文学という言葉を文献学という意味に使い、所謂文学の代りに文芸という言葉を使え、という意見もあるが、私はにわかに賛成出来ない。文学は単なる文芸でもなく又文献学でもなしに、ある他のもっと大事なものを指していると私は考える。
 世間で文学と呼び慣らわしているものをよく見ると、必ずしも芸術の一様式である文芸のことばかりを意味しているのではない。文芸を浸潤し、更に広く他様式の芸術的表現全般を貫徹し、それだけでなく哲学乃至科学にまで連関せねばおかぬ処の、或る脈々たる生きた真理を、世間では文学と呼んでいるのである。之は勝義に於て、思想と呼ばれているものに他ならないのだ。
 独り文芸に限らぬ思想的背景が、殊更文学と呼ばれているのには、一つの理由がある。この搏動する思想は、色や形や音に固有な表現様式の下に於ても、それに拘らず、常に言葉の影像を以て云い表わされ、又は言葉の影像へ翻訳され得る、という事情を持っている。言葉の影像とは、そういう種類の普遍性を有っているものだ。そこで文芸に通じる文学という言葉が、広くこの思想の精髄を云い表わすことになるのである。
 以上のような意味に於ける文学に就いて私が関心するようになったのは、無論、思想一般の問題を通じてである。文化の批判乃至文明批評の必要に沿うてなのである。――併し新聞や雑誌に載せた文学に関係する論稿を今集めて、一冊の本に整理して見ると、一体私がどういうものを探索していたかが、自分でも初めて判るような次第である。私は改めて「思想としての文学」という課題に気が付くようなわけだ。
 私が到達せねばならぬと考えていた観念に、科学論の領域ではとも角も辛うじて一応到達出来たと思うが、文学の領域ではまだ私はそこまで進んでいないと云った方が本当だろう。この課題の唯物論的な解決は私流には之からだ。併しそのための踏み台としてはこの本は多少の意味ある示唆を含んでいると思っている。特に文学と道徳との関係、道徳というものの新しい意義、そして之等のものと科学との連関などの分析に就いては、私は今後に向かって相当の希望を有っているのである。
 課題の解決の成功不成功などは、この評論集では殆んど問題にならない。この本の存在理由は、それよりも「思想としての文学」というこのテーマ自身の独特さにあるのだと思う。このテーマの特異性を既成のマンネリズム的議論に還元することなく、その要領を指導して呉れるような意味ある批判をまつものである。

 第一部は文学の比較的基本的な一般的テーマを、第二部は文学が含む個々の問題を、第三部は文学の割合周辺に位置する問題を、取り扱った。無論略々一貫した観点で貫かれていると云っていい。
 どの文章も時局的な意味のある主題に従ったものだが、併し時評を主目的としたものは載せなかった。――文学に直接関係ある文章は拙著『日本イデオロギー論』〔本全集第二巻〕と『現代哲学講話』〔第三巻〕とに少なくない。之を再録しないのは不便であるが止むを得ないだろう。但し絶版にした旧著『現代のための哲学』中から、「純文学の問題」と「共通感覚と常識」という相当古く書いた二項目を保存することにした。之はこの絶版本の改訂再版(『現代哲学講話』)には載せなかった部分にぞくしていたからである。
 校正その他に就いて本間唯一氏を煩わした。
一九三六・二
東京
戸坂 潤
[#改ページ]


第一部




 論理学の教科書などには、表象と概念とを区別して、前者を心理的なもの後者を論理的なもの、としているものが少なくない。だが、何かの内容なり対象なりを指し示さない表象はないのだから、表象であってもいつも、何等かたとえば「意味する」というような論理的作用に於て成りたつのであるし、それから概念が云うまでもなく観念の一種の資格に他ならなくて、心理的機能にぞくする事も議論のない処だ。して見ると、表象と概念との区別は、心理的であるか論理的であるかという点にあるのではなくて、仮に之をごく主観的・観念的な観点から見るとすればいずれも心理的な範囲に於けるものの区別だし、又之をもう少し客観的・実在的な点から見ればいずれも論理的な範囲に於けるものの区別なのである。
 心理的な区別と云ってもよし、又論理的な区別と云ってもいいが、とに角、表象と概念とが、他ならぬ実在との関係如何によって、区別されるということが、今大事な点だ。尤も実在と云っても色々の意味と種類と段階があるが、仮に最も疑うことの出来ない実在と考えられる外界の現実を、実在一般の標準にとれば、さし当り問題の混乱を防ぐことが出来る(自我があるとか自分がいるとかいうような、一般的な抽象物は、それだけですでに実在の資格を欠いている。夫は実在ではなくて認識論的想定に過ぎないからだ)。
 表象は之を観念(アイディア)や影像(イメージ)だと云っていい。と云うのは、フト思いついた着想や、考え出した理想や願望や方針、又は脳裏にこびりついて離れない想念、そうしたものは、多くの場合客観的現実(夫は外界の存在によって条件づけられている)からは無関係な主観の自由意志ともいうべきものだけによって、保証されているものだが、こうした勝手な気儘が、一応、表象の有つ本質的な特色なのである。人間は恐らく自由な表象の最も発達した動物だろうが、又人間ほど自由な表象を愛する動物もない。無条件な徹底的アルビトラリネス、全く理由も根拠もなしに悪を為し得るとか、世界を一杯の紅茶に代えても悔いないとかいう、そういう真正の意味に於ける自由意志説は(その論拠はニヒリズムにまで行かなければ停止しないが)、人間のこの自由な表象の偏愛癖が、馬鹿々々しく誇張されて理論の外観をとったものに他ならないのである。
 表象の偏愛は云わば人間の論理的本能の一種のようなもので、それが凡ゆる機会をまち伏せして頭を出すのであるが、併しそれだけに、そこに何かの合理的な核心が横たわっているだろう事は、感じ取らねばなるまい。ただ根本的な救うべからざる誤謬(之は正に人間的誤謬になるわけだ)は、この表象なるものがその合理的な核心とは関係なしに、馬鹿々々しく全般化され誇示されて、みずからナンセンスへ導くという点なのである(一般に観念論はこのような次第で成り立つのである)。
 表象が著しく有っているこの誇張の能力、空想力、示唆力、象徴力等々は、すでに多くの人が古くから今日に至るまで、指摘し続けて来ている。認識を象徴記号の体系と考える哲学者や自然科学者、群集心理や催眠術に於ける示唆の役割の説明、先天的空想力(カントの先験的構想力)による認識理論や芸術理論、それから文学に於ける誇張の積極的な役割の提唱(例えばゴーリキーに見られる)、などが夫だ。だが、それにも拘らずその合理的核心になると、夫については、余りハッキリしたものを吾々は之まで与えられていないと思われる。――表象がもつだろう合理的核心、それの空想的な肉づけを支える健全な骨格を、解明するものは、処で概念でなければなるまいと思う。
 表象と概念とを極めて計画的に区別したのがヘーゲルであったことは、人の知る通りである。ただ彼は心ならずも概念をば、自分みずから知ることをその唯一の肉体にしているらしい精神(世界精神)に還元して了ったので、概念は遂にただの観念(イデー)の類に帰着して了った。之では科学的・理論的な実証的概念と妄想的表象との最後の区別は、遂に払拭されて了わざるを得ない。もし神の世界創造が妄想による計画によったとすれば、ヘーゲルはそういう神様をも義とし、之を弁護しなければならない義理になるのである。――云うまでもなく概念の唯一の真の役目は、夫が実在を把握することであり、従って又把握され反映されたものとしての実在を、それのみが指し示し得るということにあったのである。
 吾々が日常使っている諸概念は、人間の経験(生活をテストし淘汰する処の)を通じて歴史的に発達した認識の諸成果であって、従って論理機関の部分品なのである。認識の歴史が織り上げた範疇組織の、繊維で夫はあるのだ。概念とは、理論的認識のために歴史的に用意された云わば科学的写本であって、吾々は日常之を使って(尤も大抵の場合には好い加減にしか使っていないのだが)活きている。技術学、自然科学、社会科学、等々に基く一切の生活上の認識が、皆之から出来上っているのである。
 処が併し、実際には世間の人間は、何もこういう科学的範疇・理論的概念だけを使って生きているのではない。彼等の多くの者又は或る者は、概念は死んだものとさえ言っている。そういう連中の気持では、この範疇=概念なるものは少しも尊重されるに値いしない。彼等は概念とは全く別な何物かを欲している。そこで例の自由な表象の方が採択されるというわけなのである。概念は死んでいる、之に反して表象(観念)は生きている、表象(観念)は自由だが概念は不自由だ、と彼等は云うのだ。
 併しもっと悪いことは、単に概念を斥けて表象を歓迎するだけではなく、概念の代りに表象を動員しようとしたり、概念と表象とを一緒くたにして混成チームを造り上げたりすることだ。科学的理論の代りに妄想の体系をでっち上げたり、理論的分析の中に、平気で詩的文学的な観念連合の一鎖をはめ込んだりするのである。科学的概念で分析する代りに文学的表象で科学的結論を出そうとしたり、科学的概念で或る程度まで行くと、それから先は、何の云いわけもなしに、急に文学的表象へ話しを切りかえて了ったりする。――今日の形而上学(ベルグソン、ニーチェ、キールケゴール、西田哲学、其の他其の他)がなぜあんなに文学的な美しさを持っているか、そしてなぜ、にもかかわらず信用出来ないかは、今のこのやり口からよく説明がつく。之は論理上の文学主義とも云うべきもので、概念の代りに表象を愛するというあの人間的偏愛の上に成り立つ処のものだ。云うまでもなく文学自身について云えば、この文学主義が特に著しい。
 で、概念(科学的範疇)と表象(文学的諸観念)とを峻別するということは、広く科学乃至哲学にとって、又文学にとって、今日何より大事な課題なのだ。――だが、この点、すでに私は何遍も触れたことである。

 問題は、科学的概念と文学的表象との区別を通じて、その結合の仕方如何にあるのである。
 科学的概念と文学的表象(人間的表象?)との使用上の峻別を説いたが、すでに多くの人達が概念は死んでいると考えたように、概念と表象との区別は寧ろ一見初めから明らかであるとも考えられるだろう。併し同時に又、二つはそれ程違ったものではないという外観を呈することも指摘しておかなければならぬ。自然科学に於ける諸概念、例えば質量の概念などを取って見ると、普通之は力と加速度との関係によって定義されている。処が夫は全く便宜的な説明のためにすぎぬのであって、質量の概念は之によって決して定義されて了ったのではない。現に質量には重力質量と惰性質量とが区別されるし、ただの「物質的」な質量の他に電磁的質量も考えられる。でつまり質量という概念は、物理学者の生きた直観に従って使われて初めて、科学的概念となることが出来る、ということが判る。そしてこの種の直観は、直覚的な暗示や連想を抜きにしては決して働くものではない。自然科学の諸概念も、だから、普通考えられ易いように、死んだものなどは決してない。数学に於てさえも、こうした直覚が如何に活きて働かねばならぬかという事は、洞察ある多くの数学者の主張する処である。
 だから文学的表象まで行かなくても、科学的概念がすでに、示唆や想像や拡張力や象徴力というような直覚性を不可欠なものとして有っているのであって、之は概念が実在を把握し反映するために必要欠くべからざる機能にぞくすると云わねばならぬ。だがここに大切なのは、概念が他ならぬ実在を把握し反映する限りに於て初めてこの機能が必要だったという点なのである。つまり、こうした諸概念を結合することによって実在の客観的認識を齎す際に、その結合は常に実在そのものの連関を再現するように行なわれなければならぬ、という点が大切なのだ。新量子力学や波動力学では、波動とか粒子とかいう範疇を極めて空想的に使用しているが、それにも拘らず夫が依然として科学的範疇の資格を失わないということは、夫々の理論が、理論的に同価値(エキヴァレント)であることによって、実在関係の唯一の反映であることを説明しているという点から、知ることが出来る。之に反して、例えば精神波動(?「生長の家」の)の如きになれば、第一に文学的表象として貧弱極まるものだろうが、とに角少なくとも、科学的範疇では絶対にない。メタモルフォーゼ(転身=変態)や親和力の観念あたりは、科学的想像と文学的想像との境界地帯に横たわっているだろう。文学的表象として之は今日でもその価値を失わないが、科学的概念としては今日では殆んど無用に帰しつつあると見ていい。だがそれにしても、かつてはゲーテ時代の自然科学(進化論は勿論のこと原子価の理論もまだ明らかでない)にとって、こういう云わば文学的想像に近い科学的想像力が、科学的認識に有効であったという歴史的事実は、今日に至っても消えはしない。
 文学的表象は確かに、科学的概念よりも、観念として自由だろう。どういう程度に自由であるかが之からの問題なのだが、とに角自由だ。と云うのは、文学的表象に於ける示唆・空想・誇張・象徴がより自由なのである。だが、本当に徹底的に自由無拘束ならば(尤もそういうことは世界の構造上あり得ない仮定だが、併し哲学的神学者は好んでそういう仮定を採用したがる)、少なくとも示唆とか誇張とか象徴とかいう能力そのものが無意味になる。何かの核心があるのでなければ、之を示唆することも誇張することも象徴することも出来ない筈ではないか。残るものは純然たる空想というものでもあろうが、併し実は与えられた現実を踏み台としなかった空想などは、未だかつて無かった。して見ると、文学的表象と雖も無下に空想的なものではなかったので、その根柢にはいつも何かしら核心があって、その核心の周りを文学的ファンタジーが羽搏いていたに過ぎない。之は当り前のことだ。
 だから、科学的概念も文学的表象も、いずれも想像力其の他の直覚の本性を有っている点では、即ちそういう単に心理的な点だけから云えば、二つは程度の差こそあれ、本質的に別なものではない。――処が科学的概念は云うまでもなく、実在との一致という合理的核心をその直覚の根柢に持っていた。そして文学的表象もその空想の何等かの核心を有っている。で問題は今、文学的表象のこの空想の核心が、どういう場合に合理的であるかという論理的な区別に逢着するわけである。
 ここに合理的と云うのは併し、決して所謂合理主義なるものに基くことを意味するのではない。世界の認識・世界の探究・のプロセスにとって圧倒的な必然性をもったものが、合理的なものだ。だから、合理主義から云えば非合理的要素に数えられるだろう実践や実験こそが、実は合理的なものの代表者となるのであり、歴史的社会の偶然とも考えられそうなアクチュアリティーこそが合理的な必然性をもつのである。そこで今、文学的表象の核心が合理的であるためには、夫は一般的に云って、自然科学や社会科学に於ける理論的範疇が有つ合理性と、少なくとも或る一定の直接的な関係に立たねばならぬということになる。科学は自然や人間社会という実在と自分とが一致することの内に、その認識の合理的核心を有っていた。文学的表象による探究も、科学のこの合理的核心である理論的範疇と一定の不可避な関係に這入ることによって初めて、その合理的核心を得るものだ、というのである。こう、予め一般的な見透しをつけることが出来る。
 仮に文学的表象のこの合理的核心なるものが、科学に於ける夫と全く同じものであるとすれば、科学的範疇の組織と文学的表象の結合との区別は、その誇張・想像力・示唆其の他の能力に於ける単なる程度の差に帰着して了うわけで、二つのものの根本的な区別は見失われて了うだろう。それでは科学と文学とは一つのものになって了う他ない。では、今云った二つのものに於ける合理性は、どういう風に異るのか。

 まず、科学的概念の結合は公式を産むことが出来るものだということを注意しよう。公式とは、与えられた一定条件が存する処にはどこへでも持ち歩くことが出来る処の定式、そういう普遍者、なのである。だがそうだからと云って、公式がただの抽象的図式であるとか、具体的事情に照せばその限り一種の虚偽にすぎぬものだとか、そういう風に安易に考えられてはならぬ。もし本当にそうなら、科学は決して具体的な事実に於いて分析を施すことが出来なくなる筈だ。処が科学は事物の具体的な分析のためにこそ、特に公式なるものを用いなければならなかったのである。一般に、今の場合に限らず、抽象を用いずに取り扱われ得るような所謂具体などは、それ自身抽象的なものに過ぎぬのであって、初めから少しも具体的な事物などではない。科学的概念に基く公式は、正に科学的分析を具体的にするためのものだ。
 だが同じく公式と云っても、例えば数学のフォーミュラや物理学の法則の式などと、社会科学に於ける公式とでは、その適用条件を異にしている。数学の公式はとに角として、少なくとも自然科学の公式は、社会科学の夫と同じく歴史的な適用条件を付して組み立てられているから、歴史的な一定条件に従ってしか用いられないことに変りはないが、その条件がもつ歴史的限定自身が、自然科学の公式と社会科学の夫とでは、すぐ様同じに行かない。法則は同じく法則であっても、自然法則と社会法則=歴史的法則とではその歴史的制約の段階が同じでない。そういう意味に於て、例えば人口法則は決して自然法則の形を有つことが出来ないのである。無論物理学と生物学とでは同一法則が適用しない事は云うまでもないが、併し法則というから云えば、二つは略々同じ形の法則と見ていいだろう。処が社会科学の法則となると、その形が、自然科学の夫とは異るのである。だが実は、之は今更事新しく述べ立てるまでもないことだ。
 で、歴史的社会が、この特有な社会科学的歴史科学的法則=公式によって、分析されるのだとして(夫が社会科学=歴史科学というものであるが)、併し之は必ずしもそのままでは歴史記述にはならぬ、ということを今注目しなければならない。尤も、歴史は社会科学的・歴史科学的・公式による分析なしには、記述され得ない。併し社会の歴史的分析を以て直ちに歴史の記述と見做すことは出来ないのである。記述は分析ではなくて分析を通じての描写だからである。観念論的歴史方法論が、歴史記述を自然科学的研究法と氷炭相容れないものであるかのように対立させたがるのも、だから必ずしも理由のないことではなかったので、ただこの仕方の根本的なナンセンスは、社会科学的分析を抜きにして、なお且つ歴史的記述をなし得るかのように考えた点に横たわっていたのである。事実また、従来の歴史記述は、可なりの部分、そうした観念的な又観念論的な想像画に他ならなかった。
 処で、歴史記述に於て記述されるものは、もはや公式的に分析(又総合)されるべき内容ではない、公式はすでに記述のために用いられているものであって、改めて今更用いられる必要を有たない。公式を用いて分析されたものを更に記述する時、そこに記述されるものは、時代や事件や人物の性格なのである(単に公式によって分析されるものは之に反して歴史の法則だ)。或いは歴史は性格を用いて記述される、と言ってもいいだろう(之に反して歴史は公式によって単に分析されるだけだ)。――性格と云えば云うまでもなく或るものの特殊な具体的特色のことであるから、夫は全く具体的なものでなければならぬが、併し之も亦実は一種の一般者であることを忘れてはならぬ。なぜなら、一般的に通用する程度にまで纏った形を取らないものは、性格を形成したとは云えないからだ。で性格も亦、描写を(今の場合ならば歴史記述を)、具体的に行なうための普遍物なのである。この点、公式が分析を具体的にするための普遍者であったことと少しも変らないのである(歴史的社会についての、この公式的分析と性格描写との連関を曖昧にすると、例えば理想型というような一種の性格的法則?の観念などが発生する――M・ヴェーバーの如き)。
 公式的分析が目標とする事物の具体性(分析の具体性)と性格描写が目標とする事物の具体性(描写の具体性)とは、決して一つではない。その相違を詳しく分析することは一つの仕事であるが、今はその余裕がない。ただこの点は、却って両者に於ける普遍性の相違の間の方から知ることが出来るから、それを簡単に指摘しておこう。と云うのは、性格なるものが持っている普遍性は、例えばフランス革命とかナポレオンとかいう夫々の実際の性格を離れては、他の事物へ現実には通用しないのであって、もしナポレオンの描写された性格がカエサルにも現実に適用され得るとしたら、夫はナポレオンの性格描写でもカエサルの夫でもなくなって了うだろう。公式の方は之に反して、一つの事物について行なわれたものは、同じ条件の他の事物についても現実にあてはまるものだ。性格が普遍性を有つのは、同じ条件の事物や人物に現実にありのままにあて嵌まるのではなくて、似た条件の他の事物や人物の性格づけに、或る本質的な参照になるということだ。でつまりこの普遍性は観念的な通用しか有たないわけで、そこにおのずから、性格の認識に於ける示唆や想像や誇張や象徴やという、例の文学的表象に著しい心理が必要になるわけだ。
 だがここであくまで念を押しておかなくてはならぬのは、性格描写が、公式的分析を経ずには決して正当には成り立たないということである。この点を無視すれば、性格描写は全くの観念的な勝手気儘な印象か何かに立脚することに終って了うだろう。――ここにとに角、公式と性格とを結びつける合理的な紐帯があるのである。

 さて以上は、科学的概念の側から見たのであったが、文学的表象の問題に来れば、この性格なるもののもつ意味が、どれほど生きて来るかが判ると思う。文学的表象は人物と事物との性格を分析し又描写するものだと云っていいからである。――文学内容は具体的でなければならぬと云う、併しそう云われる意味をつきつめて行くと、本当に具体的なものは現実の自分一身というものだ。もし文学的表象がこの自分一身にしか通用しないような意味に於て具体的であるなら、之は何等の客観性も齎すことが出来ず、従って又何等の真理でもあり得ない筈だ。少なくとも本格的な文学はこの意味に於ける身辺的なものによっては齎されない。文学的表象は文学的具体性を得るためには却って一つの抽象的結合を必要とする。夫が恰も、先に云った性格というものに他ならぬのである。丁度之は、科学的公式や歴史記述の性格づけがそうだったのと、あまり変らない関係だ。
 歴史記述に於ける性格の機能に較べて、文学的表象に於ける性格の機能は、却って、より抽象的だとさえ言われなくはない。歴史小説は本当の科学的歴史描写に較べて、そういう意味で正しくフィクションなのである。之はつまり歴史記述の目標とする事物の具体性と、文学的表象が目的とする事物の具体性とが、違った意味での具体性だということに他ならないのであるが、他方に於て、文学的表象に於ける性格が科学的概念に於けるかの公式乃至法則と、どんなによく平行したものであるかをも、之は示している。文学的表象は性格によって、事物も単に描写するだけではない。同時に之を分析するのである。恰も科学的概念が事物を分析したように。
 で今文学的表象の羽搏きをつなぎ止める合理的核心があるとすれば、之を科学的概念をつなぐ合理的核心から区別するものは、公式と性格とのこの区別だと云うことが出来るだろう。そして、丁度歴史記述に於ける性格づけが、科学的公式を通過しないでは科学的になり得なかったように、文学的表象による性格づけの仕方も、この科学的公式(乃至之に並んでこの科学的記述)を通過しないでは、合理的となることが出来ず、従って又本当に文学的真実をさえも持ち得ない、と云うことが出来るだろう。文学的表象をつなぐ合理的核心はここにあったのである。つまり人間の情意・言動・事件や自然などに就いての文学的性格づけは、科学的概念を通過しなければ文学的真理にもならぬというのである。尤も必要なのは通過することであって、そこに停滞することでは決してないのだが。
 ではこの文学的表象の合理的核心と科学的概念の夫との開き、性格の機能と公式の機能との開きを、吾々はどう解明すべきであるか。と云うのは又、文学的な具体性(文学的現実?)と科学的な具体性との区別が何を意味するか、という問題である。

 自然の上に社会があると云う言葉が許されるとすれば、その社会の上に道徳がある、と仮に云ってもいいと思う。道徳というと色々語弊があるが、例えば社会的習俗や人倫関係、社会的訓練や習慣は、「社会」の方に含まれる。で夫は今云う道徳ではない。もっと主観的な良心や徳目なども亦、社会意識=社会心理としてのイデオロギーであるから、要するに「社会」に帰属する。――で、ここで道徳というものは、或る事物が自然としてもつ問題でもなく、社会としてもつ問題でもなくて、夫が人間銘々の一身上の問題としてもつ問題のことなのである。但しこの一身上の問題は社会や自然自身の問題と離れてはあり得ないということがここで大切ではあるが。
 自己一身上の問題と云っても、社会に対する個人というようなものを問題にするのではない、そういう個人はつまりは社会の一員に他ならないので、社会を問題にすればおのずから解決される筈のものだ。個人一般という問題を解き得ない社会科学は社会科学ではない。では個人一般ではなくて自己という特殊の個人を問題にすることが、今云う道徳か。だがそれは道徳的関心を一種のエゴイズムに帰着させることに過ぎない。ではなくて、実は一切の問題を自己一身上の角度から見るということが、今云う道徳なのである。――存在自身の秩序から云ってではなくて、存在を取り上げる角度から云って、道徳=モラルは社会や自然の上に横たわる、と云った方がいいかも知れない。
 社会と自然とは、この道徳の角度から取り上げられない限り、科学(社会科学乃至自然科学)の角度から見られる。之に反して之を道徳の角度から、自己一身上の立場から、見るのが文学なのである。科学は社会生活者としての自己の一身上の立場から事物を取り上げるのではない。なる程、科学的立脚点も亦、実は主体的なものであって、階級性や党派性を持つべきものであるが、併しこの場合の階級的観点や党派的観点なるものと、この階級性や党派性を自分の一身上の問題にまで直接結びつけるということとは、同じでない。そしてこの後者の方が道徳であり、この道徳を探究するものが文学なのである。科学は自然と社会とを探究する、文学は道徳=モラルを探究する。
 処で大事なのは、社会や自然に就いての一身上の立場からする特別な角度以外に、特別に道徳という分野があるのではない、ということだ。道徳はそれ程、みずからの空しいものであり(道徳と関係の深い良心などを見よ)、従ってこの道徳の探究である限り(文芸的技法の問題や文学史の問題としてではない)、文学も亦みずからを空しくなしうるものだ。科学は不断の自己検討を必要とするが、併し科学自身に就いての懐疑は全く無意味だ。処が道徳とその探究としての文学とは、道徳そのもの、文学そのものを、疑い得るものなのである。道徳と文学とは、之を強いて抽出して見れば、確かに一つの独自の世界ではあるのだが、それにも拘らず、自然や社会そのものを見る視角を離れて何か道徳とか文学とかいう特別な分野があるのではない。もしあるとすれば、夫はパリサイ人の道徳かフィリスターの文学かだろう(俗物に就いては別項を見よ)。
 文学的表象の合理的核心と科学的概念の夫との開き、性格の機能と公式の機能との開き、そして文学的具体と科学的具体との開きは、だからすべてここから説明されるだろう。夫は一身上の具体性と、一身外の具体性との開きなのである。之は必ずしも主観に於ける具体性と客観に於ける具体性と云ったような区別ではない。主体の二つの態度に対応する具体性の区別なのである。――この際、いずれも夫々充分に具体的であり得るということを、記憶せねばならぬ。もし科学的概念によって具体的な世界に徹し得ないならば、科学を追究するものは人間的痴呆でなくてはならぬということになる。
 だがそれにも拘らず、科学的概念によって把握された具体性は、文学的表象によって描き出される具体性にまで、延長され高められ深められねばならぬ。と云うのは、そういう要求は他ならぬ一身上の、それ自身すでに道徳的・文学的な要求なのである。科学的探究は文学的探求にまで追いつめられねばならぬ。それが認識というものの意味だ。ここに初めて、文学的表象による示唆や想像や誇張や象徴が、科学的に必要となるのである。
 併しここに同時に明らかなことは、文学的探究は科学的探究の延長・高揚・深化としてでなければ、認識の名に値いしないという結論である。探究のこのコースを実際に省略したものが「文学主義」であり、多くのブルジョア的乃至半プロレタリア的文学や形而上学なのである。尤も科学的探究を忽せにしないような風を装う文学主義も決して少なくないのは注意を要するが。空想・示唆・誇張・象徴に於て極めて大胆で高邁な自由をもつ文学的表象の翼を、つなぎ止める例の合理的核心なるものは、この間の消息にあった。つまり、科学的概念は道徳的観点の下にまで打ち出されることによって、初めて合理的な文学的表象となるのだ。そうでない文学的表象は、美しい完全な虚偽だ。

 さて私は科学的概念と文学的表象との、合理的連関を説いた。科学と文学、理論と道徳との関係はこうだった。併し少なくともこの関係が、科学そのものの側の自覚からは容易に導けないだろうという事実を見逃してはならないのである。というのは専門の科学者は、あまりこんな風には考えないというのが事実ではないかと思う。科学と文学、理論と道徳、の連絡に興味を有つものは、文学そのもの、道徳=モラルそのものの側からだ。と同時に又、所謂「文学」としての各種段階のブルジョア文学の専門家も亦、事実あまりこうしたことに興味を感じないらしく見える。
 そこで、吾々の問題は、一方に於て道徳家(モラリスト)の問題であると同時に、他方に於ては批評家の問題である、ということになるだろう。実際フランスの多くの批評家、モンテーニュを始めとしてラ・ブリュイエールやサント・ブーヴに至るまで、いずれもモラリストと呼ばれることには意味があるだろう。但し歴史的制限を有ったこの所謂モラリスト達が、大抵一種の懐疑論者であったことは、今の場合と切り離して理解しなければならない。道徳や文学の自己自身に対する懐疑の能力と、判断断定の合理的党派性を欠くこととは、別なことだ。
 科学を文学に媒介し文学を科学に媒介することが、文学の含蓄であり、理論を道徳に媒介し道徳を理論に媒介することが、道徳の含蓄である。文学についてであろうと科学に就いてであろうと、或いはもっと直接に社会そのものに就いてであろうと、凡て批評なるものの場面がこの媒質だ。
 批評一般の文学的・モラリスト的特色と共に、科学的批評とか科学的道徳とかいうものが、決してただの言葉でないことが判るだろうと思う。
(一九三五・一二)
[#改段]


 この間鈴木茂三郎氏が、青木陽平こと木村毅氏の批評を相手どって、遂々東京日日新聞を告訴したという事件は、相当重大な社会的意味を有っている。仮に東日が木村氏本人を引き合いに出して了ったならば、之は普通の喧嘩に過ぎないものになる処を、新聞社の方ではその匿名(又はペンネーム)だったことを根拠にして、新聞社自身が責任を取るかのような態度を一応示しているので、その限りでは、問題は単純に「匿名批評」の問題にあるように見える。
 だが、実は東日が鈴木茂三郎氏の攻撃や告訴を真面目に対手になって取り上げたならば、問題は結局平凡な解決を見た筈であって、「匿名批評」の問題さえも起きなかったろうが、新聞の方では一向鈴木氏の憤慨に正直に報いる処がなかったから、問題は告訴という法律事件にまでなって来たのである。だから、問題の中心は、新聞紙の言論と社会人としての一個人の言い分との対立にあるわけで、所謂匿名批評が善いとか悪いとか、又はどういう批評のやり方が善いか又は悪いかということさえが、実はこの場合の問題ではなかったので、社会的な批評機関としての新聞紙を、社会人が如何に統御し得るかという、新聞紙の批判そのものが問題の核心だったのだ。でこの事件から単なる匿名批評という問題だけを掴み出すことは、この事件の社会的意義を少し横の方へ持って行って了うことになる。――だが新聞に対するこうした批判こそが、実は本当の意味での匿名批評の問題なのだということが、ここでは大事である。
 併しそれはとに角、今日所謂匿名批評が新聞や雑誌で盛んに行なわれているということ、又は少なくとも匿名批評が多くの読者の注意を惹くようになって来たということ、従ってそれだけ匿名批評が重大な何かの意味を有つようになって来たと考えねばならぬということは、一つの著しい現象である。
 一体匿名批評に限らず、一般に批評というものは、批評する方の者が、批評されるものよりも、一段高い立場に立っていることを意識しなければ成り立たないし、又事実一段と高い立場に立っているのでなければ、その批評は客観的に岡目から見ても成功するとは云われない。他人の仕事なり行動なり言論なりを批評するとして、批評する人間も批評される人間と同じ一個人に他ならないのだが、批評する方の人間は、必ず自分の背後に社会人の通念や世論や常識というような何か一般的普遍的な力を意識していて、この自覚によって批評される側の人間よりも一段高い立場に立っていることを意識しているのである。だから仮に批評される側の人間がただの一介の個人の資格しか持たないとしても、之を批評する人間の方はもはやただの一個人ではなくて、こうしたもっと一般的な普遍的な社会的背景を代表している代表者に他ならない。
 批評されるのは甲なら甲という名を持った個人の立場であっても、批評する方は云わば社会の立場に立っている。そうするともはや個人的ではない処の社会を代表する批評者の方は、仮に乙なら乙という名を有っていても、それが乙という名を有っている点に意味があるのではなくて、その乙が社会の立場の代表者某だという点に意味がある、ということになる。ここに批評が元来匿名批評になり得なければならず、事実又夫になり勝ちな理由があるのである。
 この関係が卑小な色々の興味と結び付いて展開すると、人の噂や金棒引きのように、無責任な、即ち責任を社会自身における評判になすりつけて了う処の、「匿名批評」にもなるし、従って匿名批評というと一般に何か卑怯な覆面の切捨御免のことででもあるように考えられることになるのだが、それはものの弊害を以てものの本質だと見誤ることであって、実は一般に批評というもの自身の性質から云って、元来匿名的な意義を有っているということが、批評の特色だったのである。
 尤も社会の通念や世論や常識を代表すると云っても、代表するのは云うまでもなく大抵の場合、矢張り個人で、従って代表するにしても代表の仕方に個人的な差異があることはどこまで行っても実際には消去出来ない点なのだから、批評する側が必ず言葉の通り匿名でなければならぬという理由もなければ、又事実匿名であっては困る批評もあるし、又特に批評者が自己を語る手段として他人を批評している場合も案外多いのだから署名自身に価値のある場合もあるのだが、併し批評というものが、批評されるものの立っている場合よりももっと高い、従ってもっと一般的な、無記名的な立場に立たねばならぬという根本関係が、いつでもそこで物を云っているのを無視してはならぬ。
 さて批評が元来匿名批評的な根本性質を有っているということに、予め大体の見当をつけておいて、吾々の話しを進めて行こう。
 先にも云ったように、批評されるものは、批評するものよりも、社会的な普遍性の点から云って、低い立場に立っている。なる程最も平凡な文学作品でも又極めて天才的と云われる創作でも、夫々の時代の、夫々の社会層、社会階級の、意識を代表している。之を代表していればこそ初めて、その代表の仕方の如何によって、平凡で模倣的だということにもなれば天才的で独創的だということにさえもなるのだ。だが模倣にしても独創にしても、必ずしも自分自身は或る社会的背景を代表しているという意識を有っていない場合が多いという点を、今注意しなくてはならない。吾々が知らず知らず世間の模倣をするということは極めて普通の現象だし、独創の方になると、社会のコンベンションから切り離されたということさえを意味するのだから、批評される創作なり何なりは、自分自身が、之を産んだ社会的な一般的要求なり必然なりを代表しているなどと自覚を持たない方が普通の場合なのだ。
 処で批評というものの機能は、こうした批評の対象物と、之が本当は代表している社会的な普遍的必要との間の、今云った代表関係を、意識的に明らかにする処にあるのであって、批評された側の人間にして見れば、ここで初めて、自分が何をやったかということが却って自分に判って来るのであり、従って又自分が他のどういう動向と意外にも一つであったり対立していたりしているかということも判るのであるし、又批評されるのを見ている読者の側などから見れば、こうやって初めて、この批評の対象物と他の諸対象物との間の統一を客観的な形でハッキリと知ることになるのである。
 で批評というのは、批評家の理解や解釈、紹介や説明や、広告、宣伝をさえ通じて、多少とも社会の水準面から孤立した一切の文化物をば、社会の日常的な統一の内に編み込むことなのである。ここで初めて、専門的に又アカデミックに孤立した文学の世界なり科学や哲学の世界なりが、常識的に洗練されるのであって、そのためには孤立を守るためにしか役立たないようなアカデミカルな粉黛や僧侶階級的な密儀などは之をはたき落して、文化をキャッシュに換算することが批評の任務の第一歩となる。そして之がジャーナリズムというものの第一の仕事でもあるのである。だからこそ批評の前には一つも神聖なものなどはないのだ。
 それで最近わが国などで一般に批評が盛んになって来たという現象は、一切の文化物を選鉱し溶解し精錬するための批評の統一的な「常識」原理が見出されたことを意味しているので、之は又文化の諸領域そのものが一応そこまで発達して来たことと平行することにもなる。少なくとも諸文化が発達して充分に足が地面につくようになり、更に之に平行して、之を踏みこなし、之に注文をつけ、之を駆使する、だけの社会常識の原則が確立しなければ、批評というものは盛んにならない。今日批評が、単に文芸や芸術の領域に限られたものではなくなって、当然なことだが、哲学や自然科学、又社会諸問題の領域に渡って一応盛んになって来たという現象は、最近こうした好条件が初めてわが国を少なくとも一旦は訪れたことに由来しているのであって、マルクス主義の普及と常識化とは、何と云ってもその功労の殆んど大部分を担うものなのだ。マルクス主義によって、マルクス主義的批評は云うまでもなく、非マルクス主義的な又反マルクス主義的な批評さえが、わが国で盛んに行なわれるようになったのである。
 尤も、批評は盛んになってもその批評に何等の権威もないのでは仕方がないのだが、所謂文芸批評などは寧ろその権威に乏しいと云うことこそ最近の情態ではないかと云うかも知れない。併しそれは文学作家などが云いたがる言葉に過ぎないのであって、一体作品の批評と云っても何も作家のために作家に向かって物を云っているものだと決める理由はどこにもないので、作品の批評というものは、作品の読者のために行なわれる方が余程本格なのである。批評の相手は一体個人ではなくて社会なのだ。それに所謂文芸批評というのは今日では作品批評のことにしかすぎず、而も文学者のやるような文芸批評は、文学の内部で文学を移動させて見るに過ぎない場合が多いのだから、之は文学を一段高い社会的背景からタタき直すような本当の文明批評などとは殆んど関係がないとさえ云っていい。最近の所謂文芸批評に権威がないということは、だから、別に文学作家の作品に権威が出て来たことを意味するのではなくて、却って文芸批評などに見られないような本当の批評が最近世間から盛んに要求されているということを、知らず知らずの間に、物語っているものなのである。
 所謂文芸批評には概して主観的・主体的・批評と云って良いようなものが多く、この批評は批評の対象を社会的な普遍的背景からの代表関係に於て捉えない場合が多いので、之が一方に於て多少とも普遍的なテーマでも掴えようとすると、却って文学的作文や身辺雑記と云ったような低調な一種の創作に変質して了うし、それでなければ他方に於てただの印象批評の範疇を脱することが出来ないことになる。そしてここでは作文の答案に必要なものとして、又身辺雑記が誰の身辺に就いてであるかを明らかにする必要からして、更に又アービトラリな印象に一定のマークをつけるために必要なものとして、その批評家の署名が絶対に必要になるのである。なる程、誰も、名も知らない人の作文や身辺雑記や印象に興味を持つ筈はないからだ。実際ここで必要なのは、批評そのものではなくて、批評者の署名に他ならない。――で批評が署名入りでなければならないという批評に対する見解には、少なくとも文芸批評などを念頭に置いている限り、必ずこうしたファン意識が働いていることを見遁してならぬ。
 ファン意識から云うと、批評する側の人間がファンの対象である署名入りの個人である必要があるばかりでなく、その同じファン意識が、批評される対象も亦個人又は個人のものであることを要求する。こうしたファンによれば、批評を見るのは要するにひいきが相撲を取るのを見ているようなもので、必要なのは署名入りの個人と個人との取り組みでなくてはならぬ。批評をするには、まして或る個人を批評するには、批評者の署名が絶対に必要だという意識は、個人に対しては個人が責任を負わねばならぬというありふれた道徳的意識に他ならないのであって、そこでは批評の科学性客観性は、云わば批評の個人倫理と云ったようなものによって置きかえられて了う。だから匿名批評家は卑怯であるとか責任を回避するとか云って、専ら倫理的な形式で非難が加えられるのだ。科学的な批評で問題になるのは、それが客観的な意味をもっているかいないかとか、当っているかいないかとかいう科学的な観点であって、卑怯であるかないか、責任を採るか採らないか、などという倫理的観点は第二次以下の問題な筈ではないか。

 さてこういうようなわけで、一般に批評は最近わが国で盛んになって来たのだが、それから当然起きる現象は匿名批評の流行ということである。批評というものが元来匿名的な無記名的な普遍的な本質のものだったから、従って批評自身が盛んになれば、おのずから匿名批評も流行するようになるのに不思議はないのである。
 だが匿名批評というものの意味をもう一遍よく考えて見る必要がある。匿名やペンネーム(世間ではこの二つの言葉を交々使っているが)であっても、例えばいつも使っている名前はやがて匿名やペンネームの意義を失って了う。世間の人達が一々筆者の顔や資産状態を知らなくてもその筆者は立派に署名入りの筆者であることを失わないように、通用した旧ペンネームは本名の主人公とは独立に、そのペンネームの主人公を造り上げる。その後ではこのペンネームはもはやペンネームではなくなって、そういう一人の人間の本名に他ならぬものになる。それからどんな本名でも、誰も名も知っていない人間の本名は新しいペンネームと何の選ぶ処もあるまい。それから又この新しいペンネームなるものは、読者に取っては、全く他の人間に就いての連想との連関がないものなのだから、結局X・Y・Zと云ったような完全な匿名符号でしかないことになる。――そう云って来ると本当に意味のある匿名は、当然のことながらペンネームでも変名でも又符号的匿名でさえもなくて、完全な無記名の他はないということになる。
 で匿名批評とは実は、批評者の個人的差異を度外視した社会的普遍性の立場に立っていることを云い表わすための形式のものであって、之を、署名入りの個人がその背後にかくれるための形式だなどと決めて了うのは、却ってそう考える人間の心事を暴露するものでしかないのである。匿名などと云うから名を匿して何かをたくらんでいるような気がして語弊があるので(尤も「匿名」というのは匿した名前、即ち変名ということかも知れぬが)、無記名と云えば、新聞の記事を見ても判る通り、別に名を匿すことが目的などでないことが容易に判る筈だ。
 匿名批評実は無記名批評は、社会を代表して批評を下す場合の最も理想的な形式なのである。無記名投票は近代デモクラシーの特色である。よく世間の人間は新聞記事に署名をしろと要求するのであるが、そして私は人一倍新聞記事の無恥と無責任とに業をにやしているのだが、併し仮に署名入りの社会面記事や論説欄に眼を曝すとしたら、その新聞が社会の或る常識を代表して物を云っているという感じは決して起こさせないのであって、単に某々の個人がこの紙上を藉りて個人的に噂を伝えたり説をなしたりしているとしか受け取れまい。新聞記事などは社会大衆の社会的感覚・常識を代表しているという資格を標榜するためにこそ、是非とも無記名でなくてはならない感じがするのである。
 尤も絶対的に無記名な文書は却って匿名批評でも何でもないので、ただの怪文書にしか過ぎないだろう。新聞記事は無記名でも新聞は一定の新聞紙名を署名として持っているのであって、それによってどのような社会大衆のどのような常識をその新聞が代表しようとしているかが示される。そうして初めて新聞は批評的(匿名批評的)機能を果すことが出来る。だから世間の人が、何か個人に興味を持つようなファン意識やゴシップ的関心さえ捨てたら、その時から匿名批評を白眼視する必要も感じなくなるだろう。
 所謂匿名批評は今日のジャーナリズムの上で盛んなのであるが、それは批評という態度が無意味なアカデミックなポーズを清算して、次第に実際問題に忠実な新聞記事的態度が必要であることを感じて来たことを意味するに他ならない。批評が匿名批評(実は無記名批評)化すということは、封建的なアカデミシャニズムに対立する近代的なジャーナリズムの必然的なコースであり、故に又自由な批評らしい批評自身の必然的なコースでもある。それは重ねて云うが、善い悪いの倫理的な問題ではなくて、批評の客観性という見地から観察されなければならない事実問題なのだ。その弊害を論じるのは、その後からでなくてはならぬ。
 無記名批評は大衆の社会感覚を代弁するのではあるが、所謂大衆と呼ばれる不定な観念によって包括される大衆は、階級的・党派的・又セクト的でさえある対立を事実なしていて、その社会感覚としての常識や世論や通念にもそうした対立が露骨だから、所謂匿名批評はこの党派的、否寧ろセクト的と云うべき、利害に結びつけられて考察される場合が屡々である。例えば匿名批評は一派の文士が他派の文士をやっつける場合に使う至極有効な武器だと云ったようなわけである。だが、元来が批評そのものに党派性があるということの方がもっと根本的な事実で、それから又正当な客観的な意義ある党派性がなくては批評というものは抑々無意味でさえあるのであって、そうでなければ批評は批評対象物の客観的な意義を鳥瞰的に圏外から要約して剔出出来ない筈なのだが、併しこれはあくまで一般に批評そのものの本性に帰着する性質であって、何も殊更「匿名批評」の責任ではない。
 所謂匿名批評の特異な点は寧ろもっと別な処に横たわる。匿名批評の任務は批評する人間の個人的な個別性と偶然性とを清算することを理想とするのではあるが、この理想は無論中々容易に実現は出来ない。従って無理に之をやろうとすると勢い、対象を平均値的に近似値的に批評し去る他はなくなる。でこの弊害を出来るだけ少なくして、批評の目的とする効果を達するためには、匿名批評乃至無記名批評は、なるべく事物の要点だけを取り出して而も之を直覚的なタッチで処理する他の道を有たないのである。こうやって匿名批評乃至無記名批評は、断片的となると共に、寸鉄的な箴言の性質を帯びて来る。今日断片的な匿名批評が流行するのは理由のないことではない。そして又、あまり長く書くと必ず筆者が判るのだ。
 だがこうした断片的な短評が何も無記名乃至匿名批評の本領でもなければ理想でもない。批評者が主観的でなくなり、社会的乃至社会党派的客観性を有って来ればくる程、即ち批評が匿名批評乃至無記名批評に近づけば近づく程、却って批評の対象物は、そのありのままの客観的な意義を捉えられることになるというのが、批評の建前なのであって、匿名批評がそこまで行っていないということは、匿名批評が悪いからではなくて、却って匿名批評が充分に発達していないことが悪いからなのである。
 批評の理想は、匿名又は無記名で、ファン的なゴシップ的連想の邪念を起こさせることなく、事物の客観的状態をハッキリと読み取らせる処にあるのだ。匿名や無記名や、又変名や文名で書く時に、調子が落ちたり乱れたりする人間は、元来批評家としての資格はないので、他人が見ていない処では何をするか判らないような人間に、大事な批評の仕事などを任せてたまるものでない。
 最後に併し、批評の内にも特に署名することに意味のある場合もあったことを、私は無視しようとは思わない。だが夫は批評の特別な一分枝の上での出来事であって幹の上の出来事ではない。そういう批評は、批評というよりも寧ろ批評的な創作で、更に又それ自身批評(匿名批評)を必要とするものに他ならない。こうした文学的な批評は、伝記文学や文学的な人物評伝に見られる処だが、恐らくこうしたものは、歴史的社会の理論的認識に立つ処の科学的批評では、批評者によって統制され淘汰されねばならないものだろう。科学的批評の記名的な個性(?)は少なくとも決して自慢になる条件ではないのである。
 匿名批評の評判の悪いのは匿名批評が悪いからではなくて、匿名批評家にあまり良いのが沢山いないからなのである。要するに本当に客観的な「批評家」に乏しいからなのだ。
(一九三四・五)
[#改段]


 雑誌や新聞の上で、最近「局外批評」と呼ばれているものは、云うまでもなく、文学に関する限りの局外批評(即ち局外的文芸批評)を指すのである。或いはこの点に注意を喚起すべくもっと正確に云えば、日本の所謂文壇を中心乃至標準として、文芸作家やその文学作品という名で呼ばれるものに関して、局外に立つと考えられる処の、文芸批評を指すのである。
 私はまず読者に、このやや煩瑣な物の云い方を許してもらわなければならぬ。なぜと云うに、この点を初めからハッキリ念を押しておかないと、世間にあり振れた出鱈目な常識論(常識的な或いは又非常識な)に、もう一つ出鱈目な議論をつけ足すことにしかならないだろうからだ。
 処が、之だけ云ってすでに明らかな第一のことは、一般に文芸批評なるものが、必ずしも、「文学」のを有った処の文壇の(乃至文壇的な)作家やその作品に関する批評だけには限らない、という点である。
 無論、今日の日本の文壇が日本の「文学」の何より有力な而も不可欠な舞台であることは、如何に文壇に疎遠な人でも、或いは之を軽蔑している人でさえも、公平には認めざるを得ない処だ。がそれと共に、凡そ文学たるべきものが、この既成の、或いは既成のを少しばかり改良したような文壇に、あくまで焦点を合わせなければならぬ宿命を有っているものだとか、又そうあるべき筈のものだなどとは、どんな文壇愛好者も文壇崇拝者も考えないだろう。文壇は一つの社会的条件に過ぎないから、文学自身の焦点が之をはみ出し又は之からはずれるということは、その反対の場合と共に、極めて当然なことだ。
 それから、作家やその作品や又夫等に就いての批評やの世界だけが文芸批評にとっての唯一の文学的現実でないことも、注目すべき点だろう。そうした「文学」と名づけられたものにだけ文学を限定しようとするのは、最も嗤うべきことで、文学的現実が社会的現実や思想的現実一般から、独立であり得ないことは、今更云う迄もあるまい。文学というの下に現われたものばかりが文学たるべきものでなく、そういうものとして現われねばならぬ一定の必然をもったものこそ、本来文学たるべきものだ。之は単に「書かれざる作品」や「文学以前」というようなものだけでなく、「まだ憶われざる作品」や「文学以外」のものも含まなければなるまい。作家や文芸批評家の鋭い目は、取りも直さずこの領域をこそ突くもので、この点を思い起こせば、私の云う意味はハッキリすると思う。
 文学作品と云ったが、今日文学作品と名づけられているものは、主に創作のことだ。と云うのは夫は批評(文芸批評)の方を含まないのが通念になっているようである。作品・創作といえば、つまり主として小説と戯曲と詩とのことに他ならない。だがもし文学作品を、こういう意味での作品・創作に限定して考えたくなる人があるとすれば、それは恐らく文壇的な文学的現実(?)に憑かれたカリケチュアだろう。吾々は文芸批評そのものが一つの創作形態・一つの作品様式であり得るのだ、ということを忘れてはならないのである。一体文芸批評を作品批評や作家批評に限定して考えるから、文芸批評が作家の作品・創作に対する副次的なものに限ると考えたくなるのだが、そう考えたのでは例えば文学作品としてのエッセイというものの創作性などは、まるで理解出来なくなりはしないか。エッセイなるものは、云うまでもなく批評(クリティシズム)の創作性を示して来ている言葉だ。イギリスの文芸批評家に云わせれば、文学とは人生の批評なのだ(M・アーノルドなど)。――今日の所謂随筆はまだエッセイにまで行っていない。だが之は一面、或いはエッセイ様式の台頭の先ぶれと見なされるのではないかと思う。恐らく、小説の持って回ったフィクションに対する新しい時代の不信が、この台頭の一原因だろう。

 以上第一の点は、文芸批評たるべきものが、今日の所謂「文芸批評」よりも遙かに広く大きなそしてオリジナルなものであり得ることを、告げている。そしてもし今日所謂文芸批評が貧弱で無用であるようならば、それがもっと遙かに有力で本当に有益なものとなれるだけの条件が元来なくはない、ということを之は告げていることになる。――こうした見地から私は、現在果して誰々がこの所謂専門的な文芸批評家(総合的な?文芸批評家は云うまでもない)にさえ該当し得るかを、思うのである。
 だが、私がこの文章の一等初めに云ったことから、すぐさま出て来る第二の点は、批評が必ずしも文芸批評乃至芸術批評に限るものではない、ということだ。現に政治に就いてはどこの国でも(日本に於てさえも)批評が一等発達していることになっている。社会・道徳・経済・又科学や哲学に関する批評も、批評そのものの性質から云って重大な内容なのである。そしてこう云う諸批評に伍した一批評こそが、恰も文芸批評であって、而も一般に批評なるものの性質から云って、こうした諸批評と組織的に結びついて初めて、文芸批評も文芸批評の意義を受け取ることが出来るのだ。――こんなことは判り切ったことのようだが、併し世間では文芸批評だけを専門にしようとする(だがまだ必ずしも専門家にはなっていない)人も少なくないので、この点の強調がつい忘れられたり何かするので、そういうのである。
 さてそこで専門的文芸批評ということだが、専門的な文芸批評と云っても、之は云うまでもなく、「文学」と名のついた(そして恐らく文壇に焦点をおいた)もの以外にはたずさわらない処の、そして批評そのものに於ては殆んど全く見識を有っていない処の、あれこれの人間がやる文芸批評の意味ではない。専門的文芸批評家は、例の広く大きくオリジナルな意味での文芸批評に於て専門家でなければならぬばかりではなく(但し専門家とは他のことは知らなかったり考え得なかったりした結果止むを得ずなったものではなくて、当該の事物をオリジナルに理解する能力と夫に相応わしい知識とがあり、そして大抵それで生活費を稼ぐ処の人のことだ)、又批評一般に於ても専門家でなければならぬ。文学だけに専門家(?)で、批評そのものに就いては人間的に無知なのでは、専門的批評文学者――批評だけしか出来ないという意味で批評を専門にする文学者?――にはなっても、文芸専門の「批評家」にはなれぬ。まして総合的な批評家をやだ。
 それはさておき、ティボデではないが、私は矢張り、文芸批評に三つの立場を区別出来るように思う。第一は主として作家として活動する文学者が自分の創作活動の特殊性から、他の一切の文学現象に向かって下す処の、夫々の偏向をさえ尊重される処の、文芸批評だ。だがここでは恐らく、例のエッセイのような様式を取るものが、一等実のある批評となるだろうと思う。
 第二は問題の専門的文芸批評である。之は社会身分から云うと、大体文学史家や芸術学者、又それを専門とする大学教授達によって行なわれるべき学者の文芸批評だ。――尤も日本の文学の先生達は、原書の講釈ばかりやっていて、たしかに批評の仕事に無知なように見えるが。本当を云うと、この文芸批評は、一方に於て現代に於ける文学的アクチュアリティーの含む根本問題に就いて、或る程度までの眼光と、他方に於て、之を文芸学的乃至文芸史的に組織的に取り上げる体系と、従ってその限りの講壇哲学的体系とを、有っていなければ、決して行なわれ得ない。つまり文学に就いてのアクチュアリティーとシステムとの感覚と思想とが或る程度まで備わっていなくては出来ないことだ。だから、世間で考えているようにそう簡単に専門的文芸批評家などが現われ得るものではないのである。
 第三は一般読者による批評、と云うのは一般読者の立場に立った文芸批評である。云うまでもなく一般読者は、文学作品ばかりを読んでいるのではない。百般の内容に就いての論文も読めば時事的評論も読めば教科書も読む。読者は一般に専門家ではない、夫々の部門に対しては多く素人なのである。処が彼はそれにも拘らず一切の書物や又現象に就いて批評を下そうとする。現に夫は事実なのだ。でそれは間違った心掛けであるか。否、もし之が間違いならば新聞などというものは許すべからざる文化の冒涜となるだろう、ジャーナリスト(新聞記者や雑誌記者には限らないが)などは犬にでも食われなければなるまい。
 一般読者は夫々の専門に就いて多くは素人だ。処が不思議なことには、この諸専門部分を総合し統一した世界に就いては、立派な批評家なのである。そこには常識(良識・「健全なる理性」等々)がある。常識のこの不思議に就いて、ここで説明している暇がないが、とに角この常識の独特の権威が、一般読者の批評の、従って又その文芸批評の、価値を生むのである。ブルジョア社会科学の極めて理解しにくい誤謬も、プロレタリア大衆は逸早く感づくことが出来る場合が多い。より大衆性を持つべき文学に於ては、ましてそうなのだ。
 尤もここで一般読者とか大衆とか云っても、社会人の平均的な水準のことではない。夫は最も常識に富んだ読者は大衆を、標準にして云っているのだ。豊富な常識は決して常識の平均ではない筈である。
 でこうした大衆・一般読者の立場から文芸を批評するのが、この第三の文芸批評である。その批評家は、まず第一に、ひとから教えられない自分の趣味に忠実な率直な印象の受け取り方をする。そして、自分の常識のどの点に触れたためにこの印象が結ばれたかを彼は追跡する。そこには彼の実際的経験や学殖や世界観や一般的生活意識やがある。そこに存在するものはもはや「文学」だけではない。実は「文芸批評」などもどうだっていい。その代りにそうした普遍的な批評の体系が、総合的で統一的な批評そのものが無意識の内にであろうと横たわっていなければならぬ。作家的文芸批評家や専門的文芸批評家もこの点に来ると、この読者大衆の複合的な生活意識の端的な断層によって、遂にはね返されて了うのだ。
 一般読者の立場からする文芸批評は、だからもはや単に文芸批評ではなくて、正に彼の批評一般の単なる一部分にしか過ぎないのである。この一般読者の立場を代表する処の、即ちその意味に於て専門的である処の、「批評家」(もはや文芸だけの批評家ではない)は、処で一定の意味に於てのジャーナリストなのである。
 ジャーナリストというものが何であるかに就いては、この文章の読者は、之を勝手に取るがいい。ただ少なくとも、文学的感能を有った、即ち、人間的良識をもった読者ならば、ジャーナリストが創り出す経済・政治・道徳・科学・文学・芸術、其の他に就いての批評・評論の凡てが、学者の学究的な論文やモノグラフと区別される点は、文学的様式に立脚しているという処にあるということを、知っているだろう。或いは之を、モーラリスト的(人生的)様式と云ってもいいだろう。つまりエッセイとは之なのであった(評論に於けるヒューモアやサタイヤやペーソスはだから当然ここから生じて来る理由があるのである)。
 この意味に於けるジャーナリスト的・普遍的(文芸に限らぬから)批評は実は又本来の意味に於ける哲学的批評でもあるのだが(画期的な哲学者は大部分普遍的批評家だった)、この批評を始めたが最後、その批評の体系上の必然が、即ち批評一般自身の要求が、いやでも吾々をして文芸批評にも向かわざるを得ないように仕向けるのである。作家や専門的文芸批評家が好もうと好むまいと、之は云わば人生と文学との間に横たわる法則なのだから、仕方があるまい。
 だが之は必ずしも作家や専門的文芸評論家の嘆きや腹立ちになるべき筋合いのものではない。文学というものが、今はこう見えても、実は人生にとって、大衆の日々の又永遠の生活にとって、如何になくてならぬ大切なものであるか、ということがここに示されているわけで、こう考えることこそ文学の最高の栄えを讃えるものに他ならないからだ。
 局外批評家というものが何を指すのか、私には一義的には判り兼ねる。併し局外批評家という人間に就いては今問題ではない。局外文芸批評家(?)の内にだって、局外文芸批評家として適当な人間もいれば不適当な人間もいるからだ。――だが少なくとも、局外文芸批評というもの自身が無価値だというような迷信は、右に述べたことで大部分ナンセンスに帰しはしないかと思うのだ。
 局外批評乃至局外批評家に就いての議論を、目に触れた限り目を通して見たが、その内で唯一つ問題の核心を突いているように思われたのは、春山行夫氏(『神戸商大新聞』)の感想文だったと云っていい。それによると局外文芸批評家は、文学は詳しく知らなくても批評に就いてはよく知っているだろう、批評を知らない専門文芸批評家よりも遙かにましだ、というのである。
(一九三五・一〇)
[#改段]


