わたしは捨て子だった。
でも八つの年まではほかの子どもと同じように、母親があると思っていた。それは、わたしが泣けばきっと一人の女が来て、優しくだきしめてくれたからだ。
その女がねかしつけに来てくれるまで、わたしはけっしてねどこにははいらなかった。冬のあらしがだんごのような雪をふきつけて窓ガラスを白くするじぶんになると、この女の人は両手の間にわたしの足をおさえて、歌を歌いながら暖めてくれた。その歌の節も文句も、いまに忘れずにいる。
わたしが外へ出て雌牛の世話をしているうち、急に夕立がやって来ると、この女はわたしを探しに来て、麻の前かけで頭からすっぽりくるんでくれた。
ときどきわたしは遊び仲間とけんかをする。そういうとき、この女の人はじゅうぶんわたしの言い分を聞いてくれて、たいていの場合、優しいことばでなぐさめてくれるか、わたしの肩をもってくれた。
それやこれやで、わたしに物を言う調子、わたしを見る目つき、あまやかしてくれて、しかるにしても優しくしかる様子から見て、この女の人はほんとうの母親にちがいないと思っていた。
ところでそれがひょんな事情から、この女の人が、じつは養い親でしかなかったということがわかったのだ。
わたしの村、もっと正しく言えばわたしの育てられた村は――というのが、わたしには父親や母親という者がないと同様に、自分の生まれた村というものがなかったのだから――で、とにかくわたしが子どもの時代を過ごした村は、シャヴァノンという村で、それはフランスの中部地方でもいちばんびんぼうな村の一つであった。
なにしろ土地がいたってやせていて、どうにもしようのない場所であった。どこを歩いてみても、すきくわのはいった田畑というものは少なくて、見わたすかぎりヒースやえにしだのほか、ろくにしげるもののない草原で、そのあれ地を行きつくすと、がさがさした砂地の高原で、風にふきたわめられたやせ木立ちが、所どころひょろひょろと、いじけてよじくれたえだをのばしているありさまだった。
そんなわけで、木らしい木を見ようとすると、丘を見捨てて谷間へと下りて行かねばならぬ。その谷川にのぞんだ川べりにはちょっとした牧草もあり、空をつくようなかしの木や、ごつごつしたくりの木がしげっていた。
その谷川の早い瀬の末がロアール川の支流の一つへ流れこんで行く、その岸の小さな家で、わたしは子どもの時代を送った。
八つの年まで、わたしはこの家で男の姿というものを見なかった。そのくせ、『おっかあ』と呼んでいた人はやもめではなかった。夫というのは石工であったが、このへんのたいていの労働者と同様パリへ仕事に行っていて、わたしが物心ついてこのかた、つい一度も帰って来たことはなかった。ただおりふしこの村へ帰って来る仲間の者に、便りをことづけては来た。
「バルブレンのおっかあ、こっちのもたっしゃだよ。相変わらずかせいでいる、よろしく言ってくれと言って、このお金を預けてよこした。数えてみてください」
これだけのことであった。おっかあも、それだけの便りで満足していた。ご亭主がたっしゃでいる、仕事もある、お金がもうかる――と、それだけ聞いて、満足していた。
このご亭主のバルブレンがいつまでもパリへ行っているというので、おかみさんと仲が悪いのだと思ってはならない。こうやって留守にしているのは、なにも気まずいことがあるためではない。パリに滞在しているのは仕事に引き留められているためで、やがて年を取ればまた村へ帰って来て、たんまりかせいで来たお金で、おかみさんと気楽にくらすつもりであった。
十一月のある日のこと、もう日のくれに、見知らない一人の男がかきねの前に立ち止まった。そのときわたしは、門口でそだを折っていた。中にはいろうともしないで、かきねの上からぬっと頭を出してのぞきながら、その男はわたしに、「バルブレンのおっかあのうちはここかね」とたずねた。
わたしは、「おはいんなさい」と言った。
男は門の戸をきいきい言わせながらはいって来て、のっそり、うちの前につっ立った。
こんなよごれくさった男を見たことがなかった。なにしろ、頭のてっぺんから足のつま先まで板を張ったようにどろをかぶっていた。それも半分まだかわききらずにいた。よほど長いあいだ、悪い道をやって来たにちがいない。
話し声を聞いて、バルブレンのおっかあはかけだして来た。そして、この男がしきいに足をかけようとするところへ、ひょっこり顔を出した。
「パリからことづかって来たが」と男は言った。
それはごくなんでもないことばだったし、もうこれまでも何べんとなく、それこそ耳にたこのできるほど聞き慣れたものだったが、どうもそれが『ご亭主はたっしゃでいるよ。相変わらずかせいでいるよ』という、いつものことばとは、なんだかちがっていた。
「おやおや。ジェロームがどうかしましたね」
と、おっかあは両手をもみながら声を立てた。
「ああ、ああ、どうもとんだことでね。ご亭主はけがをしてね。だが気を落としなさんなよ。けがはけがだが命には別状がない。だが、かたわぐらいにはなるかもしれない。いまのところ病院にはいっている。わたしはちょうど病室でとなり合わせて、今度国へ帰るについて、ついでにこれだけの事をことづけてくれとたのまれたのさ。ところで、ゆっくりしてはいられない。まだこれから三里(約十二キロ)も歩かなくてはならないし、もうおそくもなっているからね」
でもおっかあは、もっとくわしい話が開きたいので、ぜひ夕飯を食べて行くようにと言ってたのんだ。道は悪いし、森の中にはおおかみが出るといううわさもある。あしたの朝立つことにしたほうがいい。
男は承知してくれた。そこで炉のすみにすわりこんで、腹いっぱい食べながら、事件のくわしい話をした。バルブレンはくずれた足場の下にしかれて大けがをした。そのくせ、そこはだれも行く用事のない場所であったという証言があったので、建物の請負人は一文の賠償金もしはらわないというのである。
「ご亭主も気のどくな。運が悪かったのよ」
と、男は言った。
「まったく、運が悪かったのよ。世間にはわざとこんなことを種に、しこたませしめるずるい連中もあるのだが、おまえさんのご亭主ときては、一文にもならないのだからな」
「まったく運が悪い」と男はこのことばをくり返しながら、どろでつっぱり返っているズボンをかわかしていた。その口ぶりでは、手足の一本ぐらいたたきつぶされても、お金になればいいというらしかった。
「なんでもこれは、請負人を相手どって裁判所へ持ち出さなければうそだと、おれは勧めておいたよ」
男は話のしまいに、こう言った。
「まあ。でも裁判なんということは、ずいぶんお金の要ることでしょう」
「そうだよ。だが勝てばいいさ」
バルブレンのおっかあは、パリまで出かけて行こうかと思った。でも、それはずいぶんたいへんなことだった。道は遠いし、お金がかかる。
そのあくる朝、わたしは村へ行ってぼうさんに相談した。ぼうさんは、まあ向こうへ行って役に立つかどうか、それがよくわかったうえにしないと、つまらないと言った。それでぼうさんが代筆をして、バルブレンのはいっている慈恵病院の司祭にあてて、手紙を出すことにした。その返事は二、三日して着いたが、バルブレンのおっかあは来るにはおよばない、だが、ご亭主が災難を受けた相手にかけ合うについて、入費のお金を送ってもらいたいというのであった。
それからいく日もいく週間もたった。ときおり手紙が届いて、そのたんびにもっと金を送れ金を送れと言って来る。いちばんおしまいには、これまでの手紙よりまたひどくなって、もう金がないなら、雌牛のルセットを売っても、ぜひ金をこしらえろと言って来た。
いなかで百姓の仲間にはいってくらした者でなければ、『雌牛を売れ』というこのことばに、どんなにつらい、悲しい思いがこもっているかわからない。百姓にとって、雌牛のありがたさは、一とおりのものではなかった。いかほどびんぼうでも、家内が多くても、ともかくも雌牛が飼ってあるあいだは、飢えて死ぬことはないはずだ。
それにうちの雌牛は、なにより仲よしのお友だちであった。わたしたちが話をしたり、その背中をさすってキッスをしてやったりすると、それはよく聞き分けて、優しい目でじっと見た。つまりわたしたちはおたがいに愛し合っていたと言えば、それでじゅうぶんだ。
けれどもいまはその雌牛とも、わたしたちは別れなければならなかった。『雌牛を売る』それでなければ、もうご亭主を満足させることはできなかった。
そこでばくろう(馬売買の商人)がやって来て、細かく雌牛のルセットをいじくり回した。いじくり回しながらしじゅう首をふって、これはまるで役に立たない。乳も出ないしバターも取れないと、さんざんなんくせをつけておいて、つまり引き取るには引き取るが、それもおっかあが正直な、いい人で気のどくだから、引き取ってやるのだというのであった。
かわいそうに、ルセットも、自分がどうされるかさとったもののように、牛小屋から出るのをいやがって鳴き始めた。
「後ろへ回って、たたき出せ」とばくろうはわたしに言って、首の回りにかけていたむちをわたした。
「いいえ、そんなことをしてはいけない」とおっかあはさけんだ。
それでルセットのはづな(馬の口につけて引くつな)をつかまえながら、優しく言った。
「さあ、おまえ出ておくれ。ねえ、いいかい」
ルセットはそれをこばむことができなかった。それで往来へ出ると、ばくろうはルセットを車の後ろにしばりつけた。馬がとことこかけだすと、ルセットはいやでもあとからついて行かなければならなかった。
わたしたちはうちの中にはいったが、しばらくのあいだまだルセットの鳴き声が聞こえていた。
もう乳もなければバターもない。朝は一きれのパン、晩は塩をつけたじゃがいものごちそうであった。
雌牛を売ってから四、五日すると、謝肉祭が来た。一年まえのこの日には、バルブレンのおっかあが、わたしにどら焼きと揚げりんごのごちそうをこしらえてくれた。それでたくさんわたしが食べると、おっかあはごきげんで、にこにこしてくれた。
けれどそのときは揚げ物の衣がパン粉をとかす乳や、揚げ物の油のバターをくれるルセットがいた。
もうルセットもいない、乳もない、バターもない、これでは、謝肉祭もなにもないと、わたしはつまらなそうに独り言を言った。
ところがおっかあはわたしをびっくりさせた。おっかあはいつも人から物を借りることをしない人ではあったが、おとなりへ行って乳を一ぱいもらい、もう一けんからバターを一かたまりもらって来て、わたしがお昼ごろうちへ帰って来ると、おっかあは大きな土なべにパン粉をあけていた。
「おや、パン粉」とわたしはそばへ寄って言った。
「ああ、そうだよ」と、おっかあはにっこりしながら答えた。「上等なパン粉だよ、ご覧、ルミ、いいかおりだろう」
わたしはこのパン粉をなんにするのか知りたいと思ったが、それをおしてたずねる勇気がなかった。それにきょうが謝肉祭だということを思い出させて、おっかあをふゆかいにさせたくなかった。
「パン粉でなにをこさえるのだったけね」とおっかあはわたしの顔を見ながら聞いた。
「パンさ」
「それからほかには」
「パンがゆ」
「それからまだあるだろう」
「だって……ぼく知らないや」
「なあに、おまえは知っていても、かしこい子だからそれを言おうとしないのだよ。きょうが謝肉祭で、どら焼きをこしらえる日だということを知っていても、バターとお乳がないと思って、言いださずにいるのだよ。ねえ、そうだろう」
「だって、おっかあ」
「まあとにかく、きょうのせっかくの謝肉祭を、そんなにつまらなくないようにしたつもりだよ。このはこの中をご覧」
わたしはさっそくふたをあけると、乳とバターと卵と、おまけにりんごが三つ、中にはいっていた。
わたしがりんごをそぐ(小さく切る)と、おっかあは卵を粉に混ぜて衣をしらえ、乳を少しずつ混ぜていた。
衣がすっかり練れると、土なべのまま、熱灰の上にのせた。それでどら焼きが焼け、揚げりんごが揚がるまでには、晩食のときまで待たなければならなかった。正直に言うと、わたしはそれからの一日が、それはそれは待ち遠しくって、何度も、何度も、おさらにかけた布を取ってみた。
「おまえ、衣にかぜをひかしてしまうよ。そうするとうまくふくれないからね」とかの女はさけんだ。けれど、言うそばからそれはずんずんふくれて、小さなあわが上に立ち始めた。卵と乳がぷんとうまそうなにおいを立てた。
「そだを少し持っておいで」とおっかあが言った。「いい火をこしらえよう」
とうとう明かりがついた。
「まきを炉の中へお入れ」
かの女がこのことばを二度とくり返すまでもなく、わたしはさっきからこのことばの出るのをいまかいまかと待ちかまえていたのであった。さっそく赤いほのおがどんどん炉の中に燃え上がり、この光が台所じゅうを明るくした。
そのときおっかあは、揚げなべをくぎから外して火の上にのせた。
「バターをお出し」
ナイフの先でかの女はバターをくるみくらいの大きさに一きれ切ってなべの中へ入れると、じりじりとけ出してあわを立てた。
もうしばらくこのにおいもかがなかった。まあ、そのバターのいいにおいといったら。
わたしがそのじりじりこげるあまい音楽にむちゅうで聞きほれていたとき、裏庭でこつこつ人の歩く足音がした。
せっかくのときにだれがじゃまに来たのだろう。きっとおとなりからまきをもらいに来たのだ。
わたしはそんなことに気を取られるどころではなかった。ちょうどそのときバルブレンのおっかあが、大きな木のさじをはちに入れて、衣を一さじ、おなべの中にあけていたのだもの。
するとだれかつえでことことドアをたたいた。ばたんと戸が開け放された。
「どなただね」とおっかあはふり向きもしないでたずねた。
一人の男がぬっとはいって来た。明るい火の光で、わたしはその男が大きなつえを片わきについているのを見つけた。
「やれやれ、祭りのごちそうか。まあ、やるがいい」とその男はがさつな声で言った。
「おやおやまあ」とバルブレンのおっかあが、あわててさげなべを下に置いてさけんだ。
「まあジェローム、おまえさんだったの」
そのときおっかあはわたしのうでを引っ張って、戸口に立ちはだかったままでいた男の前へ連れて行った。
「おまえのとっつぁんだよ」
養父
おっかあはご亭主にだきついた。わたしもそのあとから同じことをしようとすると、かれはつえをつき出してわたしを止めた。
「なんだ、こいつは……おめえいまなんとか言ったっけな」
「ええ、そう、でも……ほんとうはそうではないけれど……そのわけは……」
「ふん、ほんとうなものか。ほんとうなものか」
かれはつえをふり上げたままわたしのほうへ向かって来た。思わずわたしは後じさりをした。
なにをわたしがしたろう。なんの罪があるというのだ。わたしはただだきつこうとしたのだ。
わたしはおずおずかれの顔を見上げたが、かれはおっかあのほうをふり向いて話をしていた。
「じゃあ感心に謝肉祭のお祝いをするのだな、まあけっこうよ。おれは腹が減っているのだ。晩飯はなんのごちそうだ」とかれは言った。
「どら焼きとりんごの揚げ物をこしらえているところですよ」
「そうらしいて。だが何里も遠道をかけて来た者に、まさかどら焼きでごめんをこうむるつもりではあるまい」
「ほかになんにもないんですよ。なにしろおまえさんが帰るとは思わなかったからね」
「なんだ、なんにもない。夕飯にはなにもないのか」とかれは台所を見回した。
「バターがあるぞ」
かれは天井をあお向いて見た。いつも塩ぶたがかかっていたかぎが目にはいったが、そこにはもう長らくなんにもかかってはいなかった。ただねぎとにんにくが二、三本なわでしばってつるしてあるだけであった。
「ねぎがある」とかれは言って、大きなつえでなわをたたき落とした。「ねぎが四、五本にバターが少しあれば、けっこうなスープができるだろう。どら焼きなぞは下ろして、ねぎをなべでいためろ」
どら焼きをなべから出してしまえというのだ。
でも一言も言わずにバルブレンのおっかあはご亭主の言うとおりに、急いで仕事に取りかかった。ご亭主は炉のすみのいすにこしをかけていた。
わたしはかれがつえの先で追い立てた場所から、そのまま動き得なかった。食卓に背中を向けたまま、わたしはかれの顔を見た。
かれは五十ばかりの意地悪らしい顔つきをした、ごつごつした様子の男であった。その頭はけがをしたため、少し右の肩のほうへ曲がっていた。かたわになったので、よけいこの男の人相を悪くした。
バルブレンのおっかあはまたおなべを火の上にのせた。
「おめえ、それっぱかりのバターでスープをこしらえるつもりか」とかれは言いながら、バターのはいったさらをつかんで、それをみんななべの中へあけてしまった。もうバターはなくなった……それで、もうどら焼きもなくなったのだ。
これがほかの場合だったら、こんな災難に会えば、どんなにくやしかったかしれない。だが、わたしはもうどら焼きもりんごの揚げ物も思わなかった。わたしの心の中にいっぱいになっている考えは、こんなに意地の悪い男が、いったいどうしてわたしの父親だろうかということであった。
「ぼくのとっつぁん」――うっとりとわたしはこのことばを心の中でくり返した。
いったい父親というものはどんなものだろう、それをはっきりと考えたことはなかった。ただぼんやり、それはつまり、母親の声の大きいのくらいに考えていた。ところが、いま天から降って来たこの男を見ると、わたしはひじょうにいやだったし、こわらしかった(おそろしかった)。
わたしがかれにだきつこうとすると、かれはつえでわたしをつきのけた。なぜだ。これがおっかあなら、だきつこうとする者をつきのけるようなことはしなかった。どうして、おっかあはいつだってわたしをしっかりとだきしめてくれた。
「これ、でくのぼうのようにそんな所につっ立っていないで、来て、さらでもならべろ」とかれは言った。
わたしはあわててそのとおりにしようとして、危なくたおれそこなった。スープはでき上がった。バルブレンのおっかあはそれをさらに入れた。
するとかれは炉ばたから立ち上がって、食卓の前にこしをかけて食べ始めた。合い間合い間には、じろじろわたしの顔を見るのであった。わたしはそれが気味が悪くって、食事がのどに通らなかった。わたしも横目でかれを見たが、向こうの目と出会うと、あわてて目をそらしてしまった。
「こいつはいつもこのくらいしか食わないのか」とかれはふいにこうたずねた。
「きっとおなかがいいんですよ」
「しょうがねえやつだなあ。こればかりしかはいらないようじゃあ」
バルブレンのおっかあは話をしたがらない様子であった。あちらこちらと働き回って、ご亭主のお給仕ばかりしていた。
「てめえ、腹は減らねえのか」
「ええ」
「うん、じゃあすぐとこへはいってねろ。ねたらすぐねつけよ。早くしないとひどいぞ」
おっかあはわたしに、なにも言わずに言うとおりにしろと目で知らせた。しかしこの警告を待つまでもなかった。わたしはひと言も口答えをしようとは思わなかった。
たいていのびんぼう人の家がそうであるように、わたしたちの家の台所も、やはり寝部屋をかねていた。炉のそばには食事の道具が残らずあった。食卓もパンのはこもなべも食器だなもあった。そうして、部屋の向こうの角が寝部屋であった。一方の角にバルブレンのおっかあの大きな寝台があった。その向こうの角のくぼんだおし入れのような所にわたしの寝台があって、赤い模様のカーテンがかかっていた。
わたしは急いでねまきに着かえて、ねどこにもぐりこんだ。けれど、とても目がくっつくものではなかった。わたしはひどくおどかされて、ひじょうにふゆかいであった。
どうしてこの男がわたしのとっつぁんだろう。ほんとうにそうだったら、なぜ人をこんなにひどくあつかうのだろう。
わたしは鼻をかべにつけたまま、こんなことを考えるのはきれいにやめて、言いつかったとおり、すぐねむろうと骨を折ったがだめだった。まるで目がさえてねつかれない。こんなに目のさえたことはなかった。
どのくらいたったかわからないが、しばらくしてだれかがわたしの寝台のそばに寄って来た。そろそろと引きずるような重苦しい足音で、それがおっかあでないということはすぐにわかった。
わたしはほおの上に温かい息を感じた。
「てめえ、もうねむったのか」とするどい声が言った。
わたしは返事をしないようにした。「ひどいぞ」と言ったおそろしいことばが、まだ耳の中でがんがん聞こえていた。
「ねむっているんですよ」とおっかあが言った。「あの子はとこにはいるとすぐに目がくっつくのだから、だいじょうぶなにを言っても聞こえやしませんよ」
わたしはむろん、「いいえ、ねむっていません」と言わねばならないはずであったが、言えなかった。わたしはねむれと言いつけられた。それをまだねむらずにいた。わたしが悪かった。
「それでおまえさん、裁判のほうはどうなったの」とおっかあが言った。
「だめよ。裁判所ではおれが足場の下にいたのが悪いと言うのだ」そう言ってかれはこぶしで食卓をごつんと打って、なんだかわけのわからないことを言って、しきりにののしっていた。
「裁判には負けるし、金はなくなるし、かたわにはなるし、びんぼうがじろじろ面をねめつけて(にらみつけて)いる。それだけでもまだ足りねえつもりか、うちへ帰って来ればがきがいる。なぜおれが言ったとおりにしなかったのだ」
「でもできなかったもの」
「孤児院へ連れて行くことができなかったのか」
「だってあんな小さな子を捨てることはできないよ。自分の乳で育ててかわいくなっているのだもの」
「あいつはてめえの子じゃあねえのだ」
「そうさ。わたしもおまえさんの言うとおりにしようと思ったのだけれど、ちょうどそのとき、あの子が加減が悪くなったので」
「加減が悪く」
「ああ、だからどうにもあすこへ連れては行けなかったのだよ。死んだかもしれないからねえ」
「だがよくなってから、どうした」
「ええ、すぐにはよくならなかったしね、やっといいと思うと、また病気になったりしたものだから。かわいそうにそれはひどくせきをして、聞いていられないようだった。うちのニコラぼうもそんなふうにして死んだのだからねえ。わたしがこの子を孤児院に送ればやっぱり死んだかもしれないよ」
「だが……あとでは」
「ああ、だんだんそのうちに時がたって、延び延びになってしまったのだよ」
「いったいいくつになったのだ」
「八つさ」
「うん、そうか。じやあ、これからでもいいや。どうせもっと早く行くはずだったのだ。だが、いまじゃあ行くのもいやがるだろう」
「まあ、ジェローム、おまえさん、いけない……そんなことはしないでおくれ」
「いけない、なにがいけないのだ。いつまでもああしてうちに置けると思うか」
しばらく二人ともだまり返った。わたしは息もできなかった。のどの中にかたまりができたようであった。
しばらくして.バルブレンのおっかあが言った。
「まあ、パリへ出て、おまえさんもずいぶん人が変わったねえ。おまえさん、行くまえにはそんなことは言わない人だったがねえ」
「そうだったかもしれない。だが、パリへ行っておれの人が変わったかしれないが、そこはおれを半殺しにもした。おれはもう働くことはできない。もう金はない。牛は売ってしまった。おれたちの口をぬらすことさえおぼつかないのに、おたがいの子でもないがきを養うことができるか」
「あの子はわたしの子だよ」
「あいつはおれの子でもないが、きさまの子でもないぞ。それにぜんたい百姓の子どもじゃあない。びんぼう人の子どもじゃあない。きゃしゃすぎて物もろくに食えないし、手足もあれじゃあ働けない」
「あの子は村でいちばん器量よしの子どもだよ」
「器量がよくないとは言いやしない。だがじょうぶな子ではないと言うのだ。あんなひょろひょろした肩をしたこぞうが労働者になれると思うか。ありゃあ町の子どもだ。町の子どもを置く席はないのだ」
「いいえ、あの子はいい子ですよ。りこうで、物がわかって、それで優しいのだから、あの子はわたしたちのために働いてくれますよ」
「だが、さし当たりは、おれたちがあいつのために働いてやらなければならない。それはまっぴらだ」
「もしかあの子のふた親が引き取りに来たらどうします」
「あいつのふた親だと。いったいあいつにはふた親があったのか。あればいままでに訪ねて来そうなものだ。あいつのふた親が訪ねて来て、これまでの養育料をはらって行くなどと考えたのが、ずいぶんばかげきっていた。気ちがいじみていた。あの子がレースのへりつきのやわらかい産着を着ていたからといって、ふた親があいつを訪ねに来ると思うことができるか。それに、もう死んでいるのだ。きっと」
「いいや、そんなことはない。いつか訪ねて来るかもしれない……」
「女というやつはなかなか強情なものだなあ」
「でも訪ねて来たら」
「ふん、そうなりゃ孤児院へ差し向けてやる。だがもう話はたくさんだ。おれはあしたは村長さんの所へあいつを連れて行って相談する。今夜はこれからフランスアの所へ行って来る。一時間ばかりしたら帰って来るからな」
そのあいだにわたしはさっそく寝台の上で起き上がって、おっかあを呼んだ。
「ねえ、おっかあ」
かの女はわたしの寝台のほうへかけてやって来た。
「ぼくを孤児院へやるの」
「いいえ、ルミぼう、そんなことはないよ」
かの女はわたしにキッスをして、しっかりとうでにだきしめた。そうするとわたしもうれしくなって、ほおの上のなみだがかわいた。
「じゃあおまえ、ねむってはいなかったのだね」とかの女は優しくたずねた。
「ぼく、わざとしたんじゃないから」
「わたしは、おまえをしかっているのではない。じゃあ、あの人の言ったことを聞いたろうねえ」
「ええ、あなたはぼくのおっかあではないんだって……そしてあの人もぼくのとっつぁんではないんだって」
このあとのことばを、わたしは同じ調子では言わなかった。なぜというと、この婦人がわたしの母親でないことを知ったのは情けなかったが、同時にあの男が父親でないことがわかったのは、なんだか得意でうれしかった。このわたしの心の中の矛盾はおのずと声に現れたが、おっかあはそれに気がつかないらしかった。
「まあわたしはおまえにほんとうのことを言わなければならないはずであったけれど、おまえがあまりわたしの子どもになりすぎたものだから、ついほんとうの母親でないとは言いだしにくかったのだよ。おまえ、ジェロームの言ったことをお聞きだったろう。あの人がおまえをある日パリのブルチュイー町の並木通りで拾って来たのだよ。二月の朝早くのことで、あの人が仕事に出かけようとするとちゅうで、赤んぼうの泣き声を聞いて、おまえをある庭の門口で拾って来たのだ。あの人はだれか人を呼ぼうと思って見回しながら、声をかけると、一人の男が木のかげから出て来て、あわててにげ出したそうだよ。おまえ[#「おまえ」は底本では「おえ」]を捨てた男が、だれか拾うか見届けていたとみえる。おまえがそのとき、だれか拾ってくれる人が来たと感じたものか、あんまりひどく泣くものだから、ジェロームもそのまま捨てても帰れなかった。それでどうしようかとあの人も困っていると、ほかの職人たちも寄って来て、みんなはおまえを警察へ届けることに相談を決めた。おまえはいつまでも泣きやまなかった。かわいそうに寒かったにちがいない。けれど、それから警察へ連れて行って、暖かくしてあげてもまだ泣いていた。それで今度はおなかが減っているのだろうというので、近所のおかみさんをたのんで乳を飲ました。まあ、まったくおなかが減っていたのだよ。
やっとおなかがいっぱいになると、みんなは炉の前へ連れて行って、着物をぬがしてみると、なにしろきれいなうすもも色をした子どもで、りっぱな産着にくるまっていた。警部さんは、こりゃありっぱなうちの子をぬすんで捨てたものだと言って、その着物の細かいこと、子どもの様子などをいちいち書き留めて、いつどういうふうにして拾い上げたかということまで書き入れた。それでだれか世話をする者がなければ、さしずめ孤児院へやらなければなるまいが、こんなりっぱなしっかりした子どもだ、これを育てるのはむずかしくはない。両親もそのうちきっと探しに来るだろう。探し当てればじゅうぶんのお礼もするだろうから、と署長さんがお言いなすった。このことばにひかれて、ジェロームはわたしが引き取りましょうと言ったのだよ。ちょうどそのじぶん、わたしは同い年の赤んぼうを持っていたから、二人の子どもを楽に育てることができた。ねえ、そういうわけで、わたしがおまえのおっかあになったのだよ」
「まあ、おっかあ」
「ああ、ああ、それで三月目の末にわたしは自分の子どもを亡くした。そこでわたしはいよいよおまえがかわいくなって、もう他人の子だなんという気がしなくなりました。でもジェロームは相変わらずそれを忘れないでいて、三年目の末になっても、両親が引き取りに来ないというので、もうおまえを孤児院へやると言って聞かないので困ったよ。だからなぜわたしがあの人の言うとおりにしなかった、と言われていたのをお聞きだったろう」
「まあ、ぼくを孤児院へなんかやらないでください」とわたしはさけんで、かの女にかじりついた。
「どうぞどうぞおっかあ、後生だから孤児院へやらないでください」
「いいえ、おまえ、どうしてやるものか、わたしがよくするからね。ジェロームはそんなにいけない人ではないのだよ。あの人はあんまり苦労をたくさんして、気むずかしくなっているだけなのだからね。まあ、わたしたちはせっせと働きましょう。おまえも働くのだよ」
「ええ、ええ、ぼくはしろということはなんでもきっとしますから、孤児院へだけはやらないでください」
「おお、おお、それはやりはしないから、その代わりすぐねむると言ってやくそくをおし。あの人が帰って来て、おまえの起きているところを見るといけないからね」
おっかあはわたしにキッスして、かべのほうへわたしの顔を向けた。
わたしはねむろうと思ったけれども、あんまりひどく感動させられたので、静かにねむりの国にはいることができなかった。
じゃあ、あれほど優しいバルブレンのおっかあは、わたしのほんとうの母さんではなかったのか。するといったいほんとうの母さんはだれだろう。いまの母さんよりもっと優しい人かしら。どうしてそんなはずがありそうもない。
だがほんとうの父さんなら、あのバルブレンのように、こわい目でにらみつけたり、わたしにつえをふり上げたりしやしないだろうと思った……。
あの男はわたしを孤児院へやろうとしている。母さんにはほんとうにそれを引き止める力があるだろうか。
この村に二人、孤児院から来た子どもがあった。この子たちは、『孤児院の子』と呼ばれていた。首の回りに番号のはいった鉛の札をぶら下げていた。ひどいみなりをして、よごれくさっていた。ほかの子たちがみんなでからかって、石をぶつけたり、迷い犬を追って遊ぶように追い回したりした。迷い犬にだれも加勢する者がないのだ。
ああ、わたしはそういう子どものようになりたくない。首の回りに番号札を下げられたくない。わたしの歩いて行くあとから、『やいやい孤児院のがき、やいやい捨て子』と言ってののしられたくない。
それを考えただけでも、ぞっと寒気がして、歯ががたがた鳴りだす。わたしはねむることができなかった。やがてバルブレンも、また帰って来るだろう。
でも幸せと、ずっとおそくまでかれは帰って来なかった。そのうちにわたしもとろろとねむ気がさして来た。
ヴィタリス親方の一座
その晩一晩、きっと孤児院へ連れて行かれたゆめばかりを見ていたにちがいない。朝早く目を開いても、自分がいつもの寝台にねているような気がしなかった。わたしは目が覚めるとさっそく寝台にさわったり、そこらを見回したり、いろいろ試してみた。ああ、そうだ、わたしはやはりバルブレンのおっかあのうちにいた。
バルブレンはその朝じゅう、なにもわたしに言わなかった。わたしはかれがもう孤児院へやる考えを捨てたのだと思うようになった。きっとバルブレンのおっかあが、あくまでわたしをうちに置くことに決めたのであろう。
けれどもお昼ごろになると、バルブレンがわたしに、ぼうしをかぶってついて来いと言った。
わたしは目つきで母さんに救いを求めてみた。かの女もご亭主に気がつかないようにして、いっしょに行けと目くばせした。わたしは従った。かの女は行きがけにわたしの肩をたたいて、なにも心配することはないからと知らせた。
なにも言わずにわたしはかれについて行った。
うちから村まではちょっと一時間の道であった。そのとちゅう、バルブレンはひと言もわたしに口をきかなかった。かれはびっこ引き引き歩いて行った。おりふしふり返って、わたしがついて来るかどうか見ようとした。
どこへいったいわたしを連れて行くつもりであろう。
わたしは心の中でたびたびこの疑問をくり返してみた。バルブレンのおっかあがいくらだいじょうぶだと目くばせして見せてくれても、わたしにはなにか一大事が起こりそうな気がしてならないので、どうしてにげ出そうかと考えた。
わたしはわざとのろのろ歩いて、バルブレンにつかまらないようにはなれていて、いざとなればほりの中にでもとびこもうと思った。
はじめはかれも、あとからわたしがとことこついて来るのて、安心していたらしかった。けれどもまもなく、かれはわたしの心の中を見破ったらしく、いきなりわたしのうで首をとらえた。
わたしはいやでもいっしょにくっついて歩かなければならなかった。
そんなふうにして、わたしたちは村にはいった。すれちがう人がみんなふり返って目を丸くした。それはまるで、山犬がつなで引かれて行くていさいであった。
わたしたちが村の居酒屋の前を通ると、入口に立っていた男がバルブレンに声をかけて、中にはいれと言った。バルブレンはわたしの耳を引っ張って、先にわたしを中へつっこんでおいて、自分もあとからはいって、ドアをぴしゃりと立てた。
わたしはほっとした。
そこは危険な場所とは思われなかった。それに先からわたしは、この中がいったいどんな様子になっているのだろうと思っていた。
旅館御料理カフェー・ノートルダーム。中はどんなにきれいだろう。よく赤い顔をした人がよろよろ中から出て来るのをわたしは見た。表のガラス戸は歌を歌う声や話し声で、いつもがたがたふるえていた。この赤いカーテンの後ろにはどんなものがあるのだろうと、いつもふしぎに思っていた。それをいま見ようというのである……
バルブレンはいま声をかけた亭主と、食卓に向かい合ってこしをかけた。わたしは炉ばたにこしをかけてそこらを見回した。
わたしのいたすぐ向こうのすみには、白いひげを長く生やした背の高い老人がいた。かれはきみょうな着物を着ていた。わたしはまだこんな様子の人を見たことがなかった。
長い髪の毛をふっさりと肩まで垂らして、緑と赤の羽根でかざったねずみ色の高いフェルト帽をかぶっていた。ひつじの毛皮の毛のほうを中に返して、すっかりからだに着こんでいた。その毛皮服にはそではなかったが、肩の所に二つ大きな穴をあけて、そこから、もとは録色だったはずのビロードのそでをぬっと出していた。ひつじの毛のゲートルをひざまでつけて、それをおさえるために、赤いリボンをぐるぐる足に巻きつけていた。
かれは長ながといすの上に横になって、下あごを左の手に支えて、そのひじを曲げたひざの上にのせていた。
わたしは生きた人で、こんな静かな落ち着いた様子の人を見たことがなかった。まるで村のお寺の聖徒の像のようであった。
老人の回りには三びきの犬が、固まってねていた。白いちぢれ毛のむく犬と、黒い毛深いむく犬、それにおとなしそうなくりくりした様子の灰色の雌犬が一ぴき。白いむく犬は巡査のかぶる古いかぶと帽をかぶって、皮のひもをあごの下に結えつけていた。
わたしがふしぎそうな顔をしてこの老人を見つめているあいだに、バルブレンと居酒屋の亭主は低い声でこそこそ話をしていた。わたしのことを話しているのだということがわかった。
バルブレンはわたしをこれから村長のうちへ連れて行って、村長から孤児院に向かって、わたしをうちへ置く代わりに養育料が請求してもらうつもりだと言った。
これだけを、やっとあの気のどくなバルブレンのおっかあが夫に説いて承諾させたのであった。けれどわたしは、そうしてバルブレンがいくらかでも金がもらえれば、もうなにも心配することはないと思っていた。
その老人はいつかすっかりわきで聞いていたとみえて、いきなりわたしのほうに指さしして、耳立つほどの外国なまりでバルブレンに話しかけた。
「その子どもがおまえさんのやっかい者なのかね」
「そうだよ」
「それでおまえさんは孤児院が養育料をしはらうと思っているのかね」
「そうとも。この子は両親がなくって、そのためにおれはずいぶん金を使わされた。お上からいくらでもはらってもらうのは当たり前だ」
「それはそうでないとは言わない。だが、物は正しいからといってきっとそれが通るものとはかぎらない」
「それはそうさ」
「それそのとおり。だからおまえさんが望んでおいでのものも、すらすらと手にはいろうとはわたしには思えないのだ」
「じゃあ孤児院へやってしまうだけだ。こちらで養いたくないものを、なんでも養えという法律はないのだ」
「でもおまえさんははじめにあの子を養いますといって引き受けたのだから、そのやくそくは守らなければならない」
「ふん、おれはこの子を養いたくないのだ。だからどのみちどこへでもやっかいばらいをするつもりでいる」
「さあ、そこで話だが、やっかいばらいをするにも、手近なしかたがあると思う」老人はしばらく考えて、「おまけに少しは金にもなるしかたがある」と言った。
「そのしかたを教えてくれれば、おれは一ぱい買うよ」
「じゃあさっそく一ぱい買うさ。もう相談は決まったから」
「だいじょうぶかえ」
「だいじょうぶよ」
老人は立ち上がって、バルブレンの向こうに席をしめた。ふしぎなことには、老人が立ち上がると、ひつじの毛皮服がむずむず動いて、むっくり高くなった。たぶん、もう一ぴき犬をうでの下にかかえているのだとわたしは思った。
この人たちは、いったいわたしをどうしようというのだろう。わたしの心臓がまたはげしく打ち始めた。わたしはちっとも老人から目をはなすことができなかった。
「おまえさんはこの子のためにだれか金を出さない以上、自分のうちに置いて養っていることはいやだという、それにちがいないのだろう」
「それはそのとおりだ……そのわけは……」
「いや、わけはどうでもよろしい。それはわたしにかかわったことではない。それでもうこの子が要らないというのなら、すぐわたしにください。わたしが引き受けようじゃないか」
「おや、おまえさんはこの子を引き受けると言うのかね」
「だっておまえさんはこの子をほうり出したいんだろう」
「おまえさんにこんなきれいな子をやるのかえ。この子は村でもいちばんかわいい子だ。よく見てくれ」
「よく見ているよ」
「ルミ、ここへ来い」
わたしは食卓に進み寄った。ひざはふるえていた。
「これこれぼうや、こわがることはないよ」と老人は言った。
「さあ、よく見てくれ」とバルブレンは言った。
「わたしはこの子をいやな子だとは言いやしない。またそれならば欲しいとも言わない。こっちは化け物は欲しくはないのだ」
「いやはや、こいつがいっそ二つ頭の化け物か、または一寸法師ででもあったなら……」
「だいじにして孤児院にやりはしないだろう。香具師に売っても見世物に出しても、その化け物のおかげでお金もうけができようさ。だが子どもは一寸法師でもなければ、化け物でもない。だから見世物にすることはできない。この子はほかの子どもと同じようにできている。なんの役にも立たない」
「仕事はできるよ」
「いや、あまりじょうぶではないからなあ」
「じょうぶでないと、とんでもない話だ。……だれにだって負けはしないのだ。あの足を見なさい。あのとおりしっかりしている。あれよりすらりとした足を見たことがあるかい……」
バルブレンはわたしのズボンをまくり上げた。
「やせすぎている」と老人は言った。
「それからうでを見ろ」とバルブレンは続けた。
「うでも同様だ。――まあこれでもいいが、苦しいことや、つらいことにはたえられそうもない」
「なに、たえられない。ふん、手でさわって調べてみるがいい」
老人はやせこけた手で、わたしの足にさわってみながら、頭をふったり、顔をしかめたりした。
このまえ、ばくろうが来たときも、こんなふうであったことを、わたしは見て知っていた。その男もやはり牛のからだを手でさわったりつねったりしてみて、頭をふった。この牛はろくでもない牛だ、とても売り物にはならない、などと言ったが、でも牛を買って連れて行った。
この老人もたぶんわたしを買って連れて行くだろう。ああバルブレンのおっかあ。バルブレンのおっかあ。
不幸にもここにはおっかあはいなかった。だれもわたしの味方になってくれる者がなかった。
わたしが思い切った子なら、なあにきのうはバルブレンも、わたしを弱い子で、手足がか細くて役に立たぬと非難したのではないかと言ってやるところであった。でもそんなことを言ったら、どなりつけられて、げんこをいただくに決まっているから、わたしはなにも言わなかった。
「まあつまり当たり前の子どもさね。それはそうだが、やはり町の子だよ。百姓仕事にはたしかに向いてはいないようだ。試しに畑をやらしてごらん、どれほど続くかさ」
「十年は続くよ」
「なあにひと月も続くものか」
「まあ、このとおりだ。よく見てくれ」
わたしは食卓のはしの、ちょうどバルブレンと老人の間にすわっていたものだから、あっちへつかれ、こっちへおされて、いいようにこづき回された。
「さあ、まずこれだけの子どもとして」と老人は最後に言った。「つまりわたしが引き受けることにしよう。もちろん買い切るのではない、ただ借りるのだ。その借り賃に年に二十フラン出すことにしよう」
「たった二十フラン」
「どうして高すぎると思うよ。それも前ばらいにするからね。ほんとうの金貨を四枚にぎったうえに、やっかいばらいができるのだからね」と老人は言った。
