伝統的な女形と云うものの型に嵌って終始している間、彼等は何と云う手に入った風で楽々とこなしていることだろう。きっちりと三絃にのり、きまりどころで引締め、のびのびと約束の順を追うて、宛然さながら自ら愉んでいるとさえ見える。
 旧劇では、女形がちっとも不自然でない。男が女になっていると云う第一の不自然さが見物に直覚されない程、今日の私共の感情から見ると、旧劇の筋そのものが不自然に作られているのである。
 けれども、例え取材は古くても、性格、気分等のインタープレテーションに、或る程度まで近代的な解剖と敏感さを必要とする新作の劇で、彼等は何処まで女になり切れるだろう。
 舞台上の人物として柄の大きいこと、地が男である為、扮装にも挙止にも殊に女性の特徴を強調しつつ、何処かに底力のある強さ、実際にあてはめて見ると、純粋の女でもなし、男でもないと云う一種幻想的な特殊の美が醸される点などは、場合によって、多くの効果を齎す。
 然し噛みしめて見ると、云うに云われないところに不満がある。矢張り不自然だと云うことになるのか。
 今日の女優には、数百の見物の眼と、与えられた役割との間に迷って、兎角あまり素晴らしくもない素の自分を露出させて仕舞う芸術上の未熟が付き纏っている。女形には、芸の上に於て、其那腕のなさはない代り、どうしても、エキスプレッションが、女形の芸としての知識の範囲を脱し難い。真個の女性が無意識に流露させる女らしさが、微妙な隅々で欠けているので、天真の軟らかみが乏しいとも云えよう。女形の女性は、筋の上で与えられた性格の特質だけを強調する点ではうまいかもしれないが、それ等の底に流れ満ちている泉のような何ものかを胸に抱く事は、殆ど不可能であるらしい。
 私は、「両国の秋」では梅幸の蛇使いお絹、その他を観、部分的のうまさには深く感心しながら、右のような感を押えることが出来なかった。
 お絹の絶望的に荒んだ心持はよく出ていた。
 特に、二幕目の始め、お絹の処へ林之助が訪ねて来た時、心に一杯の恨みと憤りとを持ちながらも、男が来たと知ると我知らず手をあげて髪をなおすしぐさの、如何にも中年のああ云う商売の女らしい重々しさと情緒を含んでいたところ、三幕目に行って、小女お君に蛇の使いかたを教える辺。最後に、お君が復讐したと知って、断末魔の苦しみの中から、見るも物凄い快心の笑を洩す辺。流石さすがと思われるものがあった。
 けれども、全体を通じ、忠実な少女お君に、主人の仇討ちを思い立たせるほど纏々としてつきない林之助への執着が統一した印象となって浮上らなかったのは如何したものだろう。
 見世物小屋の楽屋で、林之助の噂をする時、菓子売の勘蔵に林之助の情事を白状させようと迫る辺、まして、舞台で倒れた後に偶然来た林之助を捉えて、燃えるような口惜しさ、愛着を掻口説く時、お絹は、確に、もう少し余情を持つべきであった。意志の不明瞭な林之助を、あきらめ切れないお絹の切な情が満ち溢れてこそ、最後の幕も引立ったのだが、肝心の処で見物を失笑させたのは惜しい。
 勿論、宗十郎の林之助も甚だカサカサで、情味もなければ消極的な臆病さも充分出ていず、頻りにスースー息を吸い込んでは空々しい言葉を並べたから、お絹も、あれでは悪たれるしか、仕方がなかったのだろう。
 栄三郎の小女お君は、内気に真心をつくしているのがしおらしかった。
 一幕目で、朋輩の饒舌に仲間入りもせず、裏からお絹の舞台を一心に見ているところ、お絹が病気になってから、芝居の端にも、心は病床の主人にひかれている素振りが見え、真情に迫った。
 ただ、一幕目で、お絹が舞台で倒れて担がれて来た時、無目的に駈け集った者の中から、せめてお君位は主人の衣裳に手をかけてもよかったろう。
 今まで後ばかり向き続けていたお君の存在が其処で或る点まではっきりするばかりでなく、舞台裏から迄見守る実意があれば、あの場合、重苦しい着物をゆるめる気になるのが、女として心持の上で必然なのである。
 お絹に、遺品として蛇を貰ったところと、お里の家へ忍び込む気になったところまで、感情の連絡に乏しい感じはなかったろうか。
 私の心持から見ると、此「両国の秋」と云う芝居は脚本の根本に、何かお絹なりお君なりを、充分活かし切らないものがあったのではないかと思う。
 お絹、林之助、お里、小女お君の四人にからんで、筋は情緒的に、生々しく発展すべき性質のものだ。そこへ人間の数が殖えすぎ、筋は、皆、傍の人物が丁寧に説明するようになった。幕毎に、一種の前口上がつく、例えば、第一幕で、楽屋番の豊吉と蛇使いの女の一人とが長火鉢を挾んで説明、批評したことの内容を、お絹と林之助が第二幕二場でやって見せ、三幕目では、ちゃんと、菓子売の勘蔵が、前もって予告した通りのことが、やや茶番じみた台所の物音を先立てて起る。幕と幕とが切実な、新鮮な実感でつながれていなかったことが、ひどく俳優と、あるべき脚本の味をいだ。
「小野小町」は、上演の為に改作したのだそうだから、無理もないが、意味を自覚しない悪くどさで、失敗と感じた。(喜劇だから、笑わせさえすればよいと云うのなら、違うけれども。)
 宗之助の小町に、些も小野小町らしい大らかさも、才気もなく、始めから終りまで、妙にせっぱ詰った一筋声で我身を呪ったり、深草少将を憤ったりしたのは、頭が無さすぎた。
 科白も始めの部分と終りの方とでは言葉使いが違っている。勿論台本がああなっていたのだろうが、前半の写実風を一貫させるなら、深草少将の身代りに、口惜しさのあまり「そなたと契ろうよ」とかなり正面から哀切にゆき、身代りがあわてふためき覆面をかなぐりすて、
「やつがれは六十路を越したる爺にて候」
と、平伏し逃げかけるところで、復讐さえしそこなった小町の絶望困惑身を置くところも知らない爺とに、悲哀の籠った滑稽を味わせるもよし。又は、後半の狂言風な可笑しみで纏め、始めの自責する辺などはごくさらりと、折角、一夜を許し、今宵の月に語り明かそうと思えば、いかなこと、この小町ほどの女もたばかられたか、とあっさり砕けても、或る面白味があっただろう。
 行き届いて几帳が立ててあるのだから、深草少将が庭先に入って来た時だけでも、そのかげに半ば隠れ立って、自らな女らしい心のときめきを示してもよかったろう。後で身代りと露見した時の小町の驚き、憤りを、一層愛らしい人間的なものにする効果もある。
 お里や早瀬の時には心づかなかったが、小町になって、少将が夜な夜な扉を叩く音が宛然、我身を責めるように「響く」と云うのを、宗之助は、高々と「シビク」と云った。無神経はよろこばしくない。
〔一九二三年七月〕

底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
初出:「新演芸」
   1923(大正12)年7月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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