普請奉行の一木権兵衛は、一人の下僚を伴れて普請場を見まわっていた。それは室津港の開鑿工事場であった。海岸線が欠けたの形をした土佐の東南端、俗にお鼻の名で呼ばれている室戸岬から半里の西の室戸に、古い港があって、寛文年間、土佐の経世家として知られている野中兼山が開修したが、港が小さくて漁船以外に出入することができないので、藩では延宝五年になって、其の東隣の室津へ新しく港を開設することになり、権兵衛を挙げて普請奉行にしたのであった。
野中兼山の開修した室戸港と云うのは、土佐日記に、「十二日、雨ふらず(略)奈良志津より室戸につきぬ」と在る処で、紀貫之が十日あまりも舟がかりした港であるが、後にそれが室戸港の名で呼ばれ、今では津呂港の名で呼ばれている。兼山が其の室戸港を開修した時には、権兵衛は兼山の部下として兼山に代って其の工事監督をしていた。此の権兵衛は、土佐郡布師田の生れで、もと兼山の小姓であったが、兼山が藩のために各地に土木事業を興して、不毛の地を開墾したり疏水を通じたりする時には、いつも其の傍にいたので、しぜんと其の技術を習得したものであった。
権兵衛は新港開設の命を請けると、まず浮津川の川尻から海中に向けて堰堤を築き、港の口に当る処には、木材を立て沙俵を沈めて、防波工事を施すとともに、内部を掘鑿して、東西二十七間南北四十二間、満潮時に一丈前後の水深が得られるように計画して、いよいよ工事に着手したところで、沙の細かな海岸へ強いて開設する港のことであるから、思うように工事がはかどらなかった。
権兵衛は東側の堰堤を伝って突端の方へ往こうとしていた。その時五十二になる権兵衛の面長なきりっとした顔は、南の国の強い陽の光と潮風のために渋紙色に焦げて、胡麻塩になった髪も擦り切れて寡くなり、打裂羽織に義経袴、それで大小をさしていなかったら、土地の漁師と見さかいのつかないような容貌になっていた。
それは延宝七年の春の二時すぎであった。前は一望さえぎる物もない藍碧の海で、其の海の彼方から寄せて来る波は、どんと大きな音をして堰堤に衝突とともに、雪のような飛沫をあげていた。其処は左に室戸岬、右に行当岬の丘陵が突き出て一つの曲浦をなしていた。堰堤の内の半ば乾あがった赤濁った潮の中には、数百の人夫が散らばって、沙を掘り礁を砕いていたが、其のじゃりじゃりと云う沙を掘る音と、どっかんどかんと云う石を砕く音は、波の音とともに神経を掻きまぜた。また掘りあげた沙や砕いた礁の破片は陸へ運んでいたが、それが堰堤の上に蟻が物を運ぶように群れ続いていた。
権兵衛は所有の烈しい気象を眉にあらわしていた。はかどらなかった難工事も稍緒に就いて、前年の暮一ぱいに港内の掘りさげが終ったので、最後の工事になっている岩礁を砕きにかかったところで、思いの外に岩質が硬くて思うように砕けなかった。それに当時の工事であるから、岩を砕くにも大小の鉄鎚で一いち打ち砕くより他に方法がないので、それも岩礁砕破の工事の思うようにならない原因の一つでもあった。
堰堤の外側には鴎の群が白い羽を夕陽に染めて飛んでいた。陸の畑には豌豆の花が咲き麦には穂が出ているが、海の風は寒かった。権兵衛は沙や礁の破片を運ぶ物[#「運ぶ物」はママ]を避け避けして往った。沙を運ぶ者は、笊に容れて枴で担い、礁の破片を運ぶ者は、大きな簣に容れて二人で差し担って往くのであった。
「よいしょウ、よいしょウ」
「おもいぞ、おもいぞ」
「いそぐな、いそぐな」
「急いでもわれんぞ、急ぐな急ぐな」
「居るぞう、居るぞう」
「怕いぞ、怕いぞ」
権兵衛の伴れている下僚は武市総之丞と云う男であった。総之丞は簣の一群をやりすごしておいて、意ありそうに権兵衛を見た。
「お聞きになりましたか」
「何じゃ」
「今、人足が云った事でございますが」
「何と云った」