「だがこの子をうちに置けば、孤児院から毎月十フランずつくれるからな」
「まあくれてもせいぜい七フランか十フランだね。それはよくわかっているよ。だがその代わり食べさせなければならないからね」
「その代わり働きもするさ」
「おまえさんがほんとにこの子が働けると思うなら、なにも追い出したがることはないだろう。ぜんたい捨て子を引き取るというのは、その養育料をはらってもらうためではない、働かせるためなのだ。それから金を取り上げこそすれ、給金なしの下男下女に使うのだ。だからそれだけの役に立つものなら、おまえさんはこの子をうちに置くところなのだ」
「とにかく、毎月十フランはもらえるのだから」
「だが孤児院で、いや、そんならこの子はおまえさんには預けない、ほかへ預けると言ったらどうします。つまりなんにもおまえさんは取れないではないか。わたしのほうにすればそこは確かだ。おまえさんの苦労はただ金を受け取るために、手を出しさえすればいいのだ」
老人はかくしを探って、なめし皮の財布を引き出した。その中から四枚、金貨をつかみ出して、食卓の上にならべ、わざとらしくチャラチャラ音をさせた。
「だが待てよ」とバルブレンが言った。「いつかこの子のふた親が出てくるかもしれない」
「それはかまわないじゃないか」
「いや、育てた者の身になればなにもかまわなくはないさ。またそれを思わなければ、初めっからだれが世話をするものか」
「それを思わなければ初めっからだれが世話をするものか」――このことばで、わたしはいよいよバルブレンがきらいになった。なんという悪い人間だろう。
「なるほど、だがこの子のふた親がもう出て来ないだろうとあきらめたからこそ、おまえさんもこの子をほうり出そうと言うのだろう。ところで、どうかしたひょうしでこののちそのふた親が出て来たとして、それはおまえさんの所へこそまっすぐに行こうが、わたしの所へは来ないだろう。だれもわたしを知らないのだから」と老人は言った。
「でもおまえさんがそのふた親を見つけ出したらどうする」
「なるほどそういう場合には、わたしたちで利益を分けるのだね。ところで、ひとつ、きばってさしあたり三十フラン分けてあげようよ」
「四十フランにしてもらおう」
「いいや、この子の使い道はそこいらが相応な値段だ」
「おまえさん、この子をなんに使おうというのだ。足といえばこのとおりしっかりしたいい足をしているし、うでといえばこのとおりりっぱないいうでをしている。いま言ったことをどこまでもくり返して言うが、この子をいったいどうしようというのだ」
そのとき老人はあざけるようにバルブレンの顔を見て、それからちびちびコップを干した。
「つまりわたしの相手になってもらうのだ。わたしは年を取ってきたし、夜なんぞはまことにさびしくなった。くたびれたときなんぞ、子どもがそばにいてくれるといいおとぎになるのだ」
「なるほど、それにはこの子の足はじゅうぶんたっしゃだから」
「おお、それだけではだめだ。この子はまたおどりをおどって、はね回って、遠い道を歩かなければならない。つまりこの子はヴィタリス親方の一座の役者になるのだ」
「その一座はどこにある」
「もうご推察あろうが、そのヴィタリス親方はわたしだ。さっそくここで一座をお目にかけよう」
こう言ってかれはひつじの毛皮服のふところを開けて、左のうでにおさえていたきみょうな動物を引き出した。それが、さっきからたびたび毛皮を下から持ち上げた動物であったのだ。だがそれは想像したように、犬ではなかった。
わたしはこのきみょうな動物を生まれて初めて見たとき、なんと名のつけようもなかった。
わたしはびっくりしてながめていた。
それは金筋をぬいつけた赤い服を着ていたが、うでと足はむき出しのままであった。実際それは人間と同じうでと足で、前足ではなかった。黒い毛むくじゃらの皮をかぶっていて、白くももも色でもなかった。にぎりこぶしぐらいの大きさの黒い頭をして、縦につまった顔をしていた。横へ向いた鼻の穴が開いていて、くちびるが黄色かった。けれどもとりわけわたしをおどろかしたのは、くちゃくちゃとくっついている二つの目で、それは鏡のようにぴかぴかと光った。
「いやあ、みっともないさるだな」とバルブレンがさけんだ。
ああ、さるか。わたしはいよいよ大きな目を開いた。それではこれがさるであったのか。わたしはまださるを見たことはなかったが、話には聞いていた。じゃあこの子どものようなちっぽけな動物が、さるだったのか。
「さあ、これが一座の花形で」とヴィタリス親方が言った。「すなわちジョリクール君であります。さあさあジョリクール君」と動物のほうを向いて、「お客さまにおじぎをしないか」
さるは指をくちびるに当てて、わたしたちに一人一人キッスをあたえるまねをした。
「さて」とヴィタリスはことばを続けて、白のむく犬のほうに手をさしのべた。「つぎはカピ親方が、ご臨席の貴賓諸君に一座のものをご紹介申しあげる光栄を有せられるでしょう」
このまぎわまでぴくりとも動かなかった白のむく犬が、さっそくとび上がって、後足で立ちながら、前足を胸の上で十文字に組んで、まず主人に向かってていねいにおじきをすると、かぶっている巡査のかぶと帽が地べたについた。
敬礼がすむとかれは仲間のほうを向いて、かたっぽの前足でやはり胸をおさえながら、片足をさしのべて、みんなそばに寄るように合図をした。
白犬のすることをじっと見つめていた二ひきの犬は、すぐに立ち上がって、おたがいに前足を取り合って、交際社会(社交界)の人たちがするように厳かに六歩前へ進み、また三足あとへもどつて、代わりばんこにご臨席の貴賓諸君に向かっておじぎをした。
そのときヴィタリス親方が言った。
「この犬の名をカピと言うのは、イタリア語のカピターノをつめたので、犬の中の頭ということです。いちばんかしこくって、わたしの命令を代わってほかのものに伝えます。その黒いむく毛の若いハイカラさんは、ゼルビノ侯ですが、これは優美という意味で、よく様子をご覧なさい、いかにもその名前のとおりだ。さてあのおしとやかなふうをした歌い雌犬はドルス夫人です。あの子はイギリス種で、名前はあの子の優しい気だてにちなんだものだ。こういうりっぱな芸人ぞろいで、わたしは国じゅうを流して回ってくらしを立てている。いいこともあれば悪いこともある、まあ何事もそのときどきの回り合わせさ。おおカピ……」
カピと呼ばれた犬は前足を十文字に組んだ。
「カピ、あなた、ここへ来て、ぎょうぎのいいところをお目にかけてください。わたしはこの貴人たちにいつもていねいなことばを使っています――さあ、この玉のような丸い目をしてあなたを見てござる小さいお子さんに、いまは何時だか教えてあげてください」
カピは前足をほどいて、主人のそばへ行って、ひつじの毛皮服のふところを開け、そのかくしを探って大きな銀時計を取り出した。かれはしばらく時計をながめて、それから二声しっかり高く、ワンワンとほえた。それから、今度は三つ小声でちょいとほえた。時間は二時四十五分であった。
「はいはい、よくできました」とヴィタリスは言った。「ありがとうございます、カピさん。それで今度は、ドルス夫人になわとびおどりをお願いしてもらいましょうか」
カピはまた主人のかくしを探って一本のつなを出し、軽くゼルビノに合図をすると、ゼルビノはすぐにかれの真向かいに座をしめた。カピがなわのはしをほうってやると、二ひきの犬はひどくまじめくさって、それを回し始めた。
つなの運動が規則正しくなったとき、ドルスは輪の中にとびこんで、優しい目で主人を見ながら軽快にとんだ。
「このとおりずいぶんりこうです」と老人は言った。「それも比べるものができるとなおさらりこうが目立って見える。たとえばここにあれらと仲間になって、ばかの役を務める者があれば、いっそうそれらの値打ちがわかるのだ。そこでわたしはおまえさんのこの子どもが欲しいというのだ。あの子にばかの役を務めてもらって、いよいよ犬たちのりこうを目立たせるようにするのだ」
「へえ、この子がばかを務めるのかね」とバルブレンが口を入れた。
老人は言った。「ばかの役を務めるには、それだけりこうな人間が入りようなのだ。この子なら少ししこめばやってのけよう。さっそく試してみることにします。この子がじゅうぶんりこうな子なら、わたしといっしょにいればこの国ばかりか、ほかの国ぐにまで見て歩けることがわかるはずだ。だがこのままこの村にいたのでは、せいぜい朝から晩まで同じ牧場で牛やひつじの番人をするだけだ。この子がわからない子だったら、泣いてじだんだをふむだろう。そうすればわたしは連れては行かない。それで孤児院に送られて、ひどく働かされて、ろくろく食べる物も食べられないだろう」
わたしも、そのくらいのことがわかるだけにはかしこかった。それにこの親方のお弟子たちはとぼけていてなかなかおもしろい。あれらといっしょに旅をするのは、ゆかいだろう。だがバルブレンのおっかあは……おっかあに別れるのはつらいなあ……
でもそれをいやだと言ってみたところで、バルブレンのおっかあとこの先いることはできない。やはり孤児院に送られなければならない。
わたしはほんとに情けなくなって、目にいっぱいなみだをうかべていた。するとヴィタリス老人が軽くなみだの流れ出したほおをつついた。
「ははあおこぞうさん、大さわぎをやらないのはわけがわかっているのだな。小さい胸で思案をしているのだな。それであしたは……」
「ああ、おじさん、どうぞぼくをおっかあの所へ置いてください。どうぞ置いてください」とわたしはさけんだ。
カピが大きな声でほえたので、じゃまされてわたしはそれから先が言えなかった。そのとたん犬はジョリクールのすわっていた食卓のほうへとび上がった。例のさるはみんながわたしのことで気を取られているすきをねらって、す早く酒をいっぱいついである主人のコップをつかんで、飲み干そうとしたのだ。けれどもカピは目早くそれを見つけて止めたのであった。
「ジョリクールさん」とヴィタリスが厳しい声で言った。「あなたは食いしんぼうのうえにどろぼうです。あそこのすみに行ってかべのほうを向いていなさい。ゼルビノさん、あなたは番をしておいでなさい。動いたらぶっておやり。さてカピさん、あなたはいい犬です。前足をお出しなさい。握手をしましょう」
さるは息づまったような鳴き声を出して、すごすごすみのほうへ行った。幸せな犬は得意な顔をして前足を主人に出した。
「さて」と老人はことばをついで、「先刻の話にもどりましょう。ではこの子に三十フラン出すことにしよう」
「いや、四十フランだ」
そこでおし問答が始まった。だが老人はまもなくやめて、「子どもにはおもしろくない話です。外へ出て遊ばせてやるがよろしい」と言った。そうしてバルブレンに目くばせをした。
「よし、じゃあ裏へ行っていろ。だがにげるな。にげるとひどい目に会わせるから」
バルブレンがこう言うと、わたしはそのとおりにするほかはなかった。それで裏庭へ出るには出たが、遊ぶ気にはなれない。大きな石にこしをかけて考えこんでいた。
あの人たちはわたしのことを相談している。どうするつもりだろう。
心配なのと寒いのとでわたしはふるえていた。二人は長いあいだ話していた。わたしはすわって待っていたが、かれこれ一時間もたってバルブレンが裏へ出て来た。
かれは一人であった。あのじいさんにわたしを手わたすつもりで連れて来たのだな。
「さあ帰るのだ」とかれは言った。
なに、うちへ帰る。――そうするとバルブレンのおっかあに別れないでもすむのかな。
わたしはそう言ってたずねたかったけれども、かれがひどくきげんが悪そうなのでえんりょした。
それで……だまってうちのほうへ歩いた。
けれどもうちまで行き着くまえに、先に立って歩いていたバルブレンはふいに立ち止まった。そうして乱暴にわたしの耳をつかみながらこう言った。
「いいかきさま、ひと言でもきょう聞いたことをしゃべったらひどい目に会わせるから。わかったか」
おっかあの家
「おや」とバルブレンのおっかあはわたしたちを見て言った。「村長さんはなんと言いましたえ」
「会わなかったよ」
「どうして会わなかったのさ」
「うん、おれはノートルダームで友だちに会った。外へ出るともうおそくなった。だからあしたまた行くことにした」
それではバルブレンは犬を連れたじいさんと取り引きをすることはやめたとみえる。
うちへ帰える道みちもわたしはこれがこの男の手ではないかと疑っていたが、いまのことばでその疑いは消えて、ひとまず心が落ち着いた。またあした村へ行って村長さんを訪ねるというのでは、きっとじいさんとのやくそくはできなかったにちがいない。
バルブレンにはいくらおどかされても、わたしは一人にさえなったら、おっかあにきょうの話をしようと思っていたが、とうとうバルブレンはその晩一晩じゅううちをはなれないので話す機会がなかった。
すごすごねどこにもぐりながら、あしたは話してみようと思っていた。
けれどそのあくる日起き上がると、おっかあの姿が見えない。わたしがそのあとを追ってうちじゅうをくるくる回っているのを見て、なにをしているとバルブレンは聞いた。
「おっかあ」
「ああ、それなら村へ行った。昼過ぎでなければ帰るものか」
おっかあはまえの晩、村へ行く話はしなかった。それでなぜというわけはないが、わたしは心配になってきた。わたしたちが昼過ぎから出かけるというのに、どうして待っていないのだろう。わたしたちの出かけるまえにおっかあは帰って来るかしらん。
なぜというしっかりしたわけはないのだが、わたしはたいへんおどおどしだした。
バルブレンの顔を見るとよけいに心配が積もるばかりであった。その目つきからにげるためにわたしは裏の野菜畑へかけこんだ。
畑といってもたいしたものではなかった。それへなんでもうちで食べる野菜物は残らずじゃがいもでもキャベツでも、にんじんでも、かぶでも作りこんであった。それはちょっとの空き地もなかったのであるが、それでもおっかあはわたしに少し地面を残しておいてくれたので、わたしはそこへ雌牛を飼いながら野でつんで来た草や花を、ごたごた植えこんだ。わたしはそれを『わたしの畑』と呼んでだいじにしていた。
わたしがいろいろな草花を集めては、植えつけたのは去年の夏のことであった。それが芽をふくのはこの春のことであろう。早ざきのものでも冬の終わるのを待たなければならなかった。これから続いておいおい芽を出しかけている。
もう黄ずいせんもつぼみを黄色くふくらましていたし、リラの花も芽を出していた。さくらそうもしわだらけな葉の中からかわいいつぼみをのぞかせている。
どんな花がさくだろう。
それを楽しみにして、わたしは毎日出てみた。
それからまたわたしのだいじにしていた畑の一部には、だれかにもらっためずらしい野菜を植えている。それは村でほとんど知っている者のない『きくいも』というものであった。なんでもいい味のもので、じゃがいもと、ちょうせんあざみと、それからいろいろの野菜をいっしょにした味がするのであった。わたしはそっとこの野菜をじょうずに作って、おっかあをおどろかそうと思っていた。ただの花だと思わせておいて、そっと実のなったところを引きぬいて、ないしょで料理をして、いつも同じようなじゃがいもにあきあきしているおっかあに食べさせて、『まあルミ、おまえはなんて器用な子だろう』と感心させてやろう。
こんなことを思い思いこのときも、まだ芽が出ないかと思って、種のまいてある地べたに鼻をくっつけて調べていた。ふと気がつくとバルブレンがかんしゃく声で呼びたてているので、びっくりしてうちへはいった。まあどうだろう。おどろいたことには、炉の前にヴィタリス老人と犬たちが立っているではないか。
すぐとわたしはバルブレンがわたしをどうするつもりだということがわかった。老人がやはりわたしを連れて行くのだ。それをおっかあがじゃましないように村へ出してやったのだ。
もうバルブレンになにを言ってみてもむだだということがわかっているから、わたしはすぐと老人のほうへかけ寄った。
「ああ、ぼくを連れて行かないでください。後生ですから、連れて行かないでください」とわたしはしくしく泣きだした。
すると老人は優しい声で言った。「なにさ、ぼうや、わたしといればつらいことはないよ。わたしは子どもをぶちはしない。仲間には犬もいる。わたしと行くのがなぜ悲しい」
「おっかあが……」
「どうせきさまはここには置けないのだ」とバルブレンはあらあらしく言って、耳を引っ張った。
「このだんなについて行くか、孤児院へ行くか、どちらでもいいほうにしろ」
「いやだいやだ、おっかあ、おっかあ」
「やい、それだとおれはどうするか見ろ」とバルブレンがさけんだ。「思うさまひっぱたいて、このうちから追い出してくれるぞ」
「この子は母親に別れるのを悲しがっているのだ。それをぶつものではない。優しい心だ。いいことだ」
「おまえさんがいたわると、よけいほえやがる」
「まあ、話を決めよう」
そう言いながら、老人は五フランの金貨を八枚テーブルの上にのせた。バルブレンはそれをさらいこむようにしてかくしに入れた。
「この子の荷物は」と老人が言った。
「ここにあるさ」とバルブレンが言って、青いもめんのハンケチで四すみをしばった包みをわたした。
中にはシャツが二枚と、麻のズボンが一着あるだけであった。
「それではやくそくがちがうじゃないか。着物があるという話だったが、これはぼろばかりだね」
「こいつはほかにはなにもないのだ」
「この子に聞けば、きっとそうではないと言うにちがいないが、そんなことを争っているひまがない。もう出かけなければならないからな。さあおいで、こぞうさん、おまえの名はなんと言うんだっけ」
「ルミ」
「そうか、よしよし、ルミ。包みを持っておいで。先へおいで、カピ。さあ、行こう、進め」
わたしは哀訴するように両手を老人に出した。それからバルブレンにも出した。けれども二人とも顔をそむけた。しかも、老人はわたしのうで首をつかまえようとした。
わたしは行かなければならない。
ああ、このうちにもお別れだ。いよいよそのしきいをまたいだとき、からだを半分そこへ残して行くようにわたしは思った。
なみだをいっぱい目にうかべて[#「うかべて」は底本では「うがべて」]わたしは見回したが、手近にはだれもわたしに加勢してくれる者がなかった。往来にもだれもいなかった。牧場にもだれもいなかった。
わたしは呼び続けた。
「おっかあ、おっかあ」
けれどだれもそれに答える者はなかった。わたしの声はすすり泣きの中に消えてしまった。
わたしは老人について行くほかはなかった。なにしろうで首をしっかりおさえられているのだから。
「さようなら、ごきげんよう」とバルブレンがさけんだ。
かれはうちの中へはいった。
ああ、これでおしまいである。
「さあ、行こう、ルミ、進め」と老人が言って。わたしのひじをおさえた。
わたしたちはならんで歩いた。幸せとかれはそう早く歩かなかった。たぶんわたしの足に合わせて歩いてくれたのであろう。
わたしたちは坂を上がって行った。ふり返るとバルブレンのおっかあのうちがまだ見えたが、それはだんだんに小さく小さくなっていった。この道はたびたび歩いた道だから、もうしばらくはうちが見えて、それから最後の四つ角を曲がるともう見えなくなることをわたしはよく知っていた。行く先は知らない国である。後ろをふり返ればきょうの日まで幸福な生活を送ったうちがあった。おそらく二度とそれを見ることはないであろう。
幸い坂道は長かったが、それもいつか頂上に来た。
老人はおさえた手をゆるめなかった。
「少し休ましてくださいな」とわたしは言った。
「うん、そうだなあ」とかれは答えた。
かれはやっとわたしをはなしてくれた。
けれどカピに目くばせをすると、犬もそれをさとった様子がわたしには見えた。
それですぐと、ひつじ飼いの犬のように、一座の先頭からはなれてわたしのそばへ寄って来た。
わたしがにげ出しでもすれば、すぐにかみついてくるにちがいない。
わたしは草深い小山の上に登ってこしをかけると、犬も後ろについていた。
わたしはなみだにくもった目で、バルブレンのおっかあのうちを探した。
下には谷があって、所どころに森や牧場があった。それからはるか下にいままでいたうちが見えた。黄色いささやかなけむりが、そこのけむり出しからまっすぐに空へ立ちのぼって、やがてわたしたちのほうへなびいて来た。
気の迷いか、そのけむりはうちのかまどのそばでかぎ慣れたかしの葉のにおいがするようであった。
それは遠方でもあり、下のほうになってはいたが、なにもかもはっきり見えた。ただなにかがたいへん小さく見えたのは言うまでもない。
ちりづかの植えにうちの太っためんどりがかけ回っていたが、いつものように大きくは見えなかった。うちのめんどりだということを知っていなかったら、小さなはとだと思ったかもしれない。うちの横には、わたしが馬にしていつも乗った曲がったなしの木が、小川のこちらには、わたしが水車をしかけようとして大さわぎをしてきずきかけたほりわりが見えた。まあ、その水車にはずいぶんひまをかけたが、とうとう回らなかった。わたしの畑も見えた。ああ、わたしのだいじな畑が。
わたしの花がさいてもだれが見るだろう。わたしの『きくいも』をだれが食べるだろう。きっとそれはバルブレンだ。あの悪党のバルブレンだ。
もう一足往来へ出れば、わたしの畑もなにもかもかくれてしまうのだ。
ふと村からわたしのうちのほうへ通う往来の上に、白いボンネットが見えて、木の間にちらちら見えたりかくれたりしていた。
それはずいぶん遠方であったから、ぽっちり白く、春のちょうちょうのように見えただけであった。
けれど目よりも心はするどくものを見るものだ。わたしは、それがバルブレンのおっかあであることを知った。確かにおっかあだ、とわたしは思いこんでいた。
「さて出かけようか」と老人が言った。
「ああ、いいえ、後生ですからも少し」
「じゃあ話とはちがって、おまえは、から(ぜんぜん)、足がだめだな。もうつかれてしまったのか」
わたしは答えなかった。ただながめていた。
やはりそれはバルブレンのおっかあであった。それはおっかあのボンネットであった。水色の前だれであった。足早に、気がせいているように、うちに向かって行くのであった。
白いボンネットはまもなくうちの前に着いた。戸をおし開けて、急いで庭にはいって行った。
わたしはすぐにとび上がって、土手の上に立ち上がった。そばにいたカピがおどろいてとびついて来た。
おっかあはいつまでもうちの中にはいなかった。まもなく出て来て、両うでを広げながら、あちこちと庭の中をかけ回っていた。
かの女はわたしを探しているのだ。
わたしは首を前に延ばして、ありったけの声でさけんだ。
「おっかあ、おっかあ」
けれどもそのさけび声は空に消えてしまった、小川の水音に消されてしまった。
「どうしたのだ。おまえ、気がちがったのか」とヴィタリスは言った。
わたしは答えなかった。わたしの目はまたバルブレンのおっかあをじっと見ていた。けれども向こうではわたしが上にいるとは知らないから、あお向いては見なかった。そうして庭をぐるぐる回って、往来へ出て、きょろきょろしていた。
もっと大きな声でわたしはさけんだ。けれども、初めの声と同様にむだであった。
そのうち老人もやっとわかったとみえて、やはり土手に登って来た。かれもまもなく白いボンネットを見つけた。
「かわいそうに、この子は」とかれはそっと独り言を言った。
「おお、わたしを帰してください」と、わたしはいまの優しいことばに乗って、泣き声を出した。
けれどもかれはわたしの手首をおさえて、土手を下りて往来へ出た。
「さあ、だいぶ休んだから、もう出かけるのだ」と、かれは言った。
わたしはぬけ出そうともがいたけれども、かれはしっかりわたしをおさえていた。
「さあカピ、ゼルビノ」と、かれは犬のほうを見ながら言った。
二ひきの犬がぴったりわたしにくっついた。カピは後ろに、ゼルビノは前に。
二足三足行くと、わたしはふり向いた。
わたしたちはもう坂の曲がり角を通りこした。もう谷も見えなければ家も見えなくなった。ただ遠いかなたに遠山がうすく青くかすんでいた。果てしもない空の中にわたしの目はあてどなく迷うのであった。
とちゅう
四十フラン出して子どもを買ったからといって、その人は鬼でもなければ、その子どもの肉を食べようとするのでもなかった。ヴィタリス老人はわたしを食べようという欲もなかったし、子どもを買ったが、その人は悪人ではなかった。
わたしはまもなくそれがわかった。
ちょうどロアール川とドルドーニュ川と、二つの谷を分かった山の頂上で、かれはふたたびわたしの手首をにぎった。その山を南へ下り始めて十五分も行ったころ、かれは手をはなした。
「まああとからぽつぽつおいで。にげることはむだだよ。カピとゼルビノがついているからな」
わたしたちはしばらくだまって歩いていた。
わたしはふとため息を一つした。
「わしにはおまえの心持ちはわかっているよ」と老人は言った、「泣きたいだけお泣き。だがまあ、これがおまえのためにはいいことだということを考えるようにしてごらん。あの人たちはおまえのふた親ではないのだ、おっかあはおまえに優しくはしてくれたろう。それでおまえも好いていたから、それでそんなに悲しく思うのだろう。けれどもあの人は、ご亭主がおまえをうちに置きたくないと言えば、それを止めることはできなかったのだ。それにあの男だって、なにもそんなに悪い男というのでもないかもしれない。あの男はからだを悪くして、もうほかの仕事ができなくなっている。かたわのからだでは食べてゆくだけに骨が折れるのだ。そのうえおまえを養っていては、自分たちが飢えて死ななければならないと思っているのだ。そこでおまえにひとつ心得てもらいたいことがある。世の中は戦争のようなもので、だれでも自分の思うようにはゆかないものだということだ」
そうだ、老人の言ったことはほんとうであった。貴い経験から出た訓言(教訓)であった。でもその訓言よりももっと力強い一つの考えしか、わたしはそのとき持っていなかった。それは『別れのつらさ』ということであった。
わたしはもう二度とこの世の中で、いちばん好きだった人に会うことができないのだ。こう思うとわたしは息苦しいように感じた。
「まあ、わたしの言ったことばをよく考えてごらん。おまえはわたしといれば不幸せなことはないよ」と老人は言った。「孤児院などへやられるよりはいくらましだかしれない。それで言っておくが、おまえはにげ出そうとしてもだめだよ。そんなことをすれば、あのとおりの広野原だ。カピとゼルビノがすぐとおまえをつかまえるから」
こう言ってかれは目の前のあれた高原を指さした。そこにはやせこけたえにしだが、風のまにまに波のようにうねっていた。
にげ出す――わたしはもうそんなことをしようとは思わなかった。にげていったいどこへわたしは行こう。
この背の高い老人は、ともかく親切な主人であるらしい。
わたしは一息にこんなに歩いたことはなかった。ぐるりに見るものはあれた土地と小山ばかりで、村を出たらば向こうはどんなに美しかろうと思ったほど、この世界は美しくはなかった。
老人はジョリクールを肩の上に乗せたり、背嚢の中に入れたりして、しじゅう規則正しく、大またに歩いていた。三びきの犬はあとからくっついて来た。
ときどき老人はかれらに優しいことばをかけていた。フランス語で言うこともあったし、なんだかわからないことばで言うこともあった。
かれも犬たちもくたびれた様子がなかった。だがわたしはつかれた。足を引きずって、この新しい主人にくっついて歩くのが精いっぱいであった。けれども休ませてくれとは言いだし得なかった。
「おまえがくたびれるのは木のくつのせいだよ」とかれは言った。「いずれユッセルへ着いたらくつを買ってやろう」
このことばはわたしに元気をつけてくれた。わたしはしじゅうくつが欲しいと思っていた。村長のむすこも、はたごやのむすこもくつを持っていた。それだから日曜というとかれらはお寺へ来て石のろうかをすべるように走った。それをわれわれほかのいなかの子どもは、木ぐつでがたがた、耳の遠くなるような音をさせたものだ。
「ユッセルまではまだ遠いんですか」
「ははあ、本音をふいたな」とヴィタリスが笑いながら言った。「それではくつが欲しいんだな。よしよし、わたしはやくそくをしよう。それも大きなくぎを底に打ったやつをなあ。それからビロードの半ズボンとチョッキとぼうしも買ってやる。それでなみだが引っこむことになるだろう。なあ、そうしてもらおうじゃないか。そしてあと六マイル(約四十キロ)歩いてくれるだろうなあ」
底にくぎを打ったくつ、わたしは得意でたまらなかった。くつをはくことさええらいことなのに、おまけにくぎを打ってある。わたしは悲しいことも忘れてしまった。
くぎを打ったくつ、ビロードの半ズボンに、チョッキに、ぼうし。
まあバルブレンのおっかあがわたしを見たらどんなにうれしがるだろう。どんなに得意になるだろう。
けれども、なるほどくつとビロードがこれから六マイル歩けばもらえるというやくそくはいいが、わたしの足はそんな遠方まで行けそうにもなかった。
わたしたちが出かけたときに青あおと晴れていた空が、いつのまにか黒い雲にかくれて、細かい雨がやがてぽつぽつ落ちて来た。
ヴィタリスはそっくりひつじの毛皮服にくるまっているので、雨もしのげたし、さるのジョリクールも、一しずく雨がかかるとさっそくかくれ家ににげこんだ。けれども犬とわたしはなんにもかぶるものがないので、まもなく骨まで通るほどぬれた。でも犬はぬれてもときどきしずくをふり落とすくふうもあったが、わたしはそんなことはできなかった。下着までじくじくにぬれ通って、骨まで冷えきっていた。
「おまえ、じきかぜをひくか」と主人は聞いた。
「知りません。かぜをひいた覚えがないから」
「それはたのもしいな。だがこのうえぬれて歩いてもしようがないことだから、少しでも早くこの先の村へ行って休むとしよう」
ところがこの村には一けんも宿屋というものはなかった。当たり前の家ではじいさんのこじきの、しかも子どもに三びきの犬まで引き連れて、ぬれねずみになった同勢をとめようという者はなかった。
「うちは宿屋じゃないよ」
こう言ってどこでも戸を立てきった。わたしたちは一けん一けん聞いて歩いて、一けん一けん断られた。
これから四マイル(約六キロ)ユッセルまで一休みもしないで行かなければならないのか。暗さは暗し、雨はいよいよ冷たく骨身に通った。ああ、バルブレンのおっかあのうちがこいしい。
やっとのことで一けんの百姓家がいくらか親切があって、わたしたちを納屋にとめることを承知してくれた。でもねるだけはねても、明かりをつけることはならないという言いわたしであった。
「おまえさん、マッチを出しなさい。あしたたつとき返してあげるから」とその百姓家の主人はヴィタリス老人に言った。
それでもとにかく、風雨を防ぐ屋根だけはできたのであった。
老人は食料なしに旅をするような不注意な人ではなかった。かれは背中にしょっていた背嚢から一かたまりのパンを出して、四きれにちぎった。
さてこのときわたしははじめて、かれがどういうふうにして、仲間の規律を立てているかということを知った。さっきわれわれが一けん一けん宿を探して歩いたとき、ゼルビノがある家にはいったが、さっそくかけ出して来たとき、パンの切れを口にくわえていた。そのとき老人はただ、
「よしよし、ゼルビノ……今夜は覚えていろ」とだけ言った。
わたしはもうゼルビノのどろぼうをしたことは忘れて、ヴィタリスがパンを切る手先をぼんやり見ていた。ゼルビノはしかしひどくしょげていた。
ヴィタリスとわたしはとなり合ってジョリクールをまん中に置いて、二つあるわらのたばの上、かれ草のたばの上にこしをかけて、三びきの犬はその前にならんでいた。カピとドルスは主人の顔をじっと見つめているのに、ゼルビノは耳を立ててしっぽを足の間に入れて立っていた。
老人は命令するような調子で言った。「どろぼうは仲間をはずれて、すみに行かなければならんぞ。夕食なしにねむらなければならんぞ」
ゼルビノは席を去って、指さされたほうへすごすご出て行った。それでかれ草の積んである下にもぐりこんで、姿が見えなくなったが、その下で悲しそうにくんくん泣いている声が聞こえた。
老人はそれからわたしにパンを一きれくれて、自分の分を食べながら、ジョリクールとカピとドルスに、小さく切って分けてやった。
どんなにわたしはバルブレンのおっかあのスープがこいしくなったろう。それにバターはなくっても、暖かい炉の火がどんなにいい心持ちであったろう。夜着の中に鼻をつっこんでねた小さな寝台がこいしいな。
もうすっかりくたびれきって、足は木ぐつですれて痛んだ。着物はぬれしょぼたれているので、冷たくってからだがふるえた。夜中になってもねむるどころではなかった。
「歯をがたがた言わせているね。おまえ寒いか」と老人が言った。
「ええ、少し」
わたしはかれが背嚢を開ける音を聞いた。
「わたしは着物もたんとないが、かわいたシャツにチョッキがある。これを着てまぐさの下にもぐっておいで。じきに暖かになってねむられるよ」
でも老人が言ったようにそうじき暖かにはならなかった。わたしは長いあいだわらのとこの上でごそごそしながら、苦しくってねむられなかった。もうこれから先はいつもこんなふうにくらすのだろうか。ざあざあ雨の降る中を歩いて、寒さにふるえながら、物置きの中にねて、夕食にはたった一きれの固パンを分けてもらうだけであろうか。スープもない。だれもかわいがってくれる者もない。だきしめてくれる者もない。バルブレンのおっかあももうないのだ。
わたしの心はまったく悲しかった。なみだが首を流れ落ちた。
そのときふと暖かい息が顔の上にかかるように思った。
わたしは手を延ばすと、カピのやわらかい毛が手にさわった。かれはそっと草の上を音のしないように歩いて、わたしの所へやって来たのだ。わたしのにおいを優しくかぎ回る息が、わたしのほおにも髪の毛にもかかった。
この犬はなにをしようというのであろう。
やがてかれはわたしのすぐそばのわらの上に転げて、それはごく静かにわたしの手をなめ始めた。
わたしもうれしくなって、わらのとこの上に半分起き返って、犬の首を両うでにかかえて、その冷たい鼻にキッスした。かれはわずか息のつまったような泣き声を立てたが、やがて手早く前足をわたしの手に預けて、じつとおとなしくしていた。
わたしはつかれも悲しみも忘れた。息苦しいのどがからっとして、息がすうすうできるようになった。ああ、わたしはもう一人ではなかった。わたしには友だちがあった。
初舞台
そのあくる日は早く出発した。
空は青あおと晴れて、夜中のから風がぬかるみをかわかしてくれた。小鳥が林の中でおもしろそうにさえずっていた。三びきの犬はわたしたちの回りにもつれていた。ときどきカピが後足で立ち上がって、わたしの顔を見ては二、三度続けてほえた。かれの心持ちはわたしにはわかっていた。
「元気を出せ、しっかり、しっかり」
こう言っているのであった。
かれはりこうな犬であった。なんでもわかるし、人にわからせることも知っていた。この犬の尾のふり方にはたいていの人の舌や口で言う以上の頓知と能弁がふくまれていた。わたしとカピの間にはことばは要らなかった。初めての日からおたがいの心持ちはわかっていた。
わたしはこれまで村の外には出たことがなかったし、初めて町を見るのはなにより楽しみであった。
でもユッセルの町は子どもの目にそんなに美しくはなかったし、それに町の塔や古い建物などよりも、もっと気になるのはくつ屋の店であった。
老人がやくそくをしたくぎを打ったくつのある店はどこだろう。
わたしたちがユッセルの古い町を通って行ったとき、わたしはきょろきょろそこらを見回した。ふと老人は市場の後ろの一けんの店にはいった。店の外に古い鉄砲だの、金モールのへりのついた服だの、ランプだの、さびたかぎだのがつるしてあった。
わたしたちは三段ほど段を下りてはいってみると、それはもう屋根がふけてからのち、太陽の光がついぞ一度もさしこまなかったと思われる大きな部屋にはいった。
くぎを打ったくつなんぞを、どうしてこんな気味の悪い所で売っているだろう。
けれども老人にはわかっていた。それでまもなくわたしは、これまでの木ぐつの十倍も重たい、くぎを打ったくつをはくことになった。うれしいな。
老人の情けはそれだけではなかった。かれはわたしに水色ビロードの上着と、毛織りのズボンと、フェルトぼうしまで買ってくれた。かれのやくそくしただけの品は残らずそろった。
まあ、麻の着物のほか着たことのなかったわたしにとって、ビロードの服のめずらしかったこと。それにくつは。ぼうしは。わたしはたしかに世界じゅうでいちばん幸福な、いちばん気前のいい大金持ちであった。ほんとうにこの老人は世界じゅうでいちばんいい人でいちばん情け深い人だと思われた。
もっともそのビロードは油じみていたし、毛織りのズボンはかなり破れていた。それにフェルトぼうしのフェルトもしたたか雨によごれて、もとの色がなんであったかわからないくらいであった。けれどもわたしはむやみにうれしくって、品物のよしあしなどはわからなかった。
ところで宿屋に帰ってから、さっそくこのきれいな着物を着たいとあせっていたわたしをびっくりさせもし、つまらなくもさせたことは、老人がはさみでそのズボンのすそをわたしのひざの長さまで切ってしまったことであった。
わたしは丸い目をしてかれの顔を見た。
「これはおまえをほかの子どもと同じように見せないためだよ。フランスではおまえはイタリアの子どものようなふうをするのだ。イタリアではフランスの子どものようなふうをするのだ」とかれは説明した。
わたしはいよいよびっくりしてしまった。
「わたしたちは芸人だろう。なあ。それだから当たり前の人のようなふうをしてはならないのだ。われわれがここらのいなかの人間のようなふうをして歩いたら、だれが目をつけると思うか。わたしたちはどこでも立ち止まれば、回りに人を集めなければならない。困ったことには、なんでもていさいを作るということが、この世の中でかんじんなことなのだよ」
こういうわけで、わたしは朝まではフランスの子どもであったが、その晩はもうイタリアの子どもになっていた。
ズボンはやっとひざまで届いた。老人はくつ下にひもをぬいつけて、フェルトぼうしの上にはいっぱいに赤いリボンを結びつけた。それから毛糸の花でおかざりをした。
わたしはほかの人がどう思うかは知らないが、正直に言えば自分ながらなかなかりっぱになったと思った。親友のカピも同じ考えであったから、しばらくわたしの顔をじっと見て、満足したふうで前足を出した。
わたしはカピの賛成を得たのでうれしかった。それというのが、わたしが着物を着かえている最中、例のジョリクールめが、わたしのまん前にべったりすわって、大げさな身ぶりで、さんざんひとのするとおりのまねをして、すっかり仕度ができると、今度はおしりに手を当て、首をちぢめて、あざけるように笑ったので、一方にそういう実意のある賛成者のできたのがよけいにうれしかったのである。
いったいさるが笑うか笑わないかということは、学問上の問題だそうだ。わたしは長いあいだジョリクールと仲よくくらしていたが、かれはたしかに笑った。しかもどうかすると人をばかにした笑い方をしたものだ。もちろんかれは人間のようには笑わなかった。けれどもなにかおもしろいことがあると、口を曲げて、目をくるくるやって、あのしっぽをす早く働かせる。そうしてまっ黒な目はぴかぴか光って、火花がとび出すかと思われた。
「さあ仕度ができたら」と最後にぼうしを頭にかぶると老人が言った。「わたしたちはいよいよ仕事にかからなければならない。あしたは市の立つ日だから、おまえは初舞台を務めなければならない」
初舞台。初舞台とはどんなことだろう。
老人はそこで、この初舞台というのは、三びきの犬とジョリクールを相手に芝居をすることだと教えてくれた。
「でもぼく、どうして芝居をするのか知りません」と、わたしはおどおどしながらさけんだ。
「それだから、わたしが教えてあげようというのだよ。教わらなけりゃわかりゃしない。この動物どももいっしょうけんめい自分の役をけいこしたものだ。カピが後足で立つのでも、ドルスがなわとびの芸当をやるのでも、みんなけいこをして覚えたのだ。ずいぶん骨の折れたことではあったが、その代わりご覧、あのとおりかしこくなっている。おまえも、これからいろいろの役を覚えるためにはよほど勉強が要る。とにかく仕事にかかろう」
これまでわたしは仕事といえば、畑にくわを入れるとか、石を切るとか、木をかるとかいうほかにはないように思っていた。
「さてわたしたちのやる狂言は、『ジョリクール氏の家来、一名とんだあほうの取りちがえ』というのだ。それはこういう筋だ。ジョリクール氏はこれまで一人家来を使っていた。それはカピという名前で、ジョリクール氏はこの家来に満足していたのだが、年を取ったのでひまを取ろうとする。それでカピは主人にひまを取るまえに、代わりの家来を見つけるやくそくをする。さてその後がまの家来というのは、犬ではなくって子どもなのだ。ルミと名乗るいなかの子どもなのだ」
「やあ、ぼくと同じ名前の……」
「いや、同じ名前ではない、それがおまえなんだ。おまえはジョリクール氏の所へ奉公口を探しにいなかから出て来たのだ」
「おさるに家来はないでしょう」
「そこが芝居だよ。さておまえはいきなり村からとび出して来た。それでおまえの新しい主人はおまえをあほうだと思う」
「おお、ぼく、そんなこといやです」
「人が笑いさえすれば、そんなことはどうでもいいじゃないか。さておまえは初めてこのだんなの所へ家来になってやって来た。そして食事のテーブルごしらえを言いつけられる。それ、ちょうどそこに、芝居に使うテーブルがある。さあ、仕度におかかり」
