石田周吉というのは痩せた背の高い男である。彼の身体は一寸薄弱そうに見えるけれど、何処か丈夫なものを身内に包んでいるような観がある。始終健全ではないが、またそのままにじりじりと如何な無理をも通してゆけそうに見える。実際彼のうちには不思議な大きいものが在る。注意の対照となるものを凡て自分のうちに引きずり込んで、それで彼はじっと落ち付いている。誰も彼が激しい言葉を発するのを見た者はない。どうかすると頬の筋肉がびくびく震えることもあるが、それも一瞬間のうちに表皮の下に隠されてしまって見えなくなる。凡てのものが心の奥へ潜入してゆくのだ。然しそうして彼の心の奥には何が蓄積されたか? 誰も、恐らくは彼自身と雖も、それを云い得ないであろう。恐ろしい深いそして暗い穴だ。其処をふと覗く時、人は皆ある重苦しい圧迫をさえ感ずる。彼のうちには恐ろしく力強い彼一人の把持する世界が、そして恐らくは空虚な世界が、あるらしい。
 最近彼のうちには何か変化、というより寧ろ推移があったらしい。一人で散歩している時など、よく彼は急に足を早めることがある。何かに追われるといった風だ。それからまた彼の眼の光りも濁ってきた。ともすると彼は力ない弱々しい眼付でじっと眼鏡越しに空間を見つめながら、唇をきっと結んでいることがある。その眼付には空虚な憂鬱があり、その口元には強い意力が籠っている。「空虚の中の力」というのは、最近の彼の外貌が示すその内心を最もよくいい現わした言葉であろう。
 彼はお島という女と一緒に小さい一戸を構えている。物質的には乏しい生活をしているが、相変らず種々な努力を続けているらしい。
 彼は次のように、約二年ばかり前からの恋物語りを告白する――。

「あなたは御自分のことばかり考えて被居るのです。そして私をほんとうに愛しては下さらない。」
 英子が私にそういったのはずっと後のことであった。私は彼女の言葉の前半をそのままに肯定するが、後半は今でも猶肯定しない。自分自身のことを考え自分自身を大きく育ててゆくのが最もよく恋を生かす道だと私は信じていた。そしてまたそういう信念を実際に生かし得る位に恋の根柢をしっかと築いてゆかなくてはならないと思っていた。
 英子の母と私の母とは故郷の盛岡で親友であった。で私が東京に出て来てから、私は時々彼女の家を訪問した。英子は現代的な美貌を持っていた。眉から眼のあたりに少し高慢ちきなニュアンスがあったが、肥った頬の下に妙に引き緊った口元には才智の閃きが見られた。いつもハイカラなローマに結って、鼇甲の簪を一つ※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)していた。それが彼女の細い頸の上に重そうに見えた。彼女は物を正面に見ないで、少し斜に見つめる癖があった。
 彼女が女学校を出ると間もなく、私はある私立大学を卒業してぶらぶら遊んでいた。その後の半年余りが私達の楽しい恋の時期であった。然し私はそれらのことについては、これ以上もう何にも云うまい。云うのは心苦しいが故ではない。不必要だからである。
 私は自分の運命と彼女の運命とを一つにして考えていた、そしてそれを英子にも強いた。たといまだ私達には結婚ということが少しも問題になってはいなかったにせよ……。そして私達は幸福であった。
 英子の室には本箱が一つと、その側にオリーブの羅紗を掛けた机とがあった。いつもその上には種々な貝殼を鏤めた筆立が置いてあって、鵞ペンでない只の美しい鳥の羽が四五本※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)っていた。床の間には造花の籠があって、狩野派の筆になる小さい富士山の軸物がその砂地の壁に掛っていた。昔その片隅に一面の琴が立掛けてあったのを私は覚えている。然しいつのまにかそれは彼女の母の室に持ってゆかれていた。
 私達はよくその室で言葉少い時間を過したものだ。英子の父は海軍の将校で始終留守だったので、家には母と娘と女中と三人きりだった。英子の兄の信夫はさる放蕩の失敗から京都に左遷せられて、其地の叔父の監視の下に大学に通っていた。英子の母は自分にも定まった一室を占有して、娘の自由に少しも干渉しなかった。彼女は凡てを知っているらしくもありまた何にも知らないらしくもあった。いつも穏やかな晴々しい顔をしていた。それだけ親しみ易くもあったが、またそれだけその思惑を捉えることはむずかしかった。然し私は彼女に非難すべき何物をも未だに知らない。心の苦しい時彼女の懐に眠りたいとさえ思うほどである。
 そういう安静な周囲のうちに私達の愛は育っていった。私が英子を訪れると、女中が取次をして私はすぐ彼女の室に通ることが出来た。
 それは何時だったか今覚えていないが、秋海棠の花が門をはいった片隅に咲いていたのでみると、十月頃のことであったに違いない。私はその午後いつものように英子を訪ねた。
 彼女は少し頭が痛いと云っていた。
「それでは何処か外に出ましょうか。」
「ええ。」
 そして私達は互に微笑んだ。でそれきり外に出かける問題も立ち消えになってしまった。若い愛の微笑は凡てを無解決のうちに消滅せしめてしまうことを、私達は幾度も経験していた。そして私達の心は幸福であった。
「何を考えて被居るの。」と彼女が云う。
「何にも。」と私が答える。
 私は彼女の坐蒲団の上に彼女の机の前に坐るのを常とした。そして彼女は私のために出してくれた坐蒲団の上に自分で坐っていた。それは私達の熱い baiserベーゼ の時から始まったのである。
 その日も私は英子の机に倚りながら頼り無いような幸福の時間を過した。そして沈黙が二人の間に落つると、私はわけもなしに四五冊の雑誌の間にあった一冊の書物を手に取った。一通の小形の封書が※(「插」でつくりの縦棒が下に突き抜けている、第4水準2-13-28)んであった。
「いけません!」と英子は叫んだ。そしていきなり私の手からそれを奪ってしまった。
 私は驚いて彼女の顔を見守った。
「これは許して下さい、ね、ね。……お友達から下すったんですわ、でも見られると困るんですもの。」
「そんなものなら見せたっていいでしょう。お互に何も隠さない約束ではないですか。」
「ですけれど……。」と云って英子は俯向いてしまった。
 私は是非それを見たいと云った。二人の間に少しの秘密もあってはいけない、二人の運命の前に私達は厳粛でなければならない、というようなことを私は説いた。然し英子は執拗にその手紙を隠した。
「お怒りになって?」と暫くして彼女は云った。
「怒りはしません。」
「私はもうこれから何でもお目にかけますわ。だけど此度だけは許して下さいな。そして私を疑らないで下さい。いつも仰言るように私は私達の愛に信念を持っていますの。強い強い信念を……。ね許して、私を信じて下さい。そうでないと私……。」
 私は、英子の口から私がいつも使う通りの言葉が流れ出るのを妙な気持ちで聞いていた。然し信念と云い、信ずるという言葉が、どれだけ強く私の胸に響いたであろう。それは私達の愛の背景をなす強い保証の言葉であったのである。
 然しこのつまらぬ書信に関することを私はどうしてこう詳しく覚えているか、それは自分でも知らない。たとえ後になってそれから一筋の暗い影が私の心に投じられたのは事実であるとしても、私はその時殆んど盲目的に英子の言葉を信じた。否今でもなお信じたいと願っている。ああそして、もしその次の瞬間に英子の冷たい半面に触れなかったら、私は苦もなくそれを忘れてしまったであろうが……。
 私達はよく恋愛ということに就いて語ったものだった。真の愛を体現する者のみ愛を語り得るのだと私は信じていた。そして愛を語るのは私達二人の特権であり、その特権を正当なものたらしむるために努力しなければならない、と私は云った。
