ぼくが阿久津に働いていたので、日野が出入りするようになりました。彼が元子爵の息子だというのは本当です。
 しかし奴めを斜陽族と云うのはとんでもないことで、彼が戦前ぼくと中学同級のとき、すでに裏長屋同然のところから通学しておりました。彼の父の子爵もそこに住んでいたのです。戦前から落ちぶれはてた世に稀な貧乏華族だったのです。
 ぼくらは彼を野ザラシとよんでいました。例の落語の野ザラシで、サレコーベに酒をぶッかけて家へ戻ると女のユーレイがお礼に現れたという話ですが、アダ名の意味はガイコツというのでしょうか。当時奴はガナガナやせきっていました。酒でもぶっかけると元華族になる、子爵のなれの果てというようなひどい意味であったかも知れません。まったく戦前からなれの果てでした。そんなわけで、なまじ子爵の子であるために劣等感ばかり味って育ったのです。
 戦災で奴めの裏長屋が焼け消えて、華族全部が消え失せたので、奴めもにわかに斜陽族に出世したわけで、それからの奴めの羽ぶり、にわかに斜陽族ぶったキザといったら、ぼくもウンザリするときがありました。
 もともとなれの果ての生活になれていますから斜陽族を利用してタダでメシを食う手に熟練していたばかりでなく、ホンモノの斜陽族に有りうべからざる限度の心得があって、何から何まで計算の上でやっていました。
 ぼくとの関係で阿久津へ出入りするようになったころは斜陽族もそう物を云わない時世になっていましたから、そこは心得たもので、たまに匂わす程度にしか斜陽族ぶりません。ライスカレーを二枚三枚お代りするにもモジモジしてとても上品に乞食ぶるのがあざやかでして、週に二度か三度ぐらい、それ以上は来ません。モジモジしながらいつもライスカレー三枚はペロリと平らげていました。
 阿久津のトオサンはいわゆる酸いも甘いも噛みわけた苦労人でお気に入りには毎日でもタダメシを食わせてくれる人ですが、バカではありませんから斜陽族の乞食演技にコロリといくはずはありませんが、トオサンがシンから日野を信用するに至ったのは村社むらこそ八千代の一件からでした。
 八千代サンはヒロポン中毒の可愛い女学生で、詩人です。日野とは同人雑誌の同志でした。新興成金の娘ですが小遣いも盗みだしたお金もみんなヒロポンにつぎこむらしく、年中文なしでピイピイ腹をすかしていましたから、日野がウチ(阿久津のことです。ぼくは板前見習い兼出前もちです)へつれてきて彼女にタダメシをゴチソウするようになったわけです。彼女の食いっぷりが日野に輪をかけてもの凄くアラレもないこと甚しいので、トオサンは一目みてひどく同情して、もっと食いねえ食いねえというわけ、それをまたガツガツとむさぼり食う、二人の友情がかたく結ばれたわけです。
 トオサンと八千代サンは心を許す親友になりましたが、こまったことに、八千代サンは、本当にトオサンに惚れてしまったのです。アラレもなくガツガツとタダメシを食う小娘ですから惚れッぷりも猛烈でした。ぼくが見ている前だというのに堂々とトオサンに向って自分の処女を自由にしてなどとただならぬ目ツキで口走るものですから、トオサンも狼狽して、
「あなたのような可愛い娘がかりにも私のような者にそんなことを云ってはいけないよ。私はもう五十五のオイボレだし、あなたはこれからという人生じゃないか。若いうちは戸惑うことがありがちで変テコなことを思いつくのはフシギではないかも知れないが、しかし、あんまり、ひどすぎるぜ。なア、八千代サン。あなた、ヒロポンやめなよ」
「ひどいわね。ヒロポン中毒あつかいして。思うことを云うのが病気でしょうか」
「ま、病気といえば、病気だな。タシナミというものがある。かりにもあなたのような娘が処女を自由にしてなんてことを云うのは自然にそなわる女のタシナミに反するものだぜ。私は小学校をでたばかりの無学者でむつかしいことは知らないが、ちょッと、ひどすぎると思うねえ」
「そうねえ。ひどすぎたかも知れないわ。私、愛情の表現を知らないのです。仕方がないから、手ッ取りばやく、処女を自由にしてなんて云ったんですけど、私だって肉体のことなんか考えていないわ。ただ本当に好きなんです。トオサンの目も手も口も心も、みんないとしくて、たまらないわ。毎日、まるで格闘しているような気持なんです。それを云いたかっただけなの」
「若い時には魔がさすことがあるものだ。気まぐれというわけでもなかろうが、ひょッと変テコな入道雲みたいのものがニジかなんかに見えやがってさ。若い男がおッ母さんのような女に変な気持になることがよくあるものだ。こいつにマトモに気を入れると一生のマチガイになる。一時の迷いなんだよ。な、若い者は若い者同士だ。当り前じゃないか。日野サンがだいぶあなたにあついようだが」
「あんな子供、きらいです」
「子供ッて、あなたも子供じゃないか」
「私が子供だから、あの人の子供ッぽいのがたまらなくイヤなのかも知れないわ。子供は子供同士ッて、どういう意味でしょう。似た者同士はイヤなものだわ。鼻につくんですもの。子供のくせに変にスレッカラシのところまで似てたら、やりきれないのは当然です。あの人のこと云いだしたの、なぜですか」
「まアさ。そう私をいじめないでおくれ。あなたの人生はこれからまだ五十年もあるのだから、一生を決する大事に一年や二年考えたって長すぎやしないんだ」
 トオサンは真剣に困りきっていたようですが、そのとき八千代サンが突然こう叫んだものです。
「トオサンは小夜子サンが好きなのね!」
 これにはぼくの方がびっくりしました。いったい、トオサンが小夜子サンが好きだということを、どこから嗅ぎつけたのでしょう。そんなことはトオサンの顔色にでたことはありませんし、現にこう八千代サンが叫んだときですらトオサンはなんとなくやや重々しく落着いてみせただけで眉の毛一筋だって動かしやしませんでした。けれどもトオサンが小夜子サンが好きだというのは事実なのです。毎日、朝から夜中まで一しょに働いて暮しているぼくにだけは判る理由があったのです。と申しますのは、実はぼくが小夜子サンにひそかに思いをかけておりますからで、同じ思いの人間が小夜子サンも交えて三人一しょに暮しておればそれはおのずと通じないはずはないものです。
 小夜子サンと申す人はここのお座敷女中です。三人いる女中のうちの一人で、とても美しい人でした。女子大中退という教養もかなりの人で、こんなところで働くのがフシギと申すほかない麗人でした。御座敷女中入用のハリ紙をみてこの人が訪ねてくれた時にはトオサンもぼくもびっくりしたもので、
「ハキダメへ鶴がおりるということは申しますが、こんなチッポケなうす汚い安料理屋へあなたのような人が働いたらおかしいや。よした方がいいですよ。よその立派な店がいくらだって雇ってくれますぜ」
 トオサンはむだなことを云わさないと云わんばかりにこう申したものですが、小夜子サンはここが気に入ったから働かせてくれと重ねて云うのです。
「ここのどこが気に入ったんです」
「あなたがそんなふうに仰有おっしゃるからよ。私あんまりパッとしたところで働きたくないんです」
「あなたがパッとしすぎてるからさ。ここじゃア、しかし、どうも、ねえ。あなただけパッとしすぎて、ここの客が寄りつかなくなッちゃうよ」
 まったく見るからにパッとした存在でした。ミナリだって渋くて上等なものでした。一見して家柄を感じさせるような気品があって、それで目がさめるほど美しいのですから、パッとしすぎてここの客がよりつかなくなるというのも云いすぎではありません。この人がまた意地ッぱりで、とうとうここに働くことになったばかりでなく、まる二年ここに落着いてるんですから、まったく妙な話です。トオサンはカンバンになってイヤな客が小夜子サンを送って出そうな気配があると、ぼくに目配せして、
「小夜子サンを送ってあげな。ねえ、小夜子サン。今夜は龍ちゃんに送らせて下さい」
 こう云ったものです。万一のことがないようにと気をつかってのことです。イヤな客にはハッキリと、
「今夜は龍ちゃんが小夜子サンを送りますから、あなたはひきとって下さい」
 などとズケズケ云いました。そういうところは小気味のいいトオサンでしたが、自分の胸の思いをうちあけるには全然勇気がなかったのです。むろんトオサンには奥サンもあるし子供もありますが、小夜子サンにも御亭主があったのです。物理学者で、書斎の虫だったのです。仲は冷いようでした。
 八千代サンも可愛い娘でしたが、小夜子サンが万人その美を認めざるを得ないていの麗人ですから、自然ひそかに嫉妬せずにいられなかったのでしょう。
 その小夜子サンが二世のセラダと熱海で心中して、二人とも死に損いました。日野と八千代サンの一件というのもその時にあったことです。いまはその一件を語るのが目的ですから、小夜子サンとセラダのことはやがて章を改めて語ることに致します。
 小夜子サンとセラダが死に損ったということは新聞の夕刊に小さく出ていたので判りました。トオサンはとる物もとりあえずというていたらくでカッポウ着をかなぐりすてて熱海直行ということになりましたが、そのとき店に来合せていたのが日野と八千代サンでして、
「じゃア、ぼくも行きます」
「私も」
 この二人がどういう反射運動か、その気になって立上ったものですから、トオサンも考えてるヒマがありません。
「ウン」
 と答えて三人一しょに熱海めざしてまッしぐらです。しかし、もともと小夜子サンとセラダが死に損ったことについて日野と八千代サンまでが熱海へ駈けつける必要はないのですから、トオサンも熱海へ近づいたじぶんから弱りだして、
「お前さんたち、なんだってノコノコついてきたんだい」
「イヤだな、切符買ってくれたくせに」
「仕様がねえなア、来ることもないくせに」
「トオサンが慌てすぎるから、こッちもつりこまれちゃったらしいや」
 仕方がないから、トオサンは二人を適当な旅館へあずけて、自分だけ小夜子サンの病床へ駈けつけて一晩看病しました。日野と八千代サンの一件というのはつまりその晩の出来事です。
 トオサンにしてみれば、こんな偶然がもとで八千代サンが日野とネンゴロになってくれた方がむしろ自分を愛してくれるよりも八千代サンの身のためだぐらいの気持だったかも知れません。宿の番頭や女中に、
「この若い二人をたのむよ!」
 と云ったそうです。そんなわけで二人は一つブトンに枕二つ並べて寝かせられることになりました。
「弱ったなア。フトン二ツにしてもらおうかね」
「平気じゃないの。電車の一ツ座席へ二人一しょに坐って来たじゃないの」
「それとこれとはちょッとちがうと思うがなア。ま、いいや。キミさえ平気なら、ぼくだって、こだわらないよ」
