日本の「国宝」はあわれな歴史をもっている。明治維新の混沌期にもしフェノロサがいなかったら、当時の日本政府は価値のある過去の美術作品を外国美術館でしか見ることの出来ないものにしてしまっただろう。よそから教えられた日本美術の価値におどろいて、「国宝」をこしらえたのはいいが、「国宝」という封印だけがかたくされて日々の実際に適切な国家的な保護をうけていない「国宝」たちのきょうの運命こそ危機にある。「国宝」をもっていると財産税がかかり、贈りものにすれば贈与税、売れば譲渡税。その負担にたまらなくなった美術ボスたちがあれこれ細工をしているうちに、いつかは国外に消えてゆく率も多くなる。わたしたち人民は、自分たちの文化財として「国宝」をもっているのではない実状を自覚すべきである。一旦「国宝」にしたら、もう官僚機構の腐敗のままに薄情きわまる扱いをして恥も知らないやりかたは、何と「赤紙一枚」を思わせるだろう。きょうの辛さに喘いでいる数十万の未亡人、孤児、戦傷者たちは、かつてはすべて護国の宝であったのだ。法隆寺の例にむきだされた行政官僚の文化に対する無責任は、二月二十一日の読売にのった高瀬荘太郎文相の私立学校つけとどけ木戸御免説となって再現している。本来は人民の文化の富であるはずのものが、おかしな方法で処置される例は、この間アメリカへわたった湯川秀樹博士の純粋の銅塊というものにも見られる。湯川博士のその土産は世界の学者をおどろかしたというのであれば、純粋銅というものは科学的に珍しいものにちがいない。けれども博士は、日本にそういうものがつくられたら、それをアメリカへ土産にもってゆく、とはひとこともいわなかった。こっそり運び出された。そして、あっちで学者がほめた、というようなニュースとして、わたしたち日本の人民に逆輸出されてくる。これがおかしくないことだといえるだろうか。
万葉集の立派な写本は宮内府図書寮とかにあってお歌所の長である佐佐木信綱博士しか見られないものだったそうだ。マチスやユトリロの名画は、日ごろは特定の個人に秘蔵されていて、盗まれ横領にあった騒ぎではじめてわれわれ人民の耳目にふれて来る。旧所有者たる貴族、華族の経済的崩壊にともなって「国宝」の人民的保管の必要は焦眉の急である。美術的国宝を社寺とひきはなすことも緊急である。
〔一九四九年三月〕