女大学評論

一 それ女子にょしは成長して他人の家へ行きしゅうとしゅうとめつかふるものなれば、男子なんしよりも親の教ゆるがせにすべからず。父母寵愛してほしいままそだてぬれば、おっとの家に行て心ず気随にて夫にうとまれ、又は舅のおしただしければ堪がたく思ひ舅をうらみそしり、なか悪敷あしく成て終には追出され恥をさらす。女子の父母、我おしえなきことをいわずして舅夫の悪きことのみ思ふは誤なり。是皆女子の親の教なきゆゑなり。

 成長して他人の家へ行くものは必ずしも女子に限らず、男子も女子と同様、総領以下の次三男は養子として他家に行くの例なり。人間世界に男女同数とあれば、其成長して他人の家に行く者の数もまさしく同数と見てなり。あるいは男子は分家して一戸の主人となることあるゆえ女子に異なりと言わんかなれども、女子ばかり多く生れたる家にては、其内の一人を家に置き之に壻養子して本家を相続せしめ、其外の姉妹にも同様壻養子して家を分つこと世間に其例はなはだ多し。れば子に対して親の教をゆるがせにすべからずとは尤至極もっともしごくの沙汰にして、もある可きことなれども女子に限りて男子よりも云々とは請取り難し。男の子なれば之を寵愛してほしいままに育てるも苦しからずや。養家に行きて気随気儘きずいきままに身を持崩し妻にうとまれ、又は由なき事に舅を恨みそしりて家内に風波を起し、ついに離縁されても其身の恥辱とするに足らざるか。ソンナ不理窟はなかる可し。女子の身に恥ず可きことは男子においてもまた恥ず可き所のものなり。故に父母の子を教訓するは甚だし。父母たる者の義務としてのがれられぬ役目なれども、ひとり女子に限りて其教訓を重んずるとはそもそも立論の根拠を誤りたるものと言う可し。世間或は説あり、父母の教訓は子供の為めに良薬の如し、いやしくも其教の趣意にして美なれば、女子の方に重くして男子の方を次ぎにするも、其辺は問う可き限りに非ずと言う者あれども、大なる誤なり。元来人の子に教を授けて之を完全に養育するは、病人に薬を服用せしめて其薬に適宜てきぎの分量あるが如し。既に其分量を誤るときは良薬もかえって害を為す可し。左れば父母が其子を養育するに、仮令たとい教訓の趣意は美なりとするも、女子なるが故にとて特に之を厳にするは、男女同症の患者に対して服薬の分量を加減するに異ならず。女子の方に適宜なれば男子の方は薬量の不足を感じ、男子に適量なりとすれば女子の服薬は適量にして必ず瞑眩めいげんせざるを得ず。女子は男子よりも親の教、ゆるがせにす可らず、気随ならしむ可らずとは、父母たる者は特に心を用いて女子の言行を取締め、之を温良恭謙に導くの意味ならん。温良恭謙、もとより人間の美徳なれども、女子に限りて其教訓を忽にせずと言えば、女子に限りて其趣意を厚く教うるの意味ならん。即ち薬剤にて申せば女子に限りて多量に服せしむるの意味ならんなれども、さてこの一段に至りて、女子の力は果して能く此多量の教訓に堪えて瞑眩することなきを得るや否や甚だ覚束おぼつかなし。既に温良恭謙柔和忍辱にんにくの教に瞑眩すれば、一切万事控目になりて人生活動の機を失い、言う可きを言わず、為す可きを為さず、聴く可きを聴かず、知る可きを知らずして、遂に男子の為めに侮辱せられ玩弄せらるゝの害毒に陥ることなきを期す可らず。故に此一章の文意、美は則ち美に似たれども、特に男子よりも云々と記して男女を区別したるは、女性の為めに謀りて千載のうらみと言うも可なり。

一 女はかたちよりも心のすぐれるをよしとすべし。心緒こころばえよしなき女は、こころ騒敷さわがしくまなこ恐敷おそろしく見出みいだして、人を怒り言葉あららか[#「つつみがまえ<言」、22-6]物言ものいいさがなく、くちきき[#「就/言」、22-6]て人に先立ち、人をうらみねたみ、我身に誇り、人をそしり笑ひ、われひと勝貌まさりがおなるは、皆女の道にたがえるなり。女はただやわらかに随ひて貞信に情ふかく静なるをよしとす。

 冒頭第一、女は容よりも心の勝れたるを善とすと言う。女子の天性容色を重んずるが故に、其唯一に重んずる所の容よりも心の勝れたるこそ善けれと記して、文章に力を付けたるは巧なりといえども、唯是れ文章家の巧として見る可きのみ。其以下婦人の悪徳を並べ立てたる箇条は読んで字の如く悪徳ならざるはなし。心騒しく眼恐しく云々、如何にも上流の人間にあるまじき事にして、必ずしも女の道に違うのみならず、男の道にも背くものなり。心気粗暴、眼光恐ろしく、ややもすれば人に向て怒を発し、言語粗野にして能くののしり、人の上に立たんとして人を恨み又嫉み、自から誇りて他をそしり、人に笑われながら自から悟らずして得々たるが如き、実に見下げ果てたる挙動にして、男女に拘わらずかかる不徳は許す可らず。人間たる者は和順、貞信、人情深くして心静なる可し。誠に申分なき教訓にして左こそありたきことなれども、此章に於ては特に之を婦人の一方に持込み、かくの如きは女の道に違うものなり、女の道は斯くある可しと、女ばかりをいましめ、女ばかりに勧むるとは、其意を得難し。例えば女の天性妊娠するの約束なるが故に妊娠中は斯く/\の摂生す可しと、特に女子に限りて教訓するが如きは至極もっともに聞ゆれども、男女共に犯す可らざる不徳を書並べ、男女共に守る可き徳義を示して、女ばかりを責るとは可笑おかしからずや。犬の人に※(「齒+乞」、第4水準2-94-76)かみつきて却て夜を守らざるは、悪性の犬なり、不能の犬なり。然るに此悪性不能を牝犬の一方に持込み、牝犬の人を※(「齒+乞」、第4水準2-94-76)み夜を守らざるは宜しからずとのみ言うは不都合ならん。牡犬なれば悪性にても不能にても苦しからずや。議論片落かたおちなりと言う可し。けだし女大学の記者は有名なる大先生なれども、一切万事支那流より割出して立論するが故に、男尊女卑のへきは免かる可らず。実際の真面目しんめんぼくを言えば、常にく夜を守らずして内を外にし、ややもすれば人を叱倒しかりたおし人を虐待するが如き悪風は男子の方にこそ多けれども、其処そこ大目おおめに看過して独り女子の不徳を咎むるは、所謂いわゆる儒教主義の偏頗へんぱ論と言う可きのみ。

一 女子は稚時いとけなきときより男女のわかちを正くして仮初かりそめにも戯れたることをきかしむべからず。古への礼に男女は席を同くせず、衣裳をも同処おなじところおかず、同じ所にてゆあみせず、物を受取渡す事も手より手へじきにせず、よるゆくときは必ずともしびをともしてゆくべし、他人はいふに及ばず夫婦兄弟にても別を正くすべしと也。今時いまどきの民家は此様の法をしらずして行規ぎょうぎみだりにして名をけがし、親兄弟にはじをあたへ一生身をいたずらにする者有り。口惜くちおしき事にあらずや。女は父母のおおせ媒妁なかだちとに非ざれば交らずと、小学にもみえたり。仮令たといいのちを失ふとも心を金石のごとくに堅くして義を守るべし。

 幼稚の時より男女の別を正くして仮初かりそめにも戯れたる事を見聞せしむ可らずと言う。即ち婬猥いんわい不潔のことは目にも見ず耳にも聞かぬようにす可しとの意味ならん。至極の教訓なり。是等はすべて家風に存することにして、おさなき子供の父たる家の主人が不行跡にて、内にめかけを飼い外に花柳に戯るゝなどの乱暴にては、如何に子供を教訓せんとするも、婬猥不潔の手本を近く我が家の内に見聞するが故に、千言万語の教訓は水泡に帰す可きのみ。又男女席を同うせず云々とていにしえの礼を示したるも甚だ宜しけれども、人事繁多の今の文明世界に於て、果して此古礼を実行す可きや否や、一考す可き所のものなり。是れも所謂言葉の采配、又売物の掛直かけね同様にして、斯くまでに厳しくいましめたらば少しは注意する者もあらんなど、浅墓あさはかなる教訓なればれまでのことなれども、真実真面目まじめに古礼を守らしめんとするに於ては、唯表向の儀式のみに止まりて裏面に却て大なる不都合を生ずることある可し。およそ男女交際の清濁は其気品の如何に関することにして、例えば支那主義の眼を以て見れば、西洋諸国の貴女紳士が共に談じ共に笑い、同所にゆあみこそせざれ同席同食、物を授受するに手より手にするのみか、其手を握るを以て礼とするが如き、男女別なし、無礼の野民やみんと言う可きなれども、扨その内実をうかがえば此野民決して野ならず、品行清潔にして堅固なること金石の如くなる者多きは何ぞや。畢竟ひっきょうするに其気品高尚にして性慾以上に位するが故なりと言わざるを得ず。曾て東京に一士人あり、すこぶる西洋の文明を悦び、一切万事改進進歩を気取りながら、其実は支那台の西洋鍍金めっきにして、殊に道徳の一段に至りては常に周公孔子を云々して、子女の教訓に小学又は女大学等の主義を唱え、家法最も厳重にして親子相接するにも賓客の如く、曾て行儀を乱りたることなく、一見はなはだ美なるに似たれども、気の毒なるは主人公の身持不行儀にして婬行を恣にし、内に妾を飼い外に賤業婦をもてあそぶのみか、此男は某地方出身の者にて、郷里に正当の妻を遺し、東京に来りて更らに第二の妻と結婚して、所謂一妻一妾は扨置さておき、二妻数妾の滅茶苦茶なれば、子供の厳父に於ける、唯その厳重なる命令に恐入り、何事に就ても唯々諾々するのみ、曾て之に心服する者なし。歳月の間に其子供等は小学を勉強して不孝の子となり、女大学を暗誦して婬婦となり、儒教の家庭より禽獣きんじゅういだしたるこそ可笑おかしけれ。左れば男女交際は外面の儀式よりも正味の気品こそ大切なれ。女子の気品を高尚にして名を穢すことなからしめんとならば、何は扨置き父母の行儀を正くして朝夕子供に好き手本を示すこと第一の肝要なる可し。又結婚に父母の命と媒酌ばいしゃくとにあらざれば叶わずと言う。是れも至極尤なり。民法親族編第七百七十一条に、
子カ婚姻ヲ為スニハ其家ニ在ル父母ノ同意ヲ得ルコトヲ要ス但男ハ満三十年女ハ満二十五年ニ達シタル後ハ此限ニ在ラス
とあり。婚姻は人間の大事なれば父母の同意即ち其許なくては叶わず、なれども父母の意見を以て子に強うるは尚お/\叶わぬことなり。父母が何か為めにする所ありて無理に娘を或る男子に嫁せしめんとして、大なる間違を起すは毎度聞くことなり。左れば男女三十年二十五年以下にても、父母の命を以て結婚を強うることは相成らず。又子の方より言えば仮令たとい三十年二十五年以上に達しても、父母いますときは打明け相談して同意を求むるこそ穏なれ。法律は唯極端の場合に備うるのみ。親子の情は斯く水臭きものに非ず。呉々も心得置く可し。扨又結婚の上は仮令い命を失うとも心を金石の如くに堅くして不義するなとは最も好き教訓にして、男女共に守る可き所なれども、我国古来の習俗を見れば、一夫多妻の弊は多くして、一妻多夫の例は稀なるゆえ、金石の如き心は特に男子の方にこそ望ましけれ。然るに此男子をば余処よそにして独り女子を警しむ、念入りたる教訓にして有難しとは申しながら、比較的に方角違いと言う可きのみ。