「然しどんなに私達の眼は欺かれることが多いでしょう。真実を掴んだと思うとそれは何時の間にか指の間から抜け出していることがあります。私達は頭と心とそれから……自分の凡てで自ら動いてゆかなくてはいけません。自ら責任を持って自分の凡てで行動することなら、何事も許されると私は信じています。そしてその信念はやがて時が保証してくれます。私は今これだけきり云えません、私はあなたを信じている、自分自分を信じている、そして二人の愛を信じていると。私はあなたに何にも強いません。ただあなたが本当の自分の心から動かれるように願うだけです。」
「私もほんとうに心から信じていますの。でも余り考えると胸が苦しくなるんですもの。」
「ええそれはほんとうに考えることは苦しいことです。然しそれを通り越すことが、やがて私達の最初の踏段になるのですから。」
「では私達はまだ何も築いていないのでしょうか。」
「そんなことを云ってはいけません。私達は一番大切な信念を得ています。それを生かしてゆくのがこれからの仕事です。」
 英子はその時何とも云わないで淋しい微笑をした。私はいつもそれを見るのを恐れていたのである。で私はそのまま俯向いて低い声で云った。
「私はあなたのそういう笑顔を見るのが一番苦しい。それは私に或る悲しい話を思い出させるのですから。」
 そして私は何かの本で昔見て記憶の片隅に残っている外国の悲しい愛の話をした。恋に落ちた若い男女があったが、女は男を永久に深く愛せんために、黙って男の許を去ってしまった。
「私はあなたのそういう笑顔を見ると、その女の心持ちをまざまざ見るような気がして、悲しくなる。」と私は云った。
「その男は女を追ってゆかなかったのですか。」
と英子は私の顔を見守った。
「その話は私も今よく記憶していませんが、多分じっとしていたのだと思います。私にはその二人の気持ちがはっきり分るように思えます。」
「あなたもそんな場合にはそうなさるの。」
「多分そうするでしょう。私には女を強いる力はありませんから。私には他人の運命を支配することは出来ない。」
 私は我知らず眼に涙を一杯ためていた。
 英子は一寸顔を引きしめたが、そのまま堅くなって動かなかった。彼女は両手を握り合せたままじっとしている。温い息もと絶えたような冷たいものを私ははっきり彼女のうちに感ずることが出来たのである。
 その冷酷な或物だ、私がよく彼女のうちに眼覚めるのを感じて震えたのは。私の心が本当に深い愛のうちに沈潜していって興奮する時、私は屡々彼女のこの冷酷なものに裏切らるるのを知っている。私はまだ彼女のこの冷酷な或物の底から焼くが如き熱を導き出す術を知らなかったのである。そして特に自然のうちに在る時の彼女の激しい passionパッシオン の動揺を知っていた私は……。
 と云うのは、時々二人で郊外の自然のうちを歩くことがあったから。
 煤煙と塵埃と人間とに濁った都会の空気を離れて、山の手線の電車の軽い動揺にゆられ、やがてうち開けた郊外のうちに自分達二人を見出す時、私はどんなにか愛の祝福を感じたことであろう。
 淋しい田圃道を辿ったこともあった。木立の中を歩いたこともあった。太陽の光りの下に横っている鉄道線路に沿って歩いたこともあった。それからまた井の頭の古池の水面を見ながら、木立の下に分け入って無言の時を過したこともあった。其処は特に私達の好んだ場所であった。
 私達は英子の家から外濠に沿うて歩いて行って、四谷見附から電車に乗るを常とした。中野で汽車に乗り換え、吉祥寺駅から徒歩で井の頭の森の中に歩み入るまで、私達は殆んど口を利かなかった。弁天祠の横を通って向側の池のほとりの茂みの中に身を投げ出して、私はよく夕方まで遊んだものだった。木の葉が落葉しようとする頃、池の水は澄み切って、水藻の間を泳ぎ廻る小鮒の姿が岸の上からもはっきり見られた。
 私は口に出すべき言葉の多くを持たなかった。私の心は自然のうちに只二人社会を離れた愛の意識に満たされていた。その愛がやがて空と地とに一杯拡がっていって、泣きたいような気持ちになった。私の眼には静かな木立や叢や、うち晴れた空を宿している清らかな水面が、映っていた。
「もうこのまま夜になるまでじっとしていたいような気がしますわ。」と英子が云う。
「ええそしていつまでも……。」
 ややあって英子は眼を遠くに外らせたまま斯んなことを云った。
「初めて逢った時からすぐに愛を感じる時と、そうでなしに後でだんだん感じてくる時と、あるそうですわね。」
「そうかも知れません。然し後に本当の愛を感ずるような時でも、初めに屹度ある予感はあるものでしょう。」
「で私達は?……」と英子は囁いた。
「御自分の心にきいてごらんなさい。」
 そして私はそっと彼女の方をふり返ると、彼女は強く私の手を握りしめた。
 暫くして英子はほっと大きく息をしながら、私の眼を覗き込んだ。
「なぜ私達はもっと早く愛しなかったのでしょう?」
 私は何とも答えることが出来なかった。
 英子の眼のうちには熱く燃えている閃きがあった。そして彼女の手の脈のうちに、また彼女の熱い l※(グレーブアクセント付きE小文字)vresレーブル の底に、私は恐ろしい passionパッシオン の擾乱に触れることが出来たのである。
 それは恐ろしい誘惑であった。そしてその誘惑は私の肉体をも侵してくる。然しながらああ私は、それを却ける意志の力をも持っていた。その時の私の心は、卑怯でもなかった、またピューリタンのそれでもなかった。それでは何の故か? 私はそれを云う術を知らない。私は単なる relationルラシオン sexuelleセクジュレル[#ルビの「セクジュレル」はママ] を軽視していたけれども、愛の名に於てまた運命の名に於て為さるるそれを非常に重大視していたのである。然し私はその時、それをはっきり意識に浮べてはいなかった。私は震えながら立ち上った。そして云った。
「少し歩きましょうか。」
 英子は黙って私を見上げた。その眼付の中に私はある敵意を読み取ることが出来た。然し乍ら次の瞬間に私はもっと恐ろしいことを考えていた――彼女のうちには b※(サーカムフレックスアクセント付きE小文字)teベート sauvageソーヴァージュ が居ると。
 私の心は乱れていたけれども、頭は妙に冷たく澄み切っていた。英子の passionパッシオン に糧を与えてやるのが至当であろうか。またそれが私達の愛の保証であろうか。私達の愛はそれを肯定し得るまで進んでいるであろうか。……私はその時心の中で、信念! と叫んだ。すると眼に涙が湧いて来た。
 私はそっと英子の手を執った。そして云った。
「ね、信じて下さい。」
 英子はただ黙って頭を下げた。
 佗びしい夕日の影が地に落ちていた。私達は道に迷った者のように、当度もなく黙々として田圃中に歩み入った。うち続いた桑畑の間から冷たい空気が流れてくる。
 何とはなしに再び吉祥寺に帰って来た時、私は頭も身体もぐったり疲れていた。英子は洋傘を片手につきながら緊張した顔を俯向けていた。
 英子の家に帰ってきた時、私はどうしていいか分らなかった。でそのまま彼女の後について家の中に入っていった。
「何処に行っていました?」と英子の母の春子さんはすぐに声をかけた。
「上野の展覧会に行ったの。」と英子は答えた。「そう、それはよかったね。」そして春子さんは私の方へ笑顔を向けた。「いい絵がございましたか。私もまだつい行けないでいますんですが。」
「面白いのは少ないようです。」と私も嘘を云ってしまった。「然し去年よりはいいものがあるようです。」
「皆さんがそう被言るようですね。大変な人でございましょう。」
「ええ。すっかり疲れてしまいました。」
 春子さんは私達に菓子を出してくれたり、お茶を汲んでくれたりした。
「お母さん此度は橋本さんを誘ってまた一緒に行きましょうよ。」と英子が云った。
「だってお前さんはもう見たんではありませんか。」。
「それはも一度位見たいわ。」
「ほんとにあきれた人だね。」
 それから彼女は種々な世間話をしたが、私はただいい加減に受答うけこたえをしてなるべく話を英子の方へ外らしてしまった。
