認識という言葉は今日では、殆んど完全に日常語となっている。元来日本の哲学用語は、大部分欧米語からの直訳であり、そうでなければ支那語又は支那語訳のサンスクリットからの借用である。後者は歴史的に時間が経っているだけに日本語として、相当熟してはいるが、併しそれが日常語となっているものは、甚だしく滑稽な用途に制限されて了っているとも見られる。例えば往生とか成仏とかである。そしてそれが本格的な意味で使われる時は、何等かの宗派的な礼式としてしか通用しないので、全く通常性を欠いているのだ。だからそういう言葉を日常生活に用いようとなると、実質に於て一種の外国語にしか過ぎない場合の方が多い。日本古来のからぶりばかりではない、おくにぶりの言葉までも、今日日常語として使えばセクト的な印象しか与えない。お歌所的和歌の歌詞が吾々の生活の言葉と全く無関係であるような類である。
 幸いに認識という言葉は、殆んど完全に日常語となっている。日本の正義について、日本人及び外国人はもっと認識を持たねばならぬ、などと云われている。或る演説会で、ファッショ学生らしいのが「認識せよ!」と叫ぶのを聞いたこともある。単に認識せよでは、どう考えても滑稽であるが、認識という言葉が日常的に使われた揚句、いつの間にか或る特別な内容の認識のことを意味するようになり、かくて却って、世間にはそのままでは通用しないような宗派的用語とさえなっていることを、吾々は注意しなければならぬ。これは日常的に通用しないことの結果ではなくて、悪く日常的に通用しすぎた結果だ。
 だがこの言葉を宗派的に空疎な約束の下で使っているのは、決して社会の俗物ばかりではない。哲学者も亦、この言葉を必要以上の狭い約束の下に、ただの用語上の便宜として、用いていないとは云われない。カントは知識と認識とを区別した。新カント派の哲学者は之に倣って、ベカント(認知された)とエルカント(認識された)とを区別する。なる程この二つは同じことではない。知っていることと、識っていることとが違うように、二つは違う。だがベカントなものはエルカントなものになるのでなければ、本当ではない。と云うのはベカントにならねばならなかったその当初の目的が徹底しない。するとこの二つをただ区別しただけでは困る。二つを一貫して説明出来なくては困る。つまり二つを統一して把握する言葉がなくては困る。ではなぜ、この二つを統一して把握する言葉を「認識」と呼ばずに、ワザワザその片一方だけを認識と呼ぶのだろうか。
 ドイツ語やその他の外国語の場合は、今の場合直接の関心にはならぬ。認識という日本漢語について云えば、認識をそういう風に狭く、学術上の術語のように用いることは、決して哲学的な知恵とは考えられない。哲学という学術に於ては、そういう超世間的で超常識的な用語を以てしては、決して科学的になれないのである。哲学上の用語は、云わば時代の良識に基かなくてはならぬ。哲学に於ては、実際生活に基くニュアンスを全く取り除いて、形式的な定義だけで押して行くような、ああした一種の数学論に見られるような形式主義や公理主義は、それ自身虚偽にぞくする。哲学上の用語は、時代の用語を、最もよく洗練し、深め、且つ機動性を持たせるものではなくてはならぬ。こういう意味に於て、私は、凡ゆる常識的用語を、「広範な意味に於て」理解することが、哲学の任務の一つだと考える。いや、之こそ抑々認識論なるものの実地の第一歩でもあるのだと云いたい。常識語は現象の表面を匍匐するか、偶然な内容を固執する。ジャーナリズムと云えば、悪くすると雑文を書いて金をかせぐ主義だと常識は思っている。勿論少し考えて見ると、ジャーナリズムは何かそういう人間態度としての主義のことではなくて、一つの社会現象のことだ。ジャーナリズムは又一種の常識によると、商品としての言論のことだと考えられているが、之は資本主義的な現象の内を匍匐するからであって、決してそれの歴史的認識ではない、と云ったような具合にである。
 認識という言葉も亦、吾々は、当然哲学的に用いなければならぬ。と云うのは、哲学宗派の専門家気取りの術語としてではなく、生きた民衆の言葉として用いるのであるが、併し之を或る一種の良識と洞察との下に、洗練深化することによって、もっと自由な広範なものにまで高めて使わねばならぬと云うのである。民衆の便宜的な常識が、事実上の習慣として、そんな使い方をしていなくても、構わないのである。そういう使い方を示すことによって、民衆が模糊として持っている観念感情がハッキリして来て、なる程そうだと思い当るようであればいいのだ。ヘーゲルが刻苦して選定した一つ一つのカテゴリーは、皆こういう性質を持っていた。カントが元来又そうだった。それを宗派的なサンスクリットにしたものは、末流者の徒である。尤もE・フッセルルの現象学的術語は、その学術上の便宜性に於て価値のある一例であるが、そのままでは哲学の準備のための用語を出ないのであって、哲学自身の用語としては常識への翻訳を必要とする。私は彼の「第一哲学」という観念をこういう風に準備哲学のことと見做している。そうでなければスコラ的な学術僧院用語に堕する他ない。
 さて認識は普通、哲学学術的常識では、科学的認識のことを指すようになっている。単なる知覚、単なる経験さえも、まだ認識ではない。科学的体系を意味する時初めて、認識の名に値いする、という考え方は珍しくない。尤もここにはすでに可なり厄介な問題がひそんでいる。認識というからには真実を真実と認識し、虚偽を虚偽として認識する、という真理価値の肯定が想定されている。そうでないものは認識でない、ということも併せ考えられているわけだ。併しそれならば、独りこの「認識」に限らず、知覚であろうと経験であろうと、真実を受け取り真実を体験するか否か、というケジメを含んでいなければならなかった筈である。だから認識というものを他のものから狭く区別しているのは、やはり、夫が科学的体系に立つ知識であるかどうかであるに相違ない。
 だが科学的体系をなすものでなければ認識でないというのは、その哲学史的な伝統関係は別として(カントは或る特別な理由からそういう区別をやったのだが)、とに角大して意味のある制限ではない。なぜ知覚や経験や、又一定の構想さえが、認識であってはならないか。認識ということがつまり「知る」ということである、と云って、なぜいけないのだろうか。見る考える判る、其の他其の他の知るということを、日本の国の名前のように、又軍隊や官庁の用語のように、二字の漢字に直せば、即ち認識ではないのか。
 だからH・コーエンのように、「純粋認識」という特別な観念にでも立たない限り、認識を特に科学的体系、従って又科学的方法、へ必然的に結びついたものと決める必要はどこにもないのである。後に見るように、なる程、体系ということも方法ということも、又科学的ということも、認識の必然的な内容なのだが、併し之は何も、認識なるものが、科学の体系や科学の方法によって限定されねばならぬということにはならぬ。それ故、H・リッケルトのように、主観と対象との関係を一般に認識と見ようとする形式的な観点の方が、まだしも無害なのであって、何によらず認識主観と認識対象があれば、つまり認識は存するわけなのだ。
 私が特にコーエンとリッケルトとを持ち出したのは、今日ブルジョア観念論に於て「認識論」というものの意義を高からしめたものが、他ならぬこの人達の新カント派であるからだ。彼等の手によって、特にリッケルト等の手によって、認識論というものは「形而上学」と区別された哲学の新しい領域とされた。ばかりではない、今後の哲学の唯一の領域はこの認識論だということにさえされたからである。勿論新カントは決して今日の代表的な哲学学派であるとは云えない。一つの小さな現象に過ぎぬと云ってもいいかも知れない。だが、この論理主義が現代人の哲学意識の内の、相当健全な一面を、偶然にも云い表わしているという点を、見逃してはならぬ。吾々も亦、他の意味と系統とから云って、今後の哲学の要点は、認識論の他にはないと考える。哲学は或る意味に於ける論理学だと考える。その考え方と、表面上、言葉の上で、偶然にも一致するのだが、これをただの偶然としてばかり見送ることは出来ない。と云うのは、近代精神が科学的認識の発達と認識が科学へ発達することとにあるという認識に於て、とに角誤っていないからなのだ。わが国に於てこの種のブルジョア観念論の「認識論」が、自然科学や社会科学・歴史科学・に於ける科学論として、相当に研究室内外で実際上の成績を挙げることが出来たのも、亦決して偶然な一時現象に止まるものではあるまい。
 このブルジョア観念論による認識論の、認識についての分析が、どういう欠陥を有っているかは、今一つ一つ見るまでもないことで、つまりブルジョア観念論の一般的な欠陥を認識という根本問題に於て特殊化しているに過ぎないと云ってもいいが、今ここで必要な一つの点だけを指摘するなら他でもない、認識という観念が、極めて常識的に狭く制限されているということだ。この点コーエンに就ては既に触れた。彼は認識(純粋認識)をば意志(純粋意志)感情(純粋感情)から区別する。認識はつまり理論的なものに限られるわけだ。なる程之は一応当り前のことのようだ。だがこういう意味に於ける「認識」であっても、意志を含まない認識などはどこにもない。或いは意志の形を取らぬ認識というものは一つもない。一つの経済学上の論文を取って見てもよい。資本主義の永遠を宣言するものと没落を結論するものとの対立は、学術上の理論の対立であるにも拘らず、主義主張の対立と現に世間では見ている。それだけではない、自然科学上の論文も、一つの結論を導き出す意志なしには、論文にならないのである。意志は「認識」の結論なのだ。意識された結論なのだ。「真理への意志」という考え方も現に行なわれている。
 又感情が「認識」の無意識な結論であることは、万人が経験する処だ。そして所謂「認識」が感情を媒介とするということも、清算し切ることの出来ない事実である。「認識」が感情を伴うとか、感情が「認識」を伴うとか云うだけではなく、感情が論理を有つことによって一定の「認識」を造り上げるのである(私はこの点を「感情の論理」として取り扱ったことがある)。
 要するに所謂「認識」を意志や感情から区別して放置することは、認識を理論や何かに限定することだが、これは知情意というような心理学上の便宜主義の区別と、同時に能力心理学の伝説を借用することなのであって、勿論批判に耐え得るものではないのだが、意外にこの点になると、この「批判的」な認識論は無批判なのである。リッケルト等のバーデン学派の認識論も、根本に於て変りはない。
 尤もバーデン学派の形式的な「認識」の観念には、或る一つの特徴、或いは寧ろ一つの動揺があるのである。ヴィンデルバントは「真理への意志」という観点を導いて来ている。意志は決してニーチェと共に権力へばかり向かうものではなくて、真理へも向かうものだというわけだ。で真理はそういう意志の対象である。肯定せんと欲する対象である。価値なのだ。価値というからには価値感情の客体であらざるを得ない。すれば真理は意志感情の目標になるわけだが、処が之が「認識」の対象だという。つまり「認識」は情意と、この場合相蔽われていることが主張されているのだ。だが、にも拘らず、リッケルト達は価値の体系というようなものを考える。真理価値と道徳的価値と美的価値、それに宗教的価値、などの区別に特別な興味を示している。特にヴィンデルバントの場合は有名だろう(彼の宗教的価値である「聖なるもの」は多くの共鳴者を有っている。ハルナックの「ダス・ヌミノーゼ」の如き。又平泉澄氏の如きは之を利用して日本を中世化し、よって以て宗教化し聖化しようと企てている)。こうなるとやはり、認識はそれが如何に情意的な性質を有っているにしても、結局芸術や道徳的判断行為とは全く別な、理論的なものに制限されるわけだ。
 認識が理論的なものに限る、又科学的なものに限る、ということは、甚だ当り前のようでもある。もしこういう認識を以て、つまり理論的か科学的かである認識を以て、情意的なもの芸術的・道徳的・等々・のものを蔽うならば、それは貧弱な形の合理主義であり、ひからびた主知主義であり、野暮ったい科学主義であると云われる。その通りである。もし認識がそういう理論的・科学的(つまり科学にのみ関係する処の)なものにだけ限られた用語でなければならぬとすれば、だ。処が逆に私は、認識なるものそのものを、理論や科学ばかりでなく、芸術的創作と享受にも、道徳的意識と行動にも、通用させようと云うのである。科学的認識ばかりでなく、芸術的認識、道徳的認識、という言葉は、非常に尤もに通用すると共に、新鮮で的確な意味内容を持っていないだろうか。
 芸術的認識という言葉、つまり芸術も亦一般に、認識(広範な意義に於ける認識)である、ということを云い表わす言葉は、今日常識の一部となっているとも見られる。例えば文芸が認識と呼ばれている事実は、なぜ間違っているだろうか。詩人は優れた認識の所有者であるに相違なかろう。道徳的行為が認識だというのは牽強付会だと云うかも知れぬ。だが認識は実行と離れて理解されないということも、今日では知る人は知っている。認識を単に観念だと思うのは、プラグマティストさえも承知しない処だ。例えば倉田百三氏(之は肉体の病的省察を通して政治的反動家となった人物であるが)の旧著『愛と認識との出発』は、この場合の参考として、或る程度の意義を認めていいもののようだ。ただこの倫理は云わば肉体的倫理であって、まだ何等の社会的認識ではなかった。社会的認識のない処に、本当に道徳などはあり得ない。もし仮に世間に道徳という言葉で云い表わし得る実質があったとしてもだ。芸術も亦、元来そうあるべきものだ。――社会的認識について、それが単純な意味で科学だけのものであるとか、簡単に理論的なものに制限すべきだとするのは、全くのナンセンスであろう。認識は現にこのようにして広範な用途と共に、実在している観念なのだ。

 で、広範な意味に於ける認識は、決して理論的認識に限らず、又科学的認識に限らない。まして科学的理論体系の認識には限らない、ということの意味が、略々明らかになったかと思う。
 だが私がそう云う意味は、この認識なるものが理論というを有った、科学、又科学的理論体系、認識には限らぬ、ということであって、認識が何等かの意味で、非理論であっていいとか、非科学であっていいとか云うのではない。又それが非体系であっていいということにもならぬ。科学認識という意味に於ける科学認識でないものと雖も、依然として科学的認識でなければならぬ、ということを忘れてはならないのだ。一切の認識はこの意味では「科学的」でなければならないのである。文学は勿論決して科学ではない、にも拘らず文学的認識は科学的でなければならぬ。
 科学的精神ということが最近盛んに議論されている。之はうっかりすると、科学精神という風に理解され易い、つまり科学研究の際に於ける精神とか、科学者の専門的な精神とかいうものと理解され易い。勿論之は科学研究の精神でもあり、科学者の精神でもなければならぬ。だがそれだけならば科学精神ではあっても、まだ科学精神ではない。今日云われているものは単に科学だけの精神のことではなくて、文学・芸術・道徳・其の他を一貫して、広く文化の精神としての科学的精神のことなのだ。認識が独り科学認識に止まらぬにも拘らず、而も科学でなければならぬというのは、それが科学的精神によって貫かれていなければならぬということだ、と云っていいだろう。
 科学的精神については後に触れよう。科学以外のものが、なお且つ如何にして科学的であり得るか、例えば文芸が科学的であるとか、道徳が科学的でなくてはならぬとかは、どうやって考えられるか、については、夫々の場所に於て関説したいと思う。だが少なくとも、近代科学(自然科学のみならず社会科学と各種の精神科学と呼ばれるものをも含めて)が近代文化全般に対して有っている決定的影響を、歴史的に一覧して見れば、ことの是非は極めて明らかだ。今日の文化は、その一つ一つの分枝が夫々の独自性を有っているにも拘らず、つまり文学は文学・道徳は道徳・映画は映画・で夫々の独自の原則を有っているにも拘らず、近代科学との或る一定の連帯関係と共軛関係とを有たずには、全くの文化的ナンセンスに終らざるを得ない。この認識を自覚しないものは、何等の文化人でもあり得ない位いだ。
 処で科学的精神というものを媒介として考えれば、広範な意味に於ける認識なるものが、科学の認識や何かに限定されないにも拘らず、なお且つ科学的認識でなければならぬ点を了解するのに、少なくとも一応の便宜があっただろう。それはさておき、一切の認識が科学的であるべきだとすれば、一切の認識は理論と無関係ではあり得ない。ただ認識は理論という形を取ることもあれば、エッセイの形を取ることもある。ばかりではない、道徳的判断や行為という形を取っても現われるし、文芸作品の各様式となっても現われる。文芸が思想の表現と見られる以上、文芸の夫々のジャンルは又、云わば認識の夫々のジャンルでもあるわけだ。だがこういう様々の形態やジャンルに於ける認識も、理論という形の下に於ける認識と決して無関係ではない筈だ。もし本当に之が無関係ならば、小説や詩について批評家はなぜ評論の筆を起こすことが出来るのだろう。評論は文芸についての理論形態を持った認識表現だが、理論と元来無関係な、いや元来原則的に理論との間に潜在関係を有っていないような文芸作品が、間違っても評論の対象になり得る筈はない。この点は充分注目しなければなるまい。