このテーブルの上には、おさらに、コップに、ナイフが一本、フォークが一本、白いテーブルかけが一枚置いてあった。
どうしてこれだけのものをならべようか。
わたしはそれを考えて、両手をつき出してテーブルによっかかって、ぽかんと口を開けたまま、なにから手をつけていいか困っていると、親方は両手を打って、腹をかかえて笑いだした。
「うまいうまい。それこそ本物だ」とかれはさけんだ。「わたしが先に使っていた子どもは狡猾そうな顔つきで、どうだ、あほうのまねはうまかろうと言わないばかりであった。おまえのはそれがいかにも自然でいい。どうしてすばらしいものだ」
「でもぼく、どうしていいのかわからないんです」
「それだからそんなにうまくやれるのだ。おまえに芝居がわかるとかえって、いま思っているようなことをわざとするようになるだろう。なんでもいまのどうしていいかわからずに困っている心持ちを忘れないようにしてやれば、いつも上出来だよ。つまり役の性根は、さると人間が、主人と家来と身分を取りかえたついでに、ばかをりこうと取りかえて、とんだあほうの取りちがえ、これが芝居のおかしいところなのだ」
『ジョリクール氏の家来』は大芝居というのではなかったから、二十分より長くは続かなかった。ヴィタリスはわたしたちにたびたびそれをくり返させた。わたしは主人がずいぶんしんぼう強いのでおどろいた。これまで村でよく動物をしこむところを見たが、ひどくしかったり、ぶったりしてやっとしこむのであった。ずいぶんけいこは長くやったが、親方は一度もおこったこともなければ、しかったこともなかった。
「さあ、もう一度やり直しだ」とかれは厳しい声で言って、いけないところを直した。「カピ、それはいけません。ジョリクール、気をつけないとしかりますぞ」
これがすべてであった。しかしそれでじゅうぶんであった。
わたしを教えながらかれは言った。「なんでもけいこには犬をお手本にするがいい。犬とさるとを比べてごらん。ジョリクールはなるほどはしっこいし、ちえもあるけれども、注意もしないし、従順でもないのだ。かれは教えられたことはわけなく覚えるが、すぐそれを忘れてしまう。それにかれは言われたことをわざとしない。かえってあべこべなことをしたがる。それはこの動物の性質だ。だからわたしはあれに対してはおこらない。さるは犬と同じ良心を持たない。あれには義務ということばの意味がわかっていない。それが犬におとるところだ。わかったかね」
「ええ」
「おまえはりこうで注意深い子だ。まあなんによらずすなおに、自分のしなければならないことをいっしょうけんめいにするのだ。それを一生覚えておいで」
こういう話をしているうち、わたしは勇気をふるい起こして、芝居のけいこのあいだなによりわたしをびっくりさせたことについてかれに質問した。どうしてかれが犬やさるやわたしに対してあんなにしんぼう強くやれるのであろうか。
かれはにっこり笑った。「おまえは百姓たちの仲間にいて、手あらく生き物を取りあつかっては、言うことを聞かないと棒でぶつようなところばかり見てきたのだろう。だがそれは大きなまちがいだよ。手あらくあつかったところでいっこう役に立たない。優しくしてやればたいていはうまくゆくものだ。だからわたしは動物たちに優しくするようにしている。むやみにぶてばかれらはおどおどするばかりだ。ものをこわがるとちえがにぶる。それに教えるほうでかんしゃくを起こしては、ついいつもの自分とはちがったものになる。それではいまおまえに感心されたようなしんぼう力は出なかったろう。他人を教えるものは自分を教えるものだということがこれでわかる。わたしが動物たちに教訓をあたえるのは、同時にわたしがかれらから教訓を受けることになるのだ。わたしはあれらのちえを進めてやったが、あれらはわたしの品性を作ってくれた」
わたしは笑った。それがわたしにはきみょうに思われた。でもかれはなお続けた。
「おまえはそれをきみょうだと思うか。犬が人間に教訓を授けるのはきみょうだろう。だがこれはほんとうだよ。
すると主人が犬をしこもうと思えば、自分のことをかえりみなければならない。その飼い犬を見れば主人の人がらもわかるものだ。悪人の飼っている犬はやはり悪ものだ。強盗の犬はどろぼうをする。ばかな百姓が飼い犬はばかで、もののわからないものだ。親切な礼儀正しい人は、やはり気質のいい犬を飼っている」
わたしはあしたおおぜいの前に現れるということを思うと、胸がどきどきした。犬やさるはまえからもう何百ぺんとなくやりつけているのだから、かえってわたしよりえらかった。わたしがうまく役をやらなかったら、親方はなんと言うだろう。見物はなんと言うだろう。
わたしはくよくよ思いながらうとうとねいった。そのゆめの中で、おおぜいの見物が、わたしがなんてばかだろうと言って、腹をかかえて笑うところを見た。
あくる日になると、いよいよわたしは心配でおどおどしながら、芝居をするはずのさかり場まで行列を作って行った。
親方が先に立って行った。背の高いかれは首をまっすぐに立て、胸を前へつき出して、おもしろそうにふえでワルツをふきながら、手足で拍子をとって行った。その後ろにカピが続いた。イギリスの大将の軍服をまねた金モールでへりをとった赤い上着を着、鳥の羽根でかざったかぶとをかぶったジョリクールがその背中にいばって乗っていた。
ゼルビノとドルスが、ほどよくはなれてそのあとに続いた。
わたしがしんがりを務めていた。わたしたちの行列は親方の指図どおり適当な間をへだてて進んだので、かなり人目に立つ行列になった。
なによりも親方のふくするどいふえの音にひかれて、みんなうちの中からかけ出して来た。とちゅうの家の窓という窓はカーテンが引き上げられた。
子どもたちの群れがあとからかけてついて来た。やがて広場に着いたじぶんには、わたしたちの行列に、はるか多い見物の行列がつながって、たいした人だかりであった。
わたしたちの芝居小屋はさっそくできあがった。四本の木になわを結び回して、その長方形のまん中にわたしたちは陣取ったのである。
番組の第一は犬の演じるいろいろな芸当であった。わたしは犬がなにをしているかまるっきりわからなかった。わたしはもう心配で心配で自分の役を復習することにばかり気を取られていた。わたしが記憶していたことは、親方がふえをそばへ置き、ヴァイオリンを取り上げて、犬のおどりに合わせてひいたことで、それはダンス曲であることもあれば、静かな悲しい調子の曲であることもあった。なわ張りの外に見物はぞろぞろ集まっている。わたしはこわごわ見回すと、数知れないひとみの光がわたしたちの上に集まっていた。
一番の芸当が終わると、カピが歯の間にブリキのぼんをくわえて、お客さまがたの間をぐるぐる回りを始めた。見物の中で銭を入れない者があると、立ち止まって二本の前足をこのけちんぼうなお客のかくしに当てて、三度ほえて、それから前足でかくしを軽くたたいた。それを見るとみんな笑いだして、うれしがってときの声を上げた。
じょうだんや、嘲笑のささやきがそこここに起こった。
「どうもりこうな犬じゃないか。あいつは金を持っている人といない人を知っている」
「そら、ここに手をかけた」
「出すだろうよ」
「出すもんか」
「おじさんから遺産をもらったくせに、けちな男だなあ」
さてとうとう銀貨が一枚おく深いかくしの中からほり出されて、ぼんの中にはいることになった。そのあいだ親方は一言もものは言わずに、カピのぼんを目で見送りながら、おもしろそうにヴァイオリンをひいた。まもなくカピが得意らしくぼんにいっぱいお金を入れて帰って来た。
いよいよ芝居の始まりである。
「さてだんなさまがたおよびおくさまがたに申し上げます」
親方は、片手に弓、片手にヴァイオリンを持って、身ぶりをしながら口上を述べだした。
「これより『ジョリクール氏の家来。一名とんだあほうの取りちがえ』と題しまするゆかいな喜劇をごらんにいれたてまつります。わたくしほどの芸人が、手前みそに狂言の功能をならべたり、一座の役者のちょうちん持ちをして、自分から品を下げるようなことはいたしませぬ。ただ一言申しますることは、どうぞよくよくお目止められ、お耳止められ、お手拍子ごかっさいのご用意を願っておくことだけでございます。始まり」
親方はゆかいな喜劇だと言ったが、じつはだんまりの身ぶり狂言にすぎなかった。それもそのはずで、立役者の二人まで、ジョリクールも、カピもひと言も口はきけなかったし、第三の役者のわたしもふた言とは言うことがなかった。
けれども見物に芝居をよくわからせるために、親方は芝居の進むにつれて、かどかどを音楽入りで説明した。
そこでたとえば勇ましい戦争の曲をひきながら、かれはジョリクール大将が登場を知らせた。大将はインドの戦争でたびたび功名を現して、いまの高い地位にのぼったのである。これまで大将はカピという犬の家来を一人使っていたが、出世していてお金が取れて、ぜいたくができるようになったので、人間の家来をかかえようと思っている。長いあいだ動物が人間の奴隷であったけれども、それがあべこべになるときが来たのである。
家来の来るのを待つあいだに、大将は葉巻きをふかしながらあちこちと歩き回る。見物の顔にかれがたばこのけむりをふっかけるふうといったら、見物であった。なかなか来ないのでじれて、人間がかんしゃくを起こすときのように目玉をくるくる回し始める。くちびるをかむ。じだんだをふむ。三度目にじだんだをふんだときに、わたしがカピに連れられて舞台に現れることになる。
わたしが役を忘れていれば犬が教えてくれるはずになっていた。
やがてころ合いのじぶんに、かれは前足をわたしのはうへ出して、大将がわたしを紹介した。
大将はわたしを見ると、がっかりしたふうで両手を上げた。なんだ、これがわざわざ連れて来た家来かい。それからかれは歩いて来て、わたしの顔をぶえんりょにながめた。そうして肩をそびやかしながら、わたしの回りを歩き回っていた。その様子がそれはこっけいなので、だれもふき出さずにはいられなかった。見物がなるほど、このさるはわたしをあほうだと思っているなとなっとくする。そうして見物もやはりわたしをあほうだと思いこんでしまう。
芝居がまたいかにもわたしのあほうさの底が知れないようにできていた。することなすことにさるはかしこかった。
いろいろとわたしを試験をしてみた末、大将はかわいそうになって、とにかく朝飯を食べさせることにする。かれはもう朝飯の仕度のできているテーブルを指さして、わたしにすわれといって合図をした。
「大将の考えでは、この家来にまあなにか食べるものでも食べさしたら、これほどあほうでもなくなるだろうというのですが、さて、どんなものでしょうか」と、ここで親方が口上をはさんだ。
わたしは小さなテーブルに向かってこしをかけた。テーブルの上には食器がならんで、さらの上にナプキンが置いてあった。このナプキンをわたしはどうすればいいのだろう。
カピがその使い方を手まねで教えてくれた。しばらくしげしげとながめたあとで、わたしはナプキンで鼻をかんだ。
そのとき大将が腹をかかえて大笑いをした。そうしてカピはわたしのあほうにあきれ返って、四つ足ででんぐり返しを打った。
わたしはやりそこなったことがわかったので、またナプキンをながめて、それをどうすればいいかと考えていた。
やがて思いついたことがあって、わたしはそれを丸く巻いてネクタイにした。大将がもっと笑った。カピがまたでんぐり返しを打った。
そのうちとうとうがまんがしきれなくなって、大将がわたしをいすから引きずり下ろして、自分が代わりにこしをかけて、わたしのためにならべられている朝飯を食べだした。
ああ、かれのナプキンをあつかうことのうまいこと。いかにも上品に軍服のボタンの穴にナプキンをはさんでひざの上に広げた。それからパンをさいて、お酒を飲む優美なしぐさといったらない。けれどいよいよ食事がすんで、かれが小ようじを言いつけて、器用に歯をせせって(つついて)見せたとき、割れるほど大かっさいがほうぼうに起こって、芝居はめでたくまい納めた。
「なんというあほうな家来だろう。なんというかしこいさるだろう」
宿屋に帰る道みち、親方はわたしをほめてくれた。わたしはもうりっぱな喜劇役者になって、主人からおほめのことばをいただいて、得意になるほどになったのである。
読み書きのけいこ
ヴィタリス親方の小さな役者の一座は、どうしてなかなかたっしゃぞろいにはちがいなかったが、その曲目はそうたくさんはなかったから、長く同じ町にいることはできなかった。
ユッセルに着いて三日目には、また旅に出ることになった。
今度はどこへ行くのだろう。
わたしはもう大胆になって、こう質問を親方に発してみた。
「おまえはこのへんのことを知っているか」と、かれはわたしの顔を見ながら言った。
「いいえ」
「じゃあなぜ、どこへ行くと言って聞くのだ」
「知りたいと思って」
「なにを知りたいのだ」
わたしはなんと答えていいかわからないので、だまっていた。
「おまえは本を読むことを知っているか」
かれはしばらく考え深そうにわたしの顔を見て、こうたずねた。
「いいえ」
「本にはこれからわたしたちが旅をして行く土地の名やむかしあったいろいろなことが書いてある。一度もそこへ来たことがなくっても、本を読めばまえから知ることができる。これから道みち教えてあげよう。それはおもしろいお話を聞かせてもらうようなものだ」
わたしはまるっきりものを知らずに育った。もっともたったひと月村の学校に行ったことがあった。けれどその月じゅうわたしは一度も本を手に持ったことはなかった。わたしがここに話をしている時代には、フランスに学校のあることをじまんにしない村がたくさんあった。よし学校の先生のいる所でも、その人はなんにも知らないか、さもなければなにかほかに仕事があって、預った子どもの世話をろくろくしない者が多かった。
わたしたちの村の学校の先生がやはりそれであった。それは先生がものを知らないというのではないが、わたしが学校に行っているひと月じゅうかれはただの一課をすら教えなかった。かれはほかにすることがあった。その先生は商売がくつ屋であった。いやだれもそこから皮のくつを買う者がなかったから、ほんとうは木ぐつ屋だと言ったほうがいい。かれは一日こしかけにこしをかけて木ぐつにするけやきやくるみの木をけずっていた。そういうわけでわたしはなにも学校では教わらなかったし、ABCをすら教わらなかった。
「本を読むってむずかしいことでしょうか」
わたしはしばらく考えながら歩いて、こう聞いた。
「頭のにぶい者にはむずかしいが、それよりも習いたい気のない者にはもっとむずかしい。おまえの頭はにぶいかな」
「ぼくは知りません。けれども教えてくだされば習いたいと思います」
「よしよし、考えてみよう。まあ、ゆっくり教えてあげよう。たっぷりひまはあるからね」
たっぷりひまがあるからゆっくりやろう。なぜすぐに始めないのだろう。わたしは本を読むことを習うのがどんなにむずかしいか知らなかった。もう本を開ければすぐに中に書いてあることがわかるように思っていた。
そのあくる日歩いて行くとちゅう、親方はこしをかがめて、ほこりをかぶった板きれを拾い上げた。
「はら、これがおまえの習う本だ」とかれは言った。
なにこの板きれが本だとは。わたしはじょうだんを言っているのだろうと思って、かれの顔を見た。けれどかれはいっこうにまじめな顔をしていた。わたしは木ぎれをじっと見た。
それはうでぐらい長さがあって、両手をならべたくらいはばがあった。そのうえには字も絵も書いてはなかった。
わたしはからかわれるような気がした。
「あすこの木のかげへ行って休んでからにしよう。そこでどういうふうにわたしがこれを使って、本を読むことを教えるか、話してあげよう」と親方は言って、わたしのびっくりしたような顔を笑いながら見た。
わたしたちは木のかげへ来ると、背嚢を地べたに下ろして、そろそろひなぎくのさいている青草の上にすわった。ジョリクールはくさりを解いてもらったので、さっそく木の上にかけ上がって、くるみを落とすときのように、こちらのえだからあちらのえだをゆすぶってさわいでいた。犬たちはくたびれて回りに丸くなっていた。
親方はかくしからナイフを出して、いまの板きれの両側をけずって、同じ大きさの小板を十二本こしらえた。
「わたしはこの一本一本の板に一つずつの字をほってあげる」とかれはわたしの顔を見ながら言った。わたしはじっとかれから目を放さなかった。「おまえはこの字を形で覚えるのだ。それを一目見てなんだということがわかれば、それをいろいろに組み合わせてことばにするけいこをするのだ。ことばが読めるようになれば、本を習うことができるのだ」
やがてわたしのかくしはその小さな木ぎれでいっぱいになった。それでABCの字を覚えるのにひまはかからなかったけれども、読むことを覚えるのは別の仕事であった。なかなか早くはいかないので、ときにはなぜこんなものを教わりたいと言いだしたかと思って、後悔した。でもこれは、わたしがなまけ者でもなく、負けおしみが強かったからである。
わたしに字を教えながら親方は、それをいっしょにカピにも教えてみようかと思い立った。犬は時計から時間を探し出すことを覚えたくらいだから、文字を覚えられないことはなかった。それでカピとわたしは同級生になって、いっしょにけいこを始めた。犬はもちろん口で言えないから、木ぎれが残らず草の上にまき散らされると、かれは前足で、言われた文字をその中から拾い出して来なければならなかった。
はじめはわたしもカピよりはずっと進歩が早かった。けれどわたしは理解こそ早かったが、物覚えは、犬のほうがよかった。犬は一度物を教わると、いつもそれを覚えて忘れることがなかった。わたしがまちがうと親方はこう言うのである。
「カピのはうが先に読むことを覚えるよ、ルミ」
そう言うとカピはわかったらしく、得意になってしっぽをふった。
そこでわたしはくやしくなって気を入れて勉強した。それで犬がやっと自分の名前の四つの字を拾い出してつづることしかできないのに、わたしはとうとう本を読むことを覚えた。
「さて、おまえはことばを読むことは覚えたが、どうだね、今度は譜を読むことを覚えては」と親方が言った。
「譜を読むことを覚えると、あなたのように歌が歌えますか」とわたしは聞いた。
「ああ。そうするとおまえもわたしのように歌が歌いたいと思うのかい」と親方が答えた。
「とてもそんなによくはできそうもないと思いますけれども、少しは歌いたいと思います」
「じゃあわたしが歌を歌うのを聞くのは好きかい」
「ええ、わたしは、なによりそれが好きです。それはうぐいすの歌よりずっと好きです。けれどもまるでうぐいすの歌とはちがいますね。あなたが歌っておいでになると、ぼくは歌のとおりに泣きたくなることもあるし、笑いたくなることもあります。ばかだと思わないでください。あなたが静かにさびしい歌をお歌いになると、わたしはまたバルブレンのおっかあの所へ帰ったような気がするのです。目をふさいで聞いていると、またうちにいるおっかあの姿が目にうかびますけれども、歌はイタリア語だからわかりません」
わたしはあお向いてかれを見た。かれの目にはなみだがあふれていた。そのときわたしはことばを切って、
「気にさわったのですか」とたずねた。
かれは声をふるわせながら言った。「いいや、気にさわるなんということはないよ。それどころかおまえは、わたしを遠い子どもだったむかしにもどしてくれた。そうだ、ルミや、わたしは歌を教えてあげよう。そうしておまえは情け深いたちだから、やはりその歌で人を泣かせることもできるし、人にほめられるようにもなるだろう」
かれは言いかけてふとやめた。わたしはかれがそのとき、そのうえに言うことを好まないらしいのがわかった。わたしにはかれがそんなに悲しく思うわけがわからなかった。でもあとになって、それはある悲しい事情から初めてわかった。いずれわたしの話の進んだとき、それを言うおりがあるであるう。
そのあくる日、かれは小さく木を切って文字を作ったと同様に音譜をこしらえた。
音譜はABCより入りくんでいた。今度は習うのにもいっそう骨も折れたし、たいくつでもあった。あれほど犬に対してしんぼうのいい親方も、一度ならずわたしにはかんにんの緒を切ったこともあった。かれはさけんだ。
「畜生に対しては、かわいそうな、口のきけないものだと思ってがまんするけれど、おまえではまったく気ちがいにさせられる」と、こうかれは言って、芝居のように両手を空に上げて、急にまた下に下ろして、はげしくももを打った。
自分がおもしろいと思うと、まねをしてはおもしろがっているジョリクールは、今度も主人の身ぶりをまねていた。毎日わたしのけいこのときに、さるはいつもそばにいるので、わたしがつかえでもすると、そのたんびにがっかりした様子をして、かれが両うでを空に上げて、また下に下ろしては、ももを打つところを見ると、わたしはしょげずにはいられなかった。
「ご覧、ジョリクールまでが、おまえをばかにしている」と親方がさけんだ。
わたしが思い切った子なら、さるがばかにしているのは生徒ばかりではなく、先生までもばかにしているのだと言ってやりたかった。けれども失礼だと思ったし、こわさもこわいのでえんりょして、心のうちでそう思うだけで満足した。
とうとう何週間もけいこを続けて、わたしは親方が書いた紙から、曲を読むことができるようになった。もう親方も、両手を空に上げなかった。それどころかかえって、歌うたんびにほめてくれて、この調子でたゆまずやってゆけば、きっとえらい歌うたいになれると言ってくれた。
むろんこれだけのけいこが一日でできあがるはずはなかった。何週間のあいだ何か月のあいだ、わたしのかくしはいつも小さな木ぎれで、いっぱいになっていた。
しかし、わたしの課業は学校にはいっている子どものそれのように、規則正しいものではなかった。親方が課業を授けてくれるのは、そのひまな時間だけであった。
毎日決まった道のりだけは歩いて行かなければならなかった。もっともその道のりは村と村との間が遠いか近いか、それによって長くもなり短くもなった。いくらかでも、収入のある機会を見つけしだい、そこで止まって芝居をうたなければならなかった。犬たちやジョリクール氏に役々の復習をもさせなければならなかった。朝飯も昼飯もてんでんに自分で用意しなければならなかった。読書なり音楽なりの仕事は、つまりそういうもののすんだあとのことであった。まあいちばんよく教えてもちったのは、休憩の時間で、木の根かたや、小砂利の山の上や、または芝生なり、道ばたの草の上が、みんなわたしの木ぎれをならべる机が代わりになった。
この教育法はふつうの子どもの受けるそれとは、少しも似たところがなかった。ふつうの子どもなら、ただ勉強するほかに仕事はないし、それでもかれらはしじゅうあたえられた宿題をやる時間がないといって、ぶつぶつ言うのである。
けれど、勉強に使う時間のあるなしよりも、もっとたいせつなものがあった。それはその仕事に専念するということであった。授かった課業を覚えるのは、覚えるために費される時間ではなくって、それは覚えたいと思う熱心であった。
幸いにわたしは、ぐるりに起こる出来事に心をうばわれることなしに、むちゅうに勉強のできるたちであった。もしそのじぶんわたしが、部屋の中に閉じこもって、両手で耳をふさいで、目を本にはりつけたようにしているのでなければ、勉強のできない生徒のようであったら、わたしになにができたろう、なにもできはしない。なぜというに、わたしには、閉じこもる部屋もなかった。往来に沿って前へ前へと進みながら、ときどきもうつまずいてたおれそうになるほど痛い足の先を、見つめ見つめしてゆかなければならなかった。
だんだんわたしはおかげでいろんなことを覚えた。と同時に親方の授けてくれた課業以上に有益な長い旅行をした。わたしがバルブレンのおっかあの所にいたじぶんには、ごくやせっぽちな子どもであった。みんながわたしを見て言ったことばで、その様子はよくわかる。「町の子どもだ」と、バルブレンは言ったし、「ひどくひょろひょろした手足の子だ」と親方は言った。
ところが親方のあとについて、広い青空の下に困難な生活を続けているあいだに、わたしの手足は強くなり、肺臓は発達し、皮膚は厚くなり、ちょうどかぶとをかぶったように寒さをも暑さをもしのぐことができるようになった。
こうして、このつらいお弟子修業のおかげで、わたしは少年時代に、たいていの困難に打ち勝ってゆく力を養うことのできたのは、あとで思えばひじょうな幸福であった。
山こえて谷こえて
わたしたちはフランスの中央の一部、たとえばローヴェルニュ、ル・ヴレー、ル・リヴァレー、ル・ケルシー、ル・ルーエルグ、レ・セヴェンネ、ル・ラングドックというような土地土地をめぐって歩いた。
わたしたちの流行はしごく簡単であった。どこでもかまわずまっすぐに出かけて行って、あまりびんぼうでない町だと見ると、まず行列を作る用意を始めて、犬たちに着物を着せかえてやり、ドルスの髪にくしを入れてやる。カピが老兵の役をやっているときは、目の上に包帯をしてやる。最後にいやがるジョリクールに大将の軍服を着せる。これがなによりいちばんやっかいな仕事であった。なぜというにこのさるは、これが仕事にかかるまえぶれだということを知りすぎるほど知っていて、なんでも着物を着させまいとするために、それはおかしな芸当を考え出すのであった。そこでわたしはしかたがないからカピを加勢に呼んで来て、二人がかりでどうやらこうやらおさえつけて、言うことを聞かせるのであった。
さて一座残らずの仕度ができあがると、ヴィタリス親方は例のふえでマーチをふきながら村の中へはいって行く。
そこでわれわれのあとからついて来る群衆の数が相応になると、さっそく演芸を始めるが、ほんの二、三人気まぐれな冷やかしのお客だけだとみると、わざわざ足を止める値打ちもないので、かまわずずんずん進んで行く。
一つの町に五、六日も続けて滞留いているようなときには、カピがついていさえすれば、親方はわたしを一人手放して外へ出してくれた。親方はつまりわたしをカピに預けたのである。
「おまえは同じ年ごろの子どもがたいがい学校に行っている時代に、ひょんなことからフランスの国じゅうを歩く回り合わせになっているのだ」と親方はあるときわたしに言った。「だから学校へ行く代わりに、自分で目を開いて、よくものを見て覚えるのだ。見てわからないものがあったら、かまわずにわたしに質問するがいい。わたしだってなんでも知っているわけではないが、一とおりおまえの知りたい心を満足させるだけのことはできるだろう。わたしもいまのような人間でばかりはなかった。かなりむかしはいろいろほかの気のきいたことも知っていた」
「どんなことを」
「それはまたいつか話そうよ。ただまあ、むかしから犬やさるの見世物師でもなかったことだけ知ってもらえばよい。なんでも人間は心がけしだいで、いちばん低い位置からどんなにも高い位置に上ることができる。これも覚えていてもらいたい。それでおまえが大きくなったとき、どうかまあ、気のどくな旅の音楽師が自分を養い親の手から引きさらって行ったときには、つらくもこわくも思ったようなものも、つまりそれがよかったのだと思って、喜んでくれるときがあればいいと思うのだ。まあ、こうして境遇の変わるのが、つまりはおまえのために悪くはないかもしれないのだからな」
いったいこの親方はもとはなんであったろう、わたしは知りたいと思った。
さてわたしたちはだんだんめぐりめぐって行って、ローヴェルニュからケルシーの高原にはいった。これはおそろしくだだっ広くってあれていた。小山が波のようにうねっていて、開けた土地もなければ、大きな樹木もなかったし、人通りはごく少なかった。小川もなければ池もない。所どころ水がかれきって、石ばかりの谷川が目にはいるだけであった。その原っぱのまん中にバスチード・ミュラーという小さな村があった。わたしたちはこの村のある宿屋の物置きに一夜を過ごした。
「そうだ、この村だったよ」とヴィタリス親方が言った。「しかもこの同じ宿屋だったかもしれないが、のちに何万という軍勢を率いる大将がここで生まれたのだ。初めはうまやのこぞうから身を起こして、公爵がなり、のちには王さまになった。名前をミュラーと言った。みんながその人を英雄と呼んで、この村をもその名前で呼ぶことになった。わたしはその男を知っていた。たびたびいっしょに話をしたこともあった」
わたしもさすがにことばをはさまずにはいられなかった。
「うまやのこぞうだったときにですか」
「いいや」と親方は笑いながら答えた。「もう王さまだったじぶんにだよ。今度初めてわたしはこの地方にやって来たのだ。わたしはその男が王さまだったナポリの宮殿で知り合いになったのだ」
「あなたは王さまと知り合いなのですか」
わたしのこういった調子は少しこっけいであったとみえて、親方はさもゆかいそうに笑いだした。
わたしたちはうまやの戸の前のこしかけにこしをかけて、昼間の太陽のぬくもりのまだ残っているかべに背中をおしつけていた。われわれの頭の上におっかぶさっている大きないちじくの木の中で夕ぜみが鳴いていた。母屋の屋根の上には、いま出たばかりの満月が静かに青空に上がっていた。その日は昼間こげるように暑かったので、それがいっそう心持ちよく思われた。
「おまえ、とこにはいりたいか」と親方はたずねた。「それともミュラー王の話でもしてもらいたいと思うか」
「ああ、どうぞそのお話をしてください」
そこで親方はわたしとこしかけの上にいるあいだ、長物語をしてくれた。親方が話をしているうちに、だんだん青白い月の光がななめにさしこんできた。わたしはむちゅうになって耳を立てた。両方の目をすえてじっと親方の顔を見ていた。
わたしはまえにこんなむかし物語などを聞いたことがなかった。だれがそんな話をして聞かせよう。バルブレンのおっかあはとても話すわけがない。かの女はそんな話は少しも知らなかった。かの女はシャヴァノンで生まれて、たぶんはそこで死ぬのだろう。かの女の心は目で見るかぎりをこえて先へは行かなかった。それもアンドゥーズ山の頂から見晴らす地平線上に限られていた。
わたしの親方は王さまに会ったことがある。その王さまはかれと話をした。いったいこの親方は若いときなんであったろう。それがどうしてこの年になって、いまのような身の上になったのだろう……
わたしの、活発に鋭敏に働く幼い想像と好奇心は、この一つのことにばかり働いた。
七里ぐつをはいた大男
南部地方の高原のかわききった土地をはなれてのち、わたしたちは、いつも青あおとした谷間の道を通って、旅を続けた。これはドルドーニュ川の谷で、わたしたちは毎日少しずつこの谷を下りて行った。なにしろこの地方は土地が豊かで、住民も従って富貴であったから、わたしたちの興行の度数もしぜん多くなり、例のカピのおぼんの中へもなかなかたくさんのお金が投げこまれた。
ふと空中に、ふうわりとちょうど霧の中にくもの糸でつり下げられたように、橋が一つ、大きな川の上にかかっていた。川はその下にごくおだやかに流れていた――これはキュブザックの橋で、川はドルドーニュ川であった。
あれた町が一つ、そこには古いおほりもあり、岩屋もあり、塔もあった。修道院のあれたへいの中には、せみが雑木の中で、そこここに止まって鳴いていた――これはセンテミリオン寺であった。
けれどそれもこれもみんなわたしの記憶の中でこんがらがって、ぼやけてしまっているが、そののちほどなく、ひじょうに強い印象をあたえた景色が現れた。それは今日でもありありと、全体のうきぼりがさながら目の前に現れるくらいあざやかであった。
わたしたちはあるごくびんぼうな村に一夜を明かして、あくる日夜の明けないうちから出発した。長いあいだわたしたちは、ほこりっぽい道を歩いて来て、両側にはしじゅうぶどう畑ばかりを見て来たのが、ふと、それはあたかも目をさえぎっていた窓かけがぱらりと落ちたように、眼界が自由に開けた。
大きな川が一つ、わたしたちのそのとき行き着いた丘のぐるりをゆるやかに流れていた。この川のはるか向こうに不規則にゆがんだ地平線までは、大都市の屋根や鐘楼が続いて散らばっていた。どれが家だろう。どれがえんとつだろう。中でいちばん高い、いちばん細いのが、五、六木、柱のように空につっ立って、そのてっぺんからまっ黒なけむりをふき出しては、風のなぶるままに、たなびいて、町の真上に黒いガスの雲をわかしていた。川の上には、ちょうど中ほどの河岸通りに沿って数知れない船が停泊して、林のようにならんだ帆柱や、帆づなや、それにいろいろの色の旗を風にばたばた言わせながらおし合いへし合いしていた。がんがんひびく銅や鉄の音やつちの音、そういう物音の中に、河岸通りをからから走って行くたくさんの車の音が交じって聞こえた。
「これがボルドーだ」と親方がわたしに言った。
わたしのような子どもにとっては――その年までせいぜいクルーズのびんぼう村か、道みち通って来たいくつかのちっぽけな町のほかに見たことのない子どもにとっては、これはおとぎ話の国であった。
なにを考えるともなく、わたしの足はしぜんと止まった。わたしはじっと立ち止まったまま、前のほうをながめたり、後ろのほうをながめたり、ただもうぼんやりそこらを見回していた。
しかし、ふとわたしの目は一点にとどまった。それは川の面をふさいでいるおびただしい船であった。
つまりそれはなんだかわけのわからない、ごたごたした活動であったが、それが自分でもはっきりつかむことのできない、ひじょうに強い興味をわたしの心にひき起こした。
いくそうかの船は帆をいっぱいに張って、一方にかたむきながら、ゆうゆうと川を下って行くと、こちらからは反対に上って行った。島のように動かずに止まっているものもあれば、どうして動いているかわからないで、くるくる回っている船もあった。最後にもう一つ、帆柱もなければ、帆もなしに、ただえんとつの口から黒いけむりのうずを空に巻きながら、黄ばんだ水の上に白いあわのあぜを作りながら、ずんずん走っているものもあった。
「ちょうどいまが満潮だ」と親方はこちらから問いかけもしないのに、わたしのおどろいた顔に答えて言った。
「長い航海から帰って来た船もある。ほら、ペンキがはげてさびついたようになっているだろう。あすこへは港をはなれて行く船がある。川のまん中にいる船が満潮にかじを向けるようなふうに、いかりの上でくるくる回っている。けむりの雲の中を走って行く船は引き船だ」
わたしにとってはなんということばであろう。なんという目新しい事実であろう。
わたしたちが、パスチードとボルドーを通じている橋の所へ来るまでに、親方はわたしが聞きたいと思った質問の百分の一に答えるだけのひまもなかった。
これまでわたしたちはけっしてとちゅうの町で長逗留をすることはなかった。なぜというに、しじゅう見物をかえる必要から、しぜん毎日興行の場所をも変えなければならなかった。それに『名高いヴィタリス親方の一座』の役者では、狂言の芸題をいろいろにかえてゆく自由がきかなかった。『ジョリクール氏の家来』『大将の死』『正義の勝利』『下剤をかけた病人』、そのほか三、四種の芝居をやってしまえば、もうおしまいであった。それで一座の役者の芸は種切れであった。そこでまた場所を変えて、まだ見ない見物の前で、これらの狂言を、相変わらず、『下剤をかけた病人』か、『正義の勝利』をやらなければならなかった。
しかし、ボルドーは大都会である。見物は容易に入れかわったし、場所さえ変えると毎日三、四回の興行をすることができた。それでもカオールに行ったときのように、『いつでも同じことばかりだ』とどなられるようなことはなかった。
ボルドーを打ち上げてから、わたしたちはポーへ行かなければならなかった。そのとちゅうでは大きなさばくをこえなければならなかった。さばくはボルドーの町の門からピレネーの連山まで続いていて、『ランド』という名で呼ばれていた。
もうわたしもおとぎ話にある若いはつかねずみのように、見るもの聞くものが驚嘆や恐怖の種になるというようなことはなかった。それでもわたしはこの旅行の初めから、親方を笑わせるような失敗を演じて、ポーに着くまで、そのためなぶられどおしになぶられるほかはなかった。
わたしたちは七、八日のちボルドーを出発した。ガロンヌ川沿岸の土地を回ったのち、ランゴンで川をはなれて、モン・ド・マルサンへ行く道をとった。その道はつま先下がりに下がっていった。もうぶどう畑もなければ、牧場もない。果樹園もない、ただまつと灌木の林があるだけであった。やがて人家もだんだん少なくなり、だんだんみすぼらしくなった。とうとうわたしたちは大きな高原のまん中にいた。所どころ高低はあっても、日の届くかぎり野原であった。畑地もなければ森もない、遠方から見るとただ一色のねずみ色の土地であった。道の両側がうす黒いこけや、しなびきった灌木や、いじけたえにしだでおおわれていた。
「わたしたちはランドの中に来たのだ」と親方が言った。「このさばくのまん中まで行くには二十里か二十五里(八十キロか百キロ)行かなければならない。しつかり足に元気をつけるのだぞ」
元気をつけなければならないのは足だけではなかった。頭にも、胸にも、元気をつけなければならなかった。なぜといって、もう終わる時のないように広いさばくの道を歩いて行くとき、だれでもばんやりして、わけのわからない悲しみと、がっかりしたような心持ちに胸がふさがるのであった。
そののちもわたしはたびたび海上の旅をしたが、いつも大洋のまん中で帆かげ一つ見えないとき、わたしはやはりこの無人の土地で感じたとおりの言いようもない悲しみを、また経験したことがあった。
大洋の中にいると同様に、わたしたちの日は遠い秋霧の中に消えている地平線まで届いていた。ひたすら広漠と単調が広がっている灰色の野のほかに、なにも目をさえぎるものがなかった。
わたしたちは歩き続けた。でも機械的にときどきぐるりと見回すと、やはりいつまでも同じ場所に立ち止まったまま、少しも進んでいないように思われた。目に見える景色はいつでも同じことであった。相変わらずの灌木、相変わらずのえにしだ、相変わらずのこけであった。風がふくとやわらかなわらびの葉がなよなよと動いて、まるで波の走るように高く低く走った。
ずいぶん長いあいだをおいて、たまさか、わたしたちはちょいとした森を通りぬけることがあったが、その森はふつうの森のように、とちゅうの興をそえるようなものではなかった。いつもまつの木の森で、そのえだはこずえまで風に打ち落とされていた。幹に長く、深い傷がえぐれていた。その赤い傷口からすきとおったまつやにのなみだが流れ出していた。風が傷口からふきこむと、いかにも悲しそうな音楽を奏して、この気のどくなまつがみずから痛みをうったえる声のように聞かれた。
わたしたちは朝から歩き続けていた。親方は夜までにはどこかとまれる村に着くはずだと言っていた。けれど夜になっても、その村らしいものは見えなかったし、人家に近いことを知らせるけむりも上がらなかった。
わたしはくたびれたし、ねむたかった。わたしたちは前途はただ原っぱを見るだけであった。
親方もやはりくたびれていた。かれは足を止めて道ばたに休もうとした。
わたしはそれよりも、左手にあった小山に登って、村の火が見えるかどうか見たいと思った。
わたしはカピを呼んだが、カピもやはりくたびれていたので、呼んでも聞こえないふりをしていた。これはいつでも言うことを聞きたくないときにカピのやることであった。
「おまえ、こわいのか」とヴィタリスは言った。
この質問がすぐにわたしを奮発さして、一人で行く気を起こさせた。
夜はすっかり垂れまくを下ろした。月もなかった。空の上には星の光がうすもやの中にちらちらしていた。歩いて行くと、そこらのさまざまな物がぼんやりした光の中できみょうな幽霊じみた形をしているように見えた。野生のえにしだが、頭の上にぬっと高く延びて、まるでわたしのほうへ向かって来るように見えた。上へ登れば登るほどいばらや草むらはいよいよ深くなって、わたしの頭をこして、上でもつれ合っていた。ときどきわたしはその中をくぐってぬけて行かなければならなかった。
けれどわたしはぜひも頂上まで登らなければならないと決心した。でもやっとのこと登ってみれば、どちらを見ても明かりは見えなかった。ただもうきみょうな物の形と、大きな樹木が、いまにもわたしをつかもうとするようにうでを延ばしているだけであった。
わたしは耳を立てて、犬の声か、雌牛のうなり声でも聞こえはしないかと思ったが、ただもうしんと静まり返っていた。
どうかして聞き取ろうと思うから、耳をすませて、自分の立てる息の音さええんりょをして、わたしはしばらくじっと立っていた。
ふとわたしはぞくぞく身ぶるいがしだした。このさびしい、人気のない荒野原の静けさが、わたしをおびやかしたのであった。なんにわたしはおびえたのであったか、たぶんあまり静かなことが……夜が……とにかく言いようのない恐怖がわたしの心にのしかかるようにしたのであった。わたしの心臓は、まるでそこになにか危険がせまったようにどきついた。
わたしはこわごわあたりを見回した。するとそのとき、遠方に大きな姿をしたものが木の中で動いているのを見た。それといっしょにわたしは木のえだのがさがさいう音を聞いた。
わたしは無理に、それは自分の気の迷いだと思いこもうとした。きっとそれは木のえだか灌木のかげかなんぞだったのだ。
けれど、そのとき風は、木の葉を動かすほどの軽い風もふいてはいなかった。はげしい風でふかれるか、だれかがさわらないかぎり動くはずはなかったのである。
「だれかしら」
