始めて郊外に住んで、今年は、永く美しく夏から次第に移り行く秋の風景を目撃した。これまで、春から夏になる――初夏の自然は度々亢奮して活々感じたが、秋をこのように、落ちる木の葉の色、雨の音にまで沁々知ったのは初めての経験であった。
 九品仏くほんぶつその他、駒沢からこの辺にかけて、散歩するに気持よいところが沢山ある。名所ではないが、自然が起伏に富み、畑と樹林が程よく配合され眺めに変化があるのだ。ぶらぶら歩いていると、漠然、自然と人間生活の緩漫な調和、譲り合い持ち合いという気分を感じ長閑のどかになる。つまり、畑や電柱、アンテナなどに文明の波が柔く脈打っているため、威圧的でない程度に自然が浮き上り、一種の田園美をなしている。いつか、長崎村附近を散歩し、この辺とは全然違う印象を受けた。あの辺の村落は恐ろしい勢で解体しつつある。畑などどしどし宅地に売られ、広い地所をもった植木屋は新しい切り割り道を所有地に貫通させ、奥に、売地と札を立てた四角い地面を幾区画か示している。私なら、ああいう場処に住むのはいやと思った。新開地で樹木が一本もなく赭土がむき出しなばかりではない。現代の文明の生きた問題が、動いて売り地の札を立てたり、金を出したり、作業している。土地の発展、時代の趨勢と称する土地分譲は、根に大きな底潮を持っている。迅く流れる河ばかり視ていると目がまわる。そのように、ああいうところに住んでは閉口と思うのである。
 然しながら、それなら平穏なここがよいかと訊かれたら、私は直ぐ返事する。否だ。この小さな住宅地は隠居所である。私共のような人間の住場所には不適当だ。小さい商売を定った顧客対手にしつつ、その間で金を蓄めようとする小売商人は根性がどうも立派でない。避暑地や遊覧地の商人と共通な或るものをもっている。その絶間なく小さい狡いことをされる顧客の大部分がまた過去に於てせくせく蓄めた金をもって引込んで来た人間の、現在中流的偏見に満ちて社会的地位や財産を蓄積しつつある者なのは面白い。天から見たら苦笑されるいたちごっこだ。大体、郊外の住宅地というものは、子供と大人の肉体のために野天と日光がたっぷりあるというだけがとりえのものではないだろうか。底を見ると社会的に不健康なものがあるのではなかろうか。
 時間の不経済な点もあって、私共の間にはもううから、都会生活復帰説が持ち上っている。私共のような知識階級の貧者、同時に生活の愛好者には都会が住みよいことを発見した。そこで生れ育った人間には理屈以外都会に牽きつけられる本能があることをも感じる。――
 それやこれや貸家物色中だが、今一番困ることは、家の寒いことだ。田舎らしく天井がそれはそれは高い。周囲ががらんとしている。そこへ寒い冬の空気が何と意気揚々充満することか! 冬の始め、寒さの威脅を感じ、私共は一つの小さい石油ストーブを買った。夜など部屋から部屋へ移る時、それを点し、提灯がわりにもして下げて行く。石油ストーブというものは、然し、何だか侘しい性質のものだ。点けると当座はぽーっと直ぐ部屋が暖まる。少しいい心持になって、さて消すと、それぎりほとぼりというものがない。すーっと、空気が自ら冷めて、元のつめたさに戻ってしまう。スタンダアドの石油ストーブは、チャスタアという名の石油だけを好む。スタンダアドが日本の会社でないように、チャスターは新潟からは産出しない。石油だけで部屋をあたためていようとすると一人で四罐のチャスターが入用だ。友達と私と、うちは二人で一つずつの部屋を持っている故、月に八罐のチャスターがいったとしたら、その始末は誰がしてくれるであろう。私共は、財布に合わせて大きすぎる独立心を持っているから、そのように石油はつかわない。炭で間に合わせるのだ。
 私の部屋は南向きだが、非常に寒い。椽がなく、障子一つで外気を防いでいるためだろう。日本の障子の風情を愛すのはピエル・ロティとヨネ・野口に止まらぬ。けれども寒いので私は風邪をひいた。一日、ホット・レモンを飲んで床についたが、無惨に高い天井を眺めているうちに思ったことがある。それは、雑誌のことで、雑誌も、正月の『婦人公論』についてである。
 初め、女流百人百題という題を見、ジャアナリズムを感じただけであった。順ぐり読むうちに、そうばかりも云えぬ気がして来た。兎に角ここには、これだけ現代女性の云うこと、思うこと、欲すること――あらゆる角度に於て内外の生活に連関した発露がある。筆者の態度が大体極めて粗笨であり、一時的であり、編輯された動機は商売気でも、何等かの意味で日本女性の一九二六年代のグリムプスといえる。その点、私は案外な興味を感じ、これを読んだ多くの書かざる女性、云わざる女性がどんな印象、反省を得たかひどく知りたく感じたのであった。この雑誌を二十年後とり出して読んだら、私にどのような感銘を与えるだろう。また、現在二十前後の、専門学校程度の女性はこれを何と読むか。売るために、所謂名のある女性だけを選び、何か書いて貰ったのは兎も角、そういうこれから何か仕ようという女性、現代の文明、女性の生活の各方面に批評を抱いて、更に一歩進めようとよき大望を抱いているだろう未知の人々の一言が、だが、あの中にどの位あったのか?