 さて寝てみると、日野はくすぐったくて我慢ができません。八千代サンの平気じゃないのという言葉はどんなことをしたって平気じゃないかという意味のように理解せざるを得なくなりましたから、そッと手を動かして大胆に彼女のカラダにさわりましたところが、いきなり蹴とばされ、つづいて八千代サンはどッと向き直って力いっぱい日野のほッぺたを殴りつけたそうです。日野は慌ててフトンの中からとびだして洋服をきました。
「ヤだなア。キミは礼儀知らずだよ」
「礼儀知らずは、あなたよ」
「ウソだい。男が女の身体にさわりたがるのは人情じゃないか。イヤなら静かに云っとくれよ。よッぽどショッてなきゃア、そんなことできやしない。さもなきゃア、キミはよくよくガサツなんだ」
「あなたを男あつかいしてないからよ。犬か猫だと思ってるから。必ずぶち返してあげるから」
「フトン一枚かしてくれないかな」
「ここへ寝なさいな」
「そうはいかないよ。自然の情というものは人間にはあるんだからね。木石じゃアないから、仕方がないよ。しかし、寒いな」
 秋でした。日野は座ブトンをしいて外套をひッかぶって寝てみたのですが、隙間風がたまらないから、外套をきて壁にもたれて坐り、膝の上にも座ブトンを当て腕をくんで睡りましたが、案外にも夜が明けるまでそのカッコウで睡ることができたそうです。
 トオサンが日野をシンから信用するようになったのは、その一夜の出来事が判ってからです。さすがに育ちだなアと全然斜陽族にきめこんでしまった次第ですが、オレの若いころはそんなことはできなかったものだというのがトオサンの述懐で、そう云われてみると、ぼくなぞもできない方かも知れませんが、しかしこれは日野がずるいせいなんです。
 奴は全部計算の上でやった仕業に相違ありません。八千代サンは洗いざらい人に喋ってしまうタチですから、その一夜の出来事がトオサンはじめ一同に筒ぬけになるにきまってるのを見ぬいた上での演技なんです。日野にとってはトオサンの信用を得ておくことがまだ処世上必要ですから、慾情をギセイにしても、トオサンの気に入るようにすることが得策だと計算したにきまっています。奴が八千代サンを愛してるのは確かですが、それは決してこの一人の女というような愛情ではなくて、肉体をもとめているだけの愛情にすぎないのです。
「八千代サンのオッパイはまだ小さくて堅いね。発育不完全というよりも、ちょッと不具者の感じだな」
 というようなことをふだん云ってたのですが、そんな云い方は無関心でも云えないし、軽蔑の念がなくても云えない性質のものだろうと思います。ですから彼が八千代さんに肉慾的な執着をもっているのは明白なんですが、トオサンの信用を得ておくためには、その執念を抑えることができる奴です。トオサンの信用を得ておく利益と云えば週に二三回ライスカレーにありつくだけのことなんですが、それでも一夜の肉慾よりはマシと見るところに彼の計算法の独自さを見るべきです。これは普通の人間にはできません。乞食根性が身にしみついているのです。生活の最低線を押えておこうという心の働きは誰にもあるかも知れませんが、奴のはその最低線がタダメシで、その週に二三回のタダメシのために愛慾をギセイにできるというのですから、まるでタダメシに身を売っているようなものです。働いて生きぬく人間の誇りなぞはないのです。シンからの乞食根性と云う以外に適当な表現はないんじゃないかと思われます。

          ★

 日野は自分がタダメシを食うばかりではと気に病んでかお金持の法本重信をつれてきました。もっとも法本は金づかいがキレイの方ではありません。女中にチップをはずんだこともありませんし、お酒なぞも飲める口でありながら酔うほどは飲まないタチでした。
 法本は経済学の博士だか教授だかの子供で、これを出藍のホマレと申すのかも知れませんが、ぼくらと同年輩でありながら、株で七八百万もうけたそうです。人によっては千万以上とふんでる者もおります。それをまた株でするようなバカはしません。自動車と家を買ったのですが、それを売って、また、もうけました。それが病みつきでブローカーを開業し、さるビルディングに然るべき事務所を持ってるのです。日野はここへ出入りして、時々なにかにありつかせてもらっていたようですが、タダメシに毛の生えた程度のものらしかったようです。
「これぐらい忠実にやってんだから、オレの事務所で働けよぐらいのことを云ってくれてもよさそうだと思うんだけど、云ってくれないのでね」
 と日野はぼやいていました。彼は法本を社長とよんだり先生とよんだりしていました。なぜ先生かと申しますと、彼は一流のファシズムを信奉しており、その共鳴者が七人いました。そのファシズムは皇室中心主義の右翼とは関係のないもので、権力主義のファシズムです。全てを動かすものは金であるという徹底した金銭中心主義の宗教団体のようなものだと日野は云っていましたが、彼自身もその理論になかば共鳴していたようです。もっとも法本の事務所に働いている人たちは七人の共鳴者のうちの何人かですから、彼も八人目の共鳴者になってその事務所で働かせてもらいたい下心によるもののようでしたが、法本は彼を共鳴者と認めてくれぬ由です。ところが日野は単に打算のせいだけでなく、かなり本心から法本の理論に傾倒している傾きがありました。彼が法本をかなり偉い人と認めていたことは確かです。
 二世のセラダがウチへくるようになったのは法本が彼をウチへよんで何かの商談をやったからです。その当日はこの商談の席に加わるために、日野もよばれてウチで待機していました。彼はどこで借りてきたのか金ガワのロンジンの腕時計をつけ、上等のネクタイに真珠のネクタイピンをさしていました。元子爵の令息としてセラダにひきあわされることになっていたので、どこかで工面してきたのです。今度のは大仕事だから、と奴めハリキッていましたが、今までに比べればいくらか大仕事かは知れませんが、あの利口者の法本が日野を使う仕事だからタカが知れてるとぼくは軽くふんでいました。
 当日セラダは法本よりも先にウチへ到着したのです。表でヤケに自動車をブーブー鳴らす奴があるのです。二ツも鳴らせばわかるのに、三ツぐらいずつ五回も八回も鳴らすので、さては二世のセラダだなとぼくたちに判ったばかりでなく、鼻持ちならぬキザな野郎に相違ないと見当がついた次第です。
 そこで日野とぼくは帳場のノレンの隙間からこの人物を鑑定がてらのぞいて見ていたのですが、小柄でデップリした身体を重々しくノシノシと現したセラダは、出むかえの小夜子サンと出会いがしらに棒をのんだように動かなくなってしまったのです。
 ぼくらよくよく因業な借金とりにでもめぐり会った時でないとこうはなるまいと思いましたが、セラダは正直に口をアングリあけて小夜子サンに見とれました。
「アナ夕日本一美しいですね。ワンダフルです。ワタクシ世界中においてもアナタのような美しい人まだ見たことありません。ワタクシここ打たれました。ここ、ここ」
 と云って、胸を押えて、ピストルを二三発くらったように本当によろめきかねない状態に見えたものです。小夜子サンもさすがに真ッ赤になって物が云えません。急いで彼を用意の部屋へ案内しました。するとセラダも今度は大いにマジメくさって歩きだしましたが、右のポケットを右手で突き上げ突き上げ、お手玉を突きつづけて消え去ったのです。小夜子サンの報告によると、そのポケットの中の物はピストルで、セラダは部屋にドタンバタンと大ゲサに尻もちつくように坐りこむと、そのピストルをとりだして、うるんだような憑かれたような目ツキでピストルをなでまわしたりいじりまわしたりしはじめたそうです。小夜子サンは逃げるように立ち去ってきた様子でした。
「挨拶もしないうちにね。なんのツモリでピストルいじりだしたのかしら」
「挨拶は入口ですんだじゃありませんか」
 と日野が失礼なことを云って小夜子サンを茶化したものです。
「ぶたれました、ここ、ここ、だって云やがらア。ピストル様のもので射たれましたというシュルレアリズム的表現かも知れねえな。たぶん前後不覚なんだ」
 彼はこう云ってキャッという卑しそうな笑い声を発しましたが、実はセラダがうらやましくてたまらぬらしく、ヨダレがたれそうな顔ツキでもありました。
「チェッ! 小夜子サン、真ッ赤になりやがった!」
 と、小夜子サンが赤くなってセラダを案内するのを残念そうに見送っていたのです。
 来るはずの法本がなかなか姿を見せませんので、ふだんならこんなとき進んでノコノコ自己紹介に現れて巧みに印象づけるのが日野の持ち前の性分であるにも拘らず、この日は毒気をぬかれたのか、料理場の片隅にへばりついたり、ちょッとノソノソ動いてみたり、アブラ虫のような挙動が精いっぱいのようでした。彼は甚しくオッチョコチョイの時と、甚しく人みしりする時と二ツあるのですが、人みしりする時は軽蔑しながらも心服したような気分の時にそうなのかも知れません。彼はセラダに自己よりもやや優秀な同類を見出して、ねたましがっていた様子のようでした。あげくに彼は突然呟きました。
「小夜子サン、セラダのものになるな」
 また口走りました。
「セラダの奴、小夜子サンをきッとものにすると思うな」
 むろん小夜子サンのいない時を見はからって云ったのです。二度目の呟きが前のよりも確信的な云い方になったのは、彼自身がむしろそれを望んでいない証拠だったかも知れませんが、するとその時ギックリと鎌首をたてて日野をジッと見つめたのがそれまで熱心に料理中のトオサンだったものですから、これには日野がギクッとおどろく番だったようです。彼はこのとき、はじめてトオサンの悲しい恋心を知り得たかと思います。奴は慌てて帳場へ去りました。
 こういうわけで、法本がせっかく一席もうけた商談は全然役立たずです。なぜなら、セラダは約束をまもらず、万事をホーテキして日となく夜となく毎日毎日小夜子サンのもとにつめきりと相なったからです。
 事態は急速に進展しました。そしてたちまちのうちに例の熱海心中と相なったのですが、これの前に書きもらしてはならぬ重大な出来事があったのです。
 小夜子サンは亭主の物理学者との別れるに別れられない関係にヤケを起していたのです。亭主は書斎にとじこもったきり夜明けちかくまで出てきません。一しょに映画や海や山へ行くではなし、夫婦らしい交驩こうかんということは何一ツやろうとしません。そのくせ夜明けちかく書斎からでてくると必ず肉体を要求することだけは忘れたタメシがないのだそうで、これでは全くケダモノの生活だと小夜子サンは思いつめました。こんな理由で亭主がキライになったらさぞムザンなことだろうと思いやられますが、亭主の物理学者が並みはずれてのヤキモチヤキで、日課として肉体を要求するのもその物理的必然によるらしく、強いて別れると刃物三昧はとにかく硫酸ぐらいは当然ぶッかけられるものと覚悟をきめる必要があったようです。