「居るとか怖いとか、口ぐちに云っておりましたが」
「あれか、あれは何じゃ」
「あれは、彼の釜礁の事でございます」
釜礁は港の口に当る処に横たわった大きな礁で、それを砕きさえすれば工事も落著するのであった。
「釜礁がどうしたのか」
「此の二三日、彼の釜礁は、竜王が大事にしておるから、とても破れない、また破っておいても、翌日になると、元のとおりになっておるとか、いろいろの事を云っております」
「そうか、そんな事を云っておるか」
これも陽の光と潮風に焦げて渋紙色になった総之丞の顔には嘲笑が浮んだ。
「しかし、今の世の中に、神じゃの、仏じゃの、そんな事が在ってたまりますものか、阿呆らしい」
権兵衛は足を停めた。
「待て待て、崎の浜の鍛冶屋の婆じゃの、海鬼じゃの、七人御崎じゃの、それから皆がよく云う、弘法大師の石芋じゃの云う物は、皆仮作じゃが、真箇の神様は在るぞ」
総之丞は眼を円くした。
「在りますか」
「在るとも」
総之丞はもう何も云わなかった。総之丞は権兵衛の精神家らしい気もちを知っていた。権兵衛は歩きだした。総之丞も黙って跟いて往った。
二
六七人の人夫の一群が前方から来た。礁の破片を運んでいる人夫であるから、邪魔になってはいけないと思ったので、権兵衛は体を片寄せて往こうとした。其の人夫の先頭に立った大きな男の背には一人の人夫が負われて、襦袢の衣片で巻いたらしい一方の手端を其の男の左の肩から垂らしていた。そして、其の大きな男の後にも枴で差し担った簣が来ていたが、それにも人夫の一人が頭と一方の足端を衣片でぐるぐる巻きにして仰臥に寝かされていた。見ると其の人夫の頭を巻いた衣片には生なました血が浸んで、衣片の下から覗いている頬から下の色は蒼黒くなって血の気が失せていた。
「おう、これは」
権兵衛は眼を見はった。簣の横にいた横肥のした人夫の一人がそれを見て権兵衛の前へ出た。それは松蔵と云う人夫の組頭の一人であった。
「どうした事じゃ」
「礁の上から転びました」
「転んだぐらいで、そんな負傷をしたか」
「物の機でございましょう、下に鋸の歯のようになった処がございまして、その上へ落ちたものでございますから」
「そうか」
一行は其の前に停まっていた。松蔵は負われている男の衣片を巻いた手に眼をやった。
「虎馬は、手端を折りました」それから簣に寝かされている男へ眼をやって、「銀六は頭を破りました」
銀六と云われた簣の上の人夫は微に呻いていた。権兵衛はそれにいたわりの眼をやった。
「それは可哀そうな事をした、早く役所へ伴れて往って手当をしてやれ」
「虎馬の方は此方でもよろしゅうございますが、銀六の方は、安田へ往かんと手当ができませんから、いっその事、二人を伴れて往かそうと思いますが」
「そうか、それがええ、それでは早いがええ」
「そうでございます」松蔵はそこで気が注いて、「それでは、早う往け、安吾さんは役所へ寄って、早川さんから名刺をもろうて往くがええ」
安吾と云うのは後の方にいた。それは六十近い痩せた老人であった。
「ええとも、それじゃ、往こうか」
安吾の声で一行は歩きだした。権兵衛はじっとそれを見送った。松蔵は権兵衛の方へぴったりと寄った。
「旦那」
松蔵の声は外聞を憚ることでもあるように小さかった。
「うむ」
「妙な事を云う者がございますよ」
「どんな事じゃ」
「どんなと云いまして、妙な事でございますが、旦那はお聞きになっておりませんか」
傍には総之丞の顔があった。松蔵は総之丞へ眼をやった。
「武市の旦那は、お聞きになりませんか」
総之丞は好奇らしい眼をした。
「あれじゃないか」
「あれとは、あれでございますか」
「礁の事じゃないか」
「何人かにお聞きになりましたか」
「聞いたと云う理でもないが、釜礁の事じゃろう」
「そうでございますよ」それから権兵衛を見て「旦那様はお聞きになっておりますか」