「お気分でもお悪いのですか。」と春子さんは眉を寄せて私の方を見た。
「いえ、別にそうでもありません。」
 私は間もなく、飯を辞退して其処を出た。二人に玄関まで送って来られた時、私はちらと英子の顔を竊み見たきり、母親の顔を仰ぎ見るようにして、頭を下げた。
 その晩私は長い間街路まちを歩き廻った。なるべく淋しい裏通りを選んで歩いた。そして自然に私は首垂れて英子のことを思い耽っていた。彼女の冷たい半面と熱情の半面とが私の頭を乱した。然し私は時々星の輝く空を仰いでは、「信ずる」と強く自分の心に囁いた。何を信ずるか自分にもはっきり分らなかった。もうそれは単なる英子への愛のみではなかった。私は強い寂寥に襲われながら、緊と手を握りしめていた。
 夜私は英子に長い手紙を書いた。その中に私は、二人の愛を信じてくれるように、彼女自身の心をじっと見守っていてくれるように、力強くあるように、それからまた私の心は愛に依って生きていることや、生活を愛の上に築くことの貴さや、そんなことを認めた。そしてその書信を翌日に投函することにして机の上に置いた。
 冷たい床に這入って手足を伸すと、淋しく興奮した頭が次第に柔いだ。そしてその時私は泣きたいような気持ちになりながら、英子の Corpsコール nuニュ を眼の前に浮べていた。

 私と英子とは一週に一度ずつ互に手紙を書いた。私は愛を有する者の権威を説き、英子は愛に悩む者の苦悶を書いて寄した。そして二人の手紙の調子が揃っていることに私は云い知れぬ力を感じ、また二人の心の方向が同一であることを信じた。やがては凡てが力強く築かれ私達の運命が一つにわれることを思った。
 急に寒気が増して木の葉が落ちるようになると私達はもう郊外に出ることも無くなった。そして私は時々英子の家を訪ねた。
 然しその頃から英子の家で私は度々橋本静子に出逢うようになった。そして英子の素振りが何となく今迄と違って来たことを感ずるようになった。
 静子は英子と同窓の出であった。学校時代から二人は親しい友であったが、その頃急にまた親しくなったようであった。静子の家は矢来町にあったが、富士見町の英子の許までよく歩いてやって来るらしかった。私が英子を訪ねると、よく其処で静子と一緒になった。後には玄関に揃えてある吾妻下駄ですぐそれと分るようになった。
 英子が静子と二人で話している時、私がやってゆくと、英子の顔にちらと暗い影が差すのを私は見逃すことが出来なかった。
 英子と静子との話は大抵、少くとも私がその場に居合す時は大抵、同窓の誰彼の噂であった。私は雑誌を手に弄びながら、何さんが何処に嫁ったの、何さんがどうしているのというような話を、黙って聞いたものである。そして話が私の方に向けられる時、私は簡潔な返事をした。すると直ちに会話が困難になってくるのを常とした。若い女達の前では空漠たる冗長な言葉を発しなければいけないなどと考えてくると私は益々陰鬱になるのであった。
「あなたはエゴイストね。で自分意外のことには少しも趣味をお持ちにならないんでしょう。」
 英子が或時そう云ったことがあった。それは寧ろ静子の方に向って軽い弁護の調子が籠っている言葉ではあったが、どんなにか私はそれで胸を刺されたことであろう。その日私は下宿に帰ってから、それに就て長い手紙を書いた。自分はエゴイストかも知れないこと、然し自分の心は今下らない会話の遊戯に趣味を持つほどの余裕がないこと、心が緊張している時は排他的になるのは止むを得ないこと、そして終りに私のそういう心は彼女に分る筈だと結んだ。
 それに対する英子の答は簡短であった。そしてただあの言葉は悪気で云ったのではないから許してくれるようにと在った。私はそれをそれ以上追及しなかった。然し其処から深い淋しさが湧いて来た。私はただ未来を、英子と私との未来を信ずると自分自身に向って云うより外はなかった。
 そういう私の心がどれだけ英子に徹していたかは、私は云うことが出来ない。私はその時、如何に多くの努力すべきものが私達の間に在るかを思って涙ぐまるる心持がした。然しそういう私の努力は、ただ自分自身にのみ向けられていたかも知れない。私は教育者ではなかった。私はただ自分のうちに愛を、そしてその信仰を、育ててきたのであった。そしてその信念のうちに英子を包もうとした。
 然し英子は私の雰囲気から遁れ出ようとしていたのであった。私はそれをずっと後になるまで気付かなかった。静子の前での私に対する彼女の態度を正当に解釈するには私は余りに盲目であったのだ。
 静子と私達と三人で対座している時、英子はよく座を立って、私と静子とを長い間置きざりにすることがあった。
 静子はどちらかというと落ち付いた感じのする女であった。細面の顔を俯向けがちに、静かに口を利いた。英子がいつも空気草履を用いたのに対して、彼女は吾妻下駄をよくはいていた。
 私は英子よりも[#「英子よりも」は底本では「英子りも」]寧ろ静子の方に私と相通ずる点が多くありはしないかと思うことがあった。然し私はまた静子の運命に対して少しも親しみを感じなかった。彼女も私に対して別に興味を持っていなかったらしい。
 会話に拙な私は、静子と二人になるとよく一年中の季節のことなどに就いて話した。黙っているのが心苦しかったので。
「一年のうちで秋が一番私は好きです。」というようなことを私は云った。「秋になると凡てが落ちついて来ます。夏の暑さにぼやけていた心が次第に澄んできて、種々なことが考えられてきます。大空の下で大きく息をするのもいいし、一人で自分の心を見つめるのにもいいんです。……然し女のかたは秋に一番心が動揺すると云いますね。」
「そんなことありませんわ。でも秋は何だか恐い時のような気がしますの。」
「春の方が恐ろしい季節ではありませんか。」
「いいえ、春は却って私は落ち付けますの。いくらかぼんやりは致していますが、それでものんびりした気持ちになりますの。秋になりますと妙にはっきりしてきて、恐いような気がします。」
「心がはっきりしてくるのはいいことでしょう。」
「ええ、でも余りはっきりすると嫌ですもの。少しはぼんやりしてた方が若い者にはいいって、兄なんかもそう申しますわ。頭に中毒するといけない、どうせ碌な考えは出やしないんだからって……。」
 私は静子がそれを皮肉で云っているのか、本気で信じて云っているのか、一寸見当がつかなかった。一体彼女のうちには真実と嘘との見境いが私にはつかなかった。
「それはそうかも知れません。」と私は答えた。
「ええ?」と云って静子は一寸顔を上げたが、それきり黙ってしまった。
 そういう時英子がやって来るといつも笑顔をしてこんなことを云った。
「まただんまりが初まったのね。」
 私はただ苦笑するより外仕方がなかった。
 然しそういうことが度重なるにつれて、英子の心が私から遠ざかってゆくのを私は感じた。一人で※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)もがけば※(「足へん+宛」、第3水準1-92-36)くほど憂鬱な影が私の心に沈んできた。私は英子からの古い手紙を引き出して読んでみたり、新らしい手紙を幾度もくり返して読んでみたりして、彼女の真実の心の跡を辿ろうとした。然し私は最近のものになるに従って、彼女の手紙の文句が著しく私の使用する文句に似通っていることを見出した。愛の祝福、愛の力、愛の上に築かれた生活、そんな言葉が至る所に散見した。私はそれを彼女の無意識的な模倣かしらと思ってみたり、また彼女の心が私の心と本当に相通じてきたせいかしらと思ってみたりした。然し彼女がただ漠然と私の言葉を鸚鵡返しにしていると考えることはたまらないことであった。また彼女の心の進展を信ずるのには余りに多くの相反する態度を見せられていた。私は苦しい矛盾のうちに陥っていった。然しその底から私は猶、喘ぐようにして「信ずる」と叫んでいた。
 が然し、やがて何というみじめな自分の姿を私は見出さねばならなかったことであろう!