 セラダがキザで無学で悪党で、どこにも取得がないので、小夜子サンの気に入りました。ヤブレカブレには手ごろでしたのでしょう。その上二世ときてはアツライ向きです。日本人同士のように過度に魂をいためなければならないような要素が少かったからです。トンチンカン以上に魂がふれあう必要がなくて、チェリオとかなんとかやってれば、それで結構憂さは忘れられました。
 小夜子サンがだんだん深間へはまりそうになったので、ここにヤブから棒にとんでもないことが突発しました。それはこれにたまりかねたトオサンが一世一代の沈思黙考のあげく実に突如として愛の告白に及んだことです。洞穴に追いつめられた敗残兵が突如として総攻撃に転じたような悲痛の様が思いやられますが、行われた現象としては必ずしもそうではなくて、素人芝居の中でも一番不出来なのに似ているようなオモムキだったようです。
 トオサンはお茶をのみに行こうと云って小夜子サンを誘いだしました。しかし喫茶店で向いあってる間中、どうしても物が云えず、
「どうだい。競輪へ行こうじゃないか」
 とグッとオモムキを変えて後楽園の競輪場へ行きました。行った以上は車券も買ってみないわけにいかないので、車券を買いに行きましたが、後楽園競輪で車券を買うには人事の全てをつくすていの活躍が必要なのです。右の人波から腕をひッこぬき左の人波から肩をわり、芋を洗う必死の人波を歩一歩漕ぎわけ押しわけてジワリジワリと窓口に進撃しなければなりません。親知らず子知らずどころか、山賊同士ですらここでは行をともにすることができないという難所で、思いをとげ三枚の車券を握ってこの人波からやっと解放された時には魂がゴッソリぬかれていますから愛の告白なぞできるものではないのです。もっとも、車券は当りました。百八十円の配当ですから三八の二百四十円のモウケでした。窓口へ行列してこの配当を受けとり、トオサンはてれかくしに笑いました。
「競輪はくたびれて、いけねえ。どうだい。この二百四十円で、円タクをとばしてみようじゃないか。どのへんまで行けるかなア」
「片道ね」
「むろんだ」
「小型で銀座まで行けるでしょう」
 そこで二人はタクシーをよびとめて、二百四十円がとこやってくんなと料金前払いで乗りこみましたが、この車がバカにメートルの早くまわる車で、
「ヘエ、二百四十円」
 カチッとメートルの文字盤がまわって車の止ったのが、京橋の手前だったそうです。二人はそこでいったん下車しましたが、そのへんは男女が愛をささやくには適当すぎて、トオサンには荷が重すぎた感じでした。
「パチンコもつまらねえし、そうだ。今日は本門寺のお会式だから、でかけてみないか。一度は見ておいていいものだよ」
 トオサンは小夜子サンを誘うことだけ甚しく強引だったのです。そこで円タクをひろって本門寺へ行ったそうですが、まだ昼のうちですから万燈もウチワダイコもわざわざ見物にくるほどは出ておらず、二人は本門寺へ参詣して門前の通りの店でクズモチというのを食ってグッタリ疲れました。しかし、ここで勇気をくじくわけにはいきません。
「ここまで来たからには仕方がねえ。横浜へ行って支那料理が食ってみてえな」
 とうとう横浜へ行きました。トオサンの愛の告白は山下公園をブラリブラリと横切りながら行われたということです。
「ヤブから棒にこんなことを云っちゃアおどろくのは無理もないが、私もね、小夜子サンの恋人がマトモな人なら、私の恋心なんてえものはとるにも足らないものだから、一生だまっていたかったんだ。それはもう小夜子サンを一目見た男という男が惚れてるようなものだから、私なんぞがオクメンもなく白状に及ぶのは笑うべき次第さね。五十五にもなって、女房子供もあって惚れたハレたもないものだが、こうしていったん云いだしたからには、とにかく私の心境――と云っては大ゲサかも知れないが、私の気持というものを一通りきくだけはきいて下さい。実は私は夫婦のチギリばかりじゃなく、男女が愛し合う通例の愛し方、生活の仕方というものに疑いをもっているのだが、人々が恋をする、クチヅケをする、また肉体の交りをむすぶ、それだけを恋愛と思うのは波を見て海を見ないような気がするんだね。波は油を流したようになぐ時があるし、波の底にはざわめくことのない本当の海がジッと息づいている。男女の愛情もそういうジッと変りなく息づいているものでなければならないはずだと、私はこの年になってつくづくこう思うようになったんだね。私にも性慾はある。老来むしろ旺盛になったかと思われるぐらいの性慾があるんだが、どうもそれを愛情のために用いようてえ気持になれなくなったんだ。男女が本当に愛すてえのは、それじゃアないとつくづく思うようになったんだね。私には理窟はわからねえ。ただもうのッぴきならねえ気持でつくづくそう思わずにいられないだけの話だからなさけない。私はいまの女房をシンから愛している。また、敬ってもいる。だから、どうしても、もう女房のカラダをだくわけにいかなくなッちゃッたんだね。私もよせばよいのに、先の女房が死んだあと、いまの若い女房をもらうようなことをしたが、私としちゃア、こいつはつくづく失敗だったと思ってるのさ。いまの女房が好きだから、特にそう思うのさ。けれども、若い女房だから、私の気持に我慢ができない。一しょに寝てくれないのは愛がないからだと云って怒ったり泣いたり、憎んですらいるんだね。どうも気の毒で仕方がないが、私としちゃア、性慾てえのはシンから惚れていない女に限って用いることで、シンから愛しているものには用いることができない気持になりきっているんだから仕方がない。私は女房にたのむんだ。どうかそこを我慢して、茶のみ友達になってくれ、とね。本当の夫婦、本当の愛人同士てえのは茶のみ友達でつきると思っているんだよ、いまの私はね。けれども女房が怒るのは無理がねえや。私だってそんな気持になったのは五十すぎてからのことだもの。どうも、これは、いけねえな。私は女房のことばッかり喋っちゃッて、カンジンの小夜子サンへの気持のことが、出口がなくなってしまっちゃッたよ」
 この告白に偽りはないのです。それはぼくが知っています。小さい店の隣り部屋に寝泊りしているんですから、オカミサンが泣いたり怒ったり呪ったりして一しょに寝てくれないのは愛がないせいだと時々ヒステリーを起すのを否応なく聞いていました。
 ボクにはトオサンの気持はまだ理解ができません。ぼくが老人になっても理解できるかどうか、怪しいものです。なぜなら、ただ老人だからというわけではなく、現にトオサン自身が自分はむしろ若い時よりも旺盛な性慾があるぐらいだと云い云いしているからです。してみれば、若いぼくにだって理解できない性質のものではなかろうと思われるからです。ぼくにはトオサンの心境は気分的すぎやしないかという懸念がありました。
 こういう心境をはじめて耳にして面くらわない人が世間にたくさんいようとは考えられませんが、小夜子サンも返答に窮していると、トオサンは苦心のあげく自分の言うべき言葉をさがしまとめて、
「私は自分が卑怯だから、すでに自分の女房と名のつくものに、また自分の子供もある女に、お前さんも遠慮なく間男するがいい、そして私とは茶のみ友達の本当の愛人同士でいようじゃないかということは云いきれないのだね。そう云うべきかも知れないと思うことはあるのだが、どうしてもそれが云えない。それはもういったん世間なみの女房亭主という関係になって肉体の交りも結んで子までできてしまったから云えないのだと自分に云いきかせもしてみるのだが、よくよく考えてみると、みんな私が卑怯のせいだ。卑怯のせいにして、それでカンベンしてもらいたいようなさもしい根性もあるかも知れないが、なんとしても、女房にせいぜい間男しなさいとは云えねえや。なア、小夜子サン。だけど私はつくづく本当の茶のみ友達が欲しいんだ。つまり、本当の愛人が欲しいんだよ。女房はもっと年をとってからでなくちゃア本当の茶のみ友達になってくれる見込みはなし、私はもちろん気長にそれを待つツモリではいたんだが、小夜子サン、あなたがセラダというバカな愛人をつくったものだから、私はたまらなくなったんだ。肉体なんざアつまらねえものだから、セラダにでも悪魔にでもくれてやっても、それはかまやしませんよ。しかしだね、万人が羨み仰ぎみるようなその肉体をあのセラダのような奴にくれてやる気になるぐらい勇気のあるあなたなら、あなたの魂の方をこの無学のオイボレにくれるだけの勇気だってありやしないかと――そこは助平根性だよ。私もついフラフラと――イヤ、フラフラどころか実にもう夜の目も寝ないで考えに考えたんだが、そのあげくにとうとう腹をきめて、本日のこのていたらくと相なった次第なんだよ。茶のみ友達になってもらえないかと、こう云うわけだが、もちろん私があなたにふさわしいだけの値打のある男だなぞとは毛頭考えていないのさ。ただもう、セラダの奴が肉体の方の友達に選ばれるなら、魂の方は私でも。もしやにひかされて思い決したというわけなのさ」
 トオサンは告白を終って、冬まぢかなころだというのに、ツルリと手でなでて額の汗を払ったそうです。こんなに汗をかくとは思わないので、鼻をかむ汚い手拭しか持ち合せがなかったのでしょう。
「トオサンの気持がむずかしすぎるから、とてもにわかに返事ができなくッてよ。でもね。私、真剣に考えてみるわ」
 小夜子サンは長いことかかってアレコレと思案したあげく、ようやくこう返事をしたそうです。
 二人は南京街の支那料理屋で五六品のテーブルを食べましたが、食事の間中、トオサンは自分からは一言も物を云いませんでした。そればかりでなく、箸を使うのまでが怖しく不器用になって、はさんだ料理をしきりに皿の上だのテーブルの上へ落してイライラし、とうとう汗をかきはじめて、目をこすったり頭をこすったりするものだから、小夜子サンも見ていられなくなったそうです。そこで自分のお箸に料理をつまんで、
「ハイ」
 と云ってトオサンの口へ差しだしたところが、トオサンはそれをくわえようとして、にわかに気が変ったらしく、くちびるだけで軽くくわえようと変なことをしたものですからツルリとすべって、これも下へ落ちてしまいました。小夜子サンはさッそくもう一ツつまんで差しだしましたが、トオサンはそッぽをむいて受けつけようとしなかったそうです。
