わたしたちはやがて人通りの多い往来へ出たが、歩いているあいだ親方はひと言も言わなかった。まもなくあるせまい小路へはいると、かれは往来の捨て石にこしをかけて、たびたび額を手でなで上げた。それは困ったときによくかれのするくせであった。
「いよいよ慈善家の世話になるほうがよさそうだな」とかれは独り言のように言った。「だがさし当たりわたしたちは一銭の金も、一かけのパンもなしに、パリのどぶの中に捨てられている……おまえおなかがすいたろう」とかれはわたしの顔を見上げながらたずねた。
「わたしはけさいただいた小さなパンだけで、あれからなにも食べませんでした」
「かわいそうにおまえは今夜も夕食なしにねることになるのだ。しかもどこへねるあてもないのだ」
「じゃあ、あなたはガロフォリのうちにとまるつもりでしたか」
「わたしはおまえをあそこへとめるつもりだった。それであれが冬じゅうおまえを借りきる代わりに、二十フランぐらいは出そうから、それでわしもしばらくやってゆくつもりだった。けれどあの男があんなふうに子どもらをあつかう様子を見ては、おまえをあそこへは置いて行けなかった」
「ああ、あなたはほんとにいい人です」
「まあ、たぶんこの年を取って固くなった流浪人の心にも、まだいくらか若い時代の意気が残っているとみえる。この年を取った流浪人はせっかく狡猾に胸算用を立てても、まだ心の底に残っている若い血がわき立って、いっさいを引っくり返してしまうのだ……さてどこへ行こうか」とかれはつぶやいた。
もうだいぶおそくなって、ひどく寒さが加わってきた。北風がふいてつらい晩が来ようとしていた。長いあいだ、親方は石の上にすわっていた。カピとわたしはだまってその前に立って、なんとか決心のつくまで待っていた。とうとうかれは立ち上がった。
「どこへ行くんです」
「ジャンチイイ。そこでいつかねたことがある石切り場を見つけることにしよう。おまえつかれているかい」
「ぼくはガロフォリの所で休みました」
「わたしは休まなかったので、どうもつらい。あまり無理はできないが、行かなければなるまい。さあ前へ進め、子どもたち」
これはいつもわたしたちが出発するとき、犬やわたしに向かって用いるかれの上きげんな合図であった。けれど今夜はそれをいかにも悲しそうに言った。
いまわたしたちはパリの町の中をさまよい歩いていた。夜は暗かった。ちらちら風にまばたきながら、ガス燈がぼんやり往来を照らしていた。一足ごとにわたしたちは氷のはったしき石の上ですべった。親方がしじゅうわたしの手を引いていた。カピがわたしたちのあとからついて来た。しじゅうかわいそうな犬は立ち止まって、ふり返っては、はきだめの中を探して、なにか骨でもパンくずでも見つけようとした。ああ、ほんとにそれほど腹を減らしているのだ。けれどはきだめは雪が固くこおりついていて、探しても、むだであった。耳をだらりと下げたままかれはとぼとぼとわたしたちに追い着いて来た。
大通りをぬけて、たくさんの小路小路を出ると、またたくさんの大通りがあった。わたしたちは歩いて歩いて歩き続けた。たまたま会う往来の人がびっくりしてわたしたちをじろじろ見た。それはわたしたちの身なりのためであったか、わたしたちがとぼとぼ歩いて行くつかれきった様子が、かれらの注意をひいたのであろうか。行き会う巡査もふり向いてわたしたちを見送った。
ひと言も口をきかずに親方は歩いた。かれの背中はほとんど二重に曲がっていたが、寒いわりにかれの手はわたしの手の中でかっかとしていた。かれはふるえていたように思われた。ときどきかれが立ち止まって、しばらくわたしの肩によりかかるようにするときには、かれのからだ全体がふるえて、いまにもくずれるように感じた。いつもならわたしはかれに問いかけることはしなかったが、今夜こそはしなければならないと感じた。それにわたしは、どれほどかれを愛しているかを語りたい燃えるような希望を、いや少なくとも、なにかかれのためにしてやりたい希望を持っていた。
「あなたはご病気なんでしょう」かれがまた立ち止まったとき、わたしは言った。
「どうもそうではないかと思うよ。とにかくわたしはひじょうにつかれている。この寒さがわたしの年を取ったからだにはひどくこたえる。わたしはいいねどこと炉の前で夕飯を食べたい。だがそれはゆめだ。さあ、前へ進め、子どもたち」
前へ進め。わたしたちは町を後にした。わたしたちは郊外へ出ていた。もう往来の人も巡査も街燈も見えない。ただ窓明かりがそこここにちらちらして、頭の上には黒ずんだ青空に二、三点星が光っているだけであった。いよいよはげしくあらくふきまくる風が着物をからだに巻きつけた。幸いと向かい風ではなかったが、でもわたしの上着のそでは肩の所までぼろばろに破れていたから、そのすきから風はえんりょなくふきこんで、骨まで通るような寒気が身にこたえた。
暗かったし、往来はしじゅうたがいちがいに入り組んでいたが、親方は案内を知っている人のようにずんずん歩いた。それでわたしも迷うことはないとしっかり信じて、ついて行った。するととつぜんかれは立ち止まった。
「おまえ、森が見えるかい」とかれはたずねた。
「そんなものは見えません」
「大きな黒いかたまりは見えないかい」
わたしは返事をするまえに四方を見回した。木も家も見えなかった。どこもかしこもがらんと打ち開いていた。風のうなるほかになんの物音も聞こえなかった。
「わたしがおまえだけに目が見えるといいのだがなあ。ほら、あちらを見てくれ」かれは右の手を前へさし延べた。わたしはそっけなくなにも見えないとは言いかねて、返事をしなかったので、かれはまたよぼよぼ歩き出した。
二、三分だまったまま過ぎた。そのときかれはもう一度立ち止まっては、また森が見えないかとたずねた。ばくぜんとした恐怖に声をふるわせながら、わたしはなにも見えないと答えた。
「おまえこわいものだから目が落ち着かないのだ。もう一度よくご覧」
「ほんとうです。森なんか見えません」
「広い道もないかい」
「なんにも見えません」
「道をまちがえたかな」
わたしはなにも言えなかった。なぜならわたしはどこにいるのかもわからなかったし、どこへ行くのだかもわからなかったから。
「もう五分ばかり歩いてみよう。それでも森が見えなかったら、ここまで引っ返して来よう。ことによると道をまちがえたかもわからん」
わたしたちが道に迷ったことがわかると、もうからだになんの力も残らないように思われた。親方はわたしのうでを引っ張った。
「さあ」
「ぼくはもう歩けません」
「いやはや、おまえはわたしがおまえをしょって行けると思うかい。わたしはすわったらもう二度と立ち上がることはできないし、そのまま寒さにこごえて死んでしまうだろうと思うからだ」
わたしはかれについて歩いた。
「道に深い車の輪のあとがついてはいないか」
「いいえ、なんにも」
「じゃあ引っ返さなきゃならない」
わたしたちは引っ返した。今度は風に向かうのである。それはむちのようにぴゅうと顔を打った。わたしの顔は火で焼かれるように思われた。
「車の輪のあとを見たら言っておくれ。左のほうへ分かれる道をとって行かなければならない」と親方は力なく言った。「それが見えたら言っておくれ。そこの四つ角に円い頭のような形のいばらがある」
十五分ばかりわたしたちは風と争いながら歩み続けた。しんとした夜の沈黙の中でわたしたちの足音がかわいた固い土の上でさびしくひびいた。もうふみ出す力はほとんどなかったが、でも親方を引きずるようにしたのはわたしであった。どんなにわたしは左のほうを心配してはながめたろう。暗いかげの中でわたしはふと小さな赤い灯を見つけた。
「ほら、ご覧なさい、明かりが」とわたしは指さしながら言った。
「どこに」
親方は見た。その明かりはほんのわずかの距離にあったが、かれにはなにも見えなかった。わたしはかれの視力がだめになったことを知った。
「その明かりがなにになろう」とかれは言った。「それはだれかの仕事場の机にともっているランプか、死にかかっている病人のまくらもとの灯だ。わたしたちはそこへ行って戸をたたくわけにはいかない。遠くいなかへ出れば、夜になって宿をたのむこともできよう。けれどこうパリの近くでは……このへんで宿をたのむことはできない。さあ」
二足三足行くとわたしは横へはいる道を見つけたように思った。ちょうどいばらのやぶらしく思われる黒いかたまりもあった。わたしは先へ急いで行くために親方の手を放した。往来には深いわだちのあとが残っていた。
「ほら、ここに輪のあとがある」とわたしはさけんだ。
「手をお貸し。わたしたちは救われた」と親方が言った。「ご覧、今度は森が見えるだろう」
わたしはなにか黒いものが見えたので、森が見えるように思うと言った。
「五分のうちにそこまで行ける」とかれはつぶやいた。
わたしたちはとぼとぼ歩いた。けれどこの五分間が永遠のように思われた。
「車の輪のあとはどちらにあるね」
「右のほうにあります」
「石切り場の入口は左のほうだよ。わたしたちは気がつかずに通り過ぎてしまったにちがいない。あともどりするほうがいいだろう」
「輪のあとはどうしても左のほうにはついていません」
「ではまたあともどりだ」
もう一度わたしたちはあともどりをした。
「森が見えるか」
「ええ、左手に」
「それから車の輪のあとは」
「もうありません」
「わたしは目が見えなくなったかしらん」と親方は低い声で言って、両手を目に当てた。「森についてまっすぐにおいで。手を貸しておくれ」
「おや、へいがあります」
「いいや、それは石の山だよ」
「いいえ、確かにへいです」
親方は、一足はなれて、ほんとうにわたしの言ったとおりであるか、試してみようとした。かれは両手をさし延べてへいにさわった。
「そうだ、へいだ」とかれはつぶやいた。「入口はどこだ。車の輪のあとのついた道を探してごらん」
わたしは地べたに身をかがめて、へいの角の所まで残らずさわってみたが、入口はわからなかった。そこでまたヴィタリスの立っている所までもどって、今度は向こうの側をさわってみた。結果は同じことであった。入口もなければ門もなかった。
「なにもありません」とわたしは言った。
情けないことになった。疑いもなく親方は思いちがいをしていた。たぶんここには石切り場などはないのだ。ヴィタリスはしばらくゆめの中をたどっているように、ぼんやりつっ立っていた。カピはがまんができなくなってほえ始めた。
「もっと先を見ましょうか」とわたしは聞いた。
「いや石切り場にへいが建ったのだ」
「へいが建った」
「そうだ、入口をふさいでしまったのだ。中へはいることはできなくなったのだ」
「へえ、じゃあ」
「どうするって。もうわからなくなった。ここで死ぬのさ」
「まあ親方……」
「そうだ。おまえは死にはしない。おまえはまだ若いのだから。さあ歩こう。まだ歩けるかい」
「おお、でもあなたは」
「いよいよ行けなくなったら、老いぼれ馬のようにたおれるだけさ」
「どこへ行きましょう」
「パリへもどるのだ。巡査に出会ったら、警察へ連れて行ってもらうのだ。わたしはそれをしたくなかったが、おまえをこごえ死にさせることはできない。さあ、おいで、ルミ。さあ、前へ進め、子どもたち、元気を出せ」
わたしたちはもと来た道をまた引っ返した。何時であったかわたしはまるでわからない。なんでも何時間も何時間も長い長いあいだそれはのろのろと歩いた。きっと十二時か一時にもなったろう。空は相変わらずどんよりしてすこしばかり星が出ていた。その出ていたすこしばかりの星もいつもよりはずっと小さいように思われて、風の勢いは強くなるばかりであった。往来の家は戸閉まりをしっかりしていた。そこに、夜着にくるまってねむっている人たちも、わたしたちが外でどんなに寒い目に会っているか、知っていたら、わたしたちのためにそのドアを開けてくれたろうと思われた。
親方はただのろのろ歩いた。息がだんだんあらくなって、長い道をかけた人のようにせいせい言っていた。わたしが話しかけると、かれはだまっていてくれという合図をした。
わたしたちはもう野原をぬけて、いまは町に近づいていた。そこここのへいとへいとの間にガス燈がちらちらしていた。親方は立ち止まったとき、かれがいよいよ力のつきたことをわたしは知った。
「一けんどこかのうちをたたきましょうか」とわたしはたずねた。
「いいや、入れてくれはしないよ。このへんに住んでいるのは植木屋だ。朝早く市場へみんな出かけるのだ。この時刻にどうして起きてうちへ入れてくれるものか。さあ行こう」
しかし意地は張っても、からだの力はまったくつきていた。しばらくしてまたかれは立ち止まった。
「すこし休まなければ」とかれは力なく言った。「わたしはもう歩けない」
さくで大きな花園を囲った家があった。その門のそばの積みごえの山にかけてあるたくさんのわらを、風が往来のさくの根かたにふきつけていた。
「わたしはここにすわろう」と親方が言った。
「でもすわれば、今度立ち上がることができなくなるとおっしゃったでしょう」
かれは返事をしなかった。ただわたしに手まねをして、門の前にわらを積み上げるようにと言った。このわらのしとねの上にかれはすわるというよりばったりたおれた。かれの歯はがたがた鳴って、全身がひどくふるえた。
「もっとわらを持っておいで」とかれは言った。「わらをたくさんにして風を防ごう」
まったく風がひどかった。寒さばかりではなかった。わたしは集められるだけありったけのわらを集めて親方のわきにすわった。
「しっかりわたしにくっついておいで」とかれは言った。「カピをひざに乗せておやり。からだのぬくみでおまえもいくらか温かくなるだろう」
親方ほどの経験を積んだ人がいまの場合こんなまねをすればこごえて死んでしまうことはわかりきっているのに、その危険を平気でおかすということは、もう正気ではなかつた証拠であった。実際久しいあいだの心労と老年に、この最後の困苦が加わって、かれはもう自分を支える力を失っていた。自分でもどれほどひどくなっているか、かれは知っていたろうか。わたしがかれのそばにぴったりはい寄ったときに、かれは身をかがめてわたしにキッスした。これがかれがわたしにあたえた二度目のキッスであった。そしてああ、それが最後のキッスであった。
わたしは親方にすり寄ったと思うと、もう目がくっついたように思った。わたしは目を開けていようと努めたができなかった。うでをつねっても、肉にはなんの感じもなかった。わたしがひざを立てたその間にもぐって、カピはもうねむっていた。風はわらのたばを木からかれ葉をはらうようにわたしたちの頭にふきつけた。往来には人ひとりいなかった。わたしたちのぐるりには死の沈黙があった。
この沈黙がわたしをおびえさせた。なにをわたしはこわがっているのだ。わたしはわからなかったが、とりとめもない恐怖がのしかかってきた。わたしはここで死にかけているように思った。そう思うとたいへん悲しくなった。
わたしはシャヴァノンを思い出した。かわいそうなバルブレンのおっかあを思い出した。わたしはかの女をもう一度見ることなしに、わたしたちの小さな家や、わたしの小さな花畑を見ることなしに死ななければならないのだ……。
するうちわたしはもう寒くはなくなった。わたしはいつか自分の小さな花畑に帰って来たように思った。太陽はかがやいていて、それはずいぶん暖かかった。きくいもが金の花びらを開いていた。小鳥がこずえの中やかきねの上で鳴いていた。そうだ、そうしてバルブレンのおっかあがさざ波を立てている小川へ出て、いま洗ったばかりの布を外へ干している。
わたしはシャヴァノンをはなれて、アーサとミリガン夫人といっしょに白鳥号に乗っている。
やがてまた目が閉じた。心が重たくなったように思った。そしてもうなにも覚えてはいなかった。
リーズ
目を覚ますとわたしは寝台の上にいた。大きな炉のほのおがわたしのねむっている部屋を照らした。わたしはついぞこの部屋を見たことがなかった。わたしを取り巻いて寝台のそばに立っている人たちの顔も知らなかった。そこにねずみ色の背広を着て、木のくつをはいた男と、三、四人の子どもがいた。その中でことに目についたのは六つばかりの小さな女の子で、それはすばらしく大きな目がいまにもものを言うかと思うように、いかにも生き生きとかがやいていた。
わたしはひじで起き上がった。みんながそばへ寄って来た。
「ヴィタリスは」とわたしはたずねた。
「あの子は父さんを探しているのだよ」と、子どもたちの中でいちばん総領らしいのが言った。
「あの人は父さんではありません。親方です」とわたしは言った。「どこへ行きました。カピはどこにいますか」
ヴィタリスがほんとうの父親であったなら、たぶんこの人たちもえんりょしいしいこの知らせを伝えたかもしれない。けれどその人はほんの親方というだけであったと知ると、かれらはいきなり事実を打ち明けて聞かしてくれた。
みんなの話では、あの気のどくな親方は死んだのであった。わたしたちがつかれきってたおれたその門の中に住んでいた植木屋が見つけたのであった。あくる朝早く、かれのむすこが野菜や花を持って市場へ出かけようとするときに、かれらはわたしたちがいっしょにしもの上に固まって、すこしばかりのわらをかぶってねむっていたのを見つけた。ヴィタリスはもう死んでいた。わたしも死ぬところであったのを、カピが胸の所へはいって来て、わたしの心臓を温かにしていてくれたために、かすかな気息が残っていた。かれらはわたしたちをうちの中に運び入れて、子どもたちの一人の温かい寝台の上にねかしてくれたのである。それから六時間ほど、まるで死んだようになってねていたが、血のめぐりがついてくると、呼吸も強く出るようになった。そうしてとうとう目を覚ましたのであった。
わたしはからだもたましいもまったくしびれきったようになっていたが、このときはもうかれらの話を聞いてわかるだけに覚めていたのであった。
ああ、ヴィタリスは死んでしまったのである。
この話をしてくれたのは、ねずみ色の背広を着た人であった。この人の話をしているあいだ、びっくりした目をして、じつとわたしを見つめていた女の子は、ヴィタリスが死んだと聞いて、わたしがいかにもがっかりしたふうをしたのを見つけると、そこを立って父のそばへ行き、片手を父のうでにかけ、片手でわたしのほうを指さしながらなにか話をした。話といっても、ふつうのことばでなく、ただ優しい、しおらしい嘆息の声のようなものであった。
それにかの女の身ぶりと目つきとは、べつにことばの助けを借りる必要のないほどじゅうぶんにものを言って、そこによけい自然な情愛がふくまれているようであった。
アーサと別れてこのかた、わたしはつい一度もこんなに取りすがりたいような、親切のこもった、ことばに言えない情味を感じたことはなかった。それはちょうど、バルブレンのおっかあが、いつもキッスするまえにわたしをながめるときのような感じであった。ヴィタリスが死んで、わたしは世の中に置き去りにされたが、でももう独りぼっちではない、という気がした。わたしを愛してくれる者が、まだそばにいるような気持ちがした。
「ああ、そうだ、リーズの言うとおりだ。こりゃああの子も聞くのがつらいだろうが、やはりほんとうのことは言わねばならぬ。わたしたちが言わないでも、巡査が話すだろうから」
お父さんはむすめのほうへ向きながら言った。そうしてなお話を続けながら、警察に届けたことや、巡査がヴィタリスを運んで行ったことや、わたしを長男のアルキシーの寝台にねかしたことなどを残らず話してくれた。この話のすむのを待ちかねて、
「それからカピは――」とわたしは聞いた。
「なに、カピ」
「ええ。犬です」
「知らないよ。いなくなったよ」
「あの犬はたんかについて行ったよ」と子どもたちの一人が言った。「バンジャメン、おまえ見たかい」
「ぼくよく知ってるよ」ともう一人の子が答えた。「あの犬は釣台のあとからついて行った。首を垂れてときどきたんかにとび上がった。下にいろと言われると、犬はなんだかおそろしい声でうなったり、ほえたりした」
かわいそうなカピ。役者であったじぶん、あの犬は何度ゼルビノのお葬式を送るまねをしたであろう。それはどんなにまじめくさった子どもでも、あの犬の悲しい様子を見ては笑わずにはいられなかった。カピが泣けば泣くほど見物はよけい笑った。
植木屋と子どもたちはわたしを一人置いて出て行った。まったくどうしていいか、どうしようというのかわからずに、わたしは起き上がって、着物を着かえた。わたしのハープはねむっていた寝台のすそに置いてあった。わたしは肩に負い皮をかけて、家族のいる部屋へと出かけて行った。わたしはなんでも出かけて行かなければならない気がするが、さてどこへ行こうか。ねどこにいるうちはそんなに弱っているとも思わなかったが、起きてみるともう立つことが苦しかった。わたしはいすにすがって、やっと転がらないょうに、からだを支えなければならなかった。うちの人たちは炉の前の食卓に向かって、キャベツのスープをすすっていた。そのにおいがわたしにとってはあんまりであった。わたしはゆうべなんにも食べなかったことをはげしく思い出した。わたしは気が遠くなるように思って、よろよろしながら炉ばたのいすにこしを落とした。
「おまえさん、気分がよくないか」と植木屋がたずねた。
わたしはかれに、どうも具合の悪いことを話した。そうしてしばらく火のそばへ置いてくれとたのんだ。
でもわたしの欲していたのは火ではなかった。それは食物であった。わたしはうちの者がスープを吸うところをながめて、だんだん気が遠くなるように思えた。わたしがかまわずにやるなら一ぱいくださいと言うところであったが、ヴィタリスはわたしにこじきはするなと教えた。わたしはかれらにおなかが減っているとは言いださなかった。なぜだろう。わたしはひもじゅうございますと言うよりは、なにも食べずに死んでしまうほうがよかった。
あの目にきみょうな表情を持った女の子は――名前をリーズと呼ばれていたが、わたしの向こうにこしをかけていた。この子はなにも言わずに、じっとわたしのほうを見つめていたが、ふと食卓から立ち上がって、一ぱいスープのはいっているおさらをわたしの所へ持って来て、ひざの上に置いた。もうものを言うこともできなかったので、かすかにわたしは首をうなずかせて、お礼を言った。よし、わたしがものを言えたとしても、父親が口をきかせるひまをあたえなかった。
「おあがり」とかれは言った。「リーズが持って行ったのは、優しい心でしたのだからね。もっと欲しければまだあるよ」
もっと欲しいかと言うのか。一ぱいのスープはみるみる吸われてしまった。わたしがスープを下に置くと、前に立ってながめていたリーズがかわいらしい満足のため息をした。それからかの女はわたしの小ざらを取って、また父の所へ一ぱい入れてもらいに行った。いっぱいにしてもらうと、かの女はかわいらしい笑顔をしながら、また持って来た。それがあんまりかわいらしいので、腹は減っていても、わたしは小ざらを取ることを忘れて、じっとその顔に見とれたくらいであった。二はい目の小ざらもさっそく初めのと同様になくなった。もう子どもたちもくちびるをゆがめて微笑するくらいではすまなくなった。みんなはいっぱい口を開けて笑いだしてしまった。
「どうもおまえ、なかなかいけるねえ。まったく」とかの女の父親が言った。
わたしはたいへんはずかしかった。けれどもそのうちわたしは食いしんぼうと思われるよりもほんとうの話を打ち明けてしたほうがいいと思ったので、じつはゆうべ晩飯を食べなかったことを話した。
「それではお昼は」
「お昼もやはり食べません」
「では親方は」
「あの人も、やはりどちらも食べませんでした」
「ではあの人は寒さばかりでなく、飢えて死んだのだ」
熱いスープがわたしに元気をつけてくれた。わたしは立ち上がって、出かけようとした。
「おまえさん、どうするのだ」と父親がたずねた。
「おいとまいたします」
「どこへ行く」
「わかりません」
「パリにだれか友だちか親類でもあるのかい」
「いいえ」
「宿はどこだね」
「宿はありません。ついきのうこの町へ来たばかりです」
「ではなにをしようというのだね」
「ハープをひいたり、歌を歌ったりして、すこしのお金をもらいます」
「パリでかい。おまえさん、それよりかいなかのご両親の所へ帰ったほうがいいだろう。ご両親はどこに住んでいなさる」
「わたしには両親がありません」
「あのひげの白いじいさんは、父さんではないというじゃないか」
「ええ、ほかにも父さんはありません」
「母さんは」
「母さんもありません」
「おじさんか、おばさんか、親類は」
「なにもありません」
「どこから来たのだね」
「親方はわたしを養母の夫の手から買ったのです。あなたがたは親切にしてくだすったし、ぼくは心からありがたく思っています。ですからおいやでなければ、わたしは日曜日にここへもどって来て、あなたがたのおどりに合わせてハープをひいてあげましょう」
こう言いながらわたしは戸口のほうへ行きかけたが、ほんの二足三足で、すぐあとからわたしについて来たリーズが、わたしの手を取ってハープを指さした。
「あなた、いまひいてもらいたいの」と、わたしはかの女に笑いかけながらたずねた。かの女はうなずいて手をたたいた。
「うん。ひいてやっておくれ」とかの女の父親は言った。
わたしはハープをひく元気はなかったけれど、このかわいらしい女の子のためにいちばんかわいらしいワルツをひいてやらずにはいられなかった。
はじめかの女は大きな美しい目をじっとわたしに向けて聞いていたが、やがて足で拍子を合わせ始めた。するうち、うれしそうに食堂の中をおどり歩いた。かの女の兄弟たちはその様子をだまってながめていた。かの女の父親もうれしがっていた。ワルツがすむと、子どもはやって来て、わたしにかわいらしいおじぎをした。そして指でハープを打って「アンコール」(もう一つ)という心持ちを示した。
わたしはこの子のためには一日でもひいていてやりたかったが、父親はもうそれだけおどればたくさんだと言った。そこでワルツや舞踏曲の代わりに、わたしはヴィタリスが教えてくれたナポリ小唄を歌った。リーズはわたしの向こうへ来て立って、あたかも歌のことばをくり返しているようにくちびるを動かした。するとかの女はくるりとふり向いて、泣きながら父親のうでの中にとびこんだ。
「それで音楽はけっこう」と父親が言った。
「リーズはばかじゃないか」とバンジャメンと呼ばれた兄弟があざけるように言った。「はじめはおどりをおどって、今度は泣くんだもの」
「あの子はあんたのようにばかではないわ」と総領の姉が小さい妹をいたわるようにのぞきこみながら答えた。
「この子にはよくわかったのだよ……」
リーズが父親のひざの上で泣いているあいだにわたしはまたハープを肩にかけて行きかけた。
「おまえさん、どこへ行く」と植木屋がたずねた。
「おいとまいたします」
「おまえさん、やはり芸人でやっていくつもりかい」
「でもほかにすることがありませんから」
「旅でかせぐのはつらいだろう」
「だってうちがありませんから」
「それはそうだろうが、夜というものがあるからね」
「それは、わたしだって寝台にねたいし、火にも当たりたいと思います」
「火に当たったり寝台にねるには、それそうとう働かなければならないが、おまえはどうだね。このうちにいて働く気はないか。なかなか楽な仕事ではないが、それは朝もずいぶん早くから起きて、まる一日働かなければならないけれど、ただおまえがゆうべ出会ったような目にはけっして二度と出会う気づかいはなかろうよ。おまえはねどこも、食べ物も得られるし、自分で働いてそれを得たという満足もあろうというものだ。それでおまえがわしが考えているようにいい子どもであるなら、同じうちの者にして、いっしょにくらしてゆきたいとも思っているのだよ」
リーズがふり返って、なみだの中からわたしをながめてにっこりした。
わたしはいま聞いたことをほとんど信ずることができなかった。わたしはただ植木屋をながめていた。
するとリーズが、父親のひざからとんで来て、わたしの手を取った。
「うん、どうだね、おまえ」と父親がたずねた。
家族だ。わたしは家族を持つようになった。わたしは独りぼっちではなくなるのだ。いいゆめよ。今度は消えずにいてくれ。
わたしが四、五年いっしょにくらして、ほとんど父親のようであった人は死んだ。なつかしい、優しいカピは、わたしがあれほど愛した仲間でもあり友だちでもあったカピは、いなくなった。わたしはなにもかもおしまいになったと思っていた。ところへこのいい人がわたしを自分の家族にしてやると言ってくれた。
わたしのために新しい生涯がまた始まるのだ。かれはわたしに食べ物と宿をあたえると言ったが、それよりももっとわたしにうれしかったのは、このうちの中の生活がやはりわたしのものになるということであった。この男の子たちはわたしの兄弟になるであろう。このかわいらしいリーズはわたしの妹になるであろう。わたしはもうみなし子ではなくなるであろう。わたしの子どもらしいゆめの中で、いつかわたしも父親と母親を見つけるかもしれないと思ったこともあった。けれど兄弟や妹を持とうとは考えなかった。それがわたしにあたえられようとしているのだ。わたしはさっそくハープの負い皮を肩からはずした。
「おお、それでこの子の返事がわかった」とお父さんが笑いながら言った。「わたしはおまえの顔つきで、どんなにおまえが喜んでいるかわかる。もうなにも言うことは要らない。そのハープをかべにおかけ。いつかおまえがここにあきたら、またそれを下ろして好きなほうへ行くがよろしい。けれどおまえもつばめのように、とび出して行く季節を選ばなければならない。まあ、冬のさ中に出て行くのだけはおよし」
わたしの新しい家庭の場所はグラシエール、うちの名はアッケン家、植木屋が商売で、ピエール・アッケンというのがお父さんで、アルキシーに、バンジャメンという二人の男の子、それから女の子はエチエネットに、うちじゅうでいちばん小さいリーズでこれが家族残らずであった。
リーズはおしであった。生まれつきのおしではなかったが、四度目の誕生日をむかえるすこしまえに、病気でものを言う力を失った。この不幸は、でも幸せとかの女のちえを損ないはしなかった。その反対にかの女のちえはなみはずれた程度に発達した。かの女はなんでもわかるらしかった。でもその愛らしくって、活発で優しい気質が、うちじゅうの者に好かれていた。それで病身の子どもにありがちのうちじゅうのきらわれ者になるようなことのないばかりか、リーズのいるために、うちじゅうがおもしろくくらしている。むかしは貴族の家の長子に生まれると福分を一人じめにすることができたが、今日の労働者の家庭では、総領はいちばん重い責任をしょわされる。母親が亡くなってから、エチエネットが家庭の母親であった。かの女は早くから学校をやめさせられ、うちにいてお料理をこしらえたり、お裁縫をしたり、父親や兄弟たちのために家政を取らなければならなかった。かれらはみんなかの女がむすめであり、姉であることを忘れきって、女中の仕事をするのばかり見慣れていた。いくらひどく使っても出て行く心配もなければ、不平を言う気づかいもない重宝な女中であった。かの女が外へ出ることはめったになかったし、けっしておこったこともなかった。リーズをうでにかかえてベンニーの手を引きながら、朝は暗いうちから起きて、父親の朝飯をこしらえ、夜はおそくまでさらを洗ったりなどをしてからでなくては、とこにはいらなかったから、かの女はまるで子どもでいるひまがなかった。十四だというのにかの女の顔はきまじめにしずんでいた。それは年ごろのむすめの顔ではなかった。
わたしはハープをかべにかけてから、ゆうべ出会った出来事をぽつぽつ話しだした。石切り場にねむろうとして失敗して、それからあとの始末を一とおり話しかけて、やっと五分たつかたたないうちに、園に向かっているドアを引っかく音が聞こえた。それから悲しそうにくんくん鳴く声がした。
「カピだ。カピだ」わたしはさけんですぐとび上がった。
けれどもリーズがわたしより早かった。かの女はもうかけ出してドアを開けていた。
カピがわたしにとびかかって来た。わたしはかれをうでにかかえた。小さな喜びのほえ声をたてて、全身をふるわせながら、かれはわたしの顔をなめた。
「するとカピは……」とわたしはたずねた。わたしの問いはすぐに了解された。
「うん、むろんカピもいっしょにおくよ」とお父さんが言った。
カピはわたしたちの言っていることがわかったというように、地べたにとび下りて、前足を胸に置いておじぎをした。それが子どもたち、とりわけリーズを笑わせた。で、よけいかれらを喜ばせるために、わたしはカピに、いつもの芸をすこしして見せろと望んだ。けれどもかれはわたしの言いつけに従う気がなかった。かれはわたしのひざの上にとび上がって顔をなめ始めた。
それからとび下りて、わたしの上着のそでを引き始めた。
「あの犬はわたしを外へ連れ出そうというのです」
「おまえの親方の所へ行こうというのだよ」
親方を引き取って行った巡査は、わたしが暖まって正気づいたら、聞きたいことがあると言ったそうだ。その巡査がいつ来るか、あやふやであった。
でもわたしは早く報告を聞きたいと思った。たぶん親方はみんなの思ったように死んではいないのだ。たぶん親方はまだ生きて帰れるのだ。
わたしの心配そうな顔を見て、お父さんはわたしを警察へ連れて行ってくれた。
警察へ行くとわたしは長ながと質問された。けれどわたしはいよいよ気のどくな親方がまったく死んだという宣告を聞くまでは、なにも申し立てようとはしなかった。わたしは知っているだけのことは述べたが、それはほんのわずかのことであった。わたし自身については、せいぜい両親のないこと、親方が前金で養母の夫に金をはらってわたしをやとったこと、それだけしか言えなかった。
「それでこれからは……」署長がたずねた。
「わたくしどもでこの子を引き取ろうと思います」とわたしの新しい友人がことばをはさんだ。
「それをお許しくださいますならば」
署長は喜んでわたしをかれの手に委任すると言った。そのうえその親切な心がけをほめた。
自分のことはそれでいいとして、今度は親方のことを言わなければならなかった。でもまったくなんにも知らないのが事実であった。
ただ一つわからないことは、最後の興行のとき、どこかの夫人が天才だと言っておどろいたこと、それからガロフォリがむかしの名前をどうとか言いだして、かれをおどしたことであった。
けれど親方があれほどかくしていたことを死んだのちにあばき立てることはいらない。でもそうは思いながら、事に慣れた警官の前で子どもがかくしおおせるものではなかった。かれらはわけなくわなにかけて、かくしたいと思うことをずんずん言わせてしまうのである。わたしの場合がやはりそれであった。
署長はさっそくわたしから、ガロフォリについてなにもかもかぎ出してしまった。
「この子をガロフォリというやつの所へ連れて行くよりほかにしかたがない」と、かれは部下の一人に言った。「一度この子の言うルールシーヌ街へ連れて出れば、すぐその家を見つけるよ。きみはこの子といっしょに行って、その男を尋問してくれたまえ」
わたしたち三人――巡査とお父さんとわたしは、いっしょに出かけた。
署長が言ったように、わたしはわけなくその家を見つけた。わたしたちは四階へ上がって行った。マチアはもう見えなかった。警官の顔を見て、それから見覚えのあるわたしを見つけると、ガロフォリは青くなって、ぎょっとしたようであった。けれどみんなの来たのは、ヴィタリスのことをたずねるためであったことがわかると、かれはすぐに落ち着いた。
「やれやれ、じいさん、死にましたか」とかれは言った。
「おまえはその老人を知っているだろう」
「はい」
「じゃああの老人について知っていることを残らず話してくれ」
「なんでもないことでございます。あの男の名前はヴィタリスではございません。本名はカルロ・バルザニと申しました。あなたがいまから三十五年か四十年まえにイタリアにおいででしたら、あの男についてご承知だったでしょう。それはほんの名前を言うだけで、どんな人物だということは残らずおわかりになったでしょう。カルロ・バルザニと言えばそのころでいちばん有名な歌うたいでした。かれはナポリ、ローマ、ミラノ、ヴェネチア、フィレンツェ、ロンドン、それからパリでも歌いました。どこの大劇場もたいした成功でした。やがてふとしたことからかれはりっぱな声が出なくなりました。もう歌うたいの中でいちばんえらい者でいることができなくなると、かれは自分の偉大な名声に相応しない下等な劇場に出て、歌を歌って、だんだん評判をうすくすることをしませんでした。その代わりかれはまるっきり自分を世間の目からくらまして、全盛時代にかれを知っていた人びとからかくれるようにしました。けれどもかれも生きなければなりません。かれはいろいろの職業に手を出してみましたが、どれもうまくいきません。そこでとうとう犬を慣らして、大道の見世物師にまで落ちることになりました。けれどいくらなり下がってもやはり気位が高く、これが有名なカルロ・バルザニのなれの果てだということを世間に知られるくらいなら、はずかしがって死んだでしょう。わたしがあの男の秘密を知ったのは、ほんのぐうぜんのことでした」
これが長いあいだ心にかかっていた秘密の正体であった。
気のどくなカルロ・バルザニ。なつかしいヴィタリス親方。
植木屋
そのあくる日ヴィタリスをほうむらなければならなかった。アッケン氏はわたしをお葬式に連れて行くやくそくをした。
けれどその日わたしは起き上がることができなかった。夜のうちにひじょうに具合が悪くなった。ひどい熱が出て、はげしい寒けを感じた。わたしの胸の中は、小さなジョリクールがあの晩木の上で過ごしたとき受けたと同様、焼きつくやうな熱気を感じた。
実際わたしは胸にはげしい衝(焼きつくような感じ)を感じた。病気は肺炎であった。それはすなわちあの晩気のどくな親方とわたしがこの家の門口にこごえてたおれたとき、寒気のために受けたものであった。
でもこの肺炎のおかげで、わたしはアッケン家の人たちの親切、とりわけてエチエネットの誠実をしみじみ知ったのであった。びんぼうなうちではめったに医者を呼ぶということはないが、わたしの容態がいかにも重くって心配であったので、わたしのため特別に、習慣のためいつか当たり前になっていた規則を破ってくれた。呼ばれて来た医者は長い診察をしたり、細かい容態を聞いたりするまでもなく、いきなり病院へ送れと言いわたした。
なるほどこれはいちばん簡単で、手数がかからなかった。でもこの父さんは承知しなかった。
「ですがこの子はわたしのうちの門口でたおれたんですから、病院へはやらずに、やはりわたしどもが看病しなければなりません」とかれは言った。
医者はこの因縁論に対して、いろいろうまいことばのかぎりをつくして説いたが、承知させることができなかった。かれはわたしをどうしても看病しなければならないと考えた。そしてまったく看病してくれた。
こうしてあり余る仕事のあるうえ、エチエネットにはまた一つ、看護婦の役が増えた。でもセン・ヴェンサン・ド・ポールの尼さんがするように、親切にしかも規則正しく看護してくれて、けっしてかんしゃく一つ起こさないし、なに一つ手落ちなしにしてくれた。かの女が家事のためにどうしてもついていられないときには、リーズが代わってくれた。たびたび熱にうかされながら、わたしは寝台のすそで不安心らしい大きな目をわたしに向けているかの女を見た。熱にうかされながらわたしはかの女を自分の守護天使であるように思って、天使に向かって話をするように、自分の望みや願いをかの女に打ち明けた。このときからわたしは我知らずかの女を、なにか後光に包まれた人間以上のものに思うようになり、それが白い大きなつばさをしょってはいないで、やはりわれわれただの人間と同様にしていることをふしぎに思ったりした。
わたしの病気は長かったし、重かった。快くなってはたびたびあともどりをしたので、ほんとうの両親でもいやきがさしたかもしれなかった。でもエチエネットはどこまでもがまん強く誠実をつくしてくれた。いく晩かわたしは肺臓が痛んで、息がつまるように思われて、ねむられないことがあった。それでアルキシーとバンジャメンが代わりばんこに、寝台のそばにつききりについていてくれた。
ようようすこしずつ治りかけてきた。でも長い重病のあとであったから、すこしでもうちの外に出るには、グラシエールの牧場が青くなり始めるまで待たなければならなかった。
そこで用のないリーズがエチエネットの代わりになって、ビエーヴル川の岸のほうへわたしを散歩に連れて行ってくれた。真昼の日ざかりに、わたしたちはうちを出て、カピを先に立てて、手を組みながらそろそろと歩いた。その年の春は暖かで、日和がよかった。少なくともわたしは暖かな心持ちのいい記憶を持っている。だから同じことであった。
このへんはラ・メーゾン・ブランシュとグラシエールの間にある土地で、パリの人にはあまり知られていなかった。このへんに小さな谷があるということだけはぼんやり知られていたが、その谷に注ぐ川はビエーヴル川であるから、この谷はパリの郊外ではいちばんきたない陰気な所だと言いもし、信じられもしていた。だがそんなことはまるでなかった。うわさほど悪い所ではなかった。ビエーヴル川と言えば、たいてい人がセン・マルセルの場末で、工場地になっているというので、頭からきたない所と決めてしまうのであるが、ヴェリエールやリュンジには自然のおもむきがあった。少なくともわたしのいたじぶんには、やなぎやポプラが青あおとしげっている下を水が流れていた。その両岸には緑の牧場が、人家や庭のある小山のほうまでだんだん上りに続いていた。春は草が青あおとしげって、白い小ぎくが碧玉をしきつめたもうせんの上に白い星をちりばめていたし、芽出しやなぎやポプラの若木からはねっとりとやにが流れていた。そうしてうずらや、こまどりや、ひわやなんぞの鳥が、ここはまだいなかで、町ではないというように歌を歌っていた。
これがわたしの見た小さな谷の景色であった――その後ずいぶん変わったが――それでもわたしの受けた印象はあざやかに記憶に残っていて、ついきのうきょうのように思われる。わたしに絵がかけるなら、このポプラの林の一枚の葉をも残すことなしにえがき出したであろう――また大きなやなぎの木を、頭の先の青くなった、とげのあるさんざしといっしょにかいたであろう。それはやなぎのかれたような幹の間に根を張っていた。また砲台の傾斜地をわたしたちはよく片足で楽にすべって下りた――それもかきたい。あの風車といっしょにうずらが丘の絵もかきたい――セン・テレーヌ寺の庭に群がっていたせんたく女もえがきたい。それから川の水をよごれくさらせていた製革工場もかきたい――
もちろんこういう散歩のおり、リーズはものは言えなかったが、きみょうなことに、わたしたちはなにもことばの必要はなかった。わたしたちはおたがいにものを言うことなしに、了解し合っているように思われた。