一 婦人は夫の家を我家わがいえとする故に唐土もろこしにはよめいりを帰るといふなり。仮令夫の家貧賤成共なりとも夫を怨むべからず。天より我に与へ給へる家のまずしきは我仕合しあわせのあしき故なりと思ひ、一度ひとたび嫁しては其家をいでざるを女の道とする事、いにしえ聖人のおしえ也。若し女の道に背き、去らるゝ時は一生の恥也。されば婦人に七去とて、あしき事七ツ有り。一には、※(「女+章」、第4水準2-5-75)しゅうとしゅうとめしたがわざる女はさるべし。二には子なき女は去べし。是れ妻を娶るは子孫相続の為なれば也。然れども婦人の心正しく行儀よくして妬心ねたみごころなくば、去ずとも同姓の子を養ふべし。或はてかけに子あらば妻に子なくとも去に及ばず。三には淫乱なれば去る。四には悋気りんき深ければ去る。五に癩病などの悪きやまいあれば去る。六に多言くちまめにてつつしみなく物いひ過すは、親類とも中悪く成り家乱るゝ物なれば去べし。七には物を盗心ぬすむこころ有るを去る。此七去は皆聖人の教也。女は一度嫁して其家を出されては仮令二度ふたたび富貴なる夫に嫁すとも、女の道にたがいて大なるはじなり。

 男子が養子に行くも女子が嫁入するも其事実は少しも異ならず。養子は養家を我家とし嫁は夫の家を我家とす。当然のことにして、又その家の貧富貴賤、その人の才不才徳不徳、その身の強弱、その容貌の醜美に至るまで、とくと吟味するはすべて結婚の約束前に在り。裏に表に手を尽して吟味に吟味を重ね、双方共に是れならばと決断していよ/\結婚したる上は、家の貧乏などを離縁の口実にす可らざるは、独り女の道のみならず、また男子の道として守る可き所のものなり。近年の男子中には往々此道を知らず、幼年の時より他人の家に養われて衣食は勿論、学校教育の事に至るまでも、一切万事養家の世話に預り、年漸く長じて家の娘と結婚、養父母は先ず是れにて安心と思いの外、この養子が羽翼うよく既に成りて社会に頭角を顕すと同時に、漸く養家の窮窟なるをいとうて離縁復籍を申出し、甚だしきは既婚の妻をも振棄てゝ実家に帰るか、又は独立して随意に第二の妻を娶り、意気揚々顔色酒蛙々々しゃあ/\として恥じざる者あり。不義理不人情、恩を知らざる人非人なれども、世間に之をとがむるものなきこそ奇怪なれ。左れば広き世の中には随分悪婦人も少なからず、其挙動を見聞して厭うき者あれども、男性女性相互に比較したらんには、人非人は必ず男子の方に多数なる可し。此辺より見れば我輩は女大学よりも寧ろ男大学の必要を感ずる者なり。
 婦人に七去と言う離縁の理由を記し、第一舅姑に順ならざるは去ると言う。婦人の性質粗野にして根性悪しく、夫の父母に対して礼儀なく不人情ならば離縁も然る可し。第二子なき女は去ると言う。実に謂われもなき口実なり。夫婦の間に子なき其原因は、男子に在るか女子に在るか、是れは生理上解剖上精神上病理上の問題にして、今日進歩の医学も尚お未だ其真実を断ずるに由なし。夫婦同居して子なき婦人が偶然に再縁して子を産むことあり。多婬の男子が妾など幾人も召使いながら遂に一子なきの例あり。其等の事実もわきまえずして、此女に子なしと断定するは、畢竟無学の臆測と言う可きのみ。子なきが故に離縁と言えば、家に壻養子して配偶の娘が子を産まぬとき、子なき男は去る可しとて養子を追出さねばならぬ訳けなり。左れば此一節は女大学記者も余程勘弁して末段に筆を足し、婦人の心正しければ子なくとも去るに及ばずと記したるは、流石さすがに此離縁法の無理なるを自覚したることならん。又妾に子あらば妻に子なくとも去るに及ばずとは、元来余計な文句にして、何の為めに記したるや解す可らず。依てひそかに案ずるに、本文の初に子なき女は去ると先ず宣言して、文の末に至り、妾に子あれば去るに及ばずと前後照応して、男子に蓄妾の余地を与え、暗々裡あんあんりに妻をして自身の地位を固くせんが為め、蓄妾の悪事たるを口に言わずして却て之を夫に勧めしむるの深意ならんと邪推せざるを得ず。又事実に於ても古来大名などが妾を飼うとき、奥方より進ぜらるゝの名義あり。男子が醜悪を犯しながら其罪を妻に分つとは陰険もまた甚だし。女大学の毒筆あずかりて力ありと言う可し。第三婬乱なれば去ると言う。我日本国に於て古来今に至るまで男子と女子といずれが婬乱なるや。其婬心の深浅厚薄はしばらさしおき、婬乱の実をたくましゅうする者は男子に多きか女子に多きか、詮索に及ばずして明白なり。男女同様婬乱なれば離縁せらるゝとあれば、男子として離縁の宣告をこうむる者は女子に比較して大多数なる可し。然るに本書には特に女子の婬乱を以て離縁の理由とす。亦是れ方角違いの沙汰と言う可きのみ。第四悋気深ければ去ると言う。是れ亦解す可らず。夫婦家を同うして夫の不品行なるは、取りも直さず妻を虐待するものなり。偕老かいろうを契約したる妻が之を争うは正当防禦にこそあれ。或は誤て争う可らざるを争うこともあらん。之を称して悋気深しと言うか。尚お是れにても直に離縁の理由とするに足らず。第五癩病の如き悪疾あれば去ると言う。無稽の甚しきものなり。癩病は伝染性にして神ならぬ身に時としては犯さるゝこともある可し。もとより本人の罪に非ず。然るを婦人が不幸にしてかかる悪疾に罹るの故を以て離縁とは何事ぞ。夫にして仮初かりそめにも人情あらば、離縁は扨置き厚く看護して、仮令い全快に至らざるも其軽快を祈るこそ人間の道なれ。しも妻の不幸に反して夫が癩病に罹りたらば如何せん。妻は之を見棄てゝ颯々さっさつと家を去る可きや。我輩に於ては甚だ不同意なり。否な記者先生も或は不同意ならん。孝婦伝など見れば、何々女は貞操無比、夫の悪疾を看護して何十年一日の如し云々とて称賛したるもの多し。先生の如きも必ず称賛者の一人たるは疑を容れず。左れば悪疾の妻は会釈なく離縁しながら、夫に悪疾あれば妻に命じて看護せしめんとするか。ます/\解す可らず。我輩はきっと其理由を聞かんと欲する者なり。第六多言にて慎みなく云々は去ると言う。此条漠然として取留なし。要するに婦人がおしゃべりなれば自然親類の附合も丸く行かずして家に風波を起すゆえに離縁せよとの趣意ならんなれども、多言寡言かげんに一定の標準を定め難し。此の人に多言と聞えても彼の人には寡言と思われ、甲の耳に寡言なるも乙の聞く所にては多言なることあり。よしや仮令いおしゃべり多言にても、僅に此一事を根拠にして容易に離縁とは請取り難し。第七物を盗む心あるは去ると言う。物を盗むにも軽重あり。唯この文字に由て離縁の当否を断ず可らず。民法の親族編など参考にして説を定む可し。
 右第一より七に至るまで種々の文句はあれども、詰る処婦人の権力を取縮めて運動を不自由にし、男子をして随意に妻を去るの余地を得せしめたるものと言うの外なし。然るに女大学は古来女子社会の宝書と崇められ、一般の教育に用いて女子をいまししむるのみならず、女子が此教に従て萎縮すればするほど男子の為めに便利なるゆえ、男子の方が却て女大学の趣意を唱えて以て自身の我儘をほしいままにせんとするもの多し。或る地方の好色男子が常に不品行を働き、内君の苦情に堪えず、依て一策を案じて内君を耶蘇やそ教会に入会せしめ、其目的は専ら女性の嫉妬心を和らげて自身の獣行をたくましゅうせんとの計略なりしに、内君の苦情遂に止まずして失望したりとの奇談あり。天下の男子にして女大学の主義を云々するは、多くは此好色男子の類にして、我田に水を引くものなり。女子たる者は決して油断すべからず。
 さて女大学の離縁法は右に記したる七去にして、民法親族編第八百十二条に、夫婦の一方は左の場合に限り離婚の訴を提起することをと記して、
一 配偶者カ重婚ヲ為シタルトキ
二 妻カ姦通ヲ為シタルトキ
三 夫カ姦淫罪ニ因リテ刑ニ処セラレタルトキ
四 配偶者カ偽造、賄賂、猥褻、窃盗、強盗、詐欺取財、受寄物費消、贓物ぞうぶつニ関スル罪若クハ刑法第百七十五条第二百六十条ニ掲ケタル罪ニ因リテ軽罪以上ノ刑ニ処セラレ又ハ其他ノ罪ニ因リテ重禁錮三年以上ノ刑ニ処セラレタルトキ
五 配偶者ヨリ同居ニ堪ヘサル虐待又ハ重大ナル侮辱ヲ受ケタルトキ
六 配偶者ヨリ悪意ヲ以テ遺棄セラレタルトキ
七 配偶者ノ直系尊属ヨリ虐待又ハ重大ナル侮辱ヲ受ケタルトキ
八 配偶者カ自己ノ直系尊属ニ対シテ虐待ヲ為シ又ハ重大ナル侮辱ヲ加ヘタルトキ
九 配偶者ノ生死カ三年以上分明ナラサルトキ
十 壻養子縁組ノ場合ニ於テ離縁アリタルトキ又ハ養子カ家女ト婚姻ヲ為シタル場合ニ於テ離縁若クハ縁組ノ取消アリタルトキ
とあり。左れば今日我国民一般に守る可き法律に於て、離縁を許すは以上の十箇条に限り、其外は如何なる場合にても双方の相談合意に非ざれば離縁するを得ず。三行半みくだりはんの離縁状などは昔の物語にして、今日は全く別世界なりと知る可し。しかるに女大学七去の箇条中、第一舅姑に順ならざるの文字を尊属虐待侮辱等の意味に解したらば或は可ならん。其他は一として民法に当るものなきが如し。法律に当らざる離縁法を世に公けにするは人を誤るの恐れあり。例えば国民の私裁復讐は法律の許さゞる所なり。然るに今新に書を著わし、盗賊又は乱暴者あらば之を取押えたる上にて、打つなり斬るなり思う存分にして懲らしめよ。いわんや親のかたきは不倶戴天のあだなり。政府の手を煩わすに及ばず、孝子の義務として之を討取る可し。曾我そがの五郎十郎こそ千載の誉れ、末代の手本なれなど書立てゝ出版したらば、或は発売を禁止せらるゝことならん。如何いかんとなれば現行法律の旨にそむくが故なり。其れも小説物語の戯作げさくならば或はさまたげなからんなれども、家庭の教育書、学校の読本としては必ず異論ある可し。然らば即ち今日の女大学は小説に非ず、戯作に非ず、女子教育の宝書として、都鄙とひの或る部分には今尚お崇拝せらるゝものにてありながら、宝書中に記す所は明かに現行法律にそむくもの多し。其の民心に浸潤するの結果は、人を誤って法の罪人たらしむるに至る可し。教育家は勿論政府に於ても注意す可き所のものなり。