いや、この自分のほうを目ざしてやって来る大きな影法師が人間であるはずがなかった――わたしのまだ知らないなにかのけものか、またはおそろしい大きな夜鳥か、大きなばけぐもが木の上をとびこえて来るのだ。なんにしても確かなことは、この化け物はおそろしく長い足をしていて、ばかばかしく早く飛んで来るということであった。
それを見るとわたしはあわてて、あとをも見ずに、足に任せて小山をかけ下りて、ヴィタリスのいる所までにげようとした。
けれどきみょうなことに、登るときだけに早くわたしの足が進まなかった。わたしはいばらや、雑草のやぶの中に転がって、二足ごとにひっかかれた。
ちくちくするいばらの中からはい出して、わたしはふと後ろをふり向いてみた。怪物はいよいよ近くにせまっていた。もういまにも頭の上にとびかかりそうになっていた。
運よく野原はそういばらがなかったので、いままでよりは、早くかけだすことができた。
でもわたしがありったけの速力で、競争しても、その怪物はずんずん追いぬこうとしていた。もう後ろをふり返る必要はなかった。それがわたしのすぐ背中にせまっていることはわかっていた。
わたしは息もつけなかった。競争でつかれきっていた。ただはあすう、はあすう言っていた。しかし最後の大努力をやって、わたしは転げこむように親方の足もとにかけこんだ。三びきの犬はあわててはね起きて、大声でほえた。わたしはやっと二つのことばをくり返した。
「化け物が、化け物が」
犬たちのけたたましいほえ声よりも高く、はちきれそうな大笑いの声を聞いた。それと同時に親方は両手でわたしの肩をおさえて、無理に顔を後ろにふり向けた。
「おばかさん」とかれはさけんで、まだ笑いやめなかった。「まあよく見なさい」
そういうことばよりも、そのけたたましい笑い声がわたしを正気に返らせた。わたしは片目ずつ開けてみた。そうして親方の指さすほうをながめた。
あれほどわたしをおどかした怪物はもう動かなくなって、じつと往来に立ち止まっていた。
その姿を見ると、正直の話わたしはまたふるえだした。けれど今度はわたしも親方や犬たちのそばにいるのだ。草やぶのしげった中に独りぼっちいるのではなかった……わたしは思い切って目を上げて、じっとその姿を見つめた。
けものだろうか。
人だろうか。
人のようでもあって、胴はあるし、頭も両うでもあった。
けものらしくもある。けれどもかぶっていた毛むくじゃらな身の皮と、それをのせているらしい二本の長細いすねは、それらしい。
夜はいよいよ暗かったが、この黒い影法師は星明かりにはっきりと見えた。
わたしはしばらく、それがなんだかまだわからずにいたのであったが、親方はやがてその影法師に向かって話をしかけた。
「まだ村にはよほど遠いでしょうか」と、かれはていねいにたずねた。
話をしかけるところから見れば人間だったか。
だがそれは返事はしないで、ただ黙った。その笑い声は鳥の鳴き声めいていた。
するとけものかな。
主人はやはり問いを続けた。
こうなると、それが今度口をきいて返事をしたら、やはり人間にちがいなかった。
ところでわたしのびっくりしたことには、その怪物は、この近所には人家はないが、ひつじ小屋は一けんあるから、そこへ連れて行ってやろうと言った。
おやおや、口がきけるのに、なぜけものような前足があるのだろう。
わたしに勇気があったら、その男のそばへ行って、どんなふうに前足ができているか見て来るところであったろうが、わたしはまだ少しこわかった。そこで背嚢をしょい上げてひと言も言わずに親方のあとについて行った。
「これでおまえ、正体がわかったろう」と親方は言って、道みち歩きながらも笑っていた。
「でもぼくはまだなんだかわかりません。じやあこのへんには大男がいるのですか」
「そうさ。竹馬に乗っていれば大男にも見えるさ」
そこでかれはわたしに説明してくれた。砂地や沼沢か多いランド地方の人は、沼地を歩くとき水にぬれないように、竹馬に乗って歩くというのであった。なんてわたしはばかだったのであろう。
「これでこのへんの人が、七里ぐつをはいた大男になって、子どもをこわがらせたわけがわかったろうね」
裁判所
ポー市にはゆかいな記憶がある。そこは冬ほとんど風のふかない心持ちのいい休み場であった。
わたしたちはそこに冬じゅういた。金もずいぶんたくさん取れた。お客はたいてい子どもたちであったから、同じ演芸を何度も何度もくり返してやってもあきることがなかった。金持ちの子どもたちで、多くはイギリス人とアメリカ人の子どもであった。ぽちゃぽちゃとかわいらしく太った男の子、それに、大きな優しい、ドルスの目のような美しい目をした女の子たちであった。そういう子どもたちのおかげでわたしはアルバートだのハントリだのという菓子の味を覚えた。なぜというに子どもたちはいつでもかくしにいっぱいお菓子をつめこんで来ては、ジョリクールと犬とわたしに分けてくれたからであった。
けれども春が近くなるに従って、お客の数はだんだん少なくなった。芝居がすむと一人ずつまた二人ずつ、子どもたちはやって来て、ジョリクールとカピとドルスに握手をして行った。みんなさようならを言いに来たのであった。そこでわたしたちもまたなつかしい冬の休息所を見捨てて、またもや果て知れない漂泊の旅に出て行かなければならなかった。それはいく週間と知らない長いあいだ、谷間をぬけ山をこえた。いつもピレネー連山のむらさき色のみねを横に見た。それはうずたかくもり上がった雲のかたまりのように見えていた。
さてある晩わたしたちは川に沿った豊かな平野の中にある大きな町に着いた。赤れんがのみっともない家が多かった。とんがった小砂利をしきつめた往来が、一日十二マイル(約十九キロ)も歩いて来た旅行者の足をなやました。親方はわたしに、ここがツールーズの町だと言って、しばらくここに滞留するはずだと話した。
例によってそこに着いていちばん初めにすることは、あくる日の興行につごうのいい場所を探すことであった。
つごうのいい場所はけっして少なくはなかったが、とりわけ植物園の近傍(近所)のきれいな芝生には、大きな樹木が気持ちのいいかげを作っていて、そこへ広い並木道がほうぼうから集まっていた。その並木道の一つで第一回の興行がすることにした。すると初日からもう見物の山を築いた。
ところで不幸なことに、わたしたちが仕度をしているあいだ、巡査が一人そばに立っていて、わたしたちの仕事を不快らしい顔で見ていた。その巡査はおそらく犬がきらいであったか、あるいはそんな所にわれわれの近寄ることをふつごうと考えたのか、ひどくふきげんでわたしたちを追いはらおうとした。
追いはらわれるままにわたしたちはすなおに出て行けばよかったかもしれなかった。わたしたちは巡査にたてをつくほどの力はないのであったが、しかし親方はそうは思わなかった。
かれはたかが犬を連れていなかを興行いて回る見世物師の老人ではあったが、ひじょうに気位が高かったし、権利の思想をじゅうぶんに持っていたかれは、法律にも警察の規律にも背かないかぎりかえって警察から保護を受けなければならないはずだと考えた。
そこで巡査が立ちのいてくれと言うと、かれはそれを拒絶した。
もっとも親方はひじょうにていねいであった。親方があまりはげしくおこらないとき、または他人をすこし愚弄(ばかにする)しかけるときするくせで、まったくかれはそのイタリア風の慇懃(ばかていねい)を極端に用いていた。ただ聞いていると、かれはなにか高貴な有力な人物と応対しているように思われたかもしれなかった。
「権力を代表せられるところの閣下よ」とかれは言って、ぼうしをぬいでていねいに巡査におじぎをした。「閣下は果たして、右の権力より発動しまするところのご命令をもって、われわれごときあわれむべき旅芸人が、公園においていやしき技芸を演じますることを禁止せられようと言うのでございましょうか」
巡査の答えは、議論の必要はない、ただだまってわたしたちは服従すればいいというのであった。
「なるほど」と親方は答えた。「わたくしはただあなたがいかなる権力によって、このご命令をお発しになったか、それさえ承知いたしますれば、さっそくおおせつけに服従いたしますことを、つつしんで誓言いたしまする」
この日は巡査も背中を向けて行ってしまった。親方はぼうしを手に持ってこしを曲げたまま、にやにやしながら、旗を巻いて退く敵に向かって敬礼した。
けれどその翌日も、巡査はまたやって来た。そうしてわたしたちの芝居小屋の囲いのなわをとびこえて、興行なかばにかけこんで来た。
「この犬どもに口輪をはめんか」と、かれはあらあらしく親方に向かって言った。
「犬に口輪をはめろとおっしゃるのでございますか」
「それは法律の命ずるところだ。きさまは知っているはずだ」
このときはちょうど『下剤をかけた病人』という芝居をやっている最中でツールーズでは初めての狂言なので、見物もいっしょうけんめいになっていた。
それで巡査の干渉に対して、見物がこごとを言い始めた。
「じゃまをするない」
「芝居をさせろよ、おまわりさん」
親方はそのときまず見物のさわぐのをとどめて、さて毛皮のぼうしをぬぎ、そのかざりの羽根が地面の砂と、すれすれになるほど、三度まで大げさなおじぎを巡査に向かってした。
「権力を代表せられる令名高き閣下は、わたくしの一座の俳優どもに、口輪をはめろというご命令でございますか」
とかれはたずねた。
「そうだ。それもさっそくするのだ」
「なに、カピ、ゼルビノ、ドルスに口輪をはめろとおっしゃるか」親方は巡査に向かって言うよりも、むしろ見物に対して聞こえよがしにさけんだ。「さてさてこれは皮肉なお考えですな。なぜと申せば、音に名高き大先生たるカピ君が、鼻の先に口輪をかけておりましては、どうして不幸なるジョリクール氏が服すべき下剤の調合を命ずることができましょう。物もあろうに口輪などとは、氏が医師たる職業がふさわしからぬ道具であります」
この演説が見物をいっせいに笑わした。子どもたちの黄色い声に親たちのにごった声も交じった。親方はかっさいを受けると、いよいよ図に乗って弁じ続けた。
「さてまたかの美しき看護婦ドルス嬢にいたしましても、ここに権力の残酷なる命令を実行いたしましたあかつきには、いかにしてあの巧妙なる弁舌をもって、病人に勧めてよくその苦痛を和ぐる下剤を服用させることができましょうや。賢明なる観客諸君のご判断をあおぎたてまつります」
見物人の拍手かっさいと笑い声で、しかしその答えはじゅうぶんであった。みんなは親方に賛成して巡査を嘲弄した。とりわけジョリクールがかげでしかめっ面をするのをおもしろがっていた。このさるは『権力が代表せられる令名高き閣下』の真後ろに座をかまえてこっけいなしかめっ面をして見せていた。巡査は両うでを組んで、それからまた放して、げんこつをこしに当てて、頭を後ろに反らせていた。そのとおりをさるはやっていた。見物人らはおかしがって、きゃっきゃっと言っでいた。
巡査はそのときふとなにをおもしろがっているのか見ようとして後ろをふり向いた。するとしばらくのあいださると人間とはたがいににらみ合わなければならなくなった。どちらが先に目をふせるか問題であった。
群衆はおもしろがって金切り声を上げていた。
「きさまの飼い犬があすも口輪をしていなかったらすぐきさまを拘引する。それだけを言いわたしておく」
「さようなら閣下。ごきげんよろしゅう。いずれ明日」と親方は言って頭を下げた。
巡査が大またに出て行くと、親方はこしをほとんど地べたにつくほどに曲げて、からかい面に敬礼していた。そして芝居は続けて演ぜられた。
わたしは親方が犬の口輪を買うかと思っていたけれども、かれはまるでそんな様子はなかった。その晩は巡査とけんかをしたことについては一言の話もなしに過ぎた。
わたしはとうとうがまんがしきれなくなって、こちらからきりだした。
「あしたもしカピが芝居の最中に、口輪を食い切るようなことがあるといけませんから、まえからそれをはめておいて慣らしてやらないでもいいでしょうか。わたしたちはカピによくはめているように教えこむことができるでしょう」
「おまえはあれらの小さな鼻の上にそんな物をのせたいとわたしが思っているというのか」
「でも巡査がやかましく言いますから」
「おまえはんのいなかの子どもだな。百姓らしくおまえは巡査をこわがっているのか。心配するなよ。わたしはあしたうまい具合に取り計らって、巡査がわたしをつかまえることのできないようにするし、そのうえ犬がふゆかいな目に会わないようにしてやるつもりだ。それに見物も少しはうれしがるだろう。この巡査はおかげでわたしたちによけいな金もうけをさせてくれることになるだろう。おまけにあいつは、わたしがあいつのためにしくんでおいた芝居で道化役を演じることになるだろう。さてあしたは、おまえはあそこへジョリクールだけを連れて行くのだ。おまえはなわ張りをして、ハーブで二、三回ひくのだ。やがておおぜい見物が集まって来れば、巡査めさっそくやって来るだろう。そこへわたしは犬を連れて現れることにする。それから茶番が始まるのだ」
わたしはそのあくる日一人で行きたいことは少しもなかったけれども、親方の言うことには服従しなければならないと思った。
さてわたしはいつもの場所へ出かけて、囲いのなわを回してしまうと、さっそく曲をひき始めた。見物はぞろぞろほうぼうから集まって来て、なわ張りの外に群がった。
このごろではわたしもハープをひくことを覚えたし、なかなかじょうずに歌も歌った。とりわけわたしはナポリ小唄を覚えて、それがいつも大かっさいを博した。けれどもきょうだけは見物がわたしの歌をほめるために来たのでないことはわかっていた。
きのう巡査との争論を見物した人たちは残らず出て来たし、おまけに友だちまで引っ張って来た。いったいツールーズの土地でも巡査はきらわれ者になっていた。それで公衆はあのイタリア人のじいさんがどんなふうにやるか。「閣下、いずれ明日」と言った捨てぜりふの意味がなんであったか、それを知りたがっていたのである。
それで見物の中には、わたしがジョリクールと二人だけなのを見て、わたしの歌っている最中口を入れて、イタリアのじいさんは来るのかと言ってたずねる者もあった。
わたしはうなずいた。
親方は来ないで、先に巡査がやって来た。ジョリクールがまっ先にかれを見つけた。
かれはさっそくげんこつをこしの上に当てて、こっけいないばりくさった様子で、大またに歩き回った。群衆はかれの道化芝居をおかしがって手をたたいた。
巡査はこわい目つきをしてわたしをにらみつけた。
いったいこの結末はどうなるだろう。わたしは少し心配になってきた。ヴィタリス親方がいてくれれば、巡査に答えることもできよう。巡査がわたしに立ちのけと命令したら、わたしはなんと言えばいいのだ。
巡査はなわ張りの外を行ったり来たりしていた。それもわたしのそばを通るときには、なんだか肩ごしにわたしをにらみつけるようにした。それでいよいよわたしは気が気でなかった。
ジョリクールは事件の重大なことを理解しなかった。そこでおもしろ半分なわ張りの中で巡査とならんで歩きながら、その一挙一動を身ぶりおかしくまねていた。おまけにわたしのそばを通るときには、やはり巡査のするように首を曲げて、肩ごしににらみつけた。その様子がいかにもこっけいなので、見物はなおのことどっと笑った。
わたしはあんまりやりすぎると思ったから、ジョリクールを呼び寄せた。けれどもかれはとても言うことを聞くどころではなかった。わたしがつかまえようとすると、ちょろちょろにげ出して、す早く身をかわしては、相変わらずとことこ歩いていた。
どうしてそんなことになったかわからなかったが、たぶん巡査はあんまり腹を立てて気がちがったのであろう。なんでもわたしがさるをけしかけているように思ったとみえて、いきなりなわ張りの中へとびこんで来た。
と思うまにかれはとびかかって来て、ただ一打ちでわたしを地べたの上にたたきたおした。
わたしが目を開いて起き上がろうとすると、ヴィタリス老人はどこからとび出して来たものか、もうそこに立っていた。かれはちょうど巡査のうでをおさえたところであった。
「わたしはあなたがその子どもを打つことを止めます。なんというひきょうなまねをなさるのです」とかれはさけんだ。
しばらくのあいだ二人の人間はにらみ合って立っていた。
巡査はおこってむらさき色になっていた。
親方はどうどうとした様子であった、かれは例の美しいしらが頭をまっすぐに上げて、その顔には憤慨と威圧の表情がうかべていた。その顔つきを見ただけで巡査を地の下にもぐりこませるにはじゅうぶんであった。
けれどもかれはどうして、そんなことはしなかった。かれは両うでを広げて親方ののど首をつかまえて、乱暴に前へおし出した。
ヴィタリス親方はよろよろとしてたおれかけたが、す早く立ち直って、平手で巡査のうで首を打った。
親方はがんじょうな人ではあったが、なんといっても老人であった。巡査のほうは年も若いし、もっとがんじょうであった。このけんかがどうなるか、長くは取っ組めまいと、わたしははらはらしていた。
けれども取っ組むまでにはならなかった。
「あなたはどうしようというのです」
「わたしといっしょに来い」と巡査は言った。「拘引するのだ」
「なぜあの子を打ったのです」と親方は質問した。
「よけいなことを言うな。ついて来い」
親方は返事をしないで、わたしのほうをふり向いた。
「宿屋へ帰っておいで」とかれは言った。「犬といっしょに待っておいで。あとで口上で言って寄こすから(ことずてをするから)」
かれはそのうえもうなにも言う機会がなかった。巡査はかれを引きずって行った。
こんなふうにして、親方が余興にしくんだ狂言はあっけなく結末がついた。
犬たちは初め主人のあとについて行こうとしたけれども、わたしが呼び返すと、服従に慣らされているので、かれらはわたしのほうへもどって来た。気をつけてみるとかれらは口輪をはめていた。けれどもそれはふつうの金あみや金輪ではなくって、ただ細い絹糸を二、三本、鼻の回りに結びつけて、あごの下にふさを垂らしてあった。白いカピは赤い糸を結んでいた。黒いゼルビノは白い糸を結んでいた。そうしてねずみ色のドルスは水色の糸を結んでいた。気のどくな親方はこんなふうにして、いかめしい権力の命令を逆に喜劇の種に利用しようとしていたのである。
群衆はさっそく散ってしまった。二、三人ひま人が残っていまの事件を論じ合っていた。
「あのじいさんがもっともだよ」
「いや、あの男がまちがっている」
「なんだって巡査は子どもを打ったのだ。子どもはなにもしやしなかった。ひと言だって口をききはしなかった」
「とんだ災難さ。巡査に反抗したことを証明すれば、あのじいさんは刑務所へやられるだろう、きっと」
わたしはがっかりして宿屋へ帰った。
わたしはこのころでは毎日だんだんと親方が好きになっていた。わたしたちは朝から晩までいっしょにくらしてきた。どうかすると夜から朝までも同じわらのねどこにねむっていた。どんな父親だって、かれがわたしに見せたような行き届いた注意をその子どもに見せることはできなかった。かれはわたしに字を読むことも、計算することも教えてくれたし、歌を歌うことも教えてくれた。長い流浪の旅のあいだに、かれはこのことあのことといろいろにしこんでくれた。たいへん寒い日には、毛布を半分わけてくれたし、暑い日にはいつもわたしの代わりに荷物をかついでくれた。それから食事のときでもかれはけっして、自分がいい所を食べて悪い所をわたしにくれるというようなことはしなかった。それどころか、かれはいい所も悪い所も同じように分けてくれた。なるほどときどきはわたしがいやなほど、ひどく乱暴に耳を引っ張ることもあったけれど、わたしに過失があれば、それもしかたがなかった。一言で言えばわたしはかれを愛していたし、かれはわたしを愛していた。
だからこの別れはわたしにはなによりつらいことであった。
いつまたいっしょになれるだろうか。
いったいどのくらい牢屋へ入れておくつもりなのだろう。
そのあいだわたしはどうしたらいいだろう。どうして生きてゆこう。
ヴィタリス親方はいつもからだに金をつけている習慣であった。それが引っ張られて行くときになにもわたしに置いて行くひまがなかった。
わたしはかくしに五、六スーしか持っていなかった。それだけでジョリクールと犬とわたしの食べるだけの物が買えようか。
わたしはそれから二日のあいだ、宿屋から外へ出る気にもならずに、ぼんやりくらしてしまった。さるも犬もやはりすっかりしょげきっていた。
やっとのことで三日目に一人の男が親方の手紙を届けて来た。その手紙によると、親方はこのつぎの土曜日に、警察権に反抗し、かつ巡査に手向かいをした科で裁判を受けるはずになっていた。
「わたしがかんしゃくを起こしたのは悪かった」と手紙に書いてあった。「とんだ災難を招いたがいまさらいたしかたもない。裁判所へ来てごらん、教訓になることがあるであろう」
こういって、それからなお二、三の注意を書きそえて、自分に代わって犬やさるたちをかわいがってくれるようにと書いてあった。
わたしが手紙を読んでいるあいだ、カピがわたしの両足の間にはいって、鼻を手紙にこすりつけて、くんくんやっていた。かれが尾をふる具合で、わたしはかれがこの手紙が主人から来たことを知っていると思った。この三日のあいだにかれが少しでもうれしそうな様子を見せたのはこれが初めてであった。
わたしは土曜日の朝早く裁判所に行って、いの一番に傍聴席にはいった。巡査とのけんかを目撃した人たちの多くがやはり来ていた。わたしは裁判所に出るのがなんだかこわかったので、大きなストーブのかげにはいってかべにくっついて、できるだけ小さくからだをちぢめていた。
どろぼうをして拘引された男や、けんかをしてつかまった男が初めに裁判を受けた。弁護人は無罪を言い張っていたけれど、それはみんな有罪を宣告された。
いちばんおしまいに親方が引き出された。かれは二人の憲兵の間にはさまってこしかけにかけていた。
はじめにかれがなにを言ったか、人びとがかれになにをたずねたか、わたしはひじょうに興奮しきっていたのでよくわからなかった。
わたしはただじっと親方を見ていた。
かれはしらが頭を後ろに反らせて、まっすぐに立っていた。かれははじて苦んでいるように見えた。裁判官は尋問を始めた。
「おまえは、おまえを拘引しようとした警官を何回も打ったことを承認するか」と、裁判官は言った。
「何回も打ちはいたしません、閣下」と親方は言った。「わたしはただ一度手を上げました。わたくしはいつもの演芸をいたしまする場所にまいりますと、ちょうど警官がわたくしの連れています子どもを地の上に打ちたおすところを見たのでございます」
「その子はおまえの子ではないだろう」
「はい、しかしわたくしの実子同様にかわいがっております。それで警官がかれを打ちますところを見て、わたしはかっととりのぼせまして、警官が打とうとする手をおさえました」
「おまえは警官を打ったろう」
「警官がわたくしに向かって手をあげましたから、わたくしはもはや警官としてではない、通常の人としてこれに向かってのであります。まったくいかりに乗じた結果であります」
「おまえぐらいの年輩でいかりに乗ずるということはないはずだ」
「そうです。そういうはずはないのですが、人はおうおう不幸にして過失におちいりやすいのです」
巡査はそれから自分の言い分を申し立てた。それは打たれたことよりも、より多く自分が嘲弄(あざける)された事実についてであった。
親方の目はそのあいだ部屋の中を探すようであった。それはわたしがいるかどうか探しているのだということがわかっていたから、わたしは思い切ってかくれ場所からとび出して、おおぜいの中をおし分けながら、前へ出て、いちばん前の列の、かれの席に近い所へ出た。かれのさびしい顔はわたしを見るとかがやきだした。わたしの目にもなみだがあふれ出した。
まもなく裁判は決まった。かれは二か月の禁固と、百フランの罰金に処せられることになった。
ああ、二か月の禁固。
ドアは開かれた。なみだにぬれた目の中からわたしは、かれが憲兵のあとからついて行くのを見た。ドアはその後ろからばたんと閉ざされた。ああ、二か月の別れ。
どこへわたしは行こう。
船の上
わたしが重たい心で、赤い目をふきふき宿屋に帰ると、ちょうど亭主が庭に出ていた。
わたしは犬のいる所へ行こうとしてその前を通ると、かれはわたしを引き止めた。
「どうだ、親方は」とかれは言った。
「有罪の宣告を受けました」
「どのくらい」
「二か月の禁固です」
「罰金はどのくらい」
「百フラン」
「二か月……百フラン」かれは二、三度くり返した。
わたしはずんずん行こうとした。するとかれはまた引き止めた。
「その二か月のあいだおまえはどうするつもりだ」
「ぼくはわかりません」
「おや、おまえわからないと。おまえ、とにかく自分も食べて、犬やさるに食べ物を買ってやるお金がなければなるまい」
「いいえ、ないのです」
「じゃあ、おまえはわたしが養ってくれると思っているのか」
「いいえ、わたしはだれのやっかいになろうとも思いません」
それはまったくであった。わたしはだれのやっかいにもなるつもりはなかった。
「おまえの親方はこれまでも、もうずいぶんわたしに借りがある」とかれは言った。「わたしは二か月のあいだ金をはらってもらえるかどうかわからずに、おまえをとめておくことはできない。出て行ってもらわなければならないのだ」
「出て行く。どこへ行ったらいいでしょう」
「それはわたしの知ったことではない。わたしはおまえのおやじでも親方でもなんでもないからな。どうしておまえの世話をしてやれよう」
しばらくのあいだわたしは目がくらくらとした。亭主の言うことはもっともであった。どうしてかれがわたしの世話をしてくれよう。
「さあ、犬とさるを連れて出て行ってくれ。親方の荷物は預かっておく。親方が刑務所から出て来れば、いずれここへ寄るだろうし、そのときこちらの始末もつけてもらおう」
このことばから、ある考えがわたしの心にうかんだ。
「いずれそのときはお勘定をはらうことになるでしょうから、それまでわたしを置いてはくださいませんか。その勘定にわたしのぶんも加えてはらえばいいでしょう」
「おやおや、おまえの親方は二日分の食料ぐらいははらえるかもしれんが、二か月などはとてもとてもだ。そりやあまるで別な話だよ」
「わたしはいくらでも少なく食べますから」
「だが、犬もいればさるもいる。いけないいけない。出て行ってくれ。どこかいなかで仕事を見つけて、金をもらって歩けばいいのだ」
「でも親方が刑務所から出て来たときに、どうしてわたしを探すでしょう。きっとこちらへ訪ねて来るにちがいありません」
「だからおまえもその日にここへ帰って来ればいいのだ」
「それでもし手紙が届いたら」
「手紙は取っておいてやるよ」
「でもわたしが返事を出さなかったら……」
「まあいつまでもうるさいな。急いで出て行ってくれ。五分間の猶予をやる。五分たってわたしが帰って来ても、まだここにいれば承知しないから」
わたしはこの男と言い合うのはむだだということを知っていた。わたしは出て行かなければならなかった。
わたしは犬とジョリクールを連れにうまやへ行った。それから肩にハープをしょって、宿を出た。
わたしは大急ぎで町を出なければならなかった。なぜというに、犬に口輪がはめてないのだから、巡査にとがめられてもなんと答えようもなかった。わたしには金がないといおうか、それはまったくであった。わたしはかくしにたった十一スーしか持たなかった。それだけでは口輪を買うにも足りなかった。巡査がわたしを拘引するかもしれない。親方もわたしも二人とも刑務所に入れられたら、犬やさるはどうなるだろう。わたしは自分の位置に責任を感じていた。
わたしが足早に歩いて行くと、犬たちが顔を上げてながめた。その様子をどう見ちがえようもなかった。かれらは腹が減っていた。
わたしの背嚢に乗っていたジョリクールは、しじゅうわたしの耳を引っ張って無理に自分の顔を見させようとした。わたしが顔を向けると、かれはせっせと腹をかいて見せた。
わたしもやはり腹がすいていた。わたしたちは朝飯を食べなかった。わたしの持っている十一スーでは昼食と晩食を食べるには足りなかった。そこでわたしたちは一食で両方兼帯の昼食を食べて、満足しなければならなかった。
わたしたちは巡査に出っくわさないように、少しでも急いで市中をはなれなければならなかったから、どの道をどう行くなんていうことはかまわなかった。どの道を歩いても同じことであった。どこへ行っても食べるには金が要るし、宿屋へとまれば宿銭を取られる。それにねむる場所を見つけるくらいはたいしたことではなかった。このごろの暖かい季節ではわたしたちは野天にねむることができた。
さしせまっているのは食物だ。
一休みもせずに、わたしたちは二時間ばかり歩き続けたあとで、やっと立ち止まることができた。そのあいだ犬たちはたのむような目つきでしじゅうわたしの顔を見た。ジョリクールは耳を引っ張って、絶えずおなかをさすっていた。
とうとう、わたしはここまで来ればもうなにもこわがることはないと思うところまで来てしまった。わたしはすぐそこにあったパン屋にとびこんだ。
わたしは一斤半パンを切ってくれと言った。
「おまえさん、二斤におしなさいな。二斤のパンはどうしても要りますよ」とおかみさんは言った。「それでもそれだけの同勢にはたっぷりとは言えない。かわいそうに、畜生にはじゅうぶん食べさしておやんなさい」
おお、どうして、むろんわたしの同勢にはたっぷりではなかった。けれどもわたしの財布にはたっぷりすぎた。
パンは一斤五スーであった。二斤買えば十スーになる。わたしはあしたどうなるかわからないのに、手もとを使いきるのはりこうなことではなかった。わたしはおかみさんに打ち明けて一斤半でたくさんだというわけを話して、それ以上を切らないようにていねいにたのんだ。
わたしは両うでにしっかりパンをかかえて店を出た。犬たちがうれしがって回りをとび回った。ジョリクールが髪の毛を引っ張ってうれしそうにくっくっと笑った。
わたしたちはそこから遠くへは行かなかった。
まっ先に目に当たった道ばたの木の下でわたしはハープを幹によせかけて、草の上にすわった。犬たちはわたしの向こうにすわった。カピはまん中に、ドルスとゼルビノはその両わきにすわった。くたびれていないジョリクールは、きょろきょろとうの目たかの目で、なんでもまっ先に一きれせしめようとねらっていた。
パンを同じ大きさに分けるのはむずかしい仕事であった。わたしはできるだけ同じ大きさにして、五きれにパンを切った。そのうえいくつかの小さなきれに割って一きれずつめいめいに分けた。
わたしたちよりずっと少食だったジョリクールはわりがよかった。それでかれがすっかり満腹してしまったとき、わたしたちはやはり腹がすいていた。わたしはかれのぶんから三きれ取って背嚢の中にかくして、あとで犬たちにやることにした。それからまだ少し残っていたので、わたしはそれを四つにちぎって、てんでに一きれずつ分けた。それが食後のお菓子であった。
このごちそうがけっして食後の卓上演説を必要とするほどりっぱなものではなかったのはもちろんであるが、わたしは食事がすんだところで、いまがちょうど仲間の者に二言三言いいわたす機会だと感じた。わたしはしぜんかれらの首領ではあったが、この重大な場合に当たって、かれらに死生をともにすることを望むだけの威望の足りないことを感じていた。
カピはおそらくわたしの意中を察したのであろう。それでかれはその大きなりこうそうな目を、じつとわたしの日の上にすえてすわっていた。
「さて、カピ、それからドルスも、ゼルビノも、ジョリクールも、みんなよくお聞き。わたしはおまえたちに悲しい知らせを伝えなければならないのだよ。わたしたちはこれから二か月も親方に会うことができないのだよ」
「ワウ」とカピがほえた。
「これは親方のためにも困ったことだし、わたしたちのためにも困ったことなのだ。なぜといって、わたしたちはなにもかも親方にたよっていたのだから、それがいま親方がいなくなれば、わたしたちにはだいいちお金がないのだ」
この金ということばを言いだすと、カピはよく知っていて、後足で立ち上がって、ひょこひょこ回り始めた。それはいつも『ご臨席の貴賓諸君』から金を集めて回るときにすることであった。
「ああ、おまえは芝居をやれというのだね。カピ」とわたしは言った。「それはいい考えだが、どこまでわたしたちにできるだろうか。そこが考えものだよ。うまくゆかない場合には、わたしたちはもうたった三スーしか持っていない。だからどうしても食べずにいるほかはない。そういうわけだから、ここはたいせつなときだと思って、おまえたちはみんなおとなしくぼくの言うことを聞いてくれなければだめだ。そうすればおたがいの力でなにかできるかもしれない。おまえたちはみんなしていっしょうけんめい、ぼくを助けてくれなければならない。わたしたちはおたがいにたより合ってゆきたいと思うのだ」
こういったわたしのことばが、残らずかれらにわかったろうとはわたしも言わないが、だいたいの趣意は飲みこめたらしかった。かれらは同じ考えになってはいた。かれらは親方のいなくなったについて、そこになにか大事件が起こったことを知っていた。それでその説明をわたしから聞こうとしていた。かれらがわたしの言って聞かせた残らずを理解しなかったとしても、すくなくともわたしがかれらの身の上を心配してやっていることには満足していた。それでおとなしくわたしの言うことに身を入れて聞いて、満足の意味を表していた。
いやお待ちなさい。なるほどそれも、犬の仲間だけのことで、ジョリクールには、いつまでもじっとしていることが望めなかった。かれは一分間と一つ事に心を向けていることができなかった。わたしの演説の初めの部分だけはかれも殊勝らしくたいへん興味を持って傾聴していたが、二十とことばを言わないうちに、かれは一本の木の上にとび上がって、わたしたちの頭の上のえだにぶら下がり、それからつぎのえだへととび回っていた。カピが同じやり方でわたしを侮辱したならば、わたしの自尊心はずいぶん傷つけられたにちがいなかった。けれどもジョリクールがどんなことをしようと、わたしはけっしておどろかなかった。かれはずいぶん頭の空っぽな、軽はずみなやつだった。
けれどそうはいうものの、少しはふざけたいのもかれとして無理はなかった。わたしだってやはり同じことをしたかったと思う。わたしもやはりおもしろ半分木登りをしてみたかった。けれどもわたしの現在の位置の重大なことが、わたしにそんな遊びをさせなかった。
しばらく休んだあとで、わたしは出発の合図をした。わたしたちはどうせ、どこかただでとまる青天井の下を見つけさえすればいいのだから、なにより、あしたの食べ物を買う銭をいくらかでももうけることが、さし当たっての問題であった。
小一時間ばかり歩くと、やがて一つの村が見えてきた。
びんぼう村らしくって、あまりみいりの多いことは望めないが、村が小さければ巡査に出会うことも少なかろうと考えた。
わたしはさっそく一座の服装を整えて、できるだけりっぱな行列を作りながら、村へはいって行った。運悪くわたしたちはあのふえがなかったし、そのうえヴィタリス親方のりっぱなどうどうとした風采がなかった。軍楽隊の隊長のようなりっぱな様子でかれはいつも人目をひいていた。わたしには背の高いという利益もないし、あのりっぱなしらが頭も持たなかった。それどころかわたしはちっぽけで、やせっぽちで、そのうえひどくやつれた心配そうな顔をしていたにちがいなかった。
行列の先に立って歩きながら、わたしは右左をきょろきょろ見回して、わたしたちがどういう効果を村の人たちにあたえているか、見ようとした。ごくわずか――と情けないけれど言わなければならなかった。だれ一人あとからついて来る者もなかった。
ちょっとした広場のまん中に泉があって、木かげがこんもりしている所を見つけると、わたしはハープを下ろしてワルツを一曲ひき始めた。曲はゆかいな調子であったし、わたしの指も軽く動いた。けれどもわたしの心は重かった。
わたしはゼルビノとドルスに向かって、いっしょにワルツをおどるように言いつけた。かれらはすぐ言うことを聞いて、拍子に合わせてくるくる回り始めた。
けれどもだれ一人出て来て見ようとする者もなかった。そのくせ家の戸口では五、六人の女が編み物をしたり、おしゃべりをしているのを見た。
わたしはひき続けた。ゼルビノとドルスはおどり続けた。
一人ぐらい出て来る者があるだろう。一人来ればまた一人、だんだんあとから出て来るにちがいなかった。
わたしはあくまでひき続けた。ゼルビノとドルスもくるくるじょうずに回っていた。けれども村の人たちはてんでこちらをふり向いて見ようともしなかった。
けれどもわたしはがっかりしまいと決心した。わたしはいっしょうけんめいハープの糸が切れるほどはげしくひいた。
ふと一人、ごく小さい子が初めて、うちの中からちょこちょことかけ出して、わたしたちのほうへやって来た。
きっと母親があとからついて来るであろう。その母親のあとから、仲間が出て来るだろう。そうして見物ができれば、少しのお金が取れるであろう。
わたしは子どもをおびえさせまいと思って、まえよりは静かにひいた。そうして少しでもそばへ引き寄せようとした。両手を延ばして、片足ずつよちよち上げて、かれは歩いて来た。もう二足か三足で、子どもはわたしたちの所へ来る。ふと、そのしゅんかん母親はふり向いた。きっと子どもの姿の見えないのを見て、びっくりするにちがいない。
でもかの女はやっと子どもの行くえを見つけると、わたしの思ったようにすぐあとからかけては来ないで自分のほうへ呼び返した。すると子どもはおとなしくふり返って母親のほうへ帰って行った。
きっとこのへんの人は、ダンスも音楽も好かないのだ。きっとそんなことであった。
わたしはゼルビノとドルスを休ませて、今度は、わたしの好きな小唄を歌い始めた。わたしはこんなにいっしょうけんめいになったことはなかった。
二節目の終わりになったとき、背広を着て、ラシャのぼうしをかぶった男が目にはいった。その男はわたしのほうへ歩いて来るらしかった。
とうとうやって来たな。
わたしはそう思って、いよいよむちゅうになって歌った。
「これこれこぞう、ここでなにをしている」と、その男はどなった。
わたしはびっくりして歌をやめた。ぽかんと口を開いたまま、そはへ寄って来るその男をぼんやりながめた。
「なにをしているというのだ」
「はい、歌を歌っています」
「おまえはここで歌を歌う許可を得たか」
「いいえ」
「ふん、じやあ行け。行かないと拘引するぞ」
「でも、あなた……」
「あなたとはなんだ、農林監察官を知らないか。出て行け、こじきこぞうめ」
ははあ、これが農林監察官か。わたしは親方の見せたお手本で、警官や監察官に反抗すると、どんな目に会うかわかっていた。わたしはかれに二度と命令をくり返させなかった。わたしは急いでわき道へにげだした。
こじきこぞうか、ひどい言いぐさだ。わたしはこじきはしなかった。わたしは歌を歌ったまでだ。
五分とたたないうちに、わたしはこの人情のない、そのくせいやに監視の行き届いている村をはなれた。
犬たちは頭を垂れて、すごすごあとからついて来た。きっとつまらない目に会ったことを知っていた。
カピはしじゅうわたしたちの先頭に立って歩いていた。ときどきふり向いては例のりこうそうな目で、いったいどうしたのですと言いたそうに見えた。ほかのものがかれの位置に置かれたのだったら、きっとわたしにそれをたずねたであろうけれども、カピはそんな無作法をするには、あんまりよくしつけられていた。
かれはふに落ちないのを、いっしょうけんめいがまんしているふうを見せるだけで満足していた。
ずっと遠くこの村からはなれたとき、わたしは初めてかれらに(止まれ)という合図をした。それで三びきの犬はわたしの回りに輪を作った。そのまん中にはカピがじっとわたしに目をすえていた。
わたしはかれらがわからずにいることを、ここで説明してやらなければならなかった。「わたしたちは興行の許可を得ていないから、追い出されたのだよ」とわたしは言った。
「へえ、それではどうしましょう」と、カピは首を一ふりふってたずねた。
「だからわたしたちは今夜はどこか野天でねむって、晩飯なしに歩くのだ」
晩飯ということばに、みんないちどにほえた。わたしはかれらに三スーの銭を見せた。
「知ってるとおり、わたしの持っているのはこれだけだ。今夜この三スーを使ってしまえば、あしたの朝飯になにも残らない。きょうはとにかく少しでも食べたのだから、これはあしたまでとっておくほうがいいようだ」こう言って、わたしは三スーをまたかくしに入れた。
カピとドルスはあきらめたように首を下げた。けれどもそれほどすなおでなかったし、そのうえ大食らいであったゼルビノは、いつまでもぶうぶううなっていた。わたしはこわい目をしてかれを見たが、効き目がなかった。
「カピ、ゼルビノに言ってお聞かせ。あれはわからないようだから」と、わたしは忠実なカピに言った。
カピはさっそく前足でゼルビノをたたいた。それはいかにも二ひきの犬の間に言い合いが始まっているように見えた。言い合いというようなことばを犬に使うのは少し無理だと言うかもしれないが、動物だってたしかにその仲間に通用する特別なことばがあった。犬だけで言えば、かれらは話すことを知っているだけではない、読むことも知っていた。かれらが鼻を高く空に向けたり、顔を下げて地べたをかいだり、やぶや石の上をかぎ回ったりするところをご覧なさい。ふとかれらはとある草むらの前で立ち止まる。またはかべの前で立ち止まって、しばらくはじっと目をすえている。わたしたちが見てはその上になにもないが、犬はわたしたちの理解しないふしぎな文字で書かれた、いろいろの変わったことをそこに読み分けるのである。