 年が暮れようとする時、私は国の父から手紙を受取った。母も長く病身だし皆揃って正月を迎えたいから是非帰るようにと書いてあった。私はすぐに返事を出して、急な仕事のために帰れぬと云い送った。盛岡まで一寸帰れないことはなかったのである。然し私は英子の居る土地を離れたくなかった。私達の強い愛の名に於て、それは許されることと信じていた。
 年が明けて、都会は賑やかな忙躁の巷となった。年始の客や、羽子の音や、夜には歌留多の声が響いた。のびやかなものが翼を拡げて人々の心が晴やかに輝いていた。然しその外界の快活が却って私の心を重苦しく圧えつけた。私は一人下宿の室に閉じ籠っていた。
 三日に私は英子の家を訪れた。
「おや、どうして被入らなかったのです。」
 斯ういって喜ばしく私を迎えてくれたのは英子の母であった。私は其処で初めて静かな家庭の屠蘇と雑煮との馳走になった。
 英子は妙に真面目くさった顔をしていたが、それでも晴やかな心がその言葉に現われていた。
「私昨日は方々お友達の所を廻ってすっかり疲れてしまったの。」
「私の所へはどうして来なかったのです?」と私は云った。
「だってあなたの方から来て下さるのが本当だわ。それに下宿は私何だか行き悪いんですもの。」
 それからまたこんなことを云った。
「あしたの晩、うちで歌留多をやるの。あなたは是非被入らなくてはいけないわ。今お手紙を上げようと思っていた所なの。」
「ほんとうに是非被入して下さい。」と春子さんもいった。「歌留多会などと云うんではありませんから。橋本さん御兄妹とうちばかりですから。あなたが被入らなければ人数が足りないって英子が大騒ぎをしていました所です。」
 私はとも角も明晩来ると約束して程なく辞し去った。英子がまた出かけると云っていたからである。そして私の愛がどうして浮々した英子の心を落ちつけることが出来ないかと、悲しい思いに満たされたからである。
 私は四日の晩初めて静子の兄の欽一郎と英子の家で逢った。
 彼は静子によく似た顔立であった。細面ほそおもての眉の細い、そして金歯を時々笑顔の口元に光らしていた。長い髪が額に二三筋垂れ下るのを無雑作にかき上げる癖と、切れの長い眼を瞬く癖とを、私は見落さなかった。
「よく被入して下さいましたね。」と春子さんは私に云った。「あなたは歌留多が余り好きでないからどうかと思って心配していました。」
「いや元来の嫌いではないんですけれど、取れないからです。」
「それは私なんかも実際駄目ですよ。」と欽一郎は云った。
「嘘よ、静子さんから聞いていますわ。」
 英子はそう云って眼で笑った。
「いや本当に駄目です。……一体こんなことは女の方が男より早く上達するようですね。静子なんか元は丸で取れなかったものですが。」
「それは初っからお上手な人はありませんわ。」
「所が英子さんなんかは生れつきお上手の方でしょう。」
「あら随分ひどいことを仰言るのね。」
「いや確かに天才肌の人も居ますよ。」
 私は黙ってそんな会話をきいていた。そして静子の本当だか戯言じょうだんだか分らないような話っぷりがやはりその兄にも在るのを見て、不思議な気持ちを覚えた。
 歌留多が持ち出されると、私は取れないと云ってただ見物するのを主張したが、英子はどうしても私を許さなかった。
「静子さんはお上手だから私と橋本さんとでかかりましょう。あなたは静子さんの方の遊軍におなりなさいな。……お母さん読んで下さるわね。」
「それじゃ駄目だわ。」と静子は云ったが、私の方をちらと見た。
 英子は札を半分ばかり欽一郎の方に持たした。「僕はこんなに沢山は駄目ですよ。」と彼は云ったが、英子はそれを無理に押し付けてしまった。
「また英子さんのチラニーが初まった。」と彼は笑っていた。
 勝負は丁度合っていた、と云うより寧ろ誰も真剣になっていなかったという方が正当であったかも知れない。
 私は僅かの札数を持って、勝負よりも寧ろ春子さんの美声を楽しんでいた。彼女は英子の何処か濁りのある声とは似てもつかぬ美しい声を持っていた。読札を電燈の光りにかざしながら、少し小首を傾けて何時までも疲れない澄んだ声で読み続けた。それから私はまた静子の思ったより巧みなのに驚いた。
 いい加減に疲れた頃私達は歌留多を止した。そして皆で菓子や蜜柑をつまみながらまた会話を続けた。英子は始終欽一郎を上からおっ被せるような口の利き方をした。そして私の耳には、「また英子さんのチラニーが初まった。」という男の声が残っていた。
 英子の家から出たのは十一時近くであった。私は橋本兄妹と連れ立って淋しい通りを神楽坂下まで歩いて来た。
「そのうち私共のうちで歌留多会をやりますから、是非いらして下さい。」と欽一郎は私に云った。
「え有難う。」と私は答えた。
「ああいう遊びは呑気にやっていると、やりいいものですね。」
「ええ。」
「私は何時も平安朝時代は生活が気楽で楽しかったろうとよく思います。此頃のように頭ばかりがいやに緊張した生活をしていると、却って人間が愚かになるような気がしますが。」
「そうかも知れません。ですが自覚は何処までも必要だと私は思っています。」
「ええそう云う努力はごく必要でしょうな。」
 私達はそれきり口を噤んだ。そして私は別れを告げて神楽坂下から電車に乗った。静子が電車の中の私に軽く頭を下げたのを、私はちらと眺めた。
 下宿に帰ると私は急に不快な疲労を覚えた。そしてその疲労の下から苛ら立たしい気持ちが湧いて来た。私はそれをぐっと押えつけて眼を閉じたまま、暫くの間机にもたれていた。
 ある悪寒に襲われて眼を開くと、火鉢の炭火はもう白い灰になっていた。でそのまま立ち上って蒲団の中に倒れるようにもぐり込んだ。そしてほろろ寒い中に私は両手を胸に組んだ。
 その翌日英子を訪ねると、彼女は橋本のうちに行っていて不在であった。

 英子の手紙の数が次第に少くなって来た。先には私が手紙を出せばそれに返事をくれたものだったが、正月の末頃になると私の二本の手紙に対して漸く短い一通しかくれないようになった。然しそういう外的のことは私は容易に許し得たであろう。ただ私の心を最も淋しくさせたのは、その内容の変化であった。先にはよく愛に苦しむ心の響きを直接に伝えて来たが、その頃はただ霑いのない抽象的な文句の羅列のみが私の手元に届いた。彼女の心の響をそのままに捉え得る言葉は何も見出すことが出来なかった。
 それでも私はやはり時々英子の家に訪ねて行った。然し私達の間には冷たい垣が何時のまにか出来ていた。英子は自分の内心をかばうような態度で私に接した。私も自分の心をじっと胸の奥に秘める外仕方がなかった。
「私はあなたの幸福を祈っています。」そんなことを私はいった。「何時までも自分の本当の心に忠実であって下さい。私があなたに願うのはただそれだけです。」
「あなたは私を愛して下さらないの?」と英子は震えを帯びた声で云った。
「そんなことを私に尋ねるんですか。……私が度々くり返して信じて下さいと云ったのは何のためでしょう。私のこの信念をあなたに通じられないのは、私の力が足りないせいかも知れません。然し私は自分の成長を信じています。そして私達の愛を肯定したい。」
「いえいえそのことではありません。……あなたは此頃冷たいんですもの。」
「私にはあなたが冷たく見える。そしてあなたの冷たい態度に触れる時、私は自分の心まで冷たくなって来ます。どうしていいか分りません。……どうか私にその冷たさを触れさせないようにして下さい。熱い信念を燃やさして下さい。」
「それは私から申し上げたいことですの。」
 然し私達の会話は、そういうこと以上一歩も出なかった。何か互に避け合っているものがあるのを私は感ずることが出来た。それならばなぜ私はその垣をつき破って進もうとしなかったのか?……ああ私は英子の運命と自分の運命とをただじっと厳粛に見つめていたのだ。そして私は英子と相対している沈黙のうちに息づまるような気がした。
 英子もそれを苦しんでいたに違いない。彼女はよくお茶を差上げるからと云っては私を母の所へ導いて行った。
 春子さんは何時も私をやさしくいたわってくれた。身体に注意しなければいけないなどとよく親切に云ってくれた。私は彼女の前に出ると何時も慈母の前に在るがような気持ちを覚ゆるのであった。
「この頃お国のお母さんは御丈夫でいらっしゃいますか。大分暫く御無沙汰ばかり致して居りますが。」
「ええ相変らず病身ですが、床につくほどのことはありませんでしょう。」
「それはいけませんですね。あなたも時々お帰りになって上げた方がお宜しいでしょう。」
「ですが何やかや忙しいものですから。」
「そうでございましょうね。でもお若いうちに勉強なさるのが一番お宜しいですよ。私共の信夫みたようではほんとうに困ってしまいます。それでも此の節あなたはお身体も余りよくって被居らないようですから、お気をつけなさらないとね。」
「身体の方はどうも留守になり勝ちなものですから。」
「ええどうしてもお若いうちはそうなんでございましょうね。」
 私は春子さんからそんなことを云われると、彼女の前にひれ伏したくなるのであった。そして彼女の前に自分の内心の苦悶をおし隠すことがどんなにか悲しかった。で私は彼女の懐から逃げ出すようにして辞し去るのを常とした。