そのうちにわたしにも、みんなといっしょに働けるだけじょうぶになる日が来た。わたしはその仕事を始める日を待ちかねていた。それはわたしのためにこれだけつくしてくれた親切な友だちに、こちらからもなにかしてやりたいと思っていたからであった。わたしはこれまで仕事らしい仕事をしたことがなかった。長い流浪の旅はつらいものではあるが、どうでもこれだけ仕上げなければというように、いっしょうけんめい張りこんでする仕事はなにもなかった。けれど今度こそわたしは、じゅうぶんに働かなければならないと感じた。少なくともぐるりにいる人たちをお手本にして、元気を出さなければならないと思った。このごろはちょうどにおいあらせいとうがパリの市場に出始める季節であった。それには赤いのもあり、白いのもあり、むらさき色のもあって、その色によって分けられて、いくつかのフレームに入れられてあった。白は白、赤は赤、同じ色のフレームが一列にならんでみごとであった。夕方フレームのふたをするじぶんには、花から立つかおりが風にふくれていた。
わたしにあてがわれた仕事はまだ弱よわしい子どもの力に相応したものであった。毎朝しもが消えると、わたしはガラスのフレームを開けなければならなかった。夜になって寒くならないうちにまたそれを閉めなければならなかった。昼のうちはわらのおおいで日よけをしてやらなければならなかった。これはむずかしい仕事ではなかったが、一日ひまがかかった。なにしろ何百というガラスを毎日二度ずつ動かさなければならなかった。
このあいだリーズは灌水に使う水上げ機械のそばに立っていた。そして皮のマスクで目をかくされた老馬のココットが、回しつかれて足が働かなくなると、かの女は小さなむちをふるって馬をはげましていた。兄弟の一人はこの機械が引き上げたおけを返す、もう一人の兄弟はお父さんの手伝いをする。こんなふうにしててんでに自分の仕事を持っていて、むだに時間を費すものはなかった
わたしは村で百姓の働くところを見たこともあるが、ついぞパリの近所の植木屋のような熱心なり勇気なり勤勉なりをもって働いていると思ったことはなかった。実際ここではみんないっしょうけんめい、朝は日の出まえから起き、晩は日がくれてあとまでいっぱいの時間を使いきってのちに寝台に休むのである。わたしはまた土地を耕したことがあったが、勤労によって土地にまるで休憩をあたえないまでに耕作し続けるということを知らなかった。だからアッケンのお父さんのうちはわたしにとってはりっぱな学校であった。
わたしはいつまでも温室のフレームばかりには使われていなかった、元気が回復してきたし、自分もなにか地の上にまいてみるということに満足を感じてきた。その種が芽を出すのを見るのが、いっそうの満足であった。これはわたしの仕事であった。わたしの財産、わたしの創造であった。だからよけいわたしに得意な感じを起こさせた。
それで自分がどういう仕事に適当しているかがわかった。わたしはそれをやってみせた。そのうえよけいわたしをゆかいにしたことは、まったくこれでは骨折りのかいがあると感じ得たことであった。
この新しい生活はなかなかわたしには苦しかったが、しかしこれまでの浮浪人の生活と似ても似つかない労働の生活が案外早くからだに慣れた。これまでのように自由気ままに旅をして、なんでも大道を前へ前へと進んで行くほかに苦労のなかったのに引きかえて、いまは花畑の囲いの中に閉じこめられて、朝から晩まであらっぽく働かなければならなかった。背中にはあせにぬれたシャツを着、両手に如露を持って、ぬかるみの道の中を、素足で歩かなければならなかった。でもぐるりのほかの人たちも、同じようにあらっぽい労働をしていた。お父さんの如露はわたしのよりもずっと重かったし、そのシャツはわたしたちのそれよりも、もっとびっしょりあせにぬれていた。みんな平等であるということは、苦労の中の大きな楽しみであった。そのうえわたしはもうまったく失ったと思ったものを回復した。それは家族の生活であった。わたしはもう独りぼっちではなかった。世の中に捨てられた子どもではなかった。わたしには自分の寝台があった。わたしはみんなの集まる食卓に自分の席を持っていた。昼間ときどきアルキシーやバンジャメンがわたしにげんこつをみまうこともあったが、わたしはなんとも思わなかった。またわたしが打ち返しても、かれらはなんとも思わなかった。そうして晩になれば、みんなスープを取り巻いて、また兄弟にも友だちにもなるのであった。
ほんとうを言うと、わたしたちは働いてつかれるということはなかった。わたしたちにも休憩の時間も遊ぶ時間もあった。むろんそれは短かったが、短いだけよけいゆかいであった。
日曜の午後には家についているぶどうだなの下にみんな集まった。わたしはその週のあいだかけっぱなしにしておいた例のハープを外して持って来る。そうして四人の兄弟姉妹におどりをおどらせる。だれもかれもダンスを習った者はなかったが、アルキシーとバンジャメンは一度ミルコロンヌで婚礼の舞踏会へ行って、コントルダンスのしかただけ多少正確に記憶していた。その記憶がかれらの手引きであった。かれらはおどりつかれると、わたしに歌のおさらいをさせる。そうしてわたしのナポリ小唄はいつも決まって、リーズの心を動かさないことはないのであった。
このおしまいの一節を歌うとき、かの女の目はなみだにぬれないことはなかった。
そのとき気をまぎらすために、わたしはカピと道化芝居をやるのであった。カピにとってもこの日曜日は休日であった。その日はかれにむかしのことを思い出させた。それで一とおり役目を終わると、かれはいくらでもくり返してやりたがった。
二年はこんなふうにして過ぎた。お父さんはわたしをよくさかり場や、波止場や、マドレーヌやシャトードーやの花市場へ連れて行ったり、よく花を分けてやる花作りの家に連れて行ったので、わたしもすこしずつパリがわかりかけてきた。そうしてそこはわたしが想像したように大理石や黄金の町ではなかったが、あのとき初めてシャラントンやムフタール区からはいって来たとき見て早飲みこみに思ったようなどろまみれの町でもないことがわかった。わたしは記念碑を見た。その中へもはいってみた。波止場通り、大通りをも、リュクサンプールの公園をも、チュイルリの公園をも、シャンゼリゼーをも、歩いてみた。銅像も見た。群衆の人波にもまれて、感心して立ち止まったこともあった。これで大都会というものがどんなふうにできあがっているかという考えがほぼできてきた。
幸いにわたしの教育はただ目で見る物から受けただけではなかった。パリの町中を散歩したりかけ歩いたりするついでに、ぐうぜん覚えるだけではなかった。このお父さんはいよいよ自前で植木屋を開業するまえに植物園の畑で働いていた。そこには学者たちがいて、かれにしぜん、物を読んで覚えたいという好奇心を起こさせた。それでいく年かのあいだためた金を書物を買うために使ったし、その本を読むために休みの時間を費した。けれど結婚して子どもができてからは、休みの時間がごくまれになった。なによりもその日その日のパンをもうけなければならなかった。しぜん書物からはなれたが、捨てられたわけでもなく、売りはらわれたわけでもなかった。わたしが初めてむかえた冬はたいへん長かったし、花畑の仕事はほとんど中止同様に、少なくとも何か月のあいだの仕事はひまであった。それでわたしたちは炉を囲んで、いっしょにくらす晩などには、そういう古い本をたんすから引き出して、めいめいに分けて読んだ。それはたいてい植物学の本か植物の歴史のほかには、航海に関係した本であった。アルキシーとバンジャメンはお父さんの学問の趣味を受けついでいなかったから、せっかく本を開けても三、四ページもめくるとすぐいねむりを始めるのであった。わたしはしかしそんなにねむくはなかったし、ずっと本が好きだったので、いよいよねどこにはいらなければならない時間まで読んでいた。こうなるとヴィタリスの手ほどきをしてくれた利益がむだにはならなかった。わたしはねながらそれを独り言に言って、かれのことをありがたく思い出していた。
わたしがものを学びたいという望みは、はしなくお父さんに、自分もむかし本を買うために毎朝朝飯のお金を二スー倹約したむかしを思い出させた。それでたんすの中にあった書物のほかの本までパリからわざわざ買って来てくれた。その書物の選び方はでたらめか、さもなければ表題のおもしろいものをつかみ出して来るにすぎなかったが、やはり書物は書物であった。これはそのじぶん秩序もなく、わたしの心にはいっては来たが、いつまでも消えることはなかった。それはわたしに利益を残した。いいところだけが残った。なんでも本を読むのは利益だということは、ほんとうのことである。
リーズは本を読むことを知らなかったが、わたしが一時間でもひまがあれば、本と首っぴきをしているのを見て、なにがそんなにおもしろいのだろう、そのわけを知りたがっていた。初めのうちはかの女も自分と遊ぶじゃまになるので、本を取り上げたが、それでもやはりわたしが本のほうへ心をひかれる様子を見て、今度は本を読んで聞かせてくれと言いだした。これがわたしたちのあいだの新しい結び目になった。いったいこの子の性質はいつも物わかりがよくって、つまらない遊びごとやじょうだんごとには身のはいらないほうであったから、やがてわたしが読んで聞かせることに楽しみを感じもし、心の養いをえるようになった。
何時間もわたしたちはこうやって過ごした。かの女はわたしの前にすわって、本を読んでいるわたしから目をはなさずにいた。たびたびわたしは自分にわからないことばなり句なりにぶつかると、ふとやめてかの女の顔を見た。そういうときわたしたちはかなりしばらく考え出すために休む。それを考えてもやはりわからないとき、かの女はあとをと言いたいような身ぶりをしてあとを読む合図をする。わたしはかの女にまた絵をかくことを教えた。まあやっと図画とでもいうようなことを教えた。これは長いことかかったし、なかなかむずかしかったがどうやら目的を達しかけた。むろんわたしはりっぱな先生ではなかった。でもわたしたちは力を合わせて、やがて先生と生徒の美しい協力一致から、ほんとうの天才以上のものができるようになった。かの女はなにをかこうとしたか人にもわかるようなもののかけたとき、どんなにうれしがったであろう。アッケンのお父さんはわたしをだいて、笑いながら言った。
「そらね、わたしがおまえを引き取ったのはずいぶんいいじょうだんであった。リーズはいまにきっとおまえにお礼を言うよ」
「いまに」とかれが言ったのは、やがてかの女が口がきけるようになってということであった。なぜならだれもかの女が口がきけるようになろうとは思わなかったが、お医者たちはいまはだめでもいつか、なにかひょっとした機会で口がきけるようになるだろうと言った。
なるほどかの女はわたしが歌を歌ってやると、やはりさびしそうな身ぶりで「いまにね」とそういう心持ちを現した。かの女は自分にもハープをひくことを教えてくれと望んだ。もうさっそくかの女の指はずんずんわたしのするとおりに動くことができた。もちろんかの女は歌を歌うことを学ぶことはできなかった、これをひじょうに残念がっていた。たびたびわたしはかの女の目になみだが流れているのを見た。それがかの女の心の苦しみを語っていた。でも優しい快活な性質からその苦しみはすぐに消えた。かの女は目をふいて、しいて微笑をふくみながら、こう言うのであった。
「いまにね」
アッケンのお父さんには、養子のようにされ、子どもたちには兄弟のようにあつかわれながら、わたしは、またしてもわたしの生活を引っくり返すような事件はもう起こらずに、いつまでもグラシエールにいられそうには思えなかった。それはわたしというものが、長く幸福にくらしてゆくことができないたちで、やっと落ち着いたと思うときには、それはきっとまた幸福からほうり出されるときであって、自分の望んでもいない出来事のためにまたもや変わった生活にとびこまなければならなくなるのであった。
一家の離散
このごろわたしは一人でいるとき、よく考えては独り言を言った。
「おまえはこのごろあんまりよすぎるよ。これはどうも長続きしそうもない」
でもなぜ不幸が来なければならないか、それをまえから予想することはできなかった。だがどのみち、それのやって来ることは疑うことのできない事実のように思われてきた。
そう思うと、わたしはたいへん心細かった。しかし、一方から見ると、その不幸をどうにかしてさけるようにいっしょうけんめいになるので、しぜんにいいこともあった。なぜというに、わたしがこんなにたびたび不幸な目に会うのは、みんな自分の過失から来ると思って、反省するようになったからである。
でもほんとうは、わたしの過失ではなかった。それをそう思ったのは、自分の思い過ごしであったが、不幸が来るという考えはちっともまちがいではなかった。
わたしはまえに、お父さんがにおいあらせいとうの栽培をやっていたと言ったが、この花を作るのはわりあいに容易で、パリ近在の植木屋はこれで商売をする者が多かった。その草は短くって大きく、上から下までぎっしり花がついていて、四、五月ごろになると、これがさかんにパリの市場に持ち出されるのであった。ただこの花でむずかしいのは、芽生えのうちから葉の形で八重と一重を見分けて、一重を捨てて八重を残すことであった。この鑑別のできる植木屋さんはごくわずかで、その人たちが家の秘法にして他へもらさないことにしてあるので、植木屋仲間でも、特別にそういう人をたのんで花を見分けてもらわなければならなかった。それでたのまれた人はほうぼうの花畑を巡回して歩いて、いろいろと注意をあたえるのであった。これをレセンプラージュと言っていた。お父さんはパリではこの道にかけて熟練のほまれの高い一人であった。それでその季節にはほうぼうからたのまれて、うちにいることが少なかった。そしてこの季節が、わたしたちとりわけエチエネットにとって、いちばん悪いときであった。なぜというと、お父さんは一けん一けん回って歩くうちに、ほうぼうでお酒を飲ませられて、夜おそく帰るじぶんには、まっかな顔をして、舌も回らないし、手足もぶるぶるふるえていた。
そんなとき、エチエネットは、どんなにおそくなっても、きっとねずに待っていた。わたしがまだねいらずにいるか、または帰って来る足音で目を覚ましたときには、部屋の中から二人の話し声をはっきり聞いた。
「なぜおまえはねないんだ」とお父さんは言った。
「お父さんがご用があるといけないと思って」
「なんだと。そんなことを言って、このおじょうさんの憲兵が、わたしを監視するつもりだろう」
「でもわたしが起きていなかったら、だれとお話しなさるおつもり」
「おまえ、わたしがまっすぐに歩けるか見てやろうと思っているんだな。よし、この行儀よくならんだしき石を一つ一つふんで、子どもの寝部屋まで行けるかどうか、かけをしようか」
不器用な足音が台所じゅうをしばらくがたつかせると、やがてまた静かになった。
「リーズはごきげんかい」とお父さんは言った。
「ええ。よくねていますわ。どうかお静かに」
「だいじょうぶさ。わたしはまっすぐに歩いているのだ。なにしろおじょうさんたちがやかましいから、お父さんもせいぜいまっすぐに歩かなくてはならぬ。リーズは、わたしが夕飯のときいなかったのを見て、なんとか言いはしなかったかい」
「リーズはお父さんの席を、なんだか見ていました」
「なんだ、わしの席を見ていたと」
「ええ」
「何べんもかい。何べんぐらい見ていた」
「それはたびたび」
「それからどうしていたね」
「『お父さんはいらっしゃらないのね』と言いたいような目つきをしていました」
「じゃあリーズは、わたしがそこにいないのはなぜだとたずねたろう。そしておまえは、わたしがお友だちのうちに行っていると答えたろう」
「いいえ、なんにもたずねませんでした。わたしもなにも言いませんでした。あの子はでもお父さんの行っていらっしゃる所をようく知っていますよ」
「なに、あの子が知ってるって。あの子が……もう早くからねこんでいるかい」
「いいえ、つい十五分ほどまえねたばかりです。お父さんのお帰りを待ちかねていたようです」
「で、おまえはどう思っていたえ」
「わたしはリーズが、お父さんのお帰りのところを見なければいいと思っていました」
しばらく沈黙が続いた。
「エチエネット、おまえはいい子だ。あすはわたしはルイソーのうちへ行く。わたしはちかって夕飯にはきっと帰る。おまえが待っていてくれるのが気のどくだし、リーズが心配しいしいねるのがかわいそうだから」
だがやくそくも誓言もいっこう役には立たなかった。かれはちっとも早く帰ったことはなかった。一ぱいでもお酒がのどにはいったら、もうめちゃめちゃであった。うちの中でこそ、リーズがご本尊だが、外の風に当たるともう忘れられてしまった。
でもこんなことはしじゅうではなかった。レセンプラージュの季節がすむと、もうお父さんは外へ出ようとも思わない。むろん一人で居酒屋へ行く人ではなかった。そんなむだな時間を持つ人ではなかった。
においあらせいとうの季節がすむと、今度はほかの花を作らなければならない。植木屋の花畑は一年じゅうむだに土地の遊んでいるひまはなかった。一つの花を売ってしまうとほかの花を売り出す仕度をしなければならなかった。セン・ピエールだの、セン・マリだの、セン・ルイだの、そういう年じゅうの祝い日にはおびただしい花が町へ出る。ピエールだの、マリだの、ルイだのと呼ばれる名前の人たちの数はおびただしいもので、したがってそういう祝い日には、花たばやら花びんを買って、名づけ親やお友だちにおくってお祝いをしなければならない人が限りなく多かった。
だから、この祝い日の前夜には、パリの通りは花でいっぱいになる。ふつうの店や市場だけではない。往来のすみずみ、家いえの石段、そのほかちょっとした店を開くことのできる場所にはきっと花を売っていた。
アッケンのお父さんは、においあらせいとうの季節がすむと、七月、八月の祝い日の用意にせっせとかかっていた。とりわけ八月には、セン・マリ、セン・ルイの大祝日があるので、これを当てこんで何千本というえぞぎく、フクシア、きょうちくとうなどを温室や温床にはいりきらないほどしこんでおいた。これらの花はどれも、ちょうどその当日に早すぎずおそすぎず花ざかりというふうに作らなければならないので、そこにうでの要るのは言うまでもないことであった。だれだって、太陽と天気を自由にすることはできない。天気は人間にかまわずよすぎたり、悪すぎたりするのであった。アッケンのお父さんは、そういううでにかけては、確かなものであったから、花が当日におくれたり早すぎたりするなどという失敗はなかったが、それだけにめんどうな手数のかかることはしかたがなかった。
この話の当時には、花の出来はまったくすばらしいものであった。それはちょうど八月五日のことであったが、花はいまが見ごろであった。花畑の中の野天の下で、えぞぎくの花びらはいまにも口を開こうとしてふくれていた。
温室の温度と日光を弱めるために、わざわざ石灰乳をガラスのフレームにぬった温床の下で、フクシアやきょうちくとうがさきかけていた。うじゃうじゃと固まって草むらになっているものもあれば、頭から根元まで三角形につぼみのすずなりになったものもあった。どうして目の覚めるように美しかった。ときどきお父さんはいかにも満足らしく、もみ手をしながら、うっとりながめ入っていた。
「ことしは天気がいいなあ」
こうかれはむすこたちをふり返って言っていた。
かれはくちびるに微笑をたたえて、胸の中では、これだけ売ればいくらになるという勘定をしていた。
ここまでするには、みんなずいぶん骨を折った。一時間と休憩するひまなしに働いたし、日曜日でも休まなかった。でももうとうげはこしたし、すっかり売り出しの準備ができあがったので、そのほうびとして、八月五日の日曜日の夕方、わたしたち残らずうちそろってアルキュエイまで、お父さんの友人で、やはり植木屋仲間のうちへごちそうを食べに行くことが決定されていた。カピも一行の一人になるはずであった。わたしたちは四時まで働くことにして、仕事がすんだところで、門に錠をかって、アルキュエイまで行くことになった。晩食は八時にできるはずであった。晩食がすんでわたしたちはすぐうちへ帰ることにした。ねどこにはいるのがおそくならないように、月曜の朝にはいつでも働けるように、元気よく早くから起きられるようにしなければならなかった。それで四時二、三分まえにわたしたちはみんな仕度ができた。
「さあ、みんな行こう」とお父さんがゆかいらしくさけんだ。「わたしは門にかぎをかけるから」
「来い、カピ」
リーズの手を取って、わたしは走りだした。カピはうれしそうにはねながらついて来た。また旅かせぎに出るのだと思ったのかもしれない。この犬は旅がやはり好きであった。こうしてうちにいては、思うようにわたしにかまってはもらえなかった。
わたしたちは日曜日の晴れ着を着て、ごちそうになりに行く仕度をしていたので、なかなかきれいであった。わたしたちが通るとふり返って見る人たちもあった。わたしは自分がどんなふうに見えるかわからなかったけれど、リーズは水色の服に、ねずみ色のくつをはいて、このうえなく活発なかわいらしいむすめであった。
時間が知らないまにずんずん過ぎていった。
わたしたちは庭のにわとこの木の下でごちそうを食べていた。するとちょうどおしまいになりかけたとき、わたしたちの一人が、ずいぶん空が暗くなったと言いだした。雲がどんどん空の上に固まって出て来た。
「さあ、子どもたち、早くうちへ帰らなければいけない」とお父さんが言った。
「もう」みんなはいっしょにさけんだ。
リーズは口はきけなかったが、やはり帰るのはいやだという身ぶりをした。
「さあ行こう」とお父さんがまた言った。「風が出たらガラスのフレームは残らず引っくり返される」
これでもうだれも異議を申し立てなかった。わたしたちはみんなフレームの値打ちを知っていた。それが植木屋にどれほどだいじなものかわかっていた。風がうちのフレームをこわしたら、それこそたいへんなことであった。
「わたしはバンジャメンとアルキシーを連れて先へ急いで行く」とお父さんが言った。
「ルミはエチエネットと、リーズを連れてあとから来るがいい」
かれらはそのままかけだした。エチエネットとわたしはリーズを連れてそろそろ後からついて行った。だれももう笑う者はなかった。空がだんだん暗くなった。あらしがどんどん来かけていた。砂けむりがうずを巻いて上がった。砂が目にはいるので、わたしたちは後ろ向きになって、両手で目をおさえなければならなかった。空にいなずまがひらめいて、はげしいかみなりが鳴った。
エチエネットとわたしがリーズの手を引っ張った。わたしたちはもっと早くかの女を引っ張ろうと試みたが、かの女はわたしたちと歩調を合わせることは困難であった。あらしの来るまえにうちへ帰れようか。お父さんとバンジャメンとアルキシーはあらしの起こるまえにうちに着いたろうか。かれらがガラスのフレームを閉めるひまさえあれば、風が下からはいって引っくり返すことはないであろう。
雷鳴がはげしくなった。雲がいよいよ深くなって、もうほとんど夜のように思われた。
風に雲のふきはらわれたとき、その深い銅色の底が見えた。雲はやがて雨になるであろう。
がらがら鳴り続ける雷鳴の中に、ふと、ごうっというひどいひびきがした。一連隊の騎兵があらしに追われてばらばらとかけてでも来るような音であった。
とつぜんばらばらとひょうが降って来た。はじめすこしばかりわたしたちの顔に当たったと思ううちに、石を投げるように降って来た。それでわたしたちはかけ出して大きな門の下のトンネルに避難しなければならなかった。ひょうの夕立ち。たちまち道はまっ白に冬のようになった。ひょうの大きさははとの卵ぐらいあった、落ちるときには耳の遠くなるような音を立てた。もうしじゅうガラスのこわれる音が聞こえた、ひょうが屋根から往来へすべり落ちるとともに、屋根やえんとつのかわらや石板やいろんなものがこわれて落ちた。
「ああ、これではガラスのフレームも」とエチエネットがさけんだ。
わたしも同じ考えを持った。
「お父さんはたぶんまに合ったでしょうね」
「ひょうの降るまえに着いたにしても、ガラスにむしろをかぶせるひまはなかったでしょう。なにもかもこわれてしまったでしょうよ」
「ひょうは所どころまばらに落ちるものだそうですよ」と、わたしはまだそれでも無理に希望をかけようとして言った。
「おお、それにはあんまりうちが近すぎます。もしうちの庭にここと同じだけ降ったら、父さんはお気のどくなほど大損になってしまいます。父さんはこの花を売って、いくらお金をもうけてどうするという細かい勘定をしていらしったのだからそれはずいぶんお金が要るようよ」
わたしはガラスのフレームが百枚千八百フランもすることを聞いていた。植木や種物を別にしても、五、六百もあるフレームをひょうがこわしたらなんという災難であろう。どのくらいの損害であろう。
わたしはエチエネットにたずねてみたかったけれど、おたがいの話はまるで聞こえなかったし、かの女も話をする気がないらしかった。かの女は絶望の表情で、自分のうちの焼け落ちるのを目の前に見ている人のように、ひょうの降るのをながめていた。
おそろしい夕立ちはほんのわずか続いた。急にそれが始まったように、急にやんだ。たぶん五、六分しか続かなかった、雲がパリのほうへ走って、わたしたちは避難所を出ることができた。ひょうが往来に深く積もっていた。リーズはうすいくつで、その上を歩くことができなかったから、わたしは背中に乗せてしょって行った。宴会へ行くときにあれほど晴れ晴れとしていたかの女のかわいらしい顔は、いまは悲しみにしずんで、なみだがほおを伝っていた。
まもなくわたしたちはうちに着いた。大きな門があいていて、わたしたちはすぐと花畑の中にはいった。
なんというありさまであろう。ガラスというガラスは粉ごなにこわれていた。花とガラスのかけらとひょうがいっしょに固まって、あれほど美しかった花畑に降り積もっていた。なにもかもめちゃめちゃにこわされた。
お父さんはどこへ行ったのだろう。
わたしたちはかれを探した。やっとかれを大きな温室の中で発見した。その温室のガラス戸は残らずこわれていた。かれは地べたをうずめているガラスのかけらの中にいた(手車の上にこしをかけてというよりは、がっかりしてこしをぬかしていた。アルキシーとバンジャメンはそのそばにだまって立っていた。
「ああ、子どもたち、かわいそうに」と、かれはわたしたちがガラスのかけらの上をみしみし歩く音に気がついて、こうさけんだ。
かれはリーズをだいてすすり泣きを始めた。かれはなにもほかに言わなかった。なにを言うことができようぞ。これはおそろしい結果であった。しかもそのあとの結果はもっともっとおそろしかった。
わたしはまもなくそれをエチエネットから聞いた。
十年まえかれらの父親はこの花畑を買って、自分で家を建てた。かれに土地を売った男は植木屋として必要な材料を買う金をもやはりかれに貸していた。その金額は十五年の年賦で、毎年しはらうはずであった。その男はしかもこの植木屋が支払いの期限をおくらせて、おかげで土地も家も材料までも自分の手に取り返す機会ばかりをねらっていた。もちろんすでに受け取った十年分の支払い金額は、ふところに納めたうえのことであった。
これはその男にとっては相場をやるようなもので、かれは十五年の期限のつきないまえにいつか植木屋が証文どおりにいかなくなるときの来ることを望んでいた。この相場はよし当たらないでも債権者のほうに損はなかった。万一当たればそれこそ債務者にはひどい危険であった。ところがひょうのおかげでその日はとうとう来たのだ。さてこれからは、どうなることやら。
わたしたちはそれを長く心配するひまはなかった。証文の期限が切れたあくる日――この金はこの季節の花の売り上げでしはらわれるはずであったから――全身まっ黒な服装をした一人の紳士がうちへ来て、印をおした紙をわたした。これは執達吏であった。かれはたびたび来た。あまりたびたび来たので、しまいにはわたしたちの名前を覚えるほどになった。
「ごきげんよう、エチエネットさん。いよう、ルミ。いよう、アルキシー」
こんなことを言って、かれはわたしたちに例の印をおした紙を、お友だちのような顔をしてにこにこしながらわたした。
「みなさん、さよなら。また来ますよ」
「うるさいなあ」
お父さんはうちの中に落ち着いていなかった。いつも外に出ていた。かれはどこへ行くか、ついぞ話したことがなかった。たぶん弁護士を訪問するか、裁判所へ行ったのかもしれなかった。
裁判所というとわたしはおそろしかった。ヴィタリスも裁判所へ行った。そしてその結果はどうであったか。
そしてその結果をお父さんは待ちかねていた。冬の半分は過ぎた。温室を修理することも、ガラスのフレームを新しく買うこともできないので、わたしたちは野菜物やおおいの要らないじょうぶな花を作っていた。これはたいしたもうけにはならなかったが、なにかの足しにはなった。これだってわたしたちの仕事であった。
ある晩お父さんはいつもよりよけいしずんで帰って来た。
「子どもたち」とかれは言った。「もうみんなだめになったよ」
かれは子どもたちになにかだいじなことを言いわたそうとしているらしいので、わたしはさけて部屋を出ようとした。かれは手まねでわたしを引き止めた。
「ルミ、おまえもうちの人だ」とかれは悲しそうに言った。「おまえはなにかがよくわかるほどまだ大きくなってはいないが、めんどうの起こっていることは知っていよう。みんなお聞き、わたしはおまえたちと別れなければならない」
ほうぼうから一つのさけび声と苦しそうな泣き声が起こった。
リーズは父親の首にうでを巻きつけた。かれはかの女をしっかりとだきしめた。
「ああ、おまえたちと別れるのはまったくつらい」とかれは言った。「けれど裁判所から支払いをしろという命令を受けた。でもわたしは金がないのだから、このうちにあるものは残らず売らなければならない。それでも足りないので、わたしは五年のあいだ懲役に行かねばならない。わたしは自分の金ではらうことができないから、自分のからだと自由でそれをはらわなければならない」
わたしたちはみんな泣きだした。
「そう、悲しいことだ」とかれはおろおろ声で続けた。「けれど人は法律に向かってはなにもしえない。弁護士の言うところでは、むかしはどうしてこんなことではすまなかった。貸し主は借り手のからだをいくつかに切り刻んで、貸し主のうちで欲しいと思う者がそれを分けて取る権利があったそうだ。わたしはただ五年のあいだ刑務所にいればいいのだからね。ただそのあいだにおまえたちはどうなるだろう。それが心配でたまらない」
悲しい沈黙が続いた。
「わたしが決めたとおりにするのがいちばんいいことなのだ」とお父さんは続けた。
「ルミ、おまえはいちばん学者なのだから、妹のカトリーヌの所へ手紙を書いて、事がらをくわしく述べて、すぐに来てくれるようにたのんでおくれ。カトリーヌおばさんは、なかなかもののわかった人だから、どうすればいちはんいいか、うまく決めてくれるだろう」
わたしが手紙を書くのはこれが初めてでなかなか骨が折れた。それはひじょうに痛ましいことであったが、わたしたちはまだひと筋の希望を持っていた。わたしたちはみんななにも知らない子どもであった。カトリーヌおばさんが来てくれるということ、かの女が実際家であるということは、なにごとをもよくしてくれるであろうといふ希望を持たせた。
けれどかの女は思ったほど早くは来てくれなかった。四、五日ののちお父さんがちょうど友だちの一人を訪問に出かけようとすると、ぱったり巡査に出会った。かれは巡査たちとうちへもどって来た。かれはひじょうに青い顔をしていた。子どもたちにさようならを言いに来たのであった。
「おまえ、そんなに力を落としなさんな」と、かれをつかまえに来た巡査の一人が言った。「借金のために牢にはいるのは、おまえが思うほどおそろしいものではない。向こうへ行けばなかなかいい人間がいるよ」
わたしは庭にいた二人の子どもを呼びに行った。帰ってみると、小さいリーズはすすり泣きをしてお父さんの両手にだかれていた。巡査の一人がこしをかがめて、お父さんの耳になにかささやいたが、なにを言ったかわたしには聞こえなかった。
「そうです。そうしなければなりませんね」とお父さんは言って、思い切ってリーズを下に置いた。でもかの女は父親の手にからみついてはなれなかった。それからかれはエチエネット、アルキシー、バンジャメンと順々にキッスして、リーズをねえさんの手に預けた。
わたしはすこしはなれて立っていたが、かれはわたしのほうへ寄って来て、ほかの者と同様に優しくキッスした。
これで巡査はかれを連れて行った。わたしたちはみんな台所のまん中に泣きながら立っていた。だれ一人ものを言う者はなかった。
カトリーヌおばさんは一時間おくれてやって来た。わたしたちはまだはげしく泣いていた。いちばん気丈なエチエネットすら今度の大波にはすっかり足をさらわれた。わたしたちの水先案内が海に落ちたので、あとの子どもたちはかじを失って、波のまにまにただようほかはなかった。
ところでカトリーヌおばさんはなかなかしっかりした婦人であった。もとはパリの街で乳母奉公をして、十年のあいだに五か所も勤めた。世の中のすいもあまいもよく知っていた。わたしたちはまたたよりにする目標ができた。教育もなければ、資産もないいなか女としてかの女にふりかかった責任は重かった。びんぼうになった一家の総領はまだ十六にならない。いちばん下はおしのむすめであった。
カトリーヌおばさんは、ある公証人のうちに乳母をしていたことがあるので、かの女はさっそくこの人を訪ねて相談をした。そこでこの人が助言して、わたしたちの運命を決めることになった。それからかの女は監獄へ行って、お父さんの意見も聞いた。そんなことに一週間かかって、最後にわたしたちを集めて、取り決めた次第を言って聞かした。
リーズはモルヴァンのかの女のうちへ行って養われることになった。アルキシーはセヴェンヌ山のヴァルスで鉱夫を勤めているおじの所へ行く。バンジャメンはセン・カンテンで植木屋をしているもう一人のおじの所へ行く。そしてエチエネットはシャラント県のエナンデ海岸にいるおばの所へ行くことになった。
わたしはこういう取り計らいをわきで聞きながら、自分の番になるのを待っていた。ところがカトリーヌおばさんはそれで話をやめてしまって、とうとうわたしのことは話が出ずにしまった。
「ではぼくは……」とわたしは言った。
「だっておまえはこのうちの人ではないもの」
「ぼくはあなたがたのために働きます」
「おまえさんはこのうちの人ではないよ」
「わたしがどんなに働けるか、アルキシーにでもバンジャメンにでもたずねてください。わたしは仕事が好きです」
「それからスープをこしらえるのもうまいや」
「おばさん、あの子はうちの人です。そうです、うちの人です」という声がほうぼうから起こった。リーズが前へ出て来て、おばさんの前で手を合わせた。それはことばで言う以上の意味を表していた。
「まあまあ、かわいそうに」と、カトリーヌおばさんは言った。「おまえがあの子をいっしょに連れて行きたがっていることはわかっている。けれど世の中というものはいつも思うようにはならないものなのだよ。おまえはわたしのめいだから、おまえをうちへ連れて行って、おじさんにいやな顔をされても、わたしは『でも親類だから』と言って通してしまうつもりだ。ほかのセン・カンテンのおじさんにしても、ヴァルスのおじさんにしても、エナンデのおばさんにしても、そのとおりだろうよ。やっかいだと思っても、親類なら養ってくれるだろう。けれど他人ではそうはゆかない。一つうちの者だけでも、腹いっぱい食べるだけのパンはむずかしいのだからね」
わたしはもうなにも言うことがないように思った。かの女の言ったことはもっともすぎることであった。わたしはうちの者ではなかった。わたしはなにも求めることもできない。なにもたのむこともできない。それをすればこじきになる。
でもわたしはみんなを好いていたし、みんなもわたしを好いていた。
みんな兄弟でもあり、姉妹でもあった。カトリーヌおばさんは決心したことはすぐ実行する性質であった。わたしたちにはあしたいよいよお別れをすることを言いわたしてねどこへはいらせた。
わたしたちが部屋へはいるか、はいらないうちに、みんなはわたしを取り巻いた。リーズは泣きながらわたしにからみついた。そのときわたしはかれら兄弟がおたがいに別れて行く悲しみをまえにひかえながら、かれらの思っていてくれるのはわたしのことだということがわかった。かれらはわたしが独りぼっちだといって気のどくがった。わたしはそのときほんとうにかれらの兄弟であるように感じた。そこでふと一つの考えが心にうかんだ。
「聞いてください」とわたしは言った。「おばさんやおじさんがたがわたしにご用はなくっても、あなたがたがどこまでもわたしをうちの者に思ってくださることはわかりました」
「そうだそうだ、きみはいつまでもぼくたちの兄弟だ」と三人がいっしょにさけんだ。
もの言えないリーズはわたしの手をしめつけて、あの大きな美しい目で見上げた。
「ねえ、ぼくは兄弟です。だからその証拠を見せましょう」と、わたしは力を入れて言った。
「きみはいったいどこに行くつもりだ」とバンジャメンが言った。
「ペルニュイの所に仕事があるのよ。わたしあした行って話をしてみましょうか」とエチエネットが聞いた。
「ぼくは奉公はしたくありません。奉公するとパリにじっとしていなければならないし、そうすると二度ともうあなたがたに会うことができません。ぼくはまたひつじの毛皮服を着て、ハープをくぎからはずして、肩にかついで、セン・カンテンからヴァルスへ、ヴァルスからエナンデへ、エナンデからドルジーへと、あなたがたのこれから行く先ざきへたずねて行きましょう。わたしはあなたがたみなさんに、一人ひとり代わりばんこに会って、ほうぼうの便りを持って行きましょう。そうすればぼくの仲立ちでみんないっしょに集まっているようなものです。ぼくはいまでも歌だってダンスの節だって忘れてはいません。自分がくらしてゆくだけのお金は取れます」
みんなの顔がかがやいた。わたしはかれらがわたしの考えを聞いてそんなにも喜んでくれたのでうれしかった。長いあいだわたしたちは話をして、それからエチエネットは一人ひとりねどこへはいらせた。けれどその晩はだれもろくろくねむる者はなかった。とりわけわたしはひと晩ねむれなかった。
あくる日夜が明けると、リーズはわたしを庭へ連れ出した。
「ぼくに言いたいことがあるの」とわたしはたずねた。
かの女は何度もうなずいた。
「わたしたちが別れて行くのがいやなんでしょう。それは言うまでもない。あなたの顔でわかっている。ぼくだってまったく悲しいんだ」
かの女は手まねをして、なにか言いたいことがほかにあるという意味を示した。
「十五日たたないうちに、ぼくはあなたの行くはずのドルジーへ訪ねて行きますよ」
かの女は首をふった。
「ぼくがドルジーへ行くのがいやなんですか」
わたしたちがおたがいに了解しい合うために、わたしはそのうえにいろいろ問いを重ねていった。かの女はうなずいたり、首をふったりして答えた。かの女はわたしにドルジーへ来てはもらいたいが、しかしそれより先に兄さんや姉さんのほうへ行ってもらいたい意味を、指を三方に向けてさとらせた。
「あなたはぼくがいちばん先にヴァルスへ行き、それからエナンデ、それからセン・カンテンというふうに行ってもらいたいのでしょう」
かの女はにっこりしてうなずいた。わたしがわかったのがうれしそうであった。
「なぜさ」
こう聞くと、かの女はくちびると手を、とりわけ目を動かして、なぜそう望むか、そのわけを説明した。それは先に姉さんや兄さんたちの所へ行ってもらえば、ドルジーへ来るときにはほうぼうの便りを持って来てくれることができるからというのであった。
かれらは八時にたたなければならなかった。カトリーヌおばさんはみんなを乗せる馬車を言いつけて、なにより先に刑務所へ行って、父親にさようならを言うこと、それからてんでに荷物を持って別々の汽車に乗るために、別々の停車場に別れて行くという手順を決めた。
七時ごろ今度はエチエネットがわたしを庭へ連れ出した。
「ルミ、わたしあなたにほんのお形見をあげようと思うの」とかの女は言った。「この小ばこを納めてください。わたしのおじさんがくれたものだから。中には糸と針とはさみがはいっています。旅をして歩くと、こういうものが入り用なのよ。なにしろわたしがそばにいて、着物のほころびを直したり、ボタンをつけたりしてあげることができないのだからねえ。それでわたしのはさみを使うときにはわたしたちみんなのことを思い出してください」
エチエネットがわたしと話をしているあいだ、アルキシーがそばをぶらついていた。かの女がわたしを置いて、うちの中へはいると、かれはやって来て、
「ねえ、ルミ」とかれは言いだした。「ぼくは五フランの銀貨を二つ持っている。一つあげよう。きみがもらってくれると、ぼくはずいぶんうれしいんだ」
わたしたち五人のうちで、アルキシーはたいへん金をだいじにする子であった。わたしたちはいつもかれの欲張りをからかっていた。かれは一スー、二スーと貯金してしじゅう貯金の高を勘定していた。かれは一スーずつためては新しい十スー、二十スーの銀貨とかえてだいじに持っていた。そういうかれの申し出は、わたしを心から感動させた。わたしは断りたかったけれど、かれはきらきらする銀貨をわたしの手に無理ににぎらせた。わたしはだいじにしている宝が分けてくれようというかれの友情がひじょうに強いものであることを知った。
バンジャメンもわたしを忘れはしなかった。かれはやはりわたしにおくり物をしようと思った。かれはわたしにナイフをくれて、それと交換に、一スー請求した。なぜなら、ナイフは友情を切るものだから。
時間はかまわずずんずんたっていった。いよいよわたしたちの別れる時間が来た。
リーズはぼくのことをなんと思っているだろう。馬車がうちの前に近づいて来たときに、リーズがまたわたしに庭までついて来いという手まねをした。
「リーズ」とかの女のおばさんが呼んだ。
かの女はそれには返事をしないで急いでかけ出して行った。かの女は庭のすみに一本残っていた大きなベンガルばらの前に立ち止まって、一えだ折った。それからわたしのほうを向いてそのえだを二つにさいた。その両方にばらのつぼみが一つずつ開きかけていた。
くちびるのことばは目のことばに比べては小さなものである。目つきに比べて、ことばのいかに冷たく、空虚であることよ。
「リーズ、リーズ」とおばさんがさけんだ。
荷物はもう馬車の中に積みこまれていた。
わたしはハープを下ろして、カピを呼んだ。わたしのむかしに返ったおなじみの姿を見ると、かれはうれしがって、とび上がって、ほえ回った。かれは花畑の中に閉じこめられているよりも、広い大道の自由を愛した。