カピがゼルビノに言ったこともわたしにはわからなかった。なぜと言うに、犬には人間のことばがわかっても、人間はかれらのことばを理解しないのだ。わたしがただ見たところでは、ゼルビノは道理に耳をかたむけることをこばんだ。なんでも三スーのお金をすぐに使ってしまえと言い張ったようであった。カピは腹を立てて歯をむき出すと、少しおくびょう者のゼルビノはすごすごだまってしまった。だまるということばにも少し説明が要るが、ここではころりと横になることを言うのである。
そこで残ったのは今夜の宿の問題だけだ。
時候はよし、暖かい、いい天気であった。だから青天井の下にねむることはさしてむずかしいことではなかった。ただこのへんに悪いおおかみでもいるようなら、それをさけるようにすればよかった。おおかみよりもおそろしい農林監察官からさけることもさらに必要であった。
わたしたちは白い道の上をずんずんまっすぐに進んで行った。山のはしに落ちかけた赤い夕日の最後の光が空から消えるころまで、宿を求めて歩き続けたが、まだ見つからなかった。
もう善悪なしに、どうでもとまらなければならなかった。やっと林の間に出た。そこここに大きな花こう岩が転がっていた。この場所はずいぶんあれたさびしい所であったが、それよりいい場所は見つからなかった。それに花こう岩の中にはいってねむれば、しめっぽい夜風を防ぐたしにもなろうと思った。ここでわたしたちというのは、さるのジョリクールとわたし自身のことを言うので、犬たちは外でねむったところでかぜをひく気づかいもなかった。わたしは自分のからだをだいじにしなければならなかった。わたしのしょっている責任は重かった。わたしが病気になったらわたしたちみんなどうなるだろう。またわたしがジョリクールの看病をしなければならないようだったら、今度はわたしがどうなるだろう。
わたしたちは石の間にほら穴のような所を見つけた。そこにはまつの落ち葉がたまっていた。これで、上には風を防ぐ屋根があり、下にはしいてねるふとんができた。これはひじょうに具合がよかった。足りないのは食べ物ばかりであった。わたしはおなかのすいていることを考えまいと努めた。ことわざにも言うではないか、『ねむるのは食べるのだ』と。
いよいよ横になるまえに、わたしはカピに張り番をたのむと言った。するとこの忠実な犬はわたしたちといっしょにまつ葉の上でねむろうとはしないで、わたしの野営地の入口に、歩哨のように横になっていた。わたしはカピが番をしてくれればだれも案内なしに近づけないと思ったから、落ち着いてねむることができた。
でもこれだけは心配はなかったが、すぐにはねむりつけなかった。ジョリクールはわたしの上着の中にくるまって、そばでぐっすりねむっていた。ゼルビノとドルスは、わたしの足もとでからだをのばしていた。けれどもわたしの心配はからだのつかれよりも大きかった。
この旅行の第一日は悪かった。あくる日はどんなであろう。わたしは腹が減ったし、のどがかわいていた。それでいてたった三スーしか持っていなかった。あしたいくらかでももうけなかったら、どうしてみんなに食べ物を買ってやることができよう。それに口輪はどうしよう。これから歌を歌う許可は、いったいどうしたらいいだろう。許してくれるだろうか。さもないとわたしたちはみんな、やぶの中でおなかが減って死んでしまうだろう。
こういうみじめな、あわれっぽい疑問を心の中でくり返しくり返しするうちに、わたしは暗い空の上にかがやいている星を見た。そよとの風もなかった。どこもかしこもしんとしていた。木の葉のそよぐ音もしない。鳥の鳴く声もしない。街道を車のとろとろと通る音もしない。目の届く限りは青白い空が広がっていた。わたしたちは独りぼっちであった。世の中から捨てられていた。
なみだは目の中にあふれた。バルブレンのおっかあはどうしたろう。気のどくなヴィタリスは。
わたしはうつぶしになって、顔を両手でかくして、しくしく泣いていた。するとふと、かすかな息が髪の毛にふれるように思った。わたしはあわててふり向いた。そのひょうしに大きなやわらかな舌がなみだにあふれたわたしのほおをなめた。それはカピが、わたしの泣き声を聞きつけて、あのわたしの流浪の初めての日にしてくれたように、今度もわたしをなぐさめに来てくれたのである。
両手でわたしはかれの首をおさえて、そのしめった鼻にキッスした。かれは二、三度おし殺したような悲しそうな鼻声を出した。それがわたしといっしょに泣いてくれるもののように思われた。
わたしはねむって目が覚めてみると、もうすっかり明るくなっていた。カピはわたしの前にすわったままじっとわたしを見ていた。小鳥が林の中で歌を歌っていた。遠方のお寺で朝の祈祷のかねが鳴っていた。太陽はもう空の上に高く上って、つかれた心とからだをなぐさめる光を心持ちよく投げかけていた。
わたしたちはかねの音を目当てに歩き出した。そこには村があって、パン屋もきっとあるにそういなかった。昼食も夕食もなしにねどこにはいれば、だれにだって空腹が『おはよう』を言いに来る。わたしは思い切って、三スーを使ってしまう決心をした。そのあとではどうなるか、それはそのときのことにしよう。
村に着くと、パン屋がどこだと聞く必要もなかった。わたしたちの鼻がすぐにその店に連れて行ってくれた。においをかぎつけるわたしの感覚は、もう犬に負けずにするどかった。遠方からわたしは温かいパンの、うまそうなにおいをかぎつけた。
一斤五スーするパンを三スーではたんとは買えなかった。わたしたちはてんでんに、ほんの小さなきれを分け合った。それで朝飯もあっけなくすんでしまった。
わたしたちはきょうこそいくらかでももうけなければならなかった。わたしは村の中を歩いて、どこか芝居につごうのいい場所を見つけようとした。それに村の人びとの顔色を見て、敵か味方か探ろうとした。
わたしの考えはすぐに芝居を始めようというのではなかった。それには時間があまり早すぎた。けれどいい場所が見つかれば、昼ごろ帰って来て、わたしたちの運命を決する機会をとらえるつもりであった。
わたしがこの考えに心をうばわれていると、ふとだれか後ろからとんきょうな声を上げる者があった。あわててわたしがふり向くと、ゼルビノがわたしのほうへ向かってかけて来る。そのあとから一人のおばあさんが追っかけて来るのを見た。もうすぐ何事が起こったかということはわかった。わたしがほかへ気を取られているすきをねらって、ゼルビノは一けんの家にかけこんで、肉を一きれぬすみだしたのであった。かれはえものを歯の間にくわえたまま、にげ出して来たのであった。
「どろぼう、どろぼう」とおばあさんはさけんだ。「そいつをつかまえておくれ。そいつらみんなつかまえておくれ」
おばあさんのこう言うのを聞いて、わたしはとにかく自分にも罪がある。いやすくなくともゼルビノの犯罪に責任があると感じた。そこでわたしはかけ出した。もしおばあさんがぬすまれた肉の代価を請求じたら、なんと言うことができよう。どうして金をはらうことができよう。それでわたしたちがつかまえられれば、きっと刑務所に入れられるだろう。
わたしがにげ出して行くのを見て、ドルスとカピもさっそくわたしの例にならった。かれらはわたしのかかとについて走った。ジョリクールはわたしの肩に乗ったまま、落ちまいとしてしっかり首にかじりついた。
だれかほかの者もさけんでいた。待て、どろぼう……そしてほかの人たちも仲間になって追っかけていた。けれどもわたしたちはどんどんかけた。恐怖がわたしたちの速力を進めた。わたしはドルスがこんなに早く走るのを見たことがなかった。かの女の足はほとんど地べたについていなかった。横町を曲がって、野原をつっ切って、まもなくわたしたちは追っ手をはるかぬいてしまった。けれどもやはりどんどんかけ続けて、いよいよ息がつけなくなるまで止まらなかった。わたしたちは少なくとも三マイル(約五キロ)も走った。ふり返って見るともうだれも追っかけて来なかった。カピとドルスはやはりわたしのすぐ後について来た。ゼルビノは遠くにはなれていた。たぶんぬすんだ肉を食べるので手間を取ったのであろう。
わたしはかれを呼んだ。けれどもかれはひどい刑罰に会うことを知りすぎるほど知っていた。そこでわたしのほうへは寄って来ないで、できるだけ早くかけ出したのである。かれは飢えていた。それだから肉をぬすんだのだ。けれどもわたしはそれを口実として許すことはできなかった。かれはぬすみをした。わたしが仲間の間に規律を保とうとすれば、罪を犯したものは罰せられなければならない。それをしなかったら、つぎの村へ行って、今度はドルスが同じ事をするであろう。そうなるとカピまでが誘惑に負けないとは言えぬ。
わたしはゼルビノに対し、公然刑罰を加えなければならなかった。けれどもそれをするためにはかれをつかまえなければならなかった。それはたやすいことではなかった。
わたしはカピのほうへ向いた。
「行ってゼルビノを探しておいで」とわたしは重おもしく言った。
かれはさっそく言いつけられたとおりするために出て行った。けれどもいつものような元気のないことをわたしは見た。かれの顔つきを見ていると、憲兵としてかれはわたしの言いつけを果たすよりも、弁護人としてゼルビノをかばってやりたいように見えた。
わたしはかれが囚人を連れて帰って来るのを、べんべんとこしかけて待つほかはなかった。気ちがいじみたかけっこをしたあとで、休息するのがうれしかった。わたしたちが休んだ所はちょうどこんもりした木かげと、両側に広びろと野原の開けた、堀割の岸であった。ツールーズを出て初めて、青あおした、すずしいいなか道に出たのだ。
一時間たったが、犬たちは帰って来なかった。わたしはそろそろ心配になりだしたとき、やっとカピが独りぼっち首をうなだれたまま帰って来た。
「ゼルビノはどうした」
カピはおどおどした様子で、平伏した。わたしはかれのかたっぽの耳から血の出ているのを見た。わたしはそれで様子をさとった。ゼルビノはこの憲兵に戦いをしかけてきたのである。わたしはカピがそうして、いやいやわたしの命令に従いながらも、ゼルビノとの格闘にわざと負けてやったことがわかった。そしてそのため自分もやはりしかられるものと覚悟しているらしく思われた。
わたしはかれをしかることができなかった。わたしはしかたがないから、ゼルビノが自分から帰って来るときを待つことにした。わたしはかれがおそかれ早かれ後悔して帰って来て、刑罰を受けるだろうと思っていた。
わたしは一本の木の下に、手足をふみのばして横になった。ジョリクールはしっかりとうでにだいていた。それはこのさるまでがゼルビノと仲間になる気を起こすといけないと思ったからであった。ドルスとカピはわたしの足の下でねむっていた。時間がたった。ゼルビノは出て来なかった。とうとうわたしもうとうととねむりこけた。
四、五時間たってわたしは目を覚ました。日かげでもう時刻のよほどたったことがわかったが、それは日かげを見て知るまでもなかった。わたしの胃ぶくろは一きれのパンを食べてからもう久しい時間のたつことをわめきたてていた。それに二ひきの犬とジョリクールの顔つきだけでも、かれらの飢えきっていることはわかった。カピとドルスは情けない目つきをして、じっとわたしを見つめた。ジョリクールはしかめっ面をしていた。
でもやはりゼルビノは帰ってはいなかった。
わたしはかれを呼びたてたり、口ぶえをふいたりしたけれどもむだであった。たぶんごちそうをせしめたので、すっかり腹がふくれて、どこかのやぶの中に転がって、ゆっくり消化させているのであろう。
やっかいなことになってきた。わたしがここを立ち去れば、ゼルビノはわたしたちを見つけることができないから、そのまま行くえ知れずになってしまう。かといってここにこのままいては、少しでも食べ物を買うお金をもうける機会がまるでなかった。
わたしたちの空腹はいよいよやりきれなくなってきた。犬たちは哀願するような目つきをたえずわたしに向けた。そしてジョリクールはおなかをさすって、おこって、きゃっきゃっとさけんでいた。
それでもゼルビノはまだ帰って来なかった。もう一度わたしはカピをやって、なまくらものの行くえを探させた。けれども三十分たってから、やはりカピだけ独りぼんやり帰って来た。
どうしたらいいであろう。
ゼルビノは罪を犯したが、またかれの過失のためにわたしたちはこんなひどい目に会わされることになったのであるが、かれをふり捨てることはできなかった。三びきの犬を満足に連れて帰らなかったら、親方はなんと言うであろう。それになんといっても、わたしはあのいたずら者のゼルビノをかわいがっていた。
わたしは晩がたまで待つ決心をした。けれどなにもせずにいることはできるものではなかった。わたしたちはなにかしていればきっとこれほどひどい空腹がこたえないであろうと思った。
わたしはなにか気をまぎらすことを考え出したなら、さし当たりこれほどひもじい思いを忘れるかもしれない。
なにをしたらよかろう。
わたしはこの問題をいろいろ考え回した。そのときわたしが思い出したのは、ヴィタリス親方がいつか言ったことに、軍隊が長い行軍で疲労しきると、楽隊がそれはゆかいな曲を演奏する、それで兵隊の疲労を忘れさせるようにするというのであった。
そうだ。わたしがなにかゆかいな曲をハープでひいたら、きっと空腹を忘れることができるかもしれない。わたしたちはみんなひどく弱りきっている。でもなにかゆかいな曲をひいたら、かわいそうな二ひきの犬たちも、ジョリクールといっしょにおどりだして、時間が早く過ぎるかもしれない。
わたしは二本の木によせかけておいた楽器を取り上げて、堀割のほうに背中を向けながら、動物たちの列を作ってならばせ、ダンス曲をひき始めた。
初めのうちは、犬もさるもダンスをする気にもなれないらしかった。かれらの欲望は食べ物のほかになかった。そのいじらしい様子を見ると、わたしの胸は痛んだ。けれどもかわいそうに、かれらも空腹を忘れなければならなかった。わたしはいよいよ調子を高く早くとひいた。すると少しずつだんだんに、音楽がその偉力を現してきた。かれらはおどりだした。わたしはひき続けた。
「うまい」――ふとわたしはすみきった子どもの声でこうさけぶのを聞いた。その声はすぐ後ろから聞こえた。わたしはあわててふり向いた。
一せきの遊船が堀割の中に止まっていた。その小舟を引っ張っている二ひきの馬は、向こう岸に休んでいた。それはきみょうな小舟であった。わたしはまだこんなふうな船を見たことはなかった。
それは堀割にうかんでいるふつうの船に比べて、ずっとたけが短かった。そして水面からわずか高い甲板の上には、ガラスしょうじをたてきった船室があり、その前にはきれいなろうかがあって、つたの葉でおおわれていた。
そこには二人、人がいた。一人はまだ若い貴婦人で、美しい、そのくせ悲しそうな顔をしていた。もう一人はわたしぐらいの年ごろの男の子で、これはあお向けにねているらしかった。
「うまい」と声をかけたのは、あきらかにこの子どもであった。
わたしはかれらを見つけて、一度はたいへんびっくりしたが、落ち着くと、わたしはぼうしを取って、かれらの賞賛に感謝の意を表した。
「あなたはお楽しみにやっておいでなのですか」と、貴婦人は外国なまりのあるフランス語で言った。
「わたしは犬をしこんでいるのです。それに……自分の気晴らしにも」
子どもはなにか言った。婦人はそのほうにのぞきこんだ。
「あなた、まだやってもらえますか」と、そのとき貴婦人はこちらを向いて言った。
なにかやってくれるか。やらなくってどうするものか。こういうところへ来てくれたお客のために、どうしてやらずにいられよう。わたしはそれを二度と言われるまでも待たなかった。
「ダンスにしましょうか。喜劇にしましょうか」とわたしは聞いた。
「ああ、喜劇だ、喜劇だ」と子どもがさけんだ。
けれども貴婦人は口をはさんで、「まあ先にダンスを」と言った。
「ダンスはだって短すぎるもの」と子どもは言った。
「お客さまのお望みとございましたら、ダンスのあとでちがった番組をいろいろとりかえてごらんにいれましょう」
これはうちの親方の使う口上の一つであった。わたしはなるべくかれと同じようなしかつめらしい言い方でやろうと努めた。だがなおよく考えると、喜劇を所望してくれなかったことは結局ありがたかった。なぜといって、どうそれをやるかくふうがつかなかった。ゼルビノという役者が一枚足りないばかりではない、芝居をするには衣装も道具もなかった。
とにかくわたしはハープを取り上げて、まずワルツの第一節をひいた。カピは前足でドルスのこしをだいて、じょうずに拍子を取りながらおどり回った。つぎにジョリクールが一人でおどって、それからそれとわたしたちは順々に番組を進めていった。もう少しもくたびれたとは思わなかった。かわいそうな動物どもは、やがて昼飯の報酬の出ることを知って、いっしょうけんめいにやった。わたしもそのとおりであった。
するととつぜん、みんながいっしょになってダンスをしている最中に、ゼルビノがやぶのかげから出て来た。そして仲間がそのそばを通ると、かれはずうずうしくもその仲間に割りこんで来た。
ハープをひきひき役者たちの監督をしながら、わたしはときどき子どものほうを見た。かれはわたしたちの演技にひじょうなゆかいを感じているらしく見えたが、からだを少しも動かさなかった。寝台の上にあお向いたまま、ただ両手を動かして拍手かっさいした。半身不随なのかしら、板の上に張りつけられたように見えた。
いつのまにか風で船が岸にふきつけられていたので、いまは子どもをはっきり見ることができた。かれは金茶色の髪の毛をしていた。顔色は青白くて、すきとおった皮膚のもとに額の青筋すら見えるほどであった。その顔つきには病人の子どもらしい、おとなしやかな、悲しそうな表情があった。
「あなたがたのお芝居のさじき料がいかほどですね」と、貴婦人はたずねた。
「おなぐさみに相応した代だけいただきます」
「じゃあ、お母さま、たんとおやりなさい」と子どもが言った。かれはそのうえなにかわたしにわからないことばでつけ加えていた。すると貴婦人は、
「アーサがお仲間の役者たちをそばで見たいと言うのですよ」と言った。
わたしはカピに目くはせをした。大喜びでかれは船の中へとびこんで行った。
「それから、ほかのは」とアーサと呼ばれたこの子どもはさけんだ。
ゼルビノとドルスがカピの例にならった。
「それからおさるは」
ジョリクールもわけなくとびこむことができたろう。でもわたしは安心がならなかった。一度船に乗ったら、きっとなにか貴婦人の気にいらないような悪さをするかもしれなかった。
「おさるは気があらいの」と貴婦人はたずねた。
「いいえ、そうではありませんが、なかなか言うことを聞きませんから、失礼でもあるといけないと思います」
「おや、それではあなた、連れておいでなさい」
こう言って貴婦人はかじのほうに立っていた男に合図をした。この人は出て来て、へさきから岸に板をわたした。
肩にハープをかけて、ジョリクールをうでにだいたまま、わたしは板をわたった。
「おさるだ。おさるだ」とアーサはさけんだ。その子どもを貴婦人はアーサと呼んでいた。
わたしはかれのそばへ寄って、かれがジョリクールをなでたりさすったりしているとき、わたしは注意してその様子を見た。実際にかれは一枚の板に皮でからだを結びつけられていた。
「あなた、お父さんはあるの」と貴婦人はたずねた。
「いえ、いまは独りぼっちです」
「いつまで」
「二か月のあいだ」
「二か月ですって、まあかわいそうに、あなたぐらいの年ごろに、どうして独りぼっち置き去りにされるようなことになったの」
「そんな回り合わせになったのです」
「あなたの親方さんはふた月のあいだにたんとお金を持って帰れと言いつけたのではないのですか。そうでしょう」
「いいえ、おくさん、親方はわたしになにも言いつけはしません。ただい一座ののものといっしょに、そのあいだ食べてゆかれさえすればそれでいいんです」
「それで、どれだけお金が取れましたか」
わたしは答えようとしてちゅうちょした。わたしはこの美しい婦人の前では一種のおそれを感じたけれども、貴婦人はひじょうに親切に話しかけてくれたし、その声はいかにも優しかったから、わたしはほんとうのことを打ち明ける決心をした。またそれをしてならない理由はなにもなかった。
そこでわたしは貴婦人に向かって、ヴィタリスとわたしが別れたいちぶしじゅうを話した。ヴィタリス親方がわたしを保護するために、刑務所に連れて行かれたこと、それから親方がいなくなってから、金を取ることができなくなった次第を話した。
わたしが話をしているあいだ、アーサは犬と遊んでいたが、わたしの言ったことばはよく耳に止めていた。
「じゃあきみたち、みんなずいぶんおなかがすいているだろう」とかれは言った。
このことばを動物たちはよく知っていて、犬は喜んでほえ始めるし、ジョリクールははげしくおなかをこすった。
「ああ、お母さま」とアーサがさけんだ。
貴婦人は聞き知らないことばで、半分開けたドアのすきから頭を出しかけていた女中に、なにか二言三言いった。まもなく女中は食物をのせたテーブルを運んで来た。
「おかけ」と貴婦人は言った。
わたしは言われるままにさっそく、ハープをわきへ置いて、テーブルの前のいすにこしをかけた。犬たちはわたしの回りに列を作ってならんだ。ジョリクールはわたしのひざの上でおどっていた。
「きみの犬はパンを食べるの」とアーサはたずねた。
「パンを食べるどころですか」
わたしが一きれずつ切ってやると、かれらはむさぼるようにして見るまに平らげてしまった。
「それからおさるは」とアーサは言った。
けれども、ジョリクールのことで気をもむ必要もなかった。わたしが犬にやっているあいだ、かれは横合いから肉入りのパンを一きれさらって、テーブルの下にもぐって、息のつまるほどほおばっていた。
わたし自身もパンを食べた。ジョリクールのようにのどにはつまらせなかったけれど、同じようにがつがつして、もっとたくさんほおばった。
「かわいそうに、かわいそうに」と貴婦人は言った。
アーサはなにも言わなかったが、大きな目を見張ってわたしたちをながめていた。わたしたちのよく食べるのにびっくりしたのであろう。わたしたちはてんでんに腹をすかしきっていた。肉をぬすんで少しは腹にこたえのあるはずのゼルビノまでが、がつがつしていた。
「きみはぼくたちに会わなかったら、きょうの昼飯はどうするつもりだったの」とアーサがたずねた。
「なにを食べるか当てがなかったのです」
「じゃああしたは」
「たぶんあしたはまた運よく、きょうのようなお客さまにどこかで会うだろうと思います」
アーサはわたしとの話を打ち切って、そのとき母親のほうにふり向いた。しばらくのあいだかれらは外国語で話をしていた。かれはなにかを求めているらしかったが、それを母親は初めのうち承知したがらないように見えた。
するうち、ふと子どもはくるりと向き返った。かれのからだは動かなかった。
「きみはぼくたちといっしょにいるのはいやですか」とかれはたずねた。
わたしはすぐ返事はしないで、顔だけ見ていた。わたしはこのだしぬけの質問にめんくらわされていた。
「この子があなたがたにいっしょにいてくださればいいと言っているのですよ」と貴婦人がくり返した。
「この船にですか」
「そうですよ。この子は病気で、この板にからだを結えつけていなければならないのです。それで昼間のうち少しでもゆかいにくらせるように、こうして船こ乗せて外へ出るのです。それであなたがたの親方が監獄にはいっておいでのあいだ、よければここにわたしたちといっしょにいてください。あなたのその犬とおさるが毎日芸をしてくれば、アーサとわたしが見物になってあげる。あなたはハープをひいてくれるでしょう。それであなたはわたしたちに務めてくれることになるし、わたしたちはわたしたちで、あなたがたのお役に立つこともありましょう」
船の上で。わたしはまだ船の上でくらしたことがなかったが、それはわたしの久しい望みであった。なんといううれしいこと。わたしは幸福に心のくらむような感じがした。なんという親切な人たちだろう。わたしはなんと言っていいかわからなかった。
わたしは貴婦人の手を取ってキッスした。
「かわいそうに」とかの女は優しく言った。
かの女はわたしのハープを聞きたいと言った。そのくらい手軽ななぐさみですむことなら、わたしはどうかして、自分がどんなにありがたく思っているか見せたいと思った。
わたしは楽器を手に取って、船のへさきのほうへ行って、静かにひき始めた。
貴婦人はふとくちびるに小さな銀の呼子ぶえを当てて、するどい音を出した。
わたしはなぜ貴婦人がふえをふいたのであろうと思って、ちょいと音楽をやめた。それはわたしのひき方が悪いからであったか、それともやめろという合図であったか。
自分の身の回りに起こるどんな小さなことも見のがさないアーサは、わたしの不安心らしい様子を見つけた。
「お母さまは馬を行かせるために、ふえをふいたんだよ」とかれは言った。
まったくそのとおりであった。馬に引かれた小舟は、そろそろと岸をはなれて、堀割の静かな波を切ってすべって行った。両側には木があった。後ろにはしずんで行く夕日のななめな光線が落ちた。
「ひきたまえな」とアーサが言った。
頭をちょっと動かしてかれは母親にそばに来いという合図をした。かれは母親の手を取って、しっかりにぎった。わたしはかれらのために、親方の教えてくれたありったけの曲をひいた。
最初の友だち
アーサの母親はイギリス人であった、名前をミリガン夫人と言った。後家さんで、アーサは一人っ子であった。少なくとも生きているただ一人の子どもだと考えられていた。なぜというに、かの女はふしぎな事情のもとに、長男をなくした。
その子は生まれて六月目に人にさらわれてしまった。それからどうしたかかいもく行くえがわからなかった。もっともその子がかどわかされたころ、ちょうどミリガン夫人はじゅうぶんの探索をすることのできない境遇であった。かの女の夫は死にかかっていたし、なによりもかの女自身がひどくわずらって、身の回りにどんなことが起こっているか、まるっきりわからずにいた。かの女が意識を取り返したときには、夫は死んでいたし、赤子はいなくなっていた。かの女の実の弟に当たるジェイムズ・ミリガン氏はイギリスはもちろん、フランス、ベルギー、ドイツ、イタリアとほうぼうに子どもを探させたが、結局行くえは知れなかった。そうなるとあとつぎの子どもがないので、この人がにいさんの財産を相続するつもりでいた。
ところがやはり、ジェイムズ・ミリガン氏は、にいさんからなにも相続することができなかった。なぜというに、夫人の夫の死後七か月目に、夫人の二番目のむすこのアーサが生まれたのであった。
けれどもお医者たちはこの病身な、ひよわな子どもの育つ見こみはないと言った。かれはいつ死ぬかもしれなかった。その子が死んだ場合には、ジェイムズ・ミリガン氏は財産を相続することになるであろう。
そう思ってかれはあてにして待っていた。
けれども医者の予言はなかなか実現されなかった。アーサはなかなか死ななかった。もう二十度も追っかけ追っかけ、なんぎな病という病にかかって、それでも生きていた。そのたんびにこの子を生かしたものは母親の看護の力であった。
最後の病は腰疾(こしの病気)であった。それにはしじゅう板にねかしておくがいいというので、板の上にからだを結えつけて動けないようにした。けれどそれをそのままうちの中に閉じこめておけば、今度は気鬱と空気の悪いために死ぬかもしれない。
そこでかの女は子どものためにきれいな、ういて動く家をこしらえてやって、フランスの国じゅうのいろいろな川を旅行しているのであった。その両岸の景色は、病人の子どもがねながら、ただ目を開いていさえすれば、目の前に動いて行くのであった。
もちろんこのイギリスの貴婦人とむすこについて、わたしはこれだけのことを残らず、初めての日に聞いたのではなかった。わたしはときどきかの女といるあいだに少しずつ細かい話を聞いた。
わたしが初めの日に聞いたことは、ただこの船の名が白鳥号ということ、それからわたしが部屋と定められた船室がどんなものであるかということだけであった。
わたしは高さ七尺(約二メートル)、はば三、四尺(約〇・九〜一・二メートル)のかわいらしい船室を一つ当てがわれた。それはなんというふしぎな部屋におもわれたであろう。部屋のどこにもしみ一つついていなかった。
その船室に備えつけたたった一つの道具は、衣装戸だなであった。けれどなんという戸だなだろう。寝台とふとんとまくらと毛布とがその下から出て来た。そして寝台についた引き出しには、はけやくしやいろいろなものがはいっていた。いすやテーブルというようなものも少なくともふつうの形をしたものはなかったが、かべに板がぴったりついている、それを引き出すと四角なテーブルといすになった。この小さな寝台にねむることをどんなにわたしは喜んだであろう。生まれて初めてわたしはやわらかいしき物をはだに当てた。バルブレンのおっかあのうちのはひじょうに固くって、いつもあらくほおをこすった。ヴィタリス老人とわたしはたいていしき物なしでねむった。木賃宿にあるものは、みんなバルブレンのおっかあのうちのと同様にごりごりしていた。
わたしはあくる朝早く起きた。一座の連中が一晩どんなふうに過ごしたか知りたかったからである。
見るとかれらはみんなまえの晩入れてやった所にいて、このきれいな小舟はもう何か月もかれらの家であったかのようによくねいっていた。犬たちはわたしが近づくとはね起きたが、ジョリクールは片目を開いているくせに動かなかった。かえってラッパのような大いびきをかき始めた。
わたしはすぐにそのわけをさとった。ジョリクールはたいへんおこりっぽかった。かれは一度腹を立てると、長いあいだむくれていた。いまの場合は、ゆうべわたしがかれを船室に連れて行かなかったのをおもしろく思わなかったので、わざとふてねをして、ふきげんを示していたのであった。
わたしはなぜかれを甲板の上に置いて行かなければならなかったか、そのわけを説明することができなかった。それで少なくとも外見だけでも、わたしはかれにすまなかったと感じているふうを見せるために、かれをうでにだいて、なでたりさすったりしてやった。
初めはかれもむくれたままでいたが、まもなく、気が変わりやすい性質だけに、なにかほかのことに考えが移って、手まねで、よし、外へ散歩に連れて行くなら、かんべんしてやろうという意を示した。
甲板をそうじしていた男が、気軽に板をわたしてくれたので、わたしは部下を連れて野原へ出た。
犬とかけっこしたり、ジョリクールをからかったり、ほりをとんだり、木登りをしたりして遊んでいるうちに時間がたった。帰ってみると、馬ははこやなぎの木につながれて、すっかり仕度ができていて、小舟はいつでも出発するようになっていた。
わたしたちがみんな船の上に乗ってしまうと、まもなく船をつないだ大づなは解かれて、船頭はかじを、御者は手づなを取った。引きづなの滑車がぎいぎい鳴って、馬は引き船の道をカッパカッパ歩きだした。
これでも動いているかと思うはど静かに船は水の上をすべって行った。そこに聞こえるものは小鳥の歌と、船に当たる水の音、それから馬の首につけたすずのチャランチャランだけであった。
所どころ水はこい緑色に見えてたいへん深いようであった。そうかと思うと水晶のようにすみきっていて、水の底できらきら光る小石だの、ビロードのような水草をすかして見ることができた。
わたしが水の中をじっとのぞきこんでいると、だれかがわたしの名前を呼んだ。それはアーサであった。かれは例の板に乗せられて運び出されていた。
「きみ、よくねられたかい、野原にねむるよりも」とかれはたずねた。わたしは半分、ミリガン夫人にあいさつするように、ていねいによくねむられたことを話した。
「犬は」アーサが聞いた。
わたしはかれらを呼んだ。かれらはジョリクールといっしょにかけて来た。このさるはいつも芝居をやらされると思うときするように、しかめっ面をしていた。
ミリガン夫人はむすこを日かげに置いて、自分もそのそばにすわった。
「それでは、あちらへ犬とさるを連れて行ってください。わたしたちは課業がありますから」とかの女は言った。
わたしは連中を連れてへさきのほうへ退いた。
あの気のどくな病人の子どもに、どんな課業ができるのだろう。
わたしはかれの母親が手に本を持って、むすこに課業を授けているのを見た。
かれはそれを覚えるのがなかなか困難であるらしく見えた。しじゅう母親は優しく責めていたが、同時になかなか手ごわかった。
「いいえ」とかの女は最後に言った。「アーサ、あなたはまるで覚えていません」
「ぼく、できません。お母さま、ぼく、ほんとにできないんです」とかれは泣くように、言った。「ぼく病気なんです」
「あなたの頭は病気ではありません。アーサ、病人だからといって、だんだんばかになるような子をわたしは好きません」
これはずいぶん残酷なようにわたしには思われた。けれどかの女はあくまで優しい親切な調子で言った。
「なぜ、あなたはわたしにこんな情けない思いをさせるでしょう。あなたが習いたがらないのが、どんなにわたしには悲しいかわかるでしょう」
「ぼく、できません、お母さま、ぼくできないんです」こう言ってかれは泣きだした。
けれどもミリガン夫人は子どものなみだに負かされはしなかった。そのくせかの女はひじょうに感動して、ますます悲しそうになっていた。
「わたしもけさあなたをルミや犬たちと遊ばせてあげたいのだけれど、すっかりお話を覚えるまでは遊ばせることはできません」こう言ってかの女は本をアーサにわたして、一人置き去りにしたまま向こうへ行った。
わたしの立っていた所までかれの泣き声が聞こえた。
あれほどまでに愛しているらしい母親がどうしてこのかわいそうな子どもにこれほど厳格になれるのであろう。アーサの覚えられないのは病気のせいなのだ。かの女は優しいことば一つかけないではいってしまうのであろうか。
しばらくたってかの女はもどって来た。
「もう一度二人でやってみましょうね」とかの女は優しく言った。
かの女は子どものわきにこしをかけて、本を手に取って、『おおかみと小ひつじ』というお話を読み始めた。アーサはその読み声について文句をくり返した。
三度初めからしまいまで読み返して、それから本をアーサに返して、あとは一人で習うように言いつけて、船の中にはいってしまった。
わたしはアーサのくちびるの動くのを見た。
かれはたしかにいっしょうけんめい勉強していた。
けれどもまもなく目を本からはなした。かれのくちびるは動かなくなった。かれの目はきょろきょろとあてもなく迷ったが、本にはもどって来なかった。
ふとかれの目はわたしの目を見つけた。
わたしは課業を続けてやるようにかれに目くばせした。かれは注意を感謝するように微笑した。そしてまた本を読み始めた。けれどもまえのようにやはりかれは考えを一つに集めることができなかった。かれの目は川のこちらの岸から向こう岸へと迷い始めた。ちょうどそのとき一羽のかわせみが矢のように早く船の上をかすめて、青い光をひらめかしながら飛んだ。
アーサは頭を上げてその行くえを見送った。鳥が行ってしまうと、かれはわたしのほうをながめた。
「ぼく、これが覚えられない」とかれは言った。「でもぼく、覚えたいんだ」
わたしはかれのそばへ行った。
「この話はそんなにむずかしくはありませんよ」とわたしは言った。
「うん、むずかしい。……たいへんむずかしいんだ」
「ぼくにはずいぶん易しいと思えますよ。あなたのお母さまが読んでいらっしゃるときに聞いていて、ぼくはたいてい覚えました」
かれはそれを信じないように微笑した。
「言ってみましょうか」
「できるもんか」
「やってみましょうか。本を持っていらっしゃい」
かれはまた本を取り上げた。わたしはその話を暗唱し始めた。わたしはほとんど完全に覚えていた。
「やあきみ、知っているの」
「そんなによくは知りません。けれどこのつぎのときまでには、一つもちがえずに言えるでしょう」
「どうして覚えたの」
「あなたのお母さまが読んでいらっしゃるあいだ、ぼくは聞いていました。ただいっしょうけんめいに、そこらの物を見向したりなんぞせずに、聞いていたのです」
かれは顔を赤くした、そして目をそらした。
「ぼくもきみのようにやってみよう」とかれは言った。「けれど一々のことばをどうしてそう覚えたか、言って聞かしてくれたまえ」
わたしはそれをどう説明していいかわからなかった。そんなことを考えてみたことはなかった。けれどやれるだけは説明してみた。
「このお話はなんの話でしょう」とわたしは言った。「ひつじのことでしょう。ねえ、だからなにより先にぼくはひつじのことを考えました。それからひつじはなにをしているか考えます。『多くのひつじは安全なおりの中で住んでいました』というのだから、ひつじがおりの中で安心して転がってねむっているところが見えてきます。そういうふうに目にうかべると忘れません」
「そうだそうだ」とかれは言った。「ぼくは見えるよ。黒いひつじだの、白いひつじだの、おりも、格子も見える」
「ひつじの番をするのはなんですか」
「犬さ」
「ひつじがおりの中にいて番をしないですむとき、犬はなにをするでしょう」
「なんにも仕事はない」
「では犬はねむってもいいでしょう。ですから、『犬はねむっていました』と言うのです」
「そうだ。わけはない」
「ええ、わけはないのですとも、今度はほかのことに移ります。では犬といっしょに番をするのはだれです」
「ひつじ飼いさ」
「その犬やひつじ飼いは、ひつじがだいじょうぶだと思うとなにをしていたでしょう」
「犬は、ねむっていたのさ、ひつじ飼いは、遠くのほうへ行って、ほかのひつじ飼いたちとふえをふいて遊んでいた」
「あなたはそれが見えますか」
「ええ」
「どこにいます」
「にれの木のかげに」
「一人ですか」
「いいえ、近所のひつじ飼いといっしょに」
「そらひつじやおりや犬やひつじ飼いのことを考えてごらんなさい。それができれば、このお話の初めのほうは暗唱ができるでしょう」
「ええ」
「やってごらんなさい」
「多くのひつじは安全なおりの中におりましたから、犬はみなねむっていました。ひつじ飼いも大きなにれの木のかげに、近所のひつじ飼いたちとふえをふいて遊んでいました。――覚えていた、覚えていた、まちがいはなかった」
アーサは両手を打ってさけんだ。
「あともそういうふうにして覚えたらどうです」
「そうだな、きみといっしょにやればきっと覚えられる。ああ、お母さまがどんなに喜ぶだろう」
アーサはやがてお話残らずを心の目にうかべるようになった。わたしはできるだけ一々の細かい話を説明した。かれがすっかり興味を持ってきたときに、わたしたちはいっしょに文句をさらった。そして十五分あとでは、かれはすっかり卒業いていた。
やがて母親は出て来たが、わたしたちがいっしょにいるのでふきげんらしかった。かの女はわたしたちが遊んでいたと思った。けれどアーサはかの女に口をきかせるいとまをあたえなかった。
「ぼく、覚えました」とかれはさけんだ。「ルミが教えてくれました」
ミリガン夫人は、びっくりしてわたしの顔を見た。けれどかの女がわけを問うさきに、アーサは『おおかみと小ひつじ』のお話を暗唱しだした。わたしはミリガン夫人の顔を見た。かの女の美しい顔は微笑にほころびた。そのうちわたしはかの女の目になみだがうかんだと思った。けれどかの女はあわててむすこのほうをのぞきこんで、そのからだに両うでをかけた。かの女が泣いていたかどうか確かではなかった。
「ことばには意味がないのだから、目に見える事がらを考えなければいけないのです。ルミはぼくにふえをふいているひつじ飼いだの、犬だのひつじだの、それからおおかみだのを考えさせてくれました。おまけにひつじ飼いのふいていた節まで聞こえるようになりました。お母さま、ぼく、歌を歌ってみましょうか」
こう言ってかれは、イギリス語の悲しいような歌を歌った。
今度こそミリガン夫人はほんとうに泣いていた。なぜならかの女が席を立ったとき、わたしはアーサのほおがかの女のなみだでぬれているのを見た。そのとき夫人はわたしのそばに寄って、わたしの手を自分の手の中におさえて、優しくしめつけた。
「あなたはいい子です」とかの女は言った。
わたしがこのちょいとした出来事を長ながと書くにはわけがある。ゆうべまではわたしも宿なしのこぞうで、一座の犬やさるたちを連れて、船のそばへやって来て、病人の子どもをなぐさめるだけの者であった。けれどこの課業のことから、わたしは犬やさるから引きはなされて、病人の子どもの相手になり、ほとんど友だちになったのである。
もう一つ言っておかなければならないことがある。それはずっとあとで知ったことであるが、ミリガン夫人は実際このむすこの物覚えの悪いこと、もっと正しく言えばなにも物を覚えないことを知って、ふさぎきっていた。病人の子ではあっても、勉強はさせておきたいと夫人は思った。それには病気が長びくだろうから、いまのうち物を習う習慣をつけておいて、いつか回復したとき、むだになった時間を取り返すことができるようにしたいと考えたのであった。
ところがその日までもかの女はそれが思うようにならないでいた。アーサはけっして勉強することをいやだとは言わなかったが、注意と熱心がまるでがけていた。書物を手にのせればいやとは言わずに受け取った。手は喜んでそれを受け取ろうとして開いたが、心はまるで開かなかった。ただもう機械のように動いて、しいて頭におしこまれたことばを空にくり返しているというだけであった。