 トオサンの愛の告白はだいたいこんな次第でしたが、小夜子サンにとっては、これでも相当に深刻な衝撃でした。というのは、小夜子サンがセラダと熱海心中を決行したのはその翌日の出来事で、昏睡中のウワゴトにセラダの名を一度も叫ばず、ただトオサン、トオサンと思いだしたように口走っていたというのです。宿屋の番頭や女中はセラダのアダ名がトオサンと云うのだろうと思いました。トオニイ・タアニイというのもいますから、トオサンという二世がいてもフシギはないと思ったらしいです。熱海の赤新聞にはトオサンなる二世、とでていた由でした。トオサン、トオサンと二世の名をよびつづけ――と記事にでているものですから、この記事を発見した日野は理解に苦しみ、とにかくいそいでポケットの中へねじこみました。八千代サンがこれを読むとモーレツなヒステリーを起すに相違なく、かくてはわが身にも被害が及ぶと見てとったからでした。
 しかしこの記事を見せられたトオサンの感激は絶大なるものがありました。人目がなければまさに新聞を押しいただいたに相違ありません。
 小夜子サンを東京へ連れて戻ったトオサンは、ウチへ当分かくまうことにしました。そのころウチにはナギナタ二段という女中がいて、これが自分のアパートで隣人とケンカのあげく隣人の男子の方を階段から突き落すようなことをやったものですからホトボリのさめるまでアパートへ帰らないことにしてウチの座敷に寝泊りしていたのです。小夜子サンはこの二段と同居ですから我々も安心でした。しかしフカのようによく眠る二段ですから、トオサンはかえってたよりながっていたようです。
 ある日の午後、小夜子サンの亭主の小坂信二が女房をさがしてきましたが、それは熱海心中から十日ほどすぎてのことでした。幸い小夜子サンは店先にいませんでしたが、彼の訪れを知った時のトオサンの形相はすさまじいものがありました。彼は店先へとびだして、相手の顔もよく見ないうちから怒鳴っていました。
「十日もすぎてから女房をさがしにくるとは何事だ! そんな風だから女房がよその男と心中することになるんだぞ。たとえ女房がよその男と心中して生き返っても風のように飛んでいって介抱するのが亭主のツトメだ。オレがキサマの親類なら、この拳骨がキサマのドテッ腹にとびこんでるんだ。情け知らずの間抜け野郎め!」
 これだけ一息に云ってしまうと、トオサンも次第に冷静になりました。
「カッとして、どうも失礼なことを申しました。ここではなんですから、どこかそのへんで静かに話を致そうじゃござんせんか」
 トオサンがこう誘うと、小坂信二はだまってその後について出て行きました。二人は喫茶店で話をしたそうです。もっとも話をしたのはもっぱらトオサンの方だけで、小夜子サンが間男だの心中だのやらかしたのはたしかに怪しからんことではあるが、そもそも夫婦の愛情にヒビのできたのが原因で、責任の一半は亭主の方にもあるのだから、手荒な叱責なぞ加えずに、むしろこれを機会に温い夫婦愛をつくりだすように努力してほしい。禍転じて福となす心得がこういう時には特に大切なものだ。禍を禍だけで終らせるのは人間のとるべき手段じゃないというようなことを力説したもののようです。小坂信二はトオサンに喋るだけ喋らせておいて、最後に一言、
「どうも、御苦労」
 と云って、立ち去ったそうです。あのバカ野郎にしては出来すぎた一言だと云って、トオサンは甚だ口惜しがっていました。

          ★

 生きかえったセラダは二十日あまり姿を見せませんでしたが、これは米軍だか米国の役人だかの取調べをうけていたのだということです。心中行までに彼が小夜子サンに語ったところによると、彼は何か重罪を犯しているように思われるのです。彼が心中したのは小夜子サンを愛するせいではありません。なぜなら愛情からの心中は全然理由がないのです。それは小夜子さんが認めていました。そして、むしろそのために小夜子サンはいっそ楽に死のツキアイをする気持になれたもののようでした。
 要するにセラダは自殺しなければならないような崖に追いつめられていたのです。断片的に小夜子サンに語ったところによりますと、大仕掛の密輸のせいだとも云いましたし、ギャングの一味だったせいだとも云ったそうですが、また共産党の一員で赤色スパイだとも云ったそうです。どれが本当なのか見当はつきませんが、ともかく死の崖へ追いつめられるほどの何かですから小さなことではありません。まだ証拠があがらないから大丈夫だが、遠からず証拠があがりそうだと語ったそうですが、そうだとすればギャングの方ではなくて、大密輸か赤色スパイの方でしょう。ともかく小夜子サンが単純な死の道づれにすぎなかったことは確かです。
 取調べをうけたセラダはまだ証拠があがらなかったのか放免されて、その足でさっそくウチへやってきました。このドサクサに自動車を売りとばす必要があったらしく、テクでやって来ましたが、その翌日の夕方にはもう別の立派な自動車で乗りつけて、例によってブーブーとやけに鳴らしておいてから重々しく乗りこんできました。
 セラダはいよいよ金につまったらしく、どこかに隠しておいた貴金属類十ポンドほどを法本の事務所へもちこんで現金にかえてくれるようにたのんだそうです。
「まさか日本で仕事をした品物じゃないだろうね」
 と法本がききますと、セラダはニヤリと笑って、それには答えず、
「ネエ、腕ききの若い社長サン。ボクと日本でコレやらない? キミ相手みつける。ボク、やる。フィフティ、フィフティ(半分半分)」
 ホンモノのピストルをとりだしてギャングのマネをしてみせたそうです。
 このときすでに法本は彼が法によって死の崖にまで追いつめられているらしいのを日野の報告で聞いていました。まさか、とタカをくくっていたわけでしたが、この一言にただならぬ何かがこもっているのを見て、さては根のない噂ではないと直感したとのことです。
 しかし法本は用心ぶかい男です。自分の直感を信じることを急ぐ男ではなかったのです。それに彼はにわかに慌しく危い綱渡りを急がねばならないほどつまってもいませんでした。
 その場は冗談でまぎらして、いずれ宝石商の鑑定をうけた上でというような商談だけでその日は話を打ちきりました。彼はさっそく宝石商の鑑定をうけて全部で二百万が精一パイという程度の品物にすぎないことを知りましたが、まだ鑑定の結果がハッキリしないからとセラダにはごまかしておいて、セラダが金をサイソクにくるたび二万三万ぐらいずつ与えて、その日はワリカンでウチで遊んだりしていました。
 その間に、それとなくセラダの口からセラダの秘密をたぐりだそうと、精密機械のような、そして相手には絶対に感づかれないような心理的な方法で苦心探究していたようですが、それはどうやらムダに終ったようです。悪党は相手を見て要心します。その点セラダはタダのネズミではなかったのです。また知り合いの二世からセラダの素姓をたぐりだそうと努めてみたとのことですが、この方も彼の秘密にまでふれることは全然不可能だったようです。ただ彼が知り得たことで重大なのは、セラダには二世に親友がないこと、彼が二世たちにも秘密くさいウサンな人物と見られており、うしろ暗いことがあってついに自殺するに至るのが別にフシギではないように見られているという事実でした。法本にとっては、それだけでも充分であったのでした。米軍ですら証拠がつかめないようなことを自分の手で突きとめることができようなぞとは思ってもみない男でした。
 法本はセラダに自殺させることを計画していたのです。もっとも本当の自殺ではありません。一しょにギャングをやって、しかる後、殺しておいて自殺と見せかけることです。
 セラダは心中失敗後、コリもせずまた小夜子サンを口説きはじめて、うむことを知りませんでした。
 小夜子サンに本当の愛情がないこと、自分にも愛情がなかったように、小夜子サンが心中したのも当人の都合だけによることだとは知りきっているセラダでしたが、この先生にとってはそんなことは問題ではないのです。人間が生きるとか死ぬとかに愛だの心のツナガリだの理解なぞということが必要だなぞとは考えたこともないらしいです。この先生が信じているのは人生にはネゴシエーションという軸があって、妥協とか示談という完全な共同作業が成立する。要するに女の口説もネゴシエーションです。
 しかしセラダのネゴシエーションはやや荒ッぽくなっていました。前とはちがって、やたらにピストルを見せびらかして仕様がないのです。持ち金もつきていますし、運命もつきかけてると見ているらしく、ピストルのいじり方にも昔とちがって稚拙なところがありません。彼の手中のピストルの威力がなんとなく充実して感ぜられ、我々はうッかりしたことが云えないような甚だ心細い気分に襲われて弱りました。トオサンは、
「どうだい。小夜子サンに当分のうち身を隠してもらおうじゃないか。物理の先生の硫酸だって無用の心配とは限らないのだし、セラダの奴、今度はまかりまちがえばドスンと一発、つづいてまた一発、無理心中だぜ。もう熱海とは限らないよ。この店の中でだってやりかねやしないよ」
「そうですねえ。差し当って、どこへ隠れてもらいますか」
「それなんだよ。旅館というわけにはいかないし、なんしろあの美人のことだ、どこへ行っても人目に立つからなア」
 美人の隠し場は少いものです。特にトオサンにはいとしくてたまらない女のことだし、ぼくにだってそれは全く同じことです。男のところへは心配であずけられない。世間は広いようでも小夜子サンを安心してあずけることができるような女の心当りは探してみるとないもので、実に弱りました。トオサンはそれとなく小夜子サンにも当ってみて、
「一時身を隠してみては」
「御心配はうれしいんですけど、私、まだ、なんとなくヤブレカブレよ。熱海でアドルムのんだことだって、もう後悔もしていないんです。ピストルでズドンと無理心中なんて、考えても感じ良くは思いませんが、なんとかなるような気もするし、なんとかできない場合にはそれまでということになっても構やしないやという気分もあるんです。心配しないでちょうだいね」
 変にサバサバしているのです。それが、どうも、無理にしているようなところがミジンもなくて、明るくホガラカにサバサバしているのですから、手がつけられない気分にさせられてしまうのです。
 トオサンやぼくたちのこの気分に目をつけたのは法本でした。奴めも商売を忘れることのない人物ですから、セラダに利用価値がありと見ているうちはセラダの女を失敬するような青くさいことはしッこないのですが、法本だって木石ではありませんから、かほどの麗人に心の動かぬ道理はありません。
 セラダの命数も、彼の計画によれば、一ヶ月とは持たないはずになっていたのです。小夜子サンを手ッとりばやくかどわかすには、セラダの生きているうち、トオサンやぼくらが小夜子サンが身を隠すのを期待しており、つまり彼のかどわかしに嬉々として協力の情熱を惜しまぬ時期に限るようです。セラダが死んでからでも小夜子サンをモノにする時間も機会もあるでしょうが、それには金も時間もかかって、決して賢者のとるべき道ではなかったのです。