 文学がどういうものであるにしても、少なくとも、それが一個の社会現象となって現われて初めて完結する或るものだということは、云うまでもないことで、そしてそれが一個の社会現象となって現われねばならぬということだけから、他の一切の遠近の諸社会事象と本質的な交流関係に這入ったものであらざるを得ないということになる。之は殆んど公理のように明らかなことだ。文学の活きている現実界がここにあるとすれば、文学的真実・文学的真理が、その社会的役割を離れてはなり立たないということも亦公理のようなものだ。その社会的役割を文学者(作家=評論家=読者大衆も含めよ!)自身が自覚し得ようが得まいが、夫々の文学に就いて、そう云えるのである。
 単に文学が社会の歴史によって、社会的に又歴史的に、制約を受けるとか何とかいうだけではない。文学的真理真実そのものが、社会的歴史的な本質のものだというのである。この点から云うと、ギュイヨーの美学(芸術学乃至文芸理論)、美は(即ち芸術的真理は)それ自身社会的な意義をもつ処の標準であるという理論は、テーヌの文学論を遙かに原則的に進歩させたものだ。ただそこには芸術上の価値の本当の意味での歴史的な発展の理論が欠けていたから、ギュイヨーのは、単に「社会学的観点に立つ」に止まったのである。
 なぜこういう判り切った而も一般的なことを云い出したかというと、この頃世間では往々、文学はただ真実を求めることであるとか、自己に忠実であるべきものだとか云われていて、夫が何か驚くべき卓見でもあるかのように感心されるのを見るからで、杉山平助ではないが、そんなことに今更感心するのは、そういう境地そういう契機を、まだ一遍も通過したことがなかったという、人間的経験の大事な点での浅墓さを暴露するものに他ならぬ。――文学は凡ゆるものを離れてもあり得るだろう、だが、文学的真理真実は、生きた社会の大きな働きを離れては、無だ。
 真実とは自己との一致なのか。ではその自己とは何か。君の小さな自己的な自己との一致が、なぜ真実や真理の名に値いするのか。
 文学をこの社会的本質から見て、即ち文学を一つの文化と見て、文学は科学と一双をなしている。文学(芸術一般を貫く思想)と科学とは文化のただ二つしかない部面であるからだ。私は文学を、科学と対比させずには決して考えることが出来ない。尤も文学を科学からただ徒に区別することは、全く古くさい知恵の一つに過ぎない。そういう調子で、之まで宗教的な俗物は科学と宗教とを、哲学的鈍物は科学と形而上学とを、文学的オッチョコチョイは科学と文芸とを、峻別して来た。無論科学の束縛をどうやったならばゴマ化してはぐらかすことが出来るかという興味からなのである。――だが科学を回避しながら、近代の人間生活に就いて省察しているなどと称するものは、人生の文学的香具師以外の何者でもあるまい。諸君は未だかつて科学を片づけて見せたことはない。単に之を敬遠するか、又は之の蔭口をたたき続けて来たにすぎない。
 科学の精神をゴマ化すものは、必ずや他の一切の真理をもゴマ化す者だ。近世科学が人間を感動させずに済ますためには、よほど鈍感な相手を見つけ出さねばならぬ。
 では文学と科学とはどういう交渉を持つか。私は今、科学的文学や、科学の文芸味タップリの叙述などを考えているのではない。エッセイストの寺田寅彦やまして探偵小説家の林生理学助教授のことなどを云っているのではない。科学はなぜ文学を必要とするか、そして文学はなぜ科学を必要とするか、ということが問題である。必要という言葉の代りに必然という言葉を置き代えれば、又よく意味が生きて来るだろう。――つまり私に云わせれば、科学はその認識目的をつきつめれば、文学にまで延長されねばならぬのであり、それから文学が人間的認識の客観性を求めれば、科学的範疇に足場を置くことによってしか、その探究が可能でない、というのである。
 モラル又はモーラリティーというものを持って来れば、科学と文学とのこの交渉という課題の意味がハッキリするだろうと思う。科学的探究が科学的探求に止まる限り、公理乃至公式の体系に止まっている。之は例えば歴史に就いて云えば、社会の分析であって、まだ社会の歴史叙述ではない。でヘロドトスはすでに文学の領域である、尤も彼には遺憾ながら十九世紀以来の社会科学的範疇がないのだが。ゴーリキーの文学論を見ると、文学に於ける誇張の役目に就いて語っている。誇張というのは私に云わせると、科学的範疇に基いた限りの空想の能力のことだろう。こうやって科学的概念は文学的な表現にまで誇張され打ち出されるのである。道徳(モラル・モーラリティー)とは恰も、理論の誇張のようなものだ。――こうした大切な意味に取られた誇張こそ、評論の場面でもあるのである。
 文学を科学から絶縁することは、だから絶対に許されない。夫を許せば文学の一切が厳粛なナンセンスとなる。批評にも何にも手懸りがなくなる。夫は埃を棍棒で打ち返そうとするようなものになるだろう。之は神秘主義の論理だ。――だがそうかと云って、文学を科学と一緒にしたり混同したりする事も許されない。もし之を許せば、モラルはペチャンコな酒の粕のようなものになるし、批評は無用に屋上屋を重ねた理論でしかあり得ない。常識は表ばかりになって裏へはまわれなくなる。こういう結果を論理学のモデルで現わすと、然り然り、否々、という形式論理になるのだ。
 で私は文学を、科学との間に於て、モラル=モーラリティーに於て、理解する。之は「文学」という常識的な観念から見れば、文学を途方もなく拡大したものに見えよう。だが今日の通俗常識による「文学」という観念は、別に歴史的な権利を有っているわけでもない。ただ皆が、人の真似をして、漫然とそう云っているに過ぎない。文学は「文学」以上に広いものだ。実はこの点が私の最初の又は最後の主張なのだが、咄しを簡単にするために次に文学上の一つの便法を利用することにしよう。尤も私は、サント・ブーヴが批評家の模範だろうとは、思わないのだが。
 「文学は私にとって、文学をやっているとは夢にも思わないでいる人の文学以上に、味わいがあるとは決して思われない。」(サント・ブーヴ)
(一九三五・一二)
 今日は随筆の時代だと云ってもいい位随筆が沢山出版され、又読まれている。一見最も驚くべきことは、随筆全集というような現代随筆の集大成まで出ていることだ。今日、随筆の存在を世に知らせたものは何と云っても内田百間だろうが、氏のどの随筆集も部数少なくとも一万から二千の間を下らないそうである。
 この現象は色々に説明され得るだろう。一方に於て確かに随筆そのものの文学的価値が何かの原因で高く評価され始めたか、乃至は広く認められ始めたかのためであり、他方に於ては、日本で文学の代表者と考えられ勝ちな小説(日本では不思議にも詩や劇が文学の王座から斥けられているのは多くの詩人が憤慨している通りである)、即ちフィクションに基くロマンやノヴェルが、芸術的な魅力を多少失わねばならなくなった何等かの原因があるからだろう。之は多分、所謂純文学というものが、大衆文学に圧倒されつつあるという現象と関係があるらしく、つまり純文学は大衆文学に移行するか、それでなければもっと純粋な(と云うのは)もっと身辺的な私小説的な形であるらしい随筆に、そのエッセンスを奪われるか、どっちか、という岐路に立たねばならぬ社会的理由があるからではないかと思われる。
 久米正雄の説によると、大衆文学(久米・菊池のも入れて)はさておき、純粋な文学即ち余技としての文学は、私小説で又身辺小説でなければならぬということだが、この説の意味やその当否は別として、一旦そういう方向への移行を認めるとすると、ではなぜいっそ思い切って私小説や身辺小説に止まらず随筆にまで行ってはならないのか、私には判らない。つくりごとが信用出来ぬから私小説乃至身辺小説に限るというのだが、「つくりごと」とはフィクションの事だろう。フィクションを思い切って取り除けば、この主張は寧ろ所謂随筆にまで徹底しなければ、辻褄が合わないのではないかと、私は疑問に思っている。
 尤も随筆という言葉は色々な意味に取られるかも知れない。例えば筆の赴くままに随った文章というようなトートロジーで之を理解すれば、元来夫は形象を完成した文学でも芸術でもあり得ないということになろう。日本に限らず、不用意の間に作者の心持ちや才能が現われたものが随筆だという考え方が、文学の専門家にもあるそうだ(ドクター・ジョンソンなどがそう考えているそうである)。尤も歴史的に吾々が知っている作品のどういうものを所謂随筆の内に数えるかによって、どんな定義でも帰納出来るわけだが、然し少なくとも百間の「随筆」を現代の一例に取って見ると、之は決して筆のまにまに書き散らしたものではない。――だから今日吾々がもっている随筆という言葉は、文学作品としてもっと形象を備えた処の或る一つの文学様式を意味しているのである。今日随筆が盛んなのは、単にその量が増加しただけではなく、夫の文学創作としての資格が向上したことを示しているのだ。
 竹友藻風はそこで、世間で随筆とエッセイとを混同していることを痛く嘆いている。エッセイとは氏によると、俳文に近いものであって、そうした一定の文学的な目的を持ったものだが、随筆の方はそんな目的を持たない、と云うのである。だが又々百間であるが、彼の「随筆」にはいつも必ず一定の文学的目的がハッキリと横たわっている。フィクションこそないが、立派に巧まれているのである。芥川竜之介の多くの作品は、エッセイの部類に入れられるらしいが、夫と百間の作品との間に、この問題に関する限り、どれだけのけじめがあるだろうか。でこう考えて来ると今日の随筆は実にエッセイのことに他ならなかったのだ。随筆が盛んだというのはエッセイが盛んだということだ。
 併し、エッセイとは何か。藻風によると俳文に類するものらしかったが、どうも夫は一種のエッセイのことであってエッセイの凡てのことではないようだ。氏はエッセイを、韻文ならば抒情詩に相当する散文の小品だというが(そして小説は叙事詩に相当する散文だという)、情緒的な内容だって世界の客観的事象にからんで発動する場合の方が信用出来るし、それからその情緒が俳人的なものに限らないことも、明らかなことだ。エッセイに新聞雑誌的なペリオディカル・エッセイもあれば、論説めいたクリティカル・エッセイもある(ただの理論にエッセイという名をつけたのは論外とする)。単に抒情的小品だけがエッセイではなくて、評論も亦エッセイの大きな領域だと云わねばならぬ。
 エッセイが抒情的小品だと考えられるのは、夫が夫だけ身辺的なものに近づいた場合のことであり、即ちそれだけ所謂「随筆」に近づいた時の現象に過ぎない。所謂随筆に於ける身辺的なものがその身辺の自我や「私」を次第に大きなスケールの客観的事象の内に見出すようになれば、夫は愈々エッセイにまで発達するのであり、そしてやがてこのエッセイは評論(クリティシズム)にまで発達するのである。
 こう考えて初めて随筆――エッセイ――クリティシズムは一貫した連関の下に考えられる。随筆(即ちエッセイ)が盛んだということは、極端にいうと、評論が今日盛んだということと同じ系統の現象だったのである。随筆は一面雑文雑筆とも考えられているが、アディソンやスティールによる「スペクテーター」などに於けるエッセイ乃至クリティシズムを見ると、全く時事的で雑報的なものとも思われる。つまり人為的なフィクションの代りに、現実のアクチュアリティーが、この系統を一貫しているので雑誌(雑なる誌)的にも見えるのだ。
 で結局、今日随筆(乃至エッセイ)が盛んになって来たということは、実は暫く前から一般に日本に於て批判的精神が高揚して来たことの、文学的結果の一つなのである。
 そしてこの批判的精神の高揚という社会現象ならば、割合容易にその原因を説明することが出来るだろう。――ただ日本の文学に於ては、クリティシズムそのものの伝統がフィクションその他の伝統に較べて(「詩」の伝統に較べてさえ)問題にならぬほど貧弱なので、この折角の批評的評論的精神も、「随筆」という身辺的な形に収縮して了って、まだ充分にエッセイへもクリティシズムへも展開し得ないでいるのである。だがやがて随筆の思い切った発達はこの身辺的な随筆自身を否定するに至るだろうと思う。
(一九三六・一)
 最近文壇の内外では局外批評論が相当盛んである。大宅壮一によると私自身も亦一人の局外批評家だそうである。そこで私も亦局外批評なるものに就いて文章を書くことを求められて『新潮』の十一月号に極めて簡単に論旨を述べて見た(3を見よ)。
 だが一方に於て元来局外批評論などというものが問題になるのは文壇そのものが如何に問題に欠乏しているかを示していると共に、他方に於てこんな問題が真面目になって取り上げられる程に、日本の文学は低調なのではないか、という感じを禁じることが出来ない。現に現在の日本で、一般に文芸批評の組織的な体系が一体どこに見出されるか、誰と誰とが一体批評の体系を有っているのか。この点の反省もしないで局外批評とか局内批評(又の名は「専門批評」)とかいうのは、全くのナンセンスなのだ。この点文学は恥を知るべきである。
 併し局外批評論に就いて採るべき唯一の取り柄があるとすれば、夫は文芸に於ける批評というものの機能を、この際一般の興味にまで高めたことである。ひいては一般に批評なるものの役割をハッキリさせねばならなくしたことである。
 云うまでもなく批評というものは、決して文芸批評に限るものではないし、まして個々の作品の批評に限るものではない。だが批評と、含蓄ある意味に於ける文学とは、実は切っても切れない関係に置かれている、という点を、まず第一に強調する必要があるのである。尤もここでいう文学なる範疇は、小説や詩や戯曲というような文学様式だけを文学と考えている文学青壮年の所謂文学とは必ずしも一致しないが、そうした「文学」よりももっと広範な胎盤に食いこんだ実体を今文学と呼ぶのである。私が勝手にそう呼ぶのではなく文芸批評の歴史から見て、文学なるものをそう考えなければならぬ理由があるというのである。文芸批評乃至文学的批評そのものを抜きにして、文学を語ることは滑稽なことだからである。
 ではどういうものが含蓄ある意味での文学であるか。先回りをして云って了えば、一切の対象をモーラリストの立場に於て秩序づけることが、文学なのである。蓋しそれによって一切の対象が批評の対象となり、一切の対象に就いて統一的な批評の場面が提供されるからである。批評はモーラリストの立場に於て本来の批評となる。この場面が文学だというのである。この場合文学は一切の文化的対象を媒介する市場であり、その意味に於て普遍的な表現様式を意味するのだ。
 普通文学に於て世界観と創作方法とを一応区別している。それはそれでいいとして、では一般に科学ではどうかを考えて見れば、そこでも矢張り世界観と方法(ここでは科学的方法)との一応の区別が之に照応している。では文学に於ける世界観と科学に於ける世界観とは同じものであるかないか。もし同じでなければ文学と科学との連関をつける箇所がなくなるから一応両者は同じでなくてはなるまい。即ち同じ世界観が、同じくこの世界観に基きながらその目的意識の異るに応じて文学的創作方法と科学的な研究方法とを要求するのである(尤も世界観の内部構造についてはもう少し説明を加えなければならないが今はその余裕がない)。
 だが、この世界観と創作方法の間になお一つの壁をさし入れることが出来る。それをモラル又はムッド(乃至キャラクター)と私は呼ぼう。之は一方に於て世界観の一部であると共に、他方に於て直接に創作方法に結びついているばかりでなく、私小説の私や、主体や自我意識の姿さえも浮き出る壁なのである。真の意味に於けるスタイルも亦この壁に沿って形を取る。極端な場合は象徴を生む。つまり之は、文学に於ける世界観と方法との両者の最も著しい音色を奏でる鼓膜なのである。
 そこで私に云わせれば、この壁に沿って影を写すものが、すべて文学の内容となる。科学者の手になる科学的エッセイも、法律学者の法窓随筆も、社会科学者の社会時評も、このモラル乃至ムッドの壁に影を写すことによって、初めてエッセイとなり、文学的形式を受け取る。否、そうしなければ本格のエッセイにも評論にもならないのだ。
 この壁は一枚の壁であって、文学的表現=文学的表象の場面である。之に影を写すというのは、事物の科学的な関係、概念=範疇による事物の機構がそのままここに現われるのでないということであり、科学的範疇によって概念的に把握された現物関係が、この壁によって文学的表象という影となって姿を写す、というのである。一切の事物は人生であろうと心理であろうと、飽くまで科学的範疇=概念によって処理されねばならぬ。だが之等のものを身近な形式で、ムッド乃至キャラクターに近く、任意の単位として、表現するためには、之を文学的表象(もはや概念ではない)に直す必要がある。この手形交換所が所謂モラルのこの壁なのである。
 但しここでいうモラル(道徳)とは人間の単なる内部的心情や一種の良心などを指すのではない。そういうものは只の主観にぞくするもので、野心に富んだ文学的主体とはなり得ない。モラルという言葉が今日妙な臭味を有った合言葉になっているとしたら、寧ろ之をモーラリティーと呼んでもいい。事実「モーラリスト」連はこのモラルにその文学的な評論の立脚点を求めたのである。アリストテレス門下の駿足と公認されているテオフラストスの著『性格』を初めとして、之を遙かに継承したラ・ブリュイエールの著『性格』(十七世紀)や、近代的エッセイの鼻祖であるモンテーニュなどがそうだ。之等のモーラリストは建物のことから時代のマナーやモードに至るまでを評論した。モーラリスト的な評論文学が決して主観的な「モラル」や「逞しい自意識」などばかりを相手にしていなかったことは、モーラリストの特別に代表的なものと見なすことの出来るアディソン(十八世紀のイギリスに於けるジャーナリスト文学者)の所謂ペリオディカル・エッセイズなどを思い出せば、もっとよく判る。
 モーラリストの立場に立って初めて、一切の文学は可能となり、又この立場に立って初めて、一切の本格的な批評・評論が可能になる。この立場に立って初めて、批評なるものは一切の文化的対象の統一的な媒介機能をもつことが出来、その機能が又やがて含蓄ある意味に於ける文学なるものの有つ、全人間生活にとって普遍的な機能に帰するものである。――ここから同時に見透しがつくことは、新しい道徳の建設(特にプロレタリア的道徳の)は、この意味に於ける文学の最も重大な社会的役割でなければならぬということだ。但しここでいう道徳は、国民道徳律や倫理道徳のことではなくて、風俗から趣味までも含んだ社会に於ける人間の一身上の問題のことだが。
 四つのM、moral-mood-manner-mode. 之はモーラリストにとって最も手近かな世界だ(但し手近かなものが一等大事だというのではない、モーラリストにとっては一等遠くにあるものこそ文学的に大切な批評材料なのだが――例えば政治や科学思想など)。少なくとも風俗や流行についての文学的に優れた、即ちモーラリスト的な評論がないということは、評論の又文学の、一つの欠点だろう。映画や舞踊に関する評論の匿された原則の一つも確かにここに横たわっているように思う。――私は機械的でない頭脳を有っている文学者や批評家に、敢えてラ・ブリュイエールの真似はしなくても、風俗評論を提案したいと考える。之はいつまでも「モデルノロジオ」の類いに止まるべきではあるまい。
 (注意、所謂モーラリストと呼ばれるものは大体に於て一種の懐疑論者であり、文学的俗物としてのリベラーレンである。今日の日本では「人間学」者達が丁度夫だ。こういうものについて今私は責任を取る心算はない。その批判は別に行なわねばならぬ。)
(一九三五・一〇)
[#改段]


 科学者乃至学者は、一般に、自分が職業的に行なっている処の、専門的な実証的研究や理論的考察を、学問の唯一のやり方だと考える処から、批評・評論乃至批判というものの有つ科学的な意義を充分に理解しない場合が多い。批評・評論・批判・等々は何か消極的外部的条件に制約されたもので、それに一時的な場当りのものに過ぎないとさえ、彼等は考える。之に反して実証的な研究や理論的考察こそは、積極的本格的で、永久に功績として残るような仕事を産むものだ、とそう彼等は考えるのである。実証的・理論的な研究は学者に相応わしい仕事であるが、批評などは、文学者や思想家や又評論家というような、学的に見れば素人に過ぎない連中の仕事に値いするだけだ、と彼等は考えたがるのである。
 実際、文学や一般に芸術に於ては評論というものが極めて大きな役割を持っているに拘らず、科学に就いての評論というようなものは、あまり発達しているとは云えない。この頃一連の既成ブルジョア創作家や又文芸評論家自身からさえ、批評が創作に対してあまり権威ある助言を与え得ないと云ったような感想が洩らされてはいるが、一頃左翼の文壇(?)では逆に、批評が創作に対してあまり権威を持ち過ぎはしないかをさえ恐れられたこともあったのであり、仮にそうでなくても、文芸評論は必ずしも創作家に助言を与えるためにばかり行なわれるのではないので、創作家の関心から一応は別な、それ自身独立な他の関心から、夫が行なわれると考えることが出来るとすれば、文芸評論それ自身は、今云った理由からは、何も自分固有の権威を縮小されることにはならない。――処が科学に対する評論は、今の処数から云っても至極少ないのだし、又それ自身の独立性に於ても力弱いということが事実のようだ。だから科学者、中でも特に自然科学者達が、科学に対する評論を軽蔑するのは一応尤もなことである。
 だが一体、科学であろうが文芸であろうが、なる程わが国などで一時流行した観念哲学、特には立場(アプリオリ)の区別に専ら興味を持つ新カント主義哲学などによって、どう本質的なアプリオリの上の区別が与えられようとも、どれも斉しくイデオロギーだという点から観察を進めて行くと、夫々の特殊条件の下にではあるが、二つは全く同一のイデオロギー的根本構造を持っている。で、文芸に於て本当に重大性を持つような評論・批判・乃至批評が、科学に限ってそれ程重大性を有たないということは想像出来ないことなのである。
 なる程一方のものに就いて評論が行なわれ易く、他方のものに就いてそれが多少とも行なわれ難いというのは事実であるが、それは、科学が夫々割合独立した一定専門領域のものであり、之に反して文芸が包括的な世界観に直接に裏づけられているという相違から来ることで、そうすれば評論が最も積極的に必要なのは、却って寧ろ科学に就いてであるということにさえなるだろう。
 それにも拘らず、評論が、何か文芸に対してだけ本質的なもので、之に反して科学に対しては単に二次的な付け足しに過ぎないと考えられるならば、罪は、そうした評論(又批評・批判)というものの理解の皮相さにあるのである。評論が今日わが国の新聞や雑誌で行なわれているような所謂文芸時評を以て典型としなければならないということは、一体誰が決めたのであるか。――吾々は評論というものの意義をもっと立入って理解しておかなくてはならない。

 評論の最も原始的な動機は、評判しようとすることか又は悪口を云おうとすることにある。評判しようとする動機は概して漫然とした善意に帰着するし、悪口を云おうとする動機は直接な効果をねらう場合には無論一定の悪意に基いている。だがこうした原始的動機が無条件に活躍して露骨に現われる場合は、実はまだ評論の名に値いしない。評論は元来、直接には一種の破壊を意図していなければならない。批評の対象から必要な或る一定の性質を取り出し、之を特色づけ、この特徴の積極的意義と消極的な制限とを露出させることが、評論の役目でなければならない筈である。単純な観念を使って云って了えば、善い点と悪い点とをハッキリさせることが評論の機能なのである。指摘されたこの善い点と悪い点との対比の結果として、対象全体の善悪が、即ち対象の肯定乃至否定が、おのずから出て来るという形式を踏むのでなければ、評論はただの悪口か評判か、又は精々無意味な追従に止まるのである。
 評論はいつも批評される対象を前進させる促進的な機能を果す。処で問題は、評論家がどういうセンスに基いてこの促進的な批評を下すことが出来るかという点にあるのである。
 どういう知識でも、夫が自分に相応する感覚内容(センス)によって充実されない限り、本当の知識とはならず本当の知識として落ち付くべき処に落ち付かない。批評的判断を下さなければならぬ評論の場合も亦、その例外ではないのである。吾々の認識が知覚という感覚内容から出発しなければ確実にならないと全く同様に、評論も亦、直接に触発された印象というセンスから出発しなければならないのは明らかである。初めから批評の結論を仮定するような成心を以てする評論は許されない。その意味で評論は率直で正直であることが必要なのであって、この率直で正直な印象がどうやって自分の内に結果したかを後から説明するのは評論の名に於て必要なことだが、印象そのものはあくまでありのままに受け容れるのでなければならない。印象を詐る時は、すでに評論の第一条件を欠いている時だ。だが、印象から出発するということは、決して印象に止まることではない。認識が知覚から出発することが、決して認識全般が知覚に尽きるということにはならないのと同様に、評論が有態の印象から出発するということは、何も印象批評で物を云えということにはならない。印象の段階を踏み越え得ないという性質を有っている印象批評は、丁度普通の認識過程に就いての経験論や直観主義のようなものであって、それが本格的な評論の仕方を代表するものであるといわれない。

 印象は批評の出発点なのである、従って又、印象から出発して展開されたその後の省察が、そこに立ち還って検証を受ける処の、帰着点にもなるのである。――一体吾々が芸術上の作品とか科学上の業績とかから受ける直接な印象は、その受けた瞬間に於ては無論直接な所与なのだが、この直接の所与自身と雖も、実は吾々の過去の経験の一つの結果に外ならない。人々は生活の経験を通して自然何かの世界観を無意識的にせよ懐いているのであって、印象とは、そうした多くの無意識的な世界観の、刹那的な断面なのである。印象は大抵単純で端的な好悪・快不快というような抽象的な規定として受け取られるのであり、広い意味に於ける趣味の判断として直覚されるのではあるが、こうした趣味なるものは、元来、人々の意識の背後にかくれている世界観がその尖端を偶々露出したものに他ならない。それが意識の内にかくれていた世界観とどう連絡しているかという背景からの必然性が露出されていないから、趣味は全く主観的で偶然なものだと考えられるのである。印象も亦そういう理由から同じく勝手で気儘なものだと考えられている。だが印象の背後には実は一定の世界観が横たわっているのを忘れるべきではない。ただその世界観が無意識だったに過ぎないのだ。
 だから吾々は一旦印象を受け取った以上、この印象に基いて評論的に物を云うためには、この印象をその背後の世界観にまで連絡させる義務があるわけである。処でこのことは、無意識だった世界観をば意識的に自覚的にすることに他ならない。そうすると、評論とは、世界観を自覚し意識的にすることによって初めて成り立つものだ、ということが判る。与えられた一つの印象をば、世界観からの一つの結論として演繹することによって初めて評論は成立する。こういう評論は云うまでもなく所謂印象批評などではあり得ない。夫は組織的な批評なのである。だが組織的批評必ずしも客観性を持った批評とは限らない。組織的批評と云ったものは印象が背後の世界観の内に組織的に編成された場合の評論に他ならなかったが、凡ての世界観が同様に客観性を有っているかというと決してそうではないのである。なる程露骨に不統一な世界観は抑々世界観の名に値いしないから、世界観という以上すでに何かの統一性を有っている筈ではあるが、その統一が全く主観的な統一であっても一向支し閊えはないわけであるから、統一的な世界観の内にも、客観性を有ったものと有たないものがあるのを注意しなくてはならない。固定観念又は脅迫観念の所有者である精神病者の世界観などは、一応統一的であるにも拘らず客観性は有っていない。尤も世界の全体を統一的に把握すればその結果は唯だ一つの世界観にしかならない筈だから、総体的に統一的なものは同時に客観的なわけであるが、世界全体を把握して了うということが元来現実には決して生じない仮定だから、一般に統一的な世界観必ずしも客観的な世界観ではないのである。
 精神病者の場合は極端な例に過ぎないが、そうした病理的事情は多くの社会意識(個人意識から区別する)に就いても見出されるので、そうした意識形態は統一的でありながら而も主観的にしか過ぎない世界観を内容としている。――で、組織的な批評はまだそれだけとしては客観的な批評ではない。処が批評は元来客観的でなければならない筈だろう。
 評論が客観性を有ち、従って普遍性・通用性を有つためには(評論ではこの性質が大切で、これがなければ評論は何の役にも立たない)、印象が連絡させられる例の世界観が、単に世界観という資格を持つに止まらず、更に理論的世界観・科学的世界観にまで整理・陶冶されなくてはならないのである。本当に科学的な世界観からの当面の一結果として、与えられた直接印象が導き出される時、評論は初めて客観的になる。そしてその時は又評論が本当に組織的にもなる時なのである。そういう資格を持った評論が、科学的批評の名を以て呼ばれる。

 科学的世界観として近世の思想史に登場して来たものは、まず第一に実証主義である。コントに於ける実証主義は批評(消極・否定)に対する実証(積極・肯定)の提唱なのであるが、それが批評そのものに適用されると、実証主義的批評という批評態度になるのであって、それがさし当り歴史上、第一に眼に付く科学的批評である。サント・ブーヴが模範的に示した実証的方法がテーヌやルナンによって継承されやがてこの実証主義批判として確立されたことは、人の知る通りである。
 だが実証主義に立つこの所謂科学的批評は実はまだ本当に科学的ではない。元来実証主義はガリレイやデカルトから来る機械論的自然観に立つのであって、人間社会をも亦物理的方法に準じて取り扱わねばならぬと考える一種の自然主義なのだが、テーヌなどは、文学史上の自然主義に相応わしく(ゾラを見よ)人間社会の文化現象を、人間の遺伝や環境というような生物学的原因乃至条件によって規定しようとする。その際、人間が労働と生産とによって産み出した特有に社会的な諸条件は、殆んど全く顧みられていない。旧くモンテスキューが社会に於ける法の本質(精神)に就いて説いたやり方を、文化の精神(本質)にまで押し及ぼしたものが、テーヌの文芸批評だと云っても好いだろう。実証主義の機械論的自然主義は、テーヌに於て、云わば政治地理学主義的自然主義となって現われているのである。
 近世の思想史の上で、本当に科学的な世界観として現われたものはマルクス主義的世界観だと云うべきである。一口で云えば、それは、唯物論と弁証法との必然的な結合であり、唯物論を具体的に徹底すると共に弁証法を具体的に徹底したものであることは、広く一般に認められている。処でこの科学的世界観からの時に応じての必然的な結論として批評対象に対する夫々の直接印象が演繹される時、それが本当の科学的批評となる。――この場合科学的批評の方法とするものは唯物史観という方法であり、批評の対象が特に文化形態にぞくする場合には特にイデオロギー論の方法であるが、唯物史観も従って亦イデオロギー論も、弁証法的唯物論と呼ばれる科学的世界観の一部面に他ならないのだから、科学的批評の方法をなすものは結局この弁証法的な唯物論でなくてはならぬ。――だから結局、この科学的批評は、同時に批判的科学のことに他ならず、逆に、本当は批判的(批評的)な科学は、科学的批評という評論的機能を果さなければならない、という帰結が出て来る。この点を特に注意する必要があると思う。

 科学的批評は、それが様々な(単に文化形態にぞくするものばかりではなく一般に社会・政治経済の現象にぞくする)対象を、客観的な必要に応じて体系的に評論して行くことによって、やがてそれ自身批判的・批評的な科学の体系にまで育って行かなくてはならないのである。哲学というものは他でもない、そういう科学的評論の体系のことだ。だから単にマルクス主義哲学(哲学という言葉を最も広く取って)に限らず、近世の卓越した哲学の多くは批評的・評論的な特色を有っている。カントの批判主義には特有な独特の内容があるけれども、批判を以て哲学の何よりも先に来るべき課題だと考えたことが、彼の哲学に近代的包括性を与えていると考えられる。この評論を科学的な体系にまで仕上げたものがヘーゲルであった。処でヘーゲルの哲学体系に於て容易に気付く点は、それが諸範疇(根本概念)の体系として仕上げられているということだろう。世界に対する評論は、諸範疇の評論の体系として現われている。で一般に、科学的批評乃至批判的科学は、諸範疇の批評を組織したものでなくてはならぬということが判る。科学的批評の統一的で客観的な核心は、諸範疇の批判に存する。マルクス主義的な科学的批評は、一切の諸範疇の批判であり、一切の諸範疇の展開を促進せしめるための批判である。というのは、この批判によって、凡ゆる批評対象の内にその骨子として含まれている範疇を、もし夫が非唯物弁証法的なものであるならばマルクス主義的なものにまでたたき直して進展性を付与しなければならないし、又もしそれがすでにマルクス主義的範疇であるならば、それを陶冶し具体化し精練しなければならない、というのである。――之が本当の「科学的批評」ということなのである。カント主義哲学に沿って流行した所謂方法論などは、少しも諸範疇をたたき直したり陶冶したりしないのであって、単に之の外側に批判主義的粉飾を施して外面的な改釈を試みるに止まっている。之はただの解釈であって何等の批判でも批評でもない。マルクス主義的な科学的批評にとっては、諸範疇の内部的改造が、又その動的な推進が、問題だったのである。
 さて、こう云って来ると、批評・批判・評論なるものが、決して本質上文芸だけに限られるものなどではないことが明らかである。本当の批評・批判・評論は範疇の夫である。即ち範疇の論理的な(だから又科学的であったのだが)夫である。この点から云って、諸科学も亦、その本質上、文芸その他と全く同様に、評論・批評・批判の対象になり得なくてはならない筈だろう。最近ジャーナリズムの上で、次第に論壇の評論が行なわれるようになったが、そしてその大部分は、文芸評論の現状と同じに、印象的・無組織・非科学的な段階を抜け出てはいないが、科学乃至理論の評論、及びその評論化の徴しとして、意味のある現象であると思う。
 吾々は科学上の仕事を科学者乃至学者という専門家に任せる他はない。だが科学を用いるものは他でもない吾々自身なのだ。靴屋は靴の注文主の批評を聴く義務があるだろう。併し科学はただの靴ではない、それは世界観という皮から出来る靴である。だからこの靴の注文主は、いつも科学と世界観との連関に就いて注意を怠ることが出来ない。諸科学の諸範疇はいつも系統的に批判されねばならぬ。文芸に就いてもその通りであるが、そのため必要なものこそ、唯物弁証法的な範疇体系(論理)に他ならないのである。
(一九三三・五)
[#改段]


 批評が一等発達していないのは自然科学の領域に於てである。自然科学は同じく科学乃至学問の内でも、特に実証的積極的なもので、従って批評的(消極的)なものの反対をさえ意味する、とも考えられている。云うまでもなく、もののこういう考え方一般は、ブルジョア実証主義の偏見に充ちた公式を用いているのだから、それ自身誤っているのは断わるまでもないばかりでなく、元々その相手が批評主義、批判主義なるブルジョア形式主義哲学の内から選ばれているので、今日の問題としては思想的科学の発達の歴史の上から云って、全く見当のはずれたものなのだ。
 だがそういう思想的科学の上では科学的にもはや意味を失って了った考え方も、自然科学者自身のものの考え方には、常識的な直覚として残っていることを少しも妨げないのであって、彼等の或るものによると、科学は本来から云って一般に、批評すべからざるもの、批評を必要とさえしないもの、であるかのように仮定されている。無論このような一種の独善的な確信は、今日のアカデミシャンに特有な悪質な迷信と非常識以外の何ものをも意味しないので、もし彼等の云う処が本当ならば、一体科学の歴史などは書けなくなるし成り立ちもしなくなるだろう。なぜなら科学の批評は、科学史と本来同一本質のものだからである。
 古来批評が一等発達しているものは云うまでもなく文学乃至文芸に於てである。そこでは制作と批評との対立は、実は内と外とか、主と賓とかいう関係に止まらずに批評自身がまた一種の制作と見做されるというような場合が決して少なくない。その結果、ここでは却って批評と云えば何か文芸批評に限るかのような迷信が、文学者の頭から発生し勝ちであることを、注意しなければならぬ。無論、文芸批評以外に批評があり得ない、というような乱暴で露骨なテーゼとして之を信じているものは少ないだろうが、併し、批評というと、いつも文芸批評を中心にして、文芸批評から出発して夫を取り扱おうとする人が、文学者の殆んど全部を占めてはいないだろうか。
 或いは文芸批評以外の批評は無論認めても、之と文芸批評とは何の関係もないものであるかのように思って澄していはしないか。文芸の専門家が、批評の問題でも其の他何の問題でもいい、まず文芸から問題にし始めるということは、当然で又最も経済的なことでもあるのだが、併しその結果、何かの意味ででも批評を文芸批評に限って考えることは、やがて文芸を単に文芸の領域内部でしか批評出来ない結果になり、又それの内部からでなくては批評していけないという主張をさえ生ずることになるのである。文芸は無論、文芸という独自の領域をなしているから、他の領域では見当らないような文芸の特殊性があることは、何も文芸の場合に限らないことで、又それと同じ理由によって、文芸が一個の社会に於ける観念表現現象であり、その点他の文化領域界と少しも別なものではないということも、忘れられてはならない。だから文芸を批評するには、或いはもっと正確に云えば、文芸を本当に批評するためには、いつも文芸という領域以外にもはみ出した立場から、その全般的な世界の内部に於ける特殊な一世界として、批評しなければならないということは、極めて当然な幾何学的結論でなくてはなるまい。文芸を文芸の外部をも蔽う立場から取り上げることは無論、文芸をその内部から取り上げることを、排除しないばかりでなく、全部的に包含している。ただ、そうしなければ文芸(文学)がそのものとして批評され得ないのだ。
 で文芸領域に眼界が制限されないこうした批評眼が、初めて、科学(自然科学をさえ)をも、其の他の文化領域をも、又一切の社会上の歴史的現象をも、批評出来るような、統一的な、本当の批評を産むことが出来る。もし批評がそういう資格を持たなければ、これによって批評される文学なら文学は、単に文学自身によって文学的にしか批評されないことになるので、遂に文学は云わば絶対的文学にまで絶対化され、オール文学主義のナンセンスにまで到着するだろう。なる程文学という言葉は一個の言葉だから、どんな風に広く都合よくでも使おうと思えば使えるだろうが、従って世の中の一切が文学というものの框の内に、適当に抛り込まれることも出来るだろうが、そういう逃げ道は、全く原始的なロジックにしか過ぎないだろう。倫理学者は同様に一切の現象を倫理に解消出来るだろうし、僧侶によれば一切の存在は済度されるべく迷えるものだ。これはつまり職業意識から来るロジックで、専門的であることと職業的手前味噌とを混同してはならぬ。
 批評が文芸批評に限られないという、この判り切った、併し往々その意義が徹底され得ない、観点が、なぜ大切かという点を、次のような問題に纏わって明らかにすることも出来る。最近文学の一角で、文学に於ける「良心」或いは「シンセリティー」が問題になった。今迄だって之を知らないものもなければ銘々で自分の問題にしなかったものもないだろうし、而も又之は何も文学者だけの優先的問題でないことも明らかだが、問題の意味は、それが改めて一同の眼の前に、そういうものとして公然と提出されるようになった、ということ自身にあるのである。即ち今まで政治とかイデオロギーとか、或いは世界観とか云ったものの代りに、取り上げられたものが、この文学者的な「良心」や「シンセリティー」なのだ(尤もこの二つは必ずしも同じような目的を持った観念とは限らないようだが)。
 だが之は恰も、文学が純粋化されることによって、却ってそれ自身の存在理由を失わねばならぬという逆説、即ち文芸の批評は文芸的批評として成り立たなくなるというパラドックスを、最も純粋化し絶対化して現わすものだ。と云うのは、良心も真実も、批評用の・批判的な、尺度を現わす概念としては全く非実用的なのであって、どんな悪党でも、自分が良心的で誠実だということを保証する権利は、他の誰よりも確かに持ち合わせているわけで、良心のない誠実でない人間程、自分の良心や誠実を主張したがる底のものだ。これは誰知らぬ者もない人間的常識だろう。
 だから良心的だ良心的だというものの方が恐らく、良心の何物であるかということをあまりよく知らぬ処の者であり、従ってそれだけ無良心な人間だとさえ云わねばならなくなる。「真実」・「誠実」、等々という概念も亦全くその通りなのだ。私はだからと云って、別に「良心」や「シンセリティー」を問題にしてはいけないというのでもなく、況して之を口ぐせのように唱えている一群の文学者達が却って無良心で誠実を欠いている、と云うのでもない。寧ろ問題は、この良心やシンセリティーの持つ、今云ったようなパラドックスにあるのであって、そしてこの良心、シンセリティー其の他の逆説性が、他ならぬ「文学」なるものの逆説性を、最もよく現わしているという点にあるのだ。
 「文学」「文学」と云うことは必ずしも文学する所以ではないというパラドックス、従って文芸中心的文芸批評が、却って文芸批評の本格にならぬというパラドックスが問題なのである。文学の純粋性に於けるこのパラドックスを、良心、シンセリティー、等々にまで純粋化して行き、そしてこれを我知らず良心、シンセリティー等々のもつパラドックスとして披露するに至ったのは、純文芸派や之に同じた人達の無意識の功績なのである。
 パラドクシカルなものは、併し、批評のための標識には決してなれないものだ。だから良心とかシンセリティーとかいう純文学的概念の周りを回っているのでは、何等の批評機能も発揮出来ない。批評機能は何よりも先に、弁別決定結論とを目的とする。それはやがて明らかにしたい点だが、とにかくその際、パラドクシカルな観念は批評者自身の正面から見た標識にはなれぬわけだ。で寧ろ良心やシンセリティーの代りに、「意欲」や「指導性」(指導力)や「行動」などの方が、文学に於て問題になりうることとなる。云わば善悪というような倫理はパラドクシカルだが、意志というような力の物理的強弱はとに角一種の正面的な標識になれそうに見えるからである。だが問題はまだ、意欲や指導性や行動、等が一体必要であるか否かという段階にあるのであって、意欲や指導性や行動とは一体何かとか、更にはどんな行動が必要なのか又必至なのかがまだ展開されていない。だが少なくとも問題が、文芸批評に於て最初の眼目であった例の「政治」や「イデオロギー」や「世界観」の問題に、再び接近して来たことは、一応認められねばならぬ点である。
 ここで又批評が文芸批評に限るものではない、という判り切ったテーゼを用いて、話しを明らかに出来るような点が出て来る。例の「意欲」や「指導性」や「行動」は、云うまでもなく吾々人間生活(或いはプロレタリアの或いは小ブルジョアのそれとも又インテリゲンチャの)に於ける意欲・指導力・行動なのだが、文芸主義的文芸批評の立場から云うと、之が又全く「文学的」に一般的な、意欲・指導力・行動なのである。それは恰も自由主義者の方針のように、徒に包括的でけじめがなく、抽象的で中味に核がないものなのだ。例えばこうした初めから内容の無限定な抽象である「行動」というようなものを、どんなに推し進めて具体化しても、初め輪郭的に「行動」と考えたものの限定は一向捗らない。だから之から出ては、合理的な弁別や決定や結論へは、そういう本当の批評の目標物へは一向到達出来ないのである。もし夫から何かの目標でも出て来るなら、それは用意された行動主義一般の上に、偶然落ちて来たものの所産に過ぎないだろう。ドイツが落ちて来ればドイツの行動主義(ナチス文化)になるし、フランスが落ちて来ればフランスの行動主義(アクション・フランセーズ?――それともジード等のコンミュニズム?)になる。それは丁度ドイツの愛国心もフランスの愛国心も同じく良心に他ならなかったのと変りはないので、それにも拘らず現実に於てはドイツとフランスとがお互を敵として祖国のために戦ったという事実に何の変りもあるのではない。
 こうした無限定の前に茫然と立ちつくすような真似をしないためには、同じ意欲でも指導力でも行動でもいいから、文芸以外の領域をも含む立場から、決め直さねばならぬ。そこで再び吾々は、「イデオロギー」・「世界観」・「政治性」・等々の一連の批評標識を持ち出さざるを得なくなるのである。要するに問題は、批評の問題は、「思想」にあるのである。文芸に於ても科学に於ても、又其の他一般の文化現象に就いても、その内に実現された限りの思想を具体的に取り出すことが、文化の科学的な――即ち本当の――批評なのだ。
 無論こういう言葉には沢山の語弊があるし、それを穿鑿し出したらキリがないのだが、併し少なくとも最も大切な点だけを指摘しておくならば、第一に思想とはただの観念のことではない、弁別と決定と結論との能力を持ち、而も一貫したコンセケンスを、その意味に於ける弁別上の党派性を、備えた観念のメカニズムのことだ。つまり影像や情念や意欲やパトスからロゴス、それから世界観(之について大いに解明すべき意味が残っているのだが)が、弁別的な推進力を備えた場合、夫が思想だと考えられる。世界観が何かしら出来上ったシステムを決して意味するものではないように、思想というものは何か形の決った「イデオロギー」(世間では之を観念形態と訳しているが)などを意味するのではない。否、イデオロギーと云ってさえ、人間論者の或る者達が何か客観的な観念的造形物であるかのように云っているにも拘らず(パトスからロゴスへ、ロゴスからイデオロギーへ!)、吾々社会人の日常生活経験に於ける直覚的感覚として機能するものであって、元来がそうした主体的な推進の尖端を持たずには存在し得ないものなのだ。思想やイデオロギーや世界観というと、すぐに何か人間の意識のルツボの外に横たわるものに考えるのは、知能や理知がそれ自身で感能的なものだという、一つのありふれた秘密に気がついていないことを意味するに他ならない。実際人間の知能や理知が感能的に直感化され本能化されることがないなら、人間は瞬間の生存も出来ない筈だ。
 第二に、思想はただの観念のことではなくして、行動のための、即ち生活の指導者としての、観念である。だから思想を標識として行なわれる批評は、そのままやがて、その批評されたものの現実の変更、それへの実行的な干渉をいつも約束している。文学ならば批評の対象は主に(主にである)作品だが、作品の現実上の変更や実行的な干渉というと、或る批評家達はすぐ様、作家への忠告や注文やを意味すると考える。文学批評家が、或る馬鹿な批評家が自ら任じているように作家の先生でない限り、こうした対作家だけの仕事が文芸批評家の役目ではないことは断わるまでもないが、併し作家に対する忠告、注文と云っても、純粋に創作技術上の忠告や注文というようなものは、決して現実の変更や干渉を実際上約束出来るものではない。つまり文芸批評家が作家の技法上の後見人であろうとすることに止まる限り、作家は一向批評家の影響を受けずに済ませるというわけだ。技術上の批評が技術を踏み越えて所謂「世界観」の批評にまで登らなければ、作家にたいする文芸批評家の意義は現実的には無に等しくなる。批評無用論の起きる所以はここにあるのだ。
 「思想」を標準とする処の批評は、党派的識別力と首尾一貫性、決定性、結論となるべき批評目的、を持っているから、初めて科学的となる。なぜなら、そこではお喋舌りや独りごとや合点々々や懐疑的な身振りは、凡そ意味を失うからだ。それは決して公平ではない、併しそれが故に初めて「公正」――客観的・公知に基く――であることが出来る。客観的であるためには着眼が統一的で総合的である必要があるが、文芸主義的批評を脱したこの「思想」による批評は恰もそうした統一と総合とを目論んでいた。文学的公正というものはこうしたものでなくてはなるまい。
 主観的な好悪と偶然な条件とに迷わされて、批評対象の持つ客観的意義を、科学的公正にそして党派的に(と云うのは首尾一貫した組織的な弁別力を以て)識別出来ないものは、凡そ批評家の列に加えられるべきものではない。或る批評家は、文学作品に対して無限の愛を以て臨めと云っている。それもいいだろう。と同様に無限の憎悪を以て夫に臨んでもさし閊える筈はない。要点は批評の科学的客観性だ。望むらくは冷酷な同情を一切の批評家の胸に!である。冷酷な同情は冷静であると限らない。事物の動く処、批評も亦おのずから激するのが批評家の客観的公正なのである(「時評」・「月評」・其の他の批評上の意義に就いては他日)。
(一九三四・一二)
[#改段]


 私は、科学(或いは広く学問と云ってもいいが)を一纏めに夫自体として見れば、どういうものだろうか、という観点から、一つの小さな本を書いた(『科学論』〔本全集第一巻所収〕)。この場合もうすでに問題になるのは、夫が科学というものの垣根の内側から初学者のために差し伸ばされた案内の手引としての、所謂科学概論であっては、初めから話しにならぬだろう、と考えられる点だ。それからこういう入門書としてでなくても、科学の諸領域の共通内容を単に内部から抽出したような云わば科学通論とも云うべきものでも困るということだ。
 科学は科学以外の文化領域との連関に於て、初めて立体的に鳥瞰的に、サーヴェイ出来るのではないかと思う。少なくともこの高度を保たなければ、科学と技術や社会生活との関係は疎か、科学と実在との関係さえテキパキとは検出出来なかろうと考えた。
 だがそれは良いとして、科学はどういう他領域の文化と交易関係に立っているか、この問題を意味のある示唆に富んだ形態で解決するには、科学そのものをどんなに丹念に穿鑿しても決して手懸りは見つかるまい。科学と芸術、科学と宗教、云々と並べて見た処で、ありふれた連関づけをしてお茶を濁す他に知恵は出ないだろうと思う。夫によって広く科学というものに就いての見解を実りあるものにすることは、殆んど思いもよらない。これでは全文化に於て科学が占める位置も判らないし、文化そのものの生活に於ける役割に就いての理解も、一向前進しないだろう。
 処でこういう問題がある。レーニンならレーニンという理論家の極めて具体的な社会分析は、大衆を鼓舞し、その意識と情意とを高調させる。夫は殆ど文学的な効果を有つ。理論的分析と文学的描写との間にどれだけの距たりがあるか、という議論だ。今ではもうこういう愚問を真面目に提出するものはいる気づかいはあるまいが、そうかと云ってこの疑問に対する組織的な解答が与えられているかというと、案外そうではないらしい。
 例えば科学と宗教との関係なら両者の対立関係を歴史的に査べれば、一応の現象上の理解は行くわけだが、科学的理論と芸術乃至文学との連関は、片々たる(尤もその数は無限かも知れぬが)歴史的材料では本質的なものを導き出すには足るまい。両者の連関が歴史的に展開していることは初めから決ったことだが、その歴史的な本質を見出すには、却ってただの歴史的材料では追いつかない。科学と文学という問題が之まで一向根本的に処理される方針の立たなかった所以だ。
 私は科学を一纏めに評論したならば(之は大変な仕事でいつ本当に出来るか判らぬが)、その次には「科学と文学」との関係を批判すべきだと思いついた。単に二つが並べられる習慣になっているからではなく、ここに論理学的又は認識論的な、新しい問題が横たわっていると思うからである。科学的理論の世界は、よく云われる通り、概念の世界だ、即ち理論的範疇の世界だ。と云うのは、必ずしも具体性を欠いた概括的な観念の世界だというのではない。凡ての理論は一体そもそも具体的でなくてはならぬ。概念の抽象力はそのためにこそ存在するのだ。概念を概括的観念の略称ででもあるように思っている常識は今は問題にならぬ。概念は実在を把握する又はした観念のことを指す言葉なのである。
 之に反して文学的描写の世界は概念ではなくて文学的表象(文学的に主体化された観念)の世界だ。夫が概念でないということは、この表象が実在の模写ではなくて却って自己の表現だとも考えられる処によく出ている。極端な場合には表徴となりファンタスティックなイメージとなる。こうなれば、わざわざ実在からの独立をさえ強調するもののことだ。
 さてこの二つの世界の関係に従って、科学と文学との関係を考察しようと思う。之は文学にとっても科学にとっても、極めて大切な関係だろうからだ。

 科学的理論にとって、ファンタジーが如何に大事な役目を持っているかは、少し考えて見れば判ることだ。想像力と示唆との能力のない処には、理論的進展があり得ないのは云うまでもなく、科学的な概念一つ成り立ちはしない。想像力としての抽象力と、示唆能力としての直覚とがなくては、たとえばエネルギーなどという概念は理解出来ず又使われ得ない。オストヴァルト的エネルギー観念の取り止めのなさ(精神さえ物的なエネルギーだという)も、実はこの消息を物語っているだろう。
 想像力と示唆能力とが、科学の創造的な積極性の観念上の条件になっていることは、歴史にその例を事欠かないが、併し光は神であるというような象徴的物理学や、友愛的親和力で片づけるようなファンタスティックな化学などは、もはや(或いはまだ)科学ではあるまい。科学は自分自身想像力や示唆力に、自ら制限をおくことを忘れない。この制限は、実在との照応ということに他ならない。科学的認識が記号に帰着するという説もなくはないが、夫は実在をよりよく照明する方法だとしてそう云うのであって、実験的に検証されないものの記号は無意味とされている。実験に出て来ない観念は使わないというのが、往々実証主義的に曲解されてはいるが併し実は唯物論的な、最近自然科学のモットーなのだ。
 つまり科学的理論で活躍する天才的な(?)想像力も示唆力も、実験可能、検証可能という黄金の鎖で、実在という岩に縛ばられているプロメテウスだ。処が文学的表象は、解かれたプロメテウスだと、考えられている。なる程文学的表象は確かに生命の、生の、表現だ。自由こそその精神だ。この表現というものを実験したり検証したりすることは、凡そ意味ない企てだろう。表現はいつも意味を云い表わす、表現とは意味の表現だ。して見れば表現された生々しい生命や生は、つまり意味に他ならない。即ち実は生々しい生命や生ではなくて、即ち実在ではなくて、単にその意味なのだった。で、文学的表象は意味の世界に住する、解釈の世界に住する。科学的理論は之に反して(社会科学に於ても或る一定の意味に於て)実験の世界に住する、ということになる。
 この区別は良いことでもなく悪いことでもなく、恐らく事実だ。物理学的範疇としての重力は、文学的表象としては「重圧の精」となり、労働用具としての機械は冷血なデモンとなる。之は決して嘘でもなければ間違っているのでもなくて、実際重力や機械という実在は少なくともそういう文学的意味も有っているのだ。文学が客観的実在に就いて、作家独自の又は社会人に共通の、各種の意味を発見する。そうやって初めてその実在に一身上の近づきとなる。之は知れ切った事実だ。文学的表象は、科学的範疇に一身上の(個人独自の又は人間群共通の)ニュアンスを与えたものだと云ってもいいだろう。このニュアンスにプロメテウス的な構想と暗示の自由とが見られたのである。
 だが文学的表象と云った処で、別に特別な言葉を考え出すわけではない、赤は矢張り赤のことで、青はやはり青のことだ。ただ、赤い革命とか青白い情熱とか云うだけのことである。そこで、ウッカリしていると、この一身上の主体的なニュアンスを有った文学的観念が、何かそのまま、理論に出て来る概念と同じものと考えられたり、理論的概念の代用物でもあるかのように思われたりし始める。つまり死ぬことは理論的には生物的な死と社会的な死亡とのことだが、夫が文学的に表象されると、死ぬことは生きることであり、生即死だということになる。文学的表象としては夫は大いによろしいのだが、併し生即死的な社会科学的理論体系を造られては、戦死者も親子心中者も政治犯死刑囚も、浮ばれないだろう。
 文学的表象をウッカリ誤用すると、このプロメテウスはとんでもないことをやり始める。文学的表象が独力で理論体系を打ち立てる。つまり非科学的な形而上学というものが、この理論体系だ。

 形而上学(解釈の哲学・観念論)は文学的表象を使嗾している。だから之は科学ではなくて悪い意味に於ける「文学」なのである。之は科学的理論に於ける諸概念の組み合わせを、文学的表象にまで高めて翻訳したものではなくて、逆に文学的表象をそのまま、原語のシンタックスのまま理論体系に居坐わらしたものだ。ニーチェやキールケゴール、ベルグソンに限らず、この種の哲学や「思想」は、必ずしもそのスタイルが文学に似ているからではなく、その表象のシステムが科学でなくて文学だから、文学的なのである。
 こうした文学的表象でもって実在(リアリティーとか真実とか真理とか呼ばれている)を片づけて了おうという自慰的なやり方を、便宜上文学主義と名づけるとすれば、今哲学ではなく、文学そのものがこの文学主義を利用すると、夫が理論の形をとって現われないだけに、愈々性の悪いものになる。物質的検証を保証された理論的範疇を、翻訳し、一身上のアスペクトによって主体化し、その意味に於て一種の直覚的な具象性にまで高めて出来上った処の、文学的表象ではなくて、そういう方法的な検証を経ない天才的な(?)イデーが物を云い出すと、人に判らなければお筆先になるし、人に判れば身勝手な身辺や小さい私の文学として判る。一人前の文学はどれでもリアリズムに立脚するだろうがただの平リアリズムと所謂社会主義的リアリズムとの云わば認識論上の区別は、この辺の消息にかかわってはいないかと思う。
 さて以上は、文学(又形而上学的哲学も仮に存立を許すとして)がなぜ科学を必要としなければならぬか、を証明したわけだが、今度は逆に、科学がなぜ文学を必要とするかを説明したい。科学を知らなくても一人前の人間だと思っている文学者は多くても、文学に触れずに一人前の人間だと思っている程無知な科学者は、まず少ないだろう。科学的理論はそれ自身の具象性を有っている、のみならず夫々個々の科学者のやり口による所謂個性をさえ有っている。だが科学はそれだけでは一身上の道徳(世間でモラルと呼ぶ)を有っていない。尤も唯物論からどうやって道徳や理想が出て来るか、という愚問と之とは関係ない。こういう理想主義者や観念論者の考えている道徳ならば、社会科学的にハッキリと結論されている。どうなれば大衆は幸福になるかまで理論的に割り出せる。だがただの科学的範疇で決まり切らないのは、例えば階級道徳律ではなくて、階級道徳の銘々の個人的感覚とそれの階級的な再組織との問題だ。
 そのために必要なのが文学なのである。プロレタリアのモラルを創造するものはただの社会科学ではなくてプロレタリア文学だ。なぜというに、プロレタリア文学だけがプロレタリア科学的諸概念を、文学的表象に翻訳し得るからである。私は敢て科学的道徳というものを想定したいと思うが、こういう新しい道徳の創造こそはプロレタリア文学の責任だろう(但し所謂転向文学のモラルは殆んどプロレタリアの科学的道徳とは関係がないかも知れないが)。
 こういうわけで文学は科学の必然的な延長だとさえ云っていい。文学と科学とがただ隣り合っているのではない、科学の提出した問題を、最後的に解決するものが(宗教でもなく何でもなくて)文学だというのである。道徳を科学的に探究し得るということが、文学と宗教との区別だ。
 科学者は併しどういう立場に立てば科学を文学にまで押し進めることが出来るか。つまり科学的概念を文学的表象にまでモーラライズ出来るか。その立場がモーラリストの立場なのである。モーラリストとここで云うのはモンテーニュ型の多少懐疑的な身辺エッセイストのことではない。実在の認識を一身上のモラルに、そして逆に主体のモラルを客観的認識に、交易する態度のことだ。ここに科学的批評家の立場もあるのである。モーラリスト(人によっては之を哲学者ともジャーナリストとも呼んでいるが)にして初めて、科学と文学とを正当に対比し得る。
(一九三五・一一)
[#改段]