一 女子は我家に有てはわが父母に専ら孝を行ふことわり也。されども夫の家にゆきては専ら※(「女+章」、第4水準2-5-75)しゅうとしゅうとめを我親よりも重んじて厚くいつくしみ敬ひ孝行をつくすべし。親のかたを重んじ舅の方を軽ずる事なかれ。※(「女+章」、第4水準2-5-75)の方の朝夕ちょうせきの見舞をかくべからず。※(「女+章」、第4水準2-5-75)の方のつとむべきわざおこたるべからず。若し※(「女+章」、第4水準2-5-75)おおせあらばつつしみおこなひてそむくべからず。よろずのこと舅姑に問ふて其教にまかすべし。※(「女+章」、第4水準2-5-75)若し我をにくみそしりたまふともいかりうらむること勿れ。孝を尽して誠を以て仕ふれば後は必ず中好なかよくなるものなり。

 女子は我家に養育せらるゝ間こそ父母に孝行を尽す可きなれども、他家に縁付きては我実の父母よりも夫の父母たる舅姑の方を親愛し尊敬して専ら孝行す可し、仮初かりそめにも実父母を重んじて舅姑を軽んずる勿れ、一切万事舅姑の言うがまゝに従う可しと言う。斯く無造作に書並べて教うれば訳けもなきようなれども、是れが人間の天性に於て出来ることか出来ぬことか、人間普通の常識常情に於て行われることか行われぬことか、とく勘考かんこうす可き所なり。実際に出来ぬことを勧め、行われぬことを強うるは、元々無理なる注文にして、其の無理は遂に人をしていつわりを行わしむるに至る可し。女子結婚の後は実の父母よりも舅姑の方を親愛す可しと言うといえども、舅姑とは夫の父母にこそあれ我父母に非ず、父母に非ざる者を父母の如くするのみか、父母に対するよりも更らに情を深くしてこれを親愛せよとは、天性に叶わぬことならずや。例えば年若き婦人が出産のとき、其枕辺まくらべの万事を差図し周旋し看護するに、実の母と姑といずれが産婦の為めに安心なるや。姑必ずしも薄情ならず、其安産を祈るは実母と同様なれども、此処ここ骨肉こつにく微妙びみょうの天然にして、何分なにぶんにも実母に非ざれば産婦の心を安んずるに足らず。また老人が長々病気のとき、其看病に実の子女と養子嫁と孰れかと言えば、骨肉の実子に勝る者はなかる可し。即ち親子の真面目しんめんもくを現わす所にして、其間に心置なく遠慮なきが故なり。其遠慮なきは即ち親愛の情のこまやかなるが故なり。其愛情は不言の間に存して天下の親子皆然らざるはなし。ただに出産老病の一事のみならず、人間の子にして父母を親しみ父母を慕い、父母にして子を愛し子を親しむは、天性の約束なるに、女子が他家に嫁したればとて、実の父母を第二にして専ら舅姑の方を親愛し尊敬して孝行せよとは、畢竟ひっきょう出来ぬ事を強うるものと言う可し。或は尊みうやまえと教うれば、舅姑はもとより尊属目上の人なり、嫁の身として比教に従う可きは当然なれども、扨親しみいつくしむの一段に至りては、舅姑を先にして父母を後にせんとするも、子たる者の至情に於て叶わぬことならずや。論より証拠、世界古今に其例なきを如何せん。若し万一も例外の事実ありとすれば、自から之に伴う例外の原因なきを得ず。人に教うるに常情以外の難きを以てす、教育家の事に非ざるなり。元来尊敬は外にして親愛は内なり。内に親愛の至情なきも外面に尊敬の礼を表することはやすきが故に、舅姑に対して朝夕の見舞をく可らずと教うれば、教の如く見舞うことも易し。勤む可き業を怠る可らずと言えば、勤ることも易し。嫁の役目と思えば勉強すべきなれども、其教訓いよ/\厳重にして之を守ることいよ/\窮窟なる其割合に、内実親愛の情はいよ/\冷却して内寒外温、遂に水臭き間柄となるは自然の勢にして、畢竟するに舅姑と嫁と、親子にも非ざる者を親子の如くならしめんとして失敗するものと言うの外なし。世間に其例甚だ多し。此辺より見れば女大学は人に無理を責めて却て人をして偽を行わしめ、虚飾虚礼以て家族団欒の実を破るものと言うも不可なきが如し。我輩の所見を以てすれば、家内のまじわりには一切人為の虚を構えずして天然の真に従わんことを欲するものなり。嫁の身を以て見れば舅姑は夫の父母にして自分の父母に非ざるが故に、即ち其ありのまゝに任せ、之を家の長老尊属として丁寧につかうるは固より当然なれども、実父母同様に親愛の情ある可らざるは是亦当然のことゝして、初めより相互に余計の事を求めず、自然の成行に従て円滑をはかるこそ一家の幸福なれ。世間には男女結婚の後、両親に分れて別居する者あり。頗る人情に通じたる処置と言う可し。其両親に遠ざかるは即ち之に離れざるの法にして、我輩の飽くまでも賛成する所なれども、或は家の貧富その他の事情に由て別居すること能わざる場合もある可きなれば、仮令い同居しても老少両夫婦の間は相互に干渉することなく、其自由に任せ其天然に従て、双方共に苦労を去ること人間居家の極意なる可し。

一 婦人は別に主君なし。夫を主人と思ひ敬ひ慎みてつかうべし。かろしめあなどるべからず。総じて婦人の道は人に従ふに有り。夫に対するに顔色言葉遣ひ慇懃にへりくだり和順なるべし。不忍ふにんにして不順なるべからず。おごりて無礼なるべからず。是れ女子第一のつとめ也。夫の教訓有らば其おおせそむくべからず。疑敷うたがわしきことは夫に問ふて其下知げぢに随ふべし。夫問事とうことあらば正しく答べし。其返答おろそかなるは無礼也。夫若し腹立はらだちいかるときは恐れてしたがうべし。怒りあらそひて其心に逆ふべからず。女は夫を以て天とす。返々かえすがえすも夫に逆ひて天の罰を受べからず。

 婦人に主君なしと言う。此主君とはそもそも何者なるや。記者は封建時代の人にして、何事に就てもすべて其時代の有様を見て立論することなれば、君臣主従は即ち藩主と士族との関係にして、其士族たる男子には藩の公務あれども、妻女は唯家の内に居るが故に婦人に主君なしと放言したることならんか。しも然るときは百姓町人は男子にても藩務に関係なければ男女共に主君なしと言わざるを得ず。りとは不都合なる可し。或は百姓が年貢を納め町人が税を払うは、即ち国君国主の為めにするものなれば、自ら主君ありと言わんか。然らば即ち其年貢の米なり税金なり、百姓町人の男女共に働きたるものなれば、此公用を勤めたる婦人は家来に非ず領民に非ずと言うも不都合ならん。つまる所婦人に主君なしとの立言りゅうげんは、封建流儀より割出しても無稽なりと言うの外なし。此辺は枝葉の議論としてしばらき、扨婦人が夫に対して之をかろしめあなどる可らずとは至極の事にして婦人の守る可き所なれども、今の男女の間柄に於て弊害の甚しきものを矯正せんとならば、我輩は寧ろ此教訓を借用して逆に夫の方をいましめんと欲する者なり。顔色言語の慇懃にして和順なるは特に男子の方に向てこそ望ましけれ。元来婦人の性質は穎敏えいびんにして物に感ずること男子よりも甚しきの常なれば、夫たる者の無礼無作法粗野暴言、やゝもすれば人を驚かして家庭の調和を破ること多し。之を慎しむは男子第一のつとめなる可し。又夫の教訓あらば其命に背く可らず、疑わしきことは夫に問うて其下知に従う可し、夫若し怒るときは恐れて之に従い、あらそうて其心に逆う可らずと言う。夫の智徳円満にして教訓することならば固より之に従い、疑わしき事も質問す可きなれども、是等は元来人物の如何に由る可し。単に夫なればとて訳けも分らぬ無法の事を下知せられて之に盲従するは妻たる者の道に非ず。して其夫が立腹癇癪などを起して乱暴するときに於てをや。妻も一処に怒りて争うは宜しからず、一時発作ほっさの病と視做みなし一時これを慰めて後に大に戒しむるは止むを得ざる処置なれども、其立腹の理非をも問わず唯恐れて順えとは、婦人は唯是れ男子の奴隷たるに過ぎず、感服す可らざるのみか、末段に女は夫を以て天とす云々に至りては、殆ど評論の言葉もある可らず。妻が夫を天とすれば、夫は妻を以て神とす可し。夫に逆いて天罰を受く可らずと言えば、妻を虐待して神罰をこうむなかれと、我輩は言わんと欲する者なり。

