私がアメリカにおりましたのは僅か一年半ばかしのことで、別にたいした感想もありません。が、向うへ行く前までは家庭にばかりいて、本当の世間というものを直接に余り見たことのない私には、それがたとい短かい一年半にしてもこの「世間を見て来た」という点に於いてよいことであったように思われます。そして、以前とは多少、物の見方や考え方なども自分ながら変って来ていることにも気付きますが、併し、そんなことを長々と申しましたところで、それは私自身のことで、この雑誌の読者の方にはわかりにくくもありましょうし、また興味もありますまいかと思われます。そこで、内的な私自身のことをお話するよりも、もっと一般的な意味で、私の見て来た彼方の同人雑誌のことをほんの少しだけ申してみましょう。
 彼方でもやはり日本と同じように、『文章倶楽部』のような雑誌もありますし、また『奇蹟』とか『異象』とかいうような同人雑誌も沢山あります。併し、その根本になっている心持なり態度なりが此方のものとは大変に異っているように見えます。それは一面たしかに国民性から出ているものです。
 彼方では一般が商取引風コムマーシャールになっているように、やはり文筆を執りつつあるものの間にも、それがあります。作品として出来上がった結果のよしあしは別として、日本などとは丁度反対で、名人気質の人がどうも少ないようです。
 この私の見方は丁度、三人の按摩さんが各自思い思いに象のからだの一部をさすって見て、
「象という獣は鼻のような形のものだ。」
「いやそうじゃない、尻尾のようなものだ。」
「いや、足のようなものだ。」
と言い合っているような類いで、その見る人によっては全く異ったものに感ずるでしょうけれども、とにかく、私はそういう風に感じ、観、また考えても参りました。
 とにかく、米国人は一般からコムマーシャールの方を多く持ち、日本人は名人気質の方を持っているように私には思われました。そして、米国では日本なぞよりも執筆者が数からいっても割合からいっても遙に多いが、その執筆者も或る雑誌が買ってくれているから書いているので、その雑誌が買わなくなれば今度は他の雑誌へ問い合わせて買う約束が纏まればやはり書きもするが、どこでも買わないとなるとその人は執筆の方の為事しごとはやめてしまいます。そういう人の方が多いようです。そこへ行くと、日本人にはその作品がなっていようがいまいが、他人が買おうが買うまいがそんなことはおかまいなしに、ただ書かずにいられないから書くという心持からその為事に没頭する気質が強いように考えられます。
 今私が言おうとする青年の同人雑誌にしても、彼方ではそういう風船玉みたいな気軽い陽気さで、つまり口笛を吹けば皆んなが集って一緒に騒ぐというようなところが本質的なものとなって、やっているのです。あながちそれが悪いともいえませんけれども、文学というものを、一般が単純に「趣味」という範囲に限られた心持で考えているということは、申されましょう。
 私のいたニューヨークに、昔オランダ人が上陸した当時から開かれたガリーンウィッチ・ビレージと云う街があります。そこは芸術家の多く住む気取った一区画として知られていますが、そこの若い人々が出している『プレー・ボーイ』という同人雑誌などは、あちらの新らしい、先へ先へ行こうとする所謂「若い芸術家の群」の気分を示していると思います。詩、絵、短篇小説類を集めた大判の雑誌で、それを見ると、彼等の陽気さ、活気、或る時には茶目気をふんだんに感受することが出来ますが、英国で嘗て、ビアーズレー、エーツ等の詩人、画家が起した新運動等は、これらの同人雑誌から期待することは出来ません。
〔一九二〇年四月〕

底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「文章倶楽部」
   1920(大正9)年4月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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