 わが国では現在、文芸乃至文学と云えば主に散文を意味する、特に小説が第一に思い浮べられる。併し散文が文学として資格を得たのは、中世の末期乃至はルネサンスからであろう。Abelardus(+1142)の H※(アキュートアクセント付きE小文字)lo※(ダイエレシス付きI小文字)se に対する恋文や、又は下ってデカメロンなどが、近世散文文学の形式を決めたと考えられるだろう。一体散文は韻文詩の規則を無視したという点に於てロマンティークな文学にぞくすると云わざるを得ないが、ルソーの今云ったアベラルドゥスに倣った「新エロイーズ」(Julie ou la Nouvelle H※(アキュートアクセント付きE小文字)lo※(ダイエレシス付きI小文字)se)が、近代ロマンティシズムの初めだと云われることは無意味ではない。ギリシアに於ては文学は殆んど凡て詩を意味した。一方に於て、労働と観念の表現とが割合分離しないでおり、他方に於て労働の形態が従って又観念の形態が甚だしく個人的に分裂していない比較的原始的な状態に於ては、文学はリズムを以て云い表わされる。ギリシア時代では、日常の談話に於てもレトリックが重大な意味を有っていた。こういうわけで、文学という概念がそのアクセントの置き処を、時代によって異にしているのは敢えて怪しむに足りない。そればかりではなく現在でも国によって多少文学という言葉のニュアンスを異にしている事実を注意しなければならぬ。ヨーロッパでは文学者とは第一に詩人を意味する。之に反してわが国では寧ろ小説家を指す。わが国に於ては詩人の文学者としての社会的重大性は極めて低く評価されているようである。更に最近では「純文学」という言葉によって一連の問題が取り上げられ始めた。之に対する「大衆文学」や、又之と食い違うものだと考えられる「プロレタリア文学」が問題になる。こうなると、文学という概念はこの方向に於ても複雑な分裂を持って来ているのである。
 であるから、文学というものを相当根本的に規定しようとすると、それは案外広範な領域を含むものとして、限定されねばならなくなる。もし文学の専門家とか文学者とかいうものがあるとすれば、そういう専門家乃至職業者のたずさわっているものだけが、文学だとは云い切れなくなる。丁度哲学というものが、所謂哲学者の専門領域に限定されることが殆んど無意味であるように、文学を文学という専門地域に限ることは抑々反文学的な行き方だとさえ云えるであろう。文学は単に文芸乃至芸術を代表するだけではなくて、もっと広範な地盤を支配する。吾々が何かの事物を具体的に観察し遺漏なく捉えようとすると、必ずその事物の内部と周囲とに一種のアトモスフェアが発生するのであるが、このアトモスフェアがすでに文学的なものであって、往々ユーモアと呼ばれている処のものだ。そう云っても、無論、云わば文学プロパーとも云うような特殊な地域があるという事実は抹殺出来ないが、問題は、そういう地域が他から独立に存在するのではなくて、もっと広範な、もっと普通な日常的な一般的な領域が、抑々の文学の故郷なのであって、専門的な所謂文学プロパーという地域さえが、それの代表的ではあるが結局一部分に過ぎない処の、特殊領域に外ならない、という点にあるのである。文学の専門家でない私は、文芸乃至芸術プロパーに就いて口を利く権利はないだろうが、私に問題になるのは、今云った広範な意味の下に於ける文学である。そしてこの広範な意味での文学こそが実は、初めて、生々した文化的意義を持った問題を沢山提出して呉れると思われる。

 文学は生活の表現だ、という。が、実はその逆が真理だとも云うべきである。生活というものがそのままで凡そ文学的なのである。労働者や農民・下級サラリーマン・無教養のブルジョア、等々の生活のどこが文学的なのか、と問われるかも知れないが、そういう生活が文学として表現され得るということが何よりの証拠ではないか。ルンペンや貧窮者の生活を無責任な傍観者の立場から、勝手に美化したり「芸術化」したりするだけが文学だというわけはあるまい。なる程、あまりに生活条件が悪いために生活意識の生長を欠いていたり、又生活条件が良すぎて却って意識が荒廃しているような人間に於ては、彼自身は自分の生活を文学的とは見ないであろうし、その必要も感じないであろう。併し生活という概念は、個人が自分自身で主観的に自覚しているようなものばかりではあり得ない。生活は実に、社会に於て、歴史に於て、客観的に展開する人間の運命とも云うべきものである。ベルグソンやW・ジェームズが問題にしているような「意識の流れ」としての生は、まだ必ずしも生活ではない(ジョイスの『ユリシーズ』が吾々の生活意識をあまりに刺戟しない点を見よ)。少なくともディルタイが云っているような生が、即ち歴史や政治として客観的精神の形を取って現われる生活が、本当の生や生活の概念をなすのである。
 で、こういう生活が文学的だという時、或る一定の個人達の生活が自分自身に文学的だと自覚されないと云っても、それは問題にはならない。――吾々の日常的な常識生活が、そのままでヘーゲル風に云えばアンジッヒに見られて、文学的なのである。だからこそ文学は最も日常的で常識的で従って或る意味で最も大衆的な普遍的な文化内容であることが出来るのである。生活が文学的であるとし、又その生活が歴史や政治として現われるとすれば、歴史や政治自身が文学的な本質のものであることは必然である。実際、世間の人々は、歴史や政治のこの文学的特色を云い表わすのに、人間性という言葉を以てしている。歴史は人間の歴史であり、人間は政治的動物であると云われている。文学こそ、人々の信ずる処に従えば、この一般的な人間性に関するものでなければならぬ、何も別に歴史学が芸術であるとか、政治行動が文学修業になるとかいうのではないが、歴史が凡ての人間的行動や観念や所産を包括し、政治が凡ての人間的行動や観念や所産を代表するという点で、人間生活の最も日常的な普遍的な側面をなしているから、いずれも文学的特色を持つというのである。文学とは蓋し、一般的な人間のアンジッヒな静態を云い表わす言葉なのだ。――以上が広範な意味に於ける文学というものの一般的な従って形式的な概念なのである。
 だが、こう云って了えば文学という特別な言葉は不用になり、従って無意味になって了うだろう。併し実は、こういう風に一般的でありながら、おのずから又、特殊な領域を構成出来るという事実があるからこそ、この一般的なものを、特に文学として特色づける必要があるのである。文学というのは生活という一般的なもの自身の性質だ、その点では之は一般的なものである。併し文学というものは生活というものの一つの性質なのだ、その点では之は特殊なもので、他のものと対立しなければならぬ。――文学は科学乃至学問と対立する。科学という概念も亦甚だ出這入りの多いものの一つである。科学と云えば英語やフランス語や日本語では、主として自然科学を意味している。ドイツでは之に反して大体、学一般を意味する。又哲学は科学の内に数えられたり科学から区別されたりする。だが、知る(Scio, Wissen)ということは吾々人間の生活の根本的な一つの機能なのである。この機能の結果が科学(Scientia, Wissenschaft)に他ならない。生活の文学的な特色が文学を結果するように、生活の知る機能が科学を結果するのである。人間生活の一切(行動と観念と所産)を単にそのままアンジッヒに受け取るのではなく(それなら文学だ)、特に之を促進し保持して行くという意味に於て、知るということが、生活の一般的な機能を、その活動的な特色をなす。だから歴史も、ただ単に起きたままの歴史(文学的)であると共に一定の方法によって書かれた歴史(科学的)になるのだし、政治は必ず何等かの認識の下にしか行なわれて来ていないのである。

 生活の科学性を主張することは、ギリシア古典哲学の根本的な立場だったと見ていい。プラトンの哲学者政治論はその典型的なものだろう。この点ではスコラ哲学と雖も決して軽蔑すべき例外ではない。近世ではコントの実証主義や、特にはマルクス主義が、この立場を明白に宣言している。生活から科学性を抹殺しようとする無理な試みは、〔第一次〕世界大戦後発生した末期的な現代資本主義哲学(ハイデッガー・日本精神哲学、等々の国粋ファッショ哲学)のドン・キホーテ又はサンチョに一任しておけばいいだろう。では、文学と科学とをどこで区別するか、と質問されるに違いない。それは容易に答えることの出来る問題ではない。文学は表現で科学は分析だと云って見ても、又文学は直観や感情に基き科学は理性や悟性や知能に基くと云って見ても、お座なりの説明でしかあるまい。感情と理性、直観と悟性を、無雑作に対立させるのは全く安価な心理学である。問題は、文学と科学の交渉・連関と統一とにあるのであって、単なる区別にはあり得ない。で、まず初めに科学の文学的意義と、文学の科学的意義とを考えて見よう。
 科学特に自然科学の性質に就いては一つの迷信が行なわれている。それは科学は生活から縁遠いものだというかたちで現われているようだ。世間では往々科学者を非常識な朴念仁と決めてかかる癖がある。古くは天体ばかりを仰いで路を歩いて溝に落ちたタレスや、近くは日露戦争を知らなかった帝大の物理学者などがその例に引かれる。科学を社会生活と無関係な高遠なものと決めてかかっているのである。こういう考えが如何に無知の現われであるかは云うまでもないので、現にタレスは相場で金を儲けたし、例の物理学者は後には最も政治的手腕のある大学総長になっている。自然科学者は今日、決してそんなに非常識ではない。それどころではなく、彼らは例の迷信を極めて有利に利用する程、それ程賢明なのである。世間が科学や技術を中立的な超政治的なものだと決めている迷信を利用して、自己の政治的局外中立を合理化そうと力める。科学は純粋でなければならぬ、政治的関心は云うまでもなく、啓蒙的な興味やジャーナリスティックな意図をさえ、もつ必要がないし又持ってはならない、と彼らは宣言する。併し実際には科学者は科学をそういうものとして自覚しているのではない。その点で科学者は素人と完全に区別されるだろう。彼らはその中立的な超政治的な労作を、如何に現代社会の支配勢力のために寄与せねばならぬかということを、充分知っている。自然科学が技術のために、そして技術が一定の経済組織のために、召し出されているという事実を知らない科学者は、科学者ではないだろう。――で科学者によって例の迷信は単に利用されているにすぎない。その限りつまりそれは実際には一応打破されているわけである。

 だが、科学と生活との距離に就いての迷信を打破しても、その打破の仕方が科学的でなければ、本当に打破したことにはなるまい。科学者の多くは科学と生活とを、極めて卑近に功利的に結びつけるに過ぎない。社会科学的な又哲学的な知識を媒介として結びつけるのではなくて、科学の専門的な知識と、非科学的な世間常識又は一身の利害の判断とを、直接に結びつける。之では科学の文学的意義は見つかる筈はないのである。科学の文学的意義の第一歩は、科学的専門領域の連関づけ・総合・世界観的統一・に於て現われるべきである。一体色々な専門領域は歴史的に分化して来たものだから、之らを結合するには歴史的な原理によらなければならぬ。科学の歴史・認識の歴史の理解がそこに必要となる。ここから諸科学は日常的な政治的な人間生活の一場面として「生活」に這入って行く。之が科学の文学的意義の第一歩なのだ。だから哲学は、之を明らかにするために、科学論とか科学方法論とか、論理学とか認識論とかの省察を企てて来たのである。ただそれが之まで割合、文学的なものとの交渉を明らかにするまでに纏りが付いていなかった迄である。纏りが悪るかった罪はブルジョア哲学のアナーキーに帰着するのであって、科学の非文学的性質にあったのではない。普遍的に通用すべく鍛錬されている例えばマルクス主義哲学の範疇組織は、この交渉関係を明らかにし得る約束を与える唯一の哲学だろう。
 今日の科学は極めて高度の技術的水準に達している。門外漢は容易に今日の科学の成果を追跡出来ない程、その技巧水準は高まっている。だがこれは必ずしも、科学の文学的意義が高揚されたことと平行するものではない。科学の文学的意義は、科学を支配する世界観とそれから来る方法とが、人間の文化の歴史的社会的前進に対して持つ位置関係の内に見出されねばならぬ。科学の技巧水準ではなくて、科学の文化水準が科学の文学的意義の度盛りなのだ。新しい科学が台頭するとか、新しい研究領域が開拓されているとかいうことによって、初めて科学は一般の文化水準を高める功績を有つのであるが、そういう発生期に於ける科学はいつも豊富な文学的意義を持っていたのが事実である。ガリレイの力学は中世の文化の闇を照らすことによって台頭したのだし、ニュートンの物理学は当時の社会の経済的技術的文化条件を集大成することによって、成立した。科学的独創や科学的新着眼は、いつも文学的な一種のファンタジーや示唆によって導かれる。――以上述べた点は科学が自然科学から社会科学乃至哲学に近づけば近づく程、無論著しくなる。ダーウィニズムがマルサスの人口論から教唆を受けたのは有名な事実であるし、社会理論や歴史学が神学や道徳観から動機づけられて来たということも著しい事実である。今日の新しい物理学までもが、範疇の解釈に各種の世界観を露骨に使用している。

 こうした科学の一般的な文学的意義に基いて、所謂科学と所謂文学との交錯現象が、至る処断片的に発生することが出来る。例えばファーブルの昆虫記などは科学が文学の性格を帯びた場合であるし、探偵小説の類は文学が科学の性格を帯びた場合だろう。精神病学乃至病理心理学は文学上の仕事をおのずから実行することになるし(ロンブローゾやクレッチュマーの天才論・フロイトの文学理論、等々)、自然主義文学や所謂「唯物弁証法的創作方法」に基く文学は、生物学的乃至社会科学的理論を根柢に想定している。文学と科学との交錯が、映画や建築に顕著であることは誰でも知っている。吾々はこの側面から、文学の科学的意義を探求して行く道を持っているだろう。今は之に深く立ち入ることは出来ないが、現在文学の科学的意義として、最も著しいものは、文学の政治的機能乃至特色であるという点を注意しておこう。
 今、所謂文学と所謂科学とのこの交錯に於て問題になるものは、アマチュアとディレッタントの問題であることを見落してはならぬ。夫々の領域に於ける専門家は、他の領域に対してはアマチュアとしての資格しか有たないのが普通であるが、二つの領域の間に以上のような交錯がある場合には、アマチュアも亦一つの機能を果すことが出来る。文学に於てはその科学的意義を、科学に於てはその文学的意義を、最も手取り早く要領よく見透すことの出来るのは、却って、優れたアマチュアの特権であるようにさえ見える。ディレッタントはアマチュアと異って一種の専門家と考えていいだろう。ただその専門家たるや、一定の専門領域に限定されず、且つ又どの専門領域に於ても完全に組織的な専門家ではない、というのを特色とする。従って各種の専門領域のディレッタントによる断片的な専門的知識が、偶々夫々の専門領域の根本的な本質的な知識であれば、それを結合しているディレッタントの知識は、必要な統一を探究するのに最も手近な入口を持っていることになるわけで、問題が科学ならば、世界観的・文学的統一に到着することがそれだけ早くなるわけだし、もし問題が文学ならば、文学と科学とのコンジェニアルな点に逸早く気づく可能性が多いわけである。だが恐らくジャーナリストという言葉が一等適当ではないかと考えるが。

 生活の文学的特性と科学的機能との関係を、今まで、科学の文学的意義と、文学の科学的意義とに於て、即ち又所謂文学と所謂科学との交錯に於て見たのであるが、これだけ見れば文学と科学との一種の平行関係に気付かざるを得ない。二つのものの間には元来一種の同一性・共軛関係があるのである。一方のものに関する法則は、適当な変更の下に、他方のものにも適用出来るだろうということが判る。イデオロギーの理論は、文学をも科学をも、イデオロギーという共通な構造の下に分析するものであるが、之によって、文学と科学とを支配する共変的(Covariant)な一定関係を見出すことが出来るだろう。そこから初めて、文学と科学との間の同一性と区別とを引き出すことが出来る筈である。それを簡単に指摘して終りにしよう。
 一、科学批評に就いて。科学に於ては批評は実証に対立し、文学に於ては制作に対立する。文芸批評というものは今日至る処で行なわれているが、之に反して科学批評(科学的批評ではなくして科学の批評のことだ)は殆んど稀れであるように見える。だが、批評は科学に於ても可能だし又必要であることを忘れるべきではない。社会科学や哲学の領域ではこの頃論壇の批評として科学批評が行なわれるようになって来たが、同じことは自然科学に就いても大切である。すでに自然科学では科学の批判史(マッハ・デュエム等)が提出されているのであるから。
 二、科学的批評に就いて。科学的批評は、科学と文学との平行関係が設定されない限り成立しない。文学を単に社会学的に見たのでは科学的な批評にならないことは当然だろう。文学自身が元来科学的意義を持っていたから、初めて科学的に批評され得るわけなのである。
 三、批評の尺度の問題。科学的批評とは客観的な尺度による批評のことである。ここでは文学芸術の「芸術的」水準とその「社会学的」水準とがあるのではない。あるものは文学の文学的水準(表現の具体性による)と科学的水準(歴史的必然性による)とであって、しかも二つは芸術的真理という唯一の尺度によって計られるという結果になる筈である。この二つの水準が唯一の尺度に結合出来るのは、文学(芸術)が元来科学的意義を持っていたからである。
 四、古典の問題。古典は一応作品の文学的水準(表現の具体性)の典型的なものを云うように見える。だがその科学的水準(歴史的必然性)が低かったならば、第一それは古典的遺産として残る条件を備えていないだろう。或る一定の時代にとって必然的な意味があったればこそ、今は吾々にまで遺されているので、之は単に表現技術の模型としてあるのではなく、同時に歴史的必然性を担った限りの表現の遺物としてあるのである。之は技術的模型ではなくて芸術史的遺産である筈だ。古典はだから、かの批評の客観的尺度の歴史的な適用材料である。科学や哲学に於てもこの古典の意味は少しも変らない。
 五、世界観と方法。一―四は文学と科学とに共通な規定である。最後に二つのものの区別に触れる処の法則を見ておこう。文学も科学も世界観に立っている。それが生活に基く所以である。今二つが同じ世界観に立っているとする。即ちいずれも同一世界の客観的な反映であるとする(文学の科学的意義を忘れない限り文学は世界の客観的反映であらざるを得ない)。そこで二つのものの区別は、その反映の仕方に、即ちその方法の如何にあるのである。だが元来方法は世界観によって規定される他はないから、世界観は同じで方法が異る、という言葉は、それだけでは説明が足りないわけであり、又世界観と云っても現実にあるものはすでに科学的乃至文学的な方法を歴史的に通過して出来ているのだから、方法から切り離すことは出来ない筈だ。問題は結局、生活の文学的特性と科学的機能との連関に帰するわけで、歴史的社会的な人間生活の形式的な構造を或る程度まで分析した上でなければ、この関係は片づくまい。
(一九三三・一一)
[#改段]


 唯物論という言葉に対しては、わが国では(尤もわが国だけではないが)、いまだに可なり見当違いな誤解や無理解が行なわれているのを、吾々はよく経験する。或るアナーキストは、私に向かって次のように詰問した。一体吾々アナーキストは、ブルジョアジーの支配抑圧を現実的にはね除けて、強制のない自由な社会を実現しさえすればいいのだ。そのやり方が唯物論であろうと観念論であろうと、そんな形而上学的な仮説はどうでもいいのだ。初めに物質があったか精神があったか、というような「理論」は一体何の役に立つのか、とそう詰問するのである。
 私はそこでこう答えた。一体唯物論というのは、決して、吾々の実際生活の必要を離れた(それを彼は「形而上学」と呼んでいるらしい)一定のドグマのことではない。物質が精神よりも存在上先であったということが本当であるにしても、この主張を何か、形式的一般的に繰り返すことは、即ちそういうテーゼを固定物であるかのように説教することは、少しも唯物論的真理にはならない。唯物論の真理は、現実(それは世界とか現実とか生活とか等々と呼ばれて来ている)を、唯物論的に把握して行くことの内にこそ、初めてあるのだ。唯物論的方法によって現実を処理して行くことこそが唯物論なのである。唯物論とは、だから決して形而上学的説教による固定したテーゼやドグマの結合でないのはいうまでもなく、逆説的に云えば唯物論的世界観のことでさえないのだ。唯物論は方法なのだ。そう私は答えておいた。
 併しこの場合、世界観と方法との関係をハッキリさせておくことが大事だと考える。世界観はその名の示す処によれば世界に対する直観(Weltanschauung)である。直観という概念は、従来直接に与えられた受動的な観念活動という意味を普通の場合持っている。尤も所謂直観主義者の内の主意説論者(メヌ・ド・ビランやベルグソン、西田幾多郎博士等)によると、直観こそ最も能動的なものの本質だということになるが、それは正しいとしても、それにも拘らず、矢張り直観は直接であり所与であるという処に、即ち直接な所与を媒介し加工した揚句のものではないという処に、主体の能動的な労作・労働(一般に実践と呼ばれる)を含んでいないから、その限り矢張り受動的な性質を免れていない。で世界観がそういう意味で世界の直観観照であるならば、実際多くの哲学者や常識人が想像している通り、世界観は云わば生れながら吾々に提供されている処の宿命的な物の見方とでもいう他はなくなるだろう。世界観と云うと、何か、科学や哲学や芸術、道徳、宗教意識、其の他の意識形態を貫いて、而も之を超えて、横たわる最後の非合理の鍵であるかのようにも考えられ、そして実際又世界観という概念をそういう風に使っているのが、大抵の場合の事実である。
 だが世界観の実質からいうと、之はこうした諸意識形態の底に横たわる最後の鍵でも何でもない。単に、意識形態のあらゆる展開の段階の随処に横たわると考えられる夫々の具体的な規定を、一括して形式的に取り出した、割合便宜的な一つの根本概念にしか過ぎない。だから世界観それ自身だけを問題にしていては本当は何の説明も之に加えることが出来ないのである。実際だから又、口を開けば世界観世界観と叫びたがる人間は、世界観という概念を少しも批判的に理解してはいない。そのために、時々世界観という言葉は勝手なことを述べたてるのに至極便利な言葉とさえなれるのである。

 世界観は決して単なる直接や所与ではない。一体直観というもの自身が、決して単なる所与や直接でないことを注意しなければならない。直観に就いての本当に唯物論的な概念は、吾々が持つどの直観もすでに概念の媒介を経たという歴史を持っている、という点に何よりもの重点を置く。概念と直観とを単純に対立させるだけなら、云うまでもなく直観は概念に対しては直接な所与の地位に位置する。けれどもそういう直観も、実はこの時以前の概念からの一つの歴史的結果の外の何ものでもないということが大事だ。本当の唯物論は歴史的唯物論(但し必ずしも「史的唯物論」に限らない)即ち弁証法的唯物論であるが、そこでは直観というものに就いても、その認識論的成立の歴史が重心をなしていることには、見易い理由があるだろう。で直観は、概念との連関に於てしか、直観そのものとしてさえ把握出来ない。で、世界についての直観即ち世界観も亦、ここに基準を置いて初めて、唯物論的な(弁証法的唯物論的な)根本概念となることが出来るだろう。
 直観に較べると、世界直観即ち世界観は、直観の一種の複合体(直観のシステム)である。従って世界観に対比され、直観に対比された概念に対応する処のものは、云わば概念の複合体(概念のシステム・体系)であることになる筈だ。概念は直観から生成し、そして又新しい段階の直観を結果するが、概念のこうした工作過程に相応する機能を、今の概念の複合体・体系が営む場合、そうした概念複合体はもはや単なる体系ではなくて、恰も方法というものになるのである。方法は世界観から生成し、そして又新しい段階の世界観を結果するのである。
 世界観が、だから、方法との連関を離れて問題になることは、唯物論(本当の)では出来ないことである。
 だが私は「方法」が(「世界観」は云うまでもない)、理論乃至科学の方法であるのか、それとも一般的な意味に於ける芸術の方法であるのかに就いて、まだ少しも区別をしていない。この区別は無論なくてはならぬが、この区別に拘らず両者に就いて一般的に共通なことが云えるという点が、唯物論による世界観と方法との根本関係だということを、示したかったのである(理論乃至科学と芸術乃至文学とは、方法の最後の二つの種類だが、その理由を述べている余裕がない)。
 一体世界観(唯物論ではこれ自身唯物論と名づけられる)は、現実の(唯物論的方法による)把握である。だがこの場合、唯物論的方法は、それが理論乃至科学のものであるか、それとも芸術乃至文学のものであるかによって、決して同じであり得ないのは明らかであるが、区別を含むこの「方法」が、今の場合一応背後にかくされているから、世界観の方は、理論のものであろうと、芸術のものであろうと、何等の区別を示さないわけだ。云いかえれば、世界観というのは、それ自身の立場から云えば、理論乃至科学にも芸術乃至文学にも共通なのであって、それ自身が方法に転化する時になって初めて、方法(従って又逆に世界観もの)の区別が発生するのだと云って好い。この意味で世界観では理論も芸術も一つになっている。両者の結合点を見出す為には先ずここまで帰って来れば好い。というのは、唯物論的世界観は、現実の最も正しい即ち客観的で一義的な反映以外の何ものでもないからである。――理論や芸術は、この同じ現実の同じく客観的で一義的な反映によって、初めて本当の――唯物論的な――理論や芸術となる。只その反映の仕方に、方法に、理論乃至科学と芸術乃至文学とで、類別があるだけだ。両者がその世界観からして異るとも考えられるのは、ただこの意味に於てだ。

 では唯物論的理論(科学)の方法と唯物論的芸術(文学)の方法との間にはどういう根本的な類別があるか。というのは理論と芸術とはどこで違うかということである。こういう大きな歴史的にも沢山の経緯を持っている問題をここで簡単に片づける積りはないが、少なくとも次の点だけは指摘して置かなければならない。
 最も大事なのは主題の完了性に就いての区別である。理論乃至科学の労作は、無論一定の客観的に要求された主題を選んで、之をあます処なく分析し統一するのであるが、併しそれによって主題自身が完了したということにはならぬ。帝国主義という主題を選んでその主題の下に於てはレーニンは殆んどあます処なく分析統一を与えることが出来たにしても、帝国主義という主題自身は、自分の分析の中で、必然に他の諸主題への出口を示しているわけで(例えば戦争・軍需工業・機械・戦時経済・ファシズム等々の独立した諸テーマ)、主題は自分の分析そのものによって、自分が完了していないものである点を、自覚しているわけである。論者は必要を感じられたそうした次々のテーマを、次の機会に取り上げねばならぬことを自覚するわけである(凡てのテーマをあげ尽したいというような形で、テーマの完了性を装うものは「教科書」である。――だが一般に、教科書程テーマの創造性と積極性とに乏しいものはない)。
 処が芸術に於ては様子は多少違う。『戦争と平和』という題でトルストイが描こうとした主題はそれが成功しようがしまいが、あれでとにかく完了している。トルストイはあの描写の内でどこにも他のテーマの描写を約束していないし約束する必要を感じない。レーニンは『帝国主義論』の中で戦争や機械のことに就いて明白に触れており、即ちそういうテーマを取り上げねばならぬことを約束しているのだが、トルストイの『戦争と平和』に於て、例えば十八世紀十九世紀のフランス人とロシア人の比較といったような歴史的課題が約束されなくてはならぬというようなことは、批評家が発見することであって、作者が自覚することではない。芸術作品が、芸術教科書(?)などでおきかえられる心配は、恐らくないだろう。処が理論乃至科学が教科書の捏ね回しに終ることがどれ程多いかを、注意すべきだ。
 理論乃至科学は均衡ある周到な分析にも拘らず、抽象し公式を作り又公式を用いたという過程が、成果そのものの内に露出している。で理論乃至科学は、他の理論乃至科学の成果のこうした露出面(公式其の他)を、その成果から抽出することが出来、又せねばならぬ。こうやって理論乃至科学の成果は、いつも解体されることによって、却って初めてその本来の使命を果すのだとさえ云っていい。だからそれは完了した「形象」を得ないわけである。
 芸術はそうではない。なる程芸術でも、唯物論的であるためには、今云った分析や公式を経過しなければ芸術にならぬ。併し作品というその成果自身の上では、こうした分析や公式の製造・使用の過程自身は匿されていなくてはならぬ。そういう形でコナされていなければ、芸術作品は「形象化」された事にはならぬ。なる程又、芸術作品は、特にそれが古典としての資格でも持てば、デコンポーズされるのが常だ。その内から典型的なフォーミュラ(公式)を抽出出来ればこそ、古典なのである。だがこの解体の過程は、芸術理論――批評――の仕事であって、芸術自身――制作――の仕事ではない。世界観の表現形態が、即ち又現実の模写形態が、理論乃至科学と芸術乃至文学とでは、少なくとも以上のように類別を持つのである。

 芸術(乃至そこに横たわる思想としての文学)の内で最も複雑に理論乃至科学と交渉しているものは文芸である。それは概念(言葉によって表わされる)を乗具としている点で、理論乃至科学と同じだからである。だが文芸に於て吾々は、理論乃至科学に於ける世界観―方法の関係と、芸術(乃至文学)に於ける夫との間の、平行的連関を最も特徴的に指摘することが出来るだろう。サッキは二つのものの類別が問題だったが、今度はその類別にも拘らず、両者の間の一種の同一性・平行性・等質性・等々が大事だ。文芸(一般に芸術)の制作に於て、唯物論がどういう役目を持つかの問題がそれである。
 世界観は一般に、同時に生活意識である。文学が生活意識から出発することは、誰しも異論のない処だろう。処で他方、弁証法的唯物論(それが本当の唯物論だと云っておいた)は、世界観としては、事実上プロレタリアの世界観であり、又益々そうなりつつあると見られる。で今の場合、唯物論的な文学(仮にそう名づけておこう)が、プロレタリアの生活意識から出発するということは至極あたり前の事実なのである。世界観乃至生活意識が、現実の忠実な反映である以上、プロレタリアのものであるとかないとかは本質的な問題でない、と考える人間もいるかも知れないが、それは、今の場合生きた事実の代りに可能的な原理をかつぎ出す三百代言式な横槍に過ぎない。

 処で、世界観は方法との関連に於て初めて世界観であることが出来ると云った、そのことは同じく方法の側に就いても真理である。二つのものは切り離しては死んで了う。世界観と方法とがどう異るかはすでに触れておいたが、今は二つの必然的な結び付きにも人々の注意を喚起しなければならぬ。で、唯物論(弁証法的唯物論)がプロレタリアの世界観であったとすれば、之に必然的に連関している処のプロレタリアの文学制作の方法も亦、唯物論でなくてはならぬ。唯物論的な制作方法――それがどんな内容を持つかは後にして――は唯一の真の文学創作方法の筈だから、それがプロレタリアのものであるとか無いとかは根本的問題でない、というような結論へ導く処の一切の云い方は、ここでも亦、本当の生きた新鮮な真理を云い表わし得るものはプロレタリアなのだという一つの著しい歴史的事実を、云い忘れたものだと云う外はない。
 プロレタリアの創作方法、それは弁証法的唯物論的、即ち「唯物弁証法的」制作方法と同意義でなくてはならぬが、それがプロレタリアの実践活動の一部分にぞくする限り(一般に文学乃至、芸術の制作は、理論乃至科学の制作と同じに、それ自身一つの実践であり又実践活動を媒介として初めて成り立つことが出来るのだが)、プロレタリアの政治活動の歴史的諸段階に相応する広義の政治的綱要に対応して、内容が決って来る必要がある。唯物弁証法的なプロレタリア文学の制作方法の内容は、従って、この政治的情勢に対応する処の芸術的形象化の夫々の方針として、具体的に指定され、又それ自身の必然的な進歩の道に従って、転化して行かねばならぬ。それで唯物弁証法的な制作方法は、自分の夫々の段階に於ける内容の特徴的な点の自覚として、順次に様々なスローガンを掲げるのである。
 だから曾て、プロレタリア文学の創作方法は、「プロレタリア・リアリズム」というスローガンを、やがて「唯物弁証法的創作方法」というスローガンに代えたのである。最近ソヴェートに於ては、この後者のスローガンの代りに、「社会主義的リアリズム」や「革命的ロマンティシズム」というスローガンを掲げろと、或る人々は云っている(キルポーチンなど)。マルクス主義的文学理論が形式的には比較的進歩しているわが国に於ても亦、この頃このテーマは興味の中心をなしているようである。
 「プロレタリア・リアリズム」――「唯物弁証法的創作方法」――「社会主義的リアリズム」(又「革命的ロマンティシズム」)という推移は、プロレタリアの陣営の歴史的に必然的な量的又は質的前進に対応したものであったし又現に対応するものである筈だが、そればかりではなく、同時にそれが、文学的真理の把握(現実の現実的な模写)の必然的な進歩に他ならない筈である。元来「唯物弁証法」(即ち唯物論)は、文学に於ても、理論や科学に於てと全く同様に、決して単に当面的な方針としてのスローガンなどではない、それは文学の制作に於て本質的な内容なのだ(それは次に見よう)。この内容の或る段階に応じて、スローガンとしての「唯物弁証法的創作方法」というものもあったのであるし、又あるのであると考えるべきである。

 では文学制作の本質的な内容としての(スローガンとしてのではない)唯物弁証法的制作方法とは何か。それは様々に説明され得るし、又事実、様々に解説されてもいるが、少なくとも、唯物弁証法のプリンシプルがその題材とテーマと手法とに、一貫していなくてはならない。どういう題材を用いて、どういうテーマを選び、どういう仕方でそのテーマを形象化す(表現する)か、という点に、この制作方法が唯物弁証法的認識(それは理論と科学とのものだ)と根柢的に連関し、之に平行し同一性を示す処がなければならないというわけである。唯物弁証法による理論的認識は、云うまでもなく、それだけで何等の文学的真理内容も持たないが、文学的内容が(併し内容とはすでに形式とゲハルトとの結合であることを忘れてはならぬ)真理であるためには、理論的認識によって到達された理論的真理をば文学的形象にまで兌換したものに相応するだけの内容を有つことが必要だ。この兌換の手続きが、題材・テーマ・手法等々の採り方に他ならないが、それが取りも直さず「唯物弁証法的な制作方法」なのである。併しこう云っても、例のスローガンとしての「唯物弁証法的創作方法」(この歴史的に一定のニュアンスを有った方法)を云っているのではない(それは文学の形式化・概念化・偏狭化に導いたとも云われている)。況して『資本論』の戯曲化などを指すものでもあり得ない。テーマや題材それ自身が文学的に「兌換」されなければならないと云っているのだ。そうでないと理論にはなっても文学にはならないからである。

 材料に就いて一々説明するだけの立ち入った準備がないので、これ以上具体的に述べられないが、以上で云った制作方法に対して、最後に吾々は唯物論的な文学批評の問題に触れておかねばならぬ。唯物弁証法は制作方法であるばかりではなく、同時に又批評方法でもなければならない。例の「科学的批評」というものがここで初めて成り立つことが出来るのである。科学的批評が何であるか、又どういう根本構造を持っているか、又一般に(唯物論による)制作と批評との関連が何であるか、そういう一連のテーマに就いて私は他の機会に何遍か述べたことがあるので、今は省こう。科学的批評が文学に於て行なわれると同じ必要に従って、科学(又理論)に就いても行なわれねばならぬということも、すでに書いたことである。
 唯物弁証法(それが本当の「唯物論」である)を使うと、文学(又芸術)も科学(又理論)も、その根本的な差別にも拘らず、殆んど全く平行した共通した連関構造を有っていることが判る、という点が、夫が今私が普遍化したいと考える一般的な結論なのである。
(一九三三・八)
[#改段]


 道徳は一面に於て一種の習慣である。個人が個人生活又は社会生活上の必要から獲得した習慣が、社会生活に於て、大体のサンクションを得ると夫が習俗になる。一定の習慣習俗を抜きにしては、その限り道徳の内容は存在しない、例えば省線電車のエンジンドアが一斉に閉まる迄に、あわてずに乗ったり降りたりすることは、ただの習慣に過ぎないようだが、併し不便な服装をした交通感覚に無知な婦人達などに対しては、寧ろ一種の不快を感じるだろう。之は外でもない「交通道徳」意識の末端に触れるものだからである。車道横断の道徳や押し合わずに乗降車する道徳は、学校の修身に責任があるのではないが、近代都市生活自身が教育する道徳なのである。
 交通道徳で見られるような習俗は、社会生活が発達すると一緒に発達するから、夫が固定する心配はないのだが、こういう卑近な習俗から段々と高次の習俗になると社会生活が発達しまたは発達しようとするにも拘らず、依然として旧態に止まろうとする慣性を示して来る。習慣や習俗が元来そういう固定する要素を濃厚に有っているのは云うまでもないことで、それの最も頑強な場合は、家族主義的家庭生活やブルジョア社会の生活に就いて見られる処だ。ここでは習俗は固定して何か実体のようなものとなって横たわる。
 習俗が固定すれば、この固定した習俗に根を置いている道徳意識も亦、国民道徳とか階級道徳とかいう所謂「道徳」や修身となって固定する。
 処で道徳の他の一面は、こうした生活感触としての感覚運動的習慣や、習俗と共に固定した道徳律に対立して、理性とか人間性とか良心とか良識とかいう名を持った或る意識機能の内に存在する。無論思潮上の特別な立場に立たない限り、理性も人間性も、良心も良識其の他も、歴史的に発達し又歴史の上で固定される習慣や道徳意識から出て来た結果に外ならぬことは明らかなのだが、併しそれはそれで独自の機能を営むことが出来るという処から、習慣や道徳意識の歴史的消長からは独立して、理性の声や人間性の叫びや、其の他其の他のものが、道徳的エネルギーの源だと考えられて来ている。
 道徳のこの一面は、発達するものでもなければ固定するものでもなくて、却って永遠ないつも想定されなければならぬ道徳のアプリオリにぞくするものだと考えられている。だから特別に歴史的に決った内容は有てないのであるが、そうかと云って、必ずしも単に形式的なものに止まるとは限らず良心とか人間性とか云えば却って無限に豊富な内容を含蓄するものだとさえ思われている。
 私は前の方の一面を道徳の習俗性(ジットリッヒカイト)と呼び、後の方の一面を道徳の心情性(ゲミュート)と呼ぶことが出来ると思う。要するに前者は人間の習慣であり後者は人間の心事である。
 処で今問題を便宜上ごく抽象的に予め方向づけておけば、両者とも夫々矛盾を内に持っているという点が要点だ。習俗は固定しなければならぬにも拘らず又改革されねばならず、心情は無限に豊富な内容を持っている筈だったにも拘らず、実際それが発動する時には全く皮相な抽象的な機能しか果せない。それから又、道徳の習俗性と心情性とが実際問題としてどう結合するかということに、抑々大きな問題があるのだ。なぜなら固定した習俗である道徳律に対抗するために召し出されるものが、実は良心とか人間性とかいう心情の権威だったからである。

 私が以上云ったようなことは別に新しいことでもなければ、又珍らしいことでもない。併し現在の日本に於ける云わば二つの良心、二つの道徳意識の対立をハッキリさせるのに、それが必要だったのである。
 最近最も大衆の道徳意識を刺戟したものは何と云っても治安維持法の「改正」だろう。尤もこの改正は、手続法に関する限り、今まで当局がやって来ている不法な手段を単に合法化しただけのものなのだが、その他にもっと大事な点は、この法律が実は国民道徳の名の下に最近捏ね上げられた或る種の道徳律をば愈々固定しようとする意図を持っているということである。そのために私有財産の否定と国体の否定との距離を出来るだけ大きくし、この距離をジャンプすることを転向と称して奨励する処の、極めて国民道徳的な法律となって行きつつあるのである。それがこの「改正」の意義なのである。
 だが之と並行してもっと慢性に併しもっと大規模に、大衆の道徳意識を触発したのは、かの一連の国粋ファシスト運動だろう。ここでも亦国体観念の権威の下に、過去の日本民族の生活意識と銘打たれたありと凡ゆるものが、国民道徳として固定化されようと企てられた。
 なる程こうした国粋ファシスト運動は、今日の代表的な資本家達から寧ろ排斥を買っているものであり、之に反して治安維持法の改正は恐らく例外なく一切の資本家達によって歓迎されている処のもので、それだけの区別は無視出来ないが、併し国粋的な国民道徳を固定しようとする企てに於ては両者とも全く同じ道徳意識の上に立っているということを注意しなければならぬ。
 一体、道徳意識は云うまでもなく様々な政治的社会的諸運動によって表現されるが、それと同時に最も端的には文学の形式によって云い表わされる。吾々がもし或る個人や或る社会群や又或る時代の道徳意識を知りたいならば、何よりも先に、その文学を知ればよい。なる程道徳的内容のない文学と呼ばれるものはいくらでもあるが、併し道徳がないということ自身が一種の道徳意識の表現に外ならない。そこで、今云った国粋ファシストの道徳意識も亦、当然最も端的にその文学又は文学運動となって現われる。文部省の知らない間に、時の警保局長の個人的肝入りで話し合いになった例の帝国文芸院(後に文芸懇話会)や、その第二流陣などは、恐らくここにその面目を施すたちのものに相違ない。
 さてこうした国粋ファシスト的道徳意識に対して、最も敏感に道徳的反発を感じるものは自由主義者達である。左翼的意識を持つものが最も深甚な対立物をこの国粋ファッショ的道徳意識の内に見出すのは云うまでもないが、自由主義者の特徴は、この反発を専ら道徳的な根拠から、道徳意識に於てのみ意識することにあるのである。彼等は単にその心情から云って国粋ファシストの反動的な道徳意識が気に入らないのである。そして彼等自由主義者にとっては、この心情性が道徳意識の凡てであるので、道徳が単なる心情から一歩踏み出さねばならなくなる時でも、彼等は依然として心情の気分のままに歩み出す危険性を有っている。

 自由主義者が何であり又何である筈かということは、今まで既に述べたこともあるから略するとして、ここで云うのは、所謂「自由主義者」としての自由主義者のことだ。処がこの自由主義者の道徳意識の皮相なことは、実際問題に対した場合のその態度決定のやり方の内によく見て取れる。彼等の道徳は心情に尽きる。だから心情を踏み越えた実践の世界では何等の道徳的方針もあり得ない。で彼等の善良な意識がそれの正反対な結果によって裏切られても、彼等の道徳意識は何等の苦痛をも感じないで済むのである。
 云って見れば、自由主義者の道徳に於てはサイコロジーはあってもモーラリティーは存在しない。実行の世界である外界のリアリティーを貫く処の、リアリスティックなシステムなるモーラリティーがないのである。このことは今日自由主義者の系統を引く一流の文士や評論家が醸し出している所謂「文芸復興」の気運の中にも見られると思うが、至る処でリアリズムが高唱されながら、要するにリアリズムという合言葉が何の役にも立たない程に歪められたり稀釈されたりしているのを見ても、そこに表現される道徳意識が如何に実践の対象である外界のリアリティーから切り離された非リアリスティックなものかということが判ろう。こうした文学に豊富なものはサイコロジーであるが、併し最も欠けているものがモーラリティーなのである。
 国粋ファシストの道徳意識に於て極めて空疎な粗雑さを感じる人は、恐らく「自由主義者」の道徳意識に於ては上ずった甘ったるさを感ぜずにはいられないだろう。なる程心情と云ったような内部的意識の前景や背景には明朗又深刻なものはあるが、そこだけで道徳的にリアリスティックになれると思う態度そのものが甘ったるいのだ。
 二つの道徳的意識に於て欠けているものは、道徳の科学性なのである。これが欠けているために、国粋ファシストは習俗の合理的な進歩に同意することが出来ず、「自由主義者」は心情が甘い抽象物であることを認識出来ない。前者に於ては合理性がなく後者に於ては実際性がない。
 思想のカリケチュアは至る処で見られるが、道徳のカリケチュアも併しその事例は極めて豊富である。最近師範教育制度調査委員会で作った師範大学の要綱などを見ても、このカリケチュアがどんなに真剣に描き出されているかと云うことが判るので、師範大学では「特に教育者たるの人格の養成及び観念の涵養に力むること」になるそうである。自由主義者は例えばこうして出来上るだろう人格者に無論反感と軽侮とを示すだろうが、ここでも、そういう自由主義的心情に手頼って、実際的に之をどう処置する気なのか、それは自由主義者に聞いて見なければ判らない。
 新しい道徳は、習俗の不合理性を決算し、心情の非実際性を淘汰することによらなければ、決して育って行くことは出来ないだろう。云わばマテリアリスティックな道徳が、合理的で且つ実際的な道徳が、その意味で科学的な道徳が、今後の唯一つのモーラリティーとして世間の人達の身に着き始める時が来るだろうと期待する。そしてこの新道徳を探索し開拓することこそ、今後のプロレタリア文学一般の何よりの仕事とならねばならぬだろうと考える。
(一九三四・二)
[#改段]


第二部




 最近文学に於ける偶然性の問題が喧しく論じられ始めた。その動機には二つあって、一つは文学の通俗性という問題の提起にからんでであり、もう一つはロマンティシズムの再評価という問題の提起からである。文学が文学としての純粋さを失って、所謂通俗文学に堕すことなしに、而も之を大衆的な興味に訴えることがどうして出来るか、という研究が前者の動機であり、世間の文学の玄人や素人からコチコチの干からびたものだと考えられているらしい所謂リアリズム(リアリズム一般)に自ら耐え得ないと称して、如何にして文学の内にリアリズムからの息抜きか遁れ口かを見つけ出すか、という模索が後者の動機である。
 文学の通俗性(乃至純粋性)とロマンティシズムとを並べて見ると、夫々が背後に従えている二連の広範な諸問題の間に随分の開きがあるにも拘らず、意外に卑近な処に二つのものの直接な接触点があることが判る。と云うのは、二つのものはどれも「面白い」かどうかという一つの点で共通なものを有っているからだ。でつまり、文学に於ける偶然性の問題は、文学を如何に面白く読ませるか、或いは文学を如何に面白く実行するか、という処から出て来たということになるわけである。処が、文学が面白いとか面白くないとかいうことは、実に沢山の錯雑した内容を含む言葉なのだから、正確な観念として見れば、殆んど頼みにならぬ程度にルーズなものであらざるを得ない。之を通俗性(或いは純粋性)とかロマンティシズムとかいう言葉を使って説明しようとしても、この解明に役立てられる筈の言葉の方が更に又解明を必要とするわけで、そこで遂に偶然性という範疇に着眼するようになったというわけだ。――処がその偶然性そのものが、今日の文学界では、決して科学的に整頓された範疇ではないようである。
 横光利一は現在の通俗文学の有っている二つの要素を挙げて、感傷性への訴えと偶然性の利用とを指摘している。そしてこの感傷性を退けてこの偶然性を採用することが彼の所謂純粋小説(今後生き永えるべき純粋にして通俗な文学)の方法だというのである。尤も文学の通俗性をこんな風にだけ分析するのでは、大切な方向が見落されはしないかを吾々は憂えるのであって、例えば既成観念の批判とか日常道徳に対するプロテストとかいう、文学に於けるモーラリティーに基いて通俗性を分析すべき方向からは大分縁遠くなるだろうと思うが(青野季吉は、思想・論理・主張・叫び・感激・の欠乏を文学の通俗性の要素として数えている)、併し偶然性に着眼したのは決して、ただの思いつきとして片づけることは出来ぬ。
 彼は仲々卓抜な言葉を吐いている、「いったい純粋小説に於ける遇然(一時性もしくは特種性)というものは、その小説の構造の大部分であるところの、日常性(必然性もしくは普遍性)の集中から、当然起って来るある特種な運動の奇形部であるか、あるいは、その遇然の起る可能が、その遇然の起ったがために、一層それまでの日常性を強度にするかどちらかである。この二つの中の一つを脱れて遇然が作品に現れるなら、そこに現れた遇然はたちまち感傷に変化してしまう。」
 然とか日常性とか、特とか普遍とかいう言葉の使い方も又その字さえも(遇然は然の方がよく特種は特ダネではないのだろうから特と書くべきだろう)感心しないけれども、偶然性と必然性との本質的な関係の一部分が、ここによく説明されているように思う。横光が、必然性の集中から当然偶然が発生すると云うのは、本当に現実的な偶然は、日常的にはとにかく、もう一歩奥に踏み込めば、云わば真の立体的な必然性というものの秘密を云い表わしているものだ、というような意味であり、従って又その結果この起こった偶然によってそれまでの必然性が「強度」にされるという結論も出て来るのである。そうでないただの Deus ex Machina 式偶然は、夕刊の小説のように感傷の利用に過ぎぬというのだろう。
 併しこの議論を横光のような云い方で進めて行くと、色々の弱点が現われて来はしないかと思う。一体彼は何か必然性(それを彼は日常性と考えているが)というものを皆に判った与えられたもののように仮定している。その上で偶然を説明しようとするのである。処が実際には、日常生活に出て来る普通なもの即ち普遍的なものと考えられているものを必然性だと思うためにも、必然性は各種の偶然を貫ぬくことによって淘汰されて来た一つの経歴のある所産でなくてはならぬ、ということを彼はあまり注意していないようだ。だから所謂必然性(日常性)は偶然の内を貫きその偶然の集中として結果したという反対の側面は見落される。夫が逆に偶然が必然の集中だという風に言い表わされているのである。従って又日常性は一種の必然性に過ぎないので、必然性は他に高度なものがいくらでも可能だということを彼は殆んど注意しない。
 この立派な着眼にも拘らず彼によっては必然性という観念が非常に安易に「通俗的」に使われる、そして而もそれに対立させられた限りの観念である偶然性を、根本問題解決の手がかりとしようと彼はするのである。この種の文学的偶然論のあぶなかしさがそこにあるのだ。――一体日常的な必然性というものはどういうことなのだろうか、それから又日常性というものが果してそうした必然性に帰着するものだろうか。之はまだ世間であまりよく分析されていない課題なのである。この分析の代りに世間では、日常的な必然とは普通一般のことを指し、之に反してこの普通一般で割って割り切れない剰余をば特異な偶然と考えている。つまり偶然とは必然の残余だという、偶然――必然に関する機械論的決定論が通俗の観念なのである。横光の意図は之を突き抜け様とするに在るのだとも思うが、その意図を遂行する立場自身がこの通俗観念に基いているという不幸を免れないのだ。
 文学の通俗性(乃至純粋性)の問題では、必然と偶然とのただの対立ではなく初めからその関連が主題にならざるを得ない。之は一般の偶然論の立場から云っても、稍々進んだ形態の問題だということを注目しなくてはならぬ。処がロマンティシズムの問題から提出される偶然論は、全く、偶然を必然から分離すること自身に興味を持たざるを得ないようだ。ここでは必然性との内部的な連関が興味ではなく、必然性が如何に偶然という、或いは又可能性・自由其の他という、剰余を残すかということが、興味の中心であるように見える。ロマンティシズムがリアリズムと対立する限り、即ちリアリズムの立場と対立するロマンティシズムの立場を守り又主張する限り、リアリズムの原理と考えられる必然性と、ロマンティシズムの原理と考えられる偶然性とが、単純に排他的に対立せざるを得ない。ここでは偶然論は、必然主義と思しきものに対立する偶然主義に帰着することになる。そこでハイゼンベルクの不確定性の原則などが証人に引き出されたり何かするのである。
 尤もリアリズムと之に対立するロマンティシズムとに就いては、今日多くの異論が並び行なわれていることを無視出来ない。併し今日、文学の方法としてのリアリズム一般に就いては任意の立場から之を問題にすることは文学理論上決して有効な仕方ではない。まして思いつきに過ぎないような何々リアリズムなどはそれ自身が問題になる類のものではない。意味のあるのは、所謂社会主義的リアリズムと、之をめぐる一連のリアリズム論(プロレタリア・リアリズムを再び提唱する者もあれば否定的リアリズムとか反資本主義的リアリズムというものを提案する者もいるが)とである。ここで凡そリアリズムなるものは唯物論という思惟方法に対応する処の文学方法として初めてその意味を受け取る。今日、リアリズムという観念のもつ一般的な科学的な核心がここに客観的に存するのである。
 こうしたリアリズムの哲学的な定位に基いて、ロマンティシズムという観念も亦客観的に定位を与えられなくてはならぬ。この定位の与え方にはこの頃大体三つの段階があるように思われるのであって、第一にはロマンティシズムが一般的に文学乃至文学方法の本質的な永久の一側面であり、従ってリアリズムという他の本質的な永久の一側面と平行し又は一致して調和する処のものに他ならぬという説である。併しこうなればリアリズム的側面は云わば文学乃至文学方法の客観的な側面のことで、之に反してロマンティシズム的側面はその主観的側面だ、とでも云わざるを得なくなるだろう。事物は主観客観の相関関係だというような現代のブルジョア自由主義的折衷論の見本に之は帰着する。第二はロマンティシズムをもっと歴史的な範疇と理解することであって、之によるとロマンティシズムとはリアリズムに先行する文学の発達の未熟な段階だというのであり、それは同時に、ロマンティシズムとは実在=現実のそれだけ主観的で観念的な仮象に帰するものだという主張を意味する。第三はこの一歴史的範疇に過ぎぬロマンティシズムなるものがもつ処の、歴史を貫く普遍的な規定を尊重する立場であるが、このロマンティシズムは第一の考え方の場合とは異って、単にリアリズムに対立・平行・一致・調和・其の他をなす処の文学方法の一永久側面などではなく、例えば社会主義リアリズムのリアリスティックな遂行に可なり必然的に伴う処の一つの結果を意味する(革命的ヒロイズムなどと同じに)と考えられ、その意味でこのリアリズム自身の一属性とも考えられている。
 処で今もしこの問題系列に於てロマンティシズムを問題にする限り、ロマンティシズムが偶然主義でリアリズムが必然主義(?)だというようなことは、凡そ無意味な片言でなくてはなるまい。丁度観念論は偶然主義で之に反して唯物論は必然主義だ、という事が変なのと全く同じに之は変な区分だろう。唯物論が必然主義だという俗見は、唯物論は機械論・宿命的決定論・自然科学主義・其の他其の他だという無知な哲学史に立脚するわけで、真面目に科学上の相手には出来ない。丁度それと同じことが併し、文学の世界ではリアリズムに就いて云われていいようだ。リアリズムは一般に、この俗見によると、宿命的な機械的必然性の主張のことででもあるらしい。――ロマンティシズムのためにだから偶然論を召し出そうというのは、ロマン主義者にだけ必要なのであって、文学の唯物論的見地に立てば極めて辻褄の合わない目論見なのである。
 唯物論的見地に立つと、リアリズム乃至(ロマンティシズム)のために必要な範疇は、もはやただの偶然性などではなくて、現実性ある可能性、又は現実的な自由でなくてはならぬ。偶然性と必然性とが対立させられることに誰しも異論はないのだが、前にも云った通り、必然性とは偶然性からの必然的な転化であって、もし逆に偶然性が必然性から偶然的に転化するようなことでもあったら、事物の発展の必然性なるものの凡てが一挙にして崩壊せざるを得ないだろう。だから必然は偶然の集中であっても、それと同じ気持で逆に偶然は必然の集中だなどとは云えなくなるわけだったのである。――こういう偶然性ではなくて、可能性や自由が、而もただの抽象的な又は任意な可能性や自由ではなくて、実現され得べき現実性を持った可能性や自由が、文学の唯物論的理解にとって大切な問題になるのである。
 処が、この現実性ある可能性というもの、ただの形式的可能性(数学的存在の世界が夫だと普通考えられている)や又プロバビリティー(之は物理的形式を備えた数学的可能性だ)とは異って、実現の可能性を濃厚に含んだ可能性、即ち可能性と現実性との総合なるものは、ヘーゲルをまつまでもなく取りも直さず必然性というものの生きた範疇に他ならない。必然性は他のものに増してディアレクティッシュな特色を鮮かにする範疇で、従って機械的な必然性の観念は最も貧弱な必然性の観念なのである。之は哲学史上そうなると云っていいだろう。社会の歴史的法則のもつ必然性はこうした少なくとも可能性を媒介として結果したもののことを指すのであるが、この必然性の認識が(決して機械的必然性の認識がではない)即ち自由というものの実際的な観念なのである。
 もしこの自由を実際的なものとして理解せず、観念論的又は神学的な抽象的な自由として理解すれば、例えばシェリングの人間的自由というようなものになって、今の場合興味のあることだが、それが全くの偶然(恣意)に再び還元されて了うのである。この時現実の世界のもつ必然性は全く無意味なものになるか消えて無くなって了う。偶然を以て文学の本質の解明にあて、之によってロマンティークの優越を証明しようということは、正にこうしたシェリング的行為に相当する。
 偶然事に就いての文学的認識は文学方法のリアリズムを高め強度に深化する。だが偶然に就いての文学的主張は、決してロマンティシズム=ロマンティークの主張の根基ともならなければ、ましてリアリズムに対する反撃の武器ともならぬ。リアリズムは現実が有ち現実が生み出す処の現実的な可能を、現実的な自由を、現実的な理想を、否、現実的な空想をさえ、抜きにしては、何等のリアリズムでもあり得ない。そういうことが真のリアリズムのもつ本当の必然性というものだろう。この必然性に較べて、一見夫と対立するように見える偶然性という観念が、如何に貧弱な力ないトリビアルな響きを持つかを、生活に富んだ文学的な耳は明瞭に聴き分けるだろうと思う。
(一九三五・五)
[#改段]


 風刺文学がしきりに話題に上るようになったのは、正にそうあるべき筈だと考えられる。大まかに云えば、今日、社会秩序に反逆しなければならぬ文学者が(否実は大衆がだが)それにも拘らず、本当の反逆者とは異って、社会生活においては、なおこの社会秩序の一環として踏み止まらねばならぬ以上、何かの意味での風刺文学が必要な筈だったのである。
 一般のブルジョア作家や純文学者は、大抵、与えられた一定の社会秩序に反逆する代りに、単に世間に対する芸術家的な反逆一般を愛好するものであり、そうでなくても、精々道徳律の上での反逆をしか試み得ないのだが(之は皮肉ではないので、封建的道徳の遺風をブルジョア的な観点から批判している文学者のことを指すのだ)、ここからは風刺文学の必要などは起きない。ただの道徳上の反逆は俗世間の評判を悪くする位が精々で、文学者の身にはあまり応えるものではないから、反逆の最も貧弱なものだ。
 ことに「逞ましい」自意識や心情上のモラルなどに興味の中心を置いている文学青年的文学では、反逆は大抵、自己自身に対する反逆のことであって、悪くすれば一種の自嘲やアイロニーパラドックスの形はとっても、決して風刺の形はとれない。いや真面目であればある程、この場合には、宗教的告白に近づくだけであって、風刺とは凡そ縁の遠いものとしかならぬ。風刺はその最後の立場はそうではないが、表面上の形式からいえば、いつも外の対象へ向かって吐き出されるものだからだ。
 之程に神経質な縦皺を額によせないでも、もっと眼を遠方に転じたものでも、与えられた社会の秩序を一寸攪拌しただけで結局はその秩序にそのまま居坐るような文学もあるが、之は所謂ユーモア文学ではあっても(併しユーモアはもっと的確で利き目のあるべきもので、実は悲劇の一要素としてでもなければ生きないものだが)、到底風刺の類ではない。ゲラゲラ笑わせるユーモア(?)に至っては論外だ。
 現在のブルジョア社会の矛盾と不合理とに対して、最も正常な感じやすい感覚を持っているのは、いうまでもなく、プロレタリア文学なのであるが、そしてこのプロレタリア文学は絶えず社会秩序そのものから圧迫されて来ているのだが(原稿は〔伏字〕で埋められているし身柄は拘束されるし)、それさえも併し風刺文学への道を開こうとする企てを今まであまり示していなかった。ヒロイズムか転向文学の懐疑か、或いはブルジョア文学への退却かであって、風刺という道を選ぶ程に、用意が練れていなかったということが出来る。
 そこで最近になってやっと、風刺文学の必要に気づき始めた、というのがこのテーマの意味だろう。必ずしも之はプロレタリア文学者の側から持ち出した話題ではなかったが、併し問題の筋からいうと、全く一つのプロレタリア文学的な話題であるべきだということは、議論の余地がないだろう。現在のブルジョア文学の典型である純文学が純粋小説とか純正小説とかいう話題を持ち出さなければならなかったように、プロレタリア文学は自分の問題として、風刺文学を持ち出さねばならぬ、之は文学一般が問題にし得る問題なのではなくて、正に今日の日本のプロレタリア文学こそが問題にし得る問題だ。尤もプロレタリアの文学というよりも、もっとルーズに、プロレタリア的な文学だけが解き得る問題だといい換えるべきであるかも知らぬが。
 所が実は、所謂風刺文学というものの価値を、私は無条件に肯定することが出来ないのである。