そういうわけでむすこに失望した母親の心には、絶え間のない物思いがあった。
だから、アーサがいまたった半時間でお話を覚えて、一時をちがえず暗唱して聞かせるのを聞いたとき、かの女のうれしさというものはなかった。それはもっともなわけであった。
わたしはいま思い出しても、この船の上で、ミリガン夫人やアーサと過ごしたあのじぶんが、少年時代でいちばんゆかいなときであったと思う。
アーサはわたしに熱い友情を寄せていた。わたしのほうでもわざとでなしに、また気のどくという同情からでなしに、しぜんとかれを兄弟のように思っていた。二人はけんか一つしたことはなかった。かれにはかれのような身分にありがちないばったところはみじんもなかった。わたしのほうも少しもひけめは感じなかった。またひけめを感じなければならないなどと思ったことすらなかった。
これはきっとわたしが子どもで、世の中を知らないためであったろう。しかしそれにはたしかに、ミリガン夫人の行き届いた親切のおかげもあった。かの女はたいてい自分の子どものようにしてわたしに話しかけた。
それにこの船の旅がわたしにはじつにおもしろかった。一時間とたいくつしたこともなければ、つかれたと思うこともなかった。朝から晩までわたしの心はいつも充実しきっていた。
鉄道ができて以来、フランス南部地方の運河を見に来る人もなければ、知る人すらないようになったが、でもこれはやはりフランス名物の一つであった。
わたしたちはローラゲーのヴィーフランシュから、アヴィニオンヌまで行って、アヴィニオンヌからノールーズの岩まで行った。ノールーズにはこの運河の開鑿者であるリケの記念碑が、大西洋に注ぐ水と地中海に落ちる水とが分かれる分水嶺の頂に建てられてあった。
それからわたしたちは水車の町であるカステルノーダリを下って、中世の都会であったカルカッソンヌへ、それから貯水溝のめずらしいフスランヌの閘門(船を高低の差のある水面に上げたり下ろしたりするしかけのある水門)をぬけてベジエールに下った。
おもしろい所ではわたしたちはたいそうゆっくり船を進めた。けれど景色がつまらなくなると馬は引き船の道を早足にとっとっとかけた。
いつどこでとまって、いつまでにどこまでへ着かなければならないということもなかった。毎日同じ決まった食事の時間に露台の上に集まって、静かに両岸の景色をながめながら食事をした。日がしずむと船は止まった。日がのぼると船はまた動き出した。
雨でも降ると、わたしたちは船室の中にはいって、勢いよく燃えた火を取り巻いてすわる。病人の子どもがかぜをひかないためであった。そういうとき、ミリガン夫人はわたしたちに本を読んで聞かせたり、画帳を見せたり、美しいお話をして聞かせたりした。
それから夜、晴れた日には、わたしには一つ役目があった。船が止まったときわたしはハープをおかに持って下りて、少し遠くはなれた木のかげにこしをかける。それから木のえだのしげった中にかくれて、いっしょうけんめいにひいたり、歌を歌ったりするのである。静かな晩など、アーサは、だれがひいているか見えないようにして、遠くの音楽を聞くことを好んだ。そこでわたしがアーサの好きな曲をひくと、かれは「アンコール」(もっと)と声をかける。それでわたしは同じ曲を二度くり返してひくのである。
それはバルブレンのおっかあの炉ばたに育ち、ヴィタリス老人とほこりっぽい街道を流浪して歩いたいなか育ちの少年にとっては思いがけない美しい生活であった。
あの気のどくな養母がこしらえてくれた塩のじゃがいもと、ミリガン夫人の料理番のこしらえるくだもの入りのうまいお菓子やゼリーやクリームやまんじゅうと比べると、なんというそういであろう。
あのヴィタリス親方のあとからとぼとぼくっついて、沼のような道や、横なぐりの雨や、こげつくような太陽の中を歩き回るのと、この美しい小舟の旅と比べては、なんというそういであろう。
料理はうまかった。そうだ、まったくすばらしかった。腹も減らないし、くたびれもしないし、暑すぎもせず、寒すぎもしなかった。けれどほんとうに正直なことを言えば、わたしがいちばん深く感じたのは、この夫人と子どもの、めずらしい親切と愛情であった。
二度もわたしはわたしの愛していた人たちから引きはなされた。最初はなつかしいバルブレンのおっかあから、それからヴィタリス親方から、わたしは犬とさるといっしょに空腹で、みじめなまま捨てられた。
そこへ美しい夫人がわたしと同じ年ごろの子どもを連れて現れた。わたしをむかえて、まるでわたしが兄弟ででもあるようにあつかってくれた。
たびたびわたしはアーサが寝台に結えつけられて、青い顔をしてねむっているところを見ると、わたしはかれをうらやんだ。健康と元気に満ちたわたしが、かえって病人の子どもをうらやんだ。
それはわたしがうらやむのは、この子を引き包んでいるぜいたくではなかった。美しい小舟ではなかった。それはかれの母親であった。ああ、どのくらいわたしは自分の母親を欲しがっているだろう。
かれの母はいつでもかれにキッスした。そして、かれはいつでもしたいときに、両うでにかの女をだくことができた。その優しい夫人の手はたまたまわたしに向けられることもあっても、わたしからは思い切ってそれにさわり得ないのではないか。わたしは自分にキッスしてくれる母親、わたしがキッスすることのできる母親を持たないことを悲しいと思った。
あるいはいつかまたわたしもバルブレンのおっかあには会うことがあるかもしれない。それはどんなにかうれしいことであろう。でもわたしはもうかの女を母親と呼ぶことはできない。なぜならかの女はわたしのほんとうの母親ではないのだから。
わたしは独りぼっちだった。わたしはいつでも独りぼっちでいなければならない……だれの子どもでもないのだ。
わたしはもうこの世の中は、そうなんでも思うようになる所でないことを知るだけに大きくなっていた。それでわたしは母親もないし、家族もないから、友だちでもあればどんなにうれしいだろうと思っていた。だからこの小舟に来て、わたしは幸福であった。ほんとうに幸福であった。けれど、ああ、それは長く続けることはできなかった。わたしがまたむかしの生活に返る日はおいおいに近づいていた。
捨て子
旅の日数のたつのは早かった。親方が刑務所から出て来る日がずんずん近づいていた。船がだんだんツールーズから遠くなるに従って、わたしはこの考えに心を苦しめられていた。
船の旅はこのうえなくおもしろかった。なんの苦労もなければ、心配もなかった。これがせっかく水の上を気楽に通って来た道を、今度は足でとぼとぼ歩いて帰らなけれはならないときがじき来るのだ。
これはたまらなくおもしろくないことであった。そうなればもう寝台もなければ、クリームもない。お菓子もなけれは、テーブルを取り巻いた楽しい夜会もなくなるのだ。
でもそれよりもこれよりもいちばんつらいのは、ミリガン夫人とアーサとに別れることであった。わたしはこの人たちの友情からはなれなければならないであろう。そのつらさはバルブレンのおっかあに別れたときと同じことであろう。
わたしはある人びとをしたったり、その人びとからかわいがられると、もう一生その人たちといっしょにくらしたいと思う。それがあいにくいつもじきその人たちと別れなければならないようになる。いわばちょうどその人たちと別れるために、愛し愛されたりするようなものであった。
このごろの楽しい生活のあいだに、ただ一つこの心痛がわたしの心をくもらせた。
ある日とうとうわたしは思い切って、ミリガン夫人に、ツールーズへ帰るにはどのくらいかかるだろうと聞いた。親方が刑務所から出る日に、わたしは刑務所の戸口で待っていようと思ったのである。
アーサはわたしが帰って行くという話を聞くと、急にさけびだした。
「帰っちゃいやだ、ルミ。行ってしまってはいやだ」
かれはすすり泣きをしていた。
わたしはかれに、自分がヴィタリス親方のものになっていること、かれが金を出して両親からわたしを借りていること、用のあるときいつでも帰って行かなければならないことを話した。
わたしは両親のことを話した。けれどもそれがほんとうの父親でも母親でもないことは話さなかった。わたしは自分が捨て子であることをはじに思った――往来で拾われた子どもだということを白状することをはじに思った。わたしは孤児院の子どもというものがどんなにあなどられるものであるか知っていた。世の中で捨て子であるということほどいやなことがあろうとは、わたしには思えなかった。それをミリガン夫人やアーサに知られることを好まなかった。それを知られたら、あの人たちはわたしをきらうようになるだろう。
「お母さま、ルミはどうしても止めておかなければだめですよ」とアーサは言い続けた。
「わたしもルミをここへ止めておくことはたいへんけっこうだと思うけれど」とミリガン夫人は答えた。「わたしたちはずいぶんあの子が好きなのだからね。でもこれには二つやっかいなことがある。第一にはルミがいたがっているかどうか……」
「ああ、それはいますとも、いますとも」とアーサがさけんだ。「ねえルミ、行きたかないねえ、ツールーズへなんか」
「第二には」と、ミリガン夫人がかまわず続けた。「この子の親方が手放すだろうか、どうかということですよ」
「ルミが先です。ルミが先です」とアーサは言い張った。
ヴィタリスはいい親方であった。かれがわたしにものを教えてくれたことに対しては、わたしはひじょうに感謝していた。けれどもかれとくらすのと、アーサとこうしてくらすのとではとても比較にはならなかった。同時に親方に持つ尊敬と、ミリガン夫人とその病身の子どもに対して持つ愛着とは比較にはならなかった。わたしはこういう外国人を、世話になった親方よりありがたいものに思うのはまちがっていると感じていた。けれどもそれはそのとおりにちがいなかった。わたしはミリガン夫人とアーサを心から愛していた。
「ルミがわたしたちの所にいても、いいことばかりはないでしょう」とミリガン夫人は続けた。
「この船にだって遊び半分ではいられません。ルミもやはりあなたと同じようにたくさん勉強をしなければなりません。とても青空の下で旅をして回るような自由な境涯ではないでしょう」
「ああ、ぼくの思っていることがおわかりでしたら……」とわたしは言いかけた。
「ほらほらね、お母さま」とアーサが口を出した。
「ではわたしたちがこれからしなければならないことは」とミリガン夫人が言った。「この子の親方の承諾を受けることです。わたしはまあ手紙をやってここへ来てもいようにたのんでみましょう。こちらからツールーズへは行かれないからね。わたしは汽車賃を送ってあげて、なぜこちらから汽車に乗って行かれないか、そのわけをよく書いてあげましょう。つまりこちらへ呼ぶことになるのだが、たぶん承知してくださることだろうと思うから、それで相談したうえで、親方がこちらの申し出を承知してくだされば、今度はあなたのご両親と相談することにしましょう。むろんだまっていることはできないからね」
この最後のことばで、わたしの美しいゆめは破れた。
両親に相談する。そうしたらかれらはわたしが内証にしようとしていることをすぐ言いたてるだろう。わたしが捨て子だということを言いたてるだろう。
ああ捨て子。そうなればアーサもミリガン夫人もわたしをきらうようになるだろう。
まあ自分の父親も母親も知らない子どもが、アーサの友だちであったか。
わたしはミリガン夫人の顔をまともにながめた。なんと言っていいか、わたしはわからなかった。かの女はびっくりしてわたしの顔を見た。わたしがどうしたのか、かの女はたずねようとしたが、わたしはそれに答えもできずにいた。たぶん親方が帰って来るという考えに気が転倒していると考えたらしく、かの女はそのうえしいては問わなかった。
幸いにじきねむる時間が来たので、アーサからいつまでもふしぎそうな目で見られずにすんだ。やっと心配しながら自分の部屋に一人閉じこもることができた。これはわたしが白鳥号に乗り合わせて以来初めてのふゆかいな晩であった。それはおそろしくふゆかいな、長い熱病をわずらったような心持ちであった。わたしはどうしたらいいだろう。なんと言えばいいのだ。
たぶん親方はわたしを手放さないであろう。それなればかれらはどうしたってほんとうのことは知らずにいよう。かれらは、わたしの捨て子だということを知らずにすむだろう。素性を知られることについてのわたしの羞恥と恐怖があまりひどかったので、もうアーサ母子と別れても、しかたがない。ヴィタリスがなんでも自分といっしょに来いと主張することを希望し始めたくらいであった。そうなれば少なくともかれらはこののちわたしを思い出すたんびにいやな気がしないであろう。
それから三日たってミリガン夫人はヴィタリスに送った手紙の返事を受け取った。かれは夫人の文意をよくくんで、向こうから来てかの女に会おうと言って来た。つぎの土曜日の二時の汽車で、セットへ着くはずにするからと言って来た。わたしは犬たちとジョリクールを連れて、かれに会いに停車場まで行くことを許された。
その朝になると、犬たちはなにか変わったことでも起こると思ったか、ひどくはしゃいでいた。ジョリクールだけは知らん顔をしていた。わたしはひじょうに興奮していた。きょうこそわたしの運命が決められる日であった。わたしに勇気があったら、親方にたのんで捨て子だということをミリガン夫人に言ってもらわないようにたのむことができたであろう。けれどもわたしはかれに対してすら『捨て子』ということばを口に出して言うことができないような気がしていた。わたしは犬をひもでつないで、ジョリクールは上着の下に入れて、停車場の片すみに立って待っていた。わたしは身の回りに起こっていることはほとんど目にはいらなかった。汽車の着いたことを知らせてくれたのは犬であった。かれらは主人のにおいをかぎつけた。
ふとわたしのおさえているひもを前に引くものがあった。わたしはうっかり見張りをゆるめていたので、かれらはぬけ出したのであった。ほえながらかれらは前へとび出した。わたしはかれらが親方にとびかかるのを見た。ほかの二ひきに比べてははげしくしかもしたたかにカピが、いきなり主人のうでにとびかかった。ゼルビノとドルスがその足にとびかかった。
親方はわたしを見つけると、手早くカピをどけて、両うでをわたしのからだに投げかけた。初めてかれはわたしにキッスした。
「ああよく無事でいてくれた」とかれはたびたび言った。
親方はこれまでわたしにつらくはなかったが、こんなふうに優しくはなかった。わたしはそれに慣れていなかった。それでわたしは感動して、思わずなみだが目の中にあふれた。それにいまのわたしの心持ちはたやすく物に動かされるようになっていた。わたしはかれの顔をながめた。刑務所にはいっているまにかれはひじょうに年を取った。背中も曲がったし、顔は青いし、くちびるに血の気はなかった。
「ルミ、わたしは変わったろう。なあ」とかれは言った。「刑務所はけっしてゆかいな所ではなかった。それに苦労というものは、たちの悪い病気のようなものだ。けれどもう出て来ればだいじょうぶだ。これからはよくなるだろう」
それから話の題を変えてかれは言い続けた。
「わたしの所へ手紙を寄こしたおくさんのことを話しておくれ。どうしてそのおくさんと知り合いになったのだ」
わたしはここで、どうして白鳥号に乗って堀割をこいでいたミリガン夫人とアーサに出会ったか、それからわたしたちの見たこと、したことについてくわしく話した。わたしは自分でもなにを言っているのかわからないほど、のべつまくなしに話をした。こうしてわたしは親方の顔を見ると、これから別れてミリガン夫人の所にいたいと言いだす気にはなれなかった。
わたしたちはまだ話のすっかりすまないうちに、ミリガン夫人のとまっているホテルに着いた。親方は夫人が手紙でなんと書いて来たか、それは言わなかったから、わたしはかの女の申し出がどんなものであるかなんにも知らなかった。
「そのおくさんはわたしを待っていられるのかな」と、わたしたちがホテルにはいったときにかれは言った。
「ええ、ぼくがいまおくさんの部屋に案内しましょう」とわたしは言った。
「それにはおよばないよ」とかれは答えた。「わたしは一人で上がって行く。おまえはここでジョリクールや、犬たちといっしょにわたしを待っておいで」
わたしは、いつでもかれに従順であったけれども、この場合はかれといっしょにミリガン夫人の部屋に行くことが、わたしとしてむろん正当でもあり自然なことだと思っていた。けれども手まねでかれがわたしのくちびるに出かかっていることばをおさえると、わたしはいやいや犬やさるといっしょに下に残っていなければならなかった。
どうしてかれはミリガン夫人と話をするのにわたしのいることを好まなかったか。わたしはこの質問を心の中でくり返しくり返したずねた。それでもまだ明快な答えが得られずに考えこんでいたときにかれはもどって来た。
「行っておくさんに、さようならを言っておいで」とかれはことば短に言った。「わたしはここで待っていてやる。あと十分のうちにたつのだから」
わたしはかみなりに打たれたような気がした。
「それ」とかれは言った。「おまえはわたしの言ったことがわからないか。なにを気のぬけた顔をして立っている。早くしないか」
かれはまだこんなふうにあらっぽくものを言ったことがなかった。機械的にわたしは服従して、立ち上がった。なにがなんだかわからないような顔をしていた。
「あなたはおくさんになんとお言いに……」二足三足行きかけてわたしは問いかけた。
「わたしはおまえがなくてならないし、おまえにもわたしは必要なのだ。従ってわたしはおまえに対するわたしの権利を捨てることはできませんと言ったのさ。行って来い。いとまごいがすんだらすぐ帰れ……」
わたしは自分が捨て子だったという考えばかりに気を取られていたから、わたしがこれですぐに立ち去らなければならないというのは、きっと親方がわたしの素性を話したからだとばかり思っていた。
ミリガン夫人の部屋にはいると、アーサがなみだを流している。そのそばに母の夫人が寄りそっているところを見た。
「ルミ、きみ行ってはいやだよ。ねえ、ルミ、行かないと言ってくれたまえ」とかれはすすり泣きをした。
わたしはものが言えなかった。ミリガン夫人がわたしの代わりに答えた。つまりわたしがいま親方に言われたとおりにしなければならないことを、アーサに言って聞かせた。
「親方さんにお願いしましたが、あなたをこのままわたしたちにくださることを承知してくださいませんでした」とミリガン夫人は、いかにも悲しそうな声で言った。
「あの人は悪い人だ」とアーサがさけんだ。
「いいえ、あの人は悪い人ではありません」とミリガン夫人は言った。「あの人にはあなたがだいじで手放せないわけがあるのです。それにあの人はあなたをかわいがっていられる……あの人はああいう身分の人のようではない、どうしてりっぱな口のきき方をなさいました。お断りになる理由としてあの人の言われたのは――そう、こうです、――わたしはあの子を愛している、あの子もわたしを愛している。わたしがあれに授けている世間の修業は、あれにとって、あなたがたといるよりもずっといい、はるかにいいのだ。あなたはあれに教育を授けてくださるでしょう。それはほんとうだ。なるほどあなたはあれのちえを養ってはくださるだろう、だがあれの人格は作れません。それを作ることのできるのは人生の艱難ばかりです。あれはあなたの子にはなれません。やはりわたしの子どもです。それはどれほどあれにとって居心地がよかろうとも、あなたの病身のお子さんのおもちゃになっているよりは、はるかにましです。わたしもできるだけあの子どもを教えるつもりですから――とこうお言いになるのですよ」
「でもあの人、ルミの父さんでもないくせに」とアーサはさけんだ。
「それはそうです。でもあの人はルミの主人です。ルミはあの人のものです。さし当たりルミはあの人に従うほかはありません。この子の両親が親方さんにお金で貸したのですから。でもわたしはご両親にも手紙を書いて、やれるだけはやってみましょう」
「ああ、いけません。そんなことをしてはいけません」とわたしはさけんだ。
「それはどういうわけです」
「いいえ、どうかよしてください」
「でもそのほかにしかたがないんですもの」
「ああ、どうぞよしてください」
ミリガン夫人が両親のことを言いださなかったなら、わたしは親方がくれた十分の時間以上をさようならを言うために費したであろう。
「ご両親たちはシャヴァノンにいるんでしょう」とミリガン夫人はたずねた。
それには答えないで、わたしはアーサのほうへ行って、両うでをかれのからだに回して、しばらくはしっかりだきしめていた。それからかれの弱いうでからのがれて、わたしはふり向いてミリガン夫人に手をさし延べた。
「かわいそうに」と、かの女はわたしの額にキッスしながらつぶやいた。
わたしは戸口へかけて行った。
「アーサ、わたしはいつまでもあなたを愛します」とわたしは言って、こみ上げて来るなみだを飲みこんだ。「おくさん、わたしはけっしてけっしてあなたを忘れません」
「ルミ、ルミ……」とアーサがさけんだ。その後のことばはもう聞こえなかった。
わたしは手早くドアを閉じて外に出た。一分間ののち、わたしはヴィタリスといっしょになっていた。
「さあ出かけよう」とかれは言った。
こうしてわたしは最初の友だちから別れた。
ふぶきとおおかみ
またわたしは親方のあとについて痛い肩にハープを結びつけたまま、雨が降っても、日が照りつけても、ちりやどろにまみれて、旅から旅へ毎日流浪して歩かなければならなかった。広場であほうの役を演じて、笑ったり泣いたりして見せて、「ご臨席の貴賓諸君」のごきげんをとり結ばなければならなかった。
長い旅のあいだ再三わたしは、アーサやその母親や白鳥号のことを考えて足が進まないことがあった。きたならしい村にはいると、わたしはあのきれいな小舟の船室をどんなに思い出したろう。それに木賃宿のねどこのどんなに固いことであろう。(もう二度とアーサとも遊べないし、その母親の優しい声も聞くことはできない)それを考えるだけでもおそろしかった。
これほど深い、しつっこい悲しみの中で、うれしいことには、一つのなぐさめがあった。それは親方がまえよりはずっと優しく、温和になったことであった。
かれのわたしに対する様子はすっかり変わっていた。かれはわたしの主人というより以上のものであるように感じた。もうたびたび思い切って、かれにだきつきたいと思うほどのことがあった。それほどにわたしは愛情を求めていた。けれどもわたしにはそれをする勇気がなかった。親方はそういうふうになれなれしくすることを許さない人であった。
初めは恐怖がわたしをかれから遠ざけたけれど、このごろはなんとは知れないが、ぼんやりと、いわば尊敬に似た感情がかれとわたしをへだてていた。
わたしがいよいよ村の家を出るじぶんには、ふつうのびんぼうな階級の人たちと同じように親方を見ていた。わたしは世間なみの人からかれを区別することができずにいたが、ミリガン夫人と二か月くらしたあいだに、わたしの目は開いたし、ちえも進んだ。よく気をつけて親方を見ると、態度でも様子でも、かれにはひじょうに高貴なところがあるように見えた。かれの様子にはミリガン夫人のそれを思い出させるところがあった。
そんなときわたしは、ばかな、親方はたかが犬やさるの見世物師というだけだし、ミリガン夫人は貴婦人である、それが似かよったところがあるはずがないと思った。
だがそう思いながら、よくよく見ると、わたしの目がまちがわないことが確かになった。親方はそうなろうと思えば、ミリガン夫人が貴婦人であると同様に紳士になることができた。ただちがうことは、ミリガン夫人がいつでも貴婦人であるのに反して、親方がある場合だけ紳士であるということであった。でも一度そうなれば、それはりっぱな紳士になりきって、どんな向こう見ずな、どんな乱暴な人間でも、その威勢におされてしまうのであった。
だからもともと向こう見ずでも、乱暴でもなかったわたしは、よけい威勢に打たれて、言いたいことも言い得ずにしまった。それは向こうから優しいことばでさそい出してくれるときでもそうであった。
セットをたってからのち、しばらくわたしたちはミリガン夫人のことや、白鳥号に乗っていたあいだのことを口に出すことをしなかった。けれどもだんだんとそれが話の種になるようになって、まず親方がいつも話の口を切った。そうしてそれからは一日も、ミリガン夫人の名前の口にのぼらない日はないようになった。
「おまえは好いていたのだね、あのおくさんを」と親方が言った。「そうだろう、それはわたしもわかっている。あの人は親切であった。まったくおまえには親切であった。その恩を忘れてはならないぞ」
そのあとでかれはいつも言い足した。
「だがしかたがなかったのだ」
こう言う親方のことばを、初めはわたしもなんのことだかわからなかった。するうちだんだんそれは、ミリガン夫人がそばへ置きたいという申し出をこばんだことをさして言うのだとわかった。
親方がしかたがなかったと言ったとき、こういう考えになっていたのは確かであった。そのうえこのことばの中には後悔に似た心持ちがふくまれていたように思われた。かれはアーサのそばにわたしを残しておきたいと思ったのであろう。けれどそれはできないことだったというのである。
でもなぜかれがミリガン夫人の申し出を承知することができなかったか、よくはわからなかったし、あのとき夫人がくり返し言って聞かしてくれた説明も、あまりよくはわからずにしまったが、親方が後悔しているということがわかって、わたしは心の底に満足した。
もうこれでは親方も承知してくれるだろう。そうしてこれはわたしにとって大きな希望の目標になった。
それにしても、なぜ白鳥号には出会わないのであろう。
それはローヌ川を上って行くはずであった。そうしてわたしたちはその川の岸に沿って歩いていた。
それで歩きながらわたしの目は両側を限っている丘や、豊饒な田畑よりも、よけい水の上に注がれていた。
わたしたちがアルルとか、タラスコンとか、アヴィニオン、モンテリマール、ヴァランス、ツールノン、ヴィエンヌなど、という町に着いたときに、いちばん先にわたしの行ってみるのは、波止場か橋の上で、そこから川の上流を見たり、下流を見たり、わたしの目は白鳥号を探した。遠方に半分、深い霧にかくれてぼんやりした船のかげでも見つけると、それが白鳥号であるかないか、見分けられるほど大きくなるのを待つのであった。
でもそれはいつも白鳥号ではなかった。
ときどきわたしは思い切って船頭に聞いてみた。わたしの探す美しい船の模様を話して、そういう船を見なかったかとたずねた。でもかれらはけっしてそういう船の通るのを見たことがなかった。
このごろでは親方も、わたしをミリガン夫人にわたそうと決心していた。少なくともわたしにはそう想像されたから、もはやわたしの素性を告げたり、バルブレンのおっかあに手紙をやったりされるおそれがなくなった。そのほうの事件は親方とミリガン夫人との間の相談でうまくまとめてくれるだろう。そう思って、わたしの子どもらしいゆめでいろいろに事件を処理してみた。ミリガン夫人はわたしをそばに置きたいと言うだろう。親方はわたしに対する権利を捨てることを承知してくれるだろう。それでいっさい事ずみだ。
わたしたちは何週間もリヨンに滞在していた。そのあいだひまさえあればいく度もわたしはローヌ川と、ソーヌ川の波止場に行ってみた。おかげでエーネー、チルジット、ラ・ギョッチエール、ロテル・デューなどという橋のことは、生えぬきのリヨン人同様によく知っていた。
しかしやはりわからなかった。とうとう白鳥号を見つけることはできなかった。
わたしたちはとうとうリヨンを去らなければならなかった。そしてディジョンに向かった。それでわたしはもうミリガン夫人に二度と会う希望を捨てなければならなかった。それはリヨンでフランス全国の地図を調べてみたが、どうしても白鳥号がロアール川に出るには、これより先へ川を上って行くことのできないことを知ったからであった。船はシャロンのほうへ別れて行ったのであろう。そう思ってわたしたちはシャロンに着いたが、やはり船を見ることなしにまた進まなければならなかった。これがわたしの夢想の結末であった。
いよいよいけなくなったことは、冬がいまや目近にせまってきたことであった。わたしたちは目も見えないような雨とみぞれの中をみじめに歩き回らなければならなかった。夜になってわたしたちがきたない宿屋かまたは物置き小屋につかれきってたどり着くと、もうはだまで水がしみ通って、わたしたちはとても笑顔をうかべてねむる元気はなかった。
ディジョンをたってから、コートドールの山道をこえたときなどは、雨にぬれて骨までもこおる思いをした。ジョリクールなどは、わたしと同様いつも情けない悲しそうな顔をしていた。よけい意地悪くなっていた。
親方の目的は少しでも早くパリへ行き着くことであった。それは冬のあいだ芝居をして回れるのはパリだけであった。わたしたちはもうごくわずかの金しか得られなかったので、汽車に乗ることもできなかった。
道みちの町や村でも、日和のつごうさえよければ、ちょっとした興行をやって、いくらかでも収入をかき集めて、出発するようにした。寒さと雨とで苦しめられながら、でもシャチヨンまではどうにかしてやって来た。
シャチヨンをたってから、冷たい雨の降ったあとで、風は北に変わった。
もういく日かしめっぽい日が続いたあとでは、わたしたちも顔にかみつくようにぶつかる北風を、いっそ気持ちよく思っていたが、まもなく空は大きな黒い雲でおおわれて、冬の日はすっかりかくれてしまった。大雪の近づいていることがわかっていた。
わたしたちがちょっとした大きな村に着くまではまだ雪にもならなかった。でも親方は、なんでもトルアの町へ早く行こうとあせっていた。そこは大きい町だから、ひじょうに悪い天気で五、六日逗留しても、少しは興行を続けて回る見こみがあった。「早くとこにおはいり」とその晩宿屋に着くと親方は言った。「あしたはなんでも早くからたつのだ……だが雪に降りこめられてはたまらないなあ」
でもかれはすぐにはとこにはいらなかった。台所の炉のすみにこしをかけて、寒さでひどく弱っているジョリクールを暖めていた。さるは毛布にくるまっていても、やはり苦しがって、うめき声をやめなかった。
あくる日の朝、わたしは言いつけられたとおり早く起きた。まだ夜が明けてはいなかった。空はまっ暗な雲が低く垂れて、星のかげ一つ見えなかった。ドアを開けると、はげしい風がえんとつにふき入って、危なくゆうべ灰の中にうずめたほだ火をまい上げそうにした。
宿屋の亭主は親方の顔を見て、
「わたしがあなただったら、きょうは出るどころではありません。いまにひどいふぶきになりますぜ」
「わたしは急いでいるのだ」と親方は答えた。「その大ふぶきの来るまえにトルアまで行きたいと思っている」
「六、七里(約二十四〜二十八キロ)もありますよ。一時間やそこらで行けるものですか」
でもかまわずわたしたちは出発した。
親方はジョリクールをしっかりからだにだきしめて、自分の温かみを少しでも分けてやろうとした。犬は固いこちこちな道を歩くのをうれしがって、先に立ってかけた。親方はデイジョンでわたしにひつじの毛皮服を買ってくれたので、わたしは毛を裏にしてしっかり着こんだ。これがこがらしでべったりからだにふきつけられていた。
わたしたちは口を開くのがひどくふゆかいだったので、だまりこんで歩きながら、少しでも暖まろうとして急いだ。
もう夜明けの時間をよほど過ぎていたが、空はまだまっ暗であった。東のほうに白っぽい帯のようなものが雪の間に流れてはいたが、太陽は出て来そうもなかった。
野景色を見わたすと、いくらか物がはっきりしてきた。葉をふるった木も見えるし、灌木や小やぶの中でかれっ葉ががさがさ風に鳴っていた。
往来にも畑にも出ている人はなかった。車の音も聞こえないし、むちの鳴る音も聞こえなかった。
ふと北の空に青白い筋が見えたが、だんだん大きくなってこちらのほうへ向かって来た。そのときわたしたちはきみょうながあがあいうささやき声のような音を聞いた。それはがんか野の白鳥のさけび声であったろう。この気ちがいじみた鳥の群れは、わたしたちの頭の上を飛んだと思うと、もう北から南のほうへおもしろそうにかけって行った。かれらが遠い空の中に見えなくなると、やわらかな雪片が静かに落ちて来た。それは空中を遊び歩いているように見えた。
わたしたちが通って行く道は喪中のようにしずんでさびしかった。あれきって陰気な野原の上にただ北風のはげしいうなり声が聞こえた。雪片が小さなちょうちょうのように目の前にちらちらした。絶えずくるくる回って、地べたに着くことがなかった。
わたしたちはまた少ししか歩いてはいなかった。雪の降るまえにトルアに着くということは、むずかしいことに思われた。けれどわたしは心配しなかった。雪が降りだせば風がやんで、かえって寒さもゆるむだろうと思った。
わたしはまだ雪風というものがどんなものだかよく知らなかった。
しかしまもなくそれがほんとうにわかった。しかもわたしにはけっして忘れることのできないものであった。
雲が東北からむくむく集まって来た。そこの空にかすかな明るみが見えたと思うと、やがて雲のふところが開いて、どんどん大きな雪のかたまりが落ちて来た。もう空中をちょうちょうのようにはまわなかった。ふんぷんとすばらしい勢いで降って来て、わたしたちの目鼻を開けられないようにした。
「とてもトルアまではだめだ。なんでもうちを見つけしだい休むことにしよう」と親方が言った。
わたしは親方がそう言うのを聞いてうれしかったけれども、いったいうまく休むうちが見つかるであろうか。まだそこらが白くならないまえにわたしが見ておいたかぎりでは、一けんもうちは見えなかった。そればかりではない。おいおい村に近づいているという気配も見えなかった。
わたしたちの前には底知れぬ黒い森が横たわっていた。わたしたちを包んでいる両側の丘陵もやはり深い森であった。
雪はいよいよはげしく降ってきた。わたしたちはだまって歩いた。親方はおまけにひつじの毛皮服を持ち上げて、ジョリクールが楽に息のできるようにしてやった。ただときどき首を左右に動かさなければ息ができなかった。
犬たちももう先に立ってかけることができなかった。かれらはわたしたちのかかとについて歩いて、早く休むうちを求めたがっているような顔をしていたが、それをあたえてやることができなかった。
道はいっこうにはかどらなかった。わたしたちはとぼとぼ骨を折って歩いた。目を開けてはいられなかった。じくじくぬれた着物がこおりついたまま歩いて行った。もう深い森の中にはいっていたが、まっすぐな道で、わたしたちはさえぎるもののないあらしにふきさらされていた。そのうち風はいくらか静まったが、雪のかたまりはますます大きくなって、みるみる積もった
わたしは親方がなにか探し物をするように、おりおり左のほうへ目を注ぐのを見たが、かれはなにも言わなかった。なにをかれは見つけようとするのであろう。
わたしは長い道の向こうばかりまっすぐに見ていた。この森がもうほどなくおしまいになって、人家が現れてきはしないかという望みをかけていた。
だが目の届く限り両側は雪にうずまった林であった。前はもう二、三間(四〜五メートル)先が雪でぼんやりくもっていた。
わたしはこれまで暖かい台所の窓ガラスに雪の降るところを見ていた。その暖かい台所がどんなにかはるか遠いゆめの世界のように思われることであろう。
でもやはり行くだけは行かなければならなかった。わたしたちの足はだんだん深く雪の中にもぐりこんだ。そのときふと、なにも言わずに親方が左手を指さした。なるほど、わたしはぼんやりと、空き地の中に堀立小屋のようなものを見た。
わたしたちはその小屋に通う道を探さなければならなかった。でも雪がもう深くなって、道という道をうずめてしまったので、これは困難な仕事であった。わたしたちはやぶの中をかけ回って、みぞをこえて、やっとのことで小屋へ行く道を見つけて中へはいることができた。
その小屋は丸太やしばをつかねて造ったもので、屋根も木のえだのたばを積み重ねて、雪が間から流れこまないように固くなわでしめてあった。
犬たちはうれしがって、元気よく先に立ってかけこんだ、ほえながらたびたびかわいた土の上をほこりを立てて転げ回っていた。
わたしたちの満足もかれらにおとらず大きかった。
「こういう森の中の木を切ったあとには、きこりの小屋があるはずだと思っていた」と親方が言った。「もういくら雪が降ってもかまわないぞ」
「そうですとも。雪なんかいくらでも降れだ」とわたしは大いばりで言った。
わたしは戸口――というよりも小屋に出入する穴というほうが適当で、そこにはドアも窓もなかったが――そこまで行って、わたしは上着とぼうしの雪をはらった。せっかくのかわいた部屋をぬらすまいと思ったからである。
わたしたちの宿の構造はしごく簡単であった。備えつけの家具も同様で、土の山と、二つ三つ大きな石がいすの代わりに置いてあるだけであった。それよりもありがたかったのは、部屋のすみに赤れんがが五、六枚、かまどの形に積んであったことである。なによりもまず火を燃やさなければならぬ。
なによりも火がいちばんのごちそうだ。
さてまきだが、このうちでそれを見つけることは困難ではなかった。
わたしたちはただかべや屋根からまきを引きぬいて来ればよかった。それはわけなくできた。
まもなくたき火の赤いほのおがえんえんと立った。むろん小屋はけむりでいっぱいになったが、そんなことはいまの場合かまうことではなかった。わたしたちの欲しているのは火と熱であった。
わたしは両手をついて、腹ばいになって火をふいた。犬は火のぐるりをゆうゆうと取り巻いて、首をのばして、ぬれた背中を火にかざしていた。
ジョリクールはやっと親方の上着の下からのぞくだけの元気が出て、用心深く鼻の頭を外に向けてそこらをながめ回した。安全な場所であることを確かめて満足したらしく、急いで地べたにとび下りて、たき火の前のいちばん上等な場所を占領して、二本の小さなふるえる手を火にかざした。
親方は用心深い、経験に積んだ人であるから、その朝わたしが起き出すまえに道中の食料を包んでおいた。パンが一本とチーズのかけであった。わたしたちはみんな食物を見て満足した。
情けないことにわたしたちはごくわずかしか分けてもらえなかった。それはいつまでここにいなければならないかわからないので、親方がいくらか晩飯に残しておくほうが確実だと考えたからであった。
わたしはわかったが、しかし犬にはわからなかった。それでかれらはろくろく食べもしないうちにパンが背嚢に納められるのを見ると、前足を主人のほうに向けて、そのひざがしらを引っかいた。目をじっと背嚢につけて、中の物をぜひ開けさせようといろいろの身ぶりをやった。けれども親方はまるでかまいつけなかった。
背嚢はとうとう開かれなかった。犬はあきらめてねむる決心をした。カピは灰の中に鼻をつっこんでいた。わたしもかれらの例にならおうと考えた。けさは早かった。いつやむか、見当のつかない雪を見てくよくよしているよりも、白鳥号に乗って、ゆめの国にでも遊んだほうが気が利いている。
わたしはどのくらいねむったか知らなかった。目が覚めると雪がやんでいた。わたしは外をながめた。雪はひじょうに深かった。無理に出て行けばひざの上までうずまりそうであった。
何時だろう。
わたしはそれを親方にたずねることができなかった。なぜなら例のカピが時間を示した大きな銀時計は売られてしまった。かれは罰金や裁判の費用をはらうためにありったけの金を使ってしまった。そしてディジョンでわたしの毛皮服を買うときに、その大きな時計も売ってしまったのであった。
時計を見ることができないとすれば、日の加減で知るほかはないが、なにぶんどんよりしているので、何時だか時間を推量するのが困難であった。
なんの物音も聞こえなかった。雪はあらゆる生物の活動をそれなりこおらせてしまったように思われた。
わたしは小屋の入口に立っていると、親方の呼ぶ声が聞こえた。
「これから出て行けると思うかな」とかれはたずねた。
「わかりません。あなたのいいようにしたいと思います」
「そうか、わたしはここにいるほうがいいと思う。まあまあ屋根はあるし、たき火もあるのだから」
それはほんとうであったが、同時にわたしは食物のないことを思い出した。けれどもわたしはなにも言わなかった。
「どうせまた雪は降ってくるよ。とちゅうで雪に会ってはたまらない。夜はよけい寒くなる。今夜はここでくらすほうが無事だ。足のぬれないだけでもいいじゃないか」
そうだ。わたしたちはこの小屋に逗留するほかはない。胃ぶくろのひもを固くしめておく、それだけのことだ。
夕飯に親方が残りのパンを分けた。おやおや、もうわずかしかなかった。すぐに食べられてしまった。わたしたちはくずも残さず、がつがつして食べた。このつましい晩食がすんだとき、犬はまたさっきのようにあとねだりをするだろうと思っていたが、かれらはまるでそんなことはしなかった。今度もわたしは、どのくらいかれらがりこうであるか知った。
親方がナイフをズボンのかくしにしまうと、これは食事のすんだ知らせであったから、カピは立ち上がって、食物を入れたふくろのにおいをかいだ。それから前足をふくろにのせてこれにさわってみた。この二重の吟味で、もうなにも食物の残っていないことがわかった。それでかれはたき火の前の自分の席に帰って、ゼルビノとドルスの顔をながめた。その顔つきはあきらかにどうもしんぼうするほかはないよという意味を示していた。そこでかれはあきらめたというように、ため息をついて全身を長ながとのばした。