一 兄公こじゅうと女公こじゅうとめは夫の兄弟なれば敬ふ可し。夫の親類にそしられにくまるれば舅姑の心にそむきて我身の為にはよろしからず。睦敷むつまじくすれば※(「女+章」、第4水準2-5-75)の心にも協う。又※(「女+里」、第4水準2-5-56)あいよめを親み睦敷すべし。殊更夫のあにあによめあつくうやまふべし。我あにあねと同じくすべし。

 兄公女公に敬礼を尽して舅姑の感情を傷わず、※(「女+里」、第4水準2-5-56)と睦じくして夫の兄嫂に厚くするは、家族親類に交わるの義務にして左もある可きことなれども、夫の兄と嫂とは元来骨肉の縁なきものなるに、之を自分の実の昆姉同様にせよとは請取り難し。一通り中好くして睦じく奇麗に附合うは宜し。我輩も勉めて勧告する所なれども、真実親愛の情に至て彼れと此れと果して同様なるを得べきや否や。我輩は人間の天性に訴えて叶わぬことゝ断言するものなり。

一 嫉妬の心※(二の字点、1-2-22)ゆめゆめおこすべからず。男婬乱なればいさむべし。いかりうらむべからず。ねたみ甚しければ其気色言葉も恐敷すさまじくして、却て夫にうとまれ見限らるゝ物なり。若し夫不義あやまちあらば我色をやわらげ声をやわらかにして諫べし。諫を聴ずして怒らば先づ暫く止めて、後に夫の心和ぎたる時又諫べし。必ず気色をあらくし声をいらゝげて夫に逆いそむくことなかれ。

 此一章は専ら嫉妬心を警しむるの趣意なれば、我輩は先ず其嫉妬なる文字の字義を明にせんに、凡そ他人の為す所にして我身の利害に関係なきことをうらやみ、怨み憎らしく思い、甚しきは根もなきことに立腹して他の不幸を祈り他を害せんとす、之を嫉妬と言う。例えば隣家は頻りに繁昌して財産も豊なるに、我家は貧乏の上に不仕合のみ打続く、羨ましきことなり憎らしきことなり、隣翁が何々の方角に土蔵を建てゝ鬼瓦を上げたるは我家を睨み倒さんとするの意なり、彼の土蔵が火事に焼けたらば面白からん、否な人の見ぬ間に火を附けて呉れんなど、世にもあられぬことを思うて独り煩悶するが如き、嫉妬の甚しきものにして、かかる嫉妬心は※(二の字点、1-2-22)ゆめゆめ発す可らず、我輩の堅く警しむる所なれども、本文に言う嫉妬の心云々とは果して此種の嫉妬なるや否や、篤と吟味す可き所のものなり。書中、男婬乱ならば諫む可しとあり。左れば夫の婬乱不品行は実証既に明白にして、此事果して妻たる者の身に関係なくして、隣の富家翁が財産を蓄え土蔵を建築したるの類に比較す可きや否や。隣家の貧富は我家の利害に関係なしといえども、夫の婬乱不品行は直接に妻の権利を害するものにして、固より同日の論に非ず。そもそも一夫一婦家に居て偕老同穴は結婚の契約なるに、其夫婦の一方が契約を無視し敢て婬乱不品行を恣にし他の一方を疏外するが如きは、即ち之を虐待し之を侮辱することにして、破約加害の大なるものなれば、被害者たる婦人が正々堂々の議論以て其罪を責むるは、契約の権利を護るの法にして、固より嫉妬の痴情に駆らるゝものに非ず。但し其これを議論するに声色を温雅にするは上流社会の態度に於て自然に然る可し。我輩に於ても固より其野鄙粗暴を好まず、女性の当然なりと雖も、実際不品行の罪は一毫もゆるす可らず、一毫も用捨ようしゃす可らず。之が為めに男子の怒ることあるも恐るゝに足らず、心を金石の如くにして争うこそ婦人の本分なれ。女大学記者は是等の正論を目して嫉妬と言うか。我輩は之を婦人の正当防禦と認め、其気力のたしかならんことを勧告する者なり。記者は前節婦人七去の条に、婬乱なれば去ると記し、婦人が不品行を犯せば其罪直に放逐と宣告しながら、今こゝには打て替り、男子が同一様の罪を犯すときは、婦人は之を怒りもせず怨みもせず、気色言葉を雅にして、却て其犯罪者に見限られぬように注意せよと言う。其偏頗へんぱ不公平唯驚くに堪えたり。畢竟ひっきょう記者は婚姻契約の重きを知らず、随て婦人の権利を知らず、あたかも之を男子手中の物として、要は唯服従の一事なるが故に、其服従のきわみ、男子の婬乱獣行をも軽々けいけい看過かんかせしめんとして、いやしくも婦人の権利を主張せんとするものあれば、忽ち嫉妬の二字を持出して之を威嚇おどし之を制止せんとす。之をたとえば青天白日、人に物を盗まれて、証拠既に充分なるに、盗賊を捕えて詮議せんとすれば則ち貪慾の二字を持出し、貪慾の心は※(二の字点、1-2-22)ゆめゆめ発す可らず、物を盗む人あらば言語を雅にして之を止む可し、怒り怨む可らず、尚お其盗人が物を返さずして怒ることあらば、暫く中止して復た後にす可しと教うるが如し。婦人の権利を無視して其人を蔑如べつじょするも甚しと言う可し。或は婦人がみだりに男子の挙動を疑い、根もなき事に立腹して平地に波を起すが如き軽率もあらんか、是れぞ所謂嫉妬心なれども、今の男子社会の有様は辛苦しんくしてそのを窺うに及ばず、公然の秘密と言うよりも寧ろ公然の公けとして醜体をあらわす者こそ多けれ。家に遺伝の遺産ある者、又高運にして新に家を成したる者、政府の官吏、会社の役人、学者も医者も寺の和尚も、衣食既に足りて其以上に何等の所望と尋ぬれば、至急の急は則ち性慾をほしいままにするの一事にして、其方法に陰あり陽あり、幽微ゆうびなるあり顕明けんめいなるあり、所謂浮気者は人目も憚らずして遊廓に狂い芸妓に戯れ、醜体百出ひゃくしゅつ人面獣行にんめんじゅうこう、曾てはずるを知らずして平気なる者あり。是れより以上醜行のや念入にして陰気なるは、召使又は側室そばめなど称し、自家の内に妾を飼うて厚かましくも妻と雑居せしむるか、又は別宅を設けて之を養い一夫数妾得々自から居る者あり。まさしく五母鶏ごぼけい二母※(「彑/「比」の間に「矢」、第3水準1-84-28)じぼていの実を演ずるものにして、之を評して獣行と言うより他に穏当おんとうの語はなかる可し。にわとり※(「彑/「比」の間に「矢」、第3水準1-84-28)ぶたは真実鳥獣なるが故に、五母二母孰れか妻にして孰れか妾なるや其区別もなく、又その間に嫉妬心も見えず権利論も起らざるが如くなれども、万物の霊たる人間は則ち然らず、人倫の大本として夫婦婚姻を契約したる其婦人が、配偶者の狂乱破約を見て不平なからんと欲するも得べからず。其不平の意を明にして破約者の非を改めしむるは婦人の権利なり。みだりに嫉妬なる文字を濫用して巧に之を説き、又しても例の婦人の嫉妬など唱えて以て世間を瞞着まんちゃくせんとするも、人生の権利は到底無視す可らざるものなり。
 然るに男尊女卑の習慣は其由来久しく、習慣漸く人の性を成して、今日の婦人中ややもすれば自から其権利を忘れて自から屈辱を甘んじ、自から屈辱を忍んでついに自から苦しむ者多し。唯憐む可きのみ。其然る所以ゆえんは何ぞや。幼少の時より家庭の教訓に教えられ又世間一般の習慣に圧制せられて次第に萎縮し、男子の不品行を咎むるは嫉妬なり、嫉妬は婦人の慎しむべき悪徳なり、之を口に発し色に現わすも恥辱なりと信じて、却て他の狂乱を許して次第に増長せしむるが故なり。畢竟するに婦人が婚姻の契約を等閑なおざりに附し去り、却て自から其権利を棄てゝ自から鬱憂の淵に沈み、習慣の苦界くがいに苦しむものと言う可し。ただに自身の不利のみならず、男子の醜行より生ずる直接間接の影響は、ひいて子孫の不幸をかもし一家滅亡の禍根にこそあれば、家の主婦たる責任ある者は、自身の為め自家の為め、飽くまでも権利を主張して配偶者の乱暴狼藉を制止せざる可らず。吾々の勧告する所なり。
 人或は言わん、右に論ずる所、道理は則ち道理なれども、一方より見れば今日女権の拡張は恰も社会の秩序を紊乱びんらんするものにしてにわかに賛成するを得ずとて、躊躇する者もあらんかなれども、凡そ時弊を矯正するには社会に多少の波瀾なきを得ず。其波瀾を掛念けねんとならば、もくして弊事へいじの中に安んずるの外なし。近くは三十年前の王政維新は、徳川政府の門閥圧制を厭うて其悪弊をめんとし、天下に大波瀾を起して其結果遂に目出度く新日本を見たることなり。当時若し社会の秩序云々に躊躇したらんには、吾々日本国民は今日尚お門閥の下に匍匐ほふくすることならん。左れば今婦人をして婦人に至当なる権利を主張せしめ、以て男女対等の秩序を成すは、旧幕府の門閥制度を廃して立憲政体の明治政府を作りたるが如し。政治に於て此大事を断行しながら人事には断行す可らざるか、我輩は其理由を見るに苦しむものなり。して其人事に就ては既に法典を発行して、男女婚姻等の秩序は親族篇にも明文あり。唯この上は女子社会の奮発勉強と文明学士の応援とを以て反正の道に進む可きのみ。事は新発明新工夫に非ず。成功の時機正に熟するものなり。

一 言葉を慎みておおくすべからず。仮にも人をそしり偽を言べからず。人のそしりきくことあらば心におさめて人に伝へかたるべからず。そしりを言伝ふるより、親類ともなか悪敷あしくなり、家の内おさまらず。

