一

 外出間際の来客は、気の置けない懇意な人で、一緒に外を歩きながら話の出来る、そういうのが最もよい。ところが、初対面の、どういう用件か人柄かも分らず、ふだんなら面会を断るかも知れないようなのを、外出間際だからちょっと……という気持で、座敷へ通したりなんかすることがあるから、奇妙だ。
 或る時、そういう場合のそういう来客があって、座敷へ行ってみると、四十近い年配の、洋服を着た紳士で、室の入口に端坐している。私は席に就いて、一通りの挨拶を済ましたのだが、さて、その紳士、四角い卓子の角のところににじり寄ったきりで、幾ら招じても座布団を敷こうとせず、洋服の膝もくずさず、茶にも煙草にも手を出さず、謂わば鞠躬如として眼を伏せている。そして、「御多忙のところを……御閑静なお住居で……お天気も……先生には……。」などという言葉で、而もその「先生」という語調が、如何にも他処行きの聞き馴れない響きを帯びている。
 そんなのは、一番苦手だ。苦手は敬遠するに限るので、私はだんだん席をずらして、卓子の角の方へ退いてゆく。話の間に、何度か、「どうぞこちらへ。」と招じたのだが、相手が動こうとしないので、こちらから動いてしまった形だ。こうなると、四角な卓子の対角線を通じての対坐だから、人間的な話が出来ようわけはない。――どうも日本座敷はあがきが取れない、せめて、円い卓子を置いた方が便利だ……とそんなことを、私は四角な卓子の対角線の一方で考えながら、黙りこんでしまい、そして対角線の先端に坐っているのは、すっかり人間味を失った単なる儀礼の案山子にすぎなくなった。
 こうなったらもうおしまいで、こちらは不愉快に黙りこむの一手だし、先方は更に鞠躬如と、雨だの風だの電車だのバスだの――そして漸く、色紙短冊の御揮毫をときた。
 ――そうしたことで、私はすっかり気を腐らしてしまった。
 気は腐ったが、これも用件なので、伯父の家を訪ねていった。
 ひどく謹厳な老人で、酔えば仕舞の一手も踊ろうという粋人だが、ふだんは茶の間の長火鉢の前でも膝をくずさず、十徳姿で短い白髯をなでている。子供もなく、金婚式にま近い老妻と二人きりで、若い時からの道楽の書道が役に立って、近所の娘子供たちに書道の稽古を授けている。謡曲に造詣深いところから、絹地に金泥で扇面を描き、その扇面に得意の隷書体で、「謡曲十五徳――不行知名所、在旅得知者……。」などと書きちらして怡んでいる。――その謡曲十五徳の額面を一つ、私は知人の求めによって、揮毫依頼に行ったのである。
 伯母が出て来て、私を座敷に案内し、茶菓を出してくれ、何かと消息を尋ねてくれる。この伯母は至ってやさしくにこやかなのだが、やがて、襖の彼方からエヘンと一つ咳払いして、伯父が姿を現わすと、私も固くならざるを得ない。朱塗りの長卓の前に伯父は、肩をおとし腹に力をいれて正坐しているのだが、私にはその長卓がどうも低すぎる。眼をそらすと、縁側に小さい万年青の鉢が置いてある。私は立って行ってその万年青をほめ、戻ってくると、どうしたことか、いきなり胡坐をかいて云った、「伯父さん、どうぞお楽に!」「ええまあわたしは……。」とかなんとか伯父が云ってるのも知らん顔で、煙草をふかしたのである。
 ――そのことが、あとで笑い話になり、他家に行ってそこの主人にどうぞお楽に――でもあるまいと、私はすっかり無作法者にされてしまった。