権兵衛は頷いた。
「今、総之丞から聞いたが、何か確乎した事を見た者でもあるか」
「乃公が見たと云う者はありませんが、妙な事を云いますよ」
「どんな事を云っておる」
「取りとめのない事でございますが、礁へ石鑿を打ちこむと、血が出たとか、前日に欠いであった処が、翌日往くと、元の通りになっておったとか、何人かが夜遅く酔ぱらって、此の上を歩いておると、話声がするから、声のする方へ往ってみると、彼の礁の上に小坊主が五六人おって、何か理の解らん事を云っておるから、大声をすると河獺が水の中へ入るように、ぴょんぴょんと飛びこんだとか、いろいろの事を云いまして」
「うむ」
「それに二三日、負傷をする者がありますから、猶更、此の礁は竜王様がおるとか、竜王様の惜みがかかっておるとか申しまして」
「そうか」
「それに、一昨日も昨日も負傷はしましたが、石の破片が眼に入ったとか、生爪を剥がしたとか、鎚で手を打ったとか、大した事もございませざったが、今日はあんな事が出来ましたから、皆が怕がって仕事が手につきません。私も傍におりましたが、二人で礁の頂上へあがって玄翁で破っておるうちに、どうした機かあれと云う間に、二人は玄翁を揮り落すなり、転び落ちまして、あんな事になりましたが、銀六の方は、どうも生命があぶのうございます」
「どうも可哀そうな事をしたが、あれには両親があるか」
「婆と女房と、子供が一人ございます」
「田畑でもあるか」
「猫の額ぐらい菜園畑があるだけで、平生は漁師をしておりますから」
「そうか、それは可哀そうじゃ、後が立ちゆくようにしてやらんといかんが、それはまあ後の事じゃ、とにかく本人の生命を取りとめてやらんといかん」
「そうでございます」
「それから、一方の手を折った方は、あれは生命に異状はなかろう」
「あれは、安田の柔術の先生にかかりゃ、一箇月もかからんと思います」
「しかし、可哀そうじゃ、大事にしてやれ、何かの事はつごうよく取りはかろうてやる」
「どうもありがとうございます」
権兵衛は其の眼を港の口の方へやった。其処には釜の形をした大きな岩礁が小山のように聳えたっていたが、人夫の影はなかった。
「それでは往こうか」
権兵衛は歩きだした。松蔵と総之丞は其の後から往った。
三
権兵衛は釜礁の上の方へ往った。人夫たちは釜礁を離れて其の右側の大半砕いてある礁の根元を砕いていた。其処には赤泥んだ膝まで来る潮があった。
どっかん、どっかん、どっかん。
権兵衛は右側の礁にかかっている人夫だちの方を見ていたが、やがて其の眼を松蔵へやった。
「松蔵」
「へい」
松蔵は権兵衛に並ぶようにして前へ出た。権兵衛は屹となった。
「松蔵、岩から血が出るの、小坊主が出るのと云うのは、迷信と云うもので、そんな事はないが、神様は在る。神様はお在りになるが、神様は決して邪な事はなさらない、神様は吾われ人間に恵みをたれて、人間の為よかれとお守りくだされる。従って良え事をする者は神様からお褒めにあずかる。此の港は、此の土佐の荒海を往来する船のために、普請をしておるからには、神様がお叱りになるはずはない。此の比暫く大暴風もせず、大波もないが、これは神様のお喜びになっておる証拠じゃ。それに此の普請は、此の釜礁を砕いてしまえば、すぐにりっぱな港になる。一日でも早くりっぱな港を作ることは、神様はお喜びにこそなれ、お叱りになることはないと思うが、其の方はどう思う」
「へい」
と云ったが、松蔵はそれに応える事ができなかった。総之丞が松蔵のために応えなくてはならぬ。
「それは一木殿のお詞のとおりでございます。神様は人の為こそ思え、人を苦しめるものではございませんから、人のために作っておる港の、邪魔をするはずはありません」
権兵衛は頷いた。
