その日私は、鎌倉の友人の家で半日遊び暮して、「明日の朝から小説を書かなければならない」ので、泊ってゆけと勧められるのを無理に辞し去って、急いで停車場へ駆けつけ、八時四十何分かの東京行きの汽車に、発車間際に飛び乗った。そして車室の、人の少い程よい場所をちらっと見定めて、帽子とステッキとを網棚の上に投り上げながら、足先の力を抜いて深々と腰を下したが、慌しく飛び込んで来た車室の明るい光と乗客達の視線とに、一寸気圧けおされた形になったし、もう進行しだしてる汽車の動揺と響とにいきなり心が捲き込まれた形にもなって、煙草を吸うだけの余裕もなく、両腕を組んで眼瞼を閉じた。ほーっと吐いた息の自分でもそれと感ぜられる酒の香に、だいぶ酔っていることが分った。頭の中の世界が、変に澄みきって冴えていた。友の家庭の光景や友と交えた会話などが、断片的に――而も幻灯仕掛で頭脳の内壁に投影されるように、はっきりした静止の状態で浮き出してきた。「明日から創作をするのなら……。」と諦めて、名残惜しげに門口まで見送ってきた友の心根が、しみじみと感ぜられてきた。そしてそれに励まされるような気で、私はいつしか創作の方に心を向けていった。
 翌日の朝から書き初める筈のその小説は、頭の中では大体出来上っていた。けれどもただ一つ、未だにはっきりしない点が残っていた。それは小説の中に出てくる女性みさ子の面影だった。みさ子は現代的な若い女性で、理知的な顔立に一味の憂鬱を湛え、皮肉と温情とが適度に交り合い、眼尻に微笑の影が漂い、口元がきっとしまって、白い歯並が少し乱れ、すらりとした身長で、心持ち跛足でなければいけなかった。がさて、それだけのことははっきり分っていながら、それを頭の中に浮べようとすると、どうも面影が生き上ってこなかった。こうだああだと細かく線を引いてみても、全体の立像がはっきり浮び上ってこなかった。……然し、ぼんやりした靄越しに、彼女がすぐ其処に立ってることを、私ははっきり知っていた。靄がすっと消えていって、今にも彼女がまざまざと現れてくるかも知れなかった。星雲から星々の形体が凝結してくるように、ただ一面にもやもやとしたものから、次第に一つのまとまった形体が刻み上げられる、それが普通の径路である。私はそういう時を待ちながら、或る焦燥と興奮と期待とのうちに、まだ形を具えないみさ子の姿を心で見つめていた。そして隧道を過ぎたことも大船に着いたことも、殆ど気がつかなかった。
 騒々しい呼売の声に、初めて私は我に返って、ぼんやり眼を見開いてみた。明々として車室の中や窓越しの歩廊プラットホームの光景など、眼に映ずる世界が凡て、清冽な水にでも浸されたかのように、瑞々しく冴え返っていた。私は自分自身を取失ったような心地で、ただまじまじと眼を見張りながら、機械的に煙草を取出して火をつけた。その時誰かに言葉をかけられたとしても、私は恐らく返辞をしなかったろうし、或は突拍子もない返辞をしたであろう。
 そうした空な心で、私は煙草の煙を眺めていたが、ふと、煙の彼方、私と反対の側の腰掛の斜正面の所に、視線が自ら惹きつけられた。右の耳の上で分けるともなく髪を分けて、それを額の上に高く房々となびかせ、その末を後頭部でふうわりと束ねて、黒鼈甲の大形のピンを根深にさしている、清楚な趣味の女の頭が、恐らく私と同じような無関心さで、窓の外を眺めていた。その髪形、細そりした横顔、腰をくねらしている姿勢など、全体の恰好が、私の心にぴたりときた。
「みさ子だ!」
 でも私は別に驚きはしなかった。私の心はいつでも、自分の前にみさ子を見出すことを予期していた。ただ不思議なのは、鎌倉からその時まで、どうして彼女に気付かなかったのだろう? 彼女は何処で汽車に乗ってきたのだろう? 鎌倉よりも前から乗ってたのだろうか、或は鎌倉で私と一緒に乗ってきたのだろうか?……でもそんなことはどうでもよかった。彼女が果してみさ子であるかどうか、それが最も肝要なことだった。横顔でそうだと思ったのが、正面から見ると全く別人であるようなことも、よくありがちである。期待通りになるか或は期待が裏切られるか、それに対する不安の念から、私は先ず車室の中を見廻してみた。