 言語を慎みて多くす可らずとは、寡黙を守れとの意味ならん。諺に言葉多きはしな少なしと言い、西洋にも空樽あきだるを叩けば声高しとの語あり。愚者の多言もとより厭う可し。況して婦人は静にして奥ゆかしきこそ頼母たのもしけれ。所謂おてんばは我輩の最も賤しむ所なれども、唯一概に寡黙を守れとのみ教うるときは、自から亦弊害なきに非ず。婦人の既に年頃に達したる者が、人に接して用談は扨置き、寒暖の挨拶さえ分明ならずして、低声グツ/\、人を困却せしむるは珍らしからず。殊に病気の時など医師に対して自から自身の容態を述ぶるの法を知らず、其尋問に答うるにも羞ずるが如く恐るゝが如くにして、病症発作の前後を錯雑し、寒温痛痒の軽重けいちょうを明言する能わずして、無益に診察の時を費すのみか、其医師は遂に要領を得ずして処方に当惑することありと言う。言語を慎み寡黙を守ると言う、其寡黙も次第に之に慣るゝときは、人生に必要なる弁舌の能力を枯らして、実用に差支さしつかえを生ずるに至る可し。我輩とても敢て多弁を好むに非ざれども、唯いたずらに婦人の口をきんして能事のうじ終るとは思わず。在昔ムカシ大名の奥に奉公する婦人などが、手紙も見事に書き弁舌も爽にして、然かも其起居たちい挙動ふるまいの野鄙ならざりしは人の知る所なり。参考の価ある可し。左れば今の女子を教うるに純然たる昔の御殿風を以てす可らざるは言うまでもなきことなれども、幼少の時より国字の手習、文章手紙の稽古は勿論、其外一切の教育法を文明日進の方針に仕向けて、物理、地理、歴史等の大概を学び、又家の事情の許す限りは外国の語学をも勉強して、一通りは内外の時勢に通じ、学者の談話はなしを聞ても其意味を解し、自から談話しても、其意味の深浅は兎も角も、弁ずる所の首尾全うして他人のあざけりを避ける位の心掛けは、婦人の身になくて叶わぬ事なり。然るに此女大学の全編、曾て一語も女子智育の要に論及したることなきは遺憾と言う可し。扨又本章中、人をそしり偽を言う可らず、人のそしりを伝え語る可らず云々は、固より当然のことにして、特に婦人に限らず男子に向ても警しむ可き所のものなれば、評論を略す。

一 女は常に心遣こころづかひして其身を堅くつつしみまもるべし。朝早く起き夜は遅くね、昼はいねずして家の内のことに心を用ひ、おりぬいうみつむぎおこたるべからず。又茶酒など多くのむべからず。歌舞伎小唄浄瑠璃抔のたわれたることを見聴みきくべからず。宮寺などすべて人の多く集る所へ四十歳より内は余りゆくべからず。

 婦人が内を治めて家事に心を用い、織縫うみつむぎ怠る可らずとは至極の教訓にして、如何にも婦人に至当の務なり。西洋の婦人にはややもすれば衣服裁縫の法を知らざる者多し。此点に於ては我輩は日本婦人の習慣をこそ貴ぶ者なれば、世は何ほど開明に進むも家は何ほど財産に富むも、糸針の一時は婦人の為めに必要、又高尚なる技芸として※(二の字点、1-2-22)ゆめゆめ怠る可らず。又茶酒など多く飲む可らずと言う。茶も過度に飲めば衛生に害あり、いわんや酒量を過すに於てをや、男女共に慎しむ可きことなり。是れも本文の通りにて異議なけれども、歌舞伎小唄浄瑠璃を見聴くべからず、宮寺等へ行くことも遠慮す可しとは如何ん。少しく不審なきを得ず。抑も苦楽相半あいなかばするは人生の常にして、ここに苦労あれば又随て歓楽あり、苦楽平均して能く勉め能く楽しみ、以て人生を成すの道理は記者も許す所ならん。然らば則ち夫婦家に居るは其苦楽を共にするの契約なるが故に、一家貧にして衣食住も不如意ふにょいなれば固より歌舞伎音曲などの沙汰に及ぶ可らず、夫婦辛苦して生計にのみ勉む可きなれども、其勉強の結果として多少の産を成したらんには、平生の苦労鬱散うっさんの為めに夫婦子供相伴うて物見遊山ものみゆさんも妨なきことならん。これまた記者に於て許さゞるを得ず。即ち能く勉め能く楽しむとは此事なり。然るに本文の意を案ずるに、歌舞伎云々以下は、家の貧富などに論なく、唯婦人たる者は芝居見物相成らず、鳴物を聴くこと相成らず、年四十になるまでは宮寺の参詣も差控えよとて、厳しく婦人に禁じながら、暗に男子の方へは自由を与えたるものゝ如し。左れば人生の苦楽相半し、其歓楽の一方は男子の専有にして、女子には生涯苦労の一方のみを負担せしめんとするか、無理無法も亦甚だしと言う可し。左なきだに凡俗社会の実際を見れば、婦人は内を治め男子は外を勉むると言う。其内外の趣意を濫用して、男子の戸外に奔走するは実業経営社会交際の為めのみに非ず、其経営交際を名にして酒を飲み花柳にたわむるゝ者こそ多けれ。朝野ちょうやの貴顕紳士と称する俗輩が、何々の集会宴会と唱えて相会するは、果して実際の議事、真実の交際の為めに必要なるや否や。十中の八、九は事を議するが為めに会するに非ず、議事の名を利用して集るものなり。交際の為めに飲むに非ずして飲む為めに交わるものなり。其飲食遊戯の時間は男子が内を外にするの時間にして、即ち醜体しゅうたい百戯、芸妓と共に歌舞伎をも見物し小歌浄瑠璃をも聴き、酔余すいよ或は花を弄ぶなどウカれに淫れながら、内の婦人は必ず女大学の範囲中に蟄伏ちっぷくして独り静に留守を守るならんと、敢て自から安心してます/\佳境に入るの時間なり。左れば記者が特に婦人を警しめて淫れたる事を見聴きす可らずと禁じたる其の教訓は、男子をして無遠慮に淫るゝの自由を得せしめたるに過ぎず。此れを内に幽閉せんとして彼れを外に奔逸ほんいつせしむ。一家の害悪を止むるに非ずして却てこれを教唆きょうさするものなり。然かのみならず不品行にして狡猾なる奴輩どはいは、おのれが獣行を勝手にせんとして流石さすがに内君の不平をはばかり、すなわち策を案じて頻りに其歓心を買い其機嫌を取らんとし、衣裳万端その望に任せて之を得せしめ、芝居見物、温泉旅行、春風秋月四時しいじの行楽、一として意の如くならざるものなければ、俗に言う御心善おこころよしの内君は身の安楽を喜び、世間の贅沢附合ぜいたくつきあいに浮かれて内を外にし、家内の取締は扨置き子供の教育さえ余処よそにすると同時に、夫の不義不品行をも余処に見てあたかも平気なる者なきに非ず。正に是れ好色男子得意の処にして、甚しきは妻妾一家に同居し、仮令い表面ウワベ虚偽うそにても其妻が妾を親しみ愛して、妻も子を産み、妾も子を産み、双方の中、至極むつまじなど言う奇談あり。禽獣界の奇いよ/\奇なりと言う可し。本年春の頃或る米国の貴婦人が我国に来遊して日本の習俗を見聞する中に、妻妾同居云々の談を聞て初の程は大に疑いしが、遂に事実の実を知り得てすなわち云く、自分は既に証明を得たれども、さて帰国の上これを婦人社会の朋友に語るも容易に信ずる者なく、かえって自分を目し虚偽を伝うる者なりとして、爾余じよの報告までも概して信を失うに至る可し、日本の婦人は実に此世に生きて生甲斐なき者なり、気の毒なる者なり、憐む可き者なり、吾々米国婦人は片時も斯る境遇に安んずるを得ず、死を決しても争わざるを得ず、否な日米、国を殊にするも、女性は則ち同胞姉妹なり、吾々は日本姉妹の為めに此怪事かいじを打破して悪魔退治の法をはかる可しとて、切歯慷慨せっしこうがい、涙を払て語りたることあり。我輩は右の話を聞て余処よその事とは思わず、新日本の一大汚点を摘発せられて慚愧ざんきあたか市朝しちょうむちうたるゝが如し。条約改正、内地雑居も僅に数箇月の内に在り、尚お此まゝにして国の体面を維持せんとするか、其厚顔唯驚く可きのみ。抑も東洋西洋等しく人間世界なるに、男女の関係その趣を異にすること斯の如くにして、其極日本に於ては青天白日一妻数妾、妻妾同居漸く慣れて妻と妾と親しむと言う。畢竟するに其親愛が虚偽にもせよ、男子が世にもあられぬ獣行を働きながら、婦人をして柔和忍辱にゅうわにんにくの此頂上にまで至らしめたるは、上古蛮勇時代の遺風、殊に女大学の教訓その頂上に達したるの結果に外ならず。即ち累世の婦人が自から結婚契約の権利を忘れ、仮初かりそめにも夫の意に逆うは不順なり、其醜行を咎むるは嫉妬なりと信じて、一切万事これを黙々に附し去るのみか、当の敵たる加害者の悪事を庇蔭ひいんして、却て自から婦人の美徳と認むるが如き、文明の世に権利の何物たるをわきまえざるものと言う可し。夫妻同居、夫が妻を扶養するは当然の義務なるに、其妻たる者が僅に美衣美食のまかないを給せられて、自身に大切なる本来の権利を放棄せんとす、愚に非ずして何ぞや。故に夫婦苦楽を共にするの一事は※(二の字点、1-2-22)ゆめゆめ等閑なおざりにす可らず、苦にも楽にも私に之を隠して之を共にせざる者は、夫にして夫に非ず、妻にして妻に非ず。飽くまでも議論して之を争い、時として是れが為めに凡俗の耳目を驚かすことあるも憚るに足らざるなり。

一 みこかんなぎなどの事に迷て神仏を汚し近付ちかづきみだりいのるべからず。只人間の勤をよくする時は祷らず迚も神仏は守り給ふべし。

 巫覡などの事に迷いて神仏を汚しみだりに祈る可らずとは我輩も同感なり。凡そ是等の迷は不学無術より起ることなれば、今日男子と女子と比較し孰れか之に迷う者多きやと尋ねて、果して女子に多しとならば、即ち女子に教育少なきが故なり。故に我輩は単に彼等の迷信を咎めずして、其よっきたる所の原因を除く為めに、文明の教育を勧むるものなり。

一 人の妻と成ては其家を能くたもつべし。妻の行ひ悪敷あしく放埒なれば家を破る。万事つづまやかにしてついえなすべからず。衣服飲食なども身の分限に随ひ用ひておごること勿れ。