「そうとも、其のとおりじゃ」松蔵を見て、「松蔵、判るか」
松蔵にもおぼろげながら其の意は判った。
「判ります」
「それでは、礁を破るに憚る事はないぞ」
「そりゃ、そうでございます」
「それが判ったなら、皆に其の事を云え」
「云いましょう、云います」
「云え、云い聞かせ」
「へい」
松蔵は何かに突き当って困ったような顔をしながら石垣を降りて往ったが、其のうちに彼方此方から松蔵の傍へ人夫たちが来はじめた。人夫の中には鉄鎚を手にした者もあった。権兵衛と総之丞は黙ってそれを見ていた。
松蔵の傍へは五十人ばかりの人夫が集まって来て、それが松蔵を囲んで頭を並べた。松蔵の話がはじまったところであった。
暫くすると其の人夫の中に、不意に口を開けて黄色な歯を見せる者があった。何かを笑っているところであろう。権兵衛は眼を見すえた。見すえる間もなく、人夫は松蔵の傍を離れて散らばって往った。総之丞は権兵衛に呼びかけた。
「話がすんだようでございますが」
「うん」
権兵衛は人夫の方から眼を放さなかった。総之丞もそれに眼をやった。人夫はまた右側の礁の方へ往って、どっかんどっかんとやりだしたが、釜礁にかかる者はなかった。
「かからんようでございますが、話が判りますまいか」
「判らん、困ったものじゃ」
「愚な者どもでございますから、物の道理が判りません」
「うん」
権兵衛は眼をつむっていた。総之丞は口をつぐんだ。陸の方から堰堤の上をどんどん駆けて来た者があった。普請役場の小厮に使っている武次と云う壮佼であった。
「旦那、一木の旦那」
武次は呼吸をはずまして額に汗を浸ませていた。権兵衛は武次を見た。
「何か用か」
「用どころか、お殿様じゃ」
権兵衛は眼をった。
「なに、おとのさま」
「二十人も三十人も馬に乗って、氏神様のお神行のようじゃ」
「藩公が来られたか」
「はんこうか、鮟鱇か知らんが、高知の城下から来たそうじゃ」
「真箇か。真箇ならお出迎いをせんといかんが」
「早川さんが、早く往って呼うで来いと云うたよ、早川さん、歯の脱けた口をばくばくやって、周章てちょる」
「くだらん事を云うな」
権兵衛は叱りつけておいて陸の方へ急いだ。其の時沙と礁の破片を運んでいた人足の群も、陸の方に異状を認めたのか、皆陸の方を見い見い口ぐちに何か云っていた。権兵衛は其の人夫の間を潜って陸の方へ往った。
磯の沙浜には処どころ筆草が生えていた。其処は緩い傾斜になって夫其の登り詰に松林があり普請役場の建物があった。其の役所の向前は低い丘になって、其処に律照寺と云う寺があったが、浜の方から其の寺は見えなかった。其の律照寺は四国巡礼二十五番の納経所で、室戸岬の丘陵の附根にある最御崎寺の末寺で、普通には津寺の名で呼ばれていた。
権兵衛は役所の近くまで往った。其処に二疋の馬がいて傍に陣笠を冠った旅装束の武士が二人立ち、それと並んで権兵衛の下僚の者が二三人いた。権兵衛は急いで陣笠の武士の傍へ往った。武士の一人は国老の孕石小右衛門であった。
「これは御家老様でございますか」
「おお、権兵衛か」
「承わりますれば、殿様がお成りあそばされたそうで、さぞお疲れの事と存じます」
「なに、急に御微行になられる事になって、今朝城下を出発したが、かなりあるぞ」
「二十里でございますから、お疲れになられましたでございましょう、それで殿様は」
「東寺へずっとお成りになった」
東寺は最御崎寺の事で、其処は四国巡礼二十四番の納経所になり、僧空海が少壮の時、参禅修法した処であった。
「それでは、私もこれからお御機嫌を伺いにあがります」
「今日は来いでもええ、明日此処へお成りになる事になっておる」
「さようでございますか、それでは、今日はさし控えておりましょうか」
「それがええ」それから物を嘲るような眼つきをして、港の方へ頤をやって、「権兵衛、池が掘れかけたようじゃが、彼処へ鯉を飼うか、鮒を飼うか」