 認識が科学的でなければならぬと云って、夫が必ずしも理論的形態を取らねばならぬということにはならぬ。と共に、だからと云って理論的な認識と無縁なものであっていい、ということには決してならない。他の理論を無視してよい認識などはあり得ないのだ。認識に於ける体系というものに就いても似たことを云うことが出来る。科学は自覚された理論的体系である。理論として自覚しているだけではなく、体系として自覚しているものである。だが凡ての認識が理論でないのは勿論、体系として自覚してもいないし、またしなければならぬとも云い切れない。物語り作品には筋というものはあっても体系というものはあり得ない。まして理論的体系をやである。
 だがそれにも拘らず、一切の認識は体系乃至理論体系と無縁であることは出来ない。なぜなら、理論は常に体系的であったからだ。――併しそれだけではない。体系は認識に於て或る不可欠な性能でもあるのである。体系というと、出来上った図式か布置のようなものを普通考えたがる。だが之は体系の終結状態であって、体系の動きではない。体系とは実を云うと体系づけ、組織して行く過程、なのである。所謂体系は之に便宜上、どこか断面を造って見た体系の模型にすぎない。こういう模型としての体系は、必ずしも一切の認識の属性ではない。科学的理論はその認識の体系性を充分自覚しているあまり、外見上この模型的な静止体系をもつように思われるのだが、之とても事実はそうではない。まして体系というものを表面に押し出さない本性をもつ場合の(科学以外の)認識では、そういう模型的体系などは却って認識の不充分さをしか意味しない。併しだからと云って、思想を組織し、考察を推進させ、観察を整理して行く処の、或る意識的乃至無意識的なメカニズムがなくては、認識とも思想とも云われない。この意味に於て、認識は常に体系的なものだ。体系を示さなくても体系的なのだ。――考えて見れば、科学的精神の属性の一つはこの体系性にあっただろう。ただこの体系性を理論という形で表わした所謂「体系」と考えると、科学的精神を単に科学だけのものと考える考え方に、帰着することになる。
 認識の有つ体系なるものは、認識という生きた動きのメカニズムなのであり、プロセスなのだから、体系と云っても方法と云っても構わない。ヘーゲルは方法を嗤い、ジェームズはヘーゲルの体系を嗤っているが、例えばH・コーエンなどに於ては、方法と体系とは交互作用に立つ観念とされている。コーエンは科学的認識を認識の唯一の領域と考えるマンネリズムに立っていたのだったが、その限界内では、この点についての認識というものの性質を、よく見抜いていたようだ。
 だが私は、認識は科学的でなければならぬとか、体系的(つまり方法的)でなければならぬとか、そういう主観的な側面からばかり認識なるものを説明して済ませることは出来ない。なる程認識は意識の内の、又意識を通じての、出来ごとである。又認識の主観的内容(E・フッセルルが「対象」から区別した「内容」のような意味での内容)は、たしかに観念である(之をドイツの哲学では表象と呼んでいる)。いずれも広義の認識を論じる広義の認識論にとっては重大課題だ(私は之を後に逐章論じて行こう)。だがそういうものも要するにただの意識やただの観念・表象・ではなくて、或る夫々の一定意識・一定観念・であり、つまり特に認識という名に値いするという資格をとった意識や観念である限り(つまり又、認識である限りだ)、之は何かの客観的なものの認識なのである。認識とはそういう対客観的な本性を有たずには無意味である。
 F・ブレンターノは意識というものが凡てそういう客観乃至対象を指向する本性のものであることを明らかにし、同時に表象の機能の分析に着手した。之は心理がなぜ論理的な作用を営み得るかという、認識論上の根本問題に解決の鍵を与えることになったが、今、ただの意識やただの表象ではなくて、体系的な科学的「認識」としての意識や観念であっても、この対象・客観・への指向性という主観の「客観化」的機能には、勿論変りがない。
 この機能を主観的側面から見れば、指向性とか何とかいうのであるが、対象や客観が意識や表象を超越して彼岸にあるというフッセルル(之はブレンターノの後継者である)風の「現象学」が徹底しても、この指向性が客観の側から自発的に生じるという結論にはならぬようだ。なぜなら、もし之が本当に自発的なら、指向性によって初めて対象や客観が創造されるという処まで行かなければ、徹底しないだろうからだ。ブレンターノ=フッセルルの哲学的心理学は、そのスコラ的観念論にも拘らず、そういう宇宙創造説には行かないのだから、結局、この指向性という意識の機能は、客観との関係に於て、模写説に帰すると批評されているわけである。
 吾々も亦、一種の模写説を仮定しよう。模写説についての論証はその機会に譲ろうと思うから、ここでは仮説としておいてよい。だが吾々の仮説はもっと組織的な詳細なものだ。そこではただの指向作用が問題ではない、なぜ指向作用が生じねばならぬかが、問題だ。そこで初めて問題は、ただの意識や観念の問題を越えて、正に認識の問題になるのである。と云うのは、認識はただの認識ではなくて、正に真理真実の認識であるからだ。
 で認識は少なくとも真理=真実という客観的な側面から、理解を進めて行かれねばならぬ。認識を仮に主観的な作用であると考えても、認識は真理という客観関係を対象としなければならぬ。処が認識は、普通この言葉が使われている通り、単に主観の作用ではなくて、認識のもつ出来上った内容である。作用でなくて内容だと云っても、まだ主観的だと考えられるかも知れないが、夫は現象学的意識分析の狭い視野に立って物を云うからであって、之を社会的角度に於て見れば、認識内容は一つの客観的「対象」なのだ。――して見ると、認識と真理、少なくとも認識内容と客観的真理、とは合致しなければならぬ。認識は常に真理でなくてはならぬ。真理という名詞と一つであるばかりでなく、真理という形容詞と一つでなくてはならぬ。認識は真でなくてはならぬ、ということになる。
 真理は却って主観的なものではないか、という揚足取りは問題にならぬ。単に内部的内面的なものはヘーゲルも云っているようにケチなものに過ぎぬ。内面的なものに価値があるのは、それが初めて公平無私な去私則天的な客観性を有っているからなのだ。尤も真理は必ずしも客観物ではない、単に客観性を有つにすぎぬ。だが客観物そのものとの関係を離れて、どこに客観性の根源を求め得よう。そうでない限り主観相互間の便宜的な約束乃至習慣(D・ヒューム)かそれとも先天的な約束(カント)にでも持って行く他はあるまい。
 だが真理については後章にゆずるとして、認識は真であり又真理の認識でなければならぬと云ったが、之は認識の例の体系的本性を離れて考えられてはならぬ。認識は真理の獲得であり開拓であり実現であるわけで、そのプロセスが体系でもあり方法でもある。吾々は認識をそういう人間の生涯の経験を一貫するスケールに於て、ばかりでなく人類の歴史的経験を一貫するスケールに於て、理解しなければならぬ。真理の獲得・開拓・実現・のためには、認識は人間の全生活を以て機能しなければならぬ。もしそう云っていいなら、認識は極めてヒューマニスティックなものなのだ(F・C・S・シラーの「ヒューマニズム」という言葉もあるから)。それは人間の社会的活動に直接し又連関する。人々はこの関係を「認識に於ける実践の役割」と云っている。
 かくして初めて、認識内容=真理内容の社会に於ける歴史的蓄積である処の、諸文化というものが理解出来る。認識とは文化のメカニズムのことに他ならなかったのだ。文化はその文飾的な又政治支配的な要素を別とすれば、真理の社会に於ける歴史的形態のようなものだ。科学も亦、初めて、そういう認識・真理・文化・の一つの場合に他ならぬ(尤もそう云ったからと云って、科学の真理の他に宗教の真理もあるのだ、などという多くの文化的俗物に口実を与える心算ではないが)。
 真理=真実が独り科学の専有物に限らぬことを、改めて述べておく必要はない。文学的真理・芸術的真理・其の他其の他のものを考えねばならぬ。ただ、一方に於て真理であったものが他方に於ては虚偽となるとか、一方に於て許されない嘘も他方に於ては真実だとか、そういう文化的アナーキズムは許されない。と云うのは、科学に於ける真理は例えば如何に宗教の名を以てしても虚偽に変えることは出来ないのである。この点詳しい分析を必要とするが、とに角今必要なのは、認識というものの文化全般を貫いての統一ということなのだ。そしてこの統一のためにこそ、科学的精神というようなものも重大だったのである。なぜと云うに、科学的精神こそは、文化をその現実的母胎である社会の生産機構と媒介する技術的精神だろうからである。
 だが今まで特に注目して来たのは、認識に於ける云わば思想的な側面であった。処が認識には云わば風俗的な側面もあったことを忘れてはならない。認識に於ける風俗の役割を注目するのでなければ、実は充分に広範に認識に於ける思想的側面さえ理解することが出来ないだろう。認識と風俗との関係を見逃して、認識を専ら単なる思想との関係に於てだけ見ようとするのは、認識を科学に於ける理論的認識に制限するマンネリズムと五十歩百歩の処にあるもので、認識の社会的実在性を把握するに欠ける処があるだろう。
 思想と風俗との関係、之は最近文芸評論などで重大問題化して来ているが、この関係は風俗を認識の問題として捉えるのに、恰好であるように見える。風俗は認識論上の問題とされる時、初めて本当に文化上の意義をみずから知ることが出来るのだ。そうしないと、風俗は文化の大きな要因であると見做されながら、なぜそれがそうなのか、どうしても判らないだろうと思う。風俗と思想・風俗と文化・を結びつけるものは、認識という観念だ。
 文学的認識に於ける風俗の役割は、よく注目されている。だが風俗小説などと呼んで片づけられる場合には、風俗はつまり文学的認識の内容として重んじられていない時である。だが実は風俗こそ社会に於ける思想の最も端的な表現だという事実を考えて見ただけでも、こういう片づけ方が間違いであることがわかる。映画を見るがいい。映画の芸術的な新しさと将来性とは、全く風俗のカメラによる描写に根ざしている。なぜ又映画が風俗がうってつけの宿命であるかと云えば、カメラの実写的機能が、社会描写に向かって発揮されると、夫が風俗描写になるからなのだ。演劇・舞踊・なども亦、風俗を抜きにしては、何物をも観衆に訴え得ない筈だ。之に気づかない鑑賞者は、強いてこの風俗的なものを思想的なものへ撓曲どうきょくして解釈することによって、初めて文化的認識へ押し込もうとする、甚だ不正直な評論家と云わざるを得ない。
 風俗は最後に、大体娯楽的なものだ。そして多くの芸術が娯楽という側面を持っているということ、或いは或る意味ではそういうものを持たねばならぬものだ、ということを思うなら、芸術的認識と娯楽との関係に思いをめぐらすことは自然な態度だ。娯楽は認識の一環なのである。感覚が認識の一端であるのに、なぜその感覚と感性とをめぐるだろう娯楽というものが、認識と全く別な世界の出来ごとで、真実を探求することとは無関係な、人生のただの時間潰しでなければならないのか。

 さて認識というものは、このような広範な意味に理解さるべきであり、又このような組織的な連関の下に、一見無縁な他の多くの人生の要素とからみ合わせて、観念されることを必要とする。なぜであるか。文化というものを統一的に理解するには、是非ともそうなければならぬからである。かくて広義の認識論こそ初めて、哲学・文化理論・の全般を代表する資格を有つのである。論理学や弁証法も亦、具体的には之に準じてその自由と社会的実在性とを拡大しなければならぬ。もし之を強いて方法論と呼ぶなら(方法論主義は知らぬが)、それもよいかも知れない。
 私は、「認識」について、夫々の要点をめぐって、多少具体的に考察を試みよう。
[#改段]

 認識というものは普通の現象と違った処を持っている。認識の現象は勿論一つの人間的事実であるが、少なくとも正しい認識と正しくない認識とが、区別されている。そして正しい認識こそが認識であって、正しくない認識は認識でありながら本当は認識ではない、とされる。処で認識は正しくあるべきものだが、事実上常に正しいとは云えない。或いは認識はいつも正しいと考えられている、主観的にはいつも正しい認識しかないかも知れない。だが客観的にはそれが必ずしも正しいということにはならぬ。
 こんなことは誰でもが嫌程知っていることなのだが、併しここにすでに、認識についての主観と客観との関係、つまり意識と意識外との関係という根本問題が織り込まれている。意識的には正しい認識の心算が、意識主観を離れて見ると、意外にも正しくないかも知れぬということは、認識というものの計り知るべからざる謎を提出する。――だがそれだけではない。人間はいつも正直であるとは限らない。或る必要があって不正直になるということも計算に入れなくては、認識の正しい正しくないを切実に検討することは出来ぬ。意識主観の知恵が足りないばかりが、不正な認識の原因ではない。知恵の有り過ぎることが却って不正な認識の源泉ともなる。人間が意識的に嘘をつくとしたら、認識の正不正は一体どんなに複雑な問題になるか知れない。更に、本当に嘘をつく心算でなくても、半ば意識的に嘘をつくという状態も亦、不健康な精神とばかり云うことが出来ない。すると問題は益々複雑となって来る。――かくて主観と客観との問題にからんで、認識に於ける真理=真実と虚偽との関係が、意外に錯雑した難問となって来る。
 真理と虚偽との関係或いは寧ろ連関は、元来極めて弁証法的なものだ。どういう内容が真理で、どういう内容が虚偽かというようなことを、機械的な尺度で決めて了うことは決して出来ない。それに、大きな虚偽や誤謬は通過しなければ、真理の奥行きは却って判らない、とも考えられる。真理はただの肯定ではなくて、真理の否定の否定なのだ。肯定が否定によって媒介されて初めて本当の肯定となるということが、真理の一般的な本性なのである。でこう考えて来ると、真理というものは真理と虚偽との或る何等かの活きた連関そのものの内にあると云った方が、当っているだろう。虚偽から絶対的に純粋な現実的真理などはないのである。――処で、認識とはこういう「真理」の認識以外の何物でもなかったのだ。
 意識の問題は後にしよう。今真理なるものに就いて、その一般的な性質を検討しなければならぬ。但し私は今、必ずしも真理を語ろうとするのではない、真理という観念が何であるかを述べるのである。認識論の仕事は、或る一定の真理を提唱することではなくて、まず真理の観念を検討することであり、次によって以て真理を発見する道を開拓することになるのだから。
 真理と虚偽(乃至誤謬)との例の弁証法的な連関は、之を不用意に見ると、真理に関する相対主義を結果する。所謂懐疑説と呼ばれるものが夫だ。尤も懐疑説にも色々の動機と又色々の段階とが存する。プロタゴラスは云わば消極的な懐疑論者であったと云っていいかも知れない。人は万物の尺度だという主張は、そのままではまだ必ずしも、懐疑主義ではなくて、単に真理のもつ人間的弱点かそれとも又人間的な長所を指摘するに止まるかも知れない。だが彼はプラトンなどが紹介する処によると、何と云っても相対主義者であったらしい。何等かの客観的真理というものを可能だと信じていたとは考えられない。併しそれにも拘らず、彼はなおソクラテスを説得しようと企てる。同じソフィストのソクラテスの尺度よりも自分の尺度の方が優っていることを主張しようとする(対話篇『プロタゴラス』)。だから、彼は相対主義者である限り懐疑論者であったが、併し人と議論をする興味を失い得なかった限り、懐疑論者としては消極的であったわけだ。多くの懐疑論者はこのタイプにぞくする。
 積極的な懐疑主義はピュロンの夫である。彼によると、知覚や思惟は全く相対的なものなので、それは人間を不安にする以外のことは出来ない。人間の精神的安定は、判断の中止による他ないと主張するのである。ピュロン(と他にセクストゥス・エムピリクス)は、もはやソフィストではなくて賢者である。彼は議論をしようとは欲しない。すでに論証がたった一遍済んだ以上はである。彼は判断的な認識による真理の獲得を否定する。では何等の真理もないのかというと、不動心というモラルが絶対的な目標なのだ。だからこの徹底的なピュロン主義と雖も、絶対無条件な懐疑主義ではない。単に真理という観念を一般の習慣から移動させているに過ぎない。
 以上の古典的スケプティズムに較べれば、ヒュームの所謂懐疑論なるものは、云わば傍から押しつけたレッテルのようなものに過ぎない。因果律のような一見先天的で普遍的に見える原則も、実は人間の経験に基き、習慣によるものでしかない、と主張することは、因果律という法則に対する懐疑というよりも、単にこの観念の多少実際的な省察を試みたということでしかない。真理の名に値いするものは全くあり得ないと主張するピュロニズムとは凡そ縁遠いと見ねばなるまい。恐らくヒュームの提出した問題は、この経験的なものがどういう過程で真理の認識を齎し得るのか、ということであったろう。認識は経験と共に始まるが、経験によってなり立つのではないと答えたカントは、果してヒュームの設題へ答えたものであるかどうか、疑問ではなかったろうか。