 法本は日野をよんで、こんな風に相談をもちかけたのでした。
「キミの親戚の元貴族に小夜子サンをかくまってくれて、セラダのピストルや小坂信二の硫酸から守ってくれるようなヤンゴトナキ大人物はいないかなア」
「そんなものはいやしないよ。元貴族なんてみんな落ちぶれて大方人の脛をかじる方が商売なんだもの、これぐらいタヨリにならないのは今どきめッたにありやしないよ。第一、彼らは勘定高くって、およそ人助けには縁のない利己主義者なんだ」
「しかし、元貴族というのはセラダや小坂に対してはニラミがきくと思うんだがね。かりに隠れ場所が分っても彼らはにわかに手をだしかねると思うんだよ。だから、実際にそういう貴族が存在しないとしたら、ぼくらの手でそれらしい人物をつくりあげてみようじゃないか」
「ぼくの元貴族の肩書ぐらいじゃ、その細工に助力できる力はないなア。先生の手腕で、いいようにやっとくれよ」
「そうかい。それじゃア、ま、このことは他言は絶対無用だぜ」
 法本はこう日野に念をおしたそうですが、以上はまア法本一流の伏線、小細工と申すものです。小夜子サンかどわかしの場合の要心と、またこのように釣糸をたれてみて、魚のグアイをさぐるような意味もあった次第です。
 日野はそのころ時々金まわりのよいことがあってウチでメートルをあげることがありましたから、果せるかな酔っぱらって、このことをトオサンやぼくに語ったものです。これをきいて膝をうって喜んだのはトオサンでした。
「さすがは法本サンだねえ。元貴族とはいいところへ目をつけるよ。元宮様ならこれに越したことはないが、数が知れてるから細工がきかねえや。さっそく法本サンの智恵をかりて小夜子サンを安全地帯へ移そうじゃないか」
 ぼくはその時ジッと日野の顔を見ていました。トオサンの言葉なぞは聞かなくたって判っています。日野の奴はなおさらでトオサンがポンと膝をうつことまで承知の上で云ってるのです。こやつどこまで正気かとぼくはこみあげる怒りを押えて奴の顔を睨みつけていたのです。
 小夜子サンをかくまうには元貴族が安全だとは、ふざけているではありませんか。我々の場合、かくまうとは隠すことです。隠すに元貴族も元宮様も必要があるものですか。必要なのはゼロやXだけではありませんか。いわんや、わざわざ元貴族のニセモノをつくって、そこにかくまうとはナンセンスにすぎません。
 法本は冷血な悪魔です。たくらみだけで生きてる奴です。もっとも、ぼくも同じようなものですし、客商売のぼくらの場合、人殺しでもお客はお客、人を殺して盗んだ金でもお金はお金、よけいなことは考えません。けれども、こと小夜子サンの場合は別で、商売とは別個のぼく個人の問題でもありますから、黙って見ているわけにはいきません。
 元貴族のニセモノを仕立てて小夜子サンをかくまうなぞとはトオサンをだましてていよく小夜子サンを誘拐する手段にすぎないということは、日野の奴むろん承知の上で云ってるのです。奴がニヤニヤ笑っているのはトオサンの味方の顔なのか、法本の味方の顔なのか。どっちを裏切るつもりなのか。双方裏切ることだって奴めは至極平気なのです。なぜなら奴はその裏切りが裏切りとして通用しないことを知ってるからです。ただニヤニヤと笑いながら、しかも酒に酔っぱらって、法本がニセの貴族を仕立てて小夜子サンをかくまう計画をもっているよともらしただけでは一応誰を裏切ることにもならないばかりでなく、むしろ双方から味方と思われる可能性の方が多いことも計算に入れているのです。場合によっては、そんな風に云い逃れの可能性もあることを計算の上の仕事なのです。
 ぼくに見破られていることに気附くまで、ぼくは何分間も奴めの顔を睨みつづけていました。奴めはいちはやく気がついた様子でしたが、対処の策が定まるまで気づかないフリをしていました。彼は急に慌てたフリをして、顔を赤らめ、
「法本はとても良い人なんだ」
 と云いました。そこでぼくは意地わるく、
「キミは法本はわるい人だと云うべきか、よい人だと云うべきかと考えた上で、よい人だという方を選んだんだね。キミは法本に味方する気だね、ぼくたちよりも」
「そんなことはないよ。ぼくは純粋に法本を信じてるんだ。彼は当代の人物だよ」
「するとぼくやトオサンはどうなんだ。当代の人物のギセイになってもいいような、とるにも足らぬ人物か」
「そんな云い方はよしてもらいたいね。キミやトオサンは、イヤ、すくなくともトオサンは善良な人だよ。善良そのものの人物だよ。ほとんど神にちかい人だ」
「神サマはだまされてもいいわけか」
「キミはヒステリーだよ。おかげで酒の酔いがさめたじゃないか。法本という人は、それはむろん欠点もあるし、人間の宿命としてのもろもろの悪は強く背負っていることは云うまでもないことだけど、しかし彼は人生的に一個の見事な芸術家だよ。彼の人生は芸術なんだ。それにくらべると、トオサンは神サマにちかい人だから、これは芸術というよりも芸術の素材としての美だね。絵で云えば、トオサンは美しい風景、美しい自然そのものだし、法本はそれを芸術に高めたタブローなんだ」
「そんなセンギはよけい物だよ。要するにキミは法本が小夜子サンをていよく誘拐して餌食にするのが芸術だというわけなんだね」
「そんなひどいことを云うのは侮辱だよ。法本が小夜子サンを誘拐して餌食にするなんて、ぼくの思いもよらないことじゃないか。キミは下劣だ。キミの思考は悪魔的だよ」
「それではキミはニセ貴族を仕立ててそこへ小夜子サンをかくまうことが小夜子サンをかくまう上等の手段と信じているのかい」
「むろん信じているよ」
「じゃア、そうしなさいとトオサンにすすめているんだね」
「すすめているッていうわけじゃないよ。ぼくだってニセ貴族を仕立てるについて法本に相談をうけたとき、ぼくはそういうことはできないと答えたことはキミにも話をしたじゃないか。貴族に心当りがあればとにかく、ニセ貴族を仕立ててまでッてのは、なんとなくバカバカしいような気がしたことは確かだからね」
 結局日野は言葉を濁して、次第に話をウヤムヤにしてしまったのです。それをトオサンにすすめるツモリかと返答をせまられた結果がそれです。ぼくをノラリクラリ云いのがれてあざむくことは平チャラでも、トオサンをあからさまには裏切れないのです。つまりタダメシを裏切ることができないのでした。そしてそれをぼくに見破られたことなぞは平気なものです。
 トオサンはぼくらの議論がのみこめなかったようです。そして甚だ腑に落ちないながらも、ニセ貴族の邸内に小夜子サンをかくまう話がウヤムヤになったらしいのをさとりました。希望の燈が消えたわけです。急に不キゲンになってコソコソと消えるようにひッこんでしまったのです。
 ところが次に、小夜子サンをかくまうまでもないような妙な事が起りました。小夜子サンがトオサンを誘いだして二人で行方不明になったのです。
 セラダは所持金が少くなったから、一そうヤケに札をクシャ/\わしづかみにして小夜子サンにチップをはずみました。おかげで小夜子サンはちょッとした成金気分になって、ナギナタ二段嬢なぞもコンパクトやセーターなぞおごってもらい、彼女が実はナギナタよりもコンパクトが好きであったことなぞが実証されて浮世には意外に怪異が少いことなぞも納得せざるを得なかったのです。
 成金気分の結果として小夜子サンは職業上の習性に反逆しツバメをつれて旅にでてみたいような誘惑にかられたのかも知れません。トオサンに向って銀座へ映画を見に行きましょうと誘ったのは、銀座の一語によってトオサンの調理場装束を脱がせる策略にほかならなかったのです。
 結局二人は銀座ではなく、大きな山脈をつきぬけて、日本海の海岸へでてしまいました。そこは直江津という海岸でした。晴れていれば佐渡も見えるはずでしたが、暗い雲が海をもせまくとじこめて浜にも海にもミゾレが降っていたのです。
「私の祖先の土地なのよ。オジイサンの代までこの海岸に住んでいたのよ」
 と小夜子サンは説明してきかせましたが、トオサンは吹きつける波のシブキとミゾレの寒さ痛さと闘うのに必死で、感傷以下に衰弱しきっていたのです。気マグレな茶のみ友達と歩くのも容易なことではありません。
「この海なら、とびこむとたんに死んじゃうわ」
 と小夜子サンが突然すごいことを云いました。風に顔をそむけてその言葉だけ聞いたトオサンは、ウムその気か、もう仕方がない、よし死のうと悲痛にもはやまって心を決したほどでしたが、実は小夜子サンがトオサンの勇気をひきたてるための冗談だったのです。
「ウーム。私の血の匂いがする」
 と小夜子サンは平気で荒海の吹きすさぶ風を吸ってなつかしがっていました。それから宿へ帰って、二人はとりいそぎコタツにしがみついた次第です。
「茶のみ友達ッて、どんなことをするの」
 小夜子サンはこう云ってトオサンをからかったものです。トオサンもこれにはいたくてれまして、
「どうも、ね。今回が開校式で、かいもくメドがつかねえなア。とにかく今日の茶のみ話は寒かったね」
「トオサン、返事もしてくれなかったわ」
「あれでいいんだよ。茶のみ話てえものはね、あまり言葉なぞ用いねえ方がいい。私が子供のころ、オジイサンがきかせてくれた話なんだが、何十年も術をみがいて剣術の奥儀をきわめた名人があったそうだ。ある晩野道を歩いていると怪しきものがヌーと前に立ったから、オノレ妖怪と抜く手をみせず斬り倒した。ところが斬ったものを調べてみると枯尾花だったんだね。そこで剣の名人が天を仰いで歎息して、心の迷いであったか、アア、わが術いまだ至らず、もはや生きるカイもなし、とその場にどッかと坐り刀を逆手にもって腹を斬ろうとした。その時だね。斬られた枯尾花が走ってきて、その切腹待った! シッカと侍の手を押えたというのさ。子供心にもこの話が妙に頭に残ってね。私は人にきいてみたが、誰もこんな変な話は聞いたことも読んだこともないそうだ。私のオジイサンが作った話かも知れないが、私はね、この斬られた枯尾花が走ってきてその切腹待ったとシッカと手を押えたという友情がしみじみと好きだねえ。こういう温い友情が茶のみ話の心持じゃアないかしらと思っているのだが」
「トオサンの子供のころのことをきかせて」
「そのころは頭がはげていなかったぐらいのことしか云えないなア。子供のころはああだった、こうだったと云える人がうらやましいよ」
「貧乏だったの」
「むろんだとも」
「お父さんは百姓だったの」
「漁師だったよ。お魚をザルにいれて私が町家の裏口から売って歩いたこともあるよ」
