「三年たった今日」日本の民主化がどのように複雑困難な過程を辿っているかということを、文化、文学の課題としてとりあげている。平和とファシズム反対のためには、すべての正直な人民が働くものと作家とをとわず、戦争挑発と愚民的な文化、文学政策に対してどういう決意をもって行動しなければならないかについて、語りあおうとしている。個性の発展、知性の自由というものも、民主の民主的自立なしにありえないし、民主主義の達成は、ファシズムとの抗争なしにありえない。「両輪」から「三年たった今日」が書かれた期間に、日本では広い規模でファシズムと戦争挑発に対して日本人民としての独立とその文化を護る運動が組織された。(日本文化を護る会)自身の発展についてまじめに考えている多くの社会人、作家の間に、民主主義と平和を守るための活動が開始されたのもこの期間であった。(日本民主主義擁護同盟)
最近書いたものでもないバルザックやジイドに関するものがこの本に入っているのはこういうものにも一つの現代的意味があると思ったからであった。民主日本に発足しながら、今日まで日本と外国との文化交流は、むずかしい翻訳権問題で行き悩んでいる。外国の書籍を、せりでおとして翻訳を許可されるというような世界に珍しい現象さえ行われている。
こういう不便でかつおたがいにきまりのよくない文化事情に立って、日本の若い人々に与えられる外国作家の作品翻訳は、必ずしも、ほんとに明日を輝かすものでない場合が少くない。ドストイェフスキーがこんなに流布していることと、そのような商業出版の理由を考えようとしないで、読者はドストイェフスキーをよまされ、その日本的変種まで批判なしにうけとらされている。ジイドにしても、このことはいえる。これまで一部の人の手本としてもちまわられた外国文学は、きょうまた商業主義出版で歪められている。バルザックについての評論、ノートその他は、たとえ完全なものでないにしろ、『歌声よ おこれ』にはいっていたものが大体この本にとりいれられたについては、わけがある。「歌声よ おこれ」その他は八月十五日のあと、わたしたち日本の人民が、苦しく圧えられていた体と心との全体のあがきをとりもどして、新鮮溌溂な民主的社会とその文学の建設に歩み出そうとする黎明に向ってのよびかけであった。それらの声は決してわたし一人の声ではなかった。こだまは四方にあった。そして、一九四七年の夏に解放社から『歌声よ おこれ』という本になって出版されたものを見たとき、わたしは切ない心持になった。その本は、手ちがいのために、ひどく紙質も粗悪であったし、頁のくみちがえもあった。書籍として愛しにくい本になった。
この苦痛は読者の側にもあって、いろいろ要求があった。そこへこのたび近代思想社から文芸評論集編纂の話が出て、解放社の『歌声よ おこれ』は同社と協議の上絶版として、その主要な部分がこちらに再録されることになった。
つけ加えられた「一九四七年の文壇」以下はわたしたちは外国文学を自分たちの人生と文学との動きゆく歴史のなかにどうくみとって真実のゆたかさとしてゆくかということについて、なにかの示唆をふくんでいると思う。
一九四八年十二月
〔一九四九年二月〕