都にほど近き田舎いなかに年わかき詩人住みけり。家は小高き丘のふもとにありて、その庭は家にふさわしからず広く清き流れ丘の木立こだちより走りでてこれを貫き過ぐ。木々は野生のばえのままに育ち、春は梅桜乱れ咲き、夏は緑陰深くしげりて小川の水も暗く、秋は紅葉もみじにしきみごとなり。秋やや老いてこがらし鳴りそむれば物さびしさ限りなく、冬に入りては木の葉落ち尽くして庭のおものみ見すかさるる、中にも松杉のたぐいのみは緑に誇る。詩人は朝夕にこの庭を楽しみて暮らしき。
 ある年の冬の初め、この庭の主人あるじ一人ひとりの老僕と、朝な朝なははき執りて落ち葉はき集め、これを流れ岸の七個所に積み、積みたるままに二十日あまりちぬ。霜白く置きそむれば、小川の水の凍るも遠からじと見えたり。かくて日曜日の夕暮れ、詩人外より帰り来たりて、しばしが間庭の中をあなたこなたと歩み、清き声にて歌うは楽しき恋の歌ならめ。この詩人の身うちには年わかき血あたたかくめぐりて、冬の夜寒よさむも物の数ならず、何事も楽しくかつ悲しく、悲しくかつ楽し、自ら詩作り、自ら歌い、自ら泣きて楽しめり。
 この夕は空高く晴れて星の光もひときわあざやかなればにや、に入りてもややしばらくは流れのほとり逍遙しょうようしてありしが、ついに老僕をよびて落ち葉つみたる一つへ火を移さしめておのれは内に入りぬ。かくて人々深き眠りに入り夜ふけぬれど、この火のみはよく燃えつ、炎は小川の水にうつり、煙はますぐに立ちのぼりて、杉の叢立むらだつあたりに青煙一抹せいえんいちまつ、霧のごとくに重し。
 夜はいよいよふけ、大空と地と次第に相近づけり。星一つ一つこずえに下り、梢の露一つ一つ空に帰らんとす。万籟ばんらいせきとして声なく、ただ詩人が庭の煙のみいよいよ高くのぼれり。
 天に年わかき男星おぼし女星めぼしありて、相隔つる遠けれど恋路こいじは千万里も一里とて、このふたりいつしか深き愛の夢に入り、夜々の楽しき時を地に下りてけ、あるいは高峰たかみねの岩かどに、あるいは大海原おおうなばらの波の上に、あるいは細渓川ほそたにかわの流れのほとりに、つきぬ睦語むつごとかたり明かし、東雲しののめの空に驚きては天に帰りぬ。
 女星めぼしは早くも詩人が庭より立ち上る煙を見つけ、今宵こよいはことのほか寒く、天のかわにも霜降りたれば、かの煙たつ庭にりて、たき火かきたてて語りてんというに、男星ほほえみつ、相抱あいいだきて煙たどりて音もなく庭にくだりぬ。女星の額の玉はくれないの光を射、男星のは水色の光を放てり。天津乙女あまつおとめは恋のに酔いて力なく男星の肩にれり。かくて二人ふたり一山ひとやまの落ち葉燃え尽くるまで、つきぬ心を語りて黎明あけがた近くなりて西の空遠く帰りぬ。その次の夜もまた詩人は積みし落ち葉の一つをかしむれば、男星女星もまた空よりくだりて昨夜のごとく語りき。かくて土曜の夜まで、夜々詩人の庭より煙たち、夜ふくれば水色の光と紅の光と相並びてこの庭に下れど、詩人は少しもこれを知ることなし。
 七つの落ち葉の山、つまで焼きて土曜日の夜はただ一つを余しぬ。この一つより立つ煙ほそぼそと天にのぼれば、淡紅色うすくれないかすみにつつまれて乙女おとめの星先に立ち静かに庭に下れり。詩人が庭のたき火も今夜をかぎりなれば残り惜しく二人は語り、さて帰るさ、庭の主人あるじに一語の礼なくてあるべからずと、打ち連れて詩人のしつに入れば、浮世のほかなる尊き顔の色のわかわかしく、罪なき眠りに入れる詩人が寝顔を二人はしばし見とれぬ。枕辺まくらべ近く取り乱しあるは国々の詩集なり。その一つ開きしままに置かれ、西詩せいし「わが心高原こうげんにあり」ちょう詩のところでてその中の
『いざさらば雪をいただ高峰たかね
なる一句赤きすじひかれぬ。乙女の星はこれを見て早くも露の涙うかべ、年わかき君の心のけだかきことよと言い、さて何事か詩人の耳に口寄せて私語ささやき、私語ささやきおわれば恋人たち相顧みて打ちえみつ、詩人の優しきほおにかわるがわる接吻くちづけして、安けく眠りたまえと言い言いで去りたり。
 あくれば日曜日の朝、詩人はざめの床に昨夜の夢をおもい起こしぬ。夢に天津乙女あまつおとめひたえくれないの星いただけるが現われて、言葉なく打ち招くままに誘われて丘にのぼれば、乙女は寄りそいて私語ささやくよう、君は恋を望みたもうか、はた自由を願いたもうかと問うに、自由の血は恋、恋のつばさは自由なれば、われその一を欠く事を願わずと答う、乙女ほほえみつ、さればまず君に見するものありと遠く西の空をし、よくまなこ定めて見たまえと言いすてていずこともなく消えせたり。詩人はこの夢を思い起こすや、ね起きて東雲しののめの空ようやく白きに、ひとり家をで丘に登りぬ。西の空うち見やれば二つの小さき星、ひくく地にたれて薄き光を放てり、しばらくして東の空金色こんじきに染まり、かの星の光おのずから消えて、地平線の上に現われし連山の影まゆずみのごとく峰々に戴く雪の色は夢よりも淡し、詩人が心は恍惚こうこつの境にけ、その目には涙あふれぬ。これ壮年の者ならでは知らぬ涙にて、この涙のむ者は地上にて望むもかいなき自由にあこがる。しかるに壮年の人よりこの涙を誘うもののうちにても、天外にそびゆる高峰たかねの雪の淡々あわあわしく恋の夢路をおもかげに写したらんごときにくものあらじ。
 詩人は声はり上げて『わが心高原にあり』をうたい、『いざ去らば雪をいただく高峰』の句に至りて、その声ひときわ高く、その目は遠く連山のかたを見やりて恋うるがごとく、憤るがごとく、肩にるる黒髪こくはつ風にゆらぎのぼあさひに全身かがやけば、蒼空あおぞらをかざして立てる彼が姿はさながら自由の化身とも見えにき。
(二十九年十一月作)

底本:「武蔵野」岩波文庫、岩波書店
   1939(昭和14)年2月15日第1刷発行
   1972(昭和47)年8月16日第37刷改版発行
   2002(平成14)年4月5日第77刷発行
底本の親本:「武蔵野」民友社
   1901(明治34)年3月
初出:「国民之友」
   1896(明治29)年12月
入力:土屋隆
校正:蒋龍
2009年3月28日作成
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