みんなは馬車に乗った。わたしはリーズをおばさんのひざに乗せてやった。わたしはそこに半分目がくらんだようになって立っていた。するとおばさんが優しくわたしをおしのけて、ドアを閉めた。
「さようなら」
馬事は動きだした。
もやの中でわたしはリーズが窓ガラスによって、わたしに手をふっているのを見つけた。やがて馬車は町の角を曲がってしまった。見えるものはもう砂けむりだけであった。わたしはハープによりかかって、カピが足の下でからみ回るままに任せた。ぼんやり往来に立ち止まって目の前にうず巻いているほこりをながめていた。たって行ったあとのうちを閉めてかぎを家主にわたしてくれることをたのまれた隣家の人がそのときわたしに声をかけた。
「おまえさん、そこで一日立っているつもりかね」
「いいえ、もう行きます」
「どこへ行くつもりだ」
「どこへでも、足の向くほうへ」
「おまえさん、ここにいたければ」と、かれはたぶん気のどくに思っているらしく、こう言った。「わたしの所へ置いてあげよう。けれど給金ははらえないよ。おまえさんはまだ一人前ではないからなあ。いまにすこしはあげられるようになるかもしれない」
わたしはかれに感謝したが、「いいえ」と答えた。
「そうか。じゃあかってにおし。わたしはただおまえさんのためにと思っただけだ。さようなら。無事で」
かれは行ってしまった。馬車は遠くなった。うちは閉ざされた。
わたしはハープのひもを肩にかけた。カピはすぐ気がついて立ち上がった。
「さあ行こう、カピ」
わたしは二年のあいだ住み慣れて、いつまでもいようと思ったうちから目をそらして、はるかの前途を望んだ。
日はもう高く上っていた。空は青あおと晴れて――気候は暖かであった。気のどくなヴィタリス老人とわたしが、つかれきってこのさくのそばでたおれた、あの寒い晩とはたいへんなちがいであった。
こうしてこの二年間はほんの休息であった。わたしはまた自分の道を進まなければならなかった。けれどもこの休息がわたしにはずいぶん役に立った。それがわたしに力をあたえた。優しい友だちを作ってくれた。
わたしはもう世界で独りぼっちではなかった。この世の中にわたしは目的を持っていた。それはわたしを愛し、わたしが愛している人たちのために、役に立つこと、なぐさめになることであった。
新しい生涯がわたしの前に開けていた。
前へ。
前へ
前へ。世界はわたしの前に開かれた。北でも南でも東でも西でも、自分の行きたいままの方角へわたしは向かって行くことができる。それはもう子どもは子どもでも、わたしは自分白身の主人であった。
いよいよ流浪の旅を始めるまえに、わたしはこの二年のあいだ父親のように優しくしてくれた人に会いたいと思った。カトリーヌおばさんは、みんながかれに「さようなら」を言いに行くときに、わたしをいっしょに連れて行くことを好まなかったが、わたしはせめて一人になったいまでは、行ってかれに会うことができるし、会わなければならないと思った。借金のために刑務所にはいったことはなくても、その話をこのごろしじゅうのように聞かされていたのでその場所ははっきりわかっていた。わたしはよく知っているラ・マドレーヌ寺道をたどって行った。カトリーヌおばさんも、子どもたちも、お父さんに会えたのだから、わたしもきっと会うことが許されるであろう。わたしはお父さんの子どもも同様であったし、お父さんもわたしをかわいがっていた。
でも思い切って刑務所の中へはいって行くのがちょっとちゅうちょされた。だれかがわたしをじっと監視しているように思われた。もう、一度そのドアの中へ、おそろしいドアの中へ閉めこまれたが最後、二度と出されることがないように思われた。
刑務所から出て来ることは容易でないとわたしは考えていた。しかしそこへはいるのも容易でないことを知らなかった。さんざんひどい目に会って、わたしはそれを知った。
でも力も落とさず、それから引っ返してしまおうとも思わずに待っていたおかげで、わたしはやっと面会を許されることになった。かねて思っていたのとちがい、わたしは格子もさくもないそまつな応接室に通された。お父さんは出て来た。でもくさりなどに結わえられてはいなかった。
「ああ、ルミや、わたしはおまえを待っていた」と、わたしが面会所にはいるとかれは言った。
「わたしは、カトリーヌおばさんがおまえをいっしょに連れて来なかったので、こごとを言ってやったよ」
わたしはこのことばを聞くと、朝からしょげていたことも忘れて、すっかりうれしくなった。
「カトリーヌおばさんは、ぼくをいっしょに連れて来ようとしなかったのです」
わたしはうったえるように言った。
「いや、そういうわけでもなかったのだろう。なかなか思うとおりにはならないものだよ。ところでおまえがこれから一人でくらしを立ててゆこうとしていることもわたしはようく知っているのだがね。どうもわたしの妹婿のシュリオだって、おまえに仕事を見つけてやることはできないだろうしね。シュリオはニヴェルネ運河の水門守をしているのだが、知ってのとおり植木職人の世話を水門守にしてもらうのは無理だからね。それにしても、子どもたちの話では、おまえはまた旅芸人になると言っているそうだが、おまえもう、あの寒さと空腹で死にかけたことを忘れたのかえ」
「いいえ、忘れません」
「でも、あのときはまだしも、おまえは独りぼっちではなかった。めんどうを見る親方があった。それもいまはないし、おまえぐらいの年ごろで一人ぼっちいなかへ出るということは、いいことだとは思われない」
「カピもいっしょです」
このときカピは自分の名を聞くと、いつものように、(はい、ここにおります、ご用ならお役に立ちましょう)というように一声ほえた。
「うん、カピはよい犬だ。しかしやっぱり犬は犬だからな。おまえはいったいどうしてくらしを立てるつもりなのだ」
「わたしが歌を歌ったり、カピが芝居をしたりして」
「しかしカピ一人ぼっちで、芝居はできやしないだろう」
「いえ、わたしはカピに芸をしこみます。そうだろう、ね、カピ。おまえ、なんでもわたしの望むものを習うだろう」
カピは前足で胸をたたいた。
「ルミ、おまえがよく考えたら、やはり職を見つけることにするだろうよ。もうおまえも一かどの職人だ。流浪するよりもそのほうがましだし、だいいち、あれはなまけ者のすることだ」
「ええ、もちろんわたしはなまけ者ではありません。わたしはお父さんといっしょにならできるだけ働きます。そしていつでもお父さんといっしょにいたいと思っています。でもほかの人のうちで働くのはいやなんです」
もちろん、たった一人、大道ぐらしを続けてゆくことの危険なことはよくわかっていた。それはさんざん、つらい経験もしている。そうだ、人びとがわたしのように流浪の生活を送って、あの犬たちがおおかみに食べられた夜や、ジャンチイイの石切り場のあの晩のような目に会ったり、あれほどひもじいめをしたり、ヴィタリス親方が刑務所に入れられて、一スーももうけることができず、村から村へと追い立てられたりしたようなことに出会ったら、だれだってあすはまっ暗やみ、現在さえも不安心でたまらないのが当たり前だ。危険な、みじめな、浮浪人の生活をわたしは自分が送ってきたことも忘れはしないのだ。だがいまそれをやめたら、わたしはいったいどうしていいかわからないではないか。それにもう一つ、旅に出るについて決心を固くするものがあった。いまさらよそのうちに奉公するよりも、わたしにはこの流浪の旅がずっと自由で気楽なばかりでなく、エチエネットや、アルキシーやバンジャメン、それからリーズとしたやくそくを果たすためにもこの旅行を思いとどまることはできなかったのだ。どうしてこのことはあの人たちを見捨てないかぎり、やめられないのだ。もっともエチエネットやアルキシーやバンジャメンからは、手紙が書けるので手続も来ようが、リーズといえば、書くことも知らないのだから、ここであの子のことをわたしが忘れてしまえば、もうかの女はなにもかも世界の様子がわからなくなってしまうのだ。
「では、お父さんは、お子さんたちの便りを、わたしが持って来るのがおいやなのですか」とわたしはたずねてみた。
「なるほどみんなの話では、おまえは子どもたちの所へ一人ひとり訪ねて行ってくれるということだが、それはありがたいが、といって、わたしたち自分のことばかり考えているわけにはゆかない。それよりかまずおまえのためを考えなければならないのだよ」
「では、わたしだってお父さんのおっしゃるとおりにして、自分の身の上の危険をおそれて、今度の計画をやめてしまえば、やはり自分のことばかり考えて、あなたのことも、それからリーズのことも考えなくてもいいということになりますよ」
お父さんはしばらくわたしの顔をながめていたが、急にわたしの両手を取った。
「まあ、よくおまえ、言っておくれだ。おまえはほんとうに真心がある」
わたしはかれの首にうでをかけた。そのうち、さようならを言う時間が来た。しばらくのあいだかれはだまってわたしをおさえていた。やがていきなりかれはチョッキのかくしを探って、大きな銀時計を引き出した。
「さあ、おまえ、これをあげる」とかれは言った。「これをわたしの形見に持っていてもらいたい。たいした値打ちのものではない。値打ちがあればわたしはとうに売ってしまったろう。時間も確かではない。いけなくなったらげんこでたたきこわしてもいい。でもこれがわたしの持っているありったけだ」
わたしはこんなりっぱなおくり物を断ろうと思ったけれど、かれはそれをわたしのにぎった手に無理におしこんだ。
「ああ、わたしは時間を知る必要はないのだ。時間はずいぶんゆっくりゆっくりたってゆく。それを勘定していたら、死んでしまう。さようなら、ルミや。いつでもいい子でいるように、覚えておいで」
わたしはひじょうに悲しかった。どんなにあの人はわたしに優しくしてくれたであろう。わたしは別れてのち長いあいだ刑務所のドアの回りをうろうろした。ぼんやりわたしはそのまま夜まででも立ち止まっていたかもしれなかったが、ふとかくしにある固い丸いものが手にさわった。わたしの時計であった。
ありったけのわたしの悲しみはしばらくのあいだ忘れられた。わたしの時計だ。自分の時計で時間を知ることができるのだ。わたしは時間を見るために、それを引き出した。昼だ。それは昼であろうと、十時であろうと、十一時であろうと、たいしたことではなかった。でもわたしは昼であるということがたいそううれしかった。それがなぜだか言うのはむずかしい。けれどそういうわけであった。わたしの時計がそう知らせてくれる。なんということだ。わたしにとって時計は相談をしたり、話のできる親友であると思われた。
「時計君、何時だね」
「十二時ですよ、ルミさん」
「おやおや。ではあれをしたり、これをしたりするときだ。いいことをおまえは教えてくれた。おまえが言ってくれなければ、ぼくは忘れるところだったよ」
わたしのうれしいのにまぎれて、カピがほとんどわたしと同様に喜んでいてくれることに気がつかなかった。かれはわたしのズボンのすそを引っ張って、たびたびほえた。かれがほえ続けたときわたしは初めて、かれに注意を向けてやらなければならなかった。
「カピ、なんの用だい」とわたしはたずねた。かれはわたしの顔をながめた。けれどわたしはかれの意味が解けなかった。かれはしばらく待っていたが、やがてわたしの前に来て、時計を入れたかくしの上に前足をのせて立った。かれはヴィタリス親方といっしょに働いていたじぶんと同じように、「ご臨席の貴賓諸君」に時間を申し上げる用意をしていたのであった。
わたしは時計をかれに見せた。かれはしばらく思い出そうと努めるように、しっぽをふりながらそれを、ながめたが、やがて十二度ほえた。かれは忘れてはいなかった。わたしたちはこの時計でお金を取ることができる。これはわたしがあてにしていなかったことであった。
前へ進め、子どもたち。わたしは刑務所に最後の目をくれた。そのへいの後ろにはリーズの父親が閉じこめられているのだ。
それからずんずん進んで行った。なによりもわたしに入り用なものは、フランスの地図であった。河岸通りの本屋へ行けば、それの得られることを知っていたので、わたしは川のほうへ足を向けた。やっとわたしは十五スーで、ずいぶん黄色くなった地図を見つけた。
わたしはそれでパリを去ることができるのであった。すぐわたしはそれをすることに決めた。わたしは二つの道の一つを選ばなければならなかった。わたしはフォンテンブローへの道を選んだ。リュウ・ムッフタールの通りへ来かかると、山のような記憶が群がって起こった。ガロフォリ、マチア、リカルド、錠前のかかったスープなべ、むち、ヴィタリス老人、あの気のどくな善良な親方。わたしをこじきの親分へ貸すことをきらったために、死んだ人。
お寺のさくの前を通ると、子どもが一人かべによっかかっているのを見た。その子はなんだか見覚えがあるように思った。
確かにそれはマチアであった。大きな頭の、大きな目の、優しい、いじけた目つきの子どものマチアであった。けれどかれはちっとも大きくはなっていなかった。わたしはよく見るためにそばへ寄った。ああそうだ、そうだ、マチアであった。
かれはわたしを覚えていた。かれの青ざめた顔はにっこり笑った。
「ああ、きみだね」とかれは言った。「きみは先に白いひげのおじいさんとガロフォリのうちへ来たね。ちょうどぼくが病院へ行こうとするまえだった。ああ、あれからぼくはどんなにこの頭でなやんだろう」
「ガロフォリはまだきみの親方なのかい」
かれは返事をするまえにそこらを見回して、それから声をひそめて言った。
「ガロフォリは刑務所にはいっているよ。オルランドーを打ち殺したので連れて行かれたのだ」
わたしはこの話を聞いてぎょっとした。でもわたしはガロフォリが刑務所に入れられたと聞いてうれしかった。初めてわたしは、あれほどおそろしいものに思いこんでいた刑務所が、これはなるほど役に立つものだと考えた。
「それでほかの子どもたちは」とわたしはたずねた。
「ああ、ぼくは知らないよ。ガロフォリがつかまったときには、ぼくはいなかった。ぼくが病院から出て来ると、ぼくは病気で、もうぶっても役に立たないと思って、あの人はわたしを手放したくなった。そこであの人はわたしを二年のあいだガッソーの曲馬団へ売った。前金で金をはらってもらったのだ。きみはガッソーの曲馬を知っているかい。知らない。うん、それはたいした曲馬団ではないけれど、やはり曲馬は曲馬さ。そこでは子どもを、かたわの子どもを使うのだ。それでガロフォリがぼくをガッソーへ売ったのだ。ぼくはこのまえの月曜までそこにいたが、ぼくの頭がはこの中にはいるには大きすぎるというので、追い出された。曲馬団を出るとぼくはガロフォリのうちへもどったが、うちはすっかり閉まっていた。近所の人に聞いて様子がすっかりわかった。ガロフォリが刑務所へ行ってしまうと、ぼくはどこへ行っていいか、わからない」
「それにぼくは金を持たない」とかれはつけ加えて言った。「ぼくはきのうから一きれのパンも食べない」
わたしも金持ちではなかったけれど、気のどくなマチアにやるだけのものはあった。わたしがツールーズへんをいまのマチアのように飢えてうろうろしていたじぶん、一きれのパンでもくれる人があったら、わたしはどんなにその人の幸福をいのったであろう。
「ぼくが帰って来るまで、ここに待っておいでよ」とわたしは言った。わたしは町の角のパン屋までかけて行って、まもなく一斤買って帰って、それをかれにあたえた。かれはがつがつして、見るまに食べてしまった。
「さて」とわたしは言った。「きみはどうするつもりだ」
「ぼくはわからない。ぼくはヴァイオリンを売ろうかと思っていたところへきみが声をかけた。ぼくはそれと別れるのがこんなにいやでなかったら、とうに売っていたろう。ぼくのヴァイオリンはぼくの持っているありったけのもので、悲しいときにも、一人いられる場所が見つかると、自分一人でひいていた。そうすると空の中にいろんな美しいものが、ゆめの中で見るものよりももっと美しいものが見えるんだ」
「なぜきみは往来でヴァイオリンをひかないのだ」
「ひいてみたけれど、なにももらえなかった」
ヴァイオリンをひいて一文ももらえないことを、どんなによくわたしも知っていたことであろう。
「きみはいまなにをしているのだ」とかれはたずねた。
わたしはなぜかわからなかった。けれどそのときの勢いで、こっけいなほらをふいてしまった。
「ぼくは一座の親方だよ」とわたしは高慢らしく言った。
それは真実ではあったが、その真実はずっとうそのほうに近かった。わたしの一座はたったカピ一人だけだった。
「おお、きみはそんなら……」とマチアが言った。
「なんだい」
「きみの一座にぼくを入れてくれないか」
かれをあざむくにしのびないので、わたしはにっこりしてカピを指さした。
「でも一座はこれだけだよ」とわたしは言った。
「ああ、なんでもかまうものか。ぼくがもう一人の仲間になろう。まあどうかぼくを捨てないでくれたまえ。ぼくは腹が減って死んでしまう」
腹が減って死ぬ。このことばがわたしのはらわたの底にしみわたった。腹が減って死ぬということがどんなことだか、わたしは知っている。
「ぼくはヴァイオリンをひくこともできるし、でんぐり返しをうつこともできる」と、マチアがせかせか息もつかずに言った。「なわの上でおどりもおどれるし、歌も歌える。なんでもきみの好きなことをするよ。きみの家来にもなる。言うことも聞く。金をくれとは言わない。食べ物だけあればいい。ぼくがまずいことをしたらぶってもいい。それはやくそくしておく。ただたのむことは頭をぶたないでくれたまえ。これもやくそくしておいてもらわなければならない。なぜならぼくの頭はガロフォリがひどくぶってから、すっかりやわらかくなっているのだ」
わたしはかわいそうなマチアが、そんなことを言うのを聞くと、声を上げて泣きだしたくなった。どうしてわたしはかれを連れて行くことをこばむことができよう。腹が減って死ぬというのか。でも、わたしといっしょでも、やはり腹が減って死ぬかもしれない場合がある――わたしはそうかれに言ったが、かれは聞き入れようともしなかった。
「ううん、ううん」とかれは言った。「二人いれば飢え死にはしない。一人が一人を助けるからね。持っている者が持っていない者にやれるのだ」
わたしはもうちゅうちょしなかった。わたしがすこしでも持っていれば、わたしはかれを助けなければならない。
「うん、よし、それでわかった」とわたしは言った。
そう言うと、かれはわたしの手をつかんで、心から感謝のキッスをした。
「ぼくといっしょに来たまえ」とわたしは言った。「家来ではなく、仲間になろう」
ハープを肩にかけると、わたしは号令をかけた。
「前へ進め」
十五分たつと、わたしたちはパリを後に見捨てた。
わたしがこの道を通ってパリを出るのは、バルブレンのおっかあに会いたいためであった。どんなにたびたびわたしはかの女に手紙を書いてやって、かの女を思っていること、ありったけの心をささげてかの女を愛していることを、言ってやりたかったかしれなかったが、亭主のバルブレンがこわいので、わたしは思いとどまった。もしバルブレンが手紙をあてにわたしを見つけたら、つかまえてまたほかの男に売りわたすかもしれなかった。かれはおそらくそうする権利があった。わたしは好んでバルブレンの手に落ちる危険をおかすよりも、バルブレンのおっかあから恩知らずの子どもだと思われているほうがましだと思った。
でも手紙こそ書き得なかったが、こう自由の身になってみれば、わたしは行って会うこともできよう。わたしの一座にマチアもはいっているので、わたしはいよいよそうしようと心を決めた。なんだかそれがわけなくできそうに思われた。わたしは先にかれを一人出してやって、かの女が一人きりでいるか見せにやる。それからわたしが近所に来ていることを話して、会いに行ってもだいじょうぶか、それのわかるまで待っている。それでバルブレンがうちにいれば、マチアからかの女にどこか安心な場所へ来るようにたのんで、そこで会うことができるのである。
わたしはこのくわだてを考えながら、だまって歩いた。マチアもならんで歩いていた。かれもやはり深く考えこんでいるように思われた。
ふと思いついて、わたしは自分の財産をマチアに見せようと思った。カバンのふたを開けて、わしは草の上に財産を広げた。中には三枚のもめんのシャツ、くつ下が三足、ハンケチが五枚、みんな品のいい物と、少し使ったくつが一足あった。
マチアは驚嘆していた。
「それからきみはなにを持っている」とわたしはたずねた。
「ぼくはヴァイオリンがあるだけだ」
「じゃあ分けてあげよう。ぼくたちは仲間なんだから、きみにはシャツ二枚と、くつ下二足にハンケチを三枚あげよう。だがなんでも二人のあいだに仲よく分けるのがいいのだから、きみは一時間ぼくのカバンを持ちたまえ。そのつぎの一時間はぼくが持つから」
マチアは品物をもらうまいとした。けれどわたしはさっそく、自分でもひどくゆかいな、命令のくせを出して、かれに「おだまり」と命令した。
わたしはエチエネットの小ばこと、リーズのばらを入れた小さなはこをも広げた。マチアはそのはこを開けて見たがったが、開けさせなかった。わたしはそのふたをいじることすら許さずに、カバンの中にまたしまいこんでしまった。
「きみはぼくを喜ばせたいと思うなら」とわたしは言った。「けっしてはこにさわってはいけない。……これはたいじなおくり物だから」
「ぼくはけっして開けないとやくそくするよ」とかれはまじめに言った。
わたしはまたひつじの毛の服を着て、ハープをかついだが、そこに一つむずかしい問題があった。それはわたしのズボンであった。芸人が長いズボンをはくものではないように思われた。公衆の前へ現れるには、短いズボンをはいて、その上にくつ下をかぶさるようにはいて、レースをつけて、色のついたリボンを結ぶものである。長いズボンは植木屋にはけっこうであろうが……いまはわたしは芸人であった。そうだ、わたしは半ズボンをはかなければならない。わたしはさっそくエチエネットの道具ばこからはさみを出した。
わたしがズボンのしまつをしているうち、ふとわたしは言った。
「きみはどのくらいヴァイオリンをひくか、聞かせてもらいたいな」
「ああ、いいとも」
かれはひき始めた。そのあいだわたしは思い切ってはさみの先をズボンのひざからすこし上の所へ当てた。わたしは布を切り始めた。
けれどこれはチョッキと上着とおそろいにできた、ねずみ地のいいズボンであった。アッケンのお父さんがそれをこしらえてくれたとき、わたしはずいぶん得意であった。けれどいま、それを短くすることをいけないこととは思わない。かえってりっぱになると思っていた。初めはわたしもマチアのほうに気がはいらなかった。ズボンを切るのにいそがしかったが、まもなくはさみを動かす手をやめて、耳をそこへうばわれていた。マチアはほとんどヴィタリス親方ぐらいにうまくひいた。
「だれがきみにヴァイオリンを教えたの」とわたしは手をたたきながら聞いた。
「だれも。ぼくは一人で覚えた」
「だれかきみに音楽のことを話して聞かした人があるかい」
「いいえ、ぼくは耳に聞くとおりをひいている」
「ぼくが教えてあげよう、ぼくが」
「きみはなんでも知っているの。では……」
「そうさ、ぼくはなんでも知っているはずだ。座長だもの」
わたしはマチアに、自分もやはり音楽家であることを見せようとした。わたしはハープをとり、かれを感動させようと思って、名高い小唄を歌った。すると芸人どうしのするようにかれはわたしにおせじを言った。かれはりっぱな才能を持っていた。わたしたちはおたがいに尊敬し合った。わたしは背嚢のふたを閉めると、マチアが代わってそれを肩にのせた。
わたしたちはいちばんはじめの村に着いて興行をしなければならなかった。これがルミ一座の初おめみえのはずであった。
「ぼくにその歌を教えてください」とマチアが言った。「ぼくたちはいっしょに歌おう。もうじきにヴァイオリンで合わせることができるから。するとずいぶんいいよ」
確かにそれはいいにちがいなかった。それでくれるものをたっぷりくれなかったら、「ご臨席の貴賓諸君」は、石のような心を持っているというものだ。
わたしたちが最初の村を通り過ぎると、大きな百姓家の門の前へ出た。中をのぞくとおおぜいの人が晴れ着を着てめかしこんでいた。そのうちの二、三人は襦珍(しゅすの織物)のリボンを結んだ花たばを持っていた。
ご婚礼であった。わたしはきっとこの人たちがちょっとした音楽とおどりを好くかもしれないと思った。そこで背戸へはいって、まっ先に出会った人に勧めてみた。その人は赤い顔をした、大きな、人のよさそうな男であった。かれは高い白えりをつけて、プレンス・アルベール服を着ていた。かれはわたしの問いに答えないで、客のほうへ向きながら、口に二本の指を当てて、それはカピをおびえさせたほどの高い口ぶえをふいた。
「どうだね、みなさん、音楽は」とかれはさけんだ。「楽師がやって来ましたよ」
「おお、音楽音楽」といっしょの声が聞こえた。
「カドリールの列をお作り」
おどり手はさっそく庭のまん中に集まった。マチアとわたしは荷馬車の中に陣取った。
「きみはカドリールがひけるか」と心配してわたしはささやいた。
「ああ」
かれはヴァイオリンで二、三節調子を合わせた。運よくわたしはその節を知っていた。わたしたちは助かった。マチアとわたしはまだいっしょにやったことはなかったが、まずくはやらなかった。もっともこの人たちはたいして音楽のいい悪いはかまわなかった。
「おまえたちのうち、コルネ(小ラッパ)のふける者があるかい」と赤い顔をした大男がたずねた。
「ぼくがやれます」とマチアは言った。「でも楽器を持っていませんから」
「わしが行って探して来る。ヴァイオリンもいいが、きいきい言うからなあ」
わたしはその日一日で、マチアがなんでもやれることがわかった。わたしたちは休みなしに晩までやった。それにはわたしは平気であったが、かわいそうにマチアはひどく弱っていた。だんだんわたしはかれが青くなって、たおれそうになるのを見た。でもかれはいっしょうけんめいふき続けた。幸いにかれが気分が悪いことを見つけたのは、わたし一人ではなかった。花よめさんがやはりそれを見つけた。
「もうたくさんよ」とかの女は言った。「あの小さい子は、つかれきっていますわ。さあ、みんな楽師たちにやるご祝儀をね」
わたしはぼうしをカピに投げてやった。カピはそれを口で受け取った。
「どうかわたくしどもの召使いにお授けください」とわたしは言った。
かれらはかっさいした。そしてカピがおじぎをするふうを見て、うれしがっていた。かれらはたんまりくれた。花むこさまはいちばんおしまいに残ったが、五フランの銀貨をぼうしに落としてくれた。ぼうしは金貨でいっぱいになった。なんという幸せだ。
わたしたちは夕食に招待された。そして物置きの中でねむる場所をあたえてもらった。
あくる朝この親切な百姓家を出るとき、わたしたちには二十八フランの資本があった。
「マチア、これはきみのおかげだよ」とわたしは勘定したあとで言った。「ぼく一人きりでは楽隊は務まらないからねえ」
二十八フランをかくしに入れて、わたしたちは福々であった。コルベイユへ着くと、わたしはさし当たりなくてならないと思う品を二つ三つ買うことができた。第一はコルネ、これは古道具屋で三フランした。それからくつ下に結ぶ赤リボン、最後にもう一つの背嚢であった。代わりばんこに重い背嚢をしょうよりも、てんでんが軽い背嚢をしじゅうしょっているほうが楽であった。
「きみのような、人をぶたない親方はよすぎるくらいだ」とマチアがうれしそうに笑いながら言った。
わたしたちのふところ具合がよくなったので、わたしは少しも早く、バルブレンのおっかあの所に向かって行こうと決心した。わたしはかの女におくり物を用意することができた。わたしはもう金持ちであった。なによりもかよりも、かの女を幸福にするものがあった。それはあのかわいそうなルセットの代わりになる雌牛をおくってやることだ。わたしが雌牛をやったら、どんなにかの女はうれしがるだろう。どんなにわたしは得意だろう。シャヴァノンに着くまえに、わたしは雌牛を買う。そしてマチアがたづなをつけて、すぐとバルブレンのおっかあの背戸へ引いて行く。
マチアはこう言うだろう。「雌牛を持って来ましたよ」
「へえ、雌牛を」とかの女は目を丸くするだろう。「まあおまえさんは人ちがいをしているんだよ」
こう言ってかの女はため息をつくだろう。
「いいえ、ちがやしません」とマチアが答えるだろう。「あなたはシャヴァノン村のバルブレンのおばさんでしょう。そらおとぎ話の中にあるとおり、『王子さま』があなたの所へこれをおくり物になさるのですよ」
「王子さまとは」
そこへわたしが現れて、かの女をだき寄せる。それからわたしたちはおたがいにだき合ってから、どら焼きとりんごの揚げ物をこしらえて、三人で食べる。けれどバルブレンにはやらない。ちょうどあの謝肉祭の日にあの男が帰って来て、わたしたちのフライなべを引っくり返して、自分のねぎのスープに、せっかくのバターを入れてしまったときのように意地悪くしてやる。なんというすばらしいゆめだろう。でもそれをほんとうにするには、まず雌牛から買わなければならない。
いったい雌牛はどのくらいするだろう。わたしはまるっきり見当がつかない。きっとずいぶんするにちがいない。でもまだ……わたしはたいして大きな雌牛は欲しくなかった。なぜなら太っていればいるほど、雌牛は値段が高いから。それに大きければ大きいほど雌牛は食べ物がよけい要るだろう。わたしはせっかくのおくり物が、バルブレンのおっかあのやっかいになってはならないと思う。さしあたりだいじなことは、雌牛の値段を知ることであった。いや、それよりもわたしの欲しいと思う種類の雌牛の値段を知ることであった。幸いにわたしたちはたびたびおおぜいの百姓やばくろうに行く先の村むらで出会うので、それを知るのはむずかしくはなかった。わたしはその日宿屋で出会った初めの男にたずねてみた。
かれはげらげら笑いだした、食卓をどんとたたいた。それからかれは宿屋のおかみさんを呼んだ。
「この小さな楽師さんは、雌牛の価が聞きたいというのだ。たいへん大きなやつでなくて、ごくじょうぶで、乳をたくさん出すのだそうだ」
みんなは笑った。でもわたしはなんとも思わなかった。
「そうです、いい乳を出して、あんまり食べ物を食べないのです」とわたしは言った。
「そうしてその雌牛はたづなに引かれて道を歩くことをいやがらないものでなくってはね」
かれは一とおり笑ってしまうと、今度はわたしと話し合う気になって、事がらをまじめにあつかい始めた。かれはちょうど注文の品を持っていた。それはうまい乳を――正銘のクリームを出すいい雌牛を持っていた――しかもそれはほとんど物を食べなかった。五十エクー出せばその雌牛はわたしの手にはいるはずであった。初めこそこの男に話をさせるのが骨が折れたが、一度始めだすと今度はやめさせるのが困難であった。やっとわたしたちはその晩おそく、とにかくねに行くことができた。わたしはこの男から聞いたことを残らずゆめに見ていた。
五十エクー――それは百五十フランであった。わたしはとてもそんなばくだいな金を持ってはいなかった。ことによってわたしたちの幸運がこの先続けば、一スー一スーとたくわえて百五十フランになることがあるかもしれない。けれどそれにはひまがかかった。そうとすればわたしたちはなによりまずヴァルセへ行ってバンジャメンに会う。その道にできるだけほうぼうで演芸をして歩こう。それから帰り道に金ができるかもしれないから、そのときシャヴァノンへ行って、王子さまの雌牛のおとぎ芝居を演じることにしよう。
わたしはマチアにこのくわだてを話した。かれはこれになんの異議をも唱えなかった。
「ヴァルセへ行こう」とかれは言った。「ぼくもそういう所へは行って見たいよ」
煤煙の町
この旅行はほとんど三月かかったが、やっとヴァルセの村はずれにかかったときに、わたしたちはむだに日をくらさなかったことを知った。わたしのなめし皮の財布にはもう百二十八フランはいっていた。バルブレンのおっかあの雌牛を買うには、あとたった二十二フラン足りないだけであった。
マチアもわたしと同じくらい喜んでいた。かれはこれだけの金をもうけるために、自分も働いたことにたいへん得意であった。実際かれのてがらは大きかった。かれなしには、カピとわたしだけで、とても百二十八フランなんという金高の集まりようはずがなかった。これだけあれば、ヴァルセからシャヴァノンまでの間に、あとの足りない二十二フランぐらいはわけなく得られよう。
わたしたちが、ヴァルセに着いたのは午後の三時であった。きらきらした太陽が晴れた空にかがやいていたが、だんだん町へ近くなればなるほど空気が黒ずんできた。天と地の間に煤煙の雲がうずを巻いていた。
わたしはアルキシーのおじさんがヴァルセの鉱山で働いていることは知っていたが、いったい町中にいるのか、外に住んでいるのか知らなかった。ただかれがツルイエールという鉱山で働いていることだけ知っていた。
町へはいるとすぐわたしはこの鉱山がどのへんにあるかたずねた。そしてそれはリボンヌ川の左のがけの小さな谷で、その谷の名が鉱山の名になっていることを教えられた。この谷は町と同様ふゆかいであった。
鉱山の事務所へ行くと、わたしたちはアルキシーのおじさんのガスパールのいる所を教えられた。それは山から川へ続く曲がりくねった町の中で、鉱山からすこしはなれた所にあった。
わたしたちがその家に行き着くと、ドアによっかかって二、三人、近所の人と話をしていた婦人が、坑夫のガスパールは六時でなければ帰らないと言った。
「おまえさん、なんの用なの」とかの女はたずねた。
「わたしはおいごさんのアルキシー君に会いたいのです」
「ああ、おまえさん、ルミさんかえ」とかの女は言った。「アルキシーがよくおまえさんのことを言っていたよ。あの子はおまえさんを待っていたよ」こう言ってなお、「そこにいる人はだれ」と、マチアを指さした。
「ぼくの友だちです」
この女はアルキシーのおばさんであった。わたしはかの女がわたしたちをうちの中へ呼び入れて休ませてくれることと思った。わたしたちはずいぶんほこりをかぶってつかれていた。けれどかの女はただ、六時にまた来ればアルキシーに会える、いまはちょうど鉱山へ行っているところだからと言っただけであった。
わたしはむこうから申し出されもしないことを、こちらから請求する勇気はなかった。
わたしたちはおばさんに礼を述べて、ともかくなにか食べ物を食べようと思って、パン屋を探しに町へ行った。「わたしはマチアがさぞ、なんてことだ」と思っているだろうと考えて、こんな待遇を受けたのがきまり悪かった。こんなことなら、なんだってあんな遠い道をはるばるやって来たのであろう。
これではマチアが、わたしの友人に対してもおもしろくない感じを持つだろうと思われた。これではリーズのことを話しても、わたしと同じ興味で聞いてはくれないだろうと思った。でもわたしはかれがひじょうにリーズを好いてくれることを望んでいた。
おばさんがわたしたちにあたえた冷淡な待遇は、わたしたちにふたたびあのうちへもどる勇気を失わせたので、六時すこしまえにマチアとカピとわたしは、鉱山の入口に行って、アルキシーを待つことにした。
わたしたちはどの坑道から工夫たちが出て来るか教えてもらった。それで六時すこし過ぎに、わたしたちは坑道の暗いかげの中に、小さな明かりがぽつりぽつり見え始めて、それがだんだんに大きくなるのを見た。工夫たちは手に手にランプを持ちながら、一日の仕事をすまして、日光の中に出て来るのであった。かれらはひざがしらが痛むかのように、重い足どりでのろのろと出て来た。わたしはそののちに、地下の坑道のどん底まではしごを下りて行ったとき、それがどういうわけだかはじめてわかった。かれらの顔はえんとつそうじのようにまっ黒であった。かれらの服とぼうしは石炭のごみをいっぱいかぶっていた。やがてみんなは点燈所にはいって、ランプをくぎに引っかけた。
ずいぶん注意して見ていたのであるが、やはり向こうから見つけてかけ寄って来るまで、わたしたちはアルキシーを見つけなかった。もうすこしでかれを見つけることなしにやり過ごしてしまうところであった。
実際頭から足までまっ黒くろなこの少年に、あのひじの所で折れたきれいなシャツを着て、カラーの前を大きく開けて白い膚を見せながら、いっしょに花畑の道をかけっこしたむかしなじみのアルキシーを見いだすことは困難であった。
「やあ、ルミだよ」とかれはそばに寄りそって歩いていた四十ばかりの男のほうを向いてさけんだ。その人はアッケンのお父さんと同じような、親切な快活な顔をしていた。二人が兄弟であることを思えば、それはふしぎではなかった。わたしはすぐそれがガスパールおじさんであることを知った。
「わたしたちは長いあいだおまえさんを待っていたよ」とかれはにっこりしながら言った。
「パリからヴァルセまではずいぶんありましたよ」とわたしは笑い返しながら言った。
「おまけにおまえさんの足は短いからな」とかれは笑いながら言い返した。
カピもアルキシーを見ると、うれしがっていっしょうけんめいそのズボンのすそを引っ張って、お喜びのごあいさつをした。このあいだわたしはガスパールおじさんに向かって、マチアがわたしの仲間であること、そしてかれがだれよりもコルネをうまくふくことを話した。
「おお、カピ君もいるな」とガスパールおじさんが言った。「おまえ、あしたはゆっくり休んで行きなさい。ちょうど日曜日で、わたしたちにもいいごちそうだ。なんでもアルキシーの話ではあの犬は学校の先生と役者をいっしょにしたよりもかしこいというじゃないか」
わたしはおばさんに対して気持ち悪く感じたと同じくらいこのガスパールおじさんに対しては気持ちよく感じた。
「さあ、子どもどうし話をおしよ」とかれはゆかいそうに言った。「きっとおたがいにたんと話すことが積もっているにちがいない。わたしはこのコルネをそんなにじょうずにふく若い紳士とおしゃべりをしよう」
アルキシーはわたしの旅の話を聞きたがった。わたしはかれの仕事の様子を知りたがった。わたしたちはおたがいにたずね合うのがいそがしくって、てんでに相手の返事が待ちきれなかった。
うちに着くと、ガスパールおじさんはわたしたちを晩飯に招待してくれることになった。この招待ほどわたしをゆかいにしたものはなかった。なぜならわたしたちはさっきのおばさんの待遇ぶりで、がっかりしきっていたから、たぶん門口で別れることになるだろうと、道みちも思っていたからであった。
「さあ、ルミさんとお友だちのおいでだよ」おじさんはうちへはいりかけながらどなった。
しばらくしてわたしたちは夕食の食卓にすわった。食事は長くはかからなかった。なぜなら金棒引きであるこのおばさんは、その晩ごくお軽少のごちそうしかしなかった。ひどい労働をする坑夫は、でもこごと一つ言わずに、このお軽少な夕食を食べていた。かれはなによりも平和を好む、事なかれ主義の男であった。かれはけっしてこごとを言わなかった。言うことがあれば、おとなしい、静かな調子で言った。だから夕食はじきにすんでしまった。
ガスパールおばさんはわたしに、今晩はアルキシーといっしょにいてもいいと言った。そしてマチアにはいっしょに行ってくれるなら、パン焼き場にねどこをこしらえてあげると言った。
その晩それから続いてその夜中の大部分、アルキシーとわたしは話し明かした。アルキシーがわたしに話したいちいちがきみょうにわたしを興奮させた。わたしはもとからいつか一度鉱山の中にはいってみたいと思っていた。
でもあくる日、わたしの希望をガスパールおじさんに話すと、かれはたぶん連れて行くことはできまい、なんでも炭坑で働いている者のほかは、よその人を入れないことになっているからと言った。
「だがおまえ、坑夫になりたいと思えばわけのないことだ」とかれは言った。「ほかの仕事に比べて悪いことはないよ。大道で歌を歌うよりよっぽどいいぜ。アルキシーといっしょにいることもできるしな。なんならマチアさんにも仕事をこしらえてやる。だがコルネをふくほうではだめだよ」
わたしは、ヴァルセに長くいるつもりはなかった。自分の志すことはほかにあった。それでついわたしの好奇心を満たすことなしに、この町を去ろうとしていたとき、ひょんな事情から、わたしは坑夫のさらされているあらゆる危険を知るようになった。
運搬夫
ちょうどわたしたちがヴァルセをたとうとしたその日、大きな石炭のかけらが、アルキシーの手に落ちて、危なくその指をくだきかけた。いく日かのあいだかれはその手に絶対の安静をあたえなければならなかった。ガスパールおじさんはがっかりしていた。なぜならもうかれの車をおしてくれる者はなかったし、かれもしたがってうちにぶらぶらしていなければならなくなったからである。でもそれはかれにはひどく具合の悪いことであった。
「じゃあぼくで代わりは務まりませんか」とかれが代わりの子どもをどこにも求めかねて、ぼんやりうちに帰って来たとき、わたしは言った。
「どうも車はおまえには重たすぎようと思うがね」とかれは言った。「でもやってみてくれようと言うなら、わたしは大助かりさ。なにしろほんの五、六日使う子どもを探すというのはやっかいだよ」
この話をわきで聞いていたマチアが言った。
「じゃあ、きみが鉱山に行っているうち、ぼくはカピを連れて出かけて行って、雌牛のお金の足りない分をもうけて来よう」
明るい野天の下で三月くらしたあいだに、マチアはすっかり人が変わっていた。かれはもうお寺のさくにもたれかかっていたあわれな青ざめた子どもではなかった。ましてわたしが初めて屋根裏の部屋で会ったとき、スープなべの見張りをして、絶えず気のどくな痛む頭を両手でおさえていた化け物のような子ではなかった。マチアはもうけっして頭痛がしなかった。けっしてみじめではなかったし、やせこけても、悲しそうでもなかった。美しい太陽と、さわやかな空気がかれに健康と元気をあたえた。旅をしながらかれはいつも上きげんに笑っていたし、なにを見てもそのいいところを見つけて、楽しがっていた。かれなしにはわたしはどんなにさびしくなることであろう。
わたしたちはずいぶん性質がちがっていた。たぶんそれでかえって性が合うのかもしれなかった。かれは優しい、明るい気質を持っていた。すこしもものにめげない、いつもきげんよく困難に打ちかってゆく気風があった。わたしには学校の先生のようなしんぼう気がなかったから、かれは物を読むことや音楽のけいこをするときにはよくけんかをしそうにした。わたしはずいぶんかれに対して無理を言ったが、一度もかれはおこった顔を見せなかった。
こういうわけで、わたしが鉱山に下りて行くあいだ、マチアとカピが町はずれへ出かけて、音楽と芝居の興行をして、それでわたしたちの財産を増やすという、やくそくができあがった。わたしはカピに向かってこの計画を言い聞かせると、かれはよくわかったとみえて、さっそく賛成の意をほえてみせた。