 風刺文学と無雑作に呼ばれているが、之は非風刺文学と区別された文学のことだろうか。夫ならば之は今日の全文学中の一種のジャンルをしか意味しない。この点は近代的な小説の形態をもとうと古代以来の韻文=詩の形態を取ろうと変らないから、このジャンルとしての風刺文学は恐らく古典的な風詩に準じて理解されていいだろう。
 処がこの風詩なるものは、詩としての資格に於て、決して本道を濶歩する正々堂々たるものではない。単に、詩の形態を用いることによって、荘重な形式の下に意外に荘重でない中身を伏せておくという効果を勘定に入れているものであって、必ずしも詩(古典的には文学全般を意味した)の形を取らなくてもよかった筈のものだ。尤もその中肉が詩的な荘重さを有っていないからと云って、中肉自身が嘘であって真理でないと云うのではない。実は寧ろ、夫が茶番ででもない限り、あり余る程の而も生きた社会批判という真理を盛られているので、従って悲劇詩人(哲学者式概念劇もこの系統にぞくする――プラトンの対話篇)の得意な「詩」の形式には這入り切らない程に豊かな真理が含まれてもいるのである。だからと云って、アリストファネスやルキアノスが詩の本道だとは云えないだろう。
 つまり詩という文学的形式と、之に盛られる社会の批判という文学的内容とが、一向必然的な結合を持っていないので、作者は単に詩という伝統的に権威と信用とのある大衆性をもった形式を利用するためにか、それとも又、この伝統的な詩に盛られる伝統になっている内容をぶち壊すべく、わざわざこの詩の権威を冒涜するか信用を失墜させるかするために、敢えてこの文学的形式を選んだまでだ。サタイヤという文学形式はローマになって起きた俗間のデゼネレートした詩形に過ぎないそうだが、戯作(パロディー)は多く原作の詩を書きかえた「詩」に対する悪戯、の性質を持っている。
 で、もし一種の文学ジャンルとしてならば、風刺文学というものは決して大威張りの出来る文学ではあるまい。風刺文学は社会に対するいわば裏からの批判だから消極的なもので本格的でない、という風に考える人もあるが、それは風刺自身のことをいっているのであって必ずしも風刺文学のことであるかどうか、まだ判らぬ。そして風刺のこの性質が消極的であって本格的でないという説には、私は遽かに同じ難いのだが、今いうのは、そういう根拠からではなくて風刺文学なるものが一つの文学様式である限り、そういう「風刺文学」は尊重出来ないというのである。
 偶然というモメントを活用したところで、夫が「偶然文学」などにならず、ましてそこから偶然文学主義(=「偶然文学論」)などを引き出す権利は生じて来ないように、風刺の文学が直ちに「風刺文学」になるのではない。
 尤もこういうと読者は、現に近代文学において風刺文学なるものがあるではないか、と反駁するだろう。モリエールはどうか、ゴーゴリはどうか、というだろう。だが大事な点は、こうした所謂風刺文学の巨匠は、風刺に文学というマントをかけたのではなかった。まして真面目な現実を風刺に書き改めたのでもなかった、ということである。彼等は単に――そういっていいなら――現実をリアリスティックに文学的につかみ出した迄だ。夫が彼等にとって風刺となったとすれば、夫はいわばリアリティー自身の責任であって彼等の責任ではない。

 私は反問しよう、ダンテの神曲(聖劇ではなくて人間又は社会の批判劇だから喜劇という名がついている)は、果して風刺文学だろうか。フランチェスカの不義の恋を風刺するために、ダンテは彼女を地獄の空に永久に飛び疲れさせているのだろうか。もし風刺だとすれば、それはつまり象徴的な真理の一結果だからではないのか。ストリンドベリは女と家庭とを風刺したのだろうか。風刺だとすれば、それを風刺しようとしたからではなくて、単に真実をつかみ出したからのことではないか。
 こう考えて来ると、風刺をしてやろうなどと思って、書いた「風刺文学」は、文学的に不具なもので、本当の風刺の文学は、風刺文学ではなくてただの文学に他ならない、とでもいいたくなるのである。少なくとも風刺は作家の見方や作為ではない。丁度弁証法が主観の物の見方や主義ではなくて、物そのものの根本法則であるように、風刺はリアリティーそのものの内にぞくするのである。ただ風刺という言葉があくまで、パロディー的な作為による文学様式を意味するという歴史を持っているので説明が少し苦しいだけだ。
 もし風刺文学というジャンルが風刺文学の唯一の意味ならば、そこでいう風刺は単に作者の主観的な物の見方や作為の内にしか見出せないだろう。そういう風刺の本質は、ただの皮肉アイロニーや甚だしいのになると擽りになる。皮肉は皮肉をいう方の主観では当っている積りで、実際にはあまり当っていない場合をさす。本格的な見方でないから皮肉な見方だというのである。アイロニーというのは、何といってもロマン派のもので、主観主義に立脚して事物の秩序を攪拌することだ(ティークの劇中には作者のティーク自身が出て来て批評を加える。――之に反してハムレットの劇中の劇は効果百パーセントの風刺だ)。そして擽りというのは、云うまでもなく、笑いたくない読者の腋の下を作者が勝手に無理に突っつくことである。
 もし風刺文学論が、風刺という作者の見方或いは寧ろ書き方の問題として提出されているなら、私は異議を唱えなければならぬと思うのである、又、風刺というものは、物を正面から云わない消極的な裏からの表現だという種類の考え方が、もし右の問題提出に沿うて出て来たのなら、それだけでもこの考え方に異議を唱えなければならぬと私は思う。
 最初に私は、社会秩序に反逆しようとしながらなおその社会秩序の一環に止まらざるを得ない場合に、何らかの意味での風刺文学の必要があるのだ、と云ったが、それは何も、そういう情勢に処する作家や広義の文学者の処世方針から云って必要だというのではないので、同じ秩序の内にいるものがその秩序自身に反逆しなければならないという様な、そういう矛盾した事物関係の客観的な条件が、風刺従って又風刺の文学を産まざるを得ない、ということだったのである。ただ、革命的な実践家ならば、云わばこの「風刺的」現実に対して、変革活動という形で関係をつけるだろうのに、文学者は文学者である限りは、所謂風刺という形の文筆活動で以て関係をつけるというまでなのである。
 で風刺文学はその見方や書き方や表現やの特別な様式によって風刺文学なのではなくて、現実が風刺的である場合に是非とも発生しなければならぬ文学の一般的な特色だとすれば、今時この世の中で、風刺文学と非風刺文学とを別けて、風刺文学を提唱するというようなことは、少し異なことだといわねばなるまい。

 風刺文学という風に問題を出すから、見方や書き方という主観的作為の問題ででもあるように見え、その意味で一文学様式の問題に過ぎないかのような、気持がし勝ちなのである。尤もリアリティーから離れて全く主観的な勝手な文学様式などは考えられないということは、一般的には誰でも心得ているわけだが、併し風刺文学というような特別なテーマになると、いつとなく之が忘れられがちとなる。風刺文学もなくてはいけない、今まで夫がなかったのは大間違いだった、だが、風刺文学は畢竟風刺文学で、本格的な非風刺文学の方がやっぱり本当だ、というような気持ちになり勝ちなのである。問題は風刺文学ではなくて風刺そのものにあったのである。
 凡そ或る事情を、真面目に見て見ようか風刺的に見て見ようか、などということは、個人々々によって勝手なことではなくて、風刺的なものとそうでないものとが、すでに初めから客観的に異っているのである。尤も本来風刺的であるものをば、そうでないもののようにしか受け取れない人間もいるが、それはその人間が恐らく至らないことを意味するので、すでにそれだけ、風刺的であるべきか否かは客観的な標準を有っているのだ。皮肉に出てやろうか、それとも親切にしてやろうか、という風な心の風の吹き回しとは違うのである。
 ではリアリティー自身が風刺であるとは、どういう場合をいうのか、それを最後に見ておきたい。――まず風刺する人間の主観から考えて見ると、風刺には第一に憎悪がなくてはならぬ。併し憎悪はただ毛嫌いや嫌悪と違うことを注意すべきで、憎悪し得るためには必ず憎悪の対象と反対な何等かの理想の範型を有っていなければならぬ。この一定の理想と如何に夫が相容れないかを知らなくては積極的に射抜くような的確な意志の発動としての憎悪にはならない。毛嫌いや嫌悪というような消極的な漠然とした情緒はまだ憎悪ではない、理想のない処には風刺はない。
 処がこの憎悪は今もいったように、対象の的確な理解・認識がなくては焦点を結ばない。同情のない処には憎悪はない、というパラドックスを敢えて掲げたいと思う。
 憎悪と同情とが一つだということが、風刺という心理作用(心理作用のことでリアリティー自身の話ではない)なのである。つまり風刺することは単に他人の悪口をいうのではなくて自分のことも一緒にいっているということなのである。ここが風刺の強みであり、真実さのある処だ。――尤も憎悪という心情と同情という心情とは、主観の作用として見る限り、なる程正反対物で、同じだなどとはいえた義理ではない。併し大事な点はそこだ。
 というのは、風刺における憎悪は個人の主観的な関心から出たものであってはいけない。そうならば何等文学的真実を有たないからである。風刺家はその憎悪の客観的な権利を有っていなければならぬ。つまり憎悪の対象は、それに親しくなればなるほど(それから疎くなればなる程ではない)憎悪に値いすべき所以がハッキリ判る、というわけだ。これが客観的同情なのである。憎悪や同情を主観的に解するから困ることになるので風刺の客観的公正ということから考えて行けば、今のパラドックスはもはやパラドックスではない。客観的公正、憎悪と共感の一致、無慈悲な同情、これが風刺の精神であるが、それが又一般に批評の精神でもあるのである。
 さて現在の日本的現実、日本的人生は、この憎悪に値いするか、風刺的存在であるか、それともそうではないか。これはただの見方の相違といっては済まされまい。私は所謂「風刺文学」なるものを尊重出来ない。それは却って真の風刺の、現在の文学における精神的な而も一般的な(特殊の文学様式に限られない処の)機能を擁護するためにだ。
(一九三五・一〇)
[#改段]


 笑いは一つの原始的感情の表現であるが、原始的感情としても夫が最も発達した複雑で高級なものだと考えられる。と云うのは比較的理知的な原始感情が笑いとなって現われるからである。多くの動物は怒ることは出来るが、笑うことの出来る動物は高級な類人猿だけだそうである。
 原因と結果との間に不相応な不調和が存することが笑いの原因だとも云われるように、笑いは何か計量し得るような――理知的な――合理性をその原因として有っている。それが原始感情のこの表現を何か高級なものと見せるのである。で今、笑いという現象が、外でもない、原始的感情も亦論理を有っているという証拠であることを、私は注意したいと思う。例えば有名なフランスの文学者は之を、「アブサーディティーの論理」として説明しようとしているのである。
 事物の表面へ事物の裏面がつまみ出されて、この表面と裏面とが対質させられると、吾々は笑わされるのである。存在の裏面にあった気付かれない欠落や節度が取り出されて、夫が、現在の表面で気付かれていた夫々のものに、完全に一致したり鮮かに対立したりするのを見て、人々は笑うのである。その意味に於て、意外なものも可笑しいと同様に、予期したものが思った通りに実現したのも可笑しいわけである。
 表面と裏面とは、こうやって肯定否定として対質させられる。だがどちらかに判断を決定されて了っては、真面目に帰するので、もはや可笑しくはない。可笑しいのは肯定と否定との間の不決定であり、而も夫がすでに解決済みの不決定でなくてはならないのである。なぜなら解決の付かない不決定は懐疑や煩悶にすぎないから(で懐疑や煩悶が見せかけの解決のためには苦笑や嘲笑に導くのは尤もである)。人間はだから自分に判らないものに対しては笑いを以て答えるのを常とする、羞恥が笑の形を取るのもまた自然だろう。羞恥とは恐怖という困難の見せかけの解決なのである。
 さて笑いのこの論理的構造からまず第一に二つの規定が発展して来る。一つはユーモアであり一つはアイロニーである。ユーモアは笑いに於ける肯定と否定との――事物の表面と裏面との――同時的な中間的不決定の観照の下にありながら、肯定の側に立って否定との関係を規定しようとする。アイロニーは之に反して、否定の側に立って肯定との関係を規定しようとするものである。だから前者は云わば人が善く、後者は人が悪いと考えられる。併し肯定の側に立とうと否定の側に立とうと、この二つのものは要するに中間的な不決定という根本態度を決して忘れない。そうでなければユーモアは単なる弁解となり、アイロニーは単なる攻撃になって了うだろう。だからユーモアは却って否定の側に立つように見せかけねばならず、アイロニーは又却って肯定の側に立つような外見を持たねばならない。クサすのは褒めるためであり、褒めるのはクサすためである。
 だが笑いの論理的構造から第三の規定が導き出されて来る。否定と肯定とが同一となり、人々が任意にどの側にでも立てる場合、パラドックスが之である。この場合表面は裏面によって、裏面は表面によって、云い表わされる。飛ぶ矢は飛ばず、白馬は馬ではない。この際でも本当に肯定と否定とが自己同一ならば、二つの区別はないのであるから肯定か否定かの一つで事は足りる筈なのだが、夫ではパラドックスは消えて了う。依然として二つのものの同時的成立が必要なのである。
 所謂笑いユーモアの論理的構造では、事物の裏――この否定的・悪魔的なもの――が事物の表に対する圧力は全く消極的であった。裏切り者はなごやかな雰囲気の内に巻き込まれて了う。裏切り者は道化役にしか過ぎなかった。処がアイロニーパラドックスでは事物の裏のもつ眼は中々ごま化すことが出来ない。否定は攻撃性を帯びて来る。笑いの論理は、次第にそれに固有だった論理性の鋒鋩を、否定性を、批判性を、露骨にして来る。で今や事物はその肯定の内からやがてその否定を結果として持たねばならなくなるのである。之が批判なのである。
 処でここまで来ると、笑いの論理的構造と考えていたものが実は弁証法的本質であったことに人々は気付くだろう。実際、ヘーゲルやマルクス・レーニン等優れた弁証法家は常に優れた批判家であったが、優れた批判家は天才的なパラドックスの発見者・アイロニーやユーモアの達人であって、また優れた理論的な喜劇作者であるのが事実だろう。譬喩が上手であるという事――夫は弁証法的才能の一段階だ――と共に、諧謔に長けているということは、板に着いた理論家の特色なのである。
 吾々は笑いの論理に就いて語って来たが、ベルグソンの云うように、笑いが社会的な意味を有っていることを忘れてはならぬ。喜劇(Kom※(ダイエレシス付きO小文字)die)とは村落の頌歌なのである。で、これは個人の意識の内部だけでは把握出来ない論理である。夫は云わば社会的論理だと云わねばならぬ。実際、生きた――弁証法的な――論理はこうした社会的論理の外にはあるまい。
 この論理はだが、明らかに文学上の意味を有っている。喜劇=ユーモア=アイロニー=パラドックス=評論、そして弁証法。で論理を文学と無関係だなどと考えている者は一体誰であるか。
(一九三二・九)
 私は「笑い」というものが有つ論理的な意味を指摘した。笑いには必ず一定の予料、予期が仮定されているもので、而もその予料乃至予期が、無意識の間に可なり精密に規定されているのである。一方に於てこの期待がウマウマと裏切られたという意表に出られた意識が笑いとなると共に、他方又この期待が壺に嵌まるように充たされたという意識が笑いを促がす。併しこの場合仮定されている期待が精密に規定されたものでなくて単に漫然としたものであったならば、そこから起きるものは恐らく単なる不満か又は単なる満足だけだろう。期待が相当精密に規定されているということが笑いにとって必要な条件でなければならない。笑いは意表に出られた場合ばかりに起きるものではなくて、期待が充たされた場合に寧ろより屡々起きる。吾々は笑い始めると――勝手に、自由に――凡てが可笑しくなるのを知っているが、これは笑いが笑いの種を待ち受けている証拠であって、之に反して悲しみの場合には決してそうではないことは、一寸分析して見ると判るだろう。で笑いは一種のカルキュレーション(計画)、云わば或る意味での科学的予見の上で起きるのである。普通アブサーディティー又はナンセンスを笑いと結び付けて考えるが、今の点から見れば却って、精密な期待に沿うことさえ笑いになると云うことが判る。
 だが之だけではまだ笑いの充分な条件にはならぬ。もう一つ必要な条件は、よく云われる通り、大きいものが直接的に小さなものになるという意識の内にあるのである。例えばダイナマイトの爆発は壮大であるが、風船の破裂は滑稽だろう(そこにアブサーディティー又はナンセンスがあるのである)。子供が大人の真似をするのが可笑しいのは大人がそこに小児化されて現われるからである。猫や犬の滑稽さは、それが偉大なるべき人類に意外にも似ているからである、等々。大きく見えるものがその本質に於て小さかったという意識がこの場合の条件だと云って好い(その逆は感心や驚嘆にしかならぬ)。この大小の(一方向きの)対比は併し、単に量的で静止した比例関係を意味するだけではなくて質的な意味に於て、膨大な複雑な外見から要約された単純な本質を暴露する、という動きを意味している、今その点を注意しなければならぬ。暴露のこの作用、批判作用こそは笑いの最も大事な条件なのである。ユーモアやアイロニーも皆こうした――カルキュレーション(計画)の上に立って対比を試みる処の――暴露性・批判性の故に笑いを誘うわけである。歴史的に考えられた現象を要約し、それから本質を抽出することが論理の機能であるが、して見れば笑いがどれ程論理的なものであるかを今云ったことから推測出来るだろう。笑いのもつ「論理性」は実際、今までの多くの人が指摘している。
 笑いの客観的な存在形態は喜劇であるから喜劇は特有に論理性を持っている。之は喜劇が多く理知的なものであるとか社会批評になっているという点からも判ろう。では悲劇に就いてはどうか。
 喜劇が論理と結び付いているとすれば、それに対応して、悲劇に結び付いているものは歴史である。悲劇に於て歴史は第一に運命として取り上げられる(古典的運命悲劇)。歴史 Geschichte という言葉も運命 Schicksal という言葉も送られたる(Schicken)もの――神の贈りもの――と関係している。第二に歴史は近世的に性格として取り上げられる(性格悲劇)。無論この場合性格は伝記的展開としてのみ取り上げられるのである。いずれにしても悲劇を組み立てている骨格は歴史、歴史的必然性、でなければならない。それが宿命論的なものであろうと自由意志論的なものであろうと、それとも又自然因果的なものであろうと、そうである。悲劇に於けるこの歴史的必然性の内に、その現実味、切実さ、或いは又深刻さと呼ばれるものが横たわる。この歴史性を離れれば悲劇はもはや悲劇としての圧力を失うのであり、この歴史的必然性が全く論理的必然性として置き換えられて了えば、文学の領域では喜劇の世界となるのである。悲劇の歴史的必然性から来る束縛を脱して、この運命又は性格をより自由な爼の上に載せて見ると、それが喜劇となるだろう。喜劇ハムレットに於ては、ハムレットの性格は自由に批判されねばなるまい。一般に歴史論理に転化するように、悲劇は喜劇に転化しうるのである。
 例えば日常的な諸概念は皆歴史的な由来を有っている、それが此等諸概念のニュアンスとなっているから、そうした概念を定義することが無意味なのである。処でこのニュアンス故に、アイロニーやパラドックスや警抜な特色づけが可能となり、これ等諸概念が弁難的な、弁証法的な対立諸側面を示すことも出来るのである。これ等諸概念の(弁証法的な)歴史過程が、こうやってその(弁証法的な)論理構造に転化するのであるが、悲劇が喜劇へ転化し得る経緯も亦之に他ならぬと云うのである。で、喜劇が批判的批評的なものだとすれば、之に対しては悲劇は或る意味にポジティヴな特色を持つ。ということは(私の或る公式によれば)、喜劇が本来ジャーナリスティックな文学のものであるに反して、悲劇は本来アカデミカルな文学のものだということになる。吾々は悲劇と喜劇との対立を結局、文学に於けるアカデミズムとジャーナリズムとの対立の一つとして取り上げることが出来はしないかと考える。そうすることによって初めて悲劇と喜劇とのイデオロギー論的な、又論理的な、本質を取り出せるのではないかと思う。
(一九三三・三)
 最近のわが国に於ける文学界では、ユーモア文学が中心の問題になって来ているようである。率直で短刀直入なマニエールによる従来のプロレタリア文学が、最近特に著しく、見るも無残な〔伏字〕や〔削除〕で埋められるが、こうした受難が暗示する一連の犠牲を少なくするために、ユーモア形式が推薦されて来ているのである。だがユーモアは、左翼文学の単なる自己防衛の手段として選ばれねばならなくなっただけではなく、実は、左翼文学が批判的階級の意識を表現するものである限り、夫はこの文学にとって本質的な内容となることが出来る筈のものなのである。ユーモアには、現在わが国に存在している所謂ユーモア文学――有閑サラリーマン文学(佐々木邦其の他)・高踏的人情文学(井伏鱒二其の他)・モダーンライフ文学(中村正常其の他)等――などでは充分に表わされないような、立ち入った本質的な側面があるだろう。
 ユーモアのこうした問題は併し云うまでもなく、決して単に文学だけの問題ではない。夫は一般に云って言論活動全体にとっての問題でなくてはならぬ。ユーモアは今日、その本質を深く掘り下げられねばならぬと共に、それの通用する範囲を広範に統一的に取り上げられなければならない。
 ユーモアとは一体何であるか。ごく簡単にその或る側面の輪郭だけを素描しておきたいと思う。
 元来ユーモアという言葉は人性論的(人間学的)な出処を有っている。それは人間の幾つかの類型に固有な体液を意味したので、それが人間の性格を決定するものだと考えられた。そこからこの言葉は気分を、観念の雰囲気を、意味することとなったのである。ユーモアがやがて、観念の一種無限定性を云い現わすことは、その次のただの一歩に過ぎないのである。
 併し観念がただ単に無限定ならば実は何の観念でもあり得ないので、無限定ながら何かの中心を持っているのがユーモアの一般的な特色だ。処でこの中心が、単に外見上の中心に過ぎず、自分自身が勝手に移動し、結局自分自身が遠心的に浮動する場合、即ち観念狂奔(Ideenfl※(ダイエレシス付きU小文字)chtigkeit)と観念膨漫(Ideenextravaganz)の場合が、ユーモアの第一の場合で、前者は例えば駄洒落とかスピード型ナンセンス、後者はふざけることや誇張型ナンセンスの類である。この第一の場合は一般に現実からの逃避の意識を満足させるもので、逃避的満足感は陶酔的なものから覚醒的なものに及んでいるが、覚醒的なものも「いい気な」「いい気持ちの」甘く楽観的な色彩を持っている。人々は笑って忘れることが出来るのである。
 処が次の第二の場合になると、無限定な観念の中心はもはや浮動せずに静止し、そこに一定の落ち付きが見出される場合である。この場合人々は現実から故意に逃避するのではなく、即ち特殊な楽天的逃避界を創造するのではなく、却って現実にありのままに、面接する勇気を有つ。だが現実は少しも分解されるのではなくて、そのまま有態に、鵜呑みにされる。第一の場合のように観念中心が現実につき当るのを避けるために勝手に自分を移動させるのではなく、観念中心は悠々と安坐しながら、逆に現実をば観念の周辺的フリンジによってしゃくい上げる。現実は観念の中心として、丁度ヨーヨーのように伸縮自在に、観念のフリンジの液膜の内を浮動させられる。この第二の場合が諧謔と呼ばれるもので、之が実は代表的なユーモアなのである。
 だが第三の場合として。観念の中心は、もはや遠心的に浮動するのでもなく、又悠然と静止することも止めて、積極的に活動し始める。中心は自分自身が移動する代りに周辺に向かって求心力を発揮し始める。観念は単に狂奔し膨漫するのではなくて、自分自身活きた屈伸性を帯びて来る。ユーモアのこの第三の場合は一般に(逃避的なものに対比して)批判的であり、(楽天的な甘さに対比して)辛さや苦がさを持って来る。併しそれにも拘らず、一般に辛さや苦がさも亦陶酔の対象となることが出来るので(感傷的懺悔、宗教的又道徳的諧謔性等を見よ)、この場合でもユーモアは陶酔的なものから覚醒的なものに及んでいる。前者はアイロニー及び風刺であり、後者は批判であるということが出来る。
 さてこういう具合に、ユーモアの領野は、最も低級なふざける意識の方向と、最も高級な批判の意識の方向との、二つの側面に向かって延びているのである(これがなぜ笑いやおかしさとなるかについては別な側面から考えて見なければならない)。ユーモアが逃避的に用いられれば、その時の文筆活動は戯文の形を取り、それが積極的に用いられれば、批判的言論の形を取る。ユーモアがどういう目的に向かって用いられる必要があるかは、その時代々々の階級的勢力の消長によって決まって来る。我々はこの点を、時代々々の社会意識の代表的な表現であるジャーナリズム現象の歴史を材料として、跡づけることが出来るだろう。近くは徳川末期の落書や狂歌、明治中期のナンセンス寄席、演芸、其の他其の他を思い出すことが出来る。今日のユーモア文学もこういう材料の一つとして取上げられねばならぬのである。
 最後に、ユーモア弁証法的意識との必然的な連関をいつか問題にして見たいと思っている。少なくとも優れた弁証法家の多くは真面目なユーモリストであり、辛辣な皮肉屋であったことが事実であるようだ。
(一九三三・五)
[#改段]


 私はシェストーフの流行にかられてシェストーフを読んだ一人であり、実は又今ここに、この流行にかられてシェストーフを論じる一人である。処が私は、邦語に翻訳されたもの以外のシェストーフを直接に読んでいないのだから、シェストーフその人を論じる資格が充分あるとは考えていない。彼を解説したり解釈したり評価したりしている人は他にいくらもあるし、又今後も多少は続いてそういう人達が現われるだろう。だがこの少しの知識によっても、たといシェストーフそのものの具体的な内容は知れなくても、少なくとも、「シェストーフ的なもの」の大体の見当は、他の色々の思想現象との関係から、つくと云っていいようだ。
 というのは、実際現在意味を持っているのは、必ずしもシェストーフその人の思想ではなくて、正にシェストーフ的なものであり、例えば「シェストーフ的不安」だとか、シェストーフ的な評論の構えとかいうものであり、そして之は更に実は必ずしもシェストーフ的なものそのものである必要さえもないので、つまり現代における思想のエーヤポケット(併し思想というものが何を意味するかに根本問題があるということを予め注意しておこう)を充たすべき或る尤もらしいものでさえあればいいので、例えば不安の文学とか(之は思想の無内容そのものを無理に内容化したものだ)、現実とか(何と又之は都合のいい言葉ではないか)、誠実とか真実とか(全く薄弱な範疇だが)、凡そそうした世界的現実性(ゲーテのファウストならば第一部にはなくて第二部で初めてテーマになるものだ)において稀薄なエーテル的サブスタンス(?)が必要なのである。之こそ現代の日本におけるシェストーフそのものの本質だと云っていい。
 有態に云うと、私の読んだ限りでは、シェストーフという人物その人の思想は、一国のジャーナリズムを挙げて問題にするに足る程重大性のあるものとは到底思われない。その思想の読者に迫るものが、どれ程真理を有っておろうと、又その真理にどういう限界が無かろうとあろうと、結局之は片隅の思想の埒を出ないのであって、本格的な思想の列に加わるべきものでもなく、まして本格的な生活内容として列伝されるべきものでもない。シェストーフが注目に値いし又知られるに値いすることは承認しなければならないが、之をどんなにたたえ吹聴するにしても、今云った点をいつも条件に入れて割引してかかるのでなくては、真面目な評価とは云い難いだろう。
 最大級の間投詞で以てシェストーフを語ることは、時間が経つと多少恥かしい結果になるだろうことを、覚悟しなければならないのではないかと思う。なぜかと云えば、もしシェストーフがそんなに偉大だからと云うならば、なぜまたニーチェはシェストーフ同様に流行しないのであるか(流行ということを今はごく限定された意味で使うことにする。ニーチェをテーマとした文章や刊行物があまりジャーナリズムの上で盛大でないから流行していないというのである)。もしシェストーフの一種の解釈家が、シェストーフ的不安をハイデッガー的不安と結びつけることを許すなら、そしてこのやり方でシェストーフは通用性を相当の程度に拡大されたのだが、それならなぜ同様にキールケゴール的なものが流行しないのだろうか。で結局、シェストーフのわが国における今日の流行には、可能的ケースの比較商量から云えば、多分の偶然性が、そして多分の主観性さえが、介在しているのに気がつく。
 ロシアに十月革命が来た。シェストーフは逼迫を感じて数年にしてフランスに亡命する。それから、N・R・Fに筆を取る。そしてわが国に紹介される。そこで初めて、シェストーフが、ニーチェでもなくキールケゴールでもなくて正にシェストーフが、わが国で流行するということになる。反ソヴェート的なものとして、シェストーフ的なものを取り上げたということには、一方当時のヨーロッパにおける国際的な関係に由来し今一方現下の日本における国内的な情勢に由来して、政治的に又文学的に、非常に必然なのだが、それが特にシェストーフの名によらねばならなかったという事情に就いて云えば夫は偶然なものに他ならず、更に又、この偶然的なものに最後の望みのようなものをかけることが出来ると考える一群の文学者のスペキュレーションのようなものになれば、客観的公正を欠いたという意味において主観的だということになる。
 シェストーフ熱という言葉で可なり適切に現わすことの出来るような現象が、こうした偶然性と主観性とに支配されていることを、吾々は率直に承認すべきではないだろうか。この偶然性と主観性とを取り除けば、シェストーフの思想が必ずしもそれ程立ち騒ぐに値いする程の重大性を有たないということを率直に承認されて来はしないかと思う。一定の鮮かな特色を有っているということと、重大性を有っているということとは思想の場合、云うまでもなく別なのだ。
 ただ漫然とそう云っても読者の内には承知しない人もあるだろうが、それは後に回そう。そんなに重大性に乏しいシェストーフを、ではなぜ又々問題にするかと云うかも知れないが、問題は前に云ったようにシェストーフその人の思想にあるのではなくて、シェストーフ的なもののエキザンプルとしてのシェストーフが問題であり、又ただのシェストーフ的なものが問題なのではなくて、思想的エーヤポケットを充たすエーテル的サブスタンスの見本としてのシェストーフ的なものが問題だったのである。シェストーフ乃至シェストーフ的なものの内容は如何にこの問題の解決の要求を充たすか。それを今見よう。
 まず思想というものが何かということを、注意してかからなければならない。思想という国語ほど無意味に濫費されている言葉はなく、従って又之ほど無知な反感を招くものはないように見える。特に最近のわが国の文壇においてはそうだ。一群の人達は思想をイデオロギーとか世界観とかいう程の意味に理解する。なる程本当の意味でのイデオロギーや世界観こそ思想なのだし、又思想を措いてそうしたものはあり得ない。
 処が彼等によると、ここでイデオロギーというのは政治以外の領域に対して、一定の既成の政治的見解又は政治的要求に応じる予断を強制するもののことを意味しているらしい。彼等の直接の感覚の外から之に注文をつけるものがイデオロギーだと考えられているようだ。だが之ほど俗悪なイデオロギーの観念はなく、又これ程無責任で不用意で悪質な常識観念のうけ売りはあるまい。
 イデオロギーとは社会的に発生した統一的意識のことで、内部的な又外部的な感覚の集成展開そのもの以外の内容を持つものではない。イデオロギーでない観念は一つもないので、好みであろうが意欲であろうが、頭の鋭さや鈍さ迄が、よく考えるとイデオロギーのものなのである。そうでなければ今日使われているイデオロギーという言葉は意味がないのだ。――処が「貴方は趣味の方はおやりですか?」などと尋ねられれば頭をかかえて逃げ出すだろう常識軽蔑家も、「イデオロギーで困るね」と云った調子で恬然としているのである。そしてそういう場合に限って思想がそういう「イデオロギー」の巻きぞえを食わされるのだ。
 世界観というものに就いても事情は殆んど変らない。世界観というと文学や常識や又生活から独立して予め出来上っているレディーメードの輪郭か、造作とでも、人々は考えているように見える。私は屡々、世界観とはドクトリンやテーゼや又ルールのことではなくて、正に言葉通りに世界の直観のことであり、従ってあくまで直接的な感覚の資格を失わないものだと説明するのであるが、多くは世界観が世界直観だという言語学上の洒落か何かと思われるらしい。もし之を人生観という言葉に代えれば世界観嫌悪者は忽ち食いついて来るかも知れないが、一体世界観と人生観とどこが違うのか。ただ吾々は人生観などという言葉は括弧に入れずに使う気にならないだけだ。世界観を嫌悪する人は、実は之によって思想を軽侮しようというのである。
 尤も思想と云っても、それが本当にただの観念か表象のことなら誰も愛好もしない代りに嫌悪もしないだろう。処が他方思想は思惟に通じるという、学校論理学が教える語呂があるのである。そこで人々によると、思想とは、観念を思惟が強制することだ、ということになるらしいのである。否、観念ならばまだいいが、思惟が観念を通じて、生活そのものを強制して、偏極させ歪曲することが思想なのだと、私かに彼等は考えているらしい。もしそうなら、例えば文学には思想などは禁物でなくてはなるまい――だが一体之は誠に妙な結論ではないのか。思想のない文学といったようなものが、文飾としては兎に角、ともに考えられるとすれば、少なくとも私はそうした文学に何等の存在理由を許す気になるまいと思う。
 イデオロギー・世界観・又思想という名において、思想を嫌い無用視し又軽蔑さえする処の文化的風景は、わが国の左翼文化団体(実は主として文学者団体)の解体と共に、社会の表面に浮び出て来てこの社会の市民権を与えられたように見える。「そんなものはつまり思想ではないか、生活じゃないよ」ということになる。――だが、そういう言葉はまあどうでもいい。大事なのはその内容だが、処がここで思想というものが形式的な機械的な思惟にでも導かれているように考えられているという点を、もう一遍ハッキリ思い出して見なくてはならぬ。
 思惟の形式的で機械的な判断や推理が、思想のメカニズムであり、それが又理論というものであり論理というものであり、又科学というものだ、とこの思想拒絶症は決めてかかっているのである。だから彼等思想拒絶症患者によれば、文学や哲学を救うためには、こうした科学・論理・理論・思想に対する信用を捨ててかからねばならぬということになる。22が4は論理的に必然だが、22が5という計算をする人にとっては、この誤謬を犯すこと自身が嘘ではないことを誰が疑い得よう。太郎がお花を絶世の美人と思い、お花が太郎を不世出の英雄と考えたという事実自身は、間違いではないだろう、とそう彼等は云い出すのだ。
 それは確かにそうなのだ。思想というものが形式的で機械的な思惟だと決めてかかる以上、全くそうなのだ。確かに間違わないよりも間違う方が或る意味では真理であり、処女のマリアよりも大工の妻君のマリアの方に真理があるだろう。真理は紙片のように裏表があり、嘘から離れて真理はあるまい。真理は一本調子では行かないのが本当だ。その意味において所謂ラショナリズム(デカルト的機械論が之を代表している)に真理はなく、そうした合理的な推理から初めて辛うじてデッチ上げられたユートピアとしての理想主義(観念論)も、徹底した機械論的ラショナリズムとしての唯物論と同様、全くただの観念にしか過ぎないのであって、真理と何の関係もなかろう。
 処が思想というのは他ならぬこうした真理の把持のことではなかったのか。だから私に云わせれば、罪は思想にあるのではなくて、思惟に、形式的機械的な思惟に、或いはそうした思惟を思想のメカニズムと決めてかかった思想拒絶症自身の機械主義に、横たわるのである。彼等にとっては思想と云えば専ら機械的なものにだけ見えるのだ。だからなにかの形の無思想こそ、その唯一の思想内容でなくてはならぬと考えて来る。その一つの結果はニヒリズムともなるのである。
 処がこの思想拒絶症が、マルクス主義哲学を通って来たばかりの現在の社会が呈している症状だという点を重ねて注目すべきである。と云うのは、マルクス主義的思想は、一方、元来から云って、凡そ思想なるものが機械論であってはならないということを、実に繰り返し繰り返し唱道したのであった。社会は当時その弁証法提唱を聞き飽きたのだが、聞き飽きたが故に、今ではこの論理学的急所を奇麗に忘れてしまったように見える。
 否、論理学的急所を奇麗に忘れてしまうということは、何も機械論排撃のテーゼに関するとは限らない。マルクス主義哲学は、理論の、科学の、論理の、党派性ということに就いて実に数え切れない程の言葉の数を費した。夫はどういうことだったかと云うと、つまり思想のメカニズムによる云わば新陳代謝における首尾一貫――思想が自分で何を食ったら成長出来るかを見て食物を選択すること、――のことだったのだ。この首尾一貫性こそ思想の生命で、この命によって思想が初めて存在するのだった。こうした思想の首尾一貫的な貫徹(徹底とかラディカル=根柢的とか云われた)=党派性の公式も亦、見事に忘却の河で洗い流されて了った。マルクス主義も、その論理学的・哲学的な急所になると(文学上又は社会思想上の形ではとに角)全く皮相な流行であったかのように、ケロリと払拭されて了う。
 単に自然と忘却したばかりではない。忘却するように今や仕向けられているのである。その必要が実際にあるのだ(その必要は今ここで分析するまでもない)。だからそのためには思想・科学・論理・理論、等々に対する機械論的形式論的な仮定は、決してそのままの形で現われないのであって、却ってそうした仮定を検証するかのようなものとしての擬装の下に、この仮定の代理者が現われて来る。反ラショナリズム・反理知主義・等々がそれであったが、現下の社会の熱心な要求は、マルクス主義による思想上の党派性=首尾一貫性から自らをかく解放する(例えば文学の政治的なるものからの文学一般としての解放)口実をば、もっと内具的に、内密的に発見することを必要とする。で合理性の拒絶は、今や(生命・生活)の哲学の名の下に権威づけられる。理性が何を要求しようとも、どういう効果を眼の前でひけらかそうとも、それを蹂躙することは「私」の自由ではないか。私は一体単に合理的な知的存在につきるとでも云うのであるか、と彼等シェストーフ的者は云い始める。
 だがここには実に沢山の問題が雑居しているのである。まずヘーゲルの理性がその意図においてただの合理主義のものでなかったということは、大いに彼等に反省を需めていい点だが(又しても機械論)、もう飽き飽きしたから云うのは止そう。生の哲学と云っても色々あるわけで、同じく主知主義の反対と云っても生物学的なものもあれば(ニーチェやベルグソン)歴史的なものもある(ジンメルやディルタイ)。何も無理にエゴティスティック(必ずしもエゴイスティックとは云うまい)な自己に世界の生を収斂させて、虚無や不安に身を横たえなくても、かの要求には間に合う筈なのである。
 自由意志の問題も亦ここに顔を出している。実に整然と並んでいるものには悪戯がしてやりたくなり、絶壁の上から下を見ると飛び込みたくなることが心配になる。そうしたアービトラリネスこそ正に自由意志の真髄だが、同時に之程日常的な常識的なことはないのだ。そして之を計算に入れない思想はまず現実にはあるまい。あるとすれば彼等の機械論的な飛込台としての「思想」か「論理」かに過ぎまい。「魂」を科学的な機械論から護るには(そしてこの時この科学や機械論は唯物論!のユニフォームを着せられるのが常だ)、哲学的操作としてはまず自由意志を機械論から護ることにあるだろう。処が機械論を本当に克服したものは却って正に唯物論に他ならぬ唯物弁証法だった。生の哲学や神秘説やは、機械論の角を矯めるために、論理の牛を殺して了ったものだが、機械論の方は依然生き残っているわけである。
 一体魂や自由意志と云うが、どの理想主義どの観念論が、今まで一体意志の自由を解明し得たか。夫が得た凡てのことは、意志の自由を吾々が自覚している、という一つの事実に過ぎない。この自覚上の事実を認めない思想のある筈はないので、ただ問題は、この自覚上の事実が、客観的事実であるかどうかにあるのだ。
 つまり、こうした知的なものに対する生の強調や、それから生としての生に固有な懐疑(人間学的なるもの――モンテーニュ以来現今に至るまでそうだ)、そして人々は之を不安というそれ自身疑わしい概念で以て興行化したが、その「不安」、これ等のものは認識と生活との形式主義的機械論を仮定した上の、そのごく一般的に抽象的なアンティ・テーゼに他ならない。――之が思想の欠落のエーヤポケットを充たすシェストーフ的なものの現象の根本的規定であって、このシェストーフ的なるものが、之を充たすエーテル的サブスタンス――永遠性を有った無内容――として如何に之に打ってつけであるかが見られたことと思う。
 だが、現代日本のインテリジェンス(必ずしもインテリゲンチャのことではない)のこの空隙を満たすに適したものは何もシェストーフ的なものには限らなかった。それが特にシェストーフ的なものを以て充たされるように見え、又充たそうと考えられるのは、偶然性であり主観性であると云った。この点をもっと具体化しておかなくては、シェストーフ的現象の本質を鮮明したことにはならぬ。
 普通シェストーフの哲学は、不安の哲学として紹介されている。或る人は之をハイデッガーのエキジステンツの哲学と均等して摂取し吐き出そうとする。だがシェストーフに果して、例えば不安を介して人間の本来的存在を解明しようというような積極的な「救済」があるだろうか。私の知る限りではこの点が疑わしいものだ。不安の哲学と一口に云ってもその意味は殆んどナンセンスに近いので、不安を克服する哲学のなかの不安についてお喋舌りをする哲学なのか、不安を説いて安心する哲学なのか、一向判らない。併し少なくともシェストーフのは、読者を不安の淵までつれて行きそこから読者をつき離す処の哲学であるように見受けられる。実はここにニヒリスティックな或いは又アナーキスティックな卓抜さがあるのであって、同じ思想の退潮期の穴埋め材料としての宗教復興などに較べて、卑俗さが遙かに少ない所以なのである。
 処で既にここからも判るように、シェストーフ的エーテルは著しく文学的要求に相応しているものであって、つまり、思想の空隙を文学というサブスタンスの資格で以て、文学的に充たすものが、このシェストーフ的エーテルだったのである。シェストーフは自らの哲学を文芸評論的なものと考え、又その文芸評論は、文芸において哲学を探し求めるものだと云う。シェストーフの哲学が即ちそのまま文学である所に、シェストーフ的なものの穴埋め材料としての特色があったのだ。
 哲学と文学とを相即することは、統一的な着眼としては大事な事だが、その相即のさせ方によっては哲学自身の、従って又文学自身の根本的な誤りを導き入れるだろう。このことに就いて私はすでに述べたことであるが(『文芸』十月号、「反動期における文学と哲学――文学主義の錯覚に就いて」〔本全集第二巻、『日本イデオロギー論』所収〕)、一二の文学者を除いては、多くの批評家はその核心を捉えなかったようだ。文学の縄張りとか仁義とかいうクダラない点に着眼する位いが精々だったが、私の云いたいのは、文学主義的範疇ということについてだったのだ。恰もシェストーフなどは文学主義的範疇を哲学的範疇として使う処の最もいい例で、之は彼の科学や理論の機械的な拒否に全く相応わしいことなのである。文学的諸表象で以て思想を構成すると、その構成要素が、範疇が、文学主義的に(即ち哲学的でなく)なるのである。シェストーフの哲学上の、思想上の、ナンセンスは根本的には之に基づくのである。
 もしこういう文学主義的なカラクリがなければ、シェストーフ的なものは、ああまで世間的な卑俗性に訴えることは出来なかっただろう。普通シェストーフ的不安の哲学は現代社会の不安に、特にわが国のインテリゲンチャの不安に、訴えるものだというのだが、その真偽は問題であるのだが、少なくともこの文学主義的卑俗性だけでも、わが国の現在のインテリや読者層に訴えるに充分だということを忘れてはならない。
 宗教復興が社会生活の不安の反映だと云われているが、実は必ずしもそう云っては済ませないので、そこで社会的不安というのは思想の欠落、真空状態を本当は意味するに過ぎない。偶々宗教的なものは何かしら模索の対象となるかも知れないというところから、即ち民衆のそうした卑俗性に触発されて、初めて所謂社会的不安が宗教運動と見做されるものを産み出したということになるので、正当な意味で社会不安が宗教復興に反映したのではない。
 丁度それと同じに、又夫と平行して、特に文学的読者層においては、社会の思想的真空を充たすべき最も通俗的な卑俗な内容が、偶然にも、全く偶然にも、不安の哲学という名で以て現われたから、偶々、夫が社会不安の良心的な反映であるように思い違いをされたに過ぎない。所謂社会的不安=(思想の欠落)を反映するものは、必ずしも「不安」のレッテルを持つ必要はないので、行動主義でもよければ、ネオ・ロマンティシズムでもネオ・ヒューマニズムでもいいだろう。ただ之等のものに較べて、シェストーフ的なるものは、特別に又特有に文学主義的であることに相応して、多少のインテリジェンス(之は実は似而非インテリジェンスなのだが)を有つように見えるものの、最も平均的な原生的な卑俗な、その意味においては最も日常的で常識的な、感覚に訴えるものだったのである。之は善い意味においても、案外動物的な甘いものなのだ。
 さて、こうしたシェストーフ的現象が、時間的にも文化的にも倒錯的なこの現象が、シェストーフその人の活動に最初意味のあった時代から三十年も経って、ロシアからフランスを通って日本に輸入され、シェストーフ的現象として実を結ぶ必要がなぜあったか、という限りでは、社会現象としては論じるまでもなく明らかなことだ。問題は、こうした社会現象が、どういう思想的布告の上で行なわれているか、という点にあったのである。
(一九三五・一)
[#改段]


 行動主義はフランスの一群の文学者達によって提唱され、又何等かの形で実行に移されているそうである。之がフランスのどういう客観的条件から発生することが出来たか、又それがどういう的確な意味で進歩的であるのかは、相当慎重な分析を必要とする。今の私にはその分析は出来ない。問題は、日本の文学者達最近唱え出して創作に於てその試みを多少とも実現しようとしていると云われている「行動主義」に就いて、之を検討することだ。
 処がこの行動主義の問題は所謂「能動精神」の問題と一つであり、そして之は又現在論じられている問題提出の形に於けるインテリゲンチャ論に直接連っている。
 この行動主義は一つの事情の二つの側面に従って発生したと見ることが出来る。その一つは所謂マルクス主義の退潮(それが厳密な意味に於てどういうことであるかは一応保留するが)という客観的な事実(?)であって、それまで主観的にマルクス主義乃至はマルクス主義的文学活動の主流に圧倒されていた非マルクス主義乃至は反マルクス主義的でさえあった一群の(純文芸派の中からと傍流マルクス主義文学の中からの)文学者達が、ここに初めて一種の自由な意志乃至意欲とを取り戻し得るような意識を私かに自覚し始めた、という事情である。もう一つは、このマルクス主義の退潮の原因とも相関物とも見られる所謂ファシズムの台頭(之又決して単純に片づけられ得ない意味を持った観念だがそれも保留せざるを得ない)という事実(?)が、折角自覚し得るようになったこの文学者達の自由な意欲を忽ちにして又圧迫し始めたが、それをこの文学者達がわが身の上に自覚せざるを得なくなった、という条件なのである。
 私に云わせれば、マルクス主義の主流に圧倒されたというかの文学者達の主観的意識は、現象的な事実としては兎に角、本来の筋から云えば、結局彼等自身がマルクス主義に対する一種の認識不足から来た錯覚に由来するのであり、従ってここから来た自由の呼吸(それを彼等は自由主義という紛らわしい言葉で云い表わそうとする)も亦、つまり錯覚に他ならなかったのだが、この反マルクス主義的錯覚であった「自由主義」も、他方所謂ファシズムと直面させられる時、少なくとも主観的には、反ファシズムの意識としての自由主義におのずから変貌せざるを得なかった。――こうしたものが所謂行動主義=能動精神が有つという所謂自由主義の特性であって、普通簡単に、行動主義=能動精神がマルクシズムとファシズムとの中間に位置するなどと云われていることの内容なのだ。
 処が注意すべきは、この行動主義が主観的にどんなに反ファシズム的意識によって動機づけられていようとも、それが反ファッショ的反抗となって現われる以前の資格であった反マルクス主義的意識は、主観的に到底払拭されるべくもないという事実である。そして而も、それが元来マルクス主義なるものに対する認識不足による錯覚から出発したのだったから、この反マルクス主義的意識によっては、マルクス主義とは他でもない、極めて一般輪郭的な面をごく卑俗な通念による処の「マルクス主義」でしかあり得なかった。このことは、少しも怪しむに足りないだろう。マルクス主義と云えば何かレディーメードな着物のような一様な公式主義的なものだと、この自由主義は決めてしまっていたのであり、又今でも現にそう見える部面を多分に示している。
 だが云うまでもなくマルクス主義と通称されているものにはピンからキリまであるばかりでなく、活きた情勢を摂取しつつそれは刻々発展すべきものなのだし、又現にそうして発展して来ているのである。ひとり文学の領域に於てばかりではなく、哲学の世界に於ても、諸科学の世界に於ても、マルクス主義は具体化されて来つつあるか、或いは少なくとも具体化されるべき必要が具体的に自分自身の内から強調されているというのが現状なのである。処が例えば舟橋聖一氏などは、この具体的な事情に注目しないために、反ファシズム意識に較べてもっと手近かにあって刺激の多い反マルクス主義の方が高揚して来るのであるが、その限りでは氏の言論は確かに客観的に反動的な行為行動に出ているわけであって、大森義太郎氏などから可なり乱暴にタタキつけられるだけのものはあるのだと考えねばならぬ。この限り大森氏の一応の輪郭的な正当さを私は承認しなければならない。問題がこの段階に止まる限りではそうなのだ。
 舟橋氏は、マルクス主義を舟橋氏なりに輪郭的に一般論的に排撃するが、之は大森氏によって見事に返報されているのである。と云う意味は、大森氏も亦、大森氏なりに(氏は「マルクス主義者」である)同様に輪郭的一般論的なマルクス主義によって、舟橋氏(大森氏の所謂船橋氏)の行動主義をコキ下しているのである。――一体大森氏によると、今日でもなおインテリゲンチャの問題は、しばらく前までこの方面でのマルクス主義的観点が占めていた一般論的輪郭的な問題提出の段階でしか、提出されないのである。知識階級という中間層は、ブルジョアジーとプロレタリアとの、いずれの側に同伴すべきであるか、ということがこの段階の問題の形であったので、大森氏は今日でもなお依然としてこの解決済みの問題形態の下に問題を蒸し返しているのである。
 だが、インテリゲンチャがこの二つのどっちかの階級に対して、直接に同伴するにしても、又は終局に於て寄与するにしても、それは大森氏が想定しているらしいようにインテリゲンチャが単に中間層として、賛成議員の頭数のように、どっちにつくか、といった問題に止まっていることは出来ないのだ。プロレタリアの政治的活動に対して、せめて好意ある中立を保てと云ったような勧告は、インテリゲンチャを単に一般的に一種の中間層としてしか見ない(インテリ階級説)必然的な結果であって、そう考える限りインテリの積極性や能動性などは、本当の意味ではなり立たないのが当然だし、もし仮りになり立ったとしたら邪魔になって反動的な意義しか持たない、ということになるのは必然なのだ。つまりインテリは、それがインテリだという特質に就いて云えば、別にその故には積極的な独自性を認められないことになるわけで、従ってその意味では全く消極的なものにしかならないわけである。
 処が大森氏がどう強弁しようとも、今日のインテリゲンチャ問題は、こうした一般論、輪郭論に止まっていないのである。マルクス主義がその退潮にも拘らず却って具体化され地につき或いは大衆的日常常識にまで主体化されるのに平行して、インテリ問題も亦インテリ自身によって(尤も、だからと云ってインテリの立場だけを抽象してそこから話を始めるというのではないが)、もう一段階具体化され地につきインテリ自身の日常常識にまで主体化されて来ているのである。と云うのは、インテリ問題の要点は、それが何か中間的にブラブラしている階級で、どっちの側についたら好いかと云ったような処にあるのではなく、インテリゲンチャの主体的な条件であるインテリジェンスを、インテリ自身がこの階級対立の間に処して如何に役立てて行くべきか、に来ているのである。
 インテリゲンチャが自分達自身のインテリジェンスをわが身に就いて問題にする時、この自分の特徴であるインテリジェンスを如何に社会的に(即ち直ちに又階級的にだが)活用すべきかを問題にする時、そうした意味でインテリゲンチャのインテリジェンスが主体的に問題にされる時、それがインテリゲンチャに特有な積極性でなくてはならぬ。之を又インテリゲンチャの能動性と呼んで不都合な筈はないのだ。
 インテリの積極性は、インテリゲンチャのインテリジェンスを主体的に問題にするから初めて発見されるので、問題を主体的に提出しないで、客観的とか平均的とか称して実は一般論的に提出するならば、インテリゲンチャは決して積極的でも能動的でもなくなると決っている。大森氏が必ずしもインテリジェンスが積極的役割を演じ得ないようにサラリーマンなどを、知識階級の主体だと考えて一向疑問を挿まない理由は、ここから最もよく理解されるのである。サラリーマンはサラリーマンであり、インテリはインテリなのだ。
 で、舟橋氏の文士式行動主義と、大森氏の社会学者式サラリーマン階級説とは、インテリゲンチャの問題を妙な具合に持ち寄って来る。舟橋氏のマルクス主義に対する観念は云うまでもなく甚だ抽象的で卑俗だ、その点から云えば「マルクス主義者」である大森氏が遙かに進んだ段階に立っているのは云うまでもない。処がインテリゲンチャの問題を主体的に取り上げる段になると、無論大森氏が一般に問題を「マルクス主義」的に取り上げるに反して舟橋氏は反又は非「マルクス主義」的に取り上げるのだが、それにも拘らず、不思議に大森氏よりも舟橋氏の方が問題の核心に触れるものを持っているのである。方法の優れた人間が後れた問題を繰り返し、方法の劣った人間が進んだ問題を提唱するのだから、二人の問答はいつも食い違って、トンチンカンで見当違いで、永久に相互に不満であらざるを得ない。
 この食い違いの解決方法として、少なくとも私自身にとっては、ただ一つだけが現実的な見透しを有っている。方法は舟橋氏のものではなくて大森氏のものでなくてはならぬ。そしてこの方法に立脚しつつ舟橋級の問題を取り上げる、ということがその解決の吾々にとって唯一の道だろう。大森氏が私を「マルクス主義的範疇」を使う人間だと見込んだのは多分大して間違ってはいないだろうが、そうならば私としては、このやり方以外に道はないのであり、従って又大森氏に対してもこのやり方を要求しなければならないということになる。大森氏は迷惑かも知らないが、どうしてもそうなるのである。
 さて大森氏に対する態度はそうだとして、それでは舟橋氏等の所謂行動主義をどう評価すべきであるか。何より初めに気づくのは、この行動主義なるものが、インテリゲンチャの積極性乃至能動性の問題を、そのまま有態に問題にし得たものではないという点だ。舟橋氏等の文学者は、云うまでもなくインテリゲンチャ問題を自分自身の問題として取り上げるのだが、彼等が偶々文学者である処から、このインテリゲンチャ全体をば文学者・作家を中心として考えて行こうとするらしい。即ちインテリジェンスと云えば、彼等にとっては、何よりも先に作家的インテリジェンスのことになるのである。だからこのインテリジェンスの自覚としての行動主義なるものも、まずさし当り創作方法と云ったようなものを出ないのである。大森氏がこの関係を捉えて、行動主義などというのは二三の文学者が主観的に云い出したものにすぎぬと云うなら、それは当っていると云わねばなるまい。
 だが所謂行動主義者達は、行動主義を何も文学の領域に限定するのでもなければ又まして創作方法に限定するのでもない。そういう文学主義的限定は凡そ所謂「純文学」から「社会」にまで踏み出るか、それとも寧ろ現実の社会を文学にするか、いずれにせよそうした欲求から出発する処の行動主義そのものの、否定でしかない筈だ。では文学者以外に就いて、この行動主義はどういう具体内容を有っているか。と云うのは、文学的インテリジェンス(乃至インテリゲンチャ)以外のインテリジェンス(乃至インテリゲンチャ)に就いて、行動主義はどういう具体的連関を用意しているか。そうなると何物も決ってはいないのだ。あるものは混沌とした一般的なるものでしかない。――否、そればかりではない、創作方法としての、乃至文学領域に於ける、行動主義さえが、一向この混沌的一般性の域を脱してはいないのである。
 処で今は海のものとも山のものとも判らないから之が本当に進歩的なのか反動的なのかはまだ判らない、マルクス主義へ同伴又は寄与するのか、それともファシズムへ走るのかはまだ判らないと云うかも知れないが、併し大事なことは行動主義が今のままの一般的抽象にいつまでも止まる限り、或いは今のままの一般的抽象性をそのまま発展させる限り、行動主義は無条件に反動的であり又は反動的になる、という点である。
 だから行動主義がインテリゲンチャの積極性乃至能動性の問題を正当な問題提出の形態で提出するためには、即ち、現在の行動主義が或る進歩的動向の一徴候であり得るためには、この行動主義のもっている一般的抽象性が少なくとも具体的なものにまで正直に行動主義的に具体化発展されて行くのでなければならない、ということになる。処がその見透し自身が又、まだ海のものとも山のものとも決らなかったのである。
 つまり之は、文学者的インテリゲンチャ(乃至インテリジェンス)から問題を始めるのでは、インテリゲンチャの積極性=所謂能動精神の問題は遂に普遍的具体性を以ては提出され得ない、ということを告げているに他ならない。之はインテリジェンス(知能)という問題をもっと別な中心点から考え直して見る必要がある、ということを告げているのである。
(私は拙著『日本イデオロギー論』〔前出〕の中でインテリゲンチャ問題を取り扱ったが、不充分な点があったので、今この文章を補足する。)
(一九三五・一)
[#改段]