それは無用の港を開設するのを嘲っているようでもあれば、工事の遅延して港にならないのを嘲っているようでもあった。小右衛門は同行の武士を見た。それは大島政平と云うお馬廻であった。
「政平、どうじゃ」
政平は莞とした。
「なるほど」
「それとも、万劫魚でも飼うか」権兵衛の方をちらと見て、「今に大雨が降りゃ良え池ができる」
権兵衛は小右衛門の詞の意がはっきり判った。権兵衛はじっと考え込んだ。小右衛門と政平の二人は、すぐ馬の傍へ往って馬に乗った。
「権兵衛、精出して池を掘れ」
権兵衛が驚いて挨拶しようとした時には、馬はもう走っていた。権兵衛を追って来て遠くの方に控えていた総之丞が其の時寄って来た。
「殿様は、どうなされました」
権兵衛は何も云わなかった。
四
権兵衛は普請役場の内にある己の室にいた。其処は八畳位の畳も敷き障子も入っているが、壁は板囲の山小舎のような室であった。そして、室の一方には蒲団を畳んで積み、衣類を入れた葛籠を置き、鎧櫃を置き、三尺ばかりの狭い床には天照大神宮の軸をかけて、其の下に真新しい榊をさした徳利を置いてあった。権兵衛は其の床の前の小机の傍にいた。其の小机には半紙を二枚折にした横綴の帳面を数冊載せてあった。
権兵衛は思い詰めた顔をして考えこんでいたが、やがて何か考えついたようにして手を鳴らした。するとすぐ近くで返事があって、廊下にした板の間へ顔を出した者があった。磯山清吉と云う下僚で壮い小兵な男であった。
「お呼びになりましたか」
「呼んだ」
「何か御用でございますか」
「総之丞はおるか」
「浜の方へ出て往きましたが、何か御用が」
「それじゃ、総之丞でなくてもええ、神様のお祭をするから、白木の台と、あ、台は普請初めの時にこしらえたものがある、それから雉子か山鳥が欲しいが、それは無いかも知れんから、鶏の雌と雄を二羽買い、蜜柑も柿もあるまいから、芋でも大根でも、畑に出来る物を三品か四品。幣束も要る、皆と相談して調えてくれ」
「何時お祭をします」
「すぐ今晩するから急いでくれ」
「何処でします」
「港の口じゃ。供物が出来たら、港の口へ幕を張って、準備をしてくれ」
「よろしゅうございます」
清吉が往こうとすると権兵衛が留めた。
「待て」
「へい」
「それから、供物の台は、沖の方へ向けて、つまり海の方へ向けるぞ」
「承知しました」
「普請初めの時のようにすればええ。判らん処があれば、総之丞が知っておる、総之丞に聞け」
「よろしゅうございます」
「それから、松明の準備もしておいてくれ」
落日に間のない時であった。清吉は急いで出て往った。権兵衛は腕組みして考えこんだ。廊下へ武次がどかどかと来た。
「旦那、湯が沸いたが」
権兵衛は顔をあげた。
「湯か」
「後がつかえるから、早う入ってもらいたいが」
「俺は今日は、入らん、今井さんに入れと云え」
「殿様が来ておるに、湯に入って垢を落とせばええに」
武次はまだ何か云いながら往ってしまった。権兵衛は口元に苦笑をからめたが、すぐまた考えこんだ。
その時浜の方で法螺の音がしはじめた。人夫に仕事を措かす合図であった。仕事を措いた人夫が囂囂云いながらあがって来た。人夫は地元の者もあれば、隣村の者もあり、また遠くから来て小舎掛をして住んでいる者もあった。
五
間もなく夜になった。其の夜は月がないので暗かった。其の夜の八時すぎになって堰堤の突端に松明の火が燃えだした。其処には明珍長門家政作の甲冑を著けて錦の小袴を穿き、それに相州行光作の太刀を佩いた権兵衛政利が、海の方に向けてしつらえた祭壇の前にひざまずいていた。そして、其の周囲には一木家の定紋の附いた紫の幔幕を張りめぐらしてあった。
「どうか私の此の体を犠牲に御取りくださいまして、釜礁を除くお赦を得とうございます」