 この近代的な所謂懐疑論は、マッハ主義やプラグマティズムがそうであるように、実は懐疑論に数えるべきではあるまい。定型としてのスケプティズムは古典的な懐疑論者に限定されるべきであって、一つの歴史的なカテゴリーと見ねばならぬようだ。処でこの典型的な懐疑論も、普通考えられるような真理の絶対否定ではあり得ないことを、先に見た。懐疑論の徹底は一つの真理を提唱しようという動機から発生する。中途半端な懐疑論こそ、その意味では却って本格的な懐疑論かも知れない。すると、つまり中途半端な相対論即ち絶対的な相対論ではなくて、相対的な相対論こそが、それだということになるだろう。併し、相対的相対主義は、相対主義の絶対化の制限のことであり、ディアレクティクのことに他ならない。真理と虚偽とのこのディアレクティクを、誤って相対主義という形で理解したことが、懐疑論を救いがたい自己嫌悪に陥らせたのであった。
 古典的懐疑論の行なわれたギリシア社会に於ては、すべて或る古典的な真理の観念が想定されていた。真理は alet※(アキュートアクセント付きE小文字) と呼ばれた。蔽われたものの暴露、匿された背後にあるものが前景の現象にまで齎されること、それが真理である。真理は明るくして見られるものであり(イデア)、姿の判然とした形のあるもの(エイドス)である。そういう風に所謂彫塑的に表象される現わなものなのである。そういう真理は美しくたのしく又為めになり良いものでなくてはならぬ。之は真理のギリシア的観念だと云われている。
 M・ハイデッガーはこのアレテーという言葉の文献学的分析を通して、特に夫の現象学的な側面を強調する。だが少なくとも真理のこの観念に就いては、現象学とそりの合わないものが気になるのを禁じ得ない。現象学はどういう形のものにせよ(ラムベルト=カント=ヘーゲル=フッセルル=ハイデッガーを通じて)、問題を主観と客観との切り結んだ面にのみ限定するものだ。或いは寧ろ、そういう或る面を見出すことによって、主観と客観との対立などという問題を不用にしようというわけである。もし何等か超越的なものを口にするなら、それは正に、この面を超越しているという資格によってのみ、口にされる権利があるに過ぎない。一種の内在主義を脱し切れるものではない。処がアレテー=真理はそれがイデアのものでありエイドスのものである限り、超絶した或るものにぞくするのでなければならなかった。近代的用語で云えば、客観的な対象のものなのである。だから認識が真理を見出す(discover = aletein)ことは、要するにこの客観的な超越的なイデアを、分有し、よって以て之を模倣することの他なかったわけだ。つまり真理はそれをイデアと見る限り、分有され模倣されるべき或る彼岸のものである。之が略々プラトンの真理の観念ではなかったかと、私は考える。
 するとこの真理=アレテー説は、要するに真理模倣説であった、という点を注目することが必要だ。真理は模倣されるものである、又は少し言葉使いを変えれば、イデアの模倣が真理であり真実の認識である、ということになる。この意味に於て吾々の感性に訴える自然界とその認識とがプラトンによるとイデアの模倣となり、芸術がこの模倣の模倣ともなることも、意味のあることであろう。典型的なイデア主義者であり、イデアリストである彼が、真理の理想化は行なっても、決して真理の主観化というような近代的意向を持たなかったのは、当り前であるが、ただ彼が理想主義者であり観念論者であった所以は、真理を具象的に認識する段になればなる程、真理の真理性が高まる代りに、原型から益々遠ざかる一方だと考えざるを得なかった処に、横たわっている。模倣即ち模写は、永久に原型からの乖離であるという、現実に対する理想主義的絶望(之はユートピア主義の論理的構造の常である)があるのである。
 現代のブルジョア観念論哲学の認識論は、大抵、模写説の批判を以て始まると云ってもいいだろう。模写説乃至素朴実在論は、素朴であり、常識的であり、没批判的で独断的だから、誤っている、というのが常である。なぜ之が最も素朴であり常識的であり得たのかという説明には、責任を負わなくていいかのような態度である。素朴で常識的であるのは、或いは却ってそれが最も原型的で基本的であるからかも知れないではないか。
 それはさておき、所謂素朴実在論なるものは、吾々の現に認識している通りが実在の姿だとする子供らしい仮定だと説明されている。つまり模写説によると、模写の原型と映像とが、完全に同じであるか又は等しいのだ、と説明されている。これは誠に立派なそして珍しい模写である。模写がそのまま原型に同等だというような模写は、よほど驚くべきほど理想的な模写でなくてはならず、つまりそれだと原型と映像とは取りかえっこをしても構わない程だから、この実在論はそのまま例えばバークリのような独我論と取りかえっこをしても差し閊えがないということになる。実に不思議な実在論であり模写説である。
 だが一体そういう完璧模写説は、誰が一体歴史上唱えたのか。誰もそんな模写説を採用しているものはない。そういうものを考え出したのは、他ならぬブルジョア観念論的認識論者自身であったのだ(主に新カント主義者である。カント自身はそんなものを仮想敵とはしなかった。彼は世間の人々が、現象を通して物そのものを認識出来ると思っていることを、批難しようとしただけだ)。
 近世に於ける真理観念は歴史上の事業としては、明白説として現われている。明白説は一般に客観的な物自身の方向に真理の根拠を求めようとする模写説に対して、正反対の方向へ向いている。真理は観念か意識か、そういう主観そのものの内に根柢を見出す。近世哲学の大きな課題の一つである自我の問題と、明白説との関係は、デカルトに於て最も明白だろう。彼によれば観念が明晰で判明であること、即ち判断が確実で疑うべからざること、それが真理の特徴だ。そして他方疑うべからざる真理はさし当り、「自分が意識している」(我考う)という事実だという。「自分が意識することが即ち自分がいることだ」(我考う故に我在り)、という事実だという。自我の実在・自覚・自意識・の事実こそ、真理の典型であり、真実の根柢だ。みずから問うて見てどうしてもそうとしか思えないという処に、その明々白々たる疑うべからざる自証に、自明さに、真理があるという。恐らく良心というものはそういうものであろう。尤も時とすると良心は決して明晰判明な意識でないことがある。混沌に蓋をするものでさえある。だからデカルトは寧ろ数学的判断の方を選んだのだが。
 明白説は、模写説に劣らず、常識的に普及している。私はなぜ人々がこの明白説の常識性と素朴性とをまっ先に喚き立てないのか、理由が判らない。真理は直観的に判定出来るとする一切の直観説・神秘説(その内にはスコットランド常識学派もケンブリッジ・プラトニストやシャフツベリ卿も含まれる)は、最も常識的にアッピールする力を持っていると共に、正に常識というものの自己信念はこの明白説をいつも仮定しているのだ。どうしてもそうしか考えられないから(多分何かの影響で)、どうしてもそうだ、というのが、常識の唯一の論拠だ。
 明白説は、明白にこうだと感じたその瞬間の感情情緒を論拠にするのだから、その明白感の由来などを検討する気にならないのは当然である。かくて明白な観念や判断は、永久の公理のように明白なものである。言葉を変えれば、先天的に明白なものである。生れながら具備していた生具観念にぞくするものでなければならぬ。この生具観念的合理主義は、J・ロックによって、認識の経験論的検討の前に一たまりもなかったことは、当然という他ない。ただロックの認識論(之が所謂「認識論」の始まりだとブルジョア認識論者は云っている)は、生具観念を単に否定しただけで、生具観念が有ったように見える「生具性」そのものの尊重に於ては失敗して了った(この関係は後に触れよう)。
 だがデカルトの明白説は、より現実的な合理主義者であったライプニツによっても、批判されざるを得なかった。近世の合理主義者の内、最も異色ある雄大な思想家であるライプニツは、デカルトのように真理から神を導かずに、神から真理を導いた。可能界(形式論理や数学の世界)は神の知性によって考えられたものである。そこでは事物はそうでしかあり得なかったのだ。事物は必然だったのだ。でそこには必然的な永久の真理が行なわれる。強いて云えば之は「明白」な真理にぞくする。之に反して、現実界(歴史的な現実のこの世界)は、多くの可能の世界から、神が善き意志によって最上の世界として選択した唯一の世界なのである。もし神の恩寵を問題としなければ、この世界は別に今のこの世界でなくてもよかった。だからここでは偶然が支配する。だが偶然は決してただの偶然ではない。それを充足する根拠がなくてはならぬ。ここに事実の真理がある、とライプニツは云う。勿論「事実真理」は、決してデカルト風に明白であり得ない。
 パスカルはもう一層皮肉である。彼は幾何学的精神繊細なる精神とを区別して、デカルト風の明白説の不明白な点を、おのずから暴露している。明晰判明なものが、明白だというが、併し、こういう明白性は一体良心や何かの明白さと同じだろうか。良心や何かも明白感情以外の拠り処を見出すことは出来ない。だがそれは却って明晰でも判明でもない或るデリケートな内容のものだ。これは繊細な精神にぞくする。デカルト的明白説は、繊細な明白説ではあり得ない。そればかりではない。デカルトの明晰判明という要求は幾何学自身に於ても方法上全く不可能なのだ。一切の名辞を終局的に定義することは出来ないからで、最後には既知と見做される自明な併し必ずしも明晰判明でない或る名辞に手頼る他ないからだ、とパスカルは云っている(パスカルはポル・ロアイヤルの論理学の代表者である)。で明晰判明なものが幾何学的精神であるとは云えないのだ。――して見ると、デカルト風の明白判明説は、明白説自身によって邪魔でしかなかったわけだ。

 カントの批判主義が、大陸の合理主義とイギリスの経験主義との一種の結合としての認識論にその中心を有つことは広く知られている。それはカント自身も云っているように、観念論と実在論(云い直せば寧ろ唯物論)との一種の総合或いは寧ろ折衷であった。之に並行して真理の観念も亦、合理主義的・観念論的・な系統にぞくした明白説=先天主義と、経験論的・唯物論的・な系統にぞくする模写説との、結合によって与えられる。構成主義がそれだ。
 彼の感性論が説く限りに於ては、認識の材料は、客観的な物そのものから、主観へ感覚として与えられる。物自体が人間の心を触発することが感覚だという。空間と時間という二種の純粋直観は、直観形式として、この雑多な感覚材料へ形式と統一とを与える。之が知覚である。先験的分析論によれば、この知覚の多様は、更に悟性概念たる範疇によって高度の形式と統一とを与えられる。之がカントの所謂経験乃至認識となるのである。この認識の具体化のためには、更に図式なるものがあり、これによって感性と悟性との最後の結びつき方の様々の様式が決定される。
 さて真実な認識は、客観的な物そのものの性質を、与えられたままに反映することではなくて、却って主観にぞくする直観形式(之は感性にぞくする)、範疇(之は悟性にぞくする)、図式(之は感性と悟性とにぞくする)、などの規則乃至法則によって、主観が自発的に構成するものだ。この認識構成の原則は、経験と共に始まるにも拘らず、経験によって指導されるのではなくて、逆に経験を指導する。だから之は経験的なものではなくて、先天的なものである。だがそれだけではない、之は経験自身が成立するためには不可欠な条件なのである。だから之は単に先天的であるばかりでなく又先験的なものでなくてはならぬ。――かくて真理は、経験に即しながらなお且つ経験を指導しその条件となるという点に於て、先験的なものだ。
 認識のこの先験的構成性(カントは勿論認識の典型をニュートンの理論物理学――『自然哲学の数学的原理』――に求める)は、経験論と合理的先天説との総合をよく云い表わしている。つまり真理とは、認識が先験的構成の原則に忠実に従った時に、初めて生じるわけだが、認識構成原則は主観にぞくするにも拘らず、凡ての個人に共通の客観的なものであり、主観は自分自身の内に見出されるこの主観的国際性を有つ構成原則を使って、初めて認識に客観性を与えることが出来る。之が真理というものだ。認識の客観性、即ち真理は、客観そのものから来るのではなくて、主観が客観的に構成すること又はしたものから、来る。
 では一体この認識構成の原理は、カントによってどうやって発見されたか。カントのこの点に関する論証は、カント認識論の中核をなす処であるが、人間の認識意識の云わば現象学的分析(之をカントは例えば形而上学的吟味と呼んでいる)と、それに基く認識成立の条件の検討(先験的吟味と呼ばれる)とに、依存する。之は要するに意識の心理的及び論理的事実とも云うべきものに依存する。この依存は彼の理性批判のやり方それ自身の方法である。カントの理性批判の方法そのものが、理性であるか何であるか、という問題があるが、夫は恐らく、理性であるというよりも寧ろ、一種の明白感と云った方が適切ではないだろうか。
 もしそう云うことが許されるなら、この明白感によってカントが保証した諸範疇其の他の真理認識の構成規定は、全般の人間が認識するに際しては又、認識に明白感を与えることなしには働けないだろう。実際に吾々がカントの与えた構成規定を尊重して認識を獲得出来ると考えるのも、この明白感がそう考えさせるとする他ない。その限り、構成による認識の真理性・普遍通用性・は、明白感と裏表の関係に立っている。之は一種の明白説に立つ。丁度その先験性が一種の先天性であったように。
 処で他方、カントの構成主義は、模写説の無条件な排撃であるが、普通、新カント主義者達は、そう解釈しようとするが、併しそう決めて了うためには、物自体の観念を抹殺して了わなければならぬ。処が、カント自身は少しも物自体を考え得ないものとは云っていない。物自体はカント認識論の一つの生きた要素である。彼はただ、物自体が何であるか如何にあるかは認識出来ない、と主張するだけで、物自体がないなどとはどこでも云っていない。又ない物自体について、夫が感性に作用を及ぼすとか何とか説明する筈もないのである。ブルジョア観念論哲学によるカントの物自体の解釈は凡て失敗であったと云っても過言ではない。つまり、構成主義が無条件にリアリズム的模写説を排撃することは、どこかで失敗を喫するのだ。
 カント自身「対象X」なるものを持ち出して来る。之は真理性を有った認識の客観性に対応する或る何物かである。単なる客観性ではなくて、一種の客観たる対象なのだ。その対象は無いのではない、在る。だがそれが何であり如何にあるかが、Xなのである。こう見ると、夫と例の物自体と、一体どれだけの根本的な差があるだろうか。私は無理に二つのものが同じものを指すのだとは強弁しない。して出来なくもないと思うが、その反対のことも結論され得るかも知れぬと思う。つつきまわせばどんな結論でも出がちだというのが、こういう際の文献的解釈の実状だからだ。それにしても、客体的な物そのものと、対象Xとは、決して無縁なものであり得ないことは明らかだろう。して見ると、対象Xに対応する認識の客観性(真理)が、つまり物そのものに対応するということは、まんざら云えないことではない。とに角、少なくとも認識の客観性と、何等かの客観的なものとの対応関係が、カントによって求められているということは、間違いではあるまい。――認識の客観性は併し、なぜ客観に対応しなければならないか。なぜ主観だけによる合則的な構成だけではいけないのか。ここに模写という観念の最も根本的な権利の一端が現われているのだ。
 ただ構成主義の特色は、単なる模写としての模写という観念に信を置かず、認識を如何に構成したならば客観に対応する(即ち之を反映・模写・する?)客観性を得るか、という点に話題を集中したことにあるのだ、と見ることも出来るだろう。カントの客観性である認識の普遍性と必然性とは(之を普遍通用性と呼ぶ習慣になっているが)、必ずしも主観相互観の普遍通用性を意味するには止まらなかったと見る方が、同情ある見方なのだ。
 でこう見て来ると、カントによる真理の観念は、一種の明白説と一種の模写説との、総合であったと云うことが出来る。否総合というよりも、この際は寧ろ折衷と云った方がいいかも知れぬ。明白説の特色も模写説の特色も、極めて薄められているのが事実なのだから。
 カントの物自体の概念をめぐる模写説の問題は、新カント派の人達によって、全く別な姿の下に、取り上げられた。彼等によれば、模写説は絶対に排撃されねばならぬ。認識の客観性の物的基底であるような物そのものは、極めて独断的な想定だと見做される(なぜそんなものをカントが持ち出したか気が知れないと考える。――処がカントはもっと生きた常識と哲学問題の実際性を心得ていたからだが)。だがそれにも拘らず、認識の客観性の彼岸には、何かプラトン的な(つまり理想主義的観念論に因んだ)客観的なものを想定しないわけには行かない。そこで、之こそ真理自体だと考える。つまり真理は絶対的に客観的な論理的対象だ、と考える。物的対象ではなくて論理的対象を考えて、夫が真理というものだとする。そう考えるためには、カントを論理主義的に解釈しておかねばならぬ。もしも物自体を許すとすれば、夫はコーエンのように、何か論理的な限界概念ででもあるとする。