 文学に於けるモダーニズムは色々の広さの意味に理解されている。強いて云えば近代文学の共通な特色の凡てが、最も広い意味でのモダーニズムになるかも知れない。だが、そうなれば実はモダーニズムという言葉は何の役にも立たないものになる、即ち何か特殊な一定の現象だけを限定する観念ではなくなる。だから少なくとも、之よりももう少しは狭い意味を之に与えてかからなくては、話しにならない。
 交通網の極度の発達、経済財及び一般財の近代商品化、それに基く生活資料の可なりの程度の各個人間の又国際的な共通点、それからこれ等に対応する生活様式の経済上又政治上社会上の可なりの程度に於ける共通点。以上のような生活は、現象として見れば一切の生活材料が出揃って羅列され、雑然とした一種のアトモスフェアを造り、やがて一種虚無的なケオスを造り出す。なぜなら或る限られた事物だけに注意を集中するということはこの際認識不足になるわけであって、表面上秩序を持たない一切のものが、同等の興味を強要するので、清濁合わせた乱雑が生活の現実として与えられざるを得ないからだ。之をそのまま捉えようとするのが、許された限りの最も広い意味に於けるモダーニズムなのである。――処でこの無にも等しい渾沌(混沌)をそのまま捉えると云って、そこには何等かの捕捉の原則がなくては出来ないことだ。例えば感覚とか理知とか、意識の内部的時間の流れの軸とか、或いは社会のメカニズムとか、そう云ったものによってこの渾沌を雑然たる統一にまで齎す他に手段はない。この間の消息に、色々のありとあらゆる意味の広さを持った所謂「モダーニズム」が生れて来たのであるし、また今後も発生し得るのである。
 日本に於ける文学上のモダーニズムは、当然、一般生活意識に於けるモダーニズムと同じく、一部の代表的な(一種の支配的な)知識人又は教養人からは無条件に軽蔑されて来たという歴史を持っている。それは多分日本のモダーニズム自身のクダラない内容に由来するばかりではなくて、当時の知識人や教育人やが持っていた、云わばプロイセン的な形の消極的消費生活に基くドイツ的教養や、封建的な制限を辛うじて打破したばかりの日本の所謂半隷農的な消費生活に基くヒューマニズム的文学意識から、反発されたのであった。即ち日本に於ては文学はそれ程狭いスケールに於て教えこまれていたのである。近代日本の文学意識は、自分自身の直接の感覚のアッピールを信じては悪いと思う程、それ程文学上の優等生で品行方正だったのである。
 併し〔第一次〕大戦後のアメリカと日本とに於ける好況、そしてヨーロッパ大陸に対するアメリカの君臨とヨーロッパの屈服、それに世界的水準にまで追いついた日本の生活意識に於ての成人。こうしたものからモダーニズムは所謂アメリカニズムとして、日本に流れ込んで来ることを、妨げる如何なる「教養」もあり得なかった。――そこで日本に於ける文学上のモダーニズムは、文学と或る点ではイコールだと教えられていた各種のヒューマニズム(個人主義・人格主義・モーラリズム・人生派・深刻派・高踏派)、日本風に人道主義化された自然主義(日本自然主義は日本ブルジョア文学の出発点であり基調をなすもので今日日本の純文学者が多く云わば「文学的自由主義」に立っている原因はここにあるが)、それからこれ等のものに必然的に伴っていたセンチメンタリズム、こうしたものの批判として現われたのであった。だから世間ではこのモダーニズムの合言葉として、最も非人格的なスピーディ・朗らか・ナンセンスなどを選んだのである。
 併し最も注意しなければならない点はモダーニズムと自然主義との関係だろう。日本の自然主義は決して自然科学的世界観や実証主義の故に採用されたのではなくて、文学意識を封建的な旧道徳意識から自由にしようとする文学本来の自由独立のために採用されたのであったから、今も云ったように、夫は初めから人道主義化されていて、単に本能や情念の文学上の勝利を意味するものでしかなかった。自然主義の台頭期に於ては、自然主義に賛成なものも反対なものも、自然主義の文学上のこの使命を充分尊重していたのであって、自然主義とは取りも直さず文学そのものの独立を意味するシンボルに他ならなかったようだ。で、そういうわけだから、日本の自然主義そのものからはフランスに於てのように科学主義も主知主義も社会観も出ては来なかった。モダーニズムは別で、こうした人道主義的自然主義の伝統(実は単にヒューマニズムと云ってもいいのだが)に対抗して、却って自然主義の本来の一根本要素であった機械主義を押し立てたわけなのである。こう考えて来ると、一見偶然な現象であるかのように待遇され勝ちな所謂モダーニズムも、実は却って、日本文学の伝統である自然主義の本格的な一発展でさえもあり、それ故に又、注目すべき新文学でもあったのだ。
 モダーニズム文学がまず何より先に、近代資本主義による消費及び生産の絢爛たる外貌に蠱惑されたのは、当然の宿命でもあったが、又致命的なことだったとも云わねばならぬ。夫が末梢神経に随喜するように見えた新感覚派として出発を始めたと云われるのは甚だ尤もであった。なぜなら過剰に豊沢な外面的相貌は何よりも先ず末梢感覚を刺激する筈だったからである。而も悪いことには例の絢爛たる資本主義生活の外貌の代りに、その匿された又は露骨な本質を衝かねばおかぬと考えたマルクス主義文学運動に対して、純文芸(まだその頃はそういう言葉は流行らなかったかと思うが)又は新興芸術の名によって、反動又は逃避を企てたものが、この感覚主義的モダーニズムの一味だったということだ。そして更に悪いことには、モダーニズムのこの感覚主義(センシュアリズム)が却って一種のセンチメンタリズムになったことはまだしもとして、新聞や雑誌によるジャーナリズムのセンセーショナリズムに追随して、狭量にも、近代的に新奇なものの感傷的な強調にだけ終始しようとしたことである。この形態の下に一頃全く、新興芸術派は露骨にも一部の出版資本の鮮かな傀儡となっていたことは誰しも憶えていることだろうと思うが、この点がモダーニズム文学を愈々安価に見せたのだと云わざるを得ない。
 モダーニズムは併し当然主知主義・新心理主義・新社会派・等々にまで分化発達した。雑然とした近代的与件は、単に近代的に新奇なものの強調やその感覚的捕捉原理を以てしては、決して捕捉出来ない。インテリジェンスや意識的時間やブルジョア社会機構なりによって、近代生活は雑然としてではあるが、とにかく統一されなければならぬ。そうしなければ認識にも文学にもなれないからだ。――単なる感覚主義にはモラルがないと云っても好いだろう(モラルというこの流行観念には信用出来ない点があるのだが夫は後で云おう)。処が例の意識の流れの文学になればすでにモラルがないとは云えなくなる。なぜというにベルグソンの哲学に於てもW・ジェームズの心理学に於ても、問題は元来パーソナリティーにあったのであって、J・ジョイスやM・プルストにパーソナリティーのモラルを求めることは当然で又容易いことではないかと思えるからだ。主知主義となれば(之は社会派に極めて近いものを持っている――例えば、A・ハクスリ)、モラルは更に機能的になって来て、知性的な論理にまで接近する。こういう合理主義となれば、現代吾々が見ている様々の系統にぞくする反合理主義・反近代主義・精神主義・蒙昧主義等々に対して、モダーニズムは一応立派に進歩的な役割をさえ引き受けることが出来なくはない。
 だが、凡そモダーニズム文学を一種の生活意識乃至文学思想として見る限り(之を文学技法やスタイルの問題として見るなら別問題だが)、その根本的な制限をハッキリさせておかなくてはなるまい。そのためには併し、現在吾々の眼の前に踊っている偽似モダーニズム文学に注目すべきだ。
 或る人が曾て或る「マルクス」主義者を批評して、彼はマルクス主義がシークである限りマルクス主義者となったのだと云ったが、事実一頃幾つかみも(決して一把みのではない)ゴロゴロしていたマルクスボーイスは、マルクス主義を、特にはマルクス主義文学を、モダーンなモダーニズムに数えていたようだ、と今にして見れば云わねばなるまい。こういう側面的な機能を発揮するものがモダーニズムの一つの要素だとすれば、モダーニズムのこの機能は、現在では、曾てモダーニズム自身が打倒しようとしたヒューマニズムそのものにさえ、及んでいる。と云うのは、文学に於ける人間学主義・不安哲学・文学的自由主義(私はかつて之を『日本イデオロギー論』〔前出〕で説明したが)などは、今日の「文芸復興」と平行し又はその一部をなす現在の流行文学意識であるが、これがモダーン意識と結びついて今日のような通用性を受け取っているのである。こうした深刻主義は今でもすでに著しい僧侶主義でありそして次第に復古的反動主義にさえ転化しつつあるのが事実だが、元来を云えば之こそモダーニズムの旧い敵だった筈だ。処が所謂モダーニズムがブラブラしている内に、それからマルクシズムがもはやモダーンでなくなって来たので、この深刻派がモダーン文学意識となって了ったのである。
 ここでは元来のモダーニズムに於けるモラルは、時間の哲学を通って例えば不安の哲学にまで到着することによって、全く僧侶的な意味に於けるモラルとなり、元来のモダーニズムに於ける理知的論理はパトス的論理やパラドックスの論理となる。之は凡そモダーニズムの反対でなくてはならない筈だが、それが不思議にも一種モダーンな感触を与えるらしい。偽似モダーニズム文学と呼ぶ所以である。
 尤も之はモダーニズム自身に全く責任がないとは云えない。前にもモダーニズムに於ける感覚主義と合理主義(主知主義)と直観主義(新心理主義)とを挙げた。之はフランス哲学の伝統に於て極めて緊密に結びついた三つのものであることはよく知られている。デカルトの合理主義から、コンディヤックの感覚主義とベルグソンの直観主義とを直接に導くことも決して不可能な企てではないだろう。モダーニズムが機械的である限り一種のデカルト主義にまで蒸溜することも出来るが、このデカルト主義からドビラン風の内部的人間学を導くことも出来るし、或いはコント式現象主義を通ってハイデッガーの解釈学的現象学――人間学へ辿って行くことも出来る。モダーニズムはフランス哲学の介在によって、現在の新深刻派の文学思想につらなるものを持ち得るのである。思うにP・ヴァレリーなどはモダーニズムとこの新深刻派とをつなぐ最も有力な鎖になっているだろう。
 だから、モダーニズム文学の何よりの根本特色はその機械論にあると云わねばならぬ。そして之が又モダーニズムの根本的欠陥でもあるのである。人によってはモダーニズムには本当のモラルがないと云うかも知れない。だがいつの場合にも大事なのはモラルではなくてモーラリティーなのだ。と云う意味は歴史的社会の客観を通過しない人間的(?)モラルなどは、文学的に即ち生活的に、三文の価値もない玩具に過ぎない。客観的世界の法則を離れて何かの倫理か道徳があり得るということを、私は信用しない。で大事なのはモラルではなくてモーラリティー(生活の客観的原理に基く)だが、もしモーラリティーという言葉が不適当なら生活の論理と云ってもいい。又人によってはモダーニズムにはリアリズムが欠けていると云うかも知れない。だが客観的実在を貫くアクチュアリティーを離れて実在実存を考え得ると思うのは、文学主義者かうす甘い哲学者にしか通用しないテーゼだろう。もし偽似モダーニストや反モダーニズム文学主義者が、モラルやリアリティーを理由にしてモダーニズム文学を批難するなら、吾々は正にその同じ根拠によって、この偽似モダーニズムや反モダーニズムを批判し、之に対して却ってモダーニズムを擁護せずにはいられない。モダーニズムの根本的欠点はその機械論にあるのである。もしモラルがなくリアリズムがないと云うなら、そのモラルが機械的に止まっていてまだ充分に物体的な(但しザッハリッヒのことではない!)モーラリティーになっていず、そのリアリティーが又まだ物体的なリアリティーにならずに幾何学的なメカニズムに止まっている、ということに他ならない。偽似モダーニズムや反モダーニズムはその思惟方法がかかるメヒャニスムスにまでさえまだ来ていない。日本に於ては純粋の資本主義が進歩的な意味を持つように見える限度で(例えば自由主義は夫だと云われているが)、モダーニズムは進歩的に見える。資本主義的消費生活が行きづまると考えられる限りモダーニズムは行き詰る。この行きづまりの解決は無論偽似モダーニズムでも反モダーニズムでも復古主義でもあり得ないのは判り切ったことだ。各種のファシズム(アメリカニズムや自由主義さえ実は之に数えられねばならないのだが)が資本主義の解決でない限り、そうだ。モダーニズムの機械主義に対する解決は一方に於てテヒノロギー、他方に於てディアレクティークなのである。
 凡ゆる非合理主義的文学理論に対しては、吾々はモダーニズム文学に左袒する。だがそれ以上はモダーニズム文学を信用しない。
(一九三四・八)
[#改段]


 わが国の文壇はかつてジャーナリズムの近代的な聖殿を以て自他共に許していた。処が最近になって、所謂大衆文学――通俗小説・探偵小説・科学小説・政治小説・小唄その他――がジャーナリズムを圧倒的に席巻するようになって、文壇はジャーナリズムに対する特権ばかりでなく、これに対する一般的な権利をさえ失わねばならないようになって来た。これは今では否定出来ない事実であるが、そこで文壇人はこうした大衆文学に対して、自分の文壇文学をば、文学の名において改めて特権化せざるを得なくなった。純文学(又は純粋文学)という概念は、そうやって出来上ったのである。
 いわば公的な文壇を代表する『新潮』や、いわば私的な文壇の雄であった『近代生活』が、純文学の衰勢を問題にし出したのは全く、自己防衛の本能からいっても尤もである。
 純文学という概念、またそういう概念を使い出さねばならなかった動機からいって、純文学は大衆文学というような不純文学に対して、元来優越を感じなければならないはずであったが、しかしそもそも文学の本質が何かという最後のクリティカルな判定が容易に出来るはずはないのだから、不純と呼んで見たいわゆる大衆文学であっても、これを無下に本当の文学でないといって片づけて了うわけには行かなくなる。
 で文壇にとっては、純文学と大衆文学とのこの期待された区別を一応廃棄して、その代りに、一般に文学における純粋性をまず検出し、それを以て改めて所謂純文学――実は文壇文学――の特権的な属性にしようとする、そういう回り道が、よい思いつきとして残される。賢明な文壇人は、「純文学」の問題を、「文学における純粋性」の問題にすり替えたのである。
 或る論者が文学の純粋性を「現実と争闘をしてそれに秩序をあたえるところの強い精神」だと規定するかと思えば、もう少し生硬な文士はマイノングの対象論をまで持ち出して、純粋という言葉の説明を与えようとする。これなどは純粋ということをば純粋なことがらということにまで移行させ、「ことがら」とは事実でもなければ非事実でもないものだといって、純粋をばことがらとすり替えて見せる。それによると純粋文学とは実感や現実を或る程度まで破らなければ出来上らないものであるらしく見える。だが、現実に秩序を与える理性の文学や、経験主義を消滅せしめた超自然主義的な純粋意識の文学(この現象学的・マッハ主義文学!)だけが純文学だとすると、純文学とは何と領域の狭い文学になることだろう。きっと純文学はついこのごろになって初めて始まった文学のことでしかないに相違ない。
 純文学は知らないが、しかし本当の文学は、それにも拘らず昔からあった。否、昔からあった文学がこのごろ無くなりそうになったと思えばこそ、純粋な文学が問題になったのではなかったか。
 文学の純粋性という問題がどう解けようとも、それとは別に、純文学と不純文学(?)との区別は、依然として問題なのである。
 純文学の本家である文壇文学は、元来がジャーナリズムの本山であったものが、今ではジャーナリズムに見放され、少なくともジャーナリズムの上では衰亡しようとしている。ジャーナリズムは大衆文学に秋波を送り始めた。そこで人々は諦め顔にこう定義する、「商業主義にもとづくジャーナリズムの掣肘」を「全然うけまいとする文学」が純文学なのだ、と。
 だが文壇という組織は本来が資本主義的ジャーナリズムによって盛り立てられたものだとすれば、嘗て文壇外に孤立していたと考えられる漱石や鴎外に較べて、文壇文学はそれだけ初めから純文学でなかった、ということになるが、それでも好いのであるか。
 元来、文学は科学に較べて、一定の意味でジャーナリスティックなものである。文学とジャーナリズム一般とを機械的に区別して対立させることは、俗悪な文学者か愚劣なジャーナリストかの迷信である。しかし私はジャーナリズムという一つのイデオロギー形態又はイデオロギー契機の内に、再びジャーナリズム的モメントアカデミズム的モメントとを対立させ連関させる。さてイデオロギーのこの一般的な機構が、資本主義のコンマーシャリズムの下に次第に歴史的に具体化されて展開して来ると、次第にこの二つのモメントが夫々歪みながら分裂し、収拾出来ない対立をなして来る。そうしたアカデミズムのモメントがいわゆる純文学であり、そうしたジャーナリズムのモメントがいわゆる大衆文学なのである。
 初めジャーナリズムを一般的に捉えていた文壇は、イデオロギーとしての文学の情勢が資本主義の経済的・政治的地盤と共に歴史的に追いつめられて来たので、嘗ての文壇人を一方ジャーナリズムのモメントとしては大衆作家に、他方ではこれに反作用してアカデミズムのモメントとしては純文学者――それは結局有名無名の同人作家となるが――に、解体して了った。これが取りも直さず、ジャーナリズムが純文学から大衆文学へ移行したという、純文学の衰亡という、現象に他ならない。
 無論一般に、物質的な矛盾のない――健全な――場合には、対立した二つのモメントは直ぐさま連関統一を与えられ得るのだが、今日の発達した資本主義の機構のように物質的矛盾をその本質としているものの下では、このジャーナリズムのモメントとアカデミズムのモメントとは、どうしても媒介されて一つにはなれない。
 純文学の使命は「新しい探究と解釈とに道が通ずる」といっても、ブルジョア・ジャーナリズムの下ではそういう道が終極において閉じられているので、形式的にはどうであろうと実質的な文学的進歩のない点では、惰性を好むいわゆる大衆(?)に媚びようという大衆文学と、殆んど何の選ぶところもない。ただ一方が愚衆を相手にするに反して、他方はセクトのものだというに過ぎないのである(純文学の孤城を守ろうというようなヒロイズムは、物質的にはそれ自身純文学の文学的衰亡をしか意味しない)。ところで無組織な愚衆とギルド的なセクトでは、到底結びつきようがないではないか。
 或る理論家は、ジャーナリズムとアカデミズムという二つの範疇で物を云うことを斥けて、公衆(パブリック)という第三の範疇をこれに付け加えろと主張する。そう三つ揃わないと事物の分析が弁証法的にならないというのである。だが芸術雑誌の読者も公衆ならばキングやラジオの享受者も公衆なのだから、そういう公平な中間的な範疇ではジャーナリズムとアカデミズムとは、弁証法的になど媒介はされない。
 すでに純文学の衰亡自身が物語っているように、文学でもジャーナリズムとアカデミズムとが単に機械的に並んで存在しているのではなくて、前者が社会的作用からいって、後者をリードしているというのが与えられた事実であった。ジャーナリズムはアカデミズムよりもその歴史的運動における階層が進んでいる。それだけに文学における今日の――ブルジョア的――ジャーナリズムは豊富な諸々の未発の可能性を蔵しているのである。
 果して、わが国のジャーナリズムは、ブルジョア・ジャーナリズムの隆盛にも拘らず、或いは一部分却って隆盛の故に、それに対立する新しい形態のジャーナリズムを、何等かの意味でのプロレタリア・ジャーナリズムを、蝉脱せしめつつあるように見える。純文学や大衆文学に拘らず、左翼の文学の素地が着々として延びつつあるようだ。これこそ第三の――弁証法的な――範疇のことだろう。
 左翼文芸に見られる一種のプロレタリア・ジャーナリズムは、しかし文学の大衆化として現われることを注意しなければならない。尤も大衆という概念はどういう風にでも勝手に用いられそうであるが、これを科学的に組織的に使用するにはすでに一定の約束が出来ていて、今はただこの意味でだけ文学の大衆化といっているのである。ここで大衆と呼ばれているのは組織されるプロレタリア階級大衆のことだ。文学の大衆化とはだから、大分前に小林多喜二らがハッキリいった通り、文学を大衆にまで持ち込むと共に、大衆を文学にまで高めることだ。これこそ本当の――大衆自身にとってのまた大衆自身によっての、――大衆文学である。ところがいわゆる大衆文学などは大抵出版資本やブルジョア政治が自分自身のためにファッショ文士達をかって書かせたものに過ぎない。いわゆる純文学などに至っては、崩壊しつつある文壇の文壇人自身のためにしか書かれていないだろう。
 最後に、今文学におけるプロレタリア・ジャーナリズムと云ったものはアカデミズムとどう連関するか。プロレタリア・ジャーナリズムを通って初めて、プロレタリアアカデミズムもまた形成されることが出来る。そしてこの二つのものはその対立によって却っていよいよその健全な――もはや物質的矛盾を持たぬ――統一にはいることが出来る。蓋し、このジャーナリズムといえども、それがジャーナリズムであってアカデミズムでない限り、何といってもまず第一に大衆(だがいわゆる「大衆」ではない)の平均的な日常の娯楽として役立たねばならぬ。だがそれが民衆の阿片や退屈凌ぎでない限り、娯楽は生活意識を組織的に促進高揚するという興味によって、はじめて娯楽であることも出来るわけだ。そうすればもう既にアカデミズムへの、本当の純文学への、道は一続きにつづいている。「純文学」の真理と「大衆文学」の真理とはここではじめて救われる。
(一九三二)
 唯物論に於ける、或いは唯物論に対する、一つの根本的な誤謬乃至誤解は、唯物論を何等かの単なる客観主義に帰着させる見解である。例えば西田幾多郎博士は現代の思潮によせてベルグソンなどが主観主義を代表するに反してマルクス主義は客観主義を代表すると考え、従っていずれも偏頗で一面的な真理を含んでいるに過ぎないと云っている。之に反して博士自身は主客未分の状態を想定して、そこから哲学は出発せねばならぬと主張する。
 博士自身の立脚点の是非は今ここで直接の問題ではないが、マルクス主義的唯物論を一種の客観主義と思わせることに就いては、マルクス主義自身に多少の責任がなくはない。之は聞き飽きる程云われていることが、対象を実践的に、従ってその意味で主体的に捉えなかったことが、フォイエルバハの、そしてもっとつきつめてプレハーノフ=デボーリンの、誤謬であったと云われる。つまり主体の問題が適当に――適当にであって勝手な仕方に於てではない――取り上げられなかったということが、こうした段階の史的唯物論以前の、又はこうした段階の史的唯物論の、欠陥だったのである。併しこの点が、やかましく云われている程に、実際問題になると徹底されていないことは遺憾だ。
 例の能動精神論議に際して大森義太郎氏其の他は、現代インテリゲンチャを結局一種の階級と見做している。階級というこの言葉の不用意は問わないとしても、現代インテリが社会層としての社会集団をなしていることは云うまでもない事実なのだが、そうだからと云って之を単に「客観的」にだけ考察して、その階級であることがインテリ層の本質だと考えることは、極めて安易な、その意味では公式的な、見解を脱しない。インテリ層は客観的に見て一個の社会層(乃至その意味だけにとって一個の階級)ではあるにしても、その社会層の各個人の主体を通じてインテリジェンスの所有者であるということが、之又一つの客観的事実なのである。事物の客観的な関係は事実上主体のこういう条件を含んで初めて成り立っている。この主体的条件、乃至主体の問題を抜きにして、インテリ層が単に階級であることだけに見解を局限することは、客観主義であって唯物史観でも唯物論でもない。処がこういうものが「マルクス主義」だとみずから主張したり世間からそう思われたりしている。
 主体の問題を抜きにして唯物論の方法が成り立ち得ないという極めて判り切った原則は、文学乃至芸術に関する考察になると一等顕著に明白になる。文芸乃至芸術一般では何よりも何かの意味での主体が最後の最底の関心であるのが当然だからだ。
 尤もそう云うことから或る意味に於ける主体主義を導き出すことになると、それは文学などの世界では極めてありふれた尤もらしい卑俗な常識に堕するのであって、それがそのままの卑俗さを蔽いかくすためにアカデミックな外被などをまとうと、見るに耐えないウスぎたない「理論」――「哲学」になる。例えば一頃流行った言葉である「主体的リアリズム」(主体の問題を解決しないようなリアリズムが一体どこにあったか)なるものの滑稽さや、「人間学的」文学論の諸々の凡庸な低級さなどに、それが見られる。人間の問題を取り扱うことが、直ちに人間学的な立場にならねばならぬなら、ガリレイは天文学主義者でなければなるまい。
 身辺小説が何と云っても一等安易であるように、人間学主義は一等安易な――尤も荘重な身振りはするが――哲学である。人間の運命なるものが、もし観相学の対象であることに満足出来るならば、レーベンは「レーベンの哲学」の対象であることに満足も出来よう。自分が直接に自分に就いて語ること程、手軽なことはないだろう。唯物論は之に反して、一見主体でないものを通して主体を語ろうとする節度を持っている。そうしなければ主体の問題は少なくとも具体性に於ては解けないからだ。
 さて文学乃至芸術に於ける主体の問題、或いは一般に云えば唯物論による主体の問題は、どういう形で提出されるか。文学では主に主体即ち人間が素材となる。だが例えば建築で人間が素材になるということにどれ程の意味があるだろうか。ストライキや農民運動を素材にしなければプロレタリア文学にならぬということはあるまい。必要なのは素材ではなくて本当の意義に於けるテーマである。というのは芸術家自身の主体的な立場にあるのである。そして之が芸術に於ける主体の問題だということは事実一般に承認されている処だろう。一般的に唯物論に就いて云えば、芸術家のこの主体的な立場というものが、所謂実践と呼ばれているものに相当するのである。なぜなら作家なら作家の主体的な立場は、他ならぬ作家自身の実際生活の立場な筈であり、即ち彼の実践の舞台のことに他ならぬからだ。但しここで創作活動が作家の実践に他ならぬ、と云っただけでは、済まされないのであって、芸術に於ける実践、主体の問題は、芸術家としての社会人の問題ではなくて逆に、社会人としての芸術家の問題なのである。
 芸術が本当の芸術性を有つことは芸術が本当に社会性を、即ち本当の大衆性を、有つことだ。芸術的真理感(やや不正確だが之を美意識と呼んでもいいが)が元来社会的感情であることは、ギュイヨーさえが天才的に指摘している処だからである。而もギュイヨーはテーヌの客観主義自然主義に反対して芸術に於ける主体の問題を前面に押し出した批評家であった(尤も彼は主体の問題を天才の問題によってすり替えて了ったのだが)。芸術の価値はだから思想の価値に帰着するのであるが、併し思想の価値はそのシンギュラリティーにあるのでなくて正にその普遍性に、即ちその社会的生命にあるのである。独創性乃至個性というのはこの普遍性乃至社会性の主体的な獲得の高度を示すものに他ならない。だから芸術に於ける主体の問題、芸術家の主観的な立場の問題は、この社会的真理を持った思想を、芸術的に、如何に主体化するかの問題なのだ。唯物論とか本格的なリアリズム(名前は何でもいいが社会主義リアリズムなどが夫だ)とかは、この主体化の大規模な方法を提供するのである。人間学などがこれに反して、どういう主体化の方法を提供するか、拝見したいものである。
 芸術に於ける思想の主体化によって、思想は初めて終局的に感覚化され具体化され活きた形態を与えられる。それによって芸術は芸術家の生活そのものの課題となり「自分の問題」となる。併し前に云ったように芸術家の生活とは社会人として芸術家の生活以外にあってはならないのだが。社会人としての芸術家の生活に於て初めて、道徳(モラル)というものが意味を受け取る。社会を遍歴しない安っぽいただの自己にとっては、モラルなどは沐猴にして冠するものだろう。モラルは客観的な歴史的社会を遍歴して自己に還るモーラリティーのこと以外にはないので、この気取ったフランス語に誤られてはならぬ。
 でつまり芸術に於ける唯物論的方法は、客観的な思想を主体的な道徳にまで、日常化すことだ。そこに主体の問題の最後のものが存する。事物の「必然性」からどうして「道徳」が導かれ得るかなどと云って唯物論を攻撃したと思っている人は、唯物論文学に於けるこの主体の問題が示している一群の事実を注目すべきだろう。
(一九三五・五)
 映画に就いて語る程私は映画を見ていないし又研究していない。私は要するに単純に面白いから慰安の積りで映画(無論大部分がブルジョア外国発声映画)を見るのだ。どこが一等面白いかというと興味の中心はどうしても動作にあるように思う。動作にだって絵画的写真的効果や戯曲的劇的乃至文学的効果や又音楽的オペラ的効果は付き物だが、動作そのものから興味が発生するのが映画に特有な効果である。何か文学的イデーが与えられていて、それをどう適切に解釈して、動作に表わすかというようなお芝居が問題ではなくて、動作そのものから問題が発生するという処に、映画特有の興味の根拠があるようである。性格一つ現われるにも、性格が動作に現われるというよりも専ら動作によって性格全体が決められるようにさえ見える処が、映画特有の感覚主義である。私はこの感覚主義の故に最も映画が好きなのである。
 だから私はドイツ式の「悲劇」映画やフランス式の「文学」映画や又アメリカ式の発声映画のための「音楽」映画から、却って何か身につかないインチキなものをさえ感じる。それは折角の動作の感覚主義を中心にしていないからだ。そう考えて見ると映画は殆んど全くスポーツと同じ性質を、この点では持っているわけで、現今スポーツとキネマとが並べられるのは甚だ尤もなことでなくてはならぬ。ステージ・ダンスは約束通り身体を動かすので、そしてこの約束は単純に身体や衣服の力学を参考にするだけだからそれ以上のリアリティーはない。処が、スポーツになると情況、チャンスなどのリアリティーが這入って来るのであるが、丁度その程度のリアリティーを映画の中心である動作はこの場合有っている。チャンバラが人気あるのも、必ずしも封建的イデオロギーや何かが直接原因ではなくて、直接には却って夫が映画の一種のスポーツ性に該当しているからなのだ。

 併し野球の勝敗に実際は何等の社会的意義がないように(早稲田が勝とうが慶応が勝とうがこの社会の階級対立がどうなるというのか)、映画の今いった限りの動作のスポーツ味が有っているリアリティーには、何等の社会的リアリティーもない。だから時代離れのしたチャンバラでも結構面白く見られるわけであって、之は外国の女優や男の俳優の動作に見られる単純な美しさや単純なキビの好さと、その本質を異にするものではない。
 処が実際映画に現われる動作は決してこんな単純な意味を持っただけの動作ではないのである。映画の面白さを決定するもう一つの大事な要素は、夫が現実の世界を可なり忠実に写し出せるという特権にある。芝居のように抽象的な背景で動作の行動半径の小さな処で、限られた動作だけを抽象的に選択してやるのではないから、映画は特有な当然らしい真実感を与えることが出来る。所謂実写に限らず、現在の吾々が現に眼に見ている現実の社会条件が、そのままスクリーンに現われる。旧劇芝居のような密封した別世界ではなくて、自然的にも社会的にも歴史的にも、映画館の外と殆んど少しも変らない世界の内で、空想的効果を挙げる事の出来るというのが、映画の感覚的な面白さの重大点である。
 この間銀座で「モロッコ」を初めて見たが(今頃初めて見たのかと軽蔑する勿れ)、外へ出ると映画館前に停ったバスの中からディートリヒそっくりの女が続々現われるのに私は却ってビックリして了った位いである。吾々級以上の映画ファンがなぜ旧劇物よりも現代の物を好むかはこれで判ると思うが、それならば、外国物よりも日本物の方が良さそうな筈ではないかというかも知れないが、併し遺憾ながら日本物は映画に折角大事な動作(モーション)が発達しておらず、それに外国の背景が出て来ると動作の行動半径が拡大されたような錯覚(実写的興味と結合したエキゾティシズムともいうべき)を伴うものであるらしい。

 映画のこの現実感はスポーツに準じるさっきの単なるリアリティーとは異って、本当のリアリティー、現実世界のリアリティーである。之はごく感覚的な形で現われてはいるが、社会的リアリティーなのである。それであるからスクリーン上の感覚はすぐ様街頭においてそのまま応用されることが出来る。この時、映画の興味の源泉である動作は、もはやただの肉体の運動ではないので、風俗という資格を有って来るのである。風俗、夫は社会的道徳の感覚的な出発点のことだ。電車の内でよろけたり躓いたりしないことが、現代風俗における行儀作法なので、それには多分スマートな行動感覚の教育が必要だろう(茶の湯の席で坐っていてもしびれを切らさない教育が必要であるのと同じ意味において)。映画が社会的リアリティー乃至社会道徳としての風俗から出発するという判り切った事実がこれに他ならない。
 処で映画に特有なユーモアがある。話しや活字のテンポを辿っているのでは立ち消えになる種類のユーモアがある。之は今いった社会的リアリティーを想定して、夫とのコントラストを特に動作によって表わしたものに他ならない。こうやって映画は社会的リアリティーの内における動作というものの位置を、観客に得意になって指摘して見せるのだ。それが映画的効果を挙げるのに何より確実な道であるのは前から云っている処から当然である。だから映画にユーモアはつきものとなるのである。処で映画はその動作の選択と背景や情況の選択とが非常に自由で奔放であり得るから、自然とこのユーモアをマッシヴにモリモリと過剰にすることが出来る。そうすれば一層動作に基く得意な映画的興味を強調することになるだろう。ナンセンス映画の存在理由が之だ。
 ナンセンスとは一種の社会道徳的アナーキズムに他ならないので、実は却って社会的道徳乃至リアリティー(風俗)を条件として初めて成立する。映画に固有な長所であるエロティシズムも之と全く同じで、本当らしく見えるシチュエーションにおかれなければ、本当のエロティシズムは決して成り立たないし(トロヤ戦争のヘレンは時代的錯覚なしにはエロティックとならぬ)、それから人も知る通り、エロティシズムは明らかに風俗(社会的リアリティー・社会道徳―風儀)とコントラストをなすもので、要するに風俗を害するものなのだ。だからエロティシズムは実は却って、風俗を想定した時に初めて成り立つのである。

 映画の興味は動作から発生する。即ち夫は社会的現実に、社会的道徳に、風俗に、立脚し、それから出発する。之が映画の感覚主義的特性なのである。さてそこから出発するとして、それからどこへ行くのか、それは容易には判らない、恐らく行きつくべき目的地はないのだろう。だが少なくとも映画はこの非目的論的な性質にとって、時代の現実を、風俗を、道徳を、分析し解体して行くだろう。
 ブルジョア映画の代表的なものが、ブルジョア社会の感覚的表現であるブルジョア道徳を解体して行くということは、非常に興味のある必然事だと云わねばなるまい。私がブルジョア外国映画を好む原因は、思うにここにあるのかも知れない。一見オッチョコチョイなアメリカニズム・モダーニズム映画もそう考えれば純芸術的映画よりも遙かに批判的な哲学者だということになる。
 だが、之だけではどうにもならぬ、次にくる問題はソヴェート映画が多分解決することと思う。
(一九三四・八)
 小林秀雄(以下面倒だから「氏」を省く)は少なくとも私にとっては最も魅力のある文芸批評家である。彼はまことにユニックな批評の技術を持っているように見える。尤も小林の真似をすることは、実は非常にやさしいことで、意識的無意識的に彼を真似している文芸批評家や文芸批評家の候補者の数は甚だ多いと思うが、真似をして小林と一致した点では勿論小林自身のものに較べて劣っているわけだし、それから多少でも小林からそれた処では小林だけの目立った独自性を示すことが出来ないから、結局多数の小林秀雄がいるにも拘らず、矢張り彼自身はユニックな存在だという気持がするのである。
 無論之は気持で、そして特に私自身の気持ちなのだから、本当に小林がユニックか、それともユニックでなくて実は単にアクセントのついた訛りのある凡クラであるに過ぎないかは、私のこの気持とは別なわけだが、併しそうした気持を起こさせる原因がまず第一に問題である。
 文学青年や文芸崇拝者達は小林のどこに最も感心するだろうか。彼が真摯で深刻でありそうに見える点にか。もしそうだと云うなら多分夫は真赤な嘘なのである。小林に感心する種類の人間は決して真摯とか深刻とかいうものを、或いは少なくともそういう言葉を、尊重している人間ではあり得ない。では彼のシニズムか、又ニヒリズムか。夫が小林の文学者らしいヒロイズムや煙草の煙と共に呼吸する世界征服感を意味する限り、或いはそうかも知れない。だがそうなら、この種の読者が感心する箇処は、正に他のものではなくて「文学」のこうした英雄行為にあるのであって、即ち小林が感心される点は、彼が如何なる批評家であるかにあるのではなく、彼が如何に最も「文芸的」な文芸批評家であるかという処に横たわっていることになる。
 ただ「文芸的」と云っても判らないかも知れない。どういうことが、又はどういう点が、文芸的なのかと聞かれるだろう。小林の好むパラドックス(逆説)なるものが、この文芸的偏執の何よりの症状なのである。で文学崇拝者は小林秀雄のパラドックスが気になり、羨しくて仕方がないのである。羨しく気になるということは、すでに夫を是認し尊重し、恐れてさえいる証拠だ。これが小林秀雄の文芸評論――或いはもっと正確に云えば文芸主義的評論――の文学青年に対する魅力なのである。
 一種の文学青年であるかも知れない私が、小林の批評に魅力を感じるのも、或いは矢張りこのパラドックスにあるかも知れない。ただ私には(小林式に云い表わせば)、パラドックス自身のパラドックスが問題になるのであって、この興味から云えば小林のパラドックスがパラドックスの資格を持っているかどうかを元来怪しむものだ。なぜなら彼のパラドックスは、事実や真実のパラドックスであるような顔をしていながら、実に単にレトリックの上の一形式に過ぎないのだということを暴露しているからである。
 で私が小林に魅力を感じるのは、実は彼のパラドックスではなくて、パラドックシカルな彼のレトリックなのである(レトリックは修辞法などと訳せば尤もらしいけれども、中学校でやる作文のことだ。但し相手を見て、態度を決めるというアリストテレス風のレトリック――人間学の始まりが之だ――も、小林にはあるので、それは後で触れよう)。なぜなら見給え。ああパラドックスをやたらに無節度にベタベタと並列させられては要するに凡てのパラドックスが平均されて了って、何等のパラドックシカルな運動も発生しはしないではないか。彼の過剰なパラドックスは、だから、殆んど全く対句と同様な資格で使われているに過ぎないのである。
 「無秩序は当然秩序への希望を生む。だがこの希願をもった人が必ずしも無秩序を真に諒解しているとは限らない。」之はまだ割合対句臭くない逆説だ。併し「社会的立場から小説を読んで、左翼であるか右翼であるかばかりしか見えぬならば、読まぬ方がましである。文学的立場から小説を読んで心理派か理知派かと心配になる様なら、読むだけ無益である」、等々其の他殆んど一切の文章。――私が魅力を感じるのは、つまり彼の俗にいう達者なおしゃべりだったわけである。
 彼の評論の内容は仲々達者であり又ユニックでもある。だが彼の達者なおしゃべりが、達者でユニックな筈の彼の評論内容を、一種不健康で退屈なものにして了う。文章に凝っているらしい彼の文章は、パラドックスのダシガラのやや非審美的な単調な反覆としてしか現われない。磨かれたガラクタ、と云ったようなものが彼のパラドックシカルなおしゃべりの客観的効果なのである。こうしたノッペリとしたおしゃべり屋は、無論小林秀雄だけではない。小林のには洗練されたベランメイが装置されているだけに少しは苦み走って見えるのが取柄だろう。
 彼のおしゃべりは彼の文筆活動が多産だからではない、そのしゃべり方がおしゃべりなのである。彼は時々眼を据えて、眼を洞ろにしてしゃべっている。時々何をしゃべっているのか恐らく彼自身にも判らないらしいことがある。だがすぐその後では、気を確かに持ち直して、理知的にウィットフルにしゃべり直す。ここが彼の結局に於て健全な点で、Ideenfl※(ダイエレシス付きU小文字)chtig[#「Ideenfl※(ダイエレシス付きU小文字)chtig」は底本では「Ideefl※(ダイエレシス付きU小文字)chtig」](観念狂奔)ではない点である。つまり彼は或る一面に於ては却って、非常に営養が良くて健康なために、ああもおしゃべりが出来るのであって、一遍でいいことを何遍も何遍もしゃべる不経済を不経済とは思わないのである。そこで読者は「之はたまらん」と思うだろう。初めは圧倒された気持で、次には可なり安心して敬遠する意味で。

 併し小林秀雄はなぜそんなにおしゃべりをしなければならないのか。次々にしゃべらなければならないように、彼の観念がムクムクと湧いて来るのか。立て続けにしゃべらなければならぬ程の思想内容が充満漲溢しているからか。併し彼の思想内容は、後に見るように寧ろ乏しい源泉のもので、その乏しい内容を何遍も何遍も違った色のコップに盛って見せるのに他ならなかった。充満漲溢しているのは単に彼の言語影像(彼の言葉を借りるなら)に過ぎない。で寧ろ彼がおしゃべりであるのは、自分の思想内容の源泉を汲み惜しみするからだと考えられないことはない。実際井戸を何遍も根本的に掘り直して見るだけの「方法論」的な覚悟がなければ、井戸の水というものはすぐ干上って了うだろう。処が彼には方法というものの一般に有っている機械力がどうしても呑み込めないのである。
 (或る人が小林を批評して、流石の小林氏もモダーニズムにぶつかると手も足も出ないというような意味のことを云っていたが、その意味は私にはよく判らなかった。けれども、とに角、彼には所謂幾何学的精神と繊細な精神はあっても、工学的精神は至極鈍感だということがハッキリ見受けられる。)
 だが、解釈はやや穿ち過ぎているかも知れないが、彼のおしゃべりの必要はある種の不安から来ていると見られはしないだろうか。自分の思想内容の乏しいことに不安を感じているのでないことは併し、彼の彼自身に対する自信に充ちた而も大して無理のないポーズから判定することが出来ると思うが、その同じ無理のない自信家が、自分というもの以外の外の世界に向かうと、甚だ自信のない而も無理だらけの「自信家」となって現われる。彼を不安にし饒舌にしているものは、彼が外界に対して持つ一種の恐怖ではないかと思われる。
 この説明は併し全く色々のものを含んでいる。第一は他人に対する、第二は外界の事物に対する、恐れだ。まず第一の方から述べよう。
 試みに次のような一人の爺父を想像して見給え。彼は神聖な集会の場所で必要もないのに神聖を冒涜するような言動を自発的にやってのける。そして自分で勝手に悪く興奮しておきながら、興奮のはけ口をその場にい合せた相手に求める、そこで遂に相手とはしたない喧嘩を始める。これは爺父が他人を恐れるからである。小林秀雄をこうした道化役者に見立てることは必ずしも当っていないとは思うが、併し彼の内に何かこの種類の道化役者をピンと感じない読者は、案外少ないのではないだろうか。なる程小林は殆んど凡ての意図を一応かなり公平に無私に理解出来る理知的な文芸批評家だから、他人と喧嘩すべく無意味な興奮にかられるような心配はまずないが、それでも少なくとも私は、何かに向かって吠えている彼を至る処に、顕著に見出す、之は私の錯覚ではないだろう。尤も吠えつかない批評家程無用なものはないが、小林の場合はそれが何かの恐怖に対する反作用として現われているのである。
 彼自身に向かって吠えているのでないことは前に云った通りだが、更に又彼にあやかろうとしている文学青年達其の他の者に向かって吠えているのではないことも当然である。彼が吠えついている相手は一般に云えば俗物大衆である。平常な常識の所有者なのである。彼によると最もクダラない純粋文学と雖も最も立派な大衆小説さえ足下にも及ばない程有用なものなのである。無論併しこの愚劣な大衆小説はとに角として、俗物大衆自身は小林に対しては何の実際上の交渉があるわけではないから、この貴族は本当は一般の俗物大衆を相手にして吠え立てているのではない。彼の相手は、いつでもそうだが、専ら文学上の、文芸的な、俗物なのである。彼はどうもこの文学上の俗物の典型を、マルクス主義文学者の内に見出すらしい。
 「ここに文学と政治の問題が起こった。文学的価値と政治的価値、この数年来凡そ喧騒を極め、凡そ無意味な問題は、遂に文学と政治との弁証法的統一という処に落ち着いたらしい。弁証法という字は実に深刻な字であるらしい。
 「では文学と政治との弁証法的統一とは作家が一日に七回も委員会に出席しなければならぬ事なのか。己れの育った環境を忘れ(清算という字を使っているが、わざわざ別な云い方をする必要は何処にもない)、修養を忘れ、才能すらも忘れて、最も不得意な題材を掴んで制作する事なのか。……」
 まだまだあるが略すとして、こう云った良い気持の調子の饒舌から、心ある読者は卓越した文芸評論家小林の盲人蛇におじぬ態度か、或いは逃げ腰になっている遠吠えか、それでなければカフェーに於ける不良少年の気焔みたいなものかを、読み取るだろう。ここでも必要なのは認識なる哉だ。併し小林はマルクス主義の「良い処」はチャンと判っているのだそうだから、このおしゃべりは愈々悪質なのである。――小林が自分に関係もない俗物大衆を、あんなに目の敵にしなければならないメカニズムはこれでわかるだろう。彼は客観的に見ると(彼の身勝手な主観などはどうでもいい)、伊達に貴族振っているのではない。無論彼が江戸ッ子だからなどでもない。

 だがこのおしゃべりを彼は主に誰に聞かせる心算だろうか。併しそれはとに角として彼は一体どういうことをしゃべっているのか。彼は他人に対する恐れをしゃべるばかりではない、それにはもっと根拠があるので、彼は何よりも客観的な物質界を恐れているのだ。
 彼はヒョットすると哲学者であるかも知れない、併し何よりも先に彼は文学者なのだ。だから彼の世界は言葉に密接に関わり合う世界である。言葉は夫々「影像」(イメージ)を持っている。それが「心理的影像」と「論理的影像」との媒介者である。処で影像というのは何かと思うと、どういう理由からか判らないが彼が最も尊敬しているフランスの偉い哲学的文学者や文学的哲学者達が、更に又尊敬しているデカルトの、イマギナチオ(imaginatio)(観念)から来るらしい。そこで彼はこれをもじって、影像(image)から想像ソーゾー(imagination)を導き出し、それから駄洒落で「創造ソーゾー」を導き出す。即ち影像することは創造することであるというわけだ。文学は影像(但し無論幻想ではない)によって、観念によって創造される。処で小林によると文学が即ち生活なのだから、生活は観念によって創造されるということになる。なる程想像ソーゾーの上ではどんな生活だって創造ソーゾーされるだろう。
 之は彼の例のパラドックシカルな洒落ではないので彼の哲学であり論理なのである。尤も影像の直観性を愛する彼は概念や理論を心から憎んでいるらしいが、こんなことは全く退屈なトルイズムで、併しそんなに無意味で無用なものであるべき概念や理論が、あれほど世間の人々に気に入っている以上、世間の奴等は一人々々徹底的に馬鹿で、小林秀雄一人が物が判っていることになるが、之はどうしたものだろう。概念や理論が例の直観的な影像なるものの外になぜ必要かということは、之又もう一つのトルイズムだが、之に対しては彼は何等の渡りをつけていないようだ。彼は概念や理論に就いての影像を少しも正確に持てないらしい。影像に就いての影像しか持てないらしい。困った哲学である。
 概念や理論はどうでもいいかも知れないが、之によってしか把握されない客観的世界が人間というものには大切なのだ。ただのプロセスである心理や論理が必要なのではなくて、客観的世界のプロセスが必要なのだ。そこにこそ初めて論理も真理もある。そんなことの判らない小林でもあるまい。併し小林にとって大事なのは彼自身で、而も特に彼のイメージの世界「夢」の世界が、この高価な金魚にとっての金魚鉢なのである。客観的世界はどうでもいい、それには金魚鉢のガラス越しのパースペクティブで沢山だ。真実や実在は自己自身の内にだけ横たわる。歴史と云い伝統といい、社会と云い、政治と云い、自然と云い、彼によれば権威力を欠いたただの紙上のパースペクティブに過ぎない。
 個人主義などというイズムは小林には迷惑だろう、金魚にとっては金魚などという概念は迷惑だろうと同じに、自分だけが問題である者にとっては無論個人主義などはなり立たない。まして小林一流の形に於ける個人主義が、小ブルジョア的・乃至半封建小ブルジョア的・な「文壇」インテリの社会ファシスト的分子を代表する処の、イデオロギーであるとかないとかいうことは、凡そ「無意味」で「喧騒を極めた」ものにしか過ぎないだろう。自分の糧はさし当り水だ。金魚鉢が鴨居につるされようと机の上に置かれようと、どうでもいいではないか。
 この怠慢で鈍感な影像力・想像力は、本当は回り道をすることは大嫌いで、客観的なリアリティーは云うまでもなく、主体的なリアリティーさえ通過することは億劫である。そこでその代りになりそうな併し最も安易な道を選べば、夫が小林式パラドックスとなる。彼の内容の乏しい形式主義的内容は、実在が、客観的な物質界が、恐ろしいのだ。そこで彼はこの不安を打ち消すためにノベツにしゃべり立てなくてはならぬ。無論言語影像の世界のことだからどんなおしゃべりを創造するのも自由自在である。このおしゃべりの魔法の笛が恰も彼の例の逆説で、彼の嘆美者はこの笛につられてしゃべり出したり、踊り出しさえしたりするのである。
 私はパラドックスがいけないというのではない。小林自身が云っているように、柔軟な真実自身がパラドックシカルだとすれば評論家にはパラドックスは絶対的に必要なわけだ。問題はパラドックスの用途にあるのである。第一彼にとってはパラドックスは「眩暈」としてしか影像されない。世の中の馬鹿者共はこの眩暈でフラフラしている。そこで自分がこの眩暈を定着してやる。これが彼のパラドックスによる文芸批評の機能である。「人の心は問題の解決をいつも追っているのかも知れぬが、矛盾の解決によって問題を解決しようとは必ずしも希ってはいない。生活意欲というものは寧ろ問題を矛盾したまま会得しようと希っているし、事実日々実行している。この根強い希いが芸術を生み、これを諒解する。」
 眩暈のこうした定着の仕方が彼のパラドックスの意味である。だがこうした問題「解決」にどれだけ芸術のシンセリティーというものがあるのか、私は信用出来ない。まして生活のシンセリティーをやである。これは彼のパラドックス自身にシンセリティーが案外乏しいのでも判ろう。彼の逆説が屡々理に落ちる所以である。――パラドックスでうまく行かなければ、弁証法ではどうか。併し小林は、それが気が利いている限り、弁証法だって構わないと云うだろう。だが本物では御免蒙る、唯物弁証法だって※(疑問符感嘆符、1-8-77) 何だい野暮くさい※(感嘆符二つ、1-8-75)
 柔軟な真実自身が逆説だ。よろしい、では何が真実自身か。それは取りも直さず文芸評論家小林秀雄自身である。「私の態度の裏の真に逆説的なものは、逆説的態度と率直な態度とが、私には全く同じ事を意味するという点である。」だから小林のパラドックスはパラドックスではなくてただのおしゃべりだと云ったのである。率直に云っても云える筈の逆説でしかないのだ。そんな逆説などありはしない。事逆説の逆説に関する場合は、もっと慎重である必要がある。
 彼のおしゃべりが彼が恐れる処から来ると云った。実際彼は盛んに自分に就いておしゃべりをするばかりではなく、甚だ屡々自己弁解をさえやっている。それは彼の世界征服があまり成功しないと感じた時であり、同時に彼が居直る時でもある。「僕は何よりも先ず自分の意識を大事にして来た男だから、今それが手がつけられない程無秩序な有様になっている事をよく知っている。その有害無益な複雑さも、非生産的な精巧さも、逆説的な欺瞞も、詐術もその陶酔も幻滅も眼のとどく限り知悉している。」が「少なくとも私などは丁度物事を不必要に複雑化して眺めたい様な年頃にあるのではないかとは自分で思っている」(之は一九三三年の文章である――戸坂)。だが彼は近頃よく考えるそうである、「今迄自分の書いたものから、誇張というものを除き去ったら、一体何が残るか」と。おしゃべりと逆説とを除いたら何が残るかというのである。小林秀雄はなくなるかも知れぬ、併し小林が世界征服をした世界は、彼による征服如何に関係なく残るだろうから、吾々は心配しなくてもいい。
 併しこうした告白一般が元来パラドックシカルなものなので、真剣の証拠にもなれば真剣でないことの証拠にもなることが出来る。小林はこの処非常に人間学的なレトリックを心得ている。だが彼が真剣であってもなくても、とに角彼の評論には徹頭徹尾自己弁解(小林ではないが――自己批判という字を使っているが「わざわざ別な云い方をする必要は何処にもない」)が用意周到に裏づけられているから、彼のおしゃべりには容易に嘴を入れることが出来ないように見える。小林秀雄の文芸評論に歯の立たない理由が之である。
 弁証法で行くべき処を逆説で行こうとする。なぜかと云えば唯物論(之がやがて本当のリアリズムになるが)のない所には弁証法は必ずしも必然ではないからである。だが逆説の解決こそ他ならぬ弁証法だということは、あまり哲学上常識的で平俗で普通向きなので、小林秀雄に奨めるには不適当かと思う。
 悪口みたいなことになったが、誤解や無理解を別にして、心がけから云えば随分同情のある批判をした積りだ。宮本顕治の小林秀雄論(『改造』昭和六年十二月)は、そういう意味でも、仲々いい批評だったと思う。

 小林秀雄論で紙数を費して了ったが、実は少なくとも谷川徹三と森山啓とを批評したいと考えていたのである(以下「氏」を省く)。この三人を選んだ理由は大体見当のつくことと思うが、谷川と小林とはブルジョア文芸に於ける代表的な而も好一対な文芸評論家だと思ったからであり、森山啓は今日身体の自由なマルクス主義的文芸評論家の随一だと思ったからである。無論日に日に節度のある進歩をすることが特色であるマルクス主義的批評界では、現役でないと取り上げ悪い点があるのである。
 谷川徹三が小林秀雄に対して著しく対比をなして現われる外見は、まず第一に小林に較べてずっと社会的な政治的な又世俗的な関心を持っているという点である。之は年齢のせいでもあるが、一つには谷川が哲学の出身であり、小林が文芸の専門であることに由来する。というのはそれだけ谷川は生活の意識が広く物の判りがいいということにもなる。彼にとっては文学(文芸)が必ずしも生活――「生の哲学」――の凡てではない、文学は生活の一つのあり得べき、併し恐らく最も普遍人間的な一部分であって、事実彼が最も興味を持っているものが文学だからと云って、文学が興味の凡てではない。
 文芸と並んで哲学は素より、政治家の生活や実業家の意識にも注意を払うし、陶器や美味求真、ダンス、スキー、アイススケートなど、凡そ色々な意味で趣味と名のつくものに就いても、彼は大胆な又内気な実験家である。彼が自らディレッタントを以て任じるのも(之については後で)、文学主義者から(多分文学上の)シンセリティーがないと云われるのも、ここから出て来る。
 この頃屡々問題になっている生活意欲の問題になるのだが、弱々しそうで案外旺盛な彼の生活意欲は、彼の趣味意識に、即ち彼の貴族性に、独特な特色を与えているのである。と云うのは、彼は云わば下情に通じた趣味人なのである。否、もはや趣味人とは云いにくい程度に原始的な感能人であって、彼に於ては趣味はモードとしてではなく原始的な感能として行き渡る。彼が食い意地が張っていて、どんな下等なものでもうまそうに貪るのを見ることは、彼独特の貴族的生活態度全体を象徴する処の一種異様な光景だという話しだ。この点、他の人に於てはそうは云えないかも知れないが、少なくとも彼に於ては、彼の世俗的なものへの関心につながるものがあるのであって、殆んど凡ゆるものに対する彼の自由主義者的態度、云わゆる良き享受者としての彼の態度には、割合好き嫌いをしない彼の肉体的食欲が案外根柢となっているかも知れない。
 小林を逆説的饒舌家として、極めて常識的に規定したが、谷川は一種の享受者として特色づけられるべきである。予め云っておくが、逆説的饒舌家が遂に批評家ではなかったように、単なる一種の享受家も亦決して充分な批評家ではあり得ないのだ。
 事実上良い享受家である彼は一応殆んどあらゆるものに夫々可なり行きとどいた同情ある「人間的な」理解が持てる。無論自然科学とか経済学とかいう特殊の技能上の訓練の要るものは別だが、普通の常識で或る程度まで行ける対象に就いては、その常識をある限度まで突き破って、観照する能力を、彼は持っている。だが之だけならば彼は全くただの常識的な享受家なわけだが、彼が一種の享受家である所以は、この享受がいつでも何か多少纏った原則の下に、反作用的にポツポツと吐瀉される点にあるのである。そうしてこの吐瀉物が主にエッセイの形をとった文芸や哲学の断片として、彼の「文芸評論」を造り上げるわけである。ここで初めてこの享受家は評論家のタイトルを受け取る。
 何かの原則がなければ、享受は何等の意味でも批評へは転化しないのだが、その原理を最近彼はディレッタンティズムの内に発見したようである。それは人間的享受の各専門領域を統一する統一原則のことだ。世間では谷川をアカデミシャンにもジャーナリストにも数える。いずれも充分に当っていないと私は思うので、寧ろ彼自身の命名法ディレッタンティズムの方が好いだろう。だがアカデミシャニズムとジャーナリズムと更に又ディレッタンティズムとの云いたい処をよせ集めると、丁度アンシークロペディストという概念になると思うが、寧ろこの方が適当ではないかと思う。――彼はアンシークロペディストとしての享受家だ。
 良い享受家としてのアンシークロペディストである彼から結果する事は、判断の公平という外見上の特色である。否その判断に於ける云わば公平主義とも云うべきものなのである。彼はそこで、非常に甘い判断を下す人間だと世間から考えられているようだ。或いは一歩進んで、良い点だけに眼をつけて弱点や難点は見て見ぬ振りして通り抜ける無責任なお世辞屋だとさえ考えているものがいるようである。だが今云っている範囲では、谷川は決して判断が甘くはない。寧ろ良いものと悪いものとの判断――趣味判断の様式に於てだが――は可なり峻厳だとさえ云えるだろう。そうなければ事実享受も出来ない筈だ。お世辞屋にさえ見えるのは、彼の判断が趣味判断に止まっていて、批判的な(即ち又科学的な)判断を下さないことから来るに過ぎない。彼が人間の思想の内容を第一にその人の文章のスタイルで判定することにしているらしいなどがその一例だ。
 無論彼であってもいつも趣味判断ばかり下していることは出来ない。趣味判断を一歩でも実際に前進させようとすればすぐ様それは識別の党派性を強化する批判的判断にならざるを得ない。ただこの際にも谷川は判断を出来る限り一般的な従って又消極的なものに限定する心掛けを忘れない。そうでないと多分自分の享受の楽しみが妨げられるのだろう。彼は実際家のようには、判断を前進の意識された用具とするに忍びないらしい。判断は云わばそれ自身に価値があるのだ。それが趣味判断の特色だ。
 だがこの特色は政治的判断になると最も露骨にその欠陥を暴露する。政治は云うまでもなく実際生活の尤なるものだが、それには批判的判断が、批評が、本当の評論が必要なのだが、政治に来ると、この享受家は絶壁につき当る。尤も彼は非常に健全な常識の発達した実際家の要素は持っているらしいが、それもその全趣味生活の一要素とはなっても、批評家としての彼の内容にまでは育て上げられていない。で彼は批判的決定を下すことが出来るという意味での本来の意味での評論家ではないということになる。文芸評論に於ても云うまでもなくこの点に変りはないのであって、文章にしても枯れた骨のあるものだが、必要な爪牙や、圭角のある面圧を欠いている。或る人は多分この点を捉えようとしながら、谷川徹三にはシンセリティーが無いと書き立てた。この点では私も同意見だと云わねばならぬ。これは自由主義者の評論家としての共通な根本欠点を指すに過ぎないからだ。但し、谷川がディレッタント(即ち私に云わせればアンシークロペディスト)だからとか、又判断(即ち私に云わせれば趣味判断)が甘くてお世辞使いだから、とか云いたげな理由からなれば、それは理由にならないばかりか、そこでは却って谷川は非常に生活に対し真剣なのであって、文学主義者の生活に対する愛着の真剣さなどとは、そのスケールを異にしているかも知れない。
 谷川徹三の最も好む言葉の内に、内部外部というのがある(『内部と外部』という評論集もある)。ここで一々この二つの概念を検討している余地がもう無くなったが、大体想像はつくだろう。普遍人間的なものに対する、又文芸に対する、こうした二元論(乃至は多元論)は、全く彼の自由主義者的な「政治」理解の制限から来るのである。