下僚たちは権兵衛が云いつけてあるので何人も傍に来ている者がなかった。
「此の礁が一日も早く除れまして、此の荒海を往来する諸人をお助けくださいますようにお願いいたします。こうして犠牲に献りました私の生命は、速刻お召しくださいましても厭うところでございません」
権兵衛は一人で朝まで祈願をこめていた。朝になって室戸岬の沖あいから朝陽が杲杲と登りかけたところで、人夫たちが集まって来た。
人夫たちは左右の堰堤を伝って己の持場につこうとしていた。礁の方にかかっている五六十人ばかりの人夫は其処からおりるべく祭壇の近くへ来た。それと見て権兵衛は幔幕の一方を解いて姿をあらわした。人夫たちは甲冑の武者を見て驚きの眼をそばだてた。
「あ」
「何事じゃ」
「何人じゃ」
「彼の鎧武者は」
権兵衛は腰にさしている軍扇をさっと拡げた。それは赤い日の丸の扇であった。
「来い」
人夫たちは権兵衛と云う事を知ったので安心して傍へ寄った。権兵衛は凛とした顔をした。
「皆よく聞け、拙者は此の釜礁が割れないから、己の身を竜王様に献って、何時なんどき此の生命をお取りくだされてもかまいませんから、釜礁を一刻も早く取り除けるようにしてくだされと、昨夜の八時すぎから一睡もせずにお願をこめたから、其の方たちにはもうおかまいがない」
人夫たちの中に囁が起った。権兵衛は呼吸を調えた。
「それに殿様も、此の普請を御心配なされて、昨日、御微行でお成りになったから、今日は此処へ御検分にお成りになる。それで皆も気をいれかえて、新らしい気もちになってかかれ、決して其の方たちにお咎めはない、お咎めがあれば拙者じゃ」
人夫たちの眼は活いきとした。権兵衛は軍扇を揮った。
「それでは、かかれ、かかれ」
人夫たちはわっと歓声をあげながら、勇みたって下へおりて往った。総之丞はじめ五六人の下僚が来ていた。総之丞は前へ出た。
「一木殿お疲れでございましょう、さあ、どうぞお食事を」
「飯は後でええ、此処をかたづけてくれ」
そこで総之丞はじめ下僚は幔幕を畳み、祭壇の始末をはじめた。権兵衛は釜礁の方を見おろしていた。
釜礁の方には、もうどっかんどっかんの音が盛に起っていた。それに交ってじゃりじゃりじゃりと砂を掘る音も聞えて来た。笊と簣の群はまた蟻のように陸へ往来をはじめた。
空には何時の間にか鰯雲が出て、それが網の目のように行当岬の方へ流れていた。その時釜礁の方に当って歓声があがった。それは仕事の上の喜びにあがった歓声のようであった。権兵衛はじっと眼を見すえた。石を砕く音がやんで、其処には数人の者が手をあげて、はしゃいでいるのが見られた。
どっかんどっかんの音はまた聞えだした。権兵衛はやはり釜礁の方を見ていた。と、また其処から歓声があがった。今井武太夫と云う老年の下僚が傍へ来た。
「あれは何でございましょう」
武太夫は視力が鈍いので遠くが見えなかった。権兵衛はそれを知っていた。
「礁がうまく除れておるじゃないか」
「そうでございますか、それは結構なことでございます」
「うむ」
二人の人夫が石垣を這ってあがって来た。組頭の松蔵とこれも組頭の一人の寅太郎の二人であった。松蔵はにこにこしていた。
「旦那、神様のお蔭がございますよ」
「そうか、割れるか」
「どんどん割れます、今、鬨の声があがりましたろう」
「あがった」
「あれでございますよ、最初なんか、児鯨ほどの物が割れましたよ」
「児鯨はぎょうさんなが、そうか、そうか、それはよかった」
「此のむきなら、十日もやれば、割れてしまいますよ」
「大きな礁じゃ、そう早くもいくまいが、緒口が立てば大丈夫じゃ」
六
権兵衛は二番鶏を聞いて起きた。其の晩は夕凪で風がすこしもなかったので、寝苦しくておちおち眠れなかったが、室津を引きあげる事になっているので、努めて起きて朝食を食うなり出発した。