 人の妻たる者が能く家を保ち万事倹にして費を作す可らず、衣服飲食なども身の分限に随て奢ること勿れと言う。人生家に居るの法にして甚だ宜し。大に賛成する所なれども、我輩は今一歩を進め、婦人をして経済会計の主義技術を知らしめんことを祈る者なり。一家の経済は挙げて夫の自由自在に任せて妻は何事をも知らず、唯夫より授けられたる金を請取り之を日々の用度に費すのみにして、其金は自家の金か、借用したる金か、借用ならば如何いかようにして誰れに借りたるや、返済の法は如何ようにするなど、其辺は一切夢中にして、夫妻同居、家の一半を支配する主婦の身にてありながら、自分の家の貧富さえ知らざる者あり。謂れなき事なり。日本の女子に権力なしと言う其原因は様々なれども、女子が家に在るとき父母の教その宜しきを得ず、文字遊芸などは稽古させても経済の事をば教えもせず、言い聞かせもせず、わざと知らせぬように育てたる其むくいは、女子をして家の経済に迂闊うかつならしめ、生涯夢中の不幸におとしいれたるものと言う可し。左れば今日人事繁多はんたの世の中に一家を保たんとするには、仮令い直に家業経営のしょうに当らざるも、其営業渡世法の大体を心得て家計の方針を明にし其真面目しんめんぼくを知るは、家の貧富貴賤を問わず婦人の身に必要の事なりと知る可し。是れが為めには娘の時より読み書き双露盤そろばんの稽古は勿論、経済法の大略を学び、法律なども一通り人の話を聞て合点する位のたしなみはなくて叶わず。遊芸和文三十一文字みそひともじなどの勉強を以て女子唯一の教育と思うは大なる間違いなる可し。余曾て言えることあり。男子の心は元禄武士の如くして其芸能は小吏の如くなる可しと。今この語法に従い女子に向て所望すれば、起居挙動の高尚優美にして多芸なるは御殿女中の如く、談笑遊戯の気軽にして無邪気なるは小児の如く、常に物理の思想を離れず常に経済法律の要を忘れず、深く之を心に蔵めて随時に活用し、一挙一動一言一話活溌と共に野鄙ならずして始めて賢夫人と言う可し。左れば前に言う婦人の心得として経済法律云々も、所謂銀行者弁護士流の筆法を取てただちに之を婦人に勧むるに非ず。在昔の武家の婦人が九寸五分の懐剣を懐中するに等しく、専ら自衛の嗜みなりと知る可し。

一 若き時は夫の親類友達下部しもべ等の若男わかきおとこには打解けて物語ものがたり近付ちかづくべからず。男女のへだてかたくすべし。如何なる用あり共、若男に文などかよわすべからず。

 若き時は夫の親類友達等に打解けて語る可らず、如何なる必要あるも若き男に文通す可らずとは、嫌疑を避けるの意ならんけれども、婦人の心高尚ならんには形式上の嫌疑は恐るゝに足らず。我輩は斯る田舎らしき外面を装うよりも、婦人の思想を高きに導き、男女打交りて遊戯談笑自由自在の間にも、疑わしき事実の行われざるを願う者なり。教育の必要も此辺に在りと知る可し。籠の中に鳥を入れ、此鳥は高飛せずとて悦ぶ者あるも感服するに足らず。我輩は之を飼放しにして無事を楽しまんとする者なり。今の世間の実際に女子の不身持にしてはじさらす者なきに非ず、毎度聞く所なれども、斯く成果てたる其原因は、父母たる者、又夫たる者が、其女子を深く家の中に閉籠とじこめ置かざりしが故なりやと言うに、必ずしも然らず。元来品行の正邪は本人の性質に由り時の事情に由り教育の方法にも由ることなれども、就中なかんずくこれを不正に導くものは家風に在りと断言して可なり。幼少の時より不整頓不始末なる家風の中に眠食し、厳父は唯厳なるのみにして能く人を叱咤しったしながら、其一身は則ち醜行紛々、甚だしきは同父異母の子女が一家の中に群居して朝夕その一父衆母の言語挙動を傍観すれば、父母の行う所、子供の目には左までの醜と見えず、娘時代に既に斯の如くにして、此娘が他に嫁したる処にて其夫が又もや不身持乱暴狼藉とあれば、恰も醜界を出でゝ醜界に入るの姿にして、本人の天性不思議に堅固なるものに非ざれば間違いの生ずるも怪しむに足らず。世間に言う姦婦かんぷとは多くは斯る醜界に出入し他の醜風にもまれたる者にして、其姦もとより賤しむ可しと雖も、之を養成したる由来は家風に在りと言わざるを得ず。清浄無垢の家に生れて清浄無垢の父母に育てられ、長じて清浄無垢の男子と婚姻したる婦人に、不品行を犯したるの事実は先ず以て稀有けうの沙汰なり。左れば一家の妻をして其品行を維持せしめんとするには、主人先ず自から其身を正うして家風を美にするに在り。籠の鳥の主義はりゃくの最も卑近なるものにして、我輩の感服せざる所なり。又婦人は年若き男子に文通す可らずと言うが如き、無稽むけいも亦甚し。人事忙しき文明世界に文通を禁じられて用を弁ず可きや。夫が繁忙なれば之に代りて手紙往復の必要あり、殊に其病気の時など医師に容体を報じて来診を乞い薬を求むるが如き、妻たる者の義務なり。然るを如何なる用事あるも文を通わす可らずとは、我輩は之を女子の教訓と認めず、天下の奇談として一笑に附し去るのみ。

一 身のかざりも衣裳の染色模様なども目にたゝぬ様にすべし。身と衣服とのけがれずしてきよげなるはよし。すぐれきよらを尽し人の目に立つ程なるはあしし。只我身に応じたるを用べし。

 身のかざりも衣裳の染色模様なども目に立たぬようにして唯我身に応じたるを用う可しと言う。質素を主として家の貧富に従うの意ならん。我輩の同意する所なれども、衣裳は婦人の最も重んずる所のものなれば、唯一概に質素とのみ命令す可らず。男子は婦人の心を知らず、若き婦人の悦ぶ所は老人の目に分らぬものなり。故に大体の趣意を質素と定めて、扨実際の染色模様などに至りては本人の意に任せて然る可し。田舎地方の婦人などが衣裳に金を費しながら其染色模様の取合せを知らず、金の割合に引立たずとて都下の人に笑わるゝこと多し。是等はすべて美術上の意匠に存することなれば、万事質素の教は教として、其質素の中にも、凡そ婦人たる者は身の装を工風するにも、貧富に拘わらず美術の心得大切なりとの一句を加えたきものなり。

一 我里の親のかたわたくしし夫の方の親類を次にすべからず。正月節句抔にも先づ夫の方を勤て次に我親の方を勤べし。夫の許さゞるには何方いずかたへも行くべからず。私に人におくりものすべからず。

 我さとの親の方に私して夫の方の親類を次にす可らず、正月節句などにも云々、是れは前にも申す通り表面の儀式には行わる可きなれども、人情の真面目に非ず。又夫の許さゞるには何方へも行く可らずとは何事ぞ。婦人の外出に付き家事の都合を夫に相談するは当然なれども、婦人の身にも戸外の用事あり、其用事に差掛りても夫の許を得ざれば外出は叶わずと云うか、一家の主婦は監獄の囚人めしうどに異ならず。又私に人に饋ものす可らずと言う。家事を司どる婦人には自から財産使用の権利あり、一品一物も随意にす可らずとは、取りも直さず内君は家の下婢なりと言うに等し。都て我輩の反対する所なり。

一 女は我親の家をばつがず、舅姑の跡を継ぐ故に、我親よりも※(「女+章」、第4水準2-5-75)を大切に思ひ孝行をなすべし。嫁して後は我親の家にゆくこともまれなるべし。まして他の家へは大方は使をつかわして音問いんもんなすべし。又我親里のよきことを誇てほめ語るべからず。

 女は我親の家をば継がず舅姑の跡を継ぐ故云々と。是れも前に言う通り壻養子したる家の娘は親の家を継ぐ者なり。他家に嫁して舅姑の跡を継ぐ者あり、生れたる家に居据いすわりて父母の跡を継ぐ者あり、其辺に心付かざりしは全く記者の粗漏そろうならん。其粗漏談はしばらき、我親よりも舅姑を大切に思い孝行す可しとは、是れは人間の至情に於て出来ぬ事なり。無理に強うれば虚偽と為る。教育家の注意す可き所なり。又嫁して後は我親の家に行くことも稀なる可し。況して他の家へも大方は自から行かずして使を以て音問す可しと言う。是れも先ず以て無用の注意なるが如し。女子結婚の後は自から其家事に忙しく、殊に子供など産れたる上は外出は自然乙甲オックウなれども、父母を親しみ慕うは人間の情にして又決して悪しき事にあらざれば、家事の都合次第、叶うことならば忘れぬように毎々里の家を尋ねて両親の機嫌を伺い、共に飲食などして共に楽しむ可し。他人に附合うも此通りにて、唯我家を大事に治めて、閑暇の時には自から其家を尋ねて往来音問自在なる可し。他家に嫁するは入牢にあらず、憚るに足らざるなり。又親里の事を誇りて讃め語る可らずとは念入りたる注意なり。いたずらに我身中みうちの美を吹聴ふいちょうするは、婦人に限らず誰れも慎しむ可きことなり。

一 下部しもべあまた召使めしつかうともよろずの事自から辛労を忍て勤ること女の作法也。舅姑の為に衣を縫ひ食を調へ、夫に仕て衣を畳みしきものを掃き、子を育てけがれを洗ひ、常に家の内に居てみだりに外へいづべからず。