 文学通らしい三人の青年、会社員風の二人の男、料理屋の女中と番頭といった風の男女、実業家らしい半白の男、三人の海軍士官、それだけが全部の乗客で、飛び飛びに腰掛けながら、ひそひそと話しているのもあれば、退屈げに窓の外の闇を透し見てるのもあれば、夕刊を拡げてるのもあったが、多くは窓にもたれてうとうとと居睡っていた。そして誰も私の方へ注意してる者はいないらしかった。車室内の空気までが静かでぼんやりしていた。で私は安心して、斜向うの彼女をじっと見調べてやった。
 彼女は見た所、二十七八歳くらいらしかった。それが一寸困った。みさ子は二十一二歳でなければいけなかった。けれど、年齢の差くらいはどうにでもなる、と私は思い返した。硬ばった額の皮膚を、むくげのありそうな柔かい薄い皮膚に代え、眼の奥の潤みを多くし、唇の肉付を薄め、指の節をまるめ、爪の生え際の深みを浅くし、首筋の肉をぼやぼやとさせれば、それで若やぐのだったから。
 そんなことを考えてるうちに、汽車はもう進行しだしていた。彼女は向き直って、控え目な視線でちらと車室の中を刷いて[#「刷いて」はママ]、それからぼんやり、膝の小型な金縁の書物に眼を落しながら、いい加減に読んでいる――というよりも寧ろ、取り留めもない夢想に耽っているらしかった。その正面の顔立を見て、私は一寸息をこらした。みさ子そっくりだったのである。
 房々とした髪の影を落してる彼女の額は、心持ち狭くて淋しみを湛えていた。白々としたその皮膚が、余り広くない知識を思わせた。理解しようとすまいと、そんなことに頓着なく、一種の皮肉と憂鬱とで、何かしら自分にも分らない要求から、翻訳小説を読み耽ってる、みさ子の額、小さな活字の上に屈めた額、そのままだった。――ずっと一筆で刷いたようにくっきりとして、細長く消えてる淋しい彼女の眉が、みさ子の眉に丁度ふさわしかった。未来の劇作家を以て自任してる或る大学生と、みさ子は恋をしていたが、余り長続きしそうもないその恋を思わせる眉だった。――彼女の眼は、妙に見透せない影に包まれて、その底に何か冷たいものを含んでいた。脹らみのない薄い眼瞼、長い睫毛、小さな黒目、そして眼尻にあるかないかのかすかな凹み。私はその伏せられてる眼をじっと窺って、一寸みさ子からはぐらかされた気持になった。みさ子はもっと露わな眼付を持ってる筈だった。然し今に彼女の眼が挙げられて、私の方を向いたら、或はみさ子の眼になるかも知れない……などと考えて、私は彼女の視線を待ち受けたが、彼女はいつまでも私の方を見てくれなかった。で私は眼を後廻しにして、先へ進んでいった。
 彼女の鼻は、日本人にしては高すぎるくらいに、急角度で細く聳えていた。或は鼻筋の上の一際濃い白粉のせいで、そう見えるのかも知れなかった。が何れにしても、みさ子の鼻はそれほど高くなくてよかった。遠くから見て、鼻が眼につく顔立ではなかった。然し或は彼女の鼻も、高いわりに細そりとしてるので、遠くから見たら余り眼につかないかも知れない……。がそれは大して関係のないことだった。ただ真直な鼻であることだけで沢山だった。――頬の工合は、全くみさ子そっくりだった。肉附が薄くて、興奮したら益々蒼ざめてゆきそうな頬、一人で思い耽っていて、微笑の影のさすことがない頬だった。その蒼白い皮膚の下には、或る神経質なものが漂っていた。みさ子はどんな姿態をしても、またどんな夢想の折にも、時々多くの女がなすように指先で軽く頬を支えることがなかった。またその頬へ、決して接吻を許さなかった。或る小さな新劇団にはいっていた頃、有名な劇作家が酒の上の戯れで、その頬に接吻しようとした時、口ならいいけれど頬辺はいやと答えたのは、今でもその方面の話柄に残っていた。