき、社会的にそういう保護をされているから、安心して働くことが出来、よく働くことが、とりも直さず社会的な安全と幸福の保障になります。ここに、人民の民主主義社会の意味があります。若し日本の労働組合の力が強くなり、社会の勤労が直接働く人のためのものとなれば、みんなが組合に属して働いている人であるから、社会全体としてそれを保護するということになれば、個人個人が、自分の人間らしさとひきかえに、冷血になったり、利己的になったりしないでやってゆける条件が出来ます。そういう社会なら、すべての人は勤労することが出来、すべての人は教育をうけることが出来るという日本の憲法も、現実のものとなります。ですから、私たちは自分たちの人間らしい心のためにも、今日の社会を出来るだけそういう方向にもって行くことが、非常に大事であると思うのです。

 人間の本能という問題について、田辺元さんその他の人々の間には、こういう考えがあります。人間の本能は不変であるから、社会制度が、たとえどんなに理想的に変ったって、人間が人間である以上は変らないというのです。生存競争の慾望、所有慾、そういうものがある以上、社会制度が変っても人間は変らないとおっしゃる。ここのところを、私たちは本当に考えてみたいと思うのです。本当に人間に本能があるからには、どうしようもなくて、変れないものでしょうか。ギリシャ神話の時代から、人類が考えるという最初の努力をしはじめたときから、追求しつづけて来たのは幸福に生きたいということだったと思います。この動機の上に、これだけ人類の歴史は長いながい間を経て、よりよい生活方法の発見に努力をして来たし、発達を遂げて来ております。人間のより快よく生きようという努力は、じつに驚歎に価します。このように生きる本能、自分らの生活を幸福にして行きたいという本能はたしかに強烈です。
 けれども、それならば、そういうつよい、幸福に生きたいと思う本能が、どういう形で、私たちの生活にあらわれて来るでしょう。幸福に生きたいという本能が原始的にあらわれて、私は私の気に入った着物を皆さんから剥いで来るでしょうか。決してそうじゃないのです。現代の私たちは、少くとも個人の幸福の安定はただその人々だけの問題ではなくて、より多くの社会的条件でもって支えられなければ成りたたないというところまでは経験ずみなのです。ですから、自分が金を持たなければ不安心であるという、ブルジョア的な、古い個人主義的な考え方では、幸福なんかどうにも支え切れなくなって来ているのです。日本のいまのような社会事情では、金にしても十分の一、百分の一、千分の一と価値が減って来るでしょう。そういうときに、幸福は金銭の量によると金ばかり溜めて行く人は、果してそれで目的が達せられましょうか。どんどん価値が減って行くのを目の前に見ている。私ども働いて得た金によって生活しているものはちがいますが、金を積んで見ている人にとっては、ずるずる金の価値が下って行くことは決して幸福じゃないのです。その人はどういう風になるかといえば、どしどし金の値打が下るから、ますます人には頼れない、ますますたよりになるのは自分だけと、一層エゴイスティックな気持の中にちぢこまる、と同時に、金の方はいつかマイナスになってしまって、のこるのは不具にこりかたまった守銭奴的人間性だけということになります。

 生存本能、その慾望は変化してあらわれます。音楽でいえば、人間が幸福に生きたいという本能は一つの主題です。この主題は現実の社会のいろいろな条件と絡み合って変化してあらわれております。幸福の内容も、現代では非常に豊富ですから幸福になってゆく道も単純でありません。人間はまず腹一杯食べたいというなら、それはどう食べるかということを考えるところまで、現代の歴史は進んで来ています。人のものを掻払って食べるか、身を売って食うか、人をだまして食べるか。或は人間には全くそういう風でない、人間には生きる権利があるということを、社会的に具体化して、それで全人民が食べられるような社会の仕くみにしてゆこうと考えるか。何でもいい、自分さえたべられればいい、それでは、犬や猫に劣ります。犬や猫には、社会的感覚の自覚がないんですから。
 所有慾が、人間の動かし難い本能と考える人もあるけれども、それでさえ、生きてゆく社会の事情で変るんです。現実に変るんです。何故所有慾がつよいかといえば、自分がそれを持っていなければそれを使うことが出来ないからです。風呂桶一つについての私たちの感情でもよくわかります、昔の人たちは自分の家に風呂桶ぐらい一つもっていなくては生活でないと思った。今日わたしたちは、自分の家に風呂桶がなければならないとは思っていないと思います。それより、こんなにわるい銭湯の状態が、もっともっとよくなることを切望しています。自分のものでなくても、自分はじめみんなが衛生的に気もちよくつかえる銭湯をもちたいと、どんな方でもおっしゃると思います。ある区会議員の選挙演説では、当区内の浴場をぜひよく致しますといわれました。こういう選挙演説がアッピールするのは、みんなの要求がそこにあるということの明瞭なしるしです。風呂について、わたしたちの感情は所有慾から利用の慾望に発展して来ているのです。この講堂を、ここに来ていられる方の誰が所有したいと思っているでしょう。いい病院がほしいということ、いい図書館がほしい、いい託児所がほしい、というわたしたちの希望は、それを自分の所有として、私有の財産として登記したい心もちとはちがいます。社会のもの、みんなのものとして、そういうものがあればよい。現在金もちだけの便利におかれている社会条件を、そういう便利のものにしたい、と思っているわけです。
 ですから、さっきの親子の関係でもわかるように、家庭というものが本当に社会的保障の上につくられるものとなり、銘々が社会人として独立した社会的な保護をうけ、そういう人たちが愛情によって集ったグループが家庭ならば、今までのわれわれの家庭においてのお互の負担、感情的な辛いいきさつ、財産争いのゴタゴタ、そういうものはよほど変化するのです。人間の銘々が幸福に生きようとする本能はある程度社会的に充たされて行きます。生活と対人関係はより人間らしくなってゆく可能がふえます。慾張りでなくっても食べて行けるし、薄情にならなくたって、老後の安心は守られます。そういう条件を、自分たちの生活の中にどういう風に発見して、実現してゆくかということについて熱心に研究し、実行する。そのことが生存本能の現代史の中でのあらわれです。