 真理を客観的対象化することは、判り切ったことに力こぶを入れることのように見えるが、カントを模写説から純化するためには、大いに必要な仕事なわけだ。之は模写説の代償としての十字架である。H・リッケルトからE・ラスクに来ると、この点は最も徹底した形を受け取る。真理はそれ自体に妥当する価値自体だ(物自体なら存在するのに)。認識主観は之を正しく認識したり正しくなく認識したりする。そこで一種の主観上の真理と虚偽との対立が生じる。だがそういう真理は先のそれ自体に妥当する絶対的な客観価値ではない、虚偽もそうだ。するとこの主観的虚偽に対応する客観的な虚偽、即ち否定的な真理価値が、客観的に非妥当性を持つことが必要になる。で折角の絶対的価値がマイナス価値に対立して、何か絶対的なものに相応わしからぬ事情を産む。真理の客観的対象化の悲劇かカリケチュアがここにある。そこで反真理に値いするということも一種の積極的な価値に数えて見る。つまり虚偽も一つの真理であるということにする。こうして真理の対立超越性即ち絶対性がわずかにつなぎ止められる。之がラスクの考え方だ。――だが否定されるに値いする処の反真理的な真理というようなものは、虚偽の詭弁的代用品にしか過ぎず、かくして得られた真理の絶対的客観性などは、弁証法的思考を知らぬ処から来るソフィステライに過ぎない(晩年のラスクは却って主観主義的なものへ傾いたと考えられている)。なお真理の客観的対象性の絶対化の例として、ボルツァーノの真理自体――この方は存在する――を思い出すことが出来る。
 ヘーゲルによると、カントの物自体の観念が困難なのは、ディアレクティックの欠如、機械論の誤謬から来る。批判主義の欠陥は一般にここに横たわる。機械論は周知の通り、事物を固定し抽象してしか認識し得ない。発展と具体性に於てこそ、事物の真実は、真理は、見出されるのであるのに、虚偽と真理との関係は、単なる対立でもなければ、又虚偽を無理に真理の仲間に押し込んで了うことでもない。真理と虚偽とは相互に相対的であり、真理は常に虚偽の克服の上に於てしか成り立たない。抽象的な直接所与的なものは、それに止まる限り真理ではない。それに含まれている一面しかが現われていないからだ。その全面が総合的に展開されて初めて事物は真理となる。真理とは一般に事物の十全な具体性の事だ。内容の充分な発達顕現こそ、真理の名に値いする。それによって初めて、事物の認識は普遍性を獲得する。――かくて真理は、従って虚偽と誤謬とも亦、思考や思想の現実的な過程に於て、捉えられる。カントの自然科学型の真理観念の代りに、歴史科学的な真理観念を典型に置いたヘーゲルであって見れば、真理の歴史的本性を解き得たことは当然であった。私は仮に、之を真理の具体普遍説と呼んでおこう。
 ヘーゲルの具体的普遍を悪むことW・ジェームズの右に出るものはいない。彼によるとヘーゲルこそ抽象的な概念と固定した体系との代表者だ。併し何と云っても之はヘーゲルに対する不当な批難と云う他ない。仮にヘーゲルが概念の発展を以て世界を叙述したにしても、その概念は形式的な観念としての、生命のない所謂概念のことではない。概念を離れて具体ということを求めることは出来ない。又仮にヘーゲルの体系が或る終末を有つ固定したものであったにせよ、その内部に於ける溌剌たる運動性と過程とを見逃すことは許されない。そして又、ヘーゲルによる概念の自己発展や終局的な「体系」さえも、必ずしも彼の全部を代表するものではなくて、偶々その不本意な制限を云い表わす短所であるとも見ることが出来る(ヘーゲルの自己発展や体系は彼の見ようと欲した現実のディアレクティックと彼が取ろうと欲した方法そのものとを裏切るものであった)。だがそれにも拘らず、ジェームズのこの見当違いは、無意味ではなかったと私は考える。
 と云うのは、ヘーゲル風の具体普遍説によると、認識の主観と認識対象との関係というものが、直接問題にならずに終って了うことに、気がつくだろう。模写説や明白説がそこをめぐって発生した処の、その問題の要点と思われる処が、的を外される。処がジェームズのプラグマティズムは、恰もこの点について、最も勇敢な批判をやろうというのだから、ヘーゲルの真理の観念が間抜けて見えたのも、無理ではないのだ。
 プラグマティズムは、普通実用主義と訳される処から、卑近な誤解を招き易い。何でも実用にさえなれば真理であるという説であるかのようにも考えられ易い。だがここで実用というのは実行ということである。では何の実行かと云うと、結局思考を実行することなのである。或いは思考を道具として使うことによる生活の実行である。生活全般の内に生きている思考はそういう仕方によって初めて生活へのサーヴィスの役割を有っているものだ、という主張である。思考を生活の都合のいいように左右にせよというのではなくて、生活の一環としての思考はそういう役割を有っているという事実に注目せよというのであり、その事実に基いて、思想の道具としての機能を認識論的に純化せよというのだ。――少なくとも思考を実施するに役立たないものは、真理でないことは明らかではないか。と共に、いきなりあれこれの生活利害にばかり都合のいい考え方は、考え方として役に立たないということも考えて見なくてはならぬ。パースは、新しい真理を発見し知識を求める方法、仕事を進めるためのプログラム、がプラグマティズムだと云う。ジェームズは、凡ゆる室に通じる廊下に之を譬えている。ジェームズによれば、真理とは「吾々の経験の一部分から他の部分へ吾々をば成功的につれて行って呉れる凡ゆる観念だ」と述べている。「吾々の経験」が問題であって、必ずしも「吾々の利害」ではない。
 ではプラグマティズムは例の主観対客観の問題に対して、どういう態度を取るか。之は明白説も認めなければ模写説も認めない。主観にとって明白なものも、客観の反映ということも、真理とは関係がない。真理の基準は経験の整理の能率にあるのであって、客観とは無関係に、主観相互間の関係に於て決定される他はない。而もそれは明白感という様な懐手によっては決定されないので、飽く迄それで以てやって見るという事で決まるのである。
 プラグマティズムが、従来の明白説や模写説、それから批判主義や具体普遍説にさえつきものであった処の、観照的な真理観念に挑戦して、真理の実践的な機能を強調したことは、近代ブルジョアの観念らしい卓見であるが、その著しいブルジョア的観念が同時に、この実践という機能を全く個人主観的にしか、そして精々個人相互間的にしか理解し得なかった。つまり諸主観を超越する客観的なものへの実践的な食い入りと、客観的なるものに対する合理的信頼とを、有ち得ない処に、この真理説のブルジョア社会に於てさえの不信用が存するのだ。――だからマッハ主義の思惟経済説のような一種の懐疑的な相対主義や現象主義さえが、プラグマティズムと平行する同僚現象として生じているのである。前にふれたシラーの「ヒューマニズム」などは、之に較べればまだしも正常な精神の同僚であろう。――だから又、この種のプラグマティズムに対する反動として、最も素朴な、併し機械論的に精巧化した新リアリズムや新ラショナリズムさえが生じている。B・ラッセルやE・G・スポールディングなどの真理観念がそうで、そこでは実在と記号との間に組織的な一対一的対応(之は数理哲学的観念だが)なども仮定されざるを得なくなるのである。
[#改段]

 真理は素より或る意味で明白感を伴うものでなければならぬ。何等かの意味に於て明白でないものは、真実ではない。もし明白でないならば、吾々は之を信じ、之に手頼り、之に基いて言動することは出来ない。ただ明白という規定が何であるかによって、所謂明白説に満足出来るか出来ないかが別れる。すでに、明白な真理は必ずしも自明であるとは限らない。自明と云われているものの多くも、命題としては実は大いに疑わしいものであることが屡々だ。例えば常識や道徳的習俗は大抵自明感を伴うのが常だが、之ほど疑わしい感情はないのである。最後の自明性を有った命題、例えば平行線は交らないというような種類の自明命題も、厳密に云うと実は自明ではない。或る論理体系の習慣から見て自明だというにすぎない。で自明感は必ずしも明白感の凡てではない。
 自明感或いは一般の明白感の尤なるものは、所謂良心なのであった。それは前にも触れた。良心は往々最後の深奥の証人であるように考えられている。が、実際の関係から行けば、良心が(良識さえもだが)決して公正な証人でないことは、少し物を考えたことのある人は誰でも知っている。之は誠実や注意や心掛けなどと同じく、一種の口実とされることも出来る。而もそれが案外何等のやましさを伴わずにだ。良心を振りまわす者は却って良心の不足した人間と見た方が間違いがない。と云うことを云い直せば、明白感を振りまわして真理の証人と触れまわることは、実は少しも真理の保証にはならぬ、ということである。真理は常に明白である。だが自分が有つ明白感を根拠としては、真理であることを証明することは出来ない。
 にも拘らず、認識するということは、少なくとも明白に意識することである。この点について疑を容れる余地はないようだ。その意味で、真理明白説には、不易の真実があると云わねばならぬ。明白説に歴史上特定なあれこれの規定を※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)入しない限りはだ。――でこのように、各種の真理説をその歴史的な形態に制限することなしに一般的に解釈すれば、構成説も具体普遍説も道具説も(模写説は云うまでもなく)、夫々、真理の不可欠な規定であると云ってもいい。
 だが認識とは真理の認識だと云った。併し今真理というものが何かを考察しなければならないのだから、認識をもう少し別な側面から説明してかかることが便利だ。と云うのは、つまり認識は実在の認識であった、ことを思い出すべきなのだ。尤も、所謂実在だけが認識の対象には限らないと云われるかも知れない。だが他の認識の対象は、多かれ少なかれ実在に(夫が何であれ)準じて考えられていることを思い出さねばならない。認識の対象は、実在の代りに真理である、などと云うことは許されまい。まして認識の対象は実在ではなくて価値だという種類の云い方には詭弁が含まれている。なぜというに、では一体、真理の明白感の一つである現実感はどうして生じるのか、それ一つ説明出来ないではないか。認識は更に一般化して、何らかの客観の認識であるとも云われている。だがその客観が、ただの哲学的名辞ではなくて一定の現実内容をも意味する、実在自身であるかそれとも実在からのアナロジーである他ないのである。
 で実在=リアリティーの認識であることによって、認識は初めて真理となると考えねばならぬ。実在のリアリティーに準じた認識のリアリティーが、真理であり真実であるのだ。そういうリアリティーとしての真理であればこそ、明白で普遍的で具体的で有用でその客観的構成が可能でもあるのである。真理という言葉はリアリティーという言葉とおきかえてもいい。――併し実在それ自身を意味するリアリティーは、真理認識が有つリアリティーと勿論一つではない。実在のリアリティーに準じて、真理認識のリアリティーがあるわけだ。この二つのリアリティーの間には、一定の対応照応の関係がある。つまり実在と認識との間は、この二つのリアリティーの照応関係に他ならないのだ。――でこういうことになる、認識は実在を認識する、その際、実在たるリアリティーに対応照応するリアリティーが認識の内に再現するならば、そこに真理という関係が成立する。真理認識は実在のリアリティーの再現であると。
 この再現関係が反映とか模写とか呼ばれるものだ。だから、認識が外部の客観的実在の認識である限りは、認識ということは実在の再現であり反映であり模写である、ということにならざるを得ない。単に、認識という作用がそういう機能をも有っている、というのではない。認識が実在の認識である限りは、認識するということは、他ならぬ再現反映模写するということだ、というのである。認識する(知る・見る・認める・等々)とは、写す、ということに他ならない。――尤もフィヒテのように実在というものをまず何か内部的主観のものと考えねばならぬとするなら、模写という観念は、不可能ではないまでも、恐らく不用になるだろう。内部的なものが内部的に模写されるというのでは、あまり鮮かな譬喩にはならぬからである。模写というのは勿論原物が鏡に像を写すことからの譬喩の言葉だった。併し少なくとも実在を予め全く内部的なものと決めてかかることは、動きの取れない困難を結果する。全く内部的な実在が、なぜ外見的と見える実在を包含出来るのか。これは今までの一切の観念論哲学が、観念的にゴマ化して来た論点なのである(フィヒテの「障碍」、ヘーゲルの「自己疎外」など)。
 処で模写説を仮に、その何等かの歴史的形態から剥脱させて(実はそういうものは歴史上なかったのだ――弁証法的唯物論が登場するまでは)、之を一般化するなら、模写説は、他の同様に一般化された真理諸説(例えば一般化された明白説・其の他)に較べて、或る特別な資格を有っていることが、判る。と云うのは、模写説は、真理とは実在の模写だという主張であったが、その模写ということが、そのまま認識という言葉と交換出来るものであったので、つまりこの説は、真理とは実在の認識であるという自明の理を説くものに過ぎなくなるからである。認識するという言葉は模写するという言葉であるのだから、真理が認識の目的である限り、真理は模写であり実在の模写であるということに、おのずからなる他はない。之は云って見れば同語反覆的に自明な関係となる。――もう一遍云うが、模写は認識の何か特別な機能を指すのではない、認識ということ自身が、最も原型的な意味について云えば、模写するということなのだ。
 なぜか。第一、真理とは事物をありのままに認識することではないか。事物を認識するという以上は、事物そのものから、一旦離れるわけだが、一旦離れながら而もありのままであるということは、同じ又は等しい事物か何かがも一つ出現することでなくてはならぬ。このことが模写=写すと形容され譬喩される根本事実なのである。少しでも人工的な手心を加えては、この「ありのまま」の姿がデフォームされる。認識主観は明鏡止水でなくてはならぬと共に、凸凹していたり曲率があったりしてひねくれた歪曲したものであっては困る。こうしたことが、有態の真実を写すということであり、認識がだという関係の、一応の姿なのである。
 第二に又、抑々どういう権利で認識ということが可能か。一体事物が凡そ認識出来るということは、どうやって可能なのか。但し之に本当に答えることは誰にも出来ないことだ(この点については後の機会に触れよう)。それはそう仮定でもしない限り動きの取れなくなる、云わば不思議な事実なのである。事物は究極的には、何等の理由も原因もなしに、いきなり直接に、認識出来るものだ、とこの際吾々は仮定せざるを得ない。その限り、事物と認識された事物との間は、無媒介で透明でなくてはならぬ。もしそこに何等かの不透明な不純物が充満しているなら、事物は、さっき云ったようにありのままには認識は出来なかった筈だ。即ち事物と鏡との間は、空虚な空間でなくてはならぬ。それが写すということの意味だ。この写すという関係は、何かの因果関係や何かではない、そういう媒介があっては写すことではない。直接に二つのものの間に照応があるということこそ、模写だ。之が認識というものの独特な権利である。一応そう云っておいていい。
 さて模写ということは、以上のような言葉の要求を有っているのである。認識が後々如何なるものにせよ、それはとに角まず模写だと考えられる。つまり模写は、如何に模写説とは反対に構成物や其の他のものであっても、模写であることに変りはない。丁度人間が如何に非人間的であっても人間であるのと変らないのであって、本当に初めから人間でなかったら、誰も非人間だなどと説明する必要を認めないようなものだ。同様に、認識という作用そのものが模写ということだという想定に立たない限り、模写説の批判も、模写説外の真理諸説の説得も、実は不可能であるような、そういう根本規定が、模写だ。――かくて吾々は、模写説の真理説に於て占める特別な位置を知ることが出来るだろう。
 だが以上は、単に、真理という言葉の意味が、実在の模写ということだ、という点を説いたに過ぎない。それが実際にどうやって模写されるかという現実のプロセスになると、あの無条件的・直接的な・ありのままの・模写という言葉だけでは、処理は出来ない。実在を模写しなければならない、併し、では実在がそのまま与えられているかというと、決してそうではない。今から如何にして模写するかということと、すでに模写が出来たということとは、同じではない。模写認識を実際的に実行するには、知覚(普通は感覚と呼ばれるが之は今日の心理学では疑問にされている概念だ)乃至一般に感性を第一の媒介者とし、更に悟性によって指導されることを必要とする。カントが認識の構成と呼んだものがここに必要なのである。之は人間の自発的な実際活動に俟つ。実験・産業技術・政治活動・等々がこの活動の形の主な結節点である。こうした実践を媒介として初めて模写は実現される。模写の実現は、直接な・ありのままの・無条件な・反映どころではなく、限りない媒介の労作の過程であった。だから模写は、この際はもはや決して観照的なただの受動の鏡のようなものではない。そういう譬喩を踏み越えた関係だ。鏡の譬喩は、模写=認識の目標の標識に外ならなかったのだ。