――彼女の口元から※(「臣+頁」、第4水準2-92-25)も、みさ子に丁度ふさわしかった。心持ちしゃくれながら長めに尖ってる※(「臣+頁」、第4水準2-92-25)と、きっと結んだ冷たそうな唇とに、何かしら堅固な意志表示が見えていた。少し皺のある歪みがあるその唇は、歯並の悪さを想像させた。みさ子は或る時恋人の大学生と郊外散歩に行き、子供らしくはしゃぎ出して、歩きながら林檎を皮のまま噛った。噛り取った林檎に、凸凹の小さな前歯の跡がついた、まではよかったが、林檎の皮が歯の間に方々はさまって、恋人の持ってるマッチの棒を楊枝に使っても、どうしても取りきれないで、長く不快な気持を味わされたのだった。――彼女の襟元には、すぐ眼につく大きな黒子ほくろがあった。それは私もまだ、みさ子に想像していないことだったが、みさ子にくっつけても非常によく似合いそうだった。
 この黒子という新発見に、私は一寸嬉しくなって微笑みながら、水色の襦袢の襟からそれが覗き出してるのを、いつまでも眺めていた。そのうちに、汽車は戸塚と程ヶ谷との間の隧道にはいった。耳鳴りがするような大きな響に、車内の電燈の光が少し薄らいで、茫とした盲いた明るみになった途端、彼女は俄に顔を挙げて、私の方に眼を据えた。変に空虚な眼付だった。その底にあるものが、温情であるか或は敵意であるか、私は一寸見定めかねて、知らず識らず眼を外らした。そして隧道を出てしまってから、私はまた彼女の方へ眼をやった。彼女はまだ私の方を見ていた。びくともしない高飛車な眼付だった。私はその底に、みさ子の怒った時の眼の光を見て取った。軽蔑的な無関心さに包まれてる鋭い眸だった。先程から私がしきりに眺めていたことを、彼女は知ってるに違いなかった。別に他意あって眺めたわけではないけれど、それでも私は少してれてきた。窓の方を向いて、遠く闇の中に走ってゆく点々とした灯を、ぼんやり見送った。けれど頭の中には、みさ子の顔立がはっきり浮彫になされていた。
 程ヶ谷を過ぎた時、私はまた彼女の方へ眼をやった。その瞬間に、彼女の眼がまた私の方へ向いて、私の視線を押し返した。私は眼を伏せた。すると、ぶ厚いフェルトの草履にのっかってる彼女の足先に、丁度私の眼は落ちた。一分のすきもなく白足袋にきっかりはまって、長そうな指先の※[#判読不可、153-上-18]った、平たく踏み広げられていない、恰好のよいちんまりした足先だった。みさ子にもこういう足先を与えてやろう、と私は思った。そしてまた我知らず、彼女の身体を見調べ初めた。井桁くずしのお召の着物が軽やかに垂れてる下に、彼女の足はすらりと伸びてるらしかった。みさ子にもそういう長い足がふさわしかった。ただ彼女の方は、どんなに想像しても跛足ではなさそうだった。然しみさ子は、一目では分らぬくらいのかすかな跛足だった。女学校の二年の時、不意の失火で家が焼けて――それ以来一家は零落しみさ子は学校を退ったのであるが……その折左足を挫いて、それが膝関節の神経痛となり、今でも時々痛むことがあった。そして向う脛の両側に、大きなお灸の跡が二つついていた。そういうお灸の跡なんかは、彼女の足にはなさそうだった。がそれは外から見えないことなので、まああるものと想像しても事は足りた。――ただいけないのは、彼女の胴体の容積だった。墨絵式の雲をぼかした中に円に鳳凰や竜の古代更紗模様を入れた羽二重の帯で、固くしめつけられてはいたけれど、鳩尾から腹部へかけて、大きな山腹を思わせるような、ぼってりとした容積で肉がついていた。がみさ子はそれほど偉大な胴体を具えてはいなかった。何処か腺病質な弱々しい体だった。その上、彼女の肩の肉附も、みさ子には少し重々しすぎた。ただ肩がすらりとこけて首筋が長いのは、みさ子そっくりだった。