あくる日、ガスパールおじさんのあとにくっついて、わたしは深いまっ暗な鉱山に下りて行った。かれはわたしにじゅうぶん気をつけるように言い聞かせたが、その警告の必要はなかった。もっとも昼の光をはなれて地の底へはいって行くということには、ずいぶんの恐怖と心配がないではなかった。ぐんぐん坑道を下りて行ったとき、わたしは思わずふりあおいだ。すると、長い黒いえんとつの先に見える昼の光が、白い玉のように、まっ暗な星のない空にぽっつりかがやいている月のように見えた。やがて大きな黒いやみが目の前に大きな口を開いた。下の坑道にはほかの坑夫がはしご段を下りながら、ランプをぶらぶらさげて行くのが見えた。わたしたちはガスパールおじさんが働いている二層目の小屋に着いた。車をおす役に使われているのは、ただ一人「先生」と呼ばれている人のほかは、残らず男の子であった。この人はもうかなりのおじいさんで、若いじぶんには鉱山で大工の仕事をしていたが、あるとき過って指をくだいてからは、手についた職を捨てなければならなかったのであった。
さて坑にはいってまもなく、わたしは坑夫というものが、どういう人間で、どんな生活をしているものだかよく知ることになった。
洪水
それはこういうことからであった。
運搬夫になって、四、五日してのち、わたしは車をレールの上でおしていると、おそろしいうなり声を聞いた。その声はほうぼうから起こった。
わたしの初めの感じはただおそろしいというだけであって、ただ助かりたいと思う心よりほかになにもなかったが、いつもものにこわがるといっては笑われていたのを思い出して、ついきまりが悪くなって立ち止まった。爆発だろうか、なんだろうか、ちっともわからなかった。
ふと何百というねずみが、一連隊の兵士の走るように、すぐそばをかけ出して来た。すると地面と坑道のかべにずしんと当たるきみょうな音が聞こえて、水の走る音がした。わたしはガスパールおじさんのほうへかけてもどった。
「水が鉱坑にはいって来たのです」とわたしはさけんだ。
「ばかなことを言うな」
「まあ、お聞きなさい。あの音を」
そう言ったわたしの様子には、ガスパールおじさんにいやでも仕事をやめて耳を立てさせるものがあった。物音はいよいよ高く、いよいよものすごくなってきた。
「いっしょうけんめいかけろ。鉱坑に水が出た」とかれがさけんだ。
「先生、先生」とわたしはさけんだ。
わたしたちは坑道をかけ下りた。老人もいっしょについて来た。水がどんどん上がって来た。
「おまえさん先へおいでよ」とはしご段まで来ると老人は言った。
わたしたちはゆずり合っている場合ではなかった。ガスパールおじさんは先に立った。そのあとへわたしも続いて、それから「先生」が上がった。はしご段のてっぺんに行き着くまえに大きな水がどっと上がって来てランプを消した。
「しっかり」とガスパールおじさんがさけんだ。わたしたちははしごの横木にかじりついた。でもだれか下にいる人がほうり出されたらしかった、たきの勢いがどっどっとなだれのようにおして来た。
わたしたちは第一層にいた。水はもうここまで来ていた。ランプが消えていたので、明かりはなかった。
「いよいよだめかな」と「先生」は静かに言った。「おいのりを唱えよう、こぞうさん」
このしゅんかん、七、八人のランプを持った坑夫がわたしたちの方角へかけて来て、はしご段に上がろうと骨を折っていた。
水はいまに規則正しい波になって、坑の中を走っていた。気ちがいのような勢いでうずをわかせながら、材木をおし流して、羽のように軽くくるくる回した。
「通気竪坑にはいらなければだめだ。にげるならあすこだけだ。ランプを貸してくれ」と「先生」が言った。
いつもならだれもこの老人がなにか言っても、からかう種にはしても、まじめに気を留める者はなかったであろうが、いちばん強い人間もそのときは精神を失っていた。それでしじゅうばかにしてした老人の声に、いまはついて行こうとする気持ちになっていた。ランプがかれにわたされた。かれはそれを持って先に立ちながら、いっしょにわたしを引っ張って行った。かれはだれよりもよく鉱坑のすみずみを知っていた。水はもうわたしのこしまでついていた。「先生」はわたしたちをいちばん近い竪坑に連れて行った。二人の坑夫はしかしそれは地獄へ落ちるようなものだと言って、はいるのをこばんだ。かれらはろうかをずんずん歩いて行った。わたしたちはそれからもう二度とかれらを見なかった。
そのとき耳の遠くなるようなひどい物音が聞こえた。大津波のうなる音、木のめりめりさける音、圧搾された空気の爆発する音、すさまじいうなり声がわたしたちをおびえさせた。
「大洪水だ」と一人がさけんだ。
「世界の終わりだ」
「おお、神様お助けください」
人びとが絶望のさけび声を立てるのを聞きながら、「先生」は平気な、しかしみんなを傾聴させずにおかないような声で言った。
「しっかりしろ。みんな、ここにしばらくいるうちに、仕事をしなければならない。こんなふうにみんなごたごた固まっていても、しかたがない。ともかくからだを落ち着ける穴をほらなければならない」
かれのことばはみんなを落ち着かせた。てんでに手やランプのかぎで土をほり始めた。この仕事は困難であった。なにしろわたしたちがかくれた竪坑はひどい傾斜になっていて、むやみとすべった。しかも足をふみはずせば下は一面の水で、もうおしまいであった。
でもどうやらやっと足だまりができた。わたしたちは足を止めて、おたがいの顔を見ることができた。みんなで七人、「先生」とガスパールおじさんに、三人の坑夫のパージュ、コンプルー、ベルグヌー、それからカロリーという車おしのこぞう、それにわたしであった。
鉱山の物音は同じはげしさで続いた。このおそろしいうなり声を説明することばはなかった。いよいよわれわれの最後のときが来たように思われた。恐怖に気がくるったようになって、わたしたちはおたがいに探るように相手の顔を見た。
「鉱山の悪霊が復しゅうをしたのだ」と一人がさけんだ。
「上の川に穴があいて、水がはいって来たのでしょう」とわたしはこわごわ言ってみた。
「先生」はなにも言わなかった。かれはただ肩をそびやかした。それはあたかもそういうことはいずれ昼間くわの木のかげで、ねぎでも食べながら論じてみようというようであった。
「鉱山の悪霊なんというのはばかな話だ」とかれは最後に言った。「鉱山に洪水が来ている。それは確かだ。だがその洪水がどうして起こったかここにいてはわからない……」
「ふん、わからなければだまっていろ」とみんながさけんだ。
わたしたちはかわいた土の上にいて、水がもう寄せて来ないので、すっかり気が強くなり、だれも老人に耳をかたむけようとする者がなかった。さっき危険の場合に示した冷静沈着のおかげで、急にかれに加わった権威はもう失われていた。
「われわれはおぼれて死ぬことはないだろう」とかれはやがて静かに言った。「ランプの灯を見なさい。ずいぶん心細くなっているではないか」
「魔法使いみたいなことを言うな。なんのわけだ、言ってみろ」
「おれは魔法使いをやろうというのではない。だがおぼれて死ぬことはないだろう。おれたちは気室の中にいるのだ。その圧搾空気で水が上がって来ないのだ。出口のないこの竪坑はちょうど潜水鐘(潜水器)が潜水夫の役に立つと同じりくつになっているのだ。空気が竪坑にたくわえられていて、それが水のさして来る力をせき止めているのだ。そこでおそろしいのは空気のくさることだ……水はもう一尺(約三〇センチ)も上がっては来ない。鉱山の中は水でいっぱいになっているにちがいない」
「マリウスはどうしたろう」
「鉱坑は水でいっぱいになっている」と言った「先生」のことばで、パージュは三層目で働いていた一人むすこのことを思い出した
「おお、マリウス、マリウス」とかれはまたさけんだ。
なんの返事もなかった。こだまも聞こえなかった。かれの声はわれわれのいる坑の外にはとおらなかった。マリウスは助かったろうか。百五十人がみんなおぼれたろうか。あまりといえばおそろしいことだ。百五十人は少なくとも坑の中にはいっていた。そのうちいく人竪坑に上がったろうか。わたしたちのようににげ場を見つけたろうか。
うすぼんやりしたランプの光が心細くわたしたちのせまいおりを照らしていた。
生きた墓穴
いまや鉱坑の中には絶対の沈黙が支配していた。わたしたちの足もとにある水はごく静かに、さざ波も立てなかった。さらさらいう音もしなかった。鉱坑は水があふれていた。この破りがたいしずんだ重い沈黙が、初め水があふれ出したとき聞いたおそろしいさけび声よりも、もっと心持ちが悪かった。
わたしたちは生きながらうずめられて、地の下百尺(約三〇メートルだが、ここでは深いという意味)の墓の中にいるのであった。わたしたちはみんなこの場合の恐怖を感じていた。「先生」すらもぐんなりしていた。
とつぜんわたしたちは手に温かいしずくの落ちるのを感じた。それはカロリーであった……かれはだまって泣いていた。ふとそのとき引きさかれるようなさけび声が聞こえた。
「マリウス。ああ、せがれのマリウス」
空気は息苦しく重かった。わたしは息がつまるように感じた。耳のはたにぶつぶついう音がした、わたしはおそろしかった。水も、やみも、死も、おそろしかった。沈黙がわたしを圧迫した。
わたしたちの避難所のでこぼこした、ぎざぎざなかべが、いまにも落ちて、その下におしつぶされるような気がしてこわかった。わたしはもう二度とリーズに会うことができないであろう。アーサにも、ミリガン夫人にも、それから好きなマチアにも。
みんなはあの小さいリーズにわたしの死んだことを了解させることができるであろうか。かの女の兄たちや姉さんからの便りをつい持って行ってやることができなかったことを了解させることができようか。それから気のどくなバルブレンのおっかあは……。
「どうもおれの考えでは、だれもおれたちを救うくふうはしていないらしい」とガスパールおじさんはとうとう沈黙を破って言った。「ちっとも音が聞こえない」
「おまえさん、仲間のことをどうしてそんなふうに考えられるかね」と「先生」は熱くなってさけんだ。「いつの鉱山の椿事でも、仲間がおたがいに助け合わないことはなかった。一人の坑夫のことだって、あの二十人百人の仲間がけっして見殺しにはしないじゃないか。おまえさん、それはよく知っているくせに」
「それはそうだよ」とガスパールおじさんがつぶやいた。
「思いちがいをしてはいけないよ。みんなもこちらへ近寄ろうとしていっしょうけんめいやっているのだ。それには二つしかたがある……一つはこのおれたちのいる下まで、トンネルをほるのだ。もう一つは水を干すのだ」
人びとはその仕事を仕上げるにどのくらいかかるかというとりとめのない議論を始めた。結局少なくともこの墓の中にこの後八日ははいっていなければならないことに意見が一致した。八日。わたしも坑夫が二十四日も穴の中に閉じこめられた話は聞いたが、でもそれは「話」であるが、このほうは真実であった。いよいよそれが、どういうことであるか、すっかりわかると、もう回りの人の話なんぞは耳にはいらなかった。わたしはぼんやりした。
また沈黙が続いた。みんなは考えにしずんでいた。そんなふうにして、どのくらいいたか知らないが、ふとさけび声が聞こえた。
「ポンプが動いている」
これはいっしょの声で言われた。いまわたしたちの耳に当たった音は、電流でさわられでもしたように感じた。わたしたちはみんな立ち上がった。ああ、われわれは救われよう。
カロリーはわたしの手を取って固くにぎりしめた。
「きみはいい人だ」とかれは言った。
「いいや、きみこそ」とわたしは答えた。
でもかれはわたしがいい人であることをむちゅうになって主張した。かれの様子は酒に酔っている人のようであった。またまったくそうであった。かれは希望に酔っていたのだ。
けれどわたしたちは空に美しい太陽をあおぎ、地に楽しく歌う小鳥の声を聞くまでに、長いつらい苦しみの日を送らなければならなかった。いったいもう一度日の目を見ることができるだろうか。そう思って苦しい不安の日をこの先送らなければならなかった。わたしたちはみんなひじょうにのどがかわいていた。パージュが水を取りに行こうとした。けれど「先生」はそのままにじっとしていろと言った。かれはわたしたちのせっかく積み上げた石炭の土手がかれのからだの重みでくずれて、水の中に落ちるといけないと気づかったのであった。
「ルミのほうが身が軽い。あの子に長ぐつを貸しておやり。あの子なら、行って水を取って来られるだろう」とかれは言った。
カロリーの長ぐつがわたされた。わたしはそっと土手を下りることになった。
「ちょいとお待ち」と「先生」が言った。「手を貸してあげよう」
「おお、でもだいじょうぶですよ。先生」とわたしは答えた。「ぼくは水に落ちても泳げますから」
「わたしの言うとおりにおし」とかれは言い張った。「さあ、手をお持ち」
かれはしかしわたしを助けようとしたはずみに足をふみはずしたか、足の下の石炭がくずれたか、つるり、傾斜の上をすべって、まっ逆さまに暗い水の中に落ちこんだ。かれがわたしに見せるつもりで持っていたランプは、続いて転がって見えなくなった。
たちまちわたしは暗黒の中に投げこまれた。そこにはたった一つの灯しかなかったのであった。みんなの中から同じさけび声が起こった。幸いにわたしはもう水にとどく位置に下りていた。背中で土手をすべりながら、わたしは老人を探しに水の中にはいった。
ヴィタリス親方と流浪していたあいだに、わたしは泳ぐことも、水にはいることも覚えた。わたしはおかの上と同様、水の中でも楽に働けた。だがこのまっ暗な穴の中で、どうして見当をつけよう。わたしは水にはいったとき、それを少しも考えなかった。わたしはただ老人がおぼれたろうと、そればかり考えた。どこをわたしは見ればいいか、どちらのそばへ泳いで行けばいいか、わたしは困っていると、ふとしっかり肩をつかまえられたように感じた。わたしは水の中に引きこまれた、足を強くけって、わたしは水の面へ出た。手はまだ肩をつかんでいた。
「しっかりおしなさい、先生」とわたしはさけんだ。「首を上に上げていれば助かりますよ」
助かると。どうして二人とも助かるどころではなかった。わたしはどちらへ泳いでいいかわからなかった。
「ねえ、だれか、声をかけてください」とわたしはさけんだ。
「ルミ、どこだ」
こう言ったのはガスパールおじさんの声であった。
「ランプをつけてください」
ランプが暗やみの中から探り出されて、すぐに明かりがついた、わたしはただ手をのばせば土手にさわることができた。片手で石炭のかけらをつかんで、わたしは老人を引き上げた。もう、少しで危ないところであった。
かれはもうたくさんの水を飲んでいて、半分人事不省であった。わたしはかれの頭をうまく水の上に上げてやったので、どうにかかれは上がって来た。仲間はかれの手を取って引き上げる。わたしは後からおし上げた。わたしはそのあとで今度は自分がはい上がった。
このふゆかいな出来事で、しばらくわたしたちの気を転じさせたが、それがすむとまた圧迫と絶望におそわれた。それとともに死が近づいたという考えがのしかかってきた。
わたしはひじょうにねむくなった。この場所はねるのにつごうのいい場所ではなかった。じきに水の中に転がり落ちそうであった。すると「先生」はわたしの危なっかしいのを見て、かれの胸にわたしの頭をつけて、わたしのからだをうででおさえてくれた。かれはたいしてしっかりおさえてはいなかったが、わたしが落ちないだけにはじゅうぶんであった。わたしはそこで母のひざにねむる子どものようにねむった。
わたしが半分目が覚めて身動きすると、かれはただきつくなった自分のうでの位置を変えた。そして自分は動かずにすわっていた。
「お休み、ぼうや」とかれはわたしの上にのぞきこんでささやいた。「こわいことはない。わたしがおさえていてあげるからな」
それでわたしは恐怖なしにねむった。かれがけっして手をはなさないことをわたしはよく知っていた。
救助
わたしたちは時間の観念がなくなった。そこに二日いたか、六日いたか、わからなかった。意見がまちまちであった。もうだれも救われることを考えてはいなかった。死ぬことばかりが心の中にあった。
「先生、おまえの言いたいことを言えよ」とベルグヌーがさけんだ。「おまえ水をかい出すにどのくらいかかるか、勘定していたじゃないか。だがとてもまに合いそうもないぜ。おれたちは空腹か窒息で死ぬだろう」
「しんぼうしろよ」と「先生」が答えた。「おれたちは食べ物なしにどれくらい生きられるか知っている。それでちゃんと勘定がしてあるのだ。だいじょうぶ、まに合うよ」
このしゅんかん、大きなコンプルーが声を立ててすすり泣きを始めた。
「神様の罰だ」とかれはさけんだ。「おれは後悔する。おれは後悔する。もしここから出られたら、おれはいままでした悪事のつぐないをすることをちかう。もし出られなかったら、おまえたち、おれのために神様におわびをしてくれ。おまえたちはあのヴィダルのおっかあの時計をぬすんで、五年の宣告を受けたリケを知っているか……だがおれがそのどろぼうだった。ほんとうはおれがとったのだ。それはおれの寝台の下にはいっている……おお……」
「あいつを水の中にほうりこめ」とパージュとベルグヌーがさけんだ。
「じゃあ、おまえは良心に罪をしょわせたまま神様の前に出るつもりか」と先生がさけんだ。「あの男に懺悔させろ」
「おれは懺悔する、おれは懺悔する」と大力のコンプルーが、子どもよりもっといくじなく泣いた。
「水の中にほうりこめ。水の中にほうりこめ」とパージュとベルグヌーが、「先生」 の後ろに丸くなっていた罪人にとびかかって行きそうにした。
「おまえたち、この男を水の中にほうりこみたいなら、おれもいっしょにほうりこめ」
「ううん、ううん」やっとかれらは水の中に罪人をほうりこむだけはしないことにしたが、それには一つの条件がついた。罪人はすみっこにおしやられて、だれも口をきいてもいけないし、かまってもやるまいというのだった。
「そうだ、それが相当だ」と「先生」が言った。「それが公平な裁きだ」
「先生」のことばはコンプルーに下された判決のように思われたので、それがすむとわたしたちはみんないっしょに、できるだけ遠くはなれて、この悪い事をした人間との間に空き地をこしらえた。数時間のあいだ、かれは悲しみに打たれて、絶えずくちびるを動かしながら、こうつぶやいているように思われた。
「おれはくい改める。おれはくい改める」
やがてパージュとベルグヌーがさけびだした。
「もうおそいや、もうおそいや。きさまはいまこわくなったのでくい改めるのだ。きさまは一年まえにくい改めなければならなかったのだ」
かれは苦しそうに、ため息をついていた。けれどまだくり返していた。
「おれはくい改める。おれはくい改める」
かれはひどい熱にかかっていた。かれの全身はふるえて、歯はがたがた鳴っていた。
「おれはのどがかわいた」とかれは言った。「その長ぐつを貸してくれ」
もう長ぐつに水はなかった。わたしは立ち上がって取りに行こうとした。けれどそれを見つけたパージュがわたしを呼び止めた。同時にガスパールおじさんがわたしの手をおさえた。
「もうあいつにはかまわないとやくそくしたのだ」とかれは言った。
しばらくのあいだ、コンプルーはのどがかわくと言い続けた。わたしたちがなにも飲み物をくれないとみて、かれは自分で立ち上がって、水のほうへ行きかけた。
「あいつ石炭がらをくずしてしまうぞ」
「まあ、自由だけは許してやれ」と「先生」が言った。
かれはわたしがさっき背中で下へすべって行ったのを見ていた。それで自分もそのとおりをやろうとしたが、わたしの身が軽いのとちがって、かれはなみはずれて重かった。それで後ろ向きになるやいなや、石炭の土手が足の下でくずれて、両足をのばし、両手は空をつかんだまま、かれはまっ暗な穴の中に落ちこんだ。
水はわたしたちのいる所まではね上がった。わたしは下りて行くつもりでのぞきこんだが、ガスパールおじさんと「先生」がわたしの手を両方からおさえた。
半分死んだように、恐怖にふるえがら、わたしは席にもどった。
時間が過ぎていった。元気よくものを言うのは「先生」だけであった。けれどそれもわたしたちのしずんでいるのがとうとうかれの精神をもしずませた。わたしたちの空腹はひじょうなものであったから、しまいにはぐるりにあるくさった木まで食べた。まるでけもののようであった。カロリーが中でもいちばん腹をすかした。かれは片っぽの長ぐつを切って、しじゅうなめし皮のきれをかんでいた。空腹がどんなどん底のやみにまでわたしたちを導くかということを見て、正直の話、わたしははげしい恐怖を感じだした。ヴィタリス老人は、よく難船した人の話をした。ある話では、なにも食べ物のないはなれ島に漂着した船乗りが、船のボーイを食べてしまったこともある。わたしは仲間がこんなにひどい空腹に責められているのを見て、そういう運命がわたしの上にも向いて来やしないかとおそれた。「先生」と、ガスパールおじさんだけはわたしを食べようとは思えなかったが、パージュとカロリーと、ベルグヌーは、とりわけベルグヌーは長ぐつの皮を食い切るあの大きな白い歯で、ずいぶんそんなことをしかねないと思った。
一度こんなこともあった。わたしが半分うとうとしていると、「先生」がゆめを見ているように、ほとんどささやくような声で言っていることを聞いてびっくりした。かれは雲や風や太陽の話をしていた。するとパージュとベルグヌーが、とんきょうな様子でかれとおしゃべりを始めた。まるで相手の返事をするのをおたがいに待たないのであった。ガスパールおじさんはかれらの変な様子には気がつかないようであった。この人たちは気がちがったのではないかしら。それだとどうしよう。
ふと、わたしは明かりをつけようと思った。油を倹約するため、わたしたちはぜひ入り用なときだけ明かりをつけることにしていたのである。
明かりを見ると、はたしてかれらはやっと意識をとりもどしたらしかった。わたしはかれらのために水を取りに行った。もういつかしら水はずんずん引いていた。
しばらくしてかれらはまたみょうなふうに話をしだした。わたし自身も心持ちがなんだかぼんやりとりとめなく乱れていた。いく時間も、あるいはいく日も、わたしたちはおたがいにとんきょうなふうでおしゃべりをし続けていた。そののちしばらくするとわたしたちは落ち着いた。で、ベルグヌー[#「ベルグヌー」は底本では「ベリグヌー」]は、いよいよ死ぬなら、そのまえにわれわれは書置きを残して行こうと言った。
わたしたちはまたランプをつけた。ベルグヌーがみんなのために代筆した。そしててんでんがその紙に署名をした。わたしは犬とハープをマチアにやることにした。アルキシーにはリーズの所へ行って、わたしの代わりにかの女にキッスをしてチョッキのかくしにはいっている干からびたばらの花を送ってもらいたいという希望を書いた。ああ、なつかしいリーズ……。
しばらくしてわたしはまた土手をすべり下りた。すると水が著しく減っているのを見た。わたしは急いで仲間の所へかけもどって、もうはしご段の所まで泳いで行けること、それから救助に来た人たちにどの方角ににげていいか聞くことができると告げた。「先生」はわたしの行くことを止めた。けれどわたしは言い張った。
「行っといで、ルミ。おれの時計をやるぞ」とガスパールおじさんがさけんだ。
「先生」はしばらく考えて、わたしの手を取った。
「まあおまえの考えどおりやってごらん」とかれは言った。「おまえは勇気がある。わたしはおまえができそうもないことをやりかけているとは思うが、そのできそうもないことが案外成功することは、これまでもないことではなかったのだから。ささ、おれたちにキッスをおし」
わたしは「先生」とガスパールおじさんにキッスをした。それから着物をぬぎ捨てて、水の中にとびこんだ。
とびこむまえにわたしは言った。
「みんなでしじゅう声を立てていてください。その声で見当をつけるから」
坑道の屋根の下の空き地が、自由にからだの働けるだけ広かろうかとわたしはあやぶんでいた。これは疑問であった。少し泳いでみて、そっと行けば行かれることがわかった。ほうぼうの坑道の出会う場所のそう遠くないことを、わたしは知っていた。けれどわたしは用心しなければならなかった。一度道をまちがえると、それなり迷ってしまう危険があった。坑道の屋根やかべは道しるべにはならなかった。地べたにはレールというもっと確かな道しるべがあった。これについて行けば、たしかにはしご段を見つけることができた。しじゅうわたしは足を下へやって、鉄のレールにさわりながら、またそっと上へうき上がった。後ろには仲間の声が聞こえるし、足の下にはレールがあるので、わたしは道を迷わなかった。後ろの声がだんだん遠くなると、上のポンプの音が高くなった。わたしはぐんぐん進んで行った。ありがたい、もうまもなく日の光が見えるのだ。
坑道のまん中をまっすぐに行きながら、わたしはレールにさわるために、右のほうへ曲がらなければならなかった。すこし行ってから、また水をくぐって、レールにさわりに行った。そこにはレールがなかった。坑道の右左と行ったが、やはりレールはなかった……。
わたしは道をまちがえたのだ。
仲間の声はかすかなつぶやきのように聞こえていた。わたしは深い息を吸いこんで、またとびこんだが、やはり成功しなかった。レールはなかった。
わたしはちがった層にはいったのだ。知らないうちわたしは後もどりしたにちがいない。でもみんな呼ばなくなったのはどうしたのだろう。呼んでいるのかもしれないが、わたしには聞こえなかった。この冷たい、まっ暗な水の中で、どちらへどう向いていいか、わたしは迷った。
するととつぜんまた声が聞こえた。わたしはやっとどちらの道を曲がっていいかわかった。後へ十二ほどぬき手を切って、わたしは右のほうへ曲がった。それから左へ曲がったが、かべだけしか見つからなかった。レールはどこだろう。わたしが正しい層へ出ていることは確かであった。
そのときふとわたしは、レールが津波のために持って行かれたことを確かめた。わたしはもう道しるべがなくなった。そういうわけでは、わたしのくわだてをとげるわけにはゆかない。
わたしはいやでも引っ返さなければならなかった。
わたしは急いで声をあてに避難所のほうへ泳ぎ帰った。だんだん近づくと、仲間の声が先よりもずっとしっかりして、力がはいっているように思われた。わたしはすぐ竪坑の入口に着いた。わたしはすぐ声をかけた。
「帰っておいで、帰っておいで」と「先生」がさけんだ。
「道がわからなかった」とわたしはさけんだ。
「かまわないよ。もうトンネルができかけている。みんなこちらの声を聞いた。こちらでも向こうの声が聞こえる。じきに話ができるだろう」
わたしはすぐとおかに上がって耳を立てた。つるはしの音と、救助のために働いている人たちの呼び声がかすかに、しかしひじょうにはっきりと聞こえて来た。このゆかいな興奮が過ぎると、わたしはこごえていることを感じた。わたしに着せる暖かい着物が別にないので、みんなはわたしを石炭がらの中へ首までうずめた。そしてガスパールおじさんと「先生」がわたしを暖めるために、その上によけい高く積んだ。
もうまもなく救助の人たちがトンネルをぬけて、水について来ることをわたしたちは知った。けれどもこうなってから幽閉の最後の時間がこのうえなく苦しかった。つるはしの音はやまなかったし、ポンプはしじゅう動いていた。ふしぎにだんだん救い出される時間が近づくほど、わたしたちはいくじがなくなった。わたしはふるえながら、石炭がらの中に横になっていたが、寒くはなかった。わたしたちは口をきくことができなかった。
とつぜん坑道の水の中に音がした。頭をふり向けて、わたしは大きな光がこちらにさすのを見た。技師はおおぜいの人の先に立っていた。かれはいちばん先に上がって来た。かれはひと言も言わないうちにわたしをだいた。
もうわたしの正気は失われかけていた。ちょうどきわどいところであった。けれどまだ運ばれて行くという意識だけはあった。わたしは救助員たちが水をくぐって出て行ったあとで、毛布に包まれた。わたしは目を閉じた。
また目を開くと昼の光であった。わたしたちは大空の下に出たのだ。同時にだれかとびついて来た。それはカピであった。わたしが技師のうでにだかれていると、ただ一とびでかれはとびかかって来た。かれはわたしの顔を二度も三度もなめた。そのときわたしの手を取る者があった。わたしはキッスを感じた。それからかすかな声でつぶやくのを聞いた。
「ルミ。おお、ルミ」
それはマチアであった。わたしはかれににっこりしかけた。それからそこらを見回した。
おおぜいの人がまっすぐに、二列になってならんでいた。それはだまり返った群集であった。さけび声を立てて、わたしたちを興奮させてはならないと言つけられたので、かれらはだまっていたが、この顔つきはくちびるの代わりにものを言っていた。いちばん前の列に、なんだか白い法衣と錦襴のかざりが日にかがやいているのをわたしは見た。これはぼうさんたちで、鉱山の口へ来て、わたしたちの救助のためにおいのりをしてくれたのであった。わたしたちが運び出されると、かれらは砂の中にひざまでうずめてすわっていた。
二十本のうでがわたしを受け取ろうとしてさし延べられた。けれど技師はわたしを放さなかった。かれはわたしを事務所へ連れて行った。そこにはわたしたちをむかえる寝台ができていた。
二日ののち、わたしはマチアと、アルキシーと、カピを連れて、村の往来を歩いていた。そばへ来て、目になみだをうかべながら、わたしの手をにぎる者もあった。顔をそむけて行く者もあった。そういう人たちは喪服をつけていた。かれらはこの親もない家もない子が救われたのに、なぜかれらの父親やむすこが、まだ鉱山の中でいたましい死がいになって、暗い水の中をただよっているのであろうか、それを悲しく思っていたのであろう。
音楽の先生
坑の中にいるあいだに、わたしはお友だちができた。あのおそろしい経験をおたがいにし合った仲間が一つに結ばれた。ガスパールおじさんと「先生」は、とりわけたいそうわたしが好きになった。
技師も災難をともにはしなかったが、自分が骨を折って危ういところを救い出した子どもということで、わたしに親しんだ。かれはわたしをそのうちへ招待した。わたしはかれのむすめに坑の中で起こったことを残らず話してやらなければならなかった。
だれもわたしをヴァルセへ引き止めたがった。技師は、わたしが望むなら、事務所で仕事を見つけてやると言った。ガスパールおじさんも鉱山でしじゅうの仕事をこしらえようと言った。かれはわたしが坑へ帰ることがごく自然なように思っているらしかった。かれ自身はもうまもなく、毎日危険をおかすことに慣れた人の見せるようなむとんちゃくさで、また坑へはいって行った。でもわたしはもうそこへ帰って行く気はしなかった。鉱山はひじょうにおもしろかった。それを見たということはたいへんゆかいであったけれど、そこへ帰って行こうとはゆめにも思わなかった。
それよりもわたしはいつも頭の上に大空を、それは雪をいっぱい持った大空でも、いただいていたかった。野外の生活がわたしにはずっと性に合っていた。そう言ってわたしはかれらに話した。だれもおどろいていた。とりわけ「先生」がおどろいていた。カロリーはとちゅうで出会うと、わたしを「やあ、ひよっこ」と呼んだ。
みんながわたしをヴァルセに止めたがって、いろいろ勧めているあいだ、マチアはひどくぼんやりして考えこむようになった。そのわけをたずねると、かれはいつも、なになんでもないと打ち消していた。
いよいよ三日のうちにここを立つことをわたしがかれに話したとき、かれは初めてこのごろふさいでいたわけを語った。
「ああ、ぼくはきみがここにこのまま残って、ぼくを捨てるだろうと思ったから」とかれは言った。
わたしはかれをちょいと打った。それはわたしを疑わないように、訓戒してやるためであった。
マチアはいまではもう自分で自分の身を立てることができるようになっていた。わたしが鉱山にはいっていたあいだ、かれは十八フランもうけた。かれはこのたいそうな金をわたしにわたすとき、ひどく得意であった。なぜならわたしたちがまえから持っている百二十八フランに加えれば、残らずで百四十六フランになるからであった。例の「王子さまの雌牛」はもう四フランあれば買えるのであった。
前へ進め、子どもたち。
荷物を背中へ結びつけてわたしたちは出発した。カピが喜んで、ほえて、砂の中を転げていた。
マチアは、雌牛を買うまでにもう少しお金をこしらえようと言った。金が多いだけいい雌牛が買えるし、雌牛がよければ、よけいバルブレンのおっかあがうれしがるであろう。
パリからヴァルセに来るとちゅう、わたしはマチアに読書と、初歩の楽典を授け始めた。この課業を今度も続けてした。わたしもむろんいい先生ではなかったし、マチアもあまりいい生徒であるはずがなかった。この課業は成功ではなかった。たびたびわたしはおこって、ばたんと本を閉じながら、かれに、「おまえはばかだ」と言った。
「それはほんとうだよ」とかれはにこにこしながら言った。「ぼくの頭はぶつとやわらかいそうだ。ガロフォリがそれを見つけたよ」
こう言われると、どうおこっていられよう。わたしは笑いだしてまた課業を続けた。けれどもほかのことはとにかく、音楽となると、初めからかれはびっくりするような進歩をした。おしまいにはもうわたしの手におえないことを白状しなければならなくなったほど、かれはむずかしい質問を出して、わたしを当惑させた。でもこの白状はわたしをひどくしょげさした。わたしはひじょうに高慢な先生であった。だから生徒の質問に答えることができないのが情けなかった。しかもかれはけっしてわたしを容赦しはしなかった。
「ぼくはほんとうの先生に教わろう」とかれは言った。「そうしてぼく、質問を残らず聞いて来よう」
「なぜ、きみはぼくが鉱山にいるうち、ほんとうの先生から教えてもらわなかった」
「でもぼくはその先生に、きみの金からお礼を出さなければならなかったから」
わたしはマチアが、そんなふうに「ほんとうの先生」などと言うのがしゃくにさわっていた。けれどわたしのばかな虚栄心はかれのいまのことばを聞くと、すうとけむりのように消えて行かなければならなかった。
「きみは人がいいなあ」とわたしは言った。「ぼくの金はきみの金だ。やはりきみがもうけてくれたのだ。きみのほうがたいていぼくよりもよけいもうけている。きみは好きなだけけいこを受けるがいい。ぼくもいっしょに習うから」
さてその先生は、われわれの要求する「ほんとうの先生」は、いなかにはいなかった。それは大きな町にだけいるようなりっぱな芸術家であった。地図を開けてみて、このつぎの大きな町は、マンデであることがわかった。
わたしたちがマンデに着いたのは、もう夜であった。つかれきっていたので、その晩はけいこには行かれないと決めた。わたしたちは宿屋のおかみさんに、この町にいい音楽の先生はいないかと聞いた。かの女はわたしたちがこんな質問を出したので、ずいぶんびっくりしたと言った。わたしたちはエピナッソー氏を知っているべきはずであった。
「ぼくたちは遠方から来たのです」とわたしは言った。
「ではずいぶん遠方から来たんですね、きっと」
「イタリアから」とマチアが答えた。
そう聞くと、かの女はもうおどろかなかった。なるはどそんな遠方から来たのでは、エピナッソー先生のことを聞かなかったかもしれないと言った。
「その先生はたいへんおいそがしいんですか」とわたしはたずねた。そういう名高い音楽家では、わたしたちのようなちっぽけなこぞう二人に、たった一度のけいこなどめんどうくさがってしてくれまいと気づかった。
「ええ、ええ、おいそがしいですとも。おいそがしくなくってどうしましょう」
「あしたの朝、先生が会ってくださるでしょうか」
「それはお金さえ持って行けば、だれにでもお会いになりますよ……むろん」
わたしたちはもちろん、それはわかっていた。
その晩ねに行くまえ、わたしたちはあしたこの有名な先生にたずねようと思っている質問の箇条を相談した。マチアは求めていた「ほんとうの音楽の先生」を見つけたので、うれしがってこおどりしていた。
つぎの朝、わたしたちは――マチアはヴァイオリン、わたしはハープと、てんでんの楽器を持って、エピナッソー先生を訪ねて行くことにした。わたしたちはそういう有名な人を訪ねるのに犬を連れて行く法はないと思ったから、カピは置いて行くことにして、宿屋の馬小屋につないでおいた。
さて宿屋のおかみさんが、先生の住まいだと教えてくれたうちの前へ来たとき、わたしたちは、おやこれはまちがったと思った。なぜなら、そのうちの前には小さな真ちゅうの看板が二枚ぶら下がっていて、それがどうしたって音楽の先生の看板ではなかった。そのうちはどう見ても床屋の店のていさいであった。わたしたちは通りかかった一人の人に向かって、エピナッソー先生のうちを教えてくださいとたのんだ。
「それそこだよ」とその男は言って、床屋の店を指さした。
だがつまり先生が床屋と同居していないはずもなかった。わたしたちは中へはいった。店ははっきり二つに仕切られていた。右のほうにははけだの、くしだの、クリームのつぼだの、理髪用のいすだのが置いてあった。左のほうのかべやたなにはヴァイオリンだの、コルネだの、トロンボンだの、いろいろの楽器がかけてあった。
「エピナッソーさんはこちらですか」とマチアがたずねた。
小鳥のように、ちょこちょこした、気の利いた小男が、一人の男の顔をそっていたが、「わたしがエピナッソーだよ」と答えた。
わたしはマチアに目配せをして、床屋さんの音楽家なんか、こちらの求めている人ではない。こんな人に相談をしても、せっかくの金がむだになるだけだという意味を飲みこませようとしたが、かれは知らん顔をして、もったいぶった様子で一つのいすにこしをかけた。
「そのかたがそれたら、ぼくの髪をかってもらえますか」とかれはたずねた。
「ああ、よろしいとも。なんなら、顔もそってあげましょう」
「ありがとう」とマチアが答えた。わたしはかれのあつかましいのに、どぎもをぬかれた。かれは目のおくからわたしをのぞいて、「そんな困った顔をしないで見ておいで」という様子をした。
そのお客がすんでしまうと、エピナッソー氏は、タオルをうでにかけて、マチアの髪をかる用意をした。
「ねえ、あなた」と、床屋さんがかれの首に布を巻きつけるあいだにマチアが言った。「音楽のことで友だちとぼくにわからないことがあるんです。なんでもあなたは名高い音楽家だと聞いていましたから、二人の争論をあなたにうかがったら、なんとか判断していただけるかと思うのです」
「なんですね、それは」
そこでわたしはマチアの考えていることがわかった。まず先に、かれはわたしたちの質問にこの床屋さんの音楽家が答えることができるか試そうとした。いよいよできるようだったら、かれは散髪の代で、音楽の講義を聞くつもりであった。
マチアは髪をかってもらっているあいだ、いろいろ質問を発した。床屋さんの音楽家はひどくおもしろがって、かれに向けられるいちいちの質問を、ずんずんゆかいそうに答えた。
わたしたちが出かけようとしたとき、かれはマチアに、ヴァイオリンで、なにかひいてごらんと言った。マチアは一曲ひいた。
「いやあ、それでもきみは、音楽の調子がわからないと言うのかい」と床屋さんは手をたたきながら言った。そしてむかしから知り合って愛している子どもに対するようになつかしそうな目で、マチアを見た。
「これはふしぎだ」
マチアは楽器の中からクラリネットを選んで、それをふいた。それからコルネをふいた。
「いやあ、この子は神童だ」とエピナッソー氏はおどり上がって喜んだ。「おまえさん、わたしの所にいれば、大音楽家にしてあげるよ。朝はお客の顔をそるけいこをする。あとは一日音楽をやることにする。わたしが床屋だから、音楽がわからないと思ってはいけない。だれだって毎日のくらしは立てなければならない」
わたしはマチアの顔を見た。なんとかれは答えるであろう。わたしは友だちをなくさなければならないか。わたしの仲間を、わたしの兄弟を失わなければならないか。
「マチア、よくきみのためを考えたまえよ」とわたしは言ったが、声はふるえていた。
「なに、友だちを捨てる」と、かれは自分のうでをわたしのうでにかけながらさけんだ。「そんなことができるものか。でも先生、やはりあなたのご親切はありがたく思っていますよ」
エピナッソー氏はそれでもまだ勧めていた。そしていまにかれをパリの音楽学校へ出す方法を立てる、そうすればかれは確かにりっぱな音楽家になると言った。
「なに、友だちを捨てる、それはどうしたってできません」
「そう、それでは」と床屋さんは残念そうに答えた。「わたしが一冊本をあげよう。わからないことはそれで知ることができる」こう言ってかれは一つの引き出しから、音楽の理論を書いた本を出した。その本は古ぼけて破れていた。けれどそんなことはかまうことではない。ペンを取ってこしをかけて、かれはその第一ページにこう記した。
「かれが有名になったとき、なおマンデの床屋を記憶するであろうその子におくる」
マンデにはほかにも音楽の先生があるかどうか、わたしは知らないけれど、このエピナッソー氏がたった一人知っている人で、しかも一生忘れることのできない人であった。
王子さまの雌牛
わたしはマンデに着くまえにもむろんマチアを愛していたけれど、その町を去るときにはもっともっとかれを愛していた。わたしは床屋さんの前でかれが「なに、友だちを捨てる」とさけんだとき、どんな感じがしたか、ことばで語ることはできなかった。
わたしはかれの手をとって強くにぎりしめた。
「マチア、もう死ぬまではなれないよ」とわたしは言った。
「ぼくはとうからそれはわかっていた」とかれはあの大きな黒い目で、わたしににこにこ笑いかけながら答えた。
なんでもユッセルでさかんな家畜市があるということを聞いたので、わたしたちはそこへ行って、雌牛を買うことに決めた。それはシャヴァノンへ行く道であった。わたしたちは道みち通る町ごとに村ごとに音楽をやって、ユッセルに着いたじぶんには、二百四十フランも金が集まっていた。わたしたちはこれだけの金をためるには、それこそできるだけの倹約をしなければならなかった。でもマチアはわたし同様雌牛を買うことに熱心であった。かれは白い牛を買いたがった。わたしはあのルセットのお形見に、茶色の牛をと思っていた。わたしたちはしかし、どちらにしても、ごくおとなしくって、乳をたくさん出す牛を買うことに意見が一致した。