「もうなにもない。ねだってもだめだよ」かれはこれを大きな声で言ったと同様、はっきりと仲間の犬たちに会得さしていた。
かれの仲間はこのことばを理解したらしく、これもやはりため息をつきながらたき火の前にすわった。けれどゼルビノのため息はけっしてほんとうにあきらめたため息ではなかった。おなかの減っているうえに、ゼルビノはひじょうに大食らいであった。だからこれはかれにとっては大きな犠牲であった。
雪がまたずんずん降りだしていた。ずいぶんしつっこく降っていた。わたしたちは白い地べたのしき物が高く高くふくれ上がって、しまいに、小さな若木や灌木がすっかりうずまってしまうのを見た。夜になっても、大きな雪片がなお暗い空からほの明るい地の上にしきりなしに落ちていた。
わたしたちはいよいよここへねむるとすれば、なによりいちばんいいことは、できるだけ早くねつくことであった。わたしは昼間火でかわかしておいた毛皮服にくるまってまくらの代わりにした。平ったい石に頭をのせて、たき火の前に横になった。
「おまえはねむるがいい」親方が言った。「わたしのねむる番になればおまえを起こすから。この小屋ではけものもなにも心配なことはないが、二人のうち一人は起きていて、火の消えないように番をしなければならない。用心してかぜをひかないように気をつけなければいけない。雪がやむとひどい寒さになるからな」
わたしはさっそくねむった。親方がまたわたしを起こしたときには、夜はだいぶふけていた。たき火はまだ燃えていた。雪はもう降ってはいなかった。
「今度はわたしのねむる番だ」と親方が言った。「火が消えたら、ここへこのとおりたくさん採っておいたまきをくべればいい」
なるほどかれはたき火のわきに小えだをたくさん積み上げておいた。わたしよりずっと少ししかねむれない親方は、わたしがいちいちかべからまきをぬくたんびに音を立てて目を覚まさせられることをいやがった。それでわたしはかれのこしらえておいてくれたまきの山から取っては、そっと音を立てずに火にくべれはよかった。
たしかにこれはかしこいやり方ではあったけれど、情けないことに親方は、これがどんな意外な結果を生むかさとらなかった。
かれはいまジョリクールを自分の外とうですっかりくるんだまま、たき火の前にからだをのばした。まもなくしだいに高く、しだいに規則正しいいびきで、よくねいったことが知れた。
そのときわたしはそっと立ち上がって、つま先で歩いて、外の様子がどんなだか、入口まで出て見た。
草もやぶも木もみんな雪にうまっていた。日の届くかぎりどこも目がくらむような白色であった。空にはぽつりぽつり星の光がきらきらしていた。それはずいぶん明るい光ではあったが、木の上に青白い光を投げているのは雪の明かりであった。もうずっと寒くなっていた。ひどくこおっていた。すきまからはいる空気は氷のようであった。喪中にいるような静けさの中に、雪の表面のこおりつく音がいく度となく聞こえた。
「ああ、この森のおくで雪の中にうめられてわたしたちはどうすればいいのだ。この雪と寒さの中で、この小屋でもなかったらどうなったであろう」
わたしはそっと音のしないように出たのであったが、やはり犬たちを起こしてしまった。中でもゼルビノは起き上がってわたしについて来た。夜の荘厳はかれにとってなんでもなかった。かれはしばらく景色をながめたが、やがてたいくつして外へ出て行こうとした。
わたしはかれに中にはいるように命令した。ばかな犬よ。このおそろしい寒さの中でうろつき回るよりは、暖かいたき火のそばにおとなしくしていたほうがどのくらいいいか知れない。かれは不承不承にわたしの言うことを聞いたが、しかしひどくふくれっ面をして、目をじっと入口に向けていた。よほどしつっこい、いったん思い立ったことを忘れない犬であった。
わたしは、まっ白な夜をながめながらまだ二、三分そこに立っていた。それは美しい景色ではあったし、おもしろいと思ったが、なんとも言えないさびしさを感じた。むろん見まいと思えば目をふさいで中にはいって、そのさびしい景色を見ずにいることはできるのだが、白いふしぎな景色がわたしの心をとらえたのであった。
とうとうわたしはまたたき火のそばへ帰って、二、三本まきをたがいちがいに火の上に組み合わせて、まくらの代わりにした石の上にこしをかけた。
親方はおだやかにねむっていた。犬たちとジョリクールもまたねむっていた。ほのおが火の中から上って、ぴかぴか火花を散らしながら屋根のほうまで巻き上がった。ぱちぱちいうたき火のほのおの音だけが夜の沈黙を破るただ一つの音であった。
長いあいだわたしは火をながめていたけれど、だんだん我知らずうとうとし始めた。わたしが外へ出てまきをこしらえる仕事でもしていたら、日を覚ましていられたかもしれなかったが、なにもすることもなくって火にあたっているので、たまらなくねむくなってきた。そのくせしょっちゅう自分ではいっしょうけんめい目を覚ましているつもりになっていた。
ふとはげしいほえ声にわたしは目が覚めて、とび上がった。まっ暗であった。わたしはかなり長いあいだねむったらしく、火はほとんど消えかかっていた。もう小屋の中にほのおが光ってはいなかった。
カピはけたたましくほえたてていた。けれどふしぎなことにゼルビノの声もドルスの声もしなかった。
「どうした。どうした」と親方が目を覚ましてさけんだ。
「知りません」
「おまえはねむっていたのだな。火も消えている」
カピは入口までかけ出して行ったが、外へとび出そうとはしなかった。出口でウウ、ウウ、ほえていた。
「どうした。どうしたというんだろう」わたしは今度は自分にたずねた。
カピのほえ声に答えて、二声三声、すごい悲しそうなうなり声が聞こえた。それはドルスの声だとわかった。そのうなり声は小屋の後ろから、しかもごく近い距離から聞こえて来た。
わたしは外へ出ようとした。けれど親方はわたしの肩に手をのせて引き止めた。
「まあまきをくべなさい」かれは命令の調子で言った。
言いつけられたとおりにわたしがしていると、かれは火の中から一本小えだを引き出して、火をふき消して、燃えている先を吹いた。
かれはそのたいまつを手に持った。
「さあ、行って見て来よう」とかれは言った。「わたしのあとについておいで。カピ、先へ行け」
外へ出ようとすると、はげしいほえ声が聞こえた。カピはこわがって、あとじさりをして、わたしたちの間に身をすくめた。
「おおかみだ。ゼルビノとドルスはどこへ行ったろう」
なにをわたしが言えよう。二ひきの犬はわたしのねむっているあいだに出て行ったにちがいない。ゼルビノはわたしがねつくのを待って、ぬけ出して行った。そしてドルスが、そのあとについて行ったのだ。
おおかみがかれらをくわえたのだ。親方が犬のことをたずねたとき、かれの声にはその恐怖があった。
「たいまつをお持ち」とかれは言った。「あれらを助けに行かなければならない」
村でわたしはよくおおかみのおそろしい話を開いていた。でもわたしはちゅうちょすることはできなかった。わたしはたいまつを取りにかけて帰って、また親方のあとに続いた。
けれども外には犬も見えなければおおかみも見えなかった。雪の上にただ二ひきの犬の足あとがぽつぽつ残っていた。わたしたちはその足あとについて小屋の回りを歩いた。するとややはなれて雪の中でなにかけものが転がり回ったようなあとがあった。
「カピ、行って見て来い」と親方は言った。同時にかれはゼルビノとドルスを呼び寄せる呼び子をふいた。
けれどこれに答えるほえ声は聞こえなかった。森の中の重苦しい沈黙を破る物音はさらになかった。カピは言いつけられたとおりにかけ出そうとはしないで、しっかりとわたしたちにくっついていた。いかにも恐怖にたえない様子であった。いつもはあれほど従順でゆうかんなカピが、もう足あとについてそれから先へ行くだけの勇気がなかった。わたしたちの回りだけは雪がきらきら光っていたが、それから先はただどんよりと暗かった。
もう一度親方は呼び子をふいて、迷い犬を呼びたてた。でもそれに答える声はなかった。わたしは気が気でなかった。
「ああ、かわいそうなドルス」親方はわたしの心配しきっていることをすっぱり言った。
「おおかみがつかまえて行ったのだ。どうしてあれらを放してやったのだ」
そう、どうして――そう言われて、わたしは答えることばがなかった。
「行って探して来なければ」とわたしはしばらくして言った。
わたしは先に立って行こうとしたけれど、かれはわたしを引き止めた。
「どこへ探しに行くつもりだ」とかれはたずねた。
「わかりません、ほうぼうを」
「この暗がりでは、どこに行ったかわかるものではない。この雪の深い中で……」
それはほんとうであった。雪がわたしたちのひざの上まで積もっていた。わたしたちの二本のたいまつをいっしょにしても、暗がりを照らすことはできなかった。
「ふえをふいても答えないとすると、遠方へ行ってしまっているのだ」とかれは言った。
「わたしたちは、むやみに進むことはならない。おおかみはわれわれにまでかかって来るかもしれない。今度は自分を守ることができなくなる」
かわいそうな犬どもを、その運命のままに任せるということは、どんなに情けないことであったろう。
――われわれの二人の友だち、それもとりわけわたしにとっての友だちであった。それになにより困ったことは、それがわたしの責任だということであった。わたしはねむりさえしなかったら、かれらも出て行きはしなかった。
親方は小屋に帰って行った。わたしはそのあとに続きながら、一足ごとにふり返っては、立ち止まって耳を立てた。
雪のほかにはなにも見えなかった。なんの声も聞こえなかった。
こうしてわたしたちが、小屋にはいると、もう一つびっくりすることがわたしたちを待っていた。火の中に投げこんでおいたえだは勢いよく燃え上がって、小屋のすみずみの暗い所まで照らしていた。けれどもジョリクールはどこへ行ったか見えなかった。かれの着ていた毛布はたき火の前にぬぎ捨ててあった。けれどかれは小屋の中にはいなかった。親方もわたしも呼んだ。けれどかれは出て来なかった。
親方の言うには、かれの目を覚ましたときには、さるはわきにいた。だからいなくなったのは、わたしたちが出て行ったあとにちがいなかった。燃えているたいまつを雪の積もった地の上にくっつけるようにして、その足あとを見つけ出そうとした。でもなんの手がかりもなかった。
どこかたばねたまきのかげにでもかくれているのではないかと思って、わたしたちはまた小屋へ帰って、しばらく探し回った。いく度もいく度も同じすみずみを探した。
わたしは親方の肩に上って、屋根に葺いてあるえだたばの中を探してみた。二度も三度も呼んでみた。けれどもなんの返事もなかった。
親方はぷりぷりかんしゃくを起こしているようであった。わたしはがっかりしていた。
わたしは親方に、おおかみがかれまでも取って行ったのではないかとたずねた。
「いいや」とかれは言った。「おおかみは小屋の中までははいっては来なかっただろう。ゼルビノとドルスは外へ出たところをくわえられたかと思うが、この中までははいって来られまい。たぶんジョリクールはこわくなって、わたしたちの外に出ているあいだにどこへかかくれたにちがいない。それをわたしは心配するのだ。このひどい寒さでは、きっとかぜをひくであろう。寒さがあれにはなにより効くのだから」
「じゃあどんどん探してみましょうよ」
わたしたちはまたそこらを歩き回った。けれどまるでむだであった。
「夜の明けるまで待たなければならない」と親方が言った。
「どのくらいで明けるでしょう」
「二時間か三時間だろう」
親方は両手で頭をおさえてたき火の前にすわっていた。
わたしはそれをじゃまする勇気がなかった、わたしはかれのわきにつっ立って、ただときどき火の中にえだをくべるだけであった。一、二度かれは立ち上がって戸口へ行って、空をながめてはじっと耳をかたむけたが、また帰って来てすわった。
わたしはかれがそんなふうにだまって悲しそうにしていられるよりも、かまわずわたしにおこりつけてくれればいいと思った。
三時間はのろのろ過ぎた。その長いといったら、とても夜がおしまいになる時がないのかと思われた。
でも星の光がいつか空からうすれかけていた。空がだんだん明るく、夜が明けかかっていた。けれども明け方に近づくに従って、寒さはいよいよひどくなった。戸口からはいって来る風が骨までこおるようであった。
これでジョリクールを見つけたとしても、かれは生きているだろうか。
見つけ出す希望がほんとにあるだろうか。
きょうもまた雪が降りださないともかぎらない。
でも雪はもう来なかった。そして空にばら色の光がさして、きょうの好天気を予告するようであった。
すっかり明るくなって、樹木の形がはっきり見えるようになった。親方もわたしもがっかりして、棒をかかえて小屋を出た。
カピはもうゆうべのようにびくついてはいないようであった。目をしっかり親方にすえたまま、いつでも合図しだいでかけ出す仕度をしていた。
わたしたちが下を向いてジョリクールの足あとを探し回っていると、カピが首を上に上げてうれしそうにほえ始めた。かれはわたしたちに地べたではなく、上を見ろといって合図をしたのであった。
小屋のわきの大きなかしの木のまたで、わたしたちはなにか黒い小さなもののうごめく姿を見つけた。
これがかわいそうなジョリクールであった。夜中に犬のほえる声におびえて、かれはわたしたちが出ているまに、小屋の屋根によじ上った。そしてそこから一本のかしの木のてっべんに登って、そこを安全な場所と思って、わたしたちの呼ぶ声にも答えず、じっとからだをかがめてすわっていたのであった。
かわいそうな弱い動物。かれはこごえてしまったにちがいない。
親方がかれを優しく呼んだ。かれは動かなかった。わたしたちはかれがもう死んでいると思った。
数分間親方はかれを続けさまに呼んだ。けれどさるはもう生きているもののようではなかった。
わたしの心臓は後悔で痛んだ。どれほどひどく罰せられたことだろう。
わたしはつぐないをしなければならない。
「登ってつかまえて来ましょう」とわたしは言った。
「危ないよ」
「いいえ、だいじょうぶです。わけなくできますよ」
それはほんとうではなかった。それは危険でむずかしい仕事であった。大きなこの木は氷と雪をかぶっているので、それはずいぶん困難な仕事であった。
わたしはごく小さかったじぶんから木登りをすることを習った。それでこの術には熟練していた。わたしはとび上がって、いちばん下のえだにとびついた。そして木のえだをすけて雪が落ちて日の中にはいって来たが、でもどうやら木の幹をよじて、いちばんしっかりしたえだに手がかかった。ここまで登れば、あとは足をふみはずさないように気をつければよかった。
わたしは登りながら、優しくジョリクールに話しかけた。かれは動かないで、目だけ光らせてわたしを見ていた。
わたしはほとんど手の届く所へ来て、手をのばしてつかまえようとした。するとひょいとかれはほかのえだにとびついてしまった。
わたしはそのえだまでかれを追っかけたけれど、人間の情けなさ、子どもであっても、木登りはさるにはかなわなかった。
これでさるの足が雪でぬれていなかったら、とてもかれをつかまえることはできそうもなかった。かれは足のぬれることを好まなかった。それでじきにわたしをからかうのがいやになって、えだからえだへととび下りて、まっすぐに主人の肩にとび下りた。そして上着の裏にかくれた。
ジョリクールを見つけるのはたいへんなことであったがそれだけではすまなかった。今度は犬を探さなければならなかった。
もうすっかり昼になっていた。わけなくゆうべの出来事のあとをたどることができた。雪の中でわたしたちは犬の死んだことがわかった。
わたしたちは十間(約十八メートル)ばかりかれらの足あとをつけることができた。かれらは続いて小屋からぬけ出した。ドルスが、ゼルビノのあとに続いた。
それからほかのけものの足あとが見えた。一方にはおおかみどもは犬にとびかかって、はげしく戦ったしるしが残っていた。こちらにはおおかみがえものをつかんでゆっくり食べて歩いて行った足あとが残っていた。もうそこには、そこここに赤い血が雪の上にこぼれているほかには、犬のあとはなにも残っていなかった。
かわいそうな二ひきの犬は、わたしのねむっているあいだに死にに行ったのであった。
でもわたしたちはできるだけ早く帰って、ジョリクールを温めてやらなければならなかった。わたしたちは小屋へ帰った。親方がさるの足と手を持って、赤んぼうをおさえるようにして、たき火にかざすと、わたしは毛布を温めて、その中へ転がす仕度をした。けれども毛布ぐらいでは足りなかった。かれは湯たんぽと温かい飲み物を求めていた。
親方とわたしはたき火のそばにすわって、だまってまきの燃えるのをながめた。
「かわいそうに、ゼルビノは。かわいそうに、ドルスは」
わたしたちは代わりばんこにこんなことばをつぶやいた。初めに親方が、つぎにはわたしが。
あの犬たちは、楽しいにつけ苦しいにつけ、わたしたちの友だちであり、道連れであった。そしてわたしにとっては、わたしのさびしい身の上にとっては、このうえないなぐさめであった。
わたしがしっかり見張りをしなかったことは、どんなにくやしいことだったろう。おおかみはそうすれば小屋までせめては来なかったろうに。火の光におそれて遠方に小さくなっていたであろうに。
どうにかしていっそ親方がひどくわたしをしかってくれればよかった。かれがわたしを打ってくれればよかった。
けれどかれはなにも言わなかった。わたしの顔を見ることすらしなかった。かれは火の上に首をうなだれたまま、おそらく犬がなくなって、これからどうしようか考えているようであった。
ジョリクール氏
夜明けまえの予告はちがわなかった。
日がきらきらかがやきだした。その光線は白い雪の上に落ちて、まえの晩あれほどさびしくどんよりしていた森が、きょうは目がくらむほどのまばゆさをもってかがやき始めた。
たびたび親方はかけ物の下に手をやって、ジョリクールにさわっていたが、このあわれな小ざるはいっこうに温まってこなかった。わたしがのぞきこんでみると、かれのがたがた身ぶるいをする音が聞こえた。
かれの血管の中の血がこおっていたのである。
「とにかく村へ行かなければならない。さもないとジョリクールは死ぬだろう。すぐたつことにしよう」
毛布はよく温まっていた。それで小ざるはその中にくるまれて、親方のチョッキの下のすぐ胸に当たる所へ入れられた。わたしたちの仕度ができた。
小屋を出て行こうとして、親方はそこらを見回しながら言った。
「この小屋にはずいぶん高い宿代をはらった」
こう言ったかれの声はふるえた。
かれは先に立って行った。わたしはその足あとに続いた。わたしたちが二、三間(四〜六メートル)行くと、カピを呼んでやらなければならなかった。かわいそうな犬。かれは小屋の外に立ったまま、いつまでも鼻を、仲間がおおかみにとられて行った場所に向けていた。
大通りへ出て十分間ほど行くと、とちゅうで馬車に会った。その御者はもう一時間ぐらいで村に出られると言った。これで元気がついたが、歩くことは困難でもあり苦しかった。雪がわたしのこしまでついた。
たびたびわたしは親方にジョリクールのことをたずねた。そのたんびにかれは、小ざるはまだふるえていると言った。
やっとのことでわたしたちはきれいな村の白屋根を見た。わたしたちはいつも上等な宿屋にとまったことはなかった。たいてい行っても追い出されそうもない、同勢残らずとめてくれそうな木賃宿を選んだ。
ところが今度は親方がきれいな看板のかかっている宿屋へはいった。ドアが開いていたので、わたしはきらきら光る赤銅のなべがかかって、そこから湯気のうまそうに上っている大きなかまどを見ることができた。ああ、そのスープが空腹な旅人にどんなにうまそうににおったことであろう。
親方は例のもっとも『紳士』らしい態度を用いて、ぼうしを頭にのせたまま、首を後ろにあお向けて、宿屋の亭主にいいねどこと暖かい火を求めた。初めは宿屋の亭主もわたしたちに目をくれようともしなかった。けれども親方のもっともらしい様子がみごとにかれを圧迫した。かれは女中に言いつけて、わたしたちを一間へ通すようにした。
「早くねどこにおはいり」と親方は女中が火をたいている最中わたし言った。わたしはびっくりしてかれの顔を見た。なぜねどこにはいるのだろう。わたしはねどこなんかにはいるよりも、すわってなにか食べたほうがよかった。
「さあ早く」
でも親方がくり返した。
服従するよりほかにしかたがなかった。寝台の上には鳥の毛のふとんがあった。親方がそれをわたしのあごまで深くかけた。
「少しでも温まるようにするのだ」とかれは言った。「おまえが温まれば温まるほどいいのだ」
わたしの考えでは、ジョリクールこそわたしなんぞよりは早く温まらなければならない。わたしのほうは、いまではもうそんなに寒くはなかった。
わたしがまだ毛のふとんにくるまってあったまろうと骨を折っているとき、親方はジョリクールを丸くして、まるで蒸し焼きにして食べるかと思うほど火の上でくるくる回したので、女中はすっかりびっくりした。
「あったまったか」と親方はしばらくしてわたしにたずねた。
「むれそうです」
「それでいい」かれは急いで寝台のそばに来て、ジョリクールをねどこにつっこんで、わたしの胸にくっつけて、しっかりだいているようにと言った。かわいそうな小ざるは、いつもなら自分のきらいなことをされると反抗するくせに、もういまはなにもかもあきらめていた。かれは見向きもしないで、しっかりだかれていた。けれどもかれはもう冷たくはなかった。かれのからだは焼けるようだった。
台所へ出かけて行った親方は、まもなくあまくしたぶどう酒を一ぱい持って帰って来た。かれはジョリクールに二さじ三さじ飲ませようと試みたけれど、小ざるは歯を食いしばっていた。かれはぴかぴかする目でわたしたちを見ながら、もうこのうえ自分を責めてくれるなとたのむような顔をしていた。それからかれはかけ物の下から片うでを出して、わたしたちのほうへさし延べた。
わたしはかれの思っていることがわからなかった。それでふしぎそうに親方の顔を見ると、こう説明してくれた。
わたしがまだ来なかったじぶん、ジョリクールは肺炎にかかったことがあった。それでかれのうでに針をさして出血させなければならなかった。今度病気になったのを知ってかれはまた刺絡(血を出すこと)してもらって、先のようによくなりたいと思うのであった。
かわいそうな小ざる。親方はこれだけの所作で深く感動した。そしてよけい心配になってきた。ジョリクールが病気だということはあきらかであった。しかもひじょうに悪くって、あれほど好きな砂糖入りのぶどう酒すらも受けつけようとはしないのであった。
「ルミ、ぶどう酒をお飲み。そしてとこにはいっておいで」と親方が言った。「わたしは医者を呼んで来る」
わたしもやはり砂糖入りのぶどう酒が好きだということを白状しなければならない。それにわたしはたいへん腹が減っていた。それで二度と言いつけられるまも待たず、一息にぶどう酒を飲んでしまうと、また毛ぶとんの中にもぐりこんだ。からだの温かみに、酒まではいって、それこそほとんど息がつまりそうであった。
親方は遠くへは行かなかった。かれはまもなく帰って来た。金ぶちのめがねをかけた紳士――お医者を連れて来た。さるだと聞いては医者が来てくれないかと思って、ヴィタリスは病人がなんだということをはっきり言わなかった。それでわたしがとこの中にはいって、トマトのような赤い顔をしていると、医者はわたしの額が手を当てて、すぐ「充血だ」と言った。
かれはよほどむずかしい病人にでも向かったようなふうで首をふった。
うっかりしてまちがえられて、血でも取られてはたいへんだと思って、わたしはさけんだ。
「まあ、ぼくは病人ではありません」
「病人でない。どうして、この子はうわごとを言っている」
わたしは少し毛布を上げて、ジョリクールを見せた。かれはその小さな手をわたしの首に巻きつけていた。
「病人はこれです」とわたしは言った。
「さるか」とかれはさけんで、おこった顔をして親方に向かった。「きみはこんな日にさるをみせにわたしを連れ出したか」
親方はなかなか容易なことでまごつくような、まのぬけた男ではなかった。ていねいにしかも例の大ふうな様子で、医者を引き止めた。それからかれは事情を説明して、ふぶきの中に閉じこめられたことや、おおかみにこわがってジョリクールがかしの木にとび上がったこと、そこで死ぬほどこごえたことを話した。
「病人はたかがさるにすぎないのですが、しかしなんという天才でありますか。われわれにとってどれほどだいじな友だちであり、仲間でありますか。どうしてこれほどのふしぎな才能を持った動物をただの獣医やなどに任されるものではない。村の獣医というものはばかであって、その代わりどんな小さな村でも、医師といえば学者だということはだれだって知っている。医師の標札の出ているドアの呼びりんをおせば、知識があり慈愛深い人にかならず会うことができる。さるは動物ではあるが、博物学者に従えば、かれらはひじょうに人類に近いので、病気などは人もさるも同じようにあつかわれると聞いている。のみならず学問上の立場から見ても、人とさるがどうちがうか、研究してみるのも興味のあることではないでしょうか」
こういうふうに説かれて、医者は行きかけていた戸口からもどって来た。
ジョリクールはたぶんこのめがねをかけた人が医者だということをさとったとみえて、またうでをつき出した。
「ほらね」と親方がさけんだ。「あのとおり刺絡していただくつもりでいます」
これで医者の足が止まった。
「ひじょうにおもしろい。なかなかおもしろい実験だ」とかれはつぶやいた。
一とおり診察して、医者はかわいそうなジョリクールが今度もやはり肺炎にかかっていることを告げた。医者はさるの手を取って、その血管に少しも苦しませずにランセット(針)をさしこんだ。ジョリクールはこれできっと治ると思った。刺絡をすませて、医者はいろいろと薬剤にそえて注意をあたえた。わたしはもちろんとこの中にはいってはいなかった。親方の言いつけに従って、看護婦を務めていた。
かわいそうなジョリクール。かれは自分を看護してくれるのでわたしを好いていた。かれはわたしの顔を見てさびしく笑った。かれの顔つきはひじょうに優しかった。
いつもあれほど、せっかちで、かんしゃく持ちで、だれにもいたずらばかりしていたかれが、それはもうおとなしく従順であった。
その後毎日、かれはいかにわたしたちをなつかしがっているかを示そうと努めた。それはこれまでたびたびかれのいたずらの犠牲であったカピに対してすらそうであった。
肺炎のふつうの経過として、かれはまもなくせきをし始めた、この発作のたびごとに小さなからだがはげくふるえるので、かれはひどくこれを苦しがった。
わたしの持っていたありったけの五スーで、わたしはかれに麦菓子を買ってやった。けれどこれはよけいかれを悪くした。
かれのするどい本能で、かれはまもなくせきをするたんびにわたしが麦菓子をくれることに気がついた。かれはそれをいいことにして、自分のたいへん好きな薬をもらうために、しじゅうせきをした。それでこの薬はかれをよけい悪くした。
かれのこのくわだてをわたしが見破ると、もちろん麦菓子をやることをやめたが、かれは弱らなかった。まずかれは哀願するような目つきでそれを求めた。それでくれないと見ると、かれはとこの上にすわって両手を胸の上に当てたまま、からだをゆがめて、ありったけの力でせきをした。かれの額の青筋がにょきんととび出して、なみだが目から流れた。そしてのどのつまるまねをするのが、しまいには本物になって、もう自分でおさえることができないほどはげしくせきこんだ。
わたしはいつも親方が一人で出て行ったあと、ジョリクールといっしょに宿屋に残っていた。ある朝かれが帰って来ると、宿の亭主がとどこおっている宿料を要求したことを話した。かれがわたしに金の話をしたのはこれが初めてであった。かれがわたしの毛皮服を買うために時計を売ったということはほんのぐうぜんにわたしの聞き出したことであって、そのほかにはかれのふところ具合がどんなに苦しいか、ついぞ打ち明けてもらったことはなかったが、今度こそかれはもうわずか五十スーしかふところに残っていないことを話した。
こうなってただ一つ残った手だてとしては、今夜さっそく一興行やるほかにないとかれは考えていた。
ゼルビノもドルスもジョリクールもいない興行。まあ、そんなことができることだろうか、とわたしは思った。
それができてもできなくても、どう少なく見積もってもすぐ四十フランという金をこしらえなければならないとかれは言った。ジョリクールの病気は治してやらなければならないし、部屋には火がなければならないし、薬も買わなければならないし、宿にもはらわなければならない。いったん借りている物を返せば、あとはまた貸してもくれるだろう。
この村で四十フラン。この寒空といい、こんなあわれない一座でなにができよう。
わたしが、ジョリクールといっしょに宿に待っているあいだに親方がさかり場で一けん見世物小屋を見つけた。なにしろ野天で興行するなんということはこの寒さにできない相談であった。かれは広告のびらを書いて、ほうぼうにはり出したり、二、三枚の板でかれは舞台をこしらえたりした。そして思い切って残りの五十スーでろうそくを買うと、それを半分に切って、明かりを二倍に使うくふうをした。
わたしたちの部屋の窓から見ていると、かれは雪の中を行ったり来たりしていた。わたしはどんな番組をかれが作るか、心配であった。
わたしはすぐにこの問題を解くことができた。というのは、そのとき村の広告屋が赤いぼうしをかぶってやって来て、宿屋の前に止まった。たいこをそうぞうしくたたいたあとで、かれはわれわれの番組を読み上げた。
その口上を聞いていると、よくもきまりが悪くないと思われるほど親方は思い切って大げさなふいちょうをした。なんでも世界でもっとも高名な芸人が出る――それはカピのことであった――それから『希世の天才なる少年歌うたい』が出る。その天才はわたしであった。
それはいいとして、この山勘口上で第一におもしろいことは、この興行に決まった入場料のなかったことであった。われわれは見物の義侠心に信頼する。見物は残らず見て聞いてかっさいをしたあとで、いくらでもお志しだいにはらえばいいというのである。
これがわたしにはとっぴょうしもなくだいたんなやり方に思われた。だれがわたしたちをかっさいする者があろう。カピはたしかに高名になってもいいだけのことはあったけれど、わたしが……わたしが天才だなどとは、どこをおせばそんな音が出るのだ。
たいこの音を聞くと、カピはほえた。ジョリクールはちょうどひじょうに悪かった最中であったが、やはり起き上がろうとした。たいこの音とカピのほえ声を聞くと、芝居の始まる知らせであるということをさとったようであった。
わたしは無理にかれをねどこにおしもどさなければならなかった。するとかれは例のイギリスの大将の軍服――金筋のはいった赤い上着とズボン、それから羽根のついたぼうしをくれという合図をした。かれは両手を合わせてひざをついて、わたしにたのみ始めた。いくらたのんでも、なにもしてもらえないとみると、かれはおこって見せた。それからとうとうしまいにはなみだをこぼしていた。かれに向かって、今夜芝居するなんという考えを捨てなければならないことを納得させるには、たいへんな手数のかかることがわかっていた。それよりもかくれて出て行くほうがいいとわたしは思った。
親方が帰って来ると、かれはわたしにハープをしょったり、いろいろ興行に入りようなものを用意するように言いつけた。それがなんの意味だということを知っているジョリクールは、今度は親方に向かって請求を始めた。かれは自分の希望を表すために苦しい声をしばり出したり、顔をしかめたり、からだを曲げたりするよりいいことはなかった。かれのほおにはほんとうになみだが流れていたし、親方の手におしつけたのは心からのキッスであった。
「おまえも芝居がしたいのか」と親方はたずねた。
「そうですとも」とジョリクールのからだ全体がさけんでいるように思われた。かれは自分がもう病人でないことを示すために、とび上がろうとした。でもわたしたちは外へかれを連れ出せば、いよいよかれを殺すほかはないことをよく知っていた。
わたしたちはもう出て行く時刻になった。出かけるまえにわたしは長く持つようにいい火をこしらえて、ジョリクールを毛布の中にすっかりくるんだ。かれはまたさけんで、できるだけの力でわたしをだきしめた。やっとわたしたちは出発した。
雪の中を歩いて行くと、親方はわたしに今夜はしっかりやってもらいたいということを話した。もちろん一座の主な役者たちがいなくなっていては、いつものようにうまくいくはずはなかったが、カピとわたしとでおたがいにいっしょうけんめいにやれるだけはやらなければならなかった。なにしろ四十フラン集めなければならなかった。
四十フラン。おそろしいことであった。できない相談であった。
親方はいろいろなことを用意しておいたので、わたしたちがすべきいっさいのことはろうそくの火をつけることであった。けれどこれはむやみにつけてしまうこともできない。見物がいっぱいになるまではひかえなければならない。なにしろ芝居のすむまでに明かりがおしまいになるかもしれないのであった。
わたしたちがいよいよ芝居小屋にはいったとき、広告屋はたいこをたたいて、最後にもう一度村の往来を一めぐりめぐり歩いていた。
カピとわたしの仕度ができてから、わたしは外へ出て、柱の後ろに立って見物の来るのを待っていた。
たいこの音はだんだん高くなった。もうそれはさかり場に近くなって、ぶつぶつ言う人の声も聞こえた。たいこのあとからは子どもがおおぜい調子を合わせてついて来た。たいこを打ちやめることなしに、広告屋は芝居小屋の入口にともっている二つの大きなかがり火のまん中に位置をしめた。こうなると見物はただ、中にはいって場席を取れば、芝居は始められるのであった。
おやおや、いつまで見物の行列は手間を取ることであろう。それでも戸口のたいこはゆかいそうにどんどん鳴り続けていた。村じゅうの子どもは残らず集まっているにちがいなかった。けれど四十フランの金をくれるものは子どもではなかった、ふところの大きい、物おしみをしない紳士が来てくれなければならなかった。
とうとう親方は始めることに決心した。でも小屋はとてもいっぱいになるどころではなかった。それでもわたしたちはろうそくというやっかいな問題があるので、このうえ長くは待てなかった。
わたしはまずまっ先に現れて、ハープにつれて二つ三つ歌を歌わなければならなかった。正直に言えばわたしが受けたかっさいはごく貧弱だった。わたしは自分を芸人だとはちっとも思ってはいなかったけれど、見物のひどい冷淡さがわたしをがっかりさせた。わたしがかれらをゆかいにしえなかったとすると、かれらはきっとふところを開けてはくれないであろう。わたしはわたしが歌った名誉のためではなかった。それはあわれなジョリクールのためであった。ああ、わたしはどんなにこの見物を興奮させ、かれらを有頂天にさせようと願っていたことだろう……けれども見物席はがらがらだったし、その少ない見物すら、わたしを『希世の天才』だと思っていないことは、わかりすぎるほどわかっていた。
でもカピは評判がよかった。かれはいく度もアンコールを受けた。カピのおかげで興行が割れるようなかっさいで終わった。かれらは両手をたたいたばかりでなく、足拍子をふみ鳴らした。
いよいよ勝負の決まるときが来た。カピはぼうしを口にくわえて、見物の中をどうどうめぐりし始めた。そのあいだわたしは親方の伴奏でイスパニア舞踏をおどった。カピは四十フラン集めるであろうか。見物に向かってはありったけのにこやかな態度を示しながら、この問題がしじゅうわたしの胸を打った。
わたしは息が切れていた。けれどカピが帰って来るまではやめないはずであったから、やはりおどり続けた。かれはあわてなかった。一枚の銀貨ももらえないとみると、前足を上げてその人のかくしをたたいた。
いよいよかれが帰って来そうにするのを見て、もうやめてもいいかと思ったけれど、親方はやはりもっとやれという目くばせをした。
わたしはおどり続けた。そして二足三足カピのそばへ行きかけて、ぼうしがいっぱいになっていないことを見た。どうしていっぱいになるどころではなかった。
親方はやはりみいりの少ないのを見ると、立ち上がって、見物に向かって頭を下げた。
「紳士ならびに貴女がた。じまんではございませんが、本夕はおかげさまをもちまして、番組どおりとどこおりなく演じ終わりましたとぞんじます。しかしまだろうそくの火も燃えつきませんことゆえ、みなさまのお好みに任せ、今度は一番てまえが歌を歌ってお聞きに入れようと思います。いずれ一座のカピ丈はもう一度おうかがいにつかわしますから、まだご祝儀をいただきませんかたからも、今度はたっぷりいただけますよう、まえもってご用意を願いたてまつります」
親方はわたしの先生ではあったが、わたしはまだほんとうにかれの歌うのを開いたことはなかった。いや、少なくともその晩歌ったように歌うのを開いたことがなかった。かれは二つの歌を選んだ。一つはジョセフの物語で、一つはリシャール獅子王の歌であった。
わたしはほんの子どもであったし、歌のじょうずへたを聞き分ける力がなかったが、親方の歌はみょうにわたしを動かした。かれの歌を聞いているうちに、目にはなみだがいっぱいあふれたので、舞台のすみに引っこんでいた。
そのなみだの霧の中から、わたしは、前列のこしかけにすわっていた若いおくさんがいっしょうけんめい手をたたいているのを見た。わたしはまえから、この人が一人、今夜小屋に集まった百姓たちとちがっていることを見つけた。かの女は若い美しい貴婦人で、そのりっぱな毛皮の上着だけでもこの村一番の金持ちにちがいないとわたしは思った。かの女はいっしょに子どもを連れていた。その子もむちゅうでカピにかっさいしていた。ひじょうによく似ているところを見れば、それはかの女のむすこであった。
初めの歌がすむと、カピはまたどうどうめぐりをした。ところがそのおくさんはぼうしの中になにも入れなかったのを見て、わたしはびっくりした。
親方が第二の曲をすませたとき、かの女は手招きをしてわたしを呼んだ。
「わたし、あなたの親方さんとお話ししたいんですがね」とかの女は言った。
わたしはびっくりした。(そんなことよりもなにかぼうしの中へ入れてくれればいい)とわたしは思った。カピはもどって来た。かれは二度目のどうどうめぐりでまえよりももっとわずか集めて来た。
「あの婦人がなにか用があると言うのか」と親方がたずねた。
「あなたにお話がしたいそうです」
「わたしはなにも話すことなんかない」
「あの人はなにもカピにくれませんでした。きっといまそれをくれようというんでしょう」
「じゃあ、カピをやってもらわせればいい。わたしのすることではない」
そうは言いながら、かれは行くことにして、犬を連れて行った。わたしもかれらのあとに続いた。そのとき一人の僕(下男)が出て来て、ちょうちんと毛布を持って来た。かれは婦人と子どものわきに立っていた。
親方は冷淡に婦人にあいさつをした。
「おじゃまをしてすみませんでした。けれどわたくし、お祝いを申し上げたいと思いました」
でも親方は一言も言わずに、ただ頭を下げた。
「わたくしも音楽の道の者でございますので、あなたの技術の天才にはまったく感動いたしました」
技術の天才。うちの親方が。大道の歌うたい、犬使いの見世物師が。わたしはあっけにとられた。
「わたしのような老いぼれになんの技術がありますものか」とかれは冷淡に答えた。
「うるさいやつとおぼしめすでしょうが」と婦人はまた始めた。
「なるほどあなたのようなまじめなかたの好奇心を満足させてあげましたことはなによりです」とかれは言った。「犬使いにしては少し歌が歌えるというので、あなたはびっくりしておいでだけれど、わたしはむかしからこのとおりの人間ではありませんでした。これでも若いじぶんにはわたしは……いや、ある大音楽家の下男でした。まあおうむのように、わたしは主人の口まねをして覚えたのですね。それだけのことです」
婦人は答えなかった。かの女は親方の顔をまじまじと見た。かれもつぎほのないような顔をしていた。
「さようなら、あなた」とかの女は外国なまりで言って、「あなた」ということばに力を入れた。
「さようなら。それからもう一度今夜味わわせていただいた、このうえないゆかいに対してお礼を申し上げます」こう言ってカピのほうをのぞいて、ぼうしに金貨を一枚落とした。
わたしは親方がかの女を戸口まで送って行くだろうと思ったけれど、かれはまるでそんなことはしなかった。そしてかの女がもう答えない所まで遠ざかると、わたしはかれがそっとイタリア語で、ぶつぶこごとを言っているのを聞いた。
「あの人はカピに一ルイくれましたよ」とわたしは言った。そのときかれは危なくわたしにげんこを一つくれそうにしたけれど、上げた手をわきへ垂らした。
「一ルイ」とかれはゆめからさめたように言った。「ああ、そうだ、かわいそうに、ジョリクールはどうしたろう。わたしは忘れていた。すぐ行ってやろう」
わたしはそうそうに切り上げて、宿へ帰った。
わたしはまっ先に宿屋のはしごを上がって部屋へはいった。火は消えてはいなかったが、もうほのおは立たなかった。
わたしは手早くろうそくをつけた。ジョリクールの声がちっともしないので、わたしはびっくりした。
やがてかれが陸軍大将の軍服を着て、手足をいっぱいにつっぱったまま、毛布の上に横になっているのを見た。かれはねむっているように見えた。