「寒いころ?」
「フシギに子供のころが思いだせない性分なんだな。停電の時やなにかに暗闇の中でふッと子供のころのことを思いだす時があるが、明るくなるともう忘れる。停電の時だけ昔にかえるというわけだ」
 こういう旅行を七日七晩ほどつづけたのです。けれども、そのうち前三日はトオサンがカゼをひいてねこんでいましたし、後三日は小夜子サンがカゼをひいてねこみまして、要するにやむをえない七日七晩だったわけです。二人の看病は心がこもっていましたが、特別というほどではありません。要するに、特別のものはなかったのです。
 二人だけ一しょに旅行するというのが、そもそも茶のみ友達の境地に反しているのかも知れません。それはいわゆる世間なみの愛人たちのやるべき通俗なことのようです。しかしトオサンはそんな反省にふけるよりも、自分のカゼと闘うことや小夜子サンのカゼと闘うことに必死でした。無我夢中と云っても過言ではなかったほどです。彼は自分の病気中は、わるい奴だ、わるい奴だ、と自分を責めつづけていましたし、小夜子サンの病気中も、オレがわるい、オレがわるいと自分自身を叱りながら小夜子サンの足をもみ、額の汗をふいてやり、一時も休まずに身も心も使っていたのです。
 小夜子サンは熱につかれてウトウトし、ふと目がさめると、いつもそこにトオサンがいるので、うれしく思いました。いつも真剣にジッとひかえているのです。それはほとんど有りうべからざるような珍しい現象として小夜子サンをたのしませ、ふと目がさめるのがたのしみになったほどですが、あるいは寝ている最中に口笛を吹くと夢の中にトオサンがでてくるのではないかなぞと考え、トオサンと忠犬を混同して考えるような失敬な空想にふけることが多かったのです。
 この最中に、東京は東京で異変が起っていたのでした。

          ★

 阿久津の店の者たちはトオサンと小夜子サンの行方不明をさほど心配しませんでした。トオサンが苦心と熟慮のあげく小夜子サンをかくまっているのかも知れないねという見方の方が強く、感傷旅行というような考え方はトオサンと恋仇のぼくですらおかしくて考えられないほどでした。
 しかし、セラダは怒りました。小夜子サンにジャンジャンチップをやったあげくのドロンですから、胸がおさまらなかったのでしょう。
 その晩、日野が八千代サンをともなって来ていたのです。セラダはこの店ですでに何回も八千代サンを見かけその素姓も知っていたのですが、小夜子サンというものがあるのですから、ヒロポン中毒のチンピラ女流詩人にはハナもひッかけなかった次第です。
 しかるにこの晩見直してみると、なかなか可愛い娘です。全然ミナリをかまわない娘ですから見るからにヤボな女学生姿ですが、それだけに磨けば光る麗質はむきだしに目をうち、磨いた場合の想像であれこれ逞しく色気を味うことができました。
 彼はサントリーのハイボールを二ツ持って日野と八千代サンのテーブルへわりこみました。ウチは座敷のほかにテーブル席も、スタンドもあるのです。といっても極めてチッポケな店で、ナワノレンに毛の生えた程度、その毛もなるべく過少に考えた方がマチガイが少いでしょう。セラダは八千代サンにハイボールを献じましたが日野にはやりません。遠慮なく彼女の左手を握って、
「ネ、八千代サン。のんで下さい。ワタクシ、アナタ、好きです」
 八千代サンもセラダに劣らず大ムクレの真ッ最中でした。原因はセラダと同じです。トオサンが小夜子サンと行方不明だからでした。心底の無念はセラダ以上にやる方ないものがあったかも知れません。なぜならセラダにはない嫉妬の炎というものが五臓六腑を荒れ狂っていたからです。
 小夜子サンのお古というのが玉にキズですが、心中の死に損いということや、死の崖へ追いつめられた犯罪人ということなどベリナイスです。
「チョイト失礼」
 八千代サンはセラダの手をぬいて立ち上りましたが、これは便所へ行ってハンドバッグの中から注射器をとりだして戦闘準備のヒロポンをうつためでした。そうとは知らぬセラダがひどく浮かない顔をしてもう自殺以外に手がないようなふさぎ方をしているところへ、イソイソと八千代サンが戻ってきて、
「どうも失礼。いただくわ」
 と云ってハイボールのコップをとってキューと一息に飲みほしたものですから、セラダは茫然、つづいて狂喜雀躍、ただもうむやみに両手をすりあわせ肩をゆすって相好をくずしました。
「アリガト。アリガト。八千代サン。アナタ、ステキです」
 自分でバーへとんで行ってダブルのハイボールをつくってきました。ちょうどそこへ日野が注文しておいた八千代サンと二人分のビフテキをナギナタ二段嬢が運んできたのですが、すっかりむくれた日野はビフテキ二枚ともとりあげて両手に捧げて別のテーブルへ移転です。これをそのまま見送るわけにいきません。八千代サンの胃袋は空腹のため思念もとまれば視力も薄れ失心状態も起りかねないほど急迫していたからです。八千代サンは日野のテーブルにせまりました。その執拗な攻撃力を熟知している日野は両手をひろげて二枚のビフテキの上へ胸もろともにトーチカをつくりました。
「一枚は私のよ」
「ぼくがお金を払うのだから、ぼくのだ」
「だしなさい」
「イヤだ」
 たまりかねてセラダが駈けよりました。
「ワタクシたち、別にビフテキ注文しましょう。いらッしゃい」
「それまで待つわけにいかないわ。オナカがペコペコなんですもの」
「では日野サン、一枚ワタクシに売ってください」
 セラダはテーブルの上へ千円札をおきました。まさかツリはとらないだろう。千円ならわるくはないと見て、日野はだまって皿を一枚だしました。その隙に他の一皿も八千代サンがサッと横から取り上げてしまったのです。
「よせやい」
「千円で一皿はひどいわよ」
「だってセラダサンは一枚売って下さいッて云ったじゃないか」
「私が二枚と云い直す。イーだ」
 セラダと八千代サンは早くもテーブルにつきさっそくビフテキをパクつき、改めてチェリオと乾盃をやっております。日野はイスにもたれてそりかえり、両腕をくみ、両眼をとじ、実に憮然という構えで長い瞑想にはいりました。そのままの姿勢でたっぷり五十分はつづいたでしょう。それこそは元貴族のナレの果ての構え充分の貫禄がそなわっているかに見えたのです。そして彼が目をあいた時には彼氏と彼女はすでに相擁して立ち去った後でした。八千代サンは全然千鳥足だった由です。
 その翌日もまた翌日もセラダと八千代さんは一しょに現れ、相擁して千鳥足で立ち去りました。次の晩から二人そろって姿を見せなくなったのは遠出の証拠と見られたのです。
 日野は毎晩現れて、八千代サンの日ごとの変化と酔態をつぶさに見学していました。彼は彼女にお酒をおごったことがなかったので、その酔態を見たことはなかったのです。よしんば彼がお金持で彼女にお酒をおごろうとしても、トオサンが店にいる限りはそれを許さなかったでしょう。
 女が処女を失うということと、泥酔するということは、ケダモノよりもあさましいものに見うけられました。しかし日野はそれに目をおおうようなことはしませんでした。むしろいつもの倍も目玉をむいて、ジロジロと観察にふけっていたのです。八千代サンが目の前でハダカにされてセラダに犯されたにしても日野の目玉はマバタキしなかったに相違ありません。
 女というものはどうしてこう愚劣なんだろうかと日野はガイタンいたしました。男がこういう愚劣なものに凝らねばならぬ宿命を与えられているということは歎かわしい次第だ。この女の獣的異変と退化性と肉慾性とは平和な時代の道徳と相いれないものがある。侵略の兵隊の女狩りが彼女らの本性にふさわしいもので、兵隊にジュウリンされ隷属する性質のものだ。紳士に隷属すべからざるものなのである。
 してみると男の本性も紳士にあるのでなくて兵隊にあるのかも知れず、世界秩序の本態も平和にあるのでなくて戦争にあるのかも知れん、と日野は考えてしまったほどです。彼がこう考えたのも、フシギに自ら反省する頭を失わなかったからで、なぜなら彼は八千代サンの愚劣きわまる獣的異変と色情狂的酔態を見まもっている間中、彼自身の性器が完全にボッキしたまま挫折することがなかったのを見出したからです。つまり彼自身の兵隊性を自覚せざるを得なかったのでした。
 ところが翌日の新聞に思いがけない記事がでていました。セラダと八千代サンは遠出ではなかったのです。セラダが酔っぱらッて運転していたために自動車を電柱にぶつけ、そこにでていた屋台をひッくり返して、自動車もひッくり返ったらしいのです。幸い死人はありませんでしたが、セラダは軽傷、八千代サンはやや重傷、ガラスでケガをしたらしいと想像されました。
 日野は新聞をよむと、とるものもとりあえずのていで八千代サンが手当てをうけたという病院へ行ってみました。もうわが家へ戻ったあとでした。ケガは幸い顔でなく、ノーシントーとカスリ傷で大したことはなかったのです。けれども日野が彼女の家を見舞うことを怠らなかったのは、トオサンが小坂信二を咎めた剣幕をかねて奴めも聞き及んでいることですし、これもタダメシへの義理立てと見たのはヒガメでしょうか。
 ところが日野は八千代サンの家人に甚しく冷遇せられたとのことでした。容疑者が警察でうけるような取り調べを入口でうけて、ともかく八千代サンの病室に通されることはできたそうです。
 八千代サンは彼を見ると、枕をはねのけんばかりに、いきなり熱心に彼にたのみました。その目は火焔をふきました。
「ヒロポンとどけてよ。オマワリサンがハンドバッグ調べてヒロポン見つけて大目玉よ。ウチのヒロポンもお母さんにとられちゃッたの。だから、今度くるとき、ヒロポンと注射器もってきてちょうだいよ」
 もうそろそろヒロポンがきれかけて、ややモーローとしているのです。日野の手首をつかんで思いきり強い力でグイグイひきよせ、自分もカラダをのりだしてきて、日野の頸に手をまきつけてねじりました。そしてくさい口で接吻したのです。グチャ/\とツバがベットリ日野の口ではなく鼻の下をぬらしました。日野は怖れて身をひきました。まだ足らなくて、さらにジリジリ身をひきましたが、それでも足りなくて立ち上ってしまいました。彼は鼻の下のベトベトしたツバをふいて、これも鼻の下の長いせいかと変なことまで思いついたりして、無性になさけなくなって、
「ぼく、もう、帰るよ」
「私、病気が治ると留置場へ入れられるわよ。ヒロポン見つかったんですもの。早く手をまわして、助かるように運動してよ」
「そんな手ヅルないよ」
「セラダに会いたいわ。会わせてよ」
 日野はもうたまらなくなって部屋をとびだしてしまったのです。