わたしたちは二人とも、なにを目標に雌牛のよしあしを見分けるか知らなかったから、獣医の世話になることにした。わたしたちはよく牛を買うときに詐欺に会う話を聞いていた。そういう危険をおかしたくはなかった。獣医をたのむことはよけいな費えではあろうけれど、どうもほかにしかたがなかった。ある人は、ごく安い値段で一ぴき買って帰ってみると、しっぽがにせものであったことがわかったという話も聞いた。またある人はごくじょうぶそうな、どこからみてもたくさん乳を出しそうな雌牛を買ったが、二十四時間にコップに二はいの乳しか採れなかったという話もある。ばくろうのやるちょいとした手品で、雌牛はさもたくさん乳を出しそうに見せかけることができた。
マチアはにせもののしっぽだけならなにも心配することはないと言った。なぜなら売り手といよいよ相談を始めるまえに、ありったけの力で雌牛のしっぽに一つずつぶら下がってみればわかるのだからと言った。でもそれがほんとうのしっぽであったら、きっとおなかか頭をうんとひどくけとばされるだろうと言うと、かれの空想はすこしよろめいた。
ユッセルに着いたのは五、六年ぶりであった。あれはヴィタリス親方といっしょで、ここで初めてくぎで止めたくつを買ってくれたのであった。ああ、そのときここから出かけた六人のうち、残っているのは、たったカピとわたしだけであった。
わたしたちは町に着いて、あのときヴィタリスや犬ととまったことのある宿屋に荷物を預けて、すぐ獣医を探し始めた。やがて一人見つけたが、その人は、わたしたちが欲しいという雌牛の様子を話して、いっしょに行って買ってくれるようにと言うと、それをひどくおもしろいことに思ったらしかった。
「でもぜんたいおまえたち子ども二人で、雌牛をなんにするのだね。お金は持っているのかい」とかれはたずねた。
わたしたちはそこで、どのくらい金を持っているか、それをどうしてもうけたかということ、それからわたしが子どものとき世話になったシャヴァノン村のバルブレンのおっかあにおくり物をしておどろかせるつもりだということを話した。かれはするとひじょうに親切らしい熱心を顔に見せて、あした七時に市場へ行って会おうとやくそくした。それでお礼はと言って聞くと、かれはまるっきりそんな物を受け取ることをこばんだ。そして笑いながらわたしたちを送り出して、その時間にはきっと市場へ行くようにと言った。
そのあくる日夜明けから町はごたごたにぎわっていた。わたしたちのとまっている部屋から、馬車や荷車が下の往来のごろごろした石の上をきしって行くのが聞こえた。雌牛はうなるし、ひつじは鳴く。百姓は家畜にどなりつけたり、てんでんにじょうだんを言い合ったりしていた。
わたしたちはいきなり頭から着物をひっかぶって、六時には市場に着いた。獣医が来るまえに、選り取っておこうと思ったからである。
なんという美しい雌牛であろう……いろんな色、いろんな形をしていた。太ったのもあれば、やせたのもあり、子牛を連れたのもあった。馬もいたし、大きな太ったぶたは地べたに穴をほっていた。小さなぽちゃぽちゃした赤んぼうのぶたは、いまにも生きながら皮をはがれでもするようにぶうぶう鳴いていた。
でもわたしたちは雌牛よりほかには目にははいらなかった。それはみんな落ち着いて、おとなしく草を食べていた。かれらはまぶたをばちばち動かすだけで、わたしたちがしつっこく検査するままに任せていた。一時間もかかって調べたのち、わたしたちは十七頭気にいったのを見つけた。その一つ一つにちがった特質があった。色の赤いのもあったし、白いのもあった。もちろんそんなことがいちいちマチアとわたしとの間に議論をひき起こした。やがて獣医がやって来た。わたしたちは好きな雌牛をかれに見せた。
「ぼくはこれがいいと思います」とマチアは白い雌牛を指さしながら言った。
「ぼくはあのほうがいいと思います」とわたしは赤い雌牛を指さして言った。
獣医はしかしその両方の前を知らん顔で通り過ぎて、わたしたちのやりかけた争論を中止させた。そして第三の雌牛に向かった。この牛はほっそりしたすねをして、赤い胴に茶色の耳とほおをして、目は黒くふちをとって、口の回りに白い輪がはいっていた。
「これがおまえさんたちのお望みの牛だ」と獣医が言った。
まったくこれはすばらしかった。マチアとわたしは、今度こそなるほどこれがいちばんいいと思った。獣医はその雌牛のはづな(口につけて引くつな)をおさえていたにぶい顔の百姓に、その雌牛の値段はいくらかとたずねた。
「三百フラン」とその男は答えた。
わたしたちのくちびるは下に下がった。ああ三百フラン。わたしは獣医に向かって、ほかの牛に移らなければという手まねをした。かれはまたかけ合ってみせるという合図をした。そのときはげしい談判が獣医と百姓の間に始まった。わたしたちのかけ合い人は百七十フランまで値切った。百姓は二百八十フランまでまけた。この値段まで下げてくると、獣医は雌牛をもっと批評的に調べ始めた。この雌牛は足が弱かったし、首が短すぎたし、角が長すぎた。肺臓が小さくって、乳首の形が悪かった。どうしてこれではたんと乳は出まい。
百姓はわたしたちが雌牛のことをそんなにくわしく批評するので、きっと世話もよく行き届くだろうから、二百五十フランにまけてあげようと言った。
そうなるとわたしたちは心配になり始めた。マチアもわたしも、ではろくでもない牛にちがいないと思った。
「もっとほかのを見ましょう」とわたしは獣医の手をおさえて言った。それを聞くと、百姓は十フランまけた。それからだんだんにせり下げて、二百十フランまできて、そこで止まった。獣医はわたしのひじをついて、いま雌牛の悪口を言ったのは、本気ではない。ほんとうはすばらしい牛だという意をさとらせた。でも二百十フランはわたしたちにとってはたいした金であった。
そのあいだにマチアは雌牛の後ろへ行って、そのしっぽから一本長い毛を引きぬいた。すると牛はおこって、かれをけりつけた。これでわたしの考えが決まった。
「二百十フランで買おう」わたしは事件が解決したと思って、そう言いながら牛のはづなを取ろうとした。
「おまえさん、つなを持って来たか」と百姓は言った。「わしは牛は売るがはづなは売らないぞ」こう言ってかれは、せっかくおなじみになったのだから、特別ではづなを六十スーで売ってやると言った。はづなは入り用であったから、もうあとそれでわたしのふところには二十スーしか残らないと思いながら、六十スー出した。それで二百十三フランを数えて、それから手を出そうとした。
「おまえさん、なわを持っているか」と百姓は言った。「わしははづなは売っても、なわは売らないぞ」
それで最後の二十スーも消えてしまった。
これで雌牛はとうとうわたしたちの手にわたった。けれどわたしたちは牛に食べ物を買ってやるにも、自分が食べるにも、一スーの金ももう残らなかった。獣医にはていねいに世話になった礼を言って、手をにぎってさようならを言った。そして宿屋に帰ると、雌牛をうまやにつないだ。
きょうは町に市場があるので、ひどくにぎわって、ほうぼうから人が集まってもいたから、マチアとわたしは別べつに出かけて、いくらお金ができるか、やってみることに相談を決めた。
その夕方、マチアは四フラン。わたしは三フランと五十サンチーム持って帰った。七フラン五十サンチームのお金で、わたしたちはまたお金持ちになった。女中にたのんで雌牛の乳をしぼってもらったので、夕食には牛乳があった。これほどうまいごちそうを、わたしたちは味わったことはなかった。わたしたちは乳のいいのにめちゃめちゃにのぼせ上がってしまって、食事がすむとさっそくうまやへ出かけて、わたしたちの宝物をだいてやりに行った。雌牛はいかにも優しくしてもらったのがうれしいらしく、その返礼にわたしたちの顔をなめた。
わたしたちは雌牛をキッスしたり、雌牛からキッスされて感じるゆかいさを人一倍感じるわけがあった。それにはマチアもわたしも、これまでけっして人からちやほやされすぎたことがなかったということを記憶してもらわなければならない。わたしたちの生まれ合わせは、ほかのあまやかされて育った子どもたちが、あんまり多いキッスにへいこうしてそれをさけなければならないのとは、大ちがいであった。
そのあくる朝、わたしたちは太陽といっしょに起きて、シャヴァノン村に向かって出発した。わたしはマチアがあたえてくれた助力に、どれほど感謝していたであろう。かれなしには、わたしはけっしてこんな大金をためることはできなかった。わたしはかれに雌牛を引いて行く楽しみをあたえようと思った。そこでかれはたいへん得意らしく雌牛のつなを引いて行くと、わたしはあとからついて行った。かの女はひじょうにりっぱに見えた。それは大様にすこしゆれながら、自分で自分の値打ちを知っているけものらしく歩いていた。わたしは雌牛をくたびれさせないようにしたいと思ったので、その晩おそくシャヴァノンに着くことはよして、それよりもあしたの朝早く行く計画にした。ところがそのうちにこういうことが起こった。
わたしはその晩、むかし初めてヴィタリス親方ととまって、カピが悲しそうなわたしを見てそばへ来てねてくれた、あの村にとまることにした。
この村にはいるまえにわたしたちはきれいな青い草の生えた所に来た。荷物をほうり出してわたしたちはそこで休むことにした。わたしたちは雌牛をみぞの中に放してやった。初めはなわで引いていようと思ったが、この雌牛はたいへんすなおで、草を食べることによく慣れているようであったので、わたしはしばらくつなを牛の角に巻きつけて、そのそばにこしをかけて晩飯を食べ始めた。もちろんわたしたちは雌牛よりずっとまえに食べてしまった。そこでさんざん雌牛を感心してながめたあとで、これからなにをしようというあてもないので、わたしたちはしばらく遊んでいた。それがすんでも牛はまだ食べていた。わたしがそばへ行くと、雌牛は草の中に固く首をつっこんでいて、まだ腹が減っているというようであった。
「すこし待ってやりたまえ」とマチアが言った。
「だってきみ、雌牛は一日だって食べているんだぜ」とわたしは答えた。
「まあ、しばらく待ってやりたまえ」
わたしたちはもう背嚢と楽器をしょったが、まだ牛はやめなかった。
「ぼくは牛のためにコルネをふいてやる」と、じっとしていられないマチアが言った。「ガッソーの曲馬には、音楽の好きな雌牛がいたよ」
かれはゆかいなマーチをふき始めた。
初めの音で、雌牛は頭を上げた。するととつぜんわたしがかれの角にとびかかってつなをおさえるまもないうちに、かの女はとっとっとかけ出した。わたしたちはいっしょうけんめい、止まれ、止まれと呼びながら、あとから追っかけた。わたしはカピに牛を止めるように声をかけた。だがだれでも万能ということはできない。牛飼い、馬飼いの犬なら鼻づらにとびついたであろうが、カピは牛の足にとびついた。
牛はとうとうわたしたちが通って来た最後の村までかけもどった。道はまっすぐであったから、遠方でもその姿を見ることができた。おおぜいの人が通り道をふさいでつかまえようとしているのも見えた。わたしたちは牛を見失う気づかいはないと思ったので、すこし速力をゆるめた。こうなるとしなければならないことは、牛を止めてくれた人たちから、それを受け取ることであろう。
わたしたちがそこへ着いたとき、おおぜいの人間がもう集まっていた。そしてわたしたとが考えていたように、すぐに牛をわたしてはくれないで、どうして牛を手に入れたか、どこから牛をとって来たかをたずねた。
かれらはわたしたちが牛をぬすんだこと、そして牛は持ち主の所へかけて帰ろうとしたのだということを主張いた。かれらはほんとうのことがわかるまで、わたしたちは牢屋へ行かなければならないと宣告した。牢屋と言われたばかりで、わたしは青くなって、どもり始めた。おまけにさんざんかけて息が切れていたので、ひと言もものが言えなかった。そこへちょうど巡査がやって来た。二言三言で全体の事件が説明された。それを聞いてもいっこうはっきりしないことであったから、とにかくかれは雌牛を預かること、それがわたしたちのものだというあかしの立つまで、わたしたちを拘留することに決めた。村じゅうが行列を作って、わたしたちのあとに続いて、ちょうど警察署をかねていた町の役場までつながった。やじうまがわたしたちをつついたり白い歯を見せたり、ありったけひどい名前で呼んだりした。巡査が保護してくれなかったら、かれらはひどい大罪人でもあるように、わたしたちを私刑に行なったかもしれなかった。
役場を預かっている人で、典獄(刑務所の役人)と代理執行官をかねていた人は、わたしたちを牢に入れることを好まなかった。わたしはなんという親切な人だろうと思ったけれど、巡査はあくまでわたしたちを拘留しなけばならないと言った。そこで典獄は二重になっているドアに、大きなかぎをつっこんで、わたしたちを牢に入れてしまった。中へはいってはじめて、なぜ典獄がわたしたちを中へ入れることをおっくうがったかそのわけがわかった。かれはねぎをこの中へ干しておいた。それがどのこしかけにも置いてあった。かれはそれをみんなすみっこに積み重ねた。わたしたちはからだじゅう捜索されて、金もマッチもナイフも取り上げられた。それからその晩は閉じこめられることになった。
「ぼくをぶってくれたまえ」とわたしたちだけになると、マチアが情けなさそうに言いだした。
「ぼくの耳をぶつか、どうでも気のすむようにしてくれたまえ」
「ぼくも雌牛のそばで、コルネをふかせるなんて、大きなばかだった」とわたしも答えた。
「ああ、ぼくはそれをずいぶん悪いことに思っている」かれはおろおろ声で言った。「かわいそうな雌牛、王子さまの雌牛」とかれは泣き始めた。
そのときわたしはかれに、これはそんなにむずかしいことではないわけを話してなぐさめようとした。
「ぼくたちは雌牛を買ったあかしを立てればいいのだ。ユッセルの獣医の所へ使いをやればいい……あの人が証人になってくれる」
「でもそれを買った金までもぬすんだものだと言われたら」とかれは言った。「わたしたちはそれをもうけた証拠がない。運悪くゆくと、みんなはどこまでも罪人だと思うだろう」
これはまったくであった。
それにさしあたりだれか牛を養ってくれるだろうかと、マチアががっかりして言った。
「まあ、みんなが牛は養っていてくれるだろうよ」
「あしたたずねられたら、なんと言うつもりだ」とマチアが聞いた。
「ほんとうのことを言うさ」
「そうなれば、あの人たちはきみをバルブレンの手にわたすだろう。バルブレンのおっかあが一人きりだったら、あの人に向かってわたしたちの言うことがうそかどうか聞こうとする。そうなればもうあの人の不意を驚かすことができなくなる」
「おやおや」
「きみはバルブレンのおっかあとは長いあいだ別れている。あの人がもう死んでしまって、いないとも限らない」
このおそろしい考えだけはついぞこれまでわたしも起こしたことがなかった。でもヴィタリス老人も死んだ……わたしはかの女までも亡くしたかもわからない、という考えが、どうしてこれまで起こらなかったろう。
「なぜきみはそれを先に言わなかった」とわたしは言った。
「だってつごうのいいじぶんには、そんな考えは起こらなかったからさ。ぼくはきみの雌牛をバルブレンのおっかあにおくるという考えでずいぶんうれしくなっていた。あの人がどんなに喜ぶだろうと思うと、死んでいるかもしれないなんていう考えはてんで起こらなかった」
こう何事につけても悪いはうばかり見るのは、この暗い部屋のせいにちがいなかった。
「それから」とマチアはとび上がって、両うでをふり上げながら言った。「バルブレンのおっかあが死んで、あのこわいバルブレンのほうが生きていて、そこへぼくたちが行ったら、きっと雌牛を取り上げて自分のものにしてしまうだろう」
午後おそくなって、ドアが開かれ、白いひげを生やした老紳士が拘留所にはいって来た。
「こら悪党ども、このかたに答えするのだぞ」といっしょについて来た典獄が言った。
「それでよろしい」と紳士は言った。この人は検事であった。「わしは自分でこの子を尋問する」
こう言ってかれは指でわたしをさし示した。
「きみはもう一人の子を預かっていてもらいたい。そのほうはあとで調べるから」
わたしは検事と二人になった。じっとわたしの顔を見つめながらかれは、わたしが雌牛をぬすんだとがで告発されていることを告げた。
わたしはかれに雌牛をユッセルの市場で買ったことを話して、買うときに世話をしてくれた獣医の名前を言った。
「それは調べることにしよう」とかれは答えた。「さてなんの必要でその雌牛を買ったのだ」
わたしは、それを養母へ愛情のしるしとしておくるつもりであったと言った。
「その女の名は」とかれはたずねた。
「シャヴァノン村のバルブレンのおかみさん」とわたしは答えた。
「ああ、五、六年まえパリで災難に会った石工の家内だな。それも知っている。調べさせよう」
「まあでも……」
わたしはすっかり困ってしまった。わたしの当惑を見つけて、検事は厳しく問いつめた。そこでわたしは、検事がもしバルブレンのおかみさんを調べることになると、せっかくの雌牛がちっとも不意ではなくなること、しかも不意のおくり物でおどろかすというのがわたしたちの第一の目的であったことを告げた。
けれどこんなことでまごまごしている最中に、バルブレンのおっかあのまだ生きていることを知って、わたしは大きな満足を感じた。そのうえわたしに向けられた質問のあいだに亭主のバルブレンがすこしまえパリに帰ってしまったことをも知った。これはわたしをゆかいにした。するうちにとうとうマチアがおそれていた質問が出て来た。
だがどうして雌牛を買うだけの金を得たか。
わたしはパリからヴァルセまで、それからヴァルセからユッセルまで、一スー一スーとこれだけの金を積みたてたことを説明した。
「でもおまえ、ヴァルセではなにをしていた」とかれはたずねた。
それからわたしは、いやでもかれに鉱山の椿事を話さなければならなかった。
「ではおまえたち二人のうち、どちらがルミだ」とかれは声を優しくしてたずねた。
「ぼくです」とわたしは答えた。
「それがほんとうなら、おまえはその事件がどうして起こったか言ってみよ。わたしはその事件を残らず新聞で読んでいる。わたしをあざむくことはできないぞ。おまえがまったくルミであるか、ないか、わたしにはわかる。用心しなさい」
わたしはかれがわたしたちに対してひじょうに優しい心持ちになっていることを見ることができた。わたしはかれに鉱山での経験をくわしく語った。
話をしてしまうと、わたしはほとんど優しくなっていたかれの態度から、すぐにもわたしたちを放免してくれるかと思った。けれどもそうはしないで、かれはわたしを一人心配なまま部屋に残して出て行った。しばらくしてかれは、マチアを連れてもどって来た。
「わたしはユッセルへ、おまえの話の真偽を確かめさせにやる」とかれは言った。「幸いそれが真実なら、あしたは放免してやる」
「それから雌牛は」とマチアは心配そうにたずねた。
「おまえたちに返してやる」
「ぼくの言うのはそうではないんです」とマチアが答えた。「だれか雌牛に食べ物をやっていますか。乳をしぼっていますか」
「まあ、心配しなさんな」と検事が言った。
マチアは満足して、にっこり笑った。
「ああ、では雌牛の乳をしぼったら、ぼくたちも晩にすこしいただけないでしょうか」とかれはたずねた。
「それはいいとも」
わたしたち二人だけになると、わたしはマチアに、ほとんど自分たちが拘留されていることを忘れさせるほどのえらい報告をした。
「バルブレンのおっかあは生きているし、バルブレンはパリへ行っている」とわたしは言った。
「ああ、では『王子さまの雌牛』もいばって乗りこめるわけだね」
かれはうれしがっておどりをおどったり、歌を歌いだした。かれの元気につりこまれて、わたしはかれの手をつかまえた。カピはそのときまですみっこに静かに考えこんで転がっていたが、はね上がって後足で立ちながら、わたしたちの間に割りこんで来た。それからは三人いっしょになってめちゃくちゃにおどり回ったので、典獄なにが始まったかと思って、とびこんで来た。たぶんねぎが気になったのであろう。かれはわたしたちにやめろと言ったが、さっきまでの様子とはだいぶ変わっていた。その様子でわたしはもうたいしたことはないとさとった。そのうえもう一つの証拠には、しばらくたつとかれは大きなはちに牛乳を入れて持って来た。わたしたちの雌牛の乳である。しかもそれだけではなかった。かれは白パンの大きな切れと冷たい子牛の肉を持って来て、これは検事さんからの届け物だと言った。
どうして、こうなると牢屋もそんなに悪い所ではなかった。ただでごちそうを食べさせて、とめてくれるのだもの。
バルブレンのおっかあ
そのあくる朝早く、検事はあのわれわれのお友だちの獣医君といっしょにやって来た。獣医君はなんでもわたしたちが放免になるのを見届けたいといって、わざわざやって来てくれたのであった。
いよいよわたしたちが出て行くときに、検事は一枚、お役所の印をおした紙をくれた。
「そら、これをあげるからね」とかれは言った。「どうも手形も持たないでいなかを歩くなんというのはとんだばかな子どもたちだ。わたしは市長にたのんで、おまえたちにこの旅行券を出してもらった。なんでもこれからは、これだけ見せればおまえたちは保護してもらえる。ではごきげんよう、子どもたち」
わたしはかれと握手した。それから獣医君とも握手した。
わたしたちはみじめなざまで村へはいったが、今度はいばって出て行くのであった。雌牛のつなを引きながら、首を高く上げて歩いて、戸口に立ってわたしたちを見ている村のやつらを肩の上から見てやった。
わたしは雌牛をつかれさせたくなかったが、きょうはどうしてもシャヴァノンまで急いで行かなければならないので、わたしたちはせかせか歩き出した。もう晩がた近く、わたしたちはむかしのうちに着きかけていた。
マチアはどら焼きを食べたことがなかった。そこでわたしは着いたらさっそくこしらえて食べさせるやくそくをして、とちゅうでバターを一ポンドと麦粉を二ポンドに、卵を十二買いこんだ。
わたしたちはいよいよ、初めてヴィタリス親方が、わたしを休ませてくれた場所に着いたので、わたしはあのときこれが見納めだと思ったその場所から、バルブレンのおっかあのうちをもう一度見下ろすことができた。
「つなを持っていてくれたまえ」とわたしはマチアに言った。
一とびでわたしはこしかけの上に乗った。谷の中の景色にはなにも変わったものはなかった。それはそっくり同じに見えた。けむりまで同じようにえんとつから上がっていた。そのけむりがわたしたちのほうへなびいて来ると、かしの葉のにおいがすっと鼻をかすめたように思われた。
わたしはこしかけからとび下りて、マチアをだきしめた。カピがわたしにとびついて来た。わたしは二人をいっしょにして、固く固くしめつけた。
「さあ、こうなれば少しでも早く行こうよ」とわたしはさけんだ。
「情けないことだなあ」とマチアがため息をついた。「このけものさえ音楽が好きなら、どんなにもどうどうと、凱旋の曲を奏しながらはいって行けるのだけれど」
わたしたちが往来の曲がり角まで行くと、バルブレンのおっかあが小屋から出て来て、村の往来の方角へ向かって行くのを見つけた。どうしよう。わたしたちはかの女にいきなり不意討ちを食わせるくわだてをしていた。わたしたちはなにかほかのしかたを考えなければならなくなった。ドアにはいつでもかけ金だけかかっていることを知っていたので、わたしたちは雌牛を牛小屋につないで、ずんずんうちの中にはいって行くことにした。小屋の中はまきがいっぱいはいっていた。そこでわたしたちはそれをすみに積み上げて、ルセットの代わりに連れて来た雌牛を入れた。
それからわたしたちがうちの中にはいると、わたしはマチアに言った。
「じゃあ、それではぼくはこの炉ばたにこしをかけよう。するとはいって来てぼくのここにいるのを見つけるからね。門を開けるときりきりという音がするから、そのとききみはカピといっしょにかくれたまえ」
わたしはむかしいつも冬の晩になるとすわったそのいすの上にかけた。わたしはできるだけ小さく見えるように、背中を丸くしていた。こうして少しでもあのバルブレンのおっかあのかわいいルミに近い様子を作ろうとした。わたしのすわっている所から門はよく見えた。わたしは門のほうに気を取られて見ていた。
なにも変わってはいなかった。なにかが同じ場所にあった。わたしのこわした窓ガラスにはまだ小さな紙がはりつけてあった。それがすすと年代で黒茶けていた。
ふとわたしは白いボンネットを見つけた。門はきりきりと開いた。
「きみ、早くかくれたまえ」とわたしはマチアに言った。
わたしは自分をよけい小さく小さくした。ドアが開いて、バルブレンのおっかあがはいって来た。はいると、かの女は目を丸くしてわたしを見た。
「どなたですえ」とかの女はびっくりしてたずねた。
わたしは返事をしないで、かの女のほうを見た。かの女はわたしを見返した。ふとかの女はふるえだした。
「おやおや、おまえさん、ルミだね」とかの女はつぶやいた。
わたしはとび上がって、かの女を両うででおさえた。
「おっかあ」
「おお、ぼうや、ぼうや」これがかの女の言ったすべてであった。かの女はわたしの肩に頭をのせていた。
数分間たって、わたしたちはやっと感動をおさえることができた。わたしはかの女のなみだをふいてやった。
「まあ、おまえ、なんて大きくおなりだろうねえ」うでいっぱいにわたしをおさえてみてかの女はこうさけんだ。「おまえ、ずいぶん大きくおなりだし、じょうぶそうになったねえ。ええ、ルミ」
息をつめた鼻声で、マチアの寝台の下にいることを思い出したわたしは、かれを呼んだ。かれはのこのこはい出して来た。
「マチアです」とわたしは言った。「ぼくの兄弟のね」
「おお、ではおまえ、ご両親にお会いかえ」とかの女はさけんだ。
「いいや、これはぼくの仲よしです。でもほんとうの兄弟同様なんです。それからこれがカピです」とかの女がマチアとあいさつをすますとわたしはこうつけ加えた。「さあ、カピターノ、ご主人さまのお母さんにごあいさつしろ」
カピは後足で立って、もったいらしくバルブレンのおっかあにおじぎをした。かの女は腹をかかえて笑った。これでかの女のなみだはすっかり消えてしまった。マチアはわたしに向かっていよいよ不意討ちにとりかかれという合図をした。
「さあ、行って庭がどんなふうになっているか見て来よう」とわたしは言った。
「わたしはおまえさんの花畑はそっくりそのままにしておいたよ」とかの女は言った。「いつかおまえがまた帰って来るだろうと思ったからねえ」
「ぼくのきくいもを食べましたか」
「ああ、おまえはわたしに不意討ちを食わせるつもりで、あれを植えたんだね。おまえはいつも人をびっくりさせることが好きだったから」
いよいよそのしゅんかんが来た。
「牛小屋はルセットがいなくなってから、そのままになっているの」とわたしはたずねた。
「いいえ。あすこにはこのごろまきがはいっているよ」
そうかの女が言うころには、わたしたちはもう牛小屋に着いていた。わたしはドアをおし開けた。するとさっそくおなかの減っていた雌牛が「もう」と鳴きだした。
「雌牛だよ。まあ、牛小屋に雌牛がさ」とバルブレンのおっかあがさけんだ。
マチアとわたしはぷっとふき出した。
「これも不意討ちさ」とわたしがさけんだ。「でもきくいもよりかずっといいでしょう」
かの女はぽかんとした顔をして、わたしをながめた。
「ええ、これがおくり物ですよ。ぼくはあの小さな迷子の子どもに、あれほど優しくしてくれたおっかあの所へ、空っ手では帰れなかった。これがルセットの代わりです。マチアとぼくとでもうけたお金でそれを買って来たのです」
「まあ、ねえ」とかの女はさけんで、わたしたち二人にキッスした。
かの女はいまおくり物を検査するために、小屋の中へはいって行った。一つ一つ見つけては、かの女は歓喜のさけび声を立てた。
「なんというりっぱな雌牛でしょうね」とかの女はさけんだ。しばらくするとかの女はとつぜんふり向いた。
「まあおまえ、いまではきっとたいしたお金持ちなんだね」
「お金持ちですとも」とマチアが笑った。「ぼくたちはかくしに五十八スー残っています」
わたしは乳おけを取りにうちへかけて行った。そしてうちの中にいるあいだにバターと卵と麦粉を食卓が上にならべて、それから小屋までかけてもどった。乳おけに美しいあわの立つ乳が七分目まであふれているのを見たときに、どんなにかの女は喜んだであろう。
それからかの女は食卓の上にどら焼きをこしらえる仕度のできあがっているのを見ると、また大喜びをした。そのどら焼きを死ぬほど食べたがっている人がいるのだとわたしは言った。
「ではおまえさんたちはバルブレンさんがパリへ行ったことを知っていたにちがいないね」とかの女は言った。わたしはそこで、それを知ったわけを話した。
「どうしてあの人が行ったか、話してあげよう」とかの女は意味ありげにわたしの顔をながめて言った。
「まあ先にどら焼きを食べようよ」とわたしは言った。「あの人のことは言わないことにしよう。ぼくはあの人が四十フランでぼくを売ったことを忘れない。あの人がこわいんで、あの人がまたぼくを売るのがこわいんで、ぼくはここへ様子を知らせることをがまんしていたのだ」
「ああ、きっとそれはそうだと思うよ」とかの女は言った。「でもバルブレンさんのことを悪くお言いでないよ」
「まあ、どら焼きを食べようよ」とわたしはかの女にぶら下がりながら言った。
わたしたちはみんなでさっそく材料をこなし始めた。そしてまもなく、マチアとわたしはどら焼きに舌つづみをを打った。マチアはこんなうまいものを食べたことはないと言った。わたしたちが一さらを平らげると、すぐにつぎのさらにかかった。カピもおすそわけにあずかりに来た。バルブレンのおっかあは、犬にどら焼きをやるなんてもったいないと言ったが、わたしたちはカピが一座の主な役者で、そのうえ天才であることを説明して、なんによらずだいじにあつかっているのだと言い聞かした。
やがてマチアがあしたの朝使うまきを取りに出て行ったあいだに、かの女はバルブレンがなぜパリへ行ったか話して聞かせた。
「おまえの家族の人たちがおまえを探しているのだよ」とかの女はほとんど聞こえないほどの小声で言った。「バルブレンがパリへ出かけたのは、そのためなのだよ。あの人はおまえを探しているのだよ」
「ぼくの家族」とわたしはさけんだ。「おお、わたしにも家族があるのですか。話してください。残らず。ねえ、おっかあ。バルブレンのおっかあ」
このときふとわたしはこわくなってきた。わたしは自分の一家がほんとうに自分を探していることを信じなかった。バルブレンはまたわたしを売るために、わたしを探そうとしているのだ。今度こそわたしは売られるものか。
こう言ってわたしはバルブレンのおっかあにその心配を話した。けれどかの女はそうではない、わたしの一家がわたしを探しているのだと言った。
それからかの女はいつか一人の紳士がこのうちへやって来て、外国のなまりのあることばで話をして、いく年かまえパリで拾った赤子はどうしたかとバルブレンにたずねたことを話した。するとバルブレンはその人に、ぜんたいそれになんの用があるのだと言ったそうだ。この返事はいかにもバルブレンのしそうな返事であった。
「ほら、パン焼き場から、台所で言っていることはなんでも聞こえるだろう」とバルブレンのおっかあが言った。「二人がおまえさんの話をしているときわたしはむろん聞いていた。わたしはもっとそばに寄って、そこでまきを折っていた。
『おや、だれかいますね』とその紳士はバルブレンに言ったよ。
『ええ、います。なあに家内ですよ』とあの人は答えた。すると、そのお客は『台所はたいへんむし暑いからいっそ外へ出て話しましょう』と言った。二人は出かけて行って、三時間あとでバルブレンだけが一人で帰って来た。わたしはあの人からなにかを残らず聞き出そうとしたが、あの人がやっと言ったことは、さっきのお客がおまえを探していること、でもその人はおまえのお父さんではないこと、それから百フラン、お金をくれたことだけだった。たぶんあの人はそののちもっともらったろう。そういうことがあるし、あの人がおまえさんを拾ったときりっぱな着物をおまえさんが着ていたというから、おまえさんので両親はきっとお金持ちにちがいないと思うのだよ。それからジェロームはパリへ行って来ると言ってね」とかの女は続けた。「おまえさんをやとい入れた音楽師を訪ねるためにね。あの音楽師がおまえさんを連れて行ったときの話では、ルールシーヌ街のガロフォリという男にあてて手紙をやれば着くと言っていたそうだよ」
「それで、バルブレンさんが出かけてから、なにか便りがありましたか」とわたしはたずねた。
「いいえ、ひと言も」とかの女は言った。「わたしはあの人が町のどこに住んでいるかも知らないよ」
ちょうどそこへマチアがはいって来た。わたしは興奮しながら、かれに向かって、わたしにうちのあること、両親がわたしを探していることを話した。かれはわたしのために喜ぶとは言ったが、わたしだけのゆかいと興奮をともに分けて感じているとは見えなかった。
古い友だちと新しい友だち
わたしはその晩すこししかねむらなかった。バルブレンのおっかあはわたしに、パリへ向けてたつこと、そして着いたらすぐにバルブレンを見つけて、せっかく少しでも早くわたしを見つけようとしている両親も喜ばせてやることを勧めた。わたしはかの女と五、六日ここに過ごしたいと望んでいたが、でもかの女の言うことももっともだと思った。
わたしはしかし行くまえにリーズに会いに行かなければならない。それには運河に沿って行ってパリへ行けるのだから、してできないことはなかった。リーズのおじさんは水門の番人をしていて、河岸の小屋に住んでいるのだから、そこへとまってかの女に会うことはできる。
わたしはその日一日バルブレンのおっかあとくらした。夕方わたしたちは、いまにわたしがお金持ちになったら、かの女になにをしてやろうかということを話し合った。かの女は欲しい物をなんでも持たなければならない。わたしにお金ができれば、どんな望みだってかなえてやれないということはないであろう。
「でもおまえがびんぼうでいるあいだにくれた雌牛は、お金持ちになったときくれられるどんな物よりもわたしにはずっとうれしいだろうよ」とかの女はほくほくしながら言った。
そのあくる日、好きなバルブレンのおっかあに優しいさようならを言ってから、わたしたちは運河の岸についで歩き出した。
マチアはたいへん考えこんでいた。そのわけをわたしは知っていた。かれはわたしにお金持ちの両親ができることを悲しがっていた。それがわたしたちの友情に変化を起こすとでも思ったらしかった。わたしはかれに、そうなれば学校へ行って、いちばんえらい先生について音楽を勉強することができるのだからと言ったが、かれは悲しそうに頭をふった。わたしはかれが兄弟としていっしょのうちに住むようになること、わたしの両親もわたしの友だちのことだからそっくりわたし同様に愛してくれるだろうと思ったということを話したが、まだかれは首をふっていた。
しかしさしあたりわたしはまだそのお金持ちの両親の金を使うまでにならないので、通りすがりの村むらで、食べ物を買うお金を取らなければならなかった。それにリーズにおくり物を買ってやるお金も少しこしらえたかった。バルブレンのおっかあはあの雌牛を、わたしがお金持ちになってからなにをもらったよりもずっとありがたいと言ったが、きっときっとリーズもこのおくり物と同じように考えるだろうと思った。わたしはかの女に人形をやろうと思った。幸い人形は雌牛のように高くはなかった。わたしたちが通ったつぎの村で、わたしは美しい髪の毛と、青い目をしたかわいらしい人形をかの女のために買った。
運河の岸を歩きながら、わたしはたびたびミリガン夫人と、アーサと、それからかれらの美しい小舟のことを思い出していた。その小舟に運河の上で出会いはしないかと思っていたが、でもわたしたちはついにそれを見なかった。
とうとうある日の夕方、わたしたちはリーズの住んでいるうちを遠方から見る所まで来た。それは木のしげった中にあった。きりでかすんだ中にあるらしかった。大きな炉の明かりに照らされた窓を見ることもできた。だんだんとそばに近づくに従って、赤みを持った光が、わたしたちの通り道に投げられた。わたしの心臓はとっとっと打った。わたしはかれらがそのうちの中で夕飯を食べている姿を見ることができた。ドアと窓は閉じられていたが、窓にはカーテンがなかったから、わたしは中をのぞきこんで、リーズがおばさんのそばにすわっているところを見た。わたしはマチアとカピに静かにするように合図をして、それから肩からハープを下ろして、それを地べたの上に置いた。
「ああ、なるほど」とマチアがささやいた。「セレナードをやるか。なるほどうまい考えだ」
わたしは例のナポリ小唄の第一節をひいた。声でさとられてはいけないと思って歌は歌わなかった。わたしはひきながら、リーズのほうを見た。かの女は急いで顔を上げたが、その目はかがやいていた。
それからわたしは歌い始めた。かの女はいすからとび下りて、戸口へかけて来た。まもなくかの女はわたしのうでにだかれていた。
カトリーヌおばさんがそれから出て来て、わたしたちを夕飯に呼んでくれた。リーズは急いで食卓の上におさらを二つならべた。
「おいやでなければ」とわたしは言った。「もう一枚おさらを出してください。ぼくたちはもう一人かわいらしいお友だちを連れて来ました」
こう言ってわたしは背嚢から人形を出して、リーズのおとなりのいすにのせた。そのときのかの女の目つきをわたしはけっして忘れることはできない。
バルブレン
パリへ行くのを急ぎさえしなかったら、わたしはリーズの所にしばらく足を止めていたであろう。わたしたちはおたがいにあれほどたくさん言うことがあって、しかもおたがいのことばではずいぶんわずかしか言えなかった。かの女は手まねでおじさんとおばさんがどんなに優しく自分にしてくれるか、船に乗るのがどんなにおもしろいかということを話した。わたしはかの女にアルキシーの働いている鉱山で危なく死にかけたこと、わたしのうちの者がわたしを探していることを話した。それがためパリへも急いで行かなければならないし、エチエネットの所へ会いに行くことができなくなったことを話した。
もちろん話は、たいていお金持ちらしいわたしのうちのことであった。そうしてお金ができたときに、わたしのしようと思ういろいろなことであった。わたしはかの女の父親と、兄さんや姉さんたちをとりわけかの女を幸福にしてやりたいと思った。リーズはマチアとちがってそれを喜んでいた。かの女はお金さえあれば、たいへん幸福になるにちがいないと信じきっていた。だってかの女の父親はただ借金を返すお金さえあったなら、あんな不幸な目に会わなかったにちがいないではないか。
わたしたちはみんなで――リーズとマチアとわたしと三人に、人形とカピまでお供に連れて、長い散歩をした。わたしはこの五、六日ひじょうに幸福であった。夕方まだあまりしめっぽくならないうちは家の前に、それからきりが深くなってからは炉の前にすわった。わたしはハープをひいて、マチアはヴァイオリンかコルネをやった。リーズはハープを好いていたので、わたしはたいへん得意になった。時間がたって、わたしたちが別々にねどこへ行かなければならないときになると、わたしは、かの女のためにナポリ小唄をひいて歌った。
でもわたしたちはまもなく別れて別の道を行かなければならなかった。わたしはかの女にじき帰って来ると言った。かの女に残したわたしの最後のことばは、
「ぼくは今度来るとき、四頭引きの馬車で来て、リーズちゃんを連れて行くよ」というのであった。
そうしてかの女もわたしを信じきって、あたかもむちをふるって馬を追うような身ぶりをした。かの女もまたわたしと同様に、わたしの富とわたしの馬や馬車を目にうかべることができるのであった。
わたしはパリへ行くのでいっしょうけんめいであったから、マチアのために食べ物を買うお金を集めるのに、ときどき足を止めるだけであった。もう雌牛を買うことも、人形を買うこともいらなかった。お金持ちの両親の所へお金を持って行ってやる必要もなかった。
「取れるだけは取って行こうよ」とマチアは言って、無理にわたしがハープを肩からはずさなければならないようにした。「だってパリへ行っても、すぐにバルブレンが見つかるかどうだかわからないからねえ。そうなると、きみはあの晩、空腹で死にそうになったことを忘れていると言われてもしかたがないよ」
「おお、ぼくは忘れはしない」とわたしは軽く言った。「でもきっとあの人は見つかるよ。待っていたまえ」
「ああ、でもあの日、きみがぼくを見つけたとき、お寺のかべにどんなふうによりかかっていたか、ぼくは忘れない。ああ、ぼくはパリで飢えて苦しむのだけはもうつくづくいやだよ」
「ぼくの両親のうちへ行けば、その代わりにたんとごちそうが食べられるよ」とわたしは答えた。
「うん。まあ、なんでも、もう一ぴき雌牛を買うつもりで働こうよ」とマチアは聞かなかった。
これはいかにももっともな忠告であったが、わたしはもうこれまでと同じに精神を打ちこんで歌を歌わなくなったことを白状しなければならない。バルブレンのおっかあのために雌牛を買い、またはリーズのために人形を買うお金を取るということは、まるっきりそれとはちがったことであった。
「きみはお金持ちになったら、どんなになまけ者になるだろう」とマチアは言った。だんだんパリに近くなればなるほど、ますますわたしはゆかいになった。そうしてマチアはますます陰気になった。
わたしたちはどんなにしても別れないと言いきっているのに、どうしてまだかれが悲しそうにしているのか、わたしはわからなかった。とうとうわたしたちはパリの大門に着いたとき、かれはいまでもどんなにガロフォリをこわがっているか、もしあの男に会ったらまたつかまえられるにちがいないという話をした。
「きみはバルブレンをどんなにこわがっていたか。それを思ったら、どんなにぼくがガロフォリをこわがっているかわかるだろう。あの男が牢屋から出ていればきっとぼくをつかまえるにちがいない。ああ、この情けない頭、かわいそうな頭、あの男はどんなにそれをひどくぶったことだろう。そうすればあの男はきっとぼくたちを引き分けてしまう。むろんあの人はきみをも子分にして使いたいであろうが、それをきみには無理にも強いることができないが、ぽくに対してはそうする権利があるのだ。あの人はぼくのおじだからね」
わたしはガロフォリのことはなにも考えていなかった。
わたしはマチアと相談をして、バルブレンのおっかあがそこへ行けば、バルブレンを見つけるかもしれないと言ったいろいろの場所へ行くことにした。それからわたしはリュー・ムッフタールへ行こう。それからノートル・ダーム寺の前でわたしたちは会うことにしよう。
わたしたちはもう二度と会うことがないようなさわぎをして別れた。わたしはこちらの方角へ、マチアは向こうの方角へ向かった。わたしはバルブレンが先に住んでいた場所の名をいろいろ紙に書きつけておいた。それを一つ、一つ、訪ねて行った。ある木賃宿では、かれは四年前そこにいたが、それからはいなくなったと言った。その宿屋の亭主は、あいつには一週間の宿料の貸しがあるから、あの悪党、どうかしてつかまえてやりたいと言っていた。