 その時彼女は、私の視線を感じてか、一寸ぴくりとした身振で両手を挙げて、着物の襟をつくろい、絽縮緬の羽織の前をかき合せ、両の袂を膝の上に重ねた。その指先を見て、私は眼を見張った。それは全くみさ子の指だった。蛇のようによく物に絡みつく、長いしなやかな指、膝の神経痛と関係のある、一種病的な神経質な精緻な触感を持ってる指、そして円く反った細長い爪。みさ子はピヤノと編物とに適した手を持っていたが、まだどちらも習ってはいなかった。けれども不精なためか或は習癖からか、否恐らく無意識的な感情から、洗濯を非常に嫌がっていたし、手先や爪を大変大事にしていた。そして化粧をする時の指先が極めて巧妙だった。
 汽車は横浜に着いた。料理屋の女中と番頭みたいな二人連れは降りたし、実業家らしい半白の男も降りた。車内が前よりも一層広々とまた白々しくなった。彼女が私の方をじろじろと、明らさまに而も偸み見の体で眺めるので、私は窓の方にまた顔を外向けて、眼をつぶった。みさ子の立像がはっきり頭の中に出来上っていた。大理石に刻まれたように、揺ぎのない正確な形体を具えていた。私はそれに向って心で微笑みかけながら、いつしかうとうととしかけた。汽車の速力は前よりもずっと早くなった。闇の中を疾駆する明るい車室の中が、夢の世界のようにやさしく快かった。私はうっとりとした眼を半ば開きながら、彼女の方を親しげに而も無関心にうち眺めては、またその眼を閉じて、頭の中のみさ子に微笑みかけた。そんなことを何度もくり返してるうちに、本当に眠ってしまった。
 ざわざわする物音にふと眼を覚すと、汽車は停っていた。もう東京駅に着いたのかと思って、半ば腰を上げた時、それは新橋駅であることを知った。と同時に、彼女からじっと見られてるのを感じた。私は一寸狼狽した気持になって、浮した腰を下しながら、てれ隠しに煙草を吸った。他の乗客はみな降りてしまって、車室には私と彼女と二人きりだった。汽車が動き出した時には、私は半ば夢の中にいるような呆けた気持だった。
 彼女は真正面を向いて、もう書物もしまい、両手を膝に重ねながら、じっと身動きもしないでいた。その視線が、私のすぐ側の窓から外へつきぬけてるのを、私ははっきり感じた。そして私はまじまじと彼女の顔を見つめた。みさ子が六七歳年を重ねて、其処に坐ってるのだった。「みさ子さん」と私が云ったら、彼女は眼尻のかすかな凹みに微笑の影を浮べて、「え、なあに?」と答えながら、私の方へ親しい眼を向けそうだった。そしたら私は、「随分早く年を取りましたね、」と云ってやったであろう。
 それは実に変梃な気持だった。彼女の方を――みさ子の方を――見ては悪いような、また見ないで澄してるのも本意ないような、どうしていいか分らない気持だった。彼女はやはりじっと正面の窓から、夜の都会の上を眺めていた。
 東京駅に着いても、私はまだぼんやり腰を下していた。が彼女はすぐに立上って、棚の上の手提と革の紐のついた日傘とを取った。私もその真似をして、帽子とステッキとを取った。彼女はちらと私の方へ視線を投げて出て行った。私は変に置きざりにされた気持で、一寸間を置いてから歩廊に出た。彼女が草履ばきのすらりとした足で、出口の方へつつーと歩いてゆくのが見えた。私はその後姿へ向って、「さようなら、みさ子さん!」と心で呼びかけておいて、電車に乗り換えるために、彼女と反対の方へ歩きだした。

 私はみさ子の小説を書かなかった。書けなかったのである。書こうとすると、その面影が余りにまざまざと、丁度多年馴れ親しんでる妻とか妹とか、そういった近親の者のように、余りに身近く現れてくるのだった。小説の構想はみさ子をつき離して遠くから眺むる手法の上に立てられていたので、みさ子の面影が余り目近に迫ってくると、遠近法がうまく取れなかった。でそれを書くには、手法から従って構想までも立て直す必要があった。私はそれを他日のこととして、約束の雑誌社へは、他の短いものを書いて送った。みさ子は私にとって、一人の親しい生きた女性となっていた。
