四五日前のある夜十時頃、机に向っていると外でうちの名を呼ぶ男の声がした。速達だろうと思った。郵便受箱へ入れておいて下さいというつもりで高窓をあけたら、タオル寝間着の若い男のひとが立っていて、妙にひそめた声と左右に目を配った挙動とで、「一寸ここまで来て下さい」と云う。「どなたなんでしょう。」「一寸ここまで来て下さればわかりますから。」
 それはつい一つ先の角の家のひとで、その家の台所と風呂場をうかがっていた怪しい男をそこの露地へ追いこんだから、交番へ行ってくれ、というのであった。怪しい男はつかまった。これ迄は何年にもこの界隈にそういうことはなかったのだ。私はこわいと思った。
 友達のうちで、二階から二階へわたって物とりに入られていろんなものをとられた。そんなことは、そこに住んで以来はもとより附近にもなかったことだそうだ。私たちは、こわいわねえ、と云いあった。
 そしたら前後して、本郷の方の通りで、何か妙なことが起って、おまわりさんは、夜はどの道を歩くな、と住民たち、特に女に注意してくれたそうだ。
 人気がいいとか、人気がよくないとかいうことが昔から或る町や界隈について云われる。少しかたい言葉であらわされれば人心の微妙な動きが、人気のよしあしとなって云われるのであろう。その人気のうつりかたは実に早くて生物的であって又現実的であって、手の指の間にとらえ難いものだが、この頃の人気は、どこかこわいところがある。
 そんな泥棒のふえて来たことだけでなく、ある夫婦が歩いていたら警官に呼びとめられて、妻にしろそんな若い女と歩いているのはいけないと叱られたということをきいた。地方では青年団のひとたちがそういうようなことに口をはさんでいるというような話もつたえ聞いた。そんなことも、やっぱり人気の荒さと感じられて、こわい。男女づれのそのような見かたで女というものがどう扱われているかという心理に迄ふれて行ってみると、そういう男の女を見る目のなかに女にとって、こわい光がある。女がひとり歩きしにくいようなことになったら、益々社会的に働く場面のひろがっている女の不安、その家庭の不安、世間の不安は少ないものでなくなるだろう。
 綿一つうち直させても、本当の綿の減っている近頃は、うち直す方も直させる方も一種の神経をつかうようになっている。いろんな闇も、闇をめぐる人心の波紋が生活感情の機微であると思う。日常の生活感情に一定の規格が単純に太い線で描きあてられている一方、それは体の上へ描かれた縞のように、縞をつけたまま人気はそれ自身の動きの方向と角度を示している。生きて寸刻も止まらぬ人気というものを私たちは一番痛切に感じている。
〔一九四〇年十一月〕

底本:「宮本百合子全集 第十七巻」新日本出版社
   1981(昭和56)年3月20日初版発行
   1986(昭和61)年3月20日第4刷発行
底本の親本:「宮本百合子全集 第十五巻」河出書房
   1953(昭和28)年1月発行
初出:「改造」時局版十二輯
   1940(昭和15)年11月発行
入力:柴田卓治
校正:磐余彦
2003年9月15日作成
青空文庫作成ファイル:
このファイルは、インターネットの図書館、青空文庫(http://www.aozora.gr.jp/)で作られました。入力、校正、制作にあたったのは、ボランティアの皆さんです。