わたしはすっかり気落ちがしていた。もうわたしの訪ねる所は一か所しか残っていなかった。それはあの料理屋であった。そのうちをやっている男は、もう長いあいだあの男の顔を見ないといったが、ちょうど食卓にすわって食べていたお客の一人が声をかけて、うん、あの男なら、近ごろオテル・デュ・カンタルにとまっていたと言ってくれた。
オテル・デュ・カンタルへ行くまえにわたしはガロフォリのうちへ行って、あの男の様子を見てマチアになにかおみやげを持って帰りたいと思った。そこの裏庭へ行くと、初めて行ったときと同様、あのじいさんがドアの外へきたないぼろをぶら下げているのを見た。
じいさんは返事はしないで、わたしの顔を見て、それからせきをし始めた。その様子で、わたしはガロフォリについてなんでも知っていることをよく向こうにわからせないうちは、この男からなにも聞き出すことができないことをさとった。
「おまえさん、あの人がまだ刑務所にはいっているというのではあるまい」とわたしはさけんだ。「だってあの人はもうよほどまえに出て来たはずではないか」
「ええ、あの人はまた三か月食らったのだよ」
ガロフォリがまた三か月刑務所にはいっている。マチアはほっと息をつくであろう。
わたしはできるだけ早く、このおそろしい路地をぬけ出して、オテル・デュ・カンタルへ急いで行った。わたしは希望と歓喜が胸にいっぱいたたみこまれて、もうすっかりバルブレンのことをよく思いたい気になっていた。バルブレンという男がいなかったなら、わたしは赤んぼうのとき、寒さと飢えのために死んでいたかもしれなかった。なるほどあの男はわたしをバルブレンのおっかあの手からはなして、よその人の手に売りわたしたにはちがいなかった。でもあのときはあの人もわたしに対してべつに愛情もなかったし、たぶんお金のためにいやいやそれをしたのかしれなかった。とにかくわたしが両親を見つけるまでになったのは、あの人のおかげであった。だからもう、あの人に対してけっして悪意を持ってはならないはずであった。
わたしはまもなくオテル・デュ・カンタルに着いた、オテル(旅館)というのは名ばかりのひどい木賃宿であった。
「バルブレンという人に会いたいのです。シャヴァノン村から来た人です」とわたしは写字机に向かっていたきたならしいばあさんに向かって言った。かの女は、ひどいつんぼで、いま言ったことをもう一度くり返してくれと言った。
「バルブレンという人を知っていますか」とわたしはどなった。
そうするとかの女は大あわてにあわてて両手を空へ上げた。その勢いがえらかったので、ひざに乗っかっていたねこが、びっくりしてとび下りた。
「おやおや、おやおや」とかの女はさけんだ。「おまえさんが、あの人のたずねていなすった子どもかい」
「おお、あなた、知っているの」とわたしはむちゅうになってさけんだ。「ではバルブレンさんは」
「死にましたよ」と、かの女は簡潔に答えた。わたしはハープにひょろひょろとなった。
「なに、死んだ」とわたしはかの女に聞こえるほどの大きな声でさけんだ。わたしはくらくらとした。いまはどうして両親を見つけよう。
「おまえさんがみんなの探していなさる子どもだね。そうだ、おまえさんにちがいない」とばあさんはまた言った。
「ええ、ええ、ぼくがその子です。ぼくのうちはどこです。わかりませんか」
「わたしはいま言っただけしか知りませんよ」
「バルブレンさんが、わたしの両親のことをなんとか言っていませんでしたか。おお、話してください」とわたしはせがむように言った。
かの女は天に向かって、高く両うでを上げた。
「ねえ、話してください。なんです。それは」
このしゅんかん、女中のようなふうをした女が出て来た。オテル・デュ・カンタルの女主人はかの女のほうへ向いた。
「たいへんなことではないか。この子どもさんは、この若だんなは、バルブレンさんがあれほど言っていなすったご当人だとよ」
「でもバルブレンにぼくのうちのことをあなたに話しませんでしたか」とわたしはたずねた。
「それは聞きましたよ――百度もね。なんでもたいへん、お金持ちのうちだそうですねえ、若だんな」
「それでどこに住んでいるのです。名前はなんというのです」
「それについてはバルブレンさんは、なにも話をしませんでしたよ。あの人はきみょうな人でしたよ。あの人は自分一人でお礼を残らずもらうつもりでいたのですよ」
「なにか書き物を置いては行きませんでしたか」
「いいえ、ただあの人がシャヴァノン村から来たということを書いたものだけです。その紙でも見つけなかったら、あの人のおかみさんの所へ死んだ知らせを出すこともできないところでしたよ」
「まあ、あなたは知らせてやりましたか」
「むろん、どうしてさ」
わたしはこのばあさんから、なにも知ることができなかった。わたしはしょんぼり戸口のほうへ向かった。
「おまえさん、どこへ行きなさる」とかの女はたずねた。
「友だちの所へ帰ります」
「ははあ、お友だちがありますか。それはパリにいるの」
「ぼくたちはけさ初めてパリへ来たんです」
「へえ、あなたがたは、とまる所がなければ、まあこのうちへおいでなさいな。じゅうぶんお世話もするし、正直なうちですよ。そのおまえさんのおうちの人も、バルブレンさんから返事の来るのを待ちかねなすったら、きっとこのうちへ聞きに来るでしょう。そうすればおまえさんを見つけるはずだ。わたしの言うのはおまえさんのためですよ。お友だちはいくつになんなさる」
「ぼくよりすこし小さいんです」
「まあ、考えてごらん。子どもが二人で、パリの町にうろうろしていたら、ろくなことはありはしないよ」
オテル・デュ・カンタルは、わたしもおよそ知っている限りでいちばんきたならしい宿屋の一つであった。わたしはかなりきたない宿屋をいくつか見ていた。
でもこのばあさんの言ってくれることは考え直す値打ちがあった。それにわたしたちは好ききらいをしてはいられなかった。わたしはまだりっぱなパリ風のやしきに住んでいる自分の家族を見つけなかった。なるほどこうなると道みち集められるだけの金を集めておきたい、とマチアの言ったのはもっともであった。わたしたちのかくしに十七フランの金がなかったらどうしよう。
「友だちとわたしとで部屋の代はいくらです」とわたしはたずねた。
「一日十スーです。たいしたことではないさ」
「なるほど。じゃあ晩にまた来ます」
「早くお帰んなさいよ。パリは夜になると、子どもにはよくない場所だからね」とかの女は後ろから声をかけた。
夜のまくが下りた。街燈はともっていた。わたしは長いこと歩いてノートル・ダームのお寺へ行って、マチアに会うことにした。わたしは元気がすっかりなくなっていた。ひどくつかれて、そこらのものは残らず陰気に思われた。この光と音のあふれた大きなパリでは、わたしはまるっきり独りぼっちであることをしみじみ感じた。わたしはこんなふうでいつか自分の親類を見つけることができるであろうか。いつかほんとの父親と、ほんとの母親に会うことになるであろうか。
やがてお寺へ来たが、マチアを待ち合わせるにはまだ二時間早かった。わたしは今晩いつもよりよけいにかれの友情の必要を感じた。わたしはあんなにゆかいな、あんなに親切な、あれほど友人としてたのもしいかれに会うことにただ一つの楽しい希望を持った。
七時すこしまえにわたしはあわただしいほえ声を聞いた。するとかげからカピがとび出した。かれはわたしのひざにとびついて、やわらかいしめった舌でなめた。わたしはかれを両うでにだきしめて、その冷たい鼻にキッスした。マチアがまもなく姿を現した。二言三言でわたしはバルブレンの死んだこと、自分の家族を見つける望みのなくなったことを告げた。
するとかれはわたしの欲していたありったけの同情をわたしに注いだ。かれはどうにかしてわたしをなぐさめようと努力した。そして失望してはいけないと言った。かれはいっしょになって、まじめに両親を探し出すことのできるようにしようと、心からちかった。
わたしたちはオテル・デュ・カンタルへ帰った。
捜索
そのあくる朝バルブレンのおっかあの所へ手紙を出して、不幸のおくやみを言って、かの女の夫の亡くなるまえに、なにか便りがあったかたずねてやった。
その返事にかの女は、夫が病院から手紙を寄こして、もしよくならなかったら、ロンドンのリンカーン・スクエアで、グレッス・アンド・ガリーといううちへあてて手紙を出すように言って来たことを告げた。それはわたしを探している弁護士であった。なおかれはかの女に向かって、自分が確かに死んだと決まるまでは、手をつけてはならないとことづけて来たそうである。
「じゃあぼくたちはロンドンへ行かなければならない」とわたしが手紙を読んでしまうとマチアが言った。この手紙は村のぼうさんが代筆をしたものであった。「その弁護士がイギリス人だというなら、きみの両親もイギリス人であることがわかる」
「おお、ぼくはそれよりもリーズやなんかと同じ国の人間でありたい。だがぼくがイギリス人なら、ミリガン夫人やアーサと同じことになるのだ」
「ぼくはきみがイタリア人であればよかったと思う」とマチアが言った。
それから数分間のうちにわたしたちの荷物はすっかり荷作りができて、わたしたちは出発した。
パリからボローニュまで道みち主な町で足を止めて、八日がかりでやっとボローニュに着いたとき、ふところには三十二フランあった。わたしたちはそのあくる日ロンドンへ行く貨物船に乗った。
なんというひどい航海であったろう、かわいそうに、マチアはもう二度と海へは出ないと言い切った。やっとのことで、テムズ川を船が上って行ったとき、わたしはかれにたのむようにして、起き上がって外のふしぎな景色を見てくれといった。けれどもかれは、今後も後生だから一人うっちゃっておいてくれとたのんだ。
とうとう機関が運転を止めて、いかりづなはおかに投げられた。そしてわたしたちはロンドンに上陸した。
わたしはイギリス語をごくわずかしか知らなかったが、マチアはガッソーの曲馬団でいっしょに働いていたイギリス人から、たんとことばを教わっていた。
上陸するとすぐ巡査に向かって、リンカーン・スクエアへ行く道を聞いた。それはなかなか遠いらしかった。たびたびわたしたちは道に迷ったと思った。けれどももう一度たずねてみて、やはり正しい方向に向かって歩いていることを知った。とうとうわたしたちはテンプル・バーに着いた。それから二、三歩行けばリンカーン・スクエアへ着くのであった。
いよいよグレッス・アンド・ガリー事務所の戸口に立ったとき、わたしはずいぶんはげしく心臓が鼓動した。それでしばらくマチアに気の静まるまで待ってもらわねばならなかった。マチアが書記にわたしの名前と用事を述べた。
わたしたちはすぐとこの事務所の主人であるグレッス氏の私室へ通された。幸いにこの紳士はフランス語を話すので、わたしは自身かれと語ることができた。かれはわたしに向かってこれまでの細かいことをいちいちたずねた。わたしの答えはまさしくわたしがかれのたずねる少年であることを確かめさせたので、かれはわたしに、ロンドンに住んでいるわたしの一家のあること、そしてさっそくそこへわたしを送りつけてやるということを話した。
「ぼくにはお父さんがあるんですか」とわたしは、やっと「お父さん」ということばを口に出した。
「ええ、お父さんばかりではなく、お母さんも、男のご兄弟も、女のご姉妹もあります」とかれは答えた。
「へえ」
かれはベルをおした。書記が出て来ると、かれはその人にわたしたちの世話をするように言いつけた。
「おお、忘れていました」とグレッス氏が言った。「あなたの名字はドリスコルで、あなたのお父上の名前は、ジョン・ドリスコル氏です」
グレッス氏のみにくい顔は好ましくなかったが、わたしはそのときよほどかれにとびついてだきしめようと思った。しかしかれはその時間をあたえなかった。かれの手はすぐに戸口をさした。で、わたしたちは書記について外へ出た。
ドリスコル家
往来へ出ると、書記は辻馬車を呼んで、わたしたちに中へとびこめと言いつけた。きみょうな形の馬車で、上からかぶさっているほろの後ろについたはこに、御者がこしをかけていた。あとでこれがハンサム馬車というものだということを知った。
マチアとわたしはカピを間にはさんですみっこにだき合っていた。書記が一人であとの席を占領していた。マチアはかれが御者に向かって、ベスナル・グリーンへ馬車をやれと言いつけているのを聞いた。御者はそこまで馬車をやることをあまり好まないように見えた。マチアとわたしは、きっとそこは遠方なせいであろうと思った。
わたしたち二人はグリーン(緑)というイギリス語がどういう意味だか知っていた。ベスナル・グリーンはきっとわたしの一家の住んでいる大きな公園の名前にちがいなかった。長いあいだ馬車はロンドンのにぎやかな町を走って行った。それはずいぶん長かったから、そのやしきはきっと町はずれにあるのだと思った。グリーンということばから考えると、それはいなかにあるにちがいないと思われた。でも馬車から見るあたりの景色はいっこうにいなからしい様子にはならなかった。わたしたちはひどくごみごみした町へはいった。まっ黒などろが馬車の上にはね上がった。それからわたしたちはもっとひどいびんぼう町のはうへ曲がって、ときどき御者も道がわからないのか、馬車を止めた。
とうとうかれはすっかり馬車を止めてしまった。ハンサムの小窓を中に、グレッス・アンド・ガリーの書記さんと、困りきった御者との間におし問答が始まった。なんでもマチアが聞いたところでは、御者はもうとても道がわからないと言って、書記にどちらの方角へ行けばいいか、たずねているのであった。書記は自分もこんなどろぼう町へなんかこれまで来たことがなかったからわからないと答えた。わたしたちはこの「どろぼう」ということばが耳に止まった。すると書記はいくらか金を御者にやって、わたしたちに馬車から下りろと言った。御者はわたされた賃金を見て、ぶつぶつ言っていたが、やがてくるりと方向を変えて馬車を走らせて行った。
わたしたちはいまイギリス人が「ジン酒の宮殿」と呼んでいる酒場の前の、ぬかるみの道に立った。案内の先生はいやな顔をしてそこらを見回して、それからその「ジン酒の宮殿」の回転ドアを開けて中へはいった。わたしたちはあとに続いた。わたしたちはこの町でもいちばんひどい場所にいるのであったが、またこれほどぜいたくな酒場も見なかった。そこには金ぶちのわくをはめた鏡がどこにもここにもはめてあって、ガラスの花燭台と、銀のようにきらきら光るりっぱな帳場があった。けれどもそこにいっぱい集まっている人たちは、どれもよごれたぼろをかぶった人たちであった。
案内者は例のりっぱな帳場の前についであった一ぱいの酒をがぶ飲みにして、それから給仕の男に自分の行こうとする場所の方角を聞いた。確かにかれは求めた返事を得たらしく、また回転ドアをおして外へ出た。わたしたちはすぐあとについて出た。
通りはいよいよせまくなって、こちらのうちから向こうのうちへ物干しのつなが下がって、きたならしいぼろがかけてあった。その戸口にこしをかけていた女たちは、青い顔をして、よれよれな髪の毛が肩の上までだらしなくかかっていた。子どもたちはほとんど裸体で、たまたま二、三人着ているのも、ほんのぼろであった。路地にはぶたが、たまり水にぴしゃぴしゃ鼻面をつけて、そこからはくさったようなにおいがぷんと立った。
案内者はふと立ち止まった。かれは道を失ったらしかった。けれどちょうどそのとき一人の巡査が出て来た。書記がかれに話すと、巡査は自分のあとからついて来いと言った……わたしたちは巡査について、もっとせまい往来を歩いた。最後にわたしたちはある広場に立ち止まった。
そのまん中には小さな池があった。
「これがレッド・ライオン・コートだ」と巡査は言った。なぜわたしたちはここで止まったのであろう。わたしの両親がこんな所に住んでいるものであろうか。巡査は一けんの木小屋のドアをたたいた。案内人はかれに礼を言っていた。ではわたしたちは着いたのだ。マチアはわたしの手を取って、優しくにぎりしめた。わたしもかれの手をにぎった。わたしたちはおたがいに了解し合った。わたしはゆめの中をたどっているような気がしていると、ドアが開いて、わたしたちは勢いよく火の燃えている部屋にはいった。
その火の前の大きな竹のいすに、白いひげを生やした老人がこしをかけていた。その頭にはすっぽり黒いずきんをかぶっていた。一つの机に向かい合って四十ばかりの男と、六つばかり年下の女がこしをかけていた。かの女はむかしはなかなか色が白かったらしいなごりをとどめていたが、いまでは色つやもぬけて、様子はそわそわ落ち着かなかった。それから四人子どもがいた――男の子が二人、女の子が二人――みんな女親に似てなかなか色白であった。いちばん上の男の子は十一ばかりで、いちばん下の女の子は三つになるかならないようであった。
わたしは書記がその人になんと言っていたのかわからなかった。ただドリスコルという名前が耳に止まった。それはわたしの名字だとさっき弁護士が言った。
みんなの目はマチアとわたしに向けられた。ただ赤んぼうの女の子だけがカピに目をつけていた。
「どちらがルミだ」と主人はフランス語でたずねた。
「ぼくです」とわたしは言って、一足前へ進んだ。
「では来て、お父さんにキッスをおし」
わたしはまえからこのしゅんかんのことをゆめのように考えては、きっともうそのときは幸福に胸がいっぱいになりながら、父親のうでにとびついてゆくだろうと想像していた。けれどいまはまるでそんな感じは起こらなかった。でもわたしは進んで行って父親にキッスした。
「さあ」とかれは言った。「おまえのおじいさんも、お母さんも、弟や妹たちもいるよ」
わたしはまず母親の所へ行って、両うでをからだにかけた。かの女はわたしにキッスをさせた。けれどわたしの愛情には報いてくれなかった。かの女はただわたしにわからないことを二言三言いった。
「おじいさんと握手をおし」と父親が言った。「そっとおいでよ。中気なのだから」
わたしはまた弟たちや、女の姉妹と握手した。小さい子をうでにだき上げようとしたが、かの女はすっかりカピに気を取られていて、わたしをおしのけた。わたしはむなしくそここことめぐって歩いて、しまいには自分に腹立たしくなった。
なぜやっとのことで自分のうちを見つけたのに、すこしもうれしく感じることができないのか。わたしは父親に母親に、兄弟に、祖父まである。わたしはこのしゅんかんをどんなに望んでいたろう。わたしもほかの子どもと同様に、自分のものと呼んで愛し愛されるうちを持つことを考えて、その喜びに気がくるいそうになったことがあった……それがいま自分の一家をふしぎそうにながめるばかりで、心のうちにはなにも言うことがない。一言の愛情のことばが出て来ないのである。わたしはけものなのであろうか。わたしがもし両親をこんなびんぼうな小屋でなく、りっぱなごてんの中で見いだしたなら、もっと深い愛情が起こったであろうか。わたしはそれを考えてはずかしく思った。
そう思ってわたしはまた母親のそばへ寄って、両うでをかけてしたたかかの女のくちびるにキッスした。まさしくかの女はなんのつもりで、わたしがこんなことをするのかわからなかった。だからわたしのキッスを返そうとはしないで、きょときょとした様子でわたしの顔をながめた。それから夫、すなわちわたしの父親のほうへ向いて肩をそびやかした。そしてなにかわたしにわからないことを言うと、夫はふふんと笑った。かの女の冷淡と、わたしの父親の嘲笑とが深くわたしの心を傷つけた。
わたしの愛情はそんなふうにして受け取らるべきものでないとわたしは思った。
「あれはだれだ」と父親はマチアを指さしながら聞いた。わたしはかれに向かってマチアがいちばん仲のいい友だちであって、ずいぶん世話になっていることを話した。
「よしよし」と父親は言った。「あの子もうちにとまって、いなかを見物するがよかろう」
わたしはマチアの代わりに答えようとしたが、かれが先に口をきいた。
「それはぼくもけっこうです」とかれはさけんだ。
わたしの父親はなぜバルブレンがいっしょに来ないかとたずねた。わたしはかれにバルブレンの死んだことを告げた。かれはそれを聞いて喜んでいるようであった。かれはそのとおりを母親にくり返して言うと、かの女もやはり喜んでいるようであった。どうしてこの二人は、バルブレンの死んだことを喜んでいるのか。
「おまえは、わたしたちが十三年もおまえをたずねなかったことをふしぎに思っているかもしれない」と父親が言った。「しかも急にまた思い出したように出かけて行って、おまえを赤んぼうのじぶん拾った人を訪ねたのだからなあ」
わたしはかれに自分のたいへんおどろいたこと、それからそれまでの様子をくわしく聞きたいことを話した。
「では炉ばたへおいで。残らず話してあげるから」
わたしは肩から背嚢を下ろして、勧められたいすにこしをかけた。わたしがぬれてどろをかぶった足を炉にのばすと、祖父はうるさい古ねこが来たというように、つんと向こうを向いてしまった。
「おかまいでない」と父親は言った。「あのじいさんはだれも火の前に来ることをいやがるのだ。けれどおまえ、寒ければかまわないよ」
わたしはこんなふうに老人に対して口をきくのを聞いてびっくりした。わたしはいすの下に足を引っこめた。そのくらいな心づかいはしなければならなとわたしは考えた。
「おまえはこれからわたしの総領むすこだ」と父親が言った。「母さんと結婚して一年たっておまえは生まれたのさ。わたしがいまの母さんと結婚するとき、そのまえからてっきり自分と結婚するものと思っていたある若いむすめがもう一人あった。それが結婚のできなかったくやしまぎれに、生まれて六月目のおまえをぬすみ出して行った。わたしたちはほうぼうおまえを探したが、パリより遠くへはどうにも行けなかった。わたしたちはおまえが死んだものと思っていたが、つい三月まえ、このぬすんだ女が死んでね。死にぎわにわたしに悪事を白状したのだ。わたしはさっそくフランスへ出かけて行って、おまえが捨てられた地方の警察から、初めておまえがシャヴァノン村のバルブレンという石屋のうちに養われていることを聞いた。わたしはバルブレンを探して、今度その人からおまえがヴィタリスという旅の音楽師にやとわれて行ったこと、フランスの町じゅうを歩き回っていることを聞いた。わたしはいつまでもあちらに逗留してもいられないので、バルブレンにいくらかお金をやって、おまえを探すようにたのんだ。そうしてわかりしだいグレッス・アンド・ガリーへそう言って寄こすようにした。わたしはあのバルブレンにここの住まいを知らせておかなかったというわけは、わたしたちは冬のあいだだけロンドンにいるので、あとはずっとイギリスとスコットランドの地方を旅行して歩いているのだからね。わたしたちの商売は旅商人なのだよ。まあそんなふうにして、十三年目におまえがわたしたちの所へ帰って来たというわけだ。おえはわたしたちのことばがわからないのだから、はじめはすこしきまりが悪いかもしれないが、じきにイギリス語を覚えて、兄弟たちと話ができるようになるだろう。それはもうわけなく慣れるよ」
そうだ、もちろんわたしはかれらに慣れなければならない。かれらはわたしの一家の者ではないか。それはりっぱな絹の産着で想像したところと、目の前の事実とはこのとおりちがっていた。でもそれがなんだ。愛情は富よりもはるかに貴い。わたしがあこがれていたのは金ではない、ただ愛情である。愛情が欲しかったのだ。家族が、うちが、欲しかったのだ。
わたしの父親がこの話をしているあいだに、かれらは晩餐の食卓をこしらえた。焼き肉の大きな一節にばれいしょをそえたものが、食卓のまん中に置かれた。
「おまえたち、腹が減っているか」と父親がマチアとわたしに向かってたずねた。マチアは白い歯を見せた。
「うん、机におすわり」
しかし席に着くまえに、かれは祖父の竹のゆりいすを食卓に向けた。それから自分の席をしめながら、かれは焼き肉を切り始めた。背中を火に向けて、みんなに一つずつ、大きな切れといもを分けた。
わたしはいい境遇の中に育ったわけではないが、兄弟たちの食卓の行儀がひどく悪いことは目についた。かれらはたいてい指で肉をつかんで食べて、がつがつ食い欠いたり、父母の気がつかないようにしゃぶったりした。祖父にいたっては自分の前ばかりに気を取られて、自由の利く片手でしじゅうさらから口へがつがつ運んでいた。そのふるえる指先から肉を落とすと、兄弟たちはどっと笑った。
わたしたちは食事がすんでから、その晩は炉ばたに集まってくらすことと思っていた。けれども父親は友だちが来るからと言って、わたしたちにねどこに行くことを命じた。マチアとわたしに手まねをして、かれはろうそくを持って先に立ちながら、食事をした部屋の外にあるうまやへ連れて言った。そのうまやには荷台まで大きな屋台付馬車があった。かれはその一つのドアを開けると中に小さな寝台二つ重なって置いてあるのを見た。
「ほら、これがおまえたちのねどこだ」とかれは言った。「まあ、おやすみ」
これがわたしの家族からこの夜初めてわたしの受けた歓迎であった。
りっぱすぎる父母
父親はろうそくを置いて行ったが、車には外から錠をさした。わたしたちはいつものようにおしゃべりはしないで、できるだけ早くねどこの中へもぐった。
「おやすみ、ルミ」とマチアが言った。
「おやすみ」
マチアはわたしと同じように、もうなにもものを言いたがらなかった。わたしはかれがだまっていてくれるのがうれしかった。わたしたちはろうそくをふき消したが、とてもねむれそうには思えなかった。わたしはせま苦しい寝台の中で、たびたび起き返っては、これまでの出来事を思いめぐらした。わたしは上の寝台にいるマチアがやはり落ち着かずに、しじゅうねがえりばかりしている音を聞いた。かれもやはりわたしと同様、ねむることができなかった。
いく時間か過ぎた。だんだん夜がふけるに従って、とりとめもない恐怖がわたしを圧迫した。わたしは不安に感じたが、なぜわたしが、そう感じたのかわからない。なにをわたしはおそれているのか。このロンドンのびんぼう町で馬車小屋の中にとまることがこわいのではない。これまでの流浪生活で、いく度わたしは今夜よりも、もっとたよりない夜を明かしたことがあったであろう。わたしは現在あらゆる危険から庇護されていることはわかっているのに、恐怖がいよいよつのって、もうふるえが出るまでになっている。
時間はだんだんたっていった。ふとうまやの向こうの、往来に向かったドアの開く音がした。それから五、六度間を置いて規則正しいノックが聞こえた。やがて明かりが馬車の中にさしこんだ。わたしはびっくりしてあわててそこらを見回した。わたしの寝台のわきにねむっていたカピは、うなり声を立てて起き上がった。わたしはそのときその明かりが馬車の小窓からはいって来ることを知った。その小窓はわたしたちの寝台の向こうについていたのを、さっきはカーテンがかかっていたのでとこにはいるとき気がつかなかったのであった。この窓の上部はマチアの寝台に近く、下部はわたしの寝台に近かった。カピがうちじゅうを起こしてはいけないと思って、わたしはかれの口に手を当てて、それから外をながめた。
すると父親がうまやにはいって来て、静かに向こう側のドアを開けた。そして二人、肩に重い荷をせおった男を外から呼び入れて、やはり用心深い様子で、またドアを閉めた。それからかれはくちびるに指を当てて、ちょうちんを持った片手でわたしたちのねむっている事に指さしをした。わたしはほとんどそんな心配は要りませんと言って、声をかけようとしたが、もうマチアがよくねむっていると思ったから、それを起こすまいと思って、そっとだまっていた。
父親はそのとき二人の男に手伝って荷物のひもをほどかせて、やがて見えなくなったが、まもなく母親を連れてもどって来た。かれのいないあいだに二人の男は荷物の封を開いた。中にはぼうしと下着とくつ下に手ぶくろなどがあった。まさしくこの男たちは両親の所へ品物を売りに来た商人であった。父親はいちいち品物を手に取って、ちょうちんの明かりで調べて、それを母親にわたすと、母親は小さなはさみで、正札を切り取って、かくしの中に入れた。これがわたしにはきみょうに思えたし、それとともに、売り買いをするのにこんな真夜中の時間を選んだということもふしぎであった。
母親が品物を調べているあいだに、父親は商人に小声で話をしていた。わたしがもうすこしイギリス語を知っていたら、たぶんかれの言ったことばがわかったであろうが、わたしの聞き得たかぎりでは、ポリスメン(巡査)ということだけであった。それはたびたびくり返して言ったので、そのためわたしの耳にも止まったのであった。
残らずの品物がていねいに書き留められたとき、両親と二人の男がうちの中にはいった。そしてわたしたちの車はまた暗黒のうちに置かれた。かれらは確かに勘定をするために、うちの中にはいったのであった。わたしは自分の見たことがごく当たり前のことであると信じようとしたが、いくらそう望んでも、そう信ずることできなかった。
なぜあの両親に会いに来た二人の男が、ほかのドアからはいって来なかったのであろうか。なぜかれらはなにか戸の外で聞くもののあることをおそれるかのように、小声で巡査の話をしていたのであったか。なぜ母親は品物を買ったあとで、正札を切り取ったのであろうか。わたしはこの考えをとりのけることができなかった。しばらくして明かりがまた馬車の中へさしこんで来た。わたしは今度はつい我知らず外をながめた。わたしは自分では見てはならないと思っていたが、でも……わたしは見た。わたしは自分では知らずにいるほうがいいと思ったが、でも……わたしは知ってしまった。
父親と母親と二人だけであった。母親が手早く品物の荷作りをするまに、父親はうまやのすみをはいた。かれがかわいた砂をもり上げたそばに、落としのドアがあった。かれはそれを引き上げた。そのときもう母親は荷物にすっかりなわをかけておいたので、父親はそれを受け取って、落としから下の穴へ下ろした。母親はそばでちょうちんを見せていた。それからかれは落としのドアを閉めて、またその上に砂をはき寄せた。その砂の上に二人はわらくずをまき散らしてうまやのゆかのほかの部分と同じようにした。そうしておいてかれらは出て行った。
かれらがそっとドアを閉めたしゅんかんに、マチアがねどこの中で動いたこと、まくらの上であお向けになったことをわたしは見たように思った。かれは見たかしら。わたしはそれを思い切って聞けなかった。頭から足のつま先までわたしは冷やあせをかいていた。わたしはこのありさまでまる一晩置かれた。にわとりが夜明けを知らせた。そのときやっとわたしはまぶたをふさいだ。
そのあくる朝わたしたちの車の戸を開けるかぎの音がしたので、わたしは目を覚ました。きっと父親がもう起きる時間だと言いに来たのであろうと思って、わたしはかれを見ないように目を閉じた。
「きみの弟だったよ」とマチアが言った。「ドアのかぎを開けて出て行ったよ」
わたしたちは着物を着た。マチアはわたしによくねむれたかとも聞かなかった。わたしもかれに質問しなかった。一度かれがわたしのほうを見たように思ったから、わたしは目をそらせた。
わたしたちは台所まで行った。けれども父親も母親もそこにはいなかった。祖父は例の大きないすにこしをかけて、もうゆうべからすわったなりいるように、火の前にがんばっていた。そうしていちばん上の妹のアンニーというのが、食卓をふいていた、いちばん上の弟のアレンが部屋をはいていた。わたしはかれらのそばへ寄って「おはよう」と言ったが、かれらはわたしには目もくれないで、仕事を続けていた。
わたしは祖父のほうへ行ったが、かれはわたしを見てそばへは寄せつけなかった。そうしてまえの晩のようにわたしのほうにつばをはきかけた。それでわたしは行きかけて立ち止まった。
「聞いてくれたまえよ」とわたしはマチアに言った。「いつ、父さんや母さんは出て来るのだか」
マチアはわたしの言ったとおりにした。すると祖父はわたしたちの一人がイギリス語を話したので、すこしきげんを直したように見えた。
「なんだと言うのだね」とわたしは言った。
「きみの父さんは一日よそへ出て帰らない。母さんはねむっている。それで出たければ外へぼくたちが出てもいいというのだ」
「たったそれだけしか言わないの」とわたしはこの翻訳がたいへん簡単すぎると思って言った。
マチアはまごついたようであった。
「そのほかのことばはよくわかったか、どうだか知らない」とかれは言った。
「ではわかったと思うだけ言いたまえ」
「なんでもあの人は、ぼくたちも町でなにか商売でもして、一もうけして来るがいい。ただ飯を食われてはやりきれない、というようなことを言っていたと思う」
祖父はかれの言ったことを、マチアが説明して聞かしているとさとったものらしく、中気でないほうの手でなにかをかくしにおしこもうとするような身ぶりをして、それから目配せをして見せた。
「出かけよう」とわたしはすぐに言った。
二、三時間のあいだわたしたちはそこらを歩き回ったが、道に迷ってはいけないと思って遠くへは行かなかった。ベスナル・グリーンは夜見るよりも昼見るとさらにひどい所であった。マチアとわたしは、ほとんど口をきかなかった。ときどきかれはわたしの手をにぎりしめた。
わたしたちがうちへ帰ったとき、母親はまだ部屋から出て来なかった。開け放したドアのすきからわたしはかの女が机の上につっぷしているのを見た。かの女は病気なのだと思ったが、わたしは話をすることができないから、代わりにキッスしようと思って、そばへかけて行った。
するとかの女はふらふらする頭を持ち上げて、わたしのほうをながめたが、顔は見なかった。かの女の熱い息の中には、ぷんとジン酒のにおいがした。わたしは後ずさりをした。かの女の頭はまた下がって、机の上にぐったりとなった。
「ジンに当たったのだよ」と祖父は言って、歯をむき出した。
わたしはそのほうは見向きもせずにじっと立ちどまった。からだが石になったように感じた。どのくらいそうして立っていたか知らなかった。ふとわたしはマチアのほうを向いた。かれは両眼になみだをいっぱいうかべて、わたしを見ていた。わたしはかれに合図をして、また二人でうちを出た。
長いあいだわたしたちはおたがいの手を組み合ってならんで歩きながら、何も言わずに、どこへ行こうという当てもなしに、まっすぐに歩いた。
「ルミ、きみはどこへ行くつもりだ」とかれはとうとう心配そうにたずねた。
「ぼくは知らない。どこかへとだけしか言えない。マチア、ぼくはきみと話がしたい。だがこの人ごみの中では話もできない」
わたしたちはそのとき、いつか広い町へ出ていた。そのはずれには公園があった。わたしたちはそこまでかけて行って、こしかけにこしをかけた。
「ねえ、マチア、ぼくがどんなにきみを愛しているか、知ってるだろう。だから今度ぼくがうちの人たちに会いに来るとき、いっしょにきみに来てもらったのは、きみのためを思ったことだったのだ。きみはぼくがなにをたのんでも、ぼくの友情を疑いはしないだろうねえ」とわたしは言った。
「ばかなことを言いたまえ」とかれは無理に笑って言った。
「きみはぼくを泣きださせまい思って、そんなふうに笑うのだね」とわたしは答えた。「ぼくはきみといっしょにいるときに、泣けないなら、いつ泣くことができよう。でも……おお……マチア、マチア」
わたしは両うでをなつかしいマチアの首にかけて、ほろほろなみだをこぼした。わたしはこんなに情けなく思ったことはなかった。わたしがこの広い世界に独りぼっちであったじぶん、かえってわたしはこのしゅんかんほどに不幸だとは感じなかった。わたしはすすり泣きをしてしまったあとで、やっと気を落ち着けることができた。わたしがマチアを公園に連れて来たのは、かれのあわれみを求めるためではなかった。それはわたしのためではなかった。かれのためであった。
「マチア」とわたしは思い切って言った。「きみはフランスへ帰らなければならないよ」
「きみを捨てて、どうして」
「ぼくはきみがそう答えるだらうと思っていた。それを聞いてぼくはうれしい。ああ、きみがぼくといっしょにいたいというのは、まったくうれしい。けれどマチア、きみはすぐにフランスへ帰らなければならないよ」
「なぜさ、そのわけを言いたまえ」
「だって……ねえ、マチア、こわがってはいけないよ。きみはゆうべねむったかい。きみは見たかい」
「ぼくはねむらなかったよ」とかれは答えた。
「するときみは見た……」
「ああ残らず」
「そうしてきみはそのわけがわかったか」
「あの品物が、代をはらったものでないことはわかるよ。だって、きみのお父さんは、あの男たちに母屋のドアをたたかないで、うまやのドアをたたいたというのでおこっていた。するとあの二人は巡査が見張りをしているからと言っていたもの」
「それできみは行かなければならないことがよくわかったろう」とわたしは言った。
「ぼくが行かなければならないなら、きみだって行かなければならない。それはぼくにだって、きみにだって、いいはずがないもの」「パリでガロフォリに会ったとして、あの人が無理にきみを連れ帰ろうとしたら、きみはきっと、ぼくに一人で別れて行ってくれと言うと思うよ。ぼくはただきみが自分でもするだろうと思うことをするだけだ」
かれは答えなかった。
「きみはフランスへ帰らなければいけない」とわたしは言い張った。「リーズの所へ行ってぼくがやくそくしたことも、あの子の父親のためにしてやることも、みんなできなくなったわけを話してくれたまえ。ぼくはあの子に、なによりもぼくのすることはあの人の借金をはらってやることだと言った。きみはあの子にそれのできなくなったわけを話してくれたまえ。それからバルブレンのおっかあの所へも行ってくれたまえ。ただうちの人たちは思ったほど金持ちではなかったとだけ言ってくれたまえ。金のないということはなにもはずかしいことではないのだから。でもそのほかのことは言わないでくれたまえ」
「きみがぼくに行けと言うのは、あの人たちがびんぼうだからというのではない。だからぼくは行かない」とマチアは強情に答えた。「ぼくはゆうべ見たところでそれがなんだかわかった。きみはぼくの身の上を案じているのだ」
「マチア、それを言わないでくれ」
「きみはいつか、ぼくまでが代のはらってない品物の正札を切り取るようなことになるといけないと心配しているのだ」
「マチア、マチア、よしたまえ」
「ねえ、きみがぼくのために心配するなら、ぼくはきみのために心配する。ぼくたち二人で出かけよう」
「それはとてもできない。ぼくの両親はきみにとってはなんでもないが、ぼくには父親と母親だ。ぼくはあの人たちといっしょにいなければならない。あれはぼくの家族なのだから」
「きみの家族だって。あのどろぼうをする男が、きみの父親だって。あの飲んだくれ女が、きみの母親だって」
「マチア、それまで言わずにいてくれ」とわたしはこしかけからとび上がってさけんだ。「きみはぼくの父親や母親のことをそんなふうに言っているが、ぼくはやはりあの人たちを尊敬しなければならない。愛さなければならない」
「そうだ。それがきみのうちの人なら、そうしなければ。だが……あの人たちは」
「きみ、あんなにたくさん証拠のあるのを忘れたかい」
「なにがさ、きみは父さんにも母さんにも似てはいない。あの子どもたちはみんな色が白いが、きみは黒い。それにぜんたいどうしてあの人たちが子どもを探すためにそんなにたくさんの金が使えたろうか。そういういろいろのことを集めてみると、ぼくの考えでは、きみはドリスコル家の人ではない。きみはバルブレンのおっかあの所へ手紙をやって、きみが拾われたときの産着がどんなふうであったか、たずねてみたらどうだ。それからきみがお父さんといま呼んでいるあの人に子どもがぬすまれたとき着ていた着物のくわしいことを聞かせてもらいたまえ。それまではぼくは動かないよ」
「でももしきみの気のどくな頭が、そのために一つ食らったらどうする」
「なあに友だちのためならぶたれても、そんなにつらくはないよ」とかれは笑いながら言った。
カピの罪
わたしたちは晩までレッド・ライオン・コートへ帰らなかった。父親と母親はわたしたちのいなかったことをなにも言わなかった。夕飯のあとで父親は二脚のいすを炉のそばへ引き寄せた。すると祖父からぐずぐず言われた。それからかれは、わたしたちがフランスにいたころ、食べるだけのお金が取れていたか、わたしから聞き出そうとした。
「ぼくたちは食べるだけのものを取っただけではありません。雌牛を一頭買うだけのお金を取ったのです」とマチアはきっぱりと言った。そのついでにかれはその雌牛でどういうことが起こったか話した。
「おまえたちはなかなかりこうなこぞうだ」と父親が言った。「どのくらいできるかやっておみせ」
わたしはハープを取って一曲ひいたが、ナポリ小唄ではなかった。マチアはヴァイオリンで一曲、コルネで一曲やった。中でコルネのソロが、ぐるりへ輪になって集まった子どもたちからいちばんかっさいを受けた。
「それからカピ、あれもなにかできるか」と父親がたずねた。「あれも自分の食いしろをかせぎ出さなければならん」
わたしはカピの芸にはひどくじまんであったから、かれにありったけの芸をやらした。例によってかれは大成功をした。
「おや、この犬はりっぱな金もうけになるぞ」と父親がさけんだ。
わたしはこの賞賛でたいへんうれしくなって、カピに教えれば、教えたいと思うことはなんでも覚えることをかれに話した。父親はわたしの言ったことをイギリス語に翻訳した。そのうえわたしの言ったほかになにかつけ加えて言ったらしく、みんなを笑わせた。祖父はたびたび目をぱちくりやって、「どうもえらい犬だ」と言った。
「だからわたしはマチアにも、いっしょにこのうちにいてくれるかと言いだしたわけさ」と父親が言った。
「ぼくはルミといつまでもいたいのです」とマチアが答えた。
「なるほど。それではわたしから申し出すことがあるが」と父親が言った。「わたしたちは金持ちではないから、みんながいっしょに働いているのだ。夏になるとわたしたちはいなかを旅をして回って、子どもらは、向こうから買いに来てくれない人たちの所へ品物を持って売りに行くのだ。けれども冬になると、たんとすることがなくなるのだ。ところでおまえとルミにはこれから町へ出て音楽をやってもらおう。クリスマスが近いんだから、すこしは金ができるだろう。そこでネッドとアレンがカピを連れて行って、芸をやって笑わせるのだ。そういうふうなことにすれば、うまく仕事がふり分けられるというものだ」
「カピはぼくとでなければ働きません」とわたしはあわてて言った。わたしはこの犬と別れることはがまんできなかった。
「なあにあれはアレンや、ネッドとじきに仕事をすることを覚えるよ」と父親が言った。「そういうふうにしてよけい金を取るようにするのだ」
「おお、ぼくたちもカピといっしょのほうがよけい金が取れるのです」とわたしは言い張った。 .