 私の興味を覚えたという言葉は、ここで満足を覚えたという意味とは違うと、説明する必要がある。この理由の説明は省くが、あれ等の記事の中で特に注意を牽いたものの一つに堺真柄さんの女監一巡がある。
 あれを見出した時、私は自分の裡から湧き出す期待をもって読んだ。数年来、私は女性を監獄ではどう取扱うのか知りたいという欲望をもっていた。売笑婦の研究、不良少女の研究、それ等は活動的な女性によって、或は社会研究者である男性の手によってされている。けれども、女囚の生活、獄中生活が女性に及ぼす精神的の影響等は余り一般に知られていない。例えば免囚保護という言葉に、はっきり女性の免囚も含有す、という意識があるか。
 従来、女と云えば誰人かの娘、妻、姉妹、という附属的地位にあった。女性が刑務所を出てからどうすると云う問題も、彼女等に帰るところ、かえってから養って貰うところがあったので表面に出なかったのだろう。「仮令どんなによくしても監獄はよくならない」――人間をよくする処にはならない、とクロポトキンが云った通りだとすると、ここで数年を暮した女性はどうなって世に送りかえされるのであろう。
 男性の中には、自分の経験した獄中生活を記録した人が多くある。古から、古田氏まで沢山ある。種々なことをそれによって知るが、女性には尠い。私は寡聞にして殆ど女性の手になったものを知らない。一つには、女性の犯罪が原始的な故もある。獄中生活を記録し、批判するだけの教養があったら行わない犯罪が女囚には多い。それは頷ずけるが、教育あり、現代の社会に批判もある筈の人が、非常に不運な事情の廻り合わせで或る均衡を失い罪を犯し、獄中生活を経験した場合でさえ、その制度、内容について客観的な評言が世に与えられないのは何故であろう。自分の行為に対する引責――刑に服したことと、経験した獄舎生活の研究とは別のものでありそうに思われるが、堂々たる立場によって発言する人はない。外部からでは役所の記録に表わされたことしか知れない。それ故、女監一巡が熱心を呼び醒したのであった。
 あの記事によって私共は日常行事を知り得た。衣類や食物や、行動の時間割などについて。紙数の制限があった故であろうが、余りそれだけすぎた。例えばそのような細部に於ても女囚が月経中まし紙と称して多少余計な浅草紙をいただかせて頂く、ということ。その非衛生な事実について筆者の意見が些も滲み出していない。皮肉さで、いただかせていただくという、恐らく特殊な用語例の一つが使われているだけだ。そのような卑屈な念の入った言葉づかいを強制されるとしたら、それが既に精神的問題の何ものかであろうと私は感じた。真柄さんは獄中の事実を書く時、生来の陽気性と親ゆずりの鈍感性のため、獄中生活が一生を左右する程のききめをもたなかったから、さも親しそうに監獄の生活について話せると云っておられるが、全文に微妙な神経質さ、嫌悪、その反動としての皮肉的語気が仄見えている、彼女の矢張り監獄は辛いところだという意見が正直で人間的で私に好感を与えた。それだからこそ、或る意味で人生の闘士の一人である筆者のような人が、只、辛いところです、ではいけないと思った。私はいつか、同じ筆者が、もう一重事実の底に沈み、同時に客観した記録を遺されることを希望した。
 同じ雑誌の、中河幹子さんの小論。女性の感情の深いところから生じる産児制限に対する質疑を暗示している点、自分と共通な或るものを筆者も持たれていると思い興味をもった。あれは未だ纏った考えと云うより、一つの暗示にすぎないから、女性中心思想によって敷衍された結論に猶考える余地があるとしても、その核心である女性のデリケートな自尊心については味うべきものであると思う。所謂進歩し、懐疑なく性生活を支配している新女性にとっても。
 中河さんが、右は冗談にあらずという断り書をつけ、真面目に云っておられるのが、私を微笑させた。同時に愉快な感じを与えた。世の中には、浅薄な人間はそれをきいてただ笑うが本当は大切なことだという問題が多くある。人は、笑われても平気で正面からその問題を扱うだけ野暮にはなかなかなれないものと思う。中河さんの小論についてそう感じたのみならず、逆に、女の人が警句が巧くなったので一方そう思うのでもある。
 例えば正月号の『ウーマンカレント』のカレントなども、新聞の寸評的効果を与えようとした点広く社会問題をとりあげている点面白いが、私には、問題の表面を滑りすぎた評言が与えられているところ物足りなかった。学生の思想取締問題など、男性の社会の出来事のようだが、本当は現在の社会と未来の文明を通観した上で、息子を人間的に育てて行こうとする母親にとって実に大問題であろうと思う。皮肉以上の解答を、真実人生を愛し子を愛する母は求めている。私もここに野暮にして重厚な真心をもって、×××氏がカレントに、小粒ながら真実深き評言を正面まともに人生に向って投げられるように希望する。
〔一九二七年二月〕

底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「ウーマンカレント」
   1927(昭和2)年2月号
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
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