 しかし彼はその足でウチへくると、これをことこまかに報告して、落着きはらっていました。
「あすあたりからひどい禁断症状だろうな。精神病院ものかも知れないと思うよ」
 薄笑いさえ浮べて、一向に動じた様子もなく云いきるところはややアッパレでした。奴も八千代サンの獣的異変と女性の退化性の確認によっていくらか大人になったのかも知れません。
 そうこうしているところへ、トオサンと小夜子サンが疲れきって戻ってきました。ぼくたちはセラダ負傷の記事により隠遁の必要がなくなって出てきたものかと早ガテンした始末でしたが、そういう偶然があったために、トオサンもやや顔が立ったかも知れません。
 ぼくはトオサンがセラダのことも八千代サンのことも知らないのに驚いて、二人が誰にも会わないうちに別室へつれこんで、留守中の異変を逐一説明に及んだのです。トオサンのおどろきたるや甚大でした。何よりも「おのが罪」の自覚にうちしおれてしまったようです。ぼくはこう慰めてやりました。
「誰の罪でもありませんよ。人間はこんなものかも知れませんな。変に甘やかすより、こうしてキマリがついたあとで、いくらかでも利口にと世話をやく方がハリアイがありますよ」
「そうだな。たしかに、人間はそんなものだ」とトオサンは変に決然と云いました。「こうしてみんなが茶のみ友達になるんだ。こうしてみんなが。そうだとも。どうしても、がんばらなくちゃアいけねえ。人間はもともとこうしたものなんだ。だがな。これだけのものだと思うと、まちがいだぞ。一寸の虫にも五分の魂と云うじゃないか。五分の魂は虫にもあるんだ。そうだとも。がんばらなくちゃアいけないのだぞ、人間はな」
 ちょッと勇み肌めいたところがタヨリなくはありましたが、それはまたちょッと神々しいものでもあったのです。悲憤のマナジリを決せんばかりの形相でした。思えば中部山脈をつきぬけて日本海へでて以来、ずッと格闘つづきのあとにまたこれですから、悪鬼とでも組打ちを辞しないほどの闘魂もあふれたろうというものです。
 トオサンは改めて小夜子サンの方をふりむき、肩に手をかけたわけではないのですが充分にその心持のあふれた姿で、
「勇気が大事だよ。なア。なんでもかんでも、がんばって、がんばりぬかなくちゃアいけないや。一度や二度のシクジリでくじけるようじゃア、人間の値打はありやしねえや。しかし、八千代サンには、すまねえ」
 八千代サンのいる方角がどッちだか分らないものですから、誰もいない方へちょッと身をねじるようにして何をしたのだか誰にも分らないような素早い動作で合掌をやりましたが、てれかくしか急いで手拭をひッこぬいてハナをかんだりして忙しいことでした。長旅の疲れのせいもあって興奮もいちじるしい様子だったのです。小夜子サンは病後で疲れきっていましたが、これはまた天下の些事には一向に無関心らしくサバサバとカゲリはまったくありませんでした。セラダがいつかの心中の相手だったことなぞは思いだすこともできない様子に見うけられました。料亭阿久津は当分平和が訪れるかに思われたのでした。

          ★

 セラダの自動車事故にいよいよ決行の時節到来とみたのは法本でした。二世たちのなかには自動車事故も無理心中の仕損いではなかったかと疑るムキもあったほどで、事実そうかも知れないのです。奴もいよいよせっぱつまったわけですから、早いうちにやらないと、奴は本当に自殺してしまう怖れもあったわけです。
 そのころから法本はぼくを警戒するようになっていました。それというのが、ニセ貴族を仕立てての誘拐の件がぼくの見破るところとなったことを日野の報告で知ったからです。小夜子サンが無事戻ったと知ったとき、さっそく花束をもってやってきて、これを小夜子サンに捧げて、
「おめでとう。もうセラダも当分あなたをつけまわせないでしょうから」
 なぞとお愛想を云ったのは、むろん小夜子サンをものにしようとのコンタンもあってでしょうが、小夜子サンの身を案じたのがウソではないとの言い訳も半分はあってだろうと推察され、悪党らしくない不手際にぼくはむしろ苦笑を覚えたのでした。しかしぼくが彼にしきりに対抗感を覚えるようになったのは、彼の悪党ぶりに反撥してのせいではなくて、実はやっぱり小夜子サンを彼に渡したくないとの思いつめた気持からです。セラダの時はこれほどの気持は起らなかったのです。してみると、あるいはやはり悪党ぶりへの反感であったかも知れません。奴の悪党ぶりが気に入らないのは奴の存在を知った時からです。日野のほめ方が気に入らなかったのかも知れません。とにかくぼくは日野の言動にはことごとくと云ってよいほど反感をもちたくなってしまうのです。ニセ貴族を仕立てての誘拐の件で法本の小夜子サンへの下心を知り反感の火の手が何層倍も強まったところへ、花束をもっての小夜子サン帰京見舞の一件があってぼくの反感は決定的になりました。つまり彼がぼくを警戒しだしたのと同じころからぼくの方がその何倍も彼を敵に見立てていたのですが、日野にはその色を見せないように注意するのを忘れませんでした。もっともぼくも法本がセラダにギャングを働かせそのセラダを殺害して自殺に見せかける計画をたくらんでいることなどは知る由もなかったのです。
 二週間ほどすぎて、セラダは再び毎日のように通うようになりました。おどろいたことには、金も乏しいくせに、二三日目にはまた自動車をブーブー鳴らしてやって来ました。セラダは貴金属類を百八十万円で法本に売った金の三分の二で自動車を買ったもののようです。奴の度胸のよいのにはおどろくほかありませんが、彼が自動車を持たない時の劣等感は特殊なものがあったのかも知れません。彼はこうしてギャングか自殺かいずれかを選ばねばならない窮地へ進んで自分を追いこんだようなものですが、彼はむしろ追いつめられる快感を最後の友としていたのかも知れません。遊びッぷりはむしろ陽気に陽気にと上昇線をたどる一方でした。
 ここに奇妙なのは、日野が急速にセラダと親密の度を加えたことです。セラダの八方ヤブレのデタラメさが、日野には敬服すべきものに映じたようです。彼はもともとセラダを一目見た最初の時から、そのオッチョコチョイぶりに圧倒されるところがあったようです。親近感は意外に根が深かったのです。
 そして彼のセラダへの直感がいかに正確であったかと云えば、一目見ただけで小夜子サンをモノにするのを予言したのでも判じうると思われます。奴のように無節操な人間にとっては、セラダが八千代サンを奪ってその処女をも奪ったというようなことは問題ではなかったのです。むしろ彼はそれによって一そう親近感と心服を深める結果になっているのではないかと想像しうる理由もあるのです。なぜなら、処女を失った女の日ごとの異変とその酔態に彼ほど熱心でマジメで深刻な見学者はいなかったのですし、それを摂取して成長すらもとげており、かかる異変を現実に示してくれたセラダに対して、彼は敵意どころか、むしろ師と仰ぐていの渇仰や共鳴を深めたとしてもフシギとは思われないからです。
 いわばセラダに対する友情だけはわりあい純粋なものではなかったかと思われます。
 むろんその余徳としてセラダがジャンジャンおごってくれるような望外なこともありまして、彼はてれてニヤニヤするほど満悦の様子ではありましたが、それは友情の結果であって、出発ではなかったようです。
 だいたいセラダは気に入った女の子には大サービスしますが、縁もユカリもない野郎なぞには決してサービスしないタチでした。彼は野郎どもに対しては特に警戒心が深かったのです。二世にすらも親友がいないと云われているほどですから、血は同じでも国籍のちがう日本人にはネゴシエーションの席以外には友情をもつ必要を感じていなかったのです。その態度は露骨でした。彼は法本と遊びにきてもワリカンで、他人の分を払ったことはありません。
 そういうわけで、日野が彼に友情を示しはじめた当座のうちは、セラダは警戒厳重をきわめていました。ビフテキと女をまきあげられた野郎めがなんのために友情を示すのか、場合によってはピストルが必需品かも知れないと気をまわすぐらい用心して、彼は日野が近づくたびに露骨にキゲンを悪くしてみせました。
 けれどもヤケと孤独の底をついてしまったセラダは人間の本質的なものに素直にふれることのできる素質をもっていました。日野の無節操、ヘツライ、乞食根性、タカリ、ケチ、助平根性、それはみんなセラダのものでもあったわけです。そしてそのハキダメのような土壌の中から芽生えてきた日野の友情を彼は意外に早く見ぬくことができました。こうして急速に信頼の度は深まったのです。二人は毎晩軌道を無視してメートルをあげ、わけの判別ができなくなってもゲラゲラ笑って乾盃をつづけていました。
 他人が見ると百鬼夜行の中から一番ダラシのないのが二匹ハミだしてメートルをあげているようなもので、そこに純粋の友情が育まれて二人の胸がシッカと結ばれていることなぞは、当人以外に分りッこなかったのです。
 時が長びくとセラダが勝手にギャングか自殺の一ツを選んでとびこむのが明白ですから、ついに法本はひそかにセラダを事務所に招じて、ギャングの実行にかかったのです。勿論席にはセラダのほかには法本の腹心ばかりで、日野は加えられておりません。日野はヤケクソの孤独人ですから、自分の腹心として日野の参加を望むようなことはもとより致さなかったのです。
 法本が日野の人柄を見ぬいていたことは申すまでもありません。無節操、ヘツライ、乞食根性、タカリ、ケチ、助平根性、ハキダメのような悪臭フンプンたる人柄です。絶対に信頼すべからざる人柄です。友情は常に裏切りでしかありません。まさにそれは確かなのです。しかし彼がただ一ツ誤算したことは、彼とセラダの友情が意外に純粋なものであるという一事でした。ここに法本という人間の限界もあったわけです。この誤算が手ちがいを生むに至ることなぞ知る由もなかったのです。
 着々準備はととのいました。下検分も慎重に綿密に終りました。いよいよ決行の前晩に至って、セラダは明日にせまった冒険を日野に全部うちあけてきかせたのです。
 日野は面白がってきいていました。ほとんどおどろかなかったのです。セラダがいずれはギャングか自殺のいずれかを選ぶ必要にせまられていることは先刻承知の助だからです。もっとも、その後に於て法本が彼を殺して自殺と見せかける計画を知れば彼はキモをつぶしたに相違ありません。しかし、そこまで判るはずはないのです。
「ワタシタチのたのしい生活、長くつづくね。チェリオ」
 セラダは至って好キゲンでした。日野はそれに劣らず大満悦で、胸がワクワクするようなたのしさでした。西洋料理店で珍味の到来をまつ子供のあのたのしい心境でした。
「成功をまつ」
「OK。チェリオ」