 森山啓に就いて多少査べてあるのだが、余裕がないから割愛しなければならなくなった。森山啓の場合には、彼が個人的に持っているイデオロギーは大して問題ではないから、今の見方とはもう少し違った他の視角から見た方がいいかも知れない、という弁解もあるわけだが。
(一九三四・七)
 横光利一という作家は短日月の間に随分文学的な道のりを歩いた人だと云われている。だから彼を批評するにはつぶさにその道程に沿って歩いて見ることによって、彼が今や赴こうとしている方向を割り出さなければならぬ。と共に彼が一人の歩く作家として持っている独特の法則のようなものは、この全行程を通して、初めて手繰り出すことが出来るわけだ。
 処が私は今まで、少数の例外は別として殆んど横光利一なるものを読んだことがなかった。この文章を書くまでに読むことの出来たのは比較的最近の長篇が主であって(『紋章』『寝園』『時計』それから最初の長篇だという『上海』)、などその他若干の短篇に接することが出来ただけである。時間が無くて如何ともし難かったのだ。
 作品を読み較べて行く内に第一に感じたことは、大いに読み応えがあるにも拘らず、どれも大して私を感激させる種類のものではない、という点である。ウッカリ油断して読んで行くと追随出来ない行間に出会うのが常だが、その形に現われない充実したブランクな行間は、なる程読者をノッピキならぬ反省や検討に向かわせはするが、併しこの場合恐らく読者は、決して壮大なるものにブツカって打ちのめされたり圧倒されたりすることもなく、また思わぬ啓示や発見によって打ち振わされることもない。この達人(そう云っても今では通用すると思うが)の筆は、粒々たる工夫に充ちた併しあまりに非凡ではない処の筆なのである。その意味に於て彼は一種の(併し非凡な)アカデミシャンと云うべきだろう。彼の文学的名声の秘密の一つは確かにここにあると思う。彼にあやかろうとする者はまず大抵アカデミシャンと見ていい。
 彼がアカデミシャンである点は、他方に於て彼の理論癖にも亦現われている。彼程ムツかしい「哲理」を処々に挿む作家は少なくとも日本では珍しいだろう。と共に、彼ほど錯雑した形で所見を述べる癖のある評論家も少ない。読者の方にはまだ充分準備も出来ていないのに、卒然として神秘的なテーゼを持ち出して来る。『紋章』の初めの頃に出て来るインテリ久内の本質をなす不安に就いての講釈などがその例で、あとになれば意図は判って来るのだが、少なくともそれだけ久内という主人公(?)への感激は、正直な読者によって割引きされる。長篇『花花』には、「事実のみを真実と思う人々の迷信を破るがために創作という一科学が生れて来たのであるから、私たちの努力も創作を慥り事などと思う薄弱な知力の人々に向っての戦いであることを了解していただければ、私のみならず作家のすべての人々の満足なことにちがいないと思う」というような、説明的な序文が載っている。『書翰』という文章は一読に値いする内容のものだが、之は云うまでもなくこの『花花』の創作法の解説である。本質に於ては決してムツかしいものではなくて却ってよく判るものではあるのだが、とに角彼のテーゼには難解と云っていいような外貌か形態がつきものなのだ。之が却って一部の文学アカデミシャンの好みに適していることは見逃せない。
 尤もこの程度の抽象力は普通一般の書物の読者にも強制していいものであり、文学的素質の欠くべからざる部分なのだが、併し横光に於てこの抽象力があれ程露骨に現われねばならぬ処を見ると、彼の作品生産にはよほど意識的に抽出された或る何かの露骨な法則がなくてはならぬ、と読者は考えないわけには行かないだろう。私はそう思ってあれこれの作品に当って見たのである。処が夫はそう簡単には見つからない。
 一体彼はどういう対象に興味を持っているのだろうか。之は一見幼稚な着眼点であるように見えるかも知れない。例えばある作家が労働運動に興味を持っているか、それともブルジョア家庭の出来事に興味を持っているかということは、どういう題材を選ぶかという問題にしか過ぎないから、之で以て作家の特徴を見抜く手がかりを得ようなどとは単純すぎると考えられるかも知れない。だが吾々が生きているのはいつもこうした何か主題を帯びた実体を対象としてであって、この実体がなければ思想も世界観も源泉がなくなって了うのである。では横光はどういう実体に興味を持っているのか。
 『紋章』を読むと一等珍しく感じられるのは醸造業乃至農芸化学上の技術に就いての熱心な関心である。之だけ読んだ不案内な読者は、必ずここに横光の「問題」があるのだと即断するだろう。そしてなる程こういう技術的な興味は比較的初期の短篇『機械』にも現われている。処がすぐ前の『寝園』になると、そんな興味はおくびにも出ない。単純な読者はややガッカリするのである。共産党の女闘士が中心に出て来たり労働争議が取り扱われたりする(『上海』)、処が例えば『時計』では音楽に纏わる美人や青年しか出て来ない。どこに一体横光のねらっている独自の実体があるのか。
 横光にはそういう単純(?)な実体などはないのだ。又無いのが当り前なのだ。もしあったとしたら読者は感激したり興奮したりしなければならなくなるだろう。併し横光はそういう通俗さが目標ではない。そういう現実的な実体は必ずしもリアリティーではないからだ。アクチュアリティーとリアリティーとは別なのである。傾向やインテレストに束縛された不自由なこの現実をば、もっと一般的な自由な真実に還元し、現実を真実という括弧に入れて了うことが、文学なのだ。分析されるものは現実自身ではなくて真実という実験室のフラスコの内に収められる限りの現実の代用物に他ならない。だから現実の問題は横光の手にかかると、一種の試験問題のようなものになって了って、荘重な意義があるにも拘らず問題そのものとしてはお噺のような仮説的なおどけたものになるのである。例えば『紋章』の雁金という人物の持っている天才は、多分にそういうおどけた発揚の経歴を取る。あれは一つの性格としてリアリティーはあるが、ブルジョア社会に於ける一人の技術家としての現実を殆んど全く欠いている。
 「実体」が横光にとってどうでもよいということが判れば、横光のねらう処が「機能」にあるということになる。云わば物質とか力とかいう実体の代りに、空間とか時間とか作用とかいう機能が問題になるようなものだというのである。そこでこの機能=作用の問題になると、横光に初めて一定の法則が発見されるように思う。一種の機構が、メカニズムが、彼の文学の一般的なテーマであり対象なのである。と云うのは機械作用(メヒャニスムス)が、或いは更に関数関係が、横光文学の法則だと云えるように思われる。実体は何でもいい、内乱であろうが相場であろうが、狩猟であろうが技術であろうが、売笑婦であろうが上流家庭のマダムであろうが、構わない。必要なことはこうした実体が何等かの機械作用に於て一定の項として組み入れられることであり、或いはこの実体間の落着すべき関数関係乃至機能関係を見出すことだ。
 横光は好んで偶然とか必然とか、又常識とかを問題にする。それから当然なことだが弁証法や連続という問題にも触れている。だが横光では、之は一寸考えられるように、現実の事物の動きに注意を集中した結果出て来る問題ではない。寧ろこうした現実から「文学技術的」に抽き離されて機械作用の内に出て来るメカニズムの要素として初めて意識されているものに過ぎない。ここに偶然とか必然其の他というものの横光の範疇論の皮相さが結果するのだが、それと同時に、横光のこの機械主義が、いつしか文学技術そのものと不可離に結びついているような想定を呼び起こす点があるのである。つまりリアリティーのもつ機械作用や関数関係は、実は、云わば文学技術そのものを文学技術の対象にしたことに他ならないというような意味を持って来るので、文学技術が文学技術の食いものになっていると云ったようなこの特色が、取りも直さず横光のアカデミシャンらしい技法の色々の優れた諸結果を与えているのだとも見ることが出来る。
 横光に取って一般的な主題であるらしいこの機械作用は、色々の段階をなして展開されている。一体モダーニズムは機械作用の感覚への信頼に基くのであるが、もし嘗ての新感覚派がモダーニズムの先駆に数えられるならば、新感覚派時代の横光は、既にこの機械作用の感覚的な段階から出発したと見ていいだろうと思う。そして『上海』などでは、単に感覚的な表現が一見無意味なまでにも濫用されているばかりではなく、その全体のタッチから云って甚だしく映画的効果をさえ挙げていることを注意しなくてはならぬ。横光が機械的技術に往々特別な注意を払うことは知られている。処がこの技術に対する注意は社会に於ける生産機構からは比較的独立に切り離された裸の技術に帰着するように見える(夫は実体の代りにその単なる機能だけが大事だからだ)。こういう技術主義は云うまでもなく機械主義なのである。社会に向かっては社会現象の機械的な捉え方となって現われる。相場や物価の上下が横光の何より注意する社会現象のようだ(『上海』『思い出』其の他)。
 最近の横光の力強さはその独特のモーラリティーにある(知識人や不安の思想のモラルの見本のように云われている)。処がこの独特のモーラリティーはやがてこの一見非倫理的な機械関係乃至関数関係から発生するのである。
 「私はただ近づいて来る機械の鋭い先尖がじりじり私を狙っているのを感じるだけだ。誰かもう私に代って私を審いてくれ。私が何をして来たかそんなことを私に聞いたって私の知っていよう筈がないのだから」(『機械』)。こうやって機械が倫理的責任を負い始めるのである。この機械は云うまでもなく外部的な必然性だが、そこまで持って行かないと人間同志の間の機械関係乃至関数関係が、落ちつく処へ落ちつかないからである。人間同志の機械的な相克・拮抗の貸借対照表が、人間関係の関数関係乃至方程式が、そうしないとこの段階の横光には発見出来なかったのである。
 処が神様のようなこの外部的な機械は、横光の倫理(之は即ち人間的自由だ)が発育するに従って、段々内面的なモーラリティーに転化して来る。そしてここに例の世間で有名な自意識なるものが召し出される。問題になる自意識は大抵過剰な自意識で、実体的意欲を持った者の立場にとっては往々ナンセンスだが、併し自意識が機械の内面化した道徳的緊張力であることを見逃すことは出来ない。自意識とは道徳的機械作用を意味している。つまり不安動揺しながらそれにも拘らず絶対的に一定の方程式乃至関数関係を見出して安定しなければならぬ機械作用が、自意識なのだ。だからこの自意識とは均衡を終局の目標として努力する倫理のことに他ならぬ。均衡とは機械作用の道徳的理想だということが出来る。自意識の文学は、倫理上の均衡理論なのである。之は機械論の極致だ。
 横光の描く倫理が、如何に人間と人間との間の、夫は又従って夫々の人間の良心に於ける、取引きの均衡、公平無私に集中しているかを見るがいい。この道徳的均衡・公平無私を得るために、夫々の「私」なるものが自分に知らず知らず加える比重のプラスを捨て去り捨て去りしながら、そうした倫理的な反省のエネルギーを排泄し積らせる結果、自意識は病的に(プロレタリアなどなら吹き出す程滑稽に)過剰とならざるを得ないのである。擲られて初めて安心する男や、又計算し直して少し擲り返さねばならぬと思う男が、殆んど総ての人物の種類をつくしている。こういう過剰意識を整理するためには、作家はカントの意識一般のような「私」(『紋章』に於ける)や、四人称というような文学的な非人称判断(イムペルソナリエン)を工夫しなければならなくもなる。就中この公平な均衡を特に代表するフェヤ・プレーの選手が出て来る。それは善良か(雁金)、おどけているか(『機械』の主人)、聡明か(久内)、だということになっている。さっき仮定的な「機能」のおとぎ噺というようなことを云ったが、このフェヤ・プレーなるものは凡てのスポーツや勝負事がそうであるように仮定と一定の約束の上で初めて成り立つもので、このフェヤ・プレーから一種独特なユーモアを生じるのである(私がフト井伏鱒二を連想したのは出鱈目だろうか)。この明朗さを見ると、横光の所謂自意識は必ずしも例のインテリの不安とか困惑とかに就いての悲壮な悲劇の舞台とばかりは云えない。能動精神というのはこういうことを云うのかも知れぬと思う。
 さてここまで来ると、横光の文学に於ける法則がやや形を捉えられるのではないだろうか。と云うのは、この均衡理論から一つの倫理法則がいやでも出て来るからだ。静止の道徳が夫である。この道徳律は不動心とでもいうべきものだろう。外界のアフェクションから独立することがその意味だ。処でここから横光の、否インテリゲンチャの、自由が導き出される。「自由というのは自分の感情と思想とを独立させて冷然と眺めることの出来る濶達自在な精神なんだ。」読者は機械論から、一体どういう種類の自由の観念と、どういう種類の自由主義とが必然的に結果したかを見ねばならぬ。何と静寂な自由と自由主義とだろう。横光自身の言葉を横から借りるが、「これは体臭という一番安手な魔薬でもって真実を見る眼を失わしめるにもっとも好都合な初歩の手です。」そういうのを私は嘗て文学的自由主義と呼んだのである。元来之は哲学的乃至倫理学的自由主義なのだが、夫が一等文学に気に入っているらしいからこう呼んだのである。とに角こういう機械的な均衡式な自由は、実体的な自由ではない。之では「身辺」さえが自由にならぬ。
 この均衡論的な自由は云うまでもなく公平無私でなくてはならぬ。「雁金君なんかは僕にとっちゃたしかに敵だが、敵なればこそあの人の行動は、僕に誰よりも自由という精神を強く教えてくれたのだ。」これは一般に自由主義者の倫理であって、人間的真理を確かに持っているが、併し之で例の自意識は一体安心する積りなのだろうか。私は自意識なるものが、もう少し実体的な自由と、それに結びついて実体的な公平無私とに就いて、自己反省の能動性を持たんことを希望せざるを得ない。適当な言葉がないと考える必要はない。物を実体的に考えて決して単に機能的にだけは考えようとしない唯物論(横光はマルクス主義を実証主義と呼んでいるがそこから飛んでもない間違いが出て来ているようだ)には、この実体的な公平無私を云い現わすのに、党派性という皮肉な言葉もあるのだから。
 『上海』や『紋章』を読むと、民族や人種や血統の高貴と云ったような問題にぶつかる。之は日本精神や日本文化の強調につながっているのである。併し之も亦例の均衡理論と無縁ではない。均衡論の止の道徳は、遂に茶の湯の真髄に徹せよということになる。云うまでもなく之は日本文化の絶頂だと説明されている。――私のようなものも茶の湯の世界の「好さ」を理解し得ないのではない。だが決して之に感激は出来ないのである。この点が横光利一(に限らぬ)の心境と私などとを絶対的に区別する。私はこの点到底我慢が出来ぬ。之はただの趣味の問題ではない。
(一九三五・六)

第三部




 かつて私は常識とは何かということに就いて分析を試みたことがある(拙著『日本イデオロギー論』〔前出〕)。最も重大な要点は、今でもその時と同じ点にあると考えられるのだが、多少の補正をしながら、再分析を加えて見たい。というのは、常識ほど今日人を迷わせている問題はないように思われるので、多くの文学者達に云わせると、常識的であることは文学(乃至生活)の最大恥辱であり、而も超常識的を標榜するものこそが却って常識的な場合が多い、というのである(例えば萩原朔太郎)。処が他方に於て、一種の評論家や一種の社会人に云わせると、そうした常識超越論ほど非常識なものはなく、常識のない処には何等の現実味もないのだ、というのである。
 こうなって来ると、もはや議論は纏りっこはないので、同じ常識が、常識であるが故に悪いかと思うと、常識であるが故に善いのだという。こういう矛盾をどう解くかについては併し、あまり理論的な努力が払われていない。夫は不思議なようなことだが本当だ。吾々はこのこんがらがりを多少でもほごす義務があるのではないか。単に常識をけなしたり単に常識を振りまわしたりするだけでは、話は片がつかないだろう。
 本当を云うと、常識(コモンセンス又はボンサンス)というものの歴史的発展を辿ることが、問題の一等正確な解決を与えるわけだが、処が、抑々常識というものが大体に於てさえ何であるかがまるで見当がついていないのだから、その歴史的発展というものも甚だ手頼りないものなのである。尤も予め多少の見込みをつけた上で、その歴史的発展を辿ることは出来なくはないが、今はその場所ではない(この点については前掲著書参照)。
 で便宜上簡単にするために、常識に就いての最も常識的(?)な観念の二つのタイプを、まず対比させて見るのがいいだろう。一等素朴な観念は、常識を科学的又は学術的知識に対立させる処のものである。常識というと、まだ充分に発達しない知識、その水準が社会全般を通じての平均値以上に出ない処の知識、社会的平均人の頭脳に相応わしい程度の知識、とに角そういう平均値的知識のことを指す、とこの素朴な観念は考えている。
 尤もこの場合でもそう話は簡単には行かないので、社会全般を通じての平均値と云っても、その社会が実際の全般社会であることもあれば、一定の学者なら学者、物理学者なら物理学者、の社会であることもある。一般世間であることもあれば、その内の特殊な社会(例えば学界や専門家の世界)であることもある。それで常識も、世間周知の知識を指す場合もあれば、一定学界なら一定学界に於ける周知の知識を指す場合もある。私は芸術学に関した或る権威ある翻訳の中に、三体問題という処を「物質三態の問題」とか訳しているのを発見したが、三体問題は力学の世界では極めて常識的な周知のことにぞくするのに、芸術学界に於てはそれ程常識的な周知のものではないように考えざるを得ないわけだ。或る社会で常識的なことも、他の社会では必ずしも常識的ではない。
 だがそれにも拘らず、常識の発達した、或いはもっと正確に云うと常識の分量の豊富な人間というのは、色々の社会に於ける平均値的な周知的知識の所有者のことであろうから、ここに一般社会に於ける常識と、夫々の特殊社会に於ける常識との、つながりが実際に存するわけであって、従って一纏めにして、之を一般に、社会的平均値の水準に相応する、まだ科学的に最高水準には到達しない程度の又分量の知識、と云っていいのである。
 この水準にさえも達しないことを、世間では、「非常識」と呼んでいる。常識と呼ぶには他の意味もあるが、少なくとも今云った意味に於てそう呼ばれることを、今は思い出すことが必要だ。科学的に高度の知識は要求しないが、せめて平均値的な程度の科学的知識は期待したのに、というのがこの非常識呼ばわりの気持ちなのだ。ここで云うまでもなく、常識とは決して、積極的に低度の未発達な知識のことではなくて、すでに或る程度にまで発達した知識であるということを、忘れてはならない。なぜというと、そこにやがて常識の尊重を裏づけるに足る足場の一部分(今の場合に相応した一部分)があるからだ。
 一方に於てこう考えられていると共に、常識は他方に於て、之とは一見殆んど独立に健全な見解、見地の健全性、というものとして理解されている事実があるのである。例えば日露戦争を知らなかった自然科学者は、その専門の自然科学界の常識(但し平均的知識という先の意味に於ける)を充分以上に持ち合わせているに拘らず、何と云っても非常識であることを免れまい。そういう意味での非常識は、この自然科学者の社会生活全体に就いての統一的な意味の、不完全さ、不具さ、病症を意味するのであり、彼の社会的見地見解の、不健康さを意味するのだ。之は尤も、何も彼のもつ所謂社会認識(社会科学的知識)などという専門的な知識の高低多少の問題ではない。そういう意味に於ける知識の高低多少なら、夫は第一に云った場合の常識に帰着するわけだが、今は夫ではなくて、云わば彼の「社会常識」というものが問題なのだ。社会常識が与える区別は、「子供」と「大人」であって、素人と社会科学者との区別ではないから。
 ルーズに考えると、こういう「見解の健全性」(「健全な理性」「健全な常識」と熟語をなしている)は、前に云った「平均値的知識」とあまり変らないように見えるかも知れぬ。だが第一、知識というものと見解というものとは、相当区別されねばならぬものだ。世間には知識を沢山有っているにも拘らず、否あまり沢山の(恐らく大部分無用な)知識を有っているが故に馬鹿になっている人間も少なくない(アカデミック・フールと呼ぶ)。と共に、知識に於ては平均値的な水準に止まっていても、その見識に於て卓越したものも多い。学究必ずしも政治家でないのも理由がある。単なる教養と意志や性格の形成とが、区別されるのにも意味があろう。で知識の高さと見解の高さとは別のことなのだ。それから第二に、健全性というものも一種の平均値的水準のことに過ぎないではないか、と云う人があるかも知れない。見解の健全性とは、要するに社会的平均値に相応する見解のことだろう、と考えるかも知れない。之は併し全くルーズな連想によるもので、一体健康というものを考えて見ると、夫は決して、丈夫な人間や病人やの平均値ではなかろう。身体のノルマルな状態を健康と呼ぶからと云って、ノルマルなものは平均値的だとは云えまい。実はノルマルというのは、普通ということは、ノルム的、規範的ということなしには考えられないので、つまり、健康とか健全とかいうのは、普通なことで特別変ったことでないにも拘らず、之からはずれたものを矯正し得べき規範を意味するのだ。今云う常識(例えば社会常識の如き)は、こういう規範を指すのである。もはや単にある程度に発達した処の、併しまだそれ以上に発達しない、というような、消極的な平均状態を指すのではなくて、積極的に偏向を矯め得る正常な規範を夫は意味する。之が常識の第二の意味だ。
 この第一常識と第二常識とは、今見て来たように、完全に別なものではあり得ないにも拘らず、二つは食い違ったクロスした状態に置かれていたことを注目すべきだ。二つはただ矛盾したり撞着したりするのではない。もしそうなら常識という言葉が不当に不便に出来ていたまでで、一方を常識と呼び他方を他の言葉で呼ぶことにするか、それとも一そ双方とも別な言葉で呼ぶことにすれば、困難は一ぺんで解消して了うわけだが、実はそう単純にはこの関係は出来ていない。方向がお互いに逆なのではなくて、方向が食い違っているのである。それを分解しないで、或る者はX軸の上に立って常識あわれむべしと云えば、他の者はY軸の上に立って非常識あわれむべしと云うのである。
 実際を云うと、平均値的科学的知識に過ぎぬ常識ならば、あまり尊敬すべき対象でないことは明らかで、又健全な見解というような意味の常識ならば、何人も健康をよしとする意味に於て、之を尊敬せねばならぬということは、自明の理だろう。
 以上は常識というものに就いてのごく常識的(?)な表象を説明したまでだが、併しこれだけのことからでも、随分沢山な諸規定が導き出されるのである。例えば理性の健全性(哲学史上では常識が問題になる時はいつでもこの形でだ)と云えば、肉体の健全、健康からも類推できるように、プロポーションや調整が何よりの問題だろう。ここに社会常識というような見解の統一性均衡均斉が、そうした一種の人間意識のクラシシズムとも云うべきものが、この裏にひそんでいるとも云うことが出来よう。それから、こうした意識の統一均斉は社会に於ける人倫習俗とある程度までおのずから一致するだろうから、之は凡ゆる意味に於ける道徳的なノルマリティーにも連絡しているということも出来る。社会常識はつまり社会にノルマルに通用する又はすべき道徳に接近していることが事実だ。社会常識だけが例の第二常識の唯一の例ではないけれども、併し少なくともここから第二常識は云わば道徳的常識だと云っても、強ち無理ではないだろう。もしそう云っていいなら、例の第一常識の方は理論的常識とでも云うべきものだったのだ。
 処でここに問題の一つの発展がある。文学者は恰もこうした道徳的常識をこそ常識と呼ぶのであり、之をそのまま受け容れようとはしない処に、文学(又一般に芸術)の真理があるのだ、と考えられているからである。つまり道徳的常識なるものは、実は常識的道徳、常識的モラルに過ぎぬではないか、というのである。だから実際又、道徳的に強力な文学は、常識的だということにも、なり勝ちなのである。
 だがここに私は一つの疑問を持っているのである。実はその故に、初め例の平均値的な理論的常識と、健全性に立つ道徳的常識とを対比させて、之でもって、常識論争の食い違いの分解の糸口にしようと、敢えてしたわけだ。今も云った通り、本当は、文学が軽蔑する常識は、決して例の第一常識(理論的常識)ではなくて、第二の道徳的常識だったのだが、併し文学者の常識軽蔑論の中には、ひそかにこの第一常識の軽蔑という、それ自身極めて通俗的(?)なモチーフが潜入していると考えるからである。――或いは寧ろこう云った方がいいかも知れない、私は例の第一常識と第二常識との対比を用いることによって、文学が一からげに疑いつつある処の所謂常識(社会常識=常識道徳)を、多少分解整頓することが出来はしないか、と。
 文学が常識的道徳と呼び、又一般から社会常識と呼ばれているものは、何か。まず今日の日本で実際に社会常識と考えられているものを見るとしよう。ここには明らかに二つの「常識」の対立があるのである。一方のものを代表するのは、×××××にかかわる一連の公的表示に現われる日本人の「×××××」××いうものであって、之なしには、或いは之を否定しては、今日の日本の×××××××××××××ということになっているのである。尤も×××××は×××イデオロギーであって、特別にオフィシャルな形を偶々取ったものに他ならないが、問題は、そういう特別にオフィシャルな形を取った、或いは取り得た、当の基底が何か、ということにあるので、夫は社会の一方に於ける通念というようなものなのである。
 通念にも二つの対立があるというかも知れない、単なる社会意識の現象としては確かにそうで、「あわて者の熊さん」の通念とインテリ層の通念とでさえ大変な開きがあるだろう。併しそう云っていては際限がないので、それより今大切なのは、今の場合のものは通念とはいつも、法制的な機能を有ったものだという点だ。と云うのは、国家に於ける又は国家による法解釈の標準の有力な一つがこの通念(夫を衡平と云ってもいいかも知れない)なのである。そういう通念が、少なくともこの社会では現に使われている通念のことで、こうしたオフィシャルな通念が、今日意味をもつ通念だと見ていい、或いは少なくともただの社会意識としての通念(夫を世論と云ってもいいだろう)とは別な、オフィシャルな通念がある、というのが、今日の日本などの現実だ。之は無論××なものとして××されているのである。
 さて一方こういう通念としての社会常識は、事実に於ては一定×××××の感情的意志的又理論的な表現としての××××に他ならないのだが、従って当然それに対立する第二の社会常識が存在するわけである。この方は支配社会から公認されたイデオロギーではないから、本当を云うと通念とも世論とも、まして慣習=衡平とも云えないものだ。それにも拘らず之は駸々乎として、社会の大衆層に浸潤し、やがて社会の意識的に敏感な層を支配し始めるものなのである。だから之亦一つの社会常識なのである。
 通念は例の道徳的常識(その一例が社会常識だったのであるが)に於ては、丁度、理論的常識と道徳的常識との対立でのあの理論的常識に相当する。夫は道徳的常識=常識的道徳という既成の与えられた道徳的知識(夫は知識だ!)の平均値に他ならぬ。之は社会的な理論的常識に過ぎないのである。文学が超克せねばならぬと考えているものは、実は道徳的常識そのものではなくて、そうしたものに一括されているものの内の、単に例の第一常識的なもの、平均値的な「道徳的知識」の部分に他ならないのだ。常識というものが通念(通俗的観念―― Gemeinvorstellung)である限りは、文学は一切の常識を超克するのが当然だ。
 だが常識、特に道徳的常識、社会常識を、こうした通念としてしか思い浮べ得ないのは、丁度法律家が常識を通念だとして片づけて了うのと同じに、それ自身通俗的な文学的眼光に過ぎないのだ。通念としての道徳としての道徳的常識はコンベンションでステロタイプ的なものだ、だが之を打開する文学はどういうそれ自身の規範を有つか。もし全くそれ自身の道徳的規範を有たないならば、文学はモラルを失って了わざるを得ない。之を失わないためには、克服された通念道徳の彼岸に見出され創造される道徳は、何らか客観性を有った公大な規範と、夫による統一・均斉・均衡を有たなくてはならぬ筈だ。そういう統一・均斉・均衡の規範をもつ新鮮な道徳は、処でなぜ常識的であってはならないのか。というのは、つまり新しい常識を生み出すものでなければ、何のための道徳的探究、何のための文学か、と云うのである。
 道徳的通念を打破する仕方には、作家のオリジナリティーだけの数の、数があるだろう、だがそういうオリジナルなモラルがどこかで一つにつながるのでなければ、何等の真理でも真実でもない。そしてそれが一つの公大な客観性をもった世界につらなる時、極めて常識的な世界を想定せねばならぬのである。
 この想定はあくまで想定であって、色々のオリジナリティーがそれに帰着して行く終点なのだから、決して現実の出発点ではないが、併し多少理論上の乱暴を許して、この公大な客観性の世界を文学の道徳探究の現実的な出発点と仮定して見ると、実はこの世界は、よく云われる人間性とか何とかいう代物となるのである。と云うのは、ここにこそ社会に於ける「人間」に共通な感覚(共通感覚――常識)が横たわるというのだ。但し社会には人間ばかりでなく一部分は人でなしに数えねばならぬものがいるから、単純に凡ての人間に共通だとか何とかは云えないことを忘れないとして。――一般に常識とは健全性の規範とも云うべきものだろう。新しい道徳は人間の凡ゆる意味に於ける健康を求める。新しい常識の創造を措いて、文学はないとさえ云っていいかも知れぬ。
 吾々が問題にしたのはその新しくない方の常識だった、新しい常識なんかというものを勝手に持って来るなら、初めから問題はないのだ、と文学者達は云うかも知れない。併しそうではないのだ。新しい常識だってポッカリといきなり現われたり見つかったりするものではない。社会の客観的事情が、今日の道徳的通念を現に今日、掘り返しつつ、そこから新しい道徳、新しい常識への用意を整えつつあるのである。之が道徳的通念の君臨そのものの下に於てだ。それが進歩的なイデーというものなのである。――この進歩的イデーを何かコンベンショナルでステロタイプみたいな通念と考えて了うものがあるなら、夫は進歩性なるものの意味を全く認識し得ない盲目の眼だ。そういう進歩性ならば、倉田百三などが最もお得意だろう。通念の自滅の内から新しい社会常識=人間常識への醗酵を見て取る眼こそ、進歩の眼であり、モラルの眼であり、文学の眼だろう。
 常識のただの否定ということは、現実には不可能なことだ。そこにはいつでも新しい常識が、否少なくとも新しいモラルがあるのである。だがこのモラルが新しい常識にまで成長しない限りは、凡そ常識の否定など、出来るものではない。新しい社会常識にまで伸びようとは云わないモラルへの飽き足りなさが、今日の純文学や身辺小説、私小説に対する、社会から見た飽き足りなさなのである。
 吾々が今日、進歩的イデーとして持っている社会常識そのものの、文学的醗酵以外に、凡そ常識を克服する道はない。ここが常識というものの意味の重さだと思う。
(一九三五・一二)
 社会と自然とは、一応分離し独立しているように見えるのであるが、実は二つのものの間に重大な統一的な共有性が見出される。それは、要するに社会が、他でもない異質的に複雑化された自然の一段階であるという、自然史的根本テーゼの内に尽きているのである。――処で社会科学と自然科学との間には、だから又、丁度そうした統一的な共有性が見出される。例えばダーウィンがマルサスの人口論から示唆を得たことや、又マルクスがダーウィニズムに於て社会科学の生物学的証明を得たというようなことは、それだけではまだ、或る人々が云うように自然科学の歴史的・社会的制約を云い表わすものだ、とは考えられないが、併し、自然科学と社会科学との体系上のイソモルフィックな関係を指摘するには充分だろう。体系と云えば併し常に根本概念の体系、即ち範疇の体系に外ならないが、二つの体系がイソモルフィックだということは、この範疇体系――従って又各範疇自身――が共軛性を有っているということに基く。と云うのは、一方の科学に於て行なわれる範疇が、無論そのままにではないが、一定の共有契約関係の下に翻訳されて、他方の科学にも行なわれるというのである。例えば事実上の結果としてだけ見ても、社会科学に於て機械論が行なわれ得なくなる時は、幾層かの社会的等価関係を通した結果として、同時に、自然科学に於ても亦機械論が擲たれる時なのである。唯物史観は所謂自然弁証法と共軛的であらざるを得ないだろう。
 二つの科学は世界観上の統一を有たずにはいられない。だからこそ二つの範疇体系は共軛的であらざるを得なかったのである。そこでこの統一的な世界観の組織、この二つの範疇体系に共通な形式的範疇体系、それが――形式的に理解された――哲学乃至理論である。哲学的範疇は実はそれ故、社会科学の範疇と自然科学の範疇とに対して、又根本的な共軛関係に立っている。
 こう云った諸科学間に於ける共軛関係を無視すると、全く何物にも役立たない哲学体系が出来上ったり、自然科学が岐路に立ち迷ったり、全くピントのはずれたファッショ的反動社会理論が出て来たりするのである。――諸科学は云わばその精髄を同じくする(congenial)ものでなければならぬ。どの部門に於ても、科学的理論の守護神(Genius)はただ一つなのである。この点を私は屡々述べた。
 だがこのイソモルフィー・等価関係・共軛性・コンジェニアリティー・等々は、単に諸科学の間にのみ横たわるものではない。それは最も一般的な意味に於ける科学文学(乃至芸術)との間にも行なわれなければならない。そのことは例えば哲学が文芸と離れることの出来ない関係にあるということのうちにすでに見られる。批評評論乃至批判という概念が丁度二つを結びつける(「文芸批評」と「批判主義」とを並べて見よ)。科学と文芸とはその意味でイソモルフィックである。文芸に於て取り上げられた問題は、すぐ様実は社会科学の又哲学の、延いては又自然哲学の、問題であり、又問題となる(例えば大衆性の問題とか、科学的批評の問題とか、弁証法的創作――党派性の問題とか)。実際、二つの文化領域は全く社会的等価関係に立っているのであり、その根本概念・範疇を共軛的な契約の下に置いている。ただ文芸ではこの範疇体系が理論的概念の資格を取らないまでである。二つのものはコンジェニアルなのである。だからこの関係を無視すると、文芸は浪漫的空想や唯美主義的なものになって了うし、社会科学では文化闘争の実践というような問題は消えて了うだろうし、哲学はその使命である日常的・ジャーナリスティックなアッピールを失うことになるだろうし、自然科学は単なる通俗啓蒙科学になって了うだろう。文芸と科学とのコンジェニアリティーを実証して見せたことは、左翼文壇の評論的進歩の大きい功績の一つなのである。これによって、文芸と科学との内容的な精髄上の連帯関係を覚らないような、文芸や科学に対する文学青年式な迷信が、清算されたのであった。
 だがこう云っただけでは問題は決して片づかない。吾々はコンジェニアリティーと云ったが、このジェニー(天才)に連関して、感覚(Sense, Sinn)を問題にする必要に迫られる。と云うのは、普通に、科学に於けるセンスと文学乃至芸術に於けるセンスとが全くヘテロジェニアスなものだと信じられ勝ちだからである。
 心ない粗雑な人間の多くは、概念に、従って又理論や科学に、それ固有なセンスが絶対に必要だということを信じないかも知れないが、それは人間的無知を自白することに他ならない。概念とセンスとが別なものだなどと考えることは、センスをば心理学的な――心理学に於てさえもはや信用を失って了っている処の――所謂「感覚」(Empfindung)と結び付ける哲学的習慣から来たものに過ぎない。センスが認識材料提供の器官であるばかりではなく、認識の核心(Sinn)であり認識の妥当内容の力点(例えば意味 Sinn)である限り、概念として機能し得る生きた概念の凡ては、それに固有なセンスと離れてはあり得ない。勿論同じく概念と云っても色々な資格があるわけで、人工的に公理的に定義し得る形式的概念――例えば数学の――もあれば、形式的に定義し得ない弁証法的概念――常識や哲学や現実諸科学の――もあるが、数学に於ては概念の背後に実際上直観が置かれて考えられるし、現実諸科学に於ては概念の背後に経験が把捉されていねばならぬし、哲学などに於ては概念は語感(それは日常生活の体験としての言葉と結び付く)に制約されている(常識に就いては後を見よ)。そのように概念はそれに固有の感覚と一つになって初めて機能することが出来るのである。
 文学乃至一般に芸術に於て感覚が欠くことの出来ない制作乃至批評の機関であることには問題がない。問題は、それぞれの芸術部門にはそれぞれ固有な感覚が考えられるという点である。視覚器官としては美術的感覚が、聴覚器官としては音楽的感覚が、なお又その他に、後から見るように、文芸的感覚が、区別される。こうした諸感覚はどうやって統一を保つことが出来るのか、之が問題である。そしてこの問題を解くことは同時に、一般に芸術と科学との感覚上の統一連帯関係を、従ってかの芸術と科学とのコンジェニアリティーの確立を、結果するだろう。――問題は共通感覚の問題なのである。
 白いと黒いとを識別するものは視覚の感覚であり、高い音と低い音とを識別するものは之と異なった聴覚の感覚であるが、一般に色と音とを識別するものが他にあるだろう。アリストテレスは之を共通感覚(共通感官・共通感・等々)と名づけたことは知られている。このセンスは併しそれだけでは、認識材料提供の器官から引き出された過程に相応わしく、まだ必ずしも認識の核心・妥当内容の力点としてのセンスにまで到達しているものではない。だからスコラ哲学に於ては之が全く心理学的な範疇(例えば内官)の外へ出なかったのである。併しこの共通感覚を吾々のように、認識(今は之を論理的なものの範囲よりも広く理解して)の核心・妥当内容の力点と考えれば、共通と云うのは、もはや諸感官乃至感覚に共通であるばかりではなく、又凡ての人間に共通であることをも意味して来るのである。だからそこで、共通感覚は芸術の各部門間の感官的な共通連帯関係のみならず、又それぞれの部門の諸芸術の間の妥当性の上での共通統一連帯の関係を与えることが出来る。カントはその趣味判断をかかる意味での共通感覚――彼の区別に従えばそれは sensus communis aestheticus である――に基けた。
 こうした美的共通感覚は共通であるだけそれだけ個々の感官感覚から遠ざかっていると考えねばならぬが、恰も感官感覚から遠ざかっているものは言葉によって表現される概念である。でこの美的共通感覚それ自体に最も充全なものは特に言葉乃至概念を乗具とする処の芸術の一つ――文芸――だということにある。実際、文芸は美術や音楽に較べて、感官感覚的技術に制約されることが少なく、その意味に於て(カントの意味に従って)、非天才的であり、正に学び得る処の文学なのである。――文芸乃至文学はその意味で gemeinverst※(ダイエレシス付きA小文字)ndlich だと考えられる。
 処で文芸の乗具である概念は、こうした美的(共通)感覚と共にあるが、それが一般に概念である限り、前に述べたように、同時に、概念に固有な感覚とも亦共になければならなかった。そして概念のそうした概念的感覚は、正に論理的妥当性――共通性――を持つことをこそその生命とする、だから之も亦一種の共通感覚でなければならぬ。カントは之を特に sensus communis logicus として前の共通感覚から区別した。共通理性(gemeiner Verstand)健全なる理性・健全なる常識(sound common sense)と呼ばれるものが之である。トーマス・リードの人間精神の研究の原理が之であった。
 さてこの二つの共通感覚――美的と論理的(常識)――が同じく共通感覚である処に、実はすでにかの芸術と科学とのコンジェニアリティー――感覚上の連帯――が横たわる。尤も常識を単に凡庸な不明晰な悟性だなどと考えてはならぬ、既にリードに於てそれは健全な良識でなければならなかった。だがリードは常識を、一定の既成内容を持った動かすべからざる知識の、公理や根本命題を与えるものと考えている。だが本当の常識は、知識のそうした特定内容に関わるのではなくて、実は知識の或る一定の――日常的な――態度に関わる。常識とは日常感覚なのである。それは単に諸感官感覚に共通であり且つ又諸世間人に共通であるばかりではなく、凡ゆる諸事物に日常性という視角と尺度とをあてはめる知識の態度・ジャーナリズム的態度を意味する。それは人間生活の最後の統一的な具体的な一断面を示す処の生活感覚なのである。云わばそれは人間生活に固有な本能だと云っても好いだろう。ここから常識は自己意識良心としての共通感覚にまで、回帰することも出来るのである。――で、こうした一般的な意味に於ける共通感覚が、正しい意味に於けるジャーナリスティック・センスが、実は一方に於て概念・理論・科学の固有な感覚をなし、他方に於て概念・文学の固有な感覚をなす。そして第三に、それが本来感覚であって、その限りでは元来はロゴス的のもの(言葉・概念)ではなかったことから、一切の天才的(カントに従って非科学的)美的感官技術のものである諸芸術の感覚をも、統一し得る共通物だったのである。――かくて芸術乃至文学と科学とはコンジェニアルなものであることが示されるのである。
(一九三二)
 近来、常識というものに多少反省を加えているものは杉山平助だろう。彼は世間からよく云われるように、自分を一個の常識家と自覚してかかって物事を判断するので、彼の評論は割合包括的で又通用性に富むことになるのだ。彼は常識以上とか常識以下とかいうことを口にして、とに角常識水準とも云うべき価値の標尺を持ち出している。夫は相当高く買って良いポーズだと思う。だが、それでは常識とはどういうものか、と正面から切り出すと、常識に就いての彼の見解は案外常識的なものに止まっているのではないかと考えられる。私は常識というものの分析をすることが何より大事だと思っている。
 今日の社会の通念になっている意味での所謂常識がすべて今云ったように、決して単純な判り切ったものではなく、従って決して単に常識的には分析出来ないものだが、併し之まで、世界の思想史の上で常識を問題にしたものも亦決して珍らしくはないので、その結果、歴史的には、或いは寧ろ伝統的にはと云った方がいいかも知れないが、常識に就いての一定の伝統的な概念が、他方に存在しているのである。之はわが国などに於て所謂常識として通念されているものとは表面上別なものではあるが、当然なことながら根本的には夫と連絡のあるもので、従って所謂常識なるものの分析には歴史的な手懸りになれるものなのである。
 常識、コモンセンス(共通感官・共通感覚)という言葉が、アリストテレスの「心の研究」から発したというようなことは今は問題外としよう(22を見よ)。そこでのコモンセンスとは、五官の凡てに共通で之を統一する感官を、その意味に於ける第六感官を、意味したのだが、今日問題になる共通感官(共通感覚)=常識は、之に反して、何も人間の五官の間に共通だという意味ではなくて、社会の個人相互の間に共通だということを意味していなくてはならなかった。共通感官乃至共通感覚が、個人の精神力の問題から、こうやって、社会に於ける人間生活の認識力の問題にまで移されたのは、十八世紀のイギリスに於けるスコットランド学派の哲学によるのであって、トーマス・リードの常識学派的考察を以てその代表者とするということになっている。之を常識の哲学的概念の代表と見て恐らく差閊えはあるまい。処が、この哲学的な常識概念は、云うまでもなく思想史上の歴史的諸制約をハッキリと受けている。そしてその諸制約を明らかにすると、偶々今日に於ける社会通念としての所謂常識に含まれている諸モーメントが又明らかになって来る。
 常識学派による常識は、まず第一に当時の英国特有の経験論に立脚した概念なのである。英国風の経験論によれば、経験上の所与の事実は、それ自身事実であってその他に何か別に合理的な根拠を求める必要を有たない筈のものであった。常識も亦、そうした経験的な所与として、而も最も根本的な経験的な所与として、権威を生ずるのである。尤も英国の経験論はホッブズ以来、人間性(ヒューマン・ネーチュア)の問題を解くものとして、モーラル・サイエンス又はモーラル・フィロソフィーとして(普通之を不当にも倫理学と呼んでいるが)発達して来たのであって、従って、この常識も亦、主に倫理上の観念として問題にされて来たということを忘れてはならない。所謂外部的な経験の所与はマチマチであるから、道徳上の判断を統一的に下すための根拠としては不充分だろう。そこで考えられる一つのものは、云わば内部的な経験(直観)に訴えるということだ。何か道徳的な直観があって(モーラル・センスとかモーラル・センチメントとか)、之に訴えれば統一的な万人共通の客観的な道徳律を見出せるとなれば、人間性研究の一つの結果は得られるわけだ。そこで常識が、丁度そうした道徳的な共通の感覚=直観(モーラル・コモンセンス)として選ばれたのである。
 無論この道徳的共通直観は、必ずしも狭い意味に於ける道徳乃至倫理の世界に限られていたのではなく、広く人間性全般に及ぼされるものであって、独り倫理的判断に限らず、審美的な判断でも知的判断でも、この主観的な直覚によって初めて社会的に客観的に共通な判断内容を得るわけである。外部的経験論によって有たされた権威を、そのまま内部的経験に、直覚に、移すことによって、経験のもつ確実さと、人間性というものの有つ共通性とを結びつけたものが、この常識という一種独特の観念だと云っていいだろう。
 常識学派による常識はだから、経験論に由来するこうした一種の直観主義に立脚するということになったわけだが、併しこの常識はただの直観とは云えない点を有たされている。というのは、ただの直観ならば、つまり一個のケオスに他ならない筈だから、その内容がまだアーティキュレーションを有っていない、節に別けた分析された言葉や文章になっていない筈だ。処がこの常識は正に夫々のテーゼをなしているもののことで、之々は良く、之々は悪い、というような、出来上った判断の単位を意味している。だから之はもはや単なる直観ではなくて、正当に云えば、丁度幾何学にあるような公理、ここでは人間的判断のための公理、だと云わねばならぬのである。であればこそこの常識は、やがて、社会の一定の通念、ドグマに他ならぬ所謂世間の常識という意味を有つわけで、初めて認識の具体的な基準にもなれるわけだ。
 処が、ただの直観ではなくて仕上げのかかったテーゼが内的所与として与えられるのだから、それだけ非直観的なものかというと、実は之によって却って益々直観的な性質をこの常識は濃厚にするのである。合理的な根拠なしに一定のテーゼを公理として承認することは、愈々益々直観的能力を必要とするからである。
 こうした常識というものの有っている色々の認識理論上の困難を一々ここで指摘する余裕はないが、併し第一にすぐ判ることは、この英国経験論風の常識という概念が、少なくとも十七八世紀に於ける大陸の合理主義と相容れないものだという点だ。なる程大陸の合理主義は真理の根拠を、デカルトに於てのように、表象(観念)の明証に求めたから、一種の直観主義に立脚してはいるが、併しこの明証の直観は、明析と判明(Clara et distincta)という合理的な条件を有っているので、前の常識の天下り式テーゼを直覚的に承認するのとは全く別である。云わば道徳的直観主義の代りに知的直観主義が、この大陸的合理主義の特色をなす。常識のように倫理的乃至審美的ではなくて、知的であればこそ、合理論が合理論たる所以なのである。だからデカルト的合理主義は、一切の常識的なるものに対する懐疑からその思索を出発させたのであって、ここでは合理主義が常識主義の完全な敵対物として現われる。
 第二にこの英国風の常識の立脚する経験論は、現象論乃至現象主義に通じている。実際事物をその本質や論理的又歴史的な首尾一貫性に於て把握しないのは、世間の所謂常識の一つの特徴をなしているだろう。云うまでもなくスコットランド学派の常識は、こうした所謂常識、現象主義的・経験主義的・常識態度に通じて初めて社会的存在理由を有ったのだった。というのは、一面こうした社会常識を兎に角どういう形の下にせよ、哲学の範疇としなければならないというのが、当時のイギリスの貴族化した一部のブルジョアジーのイデオロギー上の要求だったのである。
 だから世界市民(もはや単なるイギリスの貴族やブルジョアではない)と名づけられるカントは、イギリスの経験論と現象主義とに深く動かされると共に、その当然な結果として、イギリス・ブルジョア的常識の信奉者として、卓越した常識家として立ち現われた。カントはイギリス風の新鮮な常識から出発する、だが彼は又同時にこの常識のドグマの夢から醒めねばならぬ。彼は常識の批評家として、人間的理性の批判家として、立ち現われる。経験論と現象主義とがそれ自身の立場から、カントによって分解され引き締め直される。人間の理性(乃至悟性)の限界がここで初めて明らかにされるのである。この点が取りも直さず彼のディアレクティックなのだ。之は人間理性の有つ矛盾を指摘するものに他ならぬ。――で、イギリス風の常識を批判するものが、元来カントに於て、弁証法だったのである。尤もカントの弁証法は局部的な消極的な問題としてしか取り上げられていないから、所謂常識の正面の対立物とはなっていないが、之がヘーゲルとマルクス等との手を経れば、弁証法は立派に所謂常識の対立物として、イギリス風の常識の粗雑さの批判者として、動き始める。イギリス的常識は一方大陸風の合理主義と、他方、ドイツ古典哲学の弁証法とに対立するが、合理主義と弁証法との対立が、機械論乃至形而上学と弁証法との対立に他ならぬことはここに断わるまでもあるまい。――問題は、この三つのものの関係が、現在、又特にわが国などに於て、どのような現実形態を取って現われているかであった。
 元来歴史的に伝統されているイギリス風の常識は、実は極めて原生的な形の常識なのだ。之は云わば常識的な常識なのである。この常識的常識に哲学的なものを加えた最初のものは合理主義でなくてはなるまい。今日では合理主義は立派に一つの――相当哲学的な――近代常識として受け容れられているだろう。かつて之は啓蒙思想として常識化され普及されたものだが、今日では或いはモダーニズム(感覚上の合理主義)として、或いはインテリの能動性など(主知主義=社会的合理主義)として残り、或いは甦えりつつある。――イギリス風の原生的常識と、この啓蒙期的・乃至近代的・合理主義の常識とに、更に哲学的なものを加えたものが、マルクス主義的弁証法(唯物論)である。之又今日では、わが国などでは、一般の知能分子の最高常識として日常化されているものなのである。現在のわが国には、この三層の「常識」が行なわれている。ただここでもすでに気のつくことだが、敢えてパラドクシカルに云うならば、常識必ずしも常識的ではないという点が大切だ。又は、常識的なもの必ずしも常識ではないということだ。之は単にいくつもの別々な流儀の常識内容がこの世の中に平行して行なわれているからではなくて、「常識」なるもの自身がパラドクシカルな存在だからで、即ち常識なるものには、いくつもの常識水準があるということを告げているのだ。この常識水準の分析をした上でなくては、だから「常識的」であるとかないとか云うことは全く無意味だろう。処で最高の常識水準はやはり弁証法のものだと私はかねがね考えているのである。現に常識そのもののことを一つ考えるにも、いや応なしに、考察が弁証法的にならざるを得ないではないか。
(一九三四・一二)
 私はこの頃人間を男でも女でも、政治家と文学者とに分類するような人間学を採用することにしている。無論実際の政治家にも文学者型にぞくする者もいるし、実際の文学者でも政治家型にぞくする人間もいる。例外はいくらでもあるし、ことにブルジョア文化の発達が根強く割合純粋であるイギリスやフランスなどでは、哲学的政治家や詩人外交官も少なくない。又ソヴェート同盟あたりでは、政治家的感能がないものは文学者としても一人前ではない。だが日本では比較的純粋な政治家が殆んど唯一の政治家だし、之に反して又比較的純粋な文学者が多量に生存出来ている。此の特別な現象を云い表わすためには、政治家と文学者との分類が一応便利だと思うのである。例えば斎藤首相と谷崎潤一郎とを対比させて見れば私の云う意味は相当明らかになろうと思う。或いは文部省の例の武部局長や粟屋次官と、誰でもいい純文芸派なり文芸復興派なりの文士とを対比させて見るのもいい。
 さてそこで日本の「文学者」も日本の「政治家」も少なくとも表面上は、一つの共通な人間評価の尺度を持っているような顔をして見せることになっている。と云うのは、政治家の方は俗物で、之に反して文学者の方が超俗物的だという評価である。無論俗物というのは非難するか卑下してか、そう云うのである。内心はこの超俗物を軽蔑していても、又実は私かに俗物を歓迎していても、上べはお互いに俗物を下等なものと考えて見せている。だから所謂俗物も、単なる俗物でないことを暗に示すために、坐禅をやったり俳句を作ったりすることにさえなるのである。
 だが之では活動的な実際家が俗物で、之に反して行動上のなまけ者が超俗物だということになる。少なくとも同じ行動をするにしてもリアリスティックな人が俗物で、どこかの点で非リアリスティックな(それが往々「文学的」と云うことらしいのだが)人間が超俗物だということになる。之は全く変な区別ではないだろうか。
 元来フィリスティンというものは、信念の独自性と新鮮味を欠いた者のことで、之は一見、人間的良心に関する道徳上の区別を意味するようであるが、併しこの区別には一定の歴史的乃至階級的な根柢があったのである。だから民間的、坊間的なものや、庶民的、市民的なものや、更に又無産者的なものが、貴族的、僧侶的、宮廷的なものや、更に又ブルジョア的なものに対して、俗物的と考えられた。神聖な特権聖域外に横たわるものが俗物的なものとなる。アカデミックなビルドゥンクやシュールンクのない素人(之はドイツでの例だからドイツ語のままにしておくが)や、ボヘミヤンでない人物が、俗物と考えられるのは、こうした階級的根拠に基く俗物性から発生する亜種又は変種としてであるからに他ならない。
 でこう考えるなら、文学者の方が政治家より以上に支配的な階級にぞくするとは云われない限りは、政治家の方が文学者に対して俗物的だとは云えなくなる筈である。純粋文学者が超俗物的であるなら純粋政治家だって同じに超俗物的である筈だし、逆に純粋政治家がもし俗物ならば純粋文学者も亦俗物でなければならぬ。どっちもブルジョア純粋政治やブルジョア純粋文学の使徒である限り、超俗物的でなくてはならぬのである。と同時に、もし万一彼等がいずれも俗物であるならば、その際には神聖なこの純粋性が却って前とは逆に俗物的だということにならなくてはならぬ。それは、貴族やブルジョアが俗物で、之に反して無産者こそが本当に超俗物的だということに他ならないのであるが、文学的俗物や哲学的俗物、さては宗教的俗物など、凡そ神聖な超俗物派的俗物が、こうやって今日至る処に発見されるのである。

 俗物という評価が階級的な根拠に立っている以上、今日の階級的な対立関係から云うと俗物と超俗物との資格が入れ替わるのである。或いはもっと正確に云えば、今まで俗物と見做されていたものが実は本当の超俗物となり、之に反して依然として超俗物であること自身が却って俗物の標識になる。で文芸の世界でも科学乃至学問の世界でも、俗物界と超俗物界とが入れ替わり、今まで本当に文芸上学問上の価値があると見做されたものが、却って俗物的な価値しかないものだということが判り、逆に俗物的に無価値と見做された文芸や学問が本当の文芸的科学的価値を認められることになる。ヘーゲル風に云い表わせば、ここまで来て俗物は、それ自身の自己疎外に気づかなければならなくなるのである。
 文学の世界に就いて云えば、まず第一に趣味の転換が現われる。なぜなら、文芸や芸術をどんなに深刻に理解しようとも、それが人間生活の一等直接な直覚的な表出である以上、何よりも趣味判断にその先端があるからである。云うまでもなく一定の趣味はすぐすたって悪趣味になるだろう。だがそれだけではない、一般に趣味を気にかけること自身が一つの悪趣味となって来るのである。なぜと云えば、趣味を一般に気にかけることは、実際上は、既定の支配的(やがて又支配階級的)趣味を気にかけることに他ならないからだ。こうやって超俗的な趣味人は直ちに、俗物的な悪趣味人に、キザな野蛮人に、変化する。自分は変化しなくても歴史が変化するのだから仕方がない。
 文学上の俗物の問題に就いては、言葉というものが非常に大切なテーマである。少なくとも文字と結びつけられた限りの言葉が大切である。初め文字は奴隷制的乃至国家封建的支配階級の支配技術上の一種の用具であって、丁度大学の図書館の本のように、使用され利用され理解されるよりも、保存され隠匿されることが、その意義であった。だから文字が超俗的な神聖物ということになっていて、坊間の被支配者的俗物が近寄ってはならない点そのものに、その価値があったのである。そこでこの神聖文字と結びついた僧侶的、貴族的、呪文としての用語が、神聖言語となり、之に反して被支配者の日常生活の利益を促進するための言葉は俗語となった。
 云うまでもなくラテン語は神聖で、普通市民のロマン語は俗物的だったのである。ドイツ・ロマンティックの後期に至るまで、ドイツの大学のペダンティックな文学書生は(之が今日のアカデミック・フールの先駆者である)、ラテン語で「文学」を論じたものらしい。だが土木技師と間違われたり哲学者とは茶を飲まなかったりした新興ブルジョアジーの「俗物」カントは、すでにその所謂批評期に這入るとすぐからドイツの市民語で哲学を書き始めた。フランスではデカルトが俗語哲学者の祖と思われる。不思議な偉大さを持っているダンテは、最も古く俗語の「詩」を書いて、文学的な市民イタリア語の建設者となった(ダンテの「俗語論」というのがあるがまだ読んだことがない)。
 ロマンスという文学形式がロマン語市民の俗な恋文から発したことはとに角として、ダンテで思い出したことは彼の『神曲』が喜劇と名づけられていることだ。「悲劇」が英雄の没落を取り扱うものである代りに、俗間の普通事を取り扱った本当の劇がこの場合の喜劇の意味であって、悲劇が却って如何に俗物的なものとなっていたかが之で判る。抑々喜劇は社会的批評の必要から産れるものだが、この喜劇が俗物的なもので、之に較べれば悲劇の方が一般に文学的だと考えているらしい悲劇主義的俗物達は、悲劇というものがどんなに封建的支配階級の飯ごとを写した悲喜劇であったかに、注意すべきである。そして、市民の悲劇などというものがあるなら、夫は喜劇に過ぎないと考えられたのだ。神でも人間でもない民衆に悲劇などはあり得ないと。

 社会階級の対立関係に基いて、俗物の意味が完全に入れ替わることは、科学乃至学問の世界に於ても、文学の世界に於てと、少しも変らない。
 今日の大学であるアカデミーは初め、中世の封建的教会大学に対抗して発生したブルジョアジーのイデオロギー的社交団体であったのであり、之は「俗悪」な現世的な自然探究や実験を以て、神聖なスコラ的聖書解釈学に対抗したものである。処が今日ではこの俗物のアカデミーの後進である世界の諸大学自身が、中世的封建大学の後身と合体して了って、極めて神聖なブルジョア大学となって了った。
 今日では法王に代って、このブルジョア大学の総長の印璽が神聖哲学や神聖科学にサンクションを与える。凡そ之にそむくものは、科学的に真理であろうとなかろうと、俗悪思想で俗物科学だとされるわけである。例えば広い意味に於けるプロレタリア科学乃至弁証法的唯物論などは、最も卑俗な科学乃至哲学ということになっている(『唯物思想』!)。
 だが、実はこの大学の官許科学乃至官製哲学こそが、夫が神聖であることによって、或いは之を神聖視することが強制されていること自身によって、却って正に現在最も俗物的なものの見本なのである。丁度アカデミックな文学が、正にアカデミックであるが故に今日では一等俗物的な文学であるのと、之は少しも変らない。
 で、各種の神聖哲学がどれ程神聖な俗物にぞくするかは、一二の場合を取って見ればすぐ判ることだ。神聖哲学の割合理論的(?)なものは、今日の大衆無産者を動かしている生きた世界観と相容れないばかりではなく、ブルジョアジー自身を動かしている世界観とさえ連絡をつけることが出来ないような、徒に荘厳にされた神聖な死体に過ぎない。之に対して、割合生命的(?)な神聖哲学は、生の哲学、ヒューマニズムの哲学(この人間主義は今日ではアカデミックになって人間学主義と変っているが)、又特有なリベラリスト哲学として、超俗物派的プチブルインテリ哲学の、俗物らしい神聖文学趣味に奉仕しているのである。――おお「文学への愛」よ! だが併し何とこの神聖哲学者達の、「哲学」に対する、「論理」に対する、愛の薄情であることか!
 社会科学に於ける俗流と本物との区別は、世間で見分け方を知らない者のいない程常識化しているから、問題ではないだろう。処が卓越した本物の社会科学者さえが、自然科学になると、之を無条件に神聖視し勝ちに見えるのは、どういう気なのだろうか。今日の自然科学こそ、今日のブルジョア神聖科学の守本尊であって、ブルジョアジーは文学や哲学や社会科学の大学課程は全廃しても、この自然科学にだけはすがりつけるものと思っている底のものなのである。今日の自然科学は殆んどその大部分の場合が、神聖自然科学者の科学に他ならない。俗物的なものがこんなに大きな超俗物づらをしている例を吾々は他に知らないのである。
 社会階級上の中立、政治からの自由、社会に於ける専門家的特権、等々の上に生活の安定を楽しんでいる家庭的な自然科学者や生産技術家は、現代に於ける最も俗物的な貴族意識の好模範と云っていいだろう。
 同じ自然科学者乃至技術家専門家の内でも、医学乃至医術は特別な考察に値いする。かつてアラビヤ医学やスコラ医学が神聖であって、解剖上の研究や実際の診療活動はどうでも良かったように、今日の官許医学乃至医術は、大衆に対する社会的診療とは殆んど何の関係もない程神聖なのである。各種のインチキな所謂民間療法はこの神聖医学に対する無知な怨嗟の声に他ならない。こうして現在では二種類の俗物医学が存在するのである。「医博」が社会的にどういう俗物さを意味しているかは読者の研究に一任していいと思う。
(一九三四・六)
 私は、現在に於ける新しい型の俗物に就いて述べた(「24 俗物論」)。その主旨は、今日みずから超俗物を以て任じたり、超俗さを有難がったりすること自身が、何よりも著しい俗物の特色だ、ということにあったのである。なぜワザワザそんなことを云い出したかというと、そういう逆説的な僧侶的俗物が、可なりの程度に現在この世の中で幅を利かせている現状を見るからである。で、もう少しその話しを続けたいと思う。――尤もそうした俗物のことは実はどうでもいいので、私は、説明したいと思っている或ることを今説明すればいいのである。
 考えて見ると、最も俗物的に理解されている近代哲学的用語の一つは日常性という言葉である。俗物によると日常生活は最も俗悪なものであって、夫は本来の生活からの堕落だということになっている。多分所謂日常生活者も又この信心深い本来生活者(?)もこの点には異論がないようだ。なる程日常性という言葉が神学的用語である限り、無条件にそうなることに決っている。一体神学上の範疇組織は、こうした本来生活者を、例の日常生活者である無産者的大衆(大衆は昔から貧乏だった)から社会階級的に引き離すのに役立つように出来ているからだ。このことを信じないものは取りも直さず彼が広い意味の神学者であることを告白しているに他ならない。
 併し話は神学のことではなくて哲学のことにあったのだ。吾々は日常性という概念を哲学的に、即ち神学的にではなく、用いなければならない。そうするとどういうことになるか。処がまだ一向この日常性という概念が哲学的にも分析されていないようである。
 神学者(即ち又超俗物派の哲学者)は日常性の特色を「人々」という関係に見出している。世間の平均的な「人々」はそう云っている、「人々」はこう思うだろう、ということが或る一人の人間に於ける日常性だというのである。コンベンションや歴史の必然性(だがそこで云う歴史の必然性とは一体どういうことか?)に縛られ、ひたすら之に追随するのが日常性だというわけだ。併しそうした信仰文学的な凡庸なテーゼはどうでもいいとして、それにコンベンションや歴史の必然性などを文学的に(文学主義的に)片づけられては非常に迷惑だが、問題は日常性の哲学的分析にある。
 吾々は毎日一定の社会に於て一定の生活条件の下に、感受し反省し計画し実行するというサイクルを反覆している。これが日常生活で、この日常生活の持っている根本特色以外に日常性の哲学的観念はあり得ない筈だろう。コンベンションや歴史の「必然性」などにそのまま追随していては日常生活など実はやって行ける筈はないのであって、日常生活はいつもコンベンションを破り新しい必然性を造り出して行くことによってのみ事実保たれている。そうしなければ、神学者はとにかく、少なくとも吾々は食って行けないではないか。束縛されたり追随したりしかしていないように見えるのは、日常生活の皮相な現象で、それは却って日常性がまだ完全でない処の日常生活に於ける随伴現象に過ぎない。日常生活は俗物が考えるよりもズッと「神聖」に出来ている。日常生活以外に、本来的生活が必要だと思う人達は、多分、本来的生活は極めて良心的に、そしてその代りに日常生活は極めてオッポチュニスティックに、使い分けてやって行く人達だろう。そういう「人々」もいることは、なる程一つの社会上の事実ではある。
 「人々」のいう「日常性」が何を云い表わしたいかを私は知らないではない。だが日常性というものはもっと日常的に(ペダンティックにでなく)本当に文学的に理解されなければならないのだ。