 然し私の一番の苦痛は屡々英子の家に橋本兄妹が出入りするのを見ることであった。私は何時のまにか英子の家の中心から遠ざかって、痩犬のように彼女のうちに窺い寄る自分の姿を見出した。私が姿を現わすと、皆の晴やかな会談が急に途絶えて陰鬱な影が射すのを、私はよく知っていた。私は特に欽一郎と対座するのを恐れた。そして英子の家の前に吾妻下駄と竝んだ男の駒下駄を見ると、私はそのまま足を返した。
 私は一人で当もなく夜の街路まちを歩き廻った。僅かの友達をもなるべく避けるようにした。そして仄暗い裏通りを首垂れながら歩いている自分の孤影を見出しては、憂鬱な気分が益々濃くなっていった。
 私は英子と欽一郎との間に如何なる精神上の交通があるかを知らなかった。然し私の頭には、彼等二人の竝んだ顔がしつこく刻みつけられるようになった。が私はそれを敢てどうしようとも思わなかった。
 もし彼等が本当の愛で動き出したとしても、そして私の愛が破らるるにしても、私はそれを許し得るであろうと自ら云った。私は彼等の真の幸福を願い得る、私は自分一人になっても猶生きてゆき得る、私は自分の運命を泣きながらも肯定し育ててゆける、然し私は彼等の運命の流れに手を差出し得るだけの力を持たないと自分に云った。とは云え私がこれまで信じてきたもの、私が胸のうちにはぐくんできた愛、それは何処へ行くのであろう? そう思う時、私は自分の足元が暗くなって倒れそうな気がした。
 或る星の輝いた寒い晩、私はぼんやり種々なことを考えながら下宿に帰って来た。すると女中が先刻女の人が訪ねて来たことを知らした。名前を云わないでそのまま帰ったそうである。服装みなりやなんかを聞きただしてみてもさっぱり要領を得なかった。
 私は自分を訪ねてくれるような女の知人を持たなかった。で英子や静子を頭に浮べてみたが、どうもそれらしくなかった。ふとお島ではないかと思ったが、お島なら一度来たことがあるから名前を云わないで帰る筈はないと思い返した。然しその時、それを種々思い廻らしてみるだけの余裕が私の心にはなかった。何か重苦しい憂鬱が私の心に一杯澱んでいた。
 それでも翌日になるとそのことが妙に気になり出した。私は英子に儚ない望みをかけた。然し今私達の運命は推移の最中にある、軽々しく動いてはいけない、と私は思った。それが何を齎すかはやがて分るであろう、と私は思った。
 二三日私は下宿に引籠っていた。手当り次第に書物を読みかけてはすぐに疲れて、床を自分で敷いて苦しい昼寝を貪った。夜は眠れないままに催眠剤を取った。がその間英子からは何の便りもなかった。
 四日目の晩、私は節々ふしぶしの痛い身を運んで英子の家まで歩いて行った。電車に乗って多くの人と顔を合せるのが嫌だったから。
 玄関に出て私を迎えてくれたのは英子自身であった。春子さんが丁度不在だったので、私は英子と暫く苦しい対座を続けた。彼女は妙に興奮していた。
「あなたは三四日前に私の下宿を訪ねては下さらなかったのですか。」と私は云った。
「いいえ。」と英子は簡単に答えて私の顔を見守った。
 その時私はほっと安堵の思いをした。何故だか自分でも知らなかった。
 私達の間には瀬戸の大きい円火鉢に炭火が一杯おこっていた。私はその赤い火をじっと見守った。如何とも出来ないような張りつめた思いが胸に湧いて来た。然し[#「然し」は底本では「燃し」]私は口に出すべき適当な言葉が見出せなかった。
「この頃あなたはなぜそう黙ってばかり居るのですか。」と私は云った。
 英子は黙って私の顔を見つめた。私は彼女の表情のうちに内心を押隠した努力の影を見ることが出来た。
「私はあなたの運命に手を差出そうとする力はありません。然しあなたの心にはある推移があるような気がします。私はそれを兎や角云いはしません。ただ御自分の心に対して不真面目であってはいけません。動くならば全人格的に動いて下さい。私はあなたの姿を見ると何処か危いような気がしてならない。」
「私を信じては下さらないの?」
「ああ私はどういう風に信じていいのでしょう。私達の、いや私の愛をあなたはどうせよと仰言るのです? 私の愛の信念にあなたは何を与えて下すったか……。」
「私が?……いえあなたは私に何にも与えては下さらなかった。そして私にばかり……。」
 そう云いかけて英子はまたきっと唇を結んでしまった。
 私は何とも云うことが出来なかった。私は強い自分の信念と愛とを彼女に与えようとして来た。然し彼女の要求は何であったか。何を彼女は私に求めようとしたか。
「云って下さい。もっともっと。……私は苦しいんですもの。」と彼女は云った。
「何を云えというんです? 私はただ信ずるというきり外の言葉を持ちません。今でも強く信じています。然し何を信じたらいいのでしょう。私はあなたの前に、あなたの運命の前に、罪人のように頭を下げて祈っているのです。」
「そんなに私を苦しめなすっては……。」と英子は吐き出すようにして云った。「私は一晩中泣きながら考えたこともありましたの。けれど何うしていいか分らないんですもの。もっと私に考えさして下さい。……私はそうして被居るあなたが恐いんです。」
「あなたは自分の運命を恐れているんです。自分ではっきり自分の道を選ばなければいけません。」
「あなたは私に何にも教えて下さらないんですもの。ちっとも私の心を察して下さらないんですもの。……あなたは御自分のことばかり考えて被居るのです、そして私をほんとうに愛しては下さらない。」
 英子は物に脅えたように息をつめた。そして彼女の眼のうちには、重苦しい圧迫の下から遁れ出ようとするような反抗の光りがあった。
「私はあなたの心を掠奪しようとはしない。ただあなたの本当の心の命ずる通りに動いて下さい。」
 その時英子ははらはらと涙を流した。私はどうしていいか分らなかった。
「ね、許して下さい!」と私は低い声で彼女に云った。「私があなたを苦しめたのなら、許して下さい。」
 英子は何とも答えなかった。そしてぐたりと首を垂れたまま私の手を執った。私は息をつめて彼女の眼の中を覗き込んだ。
 ああその時の私達の baiserベーゼ が如何に私の胸をしぼったか。然しそれは私達の最後の embrassementアンブラスマン[#「embrassement」は底本では「enbrassement」] であったのだ。
 英子は蒼白い顔をしてじっと火鉢の火を見つめていた。私は炭火の反映したその緊張した顔を見ながら、如何に私が彼女を苦しめているかを思った。そして彼女を苦しめることが私の胸を刺した[#「刺した」は底本では「剌した」]。私は「あなたを信ずる。」と口の中で云った。そして私はもう帰ろうと思って立ち上った。
 私はその時なお春子さんを忘れなかった。そして彼女と顔を合せることを恐れた。私の顔はその時悲痛な表情をしていたに違いない。私は痛苦に満ちた自分の心を彼女の前に現わすに忍びなかったのである。
 英子はじっと私の顔を見上げた。
「もう母も帰るでしょうから。」と彼女は云った。
 彼女の静かな言葉は私を驚かした。そしていつしか平素の高慢な影がさしているその顔を見た時、私は解き難い謎にぶつかったような気がした。私は自分で自分を苦しめながら玄関に出た。
 英子は黙って私をそこまで送って来た。
「あなたの心が向く時、是非私にお手紙を下さい。」と私は云った。
「ええ。」と英子は答えた。
 空が陰鬱に曇っていた。寒い空気が私の熱した頬を流れた。私は外套の襟を立てながら、街燈の灯を見つめて歩いた。然し電車に乗ると、殆んど家に帰るまで眼を閉じていた。
 私は今はもうただ自分自身の心を一人で見つめながら生きてゆくより外ないと思った。私が信頼していたもの、はっきり掴んだと信じていたもの、それはただ空漠たる自分の気持ちに過ぎなかった。然し私は力強かれと自分に叫んだ。苦しみは私の成長を助けてくれるであろうと思った。が心の底で私は猶、英子を信ずると誓っていた。もし私達の運命が一つになるべきものなら、いつかはまた英子は私の胸に帰って来るであろう。然し私は英子の心を掠奪することは出来ない。退いて自分の心のみに忠なるのが、最もよく自分の運命に忠なる道である。そう思いながらも私は泣きたいような気分が込み上げてきて、眼が眩むように覚えた。
 下宿に帰ると女中が一通の手紙を私に渡した。
「お出かけになると間もなく俥屋が持って来ましたから、お預りして置きました。」
 表には誰からとも認めてなかった。私は封を切った。
 読んでゆくうち、初め一寸私は驚いたがやがて心が穏やかに静まってきた。私は二度くり返してそれを読んだ。
 それはお島からのものであった。――漸く「おきな」を出て今は千駄ヶ谷の叔母のうちにいる、先日一寸お寄りしたがお留守であった、今日はお目にかかりたくなったのでお湯に行くと云って家を出て来た、けれどもいつか上った時のようにまたお友達にお目にかかるといやだから、近くの俥屋で筆をかりてこれを書いた、もしお隙だったら一寸お目にかかりたい、近いうちに遠くへ行くかも知れない。そんなことが急いで書いてあった。
 私は、寒い夜を一人で私の所まで訪ねて来てまた帰ってゆく女の姿を見るような気がした。そして済まないことをしたと思った。彼女は自覚して嘘をつくほどのポリシーを持っている女ではなかった。