 かくて模写=認識は云わば実践的な模写であるのだから、この際の真理観念をば、実践的模写説と呼んでもいいと思う。実践的模写の歴史上に於ける実例は、勿論弁証法的唯物論の真理観念に外ならない。

 実践的模写説は、他の殆んど凡ての真理諸説の根本困難を解決することが出来るだろう。今それを簡単に見よう。明白説が真理諸説の一般的根柢の一種となれることについては、すでに述べたから、改めて説く必要はない。模写も実は常に或る明白感を伴わざるを得ないのである。――さて批判主義=構成説に於ける根本的な困難は、事実問題と権利問題との絶縁によって起こる。認識構成の諸原則は経験と共に始まるが、併し夫が却って経験を指導すると云われる。だがなぜ之は全く天下りにではなくて経験と共に始まらねばならぬのか。すると何かの経験の所産なのではないのか。処がカントやカント主義者達に於ては、経験的なものと原則的なものとは、全く絶縁されて了っている。心理的なものと論理的なものと、アポステリオリのものとアプリオリのものと、等々というように、簡単に引き分けられっぱなしになっている。その連関を与えようとは決してしない。
 E・デュルケムは、カントによるアプリオリな諸範疇の類が、実は経験的な社会関係の所産であることを実証しようと企てた。オーストラリヤ東半部土人の原始社会のトーテム生活に於ける宗教的社会的必要が、経験的に生活の一定のノルムを決定し、それがその社会のロジックの要素としての諸範疇を構成するというのである。アプリオリなものは勿論経験的なものではなくて、逆に経験を指導するものなのだが、その超経験的なものも実は経験からの所産の一つだ、というのである。レヴィ・ブリュールの原始人の論理的範疇についての一連の研究は、先験的範疇が社会的所産であることを証明するに充分だろう。W・イェルザレムの知識社会学は、デュルケムの観点を、より形式的にであるが、カントの批判に向かって集中した。実証主義が之ほど先験主義の弱点に肉迫した場合は珍しい(彼は『純粋理性の批判』の代りに「人間理性の社会学的批判」を企てたと称している)。だがこの種の社会学者の省察が、カント学派の「哲学者」達の尊敬を殆んど買い得なかったらしいのは残念である。――同じ要領を、美的真理について明らかにしようとした例は、やはりカントの敵対者の一人であるJ・M・ギュイヨーの美学であった。彼によれば美意識即ち美的真理・美的価値・は、それ自身超経験的な通用性を持つにも拘らず、社会に於ける生命的要求という経験的事実からの結論に他ならないのである。この社会的美学は必ずしも所謂芸術社会学ではない。と云うのは、芸術が社会的歴史に従って法則的に変化するということを実証するだけではなくて、美的価値というアプリオリが、如何にして社会的に発生し通用の権利を獲得するに至るかを説くのだ。
 デュルケム的実証主義やギュイヨー的な生の哲学には、夫々の制限があることだから、その所説をそのまま借用することは出来ない。だが少なくとも、経験的なものから、逆に経験的なものを指導する原理的なものが産み出されるという、経験的なものと原則的なものとの、アポステリオリとアプリオリとの、事実問題と権利問題との、存在と妥当との、現実的な連関を解く道を与えていることを、見落してはならないのだ。之はカント風の批判主義乃至構成主義では、今日まで解くことの出来なかった困難である。それを知る人は、この一見当然な着眼の認識論上の重大さを測り知ることが出来よう。
 吾々は一般にこの関係を歴史的なものと論理的なものとの関係と呼ぶことが出来る。歴史的社会的な現実物の連関は、決して経験の柵内を匍匐するものばかりを産み出すのではない。歴史的社会的経験は、みずからを要約し圧縮することによって、その所産を単なる経験以上のものにまで、今後の経験を指導し得る原則的なものにまで高めることが、経験的事実として可能なのだ。事実は権利を産むのである。この産むという関係は事実にぞくする。処が産まれたものは、ただの事実ではなく権利だ。だからと云って権利は事実なのでもないし事実へ解消されるのでもない。権利は権利である。それの権利根拠を他から導くことの出来ないのはカントの云う通りだ。併しカントと雖も権利根拠を実はどこからも導くことは出来ない。権利は権利であって他のものでない限り、之を本当に権利以外から導いて来ることは、経験論者にも先験主義者にも斉しく出来ないことだし(それは自分の帯をつかんで自分を持ち上げようとするに斉しい)、又そんな必要もないのである。必要なのは事実が如何にして権利根拠に立つような権利を事実上産むのか、ということだ。之を説明しようとするのが、唯物論であり、何故かこの説明を恐れるのがカント主義者や理想主義者達なのである。
 自由・理想・価値、皆こういう要領なのだ。唯物論は自由や価値や理想を説き得ない、つまり説明出来ない、とよく云うが、処がどんな理想主義や観念論が、一体自由や価値や理想を、いつ説明し得たか。単にそういうものが否定されはしないかと云って心配しているだけの能しかないのだ。そういうものが現実の経験の必然的所産であり、それ故にこそ現実的な力も有てるのだと云って説明してやるのは、いつも唯物論者達なのである。
 実践的模写説は、模写の実践的遂行に於て、この歴史的なものから論理的なものの抽出という過程を辿らねばならぬ所以を説明する。人類の認識はこうした過程によって発達するのであり、人間の認識はこの過程を通ることによって初めて真理を獲得するのである。――新カント主義者達は経験的なものを一口に心理的なものという。だが之は恐らく歴史的なものの云い間違いであろう。心理は事実のほんの一部分にすぎぬ。事実は全体として、歴史的なのだ。それは大部分社会的であり、ほんの一部分が心理的であるに過ぎない。
 実践的模写説は真理認識に於ける実践の役割を評価する点に於て、徹底的である。認識それ自身が実践の一部分なのだ。それであるが故に又、実践は認識の一環ともなるのである。認識は生活の契機であり、それ故に又実験・産業・技術・政治的活動・等々の実践は認識の契機となるのである。かくて実践的なものと理論的なものとは、認識の相互に対立し而も相互に連関する処の、二つのディアレクティックな契機をなす。之によって模写は初めて客観的な実在そのものに食い入る積極的能動性を有てるわけだ。実践的模写に於ける実践は、現実そのものに身を置いて現実を処理する唯一の認識方法なのだ。真理はこうして錬磨されつつ獲得される。客観への侵略が真理であるというのは、F・ベーコン以来のマテリアリズムの真理なのである。――処でプラグマティズムはその折角の実践を、身辺と手の先とに制限しようとする。実在を信念を以て処理出来ない実行だ。実在の変革の哲学よりも、「試行と失敗」の哲学である所以である。
 ヘーゲルの具体普遍説の最も重大な弱点は、それが往々にして、弁証法であるよりも有機体説に終りがちだという処に存する。全面的顕現・最後的総合・之が「真理」ということであったわけだが、その真理に到達するまでに遍歴して来た相矛盾する対立物の対立は、この真理に於てどういう形で、実際に止揚されているのかが問題だ。もし真理なるものがヘーゲル哲学がみずからを真理と考えたように、ああした終局へ到着済みのことであるなら、之は結局それまで遍歴された諸矛盾のただの切り捨てであって、弁証法的な止揚ではない。之は単に有機体的な円満ということに過ぎない。例えばヘーゲルが、観念論は唯物論の真理であるという時、その観念論は全く唯物論を忘れたか、それとも唯物論を折衷しようとするものでしかない。――こうした具体的普遍ならば、真理は死んだ肥満だ。
 真理が具体的普遍であることは、之を認識に於ける真理獲得の過程に活かせて見る限り、優れた真実である。だが之をこの過程=方法から離して、終局的な終止体系の内に位置づけようとするなら、それは全くの誤りだ。現実に於ては、相対立する契機を通しての矛盾の克服でない真理はないし、又一層大切なことには、相対立する諸真理を通して勝利を占めて行く真理しかないのである。具体的普遍はこの克服と勝利との闘争場裏に於て初めて意味を有つのだ。だから、例えば一切の諸真実の公平な総合や如才のない止揚が真理だというなら、それ程誤った真理はない。――つまり之は一方に於ては真理の絶対性の問題である。実践的模写説によれば、絶対的真理はカント風の物自体と共に、ないものである。真理は常に客観的な真理だ、だがそれは常に相対的に止まるのが現実である。処がヘーゲルに於ては真理は絶対的であるかのように見える。
 他方、真理のこの現実的な相対性が、真理の階級性の問題に一つづきであるのは、云うまでもない。真理の階級性というと、二二が四という算術は階級によってどう違うか、などと反問する底の反対者が多いが、物事はもっと断片的にでなく、包括的に考えられねばならぬ。道徳上の真理になぜ階級性がないか。政治上の論理にどうして階級性がないか。消費主義的経済学と生産主義的経済学とはなぜ対立するか。進化論や弁証法はなぜ階級的反感を招いたか。真理の階級性は、単に真理の獲得の因縁が階級的に制約を持っているというだけではない。真理内容が往々にして事実上階級的利害を反映することによって、一定の特色を帯び、そして他に対して対立を呼び、又はそれ自身が歪曲されるということだ。之は何と云っても真理の相対性に帰することで、真理の絶対性にとっては名誉なことではない。だが問題は絶対真理のことではなくて現実の諸真理の間のことだ。すると真理の階級性なるものは、夫々の階級的な真理の間の闘争と、一方の他方に対する勝利による発展、ということを云い表わす。単に真理が相対的であることを云い表わすのではなくて、却って真理が如何にしてその与えられた相対性を克服するかの道筋を説明するものなのだ。
 だから真理の階級性は、真理の相対主義的主観性を指向しようとするのではなく、却って、相対的な現実の真理事情のもつ客観的な方向量を指向するものである。この階級的主観の相対の間に於ける客観的方向量を、真理の党派性とマルクス主義では呼んでいる。之は当然、実践的模写説の採用する処とならねばならぬ。普通、党派性は常識的には偏頗な宗派性のことと考えられている。だが真理というものは或る論理的張力を有つ。そういう張力はただの傾向などではなくてシステムである。真理の階級性という以上、ただの階級的属性のことではなくて、それに照応する論理的システムを意味しなくてはならぬが、夫が真理の党派性だ。その党派性を論理的に貫徹出来るような階級的真理でなければ、克服し勝利する真理であり得る筈がない。――この意味に於ける論理の階級性・党派性・の分析を与えた最初の人は、恐らくJ・ディーツゲンだろう。彼の哲学的理論には多分の挾雑物があるが、彼が持ち出した「プロレタリア論理学」という観念は注目に値いするものである。マルクス・エンゲルス・を経てレーニンは、この要点の最も明快で鋭い理解者であった。
 今日、階級性と並んで民族性国民性が唱えられているが、之は真理の国民的・民族的・事実上の特色を指すだけであって、それ以上のものへ出ることは出来ない。之は民族性や国民性のもつ党派性(?)という論理的な問題には行き得ない。論理は常に矛盾によって媒介される。そこでは、テーゼとアンティ・テーゼとの二者が必要であり、又一切の対立が二者へ要約されることを必要とする。一切の社会階層身分が、二つの階級に要約されるとすれば、それは社会の矛盾による進展という論理的な本質に照応するからのことだ。処が諸民族・諸国民・の関係は、そういう論理的一双性乃至二体性を持たぬ。真理では論理的首尾一貫が問題であって、ただのあれこれの断片的特色が問題ではない。このことを忘れると、忽ち思考が混乱するのだ。――さて以上のような考察を参照しないならば、ヘーゲル風の具体普遍真理説も、死んだものと選ぶ処がなかっただろう。
 実践的模写説による真理の観念は、従来の殆んど一切のブルジョア観念論(乃至ブルジョア唯物論)の認識論による真理諸観念を止揚するものだと見ていいだろう。――真理の問題はまだ之では説き尽くせないが、他の章の折に触れて見て行こう。
[#改段]

 以上述べた真理の観念は、主として理論的認識に即した真理、即ち理論的な真理、を中心とするのであった。普遍の範囲に於て理解された認識論ならば、真理をそういうものに制限するのも無理からぬことだ。だが真理をわざわざそういうものに限定することは、この観念を日常活用されている常識語から絶縁して使うことを意味する。それはアカデミックな用語としては一応の役に立っても、現実の言葉としては一つの抽象物でしかない。真理は決して単に理論的なものには限らぬ。芸術的真理や道徳的真理、更に宗教的真理というものさえ、考えられなくはない。真理を真実と呼び直せば、この点おのずから明らかだろう。
 真理を理論的なものに制限して考察することは、つまりごく普通の学術的惰性に従った意味に於ける論理に之を限定することだ。論理学というものは比較的内容が一定したものとも考えられるが(例えば学校論理学のように)、併し理論となると必ずしも一定した規定を世間では与え得ない。強いて云えば、考えの道筋というようなことを論理と呼んでいる。日本語としてはそうだ。欧米語としては言葉の上では論理と論理学との区別はないので、特に論理そのものを研究対象とするらしく響く論理学なるものを云い表わす為には、別に「論理の科学」と呼んだ方が紛わしくないのだが、そう呼ばない限り、論理も論理学も同じ言葉で云い表わされる。之は単に言葉の区別が足りないのではなくて、却って論理乃至論理学(ロジック)の本性を告げる意義の深い現象なのだが、それは後に触れよう。だがそれにも拘らず、論理と論理学とは区別すれば出来ないのではない。処で、狭義にアカデミックに真理という観念を持ち出すと、それは、論理学的なものではないまでも、少なくとも論理的なものと考えられるのを常とする(但しこの場合の論理学は普通のアカデミックな意味の範囲に於ける夫としてだ)。
 併し、真理をこういう論理のものと限定することは、大して重大な意味のあることではなかった。真理の十全な意義は、いつもこうした「論理」をはみ出している。真理は単に論理的であるばかりでなく、心理的でもあるのだ。否時とすると、凡そ論理的ではなくて却って常に心理的なものだと云ってもいい位いである。心理に根を持たない真理は、どこか空に浮いた公式のようなもので、そのままでは真実ではない、真理ではないのである、リアリティーがないとも考えられる。――だから広範な意味に於ける(そしてそれこそが最も日常的に活きた用語になるわけだが)真理は、もはや論理には尽きず、寧ろ心理――サイコロジーなのだ。真理が単に理論的なものに限定され得なかった所以である。
 だが理論的なものでも、実は普通考えられているように、ただの理論的なものではないのだ。科学は理論的だと云う。勿論そうに相違ない。けれども夫が理論的であるということは、実は世間で無雑作にそう考えているような事態ではないのである。科学に理論的なもの以外のものが含まれているというのでは必ずしもない。理論が生命である諸科学に、そういうものが含まれているとしても、夫は科学を不純にこそすれ、決して科学の名誉には寄与しないだろう。理論そのものが、世間の常識の云うようなただの理論なものではないと云うのだ。現に科学はそれが純粋であればある程、却って、結局に於て愈々実際的で実践的な価値を得て来るわけで、そうでなければ科学の純粋性とは、ただの科学に於ける芸術至上主義のようなものをしか意味し得ない筈だ。
 それと平行して、論理的なものも亦、決して世間で普通考えているように論理なものではない。事物の歴史的運動は一定の能動的な法則を持っている。そういう歴史的法則を論理と見做すことも、強ち不自然なことではない。論理は元来、何かの意味で客観的なものであったから無理はない。だが単なる事物だけで、それが認識(広義に於ける)されるということがないならば、この事物の客観的法則を論理と呼ぶ動機はなかった筈だ。すると論理とは認識主観を一枚※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)入することによって初めて意味を得る処の言葉である。で論理が認識主観=意識から離れては考えることの出来ないのは、当然なことだ。論理はその横たわる台床からすれば、その身を置く場所からすれば、意識にぞくする。夫をこの言葉の第一の意義とする。この台床の上にあって、意識を客観化する力を持つものが論理だ。それは意識を貫き、意識を動かし、意識を進める自発的な力を意味しようとするものである。だから感情にも意志にもロジックは不可欠だ。単に情意が論理と無関係でないというだけではなく、情意を動かし進め貫くメカニズムが、論理と呼ばれ得る。