 革命はいろいろな形で行われます。いま日本にはブルジョア民主革命が平和のうちに行われようとしていますが、それと同時に勤労者の、人民の民主革命も進行しています。ソヴェトでは数十年にわたる革命を今までに経て来ました。しかし、そういう風に革命の歴史がつみ重ねられても、ただ社会制度が変ったというだけであるならば、人間の真のよろこびはどこにあるでしょう。制度が変るきりなら、役所の官制が変ったのと大してちがいません。そうじゃなく、社会制度が本当に変ったときには、生活のやり方が変って、私ども人間も心の組み立て、その表現、あり方が変って来るからこそ、よい社会の制度の上では私どもの幸福がまして来るのです。ただ口先で、いろいろなことをいって、社会主義だとか、民主主義だとか、しまいにはキリストまで引張り出して恵みを乞う、そういうおかしな、すり変えられた民主主義は真平御免だと思うのです。私どもはロシアの勤労階級の人々と同じ二十世紀の世界歴史の中に生きて来たのです、けれども、われわれの今まで生きて来た生き方は勿論のこと、民主主義の時代だという今でも、なかなか本当の民主主義になっておりません。憲法が変ったって、いきなり、すべての人が教育をうけることは出来ないのです。例えば女の人口のうち、あれだけ多くを占める繊維工業の若い十四五から二十歳までの勤労女性の生活はどうでしょう。倉敷には有名な大原コレクションがありますが、この倉敷で文化講演会があっても、総同盟あたりが締めつけにしている工場では、工場というところは働くためのところです、とポスター一つはせらず、講演会へ娘たちを出してよこしません。すべての人は教育をうけることが出来るという憲法の言葉は、決してまだ実現されておりません。それは実現されなければならないことを、実現させる方法を見出すべきであることを知らないのです。そういう風に文字の上の進歩を、現実社会の進歩として実現すべきであることを知って、実現して行くように努力することが、人間の良心に立つ行動であることを理解すること。これが一つの人間革命であり、人間発展としての民主主義確立の意味であるとおもいます。
 同時に、人間の生活は、ある期間は食べるばっかり食べ、次のある期間には絶対食べることはしないで、別のことをするなんて、変なことが出来るものでありません。よく働いて、よく休んで、人間らしい文化の生活も営み、教育もうけるというのが人間の生活であり、勤労者人民はそれをどんなに希望しているかは、世界最初のメーデーのスローガンにもあらわれました。二十四時間を、八時間働いて、八時間休養して、八時間教育をうけるということは、アメリカの労働者が世界第一回のメーデーで要求したことです。私どもの文化活動とか、社会的な働きをしている者の人間発達は、綜合的にされるべきものです。すべての今日の現実、すべての今日の問題をひっくるめて、明日の可能性をその中から発見し、それを実現するように実行しながらすすんでゆくものです。
 たとえば、人間性の発展としてあらわれる才能というものについてみても、現在の社会では、才能が多くの場合、偶然によって発見されて来ています。ソヴェトの各工場にはみな文化サークルがあって、シーモノフなども工場のサークルから送られた作家です。舞踊でも、オペラでも、文学でも、あらゆることが、文化サークルの中にあって、そこで、この人たちの好きな、やりたいことをやっているうちに才能が成長し、発見され、みんなが助け合って地区の文化サークルのコンクールに当選する、さらに地方のコンクールに当選して、そういう人ならば、とアカデミーまで勉強にゆく可能が出来る。個人的な、一人でも競争者をけおとさなければならない、アナーキスティックな競争心は必要ない条件があります。本当によい労働者、そして本当にいい歌い手であれば、あの男の歌ならみんなが聴いて喜ぶ、あの人をわれらの歌い手にしようじゃないかと、だんだん上のコンクールへ出したり、勉強させて、アカデミーまで送り出すのです。こういう可能が、社会条件のうちにあれば、才能というものは、ほんとに皆の宝で、自分だけの立身のタネでないことがわかり、そのことで芸術も高められる条件が加わります。
 私ども人間の感情表現が、そういう風にして現実に生活の条件によって変るということをはっきり理解すれば、今日ソヴェト生活についてのいろいろなお話は、私たちが現に生きている今日の日本の社会をどう変えた方がいいか、どう変える可能性があるかについても、実にどっさりの教えるところがあるわけです。
 新聞を見ると、暴力団狩りが始まっております。まずこの食糧の問題、労働賃金問題、インフレ問題は、一朝一夕に、てっとりばやい効果が示せないから、出来ることから早くやって、誰の目にも悪いとしか見えないところに掣肘を加えておくのは、賢明でしょう。闇の大親分が捕まった、料理店がしめられた、それらはたしかに社会不安の幾分をへらします。しかし、新聞では一千万人の失業が見こされていて、その見出しには、失業保険による生活安定の見透し確立と書いてあるとき、私たちの心は果して安定を感じるでしょうか。闇の親分といい、犯罪的行為といい、それは非道な戦争の強行と、その後の社会生活の破綻が、根本の原因です。人口の大部分を占めている勤労者の生活の不安が解決されないまま、その結果にあらわれた誰の目にも悪いものを掃除したとしても、根本矛盾がそのままでは、また、たちまち悲劇は反復です。きょうの往来を歩くと、到るところ「スリが狙ってる!」と立て札があります。あれをみて戦争中、「スパイ御用心!」と到るところに貼られていたポスターを思い出さない人があるでしょうか。そして、あの悲しいポスターと、この歎かわしいポスターとが、本質において、一つものだということを感じない人があるでしょうか。それを一つとして感じる能力こそ、社会的な文化性にほかなりません。