外はまだ微暗かったが、さすがに大気は冷えていた。権兵衛は二匹の馬に手荷物を積み、二三の下僚を伴れていた。下僚の中には総之丞もいた。
権兵衛は悩まされた釜礁が除れて、工事が思いの外に捗り、間もなく竣成したので、高知の藩庁に報告する必要から、急いで引きあげて往くところであった。其の時権兵衛が新港開鑿に要した夫役は一百七十三万人役で、費用は十万二千五百両であった。それは野中兼山が寛永の古港を改修して、中掘普請と云っているに対して次普請と云われた。其の港は今、室津港と云われている。
沖の方が荒れているのか、波の音に狂いがあった。権兵衛は並んで歩いていた総之丞に声をかけた。
「今日は暑いぞ」
「そうでございますよ、彼の波の音が曲者でございますよ」
「そうじゃ、波の音がいかんぞ」
砂路の右側には藁葺の小さな漁師の家が並び、左側には荻や雑木の藪が続いていた。漁師の家にはもう起きて火を焚いている処があった。
「やっぱり早いな」
「これまで、普請で、仕事がありましたが、これから当にならん漁に出んとなりませんから、気が気じゃございませんよ」
「其のかわり漁があれば、一日で一箇月分の夫役になるじゃないか」
「それがなかなかそういきませんから、漁師は昔から貧乏と相場が定まっておりますよ」
「そうか、そうかも知れん」
一行は室津の部落を離れて浮津の部落へかかっていた。其の時、右側の漁師の家から小さな老人が出て来て空を見た。
「さにしがせりよる、朝のうちに一網やろうか」
それは地曳網を曳こうと云っているところであった。そして、権兵衛と総之丞が近ぢかと寄って往くと、老人は驚いたようにして家の内へ入って往ったが、家の中から、
「普請方のお役人が帰よる」
と云う声が聞えた。総之丞は笑った。
「御存じでございませんか、今の男は、夫役に来て縄を綯うておりました者でございますが」
「そうか気が注かざったが、彼の鼻のひしゃげた老人か」
老人かと云うなり権兵衛は体を崩して倒れてしまった。総之丞は驚いて駈け寄った。
「如何なされました」
権兵衛は右脇を下にして倒れていた。
「一木殿、気を確に一木殿」総之丞は蹲んで権兵衛の肩へ手をかけて、「如何なされました」
権兵衛は体をくねらすなり俯向きになった。
「五体が痺れた」
「痺れた、御病気でございますか」
「病気かも知れんがおかしいぞ」
「何か食物の啖いあわせではございますまいか」
「其の方たちと同じ物を啖ったじゃないか、他には何も啖わん、啖いあわせなら其の方だちも同じようになるはずじゃが」
「そりゃそうでございます。それでは、とにかく、気つけをあげましょう」
「そうじゃ、拙者の印籠に気つけがある、取ってくれ」
「よろしゅうございます」
伴れの下僚も傍へ来て心配そうに権兵衛を見ていた。総之丞はそれに眼をつけた。
「水を汲んで来てもらいたいが」
下僚の一人は彼の老人の家へ往った。総之丞は権兵衛の腰につけた印籠を取って、其の中から薬を出したところへ彼の下僚が茶碗に水を容れて引返して来た。総之丞は其の水を取って薬とともに権兵衛の口へやった。
「さあ、どうぞ」
権兵衛は口をもぐもぐさして飲んだ。
「御苦労、御苦労」
「御気分は如何でございます」
「気分は何ともない、筋のぐあいであろう」
「それでは、馬にお乗りになりますか」
「馬には乗れまい、今日は引返そう」
間もなく権兵衛は戸板に載せられて引返して来たが、普請役場の己の室へおろされたところで体の痺れはすっかり除れていた。そこで権兵衛は起ってみた。起っても平生のとおりで体に異状はなかった。
「おかしいぞ、何ともない。これならもうすこし休んでおったら、癒ったかも判らなかった」
其処には総之丞がいた。総之丞は権兵衛に馬をすすめた事を思いだした。
「彼の時、馬にお乗りになったら、よかったかも知れませんよ」