わたしはからだをかがめて、優しくかれの手を取って引き起こそうとした。
その手はもう冷たかった。
親方がそのとき部屋にはいって来た。
わたしはかれのほうを見た。
「ジョリクールが冷たいんですよ」とわたしは言った。
親方はそばへ来て、やはりとこの上にのぞきこんだ。
「死んだのだ」とかれは言った。「こうなるはずであった。ルミや、おまえをミリガン夫人の所から無理に連れて来たのは悪かった。わたしは罰せられたのだ。ゼルビノ、ドルス、それから今度はジョリクール……だがこれだけではすむまいよ」
パリ入り
まだパリからはよほどはなれていた。
わたしたちは雪でうずまった道をどこまでも歩いて行かなければならなかった。朝から晩まで北風に顔を打たれながら、とぼとぼ歩いて行かなければならなかった。
この長いさすらいの旅はどんなにつらかったろう。親方が先に立って歩く。続いてわたし、その後からカピがついて来た。こうして一列になって、わたしたちは何時間も、何時間も、ひと言も口をきかずに、寒さで血の気のなくなった顔をして、ぬれた足と空っぽな胃ぶくろをかかえて歩き続けた。とちゅうで行き会う人はふり返って、わたしたちの姿が見た。まさしくかれらはきみょうに思ったらしかった。このじいさんは、子どもと犬をどこへ連れて行くのであろう。
沈黙はわたしにとって、つらくもあり悲しくも思われた。わたしはしきりと話をしたかったけれど、やっと口を切ると、親方はぷっつり手短に答えて、顔をふり向けもしなかった。うれしいことにカピはもっと人づき(人づき合い)がよかった。それでわたしが足を引きずり引きずり歩いて行くと、ときどきかれのぬくい舌が手にさわった。かれはあたかもお友だちのカピがここについていますよというように、優しくなめてくれた。そこでわたしもさすり返してやった。わたしたちはおたがいに心持ちをさとり合った。おたがいに愛し合っていた。
わたしにとっては、これがなによりのたよりであったし、カピもそれをせめてものなぐさめとしているらしかった。物に感ずる心は犬の心も子どもの心もさしてちがいがなかった。
こうしてわたしがカピをかわいがってやると、カピもそれになぐさめられて、いくらかずつ仲間をなくした悲しみをまぎらしてゆくようであった。でも習慣の力はえらいもので、ときどき立ち止まっては、一座の仲間が後から来るのを待ちうけるふうであった。それはかれが以前一座の部長であったとき、座員を前にやり過ごして、いちいち点呼する習慣があったからである。けれどそれもほんの数秒時間のことで、すぐ思い出すと、もうだれも後から来るはずがないと思ったらしく、すごすご後から追い着いて来て、ドルスもゼルビノも来ませんが、それでやはりちがってはいないのですというように親方をながめるのであった。その目つきには感情とちえがあふれていて、見ていると、こちらも引き入れられるように思うのであった。
こんなことは、ちっとも旅行をゆかいにするものではなかったが、わたしたちの気をまぎらす種にはなった。
行く先ざきの野面はまっ白な雪でおおわれて、空には日の光も見えなかった。いつも青白い灰色の空であった。畑をうつ百姓のかげも見えなかった。馬のいななきも聞こえなければ、牛のうなりも聞こえなかった。ただ食に飢えたからすが、こずえの上で虫を探しあぐねて悲しそうに鳴いていた。村で戸を開けているうちはなくって、どこもしんと静まり返っていた。なにしろ寒気がひどいので、人間は炉のすみにちぢかまっているか、牛小屋や物置き小屋でこそこそ仕事をしていた。
でこぼこな、やたらにすべる道をまっしぐらにわたしたちは進んで行った。
夜はうまややひつじ小屋で一きれのパン、晩飯にはじつに少ない一きれのパンを食べてねむった。その一きれが昼飯と晩飯をかねていた。
ひつじ小屋に明かすことのできるのは、中での楽しい晩であった。ちょうど雌ひつじが子どもに乳を飲ませる時節で、ひつじ飼いのうちには、ひつじの乳をかってにしぼって飲むことを許してくれる者もあった。でもわたしたちはひつじ飼いに向かっていきなり、腹が減って死にそうだとも話しえなかったけれど、親方は例のうまい口調でそれとなしに、「この子どもはたいへんひつじの乳が好きなのですよ。それというのが赤子のじぶん飲みつけていたものですから、それでよけい子どものじぶんが思い出されるとみえます」というように言うのであった。この作り話の効き目がいつもあるわけではなかったが、たまにそれが当たるといい一晩が過ごされた。そうだ、わたしはほんとにひつじの乳を好いていた。だからこれがもらえると、そのあくる日はずっと、元気になったように感じた。
パリに近づくにしたがって、いなか道がだんだん美しくなくなるのが、きみょうに思われた。もう雪も白くはないし、かがやいてもいなかった。わたしはどんなにかパリをふしぎな国のように言い聞かされていたことであろう。そしてなにかとっぴょうしもないことが始まると思っていた。それがなんであるか、はっきりとは知らなかった。わたしは黄金の木や、大理石の町や玉でかざったご殿がそこにもここにも建っていても、ちっともおどろきはしなかったであろう。
われわれのようなびんぼう人がパリへ行って、いったいなにができるのであろう。わたしはしじゅうそれが気になりながら、それを親方に聞く勇気がなかった。かれはずいぶんしずみきってふきげんらしかった。
けれどある日とうとうかれのほうからわたしのほうへ近づいて来た。そしてかれのわたしを見る目つきで、このごろしじゅう知りたいと思っていたことを知ることができそうだと感じた。
それはある大きな村から遠くない百姓家にとまった朝のことであった。その村はブアシー・セン・レージェという名であることは、往来の標柱でわかった。
さてわたしたちは日の出ごろ宿をたって、別荘のへいに沿って、そのブアシー・セン・レージェの村を通りぬけて、とある坂の上にさしかかった。その坂のてっぺんから見下ろすと、目の前には果てしもなく大きな町が開けて、いちめんもうもうと立ち上がった黒けむりの中に、所どころ建物のかげが見えた。
わたしはいっしょうけんめい目を見張って、けむりやかすみの中にぼやけている屋根や鐘楼や塔などのごたごたした正体を見きわめようと努めていたとき、ちょうど親方がやって来た。ゆるゆると歩いて来ながら、いままでの話のあとを続けるというふうで、
「これからわたしたちの身の上も変わってくるよ。もう四時間もすればパリだから」と言った。
「へえ、ではあすこに遠く見えるのが、パリなんですか」とわたしは問うた。
「うん」
親方がそう言って指さしをしたとき、ちょうど日がかっとさして、ちらりと金色にかがやく光が目にはいったように思った。
まったくそのとおりであった。やがて黄金の木を見つけるであろう。
「わたしたちはパリへ行ったら別れようと思う」とかれはとつぜん言った。
すぐに空はまた暗くなった。黄金の木は見えなくなった。わたしは親方に目を向けた。かれもまたわたしを見た。わたしの青ざめた顔色とふるえるくちびるとは、わたしの心の中のあらしをはっきりと現していた。
「おまえ、心配しているとみえるね。悲しいか。わたしにはわかっているよ」
「別れるんですって」わたしはやっとつぶやいた。
「ああそうだよ。別れなければね」
こう言ったかれの調子がわたしの目になみだをさそった。もう久しくわたしはこんな優しいことばを聞かなかった。
「ああ、あなたはじつにいい人です」とわたしはさけんだ。
「いや、いい子はおまえだよ。じつに親切ないい子だ。人間は一生にしみじみ人の親切を感ずるときがあるものだ。何事もよくいっているときには、だれが自分といっしょにいるか、ろくろく考えることなしに世の中を通って行く。けれど物事がちょいちょいうまくいかなくなり、悪いはめには落ちてくるし、とりわけ人間が年を取ってくると、だれかにたよりたくなるものだ。わたしがおまえにたよると聞いたら、びっくりするかもしれないが、でもそれはまったくだよ。ただおまえがわたしのことばを聞き、わたしをなぐさめてくれて、なみだを流してくれると、わたしはたまらないほどうれしい。わたしも不幸せな人間であったよ」
わたしはなんと言っていいかわからなかった。わたしはただかれの手をさすった。
「しかも不幸なことには、わたしたちはおたがいのあいだがだんだん近づいてこようというじぶんになって、別れなければならないのだ」
「でもあなたはわたしをたった一人パリへ捨てて行くのではないでしょう」とわたしはこわごわたずねた。
「いいや、けっしてそんなことはない。おまえはこの大きな町で自分一人なにができよう。わたしはおまえを捨てる権利がないのだ。それは覚えておいで。わたしはあの優しいおくさんが、おまえを引き取って自分の子にして育てようというのを、聞かなかった。あの日からわたしはおまえのためにできるだけつくしてやる義務ができたのだ。だがわたしはいまの場合、なにもしてやることができない。それでわたしは別れるのがいちばんいいと考えたわけだ。それもほんのしばらくのあいだだ。わたしたちはこの時候の悪い二、三か月だけも別れているほうがいいのだ。カピのほかみんないなくなってしまった一座では、パリにいてもなにができよう」
かれの名が出ると、かわいいカピはわたしたちのそばへやって来た。かれは前足を右の耳の所へ上げて、軍隊風の敬礼をして、それを胸に置いて、あたかもわたしたちはかれの誠実に信頼することができるというようであった。親方は犬の頭に優しく手を当てそれをおさえた。
「そうだよ。おまえは善良な忠実な友だちだ。けれど情けないことにはほかのものがいないでは、もうたいしたことはできないのだ」
「でもわたしのハープは……」
「わたしもおまえのような子どもが二人あれば、うまくゆくのだ。けれど老人がたった一人、男の子を連れたのでは、ろくなことはない。わたしはまだ老いくちたというのでもない。まあいっそめくらになるか、足の骨でも折れてくれればいいのだ。だがまだわたしは人びとの足を止めさせ、目をつけさせるほど情けないありさまにもなってはいない。それにお上の救助を受けるようなはずかしいことはできない。そこでわたしはおまえを冬の終わりまで、ある親方の所へやろうと心を決めた。親方はおまえをほかの子どもたちの仲間に入れてくれるだろう。そこでおまえはハープをひけばいいのだ」
「そうしてあなたは」とわたしはたずねた。
「わたしはパリでは顔を知られている。たびたびこちらへは来ていたことがある。このまえおまえの村へ行ったときも、パリから行ったのだ。大道でハープやヴァイオリンをひくイタリアの子どもらにけいこをしてやる。わたしはただ広告をさえすれば欲しいだけの弟子は集まるのだ。そこでそのあいだにゼルビノとドルスの代わりになる犬を二ひきしこもうと思う。それから春になってルミ、またいっしょに出かけようよ。まあ当分は勇気と忍耐が必要だ。わたしたちはこれまでちょうどつごうの悪い、間の時節ばかり通って来た。春になればだんだん境遇も楽になる。そこでわたしはおまえを連れて、ドイツとイギリスを回るつもりだ。そのうちおまえも大きくなるし、考えも進んでくる。わたしはおまえにたくさんのことを教えて、りっぱな人間にしてやる。わたしはそれをミリガン夫人とやくそくした。おまえにイギリス語を教えだしたのもそのわけだ。おまえはフランス語とイタリア語を話すことができる。これはおまえの年ごろの子どもとしてはえらいことだ。おまえはからだもじょうぶだし、どうしてこの先、運の開ける望みはじゅうぶんある」
たぶん親方がこう言ってわたしのために計画してくれたことは、みんないちばんいいことにちがいなかった。けれどそのときにはわたしはただ二つのことだけしか考えられなかった。
わたしたちは別れなければならない。そしてわたしはよその親方の所へ行かなければならない。
流浪のあいだにわたしはいくたりかの親方に会ったが、いつもほうぼうからやとい入れて使っている子どもたちをひどく打ったりたたいたりする者が多かった。かれらはひじょうに残酷であった。ひどく口ぎたなかったり、いつも酔っぱらっていた。わたしはそういうおそろしい人間の一人に使われなければならないのであろうか。
それでもし運よく親切な親方に当たるとしても、これはまた一つの変化であった。初めが養母、それから親方、それからまた一人――それはいつでもこうなのであろうか。わたしはいつまでもその人を愛して、その人といっしょにいることのできる相手を見つけることができないのであろうか。
だんだんわたしは親方に引きつけられるようになっていた。かれはほとんど父親というものはこんなものかとわたしに思わせた。
でもわたしはほんとうの父親を持つことがないのだ。うちを持つことがないのだ。この広い世界に、いつも独りぼっちなのだ。だれの子でもないのだ。
わたしにも言うことはあった。だが親方は「勇気を持て」とわたしに求めた。わたしはこのうえかれに苦労を加えることを望まなかった。けれどつらいことであった。かれと別れるのはまったくつらいことであった。
かれも重ねてわたしに泣きつかれるのがうるさいと思ったように、かまわずどんどん歩きだした。わたしは引きずられるようにして後に続いた。
わたしはその後について行くと、まもなく橋をわたって川をこした。その橋はこのうえなくきたなくって、どろが深く積もっていた。その上を黒い石炭くずのような雪がかぶさって、そこにふみこむとくるぶしまでずぶりとはいった。
橋のたもとからは、村続きでせまい宿場があった。村がつきると、また野原になって、野原にはこぎたない家が散らばっていた。往来には荷車がしじゅう行ったり来たりしていた。わたしは、親方の右手に寄りそって歩いた。カピは後からついて来た。
いよいよ野原がおしまいになって、わたしたちは果てしのない長い町の中にはいった。両側には見わたすかぎり家が建てこんでいた。それもボルドーや、ツールーズや、リヨンなどに比べては、ずっとびんぼうらしいあわれな小家ばかりであった。
雪がほうぼうにうず高く積み上げられていて、黒く固まったかたまりの上に、灰やくさった野菜や、いろいろのきたない廃物が投げ捨てられてあった。空気はいやなにおいにむせるようであった。その中を荷車がごろごろ通って行くが、人びとはそれをうまくかわしかわし歩いていた。
「ここはどこです」とわたしは言った。
「パリだよ」
どこに大理石のうちがあるか。それから黄金の木が。そしてりっぱに着かざった人たちが。これが見たい見たいとあこがれていたパリであったか。わたしはこんな場所で、親方に別れて……カピに別れて、この冬じゅうくらさなければならなかったのか。
ルールシーヌ街の親方
いま、わたしのぐるりを取り巻いているものは、気味の悪いものばかりであったが、わたしはいっしょうけんめい好奇のの目を見張って新しい周囲を見回した。そのためにいまの身の上にさしせまっただいじのことは忘れるくらいであった。
パリの町の中に深くはいればはいるほど、見るものごとにわたしの幼い夢想とだんだんへだたるようになった。こおりついたみぞからは、なんともいえないくさいいきれが立っていた。雪と氷がいっしょにとけて固まったいうす黒いどろが、荷車の輪にはねとばされて、そこらの小店のガラス戸に厚板のようにへばりついていた。確かにパリはボルドーにもおよばなかった。
これまで通って来た町に比べては、だいぶんりっぱな広い町で、いくらかきれいな店もならんだ通りを長いこと歩いて、親方はついと右へ曲がると、急にみすぼらしい町に出た。高い黒い家のならんだまん中に、例のいやなにおいのするどぶがあった。たくさんある居酒屋の店先で、おおぜいの男女ががやがや言いながら、お酒を飲んでいた。
町の角には、ルールシーヌ街と書いた札が打ってあった。
親方は案内を知っているらしくせまい通りにこみ合う往来の人の群れを分けて進んだ。わたしはそのそばに寄りそって歩いた。
「おい、気をつけて、わたしの姿を見失わないように」と親方が注意した。けれどかれの注意は必要がなかった。なぜといって、わたしはかれの後にくっついて歩いたうえ、おまけにかれの上着のすそをしっかりとおさえていたのであった。
わたしたちは大きな路地をつっ切って、もう一日じゅう日の光がけっしてもれたことのないような、きたならしい、じめじめした一けんの家にはいった。それはこれまでわたしの見たかぎりのいちばんひどい家であった。
「ガロフォリさんはいるかね」と親方が、ランプの光で、ぼろをドアにぶら下げていた男にたずねた。
「知らねえや。上がって見て来い」とその男はうなった。「はしごだんのいちはんてっぺんだ。それおまえの鼻っ先に見えてるじゃないか」
「ガロフォリというのは、ルミ、おまえに話した親方だよ。ここが住まいだ」階段を上がりながら親方はこう言った。その階段は厚いどろがこちこちに積もって、ややもするとすべって足を取られそうになった。街といい、家といい、はしご段といい、いよいよわたしを安心させる性質のものではなかった。いったい今度の親方というのはどんな男であろう。
四階のてっぺんに上がって、ドアをたたくことなしに親方はすぐ前のドアをおし開けて、穀物倉のような大きな屋根裏の部屋にはいった。部屋のまん中はがらんとしていて、四方のかべにぐるりと寝台みんなで十二ならべてあった。一度は白かったことのあるかべと天井が、いまではけむりとすすとちりでよごれきって、なんとも知れない色をしていた。かべの上にはすみで人間の首だの、花や鳥だのが落書きしてあった。
「ガロフォリさん、いるのかい」と親方がたずねた。「あんまり暗くってだれも見えない。ヴィタリスだよ」
かべにかけたうす暗いランプの明かりですかすと、部屋にはだれもいないらしかった。すると弱いのろのろした声が、親方のことばに答えた。
「ガロフォリさんは出かけましたよ。二時間ほどしなければ帰りませんよ」
こう言いながら十三ばかりの子どもが出て来た。わたしはその子のきみょうな様子におどろいた。いまでもそのとき見たとおりを目にうかべることができる。いわば胴体がなくって、足からすぐ首が生えているように見えた。その大きな頭は、まるでつり合いもなにもとれていなかった。そんなふうなからだつきでけっしてりっぱとは言えなかったが、その顔にはしかしきみょうに人をひきつけるものがあった。悲しみと優しみの表情、そしてそれから……たよりなげな表情であった。かれの大きな目は同情をふくんで、相手の目をひきつけずにはおかないのであった。
「確かに二時間すれば帰って来るのかね」と親方がたずねた。
「確かですよ。もう昼飯の時間ですからね。ここで食べるのはガロフォリさんばかりですから」
「そうかい。もしそのまえに帰って来たら、ヴィタリスという人が来て、二時間たつとまた来ると言って帰ったと言ってください」
「かしこまりました」
わたしも親方について行こうとすると、かれはわたしを止めた。
「おまえはここにおいで」とかれは言った。「少し休んでいるがいい」
「…………」
「おお、わたしは帰って来るよ」とかれはわたしの心配そうな顔つきを見て安心させるようにまた言った。わたしは例の服従の習慣から、それをいやとは言えなかった。
「きみはイタリア人かい」
親方の重い足音がもうはしご段の上に聞こえなくなったときに、イタリア語で子どもがたずねた。親方といっしょにいるあいだにわたしはイタリア語がぽつぽつわかっていたが、まだ自由には使えなかった。
「いいえ」と、わたしはフランス語で答えた。
「おやおや、つまらないなあ。きみがイタリアだといいんだがなあ」とかれは大きな目で見ながら、ほんとにつまらなそうに言った。
「きみはどこ」
「リュッカだよ。きみもそうだと、いろいろ聞きたいと思ったのだ」
「ぼくはフランス人です」
「そう、それはいいね」
「おや、きみはイタリア人よりも、フランス人のほうが好きなの」
「おお、そうじゃない。ぼくがそれはいいねと言ったのは、きみのことを考えて言ったのだ。だってきみがイタリア人だったら、きっとガロフォリ親方に使われにここへやって来たのだろうから、そうすると気のどくだと思ってね」
「じゃあ、あの人悪い人なんですか」
子どもは答えなかった。けれどわたしにあたえた目つきはことばよりも多くを語った。かれはこの話を続けるのを好まないように炉のほうへ行った。炉のたなの上に大きななべがあった。わたしは火に当たろうと思ってそばへ寄ると、このなべがなんだか変わった形をしているのに気がついた。なべのふたにはまっすぐな管がつき出して、蒸気がぬけるようになっていた。そのふたはちょうつがいになっていて、一方には錠がかかっていた。
「なぜ錠ががかっているの」と、わたしはふしぎそうにたずねた。
「ぼくがスープを飲まないようにさ。ぼくはなべの番を言いつかっているけれど、親方はぼくを信用しないのだ」
わたしはほほえまずにはいられなかった。
するとかれは悲しそうに言った。
「きみは笑うね。ぼくが食いしんぼだと思うからだろう。でもきっときみがぼくの境遇だったら、ぼくと同じことをしたかもしれないよ。ぼくはぶたではないけれど、腹が減っている。だからなべの口からスープのにおいがたてば、ますます腹が減ってくるのだ」
「ガロフォリさんはきみにじゅうぶん食べるものをくれないの」
「ああ、それが罰なんだ…」
「まあ……」
「そうだ。それにこれだけのことは話してもいい」と少年は続けた。「きみももしあの人を親方に持つんだったら、心得になることだからね。ぼくの名前はマチアと言うよ。ガロフォリはぼくのおじさんだ。ぼくの母さんはいるが、六人の子どもをかかえているし、たいへんびんぼうでくらしがたたないでいる。ガロフォリが去年来たとき、ぼくをいっしょに連れて帰ったのさ。いったいぼくよりはつぎの弟のレオナルドを連れて行きたかったのだ。レオナルドはぼくとちがって器量がいいのだからね。お金をもうけるには不器量ではだめだよ。ぶたれるか、ひどく悪口を言われるだけだ。でもぼくの母さんはレオナルドが好きで手ばなさないから、やはりぼくが来ることになったのだ。ああ、うちをはなれて、親兄弟や、小ちゃな妹に別れるのはどんなにつらかったろう。
ガロフォリ親方はこのうちへ子どもをたくさん置いてあって、中にはえんとつそうじもあれば、紙くず拾いもある。働くだけの力のない者は町で歌を歌ったりこじきをしている。ガロフォリはぼくに二ひき小さな白いはつかねずみをくれて、それを往来で見世物に出させて、毎晩三十スー持って帰って来なければならないと言いわたした。三十スーに一スーでも不足があれば、不足だけむちでぶたれるのだ。きみ、三十スーもうけるにはずいぶん骨が折れる。けれどぶたれるのはもっとつらい。とりわけガロフォリが自分で手を下ろすときはよけい痛いのだ。それでぼくは金を取るためいろんなことをしてみるが、よく不足なことがあった。たいていほかの子どもたちが夜帰って来て、決められた金を持って来たとき、ぼくは自分の分に足りないとガロフォリは気ちがいのようにおこった。もう一人仲間にやはりはつかねずみの見世物を出す子どもがある。このほうは四十スーと決められているのだが、毎晩きっとそれだけの金を持って帰る。そんなときぼくはその子がどんなふうにして金をもうけるか見たいと思って、いっしょについて行った……」
かれはことばを切った。
「それで」とわたしはたずねた。
「おお、見物のおくさんたちは決まってこう言うのだ。きれいな子のほうへおやりよ。みっともない子どものほうでなく、と。そのみっともない子どもというのはむろんぼくだった。そこでぼくはもうその子とは行かないことにした。ぶたれるのは痛いけれど、そんなことをしかもおおぜいの人の前で言われるのはもっとつらい。きみはだれからも、おまえはみにくいと言われたことがないから知るまい。だがぼくは……さてとうとうガロフォリは、ぶってもたたいてもぼくには効き目がないのをみて、ほかのしかたを考えた。それは毎晩ぼくの晩飯のいもを減らすのだ。きさまの皮はいくらひっぱたいても平気で固いが、胃ぶくろはひもじいだろうと言った。それはつらいが、でもぼくのねずみの見世物を見ている往来の人に向かって、どうか一スーください、くださらないと、今夜はおいもが食べられませんとは言われない。人はそんなことを言ったって、なにもくれるものではないよ」
「じゃあ、どうするとくれるの」
「それはきみ、だれだって自分の心を満足させるためにくれるのだ。なんでもなく人に物をくれるものではないよ。その子どもがかわいらしくって、きれいであるか、あるいはその人たちの亡くした子どものことを思い出させるとかいうならくれる。子どもはおなかがすいているからかわいそうだと思って、くれる者はない。ああ、こんなことで長いあいだにぼくは世の中の人の心持ちがわかってきた。ねえ、きょうは寒いじゃないか」
「ああ、ひどい寒さだね」
「ぼくはこじきをしてから、だんだん太れないで青くなった」と少年は続いて言った。「ぼくはずいぶん青い顔をしている。それでぼくはたびたび人が、あのびんぼう人の子どもはいまに飢えて死ぬだろうと言っているのを聞いた。だが苦しそうな顔つきは、楽しそうな顔つきではできないことをしてくれる。その代わりひじょうにひもじい目をこらえなければならない。とにかくおかげでだんだんぼくを気のどくがる人が近所にできた。みんな、ぼくのもらいの少ないときにはパンやスープをめぐんでくれる。これはぼくのいちばんうれしいときで、ガロフォリにぶたれもしないし、晩飯にいもがもらえなくっても、どこかでなにか昼飯にもらって食べて来るから苦しいこともなかった。けれどある日ガロフォリが、ぼくが水菓子屋にもらった一さらのスープを飲んでいるところを見つけると、なぜぼくがうちで晩飯をもらわずに平気で出て行くか、そのわけを初めて知った。それからはぼくにうちで留守番させて、このスープの見張りを言いつけた。毎朝出て行くまえに肉と野菜をなべに入れて、ふたに錠をかってしまう。そしてぼくのすることはそのにえたつのを見るだけだ。ぼくはスープのにおいをかいでいる。だがそれだけだ。スープのにおいでは腹は張らない。どうしてよけい空腹になる。ぼくはずいぶん青いかい。ぼくはもう外へ出ないから、みんながそう言うのを聞かないし、ここには鏡もないのだからわからない」
「きみはほかの人よりかよけい青いとは思えないよ」とわたしは言った。
「ああ、きみはぼくを心配させまいと思ってそう言うのだ。けれどぼくはもっともっと青くなって、早く病気になるほうがうれしいのだ。ぼくはひじょうに悪くなりたいのだ」
わたしはあきれて、かれの顔をながめた。
「きみはわからないのだ」とかれはあわれむような微笑をふくんで言った。「ひどく加減が悪くなればみんなが世話をしてくれる。さもなければ死なせてくれる。ぼくを死なせてくれればなにもかもおしまいだ。もう腹を減らすこともないし、ぶたれることもないだろう。それにぼくたちは死ねば天にのぼって神様といっしょに住むことになるのだ。そうだ、そうなればぼくは天にのぼって、上から母さんや、クリスチーナを見下ろすことができる。神様にたのんで妹を不幸せにしないようにしてもらうこともできる。だからぼくは病院へやられればうれしいと思うよ」
病院――というとわたしはむやみにおそろしい所だと思いこんでいた。わたしはいなか道を旅をして来たあいだ、どんなに気分が悪く思うときでも、病院へやられるかもしれないと思い出すといつでも力が出て、無理にも歩いたものだった。マチアのこういうことばにわたしはおどろかずにはいられなかった。
「ぼくはいまではずいぶんからだの具合が悪くなっている。だがまだガロフォリのじゃまになるほど悪くはなっていない」と、かれは弱い、ひきずるような声で話を続けた。「でもぼくはだんだん弱くなってきたよ。ありがたいことにガロフォリはまるっきりぶつことをやめずにいる。八日まえにもぼくの頭をうんとひどくぶった。おかげでこのとおりはれ上がった。見たまえ、この大きなこぶを。あいつはきのうぼくに、これはできものだと言った。そう言ったあの人の様子はなんだかまじめだった。おそろしく痛むのだ。夜になるとひどく目がくらんでまくらに頭をつけるとぼくはうなったり泣いたりする。それがほかの子どものじゃまになるのをガロフォリはひどくきらっている。だから二日か三日のうちにいよいよあの人もぼくを病院へやることに決めるだろうと思う。ぼくは先に慈恵病院にいたことがある。お医者さんはかくしに安いお菓子をいつも入れているし、看護婦の尼さんたちがそれは優しく話をしてくれるよ。こう言うんだ。ぼうや、舌をお出しとか、いい子だからねとかなんでもなにかしたいたんびに、『ああ、おしよ』と言ってくれる。それがうちにいる母さんと同じ調子なんだ。ぼくはどうも今度は病院へ行くほど悪くなっていると思う」
かれはそばへ寄って来て、大きな目でじっとわたしを見た。わたしはかれの前に真実をかくす理由はなかったが、しかしかれの大きなぎょろぎょろした目や、くぼんだほおや、血の気のないくちびるがどんなにおそろしく見えるかということを、かれに語ることを好まなかった。
「きみは病院へ行かなければならない。ずいぶん悪いと思うよ」
「いよいよかね」
かれは足を引きずりながらのろのろ食卓のほうへ行って、それをふき始めた。
「ガロフォリがまもなく帰って来る」とかれは言った。「ぼくたちはもう話をしてはいけない。もうこれだけぶたれているのだ。このうえよけいなぐられるのは損だからね。なにしろこのごろいただくげんこは先よりもずっと効くからね。人間はなんでも慣れっこになるなんて言うが、それはお人よしの言うことだよ」
びっこひきひきかれは食卓の回りを回って、さらやさじならべた。勘定すると二十枚さらがあった。そうするとガロフォリは二十人の子どもを使っているのだ。でも寝台は十二しか見えなかったから、かれらのある者は一つの寝台に二人ねむるのだ。それにとにかくなんという寝台であろう。なんというかけ物であろう。かけ物の毛布はうまやから、もう古くなって馬が着ても暖かくなくなったようなしろものを、持って来たにちがいない。
「どこでもこんなものかしら」と、わたしはあきれてたずねた。
「なにがさ」
「子どもを置く所は、どこでもこんなかしら」
「そりゃ知らないがね、きみはここへは来ないほうがいいよ」と、少年は言った。「どこかほかへ行くようにしたまえ」
「どこへ」
「ぼくは知らない。どこでもかまわない。ここよりはいいからねえ」
どこへといって、どこへわたしは行こう。――ぼんやり当てもなしに考えこんでいると、ドアがあいて、一人の子どもが部屋の中にはいって来た。かれは小わきにヴァイオリンをかかえて、手に大きな古材木を持っていた。わたしはガロフォリの炉にたかれている古材木の出所と値段もわかったように思った。
「その木をくれよ」とマチアは子どものほうへ寄って行った。けれど子どもは材木を後ろにかくした。
「ううん」とかれは言った。
「まきにするんだからおくれよ。するとスープがおいしくにえるから」
「きみはぼくがこれをスープをにるために持って来たと思うか。ぼくはきょうたった三十六スーしかもらえなかった。だからこの材木をぶたれないおまじないにするのだ。これで四スーの不足の代わりになるだろう」
「やっぱりやられるよ。なんの足しになるものか。順ぐりにやられるんだ」
マチアはそう機械的に言って、あたかもこの子どもも罰せられると思うのがかれに満足をあたえるもののようであった。わたしはかれの優しい悲しそうな目のうちに、険しい目つきの表れたのを見ておどろいた。だれでも悪い人間といっしょにいると、いつかそれに似てくるということは、わたしがのちに知ったことであった。
一人一人子どもたちは帰って来た。てんでんにはいって来ると、ヴァイオリン、ハープ、ふえなど自分の楽器を寝台の上のくぎにかけた。音楽師でなく、ただ慣らしたけものの見世物をやる者は、小ねずみやぶたねずみをかごの中に入れた。
それから重い足音がはしご段にひびいて、ねずみ色の外とうを着た小男がはいって来た。これがガロフォリであった。
はいって来るしゅんかん、かれはわたしに目をすえて、それはいやな目つきでにらめた。わたしはぞっとした。
「この子どもはなんだ」と、かれは言った。
マチアはさっそくていねいにヴィタリス親方の口上をかれに伝えた。
「ああ、じゃあヴィタリスが来たのか」とかれが言った。「なんの用だろう」
「わたしはぞんじません」とマチアが答えた。
「おれはきさまに言っているのではない。この子どもに話しているのだ」
「親方がいずれもどって来て、用事を自分で申し上げるでしょう」と、わたしは答えた。
「ははあ、このこぞうはことばの値打ちを知っている。要らぬことは言わぬ。おまえはイタリア人ではないな」
「ええ、わたしはフランス人です」
ガロフォリが部屋にはいって来たしゅんかん、二人の子どもがてんでんにかれの両わきに席をしめた。そしてかれのことばの終わるのを待っていた。やがて一人がそのフェルト帽をとって、ていねいに寝台の上に置くと、もう一人はいすを持ち出して来た。かれらはこれを同じようなもったいらしさと、行儀よさをもって、寺小姓が和尚さんにかしずくようにしていた。ガロフォリがこしをかけると、もう一人の子どもがたばこをつめたパイプを持って来た。すると第四の子どもがマッチに火をつけてさし出した。
「いおうくさいやい。がきめ」とかれはさけんで、マッチを炉の中に投げこんだ。
この罪人はあわてて過失をつぐなうために、もう一本のマッチをともして、しばらく燃やしてから主人にそれをささげた。けれどもガロフォリはそれを受け取ろうとはしなかった。
「だめだ。とんちきめ」とかれは言って、あらっぽく子どもをつきのけた。それからかれはもう一人の子どものほうを向いて、おせじ笑いをしながら言った。
「リカルド、おまえはいい子だ。マッチをすっておくれ」
この「いい子」はあわてて言いつけどおりにした。
「さて」とガロフォリは具合よくいすに納まって、パイプをふかしながら言った。
「おこぞうさんたち、これから仕事だ。マチア、帳面だ」
こう言われるまでもなく、子どもたちはガロフォリのまゆの動き方一つにも心を配っていた。そのうえにガロフォリがわざわざ口に出して用向きを言いつけてくれるのは、たいへんな好意であった。
ガロフォリはマチアの持って来たあかじみた小さな帳面には目もくれなかった。初めのいおうくさいマッチをつけた子どもに、来いと合図をした。
「おまえにはきのう一スー貸してある。それをきょう持って来るやくそくだったが、いくら持って来たな」
子どもは赤くなって、当惑を顔に表して、しばらくもじもじしていた。
「一スー足りません」とかれはやっと言った。
「はあ、おまえは一スー足りないのかね。それでいいのだね」
「きのうの一スーではありません。きょう一スー足りないのです」
「それで二スーになる。おれはきさまのようなやつを見たことがない」
「わたしが悪いんではないんです」
「言い訳をしなさんな。規則は知っているだろう。着物をぬぎなさい。きのうの分が二つ、きょうの分が二つ。合わせて四つ。それから横着の罰に夕食のいもはやらない。リカルド、いい子や。おまえはいい子だから、気晴らしをさせてやろう。むちをお取り」
二本目のマッチをつけた子どものリカルドが、かべから大きな結び目のある皮ひもの二本ついた、柄の短いむちを下ろした。そのあいだに二スー足りない子どもは上着のボタンをはずしていた。やがてシャツまでぬいでからだをこしまで現した。
「ちょっと待て」とガロフォリがいまいましい微笑を見せて言った。
「たぶんきさまだけではあるまい。仲間のあるということはいつでもゆかいなものだし、リカルドにたびたび手数をかけずにすむ」
子どもたちは親方の前に身動きもせずに立っていたが、かれの残酷なじょうだんを開いて、みんな無理に笑わされた。
「いちばん笑ったやつはいちばん足りないやつだ」とガロフォリが言った。「きっとそれにちがいない。いちばん大きな声で笑ったのはだれだ」
みんなは例の大きな材木を持って、まっ先に帰って来た子どもを指さした。
「こら、きさまはいくら足りない」とガロフォリがせめた。
「わたしのせいではありません」
「わたしのせいではありませんなんかと言うやつは、一つおまけにぶってやろう。いくら足りないのだ」
「わたしは大きな材木を一本持って来ました。りっぱな材木です」
「それもなにかになる。だがパン屋へ行ってその棒でパンにかえてもらって来い。いくらにかえてくれるか。いくら足りないのだ。言ってみろ」
「わたしは三十六スー持って来ました」
「この悪者め、四スー足りないぞ。それでいて、そんなしゃあしゃあした面をして、おれの前につっ立っている。シャツをぬげ。リカルドや、だんだんおもしろくなるよ」
「でも材木は」と子どもがさけんだ。
「晩飯の代わりにきさまにやるわ」
この残酷なじょうだんが罰せられないはずの子どもたちみんなを笑わせた。それからほかの子どもたちも一人一人勘定をすました。リカルドがむちを手に持って立っていると、とうとう五人までの犠牲者が一列にかれの前にならべられることになった。
「なあ、リカルド」とガロフォリが言った。「おれはこんなところを見るといつも気分が悪くなるから、見ているのはいやだ。だが音だけは聞ける。その音でおまえのうでの力を聞き分けることができる。いっしょうけんめいにやれよ。みんなきさまたちのパンのために働くのだ」
かれは炉のほうへからだを向けた。それはあたかもかれがこういう懲罰を見ているにしのびないというようであった。
わたしは一人すみっこに立って、いきどおりとおそれにふるえていた。これがわたしの親方になろうとする男なのである。わたしもこの男に言いつけられた物を持って帰らなければ、やはりリカルドに背中を出さねばならなかった。ああ、わたしはマチアがあれほど平気で死ぬことを口にしているわけがわかった。
ぴしり、第一のむちがふるわれて、膚に当たったとき、もうなみだがわたしの目にあふれ出した。わたしのいることは忘れられていたと思っていたけれど、それは考えちがいで、ガロフォリは目のおくからわたしを見ていた。
「人情のある子どもがいる」とかれはわたしを指さした。「あの子はきさまらのような悪党ではない。きさまらは仲間が苦しんでいるところを見て笑っている。この小さな仲間を手本にしろ」
わたしは頭のてっぺんから足のつま先までふるえた。ああ、かれらの仲間か……。
第二のむちをくって犠牲はひいひい泣き声を立てた。三度目には引きさかれるようなさけび声を上げた。ガロフォリが手を上げた。リカルドはふり上げたむちをひかえた。わたしはガロフォリがさすがに情けを見せるのだと思ったが、そうではなかった。
「きさまらの泣き声を聞くのはおれにはどのくらいつらいと思う」とかれはねこなで声で犠牲に向かって言いかけた。「むちがきさまらの皮をさくたんびにさけび声がおれのはらわたをつき破るのだ。ちっとはおれの苦しい心も察して、気のどくに思うがいい。だからこれから泣き声を立てるたんびによけいに一つむちをくれることにするからそう思え。これもきさまらが悪いのだ。きさまらがおれに対してちっとでも情けや恩を知っているなら、だまっていろ。さあ、やれ、リカルド」
リカルドがむちをふり上げた。皮ひもは犠牲の背中でくるくる回った。
「おっかあ。おっかあ」とその子どもがさけんだ。
ありがたい。わたしはこのうえこのおそろしい呵責を見ずにすんだ。なぜといってこのしゅんかんドアがあいて、ヴィタリス親方がはいって来たからである。
人目でかれはなにもかも了解した。かれははしご段を上がりながらさけび声を聞いたので、すぐリカルドのそばにかけ寄って、むちを手からうばった。それからガロフォリのほうへくるりと向いて、うで組みをしたままかれの前につっ立った。
これはいかにもとっさのあいだに起こったので、しばらくはガロフォリもぽかんとしていた。けれどもすぐ気を取り直しておだやかに言った。
「どうもおそろしいようじゃないか。なにね、あの子どもは気がちがっているのだ」
「はずかしくはないか」ヴィタリスがさけんだ。
「それ見ろ、わたしもそういうことだ」とガロフォリがつぶやいた。
「よせ」とヴィタリス親方が命令した。「とぼけるなよ。おまえのことだ。子どもではない。こんな手向かいのできないかわいそうない子どもらをいじめるというのは、なんというひきょうなやり方だ」
「この老いぼれめ。よけいな世話を焼くな」とガロフォリが急に調子を変えてさけんだ。
「警察ものだぞ」とヴィタリスが反抗した。
「なに、きさま、警察でおどすのか」とガロフォリがさけんだ。
「そうだ」と、わたしの親方は乱暴な相手の気勢にはちっともひるまないで答えた。
「ははあ」とかれはあざ笑った。「そんなふうにおまえさんは言うのだな。よしよし、おれにも言うことがあるぞ。おまえのしたことはなにも警察に関係はないが、おまえさんに用のあるという人が世間にはあるのだ。おれがそれを言えば、おれが一度名前を言えば……はてはずかしがって頭をすぼめるのはだれだろうなあ。世間が知りたがっているその名前を言い回っただけでも、はじになる人がどこかにいるぞ」
親方はだまっていた。はじだ。親方のはじだ。なんだろう。わたしはびっくりした。けれど考えるひまのないうちに、かれはわたしの手を引っ張った。
「さあ、行こう、ルミ」とかれは言った、そうして戸口までぐんぐんわたしを引っ張った。
「まあ、いいやな」ガロフォリが今度は笑いながらさけんだ。「きみ、話があって来たんだろう」
「おまえなんぞに言うことはなにもない」
それなり、もうひと言も言わずに、わたしたちははしご段を下りた。かれはまだしっかりわたしの手をおさえていた。なんというほっとした心持ちで、わたしはかれについて行ったろう。わたしは地獄の口からのがれた。わたしが思いどおりにやれば、親方の首に両手をかけて、強く強くだきしめたところであったろう。
(つづく)