 それより例の如くにメートルをあげて両名は飲めや笑えやです。毎晩が最高潮に達しているのですから、いつもにまして、というわけには参りませんが、賑やかなことでした。こうして翌日、セラダはさすがに緊張と、しかし勇気リンリン武者ぶるいをして戦線についたわけです。
 その日の午後二時前後に池袋の某金融金庫をでて練馬方面へ向う自動車があったのです。この車に二千万円の現金入りの袋がつみこまれています。これはさる事業に用いる金で、この事業には法本が関係していました。この日の金の現送は法本ほか十名ほどの人が知るだけです。法本も練馬の方でこの金の到着を待っている一人でした。
 ところがいつまで待ってもこの金は来ませんでした。来ないわけです。人家からはなれた路上で自動車は路から落ちて止っていました。運転手と係りの者二名は、車中でピストルに射たれて死んでいましたし、路上にも運の悪い通行人が一人射たれて死んでいたのです。現金袋は申すまでもなく盗まれていました。
 これがセラダ一人のちょッとした事業だったわけです。セラダはあまり自動車をとばさぬように、わが胸を押えに押えて、顔色も変えずに池袋へ戻り、そこで人心地をとりもどして自分のアパートへ到着しました。二千万円の現金はデンとセラダの部屋に位置をしめ、セラダは満足してイスに腰かけ、サントリーのポケットビンに口をつけてウイスキーを呷りました。
 その晩、セラダと日野が上乗の首尾を祝して例の飲めや歌えをやったことは申すまでもありません。けれどもセラダは祝宴の途中から親友をおいてき堀にして、小夜子サンを片隅にとらえて、たのむ、拝む、はては土下座してまでの懇願哀訴でした。それは多彩でもあれば執念深くもあり、またどことなく物の哀れもあるようなチャルメラ的なものであったのですが、当人の身にしてみればダテにチャルメラを吹いてるわけではなかったのです。必死なのでした。
 セラダは大金を背にどッかとアグラをかいてみると、自殺だの心中なぞは当分延期の気分で、いまやシンから人生をたのしみたくなったというものです。
「心中、もう、イケマセン。ワタクシ、アナタのドレイなります。アタミへ一しょに行きましょう。たのみます」
 ざッとこういうわけです。
 これが十日あまりもつづいたのです。小夜子サンもヤケを起してしまったのでした。
 だいたいにおいて小夜子サンはセラダがやや好きの方だったのでしょう。彼のオッチョコチョイぶりもこうひどすぎると俗人ばなれがしてアカぬけたような気分になるから妙なものでした。とかく日本的オッチョコチョイは哲学的詩的要素が加味されていて頭痛を起させがちなのですが、セラダのにはジャズ以上の重量級のオッチョコチョイは加味されていないのです。気分的に楽でした。当人は万人に軽蔑されても意に介しない荒海の救命イカダのような安らかな心境にいることですし、ツキアイが楽だというのは坐り心地や生きる心持の急所が楽だというようなものです。
 彼のヤケが底をついているのも、時々にシミジミさせられることがあって、わるくはなかったのです。死の崖にいる切なさや逞しさも時に青い山を見るような酔い心地を与えてくれることがありました。それは一瞬にすぎ去る感傷にすぎませんが、この人生はその程度でまアまアではありませんか。
 しかしとにかく相手は汽船でもボートでもなく救命イカダの類いですから、平時に於てこれに乗りこむには多少のヤケも必要だったわけです。
 別に深いワケはなかったのですが、まだ寝みだれ姿で便所へ立って、そこでバッタリと、すでにすっかり仕事着をきたトオサンと顔を合せた小夜子サンは自分の朝寝坊や寝みだれ姿が味気ない気持になって「オハヨー」と顔をそむけて背をむけました。茶のみ友達の窮屈なところでしょうか。茶の湯や活花の類が常にのしかかるような感じがし、それをトオサンが決して強制しないのに、どうも茶のみ話の玄妙に心がいじけていけなくなっていたのです。便所の中でちょッと頭痛がするような苦痛を覚えたのです。
 小夜子サンがまさに便所から出て来たとたんでした。ブーブーブーと景気よく自動車が鳴りたてました。むろんセラダにきまってます。小夜子サンは解放感でフラフラしました。たったそれだけのことです。そこへセラダが本日こそはと意気高らかに乗りこんできて、寝みだれ姿も物かは、いきなり哀願泣訴の意気ごみを見せたものですから、小夜子サンはアラーッ、キャーッと部屋へ逃げこんで障子をバッタリしめて、
「待ってね。いまお化粧して行きますから」
 今までにないキゲンのよい声です。障子のあちら側でセラダがしきりに手をもみ肩をゆすって酩酊状態になっているのは、この店の者なら察しがつこうというものです。
 こういうわけでセラダと小夜子サンは再びアタミの散歩者となったのですが、ここへ来てみれば別天地でした。いつのまに、茶のみ話の妖しい魔術にとらえられてしまったのか、この軽さ、親しさ、解放感、心ゆくまで胸いっぱいの爽やかな孤独感、それらの楽しさを今まで思いだせなかったのがフシギでした。セラダの妙に鼻につかないオッチョコチョイ、居ても居なくても邪魔にならないような、吹けばとぶような軽量感。楽でした。
 話はとんで法本です。彼はまだセラダのもとへ分け前をとりに行くこともできないのでした。なぜなら当局の容疑は彼一人とは限りませんが、ともかくその日の二千万円現送の事実を知るものが容疑からまぬがれないのは当然で、法本やその腹心にはそれぞれ明瞭なアリバイがあってもまだ安心はできないのです。何より安全なのは誰の手もとにも盗んだ現金をもたないことで、やむを得ず涙をのんでセラダの豪遊を見て見ぬフリの切なさでした。むろんセラダの豪遊先、阿久津や熱海へ顔をだすこともできません。このような豪遊人士とツキアイがあるなぞと判明しては一大事で、幸いセラダは二世だから、離れている限りそのツナガリを看破される心配はない様子でした。
 しかし法本も金につまっていたのです。一年の大晦日もせまってきましたし、多少の危険はあるにしても、ノンビリしてはいられません。しらべてみると、セラダは週末ごとに小夜子サンと熱海へ行っているのです。
 法本一行は土曜日に熱海へ行って泊りました。そこからはセラダの動静を見ることができます。
 セラダにとっては運がわるかったのです。その日曜に熱海の旅館で小夜子サンが病気になったのです。いつもなら宿でも道でも二人そろっていないことはなかったのですが、小夜子サンが病気とあっては仕方がありません。セラダが自動車で病人用の買い物にでかけたのです。
 悪いことには夕方でした。
 買い物の途中、セラダを呼びとめたのは法本です。腹心も一人いました。彼らは久闊を叙し、一しょにセラダの車にのりました。セラダの宿へ行くためにです。セラダは彼らを疑っていませんでした。彼らが半分半分の分け前をとりにくるのは当然で、どうしてとりにこないのかとフシギがっていたほどですから。
 しかしセラダの車は宿へ行かずに来の宮から十国峠の方へ登って行きました。その車からやや離れてもう一台の自動車が走っているのは、それが法本一味の自動車です。セラダは自分の車の中で法本とも一人の人物にピストルで脅迫されて渋々云うままに運転せざるを得なかったのです。
 セラダはそのポケットのピストルとアパートのカギをとられました。次にちょうどよろしいあたりで頭をうたれて死に、法本は自分のピストルにセラダの指紋をつけて車中に投げすて、ハンドルをきって車は屍体をのせたまゝ谷底へすべり落ちてしまったのです。
 そして彼らは自分の車にのりこんで、いったん熱海へ戻ってから東京へ戻りました。その夜のうちに、セラダのアパートの現金はどこかへ運び去られてしまったのでした。セラダの車は翌日発見されて、セラダの経歴が分ってのちに一応自殺として事件は打ち切りとなったのです。
 セラダの死後、小夜子サンは出頭を命ぜられてMPの取調べをうけました。
 それはセラダの自殺についてではなく、セラダの過去のある重大らしき犯罪についてでした。その犯罪についてセラダが何か彼女にもらしたことがないかと取調べをうけたわけです。彼女は明瞭にナイと答えました。すると取調べは簡単で、すぐカンベンしてくれたのです。彼女はさきに熱海署でセラダの車中にころがっていたピストルが彼のものかという質問をうけたことがありました。ピストルなぞはよく見たことがなかったのですが、それでも一見して違うように思われたのですが、面倒になるとうるさいので、ピストルなぞは一度も見たことがなかったのですと答えてごまかしてきたのでした。したがって彼の自殺説に甚しく反対だったのですが、彼の過去の犯罪がよほど米軍にとって重大らしいのを確認して、それではやっぱり自殺かなと思い直してしまったのです。
 この事件のカギを握るのは日野だけですが、彼は小夜子サンとはアベコベに、セラダの自殺説が確定した時に、たぶんそうだろうと思ったのです。
 お金が山とあっても死にたい時に人は死にます。ことにセラダは何かによって死の崖へ追いつめられていた様子ですから、あの人柄ではいつ何時プイと死んでも別に変哲もないことに思われただけのことでした。
 あのバカも死んだかと思いました。ギャングの金のつきるまでお酒をのませてもらえるタノシミが減ったのは遺恨でした。オレに残りの金をくれて死ねばよいのに、気のきかねえ野郎だとぼやいたのです。しかし小夜子サンに残してやった様子もないのでちょッと変だなと思いましたが、あのバカにはマゴコロからの惚れたハレたが皆目ないのは確かですから、むしろこれもサバサバして風流にかなうオモムキもあり、またこれでオレも小夜子サンにヤキモチやいて金銭の恨みを結び、時に悪夢にうなされる心配もなくて安心だと考えたりしたのです。
 しかし思えば思うほど残念でたまらないのは、オレにもいくらかくれねえかなアとノドから手と声が一しょに出かかったのが何度もあったにも拘らず、奴めの妙に純粋らしい超特級の友情の手前、それがどうしても云えなかった一事でした。彼は生れてはじめて友情を裏切らなかったのかも知れませんが、これには後々まで後悔に後悔を重ねたのです。

底本:「坂口安吾全集 15」筑摩書房
   1999(平成11)年10月20日初版第1刷発行
底本の親本:「新潮 第五一巻第九号」
   1954(昭和29)年9月1日発行
初出:「新潮 第五一巻第九号」
   1954(昭和29)年9月1日発行
※底本は、物を数える際や地名などに用いる「ヶ」(区点番号5-86)を、大振りにつくっています。
入力:tatsuki
校正:小林繁雄
2006年9月22日作成
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