 私は英子との愛に苦しむ時、時々酒を飲むことがあった。然しそれは苦しみを誤魔化すためではなかった。否却って酒を飲むと益々私の心は悲痛なものに張りつめるを常とした。そしてその緊張の底から湧いてくる悲壮なもので私は自分の心を益々刺激[#「刺激」は底本では「剌激」]して興奮させていった。その時私は直接に自分の心の調べにのみ沈潜してゆくことが出来た。そして私は飲酒を自分の信念を強める糧として自ら肯定していた。
 私の下宿の近くに「おきな」という小さい料理屋があった。風流料理としてその道の人に多少知られている家であった。そして私が行くと、いつも給仕をしてくれたのはお島であった。然しそう度々行ったのではない。五六度だと自分で覚えている。
 お島は大柄な女であった。そしてポリシーの無い卒直な心をまだ持っていた。彼女のうちには極めて漠たるロマンチックなものが在った。そしてそれが彼女の頑丈な体格や、眼の動かない愛嬌のない顔などを、和らげていた。黙って自分の心に沈潜しながら酒を飲んでいても、少しの気づまりも私は感じなかった。私は彼女の前に安らかな親しみをさえ感じた。存在の淡い女だと私は思った。
 父親の死から引続いて母親をも失い、財産も人手に渡ってしまったので、その頃通っていた新潟の女学校を三年で止してしまって、彼女は弟を国に残したまま叔母を頼って東京に出て来た、と云うようなことを私に話した。然し叔母は余りによくない人で、彼女に不正な商売をすすめて止まないので、つらい思いをしながら一年ばかりその家に厄介になっていたが、遂に思い切ってさるお屋敷に奉公に出た。そして其処に二年ばかり勤めていたが、朋輩にすすめられてある宿屋の女中にはいった。その後間もなく「おきな」に住み換えたのだそうである。
「でもまた此処を出たいと思っているの。」と彼女は私に云った。
「今度は何処に行くんだい。」
「何処だかまだきまらないのよ。」
 そしてお島は種々なつらい話をしたり、嫌なお客の振舞を話したりして、淋しい笑顔を作った。
 私はそんな話に少しも心を煩わされることなく聞いたものだ。そして私が黙り込むと、彼女も黙ったまま時々銚子を取り上げた。私は彼女に対して何の気兼も心置きもしなかった。
 或時お島は私に是非名前と処とを知らしてくれと云った。で私はすぐにそれを教えてやった。
「まあお近いわね。」と云って彼女は喫驚したような眼付をした。
 そして私に河田しまと小さく印刷した名刺[#「名刺」は底本では「名剌」]を一枚くれた。
 私が帰る時に彼女は「遊びに上ってもよくって?」と云った。
「ああよかったらお出よ。」
「あなたは黙っていらしてさっぱりしているからいいわ。でも苦労性だわね。」
 私は苦笑して其処を出た。
 それから暫くしてお島はある日の午後私の下宿に訪ねて来た。私達はこれと云って話題を持たなかった。暫くまた叔母の家に帰ろうと思っているというようなことを彼女は云っていた。
 其処に間もなく友達がやって来た。お島は黙ってもじもじしていたが、何か御馳走しようというのもきかないで帰って行った。
「さっぱり要領を得ない女だね。」と友は云った。
「ああ。」
「それに君の態度もおかしいね。丸で妹でも扱ってるような風に見えるよ。」
「そうかなあ。然し僕はあの女には妙に生地のままの安らかな心地で対せられる、どんな女に対しても多少の武装をするのが普通だがね……彼女の方に個性の影が薄くってさっぱり要領を得ないせいかも知れない。」
 実際私は彼女に対してだけは、生地のままの安らかな心地で接することが出来た。随って私の心に何等深い印象も残されなかった。その上私の心は英子に対する愛で一杯になっていたのである。自分の心のうちを覗く時、私は其処に殆んどお島の影を認めなかった。然し彼女の柔らかな雰囲気がいつしか私の心に染み込んでいたかも知れないことを、私は告白しなければならない。
 然し私がある晩お島の手紙を見た時、私の心に映った者は、それはお島ではなかった。それは一個の淋しい人間の姿であった。私自身の姿が淋しかった。そして私を訪ねて来て寒風に身を曝しながら街頭に佇んでいる一個の女性の姿は、なお淋しかった。
 私は彼女をいたわってやりたく思った。そしてすぐ筆を執った。二度も訪ねてくれたのに不在ですまないこと、今は私自身苦しい心を持っているので誰にも逢いたくないが彼女になら逢ってもいいこと、ついでがあったらまた訪ねてくれるようにということ、然しその時は前に一度知らしてくれると猶いいこと、そんなことを私は簡短に書いた。
 手紙を書き終ると私の眼には涙が浮んできた。私が一個の人間を純な気持ちでいたわり得ることに就て、私は自分の英子に対する愛に感謝したいような気がした。もし私達の愛の信念が無かったら、私のお島に対する感情には屹度不純なものが交ったに相違ないと思ったのである。然しその時、私の感情には何等穢れたものがないことを私は信じた。深い愛を自分自身のうちに持っているもののみが、真に人類を恵み得る。私がお島に対する気持ちは神の愛の如きものであると私は思った。ああ茲に神という言葉を使うことを私は許して貰いたい。
 そう思いながらも、私の心は震えていた。私は自分の運命の未来を恐れていたのだ。もし私の英子に対する信念が裏切られたら、私はどうなるであろう。そして私は私と英子との心の方向が乖離してきたのを余りに多く知りすぎていた。暗夜のうちに進み入るような戦慄を私は覚えた。然し私は自分の運命に何処までも忠ならんことを期した。
 翌日遅く眼を覚すと、室の中は青白い反映にぱっと明るくなっていた。夜のうちにいつしか雪が積っていたのである。起き上ると私の眼は、雪に反射する太陽の光にちくちくと痛んだ。
 然し大地の上に降り積った純白の雪を、私はどんなにか悲愴な心で眺めやったであろう! 私は凡てを忘れようとした、そしてただ冷たい雪の中に自分の心を埋めようとした。私はその午後雪の上をざくざくと踏みながら、寒いことを忘れて歩き廻ったものである。そして夜は雪の消え残った裏通りを黙々として彷徨した。私は自分の心のうちに、「凡てを肯定せよ」という強い声の響きを聞いた。何がやって来ようとそれをそのままに掴んでみせる、と私は自分に囁いた。
 然しその次の日、物影に消え残った雪を見る時、そして軒から水滴がぽたりぽたりと落つるのを聞く時、私の心には澱んだ水のような憂鬱な影がさしてきた。私はその重苦しい気分に浸りながら、殆んど時の過ぎるのをうち忘れた。英子からも、またお島からも、何の便りもなかった。私はその日朝から一歩も外に出ないで、空虚な自分の心を懐いて空な一日を過した。敗残者の疲労がしみじみと身に感ぜられた。然し私の心は重苦しく落ち付いていたのである。
 夜の八時頃、私は俥屋が持って来たお島からの手紙に飛び起きた。私はすぐに外に出た。然し何処にお島が居るか、さっぱり見当がつかなかった。仄暗い通りをすかし見ながら、横町を曲ると、電柱の影にお島がぼんやり佇んでいた。
「どうしたんだい。」と私は思わず叫んだ。
「あなたを待ってたの。」とお島は落ち付いた調子で答えた。
「なぜあんなことをするんだい。下宿に来ればいいじゃないか。」
「でも嫌だから。」
 何が嫌だか私には分らなかった。
 私達はただ無意味に歩き出した。叔母さんが居ないから一寸出てきた、心配していたがお目にかかれて嬉しかった、とそんなことをお島は云った。然し私達の間には別にこれといって話の種もなかった。私は彼女を自分の懐のうちに感ずるような気がして、何にも聞かないでもよく分るような安らかな気持ちを覚えた。
 裏通りは大分泥濘ぬかっていた。私達は、肩を竝べるようにして歩いた。
「お苦しいことって何なの。」とお島は尋ねた。
「え、何が?」
「お手紙にあったこと。」
「何でもないんだよ。」
「でも私気になるわ。」
「ほんとに何でもないことだよ。ただね、僕がある女から捨てられたまでのことさ。」
「まああなたが?」といってお島は喫驚したような顔をして私を見守った。「それでどうなったの」
「それっきりさ。」
「どんな女の方?」
「どんなって……何でもないんだよ。」
「そう。」と云ってお島はそれ以上聞こうともしなかった。
 私はそんなことをお島に云いながら、妙に気分が晴々としてくるのを感じた。然しそれは私の英子に対する、また私達の愛に対する、背反であったであろうか? 否私はそれを信じない。ただ私の前から一瞬間暗闘が消えて、私の心が柔かに落ち付いたのは事実である。そして私は和やかな眼でお島の姿を見やったのである。私は自らその気持ちをどう云っていいか言葉を知らない。
「何かたべようか。」と私は云った。
「私は何にもたべたくないわ。それよりか斯うしてお話していたいのよ[#「いたいのよ」は底本では「いたのよ」]。」
 寒い空気が外套を通して感じられた。空は晴れていたが、ただ黒い布をうち拡げたようで、星の光りも見えなかった。私達の前には淋しい軒灯がぽつりぽつりと遠くまで続いていた。
「寒かないか。」
「いいえ。あなたは?」
 私はそれには答えないで他のことをふと尋ねてみた。
「遠くへ行くかも知れないと手紙に書いていたが、一体何処へ行くんだい。」