 それから三四ヶ月過ぎて、或る秋晴れの日に、私は友人と連立って、郊外に住んでる懇意な女洋画家を訪れた。彼女は自分の家に、小さなアトリエと広い庭とを持っていた。私達は庭の草花を見ながら、アトリエの中で雑談を初めた。
 暫くすると、女中がN夫人の来訪を知らしてきた。私達は辞し去ろうとした。それを女主人は引止めた。そして彼女の言葉によると、N夫人は彼女の旧友で、今では善良な一家の主婦だが、以前は優れた歌人だったそうである。
 其処へN夫人がやってきた。セルの着物に小紋の絽の羽織を引っかけて、散歩ついでという様子だった。私達はそれぞれ紹介された。私は何だか夫人に見覚えがあるような気もしたが、はっきり思い出せないので、「初めまして」と挨拶をして、丁寧に頭を下げておいた。
 やがて私は、初対面のN夫人が加わったために、妙につまらなくなって、いつしか会話の圏外に出て、立ち上って庭の入口に出た。そして煙草を吹かしてると、N夫人は私の方へやって来た。
「いつぞやお目にかかったことがあるようでございますが。」と彼女は落付いた微笑を浮べながら云った。
「そうでしたかしら……。」
 私は振向いて彼女を眺めた。それから、襟元の黒子ほくろが眼についた。彼女だったのだ……あのみさ子は。
 私は惘然として言葉もなく立竦んだ。
「鎌倉からの汽車の中だったように私は覚えておりますが……。」と彼女は云った。
 睫毛の長い黒目の小さな怪しい眼が、私を正面にじっと見つめながら笑っていた。私はあの時の無作法を揶揄されてるような気がして、冷たい汗が流れた。と共に、何ともいえない驚きを感じた。夫人は円満に出来上ってる女らしかった。どんな場合にも挙措を乱さないだけの沈着と、一寸文学をも弄べるだけの怜悧な才能と、家政をも整えてゆける手腕と、人を外らさぬ気転など、大抵の美徳を具えていて、その代り、特殊な官能や、不幸に対する理解や、熱烈な情操などは、可なり欠けてるらしく見えた。一口にいえば、円満な平凡な現代婦人らしかった。そういうことを、私は彼女の全身から直覚的に感じて、みさ子と彼女との間に、心の据え場に迷った。
「あの時の……あれはあなたでしたか。」と私は漸くにして云った。
「ええ。あなたはもうお忘れなさいましたの?」
「それでも、何だか別な人のような気がするんです。ほんとにあなただったのですか。……そんなら、実際あの時は失礼しました。いやにあなたの顔ばかり見まして……。私はあの時一寸変な……夢を考えてたものですから。」
 私は途切れ途切れにそんな風な滑稽な口を利いた。彼女は笑った。これから御交際を願いたいと云い出した。私はただ一言気のない返事をした。そして友と女画家との方へ戻っていった。
 暫くして私と友とは帰っていった。帰りながら私はN夫人のことを頭に浮べた。「下らないことを覚えていたものだな!」と考えた。そして彼女のことを頭の外に放り出した。郊外の野の上に、秋の晴々とした光りが一面に降り濺いでいた。私の心も晴々としていた。私はただみさ子のことを考えた。遠い昔の人ででもあるかのように、或る一定の距離を置いて、しみじみとしたやさしい眼差で、彼女は私を眺めていた。落付いた静かな微笑みが私の心に上ってきた。
 それから間もなく、私はみさ子の小説を書いた。

底本:「豊島与志雄著作集 第二巻(小説2[#「2」はローマ数字、1-13-22])」未来社
   1965(昭和40)年12月15日第1刷発行
初出:「サンデー毎日」
   1923(大正12)年7月
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志、小林繁雄
2007年8月16日作成
青空文庫作成ファイル:
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