「もういい」と父親が手短に言った。「わたしがこうと言えばきっとそうするのだ。口返答をするな」
わたしはもうそのうえ言わなかった。その晩とこにはいると、マチアがわたしの耳にささやいた。
「さあ、あしたはいよいよバルブレンのおっかあの所へ手紙をやるのだよ」
こう言ってかれは寝台にとび上がった。
しかし、そのあくる朝わたしは、カピにいやでも因果を言いふくめなければならなかった。わたしはかれをうでにだいて、その冷たい鼻に優しくキッスしながら、これからしなくてはならないことを言って聞かした。かわいそうな犬よ。どんなにかれはわたしの顔をながめたか、どんなに耳を立てていたか、わたしはそれからアレンの手にひもをわたして、犬は二人の子どもにおとなしく、しかしがっかりした様子でついて行った。
父親はマチアとわたしをロンドンの町中へ連れて行った。きれいな家や、白いしき石道のあるりっぱな往来があった。ガラスのようにぴかぴか光る馬車がすばらしい馬に引かれて、その上に粉をふりかけたかつらをかぶった大きな太った御者が乗っていた。
わたしたちがレッド・ライオン・コートへもどったのは、もうおそかった。ウェストエンドからベスナル・グリーンまでの距離はかなり遠いのである。わたしはまたカピを見てどんなにうれしく思ったろう。かれはどろまみれになっていたが、上きげんであった。わたしはあんまりうれしかったから、かわいたわらでかれのからだをよくかいてやったうえ、わたしのひつじの毛皮にくるんで、いっしょにとこの中に入れてねかしてやった。
こんなふうにして五、六日過ぎていった。マチアとわたしは別な道を行くと、カピとネッドとアレンがほかの方角へ行った。
するとある日の夕方、父親が「あしたはおまえたちがカピを連れて行ってもいい、二人の子どもにはうちで少しさせることがあるから」と言った。マチアとわたしはひじょうに喜んで、いっしょうけんめいやってたくさんの金を取って帰れば、これからはしじゅうわたしたちに犬をつけて出すようになるだろうというもくろみを立てた。ぜひともカピを返してもらわなければならない。わたしたち三人は一人だって欠けてはならないのだ。
わたしたちは朝早くカピをごしごし洗ってやって、くしを入れてやって、それから出かけた。
運悪くわたしたちのもくろみどおりには運ばないで、深いきりがまる二日のあいだロンドンに垂れこめていた。そのきりの深いといっては、つい二足三足前がやっと見えるくらいであった。このきりのまくの中でたまたまわたしたちのやっている音楽に耳を止めている人も、もうすぐそばのカピの姿を見なかった。これはわたしたちの仕事にはじつにやっかいなことであった。でもこのきりのおかげを、もう二、三分あとでは、どれほどこうむらなければならないことであったか、それだけはまるで考えもつかなかった。
わたしたちはいちばん人通りの多い町の一つを通って行くと、ふとカピがいっしょにいないことを発見した。この犬はいつだって、わたしたちのあとにぴったりついて来るのであったから、これはめずらしいことであった。わたしはあとから追いつけるようにかれを待っていた。ある暗い路地口に立って、なにしろわずかの距離しか見えなかったから、そっと口ぶえをふいた。わたしはかれがぬすまれたのではないかと心配し始めたとき、かれは口に毛糸のくつ下を一足くわえてかけてやって来た。前足をわたしに向けてかれは一声ほえながらそのくつ下をささげた。かれはもっともむずかしい芸の一つをやりとげたときと同様に、得意らしくわたしの賞賛を求めていた。これはほんの二、三秒の出来事であった。わたしは開いた口がふさがらなかった、するとマチアは片手でくつ下をつかんで、片手でわたしを路地口から引っ張った。
「早く歩きたまえ。だが、かけてはいけない」とかれはささやいた。
かれはしばらくしてわたしに言うには、しき石の上でかれのわきをかけて通った男があって、「どろぼうはどこへ行った、つかまえてやるぞ」と言いながら行ったというのである。わたしたちは路地の向こうの出口から出て行った。
「きりが深くなかったら、ぼくたちは危なくどろぼうの罪で拘引されるところだったよ」とマチアは言った。しばらくのあいだ、わたしはほとんど息をつめて立っていた。うちの人たちはわたしの正直なカピにどろぼうを働かせたのだ。
「カピをしっかりおさえていたまえ」とわたしは言った。「うちへ帰ろう」
わたしたちは急いで歩いた。
父親と母親は机の前にこしをかけて、せっせと品物をしまいこんでいた。
わたしはいきなりくつ下をほうり出した。アレンとネッドはぷっとふきだした。
「さあ、これがくつ下です」とわたしは言った。「あなたがたはぼくの犬をどろぼうにしましたね。ぼくは人のなぐさみに使うために犬を連れて行ったのだと思っていました」
わたしはふるえていて、ほとんど口がきけなかった。でもこのときはどしっかりした決心をしたことはなかった。
「うん、なぐさみのほかに使ったら」と父親は反問した。「おまえ、どうするつもりだ。聞きたいものだね」
「ぼくはカピの首になわを巻きつけて、これほどかわいい犬ですけれど、ぼくはあいつを水にしずめてしまいます。わたしは自分がどろぼうにされたくないと同様、カピをどろぼうにはしてもらいたくないのです。いつかわたしがどろぼうにならなければならないようなことがあれば、わたしは犬といっしょにすぐ水にしずんでしまいます」
父親はわたしの顔をしげしげと見ていた。わたしはかれがよっぽどわたしを打とうとしかけたと思った。かれの目は光った。でもわたしはたじろがなかった。
「おお、ではよしよし」とかれは思い返して言った。「またそういうことのないように、おまえ、これからは自分でカピを連れて歩くがいい」
ごまかし
わたしは二人の子どもにげんこつを見せていた。わたしはかれらにものを言うことはできなかったが、でもかれらはわたしの様子で、このうえわたしの犬をどうにかすれば、わたしにひどい目に会うであろうと思った。わたしはカピを保護するためには、かれら二人と戦うつもりでいた。
その日からうちじゅうの者は残らず、大っぴらでわたしに対して憎悪を見せ始めた。祖父はわたしがそばに寄ると、腹立たしそうにつばをはいてばかりいた。男の子と上の妹はかれらにできそうなあらゆるいたずらをした。父親と母親はわたしを無視して、いてもいない者のようにあつかった。そのくせ毎晩わたしから金を取り立てることは忘れなかった。
こうしてわたしがイギリスへ上陸したとき、あれほどの愛情を感じていた全家族はわたしに背中を向けた。たった一人赤んぼうのケートが、わたしのかまうことを許した。でもそれすら、かくしにかの女のためのキャンデーか、みかんの一つ持ち合わせないときには、冷淡にそっぽを向いてしまった。
わたしははじめマチアの言ったことを耳に入れようとはしなかったが、だんだんすこしずつ、わたしはまったくこのうちの者ではないのではないかと疑い始めた。わたしはかれらに対してこれほどひどくされるようなことはなにもしなかった。
マチアはわたしがそんなにがっかりしているのを見て、独り言のように言った。
「ぼくはバルブレンのおっかあから、早くどんな着物をきみが着ていたか言って寄こすといいと思うがなあ」
とうとうやっとのことで、手紙が来た。例のとおりお寺のぼうさんが代筆をしてくれた。それにはこうあった。
「小さいルミよ。お手紙を読んでおどろきもし、悲しみもしました。バルブレンの話と、あなたが拾われたとき着ていた着物から、あなたがよほどお金持ちのうちに生まれたこととわたしは思っていました。その着物はそのままそっくり、しまってありますから、いちいち言うことはわけのないことです。あなたはフランスの赤子のように、おくるみにくるまってはいませんでした。イギリスの子どものように、長い上着と下着を着ていました。白いフランネルの上着にたいそうしなやかな麻の服を重ね、白い絹でふちを取って、美しい白の縫箔をしたカシミアの外とうを着ていました。またかわいらしいレースのボンネットをかむり、それから小さい絹のばらの花のついた白い毛糸のくつ下をはいていました。それにはどれも印はありませんが、膚につけていたフランネルの上着には印がありました。でもその印はていねいに切り取られていました。さて、ルミ、あなたにご返事のできることはこれだけですよ。やくそくをしなすったりっぱなおくり物のできないことを苦にやむことはありません。あなたの貯金で買ってくれた雌牛は、わたしにとっては世界じゅうのおくり物残らずもらったと同様です。喜んでください。雌牛もたいそうじょうぶで、相変わらずいい乳を出しますから。このごろではごく気楽にくらしています。その雌牛を見るたんびにあなたとあなたのお友だちのマチアのことを思い出さないことはありません。ときどきはお便りを寄こしてください。あなたはほんとに優しい、いい子です。どうかせっかくうちを見つけたのだから、おうちのみなさんがあなたをかわいがるようにと、そればかり望んでいます。ではごきげんよろしゅう。
あなたの養母
バルブレンの後家より」
なつかしいバルブレンのおっかあ。かの女は自分がわたしを愛したようにだれもわたしを愛さなくてはならないと思っているのだ。「あの人はいい人だ」とマチアは言った。「じつにいい人だ。ぼくのことも思っていてくれる。さあ、これでドリスコルさんがどう言うか、見たいものだ」
「父さんは品物の細かいことは忘れているかもしれない」
「どうして子どもがかどわかされたとき着ていた着物を、親が忘れるものか。だってまたそれを見つけるのは着物が手ががりだもの」
「とにかくなんと言うか、聞いて、それから考えることにしよう」
わたしがぬすまれたとき、どんな着物を着ていたか、これを父親にたずねるのは容易なことではなかった。なんの下心なしにぐうぜんこの質問を発するなら、それはいたって簡単なことであろう。ところが事情がそういうわけでは、わたしはおくびょうにならずにはいられなかった。
さてある日、冷たいみぞれが降って、いつもより早くうちへ引き上げて来たとき、わたしは両うでに勇気をこめて、長らく心にかかっている問題の口を切った。
わたしの質問を受けると、父親はじっとわたしの顔を見つめた。けれどわたしはこの場合できそうに思っていた以上だいたんに、かれの顔を見返した。するとかれはにっこりした。その微笑にはどことなくとげとげしいざんこくな様子が見えたが、でも微笑は微笑であった。
「おまえがぬすまれて行ったとき」とかれはそろそろと話しだした。「おまえはフランネルの服と麻の服と、レースのボンネットに、白い毛糸のくつ下と、それから白い縫箔のあるカシミアの外とうを着ていた。その着物のうち二枚までは、F・D、すなわちフランシス・ドリスコルの頭字がついていたが、それはおまえをぬすんだ女が切り取ってしまったそうだ。そのわけは、そうすれば手がかりがないと思ったからだ。なんならおまえの洗礼証書をしまっておいたから、それを見せてあげよう」
かれは引き出しを探って、すぐと一枚の大きな紙を出して、わたしに手わたしをした。
「よかったらマチアに翻訳させください」とわたしは最後の勇気をふるって言った。
「いいとも」
マチアがそれをできるだけよく翻訳した。それで見ると、わたしは八月二日の木曜日に生まれたらしい。そしてジョン・ドリスコルおよびその妻マーガレット・グランデのむすこであった。
この上の証拠をどうして求めることができようか。
「これはみんなもっともらしい」とその晩車の中に帰ると、マチアは言った。「でもどうして旅商人風情が、その子どもにレースのボンネットや、縫箔の外とうを着せるだけの金があったろう。旅商人というものは、そんなに金のあるものではないさ」
「旅商人だから、そんな品物をたやすく手に入れることができたのだろう」
マチアは口ぶえをふきふき首をふっていた。それからまた小声で言った。
「きみはあのドリスコルの子どもではないが、ドリスコルがぬすんで来た子どもなのだ」
わたしはこれに答えようとしたが、かれはもうずんずん寝台の上にはい上がっていた。
アーサのおじさん――ジェイムズ・ミリガン氏
わたしがマチアの位置であったなら、おそらくかれと同様な想像をしたかもしれなかったが自分の位置としてわたしはそんな考えを持つのはまちがっていると感じた。ドリスコル氏がわたしの父親だということは、もはや疑う余地なく証明された。わたしはそれをマチアと同じ立場からながめることができなかった。かれは疑い得る……けれどわたしは疑ってはならない。かれがなんでも自分の思うことを、わたしに信じさせようと努めると、わたしはかれにだまっていろと言い聞かせた。けれどもかれはなかなか頑強で、その強情にいつも打ち勝つことは困難であった。
「なぜきみだけ色が黒くって、うちのほかの人たちは色が白いのだ」とかれはくり返して、その点を問いつめようとした。
「どうしてびんぼう人がやわらかなレースや、縫箔を赤んぼうに着せることができたか」これがもう一つたびたびくり返される質問であった。するとわたしはこちらから逆に反問して、わずかにこれに答えることができた。あの人たちにとってわたしが子でないならば、なぜぼくを捜索したか。なぜバルブレンや、グレッス・アンド・ガリーに金をやったか。
マチアはわたしの反問に返事ができなかったけれども、かれはけっして承服しようとはしなかった。
「ぼくらは二人でフランスへ帰るのがいいと思う」とかれは勧めた。
「そんなことができるものか」
「きみは一家といっしょにいるのが義務だと言うのかい。でもこれがきみの一家だろうか」
こういうおし問答の結果は、一つしかなかった。それはわたしをいままでよりもよけい不幸にしただけであった。疑うということはどんなにおそろしいことであろう。でもいくら疑うまいと思ってもわたしは疑った。わたしが自分にはうちがないと思って、あれほど悲しがって泣いていたじぶん、こうしてうちができた今日かえってこれほどの失望におちいろうとはだれが思ったろう。どうしたらわたしはほんとうのことがわかるだろう。そう考えて、いよいよ胸にせまってくるとき、わたしは歌を歌って、おどりをおどって、笑って、しかめっ面でもするほかはなかった。
ある日曜日のことであった。父親はきょうは用があるからうちにいろとわたしに言いわたした。かれはマチアだけを一人外へ出した。ほかの者もみんな出て行った。祖父だけが一人、二階に残っていた。わたしは父親と一時間ばかりいたが、やがてドアをたたく音がして、いつもうちへ父親を訪ねて来る人とは、まるでちがった紳士がはいって来た。かれは五十才ぐらいの年輩で、流行の粋を集めた身なりをしていた。犬のようなまっ白なとんがった歯をして、笑うときにはそれをかみしめようとでもするようにくちびるをあとへ引っこめた。かれはしじゅうわたしのほうをふり向いてみながら、イギリス語でわたしの父に話しかけた。
それからしばらくして、かれはほとんどなまりのないフランス語で話し始めた。
「これがきみの話をした子どもか」とかれは言った。「なかなかじょうぶそうだね」
「だんなにごあいさつしろ」と父親がわたしに言った。
「ええ、ぼくはごくじょうぶです」
こうわたしはびっくりして答えた。
「おまえは病気になったことはなかったか」
「一度肺炎をやりました」
「はあ、それはいつだね」
「三年まえです。ぼくは一晩寒い中でねました。いっしょにいた親方はこごえて死にましたし、ぼくは肺炎になりました」
「それからからだの具合はなんともないか」
「ええ」
「つかれることはないか、ねあせは出ないか」
「ええ。つかれるのはたくさん歩いたからです。けれどほかに具合の悪いところはありません」
かれはそばへ寄ってわたしのうでにさわった。それから頭を心臓にすりつけた。今度は背中と胸にさわって、大きく息をしろと言った。かれはまたせきをしろとも言った。それがすむと、かれは長いあいだわたしの顔を見た。そのときわたしはかれがかみつこうとするのだと思ったほど、かれの歯はおそろしい笑い顔のうちに光った。しばらくしてかれは父親といっしょに出て行った。
これはなんのわけだろう。あの人はわたしをやとい入れるつもりなのかしら。わたしはマチアともカピとも別れなければならないのかしら。いやだ。わたしはだれの家来にもなりたくない。まして初めっからきらっているあんな人の所へなんか行くものか。
父親は帰って来て、「行きたければ外へ出てもいい」とわたしに言った。わたしは例のうまやの車の中へはいって行った。するとそこにマチアがいたので、どんなにびっくりしたろう。かれはそのとき指をくちびるに当てた。
「うまやのドアを開けたまえ」とかれは小声で言った。「ぼくはそっとあとから出て行くからね。ぼくがここにいたことを知られてはいけない」
わたしはけむに巻かれて、言われるとおりにした。
「きみはいま父さんの所へ来た人がだれだか、知ってるかい」とかれは往来へ出ると、目の色を変えてたずねた。「あれがジェイムズ・ミリガン氏だよ。きみの友だちのおじさんだよ」
わたしはしき石道のまん中に行って、ぽかんとかれの顔をながめた。かれはわたしのうでをつかまえてあとから引っ張った。
「ぼくは一人ぼっちで出かける気にならなかった」とかれは続けた。「だからねむるつもりであすこへはいった。だがぼくはねむれずにいた。するうちきみの父さんと一人の紳士がうまやの中へはいって来た。その人たちの言うことを残らずぼくは聞いたのだ。はじめはぼくも聞く耳を立てるつもりではなかったが、のちにはそれをしずにいられないようになった。
『どうして、岩のようにじょうぶだ』とその紳士が言った。『十人に九人までは死ぬものだが、あれは肺炎の危険を通りこして来た』
『おいごさんはどうですね』ときみの父さんがたずねた。
『だんだんよくなるよ。三月まえも医者がまたさじを投げた。だが母親がまた救った。いや、あれはふしぎな母親だよ。ミリガン夫人という女は』
ぼくがこの名前を聞いたとき、どうして窓に耳をくっつけずにはいられたと思うか。
『ではおいごさんがよくなるのでは、あなたの仕事はむだですね』ときみの父さんがことばを続けた。
『さしあたりはまずね』ともう一人が答えた。『だがアーサがこのうえ生きようとは思えない。それができれば奇跡というものだ。おれは奇跡を心配しない。あれが死ねば、あの財産の相続人はおれのほかにはないのだ』
『ご心配なさいますな。わたしが見ています』とドリスコルさんが言った。
『ああ、おまえに任せておくよ』とミリガン氏が答えた」
これがマチアの話すところであった。
マチアのこの話を聞きながら、わたしの初めの考えは、父親にすぐたずねてみることであったが、立ち聞きをされたことを知らせるのは、かしこいしかたではなかった。ミリガン氏は父親と打ち合わせる仕事があるとすれば、たぶんまたうちへ来るだろう。このつぎは向こうで顔を知らないマチアが、あとをつけることもできる。
それから二、三日ののち、マチアはぐうせん往来で、以前ガッソーの曲馬団で知り合いになったイギリス人のボブに出会った。わたしはとちゅうでかれがマチアにあいさつするところを見て、ひじょうに仲のいいことがわかった。
かれはまたすぐとカピやわたしが好きになった。その日からわたしたちはこの国に一人、しっかりした友だちができた。かれはその経験とちえで、のちに困難におちいった場合、わたしたちのひじょうな力になったのであった。
マチアの心配
春の来るのはおそかったが、とうとう一家がロンドンを去る日が来た。馬車がぬりかえられて、商品が積みこまれた。そこにはぼうし、肩かけ、ハンケチ、シャツ、膚着、耳輪、かみそり、せっけん、おしろい、クリーム、なんということなしにいろいろなものが積まれた。
馬車はもういっぱいになった。馬が買われた。どこからどうして買ったか、わたしは知らなかったが、いつのまにか馬が来ていた。それでいっさい出発の用意ができた。
わたしたちは、いったい祖父といっしょにうちに残るのか、一家とともに出かけるのか、知らずにいた。けれど父親はわたしたちが音楽でなかなかいい金を取るのを見て、まえの晩わたしたちにかれについて行って音楽をやれと言いわたした。
「ねえ、フランスへ帰ろうよ」とマチアは勧めた。「いまがいいしおどきだ」
「なぜイギリスを旅行して歩いてはいけないのだ」
「なぜならここにいると、きっとなにか始まるにちがいないから。それにフランスへ行けば、ミリガン夫人とアーサを見つけるかもしれない。アーサが加減が悪いのだと、夫人はきっと船に乗せて来るだろう。もうだんだん夏になってくるから」
でもわたしはかれに、どうしてもこのままいなければならないと言った。
その日わたしたちは出発した。その午後かれらがごくわずかの値打ちしかない品物を売るところを見た。わたしたちはある大きな村に着くと、馬車は広場に引き出されていた。その馬車の横側は低くなっていて、買い手の欲をそそるように美しく品物がならんでいた。
「値段を見てください。値段を見てください」と父親はさけんだ。「こんな値段はどこへ行ったってあるものじゃありません。まるで売るんじゃない。ただあげるのだ。さあさあ」
「あいつはどろぼうして来たにちがいない」
品物の値段づけを見た往来の人がちょいちょいこう言っているのをわたしは聞いた。かれらがもしそのとき、そばでわたしがきまり悪そうな顔をしているのを見たら、いよいよ推察の当たっていることを知ったであろう。
かれらはしかしわたしに気がつかなかったとしても、マチアは気がついていた。
「いつまできみはこれをしんぼうしていられるのだ」とかれは言った。
わたしはだまっていた。
「フランスへ帰ろうよ」とかれはまた勧めた。「なにか起こる。もうすぐになにか起こるとぼくは思う。おそかれ早かれ、ドリスコルさんが、こう品物を安売りするところを見れば、巡査がやって来るのはわかっている。そうなればどうする」
「おお、マチア……」
「きみが目をふさいでいれば、ぼくはいよいよ大きく目をあいていなければならない。ぼくたちは二人ともつかまえられる。なにもしなくっても、どうしてその証拠を見せることができよう。ぼくたちは現にあの人がこの品物を売って得た金で、三度のものを食べているのではないか」
わたしはついにそこまでは考えなかった。こう言われて、いきなり顔をまっこうからなぐりつけられたように思った。
「でもぼくたちはぼくたちで自分の食べ物を買う金は取っている」と、わたしはどもりながら弁護しようとした。
「それはそうだ。けれどぼくたちはどろぼうといっしょに住まっていた」と、マチアはこれまでよりはいっそう思い切った調子で答えた。「それでもし、ぽくたちが牢屋へやられればもう、きみのほんとうのうちの人を探すこともできなくなるだろう。それにミリガン夫人にも、あのジェイムズ・ミリガンに気をつけるように言ってやりたい。あの人がアーサにどんなことをしかねないか、きみは考えないのだ。まあ行けるうちに少しも早く行こうじゃないか」
「まあもう二、三日考えさしてくれたまえ」とわたしは言った。
「では早くしたまえ。大男退治のジャックは肉のにおいをかいだ――ぼくは危険のにおいをかぎつけている」
こんなふうにして煮えきれずにいるうちに、とうとうぐうぜんの事情が、わたしに思い切ってできなかったことをさせることになった。それはこうであった。
わたしたちがロンドンを立ってから数週間あとであった。父親は競馬のあるはずの町で、屋台店の車を立てようとしていた。マチアとわたしは商売のほうになにも用がないので、町からかなりへだたっていた競馬場を見に行った。
イギリスの競馬場のぐるりには、たいてい市場が立つことになっていた。いろいろ種類のちがう香具師や、音楽師や、屋台店が二、三日まえから出ていた。
わたしたちはあるテント張り小屋で、たき火の上に鉄びんがかかっている所を通り過ぎると、曲馬団でマチアの友だちであったボブを見つけた。かれはまたわたしたちを見つけたので、たいそう喜んでいた。かれは二人の友だちといっしょに競馬場へ来て、力持ちの見世物を出そうとしているところであった。そのためある音楽師を二、三人やくそくしたが、まぎわになってだめになったので、あしたの興行は失敗になるのではないかと心配していたところであった。かれの仕事にはにぎやかな人寄せの音楽がなければならなかった。
わたしたちはそこでかれの手伝いをしてやろうということになった。一座ができて、わたしたち五人の間に利益を分けることになった。そのうえカピにもいくらかやることにした。ボブはカピが演芸の合い間に芸をして見せてくれることを望んでいた。わたしたちはやくそくができて、あくる日決めた時間に来ることを申し合わせた。
わたしが帰ってこのもくろみを父に話すと、かれはカピはこちらで入用だから、あれはやられないと言った。わたしはかれらがまた人の犬をなにか悪事に使うのではないかと疑った。わたしの目つきから、父はもうわたしの心中を推察した。
「ああ、いや、なんでもないことだよ」とかれは言った。「カピはりっぱな番犬だ。あれは馬車のわきへ置かなければならん。きっとおおぜい回りへたかって来るだろうから、品物をかすめられてはならない。おまえたち二人だけで行って、友だちのボブさんと一かせぎやって来るがいい。たぶんおまえのほうは夜おそくまですむまいと思うから、そのときは『大がしの宿屋』で待ち合わせることにしよう。あしたはまた先へたって行くのだから」
わたしたちはそのまえの晩『大がしの宿屋』で夜を明かした。それは一マイル(約一・六キロ)はなれたさびしい街道にあった。その店はなにか気の許せない顔つきをした夫婦がやっていた。その店を見つけるのはごくわけのないことであった。それはまっすぐな道であった。ただいやなことは、一日つかれたあとで、かなりな道のりを歩いて行かなければならないことであった。でも父親がこう言えば、わたしは服従しなければならなかった。それでわたしは宿屋で会うことをやくそくした。
そのあくる日、カピを馬車に結わえつけて番犬において、わたしはマチアと競馬場へ急いで行った。
わたしたちは行くとさっそく、音楽を始めて、夜まで続けた。わたしの指は何千という針でさされたように、ちくちく痛んだし、かわいそうなマチアはあんまりいつまでもコルネをふいて、ほとんど息が出なくなった。
もう夜中を過ぎていた。いよいよおしまいの一番をやるときに、かれらが演芸に使っていた大きな鉄の棒がマチアの足に落ちた。わたしはかれの骨がくじけたかと思ったが、運よくそれはひどくぶっただけであった。骨はすこしもくじけなかったが、やはり歩くことはできなかった。
そこでかれはその晩ボブといっしょにとまることになった。わたしはあくる日ドリスコルの一家の行く先を知らなければならないので、一人「大がしの宿屋」へ行くことにした。その宿屋へわたしが着いたときは、まっくらであった。馬車があるかと思って見回したが、どこにもそれらしいものは見えなかった。二つ三つあわれな荷車のほかに、目にはいったものは大きなおりだけで、そのそばへ寄ると野獣のほえ声がした。ドリスコル一家の財産であるあのごてごてと美しくぬりたてた馬車はなかった。わたしは宿屋のドアをたたいた。亭主はドアを開けて、ランプの明かりをまともにわたしの顔にさし向けた。かれはわたしを見覚えていたが、中へ入れてはくれないで、両親はもうルイスへ向けて立ったから、急いであとを追っかけろと言って、もうすこしでもぐずぐずしてはいられないとせきたてた。それでぴしゃりとドアを立てきってしまった。
わたしはイギリスに来てから、かなりうまくイギリス語を使うことを覚えた。わたしはかれの言ったことが、はっきりわかったが、ぜんたいそのルイスがどこらに当たるのか、まるっきり知らなかった。よしその方角を教わったにしても、わたしは行くことはできなかった。マチアを置いて行くことはできなかった。
わたしは痛い足をいやいや引きずって競馬場に帰りかけた。やっと苦しい一時間ののち、わたしはボブの車の中でマチアとならんでねむっていた。
あくる朝ボブはルイスへ行く道を教えてくれたので、わたしは出発する用意をしていた。わたしはかれが朝飯のお湯をわかすところを見ながら、ふと目を火からはなして外をながめると、カピが一人の巡査に引っ張られて、こちらへやって来るのであった。どうしたということであろう。
カピがわたしを見つけたしゅんかん、かれはひもをぐいと引っ張った。そして巡査の手からのがれてわたしのほうへとんで来て、うでの中にだきついた。
「これはおまえの犬か」と巡査がたずねた。
「そうです」
「ではいっしょに来い。おまえを拘引する」
かれはこう言って、わたしのえりをつかんだ。
「この子を拘引するって、どういうわけです」とボブが火のそばからとんで来てさけんだ。
「これはおまえの兄弟か」
「いいえ、友だちです」
「そうか。ゆうべ、おとなと子どもが二人、セント・ジョージ寺へどろぼうにはいった。かれらははしごをかけて、窓からはいった。この犬がそこにいて番をしていた。ところが犯行中おどろかされて、あわてて窓からにげ出したが、犬を寺へ置いて行った。この犬を手がかりにして、どろぼうは確かに見つかると思っていた。ここに一人いた。今度はそのおやじだが、そいつはどこにいる」
わたしはひと言も言うことができなかった。この話を聞いていたマチアは、車の中から出て来て、びっこをひきひきわたしのそばに寄った。ボブは巡査に、この子が罪人であるはずがない、なぜならゆうべ一時までいっしょにいたし、それから「大がしの宿屋」へ行って、そこの主人と話をして、すぐここへ帰って来たのだからと言った。
「寺へはいったのは一時十五分過ぎだった」と巡査が言った。「するとこの子がここを出たのは一時だから、それから仲間に会って、寺へ行ったにちがいない」
「ここから町までは十五分以上かかります」とボブが言った。
「なに、かければ行けるさ」と巡査が答えた。「それに、こいつが一時にここを出たという確かな証拠があるか」
「わたしが証人です。わたしはちかいます」とボブがさけんだ。
巡査は肩をそびやかした。
「まあ子どもが判事の前へ出て、自分で陳述するがいい」とかれは言った。
わたしが引かれて行くときに、マチアはわたしの首にうでをかけた。それはあたかも、わたしをだこうとしたもののようであったが、マチアにはほかの考えがあった。
「しっかりしたまえ」とかれはささやいた。「ぼくたちはきみを見捨てはしないよ」
「カピを見てやってくれたまえ」とわたしはフランス語で言った。けれど巡査はことばを知っていた。
「おお、どうして」とかれは言った。「この犬はわしが預かる。この犬のおかげできさまを見つけたのだ。もう一人もこれで見つかるかもしれない」
巡査に手錠をかわれて、わたしはおおぜいの目の前を通って行かなければならなかった。けれどこの人たちはわたしがまえにつかまったときの、フランスの百姓のように、はずかしめたりののしったりはしなかった。この人たちはたいてい巡査に敵意を持っていた。かれらはジプシー族や浮浪者であった。どれも宿なしの浮浪人であった。
今度拘引された留置場にはねぎが転がしてはなかった。これこそほんとうの牢屋で、窓には鉄の棒がはめてあって、それを見ただけで、もうどうでもにげ出したいという気を起こさせた。部屋にはたった一つのこしかけと、ハンモックがあるだけであった。わたしはこしかけにぐったりたおれて、頭を両手にうずめたまま、長いあいだじっとしていた。マチアとボブは、よし、ほかの仲間の加勢をたのんでも、とてもここからわたしを救い出すことはできそうもなかった。わたしは立ち上がって窓の所へ行った。鉄の格子はがんじょうで、目が細かかった。かべは三尺(約一メートル)も厚みがあった。下のゆかは大きな石がしきつめてあった。ドアは厚い鉄板をかぶせてあった。どうしてにげるどころではなかった。
わたしはカピがお寺にいたという事実に対して、自分の無罪を証拠だてることができるであろうか。マチアとボブとは、わたしが現場にいなかったという証人になって、わたしを助けることができようか。かれらがこれを証明することさえできたら、あのあわれな犬が、わたしのためにつごう悪く提供した無言の証明があるにかかわらず、放免になるかもしれない。看守が食べ物を持って来たとき、わたしは判事の前へ出るのは、手間がとれようかと聞いた。わたしはそのときまで、イギリスでは、拘引されたあくる日、裁判所へ呼ばれるということを知らなかった。親切な人間らしい看守は、きっとそれはあしただろうと言った。
わたしは囚人が差し入れの食べ物の中に、よく友だちからの内証のことづけを見つけるという話を聞いていた。わたしは食べ物に手がつかなかったが、ふと思いついて、パンを割り始めた。わたしは中になにも見つけなかった。パンといっしょについていたじゃがいもをも粉ごなにくずしてみたが、ごくちっぽけな紙きれをも見つけなかった。
わたしはその晩ねむられなかった。つぎの朝看守は水のはいったかめと金だらいを持って、わたしの部屋にはいって来た。かれは顔を洗いたければ洗えと言って、これから判事の前へ出るのだから、身なりをきれいにすることは損にはならないと言った。しばらくしてまた看守はやって来て、あとについて来いと言った。わたしたちはいくつかろうかを通って、小さなドアの前へ来ると、かれはそのドアを開けた。
「おはいり」とかれは言った。
わたしのはいった部屋はたいへんせま苦しかった。おおぜいのわやわやいうつぶやきをも聞いた。わたしのこめかみはぴくぴく波を打って、ほとんど立っていることができないくらいであったが、そこらの様子を見ることはできた。
部屋は大きな窓と、高い天井があって、りっぱな構えであった。判事は高い台の上にこしをかけていた。その前のすぐ下には、ほかの三人の裁判官がこしをかけていた。そのそばにわたしは法服を着て、かつらをかぶった紳士といっしょにならんだ。これがわたしの弁護士であることを知って、わたしはおどろいた。どうして弁護士ができたろう。どこからこの人はやって来たのだろう。
証人の席には、ボブと二人の仲間、「大がしの宿屋」の亭主、それからわたしの知らない二、三人の人がいた。それから向こう側には五、六人の人の中に、わたしを拘引した巡査を見つけた。検事は二言三言で、罪状を陳述した。セント・ジョージ寺で窃盗事件があった。どろぼうはおとなと子どもで、はしごを登ってはいるために、窓をこわした。かれらは外へ張り番の犬を置いた。一時十五分過ぎにおそい通行人が寺の明かりを見つけて、すぐに寺男を起こした、五、六人、人が寺へかけつけると、犬ははげしくほえて、どろぼうは犬をあとに残したまま、窓からにげた。犬のちえはおどろくべきものであった。つぎの朝その犬を巡査が競馬場へ連れて行った。そこでかれはすぐと主人を認識した。それはすなわち現に囚人席にいる子どもにほかならなかった。なお一人の共犯者に対しては、追跡中であるからほどなく捕縛の手続きをするはずである。
わたしのために言われたことはいたってわずかであった。わたしの友人たちはわたしが現場がいなかったという証言をしたけれども、検事は、いや、寺へ行って共犯者に出会って、それから「大がしの宿屋」へかけて行く時間はじゅうぶんあったと言った。わたしはそれからどうして犬が一時十五分ごろ寺にいたか、その理由を述べろと言われた。わたしは犬はまる一日自分のそばにいなかったのだから、それをなんとも言うことはできないし、わたしはなにも知らないと申し立てた。
わたしの弁護士は、犬がその日のうちに寺に迷いこんで、寺男が戸を閉めたとき、中へ閉めこまれたものであるということを証拠立てようと努めた。かれはわたしのためにできるだけのことをしてくれたが、その弁護は力が弱かった。
そのとき判事はしばらくわたしを郡立刑務所へ送っておいて、いずれ巡回裁判の回って来るまで待つことにしようと言いわたした。
巡回裁判。わたしはこしかけにたおれた。おお、なぜわたしはマチアの言うことを聞かなかったのであろう。
ボブ
判事が子どもを連れて寺へはいったどろぼうの捕縛を待つために、わたしはとうとう放免されなかった。かれらはそのときになって、わたしがその男の共犯者であるかどうか初めて決めようと言うのである。
かれらはただいま追跡中であると検事が言った。そうすると、わたしはその男とならんで、囚人席に入れられて、巡回裁判官の前に出る恥辱と苦痛をしのばなければならないのであろう。
その晩日のくれかかるまえ、わたしははっきりとコルネの音を聞いた。マチアが来ているのだ。なつかしいマチアよ。かれはじきそばに来て、わたしのことを思っていることを知らそうとしたのであった。かれはまさしく窓の外の往来にいるのであった。わたしは足音とおおぜいのぶつぶつ言う声を聞いた。マチアとボブが、きっと演芸を始めているのであった。
ふとわたしはよくとおる声で、「あした夜明けに」とフランス語で言う声を聞いた。わたしはそれがなんのことだか確かにはわからなかった。とにかくあしたの夜明けにはしっかり気を張っていなければならなかった。
暗くなるとさっそくわたしはハンモックにはいった。たいへんつかれてはいたけれど、ねこむにはなかなか手間がとれた。そのうちやっとぐっすりねこんだ。目が覚めるともう夜中であった。星は暗い空にかがやいて、沈黙がすべてを支配していた。時計は三時を打った。わたしはこれで一時間、これで十五分と勘定していた。かべによりかかりながら、じっと目を窓に向けて、星が一つ一つ消えてゆくのをながめた。遠方には鶏がときを作る声が聞こえた。もう明け方であった。
わたしはごく静かに窓を開けた。なにがそこにあったか。相変わらず鉄の格子と、高いかべが前にあった。わたしは出ることができない。けれどばかげた考えではあっても、わたしは自由になることを待ちもうけていた。
朝の風が耳がちぎれるように寒かったけれど、わたしは窓のそばに立ち止まって、なにを見るということなしに見て、なにを聞くということなしに耳を立てた。
大きな白い雲が空にうかんだ。夜明けであった。わたしの心臓ははげしく鼓動した。
するとかべをがりがり引っかく音が聞こえた。でも足音をすこしも聞かなかった。わたしは耳をすませた。引っかく音が続いた。ぬっと人の頭がかべの上に現れた。うす暗い光の中にわたしはボブを見つけた。
かれは鉄格子に顔をおしつけて、わたしを見た。
「静かに」とかれはそっと言った。
かれはわたしに窓からどけという合図をした。ふしぎに思いながら、わたしは服従した。かれは豆鉄砲を口に当ててふいた。かわいらしい鉄砲玉が空をまって、わたしの足もとに落ちた。ボブの頭が消えた。
わたしは弾丸をわしづかみにつかんだ。それはうすい紙をまめのように小さい玉に丸めたものであった。明かりがあんまり暗いので、なにが書いてあるか見えなかった。夜の明けるまで待たなければならなかった。わたしはそっと窓を閉めて、小さな紙玉を手に持ったまま、またハンモックに転がった。光の来ることのどんなにおそいことぞ。やっとわたしはその紙に書いてある文字を読むことができた。それにはこうあった。
「あしたきみは汽車に乗せられて、郡立刑務所へ送られるはずだ。巡査が一人ついて行くことになっている。きみは汽車の戸口に近い所にいたまえ。よく勘定していたまえ、四十五分目に汽車は連結点の近くで速力をゆるめる。そのときドアを開けてとびだしたまえ。左手の小山を登れば、われわれはそこに待っている。しつかりやれ。なによりもうまく前へとんで、足を下に着くことだ」
助かった。わたしは巡回裁判の前に出ないですむ。ありがたい、マチア。それから、ボブ。マチアに加勢してくれるボブはずいぶんいい人だ。かわいそうにマチア一人では、とてもこれだけできやしない。
わたしは書きつけを二度読み直した。汽車が出てから四十五分……左手の小山……汽車からとび下りるのはけんのんな仕事だ。でもそれをやり損なって死んでも、したほうがいい。どろぼうの宣告を受けて死ぬよりましだ。
わたしはまたもう一度書きつけを読んでから、それをくちゃくちゃにかんでしまった。
そのあくる日の午後、巡査は監房にはいって来て、すぐついて来いと言った。かれは五十以上の男であった。わたしはかれがたいしてはしっこそうでないのを見て、まずよしと思った。
事件はボブが言ったように進んで行った。汽車は走り出した。わたしは汽車の戸口に席をしめた。巡査はわたしの前にこしをかけた。車室の中はわたしたちだけであった。
「おまえはイギリス語がわかるか」と巡査はたずねた。
「あまり早く言われなければわかります」とわたしは答えた。
「そうか。よし。それでは少しおまえに相談がある」とかれは言った。「法律をあなどらないようにしろ。まあどういうしだいの事件だか、話してごらん。おまえに五シルリングやる。牢の中で金を持っていればよけい気楽だ」
わたしはなにも白状することがないと言おうとしたが、そう言うと巡査をおこらせるだろうと思って、なにも言わなかった。