 下女下男を多く召使うとも、婦人たる者は万事自から勤め、舅姑の為めに衣を縫い食を調え、夫に仕えて衣を畳み席を掃き、子を育て汚を洗い、常に家の内に居て猥りに外に出ず可らずと言う。婦人多忙なりと言う可し。果して一人の力に叶う事か叶わぬ事か其辺はしばらく差置き、兎に角に家を治むる婦人の心掛けとしては甚だ宜し。身体の許す限り勉強す可きなれども、本文中の耳障みみざわりなるは夫に仕えてと言う其仕の字なり。元来仕えるとは、君臣主従など言う上下の身分を殊にして、下等の者が上等の者に接する場合に用うる文字なり。左れば妻が夫に仕えるとあれば、其夫妻の関係は君臣主従に等しく、妻も亦是れ一種色替りの下女なりとの意味を丸出まるだしにしたるものゝ如し。我輩の断じて許さゞる所なり。今の日本の習俗に於て、仕官又は商売等、戸外百般の営業は男子の任ずる所にして、一家の内事を経営するは妻の職分なり。衣服飲食を調え家の清潔法に注意し又子供を養育する等は都て人生居家の大事、之を男子戸外の業務に比して難易軽重の別なし。故に此内事の経営を以て妻が夫に仕うるの作法なりと言えば、夫が戸外の事に勉むるは妻に仕うるの作法なりと言わざるを得ず。男女婚姻して一家に同居し、内外を区分しておの/\其一半を負担し、共に苦楽をともにして心身を労すること正しく同一様なるに、何が故に之を君臣主従の如くならしめんとするか、無稽も亦甚しと言う可し。或は戸外の業務は内事に比して心労大なり、其成跡も又大なりなど言わんかなれども、夫の病に罹りたるとき妻が看病する其心配苦労は果して大ならざるか、妊娠十箇月の苦しみを経て出産の上、夏の日冬の夜、眠食の時をも得ずして子を育てたる其心労は果して大ならざるか、小児に寒暑の衣服を着せ無害の食物を与え、言葉を教え行儀を仕込み、怪我もさせぬように心を用いて、漸く成人させたる其成跡は果して大ならざるか、之を要するに夫婦家に居て其功労に大小軽重の別なきは、事実の示す所にして之を争う言葉はなかる可し。之を政治上に喩えて言わんに、妻が内の家事を治むるは内務大臣の如く、夫が戸外の経営に当るは外務大臣の如し。両大臣は共に一国の国事経営を負担する者にして、其官名に内外の別こそあれ、身分には軽重を見ず。然らば則ち女大学の夫に仕え云々の文は、内務大臣をして外務大臣に仕えしめんとするものに異ならず。事実に可笑しからずや。一国に行われざることは一家にも行われざることゝ知る可し。

一 下女を使つかうに心をもちうべし。言甲斐いいがいなき※(「藹」の「言」に代えて「月」、第3水準1-91-26)げろうならわあしくて知恵なく、心奸敷かしましくものいうことさがなし。夫のこと舅姑こじゅうとのことなど我心に合ぬ事あれば猥にそしきかせて、それを却て君の為と思へり。婦人若し智なくして是を信じては必ずうらみ出来易し。元来もとより夫の家は皆他人なれば、うらみそむき恩愛を捨る事易し。かまえて下女のことばを信じて大切なる※(「女+章」、第4水準2-5-75)しゅうとしゅうとめ姨のしたしみうすくすべからず。若し下女すぐれ多言くちがましくて悪敷者あしきものなれば早く追出すべし。箇様かようの者は必ず親類の中をも言妨いいさまたげて家を乱す基と成物なるもの也。恐るべし。又卑者いやしきものを使ふには気に合ざる事多し。それいかりののしりやまざれば約々せわ/\しく腹立はらたつことおおくして家の内静ならず。悪しき事あらば折々言教いいおしえて誤をなおすべし。少のあやまちこらえいかるべからず、心の内にはあわれみほかには行規を堅くおしえて怠らぬ様に使ふべし。あたえめぐむべき事あらばたからおしむべからず。但し我気に入りたるとて用にも立ぬ者に猥に与ふべからず。

 此一章は下女の取扱法を教えたるものにして、第一に彼等の言うことを軽々しく信じて※(「女+章」、第4水準2-5-75)姨の親しみを薄くする可らず、其極めて多言なる者は必ず家族親類風波の基なればすみやかに追出す可し、すべて卑しき者を使うには我意に叶わぬことも少なからず、みだりに立腹することなく能く言教えて使う可し、与え恵む可き事あらば財を惜しむ可らず、但し私に偏して猥りに与う可らずと言う。都て非難の点なし。特に心の内には憐み外には行儀を固く訓えて使う可しの一句は、我輩の深く感服する所なり。

一 およそ婦人の心様こころさまの悪き病は、やわらしたがわざると、いかりうらむと、人をそしると、ものを妬むと、智恵浅きと也。此五のやまいは十人に七、八は必ず有り。是婦人の男に及ざる所也。自らかえりみいましめてあらためさるべし。中にも智恵の浅き故に五の疾もおこる。女は陰性也。陰は夜にて暗し。故に女は男に比るにおろかにて、目前もくぜんなるしかるべきことをも知らず、又人の誹るべき事をも弁えず、我夫我子の災と成るべきことをも知らず、とがもなき人をうらみいか呪詛のろひ、或は人をねたみにくみて我身ひとりたたんと思へど、人ににくまうとまれて皆我身の仇と成ことをしらず、いとはかなく浅猿あさまし。子をそだつれども愛に溺れ、ならはせ悪しく愚なる故に、何事も我身をへりくだりて夫に従べし。いにしえの法に女子を産ば三日床の下にふさしむるといへり。是も男は天にたとへ女は地にかたどる。故に、万のことに付ても夫を先立て我身を後にし、我為せる事に能事よきことあるとても誇る心なく、亦悪事ありて人にいはるゝ迚も争はずして早く過を改め、重て人に謂れざる様に我身を慎み、又人に侮れても腹立憤ることなく、能くこらえて物をおそれつつしむべし。如斯かくのごとく心得なば夫婦の中自らやわらぎ、行末ながくつれ添て家の内穏かなるべし。