 日常生活の特色、実は生活それ自身の特色に他ならないのだが、その特色は、一見雑然としている処の物的関係の綾をば、生活の原則が、忠実にも而も高邁に貫徹して行くという、ごく平凡な併しそうかと云って決して凡庸とは云えない処の、性質の内にあると云っていいだろう。この際徒に高尚なものや徒に深刻なものは、最も無責任なものだ。そういう意味では最も物的に具体的なことが、単に肉体的であるとかザッハリッヒであるとかではなく、正に物体的に条件を具象しているということが、日常実際生活の特色である。
 よくこの頃「人々」は現実という言葉を好んで口にしている。だがどんな具体的なものでも抽象的に把握されることが出来ると同じに、どんな現実的なものも、甚だ非現実的に観念的に、甘チャン式に、観念出来るものなのだ。公知に欠けがちな「意欲」や「主体」や乃至要するに「身辺」の使徒である或る種の文学者達が現実と云っているものと、実際の現実とは似て甚だ非なるものなのである。この似て非なるものとは根本的に範疇的に別なものだという点こそ、正に本当の現実の、即ち人間の日常生活の、特色をなしている当のものなのである。日常性の原則は他ならぬそこに成り立つのである。
 吾々は現実などという言葉を今の場合信じてはいられない。場合によると之は自分と他人とをゴマ化す観念論者の最も都合のいい口実だからだ。日常生活の原則を一口で云い表わすには寧ろ実際性(Actuality)という概念の方がいいだろうと思う。――尤もアクチュアリティーという言葉も色々に使われて来ているので、例えばジェンティーレのファッショ哲学でも使われるし又却って極めて形而上学的な(形而上学的ということは実際的でないということだ)意味にも使われている。例えば働くもの(アクトを有つもの)の世界がアクチュアリティーの支配する世界で、働くものが何かの意味で物体的な資格を脱し得ない限り、アクチュアリティーの世界は要するに単なる物的世界以上のものでないから、最後の世界ではあり得ない、ということになる。又他の例を採れば、今度は反対に考えられて、物的世界では本当のアクチュアリティーは見出せない、その根柢は純粋な意識の中に(例えば直覚の中に)横たわるというのだ。実際性(アクチュアリティー)という観念を、之等の哲学のように勝手に形而上学的に蒸溜して使う限り、折角の実際性という範疇も、凡そ日常生活とは無縁な反対なものにさえなって了う。――一体「哲学化」された(実は形而上学化された)範疇位、事物の本質をあらぬ処へ持って行って了うものはない。その弊害は文学化された範疇使用法以上かも知れない。
 だが実際さということはもっと実際的に考えられて然るべきだ。例えば最近、満州で関東庁の警察官と領事館の検事との間に対立と決裂が発生したという事件があるが、こうした事件は哲学的(?)には、即ち形而上学的原則に関わる限りは、全く問題にならなくてもいいかも知れない。処が之こそ見遁すことの出来ぬ大事な時事問題実際問題なのだ。吾々の日常生活の問題はこうした時事問題乃至実際問題を抜きにしては、殆んど全く無内容になる、という平凡な一つの事実を、哲学も文学も、もっと正直に考えなくてはならないのである。
 だからアクチュアリティーを、実際性などと書くから妙に形而上学化されて勝手な解釈が這入るので、之をもっと日常的に、時事性又は時局性と書けば、その云わんとする処がもっとスッキリと判ると思う。日常茶飯事と云うが、そして之は所謂コンベンションの本質を好く云い表わしてもいるが、一体日常の茶飯が満足に行くかどうかということが、今日の大衆の日常生活に関する時事問題の最も重大なものではないか。

 現実とか実際とかいうと、歴史の必然性と自由との関係などを持ち出して、とや角云いたがる人もあるが、歴史に於ける必然性とか自由とかいう概念の使い方は、すでにマルクス主義哲学で科学的定式を与えられているのだから、この定式を利用しないで勝手なことを云うものは、科学的に真面目な対手に出来ない。そんなことよりも日常性の原則にとって大事なのが、前に云った時事性というものなのである。哲学が唯物論であるかないかの標識の重大な一つもここにあるのだ。無論時事問題に関心を示しさえすれば唯物論になるなどというのではない。その場合ならばその時事問題の処理が科学的であるかないかが標識になる。尤も科学的な処理内容を特に文学的に表現することは大事なことだ。だが初めから文学主義的な思考のメカニズムなどを以て片づけられた時事問題は、決して唯物論的ではないのである。
 曾て知人がイタリヤのパレートの業績を話しながら、私に、パレートの晩年は新聞記者のようになって了って、学者としては駄目になったと云っている人もあるそうですと教えて呉れた。もし充分考えた上で自信を以てそう云ったのだったら、このパレート批評者は一言にして愚を表わすものだと私は思う。新聞記者になったというのではなくて新聞記者のようになったというのだから(尤も夫が本当かどうかは私自身調べてはいないが)、多分ジャーナリスティックに、即ち時事評論家風に、なったということだろう。それが学者として悪いというからには、学問は時事性から純粋であるべきだというのが、この批評者の哲学上の信念になるわけだ。日常性を抽象し去ったこうした純正哲学は、丁度サラリーマンの謡曲のようなものであるか、それとも深刻な哲学文学者のように日常生活の方が余技になるかも知れない。とにかくそのどちらかに相違ない。読者はここでも超俗的な俗物が如何に生活に不忠実かということを見るだろう。
 前に云ったこともあるが、一体ジャーナリズムというものの哲学的意義は今日哲学的に全く理解されていないばかりではなく、殆んど問題にさえされていないのである。ジャーナリズムに食いついたり食いつこうとしている人間の内には、無知なくせにマセた人間も特に少なくないだろうから、資本主義的ジャーナリズムやジャーナリストがアカデミシャンから軽視されたり軽視するような態度を採られたりするのも無理ではないが、併し日常生活が哲学的に問題にされなくてはならぬとすれば、時事性を中心とするジャーナリズム現象が哲学上又文学意識上の切実な実際問題になる所以が判らない筈はあるまい。ジャーナリズム現象乃至新聞現象に対して、どれだけの哲学的な関心を示すかによって、その哲学なり文学なりの、水準を知ることも出来る位だと私は見ている。
 日常性という問題が、こうした時局の問題にすぐ様結びついているという明白な日常生活の現実(尤もこうした現実は自称理論家や自称文学者にとってはあまり気づかない現実なのだが)を眼の前にして、日常性が世間大衆の平均的なイージーゴーイングな生活様式だとか何とかいうようなことにばかり話を持って行って、誰も彼もそこで足踏みしているのは、彼等が僧侶ででもない限り、余程どうかしていると云わざるを得ない。
 神学とか形而上学とか文学主義的文学意識と云っていいものとかは、その使う範疇が単なる解釈用の範疇を出ないもののことをいうのであるが、この解釈の範疇は、時事的現実の実際問題に対しては、茫然自失するか顧みて他を云う他はないのである。そして抑々唯物論は、こうした頭脳の上っ調子を克服すべく今日発達して来ているのだ。

 新聞を議論したものには時々新聞と歴史との関係に触れたものがある。少なくとも新聞が今日以後史料の内で最も大切なものの一つとなるだろうということを考えて見れば、今云う意味は判ると思う。そういう点ではジャーナリストと歴史家との必然的な連続が注目に値いする。事実今日日本などでもジャーナリスト出身の歴史家で世間から重んじられている人は少なくない。尤もその研究方法は今までの所謂「ジャーナリズム」からの影響によって、アカデミックにも科学的にも可なりの欠陥があるだろうが。
 とに角新聞現象(広くジャーナリズム現象という意味に於ける)と歴史との連関は、実際問題から云えば極めて重大な注意に値いする。社会の時事に関わる処の新聞現象を抜きにして、歴史現象を論じ得るかのように考えるのは、歴史哲学ででもない限り恐らく不可能なことだ。歴史哲学は歴史理論からその時事的なアクチュアリティーを抜き取って了う歴史形而上学のことで、神学の近代的形態の一つのことだが、併し現実の実際の歴史は、歴史哲学や又はそれに伴うと云われる「歴史的感覚」によって把握されるものではなくて、社会の分析やそれに必要な社会的感覚(即ちジャーナリスティックな時事的センス)によって初めて把握されるものだ。日常性の嫌いな超俗物派の俗物は歴史の問題に就いても、自分が袖にした日常性から復讐されているのであるが、それを知らないのは俗物自身だけだろう。要するに事柄は、「歴史哲学」と史的唯物論との根本的な反対対立ということに帰着するのだ。
 日常性の問題から当然思い起されるべきものは批評の機能である。或いはもっと卑近に云えば、多分文筆業者達は新聞と云うとすぐ様批評を思い浮べることだろう。尤も気ムヅかしやの作家達の或る者によると、批評というものは甚だツマらぬ怪しからぬ無益なもので、特に時評に至ってはなっていないということだ。まして匿名批評に至っては言語道断だと云っている。匿名批評のもつ社会的機能の意義に就いてはすでに述べたが、今は、時評の方の時事的機能に注目しよう。実際、前から云っていた時事性から出発しなければ、凡そ批評(批判・評論)というものは、哲学的に全く理解出来ない。
 期間が一日であるか一世紀であるかは問わぬとして、とに角一定の時期やセーゾン(季)に立つ時事性を出発点にすることによって、初めて批評は批評の機能を果すことが出来る。その意味から云って一切の批評は(そして一切の批評の価値はそれの社会的機能にあるのだが)、時評でなくてはならぬ。時評と云うと新聞や雑誌に載る月旦のことで、哲学的に問題にならない下等なものだと考えて見せる向も多いようだが、それは却ってその人間が如何に現在の「ジャーナリズム」になずんでいるかを告白するものだ。広義の時評以外に批評はない、もしあるように見えるなら、それは批評ではなくて批評主義という一つの「解釈の形而上学」のことでしかあるまい。
 私はひそかに思うのだが、今日まだ批評というものに関する哲学的分析が、実は殆んどないのではないだろうか。之は哲学を一種特定の意味での(尤もそれには可なり面倒な条件が付くが)批評だと考えている私にとっては、驚くべきことだ。だがそれも尤もで、日常性というものが殆んど少しも哲学的に反省されていない所に、批評というものが真面目に問題になれる筈はないだろう。
 以上のようなものが、なぜ私が超日常的俗物を軽蔑する必要を科学上持っているか、ということの一斑である。――独り文芸時評や論壇時評に限らず、一般に時評が、特に又社会時評そのものさえが、哲学であり乃至文学であると云えるのである。
(一九三四・九)
 私は拙著『日本イデオロギー論』〔前出〕に於て、現代に於て必要な啓蒙なるものの特色を説明した。これはごく簡単な覚え書きに過ぎなかったから内容は杜撰であるが、仮にそのままの形態に於てであっても、その内に私はもっと広範な読者に訴えたいものを持っている。
 啓蒙という観念は現代の日本ではあまり重大な意義を認められていないのではないかと思われる理由がある。少なくとも啓蒙とも云うべきもののもつ社会的な役割に就いては、世間では極めて平俗な常識以上のものを持ち合わさないようだ。啓蒙という以上、無論何かの意味での大衆が相手なのである。人間生活に基く広義の知識や思想を、この意味で何等か大衆化することが所謂啓蒙だと云っていいだろう。処が世間では、知識や思想のそうした大衆化である処の啓蒙や啓蒙活動を、何か純粋な知識や純粋な思想に較べて一段と低い通俗的知識や通俗的思想のものだと考えている。ここにすでに根本的な錯覚が横たわっているのだ。
 こういう根本的な点に於ては、大衆的とか大衆化とか、従って又大衆とかということ自身が何であるかを、もっとハッキリさせておかなくては、飛んでもない見当違いを惹き起こす危険があるだろう。通俗的という観念も之と連関して同様である。しばらく前によく問題にされた大衆文学と純文学(純粋文学)との区別などは併し、実は大衆的な文学と純粋な文学との区別ではなくて、文学に於ける二つの対立した社会意識の区別に帰着するものであったから、この区別では今はそのままでは役に立たぬ。
 通俗文学と純粋文学との区別もあるが、之を例えば偶然性を用いるか用いないか、必然性がないかあるか、というような区別を通って明らかにするとしても、結局、作品の落ちを既成の常識に求めるか、それとも既成常識を裏がえし又は突き破るか、という区別に帰着する。処がその常識なるもの自体が、通俗性とか大衆性とかと同じ位いに不定で而もパラドクシカルなものだったのだから、大衆性や通俗性の性質は之では判ろう筈がない。
 尤も自然科学の世界を取って見ると、文学の世界に通俗文学と純粋文学とが対立したような意味で、純粋な科学と通俗科学とが対立しているのでないのは云うまでもない。本格的な科学はそのままにして、之を単に通俗化することだけが、その際通俗科学の唯一の意味なのである。処で事実上、日本などで特に目立つことは、科学のこういう通俗化(ポピュラリゼーション)がどういうものになっているかというと、つまりは科学の本格的な叙述の代りに、素人に向かって論証抜きの報告をするか、それとも便宜的に結論だけを先に覚え込ませることによって素人を教育しようとするか、でしかない。素人はこの場合、この専門家達の権威信用する以外に、自分の頼り処を見出し得ないのだ。こういう科学の通俗化では、素人は少しも科学に対する人間的興味を増進し得ないばかりでなく、専門の科学者自身も、鈍磨することはあっても決して利口になることはあるまい。でここには何か間違いがあるのだ。
 通俗化又は通俗性というものに伏在しているこのエラーを避けるためにも矢張り大衆化とか大衆性ということを、ハッキリさせることが必要になる。そしてそこから啓蒙というものの意義も見当づけて行くことが出来るだろう。

 今日大衆と呼ばれているものが、何か社会的に重大な期待を持たれている以上、夫はただの多数者や大多数者のことではない筈だ。もしそうならば夫はモップにすぎぬ。でそうすると之は少数者とは独立な而かも夫を圧倒し得るだけの独自な原理に立った限りの多数者でなければならぬ。つまり大衆は、少数者とは別な価値の尺度を自分の理想乃至ノルムとして持っているのである。従って大衆が大衆性をもつ所以は、その独自の価値理想によるわけで、その理想に実際達したものが仮にごく少数の者に限られていても、之によって大衆の大衆性は少しも妨げられぬわけである。
 プロレタリア大衆とか農民大衆とかいうものが、その大衆の名によって何かの現実的威力を持つように思われ得る関係は、ただここからしか出て来ない。ただ数が多いというの内からはその価値は生じない、多いという量が産み出す或る一定のの内からこそ、その価値が生じるのである。
 だから科学や文芸を大衆化するのは、科学や文芸を便宜上低級にされた二次的な科学や文芸で以て置きかえることではなくて、実は、専門としての科学や専門としての文芸(?)に、専門としては見出せなかった或るプラスをつけ加えることに他ならない。だから例えば最近の物理学の方向・成果・意義其の他を大衆的に、本当の意味で通俗的に、叙述することは、決して凡庸な自然科学専門家に出来ることではない。それが出来るためには、少なくとも例えばエディントンのような哲学的観念やジーンスのような文学的表象などを必要とする。之は一種の高い段階の能力を俟たなくては出来ないことだ(但しエディントンの「哲学」や「文学」があれでいいとは云わぬが)。
 大衆性ということと離れることの出来ないこの一種の資格の高さは、常識というものにも略々そのままあて嵌る。常識や之と直接連関している日常性に就いては、前に色々述べたばかりだから今は省こう。併し少なくとも以上のような方針で考えて行くことによって、大衆性とか通俗性とか、それから常識とか日常性とかいうものの持つ意義が、所謂通俗な常識を超えたものだということが見られると思う。
 さてわが国などで啓蒙というものに就いて懐かれている見解が又右と全く同様にごく浅墓な「常識」のものだということが判るだろう。田口鼎軒は驚くべき経済学者であり歴史家であった。併し之に対して、福沢諭吉が結局啓蒙家に過ぎなかったからと云って、その文化史上の意義を軽んじることは出来まい。ユーベルヴェークの哲学史に福沢諭吉が日本の哲学者の筆頭として載っているのを嗤うものは、哲学に就いて甚だ平俗な観念しか持たない者だろう。一体なぜ福沢諭吉は啓蒙家ということになっているかというと、それは今まで云って来た処に関する限り、彼が新知識と新思想との卓越した紹介者だったからである。丁度今日、シェストーフが、ニーチェが、キールケゴールが、又々ベルグソンが、新知識新思想として紹介され再紹介されるのと、それはこの点で変りがない。
 シェストーフ其の他の紹介翻訳(翻訳の文学的意味は文化の忠実な紹介につきる)、それから又その独創的な(?)追加的解釈、之は現代に於ける一種の部分的な啓蒙活動に他ならないのであって、ただ後に見る処から判るように、それが甚だローカルに歪曲され萎縮した啓蒙活動だという処に、夫が本格的な啓蒙の形を取り得ずに、却って一見専門的なアカデミックでさえある服飾に包まれて見える、ということの理由があるに他ならない。

 それはさておき、仮に今、田口鼎軒が専門家で福沢諭吉が啓蒙家だとして、併し両者がそれにも拘らず同じく明治初年の日本に於ける啓蒙期の二大代表者であったということを注意しなければならない。歴史認識上の乃至は倫理観念上の徹底した合理主義の提唱がこの二人の啓蒙期人物に共通する処だろう。丁度フランスやドイツの啓蒙期の哲学者達が、事実上又啓蒙家的な哲学専門家であったように、この二人は啓蒙家的な専門家と啓蒙家的啓蒙家とであった。
 だからそこで、一般に啓蒙家なるものに見られる啓蒙と、歴史上の一定時期であった啓蒙期の啓蒙とが、宿命的に離れることの出来ないように結合しているものだ、という風に一応考えられ易いのである。啓蒙と云えば、すでに今では過ぎ去り踏み越えられた啓蒙期の所産で、その時期にだけ相応しかった観念だ、というようなやや高級な常識が、暗に世間の学問のある人達の一部を支配していはしないかと思う。
 或いは本当を云うと、一般に啓蒙なるものがクダラヌものだから、この根本観念を産んだ時期である啓蒙期も亦、大した真理のあった時代ではない、という推論によっているのかも知れない。がとに角ドイツ風の「文化」という先入観念に支配されている一部の歴史哲学派や文化哲学派、生の哲学派達などは、啓蒙期という文明進歩の観念に魅入られた時代が浅墓な時代だったと考える処から、その時代の合言葉である啓蒙なるものも亦一般に、クダラヌものだという帰結に到達しているのではないかと思う。
 そこで啓蒙というものに対して前に述べたごく平俗な常識による軽蔑の他に、今ここに第二に、もう少し高級な常識による軽蔑が現われて来るわけである。――併しこの高級な哲学者らしい常識も、丁度ブルジョア観念哲学の大部分のものが専門の形をとった俗悪さに過ぎないと同じ意味で、依然として平板卑俗なものであることを免れない。なぜならすでに、啓蒙期の啓蒙と一般に啓蒙なるものとを無意識にせよ混同するかも知れないということは、それだけでも決して科学的ではないからだ。
 普通啓蒙期とその時期の啓蒙とは悟性の立場に立った機械論的合理主義のものだと云われている。それは歴史上の事実だから議論の余地のないことだが、併しそれから、一般に啓蒙乃至蒙啓の立場(啓蒙主義)が悟性の機械論的合理主義に限るという結論は、理論的に云って決して出て来ない。なる程蒙啓という言葉を所謂啓蒙期のものに限りたいならば、それも自由かも知れないが、併し今日のような論議無用の時代に、啓蒙という言葉は一体必要でないとでも云うのだろうか。歴史的に云って別な結論が必要なのである。
 今日の啓蒙活動の原則となるものは、悟性の立場ではあり得ない。現代日本の反悟性的な反動(だからそれはミスティシズムになるのだ)に対して、再び悟性を持って来るのでは、理論的武器にならぬ。で今ヘーゲルの意味での理性の立場が必要となるのである。否もっと確実な形で云うと、今日の啓蒙原理は前に云った機械論ではあり得ないので、従ってディアレクティックであらざるを得ない(哲学史上機械論は弁証法――観念論的又唯物論的――と対立する習慣になっていることを断わっておきたい。「唯物弁証法は機械論だ」などという無知な言葉の出ないように)。そして結論へ急ぐが、ディアレクティックは必然的に唯物論に帰着する。その証明はドイツ哲学史を見ればいいので、理性的なものは現実的だと云ったヘーゲルの言葉には意味があるのだ。
 こうして現代唯物論は、フランス唯物論がそうだったのに似て、恰も今日の啓蒙原理となるのである。そしてこの現代唯物論と離れることの出来ない大衆性なるものの一側面をなすものが、正に之なのである。現代に於ける科学や文学の啓蒙的(又大衆的)な意義は、ここに帰着せねばならぬ。
(一九三五・四)
 広い意味に於ける新聞現象、或いは広い意味に於けるジャーナリズムの本質は(之に就いては後に述べようと思うのであるが)、色々と、又色々の側面から、指摘されている。少なくとも日本に於ける大新聞の近代的傾向は、商品としての新聞物を生産販売するという資本主義機構から来る一結果として、その本質が著しくニュース・報道の内に横たわるように見られている。之は疑うことの出来ない事実上の現象であるが、そして夫が又近代的大新聞の何より著しい特色だということも本当だが、併しこの事実上の現象に現われた特色は、実は必ずしも近代大新聞の本質だとは云い切れない。
 というのは、ニュース・報道・本位ということは、つまり批評・評論を第二義的とするということに他ならないのだが、併し報道と批評とをそう簡単に区別して了うということが、すでに報道乃至批評というものの本質を逸して了うことになるからである。よく考えて見ると、批評を含まない報道は事実上報道不可能だし、又批評という機能を営まない報道は一つもないのである。相場の報道でさえ、夫が報道されねばならぬと考えられる所以から云うと、つまり投機家の思惑や杞憂やの種となるために提供されるのであって、本来ならば噂となって伝わるべきものが、新聞やラジオを通して伝えられるに他ならない。噂の代行をしないものは一つとしてニュースとしての資格を持たない、ニュース・ヴァリューがないのである。だが噂と云えばすでに、最も原始的で市井的な批評機能を果すものだということは、誰でも知っている。自分や相手に興味のない知識を人に伝達することは決してあり得ないので、何かの関心と利害とを伴った知識だけが世間社会で伝達されるのだが、その際必ずその知識内容である事実(実は大抵不正確な事実又は虚構でさえある)に就いての、感想・毀誉褒貶、即ち評価・批評が吐露される。夫が噂なのだ。そういう噂がニュースの価値をなすかくれた動力なのだから、ニュース・報道は凡て批評を含み又は批評機能を果すと考えていい。
 だから、近代的大新聞が、批評機能を次第に第二次的なものに落して、ニュース第一主義を取るようになったと云われても、夫は単に政治的な評論を露骨に陣頭に押し出さなくなったというだけで、もっと原始的な、市井に行なわれる(井戸端会議のような)俗間的な批評機能は失われたのではない。寧ろそうした俗間的な批評能力が増せば増す程、ニュース・ヴァリューが尊重されたということになるわけなのだ。評判にならない程度のものはニュースにはならぬ。――で一応の事実上の現象ではとにかくとして、新聞現象乃至ジャーナリズムの本質又は根本特色は、報道よりも寧ろ批評の機能にあると考えた方が、根本的で展望に富んでいる。
 批評の機能がジャーナリズムの根本問題だと考えると、初めて、ジャーナリズムと哲学との連関が、或いはジャーナリズムの哲学的な意義が、或いは哲学のジャーナリスティックな必要性が問題になることが出来、また分析が出来るようになる。蓋し、批評というものに於て、哲学(その意味は之から説明しなければ明白でないのだが)とジャーナリズムとが、落ち合うものなのである。吾々は哲学とジャーナリズムとの夫々の意義を分析し析出して行くことによって、その交叉点を、批評に見出すのである。
 こういう言葉は甚だ突飛で思いつきでトンチンカンのように聞えるかも知れないが、そう取られるのは恐らく、哲学に対する一種の無意味な先入見又は迷信から来るのであって、まずその点から訂正してかからなければならないだろう。
 哲学の最も素人風の文学的な概念は所謂人生観や生活知のことを指すだろう。だが之は哲学が一等尊重しなければならない科学性(之が何であるか又夫がなぜ哲学に必要かは次第に判る)を問題にしていないから、全くの素人概念にすぎない。そうかと云って哲学を諸科学の総体・諸科学の総合(併し本当はそう簡単に総合という言葉を使ってはならないのだが)と考えるのは、単に出来ない相談であるばかりではなく、基本的な統一を持たぬ辞引式の百科辞典に哲学を終らせるにすぎない。諸科学ばかりではなく一切の文化の総体・総合というなら、そうしたものは哲学ではなくて、多分個人の教養のようなものに過ぎないだろう。で、哲学は一種の専門的な技術を有った、何かの特殊な知識又は学問でなくてはならぬ。
 だから大抵の哲学教授達は、哲学を或る特殊の科学と見做している。例えば実際問題の実際さを抜きにした原則相互の関係、そうした形而上学的な領域の科学(存在一般の科学・価値一般の科学・等々)などが夫になるが、実はこの大学教授式の哲学概念は、却って最も俗流な世上常識による哲学の概念に非常によく一致していることを見落してはならない。つまり之によると、哲学とは、吾々が現に生活しているこの実際界とは別な、何か高遠な或いは迂濶な、高貴な或いは滑稽な世界に関する科学又は空想だ、というわけである。こうした「哲学」(広義に於ける形而上学)がどれ程組織的に組み立てられても、実際問題を解決する実行的功利性が云わば積極的に乏しい処を見ると、決して科学的だとは云えない。――哲学は単に他の自然科学や社会科学其の他と領域を隣するという意味での特殊科学であるよりも、一切の科学乃至知識の基本的な要約諸点を取り上げるものでなくてはならないのであって、この要約諸点をそれとして取り上げることから、哲学でなければ見られない思考方法や公式の運用が生じる点で、初めて一種の特殊科学となる、と考えるべきだろう。一切の科学のこの要点的要約は正当に論理乃至論理学と呼ばれているもので(尤も学校で教える論理学のことではない)、ここで初めて人類の思考方法の歴史とその現段階とが問題とされるのである。

 今哲学のこの規定を、単に諸科学に就いての場合に限定せず、文化全般に、芸術・道徳・又宗教に就いてまで及ぼせば、こうした諸文化の要点的要約が、哲学の科学的な最も広範な最も統一的な観念になるだろう。そういうものは或る理由から矢張り論理と呼ばれていいものだが、もっと手っ取り早く云えば思想というものに他ならないので、芸術・科学・道徳・意識・(宗教的信念さえ)・等々を貫く一貫した思想が、この哲学の専門的領域をなす。――思想というと、一方では形のないただの観念や観念傾向やを世間では考えたがるかも知れないし、又他方では一定の出来上った(社会思想というように)理論的な輪郭を世間では考えたがるのだが、併し思想とは、もっと率直に考えて見れば判るように、一定の傾向を持った観念が、凡ゆる経験を呑吐しながら、それ自身の傾向を伸ばし又矯めして、みずから補強発育すること、そのことを意味している。進歩する動向を必然的に持っていないような、ただの持ち合わせの観念は、決して思想と呼ばれるものではない。思想を論理と呼びたいのはこの理由からだ。そういう意味に於て、哲学は思想の科学だとも云えるだろう。
 或いは思想(論理)はこういう風にも説明出来る。思想は先に云ったように一面、観念のことであり、そして実は観念そのものの本性上すでに判り切っている筈のことだが、一定の傾向と傾向化性とを持った観念なのである。そういう観念を産んだ客観的な条件からこの観念を見れば、まず第一に世界に直接した感覚・感触・感情、に他ならない。普通之を世界観(世界直観)と呼んでいる。世界観という言葉も随分マンネライズされて使われる結果、感情や意欲に先行する理知的な先入主のようにも考えられているが、それは全く世界観の何物であるかを知らないものの迷信で、世界観とはあくまで世界に直接して生じる直観のことなのだ。その直観には、発達したのもあれば未発達のもあり、単純なのもあれば複雑なのもあるだろうが、併し要はどの場合でも夫が直覚というフェース(相)に位置しているということだ。――さてこの世界観から夫々の文化領域(文学・科学・等々)に特有な方法が発生してくるのだが、この世界観→方法の間の消息が、思想というものの生きた姿なのである。そして之が、一切の諸文化の要点的要約に他ならない。夫を取り上げるものが哲学だというのである。
 さて哲学は、この「思想の科学」としての役割を持つことによって、初めて、社会に於ける存在理由を受け取るのである。思想を処理出来ないような哲学は、どれ程学究的であっても、又どれ程ディレッタント的興味を惹くにしても、殆んど何らの社会的効用を持たない。だから思想の科学としての哲学こそが、存在理由を持つ殆んど唯一の哲学なのである。――処で一体哲学が思想を処理すると云って、実際に考えて見るとどういうことをするのか。場合を分けて分析して見た結果から云えば、思想の処理は思想の批評以外にはあり得ない。思想は多彩で生きたものなのだから、之を捉えるには批判ということ以外に形式がないのである。処が思想は文化の要約だったから、思想の批判は文化そのものの要約的な・根本的な・批判のことになる。即ち哲学の行なう処は、最も根本的で広範で統一的な批判そのものだということになるのである。事実、こうした批判の仕事を抜きにして、哲学の科学的な課題はない。そして文化の総合的な批判=評論は哲学を措いて他に任すべきものでないのである。
 (ここで哲学の仕事が批判=批評=評論にあると云ったことは、無論決して例の批判主義の主張を指しているのではない。又批判は実証≪ポジティブ≫に対する消極≪ネガティブ≫を意味するのでもない。一般に存在理由のある必要なものは消極的だとは云えないからだ。それからやや似た点だが、批評と云っても単に手を拱いて徒に眼ばかり肥えて高くなった実行上の無能力を意味するのでもない。最も根本的な批判は実際上の克服だ、というテーゼは今日の常識の一つに数えられていいだろう。)

 哲学の社会に於ける存在理由=科学的機能を辿ると、こうした批判=批評=評論に帰着するが、ここが又丁度、ジャーナリズムの帰着点でもあったのだ。だがジャーナリズムとは一体何か。改めて之を辿って見る。
 ジャーナリズムという言葉は、可なり妙な意味合いを持たされて、世間にマンネライズされているようだ。甚しいのになると、新聞や雑誌に例えば原稿などを送って生活する際の、その原稿や生活をジャーナリスティックだと呼んでいる。そして場合によっては、之が科学上の、又科学者生活上の、欠陥だとさえ考えられている。この際ジャーナリズムというのは、文筆上の或いは印刷・展覧・演出・等々上の商業主義を意味しているので、ジャーナリズムは何か一つの好ましからぬ又は好ましい主義或いは状態を指すもののように思われている。之が日本に於けるマンネリズム化されたジャーナリズム概念の一端なのだ。
 こうしたジャーナリズム観念が、往々甚だ俗悪愚劣な無知(主にアカデミシャンや偽似アカデミシャンの)の所産であり、ジャーナリズムの哲学的意義に就いての世間の理解を不可能にしている主な原因なのだが、この考え方は実はジャーナリズムをいつもブルジョア・ジャーナリズムだと規定してかかる態度の一つの現われに他ならない、ということを今注意したい。キャピタリズムが一つの資本主義であると同じ意味で、ジャーナリズムは一つのイズム・主義だと云ったような、妙な錯覚か愚にもつかぬ洒落かに之は相応しているのだ。
 ジャーナリズムをブルジョア・ジャーナリズムに限って考える、ジャーナリズムを近代資本主義の所産に限って考える、ということは、階級的観念を強調するの余り生じた一つの誤りであって、階級性はジャーナリズムそのものに就いてよりもジャーナリズム内部に於ての方が余程重大性を持っているということを忘れてはならぬ。云うまでもなく、ブルジョア・ジャーナリズムは近代資本主義の所産なのだが、併し例えばプロレタリアの新聞や出版がもしジャーナリズムでないとしたら何と呼んで之を一括出来るだろうか。プロレタリア・ジャーナリズムは、言葉としても課題としても、充分に強調されねばならぬ理由があるだろう。ジャーナリズムが資本制にだけ固有だという、一部に行なわれている安易な仮定は、最初から一応撤回されねばならないものにぞくする。
 ジャーナリズムは社会のイデオロギー的機構にぞくする一つの歴史的な社会現象なのである(そういう意味で初めて之はアカデミズムと対立する)。どういう現象かと云えば、例えば新聞現象・一般に出版現象・文筆現象・演説現象・等々であって、仮に一般的に、「表現報道現象」と呼んでおいていいだろう。という意味は、例えば文学創作は一つの表現現象だと考えられるが、之が活字になって雑誌に載って人に読まれる時、夫はもはや実は単なる表現現象ではなくて、すでに報道現象なのである。所謂文学乃至文芸はこの両側をつらねたものであって、一種の芸術学などが、文芸をただの表現という観念によってだけ説明しようとすることが如何に意味のないことかということは、之でも判るだろう。一体吾々人間は何のために表現するのかと云えば、実は純粋の表現のための表現(単に已むに已まれぬ表現欲の満足)をしようというのは、特殊化された例外の場合で、一般的には、いつも報道するために表現するのである。元来表現ということ自身が、自分自身を対手と見做した報道現象なので、もしそうでなければ言葉による表現である文学乃至文芸程無駄なものはない筈だ。表現そのものが実はすでにジャーナリスティックなのだが、併し之を更に意識的に既知未知の社会人に伝達することによって、このジャーナリスティックな表現欲望が一挙に満足させられることを見落すべきではない。だからジャーナリズムとは、表現報道現象だというのである。
 なぜ単に報道現象と云わずに、特に表現報道現象と呼ぶかと云うと、前にも触れたように、ジャーナリズムの本質的特色は決してただの報道としての報道にはつきないので、いつも批評を含んでいるか批評の意味を持っているかするだろうから(之は今から説明する筈だが)、ただの報道現象では困るわけであり、之に表現を冠すればジャーナリズムの批評機能に触れることが出来る筈だ、という理由が一つ。もう一つ実際上の必要としては、単に報道だけをジャーナリズムだとすれば、結局ニュースのようなものだけがジャーナリズムの内容になって了って、文学や科学や其の他一般の諸文化がもつ表現としてのジャーナリスティックな性質が完全に忘れられて了い、ジャーナリズムと文化とはこうやって全く切り離される結果、現にジャーナリズムの持つ本当に文化的な意義を見失うような欠点が生じて来るからである。
 でジャーナリズムが表現報道現象ということの意識の足りない処から、ジャーナリズムの文化的意義と、諸文化のジャーナリスティックな本性とが没却されて、実際問題としては、世間常識によるジャーナリズムに対する殆んど無意味なまでにも低級な理解乃至評価が発生しつつあるのである。或る世間常識家(?)に云わせれば、ジャーナリズムは一切の文化内容を不正確にし片輪にするというのである。科学上の研究成果もジャーナリズムの手によると忽ち卑俗化されて了うという。つまりジャーナリズムは真剣で真実なものをただの無責任な噂やお喋りにして了うというのである。併し無論之は現在のジャーナリスト又はジャーナリズムの無力の致す処で、ジャーナリズムそのものの責任ではない。なぜならジャーナリズムにとっては、諸文化の卑俗化・俗流化どころではなく、諸文化の(文学なら文学の)啓蒙という重大な文化的(文学なら文学的)な役割があるからだ。
 又ある世間常識家(?)は、ジャーナリズムの取り上げる処が、いつも一時的なその場限りのもので、原則的で理論的な線に触れない、と云って不満をもらす。だが之も現在のジャーナリズムの事情に基くことで、すぐ様ジャーナリズム自身の欠点ではない。それどころではなく、之は寧ろジャーナリズム独特の権限にぞくする能力を暗示しているのであって、ジャーナリズムは日常的時事的実際的(actual)なことをこそ生命とする。実際的なものこそ生きた現実(actual reality ― actuality)であり、そうした実際的現実が生々と行なわれること(activity)は、日々の、刻々の、或いは年々の、月々の、日常現象なのだ。こうした生きた現実が、日常生々と行なわれること、に就いての正しい知識こそ、何より具体的な真実の知識であり又理論でなくてはならぬ。それが社会の分析を伴う場合、政治的になって、時事的になるのだ。之を離れ、或いは之に無条件に先行するような原則的・原理的な知識は、結局形而上学的抽象観念にすぎないので、理論上の即ち哲学上の真理を持つことは出来ぬ。吾々の日常生活は、社会の歴史の最も現実的な要素なのだ。――ジャーナリズムは原理的でないというのは迷信で、日常性という真理の最も率直な原理を守るものこそがジャーナリズムなのである。

 事物の歴史的・時間的・認識は、最も具体的な、即ち最も真正な、知識である所以だが、ニュース(この新造の言葉はシェクスピアのハムレットにあるそうだ)がW・シュレーゲルによって Zeitung と訳されたことは非常に興味のあることである。正に時間する現われるということこそ、現実の実際さをなす姿でなくてはならぬ。Journalism という言葉が「日」(Jour)に基くので、ローマの官報 Acta Diurna(Diurna=Jurna)から来たと云われている。日々ということが、一般に季・期(ペリウド)ということが、吾々人間の生産生活の上に於ける時間の原理であることは云うまでもないが(ギリシアの歴史家ヘシオドスは『仕事と日々』という書物を残している)、之が又人間の歴史の、又歴史記述(歴史学)の、原理でもあるということを注意しなければならぬ。すでに之まで、ジャーナリズムと歴史との関係に着眼した人も少なくはないようだが、現に今後の歴史資料としては何よりも新聞や雑誌が一等貴重なものだろうし(尤も今日の西洋紙が一体何百年後まで形を保存出来るかどうかも考えて見なくてはならないが)、それから日本でも新聞記者の間から相当優れた歴史家を輩出している。歴史というものの観点を尊重することを知って、ジャーナリズムというものの観点を尊重しないということは、至極非哲学的な不均衡だろう。
 ジャーナリズムに対するこうした認識の欠乏は、殆んど凡て、夫が表現報道現象だという点に対する注意の不足に遠因を持つと云ってもいいだろう。――処で表現し報道すると云うが、表現するに際しては、いつも一定の表現の欲望がなければならなかった。一定の表現意志があって、それが表現の主題と内容と形式とを選択するのである。表現という言葉は、表現物と表現されるものとの間に、何か見えない暗い又は空虚に見えるギャップを置くことで、その間の連絡が云わば単に象徴的にしかつけられていない場合を指す言葉なのだから、表現が或るものを表現する――又は反映する――と云っても、その反映は表現の意欲によって、一定の意図の下に、屈折されてしか行なわれない。表現に於けるそういう意欲の意図は全く、表現する当の人間が、自分が表現すべき対象又は内容に対して、どういう見解を持つか、即ちどういう意見を有つか、即ち又どういう評価をもっているか、ということに他ならない。で、そうすれば、表現はいつも批評的な活動でしかないと考えられなくてはならぬ。リアリスティックな表現と云っても、何が本当にリーヤルかということは、結局作家なら作家の現実に対する峻烈な又懇切な批判=批評をまって初めて決まることだ。――だから、表現報道現象というのは、ジャーナリズムの批評機能と報道機能とを、従って最初に云った処によって、つまりジャーナリズムの批評的=批判的機能を、指すことになる。
 この批評=批判という根本的な機能に於て、ジャーナリズムが哲学と落ち合うという点は、今まで述べて来たジャーナリズムの哲学的な諸特色から、すでに尤もに見えるだろうと思う。
 が、最後に一つの点を注意しておかなくてはならぬ。哲学とジャーナリズムとが批評=批判=評論という機能に於て相合い、交叉すると云っても、両者の場合、夫々この批評=批判=評論というものの意味が違っているのではないか、という疑問があるかも知れない。なる程ジャーナリズムに於ける批評は時事的批評時評)であり、之に反して哲学の批評は原理的な批評であるようだ。だが、時事的なもの、即ち日常的・実際的なものと、原理的なものとの関係は、すでに述べた処である。時事的なものを離れて、即ち日常性の原理を離れて、之に対立する原理というような形而上学的原理は、哲学的に云って成り立たない。そういう原理に立てこもるのは単に今日のブルジョア解釈哲学の無意味にしか過ぎない。一体時事的批評=時評を措いて批評なるものはなり立たない。時事的なものに就いて適当に近い将来に於て、それが歴史的に、どう展開するかということを一義的に予見することが時事的批評の役目なのだが、科学性というものが亦正にこの予見に他ならぬ。そして之こそ哲学の科学性をなすものなのだ。哲学は常に実際的時事的でなくてはならぬ。即ちジャーナリスティックでなければならないのである。哲学の真理が具体的になることは、少なくとも之を措いてはあり得ない。之が又、ジャーナリズムの本当の社会的意義だろう。
 一種の時評である文壇時評などが、たといどんなに貧しいものであっても、とに角一応文学的な、即ち思想的な、即ち又哲学的な意義を持っているのを見れば、以上云った意味は判るだろうと思う。
(一九三四・一二)
 この間或る同人雑誌の短評欄に、私のことを批評して、「ジャーナリズムか金儲けか」云々と云ったようなことが書いてあった。つまり私があまり方々に手を拡げ過ぎて中心が手薄になるだろうという忠告めいたものなのだが、ここで別にそれに就いて答えようとは思わぬ。併し何より気になるのは、ジャーナリズムか金儲けか、という対句の与える妙な印象なのである。例えばジャーナリズムで有名になる気かそれとも金持ちになる気か、というのなら判るが、ジャーナリズムか金儲けかでは、天候か雨降りかというようなもので、どうもトンチンカンであることを免れない。
 併し考えて見ると、多分ここでジャーナリズムというのは、雑誌や新聞で名前を売り出すという個人の行為又は態度のことであるらしい。なる程それならば金儲けという個人の行為と丁度恰好な対になるのである。と、そういう風にこの言葉を善意に合理化して解釈した上で、さて又、気になるのはその場合のジャーナリズムという言葉のもっている意味の無さである。新聞や雑誌で有名になる個人的行為がわがジャーナリズムだというのは、何と妙な観念ではあるまいか。
 処が案外ジャーナリズムのこういう観念が通俗的に通用しているようにさえ思われる節がある。ジャーナリストという存在を軽蔑する人にとっては、紙の上で名を売って生活するために、クダラない書かなくてもよいものをゴタゴタ書いている人間がジャーナリストというものであるらしく、又名声だけあって専門的な学問のない者がジャーナリストだという風にも思われているらしい。これも亦私個人の例だが、或る人が私に向かって昔のアカデミシャンとしての貴下は尊重するというような意味の手紙を呉れたことがあるが、ジャーナリスティックになったことが即ち私の学的活動の堕落なのだという仮定が、そこに横たわっているのである。私は哲学がアクチュアルになりジャーナリスティックになる時初めて科学性を有つものだという点を、アカデミックな形でもジャーナリスティックな形でも日頃説得につとめているのだから、今の仮定は思わざることも甚しいのではあるが、併し世間では案外こういう常識的な仮定が尤もなものとして通用するらしい。
 併し、ジャーナリズムのこの種の観念は、ジャーナリズムを科学的に論じようとする時でさえ、ひそかに頭を擡げて来る場合が少なくはないようだ。左翼の或る評論雑誌に、プロレタリア・ジャーナリズムに就いて議論を吹きかけている論文を見たが、それによると、ブルジョア・ジャーナリズムというのは、『改造』や『中央公論』というような大雑誌や又大新聞に原稿を書くことか、又はそういう雑誌や新聞を発行することででもあるらしい。その評論雑誌自身はジャーナリズムに這入っていないらしいのである。なる程現代のジャーナリズムは資本主義国ではごく少数の合法非合法の出版物を除いては、悉くブルジョア・ジャーナリズムにぞくするので、単純にジャーナリズム一般を問題にすることは誤っているだろうが、併しそれならば益々、ブルジョア・ジャーナリズムが大雑誌や大新聞やに書くことには限らないことになるわけである。一体ある一部の人々の間には、ジャーナリズムというもの自身ブルジョア・ジャーナリズムのことだと決めてかかっている人が少なくないが、それと之とは同じ根拠から出ているのである。即ちジャーナリズムと云えば、名声か金儲けのために大新聞や大雑誌に書くことだという、極めて卑俗な観念が知らず知らずジャーナリズム=ブルジョア・ジャーナリズムというような定式へ導くのである。
 云うまでもなくジャーナリズムは、そのような某々の個人の個人的態度に名づけた名ではないのだ。丁度技術や風俗が社会の客観的な関係であると同様に、ジャーナリズムも亦社会の一客観的関係に他ならない。それが個人の主体的な行為や生活意識やを意味するようになるのは、之から第二次的なものとして導き出された一結果に他ならないのであり、まして通俗に世間で人間の道徳的評価の言葉として使うようにさえ見える所謂「ジャーナリズム」なるイズム(?)などは、この観念が脱線して漫画化したものに過ぎない。皮肉な特徴づけとしては初めの内は利き目があるが、その皮肉さを忘れていつまでもこういう規定がジャーナリズムだと思い込んでいく内に、そういう観念の所有者自身が脱線して漫画化して了わざるを得ない。私は思うのだが、ジャーナリズムという言葉をどの程度にユニックな意味で用いることが出来るかで、その人間の社会的な頭の程度が知れるのである。
 ジャーナリズムはジュールナリスティックとか新聞学とかいうものによって、科学的に研究されるということになっている。勿論それに異存はないのだが、一体新聞というものがどういう範囲を指すかさえが、初めから問題でなくてはならぬ。場合によっては狭義の所謂新聞(今日の日刊ブルジョア新聞に準じるもの)を新聞と考える人もあるが、そういう新聞学乃至新聞論は主に所謂新聞記者の職業の手引きとして書かれているのが事実であって、新聞の社会科学的認識を目標として問題を設定したものではないから今は問題にならぬ。処がそれにも拘らず、ジャーナリストというと所謂新聞記者のことだと決めている常識もなくはない。特にアメリカ辺ではそうであるらしい。新聞記者の社会的機能を本格的に検討して見れば新聞記者必ずしも所謂新聞記者につきないのであるが、そういう穿鑿を抜きにしてジャーナリストを新聞記者と考えるのである。併しこういう常識は少なくとも日本では新聞法制上から云っても通用しない。或いは法制の方が後れている結果かも知れないが、とに角、日本の新聞紙法で新聞紙と呼ばれるものは、有保証の雑誌、即ち所謂評論雑誌を含むのである。
 するとジャーナリズムとは新聞雑誌界とでもいうべきものか、ということになるが、そういう観念も事実珍しくないようだ。併しなぜ同時に単行本が這入ってはいけないか。それから一体、出版物以外のラジオ、演壇、講壇、其の他がなぜジャーナリズムにぞくさないか。そして今日のブルジョア社会ではこうしたジャーナリズムが、いずれも主として言論や其の他の文化的表現を商品として、それの生産と販売という意味の下に行なわれているのであるが、直接の商品生産乃至販売とはならないような布達や掲示、それから噂や評判というものもジャーナリズムの本質にぞくしていることなのである。ここからも判るように、ジャーナリズムは必ずしも一種の商品生産を意味するブルジョア・ジャーナリズムに限らないということであって、現に機関紙やアジビラ・アジテーション・プロパガンダ、其の他によるプロレタリア・ジャーナリズムが存在していることは誰しも知っているし、封建制時代には封建的なジャーナリズム(例えば、制札、落書、までも入れて)が、古代社会には古代的ジャーナリズムが(ローマの官報)、原始社会には原始的ジャーナリズムが(太鼓、其の他による通信布告)、存在しているのである。ジャーナリズムの階級性はその本質の最も大切な部分をなすが、それは階級性ということであって、資本家性に限るということではない。
 ジャーナリズムは、だから一般に、表現報道の現象を指すと考えていいだろう。或るイデーを表現し更に之を報道するか、或いは之を報道するために表現するか、がこの現象の一般的な抽象的な本質なのである。これに社会機構の如何によって、夫々異った内容規定が盛られることによって、歴史的な本質が発生するのである。これが元来表現報道現象なのだから、一切の文化が表現され報道され得る限り、一切の文化はジャーナリスティックな本質を持っている。文化は文化史乃至一般に歴史に帰着するものであるが、歴史に残るものは云うまでもなく表現されたものであり、而も単に表現されただけでは物にならないので、報道されはた又報道され得る表現でなくてはならぬ。つまり或るエジプト人と或るペルシャ人とが喧嘩をした処で、負けた方か勝った方かが他人に云いつけたり吹聴したりしない限り、或いは他人がこの喧嘩に立ち合い目撃した証人とならぬ限り、ヘロドトスも之を如何ともし難いのである。社会の歴史記述はジャーナリズムから始まる。この現象を抜きにしては伝説、説話、口碑、其の他は成り立たない。将来の歴史記述の材料となるものでは今日の所謂新聞がその尤なるものであろうことは、人々の異存のない処だろう。
 だがこういうと疑問になるのは、それでは一切のものがジャーナリズムになって、ジャーナリズムであるものとないものとの区別はどこかへ行ってしまうではないかということだ。併し一切の文化現象がその本質の一隅に於てジャーナリスティックだということが、何より一等大切な点なのである。その上で、初めて或る特定なものが、特にジャーナリズム・プロパーとなる場合が考えられねばならぬ。なぜ現在ジャーナリズム・プロパーとそうでないものとの区別が生じたかと云えば、それは取りも直さず一定の社会機構の必然性によって、ジャーナリズムそのものが各種の歪曲を受けた結果なので、資本主義の極度の発達は今日のブルジョア・ジャーナリズム現象をして文化の独自の価値自身とは独立に発達させて了ったのであり、例えば文学は純粋な超ジャーナリズム的なものと完全な商業資本化されたジャーナリズムのものとに分裂するのであり、科学はジャーナリズムによって卑俗化されずには消化されず、本当の科学はジャーナリズムに対立するアカデミズムとして固定しなければならなくなるのである。ジャーナリズム・プロパーの発生は、ジャーナリズム自身の社会的分裂を意味するのであって、一体アカデミズムというものもその元来の本質は研究、教育、発表、其の他というジャーナリズム活動なのであるが、ジャーナリズムがジャーナリズム・プロパーに偏倚するに従って、アカデミズムが何か反ジャーナリスティックなものであるかのように、社会の表面に、ジャーナリズムの濁流に横たわる暗礁のようになって現われ始めるのである。
 ジャーナリストという観念に就いても全く同様で、元来から云うと、一切の人間が、その人間的資格に於てジャーナリストでなくてはならぬ。人間が社会的動物だということは、この意味に於ては、人間がジャーナリスト的存在だということである。この点を最も適切に云い表わした者はギリシアの哲学者達であって、人間とはロゴス(言葉)を有った生物だと云ったのである。尤もギリシアの哲学者達にとっても、人間はただおしゃべりをする動物なのではない。何かの必要があって口を利くのである。唯物史観によれば人間は生産労働を望む必要上口を利き始める。ジャーナリズムの必要は云うまでもなく生産労働の内にあったのであるが。
 処が一定の社会的定位として、職業としてのジャーナリストなるものが発生する。発生は云うまでもなく非常に古い。今日では所謂新聞記者から始めて一切の文筆労働者を含んでいる。だが今私はここで社会分業論に立ち入ろうとは思わない。ただ云っておきたいのは、前の人間の一般的資格としてのジャーナリストと、この特殊職業としてジャーナリストとを結びつけた点に相当するものとしての、このジャーナリスト職業人の更にジャーナリストとしての資格、に就いてである。というのはどういう職業ジャーナリストが一等人間的なジャーナリスト資格に値いするジャーナリストかということだ。
 この意味に於てジャーナリストは学者や歴史家と異って、日々にすぎ行く現象を捉えるものだと考えられている。併しそれは云い方がまずいので、実はアクチュアリティーを捉えることこそジャーナリストの使命なのである。大事なことはそして真理は、いつも具体的でありアクチュアル(現実的)であるということだ。ここに初めて本当の科学性と常識とが同時に横たわることが出来るのである。エンサイクロペディスト、批評家、思想家、哲学者、文学者(本当の)などというものの真実な形態は、このジャーナリストの内になくてはならぬ。こうしたジャーナリストは併しその数が極めて少ないのであるが、或る国の文化がどの程度に地につき得るかということは、この種のジャーナリストの量と質とで測定することが出来るかも知れない。
 今は余地がないから省くが、このジャーナリストの意義を追求して行くと得られるだろう最も大切な結果は、唯物論というものとこのジャーナリストとの必然的なつながりでなくてはならぬ。特に現代の事情に就いて云えば、この点想像に難くないことだろうし、又前例としてはフランス唯物論者、アンシクロペディストがある。つまり今日、文化を総合し、批判し、思想を有ち、哲学を貫き得るもの(それがジャーナリストの使命だと云ったが)は、唯物論者に他ならぬ、という結果が出て来るだろうと思うのである。
(一九三五・五)
 職業人に対立するものを世間ではアマチュアと呼んでいる。それから私は私かに、専門家に対立する者をジャーナリストと呼ぶことにしている。現在ジャーナリストという言葉には随分いろいろの任意の意味が含められているが、ジャーナリズムの本質の歴史的展開を大体において追跡して見ると、ジャーナリズムをそういう風に考えるのが、一等生きた考え方だと思うからである。
 ところでディレッタントはどうか。それは一方においてアマチュアであるとも考えられ、他方においてはジャーナリスティックなものだとも考えられている。しかし私にいわせれば、ディレッタントはアマチュアのことでもなければジャーナリストのことでもない。ディレッタントはエキスパートに対立するものと考えることが出来よう。
 経済学者で浮世絵の研究家であるとか、政治家で骨董品の鑑識に権威があるとか、いう場合は極めて多いが、しかしディレッタントとして一等目に立つのは、自然科学系統の学者が同時に全くの余技として文芸上相当の仕事をしているというような場合だろう。物理学者では寺田寅彦があるし、医学の教授では古屋芳雄、式場隆三郎、林髞等々があるし、建築学者伊東忠太の時事漫画などまでもこれに数えてよい。
 ここですぐ気のつくことは、そのいわゆる余技なるものがいわゆる本業なるものと、著るしく無関係に見えれば見えるほど、ディレッタントとしての特色が明らかとなるという点だ。だから自然科学関係の人物のディレッタントが特に目立つのである。そして更に、その余技も実はただの余技では駄目なのであって(例えば手品のうまい科学者も少なくないようだが、これはディレッタントとはならぬ)、何か世間的に価値があると見做されるような余技でなくてはならぬ。しかもまた、その価値ある余技もあまりに特殊な余技では困るので、ヨーロッパにはある有名な数学者で同時に印度学者である人がいるが、これでは却って充分な意味での「余技」にはならぬ。余技という以上、どこかごく一般向きの興味の対象になるようなものであることが必要だ。そういうわけで、特に文芸が、こうした人達の余技となる理由がある。今の場合をディレッタントの第一類とする。
 尤も余技であるためには本業の方が少なくともこの余技とは比較にならぬまで優れたエキスパートであることを必要とするだろう。そうでなければ、これだけでは一体どっちが本業でどっちが余技だか判らなくなるだろう。しかしそこは調法なもので、余技か本業かはその当人がどの点でエキスパートかというようなことと比較的独立に、社会における職業、身分が、かなり便宜的に決めてくれる。つまり社会的に公認された当人の職業が本業で、それ以外のものは、仮に本人の好みが寧ろそこにあろうとも、または却ってこの方が生活資源の大部分であってさえも、副業なのであり、その副業が人間の一般的な興味となる限り、それが余技となるのだ。
 文学が余技であるかないかという問題があるが、文学が人間への一般的興味の対象であり、従って他の普通の職業の対象とは異るという意味においては、文学は余技でなくてはならぬが、しかし職業的な文学者の文学は、仮に彼の生活費の大部分が会社員としてのサラリーによるとしても、決して余技ではなくて本業だろう。