「まあ、よく考えてごらん」とかれは続けた。「で、刑務所へ行っても、向こうで、いちばん先に来た者に言わないで、わたしの所へそう言ってお寄こし。おまえのことを心配している人間のあることは、つごうのいいことだし、わたしは喜んでおまえの加勢をしてやる」
わたしはうなずいた。
「ドルフィンさんと言ってお聞き。おまえ、名前を覚えたろうなあ」
「ええ」
わたしはドアによりかかっていた。窓はあいていて、風がふきこんだ。巡査はあまり風がはいると言って、こしかけのまん中へ席を移した。わたしの左の手がそっと外へ回ってハンドルを回した。右の手でわたしはドアをつかんだ。数分間たった。汽笛が鳴って速力がゆるんだ。
いよいよだいじなしゅんかんが来た。わたしは急いてドアをおし開けて、できるだけ遠くへとんだ。運よく前へ出していたわたしの手が草にさわった。でも震動はずいぶんひどかったから、わたしは人事不省で地べたに転がった。わたしが正気に返ったとき、わたしはまだ汽車の中にいると思った。わたしはまだ運ばれているように感じたのであった。そこらを見回して、わたしは馬車の中に転がっていることを知った。きみょうだ。わたしのほおはしめっていた。やわらかな温かい舌が、わたしをなめていた。少しふり向くと、一ぴきの黄色い、みっともない犬がわたしの顔をのぞきこんでいた。マチアがわたしのそばにひざをついていた。
「きみは助かったよ」とかれは言って、犬をおしのけた。
「ぼくはどこにいるんだ」
「きみは馬車の中だよ。ボブが御者をしている」
「どうだな」とボブが御者台から声をかけた。「手足が動かせるか」
わたしは手足をのばして、かれの言うとおりにした。
「よし」とマチアは言った。「どこもくじきやしない」
「どうしたんだ」
「きみはぼくらの言ったとおりに、汽車からとび下りた。だが震動で目が回って、みぞの中に転がりこんだ。きみがいつまでも来ないから、ボブが馬車を下りて、小山をかけ下りて、きみをうでにひっかかえて帰って来た。ぼくらはきみが死んだと思ったよ。まったく心配したよ」
わたしはかれの手をさすった。
「それから巡査は」とわたしは聞いた。
「汽車はあのまま進んだ。止まらなかった」
わたしの目はまた、そばでわたしをながめている、みにくい黄色い犬の上に落ちた。
それはカピに似ていた。でもカピは白かった。
「なんだね、この犬は」とわたしはたずねた。
マチアが答える間もないうちに、そのみっともない小さな動物はわたしの上にとびかかった。はげしくなめ回して、くんくん鳴いていた。
「カピだよ。絵の具で染めたのだよ」とマチアが笑いながらさけんだ。
「染めた、どうして」
「だって見つからないようにさ」
ボブとマチアが馬車の中にうまくわたしをかくすようにくふうしてくれているあいだに、わたしは、いったいこれからどこへ行くのだとたずねた。
「リツル・ハンプトンへ」とマチアが言った。「そこへ行けば、ボブのにいさんが船を持っていて、ノルマンデーからバターと卵を運んで、フランスの海岸を回っているのだ。ぼくらはなにからなにまでボブの世話になった。ぼくのようなちっぽけな者が、一人でなにができよう。汽車からとび下りるくふうもボブが考えたのだ」
「それからカピは。カピをうまく取り返したのはだれだ」
「ぼくだよ。だが、ぼくらが犬を交番から取りもどしたあとで、見つからないように黄色く絵の具をぬったのはボブだった。判事はあの巡査を気が利いていると言った。だがカピを連れて行かれるのは、あんまり気が利いたと言えない。もっともカピはぼくのにおいをかぎつけて、ほとんど一人で出て来た。ボブは犬どろぼうの術を知っているのだ」
「それからきみの足は」
「よくなったよ。たいていよくなったよ。じつはぼくは足のことを考えているひまがなかった」
夜になりかかっていた。わたしたちはまだ長い道を行かなければならなかった。
「きみはこわいか」とわたしがだまって転がっていると、マチアがたずねた。
「いや、こわくはない」とわたしは答えた。「だってぼくはつかまるとは思わないから。でもにげ出すということが罪になりやしないかと思うのだ。それが気になるのだ」
「ボブもぼくも、きみを巡回裁判に出すぐらいなら、なにをしてもいいと思ったからな」
あれから、汽車が止まったところで、巡査がさっそく捜索にかかることは確かなので、わたしたちはいっしょうけんめい馬を走らせた。わたしたちの通って行く村は、ひじょうに静かであった。明かりがただ二つ三つ窓に見えた。マチアとわたしは毛布の下にもぐった。しばらくのあいだ寒い風がふいていた。くちびるに舌を当てると、塩からい味がした。ああ、わたしたちは海に近づいていた。
まもなくわたしたちは、ときどき明かりのちらちらするのを見つけた。それが燈台であった。ふとボブは馬を止めて、馬車からとび下りながら、わたしたちに待っていろと言った。かれは兄弟の所へ行って、わたしたちをその船に乗せて、安全に向こう岸までわたれるか、様子を聞きに行ったのであった。
ボブはひじょうに遠くへ行ったらしかった。わたしは口をきかなかった。すぐ間近の岸に、波のくだける音が聞こえた。マチアはふるえていた。わたしもふるえていた。
「寒いね」とかれはささやいた。わたしたちをふるえさせるのは寒さのためだけであったろうか。
やがて往来に足音がした。ボブは帰って来た。わたしの運命が決められた。胴服を着て油じみたぼうしをかぶったぶこつな顔つきの船乗りが、ボブといっしょに来た。
「これがぼくの兄貴だ」とボブが言った。「きみたちを船に乗せて行ってくれるはずだ。そこでぼくはここでお別れとしよう。だれもぼくがきみをここへ連れて来たことを知るはずがないよ」
わたしはボブに礼を言おうとしたが、かれは手短に打ち切った。わたしはかれの手をにぎった。
「それは言いっこなしだ」とかれは軽く言った。「きみたち二人は、このあいだの晩ぼくを助けてくれた。いいことをすればいい報いがあるさ。それでぼくもマチアの友だちを助けてあげることができたのだから、自分でもゆかいだ」
わたしたちはボブの兄弟のあとについて、いくつか折れ曲がった静かな通りを通って、波止場に着いた。かれはひと言も口をきくことなしに、一そうの小さい帆船を指さした。二、三分でわたしたちは甲板の上にいた。かれはわたしたちに下の小さな船室にはいれと言った。
「二時間すれば船を出す」とかれは言った。「そこにはいって、音のしないようにしておいで」
でもわたしたちはもうふるえてはいなかった。わたしたちはまっ暗な中で肩をならべてすわっていた。
白鳥号
ボブの兄弟が立ち去ったあと、しばらくのあいだわたしたちは、ただ風の音と、キールにぶつかる波の音を聞くだけであった。やがて足音が上の甲板に聞こえて、滑車が回りだした。帆が上げられて、やがて急に一方にかしいだ。動き始めたと思うまもなく、船はあらい海の上へぐんぐんすべり出した。
「マチア、気のどくだね」とわたしはかれの手を取った。
「かまわないよ。助かったのだから」とかれは言った。「船に酔ったってなんだ」
そのあくる日、わたしは船室と甲板の間に時間を過ごした。マチアは一人うっちゃっておいてもらいたがった。とうとう船長が、あれがバルフルールだと指さしてくれたとき、わたしは急いで船室に下りて、かれにいい知らせを伝えようとした。
もう、バルフルールに着いたときは、夕方おそくなっていたので、ボブの兄弟はわたしたちによければ今夜一晩船の中でねて行ってもいいと言った。
「おまえさんがまたイギリスへ帰りたいと思うときには」とそのあくる朝、わたしたちがさようならを言って、かれの骨折りを感謝すると、こう言った。「エクリップス号は毎火曜日ここから出帆するのだから、覚えておいで」
これはうれしい好意であったが、マチアにもわたしにも、てんでん、この海を二度とわたりたくない……ともかくも、ここしばらくはわたりたくないわけがあった。
運よくわたしたちのかくしには、ボブの興行を手伝ってもうけたお金があった。みんなで二十七フランと五十サンチームあった。マチアはボブに二十七フランを、わたしたちの逃亡のために骨を折ってくれた礼にやりたいと思ったが、かれは一スーの金も受け取らなかった。
「さてどちらへ出かけよう」わたしはフランスへ上陸するとこう言った。
「運河について行くさ」とマチアはすぐに答えた。「ぼくは考えがあるのだ。ぼくはきっと白鳥号がこの夏は運河に出ていると思うよ。アーサが悪いのだからね。ぼくはきっと見つかるはずだと思うよ」とかれは言い足した。
「でもリーズやほかの人たちは」とわたしは言った。
「ぼくたちはミリガン夫人を探しながら、あの人たちにも会える。運河をのぼって行きながらとちゅう止まってリーズをたずねることができる」
わたしたちは持って来た地図で、いちばん近い川を探すと、それはセーヌ川であることがわかった。
「ぼくたちはセーヌ川をのぼって行って、とちゅう岸で会う船頭に片っぱしから白鳥号を見たかたずねようじやないか。きみの話では、その船はだいぶなみの船とはちがうようだから、見れば覚えているだろうよ」
これからおそらく続くかもしれない長い旅路にたつまえに、わたしはカピのからだを洗ってやるため、やわらかい石けんを買った。わたしにとっては、黄色いカピは、カピではなかった。わたしたちは代わりばんこにカピをつかまえては、かれがいやになるまでよく洗ってやった。でもボブの絵の具は上等な絵の具で、洗ってやってもやはり黄色かった。だがいくらか青みをもってはきた。それでかれをもとの色に返すまでには、ずいぶんたびたび石けん浴をやった。幸いノルマンデーは小川の多い地方であったから、毎日わたしたちは根気よく行水をつかってやった。
わたしたちはある朝小山の上に着いた。わたしたちの前途に当たって、セーヌ川が大きな曲線を作って流れているのを見た。それから進んで行って、わたしたちは会う人ごとにたずね始めた。あのろうかのついた美しい船の白鳥号を見たことはないか――だれもそれを見た者はなかった。きっと夜のうちに通ってしまったのかもしれなかった。わたしたちはそれからルーアンへ行った。そこでもまた同じ問いをくり返したが、やはりいい結果は得られなかった。でもわたしたちは失望しないで、一人ひとりたずねながらずんずん進んだ。
行く道みち食べ物を買う金を取るために、足を止めなければならなかったから、やがてパリの郊外へ着くまでは五日間かかった。
幸いシャラントンに着くと、まもなくどの方角に向かっていいか見当がついた。さっそく例のだいじな質問を出すと、初めてわたしたちは待ちもうけていた返答を受け取った。白鳥号に似た大きな遊山船が、この道を通ったが、左のほうへ曲がって、セーヌ川をずんずん上って行った、というのであった。
わたしたちは岸の近くに下りてみた。マチアは船頭たちの中で舞踏曲をやることになったので、たいへんはしゃぎきっていた。とつぜんダンスをやめて、ヴァイオリンを持って、マチアは気ちがいのように凱旋マーチをひいた。かれがひいているまに、わたしはその船を見たという男によくたずねた。疑いもなくそれは白鳥号であった。なんでもそれはふた月ほどまえ、シャラントンを通って行った。
ふた月か。なんという遠い話であろう。だがなにをちゅうちょすることがあろう。わたしたちにも足がある。向こうも二ひきのいい馬の足がある。でもいつか追い着くであろう。ひまのかかるのはかまったことではない。なによりだいじな、しかもふしぎなことは、白鳥号がとうとう見つかったということであった。
「ねえ、まちがってはいなかった」とマチアがさけんだ。
わたしに勇気があれば、マチアに向かって、わたしがひじょうに大きな希望を持っていることを打ち明けたかもしれない。けれどわたしは自分の心を自分自身にすら細かく解剖することができなかった。わたしたちはもういちいち立ち止まって人に聞く必要はなかった。白鳥号がわたしたちの先に立って進んで行く。わたしたちはただセーヌ川について行けばいいのだ。わたしたちは道みちリーズのいる近所を通りかけていた。わたしはかの女がその家のそばの岸を船の通るとき、見ていなかったろうかと疑った。
夜になっても、わたしたちはけっしてつかれたとは言わなかった。そしてあくる朝は早くから出かける仕度をしていた。
「ぼくを起こしてくれたまえ」とねむることの好きなマチアは言った。
それでわたしが起こすと、かれはすぐにとび起きた。
倹約するためにわたしたちは荒物屋で買ったゆで卵と、パンを食べた。でもマチアはうまいものはたいへん好んでいた。
「どうかミリガン夫人が、そのタルトをうまくこしらえる料理番をまだ使っているといいなあ」とかれは言った。「あんずのタルトはきっとおいしいにちがいない」
「きみはそれを食べたことがあるかい」
「ぼくはりんごのタルトを食べたことはあるが、あんずのタルトは知らない。見たことはあるよ。あの黄色いジャムの上にいっぱいくっついている、白い小さなものはなんだね」
「はたんきょうさ」
「へええ」こう言ってマチアはまるでタルトを一口にうのみにしたように口を開いた。
水門にかかって、わたしたちは白鳥号の便りを聞いた。だれもあの美しい小舟を見たし、あの親切なイギリスの婦人と、甲板の上のソファにねむっている子どものことを話していた。
わたしたちはリーズの家の近くに来た。もう二日、それから一日、それからあとたった二、三時間というふうに近くなってきた。やがてその家が見えてきた。わたしたちはもう歩いてはいられない。かけ出した。どこへわたしたちが行くかわかっているらしいカピは、先に立って勢いよく走った。かれはわたしたちの来たことをリーズに知らせようとしたのであった。かの女はわたしたちをむかえに来るだろう。
けれどもわたしたちがその家に着いたとき、戸口には知らない女の人が一人立っているだけであった。
「シュリオのおかみさんはどうしました」とわたしはたずねた。
しばらくのあいだかの女は、ばかなことを聞くよ、と言わないばかりに、わたしたちの顔をながめた。
「あの人はもうここにはいませんよ」とやっとかの女は言った。「エジプトに行っていますよ」
「なにエジプトへ」
マチアとわたしはあきれて顔を見合わせた。わたしたちはほんとうにエジプトのある位置をよくは知らなかったが、それはぼんやりごくごく遠い海をこえて向こうのほうだと思っていた。
「それからリーズはどうしたでしょう。知っていますか」
「ああ、小さなおしのむすめだね。そう、あの子は知っているよ。あの子はイギリスのおくさんと船に乗って行きましたよ」
「へえ、リーズが白鳥号に」
ゆめを見ているのではないか。マチアとわたしはまた顔を見合った。
「おまえさん、ルミさんかい」とそのとき女はたずねた。
「ええ」
「まあ、シュリオさんは、水で死にましたよ……」
「ええ、水で死んだ」
「そう、あの人は水門に落ちて、くぎにひっかかって死んだのだ。それから気のどくなおかみさんはどうしていいかわからずにいた。するとあの人が先におよめに来るまえに奉公していたおくさんが、エジプトへ行くというので、そのおくさんにたのんで子どもの乳母にしてもらった。そうなるとリーズはどうしていいかわからずに困っていたところへ、イギリスのおくさんと病身の子どもが船に乗って運河を下りて来た。そのおくさんと話をしているうち、おくさんはいつも独りぼっちでたいくつしているむすこさんの遊び相手を探しているところなので、リーズをもらって行って、教育してみようと言ったのさ。おくさんの言うのには、この子を医者にみせたら、おしが治っていつか口がきけるようになろうということだからと言った。それでいよいよたって行くときに、リーズがおばさんに、もしおまえさんがここへ訪ねて来たら、こうこう言ってくれということづけをたのんで行ったそうだ。それだけですよ」
わたしはなんと言おうか、ことばの出ないほどおどろいた。でもマチアはわたしのようにぼんやりはしなかった。
「そのイギリスのおくさんはどこへ行ったでしょう」
「スイスへね。リーズはわたしの所に向けて、おまえさんにあげるあて名を書いて寄こすはずだったが、まだ手紙は受け取らないよ」
生きた証拠
「さあ、進め、子どもたち」婦人に礼を言ってしまうと、マチアがこうさけんだ。
「こうなるとぼくたちがあとを追うのは、アーサとミリガン夫人だけではなく、リーズまでいっしょなのだ。なんという幸せだ。どういう回り合わせになるか、わかったものではないなあ」
わたしたちはそれからまた白鳥号探索の旅を続けた。ただ夜とまって、ときどきすこしの金を取るだけに足を止めた。
「スイスからはイタリアへ出るのだ」とマチアが感情をこめて言った。「もしミリガン夫人を追いかけて行くうちに、ルッカまで出たら、ぼくの小さいクリスチーナがどんなにうれしがるだろうな」
気のどくなマチア、かれはわたしのために、わたしの愛する人たちを探すことに骨を折っている。しかもわたしはかれを小さな妹に会わせるためにはすこしも骨を折ってはいないのだ。
リヨンで、わたしたちは、白鳥号の便りを聞いた。それはほんの六週間わたしたちよりまえにそこを通ったのであった。それではいよいよスイスまで行かないうちに追い着くかもしれないと思った。そのときはまだ、ローヌ川からジュネーヴの湖水までは船が通らないことを知らなかった。わたしたちはミリガン夫人がまっすぐに船でスイスへ行ったものと思っていた。
するとそのつぎの町でふと白鳥号の姿を遠くに見つけたとき、どんなにわたしはびっくりしたであろう。わたしたちは河岸についてかけ出した。どうしたということだ。小舟の上はどこもここも閉めきってあった。ろうかの上に花もなかった。アーサはどうかしたのかしらん。わたしたちはおたがいに同じようなしずみきった顔を見合わせながら立ち止まった。
するとそのとき船を預かっていた男がわたしたちに、イギリスのおくさんは病人の子どもと、おしの小むすめを連れてスイスへ出かけたと言った。かれらは一人女中を連れて、馬車に乗って行った。あとの家来は荷物を運びながら、続いて行った。
これだけ聞いて、わたしたちはまた息が出た。
「それでおくさんはどちらに行かれたのでしょう」とマチアがたずねた。
「おくさんはヴヴェーに別荘を持っておいでだ。だがどのへんだかわからない。なんでも夏はそこへ行ってくらすことになっているのだ」
わたしたちはヴヴェーに向かって出発した。もう向こうはずんずん歩いて行く旅ではない、足を止めているのだから、ヴヴェーへ行って探せば、きっとわかる。
こうしてわたしたちがヴヴェーに着いたときには、かくしに三スーの金と、かかとをすり切った長ぐつだけが残った。でもヴヴェーは思ったように小さな村ではなかった。それはかなりな町で、ミリガン夫人はとか、病人の子どもとおしのむすめを連れたイギリスのおくさんはとか言ってたずねたところで、いっこうばかげていることがわかった。ヴヴェーにはずいぶんたくさんのイギリス人がいた。その場所はほとんどロンドン近くの遊山場によく似ていた。いちばんいいしかたは、あの人たちが住んでいそうな家を一けん一けん探して歩くことである。そしてそれはたいしてむずかしいことではないであろう。わたしたちはただ町まちで音楽をやって歩けばいいのだ。
それで毎日根よくほうぼうへ出かけて、演芸をやって歩いた。けれどまだミリガン夫人の手がかりはなかった。
わたしたちは湖水から山へ、山から湖水へ、右左を見て、しじゅう往来の人の顔つきをのぞいたり、ことばを聞いて、返事をしてくれそうな人にたずねて歩いた。ある人はわたしたちを山の中腹に造りかけた別荘へ行かせた。また一人は、その人たちは湖水のそばに住んでいると断言した。なるほど山の別荘に住んでいるのもイギリスのおくさんであった。湖水のそばに家を持っていたのもイギリスのおくさんであったが、わたしたちのたずねるミリガン夫人ではなかった。
ある日の午後、わたしたちは例のとおり往来のまん中で音楽をやっていた。そこに大きな鉄の門のある家があった。母屋は園のおくに引っこんで建っていた。前には石のかべがあった。わたしはありったけの高い声で歌を歌っていた。例のナポリの小唄の第一節を歌って第二節にかかろうとしていたとき、か細いきみょうな声で歌う声がした。だれだろう。なんというふしぎな声だろう。
「アーサじゃないかしら」とマチアが聞いた。
「いいや、アーサではない。ぼくはこれまであんな声を聞いたことがなかった」
けれどそのうちカピがくんくん言い始めた。はげしい歓喜の表情のありったけを見せて、かべに向かってとびかかっていた。
「だれが歌を歌っているのだ」と、わたしはもう自分をおさえることができなくなってさけんだ。
「ルミ」と、そのときそのきみょうなか細い声がさけんだ。いまのわたしのことばに返事をする代わりに、わたしの名前を呼んだのだ。
マチアとわたしはかみなりに打たれたようにおたがいに顔を見合わせた。わたしたちがあっけにとられて、てんでんの顔を見合ったまま立っていると、かべの向こうにハンケチが一枚ひらひらしているのが見えた。わたしたちはそこへかけ出して行った。わたしたちは、園の向こう側を取り巻いているかきねのそばまで行ってみて、初めてハンケチをふっている人を見つけた。
「リーズだ」
とうとうわたしたちはかの女を見つけた。もう遠くない所にミリガン夫人も、アーサもいるにちがいなかった。
「でもだれが歌を歌ったのだろう」
これがマチアもわたしも、やっとことばが出るといきなり持ち出した質問であった。
「わたしよ」とリーズが答えた。
リーズが歌っていた。リーズが話しかけていた。
医者は、いつかリーズがかの女のことばを取り返すだろう、それはたぶんはげしい感動の場合だと言っていたが、わたしはそんなことができるはずがないと思っていた。でも目の前に奇跡は行われた。そしてそれはわたしがかの女の所に来て、いつも歌い慣れたナポリ小唄を歌うのを聞いて、はげしい感動を起こしたしゅんかんに、かの女がその声を回復したことがわかった。わたしはそう思って、深く心を打たれたあまり、両手を延ばしてからだをまっすぐにした。
「ミリガン夫人はどこにいるの」とわたしはたずねた。「それからアーサは」
リーズはくちびるを動かしたが、ほんの聞き取れない音を出しただけで、じれったくなって、いつもの手まねのことばになった。かの女はまだことばをほんとうに出すだけに器用に舌が働かなかった。
かの女はそのとき園を指さした。そこにアーサが病人用のねいすにねているのを見た。そのそばに母の夫人がいた。そしてもう一つこちらには……ジェイムズ・ミリガン氏がいた。
こわくなって、実際戦慄して、わたしはかきねの後ろにはいこんだ。リーズはわたしがなぜそんなことをするか、ふしぎに思ったにちがいない。そのときわたしは手まねをして、かの女に向こうへ行かせた。
「おいで、リーズ。それでないとぼくが、災難に会うから」とわたしは言った。「あした九時にここへおいで。一人でだよ。そのとき話してあげるから」
かの女はしばらくちゅうちょしたが、やがて園へはいって行った。
「ぼくたちはミリガン夫人に話をするのをあしたまで待っていてはいけない」とマチアが言った。「こう言ううちもあの悪おじさんがアーサを殺しかねない。あの人はまだぼくの顔は知らないのだから、ぼくはすぐにミリガン夫人に会いに行って話をする」
マチアの言うところに道理があったので、わたしはかれを出してやった。わたしはしばらくのあいだ、少しはなれた大きなくりの木のかげに待っていることにした。
わたしは長いあいだマチアを待った。十何度も、わたしはかれを出してやったのが、失敗ではなかったかと疑った。
やっとのことで、わたしはかれがミリガン夫人を連れてもどって来るのを見た。わたしはあわてて夫人のほうへかけて行って、わたしに差し出された手をつかんで、その上にからだをかがめた。しかしかの女は両うでをわたしのからだに回して、こごみながら優しくわたしの額にキッスした。
「まあ、どうおしだえ」と夫人はつぶやいた。
夫人は美しい白い指で、わたしの額髪をなでて、長いあいだわたしの顔を見た。
「そうだそうだ」とかの女は優しく独り言をささやいた。
わたしはあまり幸福で、ひと言もものが言えなかった。
「マチアとわたしは長いあいだお話をしましたよ」とかの女は言った。「でもわたしはあなたがどうしてドリスコルのうちへ行くようになったか、あなたの口から聞きたいと思うのですよ」
わたしはかの女に問われるままに答えた。そしてかの女は、そのあいだときどき口をはさんで、所どころ要点を確かめるだけであった。わたしはこれほどの熱心をもって話を聞いてもらったことがなかった。かの女の目はすこしもわたしからはなれなかった。
わたしが話をしてしまったとき、かの女はしばらくだまって、わたしの顔を見つめていた。最後にかの女は言った。
「これはなかなか重大なことだから、よく考えなければならない。けれどいまからあなたはアーサのお友だち……」
こう言ってかの女はすこしちゅうちょしながら、「兄弟だと思ってください。二時間たったら、ザルプというホテルへ来てください。さしあたりそこに待っていてくれれば、だれか人を寄こしてそちらへ案内させますから。ではしばらくごめんなさいよ」
ふたたび夫人はわたしにキッスした。そしてマチアと握手をして、足早に歩いて行った。
「きみはミリガン夫人になにを話したのだ」とわたしはマチアに質問した。
「あの人がいまきみに言っただけのことさ。それからまだいろいろなことをね」とかれは答えた。
「ああ、あの人は親切なおくさんだね。りっぱなおくさんだね」
「アーサにも会ったかい」
「ほんの遠方から。でもりっぱな子どもだということはよくわかった」
わたしはまだマチアに質問し続けた。けれどもかれは、何事もぼんやりとしか答えなかった。
わたしたちは相変わらずぼろぼろの旅仕度であったが、ホテルでは黒の礼服に白のネクタイをした給仕に案内をされた。かれはわたしたちを居間へ連れて行った。わたしたちの寝部屋をわたしはどんなに美しいと思ったろう。そこには白い寝台がならんでいた。窓は湖水を見晴らす露台に向かって開いていた。給仕は「夕食にはなんでもお好みのものを」と言った。そうして、よければ露台へ食卓を出そうかとも言った。
「タルトがありますか」とマチアがたずねた。
「へえ、大黄のタルトでも、いちごのタルトでも、すぐりの実のタルトでも」
「よし。ではそのタルトをぜひ出してください」
「三種ともみんな出しますか」
「むろん」
「それからお食事は。肉はなんにいたしましょう。野菜は……」
いちいちの口上にマチアは目を丸くした。でもかれはいっこう閉口したふうを見せなかった。
「なんでもいいように見計らってください」とかれは冷淡に答えた。
給仕はもったいぶって部屋を出て行った。
そのあくる日ミリガン夫人は、わたしたちに会いに来た。かの女は洋服屋とシャツ屋を連れて来た。わたしたちの服とシャツの寸法を計らせた。ミリガン夫人は、リーズがまだ話をしようと努めていることを話して、医者はもうじき治ると言っていると言った。それから一時間わたしたちの所にいて、またわたしに優しくキッスし、マチアと固い握手をして、出て行った。
四日続けてかの女は来た。そのたんびにだんだん優しくも、愛情深くもなっていったが、やはりいくらかひかえ目にするところがあった。五日目に、わたしが白鳥号でおなじみになった女中が夫人の代わりに来て、ミリガン夫人がわたしたちを待ち受けている、もうおむかえの馬車がホテルの門口に来ていると言った。マチアはさっそく一頭引きの馬車の上に、むかしから乗りつけている人のように乗りこんだ。カピもいっこうきまり悪そうなふうもなく中へとびこんで、ビロードのしとねの上にゆうゆうと上がりこんだ。
馬車の道はわずかであった。あまりわずかすぎたと思った。わたしはゆめの中を歩いている人のように、ばかげた考えで頭の中がいっぱいであった。いや、すくなくともわたしの考えたことはばかげていたらしかった。わたしたちは客間に通された。ミリガン夫人と、アーサと、リーズがそこにいた。アーサは手を差し延べた。わたしはかれのほうへかけ出して行って、それからリーズにキッスした。ミリガン夫人はわたしにキッスした。「やっとのことで」とかの女は言った。「あなたのものであるはずの位置に、あなたを置くことができるようになりました」
わたしはこう言われたことばの意味を話してもらおうと思って、かの女の顔を見た。かの女はドアのほうへ寄って、それを開けた。そのときこそほんとうにびっくりするものが現れた。バルブレンのおっかあがはいって来た。その手には赤んぼうの着物、同じカシミアの外とう、レースのボンネット、毛糸のくつなどをかかえていた。かの女がこれらの品物を机に置くか置かないうちに、わたしはかの女をだきしめた。わたしがかの女にあまえているあいだに、ミリガン夫人は召使いに何か言いつけた。そのときほんの、「ジェイムズ・ミリガン」という名を聞いただけであったが、わたしは青くなった。
「あなたはなにもこわがることはないのよ」とミリガン夫人は優しく言った。「ここへおいで。あなたの手をわたしの手にお置きなさい」
ジェイムズ・ミリガン氏は例の白いとんがった歯をむき出して、にこにこしながらはいって来た。ところがわたしの顔を見ると、微笑がものすごい渋面になった。ミリガン夫人はかれにものを言うひまをあたえなかった。
「あなたにおいでを願いましたのは」と、ミリガン夫人はやや声をふるわせながら言った。「長男がやっと見つかりましたので、あなたにお引き合わせしたいとぞんじまして」こう言ってかの女はわたしの手をにぎりしめた。
「でもあなたはもうこの子にはお会いくださいましたそうですね。この子をぬすんだ男の家で、この子にお会いになって、からだの具合をお調べになったそうですね」
「それはなんのことです」とジェイムズ・ミリガン氏が反問した。
「なんでもお寺へ盗賊にはいったその男が、残らず白状いたしましたそうです。その男はどういうふうにしてわたくしの赤んぼうをぬすみ出して、パリへ連れて行き、そこへ捨てたか、その一部始終を述べました。これがわたくしの子どもの着ておりました着物でございます。わたくしの子どもを育ててくれましたのは、この正直なおばあさんでございました。この手続をお読みになりたいとおぼしめしませんか。この着物を調べてごらんになりたいとおぼしめしませんか」
ジェイムズ・ミリガン氏はわたしにとびかかって、しめ殺してでもやりたいような顔をしたが、やがてくるりとかかとをふり向けた。そしてしきい際でかれはふり返って言った。
「いずれ法廷が、この子どもの作り話をどう聞くか、見てみましょうよ」
わたしの母、もういまはそう呼んでもいいが、――母はそのとき静かに答えた。
「あなたが法廷へこの事件をお持ち出しになるのはご随意です。わたくしはあなたが夫のご兄弟でいらっしゃるために、わざとそれをさしひかえたのでございます」
ドアは閉まった。そのとき、生まれて初めてわたしは、母を、かの女がわたしにキッスしたようにキッスし返した。
「きみ、お母さんに、ぼくが秘密をよく守ったことを話してくれたまえ」とマチアがわたしのそばに寄って来てこう言った。
「ではきみは残らず知っていたのか」
「わたしはマチアさんにそれをそっくり言わずにいるようにたのんでおいたのです」とわたしの母が言った。「それはあなたがわたしの子だということはわかっていたけれど、わたしも確かな証拠をにぎりたかったから、バルブレンのおっかさんに、着物を持ってここまで来てもらったのです。こんなにしたうえで、つまりそれがまちがいだということになったら、どんなにつらい思いをするかしれないからね。わたしたちはこれだけの証拠のあるうえは、もう二度と別れることはないのよ。あなたはこれからずっとあなたの母さんや弟といっしょにくらすのです」こう言ってマチアとリーズを指さしながら、「それから」と言いそえた。「あなたが貧しかったときおまえの愛したこの人たちもね」
家庭で
いく年か、それはずいぶん長い月日が短く過ぎた。そのあいだしじゅう楽しい幸福な日が続いた。わたしはいまでは、わたしの先祖からのやしきであるイギリスのミリガン・パークに住んでいる。
うちのない子、よるべのない子、この世の中に捨てられ、忘れられて、運命のもてあそぶままに西に東にただよって、広い大海のまん中に、目標になる燈台もなく、避難の港もなかったみなし子が、いまでは自分が愛し愛される母親や兄弟があるだけではない、その国で名誉のある先祖の名跡をついで、ばくだいな財産を相続する身の上になったのである。
夜な夜な、物置きやうまやの中、または青空の下の木のかげにねむったあわれな子どもが、いまは歴史に由緒の深い古城の主人であった。
わたしが汽車からとび下りて、押送の巡査の手からのがれて船に乗った、あの海岸から西へ二十里(約八十キロ)へだたった所に、わたしの美しい城はあった。
このミリガン・パークの本邸に、わたしは母と、弟と、妻と、自分とで、家庭を作っていた。
半年前からわたしは城内の文庫にこもって、わたしの長い少年時代の思い出を、せっせと書きつづっていた。わたしたちはちょうど長男のマチアのために洗礼式を上げようとしている。今夜わたしのやしきには貧窮であった時代の友だちが集まって、いっしょに洗礼式を祝おうとしている、わたしの書きつづった少年時代の思い出は一冊の本にできあがっていた。今夜集まる人たちに一冊ずつ分けるつもりである。
これだけわたしのむかしの友だちの集まるということが、わたしの妻をおどろかした。かの女はこの一夜に、父親と、姉と、兄と、おばさんに会うはずであった。ただ母と弟にはまだ内証にしてあった。もう一人この席にだいじな人が欠けていた。それはあの気のどくなヴィタリス親方。
親方の生きているあいだには、わたしはなにもこの人のためにしてやることができなかった。でもわたしは母にたのんで、この人のために大理石の墓を築かせた。その墓の上にはカルロ・バルザニの半身像をすえさせた。その半身像の複製はこうして書いているわたしの卓上にあった。「思い出の記」を書いている間も、わたしはたびたび目を上げてこの半身像をながめた。わたしの目はわけなくこの像にひきつけられた。わたしはこの人をけっして忘れることができない。なつかしいヴィタリス親方を忘れることはできない。
そう思っているとき、母が弟のうでにもたれかかって出て来た。弟のアーサはもうすっかりおとなになって、からだもじょうぶになって、いまではりっぱに母をだきかかえする人になっていた。母の後ろからすこしはなれて、フランスの百姓女のようなふうをした婦人が、白いむつき(おむつ)に包まれた赤子をだいてついて来た。これこそむかしのバルブレンのおっかあで、だいている子どもは、わたしのむすこのマチアであった。
アーサがそのとき「タイムズ」新聞を一枚持って来て、ウィーンの通信記事を読めといって見せてくれた。それを見ると、いまは大音楽家になったマチアが、演奏会を一とおりすませたところで、とりわけウィーンでの大成功がかれをせつに引き止めているにかかわらず、あるやむにやまれないやくそくを果たすため、ただちにイギリスに向かって出発の途に着いたと書いてあった。わたしはそのうえ新聞記事をくどくどと読む必要がなかった。いまでこそ世間はかれを、ヴァイオリンのショパンだといってほめそやすが、わたしはとうからかれのめざましい成長発達を予期していた。わたしと弟とかれと三人、同じ教師について勉強していたじぶん、マチアは、ギリシャ語やラテン語こそいっこう進歩はしなかったが、音楽ではずんずん先生を凌駕(しのぐ)していた。こうなると、マンデの床屋さん兼業の音楽家エピナッソー先生の予言がなるほどとうなずかれた。
そのとき、配達夫が一通の電報を配達して来た。その文言にはこうあった。
「海上はなはだあらく、ひどくなやまされた。とちゅうパリに一泊。妹クリスチーナを同伴四時に行く。出むかえの馬車をたのむ。マチア」
クリスチーナの名が出たので、わたしはアーサの顔を見た。するとかれはきまり悪そうに目をそらせた。アーサがマチアの妹のクリスチーナを愛していることはわたしにはわかっていた。そしていつか、それがいますぐというのではなくとも、母がこの結婚を承知することはわかっていた。子どもの誕生のお祝いばかりですむものではない。母はわたしの結婚にも反対しなかった。いまにそうするのが、つまりアーサのためだとわかれば、これにも反対するはずがなかった。
リーズ、わたしの美しい美しいリーズがろうかを通って出て来て、わたしの母の頭に手をかけた。
「ねえ、お母さま」とかの女は言った。「あなたはうまくたくらみにかかっておいでなのですわ。それであなたに不意討ちを食わせて、おどろかそうというのでしょう。
それもおもしろいでしょう。でもわたしはちっともおどろきませんわ」
「おい、リーズ、そんなことを言っているうちに、だしぬけを食ってびっくりするなよ」とわたしは言った。そのとき外でがらがらと馬車の止まった音がした。
一人、一人、お客が着くと、わたしとリーズは広間へ出てむかえた。アッケン氏、カトリーヌおばさん、エチエネット、それからたったいま植物採集の旅から帰ったばかりの有名な植物学者バンジャメン・アッケンの胴色に焼けた顔が現れた。それから青年が一人、老人が一人やって来た。今度の旅行はかれらにとって二重の興味があった。というわけは、この人たちはわたしどもの招待をすませると、ウェールズまで鉱山見物に出かけるはずになっていた。この青年のほうは鉱山の視察をとげて、国にたんとみやげ話を持って帰って、かれがいまツルイエールの鉱山でしめている重い位置にいっそうの箔をつけようというのであったし、老人のほうはこのごろヴァルセの町で鉱石収集をやって町で重んぜられているので、今度の調査の結果いっそう重大な発見をとげて帰ろうとするのであった。この老人と青年というのは、言うまでもなく、ヴァルセ鉱山で働いていた「先生」と、アルキシーとであった。
リーズとわたしが来賓にあいさつをしていると、またがらがらと四輪馬車が着いて、アーサとクリスチーナとマチアが中から出て来た。すぐそのあとに続いて、一両の二輪馬車が着いた。気の利いた顔つきの男が御者をして、これと背中合わせに一人、ぼろぼろの服を着た船乗りが乗っていた。たづなをひかえて御者をしているのは、このごろ金のできたボブで、いっしょに乗って来たのは、あのときわたしをイギリスの海岸からにがしてくれたボブの兄であった。
さて洗礼式がすむと、マチアはわたしを窓際まで連れ出した。
「わたしたちはこれまで、知らないよその人のためにばかり音楽をやっていた。さあこの記念の席上でわたしたちの愛する人びとのために音楽をやろうじやないか」とかれは言った。
「おい、マチア、きみは音楽のほかに楽しみのない男だね」とわたしは笑いながら言った。「きみの音楽のおかげで雌牛をおどろかして、ひどい目に会ったっけなあ」
マチアは歯をむき出して笑った。
ビロードで側を張ったりっぱなはこから、売ったら二フランとはふめまいと思う古ぼけたヴァイオリンをマチアは取り出した。わたしもふくろの中から、むかしのハープを取り出した。雨に洗われて、もとのぬり色ももう見分けることができなくなっていた。
「きみは好きなナポリ小唄を歌いたまえ」とマチアが言った。
「うん、この歌のおかげで、リーズは口がきけるようになったのだからなあ」
こうわたしは言って、にっこりしながら、そばに立っていた妻をふり向いた。
来賓はわたしたちのぐるりを取り巻いた。
ふと一ぴきの犬がとび出して来た。
大好きなカピのじいさん、この犬はもうたいへん年を取って、耳が遠くなっていたが、視力はまだなかなかしっかりしていた。ねていた暖かいしとねの上から、むかしなじみのハープを見つけると、「演芸」が始まると思ってはね起きて来た。歯ぐきの間には下ざらを一枚くわえていた。かれは「ご臨席の来賓諸君」の間をどうどうめぐりするつもりでいた。
かれはむかしのように、後足で立って歩こうとした。けれどもうそれだけの力がないので、まじめくさってぺったりすわったまま、前足で胸を打って、来賓にごあいさつをした。
わたしたちの歌がおしまいになると、カピはいっしょうけんめい立ち上がって、「どうどうめぐり」を始めた。みんなが下ざらにいくらかずつほうりこむと、カピはほくほくしてそれをわたしの所へ持って帰った。これこそかれがこれまで集めたいちばんの金高であった。中には金貨と銀貨ばかり――百七十フランはいっていた。
わたしはむかししたように、かれの冷たい鼻にキッスした。するうち、子どもの時代の困窮が思い出して、ふとある考えがうかんだ。わたしはそこで来賓に向かって、この金はさっそくあわれな大道音楽師のために救護所設立の第一回寄付金としたいと宣言した。そのあとの寄付はわたしと母とですることにする。
「おくさん」とそのときマチアがわたしの母の手にキッスしながら言った。「わたしにもその慈善事業のお手伝いをさせてください。ロンドンで開くはずのわたしの演奏会第一夜の収入は、どうぞカピのさらの中へ入れさせてください」
こう言うと、カピも「賛成」というように、一声高くウーとほえた。
(おわり)