「そうじゃ、馬に乗って往けば、そのうちに癒ったにきまっておる」
翌日になって権兵衛はまた出発した。そして、また浮津に往って彼の老人の家の前まで往った。総之丞は権兵衛の右側を歩いていた。
「此処でございましたよ」
権兵衛も頷いた。
「そうじゃ」
老人の家は其の朝は、まだ戸が開いていなかった。
「今日は、まだ起きておりませんよ」
総之丞は権兵衛の返事を聞こうとしたが、返事がないのでちらと見た。権兵衛の体は其の時よろよろしていたが、其のうちに倒れてしまった。
「一木殿、一木殿、また痺れでも」
権兵衛は仰臥になっていた。夜はもう白じらと明けていた。
「一木殿、御気分は」
権兵衛は眼を開けた。
「気分は何ともない」
「それでは、また気つけでも」
「いや、待て」
と云って権兵衛は眼をつむって何か考えるようにした。
「それでは、馬にお乗りになりますか」
「すこし考える事がある、気の毒じゃが、また戸板へ載せて引返してくれ」
権兵衛はまた戸板に載って引返したが、帰りついてみると体は元のとおりになっていた。そこで権兵衛は己の代理として、総之丞に二三の下僚をつけて高知へやり、己は普請役所に留まっていると、十日ばかりして下僚の一人が引返して来て、藩庁の報告は滞りなく終ったと云った。
それは延宝七年六月十六日の事であった。権兵衛は其の時、普請役所に残っていた武太夫を呼んだ。
「釜礁を割る時に、お願をかけて、其のままになっておる。今晩は其のお願ほどきをする、準備をしてくれ」
武太夫もお願のかけっぱなしはいけないと思った。
「早速そういたしましょう、お願のかけっぱなしはいけません」
「それでは頼む」
武太夫が出て往くと、権兵衛は一枚の半紙を取って筆を走らせ、それを封筒に容れて表に津寺方丈御房と書き、そして、それを硯の下へ敷いた。
口上書を以て残候事
港八九は成就に至候得共前度殊の外入口六ヶ敷候に付増夫入而相支候得共至而難題至極と申此上は武士之道之心得にも御座候得ば神明へ捧命申処の誓言則御見分の通遂二本意一候事一日千秋の大悦拙者本懐之至り死後御推察可レ被レ下候 不具
十六日
港八九は成就に至候得共前度殊の外入口六ヶ敷候に付増夫入而相支候得共至而難題至極と申此上は武士之道之心得にも御座候得ば神明へ捧命申処の誓言則御見分の通遂二本意一候事一日千秋の大悦拙者本懐之至り死後御推察可レ被レ下候 不具
十六日
一木権兵衛政利 花押
津寺方丈 御房
其の夜は月があったが黒い雲が海の上に垂れさがっていたので暗かった。八時すぎになって港の左側の堰堤の上に松明の火が燃えだした。其処には権兵衛が最初の祈願の時の武者姿で、祭壇を前にして額ずいていた。「わたくしの体が痺れたは、竜王が犠牲をお召しになる事と存じますから、喜んで此の身をさしあげます」
権兵衛はまず冑を除って海へ投げた。蒼黒い海は白い歯を見せてそれを呑んだ。権兵衛はそれから鎧を解いて投げた。冑も鎧も明珍長門家政の作であった。権兵衛はそれから太刀を投げた。太刀は相州行光の作であった。
翌朝になって下僚の者が往ったところで、権兵衛は祭壇の前で割腹していたが、未明に割腹したものと見えて、錦の小袴を染めている血に温みがあった。
村の者はそれと聞いて慟哭した。そして、血に染まった権兵衛の錦の小袴を小さく裂いて、家の守神にすると云って皆で別けあうとともに、その遺骸を津寺に葬って香華を絶さなかった。
それが明治維新になって、神仏の分離のあった時、其の墓石を地中に埋めて、其の上に一宇の祠を建てて一木神社として祭ったが、昭和四年になって、後の山を開いて社を改築し、墓石も掘り出すとともに、傍に記念碑まで建立した。
其の記念碑の表面は、伯爵田中光顕先生の筆で、「一木権兵衛君遺烈碑」とし、裏面には土佐の碩学寺石正路先生の選文がある。