 本文は女大学の末章にして、婦人を責むること甚だしく、殆んど罵詈讒謗ばりざんぼうの毒筆と言うも不可なきが如し。凡そ婦人の心さまの悪しき病は不和不順なる事と怒り恨む事と謗る事と妬む事と智恵浅き事となり、此五の病は十人に七、八は必ずあり、婦人の男子に及ばざる処なりと宣告したれども、此宣告果してあたるや中らざるやにわかに信じ難し。言行和らぎて温順なるは婦人の特色にして、一般に人の許す所なり。事に当りて男子なれば大に怒る可き場合をも、婦人は態度を慎しみ温言以て一場の笑に附し去ること多し。世間普通の例に男同士の争論喧嘩は珍らしからねど、其男子が婦人に対して争うことは稀なり。是れも男子の自から慎しむには非ずして、実は婦人の柔和温順、何処となく犯す可らざるものあるが故ならん。ただに男女の間のみならず、男子と男子との争にも婦人の仲裁を以て波瀾を収めたるの例は、世人の常に見聞する所ならずや。畢竟ひっきょう女性和順の徳に依ることなるに、然るに今是等の事実をば打消し、不和不順を以て婦人の病と認むるが如き、立言の根拠既に誤るものと言う可し。但し記者が此不和不順を始めとして、以下憤怒怨恨誹謗嫉妬等、あらん限りの悪事を書並べて婦人固有の敗徳としたるは、其婦人が仮令たとい之を外面に顕わさゞるも、心中深き処に何か不平を含み、時として之を言行に洩らすことありとて、其心事微妙の辺を推察したるものならんか。若しもしからんには我輩は記者の推察を抹殺する者に非ず。其推察、察し得て妙なりと言わんと欲するものなり。元来日本の婦人は婚姻の契約を無視せられて夫婦対等の権利を剥奪せられ、常に圧制のもと匍匐ほふくして男子に侮辱せらるゝ者なれば、人間の天性として心中不平なからんと欲するも得べからず。稀に或は其不平を色に現わし言の端に洩らすことあれば誹謗なり嫉妬なりと言う。之を喩えば人を密室に幽囚し、火をつまませ熱湯をフクませて、苦し熱しと一声すれば、則ち之を叱して忍耐に乏しき敗徳なりと言うに異ならず。知るや知らずや、其不平は人を謗るにも非ず、物ねたむにも非ず、唯是れ婦人自身の権利を護らんとするの一心のみ。其心中の真面目をも忖度そんたくせずして、容易に之に附するに敗徳の名を以てす、無理無法に非ずして何ぞや。百千年来蛮勇狼藉の遺風に籠絡せられて、わずかに外面の平穏を装うといえども、蛮風断じて永久の道に非ず。我輩は其所謂いわゆる女子敗徳のよっきたる所の原因をあきらかにして、文明男女の注意をうながさんと欲する者なり。又初めに五疾の第五は智恵浅きことなりと記して、末文に至り中にも智恵の浅き故に五のやまいおこると言うは、智恵浅きが故に智恵浅しと言うに異ならず、前後文を成さずと雖も、文字上の細論はしばらき、元来婦人の智恵浅しとは何を標準にして深浅を定めたるや。男女家に居ておの/\司どる所を殊にし、内外の経営いずれか智恵を要すること大なるやと尋ぬれば、我輩は正に同一様なりと断言する者なり。男子が如何に戸外に経営して如何に成功するも、内を司どる婦人が暗愚無智なれば家は常に紊乱びんらんして家を成さず、幸に其主人が之を弥縫びほうして大破裂に及ばざることあるも、主人早世などの大不幸に遭うときは、子女の不取締、財産の不始末、一朝にして大家の滅亡を告ぐるの例あるに反し、賢婦人が能く内を治めて愚鈍なる主人も之に依頼し、所謂内助の力を以て戸外の体面を全うするものあるのみならず、夫死すれば其妻はすなわち賢母にして、子を養育し子を教訓し、一切万事母一人の手を以て家を保つの事実は古今世に珍しからず。現に今日世上に名ある有為の紳士賢婦人など言う輩にして、母の手に育てられたる者は少なからざる可し。賢婦家を興し愚婦家を亡ぼす。一家の盛衰に婦人の力を及ぼす其勢力の洪大なるは、之を男子に比較して秋毫しゅうごうの差なし。しこうして其家を興すは即ち婦人の智徳にして争う可らざるの事実なるに、みだりに之を評して無智と言う、漫評果して漫にして取るに足らざるなり。或は婦人が戸外百般の経営に暗きが故に無智なりと言わんか、是れは婦人の天稟てんぴん愚なるが故に暗きに非ず、事に関係せざるが故に其事に慣れずして之を知らざるのみ。天下の政治経済の事などは日本の婦人に語りて解する者少なし。此一面より見れば愚なるが如くなれども、方向を転じて日常居家の区域に入り、婦人の専ら任ずる所に就てこまかに之を視察すれば、衣服飲食の事を始めとして、婢僕の取扱い、音信贈答の注意、来客の接待饗応もてなし、四時遊楽の趣向、尚お進んで子女の養育、病人の看護等、一切の家計内事その事小なるに以て実は大なり。之に処するに智恵を要するは無論、その緻密微妙の辺に至りては、口以て言う可らず、筆以て記す可らず、全く婦人の方寸ほうすんに存することにして、男子の想像にも叶わず真似も出来ぬことなり。是等の点より見れば男子は愚なり智恵浅きものなりと言わざるを得ず。されば男女の智愚は事柄に由て異なり、場所に由て異なり、即ち家の内事と戸外の事と其働く処に随て趣を異にするのみのことなれば、苟も其人を教えて事に慣れしむるときは、天性の許す限り男子にして女子の事をる可く、女子にして男子の業を成す可し。其例証明白にして争う可らず。古来勇婦の奇談は特別の事とするも、女中に文壇の秀才多きは我国史の示す所にして、西洋諸国に於ては特に其教育を重んじ、女子にして物理文学経済学等の専門を修めて自から大家の名を成すのみならず、女子の特得とくとくは思想の綿密なるに在りとて、官府の会計吏に採用せらるゝ者あり。又学者の説に、医学医術等には男子よりも女子を適当なりとして女医教育の必要を唱え、現に今日にても女医の数は次第に増加すと言う。何れの方面より見ても婦人の天性を無智なりと明言して之を棄てんとするは、女大学記者の一私言と言う可きのみ。
 又女は陰性なり、陰は夜にして暗し、故に女は男に比ぶるに愚にて云々に説始ときはじめ、あらん限りの悪徳を並べ立てゝ其原因は陰性なるが故なりと、例の陰陽説より割出したるこそ可笑おかしけれ。実に取処とりどころもなき愚論にして、痴人夢を語るとは此事ならん。そもそも陰陽とは何物なるや何事なるや。漢学流の言に従えば、南が陽なれば北を陰と言い、冬が陰なれば春を陽と言い、天は陽、地は陰、日は陽、月は陰など言うが如く、往古蒙昧の世に無智無学の蛮民等が、其目に触れ心に感ずる所を何の根拠もなく二様に区別して、之に附するに漠然たる陰陽の名を以てしたるまでのことにして、人間の男女も端なく其名籍の中にかぞえられ、男は陽性、女は陰性と、勝手次第に鑑定せられたるのみ。其趣は西洋の文典書中に実名詞の種類を分けて男性女性中性の名あるが如く、往古不文時代の遺習にしてもとより深き意味あるに非ず。左れば男子は活溌にして身体強大なるが故に陽の部に入り、女子は静にして小弱なるが故に陰なりなど言う理窟もあらんかなれども、仮りに一説を作り、女子の顔の麗くして愛嬌溢るゝ許りなるは春の花の如くなるに反して、男子の武骨殺風景なるは秋水枯木に似たり。而して春は陽、秋は陰なるが故に、女子は陽にして男子は陰なりと言うも、大なる反対はなかる可し。其他様々の陰陽説に就き、今日吾々が古人と為りて勝手自儘に新説を作れば、旧説を逆にして陰陽を転倒すること甚だ易し。如何となれば新旧共に根拠なければなり。斯る無根の空論を土台にして、女は陰性なり、陰は夜にして暗し、故に女子は愚なりと明言して憚らず。我輩は気の毒ながら失敬ながら記者を評して陰陽迷信の愚論者なりと言わんと欲する者なり。既に立論の根本を誤るときは其論及する所に価なきも亦知る可し。女は愚にして目前の利害も知らず、人の己れをそしる可きを弁えず、我家人の禍となる可き事を知らず、みだり無辜むこの人を恨み怒り云々して其結果却て自身の不利たるを知らず、甚しきは子を育つるの法さえも知らざる程の大愚人大馬鹿者なるゆえに、結論は夫に従う可しと言う。罵詈讒謗ばりざんぼう至れり尽せり。我輩はしばらく記者の言うがまゝに任せて、唯その夫たる者の人物如何を問わんと欲するのみ。天下の男子は陽性なるが故に、陽は昼にして明なり、万事万端に通じて内外の執務に適し、殊に人倫の道に明にして品行最も正しく、内君に対して交情最もこまやかなりと言うか。果して然らんには甘んじて之に従い之に謀る可しと雖も、今の世間の風潮に於ては其保証頗る疑わし。我輩は婦人の為めに謀り、軽々女大学の文に斯かれずして自尊自重、静に自身の権利を護らんことを勧告するものなり。
 又云く、古の法に女子を産めば三日床の下に臥さしむと言えり。是れも男は天にたとえ女は地に象る云々と。是れ亦前節同様の空論にして取るに足らず。何が故に男は天の如く高くして女は地の如く低きや。男女、性を異にするも其間に高低尊卑の差なし。若し其差別ありとならば事実を挙げて証明せざる可らず。其事実をも言わずして古の法に云々を以て立論の根拠とす、無稽に非ずして何ぞや。古法古言を盲信して万世不易の天道と認め、却て造化の原則を知らず時勢の変遷を知らざるは、古学者流の通弊にこそあれ。人智の進歩は盲信を許さゞるなり。古人が女子を床の下に臥さしめて男天女地の差別を示したるは古人の発意にして、其意は以て人間万世の法とするに足らず。古人も今人も共に社会の人にして、古今おの/\其時勢あり。我輩は不文なる上世の一例に心酔して今日の事を断ぜんとする者に非ず。畢竟ひっきょうするに女大学記者が男尊女卑の主義を張らんとして其根拠なきに苦しみ、わずかに古の法なるものを仮り来りて天地など言う空想を楯にし、論法を荘厳にして以て女性を圧倒し、無理にもこれを暗処に蟄伏せしめんとの窮策に出でたるものと言う可し。既に男尊女卑と定まりたる上は、婦人に向て命令すること甚だ易し。万の事に就て夫を先立て我身を後にし、我なせることに能き事あるも誇る心なく、悪しき事ありて人に言わるゝとても争わずして過を改め身を慎しみ、人に侮られても立腹することなく憤ることなく唯恐れ謹しむ可しと言う。所謂柔和忍辱にんにくの意にして人間の美徳なる可しと雖も、我輩の所見を以てすれば夫婦家に居て其身分に偏軽偏重へんけいへんちょうを許さず、婦人に向て命ずる所は男子に向ても命ず可し。故に前文を其まゝにして之を夫の方に差向け、万事妻を先にして自分を後にし、己れに手柄あるも之に誇らず、失策して妻に咎めらるゝとも之を争わず、すみやかあやまちを改めて一身を慎しみ、或は妻に侮られても憤怒せずして唯恐縮謹慎す可し云々と、双方に向て同一様の教訓を与え、双方共に斯の如く心得なば、夫婦の中、自から和らぎ行末永く連そいて家の内穏なるは、我輩の敢て保証する所にして※(二の字点、1-2-22)ゆめゆめ疑ある可らずと雖も、記者の見る所果して如何。果して以上の相対説を許すや否や、我輩の聞かんと欲する所なり。若しも然らずして単に婦人の一方のみを警しめながら、一方の男子には手を着けず、恰も之を飼放かいはなしにして自儘じまま勝手を許すときは、柔和忍辱の教、美なりと言うも、唯是れ奴隷の心得と言う可きのみ。夫婦の関係は君臣に非ず主従に非ず、況して其一方を奴隷視するに於てをや。我輩の断じて反対する所のものなり。

右の条々稚時いとけなきときおしうべし。又書付て折々よましめわするることなからしめよ。今の代の人、女子に衣服道具など多く与へて婚姻せしむるよりも、此条々を能く教ふること一生身を保つ宝なるべし。古語に、人能く百万銭を出して女子を嫁せしむることを知て十万銭を出して子を教ふることを知らずといへり。誠なるかな。女子の親たる人、此理を知ずんば有べからず。女大学終

 最終に右の条々おさなき時より能く訓う可し云々、今の代の人、女子に衣服道具など多く与えて婚姻せしむるよりも此条々を云々、古語に人よく百万銭を出して女子を嫁せしむる事を知て十万銭を出して子を教うることを知らずといえり、誠なるかな、女子の親たる人、この理を知らずんばある可らずと。以上十九箇条の結論、論じ去て深切しんせつなりと言う可し。我輩もとより記者の誠意を非難するには非ざれども、女大学の著述以後二百余年の今日に於て、人智の進歩、時勢の変遷を視察し、既往の事実に徴して将来の幸福を求めんとするときは、如何にしても古人の説に服従するを得ず、敢て反対を試みる所以なり。抑も在昔むかし封建門閥の時代に政治を始めとして人間万事圧制を以て組織したる世の中には、男女の関係も自から一般の風潮に従い、男子は君主の如く女子は臣下の如くにして、其尊卑を殊にすると同時に、君主たる男子は貴賤貧富、身分の区別こそあれ、其婦人に接するの法は恰も時の将軍大名を学んで傍若無人、これを冷遇し之を無視するのみか、甚しきは敢て婬乱をほしいままにして配偶者を虐待侮辱するも世間に之を咎むる者なく、却て其虐待侮辱の下に伏従する者を見て賢婦貞女と称し、滔々とうとうたる流風、上下をなびかして、嫉妬は婦人の敗徳なりと教うれば、下流社会も之を聞習い、焼餅やきもちは女の恥など唱えて、敢て自から結婚契約の権利を放棄して自から苦鬱の淵に沈むのみならず、男子の狂乱以て子孫の禍源たるを余処よそに見て、却て自から之を知らざるこそ奇怪なれ。唯驚く可きに似たれども、社会圧制の久しき、国民一般の習慣を成して一般の性と為り、政治上に於て君々きみきみたらざるも臣々しんしんたらざるを得ずと言うに等しく、婦人の道は柔和忍辱盲従に在り、夫々おっとおっとたらざるも妻々つまつまたらざるを得ずとて、専ら其一方の教に力を籠めて自から封建社会の秩序に適合せしめ、又間接に其秩序を幇助ほうじょせしめたるが如き、一種特別なる時勢の中に居て立案執筆したる女大学なれば、其所論今日より見ればこそ奇怪なれども、当年に在ては決して怪しむに足らず。弓矢鎗剣きゅうしそうけん、今の軍器としては無用の長物、唯一種の玩具なれども、昔年は一本の鎗を以て三軍の成敗を決したることあり。昔は利器たり、今は玩具たり。今昔の相違これを名けて人智の進歩時勢の変遷と言う。学者の注意す可き所のものなり。左れば我輩は女大学を見て女子教訓の弓矢鎗剣論と認め、今日に於て毫も重きを置かずと雖も、論旨の是非はき、記者が女子を教うるの必要を説く其熱心に至りては唯感服の外なし。依て今我輩の腹案女子教育説の大意を左に記し、之を新女大学と題して地下に記者に質さんとす。記者先生に於ても二百年来の変遷を見て或は首肯せらるゝことある可し。

底本:「女大学評論・新女大学」講談社学術文庫、講談社
   2001(平成13)年1月10日第1刷発行
底本の親本:「福澤諭吉全集 第六巻」岩波書店
   1959(昭和34)年初版発行
初出:「時事新報」時事新報社
   1899(明治32)年連載
入力:片瀬しろ
校正:小林繁雄
2006年6月27日作成
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