 ただ感情の論理などというと、何か論理という言葉にそぐわない感じのする理由は、論理という言葉が、或る自主的で自発的な能力のようなものを指すことになっているのに、感情や意志は感性や実践によって動機づけられて起こるので、そこでは一応論理の自主性が認められず、感性や実践の契機の方が却って能動性を有つと考えられるからだ。だがそれにしても、感情や意志の動いて行く形式は、感情や意志のメカニズムは、論理という形を取る。情意の論理という言葉に意味のある所以だ――云って見るなら、而も、独り情意に限らず、理論自身さえが、実は論理のイニシャティヴで発動するのではなかった。理論の動機そのものは極めて感性的なものであり又実際的なものだ。理論の展開のメカニズムを運用するものも亦、情意的な感情的な感性的実践なのだ。ただその運用のメカニズムが、論理と呼ばれるに他ならない。理論に於ては併し、論理はなおその自主的自発力を随所に顕示する、情意に於ては論理はそのものとしては顕現しないで、他ならぬ感情の必然性として、又意志として、みずからを変装しつつ現わすのである。
 さてこういう感情の必然性や意志力、それから、之によって浸透された思考一般は、その骨格を洗い出せば、広義に於ける論理=ロジックと呼んでもいいものであるが、そのためには心理=サイコロジーというもっと穏当な言葉があるわけだ。心理とは感じ方であり欲し方であり考え方である。心理法則というのも、実は心理現象の内に見出されるただの一般関係の定式というものではない。凡そただの反覆する普遍的関係などというものは、まだ本当の法則ではない、法則の前触れにすぎない。法則という以上、一種の因果関係・動機づけ関係・がなくてはならぬ。と云うのは、その法則が現象を動かしているのだということが大切だ。そうでなくて現象の動いた結果或るしかじかの関係が抽出出来たというだけならば、それは因果関係とはさし当り無関係な統計的相関性というようなもので、まだ関数関係にさえ行き得ない(関数は因果に関する数学的表象だ)。で、心理法則は心理を動かす法則であり、それが所謂サイコロジーというものだ。それ故に又、この心理法則の研究である心理学は、心理と一緒にサイコロジーと呼ばれる。
 スタンダールの『恋愛論』は恋愛の心理法則を抽出している。だがこの心理法則の具体的な叙述は、彼の『赤と黒』のサイコロジーに他ならない。ジュリアン・ソレルの二つの恋は、夫々必然な発展法則を持っている。それはソレルの性格(階級的な!)からの演繹として現われている。これはタイプのオリジナリティーによってよりも、寧ろそのタイプを通して描写された心理の法則性によって、読者を打つ。このサイコロジーは殆んどロジックと云っていい位いだ。之に反してメリメの『カルメン』の恋の魅力は、心理描写によるよりも専ら性格描写によるものだろう。読者はカルメンの心理の必然性によってよりも、彼女の性格のあまりに鮮かな印象に撃たれる。彼女の浮気な心理がなぜああ動くのか判らぬ点を、読者はカルメンの性格というものによって理解するのだ。サイコロジーは表面に出ていないと見てもいい。序でにもう一つの恋物語を引き合いに出すならば、デュマ・フィスの『椿姫』がいいだろう。之は最も純粋な恋愛情緒を物語るが、決してサイコロジーを描いて優れたものではあるまい。
 でつまり、サイコロジーはただの情緒や意欲ではなくて、之を動かし之を貫くメカニズムのことだ。私はなぜ之をロジックと区別せねばならぬか、理解するに苦しむ。蓋し心理と論理との区別なるものは、ごく便宜的な一応のものであるのか、それとも何か他の区別を漫然とこういう常識的区別の惰性で置きかえたのか(例えば文学に於ける思想性と無思想性との区別などの代理として)、そうでなければ研究室の哲学的アカデミシャンが、論理を論理学と考え、心理を心理学と考える、一種の職業的錯覚によるのであろう(論理主義と心理主義との対比などが之だ)。――だから真理というものも、それが広範な当然な資格のものである限り、論理と共に心理にぞくする。
 尤もこんなことは、初めから当り前のことで、真理が心理=サイコロジーにぞくさないなどと思っている人間は一人もいないだろう。世間の活きた常識ではそうなのだ。だが真理というものが、一旦認識論なる科学の対象とされると、必ずしも真理をそういうものとばかり考えない、いや殆んど全くそうは考えない、というのが学界の事実なのだから、この真の駄目を押しておく必要があるのだ。それに、認識論の実践的な課題の一つは、こういう日常的に活用されている真理観念に、統一的な解明を与えるという点にもあったのである。
 さて真理を単に所謂論理のものとして限定する代りに、夫が心理にぞくすることをもハッキリさせるならば、と云うのはつまり、論理というものを生きた現実のプロセスとして包括的に見るならばだが、その時意味の所在のハッキリする問題は、虚偽(乃至誤謬)の問題である。そして前にも云ったように、真理のディアレクティックな観念は、虚偽との連関を見ずには得られなかったのだ。
 虚偽乃至誤謬に関する考察は、普通の論理学教科書に相当整備された形で採録されている。誤謬又は虚偽の諸公式が配列されている。だが虚偽乃至誤謬の問題の要点は、そういう一種の不正な推論式の模型というような処にあるのではない。夫は云わば、学校論理学の問題ではなくて、認識論の問題である。と云うことは、虚偽乃至誤謬の本性が何であるかは、単なる所謂「論理」に終始しようとする所謂(形式)論理学では解けない。虚偽や誤謬は論理と心理との連関に地盤を有っている。その根柢は極めて深い処に横たわる。真実の深い根柢と同じ深度を有っているのである。虚偽や誤謬は、少なくともまず、心理=サイコロジーの内から発する。所謂論理は、単に虚偽を排斥するものでしかない。処が虚偽は如何に排斥されても、心理的に現実なのだ。
 虚偽は心理に対立する、否定的に対立する。否定は決してただの欠如というようなものではないから(之はスコラ哲学者の云う通りだ)、それ自身の積極性(マイナスの積極性)を持っている。之をただの真理の裏がえしと見て済ますことは出来ない。神学は之を悪の問題として取り上げた。その取り上げのポーズは今の場合意味はないが、悪がただの善の欠如でないという認識は、今重要だ。カントは論理学の裏面をディアレクティクと呼び、そこで虚偽の問題に触れようとした。併し論理学の一部分がディアレクティクであるのではないので、論理そのものが弁証法であった筈だ。虚偽は真理の裏面ではなくて、真理の前面をも占領し得る。だからこそ初めて問題なのだ。
 誤謬ならば或いは、真理の軌道からの脱線として、単に消極的なものであるかも知れない。併しそういうなら、虚偽と誤謬とは区別されねばならぬ。作為の犯罪と過失との区別があるようにだ。尤も犯意ある場合と過失との間には、不誠実から来る半作為兼半過失がある。殺傷の意志がなくても相手の生命を充分に尊重する心掛けのない処から、検察官の涜職事件など起きる場合が多い。之は単なる不作為とは云えない。で虚偽と誤謬とを区別しても、その間には色々の中間項が這入るわけだ。誤謬も多くは不注意から起きる。不注意は実は多くの場合注意能力又は頭脳的力量の問題なのだが、普通之を不注意の結果に対する悔悟の足りなさに帰して、良心の問題としている。誤訳は学的良心の欠乏として批難されたりするが、そうなると之は単に誤謬と云っては済まされないので、虚偽に帰着するわけだ。虚偽は良心の否定と思われているからである。虚偽や虚栄は、何が空虚なのかと云えば、意識の自己確実性=良心の空ろのことだから、して見ると誤謬も決して消極的なものではない。誤謬は誤差というようなものではない。過去の理論の誤謬を(良心的に)清算するとかいうこともこの頃流行する位いだ。
 虚偽の本性も処が、単純に分り切ったものではない。嘘をつくにも、本当に意識的なのと、半分意識的なのと、無意識なのとある。無意識と云っても現実に於ては(哲学的仮説としては別だが)、潜在意識的であると見ねばならぬ。悪党の計画的な嘘、悪党の計画外の嘘、ヒステリー婦人の妄想による嘘、その妄想によって立てられた計画的嘘、等々無限の嘘のつきようがある。処が嘘が虚偽の凡てではない。自分では本当にそうだと信じ込んでいることが、本当は自分の思いも及ばない処に何かの原因があって、虚偽である場合が多い。良心さえが虚偽の頭目であるかも知れない。――論理のこういう無限の複雑さは、心理の機構に由来することだ。心理には裏の裏があり、その又裏がある。云わば心理は裏から始まるのだ、而もどの裏も最初の裏ではあり得ない。丁度零の次の最初の無理数を掴まえよというようなもので、どこから手をつけていいか判らない。真理はテーゼから始まる。それならノルマルな論理だ。処が虚偽はアンティ・テーゼから始まる。処がアンティ・テーゼから始めるということは、手の下しようのないということだ。
 つまり虚偽は心理から始まるに相違ないのだが、心理のどこから始まるのかは、心理自身ではわからない。良心などは泥沼であり、流沙である。虚偽の原因をだから良心の欠乏などに求めることは出来ない。では虚偽は何か形而上学的な原因しか有たないのか。と云うのは、例えば心理のこの無底の深淵を神に通じると称する常識もなくはない。ドストエフスキーの作品はよくそう解釈されている。だがゾシマ僧正やチーホン僧正やアリョーシャなどという神様の味方は、他の人物に較べて甚だ安易で浅薄でさえあるのを見ると、この解釈は言葉通りには疑わしくなるだろう。今寧ろ興味のあるのは、この心理の背後的な深さと、それの前面的な社会意識乃至政治意識との、連関ではないかと思う。『悪霊』はそういう点から見ても出色の作品でなければならぬ。
 心理の連鎖のどこかに横たわっている虚偽の原因を説明するものとして、イデオロギー(=虚偽の意識)というものほど示唆に富んだものはない。この概念は、心理的論理的虚偽(従って又誤謬)の終局の原因が、社会機構の内に存することを物語るものであり、社会機構と認識主観との存在関係に虚偽の源泉を見ようとする処のものだ。之が特に階級的イデオロギーである時、一定の階級主観の置かれている歴史的位置が社会機構の正常な反映を妨げざるを得ないということを意味する。つまり心理が現実の歴史的社会的実在に、ついて行けなくなった時、この後れを心理的に又論理的に合理化することが、一般にイデオロギー(虚偽意識としての)となる。
 勿論イデオロギーという概念は今日ではもっと一般化されて、必ずしも虚偽意識ではなく、却って場合によっては卓越した真理意識をも意味するのだが、そうすれば之は、真理と虚偽とのあの弁証関係を云い表わすのに、イデオロギー(社会上部機構)という言葉が如何に有能であるかを示すに他ならぬ。虚偽心理の原因は社会にある、その社会が又真理心理の原因でもある、というのが、イデオロギーの概念なのだ。――かくて真理の歴史的・社会的・そして論理的・心理的・な決定関係を云い表わす言葉が、このイデオロギーであった。言葉を変えて云えば、意識の歴史的社会的・つまり現実実在的・な被制約的関係を示すものが夫だ。だがこれはすでに既知の命題であった。

 吾々は心理の概念の次に、意識の問題に這入ろう。ここは観念論の牙城である。
 まず意識とは何であるか。というのは、意識は如何なる充足原因によって宇宙的に発生したのか。之に満足に答えることは、今日の知識では全く不可能である。意識というもののあれこれの規定を与えることは極めて容易である。意識は外界を指向するもののことだ、意識はみずからを意識するものだ、意識は意識することに於て在るのであって、在るから意識するのではない、等々、採用されている規定のタイプは無限である。だが何であるかということは、如何なる充足原因によって生じたかと問うことである。充足原因という言葉を使ったが、原因と云ってもあれこれの原因の若干を挙げたのでは発生の説明にはならぬからである。思考(乃至意識)は脳細胞の分泌物であるとか分泌作用であるとか、云っても、発生の充分な原因を述べたことにはならぬ。脳物質は決して意識そのものではないのだから、俗流唯物論風に発生を即断することは出来ないわけだ。
 で要するに今日まで、意識が何であるかに満足に答え得たものは、一つもないと云っていい。現代唯物論は意識を以て物質の高度の発展に於ける質的変化に伴う処の、物質の一つの運動形態・一つの機能・という風に説明している。恐らく之は唯一の説明らしい説明の態をなしているだろう。だが実は之はまだ説明ではなくて説明の方針書にしか過ぎない。なぜならこの方針を具体的に実証するだけの科学的資料が、今日の諸科学の成果を以てしても不足だからである。観念論は寧ろ初めから、意識の発生とかその原因とか、夫の説明(説明は因果的説明でなくてはならぬ)とか、を回避するか、又は不可能であると宣する。現代唯物論によるかの方針は、観念論のこうした老獪さと実証的根拠のない否定的結論とを反駁するための理論として、価値を持っている。デュ・ボア・レモンやヘッケル(後年の)やの世界七不思議式不可知論の独断性を暴露するための、用意と見るべきものに他ならない。観念論は事実決して意識の説明などは自分で出来た例しがない。そして而も唯物論にその説明の責を帰しようとするのである。又自分で偶々説明出来なかったからと云って、その説明が一般に絶対不可能だということを証明する気になるのは、取れない葡萄を酸っぱいと称して断念したエソップの狐でしかない。吾々は観念論者のこのポレミックのトリックにひっかかってはならぬ。
 だが仮に、意識の発生を物質の発展形態に帰する方針が立つとしたら、意識にとって最も重大な認識論的本性は、一応説明がつく筈である。意識が自然の自然史的発達の或る段階の時期に於て、自然から質的変化を遂げたのだとすれば、意識がなぜ事物を認識出来るか、即ち又、意識はなぜ事物を認識する権利があるか、ということの説明はつく。つまり実在と意識とが対立した異質のものである限り、到底相互の間の交渉を合理的に理解すべくもない。なぜなら、絶対的に別なものの間に、何等かの関係が存在し得るということは、矛盾であるから。併し両者が之を糺せばかつて同じ物質発展段階で結びついていたとすれば、そこには両者の間の交渉の合理的な根拠があったわけだ。今の意識と実在との間には、その制約被制約の関係は別として、その存在性自身の関係から云って、何等の因果関係もあり得ない。私の意識は今私が意識している草木や建築から出来て来たのではないし、草木や建築物は私の意識が造ったものでない。この間には存在性自身についての因果関係はない。本当に因果関係のあったのは、意識ある動物が地球上に発生したその瞬間であった。だから今の意識と今意識されている実在とを因果関係づけるためには、夫々をその歴史的発生発達の道程に従って溯行させねばならぬ。処が時間を溯航するということは現実的には無意味だ。そこで現実には、この幻想的な時間溯航による間接の因果関係づけの代りに、之を現実的に省略し短縮する関係が与えられている。之は因果の媒介によらぬ直接関係で、それが反映・模写・写す・ということの言葉の意味であることをすでに述べた。
 私は之を一つの仮説に基いた多少譬喩的な「説明」として以上には、主張しない。だがこういう問題は、どういう観念論的認識論も解こうとしなかった課題であることに、注目したいのである。――意識をこういう風に説明した上で、意識された処の意識、つまり観念・表象・ということを理解するのは、模写説によって極めて容易なことだ。意識する方の意識、即ち今その存在性が説明された限りのとしての意識、を鏡とすれば、観念=表象の方は、原物がこの鏡の表面で結んだ像になるわけである。
 だが意識は抑々存在性を問題に出来るものか。普通の自然や何かという物質とは質的に異っているなら、物質と同質の存在性・実在性・を持たないことは明らかだ。では所謂存在・実在・とは質的に異った存在や実在は、果して存在や実在であるか。――一方に於て物質と終局的な一致があった以上、之は一種の物質として、存在し実在する。だが勿論そういう言葉は、大して役にも立たないし、時には有害でもあるだろう。すれば存在や実在でないと云ってもいい。存在でなくて意味である、と云ってもいいだろう。
 存在と意味との峻別、両者の絶対的絶縁、は観念論の定石である。実在が意味を有つということは誰でも認めるが、観念論によると、実在と意味とは、全く絶縁された二つの秩序界からの源泉のものだというのである。実在の秩序界と意味の秩序界とは、「全くの他者」である。人間と神とのように絶対的他者の関係にあるという。それがどういうわけか、偶然にも、どこかの何物かに於て相会する。その時初めて存在は意味を有つのだという。だから観念論はこの出会い方に色々と興味を有つ。それが時には符号・象徴・表現・等々になるというわけだ。
 だが吾々は意味と実在との二つの世界の絶対隔絶という形而上学を採ることが出来ない。実在が意味を有つ、ということは、他ならぬ一つの――現実の実在界の秩序自身に於て編成された――事実だからである。意味と意味との関係をつけているものは、意味それ自身の秩序ではなくて、実在界の秩序なのだ。だから要するに実在と意味との結合は、実在自身の結合に準拠する。仮に実在だけの結合編成というものが実在するとすれば、この編成に意味を付加することによって、この編成を拡張してやり直したものが、実在が意味を有つという事実なのだ(ここで付加と云ったのは、体※(始め二重括弧、1-2-54)ケルペル※(終わり二重括弧、1-2-55)Ωにωならωを付加※(始め二重括弧、1-2-54)アドユンギーレン※(終わり二重括弧、1-2-55)するという抽象数学からの借物で、E・フッセルルなども借用している言葉である)。