「どうだか分らないのよ。」
「何だ、まだ分らないのか。でも近いうちにと云っていたじゃないか。」
「それは近いうちなのよ。」
「では行く場所も分ってるだろう。」
「ええどうだっていいのよ。……いえあなたにお知らせして別に悪いことがあるんじゃないわ。でも何だか……。」と云いかけてお島は笑った。「向うに行ったらすぐお知らせするわ。私もどうなってもいいと思ってるのよ。」
「一体何のことだい。」
「あとで分るわ。だけどあなた、私のような者といつまでも知り合いになってるのは嫌でしょう。私はそう思ってよ、あなたにはもうこれきりお目にかかれないかも知れないような気がするわ。」
「いや僕はお前の心と大変親しいように思える。また屹度逢えるような気がしている。手紙をまたおくれよ、ね。」
「ええ差上げるわ。だけどそれまであなたの方からは下さらないでね。私何時叔母の家を出るか分らないから。それに叔母が大変やかましいんですから。」
 私達はそんなことを話しながら、何にも取り留めたことを云わなかった。然し私は外的のことを何も深くきかなくていいほど、お島の心を親しく感じていたのである。
 私達はどの位の間街路を歩いたか知らない。そしてお島がもう帰ると云い出した時、私は何ともいえぬ哀愁に打たれた。
「叔母が帰ってるかも知れないから。」と彼女は云った。
 私は、もしお島が帰ると云い出さなければ、何時までも二人で気兼ねのない散歩を続けたかも知れない。然し私は彼女を引留める術を知らなかったのである。そして私はお小遣いを少しあげようかと云ったけれどお島はどうしてもそれを受取らなかった。
「私もうあなたにお目にかかれたら、それでいいのよ。」と彼女は云った。
 私達はお茶の水で別れた。彼女は其処から甲武線の電車で千駄ヶ谷まで帰るのであった。「身体を大事におし。」と私は云った。足を返して暫くしてふり向くと、お島は停車場の入口に切符を手にしたまま私を見送っていた。
 私はそのまま真直に足を早めて下宿に帰っていった。ぼんやりした夢の気持に襲われたような気がしていたのである。そして下宿には何かが私を待ち受けているように思えて来た。英子から手紙が来てはいないかしらとふと思ってみたりした。
 然し下宿に帰るとはたと物につき当ったような気持ちを私は覚えた。誰からも手紙は来ていなかった。室の中には何の異ったものも見当らなかった。本箱も机も、違い棚の上の置物も、それから衣桁にぬぎすてた褞袍までが、皆もとの位置を保っていた。そしてそれらのものが、私の内生活をまざまざと私に蘇えらした。如何ともすべからざる重苦しいものが私にひしひしと寄せてきた。
 時計を見ると十時になって居た。私は女中を呼んで床を敷いて貰って、すぐにその中にもぐり込んだ。気味悪い寒さが肩のあたりから全身に流れた。そして私は英子を思いまたお島を思った。お島のことを考えると私は淋しくなった。英子のことを考えると私は生の気力が無くなるような気がした。私は、今はもう対照の漠然とした自分の内心の愛に祈りを捧げるような心持ちで、長い間息をこらしていた。その時ほど私は荒凉たる孤独の感じに打たれたことは嘗てない。凡てのものが私から遠くに行ってしまったことを感じた。そして胸のうちに憂鬱な寂寥がひしひしと寄せて来た。私は暗い荒野のうちにぽつりと置かれた自分の魂を見るような気がした。
 私は起き上って催眠剤を飲んだ。そして苦しい眠りに陥っていった。

 翌日から三日間私は風邪の心地で床に就いていた。起き上れないほどのことは無かったが、妙に身内に力がぬけたようで凡てが大儀に思われたのである。
 然し私はその間に英子に長い手紙を書いた。自分でも知らない悲愴な感激が私のペンをぐんぐん走らせようとしたが、私はそれを強いて押えて、一句一句に力を籠めて書いていった。私の愛の信念を許してくれるように、と私は先ず手紙を初めた。私は彼女に何も求めはしないこと、ただ彼女自身の運命に忠実であってくれるようにということ、若々しい詐瞞に陥らないで全人格的に行動してくれるようにということ、それから私達の愛が如何にこれまで力強く築かれて来たかということ、その愛を破壊することは私にとって自分の生活力を破壊するほどの打撃であること、然し二人の運命が一つに綯われ得ないものであるなら私は然して自分の力を試してみようということ、それを思うと自分の魂が戦慄すること、また如何なることがあろうとも私の愛の信念に変りはないこと、少くとも私の心だけは受けてくれるようにと云うこと、そんなことを私は認めた。そして、私は何時までも彼女を待っている、彼女の運命に手を差出すだけの力はないが、彼女が何時かまた私の胸に帰って来てくれることを永久に待っているであろう、というようなことで手紙を結んだ。
 然し英子から何の返事も来なかった。ただ少し加減が悪いので後でゆっくり手紙を書くという簡短な葉書が一つ来たのみであった。
 一週間許りして思い切って英子を訪ねると、彼女は丈夫そうにしていた。そして私の顔を見ると陰鬱なものが眉根に漂った。ああ何という冷酷な彼女の心であったろう。彼女は私との対座を避けるように母の所にすぐ私を導いていった。
 私は自分の運命を肯定して何物をもじっと堪えて進んでゆこうと自分に誓っていた。然し目のあたり英子の姿を、そしてその冷たい心を見る時、私はどうしていいか分らなかった。自分を呪いたいような気になった。然し私は決して英子を呪いはしなかったことを、云って置かなければならない。
 が破滅は案外早くやって来た。
 それは空がどんより曇った佗びしい日であった。私が英子を訪ねると、春子さんが私を玄関に迎えてくれた。そして英子は不在だがすぐに帰るだろうからと云って、私を茶の間に導いて行った。私は大きい力に引きずられるような気がして彼女の後についていった。
「此の節大変お痩せなすったようですね。お身体でもお悪いのでございますか。」
「いいえ別に……。」と私は答えたが自分のみじめな心が顧みらるるような気がした。その時私はかの言葉を聞いたのである。が私は落ち付いていた。否殆んどそれを予期していたような気さえしたのである。
「あなたは橋本さんをどうお考えなさいますか。」と春子さんは云った。
「どちらです。」
「お兄さんの方を。」そう云って春子さんは私の顔を見守った。
「おとなしくって、世間的の才もあるし、それに風采も立派だから……。」
 私はどうしてその時そんな言葉が自分の口から出たのか知らない。然し私は欽一郎や英子の姿をその時、自分と全く没交渉のもののようにして頭に浮かべていたのである。
「実は橋本さんのお友達の方から、」と春子さんは云った、「是非英子を橋本さんの所にくれないかというお話がありましたのです。私もあの方なら別に異存はありませんが。」
「で英子さんはどう云っていられます?」
「私もそれとなく英子の心を引いてみたのですが、別に不服らしくもないように思われますので。」
「でも英子さんは本当に橋本君を愛しているのでしょうか。」
「私は丸で英子あれのことは構わないでいるものですから、どういう気持ちでいるのだかさっぱり分りませんが、でも此の節は始終橋本さんをお訪ねしているようです。」
 私はその時どう答えていいか分らなかったのでただ黙っていた。が多分私の顔にはある名状し難い表情が浮んだに違いない。と云うのは春子さんの驚いたような注視を自分の顔に感じたのだから。然し私はぐっと自分の気持ちを押えつけた、そして云った。
「では早く話をおきめなすったらいいでしょう。」
 然し春子さんは此度は却って私の言葉に驚いたような風であった。彼女は鼻が高いわりに眼の細い女であった。そして私はその時ほど彼女の眼が大きく見開かれたのを感じたことはなかった。
「いえ英子の方はまだ急がなくても宜しいのですから。」そして彼女は斯んなことを云った。「あなた静子さんをお貰いなすっては如何でございましょう。私とうからそう思っていました。ですけれどもあなたがお進みなさらないのなら仕方もありませんが。」
 その時私の頭は自分で驚くほどはっきりしてきた。私はまだ妻を迎えるだけの心の準備が足りないこと、も少し自由な勉強がしたいこと、そんなことを私は力強く説いた。然し私のその言葉は、寧ろ自分の頭が自分自身に浴びせかける言葉のように響いたのである。「あなたは余り何でも大袈裟にお考えすぎなさるからいけませんですよ。……私なんかそれは呑気に暮して居るのでございますよ。どうせ考えたってつまりませんから。」
 私は春子さんに対しているのがつらくなった。私は自分の憂鬱で彼女の心を乱したくなかった。いやそれよりも誰からも離れて自分一人になりたかった。
 私は友達と約束があるからと心にも無いことを云って、立ち上った。
「私も近いうちに英子をつれて一度国に帰りたいと思っております。おついでの時、お母様に宜しく申し上げて下さい。」それから彼女は追っかけるようにして云った。「静子さんのことはよく考えておいて下さいよ。」
 私は春子さんの顔を見ることが出来なかった。
 一人になると私は自分の心に驚いた。私のうちには何等の動揺もなかった。胸のうちが堅く引緊ったまま何も考えていない自分の姿を、私は他人をでも見るような気で眺めたのである。然し私はそのまま四谷見附から電車に乗って井の頭まで行った。私のうちには殆んど其処に行くという意志も選択も無かったのである。ただ重苦しい堅い石のような力が私をずるずると引きずっていったのである。