      二

 或る時私は、つまらないことから多額の負債を荷った。そのうち、最も悪質なのが三千円ほどあって、利子が月八分にも当るのである。これだけでも、利子ばかりで月に二百四十円になる。あまりばかばかしくて、行末のことも案じられ、もうこの上は、庭の木の枝にぶら下るか、顳※(「需+頁」、第3水準1-94-6)にずどんと一発やるか、或は両国橋あたりから身を投げるかするより外はあるまいと、さんざん思い悩んで、仕事もせずのほほんとしていた。
 それを見兼てか、親切な或る先輩が、その三千円だけでも拵えてやろうと云ってくれた。而も事は急で、明日にも自殺となりかねない雲行である。とにかく三日間待て、という約束になった。
 その三日間を、私は一刻千秋の思いで待ち暮したのだが、期限がくると、先輩はにこにこして私の家へやって来た。――「みごとに失敗したよ。彼奴、金はあり余るほど持っているんだが、事情を話すと、こういう返事なんだ、月八分もの高利の金を借りるような人には、危なくて、御用立は出来ない。」
 私は唖然とした。というのも、そういう返事は夢にも想像出来なかったからである。断るにしてもいろいろ口実はあろうが、そんな高利の金を借りるような人には危なくて御用立出来ないとは、如何にも理路整然としているし、その論理が面白いのである。然し実世間はみなそうしたものであろう。私は自分の迂濶さを笑い、豁然と眼が開けた思いをした。そしてその論理を、いろいろのことに適用してみて、ひとり楽しんだのである。例えば[#「例えば」は底本では「倒えば」]、河に落ちた者から救いを求められる時、河に落っこちるような粗忽な者には危なくて手は差出されぬ、なんかと。
 然るに、数日後、学校の教師をしてる或る友人が来て、是非たのむから、至急二百円ばかり拵えてくれと云うのだった。――母が肺炎で入院したので、その入費にと、学校の相互扶助会みたいなものから、五百円借りることにしていたところ、その月は申込人が多く、而も申込順に依るという規則は如何ともし難く、一ヶ月延びることになった。然し母の方は案外早く回復し、一日も早く退院したがっている。そこで茲に二百円ばかりなければ、母を病院から引取ることが出来ないのだそうである。
 なるほど人はいろいろなことに金がいるものだなと、私はひとり感心しながら、うちしおれてる謹直な教師の友人を眺め、気の毒な思いをしたが、さて処置に困った。彼はうすうす私の状態を知っていて、それほど多くの借金をするくらいだから、二百円ばかりならどうにかなるだろう、と云うのである。これもまた尤もな理窟だ。僕が拵える金は少し利子が高いよと云うと、いくら高くても構わぬとの返事だ。
 そこで私は、一日の猶予を求めておいて、心当りを二ヶ所ほど探ってみた。ところが、どちらにも私自身の不義理があり、先ず御自身の方のことを何とかした後になさいと、意見をされるのがおちだった。
 私は泣く泣く友人に手紙を書いた。書いてるうちに、肚がたってきた。こんなに沢山の借金をしてるのに僅か二百円ばかりの金が出来ないのかと、その論理にひっかかって、癪にさわったのである。それから次に、三千円の話の論理を思い出し、手紙の終りに書き添えた――利子はいくら高くても構わないと、そんなことを云う人は、世間から見れば危険で、この話なかなか困難だろうと。
 私に見境がなく、相手が悪かったのだ。謹直な彼は、私を冷血漢だとひどく憤った。その誤解をとくのには、如何なる借金をするよりも骨が折れたのである。

      三

 私の知ってる或る婦人に、妙な癖をもっているのがある。三十五六歳の中流婦人で、相当の財産と閑暇とを持ち、人柄もよく快活で、顔立も十人並というところ、まあそこいらにざらにある女なのである。ところで、何かのついでに、鼻の話が出ると、彼女はひどく敏感で、即座に片袖で自分の鼻を押え、片手を振って、鼻の話は止めましょうと云うのだ。そのくせ、彼女の鼻はいくらか団子鼻ではあるが、さほど醜いものではない。それを自分ではひどく醜悪だと自信しているらしい、或は鼻で何かよほど不幸な目にあったらしい。――彼女に云わすれば、意志や修養など自分の力ではどうにもならない肉体的欠陥は、当人の前で口にすべきではないのである。
 その婦人が、私にしばしば結婚をすすめた。初めは、私が妻の死後ずっと独身生活を続けているのを見て、勝手な理窟をつけては感心していたのであるが、いつのまにか変節改論して、しきりに結婚をすすめるようになった。それも、結婚なさいというのではなく、私がもう相当な年配のせいか光栄にも、奥さんをお貰いなさいというのであり、遂には、このお嬢さんをお貰いなさいというようになった。
 そのお嬢さんというのが、彼女の遠縁に当る名門の令嬢で、女子大学出身の才媛、勉学のために年は二十七になってるが初婚、持参金十万円近くあるという。ほほうといった気持で私は、彼女が差出す晴れやかな写真を、婦人雑誌の口絵でも眺めるように見やったのである。
 彼女は一週間おきくらいに私の家へやって来て、決心はついたかと促すのである。私の言葉などは全然無視してかかり、早く決心せよと迫るのである。十万円の持参金を貰って、その半分ほど使うつもりで、一二年世界漫遊をなさるもよかろうし、或は落着いて論文を書くなり、「レ・ミゼラブル」のような大作を書くなり、自由になすったらよかろう、ついては一日も早く、形式だけでも見合をなすったら……とそんなことに一人できめてしまった。
 これはとても手におえないと思ったので、私は一つ条件を持出してみた。見合の折に、その令嬢とどんな話をしてもよいかという条件なのである。彼女は即座に承諾した。そして次のような会話がなされたのである。
「私は女の髪が好きなんですが、髪の話をしてもよろしいんですか。」
「ええどうぞ。ウェーヴが、それはきれいですよ。」
「女の眼もいいですね。眼の話をしてもよろしいんですか。」
「ええどうぞ。写真の通り、近代的な美しい眼ですよ。」
「耳の話をしてもよろしいんですか。」
「ええどうぞ。」
「鼻の話をしても……。」
「鼻……。」
 彼女は眼をまんまるくして、いつもの癖で鼻を蔽いかけたが、とたんに私の真意を覚って、すっかり憤慨した……らしかった。そしてその結果は更に私にとって不利となり、令嬢は決して不具でも醜悪でもないという弁明から、押っ被せての結婚話になるのだ。
 私は遂に面倒くさくなり、坐りなおして云った――「それじゃあ、決心しましょう。お嬢さんまで頂戴しては勿体ないから、持参金だけで結構です。」
 これには、彼女もほんとに怒った。私は人の親切を無にする背徳者だということになった。然し今更、私の生活態度や結婚観を述べてみたところで、常識的な彼女に納得のいきそうな筈はない。彼女の機嫌がなおる迄には、可なりの時日を要した。

底本:「豊島与志雄著作集 第六巻(随筆・評論・他)」未来社
   1967(昭和42)年11月10日第1刷発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:門田裕志
2006年4月26日作成
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