 ソヴェトの話が日本の話になってしまいましたが、ソヴェト社会について、何故日本の私たちが語る価値があるかといえば、ソヴェトは自分たちの意思で、自分達の幸福を守り得るような社会を作って来たからです。自分たちの目の前にあることをどう見るか、そして、どういう風に発展させて行くか、われわれの未来を人類的な形で昂めて、新しい民主的社会に近づけて行く可能性の問題が、ソヴェト社会の一歩進んだ民主主義の方法と経験のうちに示されているからです。私たちがより明るく、よりもののわかった人間性を発揮して行くには、それを可能とするように社会的条件をつくり出して行くことに、非常に熱心で、正直でなければならないと思います。自分自身をペテンにかけたり、人をペテンにかけたり、あきらめたり、言訳をしたり、しようがないと思ったりしては、ならないと思うのです。
 日本人は、よくしようがないといいます。ロシアでも昔のロシア人はニチェヴォといって、何でも、しようがない、というような言葉であらわすような気風とみられておりました。そのロシア人は、自分たちの運命の主人になったのです。しようがないという人たちが、ロシア人民全部であったらば、どうしてあれだけの大事業が出来たでしょう。
 中国の謝冰瑩という、連合国の代表で来ておった人が、上海へ帰りまして、「日本の人は立派です。忍耐強くて立派ですが、日本の人はお魚をあまり食べすぎるらしい、魚は口をききません、口をきかない魚をあまり食べ過ぎるから、日本の人はあまり口をきかない」といっております。そこには、鋭い私どもに対する批評があるわけです。文学的にいっておりますけれども……。
 日本人は正しい場合に利くべきように、口をきくべきものだということを理解させられていなかったものだから、自分たちの生活や運命についてさえも、結局人のいうまかせだったのです。そしてこんなにこわされたのです。私たちは私たちの明日のつくりてであろうと欲します。
〔一九四七年六月〕

底本:「宮本百合子全集 第十六巻」新日本出版社
   1980(昭和55)年6月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十二巻」河出書房
   1952(昭和27)年1月発行
初出:講演「ソヴェト文化の夕」の講演速記
   1947(昭和22)年6月29日
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月14日作成
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