道理もわかり、その方法も可能性として婦人の生活に芽生えているのに、まだ何か、婦人の日々のうちには湧き立つ美しくつよい力が不足している。あとからあとからとおさえがたい力で泉がふき出て来るような創造がまだ私たちの毎日にあふれていない。それは、なぜなのだろう。
日本の女性は、余り過去に圧えられ従えさせられて来た。そのために、自分たちが現実にもっている実力に対して自信をもっていないのだと思う。可愛いいよちよち歩きの幼な児の前にしゃがんで、あとじさりしながら手をたたき、よろこびで笑いながら、マア、坊やお上手ね、そら、あんよ出来るでしょう? ここまで来てごらんなさい。ハイ、もう一つ、ヨイと! とはげましてやることを知っている日本のすべての若い女性が、自分の人生に対して、一つでもいいと信じることを実行するために、自分をはげますわざを知らないとしたら、それはあんまり哀れなことではないだろうか。きょうという日は、もう二度と私たちの人生にかえって来ない。それを思えば、私たちはそれを愛し、いっぱいの努力で内容づけたいと希わないものはないと思う。
〔一九四七年八月〕