 さて一般に実在と意味との世界秩序としての結合が右のようなものだとすると、之を認識対象たる実在の側から云えば、一定の実在が一定の意味を有つということであるが、之を、意味的存在(?)であると述べた認識主観たる意識の側から云えば、意識が一定の実在について意識し認識するということであり、一定の反映像としての意識・観念・が意識されるということになるのである。――でこう考える限り、実在の代理としての表現という観念などは本当は許されない。表現はあくまで実在が意味を表現していること以外ではあり得ないので、実在が実在の資格を失ってその代りに表現というレッテルを貼られることではあり得ない。と云うことは、実在がその実在としての実在性を失って、意味の自発的な表出という全く別な秩序界に転心することを、吾々の認識論による意識の観念が許さないということだ。実在をば表現によって置きかえ、かくて、実在の秩序界を表現=意味の秩序界に改宗し還元させようとする、一切の形の解釈学的・解釈哲学的・認識論は、許されない。之は凡て実在を変革する代りに単に意味だけを解釈するにしか役立たぬ認識論となるからだ。
 私は心理の概念から意識の概念へ来た。次に例えば精神の概念へ行かねばならぬ。この場合残されたものは主観的精神ではなくて所謂客観的精神でなければならぬ。之は主観的なスピリットのようなものではなくて、客観的に存立する歴史的社会的な文化(又は文明)のことだ。で之は次の章に回さなくてはならぬ。
 (意識と直接関係のある観念は、自分※(始め二重括弧、1-2-54)自我・我・私※(終わり二重括弧、1-2-55)の観念である。特に文芸的認識に於て之が重大な役割を占めていることは、多くの文芸理論が斉しく認める処だ。之については拙稿「道徳の観念」〔本全集第四巻所収〕に譲ることにする。)
[#改段]

 吾々はすでに、認識という観念を広範な意義に於て理解した。之に準じて、認識の対象である真理(之は実在乃至リアリティーと双関する概念であったが)も亦、広範に理解されねばならなかった。そしてこの真理認識を行なうものが意識であった。つまり認識とは意識の仕事である、という平凡な言葉に、言葉としてはつきているわけだ。処で、こうした意識が何かの仕方によって客観的に歴史的社会的実在として形を取ったとも見られる場合、つまり意識の客観的内容、認識の具体的な形象、之は一般的に、文化と呼ばれている。で吾々は最後に、認識をば文化について検討しなければならぬ。蓋し文化の問題は、認識論の最も実際的な必需課題であるのだから。
 文化はドイツ古典哲学(主に歴史哲学・文化哲学)風に言えば、客観的精神である。ドイツ語の精神(ガイスト)は、この場合には元来が、或る客観的なものを意味する。決して主観的なもののことではない。だがそれにしても文化は、或る主観的なるもの、それを意識とか主観的な精神とか心理とか、又内部的生命とか考えるわけだが、この主観的なものの、客観化され対象化されたものと見做される理由から、之を客観的「精神」と呼ぶわけなのである。この際文化は主観的な何物かの表現であると考えられている。この云い表わし方の習慣は、そのものとして意味を有っている。文化がただの自然と異る所以は、それが人間主観の作為と仕事とを媒介とするからである。自然物が文化内容というレッテルを受け取る場合、このレッテルだけを取って見れば実在ではなくて意味的なものでしかなく、意識や何かと同じ世界秩序のものだろう。従ってそういう文化というレッテルの貼られたものを、意味の客観化されたものという意味で、生命の表現、という風に呼んだことも、勿論それだけとしては間違いではない。
 ただ問題なのは、自然が文化となるのは、勿論自然が文化というレッテル自身に変ることではないのだ。文化は自然そのものが或る人生的な意味を有ったものであり、人生的な意味を持った自然自身なのだ。処がこの自然そのものは、勿論尋常な意味では何等かの主観的観念的なものの所産でも表出でもない。だから文化も亦、之を単に内部的なものの外化とか、主観的なものの客観化とか、観念的なものの実在化とか、そういう意識の表現の類として片づけることは出来ない。建築物は確かに生活の表現である。時代人の略々共通な心的要求に沿い、注文主の観念と建築家の芸術的技術的創造精神との現われだ。だが建築には物質的な基底がある。単に石や木材やコンクリートや鉄筋が必要だというのではない。建築は生産経済上に於ける技術的な客観条件の上で初めて成り立つのである。工芸品は民族精神か何かの表現であるかも知れない。だがそう云っただけでは、夫が陶工や漆工の生産力を消費する生産機構からの所産であるという生々しい現実は、一向理解出来ない。文化は単に或る主観的観念的なものが、偶々客観的な物質的存在をかりて、表現されたものではない。文化の面目は元来が客観的なもので、社会機構から来る所産であった。
 認識が客観化されて文化形象になるのではない。初めから客観的である処の文化形象なるものを形成することが、広義に於ける認識ということだ。文化の客観的なるものも、実は認識の具体的内容ということに他ならない。認識とは、歴史的社会に於ける生産機構の膠質物である上部構造としての文化を指向するもので、就中それが一定の相対的な独自性と自動的メカニズムを持つという一つの事実を、云い表わすための言葉だ。夫は文化の神経組織であり骨格であり、文化の消化器官と生殖器官だ。もし文化に独自の生命力というものがあり、それが文化の価値と権威と威厳と自己目的性とを結果するならば、その生命力の機能が広範義に於ける課題だ。そして文化のこの生命力に当るものは他ならぬ思想である。
 科学や文芸は云うまでもなく、一般の芸術・道徳・政治・宗教(之はいつまでも文化の独立なジャンルとして留まり得るものでないと思うのだが)・も、認識・思想・の形象である。一切の文化を貫く手形が認識と思想とである。尤もここでも、思想・認識・というものが文化となって現われると云っては、云い方が拙い。文化の骨格自身が認識であり思想であるというのである。
 尤も文化は多分に装飾的な意義を持っている。生活必需品と区別された文化費などという場合にこの意味がよく出ている。生活の精神的粉飾も亦、確かに文化の一内容だ。これに基いてデカダンスさえが文化の一性質だ。個人の教養や国家の文化的体面さえが、事実文化の相当真剣な問題なのである。教育の蓄積としての社会的体面、そういう意味で所有されているインテリ的な知能技術や文献的学殖も、勿論文化の主な内容をなす。特に文化的技能の獲得如何は、文化の唯一のバロメーターとさえ考えられている。文化の向上とか進歩とか云う時、往々にして文化技能の高低だけが問題なのだ。――だが文化技能が意味を有つのは、単にそれの抽象的な高低如何にあるのではなくて、それが認識の能力としての技術技能として、如何に水準が高いかということにあるのだ。文化の価値は認識という目標にあるのであり、思想の教育にあるのである。
 この目的を逸脱する時、文化はその高度の文化技能水準を以てしても、頽廃か粉飾に堕する。デカダンスは社会に於ける認識の無能化、思想の行きづまりに発生する徒花であり、その魅惑は、思想の新しい進展と誕生とのため廃土肥料となるのでない限り、文化の自殺に他ならぬ。文化の生命は認識と思想とにある。――認識が時代の生産的実践を蔽い得ない時に、思想が時代の生産技術から疎遠になる時に、その認識と思想とは頽廃の花でしかない。それは文化的ではあっても(実際文化至上主義はそういう時期に発生する)、文化でなく、認識でも思想でもない。こういう思想(?)や認識(?)の頽廃は、風俗や娯楽という文化(?)の内に、最も屡々、そして最も端的に、現われ勝ちだ。風俗や娯楽が思想や認識から切り離された或る他のものである場合にである。
 尤も注意しなければならぬのは、文化の頽廃を云い触らす人間自身が、往々にして認識と思想との進歩発達を妨碍する当人だということだ。彼等が文化の頽廃と称するものは、文化を文化外的な権力に奉仕させるのに便宜でないということに他ならない。かくて彼等によって真実の文化は、自分自身による自由で必然な発達に俟つ認識と思想とは、防遏される。ここで「文化」は一種異様な響きを持った言葉となる、今日或る方面で「日本文化」などという場合の文化は、民衆の自主性による認識と思想、としての文化のことではなくて、之とは対蹠の位置にある「文化政策」の文化のことだ。私は所謂「文化映画」(之はナチスにとって有力な観念らしいが)なるものに就いても、その文化という観念に警戒を必要とするものがありはしないかと考える。
 かくて思想は、文化というものを云い表わすための認識論的範疇であると云うことが出来る。思想は勿論認識主観によって思考される他はないものだ。だが之はただの観念ではない。観念は単に主観的でしかない、思想は之に反して云わば客観的に実在する。観念はそれ自身には方向もないし、意地も張りもない、思想は之に反して云わば意志を有っている。それは意識という主観の大地を蹴って離陸する客観力としての性能を持っている。それが意識にぞくするものと考えられるのは、夫が休止している時だけだ。認識とは以上のようなものだったのである。

 先に、文化というものが自主的な価値を持っており、威厳と権威とを有っている云々と云った。処が又他方、文化は社会の物的な生産機構に基く上部機構であるとも云った。文化は社会の物的関係の所産であるというわけであった。では一体なぜ、そういう物的所産が文化というような価値材となることが出来るのか。社会の単なる事実に過ぎない生産機構というような没価値的な没意味なものが、凡そ価値を有ち意味を帯びるなどということは、不可能ではないか。或いは略々同じことに帰するが、現実の必然性なるものが、どうして理想や自由などというものを産み出せるか。理想や自由というものの存することを否定出来ない限り、この唯物論的文化理論、唯物論的認識は、失敗ではないか。同じく、どうやってただの社会機構から道徳などを導き出せるか、等々。之は一切の反唯物論的認識論者の頭痛の種であるらしい。併しそう心配することは要らないのである。
 意識の物質からの発生の仮説についてはすでに述べた。それに準じて、意味と実在との一般関係も説いた。今はそういう一般問題としてではなく、もっと現実な問題として、社会に於ける物的事実が、如何にして一定の意味や価値や理想や自由や道徳を産むかを、説明すればよい。併し本当を云うと、こうした意味とか価値とか理想とか自由とか道徳とかいう観念そのものを、私は社会に於ける物質関係から取り出して見せるという手品はやる気がしない。私が説明する処を理解するためには、すでに予めそういう観念を必要とする。そういう観念がなぜ予めあるかということは、思想史の答える処でなければならず、そういう観念に相応する何物かが根源的にどこから発生したかということは、例の仮説による一般的な説明に譲る他はない。そしてここで再び予め記憶すべきは、如何なる観念論・理想主義・と雖も、こうした観念に対応する何かについて、その発生を説明しようとしたものは未だかつてないということだ。つまり之は観念論や理想主義では全く説明出来なかった或るものなのだ。彼等は精々、百万言を費して、そういう観念が必要であり、そういう観念が成立するということを、弁明しているに過ぎない。だが誰が一体、そういう観念が云い表わす一定の事実を認めない者があったか。問題はそれの観念をどんな風に使うかという点にあったのだ。
 さて、この種の或る観念的なもの・理想主義的なもの・精神的なもの・又先天的でさえあるらしいもの・を代表するのは、恐らく価値である。で、この価値がどうやって社会的事実から発生するかを見ればよい。価値の観念が云い表わすものは一種の高下の関係である。高下は勿論それだけでは相対的であり、従って充分な価値関係ではあり得ないが、併し孤立しては夫々が相対的に見える各々の高下関係も、生活の全経験の体系に於ては、おのずから連関的に安定を与えられ、比較的に絶対化される。これが価値感を産むのである。この絶対化による決定が価値感による選択を与え、意慾の傾向化を決める。より良いより悪いという判断がなり立つのである。快感と苦痛という感情によって之を説明するのが習慣になっているが、この種の元素的な感情も、刺激と反応との機械的メカニズムへ対応的に還元されるのを常とする。
 社会の事物に於ける対立抗争する諸因子の間の関係、それによって社会の歴史が展開されて行くわけだが、この関係は、一定の量的な高下大小強弱の比重を示している。現実の物的事物の状況は観念論者が想定しているように、そんなに平坦な均一ではない。そこにはポテンシャル・エナージーの無限の差の世界が横たわっている。この量的関係は量的な認識を普通とするから量的なので、実は質的関係の量的な云い表わしにしか過ぎない。で今この量的関係が、意識という認識主観の独自の自我的関心によって、一定の自我的焦点を中心として、再編成され、モラル的に質化されれば、それがその人間にとっての価値関係となって現われる。
 例えば社会に於ける階級対立は単なる物的関係にすぎないとも考えられる。だがその対立矛盾の関係は、この現象にとって根本的な要点をなしている。処が認識主観としての階級主観は、この対立の真只中に立っているわけだから、夫々の異った焦点に立脚してこの対立関係を反映する。こうして階級的な価値標尺が発生するのである。各個人相互間の評価尺度の関係も亦、そういう仕組みに他ならない。
 位置のエナージーの差は、一定の落差を与える。そこに水という認識作用さえ加わればである。処がこの落差は、磁石の間のコイルの回転を与えるという模写の構成機構が用意されている限り、電流を発生する。落差を下る水は電流ではないが、水のこの状況の物質的結論は、この場合電流たらざるを得ない。電流は物質ではないが、物質の運動現象だ。位置のエネルギーの転換されたものである。価値は物的事物ではないが、物的事物の落差の作用・効果・結論である。それは物的関係の転換されたものだ。
 つまり経験的なものが一見超経験的な原則的なものを産出したように、それと全く同じに量質転換の弁証法的連関が、物質と価値との間に存する。――理想も亦、かくして現実の結論的効果であり、夫が理想主義やユートピヤのものでない限り、現実の集中的な、集約的な、焦点的な、表現である。丁度政治が経済関係の集中的表現であるのと同じ理屈だ。経済上のただの利害が、なぜ一体高遠な政治の理想になったり、正義の情緒となったりするのか、そうしなければ説明出来ないではないか。自由が必然の認識だということも亦、そういう仕方で理解することを必要の一つとしている。自由は必然関係の要約であり、その後の必然性への見透しのための原則なのである。――認識主観という鏡の前には、実は、模写の実際的実践に際して、一つの凸面レンズがあるのである。之が対象たる現実実在を絞るのである。認識・模写・に於けるかかる実践的機構が、価値・理想・自由、それから又「道徳」・「人生の意義」・等々を効果する。そう云えば、観念論者も、もう吾々に反対しなくなることだろう。
 之が価値の存在からの発生である。もしそう云うことが気に入るなら、価値の創造と云ってもいい。認識は価値を創造するものだ。文化価値を創造するのだ。そして恰も之が「思想」というものではなかったか。思想家は価値を創造したり転倒したりする者だと思われている。――ただ、創造というと、すぐ様「無からの創造」ということを考えたがる。事実、創造という観念は無からの創造の方が純粋で徹底しているのだ。だが、「無からの」認識とでも云うものを考えて見ると、夫はとりも直さず認識論の無だ。なぜというに、認識を無から説明するとは、何等認識を説明しないことに他ならぬから。で私は、創造という言葉を信用しないのである。

 思想は文化を一貫する。之は諸文化領域を流通する通貨である。諸文化領域間の交易は、他の何物によるのでもなくて、正に思想そのものによるのである。このことを夫々の文化領域が自覚しない限り、自然科学は自然科学の、社会科学は社会科学の(一般に科学は科学の)、それから文学は文学の、垣の内の地方現象に終らざるを得ないのであって、之は専門とかアカデミー的態度とかの、最もみじめなカリケチュアとなる。思想的容量を持たない文化は、文化でなかった筈で、実は何等の人間的な認識の名にも値いしない。世間には専門家的馬鹿者やアカデミーがいくらでもいるが(それにジャーナリズム馬鹿も多い)、之は思想と認識との意義を充分にわきまえない徒輩のことを指すだろう。
 だが思想を諸文化領域に共通の通貨と云ったが、併し現実の流通は云わば金貨で行なわれるのではなくて、夫々の文化領域に特有な兌換券で行なわれる、と云っていい。つまり夫々の文化領域は夫々特有な思想のジャンルを有つのである。思想は夫々の領域に於て衣裳を異にする。或いは寧ろ、異った衣裳の夫々の思想が、夫々の、科学とか芸術とかいう文化のジャンルに他ならない。
 文化理論は広義に於ける認識論の総合的な目標であると云っていいだろう。夫は決してあれ之の文化哲学や何かの問題ではなくて、それ自身認識論の内容でなくてはならぬ。今之を一々論じている余裕を有ち合わさない。特に重大な点だけを、一二指摘しておくに止めなくてはならぬ。