 私は寒気に曝された荒凉たる郊外の大地の肌を見た。陰鬱な冬の落日を見た。井の頭の冷たい池の水面と、黒ずんだ杉の木立と、落葉の林とを夕暮の靄の中に見た。夜の色が野の上を渡ってくる時、私の心は云い知れぬ戦慄に襲われた。そして魔物に追われるようにして私はまたすぐに自分の下宿に帰って来た。
 女中に近くのレストーランから二三品料理を取って貰ってそれを食べた。そして私はすぐに床の中に倒れるようにしてはいった。
 凡てが悪夢の形を取って私に現われてきた。私はそれをぼんやりと大きく眼を見開いて眺めたのである。そして私は夢ともうつつともつかない境に落ちていった。
 真夜中に私は何か物に脅えたように眼を開いた。電燈の光りが室の中に澱んでいた。私はその光りを見つめながら、英子と欽一郎とのことを思ってみた。私は、私と英子とのことを欽一郎に知らせるのが至当であろうかと、そんなことを考えた。然しその時私は、英子との間に何にも重大なものを認めなかった。私が自分で緊と握って来たものはただ空な愛の信念のみであったように思えて来た。そして欽一郎もそれ位のことは知っているに違いないと思った。
 私は自分の為すべきものが、もう何にも残っていないような気がした。誰も私にもう用はないのだというような気がした。そして私はもう英子の家に行くまいと思った。そう思っていると私の心にある巧みな計略のわなが見えて来た。凡てが私のために張られた羂であったかも知れないと私は思った。然し私の心に映ったものは、英子も欽一郎も静子も春子さんも、また私自身も、その羂の外に別々に立っていた。只何処から来たとも知れないその羂の姿が私の憂鬱な気分にしつこく絡みついたのである。
 其後陰鬱な日が明けてはまた暮れていった。物を忘れたようなぼんやりした気分が私に続いた。英子の所からも誰からも、何の便りも無かった。都会の中に在りながら、私は遠く社会を離れて徒らに生きながらえているような気がした。そして何処とも知れぬ重苦しい羂の姿が私の身のまわりを取巻いた。
 そういう憂鬱な気分に浸っている時であった、私がお島から手紙を受取ったのは。
 手紙は下総佐原から来たのであった。浜の屋千代こと河田しまとしてあった。初めにあの晩のことが長いお礼の文句で認めてあった。それから、叔母にすすめられて佐原に行ったこと、其処の賤しい芸者になったこと、つらい日々のこと、そんなことが短い文句で書いてあった。――「もしお隙があったら一度遊びに来て下さいませんか。あなたにお目にかかりたくなったの。ほんとにつらい日を送っていますのよ。御返事は下さらなくて宜しいのよ。そして下宿をお変りなすったら知らせて下さいな。御身体を大事にして下さい。でもお宜しかったら一度いらして下さいな。」
 私はその手紙をまた巻き収めて封筒に入れた。
 私の頭は急に我に帰ったようにはっきりしてきた。凡てのことが明らかに私に見えて来た。然しどうしてその手紙が私にそんな影響を与えることが出来たかを私は知らない。
 私は立ち上って外に出た。雪になりそうな寒い陰鬱な曇り日であった。私は身内の筋肉を引緊めながら力強く地面の上を歩いていった。新らしく悲愴な自分の運命が眼の前に浮んできた。私は何物かに自分を呼ばるる声を、曇り空の下に湛えた淡い明るみの中に聞いた。もし誰も居なかったら、私は其処にうち伏して大地の上に唇をつけたかも知れない。
 新らしく私の胸のうちに湧いて来た自己の[#「自己の」は底本では「自已の」]運命の肯定感が、如何に私に力を与え、私の心を感泣せしめたであろう! たとい私の強い愛の信念が破られたにせよ、それは私に力を与え、私の運命を大きく育ててくれたのである。私は凡てを大胆に肯定しながら、力強く自己の運命に従ってゆこうと決心した。私の前には選択はなかった。ただ凡てを肯定する決意のみが在った。何物をも拒まず、自己と自己の運命とを大きく育ててゆくことが、真に生きる道だと私は信じた。そして選択を知らない私は、自分の未来について何等の顧慮する所もなかった。
 私は先ずお島を訪ねてやろうと思った。そう思う私の心には何等の私心もなかった。私の心にはただ薄倖な一女性の魂と、それからそれと交渉のある自分の運命とが、映じていた。
 私は最後に今一度英子の家を訪れた。私の心は極度に緊張しながらそのままじっと落ち付いていた。
 玄関に出て来たのは英子であった。彼女は私の顔を見るときっと唇を結んだ。そして私は彼女の眼が私を睥んでいるように感じた。
 英子は私を母の所へ導いた。
「どうかなすったのですか。大変顔の色がお悪いではありませんか。」と春子さんは私に云った。
「少し気分が悪いものですから。」と私は答えた。
「それはいけませんですね。あなたは余りお丈夫の方では被居らないから。これからまた春先になりますと、よほど御用心なさらなくてはいけませんよ。」
 私は遠慮なく菓子や珈琲に手を出した。そして春子さんの言葉にいい加減調子を合わせながら、殆んど英子の方を見なかった。
「お父さんから送って来た絵葉書をお目にかけてごらん。」と春子さんは英子の方に云った。
「はい」と云って英子は立ち上って、自分の室から美しいアルバムを持って来た。それには南洋の自然人物の絵葉書が幾つも挾んであった。私は欝蒼たる熱帯の草木や、炎熱の下の人類や、獰猛な野獣の群を見た。それからまた大洋の上を軍艦に乗って航している英子の父の姿を思い浮べた。春子さんは絵葉書について私に種々な質問をした。
 私は春子さんのいつに変わらぬ何の屈託もなさそうな和らいだ顔を見て、妙な気持ちを覚えた。
「私は一寸旅に出てくるつもりです。」と私は云った。
「温泉にでも行らっしゃるのですか。」
「ええまだはっきり決めては居ませんが。……暫く御無沙汰するかも知れません。」
 それまで黙っていた英子が私の方をじっと眺めたことを私は感じた。
「お一人でいらっしゃいますの。」と春子さんは尋ねた。
「ええ。」
「それではじきに厭きておしまいになりますよ、屹度。」
「厭きたら帰って来るまでです。」
「それはそうでございますね。」と春子さんは何か感心したような調子で云った。
 私は春子さんの前に出ると、何の力も無くなるような気がするのであった。そしてその時心にも無い嘘を云わなければならないことが苦しかった。
 帰りかけると春子さんはまた云った。
「何時お発ちになりますの。」
「まだ決めていません。」
「それならまたその前に是非被入いましよ。」
 玄関に出た時、私は初めてじっと英子の顔を見た。その時恐らく、私の眼は、奴隷がこわごわ主人の顔を仰ぎ見る時のような眼付をしていたであろう。
 外に出た時、私は苦しいものを払い落したような気がした。もう私の為すべきものは何にも無い。私の前にはただ自分の運命があるばかりだ。……然し私は恐れながらもなお英子と二人きりの対座を願っていた自分の佗びしさを感じた。私は曲り角の所で一度英子の家の方をふり返って見た。
 夕方になると私の心は堪えられない寂寥に襲われた。ほろろ寒いわななきが私の胸のうちに起った。私はそれにじっと眼をふさいだ。そして運命を信ずると自分に叫んだ。最早や眼をふさいで自分の運命のままに突進する外ない、そしたら何かが私に開けて来るであろう、と私は思った。
 私はその日五時の汽車で両国から佐原に向った。
 私はもう茲でこの告白に結末をつけなければならない。
 私はお島の許で三日間を過した。そして其処に私が見出したものは、虐げられながら何物にも囚われない人間の心と、安らかな自己の運命の安定と、それから淋しい忘却の涙とであった。そしてまた、私はもう童貞ではなかったが、自己の軽視した relationルラシオン sexuelleセクジュレル[#ルビの「セクジュレル」はママ] から美事に裏切られた。私はそれらの気持ちをそのまま東京に持って帰った。そしてまた私は激しい maladidマラディ[#「maladid」はママ] を受けたことに気がついた。
 されど私は常に、正面から大胆に運命の名に於て凡てを肯定してきた。そして今のような生活に入った。それから一年余りの時を経過した。それは私にとって、自己の運命に忠実な力強い時であった。
 然しながら……最近になって、自分の見つめてきた運命の姿が見えなくなったような気持ちが私にしてきた。そして私は不安になってきた。然し私はなお、自己の運命に対して忠実であったことに力を感ずる。そして自分の運命に対する信念を疑いたくないと思っている、……そうだ、「思っている」という言葉だけしか今私は用ゆることが出来ない。

底本:「豊島与志雄著作集 第一巻(小説)」未来社
   1967(昭和42)年6月20日第1刷発行
初出:「黒潮 第壹卷第貳号」太陽通信社
   1916(大正5)年12月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:岩澤秀紀
2010年11月24日作成
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