おかう買物かひもの出掛でかけるみちだ。中里町なかざとまちから寺町てらまちかうとする突當つきあたり交番かうばんひとだかりがしてるので通過とほりすぎてから小戻こもどりをして、立停たちどまつて、すこはなれたところ振返ふりかへつてた。
 ちやうどいまあめれたんだけれど、じやかさ半開はんびらきにして、うつくしいかほをかくしてつてる。足駄あしだすこゆるんでるので、足許あしもとにして、踏揃ふみそろへて、そでした風呂敷ふろしきれて、むねをおさへて、かほだけ振向ふりむけてるので。大方おほかたをんなでそんなものるのが氣恥きはづかしいのであらう。
 ことの起原おこりといふのは、醉漢ゑひどれでも、喧嘩けんくわでもない、意趣斬いしゆぎりでも、竊盜せつたうでも、掏賊すりでもない。むつツばかりの可愛かはいいのが迷兒まひごになつた。
母樣おつかさんうした、うむ、母樣おつかさんは、母樣おつかさんは。」と、見張員みはりゐん口早くちばやたづした。なきじやくりをしいしい、
うちるよ。」
 巡査じゆんさ交番かうばん凭懸よりかゝつて、
「おまへ一人ひとりたのか、うむ、一人ひとりなんか。」
 うなづいた。仰向あふむいてうなづいた。其膝切そのひざきりしかないものが、突立つツたつてるだいをとこかほ見上みあげるのだもの。仰向あふむいてざるをないので、しかも、一寸位ちよつとぐらゐではとゞかない。おとがひをすくつて、そらして、ふッさりとあるかみおび結目むすびめさはるまで、いたいけなかほ仰向あふむけた。いろしろい、うつくしいだけれど、左右さいうともわづらつてる。ほそくあいた、ひとみあかくなつて、いたので睫毛まつげれてて、まばゆさうな、その容子ようすッたらない、可憐かれんなんで、おかうちかづいた。
一體いつたい何處どこでございませう。方角はうがくなにわからなくなつたんだよ。仕樣しやうがないことね、ねえ、おまへさん。」
 と長屋ながやものがいひすと、すぐおうじて、
「ちつとも此邊このへんぢやあ見掛みかけないですからね、だつて、さう遠方ゑんぱうからるわけはなしさ、誰方どなた御存ごぞんじぢやありませんか。」
 たれつたものはないらしい。
「え、おまへ巾着きんちやくでもけてありやしないのかね。」
 と一人ひとりつくばつて、ちひさいのがこしさぐつたがない。ぼろをる、きたな衣服きもので、眼垢めあかを、アノせつせとくらしい、兩方りやうはうそでがひかつてゐた。
仕樣しやうがないのね、なんにもありやしないんですよ。」
 そばふとつたかみさんがおほきなこゑで、
馬鹿ばかにしてるよ、こんなにおまへさん、ふだをつけとかないつてやつがあるもんか。うつかりだよ、眞個ほんたうにさ。」
 とがむしやらなものいひで、しかりつけたから吃驚びつくりして、わツといつてした。なにしかりつけなくツたつてよささうなもんだけれど、けだあへてこのしかつたのではない。可愛かはいさのあまその不注意ふちういなこのおやが、おそろしくかみさんのしやくにさはつたのだ。
くなよ、こまつたもんだ。くなつたら、いか、いたつて仕樣しやうがない。」
 また一層いつそうこゑをあげてした。
 うち休息員きうそくゐん帳簿ちやうぼぢて、ふで片手かたてつたまゝで、をあけて、
何處どこ其處等そこいられてつてたらばうだね。」
「まあ、もうちつとうやつとかう、いまにたづねにようとおもふから。」
「それも左樣さうか。おい、かんでもい、かないで、大人おとなしくしてるとな、母樣おつかさんれにるんぢや。」
 またアノ可愛かはいふりをして、うなづいて、そのまゝきやんで、ベソをいてる。
 かぜくたびに、糖雨こぬかあめきつけて、ぞつとするほどさむいので、がた/\ふるへるのをると、おかうたまらなかつた。
 彌次馬やじうまなんざ、こんな不景氣ふけいきな、張合はりあひのないところには寄着よりつきはしないので、むらがつてるもののおほくはみなこのあたりの廣場ひろばでもつて、びしよ/\あめだからたこ引摺ひきずつてた小兒等こどもらで。くのがおもしろいから「やい、いてらい!」なんて、景氣けいきのいゝことをいつて見物けんぶつしてる。
 子守こもりがまた澤山たくさんつてた。其中そのなか年嵩としかさな、上品じやうひんなのがおもりをしてむつつばかりのむすめ着附きつけ萬端ばんたん姫樣ひいさまといはれるかく一人ひとりた。その飼犬かひいぬではないらしいが、毛色けいろい、みゝれた、すらつとしたのが、のつそり、うしろについてたが、みんなで、がや/\いつて、迷兒まひごにかゝりあつて、うつかりしてるひまに、ふつさりとむすんでさげたその姫樣ひいさまおびくはへたり、くちをなめたりして、落着おちついたふうでじやれてゐるのを、附添つきそひが、つとつけて、びツくりして、しつ! といつてひやつた。それい、それいけれど、いぬだ。
 悠々いう/\迷兒まひごのうしろへいつて、ふるへてるものを、かたところぺろりとなめた。のはうづにおほきないぬなので、前足まへあし突張つツぱつてつたから、ちつぽけな、いぢけた、さむがりの、ぼろツよりたかいので、いゝになつて、垢染あかじみたえりところあかしたながいので、ぺろりとなめて、わかつたやうな、心得こゝろえてゐるやうなかほで、すましたふうで、もひとつやつた。
 迷兒まひごかなしさが充滿いつぱいなので、そんなことにはがつきやしないんだらう、巡査じゆんさにすかされて、いちやあ母樣おつかさんてくれないのとばかりおもんだので、無理むりこらへてうしろを振返ふりかへつてようといふ元氣げんきもないが、むず/\するのでかんがへるやうに、小首こくびをふつて、うながところあるごとく、はれぼつたいで、巡査じゆんさ見上みあげた。
 いぬはまたなめた。其舌そのした鹽梅あんばいといつたらない、いやにべろ/\してすこぶるをかしいので、見物けんぶつ一齊いつせいわらつた。巡査じゆんさ苦笑にがわらひをして、
「おい。」とさういつた。
 おかうたまらなかつた。かはいさうで/\かはいさうでならないのを、ほか多勢おほぜいるものを、をんなで、とさうおもつて、うつちやつてはきたくなし、さればツててもられず、ほんとにうしようかとおもつて、はツ/\したんだから、此時このときもうたまらなくなつたんだ。
 いきなりまへて、かほあかくして、
わたしが、あの、さがしますから。」
 と、くちうちでいふとすぐいた。下駄げたどろおびにべつたりとついたのもかまはないで、きあげて、引占ひきしめると、かたところへかじりついた。
 ぐるツと取卷とりまかれてはづかしいので、アタフタし、したいくらゐ急足いそぎあし踏出ふみだすと、おもいものいたうへに、落着おちつかないからなりふりうしなつた。
 穿物はきものゆるんでたので踏返ふみかへしてばつたりよこころぶと姿すがたみだれる。
 みんなどつわらつた。おかうした。
明治三十年八月

底本:「鏡花全集 巻二十七」岩波書店
   1942(昭和17)年10月20日第1刷発行
   1988(昭和63)年11月2日第3刷発行
※題名の下にあった年代の注を、最後に移しました。
入力:門田裕志
校正:米田進
2002年4月24日作成
2003年5月18日修正
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