 まず第一は、科学と芸術との関係である。科学が何であるかについては、すでに科学論や科学方法論なるものが説明して来ている。之は云うまでもなく、広範義に於ける認識論の有力な内容をなすものであり、「科学論」の文化全面への拡大がこの認識論であるのだ。科学は文化の近代に於ける最も巨大に発達した領野である以上、科学論が文化理論としての認識論の内で最も重大な部分であるのは当然だ(これに就いて私はすでに他の著書で触れたから今は省略する)。同じ重大性は芸術一般についても見出されなければならぬ。――だが芸術一般についての「芸術論」なるものは、まだ必ずしも科学論のような学術的伝統を有ってはいないようだ。科学論は哲学の一分枝として略々公認された専門領域であるが(そのことの批判に値いする点は別として事実だけを云うならば)、芸術論はまだそういう伝統的な資格を有つには至っていない。どんなに卓越した「芸術論」があったにしてもだ。――だがそれにも拘らず、科学と芸術との関係は、「科学論」の関心からも、芸術論の興味からも、最もしばしば問題にされて来ている。
 特に著しいのは科学と文芸との関係だろう。文芸は言葉と概念とによる芸術の様式である処から、その思想の思想性は、科学(乃至哲学)と最も近親関係をとり結んでいるからだ。思想の衣裳たる思想性が近親関係にあるだけに、科学的思想の衣裳と、文芸的思想の衣裳との区別連関が、最近最も多く論じられている。之を科学的真理文芸的文学的真理との関係と云い改めてもいい。真理は素より、幾種類もあってはならぬ。こっちで真実なことはあっちでも真実でなくてはならず、あっちで虚偽なことは、こっちでも虚偽でなくてはならぬ。真理の妥当性について云えば、それでなくてはならず、又それでいいのである。だが真理とは認識全般の対象であり、思想そのものの目標であっただけに、之亦夫々の衣裳を異にしているのが事実である。科学に於て真実なものも、そのままでは文学的真実にならず、文学的に許されることが、そのまま、科学に於ても許されたとは限らない。思想の二つの衣裳の差が、ここでは口を利くのである。つまり科学と文芸という二つの文化形象自身の差が、物を云うのである。勿論そういう文化形象の具体物を離れて、思想も、真理も、認識も、なかったのだから。
 科学と文芸(乃至文学)との差別については、少なくとも古来から、多くの言葉が費されて来ている。両者の区別は大抵の文学論や文芸概論には見えている。実際、あれこれの差を探し出して、之で以て両者の連関の説明に代えることは容易なことだ。科学は概念的であるが文学は直観的であるとか、科学は死んだものだが文学は生きたものだとか、科学は説明だが文学は創造であるとか、そう云った種類の区別立てを幾十となく持ち出すことが出来よう。――だが必要なのは、両者の間の認識論的な系統的連関である、単なる思いつき的な相違点の若干というものではない。
 私はかつて「道徳の観念」(前掲)に於て、この連関に触れておいたから、ここで繰り返すのはやめよう。要点は科学に於ける科学的認識が使うカテゴリー体系と、文芸に於ける文学的認識が使うカテゴリー体系との関係に横たわるのであって、科学的認識に於けるカテゴリー体系は、科学的カテゴリーの、人生的(ヒューマニスティック)な道徳的(モラリスト的)な一定変容でなくてはならぬというのである。つまり文芸がその創作作品に於て用いる諸概念は、思想的な核心に於ては科学のカテゴリー体系のものであるが、之を特に文学的表象に形象化して使うのであって、科学的カテゴリー・科学的概念・がそのまま文学的諸観念にはなり得ないと同時に、文芸には何か科学的諸概念と全く独立な「文学的」カテゴリーというものがあるなどということは、許されないというのである。科学的カテゴリーを文学的表象に化することに於て、文芸的諸観念は、特有に意味的・表現的・な性質を帯びて来る。この関係を広義の想像力と呼ぶことも出来る。意味や表現の力点は、文学に於ける象徴などに極端に出るし、想像力は虚構(フィクション)などによって知られているだろう。にも拘らず、こうした文学的形象は科学的概念を母艦としての活動に他ならないのである。もしこういう母艦関係がないとすれば、二つの衣裳に於ける科学的真理と文学的真理とは、もはや単に衣裳の差ではなくて、二つの真理自身の対立とならざるを得まい。これではもはや真理ではなく正に背理だ。科学と文芸とが、お互いに他を排除しなければ成り立たないなどという、馬鹿げた結論とならざるを得ない。凡そ真理や思想や認識や、そういう論理的なものに於ては、文化論型(Typenlehre)式の相対主義は禁物だからである。
 科学(之は自然科学だけのことではなく社会科学、歴史科学にも力点を有たねばならぬが)と文学との以上のような関係は、之を科学と芸術一般との関係へ拡大することが出来るだろう。今それはとに角、第二の要点として、さっき科学的真理と文学的真理とを連関させる関節として、人間性や道徳を持ち出したことを、思い起こそう。道徳現象は一つの外的な社会現象に他ならないが、之を裏づけていると考えられる道徳意識――必ずしも固定した道徳律や徳目や国民道のことではない――を私は、特に道徳と呼びたいと思う。なぜというに、道徳がもし文化的批判力を意味するものとするなら、既成制度が道徳なのではなくて、この既成制度に対する批判意識の方こそが道徳でなければならぬからだ。もし道徳をそういう意味で使うことがいけないと云うなら(実際は卓越した常識はそういう風に使っているのだが)、では之に代る名前が何であるかを私は尋ねたい。文学的思想のもつ批判力、文学的認識の真理能力、之はモラルの追究でなくて何であったか。
 で道徳は、生きた認識過程としては、思想活動としては、文芸其の他の芸術に於てしか存しない、とさえ云うことが出来るだろう。吾々は道徳という観念が何であるかを、必ずしも明らかにして持っているわけではないのだから、右のような仕方でこの観念を検討し直すことが、認識論上の収穫を約束するためには有効ではないかと考える。
 第三に、道徳に較べて宗教という文化の衣裳の方は、すでに多少整理の方針が立てられて来ている。之を観念論の倒錯した特殊の形態として、一般的に概括することが行なわれているからだ。もし宗教の或るもの或る場合が、文化否定の立場に立つが故に、之を文化に数え得ないと云うなら、併しそういうものも、文化としては文化の衣裳を纏わざるを得ないということに注目すればよい。文化として存在しない以上は、それは今の場合の吾々にとっては無であるからだ。
 所謂宗教と呼ばれるものが、個人的又は一群の個人に共通な単なる生活信念に止まる限り、夫は云わば私事にぞくする。そういうものを歴史家は併し宗教とは呼ばない。或る文化的な発達物であって初めて宗教の名に値いする。社会に於ける支配層や被支配層に対する交渉に於て、教化・布教・政治的利用・流布・等々の歴史的交渉に於て、初めて宗教という観念に嵌まって来るのだ。この時初めて、生活信念はある一定組織を有った伝承物としての信仰となるのである。宗教はだから常に神学的条件を持っている。宗教が一種の観念論だと云われる所以は、この神学組織故にであることを忘れてはならぬ。
 だが、之は神学というものの認識論的な本質とも関係のあることだが、宗教が道徳意識との間に、肯定的又否定的な否応なしの関係を有たねばならぬ通り、実は夫は文学的な本質を有ったものなのである。宗教聖典の凡ては歴史的に見れば何よりもまず文学作品としての価値によって伝承に値いして来たものだ。だから普通文化的な(ファナティックや病的なものや原始的なものは別として)宗教意識と考えられているものは、殆んどすべて、文学的意識の或る特別な形であるとさえ云っていいようだ。それは必ずモラルの探求という形を取るだろう。ただ、このモラルは文学的真実に於てのような批判意識としてではなく、教義の伝承に纏わる文献学的(文学的!)な躾けを有つことであり、ここに所謂研究と信仰との区別なるものがあったのだが。
 でこうなると、宗教なるものは一方哲学的理論に解消し、他方文学や文献学に解消する。後に残るものは高々人間的信念だけだが、それはつまり文化の一般特色にぞくするものでしかない。それ故宗教を文化の独立な安定したジャンルと見ることは、不可能だろう。――宗教という観念にどんな既得表象をなげ入れるのも、どんな希望や期待を投入するのも、人々の自由である。尤もあまりに自由でありすぎるのが現状なのだが。だが問題は、文化として、認識・思想・として、それが独自な安定を有つかどうかである。人々はよく、宗教的真理というものに就いて興奮したがる習性を有っているが、それが何等かの形而上的な反科学的な反対真理のことでないとすれば、夫はただの真理のことであり、ただの人間的真理のことにしか過ぎないし、もし反対に、そういう反科学的な反対真理であるとするなら、之は要するに観念論の一種である処の、神的(神学的)真理――地上と独立した天上界の論理・解釈哲学――のことでしかない。宗教的真理という何か特別なものがあると思うのは、文化的迷信と断じるべきだ。
 こういう宗教否定(と呼ばれてもよい)の態度に対する宗教愛好者の反抗は、大抵理論的であり得なくて、云わば人格的(アド・ホミネム)である。論者側の宗教的体験の欠乏とか、人格の卑しさとかに、宗教否定の原因が発見されるのを常とする。だが、そう云うなら逆に、思わせぶりな宗教擁護こそは、認識徹底力の欠乏の遁辞であり、文化的俗物の常套手段である、と云うべきだろう。之は人生に於ける最も卑しいものでさえあろう。――だが私は今所謂宗教批判を当面の目的としているのではない。文化の諸領域を貫いている或る一つの病理現象を指摘するために、文学と並べて宗教をも問題としたのだ。それはこうである。
 文学・哲学・などを中心として発生している一つの認識論上の誤謬、虚偽思想を、私は文学主義と呼ぼうと思う。之は文学中心主義や文学至上主義などのことではなくて、科学的カテゴリー体系と独立した何等かの文学的カテゴリーの体系の如きが厳存するという想定から出発する一切の思想のことだ。こうした想定が認識論上許すことの出来なかった所以は、すでにさき程述べた。にも拘らずこの文化的病理現象は、文化の思想的体位の低下と共に、伝染力を得て来るものだ。純文学などが文芸の垣をのり越えて評論や政論の世界にさ迷い出る時、この症状は誰の目にもあまるだろう。科学性の洗練を受けたことのない純文学であるからだ。文化的自由主義の一つである文化的形而上学も亦、純文芸に照応するような文学主義的哲学であることを見落してはならぬ。
 之はごく一般的な形の文学主義であるが、その特別な形として、文献学主義というものを注目する必要がある。之は文献解釈の方法又は精神を以て、思想全般のやり口とする解釈哲学の類だ。これには、必ずしも直接文献の引用注解によらないより一般的な解釈の哲学もあるし、実際古典的・超現代的・な文献を現代の権威として持ち出して来る哲学もある。前者は解釈学(ヘルメノエティック)系統の文化的自由主義哲学であり、後者は多くの日本主義哲学や仏教徒や儒学者の思想体系がその例となる。封建的・中世的・古代的・なカテゴリーを、いきなり現代の資本主義社会のカテゴリーとして持って来る、その出所は他ならぬ文献の無批判な引用(広義の)なのだ。――処で文献とは学究的・記録的・資料的・な資格を有った限りの文筆作品なのだから、この文献学主義は、さっきの文学主義の一種なのである。宗教の認識論的機構の内にも、この文献学主義の大きな役割が含まれていたわけだ。
 だが東洋には最も早く、又最も支配的な形で、教学の精神なるものが起きている。今日それが最も根強い伝統として残り、又或る必要からこの伝統の偶像再興を企てつつあるのは、世界広しと雖も資本主義日本ただ一国であると云ってもいいだろう。教学主義は日本に於て今日特異な文化的用途を持っている。――教学の内にキリスト教神学をも数えて数えられないことはない。だがそれが「教学」という東洋的言辞として熟したのは、東洋に於てである。儒教や仏教なしには、この言辞による観念は今日の社会的地盤を持ち得なかった筈だ。教学は、東洋的な意味に於ける教えであり学びである。之は普通の科学でもなく科学的教育研究でもない。人格的・道徳的・道学的・な権威と感化力に基づく教化であり、民衆に対する支配者の文化政策の前資本主義的形態であるのだから、之は一種のほぼ封建的な教育活動であると共に、又一つの政治活動(修身――経国――治国平天下)であり、徳育政治という意味での徳政(但し殿様の借金の踏み倒しのことではない)である。実践と理論との一種のアジア的一致なのである。之が最近の日本の社会事情・文化事情・の下に、特別な思想的媚態を示し得るのは当然だろう。
 処で日本乃至東洋に於ける宗教と考えられるもの、之は一面に於て科学乃至哲学に類似し、他面に於て倫理道徳に類似し、又二つの場合を一括して文学的学殖にも類似するというわけで、その間の関係がどうもスッキリしない事物であり、従って之を普通の宗教一般(実はキリスト教を典型とする)と同じに取り扱うことは、あまり適切ではなかった底のものだが、併しそれが教学という特殊な思想衣裳のものであったことを思い出せば、焦点は忽ちハッキリするのである。東洋に於ける宗教は、仏教から始め儒教、更に神道に至るまで、教学としての本質を持つことによって発達して来ているのである。教学は宗教でないのではない。だが単に宗教一般であるのではなくて、或るもっと歴史的に固有な文化のタイプでなくてはならぬ。
 処が教学主義は例外なしに前資本主義的伝承の文献解釈によっている。だから之は一種の文献学主義であったわけだ。従って又一種の文学主義でもあったのである。こう考えて見る時、さっき云った哲学や文学に対する宗教の本質的依存の関係も、おのずから明らかになるだろうと思う。特に東洋的乃至日本的宗教(文化宗教に限るが)についてはそうだ。この種の「宗教」に於ける教学主義の症状は、文学主義と文献学主義とへの一続きによって、形而上学と文学とへの伝染系統を持つものだったのである。
 文学主義――文献学主義――教学主義の一続きの病理現象の共通点は、終局に於て、生産技術論理的範疇とが連絡させられていないということである。文学主義は科学的範疇を無視する。科学的カテゴリーは生産技術と共軛連帯の関係にある云わば技術的カテゴリーであったのだ。文献学主義は世界の解釈に終止する。意味というものの独立主体化した世界に於て、馬場の内をかけ回る競馬馬でしかない。そういう世界は現実社会の生産関係などと無関係に、何とでも学究的に又詩人的に描き出され得るのも尤もだろう。そして、教学主義位い、資本主義的生産機構や技術に無関心なものはない。独り資本主義的な生産に限らず、一般に生産活動から遊離した君子や士大夫、教化者、神職、のものであった以上、又止むを得まい。而もそれが、今日、資本主義的に高度な日本の生産機構・生産技術・の精神とされようとするのだから、この弱点は愈々露骨にさらけ出されるわけだ。――生産機構の圧力に対して頬かむりすること、生産技術を黙って着服しつつ顧みて他を云うこと、そうした反技術的精神こそが、以上の思想的病理症状であった。
 科学的精神なるものの認識論上の絶対的な価値が、ここに必要なのである。以上の症状は、他ならぬ科学的精神の欠如の現代に於ける形態に他ならない。科学的精神は、単に科学の精神、科学研究の精神、科学者の精神、という精神ではなかった。之は広く、一切の文化領域を一貫すべき文化の真の意味の謂であり、思想の真の態度の謂である。勿論、科学者の専門家的な欠点を拡大した所謂科学主義などと、之は縁もゆかりもありはしない。――もし思想というものが要するに何でなければならぬかと問われるなら、吾々は「科学的精神」と答えねばならぬ。現代の認識論はそう結論しなければならない。

 さて以上のようなものが認識であり真理である、意識であり精神であり文化である、そして思想なのである。それを広範義に理解することがなぜ必要であったかは、現実の情勢が教える処だ。だから今やこういうものを検討する認識論も亦、広範義に於ける認識論でなくてはならぬ。認識論は人間認識の史的発達を要約するものである。認識の弁証法発達とそこから結果する認識の弁証法的構造との検討である。そういう点で之は論理学であり又或る意味に於ける弁証法であるとされた(之は「哲学のレーニン的段階」と呼ばれる関係に帰着する)。だが就中必要なのは、認識論が有つ現実社会に対する今日の任務だろう。広範義に於ける認識論は、この実際上の必要に基く。その時之は思想の科学となる。
 実際的な用途に於ける哲学・文化理論・は、思うに「思想の科学」としての、この広範義に於ける認識論である。だが――私は今、単にこの認識論の序言を書いたにすぎない。

底本:「戸坂潤全集 第三巻」勁草書房
   1966(昭和41)年10月10日第1刷発行
   1972(昭和47)年12月20日第6刷発行
初出:「認識論」戸坂潤、山岸辰蔵、三笠書房
   1937(昭和12)年10月
入力:矢野正人
校正:岩澤秀紀
2011年10月21日作成
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