 本業と余技との間の関係が薄く見えれば見えるほど、ディレッタントの特色が出るといったが、しかし案外当人自身の生活の統一からいって、この本業と余技とのつながりが一貫している場合も少なくないのである。
 寺田寅彦(吉村冬彦)の随筆は総て日常的な自然現象の観察や記述に帰着するが、この随筆方法が同時に寺田物理学の方法でもあるらしい。もっと若いところでは森於菟の随筆や林髞の文章(私は必ずしもこの人の文章を信用しているというのではないのだが)が正しくこれだ。それにも拘らず矢張りこの本業と余技との間に、世俗的に甚だもっともな隔てが自他共に認められる点が、ディレッタントのディレッタントたる所以だろう。例えば小倉金之助博士が数学史や数学教育論を書いたにしても、今日では恐らく誰も純正数学者(?)小倉金之助のディレッタントとしての余技だとは見ないだろう。だから私は、本業と直接関係のある余技をやる種類のものを、第二類のディレッタントに数えていいと思い。
 第二類のディレッタントに帰する一種の特別な場合を次に注意しなければならぬ。例えば専門の科学の領域においてはエキスパートでありながら、その専門の通俗化に趣味を有っている場合などがそれで、このディレッタントはポピュラライザーだといっていい。尤も正当な意味における通俗化には甚だ重大な意義があるので、それはその専門の科学自身の本性に帰着する根本問題を提起するものではあるのだが、今はそこまで根本的な反省を行なわずに、単に本業の研究と並行してその序に研究学科の通俗化を余技とする場合であり、この専門のエキスパートとしての本業とこのいわゆる余技とが、根本的な観点から結びつけられていないところが、ディレッタントのディレッタントたる所以をなしているのである。こういうタイプのディレッタントは例えば理学博士竹内時男教授などだろう。
 ところがこう分類して来ただけでは、ディレッタントの一つの大事な規定を見落して来たように思われる。今まで見たディレッタントは、比較的に普遍人間的な興味価値のあるものを余技の対象として有つ人のことだったが、しかし他方ディレッタントとは好事家のことでもなければならぬと考えられているのである。
 つまり自分の本業にあまり必然的な必要も連関もなく、また全く無関係でさえあるようなある対象を余技として取り上げるという行為自身が、元来余分でしなくてもよい事柄なのだから、確かに好事家の態度に他ならなかったわけなのだ。初めに本業と余技との間が無関係であればあるほどディレッタントの名に値いするといったのは、つまりディレッタントが好事家であったことを意味していたのだ。
 しかしそう考えているだけではまだ好事家としてのディレッタントの特色を満足にはいい現わすことが出来ない。人間の一般的興味に訴えるものを余技として選ぶといったが、実はその場合に二種類あって、一方は、今までいって来たように、文芸の正道において見られるような普遍人間的関心の対象を堂々と選ぶことになるが、他方その一転化として、却って完全なトリビアリズム(瑣末主義)がここに含まれているのである。
 元来人間の日常生活はその表面だけから見ればすべてトリビアルなので、トリビアルなものに対する興味こそ、普遍的な興味だとさえ考えていい。だから普遍的な人間的興味の対象が、余技の対象として、やや無責任に取り上げられる結果、それは往々にしてトリビアリズムに陥る理由が大いにあるわけだ。
 これが好事家の著るしい一つの特色であって、ここにこそディレッタントの甚だ戯画化された姿が浮び上がるのである。私はこれを第三種類のディレッタントと呼ぶことにするが、この第三種ディレッタントは、多分最も低級なディレッタントであるが、しかし多分至る処に見出される種類のものである。

 以上のような種類を較べて見て判ることだが、とに角本気になって生活を賭しているいわゆる本業からのギャップをもっている余技なるものが、ディレッタントの資格になるというわけで、従ってそこからディレッタントは生活の真剣さを欠いた人間だということになるのは無理ではない。
 尤もある医者が文学の世界でディレッタントであることは別に困ったことではないが、医者がその医学乃至医療技術においてまた文学者がその文学においてディレッタントであったとしたら、結局人間そのものがディレッタント的であったとしたら、困りものだということになりそうである。
 そこでディレッタントというものは、人間の人格そのものに関係させられて非難の言葉となって来る。殿様芸やお嬢さん芸といわれる場合の、殿様やお嬢さんが、この救うべからざる人格的ディレッタントを指している。で、もしそういうことに相場が決ってしまうならば、結局ディレッタントなるものは全くプラスの意味のないもので、あってもなくてもいいものに過ぎないことになる。だがそうばかりは行かない点があるのである。
 一体人間は若いうちは、自分の能力について色々の可能性を空想し、またその可能性を発揮するものなのだが、年を取るに従って、その社会的なコースが段々決って来て、それが殆んど決りつくすところにはじめて一芸に長じたエキスパートになるのである。ディレッタンティズムはこの残された可能性を相当年を取ってから改めて探検し出すことを意味する。して見ればこれをただの趣味や娯楽や道楽や保養とだけ考えることは出来ない。
 高級サラリーマンの謡いというような「趣味」はまだディレッタンティズムにまでも行っていない。これよりももう少し真剣なところがなくてはディレッタンティズムにはならぬ。ディレッタンティズムでも矢張り一種の生活の態度だったのだから。この態度は未成年のうちは、言葉通りアマチュア主義だが(アマチュアとは未熟のことだ)、年を相当取ってからのこの同じ青雲の志(?)は、ディレッタンティズムだともいうことが出来よう。
 で結局、ディレッタンティズムは一定の社会的に限定された領域でのエキスパートに、人間として満足し切れない衝動の現われだといえるだろう。この衝動は老若共に尊重されるべきもので、実際ここに人間の自己意識の意識甲斐があるのである。そう考えて見るとディレッタンティズムは実は甚だ積極的なあるものの現われなのであって、ただそれがこの社会の一定層の成人にあり勝ちな生活安定感を破らない限度において、安全な消極的な表現をしか試みないものに他ならない。この点を辿ればディレッタンティズムはある隠れた人生のエネルギー源に通じるものを持っている。
 自らディレッタンティズムを名乗った人に谷川徹三がある。氏のディレッタンティズムはもはや決してただの余技ではなくてそれ自身が本業に数えられていいだろう。だから氏の考えているディレッタンティズムは吾々がこれまで考えて来たものとは大分別なものだ。そこでは単に、一定の専門領域からもっと広い一般の他領域に踏み出す生活態度のことをディレッタンティズムといっているのであって、問題は専門的であるかないかであって、吾々が考えたようにエキスパートであるかないかが問題になっているのではない。
 だから最初にいった私の取り決めに従えば、谷川徹三のディレッタンティズムなるものはむしろジャーナリズムと呼ばれるべきものだったのである。でつまりこういう風にディレッタンティズムの背後にはジャーナリズムへの道が控えていたのである。
 ディレッタンティズムの弱点の方は弱点として、その積極的な点だけを押しつめて行くと、私はこれをジャーナリズムやジャーナリストという問題に帰着させることが出来ると思う。今日のジャーナリズムは寧ろディレッタンティズムに近いが(トリビアリズム・下手物好み等々)、二つが近いことに無理があると共に、二つが似て非なる所以も真理である。アマチュア主義はいわば子供のものである。ところがディレッタンティズムもジャーナリズムもいわば大人のものである。ただディレッタンティズムがジャーナリズムと異なる点は、ディレッタンティズムの方が、社会生活の安定へ希望をつなぎ得る社会階級層の生活意識の表現であるに反し、ジャーナリズムの方は、その近世的な本来の面目からいえば(現在はそうでないが)支配社会に対する対立意識の表現であった、という点なのである。
(一九三五・七)
 現在の日本の或る常識水準から云えば、哲学という学問なり研究なりを、一頃のように何か日常生活から隔離した特別な世界にぞくするものだとは、実は誰も考えていない。今日哲学は可なりに常識に浸潤し、用いられるべき処に可なり正当に用いられていると云ってもいいだろう。そう見える限り、哲学は相当日常的になっている、とそう一応云っていい。元来哲学は終局的な意味に於て日常的なもので、云わば最も高級な日常のものなのだから、今云った現象は正当なのである。
 なぜ併し哲学が元来そうした日常的なもので又常識にぞくするものか、ということになるが、そこではすでに哲学と他の世界との関係が穿鑿されねばならぬことになる。吾々の今の問題に近づいて行くためには、まず第一に哲学と他学問との相違点を明らかにするといい。
 世間に流布されている色々の哲学概論の教科書などによると、哲学とは実在の学であるとか、最高真理の知識であるとか、科学的諸知識の総合であるとか、間違っていないかも知れないが併し殆んど真理を含んでいないような色々の説明が与えられている。だが少なくとも哲学が他の諸科学と異る点は、哲学の方法が統一的な世界観に基き又は対応することによって、この方法が極めて原則的な普遍通用性を持っているということにある、と云っていいだろう。内容から云えば両者の間には之と云って一般的な相違は見出せないかも知れない、否、哲学には他の科学にぞくさない独特の内容はないとも考えられる。それから諸科学の方法は当然、相互の間に必ずしも共通な規定を持っているとは限らない。物理学の法則によって歴史を説明しようとする程無意味なことはない。哲学に独特な点はその方法にあるのであって、特にその方法が一切の思惟内容に普遍に通用するという点にあるのだ。その意味で、哲学は論理だと云われている。
 だが哲学が方法であり論理に過ぎぬと云っても、哲学の叙述が実際に甚だ豊富な多彩な内容と肉づきを持っているということを妨げる何物もない。仮に極めて神秘的な哲学や又内容に充ち満ちていると考えられている所謂生の哲学などにしても(尤もそういう哲学は論理上の欠点を持っているということは容易に証明出来るが)、とにかく夫々の論理をその肉体の筋骨として持っているのである。どんな論理でも肉づけを持たずには現われる筈はないのである。それに哲学は先に云ったように、統一的な世界観に基き又は之に対応する処の方法・論理であったとすれば、このことはごく当然なことではないだろうか。
 処が哲学が持っているこうした方法上の特色が、やがて、哲学の叙述方法を他の諸科学の叙述方法とは可なり異った独特なものにするのである。社会科学の本格的なもの乃至本格的な部分は、内容から云っても方法から云っても、可なり哲学に接近しているから、これの代りに自然科学の叙述様式を例に採って見れば、之と哲学の叙述様式との相違は明らかになる。――無論どんな叙述でも広い意味での言葉乃至文章による他に道はない。数学式や記号も一種の文章や言葉であることは云うまでもないのである。だが数学式や記号が普通の文章や言葉でないことも、同様に明らかだろう。どこが違うのかと云うと、数学式や其の他の形式的な定式的表現に出てくる記号は、丁度数学の場合に一等純粋に現われるように、何等かの便宜的な人工的な約束によって決められたものなのであって、数学ではこの約束を定義とか公理とか云っているが、自然科学などではこの人工的約束による言葉(即ち記号)を使って定式や普通の文章の構成中枢とするのである。例えば重さがいくらという普通の言葉による普通の文章は、物理学的には、人工的にそして数的に定義された重量という記号化された言葉を枢軸として、定式で叙述したり或いは普通の文章で叙述したりする。自然科学の主な部面では、こうした約束された言葉と文章とが中心となって叙述が行なわれる。処が哲学ではそうは行かないのである。哲学の叙述に現われる言葉乃至文章は普通の言葉であり、普通の文章である。と云うのは、ここでは人工的に約束された記号的な言葉やその記号的組み合わせである定式が、叙述の中心ではあり得ない。そういうものを使って悪いわけではないが、そういうものを使わずに済ませることが出来たら、それに越したことはないとさえ考えられている。例えば「物そのもの」という言葉を誰も定義する者はないだろう。物という言葉が臨時にその場で人工的に約束されたものでない普通の言葉であればこそ、物「そのもの」という言葉に意味が出て来るのだ。物自体と云うと何か哲学的に定義された術語ででもあるように想像されるのは、哲学の素人の滑稽な思い過ごしだ。哲学は、普通の言葉や文章を中心として叙述される。無論物理学でも普通の言葉や文章を借りずには一頁の叙述も出来ないのだということは忘れてはならぬ。式だけで科学的論文が書けるなどということはあり得ないので、寧ろ式などなくても一応の叙述にはなる位いだ。だが要点は、この場合基礎的に具体的に物を云おうとすれば、是非とも記号と定式とを枢軸としなければならぬという点なのである。哲学では処がそうではなかった。
 哲学がどんなに普通の意味での言葉文章(人工的約束によって成立する記号や定式ではなく)に制約されているかが之で判るだろう。蓋し言葉や文章は人類社会が歴史的に約束した処のもので、決して勝手に人工的に決めたものではない。――処で哲学のこの特別な性質は、先に云った、哲学が統一的な世界観に基き又対応する、という性質から当然出てくる筈のものだったのである。なぜなら、そうした統一的世界観に基き又対応するというようなものを、もう少し手近かに探せば、文学が丁度そうしたものに他ならないということが気付かれるだろうが、文学乃至文芸こそは、その言葉が示している通り、普通の言葉と文章とを乗具とする芸術である。そこで哲学は、他の諸科学に較べて、著しく文芸的であり又文学的だと云っていいのである。尤も社会科学の領域で、数理経済学などという一つの主張は、従来の古典経済学乃至主としてマルクス主義経済学を、文学的であるとして、之に反して自分の方は数学的だと云って誇るのであるが、そうした経済学は、文学的でないが故に通用領域が甚だしく制限されているのを忘れてはならぬ。社会科学などは哲学に接近している限り文学的なのが当然なのだ。文学も哲学も社会科学も文筆の仕事にぞくするだろう。之が今文学的と呼んだ意味である。
 それだけではなく吾々は、哲学と文学との間に極めて緊密な交互関係と、極めて著しい共通点、対応点、相関点をいくらでも見出すことが出来る。例えば思想というものが丁度そうした両者の共通関係を一括して物語っているだろう。――尤も或る哲学が文学的だと云う場合、その哲学に外見上科学的性質が欠けている場合を意味することもある。だがこれは今云った哲学の文学的性質からの故意の特殊な一結果か、そうでなければ迂濶な脱線を意味するに他ならないので、科学的に成立した哲学的テーゼを文学的文飾や文学的連想で具象的に云い表わすことは、哲学が文学的になり日常的になれば当然発生して然るべきものだが、之に反して哲学的テーゼを科学的に成立せしめる代りに、文学的ファンタジーを以てテーゼを創り出すことは、哲学を根本的に誤るものにぞくする。哲学は元来文学的であるが故に、科学から見れば壮大でもあれば又危険でもあるのである。
 さて哲学のこうした特に文学的科学としての特色が、哲学の日常性・常識性である。文学が常識的であり日常的であるように、哲学も元来そうした意義を持っているのである。ただ人類に於ては知性は情感よりも発達に時間がかかるから、文学はやさしく哲学はムツかしいという無責任な定評になっている迄だ。
 併し哲学は日常的だと云ったが、今云った夫の一種の必要なムツかしさは別にして、事実不必要なムツかしさを持った哲学(アカデミックでペダンティックな)もあるし、又一見極めて甘くやさしく見えながら、その本質は甚だ反日常的で非常識な哲学もある(今日吾々がよく見る文学的な神学乃至形而上学的文学!)。だが之は哲学の文学性を示すものでもなければ反文学性を示すものでもない。之等のものは哲学とは無関係に単に文学的であるか単に非文学的であるかに過ぎぬ。――併しこれは実は哲学の階級性に関係している事柄なのである。だが階級性はここだけの関係ではないので、後にそれを見て行こう。

 哲学は言葉乃至文章と特別な因縁があったから、哲学自身この点の反省を加えた種類の哲学や哲学部門は非常に豊富である。その第一は修辞学(レトリカ)だろう。修辞学と云うと現今では作文の方法のように受け取られるが、そして作文というものは今日想像されている以上に重大な哲学的意味を持ったものではあるが、実はレトリックは元来演説乃至議論の方法を意味したものであった。即ち如何にすれば対手の人間を自分の意見によって説得出来るかという、論理的な手練の研究がレトリックだったのである。処でレトリックの学問上の本籍は、正に夫が哲学又は論理学の一部門であったという処に横たわる。アリストテレスはその『レトリカ』に於て、相手が青年ならば青年らしく、相手が老人ならば老人らしく、相手が若い女ならば若い女らしく、説得の術を区別しなければならぬと考えた。そこで青年や老人や若い女の夫々の共通な人間的特色の研究が必要だと考えたのである。その結果、彼の「レトリック」は所謂人間学の出発点となったと云われているのである。それはとに角、これを見ても、哲学がどれ程言葉と必然的な連関のある日常的なものかということが判ろう。――弁証法が会話に基く意味をももっていたことは、云うまでもない。
 第二は広く言語哲学と呼ばれている処の哲学部門がこの際の参考になるだろう。言語哲学は強いて云えばギリシアの昔からあるのであって、プラトンの諸対話篇の内にいくつかその研究が見られるが、併しこれを定式化したのは十九世紀のW・フンボルトと云われている。処がフンボルトによれば、この言語哲学的諸研究は、決して哲学の偶然な一問題ではないのだし、又特に偶然彼が最も重大視した哲学部門なのでもなくて、之が彼の哲学全体に対して中心的な位置を占めることになっているということは、注目に値いする。彼の哲学は解釈学乃至文献学(それについては最後に云うべき事柄がある)としての特色を持っているのだが、この哲学からすれば当然言語が哲学全般の問題の解決の鍵を提供する中心問題とならねばならぬ。なぜなら文献学的解釈の本来の形態は、古い記録や古典を、言葉を通じて理解することであって、言語の哲学的な機能が掴めていなくては、この種の哲学の方法が確立しないからである。
 言葉乃至文章に省察を加えることを、哲学の自己省察のよすがとした第三の場合は、哲学的普遍文字(国際語)論であり、そこから系統を引く近代論理学(modern logic)である。今も云ったように哲学は言葉の制約を受けることが甚しいのであったが、言葉と云えば特別の例外を除いては、いつでも国語のことに他ならない。そこで哲学的思考や論議が国語に根本的に制約されるということになるが、そこから哲学の所謂普遍妥当性にとって見遁しがたい困難が生じて来る。或る一定の国語の行なわれている社会にとってしか通用しないような哲学は、云うまでもなく科学的な客観性を持てる筈がないからだ(この頃日本などでは東洋思想や国粋的思想の独自性というようなことを兎や角云っている人間が多いが、夫はそうした所謂思想が哲学と何の縁故もないことを告白しているに他ならぬ)。で少なくとも哲学上(一般に理論上)の言葉に限って、国際的文字を採用するという必要が、気づかれ出した。こういう問題を真剣に提出した最初の哲学者は当時国際的な外交事務家であったライプニツである。
 処がすでにデカルトによって、代数的記号が一般の数学(幾何学をも含む)を支配すべき唯一の普遍的な形式文字であることが注意されていたから(解析幾何学)、ライプニツはこの代数式記号を更に一般の哲学的乃至論理的言葉乃至文章に取り入れることによって、例の普遍文字の理想を達し得はしないかという着想に到着した。哲学的文字乃至文章をこうした記号化された形式的言葉で以て代行させようという企てには、すでに前に述べておいた理由から、無論根本的な無理があったのであって、哲学的言葉の国際的解決は、一般の普通語の国際的な解決を俟つのでなければ地に就いたものになれないに決っているが、併し事実は、一方に於てライプニツのこの着想が後世の国際語運動と又夫の階級的運動との発端になったのである。
 だが他方ライプニツのこの普遍文字は、近代の哲学者、特に英仏のライプニツの新研究家達や新しい形式論理学者達の手によって、今云った根本的な無理をそのまま、発展せしめられて、「近代論理学」「記号論理学」乃至「論理計算」となって、現在では相当思想上の意義を持っている。之は論理乃至哲学に於ける形式主義の最も純粋なもので、哲学に於ける言葉乃至文章を出来るだけ完全に、定義化し定式化し規約化そうとする企てである。すでに私は哲学に於てはその言葉乃至文章が決して記号定式化されたものを中心に出来ない所以を説明したから、この新形式論理学の主張の狭量さや制限は云わなくても明らかな筈だが、それだけではなく、仮に、哲学に於ける言葉乃至文章の問題が、こういう形態の下に解決出来るのだとすれば、吾々はこれ以上話しを進める必要はなくなるわけで、吾々が哲学の日常性や文学的性質に就いて述べたことも全く無用な穿鑿だったことになるだろう。だが哲学は決してそうではないという意味に於て、常識のものだったのである。
 こう考えて来ると、哲学が自分と言葉との関係を自己反省した之までの結果は、必ずしもその反省の必要に応うものではなかったと云わざるを得ない。哲学に於ける言葉乃至文章の問題は、改めて他の視角から――哲学の日常性の視角から――取り上げられる必要がある。

 哲学は一個の科学であるから、無論術語を持っている。術語と云うのは何かと云えば、一定の科学にぞくする世界(学界)の間で一定の意味を以て通用するように、人工的にか歴史的にか、決定されている専門用語の体系のことだ、と云っていいだろう。処で哲学の例の日常性から来る一つの結果であるが、哲学には他の科学とは異って、厳密な意味での専門とか学界とかいうものはない筈なのだし、仮にあったとしても夫を無条件に尊重することは差し控えなければならぬ事情があるのである。無論他の科学に於ても程度の差こそあれこの点は専門家自身及び評論家の、戒心を要する処であるが、哲学が特に日常的であるだけにこの点が著しい。尤もそうは云っても哲学の所謂素人(ファンやディレッタント)に何かの学問上の権利があるというのではないので、ファンやディレッタントとは要するに誤り信じられた哲学の専門性に対する崇拝者や是認者に他ならない。哲学はその日常性を失うことによって、他の科学に較べて最も速く固死する。哲学の純専門的なアカデミズムは、最も速かに哲学の科学的停滞を意味するのである。
 こういう特殊な事情にある科学としての哲学は、従ってその専門用語の体系である術語に就いても、特殊な条件を持っている。と云うのは、哲学に於ては術語と日常語との間には、いつまでも極めて直接な連関が保たれているべきなのである。無論どういう術語でも日常語と無関係に出来る筈はないし、まして日常語とは全く別な術語を勝手に創造することも出来ない、その限りでは、どんな術語でもその地盤である日常語と不離の関係に結局は基いている。だが他の科学では、術語の一つ一つがどこまでも一定の日常語との連関を意識されて用いられるとは限らないし、又その必要も必ずしもないと云っていい。なぜなら一般に術語というものも、一種の言葉である以上、之を反覆使っている間には、自然とそれ自身に固有な直観的イメージを伴って来るので、いつの間にか専門的ではあるが併し一種の普通語と同じ言語意識機能を帯びて来るからであって、而も他の科学――実証科学――の場合にはその術語が仮にどんなに日常語から独立して了おうと、専門家の間に共通な物的な実証標準がいつでも眼の前にあるので、術語のおかげで理論を誤るというような危険はまず無いと見ていいからだ。自然科学者にとっては自然や生産組織や機械等々という実証的な現物があるのだから、それに関して云い表わす術語が少し位い生硬だろうが日常語として無意味であろうが、大した差閊えはないのである。尤も之とても決して好ましい現象ではないのであって、出来るならば術語による表象を日常語による表象といつも連絡づけることが望ましいので、そうしないと、自然科学上の独創的な着眼や企図心は、決して延びないだろう。日本の自然科学者や技術家が、翻訳した術語を一方に於て持ちながら、いつも原語の術語で物を云う癖のあるのは、単に偶然な学界の習慣ではないので、原語の術語の方が原語の日常語との表象上の連絡が自然的に行っている場合が多いからだろうと思う。
 処で哲学の術語は大分様子が異っている。哲学では、術語は何時までも日常語と表象上の直接的な連絡を保っていなくては、却って術語としての機能を果すことが出来ない。哲学では実証科学に於てのように、共通の標準になるような実証的現物が必ずしも承認されていないのが事実だから、もし万一術語が日常語の表象から独立して勝手な自分独自の表象を持って来るようになると、折角一致するために採用された術語は却って銘々の哲学者をして別々なことを考えさせるための言葉になって了うだろう。その例は術語的に一応発達しているとも見られるドイツ哲学などに多く見られるし、それがドイツ術語から翻訳された日本哲学術語になると、単に用語法がマチマチになるばかりではなく、術語が存在するために却って哲学の持っている日常的な真実が掴めなくなったりする。「表象する」などという学術語を使うために、「考える」とか「思う」とかいう極めて切実な日常的真実は哲学の外へ追放されたりして了うというような次第である。
 哲学に於ける術語は、日常語から、或る歴史的な必要によって(哲学者の工夫を意味する限りでは人工的と云ってもいいが)、選択され淘汰され陶冶されたものに他ならない。それは極めて精細に而も眼界広く精練された常識語以外の何ものでもないのである。ただ日常語はこの常識語を極めて常識的に無責任に利き目を計量しないで凡庸に習慣的に濫用するだけであって、この同じ常識語を一言も忽せにしないように使えば、それがおのずから立派に哲学的術語となるのである。なぜなら本当はどんな常識語でも、普通の感光板では判らぬにしても、云わば赤外線写真の感光板にあてて見れば、チャンと一定した夫々にユニックな意味表象を持っているからだ。術語であるかないかは言葉自身にあるのではなくその使い方にあるのである。文学者の或る者はその意味では哲学の先生達よりも遙かに哲学的術語に精通していると云っていいかも知れない。ただ文学者は、その術語を、単に気の利いた使い方をするだけで、組織立てて体系化して用いる者が少ないから、彼は遂に哲学者にならないのである。
 尤も学問の特色の一つは、教えることが出来又学ぶことが出来るという点にあるので、哲学の生徒にとっては哲学的術語(実は精練された常識語)も、すでに決められた、与えられた約束として、初めは鵜呑みにする必要が学習教育上あることは、無視してはならぬ。日本に於ける翻訳術語も可なりこうした生徒用術語として存在していると思うが、いつまでもここに足踏みしているのは哲学する所以ではない。そういう段階では生きた社会現象一つも哲学的に処理出来ないだろう。
 哲学術語が日常語、常識語の精練されたものだということから、当然問題になるのは、哲学用語と国語との関係だったが、単に国語と云っても単に地方的な方言に分裂しているばかりではなく、もっとこの際大切なことは、夫が各種の階級語に分裂しているということだ。日常語、常識語――それはつまり標準語ということになるが――と云っても、一つの国語に就いて決して単元のものではないので、日常性や常識自身が階級的に分裂しているから、その生活表現としての言葉も文章も階級的分裂を有っている。中でも哲学に就いて問題になるのは学術用語俗語との階級的対立なのである。
 之は単に前に触れた日常語と術語との対立のことではない、それが更に社会階級的な対立を意味している場合の対立のことである。元来学問特に哲学は古来著しく階級的な性質をもったものであることを注意しなければならぬ。支配階級の余暇(ギリシア)や観念上の権威(中世)に基かなくては、近世以前の哲学は栄えることは出来なかった。ギリシア哲学は階級的支配者の言語であるギリシア語を用語としたものであって、この文化語を流暢にしゃべれない外国人は、吃音で野蕃人ということになっていた。中世哲学に於けるラテン語は、ローマ教会の僧職上の権威を象徴するもので、俗人には容易に理解出来ないための神聖な学術語であった(一体に行為を神聖化するには呪文めいた「学術語」が甚だ有効なのであって、道学者の漢文調や僧侶の白文のお経、医者のドイツ語などが、わが国での例である。「先生」という特権は彼等の階級的学術語能力をこの際意味している)。
 神聖なラテン語に対して、被支配階級の俗語であったロマン語は最初、文学の世界で取り上げられた。そうした卑俗な言葉で書かれた内容も従って卑俗な文学が、ロマンスという近世文学の形式であったことは誰しも知っている。だがこのことは、云うまでもなく、この俗語を所有する階級が、神聖な僧侶語を尊重していた旧支配階級に、対抗し始め、打ち克ち始めたことを意味する。この近世ブルジョアジーの台頭によって従来の俗語が次第に文学的又学術的な資格を帯びて来たのであったが、哲学はそのラテン語によるスコラ階級的伝統を破るには十七世紀の初頭までかかる必要があった。デカルトは初めて意識的に、一種のロマン語であるフランス国語を用いて学術論文を書いた。ドイツではズット後れて、カントがその所謂批判期からドイツ国語で哲学を書いたのは、十八世紀の後半を過ぎてからである。イギリスでは無論ドイツよりもズット古く英語が学術語になっていた。
 哲学叙述に於ける言葉乃至文章は、こうやってブルジョアジーの俗語を採用することによって今日に至っているが、俗語を採用することによって、哲学は初めてその日常的常識的な職能を果すことが出来る。カント哲学やヘーゲル哲学に於ける注意深く組織立てられた学術語としての術語は、全く甚だ尤もに無理なく精練された市民俗語=日常語であることを注意しなくてはならぬ。
 だが丁度中世のゲルマン民族にラテン語が強いられたように、欧米語が学術語として強いられている日本の哲学界では、問題はもっと複雑である。そこでは日常語と哲学的術語(実は翻訳術語だが)とが癒合していない結果、今だに俗語と階級的な学術語との対立が著しく残っている。日本の哲学は今だに大衆が用いている俗語を学術語としてこなすだけの階級的雅量がなく、哲学の叙述の多くは一種の官僚的な美文として取り残されている。無論之は今の処翻訳術語に依る外はないからのことだが、併しその対策として「やまと言葉」を持って来ることに較べれば、この生硬な翻訳述語で考えたり書いたりした方が、まだしも俗語的で日常的で大衆的だとさえ云えよう。哲学に較べて文学はこの点に限って、非常に進歩していると云わねばならぬ。作家程度に平俗な文章の書ける哲学者は日本では少ない。尤も哲学は術語を使うのだから、之を不用意に読めば難解なのは当然で、夫は哲学的言葉乃至文章の日常性や大衆性とは関係のない問題だということを、この際のために断わっておくが。

 云うまでもなく言葉は概念を云い表わす。そして色々の概念を組織立てる上での網の結節点として位置する根本的な概念が範疇と呼ばれる。範疇の問題は哲学叙述に於ける言葉乃至文章にとって、最も根本的な意義を持っているのである。哲学的術語は凡て哲学的範疇を云い表わしている、一体哲学的術語は一つ一つ単独に切り離しては術語としての機能を殆んど全く失って了うのであり、術語が術語であるためには一つの術語の体系がなくてはならぬが、こうした述語のシステムを保持するものが哲学的範疇組織であって、ここに哲学と言葉との最後の根本的な関係が横たわっているのである。
 と云うのは、範疇は根本概念のことであったが、一体概念というものはただの観念や表象のことではなくて、単に或る対象が概念された結果を意味するばかりではなく、その対象を概念する(把握する)機能又は過程そのものをも意味している。之は事物を云い表わした結果と同時に事物を云い表わす働きを意味する。だから概念は単に哲学的思考の要素であるばかりではなく、哲学的思考を運び動かす処の要因でなくてはならない。それが根本概念である範疇になって来ると一層ハッキリして来るので、範疇とは哲学的思考の方法のメカニズムを云い表わす処のものに他ならなくなる。範疇組織によって一つ一つの範疇は夫々の定位と職能とを初めて与えられるわけだが、そうした組織はただの体系なのではなく、組織する機能そのものを云い表わしている。だから範疇乃至範疇組織は、哲学の方法(従って又おのずから哲学体系)となるわけであって、之が哲学の枢軸に位いすることになる。哲学の生命はその論理による所以を前にも述べたが、範疇組織こそ哲学の論理であり、即ち本当の意味での論理学の内容なのである。夫々の哲学の根本的な相違はこの範疇組織の相違であり、哲学の科学的進歩は、この範疇組織による又この範疇組織自身の進歩による、進歩に他ならない。
 元来範疇は対象を言い表わすものであり、又対象を云い表わした処のものであると云ったが、その結果当然範疇及び範疇組織は、対象の構造を言葉の形の下に写して置き換えた或いは写して置き換える処のものでなくてはならぬ。哲学の論理を問題にする場合には、今云ったこの点が何よりも大事なのである。――だが今の問題は、哲学と言葉乃至文章との方法論上の問題であったから、範疇が言葉にぞくするものだという側の方が専ら肝要だ。――処が、言葉は一定の歴史的必然性によって、夫々の一定社会の事情の下に分化して来たものであることは、広く知られている言語学上の定説であって(インド・ゲルマン語の或いはそれより古い有史前語の発達が今日の少なくとも各種の欧州語を結果した)、そのように範疇も亦無論歴史的発展のコースと社会事情による分化とを有っている。範疇乃至範疇組織は、任意の術語を必要とする哲学者が便宜的に工夫して伝えられたものでもなければ、ましてその時々に勝手に対象に対応させさえすれば出来上るというものでもない。範疇は歴史性と社会性とを有っている、と一応言っておこう。
 併しここから哲学叙述に特有な一つの問題が発生する。今も云ったように哲学的範疇は歴史的に変化するのだから、時代によって異った哲学範疇が存することは少しも不思議ではない。そして範疇の変化が有り興亡があるということは、前の範疇が何かの原因と理由とによって役に立たなくなって、新しい範疇が順次に部分的に、或いは可なり一遍に、之に代ったことを意味する。当然之は社会の推移に対応するのであるが、過去の社会組織が今日の社会組織と可なり根本的に異るのを吾々は知っていると同様に、古い範疇組織と新しい夫とは可なり別なものになっている。過去の社会が現在無くなっているように、過去の範疇は死んだものであって、生きて論理的乃至哲学的な働きをしているものは現在する種類の範疇だけなのだ。範疇のこの生死・淘汰を問題にするのが、範疇論の本来の役目でなくてはならぬ。
 処が生物の発展に従って古生物も現代に生きている生物への発展系統樹の内に並べられねばならぬように、過去の死んだ範疇と雖も現在の生きている範疇と無関係ではない。そこで過去の範疇を現在の範疇に出来る限り翻訳する仕事が、文献学(往々言語学とか博言学とか訳されるが)の使命である。この際文献学は範疇論から来る論理学的条件を無視するならば、単なる史料編纂に終るのであって、そこから救うべからざる論理学的乃至哲学的根本誤謬を惹き起こす危険を持っている。例えばギリシアや或いはもっと系統の違った支那や印度の古代哲学の範疇を、範疇論的に検査しないで単に文献学的に取り扱っていると、往々にして、現代に於ける諸問題を、こうした古代的範疇で処理したりなどしたくなるのである。仏教学者の哲学概論や漢学者や国学者の社会理論などが之だ。誤謬は、古代的範疇を現代的カテゴリーにまで翻訳しないでそのまま使えると思っている処にあるのである。
 之は歴史上の云わば縦の翻訳だが、この関係は当然地理上の横の翻訳と連関している。国語の違う諸民族が夫々使っている範疇体系は、之をお互いに翻訳しない以上決して国際的通用性を得ることは出来ない。そして逆に国際的に通用するためには(之は哲学が科学的である以上絶対に必要だが)、夫々の民族の哲学範疇体系は翻訳し得るものであることが要請される。例えば外来思想と無縁であったり、外国には通用しなかったりするような日本哲学は、哲学ではないということが判るのである。――翻訳は単に英語や外国文学の問題ではなくて、元来、哲学的叙述に於ける論理学上の問題なのである。

 因みに哲学の方法に連関して意見を付しておこう。この言葉自身がすでに非常に経緯の多い面倒なもので、詳しい分析を必要とすることだが、それはそれとして今は、もっと単純な意味での哲学法――「哲学する」とは何かに就いて述べておこうと思う。
 「哲学する」と云っても、世間で往々考えるような、何か甚だしく勿体振った或る態度のことを云うのではない。哲学は、何もそんなに変った特別のものでもなければ、有り難いものでもない。夫は極めて日常的な尋常なものだ。だから哲学に対して妙な思い入れをしないこと自身が、哲学することの初めだと云ってもいい。
 そのためにはまず、豊富な常識が哲学の何より大切な条件となる。日本で独自な哲学が発展せず哲学が広く各種の領域に浸透しないのは、哲学者が、例えば自然科学的常識や政治経済上の常識に対して関心を持つことの少ないのが、原因の一部をなしている。常識というのは半ぱな卑俗の知識のことではなくて、実は一切の見識・知見を最も合理的に手近かに統一したものでなくてはならないのである。
 常識が発達し、その質が向上すると、教養と呼ばれるものになる。普通、俗に人格とか学識とか呼ばれているものは実は教養と云えば語弊がないので、之は人間の一般的教育の理想ということになっている。例えばドイツでは大学を卒業することを大学で「教養を受けた」と呼んでいる。――教養という言葉は常識という言葉の特別な場合に他ならない。少なくとも常識と教養とをそういう関係で理解すべきである。処で行き渡った教養の深さは、哲学することの先決条件である。
 だが、常識や教養を必要とするものは独り哲学乃至哲学法に限らないのは云うまでもない。併し特に哲学法にとっては、之が致命的な条件だというのである。例えば或る意味で非常識な自然科学者でも自然科学者としてある程度までの価値を持てるかも知れないが、非常識な哲学者にあっては、その哲学自身が非常識だということになって、哲学としての欠陥を意味することになる(教養に就いても亦そうだ)。哲学は常識乃至教養から出発しなければならぬ。だからどんなに熱烈な真理の探究者でも(宗教家などにそういうタイプは多いが)常識と教養とを欠く者は全く哲学と縁がないのである。
 単なる常識乃至教養に止まるならば夫は常識家や教養人ではあっても哲学する人ではない。優れた政治家も優れた文学者もまだ哲学を有たない。哲学法の第二の規定は、常識乃至教養の意識的な深化向上展開である。ここで意識的というのは秩序立ったということである。つまり一定の手法技術)を以て常識を何等かの意味で洗練発達させることだ。でここまで来ると、常識的であるべき哲学法が、実は常識そのものに就いて専門的な技術を必要として来る。その意味に於て哲学は初めて、一つの専門的技術と云ってもいい。
 哲学は常識的な日常語を精練し純化し整頓して各種の術語を造る。之は哲学乃至広く学術・思想の歴史によって、世間の哲学者達に共通し理解出来るように、話しを簡単に決定出来るように、便宜を提供する言葉であると共に、同時に普通では気がつかないが併し気がついて見ると事物の核心を極めて豊かに指摘している真理のある言葉であることも判る。哲学はこうした言葉の云い表わすものを特にただの観念から区別して概念と云い、概念の内でも中心的な交叉分岐点に相当する根本的な重大な概念を範疇と呼んでいる。で、こうした概念や範疇を歴史的に受け継ぎ又見出し、それから多数の之等のものを組織立てて研究用の用具(オルガノン)を造り上げ、そして之を運用することが、専門的な技術としての哲学法の内容となる。こういう概念用具の構成運用を広く論理学と呼んでいる。
 最近例えば文学上のリアリズムの問題に就いて、偶然性とか必然性とかいう範疇を使って色々と議論されている。処が言葉は同じでも、哲学技術が異うと範疇そのものが別になるわけで、つまり論理の組織が別なのである。弁証法と呼ばれる論理では偶然性と必然性とは統一的に理解される二つの概念だが、形式論理学では二つは全く絶対的に分離したものと考えられている。又唯物論(本当の弁証法は唯物論に帰着するが)で云うリアリティーと観念論でいう夫とは、言葉は同じでも、範疇としては別で、異った範疇体系にぞくしている。
 こうした範疇の構成運用は、云うまでもなく人々が勝手にやるのではなく、そういう範疇で以て哲学が処理しようとする実在そのものの構造が要述する処に従って之を実施する他ないのだが、併しそれも亦素手では不可能なので、哲学の歴史がその仕方を具体的に吾々に指定している。で専門的な哲学法の技術は、哲学史の正確な知識を離れては存在し得ないから、哲学史に通じているかいないかが、少なくとも哲学専門家であるかないかの最も大きい区別の標準の一つになる。――処が又哲学史の知識は哲学史や哲学概論という名を持った本をいくら読んでも具体的には得られないので、哲学者の書き残した権威あるテキストに直接触れて之を理解しなくてはならないのである。
 で、こうやって哲学は専門化されるのだが、併し依然として大切なのは、その元来の常識的な本性である。この専門は、再び常識界にまで還らなければならぬ。というのは、常識界にこそ本当に哲学的に解決されることを必要とする、哲学の問題があるのだから。哲学の問題は、或る意味に於て、常に時事問題・評論的問題である。「実際問題」を解き得ない哲学は遂に何等の哲学でもない。それで、哲学法の第三の条件は、如何にして大きい深い活きた問題を捉えるかということにある。哲学者はここで初めて、思想家となるのである。哲学者が文学的特色を持つ所以である。哲学の専門の教授などには哲学技術は持っているが思想は全く持ち得ない人が少なくない。之は哲学法そのものから云って致命的な欠陥である。丁度思想だけを持っている、思想を進めて行く専門的な科学的(学的)技術を持たない自称「哲人」の場合と同じに。
 最後にこういう思想の技術である哲学法に必要な、精神上の素質を列記しておこう。
 第一、分析力=けん別力。ものの一見わずかな違いが見逃されると重大な誤算が産まれる。明晰な頭脳、鋭い頭と呼ばれるもの。多少数学的な素質。
 第二、連想力=構想力=ファンタジー。之は常識と教養とからくる処の一見異ったものの間の、かくれた同一性を見抜く能力。働く頭と呼ばれるもの。多少詩的な素質。
 第三、象徴力=性格づけの能力=解釈力。事物の意味を的確に突く力。確かな頭。多少散文的な素質。
 第四、総合力=組織力=構成力。事物の同と異との間に処して、本質的な対立と統一とを追跡する能力。強靱な頭。哲学に固有な素質。なおここに、真実感性格の辛さを、つけ加えていい。
 之で見て判るように、哲学法が、その素質の上から云っても他の豊富な文化諸領域を離れて決してあり得ないことを見るべきだ。特に文芸との関係がそうなのである。
(一九三五)
 学術論文に限ったことではないが、文章は互いの間に一種の矛盾を持った二つの要素から成り立っている。文章が事物関係乃至思想の表現の一種類であることは云うまでもないのであるが、表現なるものが元来二つの矛盾した要素から出来ているのである。一般に表現の内容と形式と呼ばれているものが之であって、文章も亦、その内容と形式との関係に於て、今取り上げられる多くの問題を蔵している。
 一体学術論文即ち哲学、社会科学、自然科学、又数学、等々の研究的・評論的・教訓的な文章であっても、それが一個の文章であり、従って一種の表現作用の産物である以上、広い意味に於ける文学としての特色を持っている。文学という言葉にもし語弊があるなら、文筆物としての特色を持っていると云ってもいいのであって、その点では所謂文学上の創作と或る一定の共通な性質を必ず有っていなくてはならぬ、学術上の文献が文学と同じく Literature と呼ばれていることには意味があるのだ。
 だから学術論文であっても、その文章の形式にぞくする表現形態としてのスタイルが、色々の意味と場合とに応じて相当根本的な問題になるのであって、極端な例を取れば、プラトンはその哲学的論文の殆んど凡てを、論議的な戯曲として、即ち例の対話篇として、書き残したし、自然科学者の場合に於てもガリレイの力学対話篇などが有名な戯曲スタイルによる論文である。哲学的表現形式として、一般に詩的表現を用いたものは限りなく古来存在している。なぜこうした詩的乃至劇的スタイルを選んだかに就いては、説明すべき根拠があるが、それは今は問題にしないとして、とに角この意味に於て如何なるスタイルを選ぶかは、その論旨と可なり直接な連関のあることでなければならぬ。――それから、文語を用いるか口語体を用いるか、文語体にしても漢文体か擬古文体か、口語体にしても話し言葉風のものか近代文章語体か、それとも又新聞記事体か、ということが次の段階のスタイルの問題である。更に又、夫々のスタイルの内に、筆者の個性と取り扱う対象の相違とによって、独特の風格を孕むことになる。この点文学の所謂ジャンル乃至所謂スタイルの場合と殆んど変らないと云っていい。
 処がこうした学術論文の形式(ジャンル・スタイル・風格・等々)は、云うまでもなくその論文内容にとって必要なものだけが選ばれるのである。学界や論壇又一般出版界の風習に基く部面は今別にして、夫を除けば、夫々の文章を一定形式でなければならぬと決めるものは、論文内容自身以外のものではあり得ない筈だ。――だが夫にも拘らず、この形式は一応内容からは独立しているものであって、そうであればこそ形式の資格を持っているのであるから、文章のこの形式的な側面は、文章の内容を現わす側面と立派に対立せざるを得ない。特に文章形式が内容を陶冶し均斉にし或いは具体化し豊富にさえする積極的で能動的な役割を割合多分に持っていると見做される社会科学や哲学の学術論文に於ては、文章のこの形式的側面は内容に対して可なりの独自性を主張出来るし、又事実そういうことになっているのである。
 処がその結果、文章の形式的な側面が、即ち事物乃至思想そのものに対するその表現過程又は表現結果としての「文章」だけが、何か独自の独立化されたものにまで転化されがちだという、そうした弊害がここにすぐ様伏在していることを注意しなければならぬ。この時論文は作文となり、即ち論文としての資格を忘れ又は放擲する。と云う意味は、作文というものは文章による表現能力の訓練のために存するもので、形式的陶冶による教育の一手段に過ぎないものであって、それが仮に論議的なジャンル乃至スタイルのものであっても、議論の内容そのものはそこでは元来問題ではないのである。論文が作文化し、論文としての資格を失う場合は、自然科学の論文などには比較的多くはないが、哲学や社会科学になると決して少なくはないのである。
 無論、作文化したものは、どんな文章にとっても決して名誉ではない。創作は云うまでもなく作文などであってはならない。元来作文なるものが文章の外道であることは、一個の常識に数えられてもいい位いだろう。文章がその目的であり動機であった内容を忘れて、形式に興味を集中した外道がこの作文なのである。だから作文化された哲学や社会科学の学術論文は、決して文章としても優れたものではあり得ない。作文化した学者の文章は、恐らくより文学的に優れた表現を用いようと努力したことから生じるものだろうが(論旨の弱小・貧困を蔽うためであるかどうかは論外として)、その結果は却って正反対で、文学的に最も劣った学術論文が出来上るわけなのである。だから事実、わが国の論文作家の内には、レトリカルに実に合法則的な文章を書きながら、譬喩やユーモアやウィットやアイロニーやを通じて現われる極めて普遍的な論議的文学技術になると、殆んど之を真面目に試みてさえ見ないものが多いだろう。吾々の論議的訓練は、美文学的には相当凝っているが、文学的には可なり幼稚だと云わねばなるまい。之は外国の論客の文章に較べて見ればすぐ気のつく筈のことで、つまり之は、例えばヘーゲルやマルクスのような(二人はまるで別な種類の文学的興味の下で書いてはいるのだが)考え方が、吾々の手中のものになっていないということを示しているのだから、問題は重大なのである。
 自然科学者の論文の方は、作文に流れるものがあまり多くはないと云ったが、併し自然科学者の論文は少数の例外として、之とは別な意味で却って非文学的なものが多いように見受けられる。達意な文学的表現能力と確固たる叙述内容とを結びつける技能に於ては、多分自然科学者は最も劣ったインテリゲンチャだろう。特に日本の自然科学者達はそうのように見受けられる。尤も例外として、例えば石原純博士や仁科芳雄博士やの論述体を忘れてはならぬが、自然科学の論文に於ては、譬喩やウィットはどうでもいいもので、却って邪魔になるとさえ考えられるかも知れないが、併しファンタジーのない処には何等の研究精神もないということも本当であって、例えば譬喩というような「文学的」な素質が、自然科学に於ても側面的ではあるが、併し案外大きな役割を果していることは注目に値いする。無論譬喩は要するに譬喩であって、公的に科学的な観点からは次第に精算されて行くものではあるが、併しこの譬喩によって案外自然科学的世界像も成り立つことが出来ているのである。物質には物質の譬喩(直観像)があり、波動には波動の譬喩(直観像)があるので、これ等の譬喩の創造と淘汰との内に、自然科学の統一的世界像の進歩も横たわるのである。文学的叙述技能も亦、決して自然科学にとって、どうでもいいものではない、ということの一つの証拠に之はなるだろう。――で一般に、学術論文に於てもその表現技法が極めて大事だということが之で判る。
 学術論文のこの形式的な表現技法とそれによって表現される学術内容である論旨との関係に於て、いつも大事なものは併し云うまでもなく論旨そのものだ。問題は、論文のこの表現技法が、どのようにこの論旨をありのままに、損うことなく、却って助長さえしつつ、叙述出来るかに懸る。この際例の作文化されたものは、論旨を皮相化し抽象化しマンネリズム化することによって、論旨そのものを深く損うものに他ならない。雄弁術のセンチメンタルなスタイルと同じに、こうした文章は却って論文の科学的価値を引下げる。――併し同時に、科学的価値が一応高いものでも、その文学的水準の低い場合には、それだけその科学者の科学上の仕事一般の信用を低下させることも亦本当である。本当に文章の下手な科学者は、単に文章が下手なばかりでなく、恐らく、自分自身の科学上の成果に就いてさえ、見当違いな世界常識に基いてその解釈を敷衍するような科学者だろうからである。で、文章の意義は、云い表わそうとする事物関係乃至思想を、文章自身を意識させることなくして叙述し去るという処にある、と云ってもいい位いで、自然科学などになれば、この特色の必要は可なりハッキリして来ると思う。文章は云わば媒質のようなもので、エーテルに類するものなのである。気がつかれないように読まれる文章が本当の文章というものである。無論それには、読者を圧するような重い論議内容がなくてはならぬのだが。
 さて、そこでまず第一に、文章は或る一定の意味に於て平明でなくてはならぬ。ムツかしいということはそれ自身決して文章の名誉ではない。併し学術論文は研究の発表であろうと評論であろうと、いつも或る一定の予備知識の水準を仮定しているのであって、この水準に達していない読者にとっては、どのような学術論文も必ずムツかしいものだということは、ハッキリ断わっておかなくてはならないだろう。専門的知識の平均的な水準か、普遍的で統一的な見地に立った常識水準かが、当然読者に向かって要求されるのであって、この水準を抜きにして文章の難易を論じても意味がないのである。つまり内容のムツかしいものは読む文章もムツかしいわけであるが、今ここで問題になるのは、内容に対比してそれの表現形式としての文章が比較的ムツかしい場合に限る。そうあってはならないという意味に於て、文章はいつも平明であることが最も必要な資格となるというのである。
 それから又、学術論文は読者に対して一定の理解の努力と忍耐と注意の集中と、更に又一定の想像力乃至連想能力とを要求する。之を欠いた読者にとってムツかしいと考えられる文章は、実際は必ずしもムツかしい文章ではない。読者としての一定の予備知識水準だけではなく、読者の一定の心掛けを想定した上で、なおムツかしく書かれたものが、不名誉な文章としてのムツかしい文章なのである。――以上のような二つの条件の下に、文章はいつも平明であることが必要だというのである。
 で、論文の平明さは、まず手始めに文章の出発点乃至文章が想定し要求している予備知識の水準が、専門的乃至統一的な常識から、あまり離れていないということを必要とする。無論その論旨或いは結論に於ては、この論文は今のこの水準を高め或いは抜け出る筈であって、そうでなければ論文は何等科学的な価値を持つことが出来ないわけだが、併しこの平均的な水準と特に今高められた水準との間には、段々の連絡と一種の連続とが論理的にか直覚的にか与えられねばならぬのであって、この段々のプロセスが取りも直さず学術論文の内容をなすものに他ならぬ。――尤も一種の常識水準を想定してそこから理論を出発させるから、その意味に於ては一種の常識を利用するのではあるが、併しこの常識には、いつも厳重な戒心を必要とするものがある。常識化した知識は一面便利ではあるが夫だけに粗大で又無雑作なので、こうした常識の上に常識をつみ重ねて行くと、その結果は常識を高めるどころではなく、元の常識水準以下にさえ落ちないとも限らない、そういう危険を持っている。学術論文の本来の特色は、こうした常識的な既製品を分解し構成し直す処にあったのだから、こういう「常識」的な文章は少しも科学的論文の資格を持てないわけだ。ただ常識を分解するにも、その手懸りはまず常識水準自身の内から見出さなくてはならないと云うのである。
 学術論文のこの常識への一種の連続、又常識による一種の連絡は、所謂ギャップのない文章となって現われるもので、そこには前にも云ったように、論理的な或いは直覚上の連関が敷きつめられているのであるが、特にこの直覚的連関の方が、学術論文に於て特別な注意に値いするものを持っている。なぜなら、文章に現われた観念と観念とが、直覚的に連関するという場合は、習慣による観念連合が働いているのであるが、この観念連合の習慣は、つまりその観念に就いての常識・常識観念に対応するものであるから、直覚上の連関というものは結局常識をつみ重ねることによる連続であって、前に云った通りそれは決して常識水準を高めるものではなかった筈だ。高々既得の常識水準に足踏みする結果しか得られないわけで、学術上の論文としては何等科学的価値を持たないことになる。――常識水準を高めることが出来る場合は、云わば極めて透察力に富んだ直観が横たわっている場合に限るのであるが、そうした直観はそれ自身、常識水準をば普通の平均値以上に押し上げているものであって、そしてそういう直観ならば、実は之をいつでも論理的な連続に引き直すことの出来るものなのだ。――単に直覚的な連続だけで読ませる文章は、たしかに平易に尤もらしく見えるだろうが、そこには何等の論証に類するものもないので、有態に云うと少しも新しい積極的な知識の開拓にはならぬ。ただ、既知の常識を上塗りして呉れるので、いつか読者は自分が説得されたような気がするのであり、それで好く判ったというような錯覚を受け取るに過ぎないのである。こういうことが実は例の作文の一つの特色でもあったのである。低級な読者は自分がすでに知っていることにしか感心しないのだ。
 こうした例は、未熟な術語や又却って使い古された熟語を用いる場合によく現われる。特に漢文調の熟語や術語がそういう場合の役に立っているように見える。元来漢文調自身がそうだが、漢文調のヴォカビュラリーは、一方形象文字に特有な審美的連想を持つことによって、甚だ直覚的なアッピールを有っているものだが、他方、更に之に加えて吾々日本人の日常生活の必要事項を取り上げながら育って来たという歴史を夫が持っていないために、衒学者風に上ずった使い方がその習慣になっている。だから之によって文章自身は非常に調子良く滑かに進むのではあるが、従って却ってその文章はその取り扱う事物関係なり思想なりを、極めて皮相に片づけて了うことにもなる。例えば今日の左翼団体の言論に於て見られるような美文体は、多かれ少なかれ、この漢文式に「円熟」した熟語か又は未熟な「術語」の効果を利用しているだろうが、之は科学的言論の方法とは凡そ正反対な、幼稚なフラーゼオロギーをもたらすものだ。――こうした文章上の(実はだから又思想上のだが)センチメンタリズムが、如何に粗雑な思想感情理論能力の所産であるかを注意しなければならぬ。一体センチメンタリズムとは、感覚貧困者の唯一の感覚形式なのである。
 処で第二に注意すべきものは、学術論文に於ける公式の意義とその使い道とである。論文が公式に手頼る場合、込み入った論構も極めて円滑に又確かに平明になるのであるが、この公式に就いては普通考えられている以上の問題が伏在しているのである。一体公式というものは学術的叙述に特有な而も欠くことの出来ない要素であって、純粋の文学的叙述から之を区別する方法論上の目安の一つとなるものだ。公式を使わない学術論文はないし、又あり得ないし、又あってはならないとさえ云って好いだろう。立ち入って考えて見れば文学上の古典さえ、実は公式を提供するという意味を有っていることに価値があるとも云えるだろうが、学術上の古典になれば、例えば哲学上の古典などになれば愈々立派にそう云える。処で、古典というものが一応の意味では第二義的な位置に置かれがちな自然科学(又或る程度まで社会科学)になると、古典の代りに公式というものが口を利き出す。そして公式は数学の公式(Formula)に於て典型的な場合を見出すのである。今日社会科学などで用いられる公式という言葉が、数学のこの Formula から借りて来たものであることは注目に値いする。
 学術論文は既成の公式を利用出来るし又利用しなければならぬ。二次方程式を解くのに、根の値いを与える公式を使わずに一遍一遍因数分解を工夫する数学者は、決して科学的な数学者ではないだろう。なぜなら、そういう数学者はそれだけ数学計算の時間と又行数とを科学的に短縮する術を知らないのであって、元来殆んど凡ての数学は計算の手続きを組織的に短縮しようとするための科学に他ならないからだ。社会科学や自然科学に於ても大局から云ってこの点に相違はないので、ただ夫々の公式の適用条件が数学などのように簡単に一目瞭然としてはいない迄である。で、今この適用条件を過って公式を応用した場合が、所謂公式主義となるのであって、単に公式を使ったということが公式主義になるのでは決してない。もしそうならば、一切の科学的叙述は凡て公式主義だということになるだろう。
 この種類の公式主義に基いた学術論文は云うまでもなく誤謬を結論するのであるから、その科学的価値がマイナスなのだが、併しもう一種類の公式主義がある。夫は、既知の公式をわざわざ特別な理由もないのに改めて導き出して見せる場合のことであって、元来判り切っている公式を導き出すだけの時間で、その公式を使ってより以上前進した分析を行なえる筈なのに、その代りに折角と公式を導き出して見るのである。この判り切った公式が求められた頃には、云わば、論述の時間は切れて了うので、その結果、いつまでたっても問題の解決は一向展開しない、というのがこの種の公式主義なのである、之は公式を使ったから公式主義になるのではなく、却って公式を使わなかったから公式主義になった例で、普通、分析の結果を或る公式に帰着させたと見られる場合が、実は皆之である。之は必ずしも科学的価値がマイナスなのではないが、併し学術上無意味な反覆であるから、その価値はゼロに等しい。
 この後者の方の公式主義は、実は問題の発見や問題解決の意図やの欠乏から来るのであって、解決すべき問題が眼の前に与えられていない時屡々起こる一つの現象である。丁度先生から自分が少しも興味を持っていない題を出されて作文の筆を取る生徒のように、ここには何等の「問題」もないのだ。だからこの場合には、すでに判り切った公式を反覆導来することを外にして、何等の結論も分析の結果も論旨の固執も要求されてはいない(作文というものはそういうものなのである)。処が学術論文はいつでも、結果を目的とするもので、一定の結果の出ない論策はエチュードやエッセイ(試論)ではあってもまだ「論文」にはならぬ。学術論文の絶対的な使命は何等かの意味での結果を出すこと以外にはなく、この結果を得ることは新しい公式乃至新しい定理法則を求めることで、之がやがてより以上前進した科学的研究の踏み台となるのでなければならぬ。こうした科学の進歩に有用な公式を導き出した学術論文だけが、その科学的価値を永遠にすることが出来る。――或る文学者達は、文学や評論に於て結論を求めるべきではないとさえ云っているが、併し結論が容易に出ないということと結論を求めないということとは別だ。結論を求めないような文学がもしあるとすれば、それは凡そ人間の科学的精神とは無関係な思想のない文学でしかないだろう。文学的探究に於ても事態は同じなのだ。
 結論・論旨・結果を求めることが学術論文の絶対条件だということから、文章の修辞に於ける力点乃至論述の「山」の問題を考えておかねばならぬ。要するに最も大きな「山」は結論にあるのであって、論旨がここで強調されるわけだが、そこまで来るのに幾つかの小さな「山」を越えなくてはならない。之がないと論文は科学的説得力を有つことが出来なくなる。エチュードやエッセイ(試論)にはこうした山は幾分必要ではないかも知れぬ。だが学術論文は、夫が論文である限り、丁度文学作品がそうであるように、又は法文がそうであるように、公的に客観的に一種の完備を持ったものであるのを建前とする。それには「山」が要るのである。之のないものは論文でなくて論議的フラグメントに他ならない。無論フラグメントもフラグメントとしてその科学的価値は大きいのではあるが。
 最後に論文文筆上の実際的な一工夫を一言述べておこう。論文を書き始める時には、まず予め思いついた論議要素を羅列する。次に之を分類し、その分類を合理的に均斉にすることによって、思い落した要素を思い出す。それから第一の要素に含まれた契機を出来る限り具体的に分解し、この分析された諸契機と次々の要素の同じく分析されるだろう諸契機との連関を一つ一つ検討する。こうして諸契機の最も適切な諸コンビネーションを選ぶことによって凡ての要素が連絡されれば、それが分析された問題全体の総合であり連関づけとなる。――分類は支配の基である。
(一九三五)

底本:「戸坂潤全集 第四巻」勁草書房
   1966(昭和41)年7月20日第1刷発行
   1975(昭和50)年9月20日第7刷発行
初出:「思想としての文学」三笠書房
   1936(昭和11)年2月
※アクセント分解以外の〔〕内は、底本編集時におぎなわれたものです。
※底本の二重山括弧は、ルビ記号と重複するため、学術記号の「≪」(非常に小さい、2-67)と「≫」(非常に大きい、2-68)に代えて入力しました。
入力:矢野正人
校正:青空文庫(校正支